Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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目標は低くてもいい
スポーツの秋というのは、もう死語かもしれない。

友人の勤める会社は、毎年秋になると「秋の大運動会」を催していたが、4年前から止めていた。

極道コピーライター・ススキダの大口の取引先は、豪華景品付きの大運動会と豪華お土産付きの社内バス旅行を、毎年秋に交互に開催していたが、昨年から大運動会は止めて、一年おきのバス旅行だけになった。
そして、秋の定期検診、スポーツテストも、「必須」ではなく「任意」になった。

会社は、社員が健康でいる権利を奪おうとしているようだ。

たとえば、他にも学校などでは、運動会を秋に開催せずに、5月6月に前倒しするところが増えた。
季語としての「スポーツの秋」は残っているが、実生活で実感することは少なくなった。

何年か前までは、「スポーツの秋だから、何かスポーツでも始めようかな」という単細胞の人が少なからずいて、「どうせ三日坊主だろ!」という死語的な罵声を浴びせかけられたものだ。
しかし、今は、そんな愛すべき単細胞も少なくなった。

消滅しかけた「スポーツの秋」によって、スポーツを始めるきっかけを逃す大人がどんどん増えると、電車内に「脂肪人間」が増えて、満員電車が余計息苦しくなる。
そんな悲惨なことになる前に、「復活! スポーツの秋」運動を推進する政党が出て来たら、私は迷わず、貴重な一票を投じるだろう(嘘だが)。


ところで、嫌みな自慢だが、私は習慣的に体を動かしているので、「秋だから」体を動かす、という愛すべき単細胞とは違う。

医者からは、「運動はほどほどに」と小言を(釘を?)刺されているのだが、体を動かさない私は私ではないので、今も何かしら体に悪いことをやっている。

日常生活でエレベータやエスカレータは使わないこと。
週に最低1回は、小金井公園を10キロ程度ランニングすること。
湯上がりのストレッチは毎日。
得意先の近くにバッティングセンターがあるので、打ち合わせの帰りには必ず3ゲーム、バットを振り回す。
気が向いたら、テニスラケットの素振りを2百〜3百回。
気が向いたら、シャドーボクシングを2ラウンド。

健康な人が、これをやれば、間違いなく老化は防げる。
体力が増進する。

しかし、私の場合……………。


ところで、スポーツが長く続かない、という人はかなり多いと思う。

し始めの頃は、気合いも入って、興味の度合いもモチベーションも高いから、いつまでも続けていられそうな気がする。
だが、やりはじめているうちに、自分の思いとは逆に、体が思い通り動かない状態になると、モチベーションが一気に下がって、熱も冷める。
達成感を感じる前にやめてしまうのである。

私が思うところ、そのスポーツが長く続くかどうかは、「達成感」にある。
多くの人は、高い場所に目標を置いてスポーツを始めるから、低い達成感では満足しない。
いつまで経っても、目標に到達しないから、「もういいや!」となってしまうのだと思う。

だから、私は、目標は低い位置に設定した方がいいと思っている。


私事だが、大学まで陸上部にいた私は、20代後半まで、体力に不安を持ったことがなかった。
だが、若い頃は得意だったバック宙を、友人たちの前で久しぶりにしてみたら、無様なことになった。

愕然とした私は、30歳前に、ボクシングジムに通うことにした。
体育会系の部に入っていても、私は「見えないよね」と思われることが多かった。
ましてや、格闘技などまったく「らしくない」のだが、ボクシングが好きだったので、迷わずにジムに通った。

目標は、極めて低く設定した。
10代の練習生と同じ程度の3分のロープスキッピング(縄跳び)ができて、3分間連続してパンチを繰り出すことができればいいと思った。

だが、この低いと思った目標でさえ、その頂上は高かった。

だから、縄跳びとシャドーボクシングは1分続けられればいい、とすぐに目標を下げた。
それを休みをいれて3回繰り返せば、同じことになるのではないか、と心の中で言い訳をしたのだ。

この低い設定はうまくいって、私は達成感を充分に味わうことができた。
1分の連続で息が上がらなくなったら、次は1分30秒。
それが達成されたら2分。

みみっちいと思うかもしれないが、そんな低い設定でも達成したら嬉しいものなのだ。

そんな風に低い設定にしたのが功を奏したのか、1年3か月ジムに通って、ロープスキッピングは6ランドできるようになった。
シャドーボクシングは4ラウンド。
パンチングボールとサンドバッグ、ミット打ちは3ラウンド。
(もちろん、1日で、そのすべてをやるわけではない)

最後の頃は、トレーナーからスパーリングも誘われたが、人を殴るのが目的で始めたわけではないので、それはお断りした(殴られたら痛いだろうし逆上するだろうし)。

今は、事情があって、シャドーボクシングを2ラウンドもすると目が霞み、床にへたれ込むが、終えたあとには、それなりに爽快感がある。
目標を低く設定していなければ、こんなにも長い期間、体がボクシングの動きを憶えていることもなかっただろう。

だから、もしこれから、スポーツを始めたいという方がおられたら、私は、目標をできるだけ低く設定することをお勧めします。

小さい達成感を何度も味わう方が、経験値としての達成感、技術は、確実に向上する。
「大きな夢」は必要だが、その夢に向かって一目散に駆け上がっていける人は、ごくわずかの人だと思う。

夢は大きくてもいいが、たとえ目標が低くても、恥じることはない。

達成感の数が重要だ。

私は、そう思っている。


達成感と言えば、久しぶりにTVのニュース番組を見ていたら、「組体操で事故多発」というリポートを目にした。
小学6年生が運動会のハイライトとしてする、あの人間ピラミッドである。

組体操のピラミッドなどで怪我をした生徒の件数が2012年度は、6千件以上あったというのである。

6千は、多い。
小学6年生の総数が何人いるかわからないが、個人的な感覚で言えば、百を超えたら、その事故件数は多いと感じる。

思い返してみると、私の娘が小学6年のとき、組体操の練習で同じクラスの子が、左手首を骨折した。
ふくらはぎの肉離れで2週間松葉杖をついていた子もいた。
友人の子どもは、顔を地面に打ちつけて前歯を折った。

身近にも3人いたのである。

毎年、全国各地の学校で、怪我をした生徒が多発しているというリポート。
しかし、学校側に組体操をやめる意思はないらしい。

ニュースでは、まず人間ピラミッドに否定的な人の意見を聞いていた。
一番下で支えている子は、場合によっては全身に2百キロ近い負荷がかかるのだと言っていた。
簡単な組体操ならいいが、体のできていない小学生に、複雑な人間ピラミッドは危険である、という意見だった。

擁護派もいた。
子どもたちが達成感を味わうのはいいことだし、父兄もそれを目にして感動している、というのである。

達成感。

偏見かもしれないが、多くの場合、人間ピラミッドは自発的なものではないと思う。
行事だからやる、という生徒が多いのではないか、と私は疑っている。

最初は嫌々だったとしても、できたときは達成感を得ることができる、と思い込みたい大人は多いと思う。

達成感は確かにあるかもしれないが、「大人が敷いて来たレールとしての歴史ある行事」を強く拒絶できる子どもは少ない、という現実もそこにはあるのではないか、と疑り深い私は疑っている。

個人的な嫌悪で言わせてもらうと、私は、「俺たちだってやったんだから」とか「みんなやってるんだから」という論理は、横並び意識が強すぎて、説得力を感じない。

私が人にものを教えるとき、真っ先に排除するのが、「俺ができたんだから、おまえにもできるだろう」という概念だ。
教える相手に、少しでも多くの選択肢を用意するのが、教える側の最大の心構えだと私は思っている。

選ぶのは生徒たちであって、「あなたたち」ではない。

その結果、達成感を得たら、それは偶然にも「よし」ということだけでしかない。
怪我が多発している事実を知りながら、毎年のように生徒にピラミッドを作らせて、また怪我をさせるという学習能力のなさを、「達成感」で誤魔化されても困る。

個人のミスは、個人がかぶればいいが、大人の事情で怪我をさせておいて、「成功すれば達成感が」というご意見は、最大限の事故防止という「大人たちの責任」が抜け落ちていて、私には「責任からの逃亡」としか思えない。

ピラミッドが成功するのが当たり前だと思っているなら、最大限注意を配るのが、責任者の役目だ。
それは、「達成感」とは切り離すべき「確固たる義務」だ。


押しつけられた「達成感」は、あくまでも結果オーライの「一時的な錯覚」であって、6千件以上の事故と相殺できる性質のものではない。



安全が約束された簡単な組体操でも、充分「達成感」は得られる、と私は思うのですがね。




2014/10/05 AM 08:40:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]



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