Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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ブレずに生きたい
同業者との恒例の飲み会が分裂した。

発端は、吉祥寺の馴染みの居酒屋にいた店長代理・片エクボさんの妊娠、入籍だった。
出産のために、昨年末に居酒屋を辞めたのだ。

新年会もその居酒屋で開くつもりだった私は、同業者の中で最長老のオオサワさんに「お店を変えましょう」と言われて驚いた。

なぜでしょうか?

「だって、馴染みの女の子もいなくなったから、変えるいい機会じゃないですか」

最初の頃、私は馴染みの店を作るのが嫌なので、毎回違う居酒屋を用意した。
しかし、「毎回店を変えるのは面倒ですよ。いい子も見つかったから、ここにしましょう」と強引に決めたのは、どこのどなたですか。

「いや、たまには、店を変えて気分一新をはかりましょうよ」

私は、そういうブレブレの態度が嫌なので、キッパリ断った。

その結果、馴染みの居酒屋で新年会を開いたのは、私の他に、人類史上最も馬に激似の「お馬さん」と一流デザイナーのニシダ君だけになった。

他の4人は拗ねて、結局新年会はやらなかったようだ。
最終的に、私が悪者になったような形だ。

でも、私は反省はしていませんけどね。

まったく自分でも子どもじみていると思うのだが、私はブレた話や行動をする大人どもが我慢できないタチだ。
今回はブレない行動をしたお馬さんやニシダ君だが、居酒屋で料理を注文するときに、必要以上に深く悩む姿は感心できない。

あれにしようかな、これにしようかな・・・・・。

どれ食ったって同じじゃないか、と私は思う。
私の場合は、何を食いたいか、ではなく、何が安いか、で食うものを決めているから、迷うことはない。
高いものを最初から除外しているから、悩む必要がない。

だから、あれもいい、これもいいとウロウロしているやつを見ると、顔をペロペロしたくなってしまうのである。

お馬さんとニシダ君は、私が、あと5秒以内に決めないとペロペロするぞ、と言われてやっとメニューが決まるというブレブレ人間だ。
(いや、お馬さんを人間と言ったら失礼かもしれない。ブレブレ牡馬と言ったほうがいい)

注文に10分も時間をかけて、どこが楽しいのだろう。
理解に苦しむ。

ただ、こんなブレブレ男たちだが、一つだけブレない行動をとっているところは、褒めてもいい。

2年前に、中国の工場で消費期限切れの鶏肉でチキンナゲットを作ったことにより、日本マクドナルドが窮地に陥ったことがあった。
これは今も尾を引いていて、マクドナルドの2015年度の赤字は300億円を超えるらしい。

この鶏肉報道があった頃、お馬さんが私に言った。
「俺、もう一年以上、朝ご飯は朝マックを食べていたんですよ。ヤバイなあ、やめようかなぁ」

3年前のことだが、お馬さんに「馬三世」ができた。
人間の言葉で言えば、「孫」である。

私より7歳下なのに、もう孫ができるとは、馬の繁殖能力は思っていた以上に高いのかもしれない。
ただ、残念なことに、この「馬三世」は、馬よりも人間に近かった。
これは、遺伝子研究を一からやり直さなくてはならない現象と言っていい。

孫が生まれてから、奥さんが孫の世話にかかりきりになったせいで、お馬さんの朝メシを作る余裕がなくなった。
そこで、お馬さんは、自宅から1キロ離れたマクドナルドまで、毎朝VOLVO(馬がボルボ!)で朝マックを食いに行っていたのである。

それが、お馬さんのルーティンだった。
だが、マクドナルド騒動で、お馬さんの心は、いつも通りブレブレになった。

「朝マックからコンビニに変えましょうかねえ」

そう聞かれた私は、「ブレたらあかん!」とお馬さんを諭した。

マクドナルドが、今まで繁盛してきたのは、「集団ヒステリー」のせいである。
テレビで毎日CMを洪水のように流し、ラジオ、雑誌広告やインターネットのバナーなどで、追い打ちをかけるように洗脳する戦略。
その結果、「マクドナルド食べたい!」の集団ヒステリーが増殖して、店は満員になった。

所詮はジャンクフードなのに、行列に並び、有り難がって食べていたのは誰だ。
それを今度は「逆集団ヒステリー」のようになって、「もう食べない」の大合唱をするのは、根本的には、同じ種類のヒステリーにかかっているのと同じことだ、と私はお馬さんを諭した

もうひとり、ニシダ君もお子さんのリクエストに従って、週に2回はマクドナルドを利用していたという。
そのニシダ君が、「子どもの健康を考えて、マクドナルドはやめようかと思っているんですよ」と同じ時期に言った。

しかし、よく考えてみましょう。
お子さんの健康を考えるのなら、そもそもジャンクフードを与えることが間違っている。
そんなに健康にこだわりたいなら、有機食材を買って自分で調理したほうが、お子さんのためになるはずだ。

それを今更、「子どもの健康のために」などというのは、それは「健康集団ヒステリー」に形を変えただけである。
今まで散々ジャンクフードを食わせておいて、騒動を理由にして健康を語るのは理屈に合わない。

どんな食い物だって、「外で食うときは、それなりに覚悟をすべきだ」と私は思う。
それが嫌なら、自分の家で安全な健康食材を調理して食うベッキーだ。
そのほうが理にかなっている。

それに、たとえば、これだけ「逆集団ヒステリー」を浴びて、客足が遠のいた店に、毎朝同じ時間に、馬の姿をした馬・・・・・。

「ヒヒン?」

馬の形をしたお馬さんが、世間の風評にとらわれずに朝マックを食べている姿を見たら、マクドナルドのクルーたちは感激するのではないだろうか。
この馬は只者ではないと思って、次のダービーでは勝ち馬に投票してくれるかもしれない。

ニシダ君だって、キツネザル科の一家が、ブレずにマクドナルドを愛しているのを見たら、お店側は感激すると思うよ。

だから、みんなでマックを利用しましょう!

こんな風な私の説得が効いて、二人は今もブレずにマクドナルドを利用しているようだ。
そのブレない行動は、アッパレだと思う。


「そういえば、Mさんの話には、必ず『集団ヒステリー』が出てきますよね」とニシダ君。

世の中の流行は、ほとんど集団ヒステリーで説明できる。
だが、これを説明するには、1年5ヶ月の時間を要するので、ここではしない。
アベノミクスについても私は「アベノミクス株価集団ヒステリー理論」「銀行無策逆ヒステリー理論」で説明することができる。

ただ、安部政権や自民党の悪口を書くとブログのアクセス数が2割以上減るという現実があるので、それを実行する勇気が私にはない。
お蔵入りになる可能性が高い。

さらに、話は11メートル飛ぶが、男の不倫に甘くて女の不倫には厳しい男社会も、集団ヒステリーの要素満載の現象だ。
これも「男社会を支持する主婦層集団ヒステリー理論」で説明することができるが、私は好んで敵を作ることはしないタチなので、この理論は封印する。

ただ、ベッキー様のことは応援し続ける。


・・・・・などといつもながらに話が脱線していたところに、店員が揚げ餃子を持ってきて私の前に置いた。

はて?
揚げ餃子は、まだ注文していなかったと思いますが・・・。

その私の疑問に女店員が答えた。
「シモコーベさんから、話を伺っております。白髪の旦那は、揚げ餃子が大好物なので、必ず出すようにと。ご安心ください。これはシモコーベからの奢りですから、お代はいただきません」

あ〜〜んら、まあ、ビックリ!

さらに、女店員は「飲み物は、中ジョッキ2杯まで。食べ物は栄養のあるものを無理やり勧めるように、と言われています」と言った。
そして、含み笑いをしつつ「たまにオヤジギャクが炸裂することがあるけど我慢してね、とも言われています」と言った。


余計なことを。


今度会ったら、絶対に顔をペロペロしてやろう(心の声)。

「ああ、顔をペロペロしてきたら殴る! とも言っていました」

ヒヒン、とお馬さんに笑われた。
キャッキャッ、とキツネザルにも笑われた。

釣られるように、女店員が「ニャニャニャ」と笑った。

ここで初めて女店員の顔を見た。
アビシニアンみたいな気品のある顔をしていた。


ここは、動物園か!
猫カフェか!



しかし、また、この居酒屋を利用する楽しみが増えたのは喜ばしいことだ。



ただのスケベ・・・・・・?。


いえ、ブレてないだけですから。


2016/02/27 AM 06:26:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

カッコつける男たち
今までブログに書かなかった知り合いのことをご紹介しようと思う。

なぜ取り上げなかったかというと、彼はパソコンもスマートフォンも持っていないので、私のブログを見る環境を持っていない。
そんな彼のことを書くのはフェアでないと思ったから、今まで取り上げなかった。

ただ、そろそろネタも尽きたので、いい? と聞いたら、「いいよ」と言ってくれたので、真打の登場となった。


友人オノは、大学時代の同級生だった。
同級生ではあったが、私はオノのことが好きではなかった。

オノは、毎日のようにテニスラケットを小脇に抱えて大学にやってきた。
だが、だからといって、彼がテニス部やテニス同好会に入っていたわけではない。
運動神経が悪いオノは、運動系のサークルには最初から入る気がなかった。

しかし、テニスラケットは欠かさず持ってくる男だった。
要するに、意味もなく格好をつける男だったのである。
私は、そういう人間が苦手だ。

だから、大学時代は、挨拶する程度の間柄だった。
友だちではなかった。

そのオノが、私に会いたがっているというのを人づてに聞いたのが、7年前のことだった。
親しくもなかったのに・・・・・と、腑に落ちない思いを抱えながら、すぐに電話をしたら、「せっかく電話をもらったのに悪いが、いま体調が悪いんで良くなってからにしてくれないか」と言われた。

その2週間後に、オノが緊急手術を受けるらしいということをまた人づてに聞いた。
病院に駆けつけてみると、まさに手術の真っ最中だった。

奥さんに「目が覚めたら会っていただけますか」と言われたが、目が覚めたとき真っ先に見たいのは家族の顔だろうと思ったので、見舞金だけを渡して帰った。
それほど親しい関係ではなかったから、会わない理由ができてホッとした。

その2ヶ月後に、オノから退院を知らせるハガキが来た。
見舞金のお礼も書いてあった。

だが、それ以来オノからの連絡はなかった。
だから、私は忘れていた。

最初のハガキをもらってから1年2ヶ月後に、またハガキが来た。
「マツと話がしたい。でも、俺はいま電話もパソコンも持ってないから連絡はハガキにしてくれ」
住所を見ると、東京錦糸町駅からかなり離れたところだ。
徒歩なら20分以上かかるかもしれない。

電話もパソコンもない環境が想像できなかったが、言われたとおり、ハガキに日時と時間を書いて返信した。
そして、訪問したのが、5年前のことだった。

その友人オノは、4畳のおんぼろアパートに住んでいた。

築40年近いというから、私たち家族が住む武蔵野のおんぼろアパートより、歴史を感じさせる建物だ。
おんぼろアパートには免疫があったはずなのに、我が家をオンボロというのはオーナーに失礼ではないか、と思うほどオノの住むアパートのボロさは神がかっていた。

2階建て6世帯分の部屋があるというが、現住している世帯は2つだけ。
他の4世帯は、3年以上空き家だという。
廃墟寸前、といっても失礼にはあたらないと思う。

オノは、錦糸町のそのアパートに、5年以上住んでいた。
それ以前は、家族とともに千葉市の賃貸マンションに住んでいたが、大手術の半年後に錦糸町に引っ越した。

そこに、奥さんと子どもの姿はなかった。

なぜ、と聞く勇気が私にはなかったので、いまだに事情は知らない。
そして、なんで俺に会いたくなったんだ、と聞く勇気も私にはなかった。

さらに、オノの部屋には、見事に何もなかった。
テレビ、冷蔵庫、洗濯機、エアコン、電子レンジ、パソコン、スマートフォン、電話、テーブルなど生活に必要なものが、ほとんどないのだ。

あるのは、もらいものだという小さな扇風機と小さな電気ストーブ、電熱器、寝袋、毛布。
そして、唯一自分で買ったという雪平鍋と箸。
他に、ダンボールをつなぎ合わせて作ったテーブル。

オノの体調は手術から6年経っても万全ではなく、主治医からは「働くのは週に3回まで」と言われていた。
だから、オノは、近所の惣菜屋さんで週に3回、1日5時間働かせてもらっていた。

しかし、その稼ぎでは家賃と光熱費を払ったら、ほとんど消えてしまうので、足りない分と医療費は国の保護を得て暮らしていた。

国の保護を得ている、と聞くと、インターネットの世界では、事情も知らずに感情的に批判する人が大勢いる。
だが、オノのことは、批判しないでいただきたい。

オノは、少なくとも私よりはるかに社会の役に立っている。

彼が6年前に入院していた病院には小児病棟があった。
その縁で、オノはいま週に2回ボランティアで、小児病棟の子どもたちに読み聞かせをしているのである。
さらに、教員免許を持っているオノは、頼まれれば勉強も教えた。

オノは、そんな風に崇高な精神の持ち主なのだ。

大学時代、あれほどカッコつけるのが好きだった男が、なぜそんなにも謙虚な生活ができるようになったのか。
それも聞く勇気がないので、私は一度も聞いたことがなかった。

先週、ハガキで呼ばれたとき、オノにラーメンを奢ってもらった。
オノの部屋には、袋入りラーメンが20個以上ストックしてあった。
そのうちの二つを雪平鍋で作って食ったのだ。

「箸は一つしかないから、交互に食おうぜ」

安心してください。
俺はマイ箸、マイスプーン、マイフォークをいつも持参しているんですよ。

ふたりで雪平鍋のラーメンをすくい上げて食った。
具はない。
ラーメンだけのご馳走だ。

大学時代を考えると信じられないほど我々は接近して雪平鍋をつついた。
ゲイじゃないか、と思ったほどだ。

そのとき、オノが言った。
「正直に言うとな・・・俺は大学時代のマツがあまり好きじゃなかった。
だって、泣き言は言わないし、酒を飲んでも乱れないし、怒ったこともないし、不気味だったんだよな。
サイボーグみたいに俺には見えたよ」

要するに、感じることは同じだったってことだな。
俺もテニスをしない男がテニスラケットをいつも持っている姿を見て、毎回鳥肌を立てていたよ。

カッコつけやがって、とな。

「おまえに言われたくないよ。たかが20歳前後の青二才が落ち着いたふりをしやがって」

悪かったな、俺はふりだけはうまいんだ、と言って、私はラーメンのスープをすべてオノに譲った。
私にはラーメンスープを飲み干す習慣がないのだが、オノに「ここでもカッコつけるのか」と笑われた。

おまえ、ラーメンだけで生きているのか、と聞いたら、オノが少し膨らんだ腹をせり出しながら、「惣菜屋さんで余り物をもらって食べているから、太っちまったよ」と腹を叩いた。

「俺んちには冷蔵庫がないだろ? だから、食べ物はすぐ消費しないと腐っちまう。慌てて食うから、この有り様さ」
オノが、また腹を叩いた。

確かに、俺よりいい食生活をしていそうだ。
(爆笑・・・?)


・・・・・と他愛ない会話をしていたとき、ドアがドンドンと叩かれた。
オノの部屋のドアには呼び鈴がないので、訪問を告げるときはドアを叩くしかないのである。

「え!」とオノが腰を浮かした。

「俺の部屋に来るのは、マツだけだぞ。新聞の勧誘は何年も断っているから、来るわけがない。誰だ!」
おそらくその会話は、壁とドアの薄いおんぼろアパートの外には筒抜けだったろう。

訪問者が、部屋に充満するほどのでかい声で「お届け物で〜す!」と叫んだ。

出てみろよ。
お届け物だってよ。

「しかし、俺は何も頼んで・・・・・」

2ヶ月遅いサンタさんかもしれないぞ。
とにかく出てみろよ。
間違いかどうかは、開ければすぐわかる。

オノが腰をひかせるように、恐る恐る塗料の禿げたドアを開けた。
立て付けが悪いので、ドアを揺するようにしないと開かない頑固なドアだった。

お届け物が、オノの前にドサッと置かれた。

それは、大きなダンボールだった。

「え?? 何? 俺・・・・・頼んでないよ〜〜〜〜」

「えー、送り主はMさんとなっていますが」と配達の男が告げた。

オノが高速で私を振り向いた。
「なんで、マツが?」

はい、ご苦労様でした。
確かに受け取りました。

「おまえがサンタ?」

ヒゲはないが、白髪のところだけはサンタだろ?
とにかく、開けてみるんだな。

中には、2畳サイズの電気カーペットと毛布、低反発枕が入っていた。

俺は今日1時間半しか寝ていなくて、猛烈に眠いんだ。
眠気と戦いながら意識朦朧で歩いていたら、通り道にあったディスカウントストアで電気カーペットが半額! 毛布と枕が4割引で売られていたんだよ。

ぐっすり眠るには、快適な寝具が必要だろ。
だから、3年ぶりにクレジットカードで買い物をしたってわけさ。
今を逃したら、買えないかもしれないからな。
ちょっとドキドキしたぜ。

ここで少しの間、寝かせてもらう。

電気カーペットを敷いて、その上に枕と毛布を乗せ、毛布の中に潜り込んだ。
呆れ顔のオノの顔を子守唄がわりに眠った。

そして、1時間後に目覚めた。
毛布の温度設定を高くしすぎたため、暑さで目が覚めてしまったのだ。


おはよう。


では、睡眠も取れたことだし、俺は帰ることにするか。

「この電気カーペットは、どうするんだよ」

華奢な俺が、持ち帰れるわけがないだろう。
お前に、貸してやるよ。
永遠にな。

「またカッコつけるのか」とオノ。


まさか、断るつもりじゃないだろうな。

「断ったら、カッコ悪いか?」

それは、最高にカッコ悪いな。
カッコ悪すぎるな。

「じゃあ、貸してもらうことにする」


カッコいいじゃないか。


「ああ、おまえもな」



最後に、オノが外人のように肩をすくめて言った。

「やっぱり俺、おまえのこと嫌いだわ!
カッコつけすぎだよ!」



それな〜〜〜〜。


2016/02/20 AM 06:26:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

楽しい一日
人を苛立たせるのが得意な人間は、確実にいると思う。

おんぼろアパートの呼び鈴が鳴ったので出てみたら、相手は待っていたアマゾンではなく、0.1パーセントも想像していなかった男だった。

その男が、いきなり言ったのだ。
「おまえの父親の墓はどこにある?」

テレビドラマ「世にも奇妙な物語」なら、そんな導入部もあるかもしれない。
しかし、現実世界では絶対にない。

70代後半の横柄な男が、アポイントメントなしに名乗りもせずに私を「おまえ」呼ばわりするのである。
左手で襟首を掴んで引きずり倒しても文句は言われないはずだ、と思った。

その男とは、40年以上前に一度だけ会ったことがある。
私の祖母の百日目の法要のときだ。

あえて関係を述べるのなら「本家筋の男」という表現になるのだろうか。
ただ、その関係については、複雑すぎて、私の単細胞では未だに理解できていない。

私が中学3年に上がってすぐ、私が今も一番尊敬する祖母が死んだ。
医者にかかることなく、病気で寝込むこともなく、どこが痛いと泣き言も吐かず、ある朝、気がついたら息を引き取っていたのである。

心筋梗塞だった。

本当は、かなり我慢していたのだと思うが、家族の誰にも辛さを告げることなく普通の日常を過ごし、突然命の炎を消した。

見事な最期だったと思う。

その年の夏に、祖母の生まれ故郷の島根県出雲で法要が催された。
そこで私は驚きの光景を見ることになる。

参列客がまったく途絶えないのである。
20年以上故郷を離れていた人の法要に、何故こんなにも大勢の人が集まってくるのか。
寺の中は数え切れないほどの人で溢れ、外も人が溢れていた。

祖母の夫は大正時代に34歳で死んだ日本画家である。
そして、祖母は島根にいたときは師範学校の教師をしていた。

それがどれほど凄いことなのか、当時の私はまったく理解できなかった。
想像できなかった。
だから、参列者の波が異次元のものに思えたのだ。

そして、その異次元の中で一人だけ目立った男がいた。
「本家筋の男」だった。

田舎の風習というのが、東京生まれ東京育ちの私には未だにわからないのだが、「本家筋」というのは偉い存在なのだろうか。
そして、その系列の男は、生まれながらにして人を見下してもいいことになっているのだろうか。

この「本家筋の男」は、当時30代半ばだったようだが、頭が高くて横柄な男だった。
彼より明らかに年上の参列客が頭を下げるのに対して、ほとんど頭を下げずに応対していた。
その横で、10歳未満の子どもたちが、たくさん法要に来ていて、寺の中を嬉しげに走り回っていた。

これは、子どもとしては当たり前の行動だと思ったが、「本家筋の男」は、その子どもたちの首根っこを掴んでさらに追い打ちをかけるように頭を押さえつけ、無理やり椅子に座らせることを繰り返した。

「場所をわきまえろ! このガキが!」
「バカタレが! 立つな! 動くな!」
汚い言葉を使っていたから「ヤ」のつく人かと思ったら、あとで親戚の人から聞いたら、高校の教師だという。

だが、そのときの私は、彼が「ヤ」のつく人にしか見えなかった。
目が吊り上がって、「俺の視界を汚すやつは許せねえ!」というようなゲスな視線で周りを見渡す様は、私の友人の極道コピーライター、ススキダほどの大物感はなかったが、危ない人間に見えたことは間違いがない。

だから、私は、祖母の法要そっちのけで「本家筋の男」の顔を凝視しつづづけたのである。

その私の視線に気づいた「本家筋の男」は、吊り上がった目のまま私の前に立って、「なんで僕を睨んでいるんだ」と聞いた。
私は睨んだつもりはないので、立ち上がって、そのご意見に異を唱えた。
中学3年当時169センチだった私より、「本家筋の男」は10センチ近く低かった。

俺が大人になったら、そんな大人にはならないように、目と頭に焼き付かせてるんですよ。
右の人差し指を頭と目に当てながら、答えた。

そうすると、「本家筋の男」の吊り上がった目がさらに吊り上がって、鬼の目になった。

「おまえは・・・・・・・」
このあと、どんな言葉を発すれば、この生意気な若造を懲らしめることができるかと鬼は考えたのだろう。
少し、時間の空白があった。

その間に私は、今回の法要の主役である祖母の名前を言い、その孫であることを告げた。
そのあと、自分の名まえを名乗り、さらに母の名を言い、当たり前のように法要に来なかった父の名を言った。

そして、最後に、あなたのお名前はと聞いた。

しかし、それに対して、頭の高い横柄な高校教師は、吐き捨てるようにこう言ったのだ。
「お前は父親似だな。まったくそっくりだよ。非常識なところがな!」

勝ち誇ったような顔で捨て台詞を残し、頭の高い横柄な高校教師は、私に背中を見せた。
だが、言い逃げは許さない、と思った私は、頭の高い横柄な高校教師の左肘をつかんだ。

頭の高い横柄な高校教師が、鬼の顔を赤く染めて言った。
「無礼者!」

私は今でもそうなのだが、怒りが強くなるほど冷静になるという変態的な性質を持っていた。
そのときもそうだった。

俺が非常識なのは自分でもわかっています。
だけど、いまここにいない人間を貶すのはフェアではない。
俺の悪口はいいですが、俺の父親の悪口を言いたいのなら、本人に直接言ってください。

それができないのなら、今の発言は撤回してください。

そんな可愛げのないガキの言い分を、頭の高い横柄な高校教師は、彼の肘をつかんだ私の手を力いっぱい振り払うことで答えを出した。
そして、また鬼の顔で言ったのである。

「無礼者!」

「本家筋の男」というのは、そんなに偉いものなのか。
私の尊敬する祖母の法要の空気を汚してもいいほどの権力を持っているものなのか。

そのことは、今も私にとって、大きな謎の一つだ。


「本家筋の男」とは、それ以来会っていなかった。

姉が死んだときと父が死んだときに、どこから聞きつけたのか電話がかかってきて、相変わらず横柄な口調で「葬式はしたのか」と詰問してきた。

密葬形式でしました、と私が答えると「罰当たりな男だな」と唾を吐くように電話口で罵った。

私が罰当たりなのは、自分が一番よく知っているので、反論はしなかった。

ただ、姉は先祖の墓に骨を納め、父は川崎に墓地を買って骨を納めたことは一応告げておいた。
そして、ついでに、これ以上、私に関わらないでもらえますか、とも言った。
だから、そこで「本家筋の男」との縁は切れたものだと思っていた。

しかし、いま突然の「お前の父親の墓はどこだ!」である。

その姿を見て、人間の性格というのは、永遠に変わらないのだな、と思った。
あいも変わらず、一本筋の通った方だな、と思った。

昔の私だったら、何も言わずに追い返すところだったが、彼の変わらない流儀に最大限の敬意を表して川崎の墓地の場所を教えた。
ただ、家の中には絶対に入れなかった。

おんぼろアパートのドアの外で応対した。

だが、困ったことに、頭の高い横柄な元高校教師の声はでかい。
きっと、ご近所の皆さまには丸聞こえだったと思う。

あとで、ご近所からクレームが来たらどうしよう、と思った。
だが、私には4年前から懇意にしていただいている自治会の副会長さんがいた。
この副会長さんは、元刑事だから、人を説得する技術を持っていた。
副会長さんにお願いすれば、うまいこと解決してくれるに違いない、と希望を持った。

・・・・・などと都合のいいことを考えていたら、おんぼろアパートの階段の下で声が聞こえた。
「どうしました?」

下を見ると、その副会長さんが、私たちを見上げているところだった。

思ったとおり、丸聞こえだったか!

そこで、私はこう答えた。
この人は私の親類の偉いお方なんですが、金を貸せ、としつこいので、今お帰り願っているところです。

「なんだと!」
「本家筋の男」が40年分の年をとった鬼の顔で、私の右肘をつかんだ。

しかし私は、頭の高い横柄な元高校教師のように手を力づくで振りほどくことはせず、彼の指を一本一本やさしく引き剥がすようにして、自分の右肘を自由にした。

そして、「本家筋の男」の目を見つめながら、父の墓参り、ご苦労様です、と頭を下げ左手を階段の方に向けた。
「本家筋の男」は、舌打ちを残して階段を下っていった。


そのあと、階段を上ってきた副会長さんが私に言った。
「あの人は、お金を借りに来たわけではないよね。ただ、ご親類さんであることは間違いがないでしょう。まあ、お互い軽い恨みを持っている関係といったところかな」

さすが、元刑事。
すばらしい洞察力だ。

旦那・・・・・恐れ入りました。
私がヤりました。

頭を下げ、両手を差し出した。

そのとき、階段の途中で固まっているアマゾンの箱を抱えた宅配便のお兄さんの姿が目の端に移った。

それを見て調子に乗った私は、副会長さんに頭を垂れながら言った。

旦那、オレ、実刑ですかね・・・・・・。
執行猶予は付きませんか?

それに対して、副会長さんが、ため息をつきながら私を褒めた。
「Mさん、あんた、思っていた以上にバカだね。
世渡りが下手だね」


とうとうバレてしまったか。
長いあいだ隠していたのに、私がバカだったということが・・・・・。


頭を垂れたまま、旦那、お供いたします、と言ったら、副会長さんは、もう階段を途中まで下りていくところだった。


呆気にとられた宅配便のお兄さんからアマゾンの箱を受け取りながら、今日はWi-Fiの電波がきついですね、と手で電波を振り払う真似をしたら、顔なじみのお兄さんは、階段を飛ぶように逃げていった。


そんな楽しい一日だった。


2016/02/13 AM 06:34:35 | Comment(1) | TrackBack(0) | [怖い話]

ブリちゃんがシンクロ
神田のイベント会社に、約束の時間10分前に到着した。

しかし、担当者の中村獅童氏似は、イベントの設営の立会いが長引いているので遅くなると言われた。

事務所の隅っこの応接室で、出されたインスタントコーヒーをすすりながら無の境地に浸っていたら、獅童氏の後輩のナントカさんがやってきて、私の前に座った。

前に座ってくれてよかった。
膝の上に座られたら、どうしようかと思った。

なぜなら、私はこのナントカさんが苦手だからだ。
獅童氏と打ち合わせをしていると、このナントカさんが、女性事務員をからかっている光景がたまに目に入るのだが、そのネチネチっとしたしつこさが私は苦手なのだ。

私は、自分が人から繰り返し同じことをされたり言われたりした場合、2回目までは赦すという心の広さを持っているが、3回目には必ず股間を蹴ることをルールとしていた。

そのルールに従えば、すでにこのナントカさんは、6回は股間が腫れ上がっているはずである。
女性事務員の心が広いことをナントカさんは、感謝すべきではないだろうか。

そのナントカさんが、私に「Mさん、知ってましたか? タチバナ(獅童氏)さんは、上司からMさんの担当を若手に変えるように言われたんですけど、拒否したんですよ。なんでですかね?」と答えようのないことを聞いてきた。

知りません。

この会社は、頻繁に担当者が変わるという変な会社だった。
8〜9年のお付き合いになるが、短い人は半年足らず、長くても1年とちょっとというのが普通だった。
だが、なぜか獅童氏だけは3年続いているのである。

とは言っても、それは会社の事情だろうから、私には関係がない。
私は仕事をいただいて、銀行口座の残高が一時的にでも増えれば満足である。
それ以上の面倒くさいことは考えたくない。

しかし、ナントカさんは、「タチバナさんは、去年の7月からチームリーダーになって忙しいのに、なんでですかね」とまた聞くのである。

テーブルの下の右足がムズムズしてきた。
ヤバイことになってきたぞ、我慢できるだろうか・・・と思っていたら、獅童氏が「すみませんねえ」と鼻の頭を赤くして帰ってきた。

危ないところだった。
暴行罪で訴えられる寸前だった。

「さんむいですよ。風が冷てえ〜!」と言いながら、獅童氏が去年の暮れにボーナスで購入した高級そうなコートを自慢げに脱いだ。
そして、後輩のナントカさんに向かって、「シッシッ」と右手のスナップを効かせ、ケツを蹴る真似をしながら追い出し、私の前に座った。

15分の遅刻だったが、だからといって我々のルーティンである雑談を端折ることはしない。
私は、お得意様と仕事の話しかできない人は「人間のクズ」だと常々思っている男である。
雑談の一つもできない人に、偉そうに地球上の酸素を消費して欲しくない。

元祖「人間のクズ」は、本気でそう思っているのだ。

そこで、雑談好きで変化球の嫌いな私は獅童氏に、担当変われって言われたのに断ったんですって、と直球の話題を振った。

「ああ、ヤマダが言ったんですね。あいつは、口が軽いしチャラいからなあ」
(あなたも相当にチャラいですがね)

それに、チームリーダーになったんですって?

「会社に入って5年以上経ちますからね。大したことはないですよ。そんなに難しいことをするわけでもないですから、二股かけても負担はないです」
(女性の二股で慣れてるから?)

そのあと、獅童氏が心持ち背筋を伸ばして、重要なことを宣言するように言った。
「最初、俺、Mさんのこと嫌いだったんですよね」

俺も・・・と言おうとしたが、そんなことで張り合っても仕方ないので、それは言わなかった。

「なんか、悠然と構えていて、何を考えているかわからないから、不気味だったんですよ」

何も考えていないんですけどね。

「そうそう、今はわかっているんですよ。本当に、何も考えていないってことが」

(褒められました?)

「でも、最初は、本当に絶対に話が合わないな、と思って、適当に仕事をやっつけて担当を変わるのを待っていたんです」

もちろん、そのことは薄々気づいていました。

「でも、いつのまにかMさんのノンビリしたペースに合わされていくうちに、『あれ? このペースって気持ちいいかもしれない』って思うようになったんですよ」

思うツボですな。

「決定的だったのは、去年の3月でしたね」

ああ、柴咲コウ様の「〇〇妻」の最終回で、私が号泣した次の日ですね。

「違います。号泣したのは、俺の方です」
完全否定された。

確かに、次の日、獅童氏が目を腫らして私の前に座ったことを私の灰色の脳細胞は憶えていた。
それは、もちろん「〇〇妻」の最終回を見て泣いたのでないことはわかっていた。
獅童氏は、信じられないことに「〇〇妻」を見ていなかったのだ。

チャラい人間には、あの繊細なストーリーは無理なのかもしれない。

そのとき、獅童氏の目が腫れていたのには、何かの理由があったのだ、とは思った。
しかし、私は人の目が腫れていようがいまいが関係ない、と思う冷血動物である。

だから、そのことには触れなかった。
私は、呆れるほど軽い口調で、家族に内緒で日帰りで痔の手術をしたんですよ〜、貧ケツを治す前にケツを治しちゃいました・・・みたいな、というデリカシーのない話題を振ったのだ。

普段なら、「ええーーーーー!」と大げさに驚いてくれる獅童氏が、「ハハ」と軽めの愛想笑いを返したことで、私は低俗な話題を振った自分のお茶目さを後悔することになった。

そのあと、獅童氏は、こちらが聞きもしないのに、8秒間ほど目をつぶってから、歌舞伎役者のように視線を一点に集中させて語り始めた。

獅童氏には、4年間同棲している彼女がいた。
一緒に住み始めるにあたって、その彼女が「犬を飼っているんだけど連れてきてもいい?」と獅童氏に許可を求めたというのだ。

偶然にも獅童氏は犬が好きだったので、「もちのろん」と答えた。
彼女が連れてきた犬は、当時すでに13歳の老犬パピヨンだった。
人間で換算すると70歳くらいの高齢だ。

その老犬は、すぐに獅童氏に懐き、彼をご主人様のパートナーとして認めたようだ。
獅童氏は、彼女と犬のいる幸福溢れる生活を手に入れた。

しかし、犬は明らかに老いていた。
年齢を重ねるごとに、段々と体がいうことをきかなくなってくるのは、犬も人間も同じことだ。

老犬は、徐々に散歩をするのも辛くなり、食事も細くなり、排便もうまくできなくなってきた。
それに対して、獅童氏は老犬をバスケットに入れて外の空気を吸わせ、根気よく食事を与え、下の世話も献身的におこなった。

「だって、家族じゃないですか」

その老犬「ブリちゃん」は、昨年の3月半ば、天に召された。
16歳だった。

同居の彼女は、覚悟を決めていたので、涙は流さなかった。
獅童氏も覚悟はしていたが、どうしてもブリちゃんの死を受け入れることができず、夜通し泣き通したというのである。

だから、そのとき獅童氏の目は腫れていた。
まったく眠ることができず、心は「ブリちゃんロス」で満たされていた。

「目を開けていても閉じていても、ブリちゃんが目の前に出てくるんですよね」と、言いながら獅童氏が懸命の表情を作って、涙の蛇口を閉める姿は痛々しかった。


それは、いい話だ・・・・・とは思う。

しかし、私には関係がない。
私は、ブリちゃんに会ったことがない。
だから、感情移入のしようがない。

人が可愛がっている犬が死んだところで、私の生活には何の変化もない。
そんなことを聞かされても私の心は動かない。
私は、薄情な人間なのである。

だが、獅童氏が言うのだ。
「あれ? Mさん、泣いてくれてるんですか?」

泣いているわけがないでしょう!
何を言ってるんですか!

「いや、間違いなくボロ泣きですよ」

きっと水漏れですね。
このビルが老朽化しているんです。
リニューアルしたほうがいいんじゃないですかね。

「いや、まだ建てられてから10年くらいだと思いますけど」

・・・・・というようなコントをしたことは、老朽化した私の頭がかろうじて憶えていた。


獅童氏が、上半身を17度前傾させて言った。
「あのMさんを見たとき、俺、もう少し、この人を見ていたいと思ったんですよね。
だから、上司に、もう少しやらせてくださいってお願いしたんです」


フッ・・・あんな嘘泣きに騙されるとは、獅童氏、あんたも若いな。
甘っちょろいな。


ところで、タチバナさん。
気持ち悪い、と罵られても私は一向に構わないのですが、あのとき、ブリちゃんの画像をくださいってお願いしましたよね。

「そうですね。4、5枚送りました」

その中の1つがいま、私のiPhoneの待受画面になっているんですよ。
そう言って、私はiPhoneの待受画面を獅童氏に見せた。

在りし日の気品あるパピヨン様の毅然としたお姿が私のiPhoneの画面を占領していた。

そうすると、獅童氏が「アッギャー!」と叫んだのである。
そして、私に自分のiPhoneを差し出したのだ。

そこには、同じブリちゃんの待受画面が・・・・・。


きっもち悪いですねー!


二人の声がハモった。



そのあとの短い沈黙は、アホな男ふたりが涙をこらえるのに必要な時間だったのだと思う。



2016/02/06 AM 06:28:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]



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