Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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支配する側とされる側
今年、後悔したことはたくさんある。

世界の恒常的な平和が叶わなかった。
イスラムステイトを平和な集団にすることができなかった。
中国による南シナ海の横暴な支配を防げなかった。

フランスの同時多発テロ、タイの連続爆破テロを防げなかった。
中国が開催した戦勝者の論理による「抗日戦争、反ファシズム戦争勝利70年」を、他の第2次世界大戦勝者たちは無批判に見守っていただけだった。

中東からの欧州への難民避難を他人事として見るだけだった。
アメリカが正義の名のもとに、罪のない「国境なき医師団」を誤爆して多くの犠牲者を出した。
イギリスのキャメロン首相が、中国マネーの圧力に負けて、中国の軍門に下る決断をした。
台湾総統が、中国と接近し、独自の国家としてのプライドを捨てた。

公約のインフレ率2パーセントを達成できなかったのに、日銀総裁は「予定通り」と言った。
達成できないのを予定通りというなら、目標を掲げるべきではない、と平民である私は思った。

安全保障関連法案が可決されて、公明党が「平和の党」の看板を下ろし、戦争待機の政党に変化した。
大阪都構想が実現できなかった。

「一億総活躍社会」という意味のわからない日本語を政府が勝手に使い始めた。
かつて公的資金をタップリもらったみずほ銀行が、預金者の金を自民党に献金する方針を固めた。

自公政府が株価を上げることを優先したことで、金が上場企業にだけ吸い上げられ、20パーセントを超える若者の貧困層を見殺しにする結果になった。
底の浅い科学者や政治家たちが、大きな災害を人災を含めて全て「エルニーニョ現象」のせいにした。

2020年の東京オリンピックのエンブレムが、パクリだと袋叩きにあってボツになった。

しかし、あの程度の類似は、世界を見渡したら数知れずあるはずだ。
対象物を「トレースする」のと「参考にする」の意味は、180度違うと私は思っている。

トレースしたのならパクリだが、参考にしたのなら、ただ類似しただけだ。
日本はいつから「類似」さえも許さない潔癖症の社会になったのだろう。

新国立競技場のデザイン変更も茶番だったが、エンブレムの取り消しは、開催国として腰が座っていない茶番だった。

ここでまた話は脱線。

今年の春。
新宿でコンサルタント会社を経営する大学時代の友人・オオクボとこんな話をした。

権力者が、どんなに力を誇示して人を支配したとしても、彼らにも絶対に支配できないものがある。

「なんだ、それは?」

自分の内臓だよ。
ジンギスカン、ナポレオン、ヒトラーは多くの人民を支配した。

だが、人民を殺人兵器で支配したり、自分の手や足、目、頭脳は思い通りに動かせたとしても、自分の心臓、胃、肝臓、腎臓などは思い通りに動かせない。
内臓のどれか一つでも死んだら、彼らも死ぬのだ。

その生理的メカニズムは、支配者も人民も等しく同じだ。

つまり、権力者がどれほど力を誇示したとしても、人としての出口は我々と同じなんだ。
支配者は、我々を殺人兵器で殺すが、彼らは自分の内臓に殺されるんだ。

そう考えたら、権力者なんて大したことないだろ?

私が得意げにそう言ったら、「ちょっと待て。その話はなにかの本で読んだことがあるぞ。コラムだったか、小説だったかは忘れたが、同じような文章を俺は読んだことがある。おまえ、それって、パクリじゃないのか」と、オオクボが私よりさらに得意げに問い詰めたのである。

しかし、考えてみて欲しい。
いま、地球上には72億人以上の人が暮らしている。
そのなかで、同じ考えを持つひとは、いくらでもいるだろう。

いや、むしろ、いないほうがおかしい。
かつてコペルニクスが地動説を唱えたとき、同じように思っていた人は必ずいたはずだ。
ニュートンが万有引力を発見したときだって、同じことを思っていた人はいたと思う。

世の中には、そんな偶然はいくらでもある。
我々人類の思考能力や想像力は、天才と凡人で数パーセントしか違わないという説もある。

俺が考えたことが、人の意見と同じになる確率だって、数パーセントはあるだろう。
俺の今言ったことは、決してパクリではない。
俺の頭脳から湧き出てきた独自の理論だ。

しかし、オオクボは、私のそんな説明に聞く耳を持たず、「パクリだ、パクリだ」と言い募るのである。

おまえ、そんな固い頭で、よくコンサルタントなんか、やっていられるな。
そんなことで、顧客の重要な課題を解決できるのか。

だが、オオクボは私の忠告を鼻で笑うように、顔を赤くして非難するのだ。
「そうやって、俺の方に問題点をふるなよ。おまえ、パクったんだろ? パクッたって認めろよ!」

パクリと決め付けたら、頭の固い人間は、その考えを自ら捨てることはない。
つまり、「冤罪」とは、このようなシステムで人の身に降りかかるらしい。

エンブレムに関しては、誰がパクリだと断定したのか、その経緯が私にはよくわからない。
だが、少なくとも私の感覚では、あれは「露骨に類似している」わけでもなく、トレースしたわけでもないように思われる。
(トートバッグの件は、一部は完全なトレースだったが、それとエンブレムを関連付けるのは根拠として乏しい)

不特定多数の潔癖症の「けしからん」が、ルックス的に謙虚に見えないデザイナーに、無理やり頭を下げさせた、と私は今でも思っている。


話が大きく脱線したことをお詫びいたします。

このように、私の話が脱線することを私が抑えきれなかったことも、今年後悔したことの一つだ。


そして、個人的には、成人した娘に晴れ着を買うことができなかった自分の不甲斐なさを一番後悔している。


次に後悔していることは、庭のダンボールに住み着いたセキトリという名の野良猫への仕打ちだ。
1週間前の朝、カニカマを細かくほぐして、それを雑炊風に柔らかく煮込んだメシに乗せて出したときのことだ。
普段なら、喜んで食いつくはずのセキトリが、一歩も動かずに固まってしまったのである。

どうしたんだろう?
食欲がないということは、具合でも悪いのだろうか?
病院に連れて行ったほうがいいかも・・・・・と私は心配した。

しかし、私はそのあとすぐに気づいたのだ。
私のサンダルの足が、セキトリの尻尾を踏んでいたことを。

しかし、セキトリは鳴き声をあげることもなく、私を避難がましい目で見るわけでもなく、我慢していたのである。

私は、セキトリを支配しているわけではない。
私とセキトリは、友だちだ。

しかし、セキトリは、食事を貰う自分の立場をわきまえて、私に抗議しなかった。
その姿を見て、これでは、まるで支配する側と支配される側の構図ではないか、と私は気づいた。

セキトリ、ごめんな、と何度も謝ったが、セキトリが私を許してくれたかどうかの自信が私にはない。

この件に関しては、後悔したまま、年を越しそうな気がする。


皆さま方には、こんな後悔をしない一年を過ごしていただきたいと思います。



それでは みなさま  よい お年を



2015/12/31 AM 06:27:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]



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