Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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友だちでもないのに
「働かざるもの食うべからず」と言う人に、私は腹が立っている。

知り合いが、4年前に失職してから定職についていない。
しかし、彼に対して軽率に「働かざるもの〜」というやつを俺は許さない。

「働けない」のには、理由がある。

タカマツは、大学時代のクラスメートだった。
ただ、彼は2浪しているので、皆より年が2つ上だった。

「俺が年上だからって、気を使うなよ。同じクラスなんだから、同じ扱いにしてくれよな」
こだわらない男だった。

言われた通り、私は気を使わなかったが、まわりは気を使っていたようだ。
誰もが「さん」づけで呼んでいた。
そんな周囲を見て、大学時代から「窮屈」の中に身を置いて、何が楽しいのかと思った。

大学時代のタカマツは、親分肌の男で、人の面倒を見るのが大好きだった。
頻繁にメシを奢ってくれたし、何かとアドバイスをしてくれた(恋愛限定だったが)。
人に意見をするときは、みんなの前ではなく、必ず個別に呼んで意見した。
人に恥をかかせないように、絶えず気を配っていた。

つまり、大人だった。

タカマツは、大学を出てすぐ結婚した(2浪なので早婚とは言わないだろう)。
しかし、2年半で離婚。
その後、30歳前に、いつの間にかプラスチック成形会社の婿養子に入り、女の子二人を授かった。

だが、数年後に離婚。
タカマツは仕事ができる男だったので、元義父は会社に残るよう懇願したが、彼は元奥さんの感情を配慮して、退社することを選んだ。

それからのタカマツは、数年周期で同居の女性を代えるという「モテ男人生」を送った。
ただ、2人の子どもの養育費の送金だけは、一度も欠かさなかった。

その後のタカマツは、新潟県の旅館のマネージャーに収まった。
だが、旅館は4年前に倒産し、タカマツは無職になった。

定職を求めたが、50歳過ぎの男に、望むような職は見つからなかったようだ。
タカマツは、繁忙期に地方の旅館に住み込み、布団の上げ下げや配膳をするアルバイトをして、子どもたちのための養育費を稼ぐ人生を歩んだ。

タカマツとは、大学卒業後、2度しか会っていない。
タカマツは、他の同級生とも、それほど会っていなかったと思う。
クラス会に来たことも、なかった。

プライドの高いタカマツは、自分のことを詮索されるのを嫌って、卒業後は我々と距離を置いていた。
ただ、人のことを詮索する趣味がない私にだけは、2年に1度ほどの割合で、近況報告の電話をかけてきた。
少しだけ、信頼されていたのかもしれない。

そのタカマツから、「病院にいるんだ」という電話がかかってきたのは、昨年の5月のことだった。
東京世田谷の病院だった。

私が、武蔵野から自転車で来た、と言ったら、10年ぶりに会ったタカマツから、「相変わらずだな」と呆れられた。

しかし、目の前のタカマツは「相変わらず」ではなかった。
病人独特の疲れが顔全体を支配して、彼のどこを見たらいいか、ためらうほどだった。

タカマツが言った。
「ちょっとだけ、人恋しくなってな」

人の笑顔を見て、顔を背けたくなったのは初めてだ。

疲れの浮いた笑顔で、タカマツが話しはじめた。

病気のため、旅館のアルバイトができなくなったこと。
入院していないときは、深夜のコンビニでアルバイトをして、入院費用と養育費を稼いでいること。

「アパートは風呂なし4畳だぜ」
「昼間寝て夜働く生活なんて、一番軽蔑していたんだが、意外と面白いもんだな」
「これからも何度か入院するだろうから、たまに来てくれよ。誰も見舞いに来ないってのは淋しいもんだからね」

病名は聞かなかった。
おそらく、これからも聞かないだろう。

今年の6月に見舞いにいったとき、私も体調を崩していたときだったから、おそらくタカマツと同じような顔をしていたのだと思う。
タカマツから「今日から入院するか」と、からかわれた。

同じ病室だったら、危ないな。
お前は、絶対に襲ってくるだろうからな。

「昔から、あなたのことが好きだったの」と冗談を言う顔も、疲れに支配されていた。

そして、唐突に、「先月から働いていないんだよ。体がつらくてな」と眩しいものを見るような目をして、私を見上げた。

金を……、と思った私の心を見透かすように、タカマツが「マツに頼るつもりはないよ。ここの入院費は、少し待ってくれるようにお願いした。命を取られるような病気じゃないから、働いて返すつもりだ。マツは、俺の話を聞いてくれるだけでいい」と言われた。

「命を取られるような病気じゃない」と言われて、全身の力が抜けた。

しかし、当面の生活費は……、と呟いたら、「俺は貧乏の達人だから、何とでもなる」と、目に力を込めて言われた。
魂だけは、病んではいないということか。

病気、無職、娘たちの養育費。

こんなときこそ生活保護を……と思ったが、タカマツには、娘たちのための預金があった。
その預金は、娘たちだけのために使うとタカマツが決めているものだ。

どれほどの預金があるか知らないが、生活できる程度の預金があるものに、役所は、その権利を与えないだろう。

決して自分のためには使わないと決めている預金。
それが、今のタカマツを支えている唯一のものだ、と言ってもいい。

それを使うくらいなら、死んだ方がましだ。
そう思うのが、タカマツという男だ。


タカマツさん、あんた、男前だな。


「初めて俺を『さん』づけで呼んだな。気味が悪いな」

一生に一度くらいは、許してやってくれ。



昨日、3ヶ月ぶりに、また見舞いに行った。
秋晴れのカラッとした日。
自転車で感じる風が心地よかった。

先客がいた。

「2つ上の兄なんだよ」と紹介された。

場の雰囲気から、立ち入った会話のように思えたので、席を外そうとした。
しかし、タカマツに「話は終わったから」と止められた。

「終わってないんだが」と、眉間の皺を深くして、タカマツの兄が言った。
「俺んちも大変なんだからな。俺を頼るのも、これっきりにしてくれよ。親父が生きていたら、何と言ったか」

話の筋は、はっきりとは分からないが、タカマツが兄に、入院費用を工面してくれと頼んだのかもしれない。

タカマツの兄が、咳払いをした後で言った。
「何年かぶりに電話をしてきたと思ったら、このザマだからな。おまえは、もっと、ましな人間だと思っていたよ。いいか、働かざるもの食うべからずだぞ!」

働かざるもの食うべからず。
病人に向かって?

その言葉を聞いたとき、ふざけるな! という言葉が、口から勝手に出た。

タカマツが、どれほど気高い人生を送ってきたか。
タカマツが、どれほど娘さんを愛しているか。
タカマツが、どれほど真正面から気丈に病と闘ってきたか。
そして、タカマツがどれほど前向きな人生を歩んできたか。
タカマツには、人から後ろ指をさされることなど、何もない!

私は、タカマツの兄に訴えた。

もし、これが弁論大会のスピーチだったら、私はダントツで優勝していたに違いない。
自分でも呆れるほど、言いたいことが、明瞭な言葉として出てきた。
自分にこれほどの才能があることに気づいて、途中で自分の言葉に酔ってしまったほどだ。

言いたいことは、まだまだあったが、タカマツの兄が、腰を引かせながら後ずさりをするのを見て、私は我に返った。

「おまえには、心配してくれる友だちがいるんだ。これからは、もっと、しっかりしろよな」
タカマツの兄は、真昼に白髪頭のオバケを見たような怯えた顔で、後ずさりしながら病室からフェイドアウトしていった。
(肉親だからこそ言える表現で、兄が弟を励ましたことは、いかにバカな私でも理解している)


オレ、もしかして、悪いことした?

「いや、悪くはないよ、全然」とタカマツが、少し血色の戻った笑顔で答えた。
そして、アッサリと言ったのである。

「しかしなあ、マツ…、友だちでもないのに、よくあそこまで俺のこと弁護してくれたよなあ」


え? 友だちでもないのに……?


同じ大学で4年間過ごし、卒業後もたまに連絡を取り合い、昨年の5月からは6回もお見舞いにきているのに、友だちではないって?

つまり、今のは、俺の独り舞台だったってこと?


心が一気に沈んだ。
打ちひしがれた。

しかし、打ちひしがれ………ている場合ではないようだ。

私には、そのとき、気づいたことがあったのだ。
ここが4人部屋だった、ということを。

他の入院患者さん、看護師さんが、固まった状態で私を見ているシーンは、決して舞台の上のことではない。

独り舞台を演じる本物の役者さんなら、優雅にお辞儀でもするところだろうが、私がそんなことをしたところで、カーテンコールがいただけるわけでもない。

顔を赤くして、まわりに頭を下げるしかなかった。

頭を下げ続けながら思った。

俺はいったい、何をやっているのだろうか……と。



友だちでもないのに。




(だけど、俺は友だちだと思っているんだよな、タカマツ)



2013/09/23 AM 06:04:01 | Comment(0) | TrackBack(6) | [日記]



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