Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
[TOP] [RSS] [すくすくBLOG]








赤と白の戦い
おはようございます。
ホームレスデザイナーのホネホネ白髪おやじです。

同世代の男たちと話していて、困る話題が二つある。

ひとつは、プロ野球。
私は最低限の知識さえないので、会話についていけない。
選手の名前をほとんど知らないのである。

小笠原選手と金本選手、田中投手は、顔と名前が一致するが、あとは名前を言われても顔もチーム名も思い浮かばない。
(サイトウユウキ投手は名前と顔は知っているが、咄嗟にチーム名が出てこない)

は〜ん? だれだ、それ〜?

白痴状態である。


もう一つは、50歳以上のビッグ・ネームのシンガー・ソングライターの話。

たとえば、井上陽水、小田和正、吉田拓郎、松任谷由実、長渕剛、忌野清志郎、矢沢永吉、中島みゆき、さだまさし、松山千春(敬称略)など。

「あの歌は、いい歌だったよなあ」と言われても、そ、そうっだったっけか? ポカ〜ン、という、やはり白痴状態。

「あんなにいい歌、おまえ知らないのかよ」などと言われようものなら、ああ、知らねーよ、知らなきゃいけないのかよ、国民の義務なのかよ、という幼稚な逆ギレで応酬する。

我ながら、ミットモナイと思う。

しかし、共感できないのだから、これは、どうしょうもない。
共感しようと努力するつもりもない。

この方たちは、長い間日本の音楽シーンを牽引してきた優れたアーティストだから尊敬はしている。
しかし、申し訳ない言い方になるが、私には必要のない音楽だ。

ただ、聴かないで、必要がないというのはフェアではない。
かつて、一度くらいは聴いたことがある。
それは、強調しておきたい。

井上陽水氏は、デビュー・アルバムの「断絶」を聴いた。
名曲「傘がない」が入っているアルバムだ。
井上氏の研ぎ澄まされた歌詞と星勝氏のシャープなアレンジが、張り詰めた世界観に広がりを与え、井上氏の触れたらすぐに壊れそうな砂の城のような「脆い世界」を等身大に表現していたと思う。
ただ、これだけ聴けば、十分だろうと思った。

吉田拓郎氏は「人間なんて」を聴いた。
ヒット曲「結婚しようよ」をフォローする形でリリースされたアルバムだから、形としては便乗アルバムである。
コマーシャリズム溢れた「結婚しようよ」以外は、吉田氏独特のメッセージ性が程よく主張されて、アンバランスながらも吉田氏らしい仕上がりになっていると思った。
アルバム中の曲では、「ある雨の日の情景」が面白いと思った。
ただ、これだけ聴けば、十分だろうと思った。

松任谷由実さんのアルバムは「ひこうき雲」(荒井由実名義)を聴いた。
これは、日本の音楽史上、極めて良質で最高級のアルバムの一つであると断言できる。
松任谷さんの並外れた音楽センスが満載の至玉の作品だ。
このアルバムの中では、「ヴェルベット・イースター」が好きだ。
ただ、これだけ聴けば、十分だろうと思った。

長渕剛氏のアルバムは「乾杯」を聴いた。
吉田拓郎氏のミニチュア版という感じだが、吉田氏と違って女々しい歌が多かった。
半分近くが演歌っぽい内容の歌で、途中何度も聴くのを止めようかと思った。
しかし、とりあえず最後まで聴いた。
結局、その一回しか聴かずに、アルバムは人にあげた。
それ以来、長渕氏の歌は聴いていない。

矢沢永吉氏は、伝説のバンド・キャロルの頃、注目していた。
欧米のロックをうまく模倣して日本的なロックに仕上げていたと思う。
ソロデビューアルバム「アイ・ラブ・ユー・OK」を聴いた。
キャロルのときは、この時代にしては珍しく歌にメッセージ性が皆無だと思ったが、デビューアルバムも呆れるほどメッセージ色のないものだった。
音も老成していた。
アメリカのプロデューサーが矢沢氏の音楽性を掴めなかったせいか、まとまりが極めて悪く、ミキサーも途中で匙を投げたのではないかと思えるほど雑な音作りだった。
落胆しすぎて、それ以来、矢沢氏の歌は聴いていない。

小田和正氏に関しては、高校時代、目黒の杉野講堂のコンサートに行ったことがある。
当時は伝説のバンド「オフコース」だった。
まだ世間では、ほとんど認知されていない時代だ。
高校の友人に誘われて行ったのだが、観客の9割が女性だった。
時に、ハードロックっぽいギターソロが聴けたのは収穫だったが、それ以外は甘いメロディが多く、女性の熱気に押されて居場所がない感じがした。
そのとき以来、小田和正氏の歌は聴いていない。

中島みゆきさんは、「愛していると云ってくれ」というアナログのアルバムを持っている。
これは、大学時代の友人が自殺未遂事件を起こす前に、彼が友人に肩身の品を送った中で、なぜか私にはこのアルバムを送ってきたという曰く付きのものである。
なぜ彼が私にこのアルバムを送ってきたのか、今も謎だ。
本人も「わからない」と言っている。
アルバムは、ひと通り聴いてみたが、経緯(いきさつ)が経緯だけに、一度聴いて鳥肌が立ち、封印した。
自殺未遂を図った友人は、都市銀行で働いたあと、今は家業の団子屋を継いで、4人の子宝に恵まれ、東京杉並区で平穏に暮らしている。
彼の顔を見ると、おまえのことなんか、絶対に愛さねえぞ、と私はいつも毒づいている。
しかし、今も、そのアルバムは、捨てられずに持っている。


こんな風に、一応彼らの歌は聴いているのである。
彼らのアーティストとしての才能は、本当に尊敬できる。

しかし、俺には必要ないな、と私が言う。

「えっ、何でだよ!」と聞くバカがいる。

だってよぉ、いかにも紅白歌合戦的じゃないか、と私が言うと、今度は相手が白痴状態になる。

「なんでぇ、こうはくうたがっせん〜?」

長い間、歌ってきました。
反体制的な歌を歌っていても、時がそれを緩和してくれました。
若い頃は、年配の方から白い目で見られましたが、長く歌を歌ってきたという実績が、全てを覆い隠して、彼らに否定的だった頭の固い年齢層にも認知されるようになりました。

そして、紅白歌合戦的な国民的な歌手になりました。

めでたしめでたし。

そんな風な構図が、最初にアルバムを聴いたときから、私には見えていたのだと思う。

当時は年配の方からは否定された音楽でも、この人たちの音楽は、いつか紅白歌合戦が好きな層にも認知されて、紅白歌合戦に晴れ晴れしい顔をして出るのだろうと、昔の私は思ってしまったのだ。


なぜ、そんな風に思ったのか、ということに関しては、説明がいると思う。

我が家では、母親が大の演歌嫌いだったため、紅白歌合戦を見るという習慣がなかった。
私の若い頃は、紅白歌合戦といえば、視聴率70%以上の国民的な歌番組だった。
そして、出演者の大半が演歌歌手だった(と思う)。

まわりのほとんどの家庭が紅白歌合戦を見ていた(らしい)。

しかし、我が家では、その時間は寝る時間だ。
年越し蕎麦は8時前後に食い終わって、あとは各自自由行動。

だから、人と話題が合わない。
そんなことが続くうちに、紅白歌合戦は必要ないものだという意識が、私の中で自然と芽生えたのだと思う。

つまり、国民的人気の紅白歌合戦的な歌手は、俺には必要ない、と。

名前をあげた方々が、本当に紅白歌合戦に出演したかどうかは、知らない。
それは、あまり重要事項ではない。

私にとって、彼らが紅白歌合戦に出そうな国民的な歌手、という印象だけが重要だからだ。


ただ、昨年、私のこの長年培われた「紅白歌合戦理論」を覆すような出来事があった。

高校二年の娘と私が、神と崇める椎名林檎様が、紅白歌合戦にご出演なさったのである。

おそらく一生見ることはないだろうと思っていた紅白歌合戦。
俺は、一度も紅白歌合戦を見ないで死んでいく数少ない日本人になるだろう、フフフフフ、と誇らしい気持ちさえ持っていたのに、その誇りが消え去ろうとした事件。


しかし、誇りよりも林檎様。


だから、ハードディスクレコーダに録画し、他は編集で全部消して、椎名林檎様のパートだけを見た(ただ見る見ないの『心のせめぎ合い』が長く続いていたので、見たのは最近のことだが)。

それを見て、椎名林檎様も、国民的な歌手になられたものだ、という大きな感慨を持った。

14年間応援してきたアーティストが、国民的に認知される。
それは、喜ばしいことだ(矛盾したことを言っている? はい、リーガル・ハイ)。

演歌好きのジイちゃんバアチャンには、「なんじゃこりゃあ!」かもしれないが、このときの椎名林檎様は、輝いていた(異論はありましょうが、受け付けませんよ)。


その話を友人にすると、「おまえも、とうとう紅白を見たか。バージンを捨てたんだな」と下品なことを言われた。

いやまだ俺は綺麗な体のままだ。

赤と白の対決のところは一切見ていない。
俺は、椎名林檎様のところだけしか見ていない。
だから、あれは見たとは言わないはずだ。


まだ俺は・・・・・お嫁に行けるわよ〜(クリス松村風に)。


そんな我々の会話を聞いていた居酒屋の亭主が、カウンターの中で、飲んでいた茶を吹き出した。

その吹き出された茶が、調理中の料理にかかったかどうかは、見えなかった。


名物の揚げ出し豆腐のキノコあんかけが、お茶っぽい味だった気がしたが、それは気のせいかもしれない。



2012/06/29 AM 05:40:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

切なる祈り
大学時代の友人・ノナカとの話の続き。


前回、彼の態度が、おかしかったことを書いた。

まさか、ノナカの病気が再発したのでは、と恐れ戦いた私は、それから丸一日欝の日を過ごした。

しかし、私のブログを読んだ仙台市青葉区居住のノナカから、昨晩電話があった。

「心配をかけたみたいだな」

馬鹿か、お前は!

親しき仲にも礼儀あり。
壁に耳あり障子に目あり。
カシアス・クレイは、モハメッド・アリ。
日本古来のことわざをお前は知らんのか。

たとえ友だちでも、時候の挨拶から入るのが常識だ。

「ちょっと待て! それは、前回も全く同じことを言ったんじゃなかったか」

ああ、俺の脳には、コピペ(コピー&ペースト)防止ソフトが入っていないから、コピペは自由なんだ。
だから、何度でも同じことが言える。

いきなり本題から入るなんて、お父さんは、お前をそんなチャラい男に〜〜。

「もういいから・・・・・・悪かったよ。時候の挨拶だな。先週の台風は大変だったな。まさか、6月にあんな大きな台風が来るなんて、俺の住む仙台も・・・」

さっさと用件を言え。
時間の無駄だ。

「・・・・・・わかったよ。え〜〜と、お前のヒネクレは、死んだら治るんだったよな」

偉いな。
学習能力が向上したじゃないか。
さすが、成功者は違う。

で、日露混血のキャバクラのネエちゃんとは、まだ付き合っているのか?

「おい! もう、いい加減にしてくれよ」

怒られた。

「まあ、しかし、俺の体を心配してくれたのに免じて、許す」

偉いな。
さすが、成功者は違う。
心が広い。
俺は、いい友だちを持ったようだな。

「本気で言ってるのか」

俺がこれまで本気で言ったことが、一度でもあったか。

バ〜カじゃないか。

「ちょっと待て! この展開は、嫌な予感がする。話を・・・・・先に進めてもいいか」

許す。


ひと呼吸置いたノナカが、声に陰鬱なものを響かせて言った。

「実はな・・・・・俺は元気なんだが、女房がな・・・つまり・・・な」

言いにくそうだったので、先読みをした。

ああ、わかった。
つまり、奥さんが入院するってことなんだな。

「そうだ。手術もしなければならない。もしかしたら、俺が看病することになる。そうすると・・・・・」

(先読みが、不幸にも当たってしまったようだ)

それを聞いて、前回の電話の内容に、合点がいった。
そして、ノナカが、本当に言いたかったことが理解できた。

前回は、意を決して電話をかけてきたに違いない。


それなのに、俺は・・・・・。
(俺は反省して、まるで深海を泳ぐチョウチンアンコウのように沈み込んだ)


前回の話は、撤回する。
おまえの仕事、手伝うよ。
やらせてもらう。

ただ、店を任されるのは、勘弁して欲しい。
開店準備はやらせてもらうが、店は他の人に頼んでくれ。
俺は、そんな器じゃない。

「わかった。恩にきる」

ミニ・パソコン教室を開く場所は、4つの候補があり、私の独断で選んでいいということ。
そして、開店までの宣伝も任せる、とノナカが言った。

さらに、「会社名義のカードを書留で送るから、経費は、それでまかなってくれ」と言われた。


経費、万札、福澤さん、接待、ゴルフ、キャバクラ、使い込み・・・・・。


使い込みをするかもしれんぞ。
吉祥寺のキャバクラには、ハーフのネエちゃんがいるそうだ。
名前は、たしか「タチアナ」とか言ったな。
いや、「エリザベータ」か。

「・・・・・・・・・・・・」

まさか、エリザベータか?

「なんの・・・・・・ことだ?」

しばしの沈黙のあと、「とにかく書留を送るから、エリザベータのことは忘れろ」と、ノナカ社長は、ひどく慌てた様子で電話をお切りになった。

あまりに電光石火で切られたので、奥さんを大事にしろ、奥さん孝行に励め、という友だち思いの「取って置きのフレーズ」を用意していたのに、言えなかった。


ノナカ社長には、何かヤマシイことが、おありになるのだろうか。



ノナカ社長のことは、どうでもいいが、奥さんの手術が、成功裡に終わることを祈ります。

それだけは、全宇宙の神様と仏様に、切に祈り、そして、願います。



2012/06/25 AM 05:43:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

怖くて聞けなかったこと
キーを叩く指が震えて、何度も打ち間違いをした。


一昨日の夜、大学時代の友人ノナカから電話がかかってきた。

「邦子の一周忌、来なかったのは、何でだ!」

馬鹿か、お前は!

親しき仲にも礼儀あり。
壁に耳あり障子に目あり。
カシアス・クレイは、モハメッド・アリ。
日本古来のことわざをお前は知らんのか。

たとえ友だちでも、時候の挨拶から入るのが常識だ。
いきなり本題から入るなんて、お父さんは、お前をそんなチャラい男に育てた覚えはない。
もう一度、かけ直せ。

冗談で言ったのだが、本当に切って、またかけ直してきやがった。

歳をとってから、素直になったようだ。
(気持ち悪い)

「鬱陶しい季節になったな」とノナカ。

さっさと用件を言え。
時間の無駄だ。

「まったく、おまえは、歳を増すごとにヒネクレていくな。これは、もう戻らないのか」

いや、長年のヒネクレが蓄積して、いま丁度359度まで回ったところだ。あと1度で、元に戻れるはずだ」

「それは、いつだ?」

死んだら、だ。


「・・・・・・・・・・・・」


ところで、死んダラ、で思い出したが、2NE1のDARAちゃんは、美人だな。

「誰だ、それ?」

いや、知らないなら、いい。
忙しいから、切るぞ。

慌てたノナカが、「いや、待て! 話したいことがあるんだ」と早口で言った。

話したいこと?
どうせ、なんでもかんでも、韓国、中国は、けしからん。
なんでもかんでも、フジテレビは許せない。
なんでもかんでも、民主党が悪い。
生活保護受給者は、社会保障制度に則った正当な弱者も含めて全員が悪で、尖閣諸島と竹島の話題では愛国心を丸出しにし、他人の意見は、みなウザくてキモいんだろ?

「は? 何の話だ?」

別世界の話だ。

「いや、俺が言いたいのは、明日東京に行くから、ミニ・パソコン教室のことで相談があるって話なんだが」

ミニ・パソコン教室というのは、仙台で学習塾を経営している成功者のノナカが、東京に進出して3店舗展開している、こじんまりしたパソコン教室のことである。

4年5ヶ月前に相談を受け、5万円という恥ずかしい金額を出資したことがある。
だから、ノナカによると私は経営陣の一角にいて、毎年決算書という面倒くさいものを郵送されるのだが、中身は一度も見たことがないという、私は誠意のない出資者だった(だって、5万円で、でかい顔はしたくないんだモン!)。

それは、面倒くさい話か、と聞いた。

「面倒くさくはないが、真面目な話だ」

俺の感覚では、それを面倒くさい話という。
それよりも、こんな話はどうだ?

日露混血のキャバクラのネエちゃんとは、まだ付き合っているのか?

「そ、それは、いつの話だ?」

ということは、今は違うネエちゃんと付き合っていると理解していいんだな?

「俺は、そんな女とつきあったことはない」

しかし、ハーフのネエちゃんに、プレゼントをあげたという情報がある。

「・・・・・い、一度くらいは、あげたことがあるかもしれない」

本当に、一度だけか?

「いや、二度かもしれない」

誓って、二度か?

「さ、さんど・・・・・・」

馬鹿じゃねえか。

「誰がバカだよ。プレゼントあげただけじゃねえか!」

バカは、バカだよ。バ〜〜〜カ!

「そっちこそ、バ〜〜〜〜〜〜カ!」

バカ、バ〜〜カ!


これは、いったい、何歳の会話だ?


昨日の昼間、昼飯をおごってくれることを条件に、吉祥寺で会った。
ノナカは、ホテルに近い東京駅の近くで会いたいと言っていたが、東京駅までは電車賃がかかる、自転車で行ける吉祥寺じゃなきゃイヤだ、と正当な主張をしたら、あっさり了承してくれた。

こいつ、本当に歳をとってから、素直になったな。
昔は、からだ全体が皮肉と焼肉で出来ていたのに。
(気持ち悪い)

自分ひとりでは、一生入らないだろうと思われる「まぐろ人」に行った。

「まぐろ人」に入ったが、私は高級なものが口に合わない変態体質なので、頼んだのは、136円の「タラコ」「タコ」「塩辛」の握りひと皿ずつと94円の「ツナサラダ」「ミニいなり」を2皿ずつだけだった。
他に、もちろん、ジョッキ。

成功者のノナカは、336円の「大トロ」や「しゃぶしゃぶサーモン」、値段は分からなかったが、いかにも高そうな「ウニ」をヘビーローテーションで食い、合間に「刺身の3点盛り」を食っていた。

3年前に、胃がんを患って、胃を3分の2切除した男とは思えないほど、自殺行為的なものを食ったので、「体はいいのか」と、一応心配するフリだけはしてやった。

すると、ノナカが嬉しそうに「おお、心配してくれたのか」と私の肩を抱いたので、俺はハーフのネエちゃんじゃねえ、と言って、肘鉄を食らわせた。

そして、俺が心配しているのは、この店の支払いだ。支払う前に、くたばられたら損だからな、と答えた。

ノナカは、「へへ」と笑っただけだった。


仕事の話は、今年中に、あと2店舗教室を増やしたいのだが、「おまえ、どっちかの責任者になってくれないか」というものだった。

もちろん、私は、断る、と答えた。

ノナカは、私の答えを予想していたらしく、「そうだよな」とアッサリ言った。
そして、それ以上、パソコン教室の話はしなかった。

素直すぎて、気持ちが悪い。

帰り際、ノナカが「またな・・・・・うん、いつか・・・またな」と、横向きで頷きながら言った後で、くるりと背中を見せた。
そして、背中を見せたまま手を振った。



まさか、再発を・・・・・・・・・。

去っていくノナカの後ろ姿に、答えを探そうとしたが、答えは見つからなかった。


俺は・・・・・怖すぎて、ノナカの後ろ姿に、声をかけることができなかった。


そして、今も、寒気がするほど・・・・・・・怖い。



2012/06/22 AM 05:39:38 | Comment(1) | TrackBack(0) | [日記]

余裕のユウちゃん
「君のハートにシュメール人!」(相手のハートを指で撃つようにして)

これは、高校二年の娘と私の間だけで通じるギャグである。

ただ、最近は、我が家に遊びに来る娘のお友だちに、これを披露すると、2秒の空白のあと、ドッカンドッカンという爆笑が起きる。
娘は、いい友だちを持ったと思う。


ところで、最近本当に脳が衰えたと感じることがよくある。

先日もヤホーのトップページで「高橋容疑者を漫喫で確保」というタイトルを見て、高橋って誰? 漫喫って何? と思ってしまったノダ。

高橋さんが何かを「満喫」しているところを確保された、と判断した私は、高橋さんは、いったい何を満喫していて確保されたのだろうと考えたのでアル。

これは、相当に危ない兆候であると考えるエル。


さて、世間では、昨日は父の日だったらしい。

私は常日頃、我が家に父の日はない。私の誕生日もない。だから、無視しろ、と言ってある。

私は、君たちの保護者ではあるが、父ではない。
よって父の日は関係ない。

そして、誕生日だが、私は幼い頃ダダ星人に育てられた。
ダダ星人には、戸籍という概念がないので、地球での戸籍は仮のものだ。
だから、私の誕生日は不明である。

無視しろ。

子どもたちは、そんな私の言いつけを忠実に守って、父の日と誕生日を記憶から消した。

それは、私にとって大変居心地のいい状態だと言える。


そんな話とは一切関係なく、杉並の建設会社の社長は、強面のダーティ・ハリーだ(クリント・イーストウッド主演の映画ですが、ご存知ありませんか?)。

仕事の打ち合わせをしたいというので、昨日の日曜日、約束の時刻に行ったが、社長は、現場でトラブルがあり、その処理に時間がかかるので、いつ会社に戻れるかわからないとのことだった。

「申し訳ねえが、またの機会にしてくれねえか。いつ終わるか、わからねえんでな」と電話で言われたが、明日明後日と予定が入っているので、できる限り待ちますと言って、待たせてもらった。

高級そうな応接セットのソファに座って、コーヒーサーバーで入れられたブレンドコーヒーを飲む。
私は、この会社では、いつも緊張しているのだが、今日だけは不思議と開放感を感じる。

なぜだろう?

開放感を感じながら鼻歌を歌っていたら、「ご機嫌ですね」と推定年齢44歳の女性事務員に言われた。

ああ、すみません。
仕事の邪魔でしたか?

「いえいえ」と笑いながら2杯目のコーヒーを注いで貰った。

そして、「うちの社長」と言われた。

「誤解されているんですよね。あの人、偽悪家(ギアクカ)なんで」

つまり、無理してワルぶっているということですか。

しかし、いつも社員を怒鳴り飛ばし、この推定44歳の女性事務員に対しても、容赦ない罵声を浴びせかけている姿を私は何度も見ている。
そんな人が、実は偽悪家だったと言われても・・・・・。

「自分が日韓の混血なんで、特に韓国人や中国人に対しては屈折しているんですけど、それは反日反日って、感情的に騒いでいる人にだけ反発しているだけで、誰に対してもシンパシーは感じているらしいんですよね」と推定44歳の女性事務員。

いまひとつ、仰有る意味がわからないんですが・・・。

「いや・・・だから、同じアジア人だから、悪いところだけを見ないで、お互いのいいところを認めながら協調しようよ、と言いたいらしんですよ。それを上手く表現できないので、結構過激な言い方をするんですが、要するに不器用なんですかねえ・・・」

そして、こちらが聞きもしないのに、「社員にも辛く当たりますが、同じ失敗を繰り返す人に厳しいだけなんです。そういう経営者って、多いんじゃありません? 少し気をつけるだけで防げる失敗を何度もしたら、会社全体の士気も落ちますわよねえ。だって、本当に、もう少し緊張感を持って仕事をすれば、ミスは防げるのに、それをしないんだから、怒られても仕方ないと思うんですけど」と両手に力を入れて力説した。

さらに身を乗り出すように、「確かに、ミスを繰り返す試用期間中の社員をよくクビにするんですけど、ちゃんとフォローはしているんですよ。次の就職先を探してあげてから、会社を辞めてもらうんです。これって、要するに、社員思いっていうことじゃありません?」と、力説。

まあ、それは、なかなかできることではありませんね。

しかし、そうは言っても、社長の怒りのハードルは低すぎるような気がするのだが。
要するに、短気。

「まあ、短気ですよねえ。それが原因で奥さんは出て行ったみたいですけど」

奥さんが出て行ったのは、社長の口から何度か聞いたが、私には、その種のことを聞く趣味はない。
だから、深い理由は聞かなかった。

こういうデリケートな話題は、スルーするに限る。
人のプライバシーを聞いたら、腹を下して、正露丸のお世話になりそうな気がする。

だから、聞かない。

と思ったら、推定44歳の女性事務員は、勝手に話し始めたではないか。

約7分18秒にわたって、奥さんが家を出ていった理由を説明されたのだが、完全なるプライバシーになるので、ここでは触れない。

ただ、簡単に言えば、奥さんも社長に負けず劣らず「短気だった」ということになるようだ。

そして、これは、要するに「どっちもどっち」で、社長だけが悪いわけではない、と推定44歳の女性事務員は言いたいらしいのだ(しかし、なんで社長の家の細かい事情をこの人は知っているのだろうか)。

まあ、俺としては・・・どうでもいいこと・・・・・かな。

しかし、推定44歳の女性事務員さんの社長への弁護は止まらない。

「あれだけ怒りっぽくて、みんなビクビクしているのに、社員は自分からは絶対に辞めないんですよね。なぜだと思います?」

さあ、なぜでしょう?

「社長の言葉のどこかに愛情を感じているからじゃないですかね。ただ怒られているんじゃなくて、自分のために怒ってくれているんだ、という風に皆が受け取っているんだと思いますよ」

ベタ、と言っては悪いが、優等生的な受け止め方ですね。
愛情を持って叱ってくれる「気がする」から、叱責を素直に受け止める。

結局、いい社長と社員の関係だと言いたいのだろうか。

「社長が、大卒の社員を採らないのは、高卒の自分に大卒の人が使われるのは嫌だろうと思うからです。中卒や高卒の方が素直で使いやすいからだよ、大卒は可愛くない、などと言っていますが、滅多にはないけど、ちょっと弱気になったときに、俺の右腕になってくれそうな頼りになる大卒がいてくれたらなあ、なんて言うこともあるんですよ。そんなとき、ああ、私たちじゃ頼りにならないんだな、って社長に申し訳なくなって・・・・・」

涙ぐんでいる。

これは、私の一番苦手な展開である。


帰りたくなってきた。


一時間近く、推定44歳の女性事務員の社長弁護を聞かされて、最後は涙で締める、というのは、ムカデに背中で運動会をやられているような居心地の悪さがある。

ただ推定44歳の女性事務員さんの言っていることは、百パーセント理解できる。

私も社長と何十回となく接してみて、社長の持つ「信念」のようなものに感銘を受けることが、よくある。

仕事が好きで、己れの仕事に誇りを持っていて、並外れた責任感もお持ちだ。
己れの仕事に対する密度の濃い姿勢は、素直に尊敬できる。


でもなあ・・・・・俺、理屈抜きで、苦手なんだよなあ。


これは、まったく個人的な好みで言うのだが、私は、どんなときでも「余裕のユウちゃん」でいられる人が好きだ。
苦境に陥ったときでも、それを隠して、人に気を使わせない人が好きなのである。

社長ともなれば、いろいろなものを背負って、たとえば社員や社員の家族の生活を背負って日々働いているのだから、大変だろうと思う。
その重圧は、凡人には計りしれないものだ、ということも想像はつく。

しかし、だからこそ、表向きは笑い飛ばして「余裕のユウちゃん」でいて欲しいのだ。

自分にその資質がないから、身勝手ながらも、私は偉大なる人に「余裕のユウちゃん」を求めている。

失礼は承知で、こちらの社長に余裕はおありですか、と聞いてみた。

推定44歳の女性事務員は、ほとんど考えることなく、「余裕は、ないかもしれませんねえ」と答えた。

「冗談も、ほとんど言いませんし・・・・・でも」

でも?

「社長の仕事は、会社を倒産させないこと。そして、お給料を毎月支払ってくれること。それだけでいいんじゃないでしょうか。役に立たない『余裕』なんてものより、それが一番社員にとっては大事なんです。それが、いい社長の条件なんじゃないでしょうか」


・・・・・・・・・・ごもっともです。


申し訳ございません。
余計なことを申しました。
お許しください。

3杯目のコーヒーが注がれた。

これだから、ひねくれ者のホネホネ白髪おやじは、駄目なんだな。

社長のことは、社員が一番よく知っている。

第三者の俺が、よく知りもしないで、したり顔で「余裕のユウちゃん」などというのは、愚かの極みだ。

反省。


深い沼に落ち込んで反省していたら、突然ドッカーンとドアが開けられた。

息を切らせた社長だった。

そして、社長は、「すまねえな」とひとつ頭を下げてから、腹をすかせた猪のような突進力で社長室に消えた。

2分59秒後。
社長は、作業着からTシャツに着替えて、私の前に座った。

そのTシャツ。
前面に、土下座したハゲおやじがプリントされたものだった。

社長は、そのTシャツの胸の部分を指差し、さらに後ろを向いた。
後ろの面には、前面より大きなハゲおやじが、土下座しているイラストがプリントされていた。
そして、「誠心誠意詫」という毛筆の文字。

笑った。
推定44歳の女性事務員も大口を開けて、笑っていた。

「悪かったよなあ、待たせちまって。
なあ、俺が土下座するより、この方が遥かにリアルだろぉ〜」

「ワイルドだろぉ〜」

また笑った。

なんだ、社長って、「余裕のユウちゃん」じゃん!


また少し、この社長のことが、好きになった。





さて、今日は、静岡の広告代理店で打ち合わせ。

7時5分前に、出ることにしよう。


余裕のユウちゃんで・・・・・・。



2012/06/18 AM 05:39:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

何もない一日(背中が痒かった日)
おはようございます。
ホームレスデザイナーのホネホネ白髪おやじです。

一昨日の夕方、浦和のドラッグストアと静岡の広告代理店からいただいたフライヤーの仕事が無事終わって、手持ちの仕事がなくなった。

家でゆっくり休みたいところだが、私の仕事がなくなると軽いパニック症状に陥る人(えっ! 仕事ないの? どうすんのよ!)が我が家にはいるので、営業に行くふりをして、ネクタイを締め、外に出ることにした。

午後1時過ぎに家を出た。

まずは、昼メシ。

武蔵野のオンボロアパートから愛用のオンボロ自転車に乗り、お隣の東小金井まで行った。

雲が多く、やや肌寒い。
そして、時々霧雨。

肌寒い梅雨には、熱いカレーだろう、と思った。

カレーといえば、CoCo壱番屋。
だから、駅近くのCoCo壱番屋に入った。

CoCo壱番屋で、私が頼むものは決まっている。

私の場合、何を食いたいかではなく、何が安いか、でメニューを決める。
だから、他の人のように、メニュー選びで迷うことはない。

家族でファミレスなどに行くと、ヨメと大学4年の息子は、メニュー選びで迷いに迷う。
それに比べて、高校2年の娘と私は簡単だ。
一番安いものを選ぶから、すぐに決まる。

たとえば、娘はサイゼリアが好きだが、彼女が頼むのは「ミラノ風ドリア」(299円)か「ハンバーグステーキ」(399円)に、ドリンクバーをつけたメニューだけである。
私は「ペペロンチーノ」(299円)。

娘は、マクドナルドでは、百円バーガーとアイスコーヒー、あるいは、アップルパイとコーラだ。
私は、マクドナルドには、コーヒーを飲むときしか入らない。

他の店の場合、友人に吉野家信者が多くいるので、絶対に吉野家には入らない(永遠の中二病)。
松屋では、フレッシュトマトカレー(330円)、すき家では、朝定食の「卵かけごはん定食」(200円)しか食わない。

実に、楽な選択をしていると思う(俺は食い物でブレたことはない・・・偉そうに言うことではないが)。

それにひきかえ、ヨメと息子の場合は、ときに、私たちが料理を頼んでメシを食い終わってから注文が決まる、ということがある。
二人は、メニューを10回以上繰り返しめくっても決まらないときがあるのだ。
(「あれ食べたいな」「あれもいいかも」「ああ、これもいい」「ああ、迷っちゃう」)

時間の無駄、としか言いようがない。

絶対に、人生の何十分の一かの時間を損していると思う。


CoCo壱番屋で私が頼むのは、ハーフサイズのポーク・カレーだけ(330円)。

何十回とCoCo壱番屋には足を運んでいるが、それ以外のものを食ったことが、ほとんどない。
ハーフサイズは、当然のことながらご飯の量が少ない(399kcal)のだが、安さに勝るものはない。
だから、文句は言わない。


おいしく、いただきました。


さて、腹に固形物を入れ終わったら、何をしようか。

大好きな小金井公園に行こうか(無料で、あれ程の広い空間を満喫できる公園を私は他に知らない)。
一応レジャーシートはビジネスバッグに入れてきたので、それを広げて寝っ転がり、曇り空を見つめるのもいい。
多少の雨なら、降ってきても構わない(雨合羽持参)。

もちろん小さな保冷バッグにクリアアサヒの500缶を忍ばせてきたので、酒を飲むこともできる。
今日は、定番の亀田の柿の種ではなく、よっちゃんの酢漬けイカを2袋持ってきたので、それを肴にクリアアサヒを傾けるのは、悪いことじゃない。

そう思いながら、のんびり自転車を走らせていたら、東京農工大学の学生の「あ! 図書館に本を返すのを忘れた!」という甲高い声が聞こえた。

それを聞いて、ああ、今月は図書館に行っていなかったな、と思った。

図書館は、好きだ。

静かだし、何といっても本をタダで借りられるというシステムが、最高にいい。

我が家に本棚はあるが、恥ずかしくなるくらい貧弱な本棚である。
ブックオフで買った文庫本しかない。
とりあえず、この本棚は、貧弱なままにしておいて、読みたい本があったら借りるというシステムを利用したほうが、税金を有効活用できる。

だから、5年くらい前から図書館を利用することにしているのである。

図書館で借りた本は、2〜3週間で返さなければいけないから、その間に必ず読まなければいけない。
仕事や家事で忙しくても、少しの暇を見つけて読む。
そして、脳が活性化される。

これは、最近とみに脳が衰え始めたホネホネ白髪おやじには、理想的な脳的フィジカルだと思う。


図書館に行こうか。


それも大きな図書館ではなく、こじんまりとした田舎くさい図書館に。

iPhoneを取り出して、近くの図書館を検索した。
すると、小金井図書館東分室というのを見つけた。

いかにもローカルなネーミングではないか。

これは、のんびりできそうだ。

iPhoneのマップ機能でナビゲートしてもらったら、簡単に図書館までたどり着くことができた。

2階建ての公民館の2階に、図書館はあった。
1階では、お年寄りが集まって、なにやら楽しそうな会合を開いていた。

ジイちゃんバアちゃんの笑顔は、和みますね。

図書館東分室は、武蔵境駅前にある近代的で壮大なテイストを持つ図書館とは違い、アナログな趣のある狭いものだった。

蔵書の数も少ないと思う。
ただ伊坂幸太郎氏の小説が数多く陳列されているのを見たときは、感動した。
「モダンタイムス」があったので、あとで借りることにしよう。

そして、音楽CDまで置いてあるではないか。

大雑把に目を通してみるとブラックサバスの「レジェンダリィ」があった。
ベスト盤は、あまり好きではないのだが、ブラックサバスのCDは、最近では大手CDショップでも、ほとんど目にすることはなくなった。
だから、これは貴重だ。

あとで借りて帰ることにしよう。

まずは、窓際にこじんまりと置かれたソファに座って、東京新聞を読んだ。
私の感覚では、新聞の中では、東京新聞の報道内容が、一番ニュートラルな気がする。
だから、新聞を読むなら東京新聞と決めている(定期購読はしていないが)。

23分かけて読み終わり、まわりを見渡すと、誰もいない。
狭い館内を歩き回ってみたが、利用者は誰もいなかった。

つまり、俺の独占状態。

なんか・・・・・気持ちいい。

ソファに戻って、開放感を味わった、

俺ひとりかあ。
なんて、幸せな時間なんだろう!

このまま目をつぶったら、きっと眠ってしまうだろうなあ。
しかし、眠ってしまったら、もったいないような気がする。

だって、俺一人しかいない空間が、今ここにあるのに、それを眠りに消費するのは、チャンスの無駄使いと言えるのではないか。

ここは、滅多にない図書館独占状態を満喫すべきだろう。

伸びをした。

体中に溜まった余分な凝りが、すべて体外に吐き出されるような心地よい感覚がある。
空気も美味く感じられる。

ふたたび、幸せを感じた。


そして・・・・・・・幸せを感じすぎたために、眠りが来た。


肩を揺すられて、目覚めた。

「あのね、お客さん。ヘイカンなんですけど」

ヘイカンと言われて、その意味が咄嗟には理解できなかった。
ヘンタイとはよく言われるが、ヘイカンと言われた記憶はない。

さて・・・・・ヘイカン、HEYKAN・・・・・どんな字を書くんだろう?

へいかん・・・・・閉カン、閉館・・・・・ああ、閉館か。

つまり、図書館を占めるということだな。

やっと回路がつながった。

ん? ということは、いま何時だ?

何時でございましょうか、と聞いた。

推定年齢36歳の男性事務員は、厳かに「5時が閉館です」と答えた。

ああ、5時ね。

え! じゃあ、3時間近く眠っていたことになるのか。
俺は、図書館に寝に来ただけじゃないか。

もったいねえ!

で・・・・・あのお・・・借りたい本とCDがあるのですが。
閉館時間過ぎたら、駄目ですよね。

駄目もとで聞いてみたが、推定36歳の男性事務員は、「図書カードは、持ってますか? 持ってるのなら、構いませんよ」と穏やかな笑顔で言ってくれた。

しかし、小金井市の図書館を利用するのは初めてである。
だから、図書カード、ないんです、と答えた。

すると推定36歳の男性事務員は、「ああ、ない? それは、ちょっと・・・・・事務手続きは、閉館の15分前にって決まりがあるんですが・・・・・あ、でも寝ていらしたんだから・・・ああ、でも規則は規則だしなあ・・・ああ、弱ったなあ」と弱りきった柴犬のような顔をして、弱った顔をした。

その顔を見たら、お願いするのが、申し訳なく思えてきて、今のは撤回します、またの機会にしますので、ありがとうございました、と言って立ち上がった。

「悪いですねえ、お客さん。なんだったら、そのご希望の本とCD、明日までとっておきましょうか」

なんて親切な推定36歳の男性事務員さん。

いやいや、それは申し訳ないです。

失礼しました。

帰ろうとした。

そのとき、推定36歳の男性事務員さんが、まるで肩の上から26センチ下、ケツから31センチ上の背中の箇所が痒くて、掻きたくても掻けないような顔で言ったのである。

「あのお、こんなことを言ってはアレなんですけど・・・」

はい。

「あのお、図書館は、寝るところではないんで・・・」

それを聞いた私は、肩の上から28.5センチ下、ケツから33.5センチ上の部分が掻けないような顔で、「ああ、そうですよね。これからは気をつけます」と頭を下げた。

言った後で、お互い顔を見合わせて右手を後ろに回し、届かない背中に手を這わせた。


もちろん、痒い部分に、手は届かなかった。


そんな何もない一日だった。



2012/06/14 AM 05:40:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

ぼかそうとした想い出
思い出というのは、それが古ければ古いほど、綺麗に脚色されたものしか残らないものである。

だから、古い思い出は、ぼかすのが一番いい。


大学時代の女友だちの一周忌が迫ってきた。

それを私は、極力思い出さないようにしてきた。

しかし、世の中には、余計なことをする奴がいるようだ。

女友だちの兄である長谷川から電話がかかってきたのである。

「邦子の一周忌の法要を身内だけでやろうと思うのだが、おまえ、来るだろ?」

俺はいつから、お前の身内になったんだ。
俺の血は、お前ほど汚れてはいない。
迷惑だ。

「いや、大学時代の友だちが、一人もこないっていうのも、なんだからな・・・」

他の友だちには当たったのか。

「いや、おまえだけだ」

舌打ちが出た。

長谷川は、大学時代は人のいいお坊ちゃんという感じの癖のない好青年だった。
陸上部以外の人間との付き合いの乏しかった私は、クラスに4人しか親しく話せる友はいなかった。
その中でも、一番緊密に会話を交わしたのが長谷川である。

長谷川の素直な性格と捻じ曲がった私の性格が、丁度いい化学反応を引き起こして、私たちはいい友だち関係を築いていた。

つまり、信頼できる友だった。

その長谷川は、商社の御曹司で、今は社長様の椅子に座っている。

長谷川は、大学時代は線の細さが感じられたが、地井武男が人を作る(?)という言葉通り、今の長谷川は、どこから見ても社長にしか見えない貫禄を身につけていた。

長谷川と私が一緒に酒を飲んでいると、社長のそばに貧相な鞄持ちが控えているような構図になる。

ただ、この社長は真面目すぎて、私が冗談で、社長、次はどんな料理をお召し上がりになりますか、などと聞くと、「社長じゃねえ! 俺は、ただのハセガワだあ!」と言って、肘で私の脇腹を本気で攻撃するのである。

長谷川は、そんな風に愛すべき男だ。


その冗談の通じない長谷川が言う。
「なあ、来るだろ? 来てくれよぉ」

おまえ、俺の友だちを何年やっているんだ。
身内と言われて、俺が行くと思ってるのか?

長谷川が黙った。

自分が、面倒くせえことを言っているのは承知している。
だが、身内と言われたら、行けない。

俺には、資格がないからだ。

だから、他の日に線香を上げさせてくれないか。
これは、俺の方から、お願いする。

「他の日っていつだ?」

わからん。
仕事が片付いたときだ。
そのときは、連絡する。

「俺は、いないかもしれないぞ」と長谷川。

おまえ、奥さんと離婚したのか。
ひとり暮らしなのか。
子どもは家出中か。

「いや、美紀(長谷川の奥さん)は、いると思うが・・・」

奥さんが在宅なら、短い時間、線香を上げることくらいできるだろう。

「まあ、そうだが・・・」

少しの沈黙のあと、長谷川が言った。
「とりあえず、来るなら前の日に俺に電話をくれないか。調整するから」

調整は、しなくていい。
電話はするが、俺が勝手にやることだ。
お前の仕事の邪魔はしない。

「まあ、お前の言いたいことはわかるが、でもな・・・」

話が堂々巡りになりそうになったので、電話を切った。


古い思い出は、ぼかしたほうがいい。


線香をあげているそばに、長谷川がいたら、思い出が溢れ出る。
私には、それを耐える自信がない。

長谷川には悪いが、当日の朝に、長谷川が会社に出た頃合いを見計らって、自宅に電話をかけることにした。

6月8日朝、9時過ぎに電話をかけた。

聞き覚えのある声が出た。
長谷川の奥さんだ。

今日、線香を上げに行きたいのですが、と頼んだ。
すでに長谷川から聞いていたらしく、奥さんは快諾してくれた。

では、2時22分にお伺いします、と言ったら、「Mさん、ぜ〜んぜん、変わらないんですね」と笑われた。


大田区南雪谷の長谷川家の門前に立った。

インターフォンのボタンを押した。

「はーい」という聞き覚えのある声。
長谷川の奥さんだ。

「まだ2時21分ですけど」

ああ、緊張して心臓の鼓動が早くなり、その鼓動に押されてボタンを押してしまいました。

「じゃあ、心臓マッサージが必要ですね」

お願いします。

長谷川の奥さんは、医者だった。
今は家庭に入ってしまったが、子供が産まれるまでは、大きな病院の勤務医をしていたのである。

長谷川には身分不相応なものがたくさんあるが、その一番は、この奥さんだろう。

私が人を判断する基準は、冗談が通じるか通じないかの一点だけだが、長谷川の奥さんは、その意味で百点満点の人だ。

門が開けられて、黒のカーディガン、薄茶のスラックス姿の奥さんが姿を見せた。

お互い、軽く頭を下げた。

しかし、その奥さんの後ろには、薄緑色のスーツを着た長谷川がいた。
だから私は、回れ右をして、帰ろうとした。

後ろから羽交い絞めにされた。

「お放しくださいませ、ご主人様ぁ〜!」と叫んだら、口を塞がれた。

通りを行くベビーカーを押す若い奥さんが、立ち止まって私たちを見ていた。

羽交い絞めにされたまま、家の門の内に連れ込まれた。

「まったく、おまえは」と言われたので、私は、何でおまえがいるんだ、俺は奥さんとは約束したが、おまえとは約束していないぞ、と言いながら長谷川の手を振りほどいた。

ただ、茶番は、ここまでだ。

思い出をぼかすためには、儀式は早く済ませたほうがいい。

案内をされるままに、滑稽なくらい質素にしつらえられた社長宅の玄関を入り、次に、まるで家を飾り立てるのが「悪」であると思っているような、極めて禁欲的で簡素な家の内部に入り込んだ。

そして、導かれるままに、一階の奥の部屋に案内された。

和室の窓際に、大きな仏壇があった。

邦子の遺影が見えた。

長谷川の会社の本社にあった、邦子と養女の写真が飾られていたら、どうしようかと思った。

それは、邦子が亡くなる一週間前に撮られた写真だった。
一週間前は、自分に突然の死が訪れることなど思いもよらなかったはずだ。
だから、邦子の笑顔は幸せに溢れていたし、それ以上に、養女の七恵の笑顔が幸福を鮮明なほど表現していた。

俺だったら、こんな写真は飾れない。
鍵のかかる引き出しの奥にしまいこんで、一生見ないだろう。

しかし、長谷川は、社長室に、それを飾っているのだ。

毎日、目にしているに違いない。

それだけで、長谷川が強い男に変貌を遂げたのがわかる。

彼は、もうお坊ちゃんではないのだろう。

だが、俺は違う。

俺は、それを正視できない。

あの写真がもしあったら・・・・・。

線香を上げないで帰ろうか。
そう思った。

しかし、恐る恐る部屋を見渡してみたが、邦子の写真は、仏壇に飾られた遺影だけだった。

安心して、線香を上げた。

形だけ、手を合わせた。

思うことは何もない。
古い思い出は、ぼかそうと決めているからだ。


邪魔したな。
腰を上げた。

「おい、いくらなんでも・・・」と長谷川に左腕をつかまれた。

約束は果たした。
お互い、暇じゃないんだから、これでお開きだ。

「いや、しかし」と長谷川の指に力が入った。

振り払おうとしたが、その力は思いのほか強かった。

「七恵が、もうすぐ来るんだ」
顔全体を充血させて、長谷川が言った。

「本当は法要のときに来る予定だったんだが、おまえが今日来ると言ったら、大学の授業を休んで仙台から来るって言うんだよ。待ってやってくれないか」

七恵は、邦子の養女だった。
長谷川家の遠い親戚の子どもだったのを、6歳の誕生日前に、邦子が養女にしたのである。
名前からわかるように、七人兄弟の七人目の子どもだった。

七恵を養女にした経緯を私は知らない。
そんなことを聞く趣味は、私にはない。

ただ、邦子が七恵を愛し抜いていたことだけは、想像がつく。

血のつながりが薄くても、二人はよく似ていた。
誰もが本当の親子だと思ったに違いない。

だから、七恵の顔を見たら、思い出が鮮明になる。

勘弁してくれよ、と長谷川と奥さんに頭を下げた。

来ない方がよかった、とも言った。

二人は、無言だった。

頭を下げて、帰ろうとした。
しかし、そのとき、インターフォンが鳴った。

おそらく七恵だ。

立ち尽くした。
そして、目をつぶった。


来ない方がよかった、と、また思った。


七恵を待つ時間が長かった。

どうやって、思い出をぼかそうか、と思った。
しかし、うまい方法が思い浮かばなかった。

ドアが開いた。

「ゴメンナサイ、遅くなりましたぁ〜」という声とともに、七恵が入ってきた。

目を閉じていたが、いつまでも閉じているわけにはいかない。

だから、開けた。

最初に目に入ったのは、壁にかかった大きなデジタル時計の「14:47」の数字。

そして、焦げ茶のトレーナーとジーンズ姿、ショートヘアの七恵。

その姿を見たとき、「何か」が鮮明によみがえって、私は思い出をぼかす作業を忘れた。


無意識に、「お久しブリーフ!」という下品な言葉が出た。


七恵が、のけぞるようにして笑った。




結局・・・・・・・思い出をぼかす作業は、失敗した。




2012/06/10 AM 08:24:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

92点のひと
埼玉に罪はないのだが。


以前のブログで書いたが、同業者のほとんどは、某新聞社所有の野球集団の熱狂的ファンである。

この同業者たちとは、昨年の秋あたりから、2ヶ月に1回程度、吉祥寺で飲み会を開いていた(私が埼玉にいた頃は年に1、2回だった。彼らは、吉祥寺は美女が多いという私の言葉を信じて、遠くまで足を運ぶスケベどもだ)。

ところで、私は某新聞社所有の野球集団が大嫌いで、某新聞社所有の野球集団中心のプロ野球にも、ほとんど興味がない。

しかし、前回の同業者との飲み会で、あまりにも某新聞社所有の野球集団の話題で盛り上がりすぎるアホどもに対して、私は非常識である、と異議を唱えたのである。

興味のない人間のことも考えろ。
このクソバカファンどもが!(そこまでは言わなかったが、私の心情としては、それに近い)

そのようなニュアンスで悪態をついて姿を消したから、もう二度とお誘いはないものと思っていた。

だが、5月の半ばに、同業者の中で最年長のオオサワさんから、お誘いのメールが来た。
あれほどの無礼を働きながら、また誘ってくれるとは、なんて器の大きいお方、と思ったが、その時期私は徹夜をしなければこなせない仕事を抱えていたから、お誘い 嬉しい でも 仕事忙しい だから無理 という心のこもった断りの返事を送った。

するとオオサワさんから「時間ができたら、教えてください」というメールが来たので、同意 謝謝 という、また心のこもったメールを返信した。

埼玉に住んでいた頃は、オオサワさんの生活圏である大宮で、よく昼メシを奢ってもらった。
何故かわからないが、オオサワさんは、私にメシを奢ることに生きがいと使命感を持っているらしいのだ。

59回以上、奢ってもらったと思う。

最初のうちは、料亭や寿司屋のようなところで奢ってもらったが、不景気になると、釜飯屋とか「てんや」「サイゼリア」になった。

私は高級料理が体に合わない貧乏体質で、そのうえ旨いものを食いたいという欲求が全くないので、釜飯屋でも十分すぎるくらいだし、「てんや」「サイゼリア」に至っては、私としては、むしろ、待ってました、と言いたいくらい好ましい店だった。

しかし、オオサワさんは、いつも「悪いね、こんな店で」と恐縮するのである。
もし、オオサワさんが、某新聞社所有の野球集団の熱烈ファンでなければ、その人間性に百点を差し上げたいところだ。
しかし、某新聞社所有の野球集団の熱烈ファンということで、涙を飲んで7点減点せざるを得ない。

そんな93点のオオサワさんから、4日前、電話があった。

「キシさんから、さっき電話が来たよ」

キシさんというのは、私が埼玉の団地に住んでいた頃、パソコンを教えていた69歳(もう70かな? いや、71? ン? 72?)の女性のことである。

私が武蔵野に越してからも教えることを約束したのだが、私は15年間暮らした埼玉の団地に行くことに強い抵抗感を持っていたので、大宮のオオサワさんの事務所を借りて、講習を続けることになったという経緯がある。

回数は、キシさんのペースに合わせて、月に1回のこともあるし、2回のこともあり、3ヶ月に1回になることもあった。

最近は、今年の2月にキシさんに三人目のお孫さんが生まれて、その世話に忙しいせいか、講習会からは遠ざかっていた。

しかし、それなりに落ち着いてきたのだろう。
久しぶりに講習を受けたいと、オオサワさんに連絡をしてきたようだ。

「いつにする?」とオオサワさん。

火曜日でよろしければ、と答えた。

最近の私は、浦和までは行くことが多い。
得意先が2つあるし、友人も一人いる。

しかし、そこから先に行くのは、大宮を素通りして桶川の得意先に行くか、キシさんにパソコンを教えるときだけである。

飲み会に出席する同業者は、全員が埼玉在住だから、本当は大宮あたりで飲み会をしたほうがいいのだが、全員が私の「心の事情」を汲んで、吉祥寺まで来てくれるのである。

彼らが、某新聞社所有の野球集団の熱烈ファンでなければ・・・・・百点を差し上げてもいい人格者ばかりだ。


久しぶりに会うキシさんは、いつも通り陽気で元気だった。

キシさんは、松岡修造氏ほどではないにしても、若い頃は、かなり熱い人だったのではないか、と想像させるような「陽のオーラ」と行動力を持った人だった。

我が家では(少なくとも高校2年の娘と私は)、松岡修造氏は、ほとんど「神」のような存在として、尊敬の対象になっている。

だから、同じように私は、キシさんのことも神格化してお付き合いさせていただいている。

むかし団地内で私に対しての根も葉もない噂が立ったとき、キシさんは全力で私を擁護してくれた。

そんなこともあって、キシさんの仰ることは、「ごもっともです」と全て肯定し、私は絶対に反論はしない。
そして、使い慣れない敬語を駆使して、1時間半の講習を敬語づくしにしているのである。

最初の頃、キシさんが私のことを「先生」と呼ぶのに違和感を持った私は、どうか、先生だけはご勘弁くださいと頭を下げた。
「では、何て呼べば」と聞かれて、「SATORU(サト〜ル)」と呼び捨てにしてください、外国では親しい間柄では、ファーストネームで呼ぶのが習わしですから、と答えた。

だが、キシさんは、「私は古いタイプのNIPPONJINですから、それはできません」と、毅然として言ったのである。

キシさんの言葉には、絶対に反論しないと決めている私は、仕方なくキシさんが私を「先生」と呼ぶことを容認し、今も私は遥かに年下なのに「先生」と呼ばれている。

キシさんに「先生」と呼ばれるたびに、私のケツは、くすぐったさを感じて、いつも持ち上がってしまうのだ。

1時間半の講習で、42回ケツを持ち上げた私は、ケツのくすぐったさを感じながらも、キシさんの「陽のオーラ」を久しぶりに受けて、元気を頂いたことに幸福を感じていた。

そして、時刻は12時。

埼玉県さいたま市大宮区は、昼メシどき。

「お昼にしませんか」と、キシさんが言う。

ああ、そうしましょうか、と直前までMacの前で、リズミカルに船をこいでいたオオサワさんが、突然反応した。
「近くに食べに行きましょう。俺がご馳走しますから」と立ち上がった。

しかし、それと同時に、キシさんが「ヨッコイショウイチ」と言いながら、大きな紙袋をテーブルに音を立てて置いた。

0コンマ7秒という驚異的な反射神経で、その大きな音に反応したオオサワさんが、聞いた。
「それは、いったい・・・・・・?」

「お弁当を作ってまいりましたの」と、キシさん。
そして、でかい紙袋から、黒い木製弁当箱を3つ取り出した。
薄ピンクの桜の柄がカワユかった。
漆塗りに見えるが、ただのプラスティックということもありうる。

いずれにしても豪華そうに見える弁当箱が3つ。

イッタダキーッと言って真っ先に開けると、中にはエビチリと春巻き、焼売、キャベツの千切り、春雨サラダ、白米がギッシリと詰められていた。

ウマそうだ。
いや美味いに違いない。

添えられた漆塗りっぽい箸を手にとって、食おうとした。

しかし、そのとき、それまで事務所の隅っこで、おとなしく眠っていたパグ犬が、匂いに反応して、突然起き上がったではないか。

そして、ブサイクな顔を卑しさで満載にして、私の弁当めがけ突進してきたのである。

焼売と春巻きは、あっという間に食べ散らかった。
そして、潰れた鼻に大量に付着した白米の粒。
(おまえ! 朝メシ食っていなかったのかよ!)

なんだ、なんだ!

このバカには、遠慮というものがないのか。
どんな教育を受けているんだ。

四足を踏ん張って弁当をあさっている姿に、埼玉大学で高等教育を受けた気配は微塵も感じられなかった。

キシさんと私は、その姿を唖然として見つめたが、オオサワさんは、パグ犬の暴走を止めることなく、自分の弁当を犬の届かないところに高く掲げ、逃げていったのである。

だから、次に餌食になったのは、キシさんの焼売と春巻き、白米だった。

卑しいぞ、あまりにも卑しすぎるぞ! キャロライン(パグの名前。女の子ですよ)。


このバカ犬が!


だから、埼玉の犬は嫌いなのだ。

Hate the dog in Saitama!


この事件により、オオサワさんは、1点減点の対象になった。

92点のひとになった。



2012/06/06 AM 05:49:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

いい人そして俺のヒーロー
前回、少し辛口のブログをエントリーしたので、今回はホッコリする話を。

高校2年の娘と武蔵境の雑貨店で買い物をした帰りのことだった。

交番の前を通ったときに、声が聞こえた。

警官「交番は、お金を貸す場所じゃないんだよね」

「でも、それだと、家に帰れないんで、お願いしますよ」

警官「他に方法を考えたほうがいいよ」

うなだれるスーツ姿の若い男。

それだけの会話では、詳しいことは分からないが、おそらく若い男が、財布を落として家に帰ることができず、交番に駆け込んで、帰りの電車賃を貸してくれないかと頼み込んだのではないか、と想像した。

警官「悪く思わないでくれよね」

警察官に拒否され、途方に暮れた顔で、交番に背を向ける若い男。

その姿を見て、この人に手を差し伸べられるのは、俺しかいない。
娘も、おまえの出番だぞ、というような目で私を見ているし。
だから、強い使命感を持ちながら、どうしたんですか、と聞こうとした。

しかし、そのとき、同じように、その会話を聞いていた20代前半のカップルがいたのである。

もし世の中を「チャラい人間」と「チャラくない人間」に分けるとしたら、彼らは、間違いなく前者に属する人たちだった。

その「チャラい属」が、「俺たち、帰りの電車賃、出すよ」と、軽い調子で言ったのだ。

その言葉に警戒感を露わにして、カップルを見つめた若い男。

チャラ娘は、両手を激しく振って、「別に・・・返してくれとは、言わないからさ、アハハ」と笑った。
チャラ男は、隣で大きく頷いていた。

しかし、その笑顔にも、男の警戒感は消えることはなかった。
(二人の全身を見たら、警戒するのは、わからないでもない)

チャラ男が言う。
「俺たちも、この間、朝まで遊んだとき、遊びでカネ全部使っちゃって、家に帰ることができなかったから、駅で酔っ払いのオジさんに頼んで、金を貸してもらったんだ」
「そうそう、ただ、オジさん・・・・・ちょっと意地悪な人で、土下座したら貸してやってもいいよって言ったんだよね」
「帰りの電車賃を貸してくれるなら、土下座でもなんでもするさ。だから、二人してすぐに土下座」
「そうそう、土下座」

そして、チャラ娘が、明るい口調で「私たちが、あまりにも簡単に土下座したんで、オジさん、驚いたのか、財布から中身を確かめもしないで、5千円札を出して私たちに投げたんだよ。それを土下座しながら受け取ったら、オジさん、なぜかわからないけど、逃げるように去っていったね」。
「でも、助かったよな、あれ」
「そうそう」

その二人の言い方が、あまりにも陽気だったため、娘と私は、失礼ながらも立ち止まって、聞き入ってしまったのである。

「俺たちは、土下座しろとは言わないからさ」と言って「ほらっ」と言いながら、2千円を男に差し出した。
そして、「これで、足りる?」

ためらう男。

それを見て、「まあ、警戒するのはわかるけどさ、好意は素直に受け取ろうよ。金がなきゃ、家に帰れないんだろ。ここで遠慮したって、時間の無駄だよ」とチャラ男。
チャラ娘は、「私たち、『いい人』をするのに慣れてないからさ、気が変わらないうちに受け取ったほうがいいよ」と笑う。

男は、首をかしげながら2千円を受け取り、戸惑いを隠せない顔で頭を下げた。
そして、「お名前と電話番号を」と言い、携帯電話を取り出した。

それに対して、チャラい属は、「あのね、『いい人』っていうのは、こういうときは、名乗らないものなの」「そうだよ、『名乗るほどのものではありません』って言って、カッコよく背中を向けるもんだよ」と言って、本当に背中を向けたのである。

そして、「俺たち、いい人ォ!」と、甲高い声で笑いながら、手を繋ぎながら改札をぬけていったのだ。

2千円札を持って、呆然とする男。

娘と私は、そのチャラい属の見事な振る舞いに対して、拍手を送った。

私たちの存在に気づいた男は、右手で頭をかき、その姿勢のまま、私たちに頭を下げた。
そして、言った。

「これ・・・・・ドッキリじゃないですよね?」

さあ、どうでしょうか・・・・・どこかに、隠しカメラがあるかもしれませんから、キリッとした顔をしたほうがいいですよ。
家に帰っても、油断しないこと。

私は、百パーセント冗談のつもりで言ったのだが、男は真面目な顔で「そうします」と答えた。


その生真面目な顔を見て、私は、もしかしたら本当にドッキリだったかもしれない、と思った。



次は、これは最近ではなく、10年以上前の冬に出会ったヒーローの話。

代官山で人と会う約束をしたので、渋谷から代官山までの道を歩いていたときのことだ。
(渋谷から東横線に乗れば、すぐに着くのだが、電車賃がもったいないので歩くことにした)

外苑前から青山、表参道、渋谷、代官山、中目黒、都立大学、自由が丘あたりまでは、自分の庭のようなものだから、大きな道、細い道は、ほとんど把握している。
だから、時間があるときは、歩くようにしているのである(本当はただのケチ)。

渋谷駅から国道246を登って、南平台あたりから左に折れると代官山まで行く道がある。
鉢山町交番前を通り、猿楽町を抜けていく。

今はどうか知らないが、10年以上前、この通りは、都会にしては珍しいくらい交通量の少ない道だった。
路上駐車の車もなく、行き交う車の数は、少なかった。

そんな道を歩いていた。

横断歩道は、いたるところにある。

信号のない横断歩道もあった。

10年以上前の冬の日、その信号のない横断歩道を、80歳くらいの女性が手押し車を押しながら、おぼつかない足取りで渡っていた。
その日は、風の強い日だったから、よけいご老人には歩きづらかったと思う。

時速0.5キロのスピードで横断歩道を歩く老婆。

交通量が少ないといっても、歩道を人が歩いていたら、車は止まらなければいけない。
だから、その場所だけ、ちょっとした渋滞が起きていた。

強い風に翻弄されながら、ご老人が横断歩道を歩く。
その足取りは、遅く、そして弱々しく見えた。

これは、誰かのサポートが必要だろう、と思った。
まわりを見渡すと、歩行者の数も少ない。
たとえ人がいたとしても、ご老人に目を止めている人は、おそらくいなかったと思う。

照れくさいことだが、ここは俺の出番だろうな、と私は考えた。

だから、早足で、横断歩道に近づいた。

そのとき、タクシーが私の前で止まったのである。
そして、後部座席から、男が飛び出るような勢いで姿を現したのだ。

背が高く、横幅も普通の人の2倍以上ある人だったが、重たそうに見える体格の割に、その動きは素早かった。

男は、ラグビーでタックルを狙うような俊敏さで横断歩道まで駆けていき、ご老人の手を取った。
そして、ご老人に何かを語りかけた。

何を言っているのかは、風の音が遮って聞こえなかったが、男はご老人の体を風から庇うように抱き、手押し車を押すご老人の手に手を添えて、横断歩道を渡ろうとしたのである。

男は、ご老人のゆっくりした歩みに合わせて、弱いものを全力で守るように、何かを常に語りかけながら、歩道を渡った。
ご老人は、男に小刻みに頭を下げながら、前に進んだ。

さらに渋滞の列は長くなったが、誰もクラクションを鳴らす人はいなかった。

横断歩道を渡りきる2分ほどの間、私は、その姿を立ち止まってみていた。
見とれていた、と言っていい。

安心感のある大きな背中。
その大きな体をかがめるようにして、絶えずご老人に語りかける横顔。
風から身を守るように、ご老人を抱き、ご老人の両手に添えた大きな手。

その光景は、とても、いいものだった。

その瞬間、私は言葉に表現できないような「温かいもの」を感じた。

それは、私にとって、思いがけないほどの「幸せな時間」と言ってよかった。

だから、自然と顔がほころんだ。
風の強い、寒い日だったが、心は暖かくなった。


ご老人を横断歩道の向こう側に送り届けた男は、ご老人の両肩に手をおいて、また何かを語りかけた。
うなずくご老人。

その顔を見て、俺の知っている人だ、ということに私は気づいた。

その男は、ご老人が歩き始めるのを見てから、大きく頷き、またタックルをするような素早さで横断歩道を戻った。
戻るとき、ご老人が渡りきるまで待っていた車の群れに頭を下げ、手刀を切るような仕草をして感謝の意を表した。

そして、タクシーの後部座席に飛び込んだ。
勢いがよすぎたせいで、タクシーが、大きく揺れた。


その男。
タレントの安岡力也氏だった。

私は、そのときまで、安岡氏のことがあまり好きではなかった。
必要以上に大物ぶった態度と、いきがった話し方。

こんな男に、ろくなのはいない、と偏見を持っていたのである。

しかし、人は咄嗟のとき、周りが誰もしないような状態のとき、何ができるかで、その人の本性が見えることがある。

風に翻弄されながら、ヨロヨロと横断歩道を歩くご老人の姿を見て、私は咄嗟に行動することができなかった。

しかし、安岡氏は、すぐにタクシーを飛び出して、ご老人に駆け寄ったのだ。

それは、なかなか出来ることではない。

風から老人を守る大きくて逞しい背中。
老人の手に優しく添えた大きな手。
ご老人が不安にならないように、絶えず話しかけた気配り。
そして、タクシーに戻る時に見せた、どこか照れた顔。


そのときから、安岡力也氏は、私のヒーローになった。


あんな男になりたい、と思った。

だが、そのヒーローは、長い闘病生活を経て、先々月亡くなった。

それは、とても理不尽なことだ、と私は「何か」を呪い、涙した。




大きくて優しいヒーローのご冥福を、心からお祈りします。



2012/06/02 AM 06:56:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]



(C)2004 copyright suk2.tok2.com. All rights reserved.