Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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長男と次男
91歳を超えても、母は元気である。

もっと認知症が進むかと思ったが、家族が近くにいることが母の脳にいい刺激を与えているのか、思いのほか平穏な日常を過ごしていた。

そんな母の口からは、3年前に死んだ娘のことや2年前に死んだ夫のことが話題に上ることは一度もなかった。
仏壇の位牌は、母の両親のものだけだ。
娘や夫のものはない。

それを「死者に対して冷たすぎるだろ」と言う人はいるかもしれない。

しかし、母をずっと見てきた息子だからこそ、その感情は理解できた。
世の中には、思い出さなくてもいいことなど、たくさんある。

母にとって、娘と夫のことは、きっと思い出さなくてもいいことなのだ。
無理に思い出さなくても生きていける。

死者を弔う役目は、息子一人が負えばいい。
とは言っても、墓を建てただけで、墓前に自分の手で花を手向けたことは一度もないが。


私は最近よく思うのだ。

母が、もしも父と結婚せずに、娘や息子を産まなかったら、母はもっと幸せな人生を歩んでいたのではないかと。

大企業に勤めながら、家に帰ってこず、生活費を入れなかった身勝手な夫。
高校を卒業して、何も生産性のあることをせず、40年間家に引きこもった娘。

そして、いい大学を出してもらったのに、母の希望する仕事につかなかった出来損ないで、はみ出しものの息子。

働いて働いて、病気を抱えながら生きてきた母。
その結果、80歳を過ぎて3回も手術を受けるという、容赦のない現実が母を苦しめた。

私が唯一知っている、さだまさし氏の歌に、「無縁坂」というのがある。
その歌詞は、まるで母のことを歌ったのではないかと私はいつも思っている。


運がいいとか悪いとか 人はときどき口にするけど
そういうことって 確かにあると
あなたを見てて そう思う


母は運が悪い人だった。

仕事には恵まれたが、家族に恵まれなかった。


我がおんぼろアパートから自転車で数分のバリアフリーのワンルームマンションに住む母。

その母に、先日、こんなことを言われた。
「私は運がいいですよ。
だって、あんなにいろいろな病気に罹ったのに、90歳を過ぎても生きていられるんですもの」

違うだろう、と思ったが、反論はしなかった。

顔を上げて母の顔を見ることができなかった。

笑顔の中に浮かぶ深い皺。
それを見るのが怖かった。

しかし、母は話を続けるのだ。
「あなたが近くにいてくれてよかったですよ。
あなたがいなければ、私なにも出来ませんから。
世間知らず、ですからね」

それも違うだろう、と思った私は、なおさら顔を上げることができなかった。
自分が蟻以下の存在になった気がした。

そんなとき、友人の尾崎が、いきなりやってきた。

尾崎と私は一年以上会わないことがよくあったが、そんなときでも尾崎は私の母には会いに来てくれたのである。

尾崎は、私の母を「母ちゃん」とか「母ちゃん先生」と言って慕っていた。

10月8日の母の誕生日のときも来てくれたのに、また来てくれたのだ。
「母ちゃん先生、神代植物公園に行こうぜ」

私がいないときに、花好きな母と神代植物公園に行くことを約束したらしいのだ。

成功者の尾崎は車を2台所有していたが、私の母のために、そのうちの1台を車椅子を乗せられるように後部座席を改良していた。
植物園内は歩いたとしても、車内では車椅子の方が楽だと思ったのだろう。

「母ちゃん先生、車椅子に乗ろうか」
尾崎が母を抱きかかえて、車椅子に乗せた。

まるで出来のいい息子と母のようだった。

「あなたも来るでしょ」と、笑顔の母が私に聞いた。
顔の皺が輝いて見えた。

だから、目をそらした。

いや、尾崎がいれば安心だから、俺は・・・・・。

そう言ったら、尾崎が私を睨んだ。
「俺は母ちゃん先生の『次男』だ。
でもな、長男がいるから俺は次男なんだ。
親孝行は、息子二人でするもんじゃないのか」

母はよく尾崎に、「尾崎くんは、私の『次男くん』だからね」と言っていた。

それを母に言ってもらったときの尾崎はいつも嬉しそうだった。

母がなぜ、はぐれ者の尾崎を気に入ったのか。
そして、なぜ尾崎が母のことをこれほど慕うのか。

その理由はわからないが、尾崎は懸命に息子になりきろうとしているように思えた。
そして、母は間違いなく尾崎に、息子に対する感情を持っていた。


ありがとう。
声を出さずに、尾崎に頭を下げた。


母が神代植物公園に来るのは、初めてだったようだ。
それはそうだろう、と思った。

そんな安らぎの時間など持てなかっただろうから。

花を見る母の顔は、ずっと笑っていた。
苗を買い、鉢植えを買っているときも笑顔だった。

そして、園の外の蕎麦屋で九割蕎麦を3人で食ったときも、笑顔だった。

「こんな美味しいお蕎麦は初めてですよ」

普段は、胃がもたれる、と言って食べない天ぷらも食べていた。

「母ちゃん先生、もし胃が変になったら、俺が医者に連れて行くからな」
尾崎が、本当の息子に見えてきた。
寒いからと肩にストールをかける姿も、まるで実の親子だった。

「ごちそうさま」のあとで、母が言った。

「私は、本当に息子には恵まれましたよ。
あなたたちがいてくれて、本当に良かった。
私は幸せ者ですよ」


それは違うだろう、とまた思った。


顔を上げることができないでいる私の背を尾崎が叩いた。

「次男は長男のやることを見て育つもんだ。
だから、俺がしたことは全部おまえがしたことと同じだ。
おまえは、よくやっている。
そのことは母ちゃん先生もわかっている。
胸を張れよ」


30年前、母に尾崎を引き合わせたことだけが、私の唯一の親孝行かもしれない、と思った。


情けないことに、俺は「次男」に助けられっぱなしだ。


2015/12/05 AM 06:24:00 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]



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