Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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アシダマナガイナイ
同業者との新年会。

日本テレビドラマ「明日、ママがいない」の話題が出た。

そのとき私が、「明日、ママがいない」は、「芦田愛菜がいない」に聞こえるよね、と言ったら、みんなから「なに言ってんの? ドラマが非常識だって話をしているときに、ふざけたこと言わないでよ」と怒られた。

そうですか。
我が家族と、我が家に頻繁に晩メシを食いにくる高校3年の娘のお友だち全員が、そう聞こえたと申しておるのですが……。

「それは、耳がおかしいんですよ」とマジギレされた。

そうですか。
私は、日本国民の49パーセントが、そう聞こえていると思っていたのだが、同業者は、残りの51パーセントの方だったのか。

で、皆さんは「芦田愛菜がいない」は、観ておられるのですか?

「明日、ママがいない!」
また、マジで怒られた。

「あんなの観ていませんよ。最近のドラマは、つまらないですからね。『半沢直樹』と「あまちゃん』以外は、時間の無駄です」
「そうそう、昔のドラマは良かったのに、最近は………(フェイドアウト)」

耳のスイッチを切ったので、あとの会話は聞こえなかった。
(見ないで番組批判をするなよ。それでは、騒ぎに参加したいだけの一部のネット住民と…………フェイドアウト)


ここで、話が脱線する。

大学時代の友だちで、在学中に劇団に入っていた男がいた。
劇団の劇にも出るし、遊園地のヒーローショーで、怪獣の着ぐるみを着るアルバイトをすることもあった。

テレビにもエキストラで出ていたし、東映の映画にも、4、5本出演したことがあった。
どれも、ヤクザ映画のチンピラ役だ。
セリフを貰えることもあったし、出てすぐ殺されることもあった。

彼は、いま三重県で親の会社を継いで、社長様の椅子に収まっている。
家のエクステリア(外装)の会社だ。

その彼が、大学時代、夏休みや正月に帰省する度に、まわりから白い眼で見られたというのだ。
中学や高校時代の仲間からは、からかわれる程度で済んだが、近所の年輩の方たちからは、「親不孝もん!」「親に心配かけて、東京でなにやってるんだ」「ヤクザもんに成り下がって!」と怒られたというのである。

要するに、年輩の方たちは、彼がヤクザ映画でチンピラとして出ていたのを観て、現実とフィクションを混同し、彼がほんまもんのヤクザになったと思っていたというのである。

帰るたびに「恥さらしが!」という目線を浴びたこともあって、彼は大学3年以降10年以上、故郷に帰ることをためらった。
東京で名の知れた大学に通い、自分の好きなことをして大学生活を謳歌していたのに、故郷には居場所がなかったというのである。


ほんまかいな、とそのときは思ったのだが、私の義母(ヨメの母親)が、恋愛ドラマを見ると、男女の俳優が本当に付き合っていると毎回勘違いしていたことがあった。
その俳優たちが既婚だったりしたら、「何してるの! 家族がいるのに、あんな風に不倫して! 非常識にもほどがある!」と毎回怒っているのを見て、彼の言い分を信じるようになった。

世の中には、現実とドラマの区別のつかない「ドラマ素人」が現実にいるのだ。

彼らの脳の仕組みが、どうなっているか、私は脳科学の専門家ではないので、よくはわからない。
ただ、彼らの頭の中には、「どうしても譲れない正義」というのがあって、その正義に反することをしたら、異常に反応するのではないか、と私は思っている。

現実であろうが、ドラマであろうが、その正義に反したら、許してはおけない。

大抵の人は、「ドラマなんだから」で済んで、観終わったら、脳をリセットする。
しかし、リセットする能力の乏しい人は、その内容をいつまでも引きずって、現実に戻れない。

そして、言うのだ。
「ヤクザになんか成り下がって、けしからん!」
「妻子がいるのに、なに不倫してるのよ!」


話を戻して………、私は「明日、ママがいない」の第1話は観た。
2話以降は、録画してある(まだ観ていない)。

1話を見た感想を言わせてもらえば、芦田愛菜ちゃんと他の子役の皆様方の演技が、迫真のものだったので、何度も全身が鳥になった。
いや、鳥肌が立った。

この子たちは、役柄になりきっているな、と思った。

だから、リセットする能力の乏しい人たちは、ドラマを引きずるのは当然かもしれないと思った。

制作側が、何を意図して作ったのかは、1話を観ただけでは、わからない。
おそらく、最後まで鑑賞しないとわからないだろう。

しかし、リセットする能力の乏しい人が、ドラマに意義を唱えるなら、制作側は、たとえ少数意見であっても聞かなければならないだろう。
なぜなら、たとえ一部の人に対してだけだとしても、影響力があったのだから。


ただ………私は、ドラマは、すべてドラマの世界だけで完結する、と思っている。


その定義が理解できない人は、現実とドラマを混同させて、人の感情を過保護にシャットアウトしようとするだろう。
そのドラマを、なかったことにしてしまえば、楽だから。


そして、天才的な演技をした子役たちには、「負」のイメージだけがついて、演劇活動がリセットされることもあるかもしれない。
子役たちのためにも、ドラマは完結して欲しいと思うが、権限を持った特定の大人たちは、それを許さないかもしれない。


ドラマが世間に与える影響力は否定しないが、誰もが「非常識の常識」を振りかざして、同じ方向を向いて「否」しか言わない世界は、私は嫌だ。
嫌悪する。


ドラマに否定的な人は、「あんな子どもはいない」「あんな施設はない」「あんな職員はいない」「あんな言い方はしない」「現実的ではない」と言う。

わかっているではないか。

だって、ドラマなのだから。
現実的でないのは、当たり前だ。

空想の空間をドラマは表現しているだけだ。

現実世界に、「のだめ」はいないし、「半沢直樹」もいない。
「同情するなら」と叫んだ「家なき子」もいなかったんですよ。
「女王の教室」の問題教師・阿久津魔矢だって、最後には生徒たちから許されたが、悲しいことに彼女もいなかったのだ。


ドラマが「誤解」を与えるかもしれないが、「空想」がもたらす「誤解」は、「空想」が前提のものだ。
それを「空想」だと気づかせるのが、「まともな大人」だ。


「あれは、ただのドラマだ。あれは、画面に映る空想に過ぎない。君の知っている世界に、あんなものはない」と教えるのが、常識人の役目。
そして、害があると感じるなら、見せなければいいという「役目」もある。
だが、力づくで闇に葬る「権利」は、誰にもない。


そして、私はこうも思うのだ。

決して、視聴者を馬鹿にしてはいけない。

リセットする能力の乏しい人だって、長い時をかければ「現実」に舞い戻ってくる。
だって、彼らは、現実世界に生きているのだから。


私の大学時代の友人は、三重県で、リセットされた人々によって、当たり前のように社長であることを認められている。
繁盛しているようだ。


「更生した人」として、地域の人から尊敬されている。



別に「更生した」わけではないが、彼は現実世界で、まわりの人に、いま強く必要とされている。



2014/02/01 AM 06:16:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]



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