Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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こおでぃねいと
11月下旬に「前撮り」をした。

「前撮り」というのは、何か。
成人式や結婚式、七五三などの記念に、あらかじめ写真を撮っておくことらしい。

今年そのことを初めて知った私は、ほとんどパニックになりながら、写真屋さんに娘の「成人式用前撮り」の予約交渉をした。

「着物は持ち込みですか」と聞かれて、あ、あ、あのー、持ってないんです、と答えたときのちょっとした惨めさ。

娘の晴れ舞台に、晴れ着を買ってやれない自分の不甲斐なさに、涙が出そうになった。
実際、娘がヘアメイクをし、着付けをしている間、私は涙をこらえるのに必死で、かなり怖い顔をしていたと思う。

「ハキハキとした、いいお嬢さんですね」と、愛想笑いしながら近づいて来た受付の女性が、私の顔を見て固まったほど、私は極悪人の顔をしていたようだ。

もちろん、娘が二十歳になったのはたいへん嬉しいことだ。
だが、娘が自分の力で、これほど成長してくれたのに、何もできない親なんている価値があるのか、と私は後ろ向きに懺悔したのである。

私のヨメは、成人式に百三十万円もする晴れ着を親から買っていただいたそうだ。
それに比べて俺は・・・・・と思うと、紙で作ったハンマーで自分の頭を叩きたくなった。

その百三十万の晴れ着がまだ残っていたら、と都合のいいことを考えたこともあったが、6年前にヨメの母親がヨメに断りもなく、その晴れ着を人にあげるという楽しい出来事があったので、それは最初から除外した。


前撮りをするにあたって、娘からは、「ボクは着物は着たくないし、写真も撮りたくない。できれば成人式も出たくない」と言われていた。
おそらくビンボーな父親に気を使ってくれたのだと思う。

だが、それでは親として「なんだかな〜」と思った私は、余命1万光年のガイコツの頼みを聞いて、写真だけは記念に撮らせてくだされ、と土下座して頼んだ。

そのガイコツの土下座が娘の心を動かして「そうか、余命が1万光年しかないのか、それはデンジャラスだな」と言って、娘は渋々承知してくれたのである。

綺麗にヘアメイクをしてもらって、レンタルの着物を着た娘は、とても美しかった。

「おまえ、泣いているのか」と娘が言ったのに対して、ナイトール、ナチブー、という意味不明なガイコツの答えに、写真館のスタッフ全員が笑った。
ただ、顔は引きつっていたように見えたが・・・・・。

ひとつのイベントが終わるたびに、私の寿命は千光年ほど短くなる。

ただ、今年25歳の息子が二十歳になったときは、イベントをしなかったので寿命は短くならなかった。
息子が「成人式には出たくないし、写真も撮らない、スーツもいらない」と拒絶したからだ。
このときもビンボーな父親に気を使ってくれたようだ。

「そんなことをするのなら、お金をもらったほうがよい」

彼の望み通り、金で解決した。

彼はその金のうちの半分は貯金し、半分で中古のブランド品を買いあさった。
おしゃれ好きな息子は、親バカ目線だが、センスがいい。
古着を上手に着こなす才能は、ヨメ譲りと言っていい。

ヨメは、私と結婚する前は、給料の半分以上をブランド品の購入に使った。
私と結婚してからは贅沢ができなくなったが、ノーブランドでもそれなりに着こなしているから、ヨメもセンスはいいのだと思う。

ただ、私には「オシャレの概念」が欠片もないから、私が言っても説得力はないかもしれない。

「暖簾に腕押し」「豆腐に鎹(かすがい)」「糠に釘」「ガイコツにレントゲン」ということわざにもあるように、私にファッションのことを言っても何の反応も手応えもない、とまわりから褒め称えられているのだから。

小学生のころは、ほぼ毎日同じ服を着ていた。
2週間3週間は、当たり前。
場合によっては、1ヶ月同じ服を着ていた記憶もある。

同じ服ばかりだから、肘や膝が擦り切れて穴があく。
それを世界で2番目に不器用な私が、針仕事をしてツギを当てるのである。
その作品は、いま思い返してみても笑えるくらい不格好なものだった。

当時のM家は、母親がフルタイムで働いていたから、子どもの服にまで構っている余裕がなかった。
祖母がいたが、祖母は優秀な教育者の経歴を持っていたこともあって、孫に対して干渉がましいことは絶対にしなかったし言わなかった。

肘や膝にツギを当てる孫の姿を何も言わずに見ていただけだった。
そして、ツギをあて終わると、どんなに不細工でも「上手だね」「よくできたね」と褒めてくれたのである。

どう見ても褒められる出来栄えではなかったが、褒められて嬉しくない子どもはいない。
だから、単純に喜んで、ツギハギだらけの洋服を着て学校に行った。

いまの時代だったら、そんな格好の子どもはイジメの対象になったかもしれない。
だが私は、全身から「なめんなよ! おまえら!」オーラを出していたので、同級生たちは私のことを放っておいてくれた。
(服を洗っていなかったから、臭くて近寄れなかったということもあるが)

中学時代は、ボロボロのトレーニングウェアと所々穴のあいたシューズで陸上の練習をした。
たいへん風通しが良くて気持ちよかったが、風の抵抗が強かったので、ボロボロでなければ、もう少しいいタイムを出せたかもしれない。

陸上部の連中は、私の機嫌を損ねるとリレーで負けるというのがわかっていたから、見て見ぬふりをしてくれた。

いまとなれば、それは楽しい思い出だ。


昔から今に至るまで、私は外出のときは、ヨメが用意してくれた服をそのまま着て出かけている。
そのことに関して、私は31年間文句を言ったことがない。

私の頭には、服はああでもない、こおでぃねえと、と考える機能がついていないので、この方式は大変ありがたい。
こんなに楽なことはない。

そんなことを言ったら、「Mさんは、背が高いしスリムだから、何を着ても似合うんじゃないですかね」と、至近距離で私を鼻息荒くけなすやつがいた。

人類史上最も馬に激似の「お馬さん」である。
ここに来てやっと登場した「お馬さん」だ。

そんなお馬さんに、私はお馬さんの股間を指差しながら言った。


でも、馬は穿いてないから楽だよね。安心だよね。


ヒヒン?

今回、お馬さんの出番は、ここだけでした。



南無阿弥陀仏 南無妙法蓮華経 アーメン God Bless You



馬の耳に念仏



ガイコツの右耳はお陀仏



最後に

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2015/12/19 AM 06:35:04 | Comment(1) | TrackBack(0) | [子育て]



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