Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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星を翔ける子
偶然なのかどうか、友人の尾崎に男の子が産まれた。

6月24日だった。

49歳のときの子が、水穂。
52歳のときが、里穂。
そして、56歳のいま、男の子が生まれた。

私の娘の二十歳の誕生日にだ。

狙ったのか、と聞いてみた。

「それは、神の領域だな」と尾崎。

それで、おまえ……子どもが二十歳のとき、おまえが何歳になるってことを現実として受け止めているんだろうな。

「ああ、俺は、足し算だけは得意だからな」

じゃあ、百歳まで生きろ。

「もちろんだ。おまえは百二歳まで生きろ」

つまり、一緒に死ぬということか。
気持ちわるいな。

電話が切れた。


東京中野の産婦人科に行ったら、尾崎は20分前に帰ったと言われた。

尾崎の妻、恵実の横には、生まれたばかりの赤ん坊。

尾崎恵実。
おそらく42歳。
30歳半ばと言っても、人は信じるかもしれない。

その恵実に「抱きますか」と言われたので、抱いてみた。

3310グラムの男の子。

抱いてみれば、軽いという印象しかないが、その軽さを両腕で味わっているうちに、こみ上げてくるものがあった。

男の子は熟睡している。
無防備な顔のまま、血の繋がりのない私の腕の中で、彼は寝息を立てていた。

その寝顔を見たとき、この無防備な生き物を守らなければ、という動物の本能が私の心を衝き動かした。

「尾崎も泣いてましたよ」と恵実が言った。
「声には出しませんでしたけど」
その尾崎の心情は、この子を抱けば、すぐに理解できた。

この子に与えたいもの。
きっと、それは尾崎と私、同じだと思う。
おそらく、尾崎が見たものと同じ景色を私も見ているのだと思う。

「夏帆ちゃんと同じ誕生日だということ、尾崎はとても喜んでいました」

20歳も違う私の娘と尾崎の子。

しかし、抱いてみて、20年前の娘のときと同じ波動を腕が思い出していた。


56歳の尾崎が背負うものは、私の想像を遥かに超えているかもしれない。

だが、その背負うものは、共有できるものだ。
30年を超える付き合いが、それを共有させるのだと思う。


「尾崎が、どこに行ったかわかりますか」と恵実が私に聞いた。

俺の母親のところじゃないですかね。

恵実が頷いた。

30年近く前、どこから見ても「はぐれもの」の尾崎を私の母に会わせたことがあった。
道を歩く尾崎の顔を見たら、誰もが顔を背けて、災難から逃れる仕草をするほど、尾崎の醸し出す空気は発火寸前の弾薬の匂いがした。
そんな危険な匂いを絶えず振りまく尾崎の第一印象は、誰にとっても極めて悪いものだった。

ただ、教育者だった私の母は、絶対にその危険な匂いを疎ましく思わないだろう、という自信が私にはあった。
私のその予感はあたって、母は、尾崎を一目見て気に入り、尾崎も私の母に心酔した。

「俺が、この世で唯一尊敬できる人は、おまえの母ちゃんだな」

尾崎と私はときに2年以上会わないときがあったが、そんなときでも尾崎は、私の母にだけは会いに行ってくれたのである。
尾崎の中で、私の母は、師であり母でもある存在なのかもしれない。


軽い認知症の私の母は、死んだ自分の夫や娘のことを忘れることがあっても、尾崎と私のことを忘れることはない。

6月24日の夜。
尾崎から電話があった。

「母ちゃんが、おめでとうって2回言ってくれたよ」

よかったな。

「この『おめでとう』の意味がわかるか」

もちろん、赤ん坊におめでとう、ってことだろ。

「それもあるが、夏帆ちゃんにも、おめでとうってことだと俺は思うんだがな」

孫の誕生日は、忘れていないってことか。


「忘れるわけがないだろう。俺たちの母ちゃんが……忘れるわけがない」


そうだな。
忘れるわけがないよな。


「3人目も、名前をつけてもらおうか」

尾崎のふたりの娘、水穂、里穂は、私が名をつけた。
だから、断る理由がない。

わかった、と答えた。


耳元に尾崎の乾いた笑いを感じながら、電話を切った。


まる一日考えた名前を一昨日(25日)尾崎に告げた。

ありがとう、と言われた。
恵実も喜ぶだろう、とも言われた。


「星翔」(ほしと)。

「意味は聞かない。ありがたく使わせてもらう」


意味なんかないさ。
俺とお前が友だちだということに、明確な意味がないのと同じことだ。

「確かにな」

ただ、おめでとう、だけは何度も言わせてもらう。

「じゃあ、俺も何度も『ありがとう』を言うべきかな」

ありがとう、は言葉に出さなくてもわかる。


「確かにな」


2015/06/27 AM 06:20:00 | Comment(1) | TrackBack(0) | [日記]

貧しいの三冠王
実を言うと、昨年の8月から10月、私は病人だった。

こういう表現をすると、本当の病人の方に怒られるかもしれないが、今も4分の1は病人のままだ。
検査のために定期的に病院に通っていることもあるし、ある数値が、まだ平均値に戻っていないからだ。

昨年の8月初め、な〜んかおかしいな、と思いながらママチャリで病院に行ったら、「重度の貧血」と言われた。
「入院が必要です」
「輸血しましょう」
「絶対安静です。今の状態では何が起こっても不思議はないです!」

ヘモグロビンの数値が、「信じられないくらい低い」と言われたが、私も信じられなかった。
それほど明確な自覚症状がなかったからだ。

「普通だったら、苦しくて立っていられないはずです」
「思考能力も食欲も著しく落ちているはずです」
「自転車で来たんですか? 自殺行為です」
「仕事は無理でしょう。今すぐ入院」

イヤです。

不思議なことに、ここ3年ほど、異常なほど忙しい夏が続いていた。
去年の8月もそうだった。

フリーランスは、入院なんてできないんです。
他のことは、どんなことでも言いつけを守りますので、自宅で仕事をさせてください。

タレントの優香様に似た医師は、呆れながら「本当なら殴って気絶させてでも入院させるところなんですよ」と物騒なことを言いながらも、渋々こちらの言い分を聞いてくれた。

感謝します。
これからは、あなた様のことを「観音様」と呼ばさせていただきます。

それ以来、輸血と投薬と時々安静の日々が始まった。

数値が、それなりに改善した今は輸血はなくなったが、薬は欠かさず飲んでいるし、日々の暮らしや行いも世の人々を愛で包み込む聖人のような気高いものになった。

ただ、どんなことでもいいつけは守ります、と言っておきながら、ある程度数値が改善して自分が体調がいいと判断したときは、禁止されたランニングをした。
距離は、1〜10キロ。

「激しい運動はダメ」という理屈はわかるのだが、私にとって、ランニングは「激しい運動」のうちには入らない、と屁理屈をこねた。
格好をつけるが、自分の体調と向き合う訓練は何百年も積んできたのだ。
最初の5百メートルで体調は判断できるから、5百メートル走って無理だと感じたら、すぐにやめた。

走り終わったあとで、どこかが苦しくなるということはなかったので、自分の判断は正しかったのだ、と勝手に納得していた。

しいて言えば、「生活が苦しかった」が、これは1920年代の世界恐慌からなので、もう慣れてしまった。

自覚症状はなかった、と「大きな嘘」をついたが、実は、階段ののぼりが苦しかった。

健康なときは、駅の階段を2段飛ばしで駆け上がっても、息は切れなかった。
しかし、この時期(去年の8月9月)は、駅の40段程度の階段の22段目あたりから膝が上がらなくなって、呼吸が苦しくなった。
(駅のエスカレーターに乗る習慣は、私にはないので、それは除外)

おやおや、あらあら、ドスコイ、と気合を入れながら階段をのぼりきったときは、全身から77パーセント血の気が引いていくのがわかった。

しかし、意地でも立ち止まることをせず、ホームのベンチにも座らず、電車でも優先席に突進することなく、密かに息を整えながら、つり革につかまった。

ただ、今でも後悔していることがある。
私は両手で釣り革を独占する人を嫌悪しているのだが、そのときだけは、左右の手で一つずつ釣り革を持つことを自分に許した。

そうしないと、失神してしまいそうだったからだ。

人様がやることを意味もなく嫌悪してはいけない。
人のすることには、必ず理由がある。
それを知ったことで、私は一つ大人の階段をのぼったと思う。

天国への階段、かもしれないが。


もうひとつ、仕事の打ち合わせの帰りに、たまに急に気分が悪くなることがあった。
そんなときは、公園を見つけて、ベンチに座った。

動悸、息切れ、頭がガンガン、手が重い、足も重い、真夏なのに寒気がする。
そして、まわりの景色がモノクロームになった。

最初のうちは、救急車を呼びたい誘惑に負けそうになったが、その度に、あれは俺の専用車ではない。もっと重病の人たちの車だと言い聞かせて、誘惑を抑えた。

その状態に慣れてくるうちに、血が足りないのなら、増やせばいいだろうと安易に考えた。
コンビニで2リットルの水を買い、それを一時間かけて、ゆっくりと飲んだ。
人間の機能の中には、水分が血液に変わるトリックがあるのではないかと信じたのだ。

そうすると、自己暗示かもしれないが、徐々に頭の痛みがなくなり、手足が軽くなっていったのである。
「フッカーツ!」と叫んで立ち上がり、家路についた。

ただ、これは医学的な根拠があるわけではないので、良い子はマネしないでいただきたいと思います。


知人たちは、私が医者通いをしていることは知っていたが、病名が何かを知らない。

このブログを読んで、ビックリしているかもしれない。
あるいは、「どうでもいい」と思っているかもしれない。

きっと、「どうでもいい」と思っている奴が9割だろう。
そのことに関して私は自信を持っている。


先日、診察を受けたら、優香観音様に「私は後悔してるんですよ」と言われた。

「たとえば、あのとき、もしも他の病気を併発したり、大怪我をしていたら、絶対に助かりませんでしたからね。当て身を食らわせてでも入院させるべきでした。今回ここまで良くなったのは、だた運が良かっただけですから」

あ、当て身を食らわせてぇ!

そのお美しいお顔から、そんな言葉が発せられるなんて、座ったままで、全身の血の気が78パーセント引きました。

まさか、合気道をなさっているとか。

「はい、初段です」

サーーーーーーーーー(79パーセント血の気が引く音)。


昨年の8月。
もしも、優香観音様に当て身を食らっていたら、私はどうなっていただろうか。

一家四人、高齢の母親、野良猫一匹、おそらく路頭に迷っていたであろう。

などと、真剣に頭の中でパズルを解いていたら、「冗談ですよ。重度の貧血の人に当て身なんか食らわせたら、犯罪じゃないですか。ありえませんよ〜」と、優香観音様のグーが、私のミゾオチ、14ミリ手前で止まった。

観音様がニヤリ。

優しく香る殺気を感じた。


80パーセント血の気が引いた中で、考えた。

貧血とは、「貧しい血」と書く。


ああ、俺は心と財布のほかに、血まで貧しかったんだ、と妙に納得した。



「貧しい」の三冠王、ありがとうございます。


2015/06/20 AM 06:24:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | [フリーランスの心得]

少し早いチチの日
あえて、反感を買うことを主張しようかと。

インターネットの世界で、クリックを繰り返していたら、「今は空前の肉ブーム」という短いコラムを見つけた。
他にも、「女子も肉食が増加」などという記事もあった。

よかった。
これで、大っぴらに「肉嫌い」を宣言できると思った。

子どもの頃から、肉が好きではない。

それはきっと、私の死んだ生物学的な父親が、肉しか食わない人だったので、その反発から来ているのだと思う。

ただ、好きではない、とは言っても、私はメシはバランスを重要視しているから、肉も普通にメニューに加えている。
我が家では、私がメシを作るから、家族のことを考えて、肉食のレパートリーは20種類以上用意してある。

みな、喜んで食ってくれている。
ただ、私一人だけが、喜んでいない。

繰り返すが、父親への反発が大きいからだと思う。

だから、私は「父の日」に意味を見い出していない。

自分が、生物学的に「父」になった今でも、むしろ「乳の日」の方が嬉しい。
これは、いやらしい意味ではありませんよ。
「ミルクの日」の意味ですから。

我が家では、「乳の日」には、ミルクラーメンを作ることが慣例になった。
世の中には、「味噌カレー牛乳ラーメン」などという欲張りなものがあるようだが、我が家のは、単純に玉ねぎとベーコン、藻塩、ニンニクと乳脂肪分の多い牛乳を沸騰させてスープを作ったあとで、茹でた中太麺を投入し、最後に鶏油(チーユ)を回しかけるシンプルなものだ。
トッピングは、レタスと煮玉子だけ。

我が家では好評だが、「ラーメン通」を気取った方には、これは邪道かも知れない。

だが、2年前の「乳の日」に、友人のチャーシューデブ・スガくんに食ってもらったら、「Mさん、これは革命ですね」と褒めていただいた。

そのFカップ・チャーシューデブ・スガくんは、年間500食以上のラーメンを胃袋に収める「ラーメン愛」を極めた男だ。
その男から、ラーメンデートに誘われた。

場所は、東京八王子。
どうやら、知ってる人は知っている「知られている店」らしい。
私は知らなかったから、要するに、知らない人には「知られていない店」のようだ。

スガくんが食ったのは、とんこつラーメンと無料の大盛りライス。
私は、とんこつラーメンだけ。

味は、王道を行くコッテリ系。
麺が硬めで、口の中で適当に抵抗してくれたから、麺の味を存分に感じた。
トータルで言えば、完成度は高い。

いつも感心するのだが、スガくんはラーメンに限らず、とても幸せそうな顔をして、食い物を腹に収める。
その姿を見ていると、こちらも幸せな気持ちになる。

176センチ、体重130キロ、柔道三段の体が食い物を摂ることによって、「幸せ色」に染まるのだ。
私は、その姿を見るのが好きだ。

さらにいいのは、いちいち感想や薀蓄(うんちく)を垂れないところだ。
「チャーシューが柔らかくて、舌の上で溶けてしまいました〜」という、ふざけたことは絶対に言わない。
(舌の上で溶ける、イコール美味いという表現は、安易すぎて同意できない)
スガくんは、全身が「うまい」を表現しているから、見ていて飽きることがない。

とんこつラーメンと大盛りライスを完食し、私が残したスープをおかずに2杯目の大盛りライスを食う姿も、「幸せオーラ」を発散して、眩しいくらいだ。

そのスガくんに、私は、お中元とお歳暮に毎年送ってくれる牛タンのブロックは、今年いらないからね、と言った。

「えー、どうしてですか? 飽きたんですか?」

いや、世間が知らないうちに「肉ブーム」になっているという情報があってね。

「ああ、わかりました。じゃあ、マグロのトロを送りますよ」

いや、マグロは全国的大人気だからねえ。

「ああ、つまり、日当たりの悪い深海で拗ねているような、ひねくれたMさんみたいな魚が、いいんですね」
(本当にこう言ったんですよ)

さすが、スガくん、お察しがいい。
いい友だちを持って、俺はしあわせ者だよ。


その日の夜、友だちの少ない私には珍しく、16年2ヶ月ぶりに、昼夜連続でメシに誘われた。

大学時代の友人、カネコだった。

カネコは、大学の友人とは言っても、私より2歳年下だ。
(私が2年浪人したり留年したという意味ではない)
普通なら、後輩として、私の下僕(しもべ)のポジションにいるべきところだが、芋洗坂係長に似たルックスが貫禄十分なのと、私が後輩を甘やかしすぎることもあって、私を「おまえ」呼ばわりする失礼な男なのである。

メシは、吉祥寺の焼肉屋。

俺、肉、嫌い。

「わかってるよ、世の中が『肉ブーム』だからだろ」

話が早い。
だから、「8種の肉食い放題」を奢れ。
(矛盾していますか?)

「最初から、奢るつもりだが」

なぜかわからないのだが、後輩のくせに、いつも私におごってくれるカネコもメシを幸せそうに食う男だ。
いや、「幸せそう」ではなく、全身が「幸せオーラ」に包まれているから、私は、カネコがメシを食う姿を見るのも好きなのである。

カネコは、基本的に肉食動物だが、「俺、野菜とか魚とか、そんな軟弱なものは食べないんだよね。肉があれば充分」などという白痴的なことは絶対に言わない。

「だってさ、俺たちは、俺たちが食べなければ、もっと長生きしたものを贅沢にもいただくわけだろ。すべての食材を感謝して食べないと申し訳ないじゃないか」

だてに、芋洗坂係長に出世したわけではないようだ。

私にとって、友だちとしてのランクは遥かに下だが、食い物に対してのカネコの生き様は見事だと思う。
食いながら屁をすることをやめたら、もっとランクを上げてもいい、と私は思っている。

そのカネコが、私の前に紙袋を無造作に置いた。

はん?

「まだだいぶ早いが、ショウコがお前に、乳の日のプレゼントだってよ」
Dカップのカネコが言った。

袋を開けると、かぶれない白髪染めが2つ入っていた。

カネコの娘、ショウコに関しては、このブログに何度か登場しているので、ここで説明はしない。
26歳、二人の子持ち、人妻、とだけ記しておく。
ショウコは、カネコの娘であるが、私にとっても娘のようなものだ。

つまり、乳の日に、何かを貰う権利が私にはある?

「ショウコの命令を伝える。『少しは洒落っ気を出せ!』」

わかった。
ところで、お前に聞きたいことがあるんだが。

「なんだ」

今年もショウコにお年玉を強奪されたのだが、俺は、いつまでショウコにお年玉を渡さなくちゃいけないんだ?

「俺は、ショウコが大学に上がった時点で、お年玉はやめたぞ。あいつ、意外と貯め込んでいるからな。今は翻訳の仕事もしているから、俺よりも金持ちだ」

そうか、それなら、俺もやめてもいいということだな。

「それは、やめておけ。あいつの関節技は怖いぞ。下手をすると、仕事ができなくなる。仕事を犠牲にするか、お年玉を喜んで渡すか、考えなくてもわかるだろ」


俺、肉をたくさん食って乳をたくさん飲んで、関節を鍛えようかな。

そんなことを考えていたら、ショウコから「Skypeでビデオ電話」が来た。

無視することも考えたが、後が怖いので、すぐに出た。

「焼肉をどれだけ食べたって、サトルさんは、私には勝てないんだからね。一生お年玉を払い続けてね。その代わり、毎年白髪染めを送るから」

店の防犯カメラの映像が、ショウコまで繋がっていたのかとカメラを四方八方キョロキョロと探した。

カメラ、見っけー。
(カネコがLINEで動画を送っていたようだ)



お年玉と白髪染め。

間違いなく、俺のほうが損している、と思うのは気のせいか。



でも、黒髪が復活したから、まあ、いっかぁ。

乳の日に、感謝。


2015/06/13 AM 06:35:04 | Comment(1) | TrackBack(0) | [日記]

私の嫌いなコトバ
世間の役にたたない米食い虫のような男だって、人様に影響を与えることができる。

5年近く前、私の前に壁のように立ちはだかったのが、杉並の建設会社の顔デカ社長だった。
私より10歳年下の顔デカ社長は、顔がでかい、声がでかい、態度がでかい、すぐ怒る、自分以外はみんなバカ、という典型的な独裁者だった。

当時、仕事量が乏しかった私は、知人が紹介してくれた建設会社の仕事に、すぐに飛びついた。
ただ、そのとき、知人は最後にこう言って私に注意を促した。

「そこの社長は、癖のある男でね。業者との付き合いが長く続かないんだよ。特にデザイン関係は1年と持たないことが多い。それだけは言っておくから」

生活がかかっているのだから、躊躇している暇はなかった。
私は知人に、俺は大丈夫だから、と虚勢をはった。

しかし、内心は震えるほど怖気づいていた。

だから、打ち合わせに行くたびに、私は緊張していた。
心臓が肛門から出るのでは、と思ったほどだ。

最初の仕事は、ホームページ。
次はリフォームのチラシ。
会社のロゴや会社案内。
さらに、分譲地の宣伝用看板やチラシなど。

最初は、社長がデザインや印刷の知識がゼロに等しかったので、一から説明した。
そのたびに、「相当ハードルが高けえな。勉強すっからよ、簡単なところから段階踏んで、プリントしておいてくれねえか。頑張って憶えるからよ。だから、あんたも頑張ってくれよ」と超兵器並みの圧力で言われた。

常識のある人だったら、「はい、わかりました。頑張ります」と頷くのだろうが、常識のない私は、その言い方に、毎回カチンときた。

話の最初か最後に、当たり前のように付ける「頑張ってくれ」に、いつも引っかっていたのだ。

「頑張って」は、私が、「金を支払う」「金をなくす」「金を貸す」「金がない」の次に嫌いな言葉だ。

私は、その言葉を言われるのが嫌いだから、他人にも家族にも、その言葉を使ったことがない。
(ただし、褒め言葉としての『よく頑張ったね』は、普通に使う)

息子と娘に、ただの一度も、頑張って、と言わなかったことは、道端のカレン、ジェシカ、アンジェリカの笠地蔵に誓ってもいいくらい、自信を持って言えることだ。

その結果、子どもたちは、各地のゆるキャラ並みの「ゆるーい性格」に育ってしまったが、そのことを私は誇りに思っている。

我がヨメは、頑張れ教の信者だから、1日に3〜10回くらい、子どもたちに「頑張って」と言っているが、今のところ、私の「頑張らないビーム」の方が、その効果は強いように思われる。


大学時代、陸上競技部にいた私は、大会が近づくたびに、後輩にキレまくった。
走る前に、「M先輩、頑張ってください!」の言葉をかける奴が多いことに苛立ったのだ。

私は、その度に、こう言った。

愚か者たちよ!
俺は、君たちより、遥かに質の高い練習を積んできたのを知らないのか。
頑張った段階は、もうとっくに超えたんだよね、俺は。
そんな俺に、ガンバレっだって?

いいかい、そういうときは、いい記録をお願いします、って言うのが常識ってもんだ。
ケツを洗って、出直してきなさい!

嫌な先輩だったことは自覚しているが、このひねくれた性格は今も治らずに、四方八方に迷惑をかけ続けている。

数いる先輩の中で、私一人が、頑張るな、と言ったって、絶対多数の「ガンバレ教」の大声に勝てるわけがないのだが、死ぬまで、一つくらいは曲げない信念を持つのもいいのではないかと思って、今も続けている。


だから、たいへん怖かったのだが、仕事をいただくようになって2ヶ月が過ぎたときに、私は、顔デカ社長に言ったのだ。

その、頑張れよは、できれば、やめていただけませんか。
俺、24時間、寝ているときも「頑張っている」んで、これ以上、頑張れないんです。

頑張れ、と言われなくても、俺は必ず納期には間に合わせますから。
それに、俺は、頑張っている人間に、これ以上「頑張れ」とは言えない臆病者でもあります。

お客様ということは別にしても、俺は社長に、頑張ってください、とは絶対に言いません。
ある人の仕事を、「頑張れ」の一言で、評価したくないからです。

頑張れ、の裏に隠された「もっと」の評価は、独りよがりのものです。
俺は、人の仕事を評価するにあたって、そこまで尊大になれません。

俺は、「頑張った」「頑張らない」を人に決めつけて欲しくないし、自分も決めつけたくないんです。


怒鳴られるかと思ったが、顔でか社長は、「あんた、変わってるな。いや、面白いな。初めてだな、あんたみたいな人」と苦笑いと激しい貧乏ゆすりで、私の滅茶苦茶な言い分を受け止めてくれた。

それ以来、顔デカ社長から、「頑張れ」と言われたことはない。
どんな猛獣でも、根気よく筋を通せば、噛まれることはない、ということか。

いま、顔デカ社長と私は、不思議なほど良好な関係を築いている。

ただ、その「良好な関係」は、社員たちには、舌打ちをしたくなるような差別感を味わわせるらしく、私に対する社員たちの風当たりは強い。

「なんで、社長は、Mさんには甘いんだよ!」
「普通は、社員の方が、可愛いでしょうに!」
「一度くらい、Mさんが社長に怒鳴られるところを見てみたいな。なんか、ヘマをしてくださいよ。そうじゃないと、不公平ですから!」
「そうだよ、俺たちに限らず、ほかの業者は、みんな怒鳴られまくっているんだから!」

行くたびに、風速19メートルの逆風を浴びていた。

しかし、最近は風速2メートル程度の逆風で済むようになった。

「社長の訓示から、『頑張れ』の言葉が消えたよね」
「そうだね。『レベルアップ』『切磋琢磨』は使うけど、『頑張れ』がなくなったね」
「あれって、Mさんの影響かもしれないね」

その中で、私を一番敵視している40歳前後の女性事務員が、挑発的な目を私に向けながら言った。

「3年くらい前、社長はよく『がんばろう 日本』『がんばろう 東北』のTシャツを着てましたけど、最近は、全然着ないんですよね」
「Mさん! あの『がんばろう』も、いけないんですかぁ。なんか、おかしくないですか!」


いや、ですから、その代わりというわけではないのだけど、「立ち上がれ 日本!」と「負けるな 日本!」のTシャツを白黒2着づつプレゼントしたんですけど、着てませんか?

「ああ、確かに、現場では着てるな」
「あれって、Mさんの差し金だったの?」
「なんだよー! 社長が自分で買ったんじゃないのかー!」
「チェッ、まったく、余計なことを!」


「ムカツクーッ!!!」



今度は、風速25メートルの逆風だった。



2015/06/07 AM 06:47:07 | Comment(1) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

薄毛とスマホの因果関係
歩きながらスマートフォンをいじっている人は多い。

車のハンドルを握りながら、いじっている人もたまに見かける。
そして、自転車をこぎながら、いじっている人も意外と多い。

私めからしますと、そんな皆様のことを「神」としか思えないのでございます。

私には、できない。

そもそも、それほどスマートフォンをいじる「緊急性」を持っていない。
歩いているときにスマートフォンが震えても電話には出ないし、自転車に乗っていたら、なおさら出ない。
ゲームはやらないし、LINEは夜しかやらないと決めている。

そして、一番の理由は、一度に二つ以上のことができないという、笑えるほど不器用な人間だからだ。

歩くときは、歩く。
自転車に乗るときは、ペダルを漕ぐのが仕事。
やむをえず電話に出るときは、立ち止まらないと話せない。

歩いているときや自転車に乗っているときは、止まりたくないので、左のケツのポケットが震えても知らんぷりだ。
そうすれば、絶対に事故は起きない。

つまり、一度に二つ以上のことができる人は、私にとって「神」のような存在だ。

そして、この世の中には、そんな「神」が多すぎる。


たとえば、同業者との恒例(高齢?)の飲み会でも、最近は、スマートフォンをいじりながら飲み食いする奴が増えた。
最長老(おそらく63〜68歳)のアナログ人間・オオサワさんが最近スマートフォンを使い始めた影響が強いのだと思う。

以前は誰かがスマートフォンをいじっていたら、「なんですか! みんなの親交を深めようというときに、そんなものは必要ないでしょう! 時間の無駄ですよ!」とお怒りになっていたオオサワさん。
しかし、今では、その張本人がスマートフォンに釘付けだ。

7人の同業者中、スマートフォンをいじらないのは、人類史上最も馬に激似の男「お馬さん」と一流デザイナーのニシダくん、そして、私の3人だ。
他の平均年齢49歳のオッサンどもは、ゲームをしながら、「オッシ!」「あっ、クソ!」などと叫びながら、焼き鳥を頬張るバカどもだ。

おまえらは、「神」じゃないぞ。
少なくなった「髪」が心配な「ハゲ神様」予備軍だ。

ハゲ予備軍はスマートフォンをいじり、(今のところ)髪の毛の心配がない平均年齢46歳の3人は、スマートフォンをいじらない。

つまり、髪の毛の数とスマートフォンいじり率は、因果関係があるのかもしれない。
いまは、ハゲとは無縁の方たちも、スマートフォンをいじり続けているうちに、髪の毛が寂しいことになるかもしれない。

みなさま、くれぐれも、お気を付けください。

などと瞑想にふけっていたら、馴染みになった居酒屋の店長代理・片エクボさんが、「ねえ、白髪の旦那は、スマホやらないの?」と聞いてきた。

俺、スマホは持ってないんだよね。
私がそう言うと、「え? 今どき珍しいね。もしかして、まだガラケー?」と言いながら、焼き鳥「つくね」と「かしら」の皿を私の前に置いた。

ああ、でもね………スマホは持っていないけど、スマートフォンは持ってるんだ。

首を絞められた。

皆さん、犯罪です。
証拠写真を撮ってください。
私は、殺されようとしています!

しかし、ハゲ予備軍たちは、知らんぷりですよ。
私の命より、スマートフォンの方が大事なようだ。

まあ、スマートフォンよりも私の命の方が軽いということは、薄々気づいてはいたが。

首を絞めながら、片エクボさんが、「あらあ! 白髪の旦那、首が長いんですね。これは絞めがいがあるわあ!」と感動してくれた。

そうなんですよ。
だから、わたしのことを「キリンオヤジ」などと呼ぶ罰当たりもいるんです。

「ああ、私なら、キリン白髪オヤジって言いますけどね」

それは長すぎて、却下。

そんな風に、大爆笑の会話をしているときも、ハゲ予備軍は、スマートフォンをいじっていらっしゃる。

そんな空気とは関係なく、お馬さんが「Mさんとシモコーベ(店長代理の本名)さんって、なんか、親子みたいだよね。垣根が全然ない感じで、客と店の人の会話じゃないよね」と、ヒヒーンと鼻を鳴らした。

いやいや、実の娘との会話は、こんなもんじゃないですよ。
娘との会話は、下ネタ満載ですからね。
ここでは、俺、下ネタ封印していますから。

「ええ? 私なんか、父親と下ネタなんかできないですよ。きっと殴られます!」と、片エクボさん。

確かに、「親」だと思えば、下ネタは禁止事項かもしれないけど、私は「親」ではなく「遊び相手」のポジションですからね。
娘が幼少の頃から、私は「親」ではなく「遊び相手」だったものだから、親と子の区別はなかったんです。
我が家では、「父」という字は「乳」としか変換できないほど、二人は極めつきの「変人」だったのですよ。

ただ、同じ「変人」だとしても、その意味は明確に違っていましたけどね。

「どう違っていたんですか?」とお馬さん。

娘は、「社会の役に立つ変人」。
しかし私は、「社会の役にたたない変人」。

「どういうこと?」と片エクボさん。

たとえば、シモコーベさんが、男に立て続けに振られて、ヤケ酒を飲んだあとで、口から汚物を撒き散らしながら、道端で「愛が欲しいよお!」と叫んだとしましょう。

私の娘は、躊躇せずに「奉仕の心」で、シモコーベさんに手を差し伸べるでしょう。

「で、白髪の旦那は?」

私は、近所のホームセンターまでブルーシートを買いに行って、それをシモコーベさんに覆いかけ、四隅に重い石を置いて、世間から汚物が見えないように、永遠に抹消することを選ぶでしょう。


あれ? おやぁ・・・気のせいかもしれないが、首に手が巻きついているような気が・・・・・。

もしかして、首絞められている?


しかし、こんな切羽詰ったときでも、ハゲ予備軍はスマートフォンから目を離さないんですよ。

少ない毛をむしり取ってやろうか!



差別用語を使ったことをハゲしくお詫びいたします。


2015/06/01 AM 06:31:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]



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