蘇 州 夜 曲
中国は蘇州に切っても切れない縁を持ってしまったわたくしの、 面白いと思ったことや驚いたこと、そのほかあれこれをつづります。 別名・蘇州とほほ日記…。(文中の中国語で、カッコ内がひらがなの読みは蘇州語です) >>>>since 2005 Jan. 09<<<<

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最新記事
2010/02/08  さんすうぼっくす
2010/01/27  00年代の蘇州(1)
2010/01/13  蘇州・青春プレイバック (2)
2010/01/12  双塔院
2010/01/10  蘇州・青春プレイバック (1)

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プロフィール
名前りんすー
血液型B型
星座天秤座
ごく普通の蘇州人を配偶者に持つ、ごく普通の静岡人です。
HNは本名の蘇州語読みです。
四声は"りん2すー4"。

ご訪問ありがとうございます。
親しい友人に、蘇州での生活&怒濤の育児状況を伝える為に始めた日記です。最近は検索などで毎日とっても沢山の方がアクセスして下さるようになりました。ありがとうございます。
筆者は現在、家族で日本をベースの生活を開始したところですので、リアルタイムの蘇州情報(ガイドブック的なもの)は殆どお届けできませんしするつもりも無く、自分がそれをする意味もないと思っています。
しかし、蘇州に住む大多数の普通の中国人(蘇州人)の習慣・生活などについては、結構詳しく知ることができるのではないでしょうか(但し、やや思いこみも入ってます…)。
それはともかく、ご意見・ご感想など、どうぞお気軽にコメント欄にて突っ込みお願い致します。
蘇州にお住まいの方のご意見も戴けると嬉しいです(^^)。

*現在、すくすくBLOG内にて(主に)海外からのコメント規制がかかっているため、コメントの書き込みができない場合があります。宜しければ、上の「プロフィール」欄にあるメールマークから「メッセージ」にてお送り下さい。こちらでそのままコメントに転載させていただきます。
*すくすくBLOGの構成上、過去記事にコメントを戴いた場合、気が付かないで長時間経ってしまうことが多々ございます…。申し訳ありません…。前月以前のコメントでしたら、最新記事に、●月●日の記事について、とコメント戴いても構いませんのでよろしくお願い申し上げます。

楽曲「蘇州夜曲」について当blog内での記事はこちらです。

*蘇州とほほ生活日記 2005年1月篇
           2005年春節篇
           2005年5月篇
           2005年6月篇
           2006年5月篇
           2006年6月篇
           2007年春節篇
           2007年3月篇







2010年02月08日  さんすうぼっくす
豚児は4月に小学校へ入るので、先日学校の説明会と物品販売がありました。物品には防災ずきんや給食用品、体操着、クレヨン…などいろいろありまして、中に「さんすうぼっくす」というのがありました。

さんすうぼっくす。
その名のとおり、算数の教材で、全国の小学校1〜2年生が授業中に使うもの。各教材会社から出ていて、さんすうセットという商品名の物もあるようです。因みに豚児が使うのはコレ
世の中のお母さんたちは、この細かいひとつひとつにお名前をつけるという気の遠くなる夜なべ仕事をするんですな。

それはそうと、実は私はこういうさんすうボックスだかさんすうセットだか、そういう物の存在を全然知りませんでした。
昨年、幼稚園の同じクラスのお母さんたちからその名前を聞いて、「へ?さんすうボックス?What?」。内容を聞いて、「まったくもー、最近のゆとり教育はそんなもんを使わないとできないのか!」と義憤にかられたものでしたが、どうやらさんすうセットの歴史は古く、なんと大正期からあったんだそうです(笑)。うーむ、でも私の記憶からは完全に欠落してるんですね…。
そこで、2人の子供のお名前付けをしたはずの母に聞いたら「そんな物知らない」。
じゃあ、うちの小学校では導入されていなかったのか??
でも、この花形のおはじきには見覚えがないわけでもないが???
「じゆうがちょう」が私が1年生の時に使っていたと同じ表紙・裏表紙なのははっきり覚えているのに、さんすうボックスは全くです。
やっぱり使ってなかったのかなー。
なんだかすっかり、記憶力に自信がなくなって来た今日この頃です。トホホ。

写真は土曜日に豚児と行って来た丸子梅園の梅の花です。木によりますけど、七から八分咲きくらいでしょうか。
昨年は暖かくて早い時期に終わってしまいましたが、今年はたぶん今週末から来週末が満開でしょう。

PM 02:35:32 | Comment(4) | TrackBack(0) | [育児]

2010年01月27日  00年代の蘇州(1)
私が初めて蘇州へ行ったのは2000年のことでした。93年に北京・長春・ハルピンなど東北へ行った事はあったのですが、蘇州は初めてでした。で、以来10年、中国は蘇州しか(あ、上海もちょっとだけ)行った事ありません!それどころか、日本国内も含めて他に行ってません(涙)。
更にずーっと住んでいたわけでもないですし、ここ3年はごっそり抜けてたし(笑)でハズカシーんですが、この10年で変わったなーと思う点をいくつかあげたいと思います。

まず、一番変わった事(と私が思う事)。

★蘇州の地図上で園区の面積が激増した。
 いやー。これたまげましたよ。
 蘇州の地図というのは、観光地や書店、新聞スタンドなどで買える、両面カラー刷りの地図ですが、私は毎回これを買っています。
 買うたびに道路や建物が変わっているからですが、今回3年ぶりの地図は、なんと市内図の半分が園区でした。
 園区。
 ここ2〜3年で蘇州にいらした方だとご存じないと思いますが、10年前、そこは見渡す限り田んぼと池と菜の花と牛が地平線まで続いている、中国の田舎を絵に描いたような土地でした。
 地平線が見えるところに広々と横たわる金鶏湖。2001年〜2006年版の蘇州地図の東端は、金鶏湖の西端です。2009年版では金鶏湖がほぼ中心(やや右より)に描かれているじゃありませんか。正直言って、私、この地図を見て初めて「なんだ金鶏湖って案外小さいんだ…」と思いましたよ…。
 数日前、ラジオを聞いていたら、自動車関係のジャーナリストの女性が、最近訪れたインドで驚いた事として「高速道路なのに牛が歩いてるし、車が逆走してる」と言っていました。なんのなんの。園区もそうでした。
 00年前半、園区には本当になにもなくて、駐在日本人の方も少なく、園区に会社があっても新区に住まわれる方がほとんどでした。剰え、園区にお住まいの方もわざわざ新区まで日本料理を食べに毎日通っていらしたわけです(高架道路もない頃に…)。うちの夫がやっていた日本料理店でもけっこう園区の方がいらっしゃいました。お客様で「園区にドライブに行ったけど、いくら走ってもずーっと何もなくて、不安で途中で帰って来た」と言っていた方がいらしたのを覚えています。
 今回、バスに乗って園区の印象城に行きました。ここはまだ園区の入り口なわけですが…、01年当時、私達のあこがれだった新城花園や新加花園などがもうすっかり埋没してくすんでいました(涙)。
いやー、実は当時も殆ど園区には行かなかったんですが(そんな暇ありませんでした)、今はもっともっとアナタの知らない世界となってしまいました。

この項、続きます。

写真は平江路沿いの水路です。
夫の父方の祖父はこの水路沿いに住んでいたそうで、夫生家とは数メートルか十数メートルの距離。でもこの祖父宅では孫である夫の育児を拒否していたので、彼は上海の母方の祖母宅に預けられました。


PM 01:51:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | [蘇州]

2010年01月13日  蘇州・青春プレイバック (2)
昨日分の続きです。
双塔院を出てから平江路に入りましたが、2度目ということもあり(というか夫的に目新しい物も無いため)さっさと素通りして中張家巷を東にに入りました。夫曰く「この道はずいぶん広くなった」だそうで、今は車が普通に通れるほどです。
この巷には「蘇州評弾博物館」「昆劇博物館」という蘇州の二大演芸に関する博物館があります。
評弾というのは、毎日午後5時から蘇州テレビを見るとやっている、琵琶を引きながら恋愛や歴史の歌をうたい語る、あの芸です(ワタシはこれの物まねが得意でした)。評弾博物館は実際に評弾の演奏会が毎日行われ、午後1時開演なのに午前中からお年寄りが集まっていました。
昆劇は、中国の芸能として有名な京劇よりも古く、世界文化遺産にもなっているものです。元々は大昔の大金持ちが自宅に舞台を作り、そこで演じさせたりしていました。昆劇博物館では、実際に使用された衣裳や、その大金持ちの舞台を模した野外舞台があったり、古今の資料がいっぱい展示されています。
いずれも入るだけなら無料です。

さて、その2館を過ぎると「倉街」という通りにでます。倉街の東は、すぐに外城河という運河です。この運河は今はただの汚い河ですが、昔はキレイで夫もよく泳いだとか。
その倉街。
今、全体を取り壊しています。
蘇州在住の方のブログで、昨秋には既に工事が進んでいたという記事を見ました。
今は…まあ、半壊以上、くらいでしょうか。
夫はその様子に呆然としていました。彼にとっては平江路と同様、ご町内ですから、毎日走り回っていた道です。あちらこちらに友達が住んでいて、顔見知りばかりがいた街が半壊状態なわけですから、そりゃ驚きますよ。
あまりの状態に、近くにいたお年寄りに聞くと、ここは取り壊されて「別荘」が建つ、と言われました。別荘というのは中国では一戸建てのことを言います。とはいえ、まあわりとリゾート的かつ高価な物件であることも多く、例えばうちの姉の旧知の元中央官僚の方は、獅子林のそばの別荘に冬になると避寒に来ます(家の中は北京の方が暖かそうなんだけど…)。そういえば、農村地域の一戸建てのことも別荘というのかな?ちなみに、現在旧市街あたりにある古い家(老房子)は、外からぱっと見ると一戸建てに見えますが全然違います。
半壊状態の倉街を北に歩いて行くと、ちょっとした川が東西に流れています。耦園という場所(があるそうですが…気がつきませんですみません)の前を流れ、西は平江路を横切って観前街まで、東は耦園で北に流れ込んで東園の裏までつながっています。倉街のこの川の橋のたもとには夫の幼なじみが住んでおり(今は不明)、彼らこのあたりの悪ガキ共(夫含む)はこの川を東園まで泳いでいき、裏からこっそり入園して遊んでいたとか(当時から入園料がかかった)。今はここもただの汚い川ですが、生活用水としてはまだ活用されているようです。

写真はどんどん壊されている倉街の古い家です。
あちこちの古い家がこうして無くなって行きます。

PM 02:29:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | [蘇州]

2010年01月12日  双塔院
先日の青春プレイバックの後、改めて蘇州博物館・東園(のおもちゃ売り)等を目指して旧市街地を訪れました。

平江路前のバス停は「相門」です。そのバス停に着く前、窓から双塔が見えると豚児が「行きたい」と言ったので、まずちょこっと言ってみる事にしました。
重ねて書きますが、夫は平江路で産まれて成人過ぎまで暮らしました。その生家から双塔までは目と鼻の先。直線距離にして、観前街の東端から西端までより近いくらい。
なのに、ああなのに。夫は双塔に行った事がありませんでした…。
なのでバスを降りてから歩いている人に聞いていましたよ。
でも、2人続けて「知らない」と言われたってどういうことよ。
(最初の人は蘇州語が通じなかったので地元に住んでいないかも)
3人目の方でようやく教えてもらい、しばらく歩いて辿り着きました。
いやー、双塔院、地味。
一応観光地なんだから、もう少し整備してもバチは当たらないかと。塔は近年補修したようですが、敷地内の建物は「工事中・入らないでね」と書いてあるものの、中は数年間放置してあるかのような雰囲気ですし、庭は雑草がぼーぼー…。
でも、近所のお年寄りの憩いの場であるらしく、観光客らしき人は白人のグループがひとつだけで、あとはのんびりお茶をのんだりバナナを食べたり太極拳をしたり…のお年寄りばかりでした。
というわけで、実は私も豚児もけっこう気に入ってしまいました(夫は入園せず、切符売りのおばちゃんとずっと喋ってました)。時間がゆるせばのんびりしたかったですねー。

写真は、青空展示してある元の時代の石の彫刻です。太極拳を練習しているおじさんの荷物置きになってました。

PM 01:55:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | [蘇州]

2010年01月10日  蘇州・青春プレイバック (1)
観前街を出て、私たちはその後、東園まで歩いていく予定でした。
東園(動物園)の入り口前にはおもちゃの露天商がたくさんいて、そこでBB弾のピストルを買ってあげると夫が豚児にかねてより約束していたからです。
そのために観前街東の臨噸路へ出ましたが、ただ、この日は午後からでかけたため、このまま東園まで行っていると、新区へ戻るバスが渋滞で遅くなりそうだし、夕方から夫は友達と約束があるし…ということでやめました。そのかわり、夫が子供時代を過ごしたところを見に行くことになりました。
目の前にそびえる長發デパートの南側の道を大需巷といい、その途中から北へ行ける細い細い道を迎暁里といいます。この通り沿いに、大需巷の居民委員会(村役場みたいなもの)があり、その建物の奥で夫は生まれ育ちました。
写真は迎暁里の真ん中あたりで、少し先には夫の母校である中学校が見えます。右側のような白い建物はもちろん普通の民家なのですが、こういう古い建物は、ひとつのドア(入り口)の先にひとつしか家がないということはまずなくて、長くて暗い通路の先には庭があって何世帯もがすむ長屋状になっていたりします。外を歩いているとそれ自体が普通に家のように見えますが(実際に家ですが)、同時にこれは壁とか塀とかうだつの役目をする建物だったりするのです。また、門の先は人が住む家や庭があるかと思えば、別の巷(道)に通じる地図にない裏道だったりするそうです。
左側の黒い壁も民家の建物で、白い壁の家より古いことが多いようです。
さすがにこのくらい道が細いと車は入ってきません。というか、入ってきても出るところがありません。この先は徒歩でしか渡れない橋なので…。こういう道でも出るところがあると、案外車は入ってくることがあります。

迎暁里の突き当りから東に曲がり、最初にぶつかる南北に通る道が平江路(ぴーがんろ)です。蘇州では何百年も前からここが中心の通りだったそうで、観光客もたくさん訪れる道です。近年、日本人のブログで紹介されたりしているので行かれた方も多いでしょう。
でも私はこれが初めてでした。
なぜなら、家族が誰も行きたがらなかったからです…。
だって普通に何十年も暮らしていたところだからなんですよね…。
平江路は既に古い建物を活かしてレトロで粋な感じのショップやカフェができてますが、今、まだかなり大規模に工事中です。そのうち山塘街のようになるんでしょうか。
純粋に「蘇州の風情」を楽しみたいなら、たぶん山塘街のほうが観光気分は味わえます。平江路は観光というよりまだどっぷり生活通路なのため、電動自転車がビュンビュン行き交うので気をつけた方が良いですね。
今では埋められてしまった川がもっともっとたくさんあって、このへん一帯「川・家・道・川・家・道…」と水路がつながっていたそうです。夏には泳いだそうですし、きっときれいな水だったんでしょうね…。

前述の通り時間があまりなかったので、ここはもう通り過ぎるだけでした。私はこのあたりに点在するいろいろな博物館を見たかったので、数日後に改めてくることにしました。
せっかくなので義両親も…と誘いましたら、やっぱり「行きたくない」と却下されました(笑)。

さて、久しぶりに故郷(ですな、一応)へかえってきた夫は、平江路の垢抜け方にやや驚いたものの、そんなに驚くほどの変化はなかったようで特に感慨は無かったようです。

ところが数日後、あらためて東園めざして平江路から出かけていった先で、夫はけっこうショックを受けることになるのでした。

それはまた次のお話です。ちゃんちゃん。


AM 01:28:03 | Comment(2) | TrackBack(0) | [蘇州]


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