Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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かじりたいやつ
極道コピーライターのススキダが、オンボロアパートに来た。

仕事の打ち合わせのためである。
本来だったら、この仕事の打ち合わせは、ススキダの奥さんの役目だったが、「レイコ(ススキダの奥さん)が、香港に里帰りしていてな。今回は、オレが相手をしてやることになった」と、ふんぞり返るススキダ。

ススキダの奥さんは、今の国籍は日本だが、生まれは香港、ご両親は中国人。
ススキダは、日中の混血だ。

だから、ススキダの奥さんは、日本語、英語、広東語が話せるトリンドル、いやトリリンガルである。

ススキダは、日本語と英語は達者で、広東語は簡単な会話ができる程度のトリリンガルであるが、会話をするときの「顔が不自由」なので、私は、ススキダをトリリンガルとは認めていない。

その顔の不自由なススキダに、この間は世話になったな、と父の葬儀に関して謝意を表した。
すると、ススキダは横を向いて「俺はお前の世話をし過ぎて、その『世話』が何をさしているのか分からない。だから、気にするな」と言った。

耳をかじってやろうかと思った。


仕事の打ち合わせが終わって、ススキダに「最近も走っているのか」と聞かれた。

ああ、中央線はたまに事故があるが、順調に走っているし、山手線はいつも正確に走ってるな。埼京線のことは知らない。

「仕事は、順調か?」

もう仕事人は、やっていないんだよ。
安い報酬で人を消すのは、ただ疲れるだけだからな。
ただ、消したいやつは、まだたくさんいるが……。

「体調はどうだ?」

隊長と呼ばれるほど俺は偉くない。
リーダーシップもないしな。

「メシは食っているのか?」

メッシは、世界最高のストライカーの一人だ。
当然、食っているだろうな。

「それは、ジョークのつもりか。俺には、お前がボケてきたとしか思えないんだが」

鼻をかじってやろうかと思った。


「メシと言えば、レイコが香港に帰って4日目だ。外食ってのは飽きるもんだな。外食が続くと体にも良くないって言うだろ」

メッシの彼女は美人らしいな。
メッシは美人の彼女の手料理を食っているから、あんなにいいプレーができるんだろうな。
うらやましいものだ。

「だから、手料理が食いたい」

手の料理と言えば、「熊の手」が有名だが、あいにく「熊の右手」をいま切らしているんだ。
左手はあるんだが、あれは右でないと、美味さが半減する。
悪いな、他をあたってくれ。

「俺は、おまえの餃子をまだ一度も食っていない。食わせろ」

餃子、ギョーザ、ぎょうざ………、ボケる言葉が見当たらない。

私が考えている間に、ススキダが強力な眼圧で「食わせろ!」と迫ってきた。

はい、いますぐ!


自家製餃子15個とフライドオニオン中華スープ、丼メシを瞬く間に食い上げた極道ススキダ。
そのススキダが、偉そうに言った。

「形は不揃いで不細工だったが、味は悪くない。ただ、本当に美味いかどうかは、これだけで判断できない。
俺は最高に腹が減っていたから、何を食っても満足しただろうからな」

「おまえんちの粗末な冷凍庫に、冷凍の餃子が詰まっているのを俺は見た。
あれを土産にくれ。家に帰って、腹が減ってないときに食ってやる。
そうすれば、おまえの自家製餃子の本当の味が分かる。あるだけ持って帰ってやる。
ああ……保冷剤を大量に入れといてくれよ。腐っちまったら、味が分からないからな。
いや、腐った方が美味いということもあり得るか。ケケケケケ……」

ノドをかじってやろうかと思った。


「ところで、今年のアツは、ナツかったな」

ああ、ナツかった。
私は、普通に答えたつもりだったのに、ススキダが怒りだした。

「ナツかったって、なんだ? ふざけてるのか」

この野郎。
おまえが言ったんだろうが。

「いや、俺は言っていない」

珍しくススキダが冗談を言ったので、軽い気持ちで話に乗ったのだが、ただの言い間違いだったのか。
面倒くさい野郎だ。

じゃあ、さっきの言葉をリピートしてみろ。

「今年の夏は、ナツかったな」
ススキダが、横領がバレた経理部長のような情けない顔になって、頭を高速で左右に振った。
そして、私を指さした。

「いや、待て! 今のは、おまえのバカにつられただけだ。俺は言っていない! これは、おまえが全部悪い!」


唇をかじってやろうかと思った。



いや、唇は、気持ち悪いか。




2013/09/28 AM 07:20:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

友だちでもないのに
「働かざるもの食うべからず」と言う人に、私は腹が立っている。

知り合いが、4年前に失職してから定職についていない。
しかし、彼に対して軽率に「働かざるもの〜」というやつを俺は許さない。

「働けない」のには、理由がある。

タカマツは、大学時代のクラスメートだった。
ただ、彼は2浪しているので、皆より年が2つ上だった。

「俺が年上だからって、気を使うなよ。同じクラスなんだから、同じ扱いにしてくれよな」
こだわらない男だった。

言われた通り、私は気を使わなかったが、まわりは気を使っていたようだ。
誰もが「さん」づけで呼んでいた。
そんな周囲を見て、大学時代から「窮屈」の中に身を置いて、何が楽しいのかと思った。

大学時代のタカマツは、親分肌の男で、人の面倒を見るのが大好きだった。
頻繁にメシを奢ってくれたし、何かとアドバイスをしてくれた(恋愛限定だったが)。
人に意見をするときは、みんなの前ではなく、必ず個別に呼んで意見した。
人に恥をかかせないように、絶えず気を配っていた。

つまり、大人だった。

タカマツは、大学を出てすぐ結婚した(2浪なので早婚とは言わないだろう)。
しかし、2年半で離婚。
その後、30歳前に、いつの間にかプラスチック成形会社の婿養子に入り、女の子二人を授かった。

だが、数年後に離婚。
タカマツは仕事ができる男だったので、元義父は会社に残るよう懇願したが、彼は元奥さんの感情を配慮して、退社することを選んだ。

それからのタカマツは、数年周期で同居の女性を代えるという「モテ男人生」を送った。
ただ、2人の子どもの養育費の送金だけは、一度も欠かさなかった。

その後のタカマツは、新潟県の旅館のマネージャーに収まった。
だが、旅館は4年前に倒産し、タカマツは無職になった。

定職を求めたが、50歳過ぎの男に、望むような職は見つからなかったようだ。
タカマツは、繁忙期に地方の旅館に住み込み、布団の上げ下げや配膳をするアルバイトをして、子どもたちのための養育費を稼ぐ人生を歩んだ。

タカマツとは、大学卒業後、2度しか会っていない。
タカマツは、他の同級生とも、それほど会っていなかったと思う。
クラス会に来たことも、なかった。

プライドの高いタカマツは、自分のことを詮索されるのを嫌って、卒業後は我々と距離を置いていた。
ただ、人のことを詮索する趣味がない私にだけは、2年に1度ほどの割合で、近況報告の電話をかけてきた。
少しだけ、信頼されていたのかもしれない。

そのタカマツから、「病院にいるんだ」という電話がかかってきたのは、昨年の5月のことだった。
東京世田谷の病院だった。

私が、武蔵野から自転車で来た、と言ったら、10年ぶりに会ったタカマツから、「相変わらずだな」と呆れられた。

しかし、目の前のタカマツは「相変わらず」ではなかった。
病人独特の疲れが顔全体を支配して、彼のどこを見たらいいか、ためらうほどだった。

タカマツが言った。
「ちょっとだけ、人恋しくなってな」

人の笑顔を見て、顔を背けたくなったのは初めてだ。

疲れの浮いた笑顔で、タカマツが話しはじめた。

病気のため、旅館のアルバイトができなくなったこと。
入院していないときは、深夜のコンビニでアルバイトをして、入院費用と養育費を稼いでいること。

「アパートは風呂なし4畳だぜ」
「昼間寝て夜働く生活なんて、一番軽蔑していたんだが、意外と面白いもんだな」
「これからも何度か入院するだろうから、たまに来てくれよ。誰も見舞いに来ないってのは淋しいもんだからね」

病名は聞かなかった。
おそらく、これからも聞かないだろう。

今年の6月に見舞いにいったとき、私も体調を崩していたときだったから、おそらくタカマツと同じような顔をしていたのだと思う。
タカマツから「今日から入院するか」と、からかわれた。

同じ病室だったら、危ないな。
お前は、絶対に襲ってくるだろうからな。

「昔から、あなたのことが好きだったの」と冗談を言う顔も、疲れに支配されていた。

そして、唐突に、「先月から働いていないんだよ。体がつらくてな」と眩しいものを見るような目をして、私を見上げた。

金を……、と思った私の心を見透かすように、タカマツが「マツに頼るつもりはないよ。ここの入院費は、少し待ってくれるようにお願いした。命を取られるような病気じゃないから、働いて返すつもりだ。マツは、俺の話を聞いてくれるだけでいい」と言われた。

「命を取られるような病気じゃない」と言われて、全身の力が抜けた。

しかし、当面の生活費は……、と呟いたら、「俺は貧乏の達人だから、何とでもなる」と、目に力を込めて言われた。
魂だけは、病んではいないということか。

病気、無職、娘たちの養育費。

こんなときこそ生活保護を……と思ったが、タカマツには、娘たちのための預金があった。
その預金は、娘たちだけのために使うとタカマツが決めているものだ。

どれほどの預金があるか知らないが、生活できる程度の預金があるものに、役所は、その権利を与えないだろう。

決して自分のためには使わないと決めている預金。
それが、今のタカマツを支えている唯一のものだ、と言ってもいい。

それを使うくらいなら、死んだ方がましだ。
そう思うのが、タカマツという男だ。


タカマツさん、あんた、男前だな。


「初めて俺を『さん』づけで呼んだな。気味が悪いな」

一生に一度くらいは、許してやってくれ。



昨日、3ヶ月ぶりに、また見舞いに行った。
秋晴れのカラッとした日。
自転車で感じる風が心地よかった。

先客がいた。

「2つ上の兄なんだよ」と紹介された。

場の雰囲気から、立ち入った会話のように思えたので、席を外そうとした。
しかし、タカマツに「話は終わったから」と止められた。

「終わってないんだが」と、眉間の皺を深くして、タカマツの兄が言った。
「俺んちも大変なんだからな。俺を頼るのも、これっきりにしてくれよ。親父が生きていたら、何と言ったか」

話の筋は、はっきりとは分からないが、タカマツが兄に、入院費用を工面してくれと頼んだのかもしれない。

タカマツの兄が、咳払いをした後で言った。
「何年かぶりに電話をしてきたと思ったら、このザマだからな。おまえは、もっと、ましな人間だと思っていたよ。いいか、働かざるもの食うべからずだぞ!」

働かざるもの食うべからず。
病人に向かって?

その言葉を聞いたとき、ふざけるな! という言葉が、口から勝手に出た。

タカマツが、どれほど気高い人生を送ってきたか。
タカマツが、どれほど娘さんを愛しているか。
タカマツが、どれほど真正面から気丈に病と闘ってきたか。
そして、タカマツがどれほど前向きな人生を歩んできたか。
タカマツには、人から後ろ指をさされることなど、何もない!

私は、タカマツの兄に訴えた。

もし、これが弁論大会のスピーチだったら、私はダントツで優勝していたに違いない。
自分でも呆れるほど、言いたいことが、明瞭な言葉として出てきた。
自分にこれほどの才能があることに気づいて、途中で自分の言葉に酔ってしまったほどだ。

言いたいことは、まだまだあったが、タカマツの兄が、腰を引かせながら後ずさりをするのを見て、私は我に返った。

「おまえには、心配してくれる友だちがいるんだ。これからは、もっと、しっかりしろよな」
タカマツの兄は、真昼に白髪頭のオバケを見たような怯えた顔で、後ずさりしながら病室からフェイドアウトしていった。
(肉親だからこそ言える表現で、兄が弟を励ましたことは、いかにバカな私でも理解している)


オレ、もしかして、悪いことした?

「いや、悪くはないよ、全然」とタカマツが、少し血色の戻った笑顔で答えた。
そして、アッサリと言ったのである。

「しかしなあ、マツ…、友だちでもないのに、よくあそこまで俺のこと弁護してくれたよなあ」


え? 友だちでもないのに……?


同じ大学で4年間過ごし、卒業後もたまに連絡を取り合い、昨年の5月からは6回もお見舞いにきているのに、友だちではないって?

つまり、今のは、俺の独り舞台だったってこと?


心が一気に沈んだ。
打ちひしがれた。

しかし、打ちひしがれ………ている場合ではないようだ。

私には、そのとき、気づいたことがあったのだ。
ここが4人部屋だった、ということを。

他の入院患者さん、看護師さんが、固まった状態で私を見ているシーンは、決して舞台の上のことではない。

独り舞台を演じる本物の役者さんなら、優雅にお辞儀でもするところだろうが、私がそんなことをしたところで、カーテンコールがいただけるわけでもない。

顔を赤くして、まわりに頭を下げるしかなかった。

頭を下げ続けながら思った。

俺はいったい、何をやっているのだろうか……と。



友だちでもないのに。




(だけど、俺は友だちだと思っているんだよな、タカマツ)



2013/09/23 AM 06:04:01 | Comment(0) | TrackBack(6) | [日記]

ハンザワナオキ
ジャイアンツ優勝間近。

台風18号が去った日の夜。
場所は吉祥寺の居酒屋。
同業者のバカ騒ぎ。

昔だったら、「金で手に入れた優勝に何の価値があるんだ、ボケ!」と罵った私だったが、今では全く心を動かされることなく、ジャガイモピザと串揚げを食いながら、ひとり静かに生ジョッキを傾けることができる。

密かに、永平寺で30年間修行してきた甲斐があったというものだ。


今年のMVPは誰かって?

MVP = Most Violent Party(最も暴力的な政党)のことか。

中国共産党、アメリカ民主党、共和党のことだろうな。
日本の自民党は、今のところは入っていないが……。


などと、独りの世界に浸っていたとき、突然お馬さん(人類史上最も馬に激似の男)に、『Mさん、半沢直樹、見ましたか? 見ましたよね。みんな見てるんだから」と、鼻息荒い言葉を投げかけられた。

いや、「みんな」は見ていないでしょうよ。
30パーセントを超える高視聴率だとしても、6割以上の人は見ていないんだから。

「見ていないんですかぁ」
お馬さんが、思いのほかガッカリした様子になり、自慢のたてがみに元気がなくなった。
その姿がとても哀れに思えたので、最初の回だけ見たよ、と話に乗ってあげた。

「えー、最初だけですか? その後からが面白かったのに!
俺、ドラマを見て、次の回が早く見たいと思ったのは初めてなんですよ。
おっもしろいのになあ〜、なんで、見るのやめちゃったんですか!」

確かに、面白かった。
堺雅人氏のファンの高校3年の娘と一緒に見たのだが、娘も「堺さん、演技の引き出しが多いなあ」と、感心していた。

脇を固める俳優さんも上手だし、展開の早いキレのある演出は、見応えがあった。

だが、見終わったあとで、娘がこう言ったのだ。
「面白かったけど、なんか、疲れるドラマだな。
男たちだけが、会社のため、家族のためって力むドラマは、オレには共感できない。
もう次からは見ないだろうな」

私も、そう思ったのだ。
男たちが全身で力んで、歯を食いしばるようにセリフを吐く場面が多すぎて、見ている間中、ずっと違和感を持っていた。

半沢直樹の自宅のシーンだけが、堺雅人氏の表情が穏やかになって空気が和らぐが、あとは、どの場面も血圧計のバーが振り切れたような演技ばかり。
見ていて、疲れてしまった。


極端な表現だというのは自分でも分かっているが、これは「俺が会社を変える、俺が日本を変える」と力み返った「男社会」の勘違いドラマではないか、と思ってしまったのだ。

ジャンルは違うが、たとえば、アメリカの映画で、地球が危機に直面したとき、男たちが力を合わせて、「俺たちが国を守る、地球を救うんだ!」と力んで、最終的にアメリカの男たちがヒーローになる展開の「男社会」の映画も、私は苦手である。

あるいは、男の海上保安官(潜水士?)たちが、遭難した人たちを熱い友情を絡めながら救出する作品(見ていないから私の推測)も「男社会」の香りが強すぎて苦手だ。


アレレ〜、オヤオヤ〜、知らないうちに、オレ、会社を建て直しちゃったよ、日本を救っちゃったよ、地球を守っちゃったよ、それで、みんなから感謝されちまったよ。
いや〜、参ったな〜、というドラマなら、喜んで見たかもしれない(そんなドラマ、誰も作らないだろうが)。


ということで、熱く語っているところを申し訳ありませんが、その話題からは、ワタクシは、「オフ」とさせていただきます。


半返しです!

「倍返し!」と全員がツッコンでくれたときには、嬉しくて思わずガッツポーズが出た。

じょじょじょ。

「じぇじぇじぇ!」

力うどんで、おもちなし。

「おもてなし!」

リビングでしょ。

「??????」

リビング = 居間 = 今 をかけたのだが、伝わりづらかったですね。


飲み会の最後に、同業者の中で長老のオオサワさんに言われた。

「Mさん、一つの病気は治ったみたいだけど、他の病気は全然治ってないんだね。これは、不治の病なんだろうね」

はい、ありがとうございます。
ワタクシも、そう思います。


ところで、「不治」と言えば、日本一の山、「富士」。
そして、私の89歳の母が、フジコ。

そこで、ワタクシゴトで恐縮ですが、この度、川崎の母を武蔵野に呼ぶことにしました。
一緒に住むスペースが、オンボロアパートにはないので、近くにバリアフリーのワンルームマンションを借りて、住んでもらうつもりです。

ヘルパーさんのお手をお借りしなければ、何もできない役立たずな息子でございますが、できる限りの親孝行をしたいと思っております。

ぜひ、このことをお含みおきつつ、これからも、お付き合いをさせていただければ幸いです。

なにとぞ、よろしくお願いします。


そう私が頭を下げたときの同業者の反応。

「あっそう」


ジャイアンツの話題の100分の1以下の反応ですよ。



半返しです!




2013/09/18 AM 06:03:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

ジャイアンツのバスタオル
今年の夏は、忙しかった。

ただ、忙しいとは言っても、去年のような目が眩むほどの忙しさではなかった。
4日だけ休んだ。

その休みは、高校3年の娘と大学巡りをすることに使った。

友だちと行けばいいのに、と私が言うと、「友だちとは進む大学の方向性が違う。志望大学が、全然かぶらないんだよ」と娘が言った。
仲がいい子と同じ大学に行きたい、とは思わないらしいのだ。

一人で見に行く、というのも意義深いと思うが。

「一人の目じゃ、主観的になりすぎるだろ。客観的な意見が欲しいんだよ。物事は複眼で見ろ、って言うだろ」

「フクガン」という高度なスペイン語まで出たら、同行しないわけにはいかない。


しかしなあ、俺の頃は、勝手に願書を買ってきて、試験受けて、受かったら親に「金くれ」で済んだんだけどな。
教師にも親にも、進路相談なんかしなかったぞ。

「寺子屋の時代とは、わけが違うのだ。現代の教育現場は、もっと複雑なのだぞ」

そうだな。
吉田松陰先生は、もう、おられないのだったな。


ということで、オープンキャンパスというのに行ってきた。

まずは、私の母校。
正門をくぐった途端、懐かしさがこみ上げてきたが、今回の本題とはそれるので、省略する。

キャンパス見学ツアーや模擬講義、学部紹介などに参加し、最後は無料の学食体験。
カツカレーを食いながら、思わず二人で同じことを呟いていた。

「よそゆき」の大学を見せられても、あまり参考にならないよな。

そこで、次回からはオープンキャンパスではなく、見学予約をして、普段着の大学を見ることにした。

夏休み期間だったので、オープンキャンパスと比べて、学生の数は10分の1以下だったが、飾らない大学の姿を見ることができた。
どこの大学の職員の応対も、丁寧で親切だった。

学食のメシがタダで食えないのは、残念だったが……。


4校目の大学見学が終わって、娘とサイゼリアに入った。

ピザ・マルゲリータを食いながら娘が言った。
「まあ、お前の母校に入れれば一番いいんだろうが、語学のレベルが高いからな。担任からはボーダーラインだって言われているから、微妙なところだ」


どこに入るかではなく、何を学びたいか、だ。
本当に何をやりたいかを、これから考えればいい。
そのサポートをするのが親の役目だ。
(オレ、珍しく、いいこと言った?)


私の愛ある言葉に感動しているかと思った娘だったが、違うテーブルに座った親子を凝視していた。

母親と4歳くらいの男の子が、スパゲッティを食っていた。
それは、極めてありきたりの光景に思われた。

しかし、その光景を見て、娘が感慨深げに言ったのだ。
「あの子が握りしめているタオル、ボロボロだよな。まるで、うちのバスタオルみたいに」

男の子の左手を見ると、確かに変色してボロボロになったタオルを握っていた。
おそらく、赤ちゃんの頃から使っていて、手放せないのだろう。

言われてみれば、我が家のバスタオルと似ていないこともない。

我が家のバスタオル。
それは、私の母が、娘が産まれたときに、同じ柄のものを5枚持ってきてくれたものだった。

ただ、そのバスタオルは、東京ジャイアンツのバスタオルだった。

よりによって、ジャイアンツかよ!

母は、私がアンチ・ジャイアンツだということを忘れていたらしい。

その忌まわしいジャイアンツのバスタオルは、5枚のうち4枚を友人のバカなジャイアンツファンに放り棄てた。
しかし、母が折角持ってきてくれたものだったので、1枚だけは残した。

そのバスタオルが、いまボロボロだった。

長年使っているから、無惨にも生地が裂けていた。
裂けた箇所は、6つ。

どれもが、大きな穴だ。
普通だったら、ゴミ箱行きである。

しかし、まだ使っている。

最初は、娘だけが使っていたが、今はみんなで使っていた。

なぜ、そんなにボロボロの状態なのに、使っているのか。

おそらく家族の誰もがそのバスタオルを使うことによって、、無意識のうちに、家族の「和」を感じ取っているのだと思う。

娘が産まれたときから使っているもの。
それが、知らず知らずのうちに、家族それぞれの思いを繋げるシンボルになっていたのかしれない。

見事なほどボロボロなのに、誰も「捨てよう」とは言わないし、「縫った方がいい」とも言わないバスタオル。

手を加えてしまったら、「何かが終わる」という、説明不能の恐怖を誰もが抱いているのかもしれない。


視線を子どものタオルに固定させながら、娘が言った。

「なあ……、うちのバスタオル、オレが嫁に行くときに持っていってもいいか。あれを見てると、落ち着くんだよな」


ヤバい展開になった。


お互い、親子の方向を見ているから、顔は見えない。

しかし、顔を少しでも動かせば、「何か」がこぼれてしまうだろう。

だから、顔を動かさずに、いいよ、と答えた。


「そうか」と言って、娘は、「ちょっと、トイレ」と席を立った。

そのすきに、紙ナプキンで目を拭いた。
痛いほどに、こすった。
4枚使った。

娘が戻ってきた。

娘の目を見ると、真っ赤だった。

ということは、私の目も……?

「目薬あるか?」と娘が聞いた。
目薬を渡した。

娘がさし、私がさした。


しばらくの沈黙の後、娘が呟いた。

「なんか、バカ親子だよな」


確かに。




2013/09/12 AM 07:07:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | [子育て]

キャンドゥした
鼻から内視鏡を食ったあとで、オネエにしか見えない女医に、「消えてますね」と言われた。

何が消えたのかは想像にお任せするが、消えたことは目出たいことらしいので、素直に喜んだ。

そして、次の日。
高校3年の娘のお友だちのアミちゃんが、イタリア産のワインを持ってきて、「パピー(私のこと)、おめでとう、治ったんだってね。飲もうぜ」と言った。

いやいや、君たちは飲んではいけませんよ。

「じゃあ、美味しいもの、食わせろよ」

結局、病気が治ったことに便乗して、私の料理を食いたいだけなんだな。
こじつけじゃないか。

「こじつけ、と言えば、私、コジハルが好きなんだよね」とアミちゃん。

話が飛び過ぎてよくわからない。
「コジハル」というのは、新しく聞く言葉だ。

「こじつけ」から飛んできた言葉だから、きっと意味はそれに近いのだろう。

コージーコーナーの春巻き……とか(ぜんぜん近くない)。

「それじゃあ、コージーハルだろうが!」

適切なツッコミ、ありがとうございます。

「エーケービーの小嶋陽菜(コジマハルナ)のことだぁ!」

それでは、略し方に工夫がない。
当たり前すぎて、意外性もない。
その場合、普通「コジルナ」ではないのか。

私が、そう言うと、アミちゃんが、まるで道端に落ちている、カレン、ジェシカ、アンジェリカを見るような尊敬する目で言った。
「パピーさあ……、子どもの頃、可愛げのないガキ、だって言われなかった?」

確かに言われた。
ルックスは可愛かったが、性格は、クソでキモくて終わってる、って言われてた。
(もちろん、昔は、そんな上品な言葉はありませんでした)

という女子高生に無理矢理合わせた会話の中で、私は、妙に居心地の悪い感覚、まるでデーブ・スペクターさんの巧みに計算された古典的なダジャレを全身で受け止めたときのようなズレを感じ取ったのである。

アミちゃんの髪の毛を凝視した。
長さは同じだが、馴染んでいないような気がした。

アミちゃん、それってエクステンションじゃない?
それに、君、アミちゃんじゃないよね?

「おぬし、できるな!」と言ったのは、娘だった。
「なぜ、わかった?」

顔は同じだが、俺が知っているアミちゃんは、俺をいつも軽蔑の眼差しで見ていた。
しかし、君には、俺に対する軽蔑がない。

つまり、あなたは別人だ!
You are not Amichan!

というようなバカげた展開の後、本当のアミちゃんが、オンボロアパートのドアを蹴り倒して、姿を現した。
アミちゃんの振りをしていたのは、妹のユミちゃんだった。

アミユミ。
まるで、PUFFYではないか。

それはパクったということか、と私が聞いたら、「私たちが生まれた頃、PUFFYはまだデビューしていなかった」と言われた。
確かに、PUFFYのデビューは、彼女たちが生まれた1年後だから、パクリではない。
面白い偶然、と言っていいかもしれない。

このアミユミは、双子。
マナカナよりも精度の高い双子っぷりである。

違いは、アミちゃんが髪が長くて、ユミちゃんがショートということだけだ。
今回、ユミちゃんには初めて会ったのだが、目と鼻と口の配置は、まるで双子のように似ていた。

それは、あたかも、フォトショップCSで人物を切り取って、コピー&ペーストし、髪の毛を短く加工したあと、洋服の色を変えたような双子だった。

だから、君たちのことを、「フォトショップCS5&CS6姉妹」と名付けよう。

「伝わりづらいわ!」

そのあと、鳥の唐揚げ、マグロカツ、海老フライ、バーニャカウダ、シジミとエノキダケの和風パスタを食いながら、女子高生と話をした。

当然の流れとして、双子の話題になったのだが、私は誰もが聞くような「双子って、異性の好みも一緒なの? 片方が具合悪いときは、もう片方も具合悪くなるの? 洋服の趣味も一緒なの?」などという、ありきたりのことは聞かない。

もし、ウサイン・ボルトが双子だったら、どうなると思う? という話題を振った。

「兄弟で金メダル銀メダルを取るわよねえ」

違う!
絶対に、片方の名は、「ロッカク・ボルト」に、なっていたはずだ。

白けたぞ。
デーブ・スペクターさんは、このシラーっとした空気さえも織り込み済みで、天才的なダジャレを言うのだから、たいしたものだと思う。
私だったら、心が折れてしまうだろう。

心が折れかけた私だったが、双子の話題をそのまま続けた。

じゃあ、イチロー選手が、双子だったら、どうなっていたと思う?

私のことを軽蔑の眼差しで見ながらアミちゃんが、「弟はジローになるんじゃない?」と投げやりに言った。

違う!
ご両親はきっと、次に七つ児を産んで、野球チームを作るはずだ。
「オールマン・ブラザース・ベースボール倶楽部」を!

もはや、心地よいほどに、白けた空気。
唐揚げとマグロカツ、海老フライが綺麗に消費され、全員が無言でパスタと格闘していた。

しかし、ここでめげるほど、私はウブではない。

では、織田信長が双子だったら?

「歴史が変わるわよね」と、懸命に答えを探し出してくれたのが、我が娘だった。

感謝感謝。


いや、この場合は、どちらかが相手を暗殺しただろうな。
それが、戦国の領主の掟だ。

私がボケた答えを言うと思っていたのか、全員が、舌打ち寸前の軽いコケ芸をした。

その耐え難い空気を救ってくれたのが、またしても娘だった。

「リョウシュって、なんだ?」

ほら、買い物をしたとき、おつりと一緒に貰うだろ、あれだよ。

「それはリョウシュウショ!」
思った通りの間で、娘がツッコんでくれた。

トイレの後に、臭いを消すために噴射するやつだよ。
リョウシュウリキ。

「それは、ショウシュウリキ!」
これも、完璧な間だった。

さらに、刑事が取調室で……、と私が続けたとき、アミちゃんが、それを遮って、「それ、どこまで続くの!」と、下手な漫才を見せられた関西人のように「勉強し直してこいや、ボケ!」という目で、私を見据えた。

そして、「あんた、こんな父親で、よく我慢してるね」と慈悲深い目を娘に向けた。


そのとき、身長159センチ、体重40.5キロ、一年の一学期からクラストップを維持する成績優秀な娘(親バカ)が、名言を吐いたのである。


「こんな親じゃなきゃ、いる意味がない。いないと、人生がつまらない!」


その言葉は、私の心のハートのど真ん中のセンターを199キロの豪速球で震動させた。

感動した、と言っていい。

だから私は、言葉に出して、キャンドゥした、と呟いた。

そうしたら、アミユミに、「パピーさあ、せっかく娘が感動することを言ったんだから、素直に喜ぼうよ。キャンドゥじゃ、100円ショップじゃないか。今の言葉は、そんなに安くないでしょうが」と怒られた。

いや、キャンドゥの由来は、100円で品質のいい商品を提供することで、人々を感動させようと思ってつけられ………。

「また、嘘ばっかり!」
アミユミにユニゾンで怒られた。

はい、申し訳ございません。
本当に感動いたしました。
自慢の娘でございます。

そう頭を下げたら、アミユミが、両側から頭を撫でてくれた。


そのとき思った。

双子の女子高生に頭を撫でられるのも、気持ちいいものだということを。



キャンドゥした。

(お断りしておきますが、私はキャンドゥの回し者ではございません)




2013/09/07 AM 07:10:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

パパのおごりだから
8月29日。
きっかけは、中央線だった。

午前10時過ぎ、四谷で画廊オーナーとの打ち合わせを終えたあと、中央線に乗った。

電車はそこそこ混雑していたが、座ることができた。
新宿、中野を過ぎ、荻窪駅に。
そこで、私の右隣が空いた。

そのとき、二人の母子が乗ってきて、お子様の方が私の隣に座った。
10歳くらいの男のお子様だ。
母親は子どもの前に立った。
母親の方は、40歳前後だろうか。

母親は、高級そうな服を着ていた。
お子様の方には興味がないので、服装はチェックしなかった。

しかし、このお子様。
座席に座った途端、左手に持った傘を私の膝に押し当てたのである。

四谷は降っていなかったが、荻窪近辺は降っていたのだろう。
傘は、少しだけ濡れていた。

その傘が、私の右ひざに密着して、スラックスの膝の部分に水が滲みた。
たいへん、気持ちが悪い。

しかし、お子様は、まったく平然とした態度で、私の膝に傘を押し当てたままだ。
だから私は、お子様に向かって、東京目黒なまりの正統な日本語で、「悪いけど、傘をどけてくれないかな。ズボンが濡れてしまうから」と言った。

だが、お子様知らんぷり。
母親知らんぷり。
ひざ濡れたまま。

そこで私は、1分ほど事態の改善を待った後で、もう一度、今度は東京世田谷なまりの正統な日本語で、「悪いねえ。君の傘が私の右ひざにあたって、ズボンがビチョビチョなんだ。その傘、どけてくれたら、ありがたいんだけどね」と言った。

そのときの母親の反応が、予想外だった。
「うちの子は、一度言えば、わかります!」
怒鳴ったのである。

いやいや、わかってないから、私の右ひざビッチョリなんですよ。
わかっていたら、すぐに、どかすんじゃないですかね。

母親、お子様、完全に無視。

日本語は通じているようだが、私の要望は、まったく通じないようだ。

こんなとき、大人として、どう対処すればいいのかと言えば、色々な選択肢があると思う。
しかし、私には一つの方法しか思い浮かばなかった。

私は、電車などで、両足を大きく広げて開脚角度を誇示する男が嫌いである。
だから、私は上品に、足をコブシ一個分だけ開けて座るようにしている。

だが、このとき、私の右足は、私の意思に逆らって、徐々に右の方に開いていき、お子様の陣地を侵略しはじめた。
つまり、右足だけ哀川翔氏の足になった状態だった。

最初、お子様は抵抗していたが、大人の足の力に勝てるわけがない。
その結果、お子様は、そこにいたって、やっと傘を自分で持つことを放棄し、目の前に立つ母親に預けることになった。

西荻窪、吉祥寺、三鷹。
私の濡れた右足は、徐々に哀川翔氏の角度から通常の角度へと移行していった。

お子様、無言。
母親は、ときどき私を睨みながらも無言。

そして、武蔵境駅が近づいて、右ひざビッチョリの私は立ち上がった。
入れ替わりに、私の座っていた場所に、母親が座った。

そして、私の左隣に座っていた人も立ったから、左の席が空いた。
驚いたことに、その母親は、車内はそれなりに混雑していたのに、その左隣の席に自分の買い物バッグを置いたのである。
この母子は、自分の陣地を広げることを当然の権利だと思っているようだ。

電車のドアが開いて、ホームに降りようとしたとき、母親の「なんなのよ、あれ!」という、かなりでかい罵声が、私の耳に届いた。

その言葉を聞いた「あれ」は、たいへん気分が悪かった。

母子に腹が立ったし、大人げないことをした自分にも腹が立ったからだ。


そこで、私は、どうしたかというと………。


家に帰った私は、その夜、家族に大声でこう言ったのである。

あした、箱根温泉日帰り弾丸ツアーに行くぞ、みんな支度しろ!

四方八方から文句の声が飛んできたが、お土産の購入は無制限、何を食ってもよし、俺のおごり、という言葉が私の口から放たれたとき、文句の声は「歓喜の声」に変わった。

翌日、9時台のロマンスカーに乗り、箱根湯本到着、登山電車で強羅、ケーブルカーで早運山、ロープウェイで大湧谷、桃源台、そして、芦ノ湖で海賊船。

昼メシは、芦ノ湖で、娘と私は、天ざる定食。
ヨメと息子は、カツ丼セットとそばじるこ。
旺盛な食欲だ。

「だって、パパのおごりだから」


杉並木を歩いた後で、奮発してタクシーを拾い、ポーラ美術館に。
その後、強羅の旅館で温泉に入浴。
温泉から上がった後で、刺身舟盛りを食ったが、8割をヨメと息子に強奪され、私は皆が嫌いなタコとイカをいただきながら、中ジョッキ。

「だって、パパのおごりだから」


その後、タクシーで箱根湯本に戻り、お土産屋めぐり。
私は何一つお土産を買わなかったが、他の3人の土産品漁りには、すさまじいものがあった。

3人の土産品の代金が、2万6千円ですよ。

「だって、パパのおごりだから」


欲深きものたちよ!
いつか、天罰がくだるであろう。

ロマンスカーで、娘と私は、ヒレカツサンド。
ヨメは、ヒレカツサンドとシュウマイ弁当。
息子は、ヒレカツサンドと鳥めし弁当。

よく食いますなあ。

「だって、パパのおごりだから」


かなりのハードスケジュールだったので、家族には不評かと思ったが、みな口を揃えて言ってくれた。

「思っていたより暑かったけど、こういうのも面白いよね。また行きたいよね。今度は、箱根以外にも行ってみたいよね」


「だって、パパのおごりだから」


財布は軽くなったが、全員マンゾクしたのなら、私もマンゾク。


しかし、私には強羅温泉で湯につかりながら、薄々気づいていたことがあったのだ。

9月3日までに初稿をあげなければいけない仕事が2件あったことを。

そのうちの一つは、稲城市の同業者からいただいた仕事で、かなりボリュームがあった。
ということで、今日は、弾丸ツアーのあおりを受けて、1時間半しか寝ていない。

そして、もう一つ、私には薄々気づいていたことがある。

こんなブログをアップしている暇があったら、仕事をしろよ、ということ。


はい。
します、します。


おそらく、今日明日は徹夜になると思います。



よい子の皆さん。
傘を人に押し当てるのは、やめましょう。



「だって、パパのおごりだからぁ!」



お父さんの財布が軽くなった上に、寝不足になってしまいます。





2013/09/01 AM 07:28:01 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]



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