Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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逆に、親父さん、ありがとう
蒸し暑い一日だったが、心は寒かった。

そして、俺は怯えていた。


昨年4月のブログで、高校・大学時代の友人の父親が、世田谷区池尻で喫茶店を開いていることを書いた。
コチラを参照していただきたいが、ここのサーバーはリンクが外れるのが当たり前なので、期待しないでください)


「ちょっと話したいことがあるんだけどな」と、3日前に友人から電話があった。

日曜日に、一年ぶりに池尻に足を運んだ。

客はいない。
一年前と表情を変えていない明るい店内とサンルームの花たち。

だが、それよりも強く私の目に入って来たのは、私を困惑させる光景だった。

車いすに乗った「親父さん」。
一年前と比べて、頬がこけ、やつれが際立っていた。

頼みもしないのに、コーヒーとサンドイッチが出された。
親父さんではなく、友人が運んで来てくれた。

「まあ、一口飲んでから……だね」と親父さんが、力のない声で言った。

言われるままに、酸味の強いコーヒーをすすった。
それと同時に、友人が口を開いた。

「つい最近まで、おまえには教えるなって言われていたんだが……親父は…肺がんの末期……もう時間がないんだ」
途切れ途切れの言葉。
目を痙攣させながら友人が言うと、親父さんが、なぜかハハっと笑った。

「俺は、もう80歳だよ。10年前から人生の末期さ。覚悟はしていたよ」
そう言いながら、またハハハと笑った。
目には、親父さんらしいダンディで悪戯っぽい光があった。

「2週間前に、親父たちが新婚旅行で行った台湾の高雄を訪ねた。最後に行きたいところはって聞いたら、台湾だって言うから、家族みんなで行って来たんだ。それから……な、親父は思い残すことはないが、最後におまえに会いたいって突然言ったんだ。忙しいところを悪いが、今日は親父に付き合ってやってくれ」
友人が、深く頭を下げた。


実の父親との繋がりが薄かった私だが、幸いにも「父」と呼べる存在が二人いた。

実の父親の兄である「伯父さん」と友人の父である「親父さん」。
その親父さんが、なぜ私を可愛がってくれたのかは、いまだにわからない。

大昔の話だが、駆け落ちをした私たち夫婦は、結婚式を挙げていなかった。
ただ、友人たちが企画してくれた披露宴だけは催させてもらった。

私の方は、高校・大学時代の友人だけ。
ヨメの方は、勤め先の同僚だけというささやかなものだった。
お互いの親は、呼ばなかった。
(披露宴だから、こだわる必要はないのだが、ヨメの母親が宗教的なことにこだわったのだ)

その若者ばかりの披露宴に、唯一参加した大人が、親父さんだった。

「だって、俺はサトルの父親代わりみたいなもんだからさ」

そう言って、K大学応援団OBの親父さんは、K大学伝統の応援を披露して、列席者の度肝を抜いた。

私たち夫婦に子どもが生まれたときも、親父さんは産院に真っ先に駆けつけてくれた。
そして、生まれた子どもの顔を覗き込みながら、「孫の顔を見ることができて、俺は長生きができそうだよ」と笑った。

だから、親父さんは、私の「父親」だった。

その「父親」が、私の目を真正面から見つめながら、表情を変えずに言った。
「あと2週間くらいだろうな。お別れは早い方がいい」

酸味の強いコーヒーが、苦い味に変わった。

古いエアコンだから、普段は冷房の効きが悪い。
しかし、そのときは、空気が真冬のように冷たく感じられた。

体も頭も凍って、思考が止まった。
いや、時間が止まったと言ってもいい。

そんなとき、親父さんが、いつもの半分以下の声の強さで、しかし、笑いながら言ったのである。

「さて……今日は、どんな面白い話を聞かせてくれるのかな」

店に私が行くと、親父さんはいつも私に面白い話をリクエストするのである。
そして、その話が面白いと、コーヒー代をタダにしてくれたのだ。
(最初から一度もコーヒー代を請求されたことはないが)

ショッキングすぎる話と咄嗟のリクエストで、頭が回らないまま、私は話をし始めた。
面白い話になるか、自信はないのだが、親父さんのリクエストは絶対である。

もしかしたら、この話が最後に……………。


得意先での打ち合わせの帰りに、東横線に乗ったときのことだった。
午後1時過ぎの東横線は空いていた。

その空いていた東横線の同じ車両に乗り合わせたのが、40歳前後と思われる女性の2人組だった。
盛んに、K−POPや韓国のドラマ、映画の話をしていた。

二人のうちの一人の声がでかかった。
しかも早口だ。

申し訳ない言い方になるが、耳障りだった。
そして、さらに耳障りなのが、その女性が話の頭に必ず「逆に」をつけることだった。

「逆に、東方神起は5人の方がよかったわよ」
「逆に、韓国料理は、本場より日本の方が美味しいわよね。あっ、でも、逆に、冷麺は韓国ね」
「逆に、新大久保って、私たちにとっては聖地よね」
「逆に、グンちゃんの日本語ってイケルわよね」
「逆に、若い子って、ヨン様のことを知らなすぎね」

「逆に」の総攻撃。

他の車両に移ろうかとも思ったが、それでは敗北感だけが残るので、気を強く持って座り続けた。

こんなとき、私の幼稚な部分が出てしまうのは、私に堪え性がないからだろう。

電車が祐天寺駅に着いたとき、私は、ああ、『じんてうゆ』かあ、と独り言にしては、でかすぎる声で言った。
そして、あっ、間違えた! 『逆に』読んじまったぁ!

二人の会話が止まった。
そして、明らかな舌打ち。

怒らせてしまったようである。

しかし、変人の私は、その程度のことでは怯まない。

つぎは、『ろぐめかな』だな。
あっ、また『逆に』読んじまったぁ!

お二人様は、中目黒でお降りになった。
降りるとき、『逆に』の人に睨まれたが、そんなことは知ったこっちゃない。

『逆に』いい気分だった。
(我ながら幼稚で嫌なやつ。逆に、あとで自己嫌悪)


そんな話をしたら、親父さんは、大口を開けて笑ってくれた。

それを見た友人が、「やっぱり、バカ話はmatsuに任せた方がいいな。親父の嬉しそうに笑う顔を見たのは久しぶりだよ。顔色も少し良くなった気がする」と、私の肩を強く叩いた。

友人の目に涙が光っていたのは、見ない振りをして、やり過ごした。

「抱きしめてもいいかい」と親父さんに言われたので、車いすの親父さんのそばに行って、抱きしめられた。

骨格に抱きしめられたようなものだったが、体は熱かった。

「泣くなよ。俺も泣かないから」と親父さんに言われたので、涙を体の奥に押し込めた。



あの日から俺は、ずっと怯えている。

大切な人をなくす喪失感を味わう日は、できるだけ遠い方がいい。

だから、友人からの電話が来ないことを願って、怯えながら一秒一秒を生きている。



私はいま、心の中で、親父さん、ありがとう、を何度も繰り返している。


そう唱えれば、その日が永遠に来ない、と思っているからかもしれない。



2013/07/02 AM 05:51:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]



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