Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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社会不適格者ふたり
社会不適格者が、二人いる。

一人は、このブログを読んでいる方はご存知だと思うが、私である。

もう一人は、大学時代の同級生、ヘチマ顔・ノナカだ。
ノナカは、変人とか偏屈とかいう、わかりやすい性格ではない。
大学時代のノナカは、彼自身は何の悪意もないのに、口から言葉の毒を吐いて人を嫌な気持ちにさせる天才だった。

おそらく本人が自覚してなかったからだろうが、まわりを不愉快にさせても平気でいられる神経は、絶えず導火線を踏んでいるような危うさがあって、そばで見ていた私はハラハラの連続だった。

だから、同級生たちは、2ヶ月もしないうちにノナカから離れていった。
私は、ノナカに自分と同じ匂いを感じていたので、毒を吐かれても同じ毒を吐き返せばいいと単純に受け止めて、むしろ自分に向けられる毒を楽しんでいた。

そんなこともあって、ノナカは学食では、いつも一人でメシを食っていたが、少数派が好きな私は、ときどき彼の隣に席を取って黙ってビーフカレーを食ったものだ。

社会不適格者だった私には、幸運にも陸上部というコミュニティがあったから、孤独を骨の髄まで味わうことがなかった。
しかし、クラブや同好会に入らなかったノナカは、傍からは孤独に見えた。

ただ、本人がそれをまったく意に介していなかったのは、驚嘆すべきことだった。
「鈍感」は、ひとつの才能だ、と思った。
そのあたりも私がノナカを気に入った理由の一つだった。

卒業年に、ノナカは生まれ故郷である宮城県の教員採用試験を受け、宮城県の中学の社会科の教師に採用された。

その口から毒しか吐けない男が、教育者になる。
同級生の誰もが心配した。

在学時代はノナカを疎ましく思っていた同級生の誰もが、ノナカのその決断を心配した。
つまり、ノナカは、クラスメートに本当に嫌われていたわけではなかったということだ。
誰もが、その存在を少し煙たがってはいたが、「同級生」として認めていたということだ。

「ノナカが、中学校の先生だって? 長続きするかぁ? 大丈夫か? 一番ノナカに合わない職業だろう!」
クラスメートの多くが口を揃えて言っていた。

そのノナカは、11年間中学の教師を勤めたあとで独立し、学習塾の経営を始めた。
そのときも大学の同級生の何人かは、「塾? できるのか? あいつに。教師だって似合わなかったのに、塾の経営なんて!」と心配した。

しかし、私も含めた同級生たちの心配は杞憂に終わって、ノナカは意外にも経営の才能を発揮し、彼が宮城県に開いた2つの塾は、少子化の逆風にも負けずに今もそれなりに繁盛していた。

私が、ノナカの友だちとして認められていたかどうかの自信が私にはないのだが、ノナカは仙台に帰ってからも定期的に私に電話をよこし、近況を報告してくれた。

だが、事業が順風満帆だったノナカに突然、「誰か」がイタズラをした。
5年前に、胃ガンを発症したのだ。
そのとき、胃の3分の2を切り取ったノナカは、手術と抗癌剤治療の効果が劇的に作用して、黄泉の世界に行かずに済んだ。

ノナカのガンは、その後も再発せず、塾の経営者として、さらには地方の名士としての暮らしを続けていた。

だが、人の運命は、どんなときでも、目に見えないものに理不尽にも翻弄されることがある。
4年前に、今度は奥さんがガンを患ったのだ。

どの種類のガンだったのか、私は詳しいことは聞いていない。
それを聞くことに意味を見出していない。

奥さんの手術が成功したとき、ノナカが泣きながら言った「神よ! もし本当にいたのなら感謝します!」という言葉は、今でも私の脳の特殊な部分に残って、年に何回かはリバースされるフレーズになっていた。


今週の水曜日、3年ぶりにノナカと会った。
場所は、吉祥寺のドトールだ。

ノナカは、年に2〜3回東京に出てくるが、私とスケジュールが合わないことが多いので、いつもすれ違いだった。
今回は、あらかじめ1か月近く前からノナカが日にちと時間を指定してくれたため、久しぶりに会うことができた。

老けたヘチマ顔の目には、私は顔色の悪いガイコツに見えたようだ。
ノナカが私の顔を見ていきなり言った。
「血が足りてない顔だよな」

じゃあ、おまえは、幸せが足りてない顔か。

何気なく口から出た言葉だったが、ノナカが出す空気が101パーセント曇ったのを見て、私は後悔した。
ノナカが、目の奥に深く暗い沼のような重い闇を満たして言った。

「女房が、ナオミが、余命宣告を受けた」

大きく息を吸っても酸素が肺に入ってこなかった。
薄い空気しか取り込むことができなかった。
貧血、酸欠とは種類の違うめまいを感じた。
そして、頭の奥がしびれて、目の前に薄暗闇の世界が広がった。

闇が重かった。


ここまでキーボードで打ち込んで、俺は何を伝えようとしているんだ、と思った。

友人の奥さんの余命宣告。

そんなことを軽々しく表現していいわけがない。
そのことは、どんなに私が鈍感でも理解していた。
だが、いけないこととは思いつつも、友が絞り出すように言った言葉を平然と私は打ち続けるのだ。

なぜなら、社会不適格者だから。

「なあ、俺はナオミに何をしてやればいい?」

暗い沼からノナカが私を覗いたが、私は「おまえが一番大事な重い命に向き合うこと」という白々しいことしか言えなかった。


それから一時間、ノナカと私は、お互いの暗黒面を覗くような会話しかできなかった。
というより、私はノナカの話をただ聞くだけの木偶の坊に変身していた。

ノナカを励ました方がいいのはわかっていたが、私はノナカと同じ位置で同じ表情で、ため息を吐き出すことしかできなかった。


話の中で、ノナカが私に頼みごとをした。
ノナカは宮城県の学習塾の他に、東京に「ミニパソコン塾」を2店舗持っていた(墨田区と江東区)。
4年前に、その開店準備をしたのは私だったが、経営も頼むと言われたとき、私は場所が遠いことを理由に断った。

そこで私は、新宿でコンサルト会社を経営している大学時代の友人オオクボにサポートを頼んだ。
オオクボは、快く受けてくれて、今も彼の部下がミニパソコン塾をうまく軌道に乗せていた。

「でもなあ、俺は本当は、おまえにやってほしいんだよな」
ノナカが頭を下げた。

だが、社会不適格者の私は、冷酷にも今回も断ったのだ。

悪いな。
俺が二人いれば引き受けたかもしれないが、残念ながら俺は今ひとりしかいない。
だから、無理なんだ。

それを聞いたノナカは、諦めの表情を眉だけを動かすことで作って「そうだよな。悪かったな。無理な頼みごとをして」ともう一度頭を下げた。

目の前で、背を丸めながら冷めたコーヒーをすするノナカを見て、私は体が震えるほど後悔した。


社会不適格者がふたり。
何の結論も出せぬまま吉祥寺で別れた。

きっとノナカは、身動きできないほどの心細さに己を縛られているいま、何の役にも立たない友人を持ったことを後悔しただろう。
中央線の中で自分の運命を呪い、東北新幹線の中で呪い、帰りのタクシーの中で私を呪ったはずだ。

だが、そんなノナカが我が家のドアを開けたときは、精一杯の笑顔を作って、「ただいま」と言ったに違いない。

ノナカは、年を経て、そんな風に人間くさい男に変化していた。


変化と進歩を忘れた人間くさくない私ができること。

私は目に見えるものしか信じないバチあたりな男である。
ただ「無神論者」と威張るほどの確固たる信念を持っているわけではない。
神仏に頼ることが怖い、ただの臆病者だ。

そんなバチあたりな私だったが、朝起きたときと夜眠る前に、ヘチマ顔ノナカの奥さんの生きてきた軌跡を讃えることは普通にできた。


祈りはしないが、社会不適格者の私にも、人を讃えること、感謝することはできるのだ。



ノナカと結婚してくれて、ありがとう。

本当に、ありがとう………と。



2015/08/08 AM 06:39:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]



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