Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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すっきやねん!
同業者に、人類史上最も馬に激似の男がいる。
「お馬さん」と呼んでいる。

その「お馬さん」が、いつもこう言っている。
「俺、関西弁アレルギーなんですよね」
東京生まれでもないくせに、異常なほど関西人に敵対心を持っている男なのだ。

彼は、テレビで関西弁を聞くと、鳥肌が立って、すぐテレビを消すという。
40年以上の人生で、一度も関西人と付き合ったことがないから、免疫がないのだろう。
そして、心が狭いから、その免疫のなさを克服しようともしない。


私が最近、いいな、とおもった関西弁。

関西の人気者、やしきたかじん氏が天に召されたとき、司会者の宮根誠司氏が言った言葉。
「なに、先に死んでくれてんねん」

愛情と愛惜に溢れた、いい言葉だな、と思った。

「どうして、先に死んじまったんだよ」というより、私には、伝わる密度が濃い。
これは、いい言葉だ。

しかし、関西弁アレルギーの男には、「伝わんないよ!」ということになる。

ただ、そんな風に偉そうに言っても、子どもの頃からジャイアンツ・アレルギーの私にとって、ジャイアンツ関係の報道には、すべて「ケッ!」という反応になるから、ひと様の心の狭さを笑うことはできない。

私も同じように、「こころ狭き人」だ。


ところで、ここで、話は4メートルほど飛ぶ。

私と高校3年の娘は、串揚げ(大阪では串カツ)が、大好きである。
だから、3年ほど前(娘が高校に上がる直前)から、二人で大阪まで串カツを食いに行くツアーを年に2回敢行している。

金券ショップで買った新幹線自由席券を使用し、大阪に昼過ぎに到着。
昼は立ち食い形式の串カツを堪能し、思いつくままに環状線や地下鉄に乗り、市内をブラついたあとで、夕方また串カツ屋に入り、串カツを堪能する。

そして、その夜、東京駅行きの夜行バスに乗り、朝東京駅に到着すると、中央線に乗って家に帰り、娘は学校がある場合は、朝シャンしてから制服に着替えて登校するという楽しい生活を送っていた。
娘が志望大学に合格した(パチパチパチ)ので、そのお祝いも兼ねて、今回も21日に「串カツ・ツアー」を敢行した。

当たり前のことだが、大阪では関西弁が蔓延している。

娘は埼玉生まれ埼玉育ち。
私は東京生まれ東京育ち。
しかし、関西弁アレルギーはない(ほとんどの人が、ないと思うが)。

関西弁に限らず、どの方言も好ましく思っている。

昼間、梅田地下の立ち食い形式の串カツを食いながら、関西弁のコーラス(会話)を心地よく聞いていた。
そのとき突然、50歳前後のおじさんに、「兄さんたち、関西の人間やないな」と話しかけられた。
「違和感、あり過ぎや」とも言われた。

こっちは、全く違和感なかったんですがね。


その夜は、阪急グランドビルの串カツ屋さん。
ここは、2度目だ。
店内が綺麗で、にぎやかで、串カツが美味い。
だから、今回も行った。

カウンター席で、適当なものを食って、他愛もない話をしていたとき、カウンターの右隣に座ったサラリーマンらしき二人連れに、話しかけられた。
30歳は超えていないと思う。

「東京もん?」
私が頷くと、「違和感バリバリやな。すぐわかったよ」と口を曲げるようにして言われた。

私たち親子の顔は、いたって普通の日本人顔である。
「東京」という字が、顔に刻まれているわけではない。
どこに行っても、普通の日本人として景色に溶け込む平凡すぎるほど平凡な顔だ。

だから、大阪にも普通に溶け込んでいると思っていた。
しかし、「違和感バリバリ」だという。

東京弁を喋っていたからか?

「いや、違うな.とにかく俺たちの仲間には見えない」
一人がそう言うと、もう一人が「俺たち、東京が大嫌いだからね。敏感なんだよ」(関西弁を文章にするのは難しいので、以下は東京弁に翻訳)と言った。

東京に行ったことがあるか、と聞いたら「行くわけないわ! 嫌いなんだから!」とまた一方的なご意見。
一度行けば、考えも代わると思うが。

「だから、嫌いだから、行く気はないって!」
かなり筋金入りの東京嫌いと見た。

苦笑しながら、こう聞いてみた。
では、東京の人間が、大阪に越してきて、どれぐらいで関西の人は、東京人を受け入れてくれるのだろう。

「1ヶ月2ヶ月では無理だな。人によって違うけど、2年から5年はかかるだろうな。あるいは、一生受け入れない場合もある」

では、3歳まで大阪で暮らした人が、別の土地に行った場合は、もう関西人ではないのか。
「他がどう思うかは知らないが、俺は認めないな。ただ実家がこっちにあれば関西人だ」

沖縄の人が大阪に嫁いで、下手くそな関西弁を喋ったら、認めるか。
「ぜったい、認めない。下手な関西弁喋られるくらいなら、沖縄弁で喋ってもらった方がいい」

一所懸命に溶け込もうとして話しているのに?
「下手くそな関西弁は、あかん!」

他にも、関東のお笑いや食べ物、人物に関する否定など、かなり過激なことを言っていたが、誤解を与えそうな表現になるかもしれないので、ここでは書かない。

最後に、彼らが、面白いことを言った。

私が、俺は、大阪、嫌いじゃないぜ、と言うと、「ほら、東京人は、すぐカッコつけるからな」と笑われた。
そのあと、真顔でこう言ったのだ。

「東京は、外から入ってくるやつが多いだろ。そして、いつのまにか出て行く。だから、受け入れて忘れて、が当たり前になっている。
大阪も出たり入ったりはするが、大阪の人間は、ここに根付いたものを守ろうとするんだな。
わかるかい? 守っているんだよ、俺たち大阪の人間は、大阪の大事なものを。
カッコつけてたら、守れないからな。そこだけは、わかって欲しいな」


食い終わって席を立とうとしたら、二人に「俺ら、東京人とこんなに喋ったのは初めてだよ。全然おもろなかったけどな」と笑いながら、勘定書をひったくられた。

ちょっと待てよ、と私が言うと、「これも守ることの一つだからな。俺たちに恥をかかせるなよ」と、両手を立てて壁を作るように、勘定書を取り返そうとした私の手を遮った。

そして、「カッコつけてるわけやない。東京もんに負けとないだけや」と出口を指さされた。

私が宇宙で四番目に嫌いなことは、レジなどで、「私が払います」「いえ、ここは私が」という茶番劇を演じることだ。
あれは、必要なのか、といつも思っている。

奢りたいと思っている人がいたら、奢ってもらうのが礼儀だ。
余計なことは、しない方がいい。


私が、そんな私のポリシーに従って、おおきに、と言って頭を下げたら、「アホ!!」と言いながら、一人がコップの水をかけるふりをした。
娘が、ごちそうさまでした、と頭を下げたら、二人とも「オウ! 気ぃつけて帰りや」と笑ってくれた。

いい笑顔だった。



帰りの夜行バスの中で、娘が言った。

「少しまた大阪が好きになったな」

ああ、大阪、串カツ、好っきやねん!
(関西の方、怒らないでください)





2014/02/24 AM 08:35:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

58キロのアニキ
ラーメンは美味かったが、後味が悪かった。

静岡在住のチャーシュー・デブ社長のスガ君から、「久しぶりにラーメン同伴をしてください」というお誘いがあった。

デブと「ラーメン同伴」?
なんか、言葉の響きがイヤらしかったので、忙しかったが「2時間26分くらいなら、いいよ」とお誘いに乗ることにした。

いつもと同じように、年に5百杯はラーメンを食うというラーメン同伴デブが、店を探して、黒のベンツで私をエスコートしてくれた。
環七沿い、東京板橋のラーメン屋だった。

12時前に行ったのだが、行列はできていなかった。
スガ君に、ここ、人気があるの? と聞いたら、「コッテリ系の好きな人には、かなりあるみたいですよ」と言われた。

コッテリかあ……昨日の夜は、自家製串揚げを食って、食って、食って、死にそうになったからなあ。
ここで、コッテリ系ラーメンなんか食ったら、俺のポンポン大丈夫だろうか。

「大丈夫ですよ、Mさんの最後は俺が看取るって決めてますから」

いや、スガ君……それは、大げさでないかい?

「グハハハハハハハハハ」

笑って誤魔化された。


店内は、カウンター席よりもテーブル席の方が多いラーメン屋さん。
厨房を見ると、頭にハチマキ、眉間に皺。
意地でも笑わないと決めている、強面お兄さんが二人。

店員もハチマキ、黒の前掛け。
席に座るなり、「イラッシャイマセー!」と怒鳴られた。

スガ君が、しょう油豚骨を頼んだので、俺も同じもので、麺を固めにしてください、とお願いした。
すると、ハチマキ黒の前掛け兄さんに、「固め? うちは、麺は全部一緒ですよ。固めなんて、やっていませんから」と喧嘩を売られた。

そうですか、’他の店では、大抵は快く応じてくれるのだが、こちらは拒否ですか。
駅中の立ち食いそば屋でも、固めでお願いします、と言うと苦笑いしながら、オバちゃんが「いいわよー」と金歯を見せてくれるものだ。

何様だ。


以前、書いたことがあるが、私は柔らかい食い物は「病人食」と称して、忌み嫌っている。
ソバ、ラーメン、うどん、パスタ、ライスなど、すべて固くなくては、食う気がしない。
(カップラーメンなども指定時間の1分前に食うようにしている)

たとえば、肉や魚に関しても、固い方がいい。
よくグルメレポーターなどが、「この肉とろけるぅ〜」とか「大トロが口の中で溶けてなくなりました〜」と叫んでいるのを見るが、アホではないか、といつも思っている。

食い物は、歯と舌と喉で味わうものだ。
とろける食い物は、舌と喉では味わえても、歯で味わうことができない。

そんなもののどこがうまいんじゃい、と私は思っているのだ。

歯ごたえこそが、食の基本だ。

金払ってまで、病人食なんか食いたくないわい! というのが、私の見解だ。
(けっして病人食をバカにしているわけではございません。たったひとりの、オンリーワンの私個人の見解でございます)

ただ、そんな過激なことを怖そうなお顔の前で言えるわけもなく、しっかたねえか、と呟くしかなかった。

注文してから4分後、厨房の中で、派手な麺の湯切りパフォーマンスをしているところが見えたが、そんなときでも眉間に皺を寄せるのには、何か意味があるのか、とスガ君に問いかけた。

スガ君の答えは、明快だった。
「まあ、演出ですよ。自己満足です」

自己満足のラーメンが、ふたつ運ばれてきた。

食ってみて、味が悪いとは感じなかった。
スープは、確かにコッテリだが、口の中にいつまでも残るような重い濃厚感はなかった。
麺も柔らかすぎることはなく、かといって固くはないが、スープとのバランスは、悪くなかった。
麺が、スープと具材に、うまく絡んでいたと思う。

これなら、俺のポンポンも大丈夫そうだ。

予想外に良かったかもね、とスガ君に向かって呟いた。

スガ君は、汗だくになって完食し、水のお代わりを飲み干しているところだった。
そして、飲み干したあとで、「珍しいですね、Mさんが、そんなに素直に褒めるなんて」と笑った。

うまいものは、うまい。
だから、うまい棒はうまい。

「そうですよね。俺、うまい棒、大人買いして、大量にストックしてありますから。めんたい味とピザ味が、定番ですかね」

ラーメンだけでなく、うまい棒にまで手を広げるとは、さすがに金持ちは違う。

だから太るんだよ!
このチャーシュー・うまい棒デブめ!

私は、チャーシュー・うまい棒デブのように、スープを飲み干さない。
ラーメンに限らず、他の麺類のスープを飲み干したことが、おそらく一度もない。

塩辛いからだ。

我が家の場合、味噌汁は、自分で作っているから、塩加減を調節できる。
この程度なら、飲み干しても、他の料理の邪魔にならないな、ということを想定して作っている。

日高昆布とかつお節でダシをとって、絶えずキューブ状にして冷凍保存してある。
味噌も必ず減塩を使う。
それが汁のベースになるから、「味噌汁」というより味噌味の「出し汁」と言った方がいいかもしれない。
だから、口の中に塩辛さは、残らない。

しかし、金を出して食わされる汁物の多くは、飲み干すと塩辛さが口に残る。
それが、嫌だ。

だから、どんなに美味いラーメンのスープも、いい余韻で終わりたいために、必ず残す。

今回も残した。

食い終わって席を立ったあと、すぐ店員が器を片付けにきた。

そして、舌打ちをするように、小声で言ったのだ。
「残したのかよ〜〜〜〜何だよ〜〜」

麺を固めに、と言って断られたのも珍しい経験だったが、スープを残して舌打ちをされたのも初めてだった。

長年付き合っていて、私のこだわりを熟知しているスガ君は、このあとの私の行動が読めたのだと思う。
(自分で喧嘩を売ることはないが、売られた喧嘩は必ず買う)

だから、スガ君は、私の前でディフェンスをするように、でっかい体で私の自由を奪い、店員が片付けようとした器を横取りして、残りのスープを飲み干した。

そして、頭を低く下げ、ぶっとい腕で私を突っ張り、寄り切るように店の外に押し出したのである。
130キロ対58キロ。
一方的な負け相撲だった。

寒空の中で待つこと、4分55秒。

勘定を払うにしては、長過ぎるんでないかい。
そう思っていたら、スガ君が出てきた。

そして、あとから出てきた、頭ハチマキで眉間に皺を寄せた店長らしき人が、「今回は、ご迷惑をおかけしました」とスガ君に向けて、頭を下げた。
平身低頭、というのは、このことか、と思えるほどわかりやすい頭の下げ方だった。

きっとデブが、店長に対して、抗議したのだろう。
デブの貫禄と圧力は、半端じゃない。

私も、その暑苦しい圧力に、いつも真夏のオールドデリー(インド)にいるような鬱陶しさを感じていたのだ。
初めての人なら、なおさら、その圧力に恐怖を感じたであろう。

店長らしき人は、デブが背を向けても、頭を下げ続けていた。
私の方は、一度も見ない。
私など、眼中にないのかもしれない。

というより、130キロ対58キロ。
半分以下の私のことが、見えなかった可能性はある。


しばらく歩いて、スガ君に聞いた。

どんな風に、文句を言ったんだい。

「文句というより、店長を呼んでもらって、さっきの俺のアニキ分なんだけど、あのアニキが、ここのラーメンうまいって言ってましたよ。
スープは残しましたけど、アニキが褒めるのは珍しいんですよね、って言っただけですよ。
そうしたら、あの人、どんどん顔が青くなっていって、『お代は結構です』って言うもんだから、そんなことしたら、ア・ニ・キが怒るでしょうねって、笑いながらお金を払っただけです。
俺、なんか悪いことしましたか?」

スガ君は、そう言って、「じゃあ、家まで送りますんで、アニキ」と、私を黒のベンツへと誘った。


ベンツの後部座席に座って、スガ君に「アニキ、シートベルトを忘れないでください」と言われたとき、自分の眉間に、無駄に皺が寄っていることに気づいた。

眉間の皺を消そうとして、眉を動かしていたら、額が突っ張って、頭が痛くなった。
イテテテテテ………。



俺は、アニキにはなれないな、と思った。



2014/02/19 AM 08:42:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

冗談通じる? 通じない?
世の中には、冗談の通じない方がいらっしゃる。

娘の大学受験日。
試験あとに待ち合わせて、サイゼリアで簡単な答え合わせをした。

確実にできた問題は無視して、答えが怪しい問題だけを娘に憶えておいてもらって、あとでチェックすることにしたのだ。
その結果、ボーダーラインは、楽に超えたのではないか、という結論に至った。

父娘でグータッチをしたあとで、さすがに俺が腹を痛めて産んだ子だ、頭脳明晰なところは、そっくりだな、と言った。

すると、隣のテーブルに座っていた、30代と思われる女性二人が、高速でこちらを振り向いた。
我々の会話が、聞こえたようだ。

顔を見合わせて、「えー! 気持ち悪い」と囁く声が聞こえた。

もちろん私が気持ち悪いのは、私が一番よく知っている。
気持ち悪さ冬季オリンピック、というのがあったのなら、メダルは無理だが、上位入賞する自信はある。

ただ、これは冗談のつもりだったが、よそ様に向けて言った冗談ではなかった。
娘だけが笑ってくれれば(あるいは、ツッコンでくれれば)いいと思って言った言葉だ。

しかし、世の中には、それに真面目に反応する人がいるのだ。
しかも、追い討ちをかけるように、我々の方をチラ見しながら「早く出ましょうよ」と席を立ってしまったのである。

それを見て、私が腹を痛めて産んだ子が、「何じゃ、あれ!」と憤った。
そして、「偏差値、低いんじゃないか」と言ったが、その事実に関しては、ご想像にお任せするしかない。


話変わって、杉並の建設会社にお呼ばれしたので、昨日行ってきた。

「(東京)狛江の分譲地の看板、なかなかよく出来ているじゃねえか」と、応接セットのソファに座るなり、お褒めいただいた。
珍しく上機嫌のようだ。

そして、「このインスタント・コーヒーだがよ。ハイブリッドっていう最上級のものだぜ。ちょっと奮発したんだよな」と私の前に置かれたコーヒーを指さした。

この会社では、社員並びに客全員が飲むのは、お茶と決まっているのだが、私にとってお茶は天敵である。
日本茶、紅茶、ウーロン茶の類いは、すべて私の腹を攻撃するミサイルになる。

ポンポンが、ぴーぴーになるのだ。

だから、私はお茶は、たとえ柴咲コウ様に勧められたとしても、決して飲まないと決めていた。
建設会社の顔でか社長に勧められたら、なおさら飲まない。
飲む意義を見つけられない。

しかし、その私の頑なな態度に、顔でか社長は気分を害することなく、私にだけコーヒーを提供してくださるのが、今では日常の光景となった。
しかも、今回は、意味不明のハイブリッド・コーヒーだという。

お・も・て・な・し。

嫌な予感がする。
東京に20年ぶりの大雪が降る前触れかもしれない(もう降った?)。

ハイブリッド・コーヒー、いとうまし!

インスタント・コーヒーもバカにできませんね。
ドリップ・コーヒーと比べても、鼻を刺激する香りに遜色はない(ような気がする)。
少なくとも私には、ブラインド・テイストをしてもわからないだろう。

そんな風に、インスタント・コーヒーへの感謝の念を胸に溜めていたとき、顔でか社長が言った。

「分譲地に立てる看板だけでなく、近隣にも小さな看板、捨て看を設置したいんだがよ。
一応その筋の許可は取ってあるんで、できるだけ早急にできねえかな。
場所は6カ所程度だ」

もちろん、仰せの通りにいたします。
私は、権力者には、表向きは逆らわないように決めているので、深く頭を下げた。

打ち合わせは、3時間近くにも及んだ。
社長は、捨て看に分譲地の完成予定写真を入れることにこだわったが、私は写真よりも分譲地のネーミングを前面に出すことにこだわった。
写真でイメージをアピールするより、分譲地自体の認知が大事だと思ったのだ。

分譲地の場所と名前を憶えてもらうことが第一。
あとは、現地見学会で個々の客に希望を聞いて、イメージを確立させればいい。

最初からイメージを押しつける必要は、ないんじゃないですか。

時間はかかったが、最後には、社長は私の言い分に納得してくれた。

その間、こちらからお願いしたわけではないが、コーヒーのお代わりが運ばれること4回。
コーヒーを運んでくるたびに、40代の女性事務員さんの眉間の皺が深くなっていった、と思ったのは、私だけではなかったようだ。

その姿を見て、社長が嬉しそうに言った。
「なあ、これが本当の『おかわりなく(泣く)』ってやつだな」
泣く真似をしたのである。

それを聞いて、私の脳の全部が固まった。
ポッカーン!

まさか、それが冗談だとは思わなかったから、同じように思考停止した社内の人全員と顔を見合わせた。

誰もが、まさか、まさか、まさかのポッカーン顔。

まるで料理下手の人が作った豆乳スープが、極上のクリームシチューになったような意外性だ。
笑うわけにもいかず、皆の顔が能面になった。

私の顔もイケメンの能面になった。

しかし、社長は上機嫌な顔を崩さずに、「ハハハハハ、あんたのお相手をしていると、真面目なことを言うのがバカバカしくなってよ。ちょっとボケてみたんだが、伝わんなかったかい?」と笑った。


いえいえ、充分に伝わったでございます。
たいへん面白かったでございます。
私ごときには、思いもよらぬ冗談でございます。

上機嫌な社長は、「そうかい、そうかい、総会屋」と言って、嬉しそうに両手を叩いた。


冗談が通じるようになったのはいいが、これから先もこのクォリティで冗談をぶっ込まれたら、どうしようか、と危惧した私だった。



それに、社員の皆様方も、絶望的に可哀想だな………と。




2014/02/13 AM 07:51:06 | Comment(3) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

あんらまあ! の朝
胸騒ぎというほど大げさなものではないが、私の脳細胞の一部に、何かが来た。

だから、朝の8時過ぎだったが、電話をした。
WEBデザイナーのタカダ君(通称ダルマ)の携帯にである。

私は、基本的に夜の9時から朝の9時までは、よそ様に電話をしないというポリシーを持っている。
なぜなら、私がその時間帯に電話をされたら、キレるからである。

非常識なことをするな、このバカちんが!

私の知り合いは、そんな罵倒を何度か受けているから、その時間に用があるときは、必ずメールでお伺いを立ててくる。
そこまで教育するのに、かなりの時間を要した甲斐もあり、最近では無礼者が少なくなった。

喜ばしいことだ。

しかし、今回、そのルールを私みずからが破って、ダルマに電話をしてしまったのだ。
2月6日午前8時6分。

胸騒ぎの腰つき〜〜〜〜がしたからだ(チョットわかりづらいでしょうがサザンです)。


電話に出るなり、ダルマが、「ああ、師匠! もう4時間です」と泣いた。

主語と述語を無視して、いきなり数詞ですよ。

4時間と言われて、皆様は、何を思い出すだろうか。

私には、今年の正月開けに、静岡の得意先に年賀の挨拶に行ったとき、下腹の痛みに耐え、挨拶を終えて静岡駅のトイレに駆け込んだが、どれもふさがっていたので、我慢しながら新幹線に乗り、新幹線のトイレに駆け込もうとしたら、生存競争に負けて、さらにトイレの前で20分待たされたあと、やっとこさで用を足した、あの長い4時間のことしか思い出せない。

つまり、ダルマは、あの4時間のことを言っているのか?

おそらく、そんなことはない、と思う。

ダルマが言う。

「今朝の4時前から、もう4時間ですよ。まだ、産まれません!」


やはり…………。


予感は当たった。
2人目をご懐妊した、ダルマの奥さん、微笑みの天使・トモちゃんの目出たいニュースが、テレビやネットのニュースで、まったく報道されない。
おかしいと思っていたのだ。

もう、産まれてもいいはずなのに……。

パンダやキリンや象、カピバラの出産のニュースは、すぐ報道されるのに、トモちゃんの出産が報道されないなんて、日本のマスメディアはいつからこんなに偏向したのだ。

けしからん!

ずっと、そう思っていた。

君たち……生命の価値は、平等なのですぞ。
なぜ、トモちゃんの出産を報道しない?
バカちんが!

と思っていたら、とうとう来ましたか。

「師匠! いつ産まれるんですか! どうしますか! どうなんですか!」

声が上ずっていて、狂気を含んでいた。
だから、落ち着かせるために、囁くように言った。

「俺が行った方がいいのか! どうなんだ?」

0コンマ1秒の沈黙もなく、「お願いします」というダルマの声が聞こえた。

可愛い弟子のために、私は東京武蔵野吉祥寺の産院まで、辺りに気を配りつつ、自転車を高速で走らせた。
8時43分に到着して、受付でダルマの名前を出したら、受付の方に「4分前に、産まれました」と言われた。

な、難産でしたか? と聞いたら、「そうでも、ありません」という冷静な答えが返ってきた。
拍子抜けして脱力したまま、分娩室前のソファに座った。

ダルマ・ジュニアの泣き声が微かに聞こえた。
その他に、変なオッサンのみっともない泣き声も聞こえた。

天使の泣き声と妖怪の泣き声。

悪魔の館に迷い込んだような錯覚に陥った。

気を落ち着かせるためにiPhone 5sの待ち受け画面を見た。
アオコブダイが、悠然と泳いでる画像だ。

間抜けなオッサン面に、癒された。
私も、こんな間抜けなオッサン面になりたいものだ(もうなっているという噂もあるが)。

そんなことを考えていたら、アオコブダイよりも遥かに間抜けなオッサン面が、分娩室から出てきた。
普通、こんなときの涙というのは、美しく感じるものだが、アオコブダイ以下の生物の涙は、美しくなかった。

こんなオッサンには、なりたくないと思った。

その醜いオッサン面が、「師匠! お、お〜んなの子です!」と言って、私の両手をつかんだ。

そ、そうか………もちろん、奥さん似であろうな。
そうでないと……オッサン面の女の子など、あらかじめ20万ドルの入札金を払わなければ、人間界にポスティングされないぞ。

「だ、大丈夫です。トモちゃん似です。俺に似ているのは、毛深いところだけです」

それは、それで可哀想な部分も………。


分娩室前のソファで、ダルマに呪いの言葉、いや祝いの言葉をかけているとき、看護師さんが、早足で通りかかった。
「あら、おじいさまですか。中でごらんになったらいかがですか?」

お、おじいさま?
若干白髪染めの効力は落ちてきたとはいえ、一昨日得意先の新人君から、本当の年齢より12歳若く見られたばかりだ。
あれは、夢だったのか。

だいたい、私とダルマは19歳年が離れているが、見た目は6歳離れているようにしか見えない、といつも言われてきた。
たしかに、19歳差の親子は、掃いて捨てるほどいるだろうが、こんな男の父親にはなりたくない。
トモちゃんの父親に間違われるなら、我慢できるが。

だから、こう答えた。

こいつとは、何の関係もありません。
ただの通りすがりのものです。
お気遣いは無用です。

看護師さんは、「あんらまあ!」と口をO(オー)の形にしたまま、分娩室に入っていった。

陣痛が始まった妊婦さんが来たことを医師に知らせにきたようだ。


どうやら、私の役目は済んだようなので、私は立ち上がった。

タカダ君、おめでとう。
お祝いはまたの機会にするとして、今日は、父親の気分をタップリと味わいたまえ。

「えっ? トモちゃんと赤ちゃんには、会わないので?」


俺は、君のその幸せそうな(ブサイクな)顔を見ただけで、充分だよ。


私がそういったら、ダルマは、アオコブダイ以下の顔を私の肩に押しつけて号泣した。

そのとき、分娩室のドアが開いて、先ほどの看護師さんが、その異様な光景を凝視。

そして、口をO(オー)の形にして、「あんらまあ!」。


帰り道、自転車に乗っている間中、「あんらまあ!」が、耳から離れなかった。





何はともあれ、ダルマ、おめでとう(号泣)。




2014/02/07 AM 08:42:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

アシダマナガイナイ
同業者との新年会。

日本テレビドラマ「明日、ママがいない」の話題が出た。

そのとき私が、「明日、ママがいない」は、「芦田愛菜がいない」に聞こえるよね、と言ったら、みんなから「なに言ってんの? ドラマが非常識だって話をしているときに、ふざけたこと言わないでよ」と怒られた。

そうですか。
我が家族と、我が家に頻繁に晩メシを食いにくる高校3年の娘のお友だち全員が、そう聞こえたと申しておるのですが……。

「それは、耳がおかしいんですよ」とマジギレされた。

そうですか。
私は、日本国民の49パーセントが、そう聞こえていると思っていたのだが、同業者は、残りの51パーセントの方だったのか。

で、皆さんは「芦田愛菜がいない」は、観ておられるのですか?

「明日、ママがいない!」
また、マジで怒られた。

「あんなの観ていませんよ。最近のドラマは、つまらないですからね。『半沢直樹』と「あまちゃん』以外は、時間の無駄です」
「そうそう、昔のドラマは良かったのに、最近は………(フェイドアウト)」

耳のスイッチを切ったので、あとの会話は聞こえなかった。
(見ないで番組批判をするなよ。それでは、騒ぎに参加したいだけの一部のネット住民と…………フェイドアウト)


ここで、話が脱線する。

大学時代の友だちで、在学中に劇団に入っていた男がいた。
劇団の劇にも出るし、遊園地のヒーローショーで、怪獣の着ぐるみを着るアルバイトをすることもあった。

テレビにもエキストラで出ていたし、東映の映画にも、4、5本出演したことがあった。
どれも、ヤクザ映画のチンピラ役だ。
セリフを貰えることもあったし、出てすぐ殺されることもあった。

彼は、いま三重県で親の会社を継いで、社長様の椅子に収まっている。
家のエクステリア(外装)の会社だ。

その彼が、大学時代、夏休みや正月に帰省する度に、まわりから白い眼で見られたというのだ。
中学や高校時代の仲間からは、からかわれる程度で済んだが、近所の年輩の方たちからは、「親不孝もん!」「親に心配かけて、東京でなにやってるんだ」「ヤクザもんに成り下がって!」と怒られたというのである。

要するに、年輩の方たちは、彼がヤクザ映画でチンピラとして出ていたのを観て、現実とフィクションを混同し、彼がほんまもんのヤクザになったと思っていたというのである。

帰るたびに「恥さらしが!」という目線を浴びたこともあって、彼は大学3年以降10年以上、故郷に帰ることをためらった。
東京で名の知れた大学に通い、自分の好きなことをして大学生活を謳歌していたのに、故郷には居場所がなかったというのである。


ほんまかいな、とそのときは思ったのだが、私の義母(ヨメの母親)が、恋愛ドラマを見ると、男女の俳優が本当に付き合っていると毎回勘違いしていたことがあった。
その俳優たちが既婚だったりしたら、「何してるの! 家族がいるのに、あんな風に不倫して! 非常識にもほどがある!」と毎回怒っているのを見て、彼の言い分を信じるようになった。

世の中には、現実とドラマの区別のつかない「ドラマ素人」が現実にいるのだ。

彼らの脳の仕組みが、どうなっているか、私は脳科学の専門家ではないので、よくはわからない。
ただ、彼らの頭の中には、「どうしても譲れない正義」というのがあって、その正義に反することをしたら、異常に反応するのではないか、と私は思っている。

現実であろうが、ドラマであろうが、その正義に反したら、許してはおけない。

大抵の人は、「ドラマなんだから」で済んで、観終わったら、脳をリセットする。
しかし、リセットする能力の乏しい人は、その内容をいつまでも引きずって、現実に戻れない。

そして、言うのだ。
「ヤクザになんか成り下がって、けしからん!」
「妻子がいるのに、なに不倫してるのよ!」


話を戻して………、私は「明日、ママがいない」の第1話は観た。
2話以降は、録画してある(まだ観ていない)。

1話を見た感想を言わせてもらえば、芦田愛菜ちゃんと他の子役の皆様方の演技が、迫真のものだったので、何度も全身が鳥になった。
いや、鳥肌が立った。

この子たちは、役柄になりきっているな、と思った。

だから、リセットする能力の乏しい人たちは、ドラマを引きずるのは当然かもしれないと思った。

制作側が、何を意図して作ったのかは、1話を観ただけでは、わからない。
おそらく、最後まで鑑賞しないとわからないだろう。

しかし、リセットする能力の乏しい人が、ドラマに意義を唱えるなら、制作側は、たとえ少数意見であっても聞かなければならないだろう。
なぜなら、たとえ一部の人に対してだけだとしても、影響力があったのだから。


ただ………私は、ドラマは、すべてドラマの世界だけで完結する、と思っている。


その定義が理解できない人は、現実とドラマを混同させて、人の感情を過保護にシャットアウトしようとするだろう。
そのドラマを、なかったことにしてしまえば、楽だから。


そして、天才的な演技をした子役たちには、「負」のイメージだけがついて、演劇活動がリセットされることもあるかもしれない。
子役たちのためにも、ドラマは完結して欲しいと思うが、権限を持った特定の大人たちは、それを許さないかもしれない。


ドラマが世間に与える影響力は否定しないが、誰もが「非常識の常識」を振りかざして、同じ方向を向いて「否」しか言わない世界は、私は嫌だ。
嫌悪する。


ドラマに否定的な人は、「あんな子どもはいない」「あんな施設はない」「あんな職員はいない」「あんな言い方はしない」「現実的ではない」と言う。

わかっているではないか。

だって、ドラマなのだから。
現実的でないのは、当たり前だ。

空想の空間をドラマは表現しているだけだ。

現実世界に、「のだめ」はいないし、「半沢直樹」もいない。
「同情するなら」と叫んだ「家なき子」もいなかったんですよ。
「女王の教室」の問題教師・阿久津魔矢だって、最後には生徒たちから許されたが、悲しいことに彼女もいなかったのだ。


ドラマが「誤解」を与えるかもしれないが、「空想」がもたらす「誤解」は、「空想」が前提のものだ。
それを「空想」だと気づかせるのが、「まともな大人」だ。


「あれは、ただのドラマだ。あれは、画面に映る空想に過ぎない。君の知っている世界に、あんなものはない」と教えるのが、常識人の役目。
そして、害があると感じるなら、見せなければいいという「役目」もある。
だが、力づくで闇に葬る「権利」は、誰にもない。


そして、私はこうも思うのだ。

決して、視聴者を馬鹿にしてはいけない。

リセットする能力の乏しい人だって、長い時をかければ「現実」に舞い戻ってくる。
だって、彼らは、現実世界に生きているのだから。


私の大学時代の友人は、三重県で、リセットされた人々によって、当たり前のように社長であることを認められている。
繁盛しているようだ。


「更生した人」として、地域の人から尊敬されている。



別に「更生した」わけではないが、彼は現実世界で、まわりの人に、いま強く必要とされている。



2014/02/01 AM 06:16:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]



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