Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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強面の仮面
真面目なことばかり書くと疲れるので、ふざけた話を。

集団的自衛権のことである。

どんなに頭の悪い政治家、政治評論家、法学者でも、それが憲法違反であることはわかる。

そこで、9条の制約を緩める方向で、安保も絡めて拡大解釈しようという目論みをソーリが主張しはじめた。

私は、この姑息さが、嫌だ。

だったら、憲法を改めればいいではないか。
なぜ、改訂を堂々といわない?

私は、「護憲派」である。

70年近く、一国の軍隊が、殺しもせず殺されもしなかった例は、おそらく人類の歴史上で稀なことだと思う。
それを永遠に続ける「壮大な実験」を9条の名の下にすることは、とても価値があることだと思っている。

しかし、政治家が自己の政策を主張するのは、当然だとも思っている。
政治家は、政策を主張、実行するのが仕事だからだ。

だからこそ、集団的自衛権を行使したいのなら、ネジ曲がった手段をとらずに、国民に直接問えばいいと思うのだ。


そして、唐突だが、私は読賣新聞が嫌いだ。
ジャイアンツの親会社だということもあるが、保守主義と全体主義を紙面で押しつけ、「俺、体制派なんだよね」という傲り高ぶった報道姿勢が、我慢できない。

まるで、背中の上でゴキブリ11匹と毛虫11匹が、サッカーをしているような背筋の寒さしか感じない。

だが、一点だけ評価できるのは、読賣は、昔から「改憲せよ」という主張を紙面で、し続けてきたことだ。

その直球は、心地いい。
報道機関の姿勢として、アッパレだと思う。

そんな人なら、抱いてやってもいい(?)。

私は、直球が好きだ。
「駆け引き」をされると、機嫌が悪くなる。

私は、直球を投げてチョンマゲとお願いして、チェンジアップを投げられたら、マウンドまで駈けて投手をボコボコにするという危ない男だ。

だから、自衛隊を活用したいのなら、正々堂々と「読賣新聞のように、改憲を主張しましょうよ」と思うのだ。
小手先の変化球で、誤魔化せると思う、日本のトップの弱腰が、私は嫌いだ。


アメリカに見捨てられないために、「自衛」を強化したいというのは、ソーリ個人の思いであって、国民の思いとは違うのではないか。

その国民の思いを確かめたいのなら、真っ正面から攻め込んで、国民投票にかければいい。
その方が、わかりやすくはないか。

彼は、何を怖がっているのだろうか。

最初から、「改憲」が、負けムードだから、逃げているとしか私には思えないのだが。

自民党は、責任与党だから、おそらく独自の「憲法草案」は、出来上がっているのだと思う。

しかし、その草案は、国民投票で勝負できるほどのものではないのかもしれない。
国のトップは、負けることを覚悟しているのかもしれない。
だから、姑息な方法で、「拡大解釈」を選んだのかもしれない。

しかし、アジア各国に「強面」の顔を見せるソーリなら、ここも強気でいくのが政治家としての気概というものではないのか。

強気の顔は、所詮は、ポーズなのか。


そんな誤魔化しで、自衛権に化粧を施したとしても、素顔は臆病なままだろう。

強面を気取るなら、正々堂々と「改憲」を議論して欲しい、と私は思う。

その業績を歴史に残したいなら、国民投票ができる環境を作って、憲法改訂を真正面から論議すべきだ。

バックには、自民党シンパで、俺たちが日本国の世論を作っているという、勘違いメディアの読賣新聞がいるのだから、世論操作は可能だろう。
保守を露骨に主張する産經新聞も神輿を担ぐだろうから、勝敗の行方はわからない。

改憲を国民に問うた初めての人ということで、ソーリの株は上がることはあっても、下がることはないと私は思っている。

アメリカからの圧力を怖がり、姑息な手段で「自衛権」をねじ曲げたソーリとして、歴史に名を残すのか、「改憲」を国民に提案した攻めるソーリとして名を残すのかは、私の感覚では大分違うのだが、一国のトップは、どこまでも「解釈」に逃げるつもりなのか。

たとえ彼の本質は弱腰でも、中国や韓国、北朝鮮に対して虚勢を張れば、彼の支持者は納得してくれる。
国家としての根本的な自衛権の解釈をねじ曲げても、支持者は拍手喝采なのだから、彼の本質が「弱腰」でも、強面の振りをすれば、ずっとヒーローでいられる。

つまり、この環境では、冒険ができないわけだ。


そのソーリを支えるのが、「平和憲法」を標榜する公明党なのだから、世の中はわからない。

同じ与党だからといって、政策が同じである必要はない。
だから、「それはダメだよ」と言っていいはずなのに、公明党は政権にしがみつきたいのか、ソーリの「解釈」に対して、強い「否」は言わない。

毎回、腰砕けだ。

お互いの意見を主張し、論議を極めるのが連立与党なのに、合わせることしか考えていない。

「平和憲法」を守りたいなら、公明党側から国民投票を提案すべきだろう。

そこに、公明党の存在意義がある。

最後に決めるのは、「主権を持つ国民」だ。
決定権は、国民にある。

それを忘れた政党は、自己の延命だけを考える身勝手な集団だ。

民主党政権の晩年、ノダソーリは、負けるとわかっている戦を仕掛けて、玉砕した。
あの姿は、いさぎよい、と今も私は思っている。
(幼稚な政権だから、あれしか方法がなかったのかもしれないが)


アメリカに脅されて、国を火薬くさくしたいなら、国民に信を問えばいい。
「宣戦布告」の権利を手に入れればいい。

しかし、国民の拒否を恐れるなら、強面の仮面は外した方がいい。

政治家の虚勢は、当たり前すぎて、私は見飽きた。


やりたいのなら、正々堂々とおやりください。


それが、どんな結果になろうが、国民が認めたことは、国の根本だ。

そのこと以上に、意味がある結果はない。

過去、幼稚な民主党を与党に選んだのも国民だし、保守層の票が欲しいために、いつまでも靖国参拝にこだわり続ける政治家を正装で参拝させているのも国民なのだ。
多数の選挙民が選んだことは、正しくはないかもしれないが、それは確実に「民意」と言っていい。


国民に聞く。

そして、その結果を受け入れる。


それが、国のトップの気概であり、責任与党としての矜持ではないだろうか。




2014/06/30 AM 06:35:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

しろうとのサッカー論
巡り合わせが悪い。

前回の夏季オリンピックや冬季オリンピックのときは、急ぎの仕事が押し寄せて、中継を生で観ることができなかった。
つまり、リアルタイムの感動を得ることができなかった。

そして、今回だ。
13日の金曜日に、極道コピーライターのススキダから仕事が入り、杉並の建設会社、稲城市の同業者、神田のイベント会社からも仕事が入った。
全部が、急ぎだ。

私に、ワールドカップを観るな、ということか。

とはいっても、日本の出場試合は、録画して真夜中に観た。
結果を知らない方が面白いのだが、情報時代のいま、どんなにプロテクトしても、情報は漏れる。
結果を知ってから観るスポーツ中継の味気なさったら、レモン汁をかけずに食う唐揚げみたいなものだ。

そこで、唐揚げを食いながら中継録画を観た、私の感想を。

最初にお断りしますが、私は、サッカーには詳しくない。
ファンでもない。
ルールは最低限しか把握していないし、技術、戦略には極めて疎い。

おそらく、これから述べることに関しては、「サッカー・エキスパート」の方々は、苦笑を漏らすかもしれない。


ここでは、私の得意な「走り」に関してだけ、感想を述べようと思う。

私は、中学・高校・大学で陸上部に所属していた。
専門は短距離だ。

私が大学1年のとき、陸上部に入って気づいたこと、それは、私を除く短距離の選手7人が、みな前傾姿勢で走っていたことだ。
腰も低い位置にあって、広いストライドで走っていた人はいなかった。

どうして、そんな走りを、と聞いたら、高校時代、そう教わってきたから、と皆が答えた。

ひねくれ者の私は、人が教えてくれた前傾姿勢を取り入れず、自分なりに工夫して、上体を立てて腰高で走った。
その方が、腕が強く振れるし、ストライドが伸びたからだ。

私が通っていた大学では、2年生が新入部員を教えるしきたりがあった。
そこで、私は、2年になったとき、新入部員3人に、「これは一つの提案なんだけどね」と、私の方式を説明した。

やるかやらないかは、君たちの自由だ。
自分の方式が正しいと思ったら、それをやった方がいい。
強制はしない。

私の方式は3つだ。

上体を立てて腰高で走る。
コブシは握らない。パーだ。
そして、笑顔で走る。

最後の「笑顔」は、笑い声を立てるという意味ではない。
笑いの表情を作って走る、ということだ。

私が、笑顔で走っていると、誰もが「あやしいやつ」という顔をしたものだが、眉間に皺を寄せて走るより、力が抜けて、フォームが乱れずに走れることを発見したから、私はいつも笑顔だった(私だけの理論だが)。

新入部員たちは、私のように、ひねくれ者ではなく、先輩の私の言うことを素直に聞いてくれて、上体起こし、パー、笑顔の「走り3か条」を守って練習した。

その結果、3人全員のタイムが上がった。
そのうちの一人は、1年で1秒近くタイムを縮めたのだ。
12秒台後半が、11秒台後半まで伸びた。

素直な人間は、吸収も上達も早いということだろうか。


という自慢話は、いい加減にして、話を戻す。

分野は違うが、イチロー選手の走る姿を見たことがおありだろうか。
(おありだろうか、というと、何を偉そうに上から目線で、と反発する方がいらっしゃるのだが、敬語を使って『偉そうに』と取られたら、日本語が話せなくなるのですよ。余談ですが)

イチロー選手は、走塁のときは、腰を低くして前傾姿勢で走る。
それは、超一流選手が長年の経験から編み出した理想的な走り方なのだと思う。

だが、守備のときのイチロー選手は、打球を追いかけて捕球するとき、腰高で前傾ではないことが多い。
おそらく彼の意識の中では、球に対して柔軟に対処できる走り方が、それなのだと思う。
そんな風に、打球に向かって一目散に駈けるイチロー選手の姿は、美しい。

彼の美技は、その走り方があるから生まれるものだ、と私は勝手に思っている。

つまり、腰高だから、柔軟な姿勢で、難しい打球を捕球できる………と。

また、多くのメジャーリーガーの守備の構えも腰高だ。
おそらく、その方が打球に対して、反応が早いからだろう。


前振りが長くなったが、ワールドカップの試合を見て、私が感じたことは、日本人選手の走る姿勢のことである。

ほとんどの人の腰の位置が低かった。
日本人は、背が低く足が短いから、ということではない。

外国選手にも背の低い人はいるが、彼らの腰の位置は高いのだ。

低いところにある球を蹴るのだから、重心は低くてもいいだろう、と思うかもしれないが、(ゴールキーパーも含めて)外国選手は、高いのだ。
それは、重心が低かったら、高い位置のボールへの反応が遅れるからだろう。
腰高なら、上の球、下の球に素早く反応できる。

外国の一流選手は、腰高ゆえに球に対する反応が早いから、状況に応じて、色々なシーンで動き回ることができる。
そして、日本選手のピッチ上での足の遅さは致命的だ(普通に100メートルを走ったら早いのかもしれないが、ピッチ上では遅く見える)。
小回りを利かせて、球を支配しても、最終段階では、外国選手にスピードで封殺される。
反応だけが早くても、最後の10センチ、20センチが届かない。

日本では、子どもの頃から、スポーツでは「重心を低く」と教わることが多い。
それは、日本人の体型と筋力を考慮して、最善を選んだ結果だと思う。

ただ、最近のJUDOでは、腰高で組んで、上から押しつぶしたり、組み手を取ったらすぐ放り投げたりするような「力勝負」も増えてきた。
重心が低いことが最善だとは言えなくなった。


要するに、何が言いたいのかというと、「走り」だけを限定してみると、日本選手は低いのだ。
そして、外国選手は高い。

繰り返すが、身長や足の長さを言っているのではない。
「重心が」ということだ。

その低い重心が、日本をワールドカップに出られるほどまでに躍進させた、と言われたら、私には何も言えない。

開き直るようだが、素人だからだ。

重心を低くして、野獣のように走り回る長友佑都選手の姿は美しい。
あれこそ、「日本人サッカー選手の走りの美学」かもしれない、と私は思う。

しかし、代表選手の皆があれでいいのか、とひねくれ者の私は録画を観ていて思ってしまったのだ。


日本選手の技術は、世界レベルと言っていい水準だと思う。


だが、走りは……………。

走りはまだ改善の余地があるのではないだろうか。




ピントのはずれた意見だということは、自分でもわかっているので、最後にゴメンナサイ、と謝っておきます。





祈願日本勝利。




2014/06/25 AM 06:35:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

つけ麺は星ゼロ
チャーシュー・デブとラーメンデート。

静岡在住のチャーシュー・デブから、年に数回、デートのお誘いがある。
ラーメンを食うだけなら、私を巻き込まないで欲しいと思うのだが、デブは私以外とはデートしないと言うから、その一途さに負けて、いつも付き合ってやっている。

「美味しいラーメン屋があるから、一緒にいきましょ」と言われたが、場所は埼玉県大宮。
私がいま一番行きたくない場所だ。

「車で移動しますから、Mさんは、寝ていてくださいよ」と言われ、本当に店の近くまで寝ていたので、埼玉の空気を感じないですんだ。

大宮駅からどれくらい離れているかわからないが、ラーメン屋は、確実にそこにあった。
近くのパーキングにベンツを停めたあとで、ラーメン屋の扉を開けた。

カウンターのみの小綺麗な店だ。
カウンターに比べて、厨房の大きさが際立っていたが、それが店主のこだわりなのだろう。
その主張は、悪くないと思った。

厨房が、客席より狭い理由はない。
広くても違和感はなかった。

11時半頃だったので、私たち以外では、お客の数は2人だけ。
ユッタリと食えそうだ。

そのとき、気がついたことがあった。
店に入ったとき、過剰なほどの「いらっしゃいませー!」がなかったのである。

鉢巻きを締めて、不必要な「いらっしゃいませー」の怒鳴り声を聞くと、私は喧嘩を売っているのかと、いつも思う。
そのたびに「食ってやるぜー」と叫びたくなるが、冷静に考えて、そこまで熱くラーメンを食う理由がないので、いつも、けっ!としか言わずに席に座った。

まあ、儀式ですからね………。

ラーメン屋に行ったからと言って、ラーメンが食いたいわけではない場合が、私の場合はある。
そのときは、生ビールと餃子を頼む。

ただ、困ったことに、多くのラーメン専門店の場合、「プライド」という高い壁があって、「ビールも餃子もライスも出さねえよ!」という「喧嘩売りの法則」がある。

俺んところは、ラーメン屋だからよ!

チャーシューデブのスガ君は、そんなラーメン店を好むのだが、私は「プライド」を食いにきているわけではない。
ビールと美味い食い物があれば、店の品格や歴史は選ばない。

私は、店主のこだわりなど、どうでもいいのだ。

その空間でメシを食うとき、自分がホーッという満足の空気を吐き出せれば、それでいい。
そんな空気を排出できない店は、私には馴染まない。
そんな店の雰囲気は、拒否するしかない。

そして、私は、ラーメンスープを飲み干すことはしない。
多くの人は飲み干して、満足感に浸るようだが、私の場合、飲み干すと塩辛さが口に残るので、飲み干さない。

だが、そんな私の行為を否定的に捉える人が、少なからずいるという現実がある。
最近では、チャーシュー・デブのスガ君が、私の飲み残したスープを処理してくれるという気持ち悪い状態になっているので、店側との軋轢は生まれない。

しかし、私は思うのだ。
飲み干したくもないスープを残して、何が悪い……と。
俺は、俺のポリシーで飲み干さないのに、そのどこがいけないのだ。

だから、この日このとき、私は自己主張をした。

店には、中華そばと中華つけ麺しかなかったので、つけ麺のスープ少なめにしてください。そして、麺は固めでお願いします、と頭を低くしてお願いした。
私は、柔らかい麺は「病人食」だと思っているので、どの場面でも、麺は固めを注文する習慣があった。
そして、スープは、なるべく少ない方がいい。

すると、店員さんが「麺は店のオリジナルですよ」と答えにならないことを言ったのである。
喧嘩を売ってきたようだが、ここは、エスコートしてもらったチャーシュー・デブの顔を立てて、私は舌打ちをせずに頷いた。

その結果、スープたっぷり、麺チョー柔らかめのつけ麺を食わされることになった。
ふた口食って、スガ君にバトンを渡した。

私には、無理だ。
こんなにスープたっぷりで、しかも柔らかすぎる麺を食うプログラムは、私の脳の中に出来上がっていない。

ビールを要求しようとしたが、呆れることに、その店のメニューにはビールがなかった。

郷に入っては郷に従え、ということわざがあるのは知っていた。
だから、私は「郷」に入った。

有名店のすることを、盲目的に受け入れる風潮があるのは知っていたが、私は、その風潮に不本意にもなびいてしまったのである。

大人しく、スガ君が、中華そばと私のつけ麺を食うのを待った(私には水を飲む習慣がなかったので、水も飲まずに待った)。
デブは、自分の中華そばを食っているときは嬉しそうだったが、私が頼んだつけ麺を食いだしたら、でかい面積の顔の上側にある眉をしかめる仕草をした。

スガ君の顔から推測するに、中華そばは、星3つだが、つけ麺は星ゼロだったのだと思う。
(だって、麺が柔らかすぎるんだもん!)

だが、眉はしかめても、デブは何も言わなかった。
何も言わずに、すべてを食い終わり、金を払って店を出た。
(いつもご馳走していただき、申し訳ありません)


そのあとの、ベンツ車内での会話。

「『あおい』の成長には、目を見張るものがありますね。もう毎日が、楽しくて楽しくて」

チャーシュー・デブ、スガ君に、去年の暮れ、2人目の子どもが産まれた。
あおい、という名の女の子だ。
(産まれる前から、私が名前は『あおいちゃん』にしろ、と暗示をかけ続けたら、デブが本当に名付けてしまった)

何度画像を見せてもらっても、わさび醤油をつけて食いたくなるほど、可愛い女の子だった。

か、可愛い!
可愛い、としか言いようがない。
天使だ。
私は、完全にノックアウトされた。
ハートをワシに掴まれた。

子どもの笑顔はすごい。

クソ不味いつけ麺を食わされて、完全に気が沈んだスガ君と私の心を瞬時に浮き立たせてくれたのだから。

「妻と子どもたちが、俺を支えてくれて、俺はなんて幸せなんだと、最近つくずく思いますよ」とデブが涙目で語った。

デブは、静岡でレンタル倉庫、レンタルコンテナ、カラオケボックス、スナック、駐車場を多角経営していた。
亡くなった義父の仕事を引き継いで経営しているのだが、最初の頃は、お人好しのデブに、経営が務まるのかと危惧したが、その膨張した貫禄あるボディに、引き寄せられるように客が安定的に増え続け、繁盛しているようだ。

「『君はいるだけでいいんだよ』というMさんの教えを守って、俺、何もしていないから、いいのかもしれないですよね」と謙遜するが、スガ君の社長としての『里田まい』、いや『たたずまい』が美しいから、経営が円滑に回っているのだと思う。


デブが、突然言い出した。

「Mさん、いまこそ、Mさんが考える『究極のラーメン屋』を作るべきじゃないでしょうか」
チャーシューデブ・スガ君は、過去静岡と東京飯田橋でラーメン屋を開業していたときがあった。

静岡の店で、私はスガ君と運命的な出会いをした。

その店は、客の笑顔が絶えない、温かい店だった。
スガ君と常連客との会話が、最高のオカズと言える店だった。

だが、4年半で店を閉めた。
スガ君の経営能力が、足りなかったからだ。

しかし、私は、あの「温かさ」こそが、究極のラーメン屋の形態だと思っていた。

だから、ことあるごとに、「こだわりを押しつけないラーメン屋を作ろうよ」とスガ君に提案していたのだ。
スガ君は、静岡の店と東京飯田橋の店を短期で畳むという失敗を繰り返したが、彼のラーメンに対する熱意は揺らいでいない、と私は見ていた。

ただ………次の一言で、私は、彼の気持ちにブレーキをかけた。

『ラーメン屋の名前『あおい』にしようと思うんですけど……」

あおい、はやめようよ。

ネガティブな考えかもしれないけど、また店を閉めることになったら、あおいちゃんが可哀想だよね。
君の意気込みは理解できるけど、子どもを巻き込むことはないんじゃないかな。
子どもとラーメン屋は別だと思わないと、「冷静な経営」はできないと俺は思うぞ。

私がそう言ったときのデブの落胆は、尋常ではないくらい大きかった。

130キロの体が、129キロにしぼんだように見えた。

「でも、俺、あおいのためなら頑張れると思うんですよ。今までは失敗したから、『こんどこそ』という思いがあるんです。それが『あおい』なんです!」

スガ君の意気込みはわかる。
娘さんに対する愛情もわかる。

だが、ビジネスと娘への愛情は別ではないだろうか。
そこを間違えたら、同じ過ちを繰り返すのではないだろうか。


「やっぱり、ダメですかねえ」という175センチ、体重130トンの落胆が、私の180センチ、57キロの体に押し寄せてきた。

いつも思うのだが、175センチ、130キロの体の前では、私ごときの存在は無に等しい。

しかし、存在感はなくても、言わなければいけないことがある。
それが、今日だ。

ダメだってばよ!

私はNARUTOになりきって、スガ君に言った。

「わ、わかりもした。
Mさんが、そげんゆぅっちなら、さじなげもっそ」
(どこの国の言葉?)

そんなNARUTO的な展開のあと、スガ君が言った。
「『あおい』が大きくなったとき、胸を張れる俺がいたら、俺はいいんですよ。娘に胸を張れない親には、なりたくないですからね」

それを聞いて思った。

俺は、娘や息子に胸を張れているのだろうか、と。

ない、ということは断言できる。

マイナスAカップの貧乳では、胸の張りようがない。

そこで、スガ君に聞いてみた。

君は、何カップだい?

私のアホな問いかけに、スガ君は瞬時に答えた。

「ワールド・カップじゃないでしょうか」


うまいな。

その返しには、負けたな。
今のトレンドを巧みに取り入れながら、なかなか味のある返しをしてきたな。



デブに、座布団を3枚、あげてください。



2014/06/20 AM 07:59:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

上司の人格と部下の人格
神田のイベント会社で、担当者が怒られていた。

「2日間も休みやがって! 
熱を出すなんて、精神がたるんでいるんだよ。
まだ微熱があるって? 甘ったれるな!
今日は、残業で穴埋めしろ!」

それを聞いて、ずいぶん前時代的な時代錯誤上司だなと思った。
これでは、次に高熱が出たとき、この部下は、休むことを躊躇するだろう。

上司は、人間として部下より偉いわけではない。
会社から仕事で重要な役割を与えられているだけだ。
上司が、体調を崩した人を無理に働かせる権利を与えられているというのは、勘違いであり、思い上がりだ。

会社の機械が壊れたら、誰でも修理を呼ぶだろう。
罵倒する人はいるかもしれないが、無理に働かせる人はいない。

人間も同じだ。
修理が必要なときは、休むか医師に見てもらえば、治りが早くなる。
それを頭ごなしに怒鳴るなど、パワー・ハラスメントに近い。

この叱咤は、上司が部下の頑張りを促したんだよ、言わば「愛のムチ」だ、と好意的に取る人もいるかもしれない。

しかし、私の感覚では、高熱後の「微熱」を健康体とは言わない。
それを「甘ったれている」という言葉で抑圧する感性が、私にはわからない。
私は、一方的な叱咤激励に、部下に対する愛情を感じなかった。

ただ、この上司は、叱責のあとでフォローしたかもしれない。
そう願いたいものだが、いずれにしても、自分の会社の社員以外がいる状況での部下への叱責は、見苦しい。
部下への尊敬が感じられない。

上司の人格と部下の人格は対等。

勘違いをしている上司が多すぎる。


変わって、一昨日の杉並の建設会社社長。

彼も、青い顔をした社員を怒鳴り散らしていた。
だが、その内容は違っていた。

「いつも言ってるだろうが!
具合が悪いやつは休め! 
完全に治してからでないと仕事させねえぞ。
おまえ、自分の代わりはいないって、うぬぼれているんじゃないだろうな。
勘違いするなよ。
サカモトとネギシだって、おまえの代わりはできる。そして、同じように、おまえはサカモトとネギシ、トオヤマの代わりになれる。
だから、安心して二人に仕事をさせてやれ。
とっとと帰れ!」

要するに、具合が悪かったら、休めと言っている。
おまえの仕事は、後輩の二人がカバーするから、治るまで休め…と。
そして、こんど後輩が具合悪くなったら、おまえがカバーしろ、という当たり前のことを言っているのだ。

私は、この言葉に部下への愛情を感じる(部外者の前で、社員を怒鳴る行為は減点対象)のだが、もちろん感じないという人もいるだろう。
そういう人は、上司の人格と部下の人格は対等だと思っていないのだと思う。

そういう方は、どうぞ、心置きなく、そっちの方の道を歩いてください。


最後は、新宿御苑の編集・企画会社。

この会社との付き合いは長いのだが、頻繁に仕事をいただくわけではない。
年に1〜2回程度である。

得意先としての密度は薄いかもしれないが、私はこの会社の空気感が好きだ。
社員・アルバイト20人未満の会社で、誰もがお互いを尊重している意識が、確実に伝わってくる。

それは、社長の澁谷氏の全方位的な気配りのできる性格によるのではないか、と私は思っている。

澁谷氏の奥さんは、私が埼玉で仕事をしていたときに、パソコン操作を教えた人だ。
彼女は、勉強熱心で礼儀正しい女性だった。
その彼女が、5年後、澁谷氏と結婚するという思いがけない縁に接して、私は、いいシナリオを書いてくれた「誰か」に感謝した。

余談だが、彼女の旧姓は「渋谷」さん。
渋谷さんが、澁谷氏に嫁いだということだ。
このシナリオも面白いと思う。

そして、ここから話は飛躍するのだが、私のお得意様であり友人に「桶川のフクシマさん」というのがいる。
30代半ばのおバカさんである。

ただ、このおバカさんは、几帳面で人思いのおバカさんだった。
彼の会社は、広告代理店だった。
そこの社長が、宮城県出身だったので、震災のボランティアで毎週のように被災地に出向き、復興のお手伝いをしていた。
そして、フクシマさんも、その社長の熱意につられるように、週末ごとに復興のお手伝いをした。

過剰なほど人思いのフクシマさんが、震災数ヶ月後の被災地で何を見たかは知らない。
そして、何を感じたのかもわからない。

ただ、言えることは、月日が経つごとに、フクシマさんの表情が無くなっていったという現実だ。
桶川に打ち合わせに行くたびに、バカ話のレベルが、どんどん低くなって、最後には笑顔が消えた。

当然、社長はフクシマさんの変化に気づいて、彼に休養を言い渡した。
それからの彼は、年上の奥さんと医師のサポートを受け、社会復帰に向けてリハビリを続けた。

私は、年に3回程度、フクシマさんに電話をして、私の声を聞いてもらうことを繰り返した。
その行為が、いいことなのかはわからなかったが、フクシマさんの奥さんが必ずつないでくれたので、フクシマさんに話しかけた。

時間は長くても2分程度だった。
フクシマさんからのリアクションは返ってこなかったが、奥さんが「大丈夫、伝わってますから」と言ってくれたので、それを信じた。


そして、また話は飛ぶのだが、澁谷氏が新宿御苑で会社を興す前に勤めていた会社が、桶川の広告代理店だったのである。
これもまた面白いシナリオだと思う。

今月はじめに、桶川の社長が、澁谷氏にフクシマさんのことを相談した。
澁谷氏は、フクシマさんと面識があった。
澁谷氏もたまに、ボランティアに参加していたから、フクシマさんの姿を現場で見ていたのだ。

「医者が、リハビリを一段階あげた方がいいって言うんで簡単な仕事をさせたいのだが、俺の会社では、色々なことを思い出すだろうから、向いていないと思う。だから、お願いがある。短い間でいいから、フクシマを預かってくれないだろうか。給料は俺のところが出すから」と桶川の社長。

それに対して、澁谷氏は、即座に「いいですよ」と答えたという。

3日前から、フクシマさんが、澁谷氏の会社で働いているという報告をフクシマさんの奥さんから受けた。
そのすぐあとに、桶川の社長からも電話があり、澁谷氏からはメールが来た。

澁谷氏のメールには、「会いにきますか」と書いてあった。

いま会いにいけません、と返信した。

行ったら、バカ話がしたくなる。
しかし、いまのフクシマさんに、それは逆効果ではないかと判断した。

フクシマさんには、穏やかに、極めて緩い坂道を上るかのごとく、快方に向かって欲しい。
その風景の中に、私はいらないと思う。

上司である桶川の社長。
そして、仮の上司の澁谷氏。

この二人ならきっと、対等の人格で、フクシマさんをサポートしてくれるだろう。



人格の壊れた私は、新宿御苑から5万光年離れた武蔵野の地で、クリアアサヒの500缶を飲みつつ、合間に貰い物のシーバーズリーガルのストレートと格闘しながら、「フクシマさん復活祈願」を毎日のように続けている。


Stupid guy , go and come back !
Fukushima , come back !
(おバカさん、帰ってこいや〜!)



2014/06/15 AM 06:44:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

いい人悪い人馬の人
人間は、悪い人ばかりではない。

しかし、いい人ばかりでもない。

私のまわりには、いい人が多いが、だからこそ、自己中心的で強引な人を見ると、私は「このひと苦手」と思ってしまうのだ。
前回のエントリーで、埼玉から中央線武蔵境駅まで仕事を持ってきた人に対して、私は冷たい態度を取ったことを書いた。

それに対して、批判の声が、いくつかあった。
何人かの方が、私の態度が失礼である、と思ったらしいのだ。

しかし、開き直るようだが、私は失礼と取られることを承知で書いた。

この件に関して言うと、事前に何の連絡もせずに、いきなり近所まで来て、仕事をして欲しい、という考え方は、私の脳の中にはない。
親しい間柄でも、あり得ない。
相手の都合を想像するのが、最低限の礼儀だと私は思っている。

相手が、その時間何をしているかを私はまず想像する。
しかし、想像できないから、相手の都合を恐る恐るメールで伺うのである。

必要な出来事なら、なおさら「自分本位」ではなく「相手本位」に考える。
相手の協力がなければできない仕事で、自分の都合を最優先するのは、精神的な「幼児」だ。

だから、「いきなり」は、あり得ない。
お得意様だとしても、あり得ない。

私はあのとき、オンボロアパートのオーナーに頼まれた手帳サイズのヘア・カタログの編集をしていた(オーナーは美容院・理髪店を経営している)。
その時間、小太りで少々髪の毛の薄いオーナーが、私の狭い仕事場にいらっしゃったのである。
そんなことは、ひとは想像できないだろう。
だからこそ、事前に状況を聞くべきだ、と言っている。


それに、底意地の悪い私は、6年前、唯一の仕事をいただいたときに、スミヤさんに「同じ仕事を頼んでいるデザイナーにページ1500円しか払ってないから、同じでいいですよね」と言われたことも引っかかっている。

そのとき、実際に彼に支払われていた報酬は、ページ2000円だった。
私は、こういう駆け引きが嫌いだ。

いや、駆け引きに参加させてもらえるならまだいいが、この場合は、明らかに「嘘」である。
1500円しか払えないのなら、それをそのまま言えばいい。
彼とあなたでは、付き合いが違うのだから、あるいは、スキルが違うのだから、とハッキリ言えばいい。
それが、交渉というものだ。

そんなやつは、信用できない。
嫌いだ。

心が狭いやつだ、と罵られようが、私は、そんなやつと同じ場所にいたくない。


「お馬さん」(人類史上最も馬に激似の男)の方が、はるかにいい。

お馬さんは、基本的に無神経な男だ。
お馬さんは、いきなり「ヤホー・オークションに欲しかった電子辞書が出ているんですけど、俺、ヤホーID持ってないんですよね。Mさん、落札しておいてもらえます?」と、メールで、いななくことがある。

大変迷惑な話だが、彼の要望に応えると、彼は必ず新宿で酒を奢ってくれるのだ。
ビールをワンケース送ってくることもある。
そして、直筆のお礼のハガキが届く。
恐ろしく乱れた「馬並み」の字だが、読めないことはない。
それを見て、私も「ヒヒン」と笑う。

そのほかに、「ノートパソコンの調子が悪いんで直してください」と、宅配便で送ってくることがある。
馬は、機械が苦手らしい。

直して送り返すと「ヒヒン、ヒヒン(感謝感謝)」というメールが寄せられ、やはりお礼のハガキが届く。
そして、酒の接待をしてくれる。


お馬さんには、孫がいる(馬三世)。
その2回目の誕生日に、手作りのケーキがあったらいいな、とお馬さんが、いなないた。
馬は、料理も苦手らしい。

「だから、俺んちの台所で、ケーキを作ってくれませんか」

お馬さんが住んでいる団地は、私が東京武蔵野に越してくるまで住んでいたメガ団地である。
だが、私は、その団地にいい思い出がない。
(子どもたちのお友だちとは仲良くなったが)
15年近く住んで、いい思い出がないというのは、相当な喜劇だが、詳しいことを述べると150巻の大河小説になってしまいそうなので、省略する。

悪いんだけど、団地に行くのは、チョッチュネ〜とためらっていたら、「ああ、じゃあ、俺の知り合いのキッチンスタジオで作ってくれません? スタジオは今年の4月末で閉めたんだけど、機材はまだ使えるから」と、意外なことを言われた。

キッチンスタジオと言えば、テレビの料理番組などで使われる、小洒落た小綺麗な小憎たらしいセットではないか。

そうか、俺も、とうとう速水もこみち氏になる日が来たか。

身長は少し足りないが、ルックスはパグ犬とボルゾイ犬の違いくらいしかない。
料理の腕も、ダルビッシュ有氏と全国幼稚園児対抗選手権優勝投手の差しかない。

作りましょう、と答えた。

そして、昨日、東京赤羽の閉店したキッチンスタジオで、バースデー・ケーキを作った。

ここで、レシピを書いて真似をされても困るので、詳細は割愛する。

ケーキを食う趣味がない私は、あまりケーキを作ることがない。
(お菓子……スィーツゥ? のレパートリーは、それなりにある)
だから、失敗してもいいように、具材をたくさん用意してもらった。

レシピ通りに作ったら、時間はかかったが、失敗せずにできてしまった。
そこで、調子に乗って、二つ目も作った。

「二つ目は、Mさんが持ってかえってよ」と言われたが、ケーキを持ち帰るとヨメが太った上に、それを私のせいにするので「イヤ!」と答えた。

うまい具合に、お馬さんが大型の保冷ボックスを持ってきていたので、それに2つのケーキが喧嘩しないように、お互いを箱に入れ、並べて格納した。
なかなか準備のいい馬だこと。

「武蔵野のアパートまで車(ボルボ。馬がボルボォ!)で送りますよ」と言われたが、マゴ(馬子?)ガキのためにも早く帰った方がいいと思ったので、愛人が赤羽にいるから、顔を出さないと怒られる、と断った。

ヒヒン、と笑われた。


帰りに、赤羽の「日高屋」で、透明な愛人(イメージは真木よう子さんか、恐れ多くも椎名林檎様)と餃子を食いながら、一番搾りを飲んでいたら、お馬さんからメールが来た。
「きょう自宅に届くように、クリアアサヒを1ケース頼んでおきましたから」

私は、こういうお馬さんの性格を愛している。
これこそが、立派な馬、というものだ。

馬に悪人はいない。
私は、この「うま悪人不在論」をいつかイギリスの科学誌『ネイチャー』に寄稿するつもりだ。

このような馬がぜひ、ダービーに勝って欲しい、と切に願う。



あ……ダービーって、もう………終わりましたか?



2014/06/10 AM 06:21:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

バイナラ
スミヤという男から、突然電話がかかってきた。

従業員2人の埼玉の印刷会社社長だ。
過去一度だけ仕事をいただいたことがあった。

そのスミヤさんの声を聞いて、私は不思議に思った。
私は埼玉から東京武蔵野に越してくるとき、携帯番号を変えた。
そして、新しい番号は親しい友人と馴染みの同業者、お得意様にしか伝えていなかった。

スミヤさんには、新しい番号を教えていなかった。
これから先、彼とお付き合いすることに、メリットがあると思えなかったからだ。
だから、私のiPhoneにも彼の情報は全く入っていない。

なぜ私の番号がわかったのか。
それは、誰かが教えた、と考えるのが自然だと思う。

しかし、誰に聞きましたか、と問いつめるのは、犯人探しをするようなものなので、私は、その欲求をアッサリと捨てた(実は犯人の見当はついていた)。
むしろ、なぜ電話をかけてきたか、を探るべきだろう。

だが、私はスミヤさんに対して、舌打ちをしたい感情しか持っていなかったので、それを聞くのもやめた。


スミヤさんから最初で最後の仕事を請けたのは、おそらく6年前だったと思う。
いつも頼んでいるデザイナーが、急病にかかったので、代わりに仕事を頼めないか、ということだった。

それは、さいたま市の高校の校内新聞だった。
フォーマットはすでにあるし、画像も文章も用意されていたので、1から作る仕事よりは楽だった。
面倒なのは、人物を切り抜く作業とオリジナルの罫線を作ることだったが、そのときは急ぎの仕事がなかったので、請けた。

最初の会話で、「悪いんだけど、いつも頼んでいるデザイナーさんと同じ額しか払えませんよ」と言われた。
私は、普段は底意地が悪くて金に汚い男だが、よそ様が困っているところに付け込んで、大金を巻き上げるほどの善人ではない。

だから、仰せのままに致すでござる、と答えた。

仕事は、2回の校正を含めて、1日半で終わった。
楽ちんだった。

そして、約束した通りの額を請求して、それは後日無事に支払われた。


その一ヶ月後、偶然にもスミヤさんが仕事を頼んでいるデザイナーさんと知り合うことになった。
鴻巣の同業者の事務所で出くわしたのだ。

「あの節は、お世話になりました」
いやいや、お体は大丈夫ですか、という鳥肌が立ちっぱなしの不毛の会話のあと、デザイナーのソガさんが、「あれは、手間がかかる割に、ギャラが安い仕事ですよね」と外人のように肩をすくめた。

「ページ2千円なんて、ボランティアみたいなもんですよ。そう思いませんでしたか」

スミヤの野郎!

「いま頼んでいるデザイナーさんと同じ額しか出せませんよ」
その言葉を信じて、私は、ページ当たり1500円しか請求しなかったのに。

スミヤ………大悪人じゃないですかぁ。


そんなやつだから、私は愛用のメリット・シャンプー……ではなくて、彼と付き合うメリットを見いだせなかったので、それ以来連絡を取っていなかった。

しかし、いま突然の電話だ。
しかも、冒頭からスミヤさんは、私を驚愕させることを言った。

「Mさん、武蔵境駅の近くに住んでいるんですよね。俺、いま武蔵境駅のロータリーに車を止めてるんですよ。やってもらいたい仕事があるんで、出てきてくれませんか」

はい?

事前に連絡もいれず、いきなり埼玉から武蔵野まで出てきて、私を呼び出すとは。
しかも、6年ぶり。
断られることは、想定していないのか。
あるいは、武蔵境に愛人でもいるのか。

彼のお父様お母様は、彼にどんな教育をしたのだろう。

いや、彼のご両親を責めてはいけない。
ご両親が、どれほど立派な教育を施したとしても、受ける側に理解力がなければ、呪文にしか聞こえないことは、最近とみに理解力の衰えた私には理解できる。

だから、私はこう考えた。

目には 目を
歯には 歯を
アンフェアには アンフェアを

わかりました。
でも、私はいま所用で、さいたま市の団地に来ているので、お会いできません。
申し訳ないのですが、団地の方に来てもらえませんか。

「ああ、そう。じゃあ、行くから」と、スミヤさんは、上機嫌で答えた。
(おそらく、愛人に逢ったあとだったのだろう)

落ち合う場所は、さいたま市の同業者「お馬さん(人類史上最も馬に激似の男)」の仕事場にした。

だが、もちろん私は埼玉にはいなかったし、行くつもりもなかった。
ただ、私は常識人なので、あらかじめ、お馬さんにスミヤさんが行くことを電話で報告することにした。

ワンコールで出たお馬さんは、甲高い声で「あれ、スミヤさんは、Mさんに仕事を頼むって言ってたけど」と、いなないた。


やっぱり、私の携帯番号を教えたのは、おまえだったのか!


馬刺しにして、おろしポン酢つけて食ってやろうか。
いや、食あたりしたら困るので、それはやめよう。
夏は食中毒が怖い。

私は、健康に気を使う男なのである。

そこで、私は、お馬さんにこう言った。

私は、スミヤさんという人を知らない。
ニオイを嗅いだこともなければ、食べたこともない。
知らない人の仕事を請けるのは、私のポリシーに反する。
ほな、バイナラ。


「バ、バ、バ、バ………バイナラ?」


その後、私は即座に、スミヤさんの携帯番号を「ナンバーブロック(着信拒否)」した。


1時間後、お馬さんから電話がかかってきたが、バイナラ、ラナイバ、と言って電話を切った。




ちなみに、バイナラ、とは「バイバイ」と「サヨナラ」を掛け合わせた言葉である。

もちろん、私のオリジナルではない。




2014/06/04 AM 07:36:00 | Comment(1) | TrackBack(0) | [Macなできごと]



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