Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
[TOP] [RSS] [すくすくBLOG]








支配する側とされる側
今年、後悔したことはたくさんある。

世界の恒常的な平和が叶わなかった。
イスラムステイトを平和な集団にすることができなかった。
中国による南シナ海の横暴な支配を防げなかった。

フランスの同時多発テロ、タイの連続爆破テロを防げなかった。
中国が開催した戦勝者の論理による「抗日戦争、反ファシズム戦争勝利70年」を、他の第2次世界大戦勝者たちは無批判に見守っていただけだった。

中東からの欧州への難民避難を他人事として見るだけだった。
アメリカが正義の名のもとに、罪のない「国境なき医師団」を誤爆して多くの犠牲者を出した。
イギリスのキャメロン首相が、中国マネーの圧力に負けて、中国の軍門に下る決断をした。
台湾総統が、中国と接近し、独自の国家としてのプライドを捨てた。

公約のインフレ率2パーセントを達成できなかったのに、日銀総裁は「予定通り」と言った。
達成できないのを予定通りというなら、目標を掲げるべきではない、と平民である私は思った。

安全保障関連法案が可決されて、公明党が「平和の党」の看板を下ろし、戦争待機の政党に変化した。
大阪都構想が実現できなかった。

「一億総活躍社会」という意味のわからない日本語を政府が勝手に使い始めた。
かつて公的資金をタップリもらったみずほ銀行が、預金者の金を自民党に献金する方針を固めた。

自公政府が株価を上げることを優先したことで、金が上場企業にだけ吸い上げられ、20パーセントを超える若者の貧困層を見殺しにする結果になった。
底の浅い科学者や政治家たちが、大きな災害を人災を含めて全て「エルニーニョ現象」のせいにした。

2020年の東京オリンピックのエンブレムが、パクリだと袋叩きにあってボツになった。

しかし、あの程度の類似は、世界を見渡したら数知れずあるはずだ。
対象物を「トレースする」のと「参考にする」の意味は、180度違うと私は思っている。

トレースしたのならパクリだが、参考にしたのなら、ただ類似しただけだ。
日本はいつから「類似」さえも許さない潔癖症の社会になったのだろう。

新国立競技場のデザイン変更も茶番だったが、エンブレムの取り消しは、開催国として腰が座っていない茶番だった。

ここでまた話は脱線。

今年の春。
新宿でコンサルタント会社を経営する大学時代の友人・オオクボとこんな話をした。

権力者が、どんなに力を誇示して人を支配したとしても、彼らにも絶対に支配できないものがある。

「なんだ、それは?」

自分の内臓だよ。
ジンギスカン、ナポレオン、ヒトラーは多くの人民を支配した。

だが、人民を殺人兵器で支配したり、自分の手や足、目、頭脳は思い通りに動かせたとしても、自分の心臓、胃、肝臓、腎臓などは思い通りに動かせない。
内臓のどれか一つでも死んだら、彼らも死ぬのだ。

その生理的メカニズムは、支配者も人民も等しく同じだ。

つまり、権力者がどれほど力を誇示したとしても、人としての出口は我々と同じなんだ。
支配者は、我々を殺人兵器で殺すが、彼らは自分の内臓に殺されるんだ。

そう考えたら、権力者なんて大したことないだろ?

私が得意げにそう言ったら、「ちょっと待て。その話はなにかの本で読んだことがあるぞ。コラムだったか、小説だったかは忘れたが、同じような文章を俺は読んだことがある。おまえ、それって、パクリじゃないのか」と、オオクボが私よりさらに得意げに問い詰めたのである。

しかし、考えてみて欲しい。
いま、地球上には72億人以上の人が暮らしている。
そのなかで、同じ考えを持つひとは、いくらでもいるだろう。

いや、むしろ、いないほうがおかしい。
かつてコペルニクスが地動説を唱えたとき、同じように思っていた人は必ずいたはずだ。
ニュートンが万有引力を発見したときだって、同じことを思っていた人はいたと思う。

世の中には、そんな偶然はいくらでもある。
我々人類の思考能力や想像力は、天才と凡人で数パーセントしか違わないという説もある。

俺が考えたことが、人の意見と同じになる確率だって、数パーセントはあるだろう。
俺の今言ったことは、決してパクリではない。
俺の頭脳から湧き出てきた独自の理論だ。

しかし、オオクボは、私のそんな説明に聞く耳を持たず、「パクリだ、パクリだ」と言い募るのである。

おまえ、そんな固い頭で、よくコンサルタントなんか、やっていられるな。
そんなことで、顧客の重要な課題を解決できるのか。

だが、オオクボは私の忠告を鼻で笑うように、顔を赤くして非難するのだ。
「そうやって、俺の方に問題点をふるなよ。おまえ、パクったんだろ? パクッたって認めろよ!」

パクリと決め付けたら、頭の固い人間は、その考えを自ら捨てることはない。
つまり、「冤罪」とは、このようなシステムで人の身に降りかかるらしい。

エンブレムに関しては、誰がパクリだと断定したのか、その経緯が私にはよくわからない。
だが、少なくとも私の感覚では、あれは「露骨に類似している」わけでもなく、トレースしたわけでもないように思われる。
(トートバッグの件は、一部は完全なトレースだったが、それとエンブレムを関連付けるのは根拠として乏しい)

不特定多数の潔癖症の「けしからん」が、ルックス的に謙虚に見えないデザイナーに、無理やり頭を下げさせた、と私は今でも思っている。


話が大きく脱線したことをお詫びいたします。

このように、私の話が脱線することを私が抑えきれなかったことも、今年後悔したことの一つだ。


そして、個人的には、成人した娘に晴れ着を買うことができなかった自分の不甲斐なさを一番後悔している。


次に後悔していることは、庭のダンボールに住み着いたセキトリという名の野良猫への仕打ちだ。
1週間前の朝、カニカマを細かくほぐして、それを雑炊風に柔らかく煮込んだメシに乗せて出したときのことだ。
普段なら、喜んで食いつくはずのセキトリが、一歩も動かずに固まってしまったのである。

どうしたんだろう?
食欲がないということは、具合でも悪いのだろうか?
病院に連れて行ったほうがいいかも・・・・・と私は心配した。

しかし、私はそのあとすぐに気づいたのだ。
私のサンダルの足が、セキトリの尻尾を踏んでいたことを。

しかし、セキトリは鳴き声をあげることもなく、私を避難がましい目で見るわけでもなく、我慢していたのである。

私は、セキトリを支配しているわけではない。
私とセキトリは、友だちだ。

しかし、セキトリは、食事を貰う自分の立場をわきまえて、私に抗議しなかった。
その姿を見て、これでは、まるで支配する側と支配される側の構図ではないか、と私は気づいた。

セキトリ、ごめんな、と何度も謝ったが、セキトリが私を許してくれたかどうかの自信が私にはない。

この件に関しては、後悔したまま、年を越しそうな気がする。


皆さま方には、こんな後悔をしない一年を過ごしていただきたいと思います。



それでは みなさま  よい お年を



2015/12/31 AM 06:27:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

ストイックではないが禁欲的
今年の同業者との忘年会は出ないつもりだった。

前回の飲み会で私は、こう提案した。
二ヶ月ごとに飲み会を開いているのだから、忘年会も新年会も同じ飲み会としてやったほうが効率がいいんじゃないですか。
しかし、全員から「忘年会と新年会は特別。今年もきちんとやりましょ」と却下された。

きちんとしたことが嫌いな私は、それならパス、と思ったのだが、毎回飲み会で使わせていただく吉祥寺居酒屋の店長代理が、オメデタもあって今年いっぱいで居酒屋を辞めるという情報が偏西風に乗って飛んできた。

そこで、考えが変わったのだ。


私は臆病者なので、馴染みの店を作ることに慎重である。
モノや人に愛情を持ってしまうと、それを失くしたときの喪失感が大きい。
それが怖いので、なるべくモノや人から距離を置いて生きてきた。

そんなこともあって、初期の頃の同業者との飲み会は毎回店を変えていた。
そのほうが、気が楽だからだ。
飲み会に限らず、同じ店を利用することを私は今も病的に避けている。

一回限りだったら、その店のことはすぐに忘れることができる。
「通りすがりの人」でいられる。

それは、私の精神を安定させるために、なくてはならない儀式だった。
だが、3年ほど前に利用した居酒屋が、私のそんな思惑を無視して、困ったことに今は馴染みの店になってしまったのである。

そこの店長代理の女性を(私を除く)スケベ親父どもが気に入ってしまったからだ。

「活発な感じで女将っぽっくて、いい子だよね」
「北乃きいを成熟させた感じだよね」
「愛人にしたいよね」(キモいぞ、お前ら!)

その結果、そんなスケベ親父どもの下心丸見えのスケベ目線がフォースとなって、その居酒屋がレギュラーポジションを得てしまったのだ。

私はいつものように、なるべく馴染まないように馴染まないようにと最初は努力した。
しかし、生まれついてのお茶目さが出てしまったせいで、店長代理・片エクボさんと一番仲良くなったのが私、というなんとも皮肉な結果になった。

ただ、店長代理・シモコーベさんが私のことを「白髪の旦那」と呼んで、カピバラや馬、オランウータン、ナマケモノ、オオスズメフクロウよりも私に懐いてくることが、私をいつも居心地悪くさせた。

毎回、片エクボさん相手に軽口を叩くのだが、軽口を叩くたびにケツが椅子から浮揚して、さらに居心地の悪さが増幅した。

だが、実にうまいタイミングで、片エクボさんが妊娠し入籍するという幸運に遭遇した。

それを聞いたときの私は、ああ、これで居心地の悪さから解放される、とケツを椅子に落ち着かせたものである。
落ち着いた気分でグビっと飲む一番搾りの中ジョッキが、体の奥深くまで浸透して私の気分を高揚させた。

やはり、うまいですね、ビールは。


ここで、話はいつものように脱線して、私の貧しい血の話を。
主治医の優香観音様の指示通り、一ヶ月間に亘り一日缶ビール1本を摂取したのち、先週血液の数値を計った。
すると、貧血の判断基準である残留鉄は変化しなかったが、ヘモグロビンの数値は1.5ポイント上昇するという結果が出た。

そこで、優香観音様から「本当ならアルコールは、このままやめたほうがいいのかもしれませんけど、ヘモグロビンの数値が増えていることから影響は少ないと考えていいでしょう。適度に飲むのならいいかもしれません。Mさんはストイックだから、ご自分でブレーキをかけることができるはずです。だから、『適度に』摂取するならいいですよ。ただ定期検査はこれからも続けていきましょう」と許可が出たのである。

わけあって、私の英語の辞書では、「stoic」の箇所が黒く塗りつぶされていることもあって、私はストイックの意味を知らない。

だから、観音様に、私は全然ストイックではありません。でも、禁欲的な男です、と言った。

そうしたら、「は〜いはいはい、要するにストイックなんですね」と、あしらわれ、出口を指さされた。
お忙しかったようだ。


ストイックではないが禁欲的な私は、中ジョッキ一杯で満足した。
カピバラや馬、オランウータン、ナマケモノ、オオスズメフクロウが酒をすすめてきたが、動物どもの言うことは無視した。

そんなとき、私服姿の片エクボさんが我々のテーブルにやってきた。
その美脚を見てガイコツは密かにヨダレを垂らした。

9時を過ぎていたようだ。

今までは、店長代理ということもあって、店のクローズまで勤めていたが、妊娠してからは負担を軽くするため9時に上がることにしたという。

「皆様とは、これで最後だと思いますので」と片エクボさんが、一人ひとりに頭を下げた。
動物どもが拍手をした。
ガイコツも拍手をした。

そのあと、なぜか片エクボさんに「白髪の旦那、立ってくれます?」と促された。
言われるままに立ち上がると、片エクボさんに「うわっ、デカッ! 細ッ!」と今更ながら呆れられた。

片エクボさんの身長はわからない。
きっと150センチから161センチの間だと思う。
そんな片エクボさんから見れば、私は不自然に肥大したガイコツに思えたことだろう。

その変態ガイコツに向かって、片エクボさんが言った。

「ねえ、最後にハグしてもいい?」

ほとんど何も考えずに頷いたら、軽く抱きしめられた。

あ・・・・・ハグって、これのことかぁ、と棒立ちの間抜けなガイコツに向かって、片エクボさんが、「骨が当たるゥ! 何だぁ、このゴツゴツした気持ちよくない感触は!」と罵った。

勝手にハグしておいて、なんだこいつは、と思った。
抗議しようと思ったが、片エクボさんに真剣な表情で下から見上げられたので、やめた。

「白髪の旦那には、何かと助けてもらったからね。これは感謝のしるしだよ」

だが、私は片エクボさんを助けた覚えはないので、それはきっと片エクボさんの勘違いだろう。

6秒間のハグのあとに、私は、では俺もお礼にフォースを送ろうか、と言った。

「フォース?」

(白目で)ドゥルルルルルルルルルー・・・ブン!
安産でっす!

手をたたいて受けてくれたが、「ありがとう。でも、相変わらずバカだね」と褒められた。
そして、「産まれたら電話するから」と、片エクボ・シモコーベさん(結婚後の姓を聞いていなかった)は、美脚を翻して私の目の前から消えた。

もちろん、喪失感はなかった。
ただの「通りすがりの居酒屋」の店長代理だからだ。

それよりも鬱陶しかったのは、カピバラや馬、オランウータン、ナマケモノ、オオスズメフクロウどもが私に向ける非難の目だった。
その動物の嫉妬が鬱陶しかったので、私は全員の頭をかじってやろうと決心した。

ガォーッと口を開けようとしたとき、私の前に一番搾りの中ジョッキが置かれた。

何ですかこれは?
なにかの間違いでしょう。
私は頼んでおりませんが。

私がそう言うと、片エクボさんよりルックス的に45パーセント劣る店員さんが、「店長代理からでっす」と愛想笑いで私を見下ろした。
その顔を見て、私は8パーセントだけ喪失感を味わったが、すぐに立ち直った。


最後に中ジョッキを奢ってくれるとは、粋ですねえ、片エクボさんは。

美味しくいただきました。


それを見たカピバラや馬、オランウータン、ナマケモノ、オオスズメフクロウどもが、私を指差して合唱した。

「なんだよ! どこがストイックだよ! ただのスケベじゃないか!」


うるさいぞ!
それならむしろ「セクハラオヤジ」と呼んでくれ。

片エクボさんにハグされたとき、どさくさに紛れて、髪の毛にキスをしてしまったのだから。


でも、臆病者でなければ、抱きついて離れないところだろうから、私はストイックではないが間違いなく禁欲的だ。


2015/12/28 AM 06:16:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

こおでぃねいと
11月下旬に「前撮り」をした。

「前撮り」というのは、何か。
成人式や結婚式、七五三などの記念に、あらかじめ写真を撮っておくことらしい。

今年そのことを初めて知った私は、ほとんどパニックになりながら、写真屋さんに娘の「成人式用前撮り」の予約交渉をした。

「着物は持ち込みですか」と聞かれて、あ、あ、あのー、持ってないんです、と答えたときのちょっとした惨めさ。

娘の晴れ舞台に、晴れ着を買ってやれない自分の不甲斐なさに、涙が出そうになった。
実際、娘がヘアメイクをし、着付けをしている間、私は涙をこらえるのに必死で、かなり怖い顔をしていたと思う。

「ハキハキとした、いいお嬢さんですね」と、愛想笑いしながら近づいて来た受付の女性が、私の顔を見て固まったほど、私は極悪人の顔をしていたようだ。

もちろん、娘が二十歳になったのはたいへん嬉しいことだ。
だが、娘が自分の力で、これほど成長してくれたのに、何もできない親なんている価値があるのか、と私は後ろ向きに懺悔したのである。

私のヨメは、成人式に百三十万円もする晴れ着を親から買っていただいたそうだ。
それに比べて俺は・・・・・と思うと、紙で作ったハンマーで自分の頭を叩きたくなった。

その百三十万の晴れ着がまだ残っていたら、と都合のいいことを考えたこともあったが、6年前にヨメの母親がヨメに断りもなく、その晴れ着を人にあげるという楽しい出来事があったので、それは最初から除外した。


前撮りをするにあたって、娘からは、「ボクは着物は着たくないし、写真も撮りたくない。できれば成人式も出たくない」と言われていた。
おそらくビンボーな父親に気を使ってくれたのだと思う。

だが、それでは親として「なんだかな〜」と思った私は、余命1万光年のガイコツの頼みを聞いて、写真だけは記念に撮らせてくだされ、と土下座して頼んだ。

そのガイコツの土下座が娘の心を動かして「そうか、余命が1万光年しかないのか、それはデンジャラスだな」と言って、娘は渋々承知してくれたのである。

綺麗にヘアメイクをしてもらって、レンタルの着物を着た娘は、とても美しかった。

「おまえ、泣いているのか」と娘が言ったのに対して、ナイトール、ナチブー、という意味不明なガイコツの答えに、写真館のスタッフ全員が笑った。
ただ、顔は引きつっていたように見えたが・・・・・。

ひとつのイベントが終わるたびに、私の寿命は千光年ほど短くなる。

ただ、今年25歳の息子が二十歳になったときは、イベントをしなかったので寿命は短くならなかった。
息子が「成人式には出たくないし、写真も撮らない、スーツもいらない」と拒絶したからだ。
このときもビンボーな父親に気を使ってくれたようだ。

「そんなことをするのなら、お金をもらったほうがよい」

彼の望み通り、金で解決した。

彼はその金のうちの半分は貯金し、半分で中古のブランド品を買いあさった。
おしゃれ好きな息子は、親バカ目線だが、センスがいい。
古着を上手に着こなす才能は、ヨメ譲りと言っていい。

ヨメは、私と結婚する前は、給料の半分以上をブランド品の購入に使った。
私と結婚してからは贅沢ができなくなったが、ノーブランドでもそれなりに着こなしているから、ヨメもセンスはいいのだと思う。

ただ、私には「オシャレの概念」が欠片もないから、私が言っても説得力はないかもしれない。

「暖簾に腕押し」「豆腐に鎹(かすがい)」「糠に釘」「ガイコツにレントゲン」ということわざにもあるように、私にファッションのことを言っても何の反応も手応えもない、とまわりから褒め称えられているのだから。

小学生のころは、ほぼ毎日同じ服を着ていた。
2週間3週間は、当たり前。
場合によっては、1ヶ月同じ服を着ていた記憶もある。

同じ服ばかりだから、肘や膝が擦り切れて穴があく。
それを世界で2番目に不器用な私が、針仕事をしてツギを当てるのである。
その作品は、いま思い返してみても笑えるくらい不格好なものだった。

当時のM家は、母親がフルタイムで働いていたから、子どもの服にまで構っている余裕がなかった。
祖母がいたが、祖母は優秀な教育者の経歴を持っていたこともあって、孫に対して干渉がましいことは絶対にしなかったし言わなかった。

肘や膝にツギを当てる孫の姿を何も言わずに見ていただけだった。
そして、ツギをあて終わると、どんなに不細工でも「上手だね」「よくできたね」と褒めてくれたのである。

どう見ても褒められる出来栄えではなかったが、褒められて嬉しくない子どもはいない。
だから、単純に喜んで、ツギハギだらけの洋服を着て学校に行った。

いまの時代だったら、そんな格好の子どもはイジメの対象になったかもしれない。
だが私は、全身から「なめんなよ! おまえら!」オーラを出していたので、同級生たちは私のことを放っておいてくれた。
(服を洗っていなかったから、臭くて近寄れなかったということもあるが)

中学時代は、ボロボロのトレーニングウェアと所々穴のあいたシューズで陸上の練習をした。
たいへん風通しが良くて気持ちよかったが、風の抵抗が強かったので、ボロボロでなければ、もう少しいいタイムを出せたかもしれない。

陸上部の連中は、私の機嫌を損ねるとリレーで負けるというのがわかっていたから、見て見ぬふりをしてくれた。

いまとなれば、それは楽しい思い出だ。


昔から今に至るまで、私は外出のときは、ヨメが用意してくれた服をそのまま着て出かけている。
そのことに関して、私は31年間文句を言ったことがない。

私の頭には、服はああでもない、こおでぃねえと、と考える機能がついていないので、この方式は大変ありがたい。
こんなに楽なことはない。

そんなことを言ったら、「Mさんは、背が高いしスリムだから、何を着ても似合うんじゃないですかね」と、至近距離で私を鼻息荒くけなすやつがいた。

人類史上最も馬に激似の「お馬さん」である。
ここに来てやっと登場した「お馬さん」だ。

そんなお馬さんに、私はお馬さんの股間を指差しながら言った。


でも、馬は穿いてないから楽だよね。安心だよね。


ヒヒン?

今回、お馬さんの出番は、ここだけでした。



南無阿弥陀仏 南無妙法蓮華経 アーメン God Bless You



馬の耳に念仏



ガイコツの右耳はお陀仏



最後に

森喜朗東京五輪組織委員会会長は 過去の遺物



2015/12/19 AM 06:35:04 | Comment(1) | TrackBack(0) | [子育て]

来年の課題
杉並の建設会社の顔デカ社長から仕事をいただくようになって、5年目の後半が過ぎた。

最初の1年は、世間話なんてとんでもない、という空気だった。
とにかく、毎日嵐が吹き荒れるのである。

社員を容赦なく怒鳴る。
叱り飛ばす。
出入りの業者に対しても怒鳴り散らすのだ。

その怒りの風圧に怯えた私は、いつもチビっていた。
だから、顔デカ社長に会うときは、紙おむつが欠かせなかったほどだ(嘘ですよ)。

このままの関係では、楽しく仕事ができない。
今までのデザイナーと同じく一年もしないうちに、サヨナラを告げることになるかもしれない。
そう思った私は、2年目に意を決して世間話から入ってみた。
最初は、まったく話が弾まなかった。

だが、どんな猛獣だって、スキンシップを繰り返せばある程度は人に懐いてくれるはず。
私はそう信じて、打ち合わせの前に必ず世間話を振った。

その粘り強い交渉術が効いたのか、徐々に話題は広がり、最近のニュースに反応を示してくれるようになり、それからは政治、経済、国際情勢などの話題を社長自ら振ってくるようになった。

そして、中年男のエロトークなども。
「女は胸だよな」
何をおっしゃいますか。太ももですよ。これは絶対に譲れませんね。

和気あいあい、というほどではないが、仕事だけの味気ない話題から外れた時間を共有することが日常になった。
つまり、私のペースで会話をすることができるようになったということだ。

ただ、最初から気づいていたことだが、顔デカ社長と私の意見は「真逆」である。
それは、同じヒトとしての遺伝子を持つ生き物とは思えないほど、見事に違う。

顔デカ社長は、基本的に「独裁こそが正義」という人だ。
すべてのことは独裁者のトップダウン方式で決定し、下々のものはひれ伏して独裁者の命令に従うことが強固な国家、会社を形作る、という考え方だ。

それに対して私は、独裁者のすべては臆病者である、という考え方だ。
彼らは、自分の立ち位置にしか興味がないから、政策やビジョンを持っていない。

己の地位を守るため、すべてに疑心暗鬼になって、政策よりも弾圧で部下や国民を縛るさまは、まるで天空を綱渡りしているかのようだ。

そして、彼らはその綱渡りに、いつも怯えきっているから、罪もない部下(あるいは国民)を断罪することで心の平衡を保っている。

権力の一極集中は民主主義の国でもあるが、独裁ということになると、最後は権力が独裁者のオモチャになる。

たとえば、とある国の頂点を極める「金を正(まさ)に恩とする人」や「くまのプーチンさん」のように、国民を見ずに武器だけを見ている人は、所詮は殺人兵器だけしか頼るものがない。

国民が持つマンパワーと殺人兵器が持つ物理的なパワーの力関係が逆転したとき、独裁者はいつも哀れな末路を辿る。
ほとんどの独裁者は、偶像としての存在を抹消されて、ただの犯罪者に成り下がる。

その私の意見に対して、顔でか社長は、「まあ、俺が思う独裁は、あいつらではないわな」と苦笑いで首を振った。

だがな、と言葉を続けた。
「権力は一つ強力なものがあればいい。仲良しの馴れ合いなんて決断が遅くなるだけだ。下っ端の政治家や国民には、事後承諾でいいんだよ。そうしないと、くだらねえ意見が幅を利かすことになる。そんな意見はゴミだ」

ゴミの中にだって、お宝は隠されているかもしれない。
しかし、社長は「ゴミの中のお宝は、所詮はゴミだ」と断定する。
「だって、気づかなかったら、ゴミのままだろ」


それを聞いて、私は少々視点を変えた意見を述べた。

以前、民放の討論番組を見ていたら、強面の元政治家がこんなことを言っていた。

「ニワトリが先か、卵が先か、という例えがある。
それに合わせて、国が先か国民が先か、ということを言うバカがいる。
国民が先だというやつは、バカだ。
国民の代わりはいくらでもいるが、国の代わりはない。
国こそが重要だ」

それを聞いて、小さい男だなと私は思った。
そんな風に近視眼的な見方しかできないから、ただ声がでかいだけの拡声器にしか見えないのである。

宇宙があるから銀河系がある。
銀河系があるから太陽系がある。
太陽系があるから地球がある。

その地球には水と空気があるからヒトがいる。
ヒトがいるから国がある。

最初から国があったわけではないのだ。
ヒトが、上に記したように「宇宙内の物理的な法則」に則って国を作ったのである。

この星では、ヒトが必然的に生まれ、必然的にヒトが集落を作った。
だが、国は必然的に生まれたわけではない。
集落が偶然いくつかの国になっただけだ。

全ての始まりは、ヒトが主体だ。


たとえば、視点をもう一つ移してみる。

いま地球上には72億を超える人が暮らしている。
その人たちに当たる太陽のことを考えてみよう。

72億の人がいたとしても、同じ緯度、同じ経度、同じ角度で太陽の光があたっている人は絶対にいない。
わずかではあるが、みな違う位置角度で光があたっている。

そのように、この星に暮らす人は誰もが皆、それぞれ独自のポジションを持って暮らしている。

そして、その集合体が、「自分の意志で」国を形作っている。
その集合体がなければ、国は成り立たない。

「国ありき」ではなく「ヒトありき」なのだ。

宇宙を見ることもできず、地球を見ることもできず、ただ地図上の縄張りしか見えない男に、国家を語る資格はない。

だいたい、おつむのキャパシティが小さい政治家は、でかい声でそのキャパシティを埋めようとするものだ。
話の中身ではなく、声のデカさだけで人を圧倒しようとする。
彼はきっと、派閥のボスから、声を大きく張ることと怖い顔を作ることだけを命令されて、盲目的に従っているだけだったのだろう。

これは、ネットの世界でも同じだ。
おつむのキャパシティの小さい人は、他人への誹謗中傷で足りないキャパシティを埋めようとする。

そして、相手の少し怯んだ姿を見たとき、勝ち誇ったように溜飲を下げる。
まるで自分が、的を射た意見を言ったように勘違いするのである。

本人だけが、それが「虚勢」「妄言」であることに気づいていない。


そんな風に得意げに主張した私に、顔でか社長が恐るべきことにウィンクをした。
背中がブリザードに襲われた気がした。

そして、片頬で笑いながら、顔でか社長が言った。
「そのおつむのキャパシティの小さい、でかい声だけが取り得の男ってのは、俺のことかぁ?」


しまった!
墓穴を掘ったか!

怒りの嵐が吹き荒れるか!

しかし、私には、顔でか社長との5年近い付き合いで得た尊い経験値があった。
社長をいなす方法はガイコツの体に染み込んでいたのだ。

だから、迷わずに言葉を変換させた。

「しまったぁ!
おケツを掘られたかあ!」


2秒の沈黙のあと、我々の会話を聞いていた男性事務員の2人が、「プッ」と笑った。

さらに4秒後に、社長が苦笑い。
「あんたの汚ねえケツなんか掘れるかよ」

「それに」と社長が言葉を繋げた。
「あんたみたいな男とは絶対に友だちにはなれんわな。
ただな・・・・・話を聞いているだけなら、面白い」

ありがとうございます。
身に余るお言葉でございます。


和やかなうちに、世間話は終わった。

ただ、一人だけ和やかでないお人がいた。
40代の女性事務員である。

このお人は、いつも私に敵意を抱いていた。
「だって、Mさんだけ社長に怒られたことないんですもの!
不公平じゃないですか!」


もしかしたら、社長をてなずけるより、このお方をてなずける方が難しいかもしれない。


だから、それを私の来年の課題にしようと思っている。



2015/12/12 AM 06:27:00 | Comment(1) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

長男と次男
91歳を超えても、母は元気である。

もっと認知症が進むかと思ったが、家族が近くにいることが母の脳にいい刺激を与えているのか、思いのほか平穏な日常を過ごしていた。

そんな母の口からは、3年前に死んだ娘のことや2年前に死んだ夫のことが話題に上ることは一度もなかった。
仏壇の位牌は、母の両親のものだけだ。
娘や夫のものはない。

それを「死者に対して冷たすぎるだろ」と言う人はいるかもしれない。

しかし、母をずっと見てきた息子だからこそ、その感情は理解できた。
世の中には、思い出さなくてもいいことなど、たくさんある。

母にとって、娘と夫のことは、きっと思い出さなくてもいいことなのだ。
無理に思い出さなくても生きていける。

死者を弔う役目は、息子一人が負えばいい。
とは言っても、墓を建てただけで、墓前に自分の手で花を手向けたことは一度もないが。


私は最近よく思うのだ。

母が、もしも父と結婚せずに、娘や息子を産まなかったら、母はもっと幸せな人生を歩んでいたのではないかと。

大企業に勤めながら、家に帰ってこず、生活費を入れなかった身勝手な夫。
高校を卒業して、何も生産性のあることをせず、40年間家に引きこもった娘。

そして、いい大学を出してもらったのに、母の希望する仕事につかなかった出来損ないで、はみ出しものの息子。

働いて働いて、病気を抱えながら生きてきた母。
その結果、80歳を過ぎて3回も手術を受けるという、容赦のない現実が母を苦しめた。

私が唯一知っている、さだまさし氏の歌に、「無縁坂」というのがある。
その歌詞は、まるで母のことを歌ったのではないかと私はいつも思っている。


運がいいとか悪いとか 人はときどき口にするけど
そういうことって 確かにあると
あなたを見てて そう思う


母は運が悪い人だった。

仕事には恵まれたが、家族に恵まれなかった。


我がおんぼろアパートから自転車で数分のバリアフリーのワンルームマンションに住む母。

その母に、先日、こんなことを言われた。
「私は運がいいですよ。
だって、あんなにいろいろな病気に罹ったのに、90歳を過ぎても生きていられるんですもの」

違うだろう、と思ったが、反論はしなかった。

顔を上げて母の顔を見ることができなかった。

笑顔の中に浮かぶ深い皺。
それを見るのが怖かった。

しかし、母は話を続けるのだ。
「あなたが近くにいてくれてよかったですよ。
あなたがいなければ、私なにも出来ませんから。
世間知らず、ですからね」

それも違うだろう、と思った私は、なおさら顔を上げることができなかった。
自分が蟻以下の存在になった気がした。

そんなとき、友人の尾崎が、いきなりやってきた。

尾崎と私は一年以上会わないことがよくあったが、そんなときでも尾崎は私の母には会いに来てくれたのである。

尾崎は、私の母を「母ちゃん」とか「母ちゃん先生」と言って慕っていた。

10月8日の母の誕生日のときも来てくれたのに、また来てくれたのだ。
「母ちゃん先生、神代植物公園に行こうぜ」

私がいないときに、花好きな母と神代植物公園に行くことを約束したらしいのだ。

成功者の尾崎は車を2台所有していたが、私の母のために、そのうちの1台を車椅子を乗せられるように後部座席を改良していた。
植物園内は歩いたとしても、車内では車椅子の方が楽だと思ったのだろう。

「母ちゃん先生、車椅子に乗ろうか」
尾崎が母を抱きかかえて、車椅子に乗せた。

まるで出来のいい息子と母のようだった。

「あなたも来るでしょ」と、笑顔の母が私に聞いた。
顔の皺が輝いて見えた。

だから、目をそらした。

いや、尾崎がいれば安心だから、俺は・・・・・。

そう言ったら、尾崎が私を睨んだ。
「俺は母ちゃん先生の『次男』だ。
でもな、長男がいるから俺は次男なんだ。
親孝行は、息子二人でするもんじゃないのか」

母はよく尾崎に、「尾崎くんは、私の『次男くん』だからね」と言っていた。

それを母に言ってもらったときの尾崎はいつも嬉しそうだった。

母がなぜ、はぐれ者の尾崎を気に入ったのか。
そして、なぜ尾崎が母のことをこれほど慕うのか。

その理由はわからないが、尾崎は懸命に息子になりきろうとしているように思えた。
そして、母は間違いなく尾崎に、息子に対する感情を持っていた。


ありがとう。
声を出さずに、尾崎に頭を下げた。


母が神代植物公園に来るのは、初めてだったようだ。
それはそうだろう、と思った。

そんな安らぎの時間など持てなかっただろうから。

花を見る母の顔は、ずっと笑っていた。
苗を買い、鉢植えを買っているときも笑顔だった。

そして、園の外の蕎麦屋で九割蕎麦を3人で食ったときも、笑顔だった。

「こんな美味しいお蕎麦は初めてですよ」

普段は、胃がもたれる、と言って食べない天ぷらも食べていた。

「母ちゃん先生、もし胃が変になったら、俺が医者に連れて行くからな」
尾崎が、本当の息子に見えてきた。
寒いからと肩にストールをかける姿も、まるで実の親子だった。

「ごちそうさま」のあとで、母が言った。

「私は、本当に息子には恵まれましたよ。
あなたたちがいてくれて、本当に良かった。
私は幸せ者ですよ」


それは違うだろう、とまた思った。


顔を上げることができないでいる私の背を尾崎が叩いた。

「次男は長男のやることを見て育つもんだ。
だから、俺がしたことは全部おまえがしたことと同じだ。
おまえは、よくやっている。
そのことは母ちゃん先生もわかっている。
胸を張れよ」


30年前、母に尾崎を引き合わせたことだけが、私の唯一の親孝行かもしれない、と思った。


情けないことに、俺は「次男」に助けられっぱなしだ。


2015/12/05 AM 06:24:00 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]



(C)2004 copyright suk2.tok2.com. All rights reserved.