たろうのナンデモブログハゼ。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            

2007年03月22日  とうもろこしおばあさん。
最近、友達が新聞記事をコピーして僕にくれた。
ある作家先生が奄美の昔話にヒントを得て、死と再生の物語を描きたくなったというお話だ。
「とうもろこしおばあさん」という絵本も、そういった昔話のひとつだそうだ。
これは今度その友達に見せてもらおうかな。

先生のお話自体もなるほど〜と思いながら読ませてもらったのだが、妙に気になることがひとつあった。
先生曰く、店頭に並ぶ野菜や果物は色や形が整っていて不自然でもあるのだが、それは消費者の要望に応じたものである、と。

そのとおりだと思う。
しかし、そんなことをしているのは、もしかして日本人だけなのではないだろうか?

店頭に並ぶ野菜に人工的な美しさを求める時点で、野菜に自然を感じていないのではなかろうか。

人間も自然の一員であるということを、本当に忘れてしまっているのではないだろうか。
あるいは、教えず、また学んでいないのではないだろうか。

「人間と自然の関わり」という考え方はすでにおかしくて、
「人間と、人間以外の自然の関わり」とでも言うのが正しいのだと思う。
それを思うと、いろんな児童教材に使われている文言からも刷り込まれているものがあるのかもしれない。

思えば、僕もそれを誰かに教わったわけではない。
生き物に触れる授業のある学校でもそれは教わらず、
釣りや虫捕りによく連れて行ってくれた父親でさえ、
それを教えてくれたわけではなかった。

では、何からそれを学んだのか。

多分、こういうことなんだと思う。

僕の脳裏に鮮明に焼きついて離れない光景はいくつもあるが、
思い出すと今も肺の下の方のあたりが硬直するような感覚を覚えるものは決まっている。

どれも生き物の死を目にした光景だ。

僕は思ったことや伝えたいことを、
口で話すより文字で表す方がずっと楽なタイプの脳のつくりらしい。
だからあえてその光景を文字にすれば、
読んだ人にも、その光景から僕が受けた教育を同じように伝えられるかもしれない。

つまり、凄惨な戦慄が走る表現に違いない。

幼稚園生のころ。
僕は、友達のだいちゃんと家の近所を走り回りながら、よく虫捕りをしていた。

しかし、その日はたまたま一人で虫捕りに出かけた日だった。
開けた道路の中央にこげ茶色の動物が横たわっていた。
猫だった。
どんな顔の猫だったのかわからなくなっている。

僕は、その光景を胸に焼き付けなさいと誰かに指示されたかのように、
しばらく間近でそれを凝視した。
そして、焼き付け終わったとたん、遠くへ全力で走り出した。
何故だかわからないが涙がたくさん出た。

気を紛らわすように、いつものように虫探しをしようとしたが、
目が泳いで、虫に焦点が合わない。虫を見つけられない。

不思議なことに、その次の日もその猫に会いたくなった。
場所は開けた道路。その猫はその日もそこにいた。
しかし、近づくことはできなかった。
もうその光景を焼き付けたのだから、
無理にそばに来る必要はない、そう言われた気がした。

そしてその猫がそこからいなくなるまで、
毎日同じ日が続いた。



小学生のころ。
どこかに旅行に連れて行ってもらったときのこと。
虫捕り網を買ってもらって、トンボ捕りをした。
当時の僕は、虫たちといつも真剣勝負をした。
簡単に勝てる虫と勝負してもつまらない。
しかし、一度も勝っていない虫も中にはいる。

オニヤンマ。

その日、涼しい林の中を通る道路のような場所で、その虫は現れた。
しかし、何度網を振っても、その虫は人間には不可能な動きを空中で見せて、誇らしげに去っていく。
最後、その虫を仕留めたのは、僕だったか、あるいは父親だったかもしれない。それはどちらでもいい。
捕まえたっ!

網に近寄って、その強敵の姿を見た。

それはあまりに無残な敗者の姿だった。
首の向きが普通と違う。
不安定な視線をこちらに向けて、弱々しく足を動かしながら、必死に何かを訴えようとしている。
そのときも、何者かが、
この光景をよく覚えておきなさい、
と自分に言った気がした。
親の前だったからだろうか、涙は見せなかった。

このオニヤンマは、力で僕らに負けていたのではなかった。
ただ不運であったか、あるいは僕に何かを教えるためにわざと負けたのか。

不思議なことに、
僕は、僕らに負けたオニヤンマを見つめながら、
人間は、空中戦で虫に勝つことはできないんだと悟った。
空はトンボたちの世界であって、人間の世界とは違うんだ。

それから僕は、虫と勝負するときに、
やみくもに武器を振ることをしなくなった。
すぐに捕まってくれる虫は友好的で、勝てない虫は強敵だと思っていたのだが、
このときを境にすべての虫が友好的に見えるようになった。


こういう経験がほかにも何度かある。
そのたびに僕は何者かの意思を感じた気がする。
それは、自然界という大きな意思が、
そこで命を落とした1匹の生き物の意思となって、
僕に語りかけてきたようにも思う。
そして、その大きな意思は、機会さえあれば誰にでも語りかけてくれるのだと思う。

死を学ぶことは、命を学ぶことなんだと思う。
何を学んだかは非常に抽象的なんだけど、
こればかりは理屈に換算しないままの方がいいような気がする。
しかしそれは、自分にとって何かの命綱になっていて、
崖っぷちで道を踏み外さないように導いてくれるもののように思うのだ。

ただひとつ、気になることがある。
人間は涙を自分の意思で流すのではない。
悲しいときや嬉しいときに、
それを自身に自覚させるために、
ほかの何者かの意思が涙を流させるのだ。

<写真>
奄美大島に行くと、何者かに引き止められるようにして、必ず車を降りてしばらく眺めてしまう、役勝川河口の広大なマングローブ。

AM 03:52:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | [文学虫]

プロフィール
名前たろう
URLhttp://www17.tok2.com/home2/tarogoby/
年齢ハイジと同じくらい
ボウズハゼ類とヨシノボリの飼育、生き物の現状と保護などについて考えるサイト「Freshwater Goby Museum」を運営しております。

新聞読まない人に捧ぐ。

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