[インタビュー]ノ・ヒギョン“‘クサセ’は傷を治癒しなければならないという
強迫観念を脱いだ初めての作品”


ノ・ヒギョン作家はマニアファンが多いことで大韓民国で二番目に行けといえば悲しい作家だ。
‘マニア’と呼ばれるにも遜色がない熱情的なファンらはノ・ヒギョン作家が表現する人間群像らの率直な傷に熱狂した。傷に痛く感じて,抱く暖かい視線のおかげで‘最も人間味あふれる作家’で賛辞を送ってきた。

これにノ・ヒギョン作家は“傷を治癒しなければならないという強迫観念にとらわれて文を書いてきた。
しかしいつからか傷に対して寛容な視線で眺められるようになった。傷自体も肯定的なことなので安らかに見守る文を書きたかった”とした。

去る2006年放送されたKBS 2TV‘グッバイソロ’時からノ・ヒギョン作家が持ってきた考えでこの頃放送される‘彼らが生きる世の中’は傷に対して観照的な視線を持つようになった最初の作品になっている。

ソウル,弘済洞の執筆室近所喫茶店で会ったノ・ヒギョン作家は愉快に傷治癒の強迫観念を投げ捨てた過程を話した。すでに‘彼らが生きる世の中’の執筆を終えたというノ・ヒギョン作家は“執筆のストレスのために身体がとても傷ついた”ながらも少年のようにあどけない微笑で楽しいインタビューが続いた。

-独特さが出るドラマらを書き続けた。
そのために幅広い呼応よりマニアの支持を得てきたのでないか。


“決して特別ではない話だ。特別な人の普遍的な話とか,普通の人の特別な理由といえる。
特別さと普遍的なことはコインの裏表面のように共存する部分だ。結局私たちの周囲にある話だ。
ただ傷にもう少し視線を送った点で違うと思われるのではないか。”

-傷はノ・ヒギョン作家の作品を代表する言葉ではないかと思う。
そのために特別さを追求するという話を聞く件ではないのか。


“傷はすべての人が持って普遍的である。ただ認知する程度で差があるだけだ。考えてみなさい。何の傷も苦悩もなく平凡に生きる人がいるのか。それがさらに大変だ。そう見れば‘平凡だ’という言葉には偏見と先入観が含まれている。平凡な人がそこまで認識できなかった特別さを文として書いて降りて行っているといえる。

-傷に執着する特別な理由でもあるのか。

“自分にも傷が多かったからではないか。(笑)そのためか今までは‘傷を治癒しなければならない’という強迫観念を持って文を書いてきたようだ。

‘グッバイソロ’を書きながら,傷が肯定的であるということもあるという考えをするようになって,‘治癒する必要があるのか’悩んだ。そんな意味で‘彼らが生きる世の中’は傷を治癒しなければならないという強迫観念を脱いで初めて書いた作品だ。

-以前の作品らとどのくらいの差があるのか。相変らず重たさが感じられるけれど。

“今まではたくさん自身の痛みだけを見たのではないかという思いだった。
‘私だけそうなんだ’という思いで,‘わかってすべてそうだね’に変わったといわなければならない。
そして深みと重さの概念の混同も自由になった。‘深さ’と対比される概念を‘軽さ’と考えて‘浅い’だ。
‘軽さ’の反対概念は‘重い’だ。深みがありながら軽く書こうと努力した。

-ノ・ヒギョン作家に‘彼らが生きる世の中’この意味は?

“新しくしたいという念願を解いていく作品だ。
そして私の生活の基盤である放送関係者に対する有り難みを明らかにする作品だ。
有り難みを表わす方法で最善は新しいものを捜し出すことを見せてくれるのではないかと思った。
新しいジャンルに対する開拓である事でもあるし。人間に対する深くなった姿も見せて。

-とても‘彼ら’の世の中に集中して見たら排他的になって,没入が容易ではないという指摘もある。

“序盤部に放送関係者に対する愛情を表わすように見せていくように見せたらそんなふうに受け入れられることができた。しかしますます普遍的な話が扱われる。3部以後チュ・ジュニョン(ソンへギョ)のアキレス腱であるお母さんに対して話す大きい課題などは世の中の普遍的な情緒だ。

善と悪同対比される概念が共存するように描き出すのは特別に見えるが普遍的だ。極端な概念らはあるシークエンスに溶かして出そうとした。初めは特別に始まるが結局は皆が共感できる話になるだろう。






[インタビュー]ノ・ヒギョン“‘クサセ’という私の過去の青春を見なければならない作品”

ノ・ヒギョン作家が執筆した作品は感情移入が明らかだ。劇中人物を通して自身の話をするような感じを強く入れたりした。‘嘘’・‘バカな愛’・‘花より美しくて’等で共にしたペ・ジョンオクは‘ノ・ヒギョン作家のペルソナ’と呼ばれることもした。

その過程でノ・ヒギョン作家の作品は誰かに献呈される感じも強く残した。‘花より美しくて’はお母さんに対する‘オマジュ’の性格が強くて,‘嘘’‘バカな愛’‘グッバイソロ’なども誰かに献呈するという感じを残したりした。それなら‘彼らが生きる世の中’は誰に献呈する作品であろうか。

今までノ・ヒギョン作家の作品はオマジュまたはホンジョンの感じが強かった。

“ホンジョンやオマジュのような大層な意味があることはそうだが誰かが必ず見ればと思って執筆したのはそうだ。その対象は主にお母さんだ。私はお母さんをとても好きで常に切ない心を持った。私の作品の中で格別に愛着を持つキャラクターは大部分お母さんを連想させる人物らだ。もちろん常にお母さんが見ればと思って書いたわけではない。友人もいて,他の家族もいた。

お母さんや家族を素材にした作品らが格別に感動的だった。

“家族を素材にした作品らの成績が良かった。‘私が暮らす理由’‘私たちは本当に愛したのだろうか’‘花より美しくて’等は私が執筆した作品中視聴率でも成功した作品らだ。私の作品は大きく家族と新しさに対する挑戦2種類のテーマに分れる。‘彼らが生きる世の中’は新しさに対する挑戦側だ。

それなら‘彼らが生きる世の中’は誰が見るように願って書いた作品なのだろうか。

“‘彼らが生きる世の中’を書きながら‘私はなぜこのように生活できなかったのだろうか’という思いをよくした。劇中人物らの生き方でも至難内人生に対する後悔が反映されていたといえるだろう。幸福より苦痛だけ見た時間らに対する後悔だ。そのように見れば‘彼らが生きる世の中’は私の過去の青春を見なければならないドラマだと言えないだろうか。

影響力の誰より強い作家に選ばれる。ノ・ヒギョン作家だけの色が常に鮮明だ

“そんな話はそれほど好きでない。皆が一緒にした作品だ。ドラマが終わった後,スクロールに上がる数多くの人々の名前はわけもなく上がるわけではない。ドラマで‘作家だけ見える’という言葉は作家に対する賛辞にはならない。その中で汗を流したすべての人が見せるべきだ。

良い作家になろうとするならどのようにしなければならないだろうか

“弟子らや後輩らがそんな質問をよくしたりする。そうであるときは‘誠実な労働者になれ’と話したりする。文を書く作業を楽しがる労働者になれとの話だ。”

文は主にいつ書くのか。文を書く時,環境はどうなのか.

“できるだけ夜遅くまで書きはしない。午前10時頃執筆室に出勤して夜11時程度まで書いたりする。時々明け方1時程度まで書くけれど夜を明かしはしない。文を書く時,辺りにはタバコとコーヒーだけがあるだけだ。音楽も邪魔になる,”

他のドラマもたくさん見るのか。

“以前はTVをほとんど見なかった。TVが本当につまらないと思った。でもこの頃はTVがおもしろいと感じられる。私が進化したと見える。ドラマは主にミニシリーズ中心に初放送と最終回を取りまとめてみる。重要なことはドラマの長所を見ようとするのだ。良くない点は簡単に見えるが長所は勉強をしてこそ見られる。他のドラマを見ながら多くを習っている。