Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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無防備な生き方(エルボーを3回くらった日)
前回の続きになるが、大学時代の友人カネコの娘ショウコとの会食を終えた帰り道のことだった。

駅の手前の横断歩道で、「ペットショップは近くにありますか」と40歳前後の男性に聞かれた。
サンロードを抜ける手前の角にあります、と答えた。

しかし、道を聞くなら普通は交番だろう。
10メートルほど先に交番が見えるのだから、そこで聞けばいい。
なぜ、わざわざ私を呼び止めて聞くのだ。

その後、吉祥寺駅の中央線下りホームでは、白人の25〜39歳くらいのカップルに声をかけられた。
おそらく、アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダ、南アフリカあたりの人だと思われる。

「今日は、八王子のインターネットカフェに泊まって、明日高尾山に行こうと思うが、おまえは高尾山に行ったことがあるか?」というようなことを英語で聞かれた。

聞かれたら答えないと失礼になると思って、カタコトの英語で Uh...,before the Edo shogunate era about 200 years,sometimes climbed Mt.Takao (えーと、200年ほど前の江戸幕府の時代に高尾山に登った)と答えた。

そうしたら、ショウコの右のエルボーが、私の左脇腹に炸裂した。
「This guy's a fool」(こいつは、アホやけん!」
「Don't trust ! 」(信用しないで)

そのあと、八王子在住のショウコが流暢な英語で、高尾山はいいところだということを熱弁した(らしい)。

だが、なぜか白人さんは、私の顔を見ながら、「高尾山のソバは有名らしいが、食ったことがあるか?」と私に英語で聞くのである。

聞かれたら、答えねばなるまい。
イエス、ソバ イズ ソウルフード オブ ジャッパニーズ!

「ソウル・・・・・フード?」

ヤア! ソウル、ソウル! ジェームス・ブラウン、ゲロッパ!

左脇に激痛が走ったが、白人さんが「オー! ジェームス・ブラウン! ソウル! ソバ! アイ インジョイット!」と盛り上がってくれたので、ショウコの険しい顔が笑顔に変わった。

危ないところだった。
トドメのエルボー・ドロップを喰らうところだった。

白人さんは、フレンドリーにフェイドアウトした。

「でも、不思議だよね。あの二人は、なんで私を無視してサトルさんにばかり話しかけたのかなあ。顔がマヌケだから、話しかけやすいのかなあ」と首をかしげるショウコ。

そのことに関しては、私の中で結論は出ていた。

私も生まれてから275年間ずっと不思議に思っていたからだ。


たとえば、むかし函館空港のロビーで搭乗時間を待っていたとき、「函館に壱番館という珈琲店があるらしいのですが、どう行けばいいでしょうか」と、突然聞かれたことがある。
(なぜか近くのソファにゴルフバッグを横に置いた笑福亭鶴瓶師匠がいた)

島根県松江の小泉八雲記念館を観光客の顔で巡っていたら、「八重垣神社の行き方を教えてください」と、顔を覗きこまれたことがあった。

岩手県北上駅の東横インの前で、旅行かばんを持ってタクシーを待っていたら、「朝からラーメンを食べられる店を知っていますか」と、二人連れの若い女性に聞かれたことがあった。

福井県敦賀市のビジネスホテルのカフェでモーニングセットを食っていたとき、隣りのサラリーマンに「昨日から歯が痛むので、歯医者を教えて」と言われたことがあった。

中央線三鷹駅前でアンケートに答えていたら、横から若者に「自転車屋さん、この辺にある?」と聞かれたことがあった。

静岡県浜松市の赤十字病院に入院中の友人の見舞いに行くため、浜北駅前でバスを待っていたとき、「この辺で桜の名所ってどこかねえ?」と、地元のオッサンらしき人に聞かれた。

このへんに住んでいるわけではないので知らないんですよ、申し訳ありませんが、と答えるとたまに舌打ちを返す人がいた。
このヤロー、顔をペロペロしてやろうか・・・と思うことが5回のうち5回はあるでございます。

あたりを見回してみると、大抵は交番が近くにあったり、お巡りさんが平和そうに自転車に乗っている姿や暇そうなオバちゃんを見かけることが多い。
なぜみんなお巡りさんや地域のオバちゃんを有効活用しないのだ。
ガイコツをいじめるのが、そんなに楽しいか。


話の趣旨は少し変わるが、たとえば、ショウコがガキの頃、ショウコは私の膝の上によく乗ってきた。
ショウコには9歳下の弟がいたが、いま大学1年の弟のレオンは、10歳くらいまで私と手をつないで歩くのが好きだった。
ショウコは、父親のカネコの膝に座ることはないらしいし、レオンもカネコと手をつなぐことはなかったという。

我が家でも、息子と娘は小さい頃、私に寄りかかったり、膝の上に乗ったり、手をつなぐことはあっても、母親に同じことをすることはなかった。
私と同じ布団で寝ることはあっても、ヨメと一緒に寝たことはなかった。

長い付き合いの友人・尾崎の娘の水穂と里穂は、私の顔を見ると、必ず「しゃがんで」とリクエストした。
そして、私がしゃがむとホッペにチューをしてくれるのだ。
二人とも尾崎の膝の上に座ることはあるが、チューはしないという。

小学校6年のとき、2学年下の男の子たちが、給食が終わると私のクラスに遊びに来るのが日課だった。
10人以上いたと思う。
その子たちが話すことを私は黙って聞き、ときに相撲やプロレスをして遊んでもらった。

私が中学3年になると、その子たちは同じ中学に入学して、ほとんどが私と同じ陸上部に入った。
それまでは、多くても15人程度だった部員が30人に膨れ上がったから、顧問は大慌てだった。

イヤラシイ自慢になるが、高校はそれなりに偏差値の高い私立高校に入学した。
3年になったとき、陸上部に3人の見慣れた顔が入ってきた。
小学校から、私を慕ってくれた3人が「マツくん、俺たち、一生懸命勉強して、マツくんと同じ高校に入りました!」と言って、彼らは私を驚かせた。

彼らは、大学も私の後を追って、同じ学部に入学した。
もちろん彼らは陸上部に入部した。

いま彼らは、一人はドイツで暮らし、一人はインド、もう一人は四国愛媛に生きる場所を見つけて羨ましい人生を歩んでいた。
ほとんど会うことはないが、私が死んだら、きっと墓参りくらいはしてくれるに違いない。

俺は磁石なのかな、などと意味不明のことを考えてみたことがあった。
俺が磁石で、彼らが鉄。

くっつくのが運命だったんだ、などと格好をつけたこともあった。

しかし、それが馬鹿げた妄想だということは、すぐに気づいた。


そのことに関しては、理由づけは簡単だった。

俺が無防備だからだ。

ショウコがむかし言ったことがあった。
「サトルさんは、『構えない人』だよね」

ショウコが言うには、たとえば父親のカネコは、人間としての法則が決まっていて、こう言えばこう返ってくるとか、こうすればこうしてくれるという定義を持っているというのだ。
そして、ほとんどの大人は、その定義を持って、それぞれの時間を生きるのが普通らしい。

だが、私はその都度、対応が違うと言うのである。
子どものころは、それに関して深く考えたことはなかったが、大人になってからそのことに気づいた、とショウコは言った。

同じことを聞いて、同じ答えが返ってくるのが「大人」。
しかし、私は違った。

だから、面白いというのだ。

「それって、無防備だよね。だって、『大人』は身構えて同じ答えを返すけど、サトルさんは構えてないから、隙だらけなんだよ。悪い言葉で言えば、『いい加減』。でも、私はそこに親しみを感じたんだよね。隙だらけの大人って、子どもには楽しいものなんじゃないかな」

確かに、俺は無防備だな、とは思っていた。

陳腐な例えだが、すべての侍が刀を二本差して街を歩いているところを、自分だけは丸腰で歩いているような感覚は持っていた。
二本差しのお侍さんを羨ましいと思ったこともなかった。

ボロいスーツを着ていて、それを人から笑われていることを想像したことはないし、公園のベンチで握り飯を食っている姿を人から笑われているとも自分では思っていなかった。
鈍感なのだと思う。

そして、こいつに道を尋ねたら、絶対に断らないだろう、という安易な気持ちを人が持っていることにも私は気づかないで、人に道を尋ねられる日常を今も繰り返している。

身構えたお巡りさんや大人たちに道を聞くことにはためらいがあっても、法則を持たない男に人が道を聞くのは簡単だということがわかったからだ。


繰り返すが、無防備。


日本のことをよく知らない外国人にとって、流暢に英語を話す「構えたショウコ」よりも、無防備な私のほうが、異国の地に舞い降りて不安な異邦人には、話しかけやすかったのだと思う。


「無防備」で得をしたことは私にはないが、今さら変えるのも面倒なので、このままの生き方を続けようかと私は思っている。


「でもね、サトルさん」とショウコが言う。

「東京オリンピックもあるし、外国人観光客も増えたんだから、ニッポンの恥になることは、お願いだからやめてよね。さっきの・・・あれはヒドイよ!」


わかった。
悪いと思っているんだ。
俺は今モーレツに反省してる。

これからは・・・・・・・もっと発音を勉強することにするよ。

本当は、「ゲロッパ」ではなく「ゲラップ」だよな。



中央線下り高尾行の電車の中で、ショウコのエルボーが左脇腹に炸裂した・・・・・と思ったら後頭部に何かが落ちてきた。

エルボー・ドロップを喰らったのかもしれない。



2016/01/30 AM 06:25:57 | Comment(1) | TrackBack(0) | [日記]

神々のレシピ
目の前に27歳の人妻がいる。

だからといって、私が不倫をしているわけではない。
大学時代の友人、カネコの娘ショウコが、お年玉袋を3つ手に持って、勝ち誇った顔をしているのである。

ショウコとショウコの子ども2人のお年玉だ。

その代わりに、私はショウコから2つのお年玉を受け取った。
私の子ども2人の分である。

ただ、同じお年玉だとは言っても、その意味合いは全く違う。

ショウコの場合は、私からお年玉を強奪するという表現が的確だ。
しかし、私の場合は、ショウコから謹んで頂戴する、という情けない状態になる。

そんな情けない正月が、何年も続いている。

そんな風に私を情けなくさせるショウコが、吉祥寺の串カツ屋で食べ放題の串カツを食い、昼間から生ビールをお代わりしながら言ったのである。
「普通の人は、私が翻訳の仕事をしているっていうと必ず『儲かるの?』って聞くけど、サトルさん、一度も聞いたことがないよね」

ショウコは、大学院を卒業してから、自宅で翻訳の仕事を始めた。
二人の子どもを育てながらする仕事として、何が適切かと考えて、得意な語学を活用することを思いついたのだ。

英語とドイツ語。

トリリリリリ・・・・・・・ンドル(ガル?)ですよ。

そりゃあ、2種類の外国語を駆使できれば、儲かるでしょうよ。
だが、私は内心の動揺を隠しながら、気取って言うのだ。

もし、ショウコが、俺より収入が上だったら、俺はその瞬間から仕事を辞めたくなってしまうだろう。
だから、聞かないのさ。

「ふ〜〜〜〜ん」
どうやら、信用していただけなかったようだ。

そのあと、話を強引に変えられた。
「娘の通う幼稚園でね・・・去年からママ友カーストがすごいことになっているの」

両頬に大量に散ったソバカスを赤く変色させて、ショウコが一気に語った。

ママ友カーストとは、お母さまたちの間を上下関係で縛り付ける序列のことだ。

ショウコの娘が通っている幼稚園でも、そのカーストが幅をきかせているらしい。
ショウコの娘と同じ組のお母さんで、とても強烈な個性の方が一人いて、その人の吸引力に負けて、組のお母さん方の7割以上が、そちらへなびいていると言うのだ。

そこでは、歴然たる階級が存在するらしい。
つまり、その世界のママたちは「平等」を選べない状態になっていた。

その現状に馴染めない人は、馴染めない人同士で他に一つのグループを作って群れているらしい。
しかし、ショウコは、どちらにも所属しないことに決めているという。

「だって、サトルさんだって、どちらにも属さないでしょ、ゼッタイに!」

困ったことに、私のひねくれた性格を受け継いでいる人が、この世界に2人いた。
私の大学2年の娘と友人カネコの娘ショウコだ。

ショウコが私の目の前に現れた6歳のときから、私はショウコに勉強や運動、料理など様々なことを教えた。
そして、今にして思えば余計なことだったが、「俺、多数派が好きじゃないんだよね」ということも吹き込んだのである。

ショウコと娘は、私の考えをまともに受け止めて、やや斜めになりながら大人になった。
二人の本質は、強くて明るく賢くて社交的な眩しいくらい「人間くさい」性格なのに、幼い頃に植え付けた私の言葉が、二人に呪縛を与えてしまったのは、百パーセント私の責任と言ってよかった。

じゃあ、ポーちゃんは、幼稚園にお友だちがいないってことか。

「ああ、それは大丈夫。他の組に家が近い子が3人いて、その子たちと仲良く遊んでいるから。
それに、あと少しで卒園だからカーストとは、お別れできるし」

しかし、小学校に上がってもカーストは存在するかもしれない。
そのときショウコはまた、同じように群れから距離を置くことを選ぶのだろうか。

私は、自分がそれを選んだのだから後悔はしていないが、私以外の人に、この生き方は勧めたくない。
私は、誰よりも人恋しいくせに、それを拒否することでかろうじてアイデンティティを保っている弱い人間だ。

そうしないと、人との区別がつかないからだ。
その方法しか、私の精神を安定させる方法が見つからない。
つまり、中身が空っぽだから、その程度のことでしか、自分を主張できないのである。

しかし、心の綺麗なショウコと私の娘は、そんなことをする必要はない。
そんなことをしなくても、誰とでも対等以上の良好な関係を築けるはずである。

今なら修正がきく、と思った私は、こんなことをショウコに言った。


俺には、前から思っていることがあってね・・・。

この地球上では、72億人以上の人が、それぞれの人生を紡いでいる。
その上で、この銀河系には、たくさんの神が存在すると私は思っている。

さらに、その神たちは、我々ひとりひとりに貼り付いていると想像している。
その我々に貼り付いた神は、貼り付いた人間のためのレシピを持っているのだ。

つまり、我々は、そのレシピに沿って生きているということだ。
塩や砂糖の分量、焼く時間、煮込む時間、寝かせる時間、それらの多くは神がレシピで決める。
我々人間は、最初はそれに従わざるを得ない。

ただ、この神は完全無欠ではない。
人間の意思の全てをコントロールする能力まではない。
人間に選択の余地を残してくれているのである。

もし人がいいことをしたら、途中でレシピを変えてくれるのだ。
もちろん、悪いことをしてもレシピは変わる。

私の場合、今まで一つもいいことをしていないので、レシピ通りに料理を作ったら味は劣化するばかりだ。
塩の量だけが異常に多い「しょっぱい人生」をレシピ通りに実践している。

しかし、ショウコや私の娘は、まだ途中で胡椒やニンニクを加えることができるのだ。
それで、いくらでも「おいしい人生」に変化させることができる。

つまり、神々のレシピは、このように完璧ではない。
人間一人ひとりが、優秀なシェフになれば、そのレシピはその人のオリジナルになる余地をまだ残している。

ショウコたちは、レシピを変える純粋な力を持っているのだから、俺の真似をすることはない。
みんなレシピが違うのだから、真似なんて無意味だ。

これからは、独自のレシピを生きてみたらどうだ。


私は、かなり説得力のある話をしたつもりだった。

しかし、ショウコに笑われた。

「あのね、サトルさん。そんなイイ話も前歯が1本抜けた間抜けな顔で言われたら、苦笑するしかないんだけど・・・」

そうなのだ。
昨晩、おこげの中華あんかけを作って食ったら、差し歯が折れてしまったのだ。

私は滅多に鏡を見ることはないのだが、17ヶ月ぶりに見た自分の顔は、前歯の部分が空洞になって、とてもお茶目なガイコツだった。


俺って、マヌケでお茶目?

「うん、お茶目ではないけど、だいぶマヌケ。
どんなレシピを書いたら、そんなマヌケな顔になるんだろうってレベル。
ほらほら、あと10分で食べ放題の時間が終わるから、マヌケ顔で早く食べちゃいな」

そして、ショウコはさらに追い打ちをかけるのである。

「マヌケ顔で白髪でガイコツ。
そんなレシピのオッサンには、ハイエナもゼッタイに寄り付かないと思うよ」


そんな風に褒められたので、蓮根の肉詰めを抜けた歯の部分にハメて、お茶目顔を見せた。

ブーツの足で、むこうずねを蹴られた。



この痛さも、レシピ通りかぁ!


2016/01/23 AM 06:26:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

ZEROのままで
小金井公園をランニングした帰りに、「おふろの王様」の露天風呂に浸かっていたとき、突然私の頭に浮かんできたこと。

俺は、ゼロなのではないか、と。


たとえば、テクニカルイラストの達人・アホのイナバは、頭の中身はゼロだが、それ以外は財宝だらけの男だ。
才能もそうだが、一番の財宝は奥さんだろう。

イナバ君はアホだから、奥さんと結婚したときは気づかなかったようだが、奥さんの実家は資産家だったようだ。
5年前に、奥さんの父親が亡くなったとき、会社のオーナーだった父親は、相当な財産を残した。

奥さんの母親は、奥さんが若いときに亡くなっていたので、その遺産を受け継いだのは、奥さんと弟の2人だった。
会社の株式やその他の有価証券、土地、現金はかなりの額だった。

あとで、ねえ、イナバ君、奥様の相続財産を教えてよぉ〜、と冗談でねだったとき、アホのイナバは、正直に私の左耳に金額を囁いたのである。
その金額を聞いたあと、あまりの現実感のなさに、私は8分ほど笑いが止まらなかった。

現実的な計算をしてみると、毎日立ち食いそば屋で「かけそば」を食ったとして、20万年近く食い続けてやっと消費できる金額だ。
それは、笑うしかないくらい、平民には想像もつかないゼロをもった数だった。

だから、私はイナバ君の奥さんのことを密かに「かけそば20万年の女」と呼んでいた。
でも、イナバ君は変わらずに「アホ」だし、奥さんも「ネジの外れた人」ですけどね。


チャーシュー・デブ改めリブロース・デブのスガ君もゼロの数の多い男だ(スペアリブ・デブにしようと思ったが、言いにくいので変えた)。

彼は、静岡で営んでいたラーメン屋を4年半で畳み、その後離婚するというどん底を数年味わったあと、デブ一家の娘と再婚した。
このデブ一家の娘の父親が、静岡で駐車場やカラオケ店、レストラン、レンタル倉庫を多角経営する事業家だったのである。

その父親に気に入られたスガ君は、義父が死ぬ前に後継者の座に指名されて、いまデブ社長として危なげのない経営者に成長していた。
175センチ、110キロのナイスバディは、社長としては貫禄十分。
今年は東京にも事務所を構える予定で、何かよからぬことを考えているらしい。


京橋のウチダ氏は、8年前に、勤めていた会社が倒産するという悲劇に見舞われた。
だが、ここで「内助の功」が発揮されることになる。

ウチダ氏と結婚する前の奥さんは、証券会社に勤めていた。
そして、結婚と同時に退社したのだが、そのときから株を始めた。

そのあと、思いがけず株取引に才能を発揮した奥さんは、少なからぬ利益を出した。
その利益を元にして、ウチダ氏は東京京橋で会社を立ち上げ、いま順調な実業家人生を歩んでいた。


極道コピーライターのススキダは、どこにでもいるゴキブリだと思っていたが、素性のいいゴキブリだった。

彼の父親は、普通のサラリーマンだったが、どういうマジックを使ったのか、新宿歌舞伎町にビルを1棟所有していた。
それをススキダの兄貴が管理していたのだが、去年その兄貴が死んだので、管理をススキダが受け継ぐことになった。

ゴキブリが、鼻の穴を極限まで膨らませて言った。
「テナント料って、思っていた以上にウマイもんだな」

ただ、このゴキブリの偉いところは、経費を引いた後の儲けの一部をボランティアなどに使っているところだ。
こんなふうに、身の程を知っているゴキブリは、世界にも数匹しかいないであろう。


長い付き合いになる友人の尾崎は、高偏差値の高校を1か月足らずで退学してから、みずから「はぐれもの」の人生を選んだ。
犯罪になる寸前のことを繰り返し、10年近く地下に潜っていた。

彼が24歳のとき、叔母が病気で倒れた。
化粧品店と雑貨店を経営していた叔母だった。

その叔母には、夫も子どももいなかった。
その叔母が病床で、世間の裏通りばかりを歩いていた尾崎を呼んで、思いがけず「あんたがあたしの跡を継ぐんだよ」と命令したのだ。

一方的な命令には、いつもなら反発するはずの尾崎が、叔母の鬼気迫る姿を見て、即座にうなずいたのだと言う。

尾崎は、コスメショップとファンシーショップを24歳で受け継いだ。
そして、そのころ尾崎と私は新潟・長岡駅の待合室で運命的な出会いをするのだ。

そのことは何回か書いているので、ここでは繰り返さない。

それからの尾崎は、仕事を真面目にこなし、ほかに金管楽器専門の店を開いた。
その店は残念ながら10年ほどで閉めてしまったが、そのあと開いた洋酒の輸入販売店やスタンドバーは、今も順調に客を増やしているようだ。

つまり、羨ましいことに、尾崎も「ゼロからの男」ではない。


だが私の始まりは、まったくのゼロだった。

まず結婚が、今では死語になった「駆け落ち」だったのである。
その経緯は、宗教がからむデリケートなものなので詳しくは述べない。

住む家がない。
家具がない。
電化製品がない。

ただ、仕事だけがあった。

家を探し、家具や電化製品を少しずつ増やしていって、まともな生活ができるまで1年近い時がかかった。
そして、人並みの生活ができるようになって、「子どもが」と思うまで5年以上の月日を要した。

子どもが2人プラスされて、家族は「プラス」になったが、私の立場は「ゼロ」のままだった。

ヨメは、ある宗教を信心していたことで、「プラスの生活」を続けていた。
そして、子どもたちは、学校での生活の中で喜びを見つけ、「プラスの生活」を楽しんでいた。

ただひとり私だけが、自分の能力に疑問を感じながら、「ゼロ」の生活をいまも続けていた。


結婚する前の俺と結婚したあとの俺、子どもができたあとの俺は、何も変わっていない。
「ゼロ」から増えたものが何もない。

どうやったら、「ゼロ」以外の数字を俺は積み重ねることができる?


最近の私は、そんな「マイナス」のことを考えることが、24時間のうち33秒程度ある。

その33秒は、一瞬で忘れてしまう時間だが、いつの日かそれが10分になり23時間になったら、私は狂ってしまうかもしれない。
ただ、33秒のままで終わる自信が私にはあるので、それほどは気にしていないが。
(それに、この程度で『ゼロ』などと気取ったら、震災ですべてを失った悲劇から比べたら、比べるのも恥ずかしいレベルだと呆れられるだろう)


そんないびつな「ゼロの男」は、昨年の1月から、杉並の建設会社社長から、魅力的なオファーを受けていた。

「俺のところの専属にならないか。今の仕事の他に、やってもらうことはたくさんある。社内規則で定年はあるが、そんなものはどうにでもなる。あんたがくたばるまで俺は面倒を見るぜ」

年俸なども具体的な額を提示していただいた。
契約書もすでに作ってあった。

身に余る光栄、とはこのことだ。

今年の年始の挨拶のときも、「そろそろ、決心してくれねえかな」と両手で肩を叩かれた。

かなり、買いかぶってませんか、と聞いたら、「会社を立ち上げてから、20年だぜ。そのうち、あんたを4年以上見ているんだ。4年も見れば、そいつの能力はわかる。買いかぶってなんかいねえ。俺は、馬鹿じゃねえんだ」と怒られた。

そして、「やることは山ほどあるが、その中で俺たちにできない仕事は、いまは外部に出してるんだ。それが社内でできれば、効率が良くなる。あんたには、それができると俺は踏んでいるんだがな」とも言われた。

「俺のところは、業績はゼロじゃないが、設計以外のデジタルに関してはゼロに近いアナログ会社だから、ゼロをもっと増やしたいんだよな」

でも、俺は筋金入りのゼロですよ。

私がそう言ったら、顔デカ社長に、「ゼロが2つ付いたら100になるだろ。お互いゼロで終わるには悔しい年じゃねえのか。ゼロを増やすことを考えてみないか」と、でかい顔を近づけて言われた。

近すぎまする。
お代官様。


「ゼロの男」と「ゼロの会社」がくっついたら、本当に100になるのか。

試してみたい気もするが、所詮ゼロはゼロなんだよなぁ、と私は半信半疑だ。


決心がつくように、正月にススキダからもらった伊豆の土産「ほら貝」を頭にかぶって、「貝かぶり」踊りを仕事場で踊っていたら、それを見た大学2年の娘に、「おまえ、とうとうタチの悪い宗教にはまったのか。親子の縁を切ろうか」と言われた。


親子の縁を切られたら困るので、しばらくは貝をかぶるのはやめて、「ゼロの男」でいようか、と決心した。


ただ、この「貝かぶり踊り」をYouTubeにアップしたら、それなりの再生回数を得られるのではないか、というゲスなことも考えた。



それは、顔デカ社長の専属になるより、かなり魅力的なことだと私には思えた。



2016/01/16 AM 06:33:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

年始のあいさつは「うまい棒」でスベった
世の中は狭い。

日本の陸地面積は、約38万平方キロ。
日本人ひとりあたりで占める面積は、約3000平方メートルだ。
つまり、ひとりあたりの所有面積は約55メートル四方という狭さになる(テニスコート8面ほど)。

だから、新年の挨拶に行った新宿御苑の編集企画会社で、私が京橋のウチダ氏と顔を合わせたからといって、それが特別珍しいことだとは言えない。

御苑の会社のドアを抜けたすぐのところに、ロビーがあった。
そこのソファに、ウチダ氏の姿があったのだ。

私はかつて南青山のパスタ屋さんで、生前の夏目雅子様が行列に並んでいる場面に遭遇して、その美しさに雷に打たれたように全身が痺れて失神しそうになったことがある。

人生は、そんな幸運がゴロゴロと転がっているのである。
世間は異常なほど狭いのだから、何でもありだ。
だから、ウチダ氏が目の前にいたって、なんの不思議もない。

ウチダ氏は、東京駅に近い京橋でイベント企画会社を一人で運営していた。

やり手でイケメン。
私より5歳下だが、能力の優劣に年は関係ないから、私はイケメンのウチダ氏を尊敬していた。

ただ、ウチダ氏は、私と大学が同じだということを10年以上隠していた前科があった。
そして、今回、得意先がかぶっていることに関しても、ウチダ氏は私に告げたことがなかった。

な、な、な、なんでやねん! くらいは、言ってもバチは当たらないと思う。

「だって、そんなことMさんに教えたって、何のメリットもないじゃないですか」

まあ、確かにそれはそうですけど・・・・・・。

ローソンで買った唐揚げの衣が一部分はげていたような妙な居心地の悪さを感じはしたが、納得してウチダ氏の前のソファに腰を下ろした。
そのとき、ロビーに渋谷社長がやってきた。

あけまして、と言いながら後ろを見たら、(わけあって新宿御苑の会社で預かり中の)おバカなフクシマさんが、一番搾りを右手に高く掲げて、「Mさ〜ん、今年もよろろろぴく!」と言いながら近づいてきた。

私とフクシマさんの間では、年始の訪問で一番搾りを飲むのが恒例行事になっていたのである。

渋谷社長の前だったが、遠慮なくいただいた。

そして、9分ほど、フクシマさんとおバカMAXの掛け合い漫才を繰り広げた。
その内容の下らなさは、渋谷社長とウチダ氏が、マーライオンのように口を開けっぱなしだったことで想像できると思う。

ただ、その内容は絶対に書かない。
ここまで私が積み重ねてきた美しいものが、音を立てて崩れ落ちるのが確実だからだ。

「もう満足しましたか?」とウチダ氏に聞かれたので、満腹でござる、と答えた。
「じゃあ、車で武蔵野市まで送っていきますよ」とウチダ氏が提案してくれたので、渋谷社長とフクシマさんにバイバイをした。

最後に、アイラブユー・フクシマ、と投げキッスをしたら、フクシマさんは本気でよけやがった。

それを見ていたウチダ氏に、「俺のまわりには、そんなことをする大人は一人もいませんよ。Mさん、大丈夫ですか」と真顔で心配された。

ウチダさん。
大丈夫なわけないじゃないですか。
毎日、俺は崖っぷちを歩いているようなもんですよ。

「崖っぷちにしては楽しそうですけどね」

まあ、崖っぷちのテーマパークといいますか・・・・・。

プリウスの助手席に乗せていただいて、私は気づいた。
そういえば、昨年はウチダ氏と一回しか会っていなかった。

今まで、そんなことはなかった。
年に1.9回程度は会っていたと思う。

そんなに会わなかったのは、1868年7月4日、官軍の司令官・大村益次郎が江戸上野で彰義隊を潰走させて以来かもしれない。
唐突だが、幕末つながりで言わせてもらうと、幕末に存在感を示した幕軍の剣士に土方歳三氏がいる。

幕末の登場人物の中で、イケメンは誰かと聞かれて、真っ先に浮かぶのがこの「ヒジカタトシゾウ」だ。
現存する写真に間違いがなければ、このイケメンにウチダ氏が51パーセント似ているのである。

土方歳三氏から「ヒジ」と「カタ」を取ったら、間違いなくウチダ氏になる、と私は常々思っていた。

1869年6月20日、函館五稜郭にて、人としての尊厳を存分に誇示して34年の生涯を閉じた土方歳三氏が、現代に舞い降りた姿がウチダ氏なのではないか、と私は勝手に思っていた。
(興味ある方は、司馬遼太郎先生の『燃えよ剣』か、佐々木譲先生の『武揚伝』の後半を読んでください)

実に夢のある話ではないか。

そんな私の妄想をウチダ氏は、「全然おもしろくないですねえ」と一刀両断した。
うろたえた私は、昨年の私の誕生日に、ウチダ氏が送ってくれた誕生日プレゼントのお礼を厳かに言った。

ありがとうございます。新撰組・副長殿!

「Mさん、ここで降りてもらいましょうか?」

すみません。
反省しております。

ところで、ウチダ氏からのプレゼントは何だったのか。
それは私が数年前から、四方八方に顔の広いウチダ氏におねだりしていた柴咲コウ様のサインだった。

ウチダ氏は、いくつものフォースを持っているが、今回はそのどれかを使って手に入れてくれたようだ。
そのほかに、卓上カレンダーもいただいた。

わたくしどもの2番目の家宝にいたしたいと思います。

「ああ、一番ではないんですね」

柴咲コウ様には、たいへん申し訳ないが、「不動の一位」というのが私にはあるのです。

「何ですか。相当なお宝とか?」

俺の話を聞いて、泣かないと約束したら話してあげようではないか、後輩くん。

「俺が、Mさんの話を聞いて泣くわけないじゃないですか。ありえないですよ」


気恥ずかしいが、俺の初恋の話を聞いてくれ。

小学校4、5、6年次に同級だったイワイさんという女の子の話だ。

イワイさんは、体が弱かった。
調子のいいときは松葉杖で登校したが、悪いときは車椅子で来た。
そして、本当に具合の悪いときは、学校を休んだ。

イワイさんは、とても頭のいい子だった。
明るい子だった。
そして、絵がありえないくらい上手かった。

私の走る姿をよく書いてくれたが、10歳の子が描いたとは思えないほど、躍動感が際立っていた。
そのイワイさんが、私にこう言ってくれたことがあった。
「マツは、走っている姿が一番カッコいいよね」

そして、こうも言った。
「毎日学校に来られたら、楽しいのにね。走れたら、もっと楽しいのにね」

6年生の1学期、5月のことだった。
イワイさんが入院した。

クラスを代表して、病院にお見舞いに行った私は、そこで目を疑うほどやつれたイワイさんの姿を見た。
だが、そんなにやつれていても、イワイさんは笑顔で、「早くマツの走る姿を見たいよな」と言うのだ。

帰り道、目黒川の橋の下に打ち捨てられた自転車を私は足先の感覚がなくなるまで蹴った。
そして、叫んだ。
叫び続けた。

凶暴な衝動を抑えることができなかったのだ。


そのあと、イワイさんの席は、ずっと無人だった。

1学期が終わろうとする7月半ば、朝の校庭で、担任にイワイさんが死んだことを告げられた。

足元から血の気が引き、地面とまわりの景色が崩れていく感覚を私はそのとき初めて味わった。

朝の校庭に、私は闇を見ていた。
ひとりの少女の命を奪った「理不尽な闇」だ。

イワイさんの葬儀の間、私はその闇をずっと身に纏っていた。
ただ、絶対に泣かない、ということだけは心に決めていた。

泣いたら、イワイさんの死が現実になると思っていたからだ。
泣いたら、死んだことを認めることになる。

そんな風に理屈に合わない思いが、かろうじて私を支えていた。

現実から逃げ続ける私に、1学期が終わった次の日、担任がわざわざ我が家にやってきて一枚の原稿用紙をくれた。

「おまえがこれを背負うのは、重すぎるかもしれないけど、でもこれはおまえが持つべきものだと僕は思う。イワイさんのご両親もその方がいいと言っている」

それは、イワイさんが5年のときに書いた作文だった。

そこには、このようなことが書かれていた。

「普通の人と同じように歩きたい。走りたい。毎日学校に行きたい。
今はダメでもいつか友だちと同じような学校生活を送りたい。

私はもう何年走っていないのだろう。
でも、走り方を忘れたことはない。
Mくんの走る姿を毎日見ているから、絶対に忘れることはない。

私が走れるようになるまで、Mくんが私の代わりに走ってくれているのだと私は勝手に思いながら、学校でMくんの走る姿を見ている。
いつか絶対にMくんのあとを走ってみたい」

それを読んだとき、私は休んではいけないんだと思った。
学校に行きたくても行けない子がいる。
だから、私は高熱があっても学校に行ったし、尊敬する祖母の葬式のときも学校を休まなかった。

そして、イワイさんの代わりに走り続けようと思った。
中学、高校、大学で陸上部に入ったのは、そのためだ。
いまランニングを続けているのも同じ理由からだ。


ウチダさん。
俺には、走るためのモチベーションなんかいらないんだよ。

俺は走らなきゃいけないし、休んじゃいけないんだ。
俺は、彼女の作文を読んだときから、そう決めたんだ。

だから、その作文が俺にとっての「永遠の一番」なんだよ。


私がそう言ったとき、車がゆっくりと止まった。

どうした?



「いや・・・・・ちょっと」

ウチダさん、もしかして、泣いているのかい?

「いや・・・・・ちょっと」


こんなズンドコ男の話で泣くなんて、ウチダさん、あんた・・・・・いいやつだな。


しかし、イケメンでいいやつだなんて・・・。

それって、まさに「鬼にうまい棒」じゃないか。




(スベった・・・・・・・・・かもしれない)




2016/01/09 AM 06:29:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

ジンダイな新年
あけまして おめでとうございます

新年から草野球というお話。

アホのイナバから「メンバーが帰省で足りなくなったので、助っ人をお願い」というメールが2016年1月1日午後5時15分に来た。

イナバ君は、自分では野球をしないしルールもわからないくせに、草野球チームを持っているのである。
しかし、なぜわざわざ1月2日に草野球をするかねぇ。
誰も止めるやつはいなかったのか。

アホの友だちは皆アホということか。

断ろうと思ったが、イナバ君には何かとお世話になっているので、「やぶさかでない」と返信した。

「え? ヤブサカ? 安心してください。野球は坂ではやらないですよ。球が転がってやりにくいし」

イナバ君は、今年も楽しいアホです。

1月2日。
丁度、極道コピーライターのススキダ夫妻が恒例の年始の挨拶に来たので、エスティマで相模原のグラウンドまで連れて行ったもらった。

「新年からなんで草野球なんだ?」とススキダに凄まれた。

新年だから、草野球なんだ。
大晦日の夜に、除夜の鐘を聞きながらやるよりはいいだろ。

「まあ、おまえの友だちのやることだからな」

珍しく、物分りが早いな。

それからは、相模原のグラウンドまでススキダは無言だった。
ススキダの奥さんと私は、車内漫才を繰り広げた。

ただ、二人とも「ボケ担当」だったから、グダグダだったが。


グラウンドに到着して、ススキダをアホのイナバに紹介したとき、イナバ君がわかりやすいリアクションをした(2回目なのに)。

「ゲッ!」

目が怯えていた。
唇が震えていた。
口をパクパクさせながら後ずさりをした。

ただ怯えてはいても失禁しなかったことだけは褒めてもいい。
私などは、ススキダが夢に出てきたときは、必ず失禁した。
イナバ君は強い男だと思う。

試合の話に戻るが、相手のチームは12人のメンバーを揃えていた。
しかし、(総監督のイナバ君を除いて)こちらは8人しかいない。

ススキダを入れると9人になる。
だから、アホのイナバが、「あののののの・・・・・すけけけけっとをお願いしししっししっします」とススキダに頭を下げた。

ススキダには顔以外にも欠点がたくさんあったが、運動が全くダメという楽しい欠点もあった。
何をやらせても出来損ないの操り人形にしか見えないのである。
(ただ、クレー射撃の腕だけはゴルゴ13ばりだったが)

スポーツのルールには詳しいが、実践は全くダメという人は多い。
ススキダは、その典型だ。

「だから、断る」とススキダが凄んだ。

だが、アホのイナバが、本当に泣いて頼んだものだから、根が優しいススキダは「レフトで立ちっぱなし、打席でも立ちっぱなしでバットを振らない」という条件で「88アベンジャーズ」のユニフォームを着る決心をした。

ほとんど勝ったことがないチームなのに、ユニフォームだけはご立派だった。
私が「提灯に釣り鐘」と笑ったら、イナバ君は「提灯を買って、つりがねえって、あんまりじゃないですか。おつりはチップってことですか」と金持ちにしてはミミッチイことを言った。

これ以上相手をすると疲れるので、さっさと試合しようぜ、とイナバ君のケツを叩いた。
「え? でも事前に練習したほうが・・・」と抵抗の姿勢を見せたイナバ君だったが、練習して上手くなるレベルなのか、と私が言ったら、目を覚ましたように、「13連敗中だから、いいかあっ!」と総監督用のジャンバーを羽織った。

私は、1番センター。
ススキダが9番。立ちっぱなしのレフトだ。

途中経過を説明するのが面倒くさいので、「7対24」で負けた結果だけをお知らせします。

本当にススキダはレフトから動かなかった。
6回球が飛んできたが、棒立ちだった。
私がススキダの後方ですべての球の処理をした。
ススキダは4回打席に立ったが、変な持ち方でバットを構えただけだった。

負けて当たり前だった。

それにイナバ君のチームは、ほとんどが中学・高校時代に野球を経験したメンバーだとは言うが、平均年齢は44歳である。
足が遅い、肩が弱い、パワーがない、の三大弱点を見事にさらけ出したものだから、勝てるわけがない。

私は5打数1安打。
ほとんどバットに球が当たらなかった。
球に嫌われていたのだと思う。
(負け惜しみではあるが、球が遅すぎて待ちきれなかったということもある)

ただ、唯一のヒットがランニングホームランだった。
ホームベースを通り過ぎたとき、全身から血の気が引いたが、見栄っ張りの私は目の前が真っ暗になりながらも、両手でガッツポーズを作った。

作ったつもりだったが、ススキダから「おまえ、あれは何のポーズだ。腕が全然上がっていなかったぞ。五郎丸の真似をしたつもりか」と笑われた。
いや、薬師丸の真似だ、か・い・か・ん、と私が言ったら、「つまんねえな」と鼻くそをほじりやがった。

そして、「野球なんてもうどうでもいい。箱根駅伝はどうなったんだ?」と聞いた。

「ああ、そう言えば、うちの奥さんと子どもたちは年末から箱根でした。実は俺も今日、箱根から来たんですけどね」
アホのイナバが、箱根の方向を指差しながら間延びした声で言った。
(反感を買うかもしれないが、昨年イナバ家は3軒目の別荘を噴火騒動で大変だった箱根で買ったのだ)

それを聞いて、「箱根まで行ったのに、生で駅伝を見ずに草野球ですか?」とススキダがイナバ君に迫った。

「いえ、それは・・・・・」と震えながら逃げるアホのイナバ。
面白いコントだった。

そのあと、グラウンドの横の原っぱでバーベキューをした。
「バーベキュー奉行」のススキダが、初対面の草野球2チームを恐怖で支配した。

自分ひとりが、この場で浮いていることにススキダは気づいていなかったようだが、参加者全員の口数が極端に少なかったことが、それを物語っていた。
ただ、ススキダの奥さんが、その空気を笑顔で吹き飛ばしたことで、ススキダは完全な極悪人にならずに済んだ。

ススキダは、99パーセント奥さんに助けられている、と羨ましくなった。

全員が肉と格闘しているとき、ススキダがスマートフォンを見ながら「ジンダイは15位かあ! 微妙だなぁ!」と叫んだ。

ジンダイが15位?

それは、叫ぶほどの大きなニュースなのか?

しかし、そのススキダの叫びに反応したのが二人いたのだ。
「えー! ススキダさんもジンダイなんですかぁ! 俺もですよ!」
「俺もぉ!」

「おお、何年の卒業だ?」と気持ち悪いくらい嬉しそうなススキダ。

「92年です」

「そうか、俺は81だ」

「うわぁ! 大先輩じゃないですか。先輩、飲みましょうよ」

「いや、俺は酒がダメなんだ」

それを聞いて、おまえは、酒の他にもダメなものはたくさんあるだろうが、と私は心の中で罵った。

しかし、3人は大盛り上がりである。
その姿の鬱陶しいこと、鬱陶しいこと。

で、「ジンダイ」って何だよ?

すると、バーベキューと格闘していたアホのイナバが、それに反応した。
「ジンダイって、『ひどい』とか『やばい』とかいう意味じゃないですか。ほら、ジンダイな被害とか言うし」と、アホにしては珍しくまともなことを言った。

つまり・・・・・ススキダは、ひどくてヤバイってことか。
そんなこと俺は10年以上前から気づいていたが。

そんな私のつぶやきに反応して、ススキダの奥さんが、「私は25年前から気づいていましたけど」と自分の顔を指差した。

ススキダの奥さんとハイファイブ(ハイタッチとも言う)をした。
アホのイナバもどさくさに紛れて、奥さんとハイファイブをした。

3人で大笑い。


思いがけず、楽しいお正月を過ごした。


言い忘れましたが 今年も よろしく お願いします




で、ジンダイって・・・・・・何?



2016/01/04 AM 06:29:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]



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