たろうのナンデモブログハゼ。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            

2007年05月21日  ぼくもどうぶつ対談。
今日は会社でなんとも楽しい対談がありました。
その名も、「どうぶつ対談」。

あべ弘士×今森光彦。
あべ先生は、絵本の絵を描く人で、あの旭山動物園の飼育員だった経歴をお持ちで、
今森先生は生き物を広く捉える写真家です。

お二人の話は時々淡水魚にも及び、
特に今森先生は琵琶湖周辺の地史と魚類史の関係や、固有種、コイの古代種の話など、
ここは魚類史研究会か、というほどの楽しい内容でした。

また、あべ先生が何度もおっしゃっていたのが、北海道の生き物だけを見せる動物園という構想。
カワゲラからヒグマまで、昆虫、魚類、鳥類、哺乳類・・・。
これまた、あったらいいなぁと私も思ったことがあっただけに、びっくり。
私の場合は、沖縄の川でハゼ観察をしながら、近くにいた子供や大人にその近くにいる絶滅危惧種の存在について話したときに、とても無関心な反応だったことにショックを受けて思ったことでした。

私もときどきハゼ好きの知人とハゼ談義やら川魚談義を楽しみますが、お二人の対談もまさにそんな感じ。
私のように生き物バカでない社員の方からは、ちょっと眠くなる部分もあったとか。
でも生き物バカの私としては、
”え?!どこが??ずっと濃いお話だったじゃん。”
って感じ。

私もハゼのもつ魅力や人間を凌ぐ能力などを細々とでも伝えていきたいと思っていますが、
同じ思いをお持ちの方は、お二人を筆頭にいろんなところにいるんだなぁ、と思った1日でありました。

写真:
近所の池で採集したトウヨシノボリの顔。
今森先生は、淡水魚が地域ごとに違った集団であることにも触れていた。
この小さなハゼも、もっとも身近に見られる淡水魚であると同時に、
近所の池から外に出ずに歴史を歩んできた、貴重な生き物のひとつである。

AM 12:56:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | [ぶろぐむし(雑談と写メ)]

2007年05月21日  時が経つ。
<木々と鍵の水域>

実家に滞在することしばし、
その昔、東京の中学、高校に実家から通っていた頃のことを思い出したりする。

私もいつの間にか、昔のことを思い出すと、当時の空気が独特の甘い感覚をともなってよみがえるような歳になったらしい。

中高生時代の記憶は、およそ遊びの記憶であり、友達と遊んだことや趣味のことがいろいろ思い出される。
ただ特殊なのは、この場所に引っ越してきたのが東京の中学に入ってからだったため、
実家に帰ってきたところでこの近所には友達が全くいないということだ。
今のようにハゼに思い入れが深まったのが大学に入るころだったことを思うと、
当時実家で暮らしながらよく退屈しなかったものだと思う。

実際のところ、大学に入って一人暮らしを始めることへの憧れはあった。
都心のホテルに泊まった時のような、都会的な夜景が窓に広がり、
駅やコンビニには歩いて行けて、電車の時刻表を気にしなくてよい生活。
それを現実に手に入れ、今もその生活から離れたくないと思っている。

しかし、実家の周辺をドライブしてみると、わりといいところがいろいろあったんだなぁ、と思う昨今でもある。
建売住宅地内の実家から車で5分くらいのところにある古墳群。
多数の古墳があるこの一帯は、高原の林道のような雰囲気の道路が古くから整備されていて、
中高生の頃に友達が遠路はるばる遊びに来たら散歩に出かけたりしたものだ。
不思議な紫色にきらめく羽をもつチョウトンボという小さな虫に初めて出会ったのもこの林だった。

鬱蒼とした林の一部が切り開かれ、広大な田園と小高い山の遠く向こうに富士山が見えた。
それは、はるか神奈川の西部の、山に囲まれた清き水の街、
いまこの瞬間に友達がいる街の方向であることを示していた。
姿も見えず声も届かないほど離れているが、
友達の街までは遮るものがなく、僕との間には空気だけしかないのだ。
不思議なことに、友達の存在が一瞬、肌で感じられた気がした。

或る前方後円墳の前に立ち、光を心地よく遮る木々を仰ぐと、
漠然とした甘い感覚がまたもよみがえった。
それは時間の流れが全身の皮膚を通して感じられる不思議な感覚だった。
私が生まれるよりずっと前から変わらずここにあった古墳。
しかし、私が前に見たときとは変わっていたことがある。

木々が育った・・・。

子どもの頃。
木々は自分よりも長寿で、永遠に生き続け、太さも高さも変わらない生き物であると確かに認識していた。
木々の成長は理屈でこそ理解していたが、自分がいくら歳をとったところでその変化には気づかないものなのだと思っていた。
というより、自分の生きるうちには、少しも変化しないものだと思っていた。

しかし本当はそうではなかった。

古墳の裾に根をおろした木は、大きくたくましく育っていた。
それだけの時間がたったということでもあり、
それは、それだけの時間、私が親を放ったらかして生きてきたということでもあった。
木々が育つのには時間がかかるのだ。

時間を大事に使おうと思っても、
満足に時間を操ることはできまい。

結局、私はまたしばらく歳を重ねてからここに再び立ち、
成長した木々に思いをはせることをするのだろう。
そのとき、気楽な自分でいるためには、
自分の扉を開く鍵を手から放してはならないのだ。
鍵は世界にひとつしかないのだから。

写真:実家のそばの古墳群の、或る前方後円墳。
ほかにも円墳、方墳などいろいろあるのだが、この古墳が56番目の古墳ということか。
はるか昔の古墳時代。たくさんの人がここに暮らしてたんだなぁ。


AM 01:11:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | [文学虫]

2007年05月14日  いつ、なんどきにも、ハゼを捕る。
実家でバタバタしてたり、いろいろ目を通すべき書類とかが多いんだけど、
そんな中でも短時間集中勝負で池にヨシノボリ捕りに出かけてみた。
実家に滞在する間にもハゼ観察で癒されようかと思って、小さな水槽を用意してしまったのであった。

もとをたどれば、今の状況を愚痴交じりに話した友達に、
「魚の写真見ながら頑張れ」
と言われたことに触発されたのだ。
友達のせいだというのではなくて、
むしろ、いつもどおりでない環境でも自分らしさを失わない方法を教えられたかたちだ。感謝。

水槽も小さいし、オスメス1匹ずつトウヨシノボリが捕れたら帰ろうと思って網を入れる。
すぐに何匹か捕ったが、すべてメス。
オスは繁殖期で石の下などに隠れているのだろうか。
しかし、ほどなくしてオスも採集できて、短時間ながら池遊び終了。
30分くらいだっただろうか。

水槽では3cmくらいの可愛いトウヨシ2匹が泳いでおります。
なぜか水槽に入れてからの落ち着きが悪く、中層を泳ぎまくってます。
浅いところで捕ったし、小さい個体だし、
体のわりに水深が深すぎるのかな・・・。

でも、なぜかやっぱり癒されるなぁ。
捕まった当の2匹にしてみれば、運がなかったということになるんだろうけどね・・・。

さて、明日からは朝も早いし、実家では思うように夜に電話したりできないし、今日はちと早めだがもう寝るかな。

AM 12:33:06 | Comment(1) | TrackBack(0) | [ぶろぐむし(雑談と写メ)]

2007年05月13日  感謝と尊敬と悲しみの連休。
急なことであり、今でこそ落ち着いてきたので書き残せることでもあるのですが、
連休のはじめに父が急死しました。
親族のみの通夜・告別式を済ませ、今は誰にどのように連絡をすればよいのかわからない状態にあります。

父は頑なにマイペースナ人間で、私がマイペースな人間であるのは父に似たのだと思います。
告別式の挨拶を任された私は、やはりマイペースに、
普通の挨拶と違って思ったことをそのまま話しました。

通夜と告別式も良いものを執り行うことができ、
お花をみんなで供えるときには父の好んだジャズをバックに流してもらったり、
自分の中でも心に残る式ができました。

遺影の写真は、半ば時間に迫られる形で選んだ比較的最近の写真でしたが、
気がつけばそれは最高の写真であり、珍しく母が撮影した写真でした。
その写真には、父の賢さと優しさが表情に表れており、
言葉で本人に伝えることはありませんでしたが、そんな表情の父が私は大好きでした。
また、父の生き方や雰囲気、父の放つ空気は、かっこいいと思っていました。

父は生前、「中庸」という言葉をよく口にしていたそうです。
何事も、「中庸」であることが大事であると。

言葉を多く知らない私は、その言葉の意味を辞書で調べてみました。
父が亡くなった数日後のことです。

そこには、
「かたよらず、変わらずにあること」
と書かれていました。

ああ・・・そういうことだったのか。私は密かに涙しました。
父は仕事の悩みや苦しみ、体の不調や痛みなどを家族に全く見せませんでした。
つまり、それが家族に対する父の「中庸」であり、
その「中庸」のおかげで母と私は好きなことを本当に自由にさせてもらって生きることができました。
父は、あるいは、自分が家族に対して「中庸」を保てなくなった時にどうしたらよいのか、
考えながら生きてきたのかもしれません。

これからは、父の残した仕事を納得のいく形で終える作業にしばらく追われそうです。
それは、父自身も残さず済ませたかったことでしょうから、
遺志を継いで、父が望んだであろうとおりに進めたいと思う次第です。

・・・とまあ、そんなことを挨拶でも話したわけですが、
現実にはもっといろいろ悩まなければならないことはあるわけで・・・。
結果的には、この先の母と私の生活にも不安が残る形となり、
本当に落ち着くまでは心身ともに強く生きねばならないと切に思いました。

母と二人で暮らすのは初めてなわけで、いろいろ合わせるのが大変な部分もあります。
ただ、私のことは別にいいのだけど、母には幸せな生活をさせてあげたいなぁ・・・。
そう思えば思うほど、母に妙に優しくしてあげている自分がいて、
そんな自分と、母が悲しむ顔を思うとまたつらい気持ちになるのでした。

あまりまとまりのない記事だけど、こんなときぐらいはこういうのもありかと・・・。

写真:実家のそばの、のどかな駅。
最高の快晴の日、この瞬間、
世界のどこを探しても父のいない世界であることが寂しい。
父の知らない、父の死後の世界を生きている。

家族で並んで歩いてきた世界。
父は歩くのを止めたが、母と私は歩くのを止める事ができないのだ。
父との距離が遠ざかっていく。
父は笑顔で手を振る。
母と私は、泣きながらも歩き続ける。

はじめに歩くのをやめた父が一番苦しかったろう。
しかし、今これだけ悲しい思いをしていたら、
自分が年老いて歩くのをやめるときも、
親のそばに行くのだと思えば恐れる必要はなさそうだ。

AM 01:06:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | [ぶろぐむし(雑談と写メ)]

プロフィール
名前たろう
URLhttp://www17.tok2.com/home2/tarogoby/
年齢ハイジと同じくらい
ボウズハゼ類とヨシノボリの飼育、生き物の現状と保護などについて考えるサイト「Freshwater Goby Museum」を運営しております。

新聞読まない人に捧ぐ。

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