Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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たからもの
芋洗い坂係長に激似のカネコからランチの誘いを受けた。

出かけるのが面倒くさかったので、一度は断ったが、吉祥寺まで来てくれるというので行ってきた。

何を食わしてくれるかと思ったら、デブに相応しい焼き肉だった。 
肉が肉を食う。
似合い過ぎて、皮肉も言えんわ。

肉が似合いすぎる男は、大学時代は2年後輩だったが、いつのまにか偉そうに対等の口をきくようになった。
そして、その状態が続くこと29年。
55キロだった体重が今は何キロに膨れ上がったことか。

80キロまでは自己申告していたが、ここ4年は申告を怠っているカネコ。
おそらく限りなく百キロに近づいているに違いない。

私が大学3年時に新入生として陸上部に入ってきたカネコは、当時はナイーブな性格で、部に馴染めず半年で部を辞めた。
しかし、お釈迦様のように慈悲深い私は、誰にでも平等に愛を振る舞う人格者だったので、常にカネコのことを気にかけ、キャンパスで会うと、必ず声をかけた。

そして、たまに友人たちとの飲み会に誘ったりもした。
カネコは最初は断ったが、いつのまにか飲み会の席の端っこで黙って酒を飲むポジションを得た。

何も喋らずに酒を飲みメシを食うカネコを、友人たちは普通に受け入れ、カネコは当たり前のように、我々の仲間として認知された。

だが、誰もが大学に居続けられるわけではない。
私も例外ではない。
優秀な私は、一つの単位も落とさずに卒業することになった。

つまりカネコとは離ればなれになるということだ。
肩の荷が下りる、とはこのことか、と私は「マンモスうれピー」幸せをかみしめた。

しかし、卒業式の前日、カネコから電話で思いもよらない愛の告白を受けたのだ。

「卒業しても会いたい!」

今にして思えば、あのとき断っておけば、カネコとの縁は切れていたはずである。
しかし、慈悲深すぎる私は、いいよ、これからは先輩後輩の立場を忘れて会おうぜ、と答えてしまった。

その言葉を真に受けたカネコは、最初は遠慮がちだったが、20代半ば頃、私のことを先輩ではなく「本当の友人」として接するという厚かましい暴挙に出て、その状態が今に至るまで続いている。
2年後輩のくせに、わたしのことを「おまえ」呼ばわりするのだ。

みなさま。
2歳下というのは、悪魔が多いということを肝に銘じた方がよろしいかと思います。

極道コピーライターのススキダも死神・尾崎も私より2歳下のくせに、偉そうな態度を取るのですよ。
そして、私が抗議すると、「年上なら年上らしく威厳を持てよ!」と説教までするのだ。

それを聞くたびに、私は、なぜイトーヨーカ堂に「威厳」を売っていないのだ、と毎回イトーヨーカ堂を罵倒するのである。
威厳が、nanacoカードで買えたら、どんなに幸せなことだろう。

目の前のデブ、カネコ。
タン塩と大盛りご飯を瞬く間に消費する姿は、動物的すぎて草食系の私には、恐怖しか感じない。

おまえ、昼間からデブになる修行をして何が楽しい? と私が聞いても、「肉イズ・マイ・ライフ!」と肉から目を離さずに答えるカネコの姿に、私は戦慄さえ覚えた。

カネコ2人前、私1人前のランチを食った。
どうせカネコの奢りなのだから、もっと食ったほうがいいと思ったのだが、デブの芸術的な食いっぷりを目の当たりにすると、お腹が一杯になってしまうのだ。

ランチのあとは、場所を移して、カフェでコーヒーを飲んだ。
左手の小指を立てて、カップを持つカネコ。

そう言えば、ススキダも飲み物を飲むとき小指を立てた。
無礼者の後輩は、小指を立ててコーヒーを飲むのが決まりになっているらしい。

カネコが、身を乗り出して言った。
「おまえ、ショウコとskypeでテレビ電話しているらしいな?」

テレビ電話ではない。
ビデオ電話だ。

私の訂正は、芋洗い坂係長に見事にスルーされた。


ショウコというのは、カネコの娘のことだが、カネコとショウコとの間に血の繋がりはない。
ショウコはカネコの奥さんの連れ子だ。

6歳のとき、カネコの娘として突然私の目の前に現れたショウコは、ハッキリとものを言う聡明な子だった。
だから、正直に、私に対して「ねえ、何でサトルさんが私のパパじゃないの? サトルさんの方がよかったのに!」と極めて真っ当な問いかけをしたのである。

それに対して私は、神様もときどきイタズラをするからね。でも、そのイタズラは、君のママにも君にとっても、いいことだったと思うよ。だって、俺という友だちがカネコのそばにいる幸運を与えてくれたんだからね、と答えた。

それを聞いたショウコは、「バカか、このオッサン!」と、6歳の子とは思えないほど見事な舌打ちをしたのである。

それ以来、私とショウコは友だち付き合いをしている。

18歳で結婚して、2人のガキのママとなった25歳の今も、ショウコは、私の友だちとして、確実に5本の指に入るポジションにいた。
その優位性は、カネコより遥かに上位にあった。

目の前の階級の低い男は、小指を立てた手を下ろして、小さな紙袋をテーブルに置いた。
そして、「ショウコから頼まれたんだ」と、なぜか胸を反らした。
芋洗い坂のCカップには、ときめきませんよ。

中を開けると、それは、かぶれない白髪染めだった。
私は、普通の白髪染めを使うと、頭から顔まで全部が膨れ上がるという、楽しい体質をしていたから、普通の白髪染めは使えないのだ。

「テレビ電話をしているとき、ショウコが気になって仕方がないのは、おまえの白髪頭らしいぞ。顔は老けて見えないのに、白髪の面積が多いのは、アンバランスだってよ。でもなあ、老けて見えないってことはないよな。年齢相応じゃないのか、お互い」

つまり、おまえは、自分が「二つ若い」と強調したいのか。

「そうだよ。俺の方が若い」

こういうときだけ、現実の若さを持ち出すとは、調子のいいやつ。
しかし、おまえはOMRONの 体重体組成計(カラダスキャン)を知っているか。
俺は、それで計ると、いつも体年齢が25歳なのだよ。

それって、すごくないですかぁ。

それを聞いたカネコが、アッサリ言った。
「それは、機械が壊れているんだろうな」

そ、そうか………薄々気づいてはいたが、現実的に考えて、その可能性の方が高いな。

いや、しかし、先日主治医である優香観音様は、「血管は若々しいのに、なんで、こんな病気になったかなあ」と首を傾げたではないか。
つまり、俺の血管は若いということだ。
血管が若いということは、体年齢も若いということにならないか。

「あっ、そう」

見事なほどの無関心ぶりだった。
その無関心なデブが、芝居がかった声で、「ああ、もう一つ忘れていた」と両手を一回叩いたあとで、私の前にカラフルな封筒を置いた。

手に取ってみると、ガキが描いたような幼稚な絵が封筒一面を占領しているのが見えた。
おそらく、おそらくだが、それは妖怪ウォッチの絵だったと思う。

中を開けてみると、「しらがジージへ ほっぺチューのけん」と書かれた2枚のカラー用紙が入っていた。
下の方には、「しらがジージ たんじょび おめでとう」と書かれていた。

要するに、ショウコの子ども2人が、私あてに書いたバースデー・カードだった。
このカードを持っていくと、ショウコの子ども2人が、私のほっぺにチューをしてくれるようなのだ。

「おまえ、本当のじいちゃんの俺だって、そんなものは、貰ったことがないぞ。ジェラシーだな」とカネコが、でかい顔を膨らませた。
その顔が、あまりにも醜いので、私は目をそむけた。


こんな幸せなことはない。

血の繋がりなんかは関係ない。
ショウコの子どもは、私にとって、孫に等しい。

嬉しくなった私は、カフェの店員に、ビールを注文したのだが、お節介にもカネコに拒絶された。
芋洗い坂が、ニクニクしい悪魔に見えた。
カネコが、私の落胆する様を見て憐れに思ったらしく、ノンアルコールビールを奢ってくれた。


満足いたしました。
美味しくいただきました。


この宝物は、きっと一生使わないだろうな。

今そのカードは、仕事場の一番目につく壁に貼ってある。


そのカードを見るたびに、思う。


俺は、幸せな男だ!




2014/11/28 AM 08:03:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

ハゲの息子
読書を愛する真面目な男がいる。

それは、私だ。
というのは嘘で、名前はハゲ、ニックネームをシバタという私の友人だ。
(逆かもしれない)

彼とは大学時代から仲良くさせてもらっていた。
真面目で正義感が強くて、友だち思いのハゲの性格は、私とは真逆なので、うまい具合に心のパズルがハマったのだと思う。

私のパズルは、足りないところだらけだが、ハゲが多くのピースを持ってくれていたおかげで、心の形は、いびつだが、私なりの人生パズルがいま出来上がりつつある。

ハゲは大企業に勤めていたが、彼の所属する部署とは関係ないところが赤字を出したのをきっかけに、会社は経営再建のため、早期退職者制度を施行することにした。

ハゲの部署は、それなりに業績を上げていたので、彼がその制度を利用するとは、誰もが思わなかった。
しかし、ハゲは、手を挙げた。

ハゲは、物事を判断するとき、アッパレなほど熟考を重ね、数パターンの結末を考えたのち、一瞬で決断を下すことが多い。
今回も、そうだったらしい。

そうやって下したハゲの決断を覆すことができる人は、おそらくいない。
だから、奥さんも「しゃーないわ」と笑うしかなかったという。

50過ぎに早期退職した彼は、行政書士の資格を持っていたので、行政書士事務所で見習いとして働いてのち、開業するプランを立てた。
そのプランは、すぐに実行に移されたが、見習いのとき、ハゲに突然の病魔が襲った。

喉頭がんだった。

手術をしてから4年が経つ。
再発はしていなかったが、みぞおちを掴まれるような再発の恐怖がハゲを襲ったとき、私のiPhoneが震えることがあった。

そのたびに、ハゲは私に聞くのだ。
「俺のやり残したことって、何だと思う?」

来年まで生きることだ。

「来年になったら?」

さらに次の年まで生きることだ。

「また一年が過ぎたら?」

もう1年。

無責任なことを言っているだけだが、この程度のことでも、ハゲの心は落ち着くのだ。
行事のようなものだと思えばいいのかもしれない。


ハゲは成功者なので、20年以上前からキャンピング・カーという大人の玩具を持っていた。
ハゲは、家族にも愛車のハンドルを渡さなかったが、体調を崩してからは、観念して息子に運転を任せることにした。

この日の運転手も息子だった。
ヘヴィメタル(ロック)をこよなく愛する大学4年の息子だ。

アマチュアのヘヴィメタル・バンドでヴォーカルをしているからと言って、奇抜なカッコウをしているわけではない。
今や多くの人々に認知されたピアスを左耳に3つ付けているのが目立ったくらいの真面目な男だ。
(今は来年の就職に備えて、ピアスは外していた)

東京大田区のオートキャンプ場で、デイキャンプ。
ハゲとハゲの息子、私という、男だけの気持ち悪いキャンプだった。

当たり前のように、バーベキューをした。
食いたくもない高級牛肉を食い、食いたくもない殻つきの牡蠣を食った。

「美味い」よりも「寒い」。
海からの風が冷たいのだ。

ハゲの息子が、寒さで狂ったのか、ヘヴィメタル風のデスヴォイスでシャウトしながら、焼きそばを作っていた。
ヘヴィメタ風のスパイスが利いたヘヴィメタ焼きそばは、塩気が絶妙で美味かった。

美味しいヘヴィメタ焼きソバを食っているとき、ハゲが唐突に、「最近読んだ本は何だ?」と聞いてきた。

今年になって読んだ本は、1冊だけだ。
村上春樹氏の「国境の南、太陽の西」がブックオフで108円で売られていたので、衝動買いした。
話の展開が、若干中途半端なような気がしたが、村上春樹氏らしい、個性的な日常の切り取り方をして、主人公の心の揺れを繊細に表現していたと思う。

そんな私の感想を聞き流して、「俺は今年2百冊読んだ」とハゲが言った。
得意げだったが、寂しい頭が、海風を受けて寒そうに見えた。

そして、寂しそうな頭のまま、「読めるときに、たくさん読んでおかないと後悔するからな」と言った。

そうすると、あと30年生きるとしたら、おまえは6千冊の本を読むことになるな。
うらやましい限りだ。

私が、そう言うと、ハゲが下を向いた。
下を向くと、余計に頭が寂しく見えた。

寒さが頭に滲みるのか、と優しい言葉をかけた。

寂しい頭を上げたハゲの目から、水っぽいものが流れていた。
そして、目をこすり、鼻をすすった。

「そうか。俺は、そんなにたくさんの本が、まだ読めるのか。それは嬉しいな。最高の贈り物だ」
両手を強く握って、空に向けて拳を突き上げた。

その姿を見て、私の目のポンプが動きそうになったので、焼きおにぎりを丸ごと口に入れて、動きを抑えた。
オニギリが熱すぎて、ポンプから水が出た。

風の冷たさが目にしみた。

目を赤くしたハゲが、突然思い出したように、私に薄い封筒を渡した。
「誕生日プレゼントだ。図書カードだけど」と言いながら、目をまたこすった。

1万円の図書カード。

頭を下げ、ありがたく受け取った。

まあ、このまま娘の手に渡ってしまうと思うが、と言ったら、「それは想定済みだ。気持ちだからな」と、寂しい頭を右手でさすった。

ドサクサにまぎれて、ハゲの息子がくれたのは、どくろマークが付いた黒の毛糸の帽子だった。
「本当は、オヤジの頭にかぶせたくて買ったんだけど、嫌がったもんで」

世間には、これが似合う顔と似合わない顔がある。
シバタには、似合わねえよな。

帽子をかぶり、ヘヴィメタ風に、右手の人差し指と小指を立てて、舌を出した。

自分で言うのもなんだが、いいオッサンが、これをやるのは寒い。
寒すぎたかな、とハゲの息子に聞いた。

ハゲの息子は、曖昧に「まあ、寒いと言えば寒い……かな」と、引き加減にうなずいた。


真面目なハゲが足踏みをしながら、体を縮こまらせ、唸った。
「ホントだ! 寒いよ。今日の風は、特別寒い!」


5時間の予定だったが、2時間半で撤収した。

帰りの車内で、ハゲの息子とガンズ&ローゼスの話題で盛り上がっているそばで、ハゲは深い眠りに落ちていた。

そのハゲしい寝姿を横目で見ながら、オヤジを大切にしてやってくれよな、とハゲの息子に言った。


「大丈夫ですよ。
 だんだん抜け落ちていく頭を見て育ったんですから。
 あれは、家族のために働いた証じゃないですか。
 勲章ですよ」



いい息子だ。




2014/11/22 AM 08:19:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

私が心配な男
ひと月おきに開催される同業者との飲み会をキャンセルした。

人からカラダのことを聞かれるのが、好きでないからだ。

私が嫌いなことの一番は、体の心配をされること。
聞く方は、本気で心配してくれているから申し訳ないのだが、どう答えていいかわからないという勝手な理由で、私はその話題を出されると、あからさまに不機嫌になる「人でなし」である。

細かい説明を望んでいないのがわかるから、聞かれたらテキトーに答える。
当たり前のことだが、絶対に伝わらない。

伝わらないなら伝わらないでいいから、根掘り葉掘り聞かないで欲しいのだが、人類を進歩させた性格の一つである「好奇心」という厄介なものが、人には備わっている。

「え? 重いの軽いの?」
「いつ治るの?」
「医者はなんて言ってるの?」

うるせえよ!

心配していただいているのに、私の心は「うるせえよ」で満たされてしまう。
人間としてクズだ。

自分がクズだというのは、24時間自覚しているが、さらにクズの上乗せをするのがイヤなのだ。

それなら、答えない方が、心は安らぐ。
だから、飲み会に行くのはやめた。


私は、祖母と母を尊敬しているのだが、母の性格で唯一受け入れられないのが、極度の心配性だというところだ。

子どもの頃、膝に直径5ミリほどの砂利が数個めり込んだという、たいしたことのない怪我でも、大騒ぎして「お医者さんに見てもらいましょう」と、母はうろたえた。
高熱が出ただけでも、「お医者さんに」と青ざめた。

その押し寄せてくる心配性の波が、子ども心に鬱陶しかったので、私は5歳から、「痛い」「つらい」という自己申告をしなくなった。

怪我をしても高熱が出ても人には隠した。
もちろん、子どもが具合が悪くなったら、大人に隠し通せるわけがないのだが、当時の私は、隠し通したと思っていた。

高校2年の秋、東京都の陸上大会に出るために、朝早く起きた。
仕事に出る前の母が、私の部屋に来て言った。

「熱になんか負けちゃダメよ」
私の機嫌を損ねないように遠慮がちに言った。

私が昨晩から熱を出していたのを知っていたのだ。
母の目の奥に、心配性の波が渦巻いていたのが、見えた。

その目を見て、心配されるのが嫌いな私の性格が、「子を心配する」という母親の役割の一つを奪っていたことに気づいた。
身勝手な自分を呪った。
私は母の手を取って、自分のおでこに当て、「熱にもレースにも負けない」と答えた。

フルタイムで働いていた母は、どんな行事があっても、子どものために弁当を作らなかった。
作る暇がなかった。

母は、私の手に千円札を握らせ、「熱い手だね」と淋しげに言って、家を出た。
母は、仕事の合間合間に、私の体のことを身をよじるほど心配したに違いない。

私が親だったら、こんな子どもはいらない。
罰当たりな息子だ。

親に心配してもらう権利を子は持っている。
私は、その権利は放棄したが、親の愛情を受ける権利を放棄したわけではなかった。

フルタイムで働いている、体の弱い心配性の母親に、余計な時間を与えたくなかっただけだよ、と当時の私は格好をつけた。
そして、今もカッコウをつけている。

それは、ちっとも格好いいことではないのだが、あまりにも長く続けていたせいで、私の性格のど真ん中に、その歪んだ心は居座って、今もまわりに迷惑をかけ続けている。


私のヨメは、そんな私の性格を熟知しているから、絶対に私の体を心配しない(言葉に出して心配しないという意味だが)。

その状態は、とても心地いい。

超気持ちいい〜!

熱があったって、体のどこかが痛くたって、仕事はしなくてはいけないのだから、「痛いアピール」「つらいアピール」をしたって、何の解決にもならない。
人から心配されても、解決しない。

サッサと仕事を終えて、休息を得れば、万全とはいえないまでも回復はする。
おそらく誰もが、それを繰り返して生きている。


そんな風なことをテクニカルイラストの達人、アホのイナバに話した。

場所は、新橋のオイスターバーだ。
イナバはアホだが、私が牡蠣が大好物だということは、覚えているのである。
だから、奢ってくれるというのだ。

牡蠣がただで食えるのなら、私はどこにだって着いていく。
「イスラム国」は真っ平ゴメンだが、東京都港区新橋の酔っぱらいが溢れた親父クサい場所でも文句は言わない。

贅沢にも「6種類の牡蠣のフルコース」を食い、富士山深層水を飲みながら、アホと戯れた。

イナバは、恐がりで痛がりである。
盛大に「痛いアピール」をする。

「寝違えて背中が痛いんですよ〜!」
「同じ姿勢でいるとつらいんですよ〜」
「車の運転が大変なんですよ〜」

寝違えて死んだやつはいない。
同じ姿勢でい続けて死んだやつはいるかもしれない。
車の運転をしなければいい。だから、君のベンツを俺にくれ。


「いや、そうじゃなくて〜、Mさんの先生、優香に似てるんでしょ。俺も診てもらおうかなっと」

そういう下心があったのか。
しかし、君の症状は外科か整形外科じゃないかな。

優香観音様は、循環器系だ。
専門が、まったく違うな。

それを聞いたイナバが、ブツブツと一人言のような呪文を唱えた。
「Mさん、ジュンカンキケイって何ですか? 『キケイ』って『変な形』って意味ですか? でも、そうすると、『ジュンカン』がわからないな。変な形がグルグル回っていることかな。えっ! それって重病じゃないですかァ!」


イナバくん。

俺には、君の頭の方が「心配」だよ。



2014/11/16 AM 08:25:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

優しすぎる男
近所に住む母から、驚きの事実を知らされた。

友人の尾崎のことである。
尾崎とは、30年近い付き合いになる。

そして、私の母は、25年くらい前から尾崎のことを知っていた。
私がまだ中目黒の実家にいた頃、友人の尾崎が訪ねてきたことがあった。
そのときから、母は、尾崎がお気に入りだ。

尾崎の外見は、怖い。
ヤクザと言えば、人は信じるだろうし、刑事と言っても信じただろう。
そして、前科持ちだと言っても、背中に入れ墨があると言っても誰もが疑わないような風貌をしていた。

声も低く、雰囲気は陰気だ。
「俺は友だちが少ない。もう親はいないが、ガキの頃は親にも気味悪がれた」と自分で言っているほどだ。

しかし、私の母は、まったく尾崎のマイナスの空気を意に介さず、普通に私の友人として接した。
尾崎が帰ってからも「また会いたくなる子ね」と言って、声を弾ませたのである。

尾崎は、私の母のことを「先生」と呼んだ。
若い頃、母が教師をしていたことを尾崎は知らないはずだが、最初に会ったときから「先生」と呼んだのだ。

「俺が、この世界で尊敬できる唯一の人は、おまえのおふくろさんだな」とも言っていた。

お互いが何かを感じたのだと思う。

尾崎は、私がいないときも私の母に会いに来ることがたまにあった。
中目黒にいたときも、母が川崎に越してからも。
そして、私の東京武蔵野のオンボロ・アパートの近くに越してからも、もう3回は来ているはずだ。

律儀な男だ。


昨日、母のマンションに顔を出したら、「尾崎くんが昨日来たわ」と言った。
そして、「子どもができたって」と言うのである。

子ども?
誰の?

「もちろん。尾崎くんと恵実さんとの間に決まってるでしょ」

母の認知症が、救いがたいほど進行したのかと思った。

私より2歳下とはいえ、尾崎は50半ばを過ぎているのだ。
恵実も40歳前後のはずだ。
すでに、子どもも2人いる。

今さら、子どもを産む理由がない。

私がそう言うと、母は「尾崎くんは’、あなたならわかってくれるって言ってたわよ」と、ホットコーヒーしか飲まない自分の息子に、冷えたコーラを出しながら言った。

私ならわかる………か。

尾崎には、先妻との間に子どもが一人いて、最近、その子が結婚をした。
結婚式には呼ばれたが、尾崎は出席しなかった。

「生物学的に父親だってだけだからな」

娘の人生に、自分は関わってこなかった。
結婚式のときだけ、親父ヅラをするのは、理屈に合わない、と思ったのだろう。
祝福はするが、尾崎がいるホームは離れていた。

7番線のホームから、1番線のホームの娘を拍手で見送る。
娘が、どの列車に乗ろうが、幸せになればそれでいい。
所詮、俺は、違う列車に乗ってしまったのだから。

娘が困ったら、割り込んででも列車に乗り込むだろうが、ダイヤが順調なら、尾崎は違う列車に乗り続けるだろう。
運転士は尾崎、乗客は恵実と子ども2人。
おそらく、そう割り切っていたのだと思う。

だが、その列車の乗員が、4人から5人になるという。

子どもが嫁いだことと関係があるのかもしれない、と矛盾したことを考えた。
レールは違っていたが、離れた子も、尾崎は運んでいるつもりだった。
つまり3人の子と恵実を運ぶことが義務だと思っていたのだ。

だが、一人が完全に離れた。

自分の中で心の整理はつけたつもりだったが、尾崎の中に空洞ができてしまったのかもしれない。

外見で損をしているが、尾崎は優しすぎる男だ。

その本質を知っているのは、妻の恵実と私の母、そして、私だけだろう。
いや、尾崎の子どもたちも知っているはずだ。

尾崎は、定職を持たない恵実の弟を強引に連れて来て、自分が経営するスタンドバーの店長にしていた。
最初は、嫌がる義弟を拳を使って仕込んだが、一週間も経たないうちに、義弟は尾崎に心酔した。
そして、ひと月で店を任せられるようになった。

そんな野蛮なことは私にはできないから、私は尾崎を笑いながら非難したが、反対に、尾崎に「おまえなら、もっと暴力的になっただろう」と鼻で笑われた。

私は、舌打ちを返しただけだった。

「仕事ができるやつが、その気にならないのは、社会に取って悪だ。だから、無理やりにでも、その気にさせる。おまえだって、そうだろ」

それが正しいと思うかどうかは、人によって違うだろうが、か弱い私には絶対にできない。
つまり、私は優しくないということだ。

尾崎は、私より遥かに、優しさを濃厚に持っている男だ。
違う言い方をすれば、淋しい男、と言ってもいい。

だから、空洞が我慢できなかったのかもしれない。


夜、尾崎に電話をした。

今さら、娘さんの結婚が、こたえたのか、と聞いた。

小さな沈黙のあと、「血を埋めるのは血しかないって気づいたんだ。動物的で都合のいい話だがな」と、尾崎が乾いた声で言った。

きっと尾崎の視線の先には、恵実と子どもたちがいたはずだ。
乾いた声の中に、私は尾崎の家族への思いを感じ取った。

しかしな、と私は意地悪く言った。

いつかは、皆それぞれが違う列車に乗ってしまうかもしれないのにか。

尾崎が、珍しく軽い息を吐きながら笑った。
「そうなる前に、俺は死んでいるし、おまえだってな」


確かに………な。



おめでとう、と小さく言った。



息だけの笑いが返ってきた。





2014/11/10 AM 06:26:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

老後幸福サドンデス
先週の木曜日のことだった。
ご老人が倒れていた。

オンボロアパートから百メートルほどの緩やかな傾斜の道。
坂の下だった。

左手にゴミ袋を持ったまま、右半身を下にして倒れていた。

大丈夫ですか、と声をかけた。

返事はなかったが、小さく頷くのが見えた。
名前は言えますか、と聞いた。

「シマノ」と細いかすれた声で答えた。
意識はあると見たので、家はどこですか、と聞いてみた。

老人は、小さく首を傾げた。
事態が飲み込めていないのかもしれない。

小太りのご老人だ。
おそらく70歳半ばから後半だろう。
手の皺で、そう判断した。

時刻は、8時10分過ぎ。
神田の得意先に行くために、家を出て2分ほどで、遭遇したのである。

私の場合、打ち合わせには余裕を持って出かけるようにしていた。
頻繁にダイヤが乱れる中央線だから、予定より30分以上早く行動する癖がついていた。

たとえ中央線が止まっていたとしても、武蔵野から神田までなら、自転車をハッスル(死語?)すれば1時間半で着く。
危機管理は万全だ。

だから、時間に余裕はある。
今朝は、中央線が遅れているという情報はなかったから、まだご老人に付き合っていられた。

だが、この事態をどう対処したらいいか、私は戸惑った。
私の横を20代半ばの若い女性、50歳前後のサラリーマン、自転車の後ろの荷台にネギを大量に積んだ70歳前後の男性が通り過ぎていったが、誰もが知らんぷりだった。

まったく期待していなかったので、落胆はしなかった。
だから、まるで看護師さんのように、ご老人の頸動脈に手を当てて脈を測る余計なお世話もできた。

脈は早かったが、しっかりしていた。
安心した。

安心したせいで、近くに医院があったのを思い出した。
ここから3百メートルも離れていないところに、内科を開業している医院があったのだ。

名前はわかっていたので、iPhoneで検索して、電話番号を探り当てた。
個人医院の診療の始まりは、たいていは9時過ぎだろうが、家が医院に隣接していれば、緊急のときのために自宅の電話に切り替わる可能性があった。
それに賭けた。

その推測は当たって、奥様らしき人が、4コールで出た。

事情を説明したら、力強い声で「すぐ行きます」と応えてくれた。
頼もしい声だった。

10分ほど待つと、普段着の奥様(?)と先生(?)らしき人が、大きなバッグを持って息を切らしてやってきた。

そして、ハモった。
「シマノのおじいちゃん!」

「シマノ」さんというのは、本当だったようだ。
つまり、お知り合いか患者さん、ということだろう。

よかった。
一件落着。
安堵&安堵。

あとはお願いします、と言って自転車に乗ろうとしたとき、医師(?)から、「おたくは?」と聞かれたので、名乗るほどのものでは、と答えようと思ったが、それほど格好いいシチュエーションでもなかったので、ただ名刺を渡して去ることにした。

それらのことは、中央線に乗っている間にキレイに忘れた。


夜7時過ぎ、iPhoneが震えた。
知らない電話番号。
………と一瞬思ったが、これって今朝電話をしたことがあったな、と思い直して、応答ボタンを押した。

思った通り、朝の医師からだった。
「助けてもらったのに知らんぷりは悪いと思って、報告だけしておこうと思いましてね」
外見は40歳くらいに見えたが、声は落ち着いていて、50過ぎの医師の役をする声優のような渋い声で医師が言った。

通りすがりのものですので、続編は期待していなかったのですが、と50過ぎの通りすがりの男の役をする声優を真似て答えたら、予期せぬ沈黙が返ってきた。

俺、何か変なこと言った?

変な男にかかわり合うのはよくないと考えたのか、相手の説明は簡潔だった。
おじいさんは、右足首の軽い捻挫と右膝の打撲で、全治2週間程度。
一人暮らしだから、しばらくは生活が不便でしょうね、ハァー、と言って、電話を切った。


察するに、ご老人は、ゴミ捨て場にゴミ袋を運ぶ最中に、何ものかにつまづき、転んだに違いない。
そして、足を捻挫した。

一人暮らしの怪我は大変だ。
買い物に行くのも不自由だろう。
ネットショップを利用していれば、多少は助けになるが、歩いて買い物に行く手段しか持っていなかったら、不便この上ない。

ヘルパーさんは、雇っているのかな、などと余計なことまで考えた。

人ごとではないからだ。

私も、いつか、ひとりで暮らす身分にならないとも限らない。

つい最近、世間話の中で、息子と娘が「結婚しても一緒に住もうよ」と言ってくれたのだが、そんなありがたい言葉が、永遠の有効期限を持っていると考えるほど、私は楽天家ではない。

だから、そのありがたい言葉は、鍵の壊れた金庫に仕舞って永遠に封印した。


独居老人。

その言葉が現実のものになる確率は、相当高いのではないかと私は思っている。

そのときのために、私は世間様に迷惑をかけないよう、日々足腰を鍛え、脳の機能を柔らかく保つ努力をしている。
今の私は、薬を2種類飲むという情けない状態であるが、いつか復活する意思は強く持っている。

もし年を積み重ねた末に、足腰が言うことを聞かず、脳が固まってしまったら、「元気なうちに勝手に心臓が止まって回りに迷惑をかけずに逝く」という私の人生のシナリオは、確実に狂ってしまう。

それは困る。


なので………応援を、そこんところヨロシクお願いいたします。
(誰に言っている?)


今のところは、頭の中で、たえず面白すぎる妄想が駆け巡っているから、頭の方は、おそらく大丈夫だろう。
太もも好きに ボケはなし というコトワザもあることだし(ない?)。

大学1年の娘からも「おまえがボケることは、1兆円の宝くじが当たる確率よりも低い」とお墨付きを貰っているのである。

でも、1兆円、当たったりして。


先週の金曜日、晩メシを作っているとき、ヨメに言われた。
「ねえ、パブロン買ってきてくれた?」

ありゃ!

娘に言われた。
「パワーポイントのマニュアル本見つかったか?」

ありゃ!

(おでんを食いながら)息子に言われた。
「今日の晩メシ、チーズ・フォンデュって言ってなかった?」

ありゃ?

メシを食ったあとで、仕事のデータをレーザープリンタで出力しようとした。
紙を切らしていた。

ありゃ?

iPhoneの留守番電話を聞いた。
「今日の朝10時のご予約でしたが、キャンセルのご連絡はいただいておりましたでしょうか」
病院からの電話だった。
10時に、検査の予定だったのだ。

ありゃ………ありゃりゃ!

こんなにも大量に忘れ物をするなんて!
私の頭の中身は、なんてお茶目な脳みそに変化してしまったんだろう!


この事態を重く見た私は、友人のテクニカルイラストの達人・アホのイナバにメールをした。


「貴殿の奥様が、将来建設を計画中の老人ホームの入所を今から予約致します。
 費用につきましては、お慈悲を賜れば幸せ至極に存じます。

 我願う 老後幸福サドンデス!」



アホからの返事は、まだない。



2014/11/04 AM 08:06:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]



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