Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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我が家の強烈なお笑い芸人
真面目にお笑いの話を。

高校一年の娘に、フジテレビの「レッドカーペット」を録画しろと言われたので、録画した。

お互い観る時間がなくてほったらかしだったが、一昨日の夜、娘が突然「見ようぜ」というので、柿の種とクリアアサヒを準備してテレビの前に座った。
娘は、柿の種と午後の紅茶である。

期待を持って見始めたが、始まって10分もすると、娘は携帯をいじり始め、私はと言えば、溜まっていたガスを2発放出した。

娘に、「うるせえ!」と言われたので、ゴメンナサイと謝った。

20分経って、2本目のクリアアサヒに手を伸ばした頃、娘が携帯をいじりながら言った。
「なんか、観客と審査員がやたら浮かれてないか。芸を見る前からあんなに盛り上げて、しらけるぜよ」

私も、そう思う。
芸を見る前から観客と審査員は、笑う気満々で、テンション80%の状態だ。

80%のアドバンテージがあるから、平均以下の芸でも、80点は貰える。
そこですでに、お笑い番組の演出としては、破綻をきたしている。
芸に対しての正当な評価が出来ない状態である。

つまり、これはお笑い番組ではなく、ただMCと観客と審査員の高いテンションを見るだけの番組だ。

娘が、携帯をいじりながら、呆れ口調で言った。

「きついな。これ以上は無理だ。消そう」


MC、審査員そして観客を総動員して、笑い声だけで番組を作るというのは、お笑い芸人の芸を封印することだと私は思っているのだが、その考え方は、笑いに対して生真面目すぎるだろうか。

気楽に、笑えれば何でもいい、と思ったほうがいいのか。
あるいは、つまらなくても、まわりの人と笑いを共有するだけで楽しいのだと割り切ればいいのか。

5年以上前のことだが、「出演者が何を言っても笑う、歓声を上げる」という観客の存在が鬱陶しくなって、「笑っていいとも」増刊号を見るのをやめた。
あの番組も、いつの間にか芸人の芸を封印する「ほめ殺し番組」になっていた。

今は、芸人の芸は関係なく、プロデューサーが観客に笑いを強要する「ほめ殺し番組」のことを「バラエティ番組」と呼ぶのかもしれない。


以前「お笑い芸人歌がうまい王座決定戦」というのを一度だけ見たことがあるが、お笑い芸人が笑いを取ることもせず、真面目に歌を歌っているのを見て、10分でチャンネルを変えた。
本当に、真面目に歌を歌っただけの番組だったからだ。

お笑い芸人が、ただ真面目に歌を歌うだけだなんて、お笑い芸人にとって、それは自殺行為じゃないか。


「まともなお笑いを見たいな」と娘が言うので、撮りだめしておいた「東京ビタミン寄席」という番組を見ることにした。
これは、ほとんど無名の芸人さんたちが出演する寄席番組である。

全国放送ではなく、武蔵野ローカルテレビで放送しているもの。
エルシャラカーニ、ウクレレえいじ、ふとっちょ☆カウボーイ、冷蔵庫マンなどマイナーな芸人の他に、たまにダンディ坂野氏や鳥居みゆき嬢なども出ることもある、極めてユニークな番組だ。

この番組がいいのは、お笑い芸人にとって、環境がほとんどアウェーであることだ。
面白かったら、それなりに笑うが、つまらなかったら「沈黙のお仕置き」が待っている。

それは、お笑い番組としては、たいへん真っ当なものだと思う。

だから、見ていて、安心する。
演出としての笑い声を聞かないことが、こんなにも心地いいものだなんて。

娘も「いいよなあ。これが基本だよな」と柿の種をボリボリ。

二人して、ときに笑い、失笑し、50%以上の白けた雰囲気を心ゆくまで堪能した。


そして、そのあと、いきなり「たけしって面白いのか」という娘の素朴な問いかけがあった。

高校一年の娘は、ビートたけしの全盛期を知らない。
だから、「1ミリも面白くないんだけど」と、たけしを見るたびに言うのだ。

ダウンタウンも、浜ちゃんは人の頭を叩く人、マッちゃんは、小さい声でボケる人という認識しかない。
とんねるずに関しても、若手芸人をいじめる性格の悪いオッサンだと思っている。

「笑えないんだけど」と言い切るのである。

その娘の問いには、まあ、当たっているよ、と答える。

体を張れなくなった芸人は、他人を貶めて笑いを取る司会者になるのが、日本のお笑い芸人の王道である。

彼らは、面白いことは言えなくても、人の悪口がメシの種になる。
彼らにとって、それこそが、お笑いの基本なのだ。

だから、彼ら自身は、少しも面白くなくていい。

「そうか、つまらないな。ビタミン寄席だけが、楽しみってのもつらいな」
娘が、諦めたように言う。

いや・・・・・うちには、もっと面白い人がいるだろ。
それで、十分じゃないか。


「マミーのことか?」


そう、我がヨメのことである。

たとえば、風呂に入ったあとメシを食ったとする。
ヨメは、その後ひとり和室でパソコンを開け、K-POPの話題を漁りまくるのが日課だ。
しかし、すぐにおネムになるらしい。

そして、短いうたた寝のあと、「私、寝てた?」と叫ぶのである。

ヨメが寝ていたかどうかは、見えないから誰も知らない。

我々が答えないと、「ねえ、私、寝てた?」とまた叫ぶ。

はいはい、寝てました。
そう答えると、安心するようだ。

そんなことが、一日に二回はある。

その度に、お付き合いするのは大変だが、もう慣れた。


今週の日曜日、娘とヨメが新宿に買い物に行った。
その帰りの中央線で、運良く座席に座ることができたヨメは、例によって、すぐおネムになった。

軽いイビキをかいて、眠っていたという。

そして、武蔵境駅に近づいたとき、本能的に目覚めたヨメは、我が家にいるときと同じように叫んだというのだ。

「私、寝てた? ねえ、寝てたぁ!」

ヨメのまわりからジワジワと湧いてくる笑い声。

恥ずかしくなった娘は、咄嗟に他人の振りをした。
そして、電車のドアが開いた途端、走り出て、ホームの階段を駆け下りたという。


娘が、しみじみと言う。
「家の中に、強烈なお笑い芸人がいるってのも、つらいもんだな」


俺も、そう思う。



2012/02/29 AM 05:33:52 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]

未知への家路
ネットの世界を泳いでいると「〜は終わった」というフレーズに、よく出会う。

民主党は終わった、とかテレビは終わったとか、フジテレビは終わった、韓流は終わった、誰それは終わった。

ただの流行だろうから、きっと意味はないのだろう。
流行だから使っているだけなのだろう、と思う。

民主党は終わったと言いながら、その人がやけに民主党に詳しいことには失笑を禁じ得ないし、テレビが終わったという割には、テレビの内容を詳しく把握している様子は、微笑ましくさえ思える。

流行が、口癖になる。
その程度のことなんだろう、と思う。


私の口癖は、というより私と高校一年の娘の口癖は、「死んだ」である。

これを使用するのは、限定した時だけだ。

私と娘は、腸が弱い。
だから、ときに派手な腹下し状態になることがある。

そんなとき、用を足したあとで、「死んだ死んだ、5分間だけ死んだ」と昔から私が言っていたのを娘が踏襲して、娘も「ああ、死んだ。6分死んだ」などと使うのである。

これが、私と娘の「流行り」。

それに影響を受けて、昨年の7月まで我が家に居候をしていた娘のお友だちも、その言葉を使うようになった。

その居候さんは、今でも週に4日くらいは、学校の帰りに我が家に寄って晩メシを食っていく。
コメが大好きな子だから、我々の三倍の量のコメを食う。

当然、食ったものは出る、というのが人間の生理だ。

そこで、用足したあとに、居候さんは我々の真似をして、「死んだ死んだ、今日は11分死んだ」などと言うのである。

ほのぼのしたものは感じるが、この言葉は、絶対に流行らないだろうと断言できる。


死んだ、でさらに思い出したこと。

大昔、高校時代のことだ。

と言いながら、すぐに話は脱線する。

私が卒業した高校は、当時は、そこそこ程度の高い学校だった。
しかし、今は誰の陰謀か知らないが、偏差値70を超える超優秀な学校になった。

思いもよらないことである。

そのことを聞いた我が娘が言う。

「今だったら、おまえ、絶対に入れないだろうな。ヒトツバシもワセダも落ちたんだからな。この負け犬が!」


・・・・・・・・・・(即死!)


その高校時代の友人に、信田(シダ)という名の男がいた。

その名前が、彼に災いを招いた。

「信田」を「シンダ」と読んで、クラスのほとんどが、彼を「シンダ」と呼ぶ状況になったのである。

私は、生まれながらにして、正義感というものをどこかに置き忘れた男だから、正義感などというものは今も1グラムすら持っていない。
しかし、人が揶揄われているのを見ると、逆上する癖が、私にはある。

小学校のとき、クラスに在日韓国人二世の子がいて、ときにミニ愛国者たちが「チョ○セン○ン」と揶揄う現場に遭遇すると、「お前ら、チョ○セン○ンがそんなに怖いのか、羨ましいのか!」と食ってかかったことがある。

これも、正義感ではなく、ただ生まれつきの逆上癖から来たものである。


高校2年の日本史の授業の時のことだった。
担任のウエダ先生が、信田を指して質問した。
しかし、信田は、それに対して全く答えを発することができなかった。

そこで、ウエダ先生は、「シンダは、本当に死んでいたのか」と言ったのである。

その言葉を聞いて、逆上癖を持つ私は、反射的に「シンダじゃねえぞ、シダだ!」と先生に向かって叫んだのだ。

遥か年長の教師に向かって、生意気なことを言ってしまった。

先生の表情が数秒固まるのは、当然のことと言えた。

私も言ったあとで、しまった、と思った。
しかし、この癖は、いつも反射的に出てしまうのだ。

だから、止めようがなかった。

怒るか、と思った。

だが、ウエダ先生は優れた大人だった。

すぐに、「申し訳ない」と私に謝ったのだ。
艷やかな坊主頭を私に向けて、下げたのである。

普通なら、小僧からそんなことを言われたら、腹を立てるものではないだろうか。
教師という人種は、そういうものだと思っていた。

だから、私にとって、ウエダ先生の謝意は、とても意外なことだった。

しかし、このクソガキは、可愛げもなく、またもこう言い放ったのである。

頭を下げるのは俺に、じゃないですよ。信田に、でしょう。

こんなことを言われたら、良く出来た大人でも、「この野郎!」と思うのではないだろうか。

だが、ウエダ先生は、今度は信田のそばまで来て、「俺が悪かった」と坊主頭を下げたのだ。


こんな大人もいるんだ。


私は、そのときから、ウエダ先生のことが好きになった。


しかし、昨晩、信田から電話がかかってきて、1月30日にウエダ先生が亡くなったことを知らされた。


それを聞いたとき、歯を食いしばったが、目と鼻から水が出た。


20年近く前のクラス会で、ウエダ先生と話をしたことを思い出す。

そのとき、「Mは、つらい時や困難な時は、どうやって、それを乗り越えているんだ」と、突然聞かれたことがある。

そのとき、私は浜田省吾の「家路」という歌の「どんなに遠くても たどり着いてみせる」という歌詞を口ずさむんですよ、と突拍子もないことを言ったことを今でも鮮明に覚えている。

その独特の感情を、ひとに理解してもらえるとは思わなかったが、ウエダ先生は「そうか、そんな歌があるのか。Mが好きな歌なら、俺も聞いてみようかな。俺もまだたどり着いていないからな」と、いたって真面目な顔で頷いたのである。

その姿を見て、私は、ますますウエダ先生のことが好きになった。

艷やかな坊主頭が、頭に鮮明に蘇った。


電話で、信田が最後に、こう言った。

「先生の葬儀に、ハマショーの『家路』が流れたらしいぞ。あれって・・・」


それから先、信田が何を言ったか、まったく覚えていない。

意識が色々な場所をさまよい、さまよう度に、強く歯を食いしばりすぎて、顎が痛くなった。
頭も痛くなった。




未知への「家路」に旅立たれた、坊主頭ウエダ先生のご冥福をお祈りする。


2012/02/25 AM 08:25:14 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

失礼な講習
昨年の10月からPC操作をボランティアで教えている。

知人からの紹介。
脳梗塞のリハビリの一環で、パソコン操作を習いたいという40代の女性への講習を依頼されたのである。

受講料は払うから、と言われたが、普段ヤクザな行いで世間様にご迷惑をかけているので、罪滅ぼしのつもりで無償にしてもらった。

受講生のEさんの症状は、こちらで想像したほど重くなく、会話も支障を感じないほどできるし、指先もそれなりに動いた。
(そこに至るまでの血の滲むようなリハビリの結果だと思うが)

パソコンに、あまり馴染みはないと言っていたが、最低限の知識はあったので、教えるのは楽だった。

講習日は、ひと月に3回程度。
先方の3階建てのご自宅に伺って行なっている。

日にちに関しては、申し訳ないが、こちらの仕事の空いた日を勝手に選ばせてもらっている。
講習時間は、相手の体力、気力を見極めながら、1〜3時間。

それほど苦にならない講習であったが、昨年の12月から受講生が二人増えた。

お二人は、Eさんの長年のお友だちで、Eさんが倒れてから献身的に彼女をサポートしている女性たちである。

友情というのは尊いものだ、と彼女たちの献身的な振る舞いを見て、感動を覚えた。

そのお二人は、それぞれノートパソコンを所有しているが、ネットショッピングに使う程度で、普段はほとんど活用していないという。
お二人とも、パソコンを触る時間があったら、テニスをしたりゴルフをしたり、料理教室に通ったり、温泉旅行にでも出かけたほうがいいという、ゆとりある方々なのである。
(セレブなんかじゃありませんよ、とご本人たちは謙遜するが)

しかし、親友が倒れたのだから、テニスやゴルフ、旅行は行く気にならない。
だったら、親友と一緒にパソコンを習おうではないか。
その方が有意義である、と考えたらしいのだ。

それぞれPC持ち込みで、3人同じ日に講習会。

多少負担は大きくなったが、3人とも基本的に優秀な頭脳をお持ちのようなので、思った以上に進歩が早かった。


私の教え方も上手いのだろうが・・・・・(恥)。


3人には、私のことを絶対に「先生」と呼ばないで欲しい、とお願いしてある。
(カルチャースクールに通っていると、相手を先生と呼ぶのが当たり前になって、その状態に慣れてしまうようだ。先生の大安売り)

講習料はいただかないが、「先生」と呼ぶたびに百円徴収すると宣言してある。
そして、それがある程度貯まったら、休憩時に食うオヤツ代にするということになっている。
(私の場合、オヤツは柿の種であるが、それを聞いたときの3人の私を見る尊敬の眼差しは、今も忘れられない)

3人とも順調にレベルアップしていって、1月末には、初級は完全にクリアした。

私が時々織り交ぜる専門用語も、それなりに理解して、話題についてこられるようにもなった。


ただ、最近、お友だち二人のうちの一人の言うことが、「ネット化」してきたのが、気がかりである。

ネットに書いてあることを鵜呑みにして、明らかにデマだろう、という妄想記事を、休憩時の話題に取り上げるのである。

それは捏造じゃないですか、と私が言うと「だって、ネットで検索すると、同じ記事がヒットするんですよ。これだけ同じ内容の記事が並んだら、嘘のわけないじゃないですか」と眉を釣り上げるのである。

詳しく情報ソースを聞いてみると、最近ライブドアでブログをはじめたその女性は、ライブドアのニュースをブラウザのトップページに設定してあるらしいのだ。

ライブドア。

私は、食わず嫌いが甚だしいので、一度胡散臭いと思ったら、なかなか気持ちの転換ができないタチである。

私の中では、ライブドア、イコール胡散臭い、というイメージが定着しているから、ライブドアの運営するページは見たことがない。

だが、内容を知りもしないで、ただ自分が胡散臭く感じるから信じるな、という考え方は乱暴である。
そのことは、私にもわかっている。

だから、その場で、ライブドアのニュースページを開いてみた。

その見出し。

・「原宿鮫」現る!代々木公園に体長約1・5mの死骸
・自殺・パンチドランカー・リング死・ギャラ未払い...格闘技残酷物語
・TV美女42人が大咆哮!「アイツは絶対許せない」
・「小学生がブラックカードを......」清原和博・亜希夫妻 事務所倒産でも家計は超安泰か
・実母から「あなたの子が欲しい」
・72歳の金融界の大物が"デキ婚"

見出しを見ただけで、本文を読む気が失せた。

これは、電車のつり革広告で主張する「週刊新潮」や「週刊文春」の醜悪さと同程度か、それ以上だと思った。

こういう記事を読むんですか、信じるんですか、と聞いてみた。

「はい、私の知らないことばかりなので」と、女性は当然だ、と言わんばかりに頷いた。

そこで、私はお節介にも(そして自分自身を省みることなく偉そうに)こんなことを言ったのだ。


世の中で起きたことを判断する基準は、「一般常識」だと思うんです。
その一般常識の積み重ねが多ければ多いほど、物事の真実を見極める能力が高まります。
誤った情報は、どんなに積み重ねても常識の判断基準にはなりません。

ネットの世界にも常識はありますが、一般常識から程遠い「おとぎ話」じみたものも多いです。
そして、その中には、完全に妄想、捏造、妬みだけで作られた記事もあると思います。

それを自分なりに判断するためには、一般常識を積み重ねることです。
天秤や振り子を思い出してください。
一方的な記事を天秤の片方に乗せたら、もう片方に一般常識を置いてみてバランスが取れるかどうか、量ってみたらどうですか。

もし、乗せるべき一般常識が見当たらないというのなら、これから身につけましょう。
そうしないと、脳の天秤が、片方だけ歪(いびつ)になってしまいますよ。


そんなことを言ったら、「失礼ね!」
女性は、目を釣り上げたまま、怒って帰ってしまったのである。


まあ、無理もないか。
こちらの言い方も悪かったし・・・・・。


さて、次回は、来ていただけるかどうか。


来ない確率70%・・・・・ですか。



2012/02/21 AM 05:30:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

ドライカレーもスープも美味かったけれど
もし買えるものならば、「威厳」を買いたい。


友人、と言える存在が、こんな偏屈な私にもいる。

30年近い付き合いの尾崎、コピーライターのススキダ、京橋の企画会社社長のウチダ氏、大学時代の後輩カネコ、カネコの娘のショウコ、テクニカル・イラストの達人アホのイナバ、他に大学時代の友人など。

尾崎とススキダ、カネコは、私より2歳年下。
ウチダ氏は、5歳下。
アホのイナバは、14歳も下。
ショウコは、32歳も下だ。

それなのに、みなタメグチで話しやがる。

カネコなどは、大学時代の陸上部の後輩である。
今は芋洗坂係長に激似のカネコだが、当時は可愛かった。
そして、シャイで、おとなしかった。

カネコは、中距離を得意としていたが、我々の入った大学の陸上部は、中距離があまり得意ではなかったせいか、部員が少なかった。
全体練習以外は、分野別に練習をするから、必然的にカネコは一人か二人でメニューをこなすことになる。

その上、シャイで屈折した性格。
その結果、入部して半年もすると、カネコは部内で孤立した存在になった。

しかし、その陸上部には、後輩思いの優しい先輩がいた。
2学年上のイケメンの先輩だ。

その優しいイケメン先輩は、群れを離れた哀れな子羊に、絶えず声をかけてやったのである。
部活以外にもキャンパスで見かけたら必ず声をかけ、学食でも声をかけ、同じテーブルに呼んでメシを奢ってやったこともあった。

だが、哀れな子羊は、それでも陸上部に馴染むことができず、1年で部を辞めることになる。

そんなことがあっても、心の広い優しいイケメン先輩は、哀れな子羊を見放さなかった。

心の広い優しいイケメン先輩は、仲間たちとの飲み会があれば、必ず哀れな子羊を誘った。
最初は申し出を断ることが多い子羊だったが、溢れるほどのヒマな時間が虚しくなったのか、次第に誘いに乗るようになった。

そして、飲み会の末席で、黙々と飲み黙々と食う子羊の姿は、我々の間で認知され、その後の子羊は有意義な大学生活を送ることができたようである。
すべてが、心の広い優しいイケメン先輩のおかげと言っていい。

2年後、その優しいイケメン先輩が大学を卒業することになった。

卒業式の日。
夜11時を過ぎていたが、子羊からイケメン先輩に電話がかかってきた。

「卒業おめでとう」までは良かったが、それから先の会話が続かない。
イケメン先輩が話しかけても、子羊は上の空で、言いたいことが口から出てこない阿呆状態だった。

そこで、その状態に業を煮やしたイケメン先輩は、もう夜も遅いから用がないなら切るぞ、と優しく宣言したのである。

すると、子羊は、叫んだのだ。

「卒業しても、会いたい!」

そのあまりに必死な告白に、イケメン先輩は1分38秒、笑いが止まらなかった。

そして、笑い終えたあとで、イケメン先輩は、優しくこう言ったのだった。

わかった。
先輩後輩を抜きにして、付き合おうじゃないか。

その言葉を鵜呑みにした哀れな子羊・カネコ。

私を呼ぶ方式が、「M先輩」から「Mさん」になり、少しすると「マツ」と呼び、「あんた」と変化し、カネコが大学を卒業し就職して3年も経つ頃には、「おまえ」になるという変遷の極端さ。


大学時代の恩人に対し、卒業してわずか5年で、「先輩」から「おまえ」ですよ。


可愛い後輩も芋洗坂係長になり、今の体重は推定95キロ。
優しいイケメン先輩よりも40キロ近く脂肪を身にまとっていらっしゃるのだ。

二人で酒を飲んでいると、カネコが上司、私が部下に間違えられるのには、もう慣れてしまった。

カネコの娘のショウコなどは、父親の影響を受けて、私のことを陰で「ホネホネ白髪おやじ」などと呼んでいるらしい。


年相応の威厳が備わっていないことが、こんなにも哀しいなんて。


昨日、神田の取引先で打ち合わせをした帰りに、久しぶりに一人で外食をしてみようと思い立った。

食うなら、カレー。
それも、どこか寂れた風情のあるカレー屋がいい、と思って神田駅界隈を20分ほどぶらついた。
そして、外壁が絶妙に汚れた、イメージ通りのカレー屋さんを運良く見つけることができた。

早速入ってみると、カウンターの中で、タバコを吸っている25歳前後の女性の姿が目に入った。

厨房で、煙草スパスパですか。
店の選択を間違えたか、と思ったが、回れ右をして出て行くのは、格好が悪い。

諦めて、心でため息をつきながら、無人のカウンターに、腰を下ろした。

メニューを見る。
ドライカレーという文字が最初に目に入ったので、それに決めた。

メニューで思い悩むのは、面倒くさい。
何を食っても同じ。
世の中には、美味いか不味いか、二つの食い物しかない。

美味かったら喜べばいいし、不味かったら泣けばいい。
それだけのことだ。

注文を聞くと、煙草スパスパねえちゃんは、タバコを消して、すぐに作り始めた。
タレントの光浦靖子さんからメガネを取って、若干凹んだ鏡に顔を映したら、こんな風になるかもしれない、というような顔をしていた(幸薄い顔?)。

料理を作る姿は、手際がよく、毅然とした気配も感じられた。
その姿は、(顔はともかく)悪くはなかった。

10分弱で目の前に出てきたドライカレー。

ドライカレー?

それは、カレーの色をしたメシの上に、カレーの色がした挽肉が山のように盛ってあり、その上に目玉焼きが乗ったものだった。

俺が思っていたドライカレーとイメージが違う。

私は、これって、ドライカレー? と凹んだ光浦さんに聞いた。

「そう。これが、うちのドライカレー」

まだ首をかしげている私に向かって、凹んだ光浦さんは、「どんなのが出てくると思った?」と小さく笑いながら言った。
左手には、火のついていない煙草を持っている。

玉ねぎやらピーマンやら挽肉やらと一緒に、ご飯をカレー粉で炒めたもの、と私は答えた。

すると、凹んだ光浦さんは、口を大きく開けて笑いながら、「ははは、それは、お客さん。カレーチャーハンだよ」。
そう言いながら、火のついていない煙草で、私を指さした。

そうか。
俺が思っていたのは、カレーチャーハンだったのか。

そう納得して、スプーンを取った。

そのとき「待って」と言われた。

おあずけ。

1分55秒後に、カップに入ったスープが目の前に置かれた。

これは?

「サービスだよ。本当はメニューにはないものなんだけどね。気に入った人にだけ出すんだよ。お代は、いらないからね」

コンソメ風味のスープの中に、アメ色の玉ねぎが入り、その上に半熟卵が乗ったスープだった。

いいの?

「いいよ。オジさんの今の間違い、気に入ったよ。真面目に間違えるんだもの。可愛いね」


オジさん?
初めての客に向かって、オジさん?
しかも、客に向かって、可愛いね?


最初から最後までタメグチだし・・・・・。




(ドライカレーもスープも美味かったけど)ああ! 「威厳」が欲しい!




2012/02/17 AM 06:03:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

四日間の奇蹟
今日は、私には関係ないバレンタイン・デー。

だから、関係のない話を。


好きな映画は何かと聞かれたら、ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード主演の「スティング」と答える。
これは、20年以上変わらない答えだ。

しかし、何度も繰り返し見た映画は何か、と聞かれたら「四日間の奇蹟」と答える。

日本映画だ。

20回以上、観ているかもしれない。

もとは、小説である。
「このミステリーがすごい大賞」を受賞した作品らしい。

恥ずかしいことに、私は生まれながらの中二病なので、ベストセラーは読まないのだが、これは古本屋の50円セールの箱に入っていたので、迷わずに買ったものだ。
この他にも合わせて10冊買ったのだが、10冊買っても500円。
全部が、黄ばんで年季が入った文庫本だったが、読めれば何の文句もない。

私は、小説を買った場合、たいていは2回以上読むことにしている。
(ただ内田康夫氏と海堂尊氏、東川篤哉氏の小説だけは、最後まで読んだことはないが)

このとき買った10冊の中に、宮部みゆき氏の「理由」があった。
しかし、私は小説の読解力がないせいか、一度読んだだけでは、この小説の良さが全くわからなかった。

これが直木賞? この長くて登場人物が多いだけの小説のどこに、権威ある賞を取るだけの優れたものがあるというのだ、とさえ思った。

しかし、2回読むと、作家の意図が少し見えてきて、これは面白いかも、と思えるようになった。
そして、3回読んだら、これは傑作だ! これを選んだ直木賞の選考委員の方は、さすがプロ! と賞賛したくなった。

「四日間の奇蹟」も同じだった。
最初読んだときは、これがミステリー? ただの人格入れ替わりの話じゃないか、としか思えなかった。

2回目。
これは、ミステリーとは言えないが、人間の悲しさを書いた良質の作品なのではないか、と思えてきた。

3回目。
人間の心の不思議さを奥深くまで掘り起こしたものもミステリーと呼ぶなら、これは紛れもなくミステリーに違いないと思った。
そして、これを大賞に選んだ選考委員の方々の眼力に脱帽した。

読解力のない私は、3回読んで何とか理解できたのに、プロの方たちは、いとも簡単にこの小説の良さを判断できてしまうのだから、恐れ入るほかない。
尊敬する。


そして、映画。

私の思い違いかもしれないが、この映画は公開時には、ほとんど話題にもならなかったと記憶している。

映画としての出来も、映画を芸術と捉える方たちには、鼻で笑いたくなるほどのものかもしれない。


ミステリーとしてのヒネリはない。
大きな仕掛けがあるわけでもない。
どんでん返しもない。


いたって淡々と2時間弱の時が過ぎていくだけの映像。

出演者の方々の誰もが、熱演という意識もなく普通の人を演じるだけの作品。

しかし、その普通さが、私には心地いいのである。

淡々とただ淡々と俳優さんたちが演じる役柄が、穏やかに映画全編に浸透していく映画。

胸を打つセリフがあるわけではない。
泣ける映画というわけでもない。
(もちろん泣く人が、いてもいいのだが)

しかし、最後まで穏やかに見ることができる映像作品。

その静けさ、穏やかさが、毎回私に大いなる安らぎを与えてくれるのだ。


初めて、これをツタヤで借りて観たとき、観終わったあとで、全身から力が抜けている自分を感じて、不思議な思いがした。
この感覚は何なのだ、と思った。

その感覚の正体が知りたくて、DVDを買った。
(柴咲コウの作品以外のDVDを買ったのは初めてだ)

そして、何度も繰り返し観た。

特別、主人公に感情移入しているわけでもないのに、こんなにも何度も繰り返し観ることの意味が、自分でもわからない。

ただ穏やかに時が過ぎていくから、としか説明のしようがない。


この映画を20回以上も繰り返し観ているのは、この映画に携わった映画関係者だけではないか、と想像すると不思議な気がするし、何故か誇らしい気分にもなる。


そんな不思議な映画を、今日も朝の4時半から観ている。



不思議な映画、というより、きっと私自身が不思議な人間なんだと思う。




2012/02/14 AM 05:38:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | [映画]

ダルマと私と「愛してます」
杉並の建設会社からいただいた仕事も、ようやく最終段階に入った。

社長の気が、突然変わることがなければ、このまま校了までいくと思われる。

ということで、少々ヒマな時間ができた。

しかし、我が家には、私が心身を休めていると不安になる(失業したと勘違いする)人がいるので、昨日は営業の体を装ってサイクリングをすることにした。

武蔵野から荻窪まで、のんびりペダルを漕いだ。
ここしばらく仕事が忙しかったので、ジョギングをしていない。
過度の負荷がかからないので、サイクリングは運動不足解消には、ちょうどいい。

本当は、もっとスピードを出したかったが、あまりスピードを出すとまわりに迷惑がかかる。
都会では、鬼のような形相で自転車を走らせ、まわりに迷惑をかける輩が多いのを見て、最近の私は自転車をのんびり走らせるように心がけている。

空気は冷たかったが、天気が良いので気分的には爽快である。


荻窪に来た目的は、天才WEBデザイナーのタカダ君(通称ダルマ)に、昼メシを奢らせることにあった。

しかし、アポなし。

ダルマが忙しかったら、昼メシどころではないかもしれないが、私は彼の師匠なのである。
さらに仲人でもある。

師匠で仲人でもある恩人の言うことを聞かないやつは、人間ではない。
ダルマ以下と言っていい。

私は、ダルマをそんな子に育てた覚えはない。

だから、荻窪駅に着くと自転車を西友前に停め、迷うことなくダルマに電話をかけた。

「あ! 師匠、ちょうどよかった。ヒマなら、仕事ありますよ。
しかも、師匠の大好きな超大急ぎの仕事です。
これから師匠のとこに持っていきましょうか。
昨日からトモちゃん(ダルマの奥さん)は、ご実家のお父上が病に臥せっているので、子どもを連れて里帰り中です。
ついでに、俺のために昼メシを作ってくださいよ」

電話を切ってやろうかと思った。

しかし、今日の私は、完全にダルマに昼メシを奢らせる気で一日のスケジュールを立てている。
気分は、奢ってもらうモード全開である。

ここで電話を切ってしまったら、スケジュールが台無しになる。
だから、穏やかな口調で聞いた。

で、超大急ぎの仕事というのは、具体的にいうと何なんだ?

「ああ、師匠。食いついてきましたね。さすが、急ぎの仕事大好き男! 待ってました!」

早く、仕事の内容を言え。

「スーパーのチラシをそのままホームページで、見たい箇所をズームしたりして見られるように設定して欲しいんです。チラシデータの加工もあります。大して難しくはないと思いますが、急ぎです。できれば、今日中。できなくても今日中!」

要するに、すぐにやれ、ということだな。

「さすが、お察しがよろしいようで。じゃあ、今からそちらに向かいますので」

いや、もう来てる。

「・・・・・・・・・・・・・・は?・・・なんと?」

だから、もう荻窪だ。

「ご冗談を」

冗談だ。

「やっぱり! そんなこと、ありえませんもんね」

冗談だというのは、冗談だ。

「あのぉ・・・師匠。いま、師匠と遊んでいる暇はないんですけど」

わかった。
じゃあ、6分1秒後にまた電話する。

「・・・・・はい?」


6分後、ダルマの仕事場のインターフォンを押した。

室内のモニターTVに映った私を見て、ダルマは「ギャッ! お化け!」と叫んだ。

お化けが、昼メシを食いに来たぞ。

これ以上ダルマとのコントを細かく書いても、文章が長くなるだけなので、中略。

昼メシを外に食いに行く暇がないというので、結局、私が冷蔵庫の中のもので昼メシを作ることになった。

その前に、まずは、銀河高原ビール。
ビールを飲みながら、油で揚げないハムカツを作り、それを卵で閉じてハムカツ丼を作った。
他に、キャベツ、ニンジン、キュウリを千切りにして、ヨーグルト・ドレッシングで和えたサラダとタラをすり潰して団子状にしたものを入れた味噌汁。

銀河高原ビールを飲みながら、正面で見たくないダルマの顔から目をそむけ、美味しい昼メシをゆっくりと食った。

ダルマは、「うめえ、うめえ」と鼻息荒く4分44秒で、すべてを平らげた。

(そんなに早く食ったら、味なんかわからないだろうに。なんて可哀想な生物)

ダルマは、食い終わるとすぐに作業を再開。

しかし、私の方は急ぐ必要がないので、銀河高原ビールの3本目を飲みながら、ソファに座って、ディズニーの「魔法にかけられて」という映画を観た。

なぜ、その映画を観たかというと、たまたまつけたCSの番組で上映していたからである。

アニメと実写が融合した洒落たファンタジー。
テレビをつけたときは、最後まで観る気はなかったが、結局エンドロールまで一気に観てしまった。

これは、面白い。
子どもよりもむしろ大人が観るべき映画ではないか、と思った。
ディズニー自らが、ディズニーの映画をパロディ化しているような風刺の要素も伺える変わった作品だ。

大人のファンタジーに興味のある方は、是非ご覧になることをお薦めいたします。


映画を観終わったときは、もうすでに3時半。
銀河高原ビールを4本も飲んでいた。

ダルマは、そんな私を見ても文句を言わずに黙々と作業をしている。

ダメ師匠。

それを自覚した私は、ダルマに言いつけられた仕事を1時間半で完成させ、大きく胸を張った。
そして、胸を張りながら、そのままソファで気絶した。

目が覚めたのは、午後7時5分前。

目の前には、パソコンの前で格闘するダルマの後ろ姿が見えた。


偉いな。
働き者だな、こいつ。


私は改心して、そんな働き者のダルマのために、晩メシを作ってやった。

仕事をしながらでも食えるように、肉味噌、ツナマヨネーズ、梅カツオの特大オニギリを3つ。
お昼に作って余った味噌汁に、トロロ昆布をのせたもの。
そして、大根とカイワレのゴマドレッシング・サラダだ。

これを20分弱でつくり、ダルマ、またな、と言って私は颯爽とオンボロ自転車にまたがった。

家に帰ったのは、午後8時10分。

すぐに、腹をすかせた家族のために、鮭のグラタンとキャベツを多めに使ったホタテ入りスパゲッティ・カルボナーラを作った。

結局、今日の俺は、メシを作るだけの男だった。

しかし、みんなが私が作る料理を喜んで食ってくれたので、私の心に心地よい満足感が広がった。


夜10時過ぎ、ダルマから電話がかかってきた。

「師匠、ありがとうございます。助かりました。美味しかったです。仕事間に合いました。愛しています」


あ、愛しています?


あまりにも気持ち悪かったものだから、ダルマに銀河高原ビールをリクエストするのを忘れてしまった。


一気に、満足感がしぼんだ。



2012/02/11 AM 08:29:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

阿修羅を後悔
2月5日、日曜日、午前11時前。
中野駅から早稲田通りに向かう歩道を歩いていたら、道をふさぐ集団に出くわした。

若い女が二人、そして同じような体型のスーツの男が3人。
5人が、横一列で歩いていたのである。
男たちの年は、後ろ姿なのでわからなかったが、みなオードリーの春日のような歩き方をして、歩道を完全に塞ぐ形で歩いていた。

前から歩いてくる人たちに対して、5人の集団は、申し訳程度に道をあけるだけだったから、人々はみな窮屈そうに空間をすり抜けて、すれ違っていた。

それを見て、「仏のマツ」と言われるほど普段温厚な私が、イラっとした。

オードリーの春日なら、テレビを消せば消えてくれるが、こいつらは消えない。

喧嘩を売るつもりはなかったが、私から見て一番左のカスガの後ろに近づき、通りたいんですけど、と声をかけた。

声の大きさは、普通だったと思うが、車の音で消されてしまったかもしれない。
男は、無反応だった。

そこで、今度は左から2番目のカスガの後ろで、通りたいんだけどな、と最初の2倍以上の大きさで声をかけた。
2番目のカスガは、その声を認識してくれたらしく、軽く後ろを振り向いたあとで、少しだけ体を斜めにして、細い空間を作ってくれた。
40歳くらいの鈍そうな顔をした男だった(春日には似ていなかった。春日の方が、まだ可愛い)。

しかし、いくら私がスリムだといっても、25センチ程度の空間を普通に通るのは窮屈だ。
通れないことはないが、その日はなぜか通りたくなかった。
だから、私は、2番目のカスガと3番目のカスガの間で、狭くて通れないんだけどな、と叫んだ。

二人とも、体をビクッと反応させたから、私の声はきっと大きかったのだろう。
若い女二人のうちの一番端っこにいたのが、「なに!」と言って反応したから、おそらく全員に声は届いたに違いない。

因縁をつけられるかもしれないと思ったが、5人が私を見る顔に怯えの色が伺えたので、ああ、今の俺は「仏」ではなく「阿修羅」になっているんだな、と思った。

私は「阿修羅」のまま、2人分の空間があいた歩道を肩を怒らせながら通り抜けた。


数分後、マンションのエレベーターに乗ったとき、目の前に鏡があった。
その鏡には、逮捕されたばかりの犯罪者のように、荒んだ顔をした白髪頭の男が映っていた。

私は、その顔を両方の手のひらで、下から上に強く揉んだ。
そして、目がつり上がっていたので、人差し指と中指で、強く下に押し下げた。

5階に着く頃には、少しは、まともな顔になっていた。

と思ったが、ドアを開けた尾崎に、「なんだ、喧嘩でもしてきたのか」と言われた。
荒んだ気配を完全に消すことは、できなかったようだ。

酒が切れちまって、と誤魔化したら、「ククク」と笑われた。

リビングに入ると、恵実が赤ん坊を抱っこして迎えてくれた。
すぐに、赤ん坊を受け取る。

生後1ヶ月の女の子。
名前は「里穂(リホ)」だ。
私が、名付けた。

尾崎の最初の子も私が名付けた。
「水穂(ミズホ)」
三歳だ。

私の高校一年の娘が「夏帆(カホ)」。
要するに、単純に「ホ」で合わせたかっただけだ。

「いい名前を付けていただいて」と恵実に頭を下げられた。

苦笑いをするしかない。

里穂は、眠っていた。
抱く相手が変わっても、まったく気にならないようだ。

自然と「阿修羅」から「仏」に戻ったようだ。
阿修羅のままでは、赤ん坊は抱けない。

「牡蠣の炊き込みご飯、指示された通り作っておきました」
恵実が言う。

昼メシは私が作る予定でいたが、ご飯だけは、あらかじめ炊いておいてもらったのだ。
その方が、仕上がりが早い。

里穂を恵実に渡した。

腕が軽くなった。
軽いと思った赤ん坊でも、その存在は決して軽いものではない。
両手が、不思議なほど暖かくなっているのに、気づいた。

キッチンに入って、用意してもらった具材で、串揚げを作った。
アスパラを薄い豚バラ肉で巻いたもの。
エビを大葉で巻いたもの。
ネギと椎茸を交互に串に刺したもの。
マグロの赤みを溶けるチーズで巻いたもの。
他に、エリンギ、レンコン、シシトウ、カボチャなど。

あとは、木綿豆腐を崩して、醤油ベースの汁に入れ、刻みネギをたっぷりのせて、片栗粉でトロミをつけたもの。

それらを作りながら、二階堂をストレートで飲んだ。

自分の家で、そんなことをしたら、娘から「酔っ払い」と罵られるが、ここでは罵られることはない。
だから、欲望のままに、飲んだ。

木の丸いテーブルに料理を並べた。
牡蠣の炊き込みの匂いと串揚げの油の匂いが合わさると、どこかの居酒屋にでもいるような錯覚に陥る。

子どもと赤ん坊には、あまり適切な臭いではなかったか、と反省した。

赤ん坊は、他の部屋で寝かせたほうが、と提案したが、尾崎は「いや、顔を見ながら食う」と言って、すでに二階堂のロックを口に運び、串揚げに手を伸ばしていた。

私は、食い始める前に、出産祝いの「デジタル・フォトフレーム」を恵実に渡した。
包装を開けると、「ああ、欲しかったんですよ〜、これ!」と立ち上がって、恵実が最敬礼した。

以前は腰の近くまであった髪が、肩の下あたりになっていた。
そう言えば、水穂を産んだときも、髪の毛は切っていたか。

短いほうが子育てはしやすいし、顔の輪郭もスッキリして見えるから、顔全体が明るくなる。
悪くない、と思った。

「デジタル・フォトフレームか。おまえは、俺をどの方向に持っていこうとしているんだ」
アナログ人間の尾崎が、二階堂を飲み干したあとで乾いた声で笑った。

正しい方向にだ、と私が言うと、「確かに」と恵実が笑った。


牡蠣の炊き込みご飯は、ご飯にくどくない程度に味が染み込んで、口の中で香る牡蠣の風味が上品だった。
串揚げは当たり前の味だが、二階堂にはよく合った。
くずし豆腐の汁は、いい醤油といい昆布を使ったせいか、くっきりした味わいのものになっていた。

「美味いな」
絶対にお世辞を言わない尾崎が、何度も頷きながら、食い物を口に運んだ。

赤ん坊は寝ている。
水穂も、私が入ってきたときから、ソファで眠っていた。

静かだったが、間違いなく幸せな家庭が、そこにはあった。

2回目のお産は大変だったでしょう、と恵実に聞いた。
39歳の高齢出産だったのだ。
肉体への負担は、かなりあっただろう、と想像できた。

しかし、恵実は、微笑むだけ。
整った鼻梁を少しだけ上に向けて、笑うだけだった。

その代わりに、尾崎が言った。
「こいつは、おまえと同じで、普段痛いとか苦しいとか泣き言は言わないんだが、さすがに退院して二日間くらいは、やつれが目に見えていたな」

もちろん、おまえがサポートしたんだろうな、と私が言うと、今度は、尾崎の方が薄く笑って黙った。
そして、二階堂を私のグラスに注ぎ、自分のグラスに注いだ。

短い時間だったが、尾崎と恵実が目を見合わせたのに、気づいた。
それは、極めて短い時間の出来事だった。

尾崎のサポートは、万全だったようだ。

水穂の寝息が、耳に届いた。
そして、穏やかに眠る里穂の姿。

ここにあるのは、確かな幸せ。


いっときだけでも「阿修羅」になった自分を恥じた。


中野駅までの帰り道。

知らず知らずのうちに、口笛を吹いている自分に気づいて、声を出して笑った。

駅のホームでも、小さく声を出して笑った。



まわりには、変な男だと思われたかもしれないが、そんなことは、どうでも良かった。




2012/02/07 AM 05:37:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

愛すべき3割のアホ
「それは違うんじゃないかな」と言われた。

吉祥寺の串揚げ屋で、ランチを食いながら(奢ってもらいながら)だ。

東京事変解散の悲しい話題が終わったあとで、私がネットで見た自民党の石原幹事長の話をしたときのことだった。

それは、石原氏のお父上の都知事様が「石原新党」を作るにあたって、自民党の一部の議員を取り込もうとしていることに関し、幹事長様が「人の財布に手を突っ込んでお金を取ると言っているようなものだ」と不快感を示したというヤフーの記事である。

ヤフーには、コメント欄というのがあって、自由に意見を述べることができるようになっている。

その記事に関するコメント欄に、私は違和感(もしくは疑問)を持ったのだ。
だから、それを話題にした。

コメントの一つ。
「そうか。お前は国会議員の仕事を財布だと思ってんだな」

おそらくこのコメントは、ただのツッコミ(あるいは揶揄)であって、それほど真剣にコメントしたものではないと私は受け取った。

財布というのは、もちろん比喩だし、それが「人のカバン」であってもいいし、「人の敷地」でも同じことだ。
それをコメントの主はわかっていて、軽くツッコミを入れた。

しかし、その軽いツッコミに、8千人以上の人が「私もそう思う」をクリックしていたのだ。
これは、このコメントをどう受け取って、クリックしたものなのか、と思った。
まさか真に受けてクリックしたことはないとは思うのだが。

これは、大政党の大幹事長であられる息子が、70歳を遥かに過ぎても、いつまでもヤンチャな自分の親父を愛情を持って嗜めたものだと、私は理解している。

要するに、これは政治家の言葉の遊びであって、自身も政治家であり、親も政治家である親子の争いネタを提供しただけのものである。
つまり、お互いが公人の身だから、親子間のご意見ご忠告も公の場に晒そうではないか、という世間への義務を果たしたに過ぎない。

言ってみれば、馴れ合い。
台本通りの一幕劇。
見方によっては、茶番と言ってもいいものだ。

この程度のことは、放っておけばよい。


というような主旨のことを白けながら言ったのだが、目の前に座ったアホのイナバは、串揚げの油でギトギトになった口を小さくへの字に歪めながら、「それは、どうかな。違うんじゃないかな」と言うのである。


ここで、私の「恩人」であるアホのイナバについて、少々ご説明したいと思う。

アホのイナバは、10年前に知り合った時は、「シマ」という苗字だった。
しかし、奥さんの希望で、東京郊外の日野市に引っ越したとき、隣の家が偶然シマさんちだった。
そして、家庭菜園が趣味の奥さんが、市民農園の一角を借りて菜園を始めたとき、隣のブロックを借りていたのがシマさん(隣家のシマさんとは別人)だった。

その時、アホのイナバ(当時はシマ)は思ったのだ。
「俺、30年間生きてきて、シマって苗字には、一度も会ったことがなかった。しかし、引っ越してきて、二人のシマさんが近所にいた。なんか、嫌だ! 居心地が悪い。だから、俺、苗字を変える!」

そう言って、アホのイナバは、シマ姓を捨て、奥さんの苗字を名乗ることにしたのである。

アホの極み、と言っていい。

イナバは、中学までは真面目に学校に行ったらしいが、高校は、理想と現実があまりにも違いすぎて、半分以上登校拒否状態だったらしい。
普通だったら「退学」という状況だったが、担任の先生のご尽力で、卒業だけはすることができた。

そして、アニメーター養成学校に入って、アニメーション技術を学び始めるが、自分の才能が、ただ単純に見たものを正確に書き写すという一点に集中していることを悟り、4ヶ月で学校を辞める。

その後、独学でリアル・イラストの技術を会得したイナバは、兄の勤める制作会社から仕事を請け、それだけで細々と生計を立てていく。
そして、徐々にその才能が認められ、27歳で独り立ちすることになった。

私が出会った頃のイナバは、礼儀を知らないバカ丸出しの男だった。
まともにバイトをしたことも働いたこともないから、人間関係の構築が下手だった。

だから、14歳年上の私に対して、終始タメグチで話した。
年上を敬うという最低限の礼儀さえ、彼は身につけていなかった。

そこで私は、自分自身非常識な男だということを認識していたが、イナバのために(?)礼儀を一から教えることにしたのである。

俺に対しては、無礼でもいい。
タメグチでも構わない。
しかし、心の中で敬意だけは持て。
他の人には、敬意プラス真心で接しろ(クサい?)。

非常識人の代表である私が説くマナー論を、イナバは徐々に理解していき、その高等テクニックを何故か奥さんを獲得することに使った。

イナバがそのとき、どのような高等テクニックを使ったか、想像はつくが、ここでは書かない。
ただ「初恋」が「結婚」に結実するという奇跡が、彼の身に起こったということだけは記しておく。

イナバの奥さんは、しっかりものである。
彼女は、永遠の10歳児・アホのイナバを優しく導く家庭教師と言っていい存在だ。
そして、この家庭教師のご実家は、大富豪でもあったのだ。

アホのイナバは、そのことを4年前まで知らなかった。
奥さんの父上が亡くなられ、天文学的な遺産の一部が、彼の奥さんに受け継がれたとき、初めて知ったというのである。

イナバが大金持ちになったとき、その恩恵を一番に蒙ったのは、非常識人代表の私だった。

厚かましくも、姉のガン治療の費用を彼に全面的に工面してもらったのである。
私は、姉のガン治療とその後の保険の適用されない検査費用、合わせて2百万円弱を彼に借りた。

しかし、未だ、お借りした金の6割しか返していない恥知らずの男に、イナバ様は「Mさん、無理しなくていいよ。どうせ俺の金じゃないんだし」という温かい言葉を投げてくださるのである。

そう言えば、3年前に借りたままのMacBookもまだ返していない。

「ああ、新しいの買ったから、壊れるまで使っていいよ。どうせ俺の金で買ったんじゃないんだし」


恐縮です。

だから、イナバは、私の恩人だ。

しかし、いまだに、イナバはアホである。
こんなエピソードがある。

渋谷のスペイン坂を歩いていたときのことだ、外人がふたり陽気に話しながら私たちの前を歩いていた。
あれは、きっとイタリア人だな、と私は言った。
するとイナバは、「Mさん、俺いまイタリア語完璧に分かりましたよ。すごいな! 俺って」
(そりゃそうだ。二人とも流暢な日本語で話していたんだから)

ある日、イナバが言った。
「Mさん、果物は野菜ですよね? だって、八百屋で売っているんだから」
(意味がわからん)

「Mさん、俺、Mさんと知り合ってから、必ず選挙には行くんですけど。あれって、貯まるもんなんですかね?」
(貯まるもの? どういう発想だ?)

4、5年前の暮れのことだったが、イナバが自宅で倒れて、救急車で運ばれたことがある。
年末は検査ができないので、正月は入院。

年が明けて、病院の機能が正常に戻ったとき、精密検査を受けることになったイナバ。
自分の病気が末期的なものではないかと怯え、私に電話で泣き言を延々ともらしたイナバ。

検査の結果は、睡眠不足と過労。
イナバは、年末に仕事が殺人的に詰まったとき、眠らずメシも食わずに作業に没頭するという、私の真似をしたのである。
その結果、「まるで自分の体が自分ではないみたい」という、生まれて初めての状態を体験して、ぶっ倒れたのだ。

病院に見舞いに行って、イナバが「Mさん、俺、病院のベッドの上で、24時間ずっと遺書の内容を考えていましたよ」と頬の削げた顔で、泣きながら笑ったとき、私は背筋に寒いものを感じた。


そんな風に、その存在自体が意味不明のイナバ。
アホのイナバ。


40歳を過ぎても、いまだに奥さんと私以外の人間とは、うまくコミュニケーションできず、自分の子どもとも上手く接することができない状態だという。

今回会ったのも、子育てについての相談だったのだが、イナバが自分の感情を上手く表現できないため、こちらも靴の上からかゆい足を掻くようなもどかしさで、一向に話が進まないという状況。

そこで、話を円滑に進めるために、冒頭のような話題を振ってみたのである。

すると、珍しく自民党の石原大幹事長様の話のところで、私に反論してきたのだ。

「Mさん。昼間真面目に働いている人は、そんなコメント欄なんか読んでないよ。家にいて暇を持て余した人が、ただ反射的に『私もそう思う』ボタンを押して、その意見を共有した気になっているだけだよ。意味なんかないんだよ。内容なんてどうでもいいんだ。共有した気になりたいから・・・・・ただ、それだけだと思うよ。真面目に考えるだけ、損だよ」


なんか、投げやりな意見だな。


しかし、イナバくん。
君も子どもと何かを共有したいとだけ、思っているんじゃないかな。
意味もなく何かを共有することが親子関係だとは思っていないか?

俺も共有している、と錯覚を持ったことはあったが、それは片思いのようなものだよ。
一方通行の場合が多い。

結局、親子は、何もしなくても親子なんじゃないかって、最近の俺は思うんだ。
子どもが生まれた時から、俺たちは親と子。
そんな当たり前の関係を共有する必要はないんじゃないか。
特別に意識する必要はないんだ。

イナバはイナバ。
子は子。

無理に上手に接しようとしなくても、子どもは、そんな不器用さも含めて、イナバくんを親として認識しているんじゃないかな。


俺の言っていることが、わかるか?

イナバが即答。
「わからないんで、もう一度、説明して」

結局、そのあと同じことを二回繰り返したのだが、イナバの脳の奥までは届かなかったようだ。

「あ、でも・・・3割くらいは、わかったかも」


10年前は、理解度1割だったから、イナバはイナバなりに進歩したということか。

10割理解するのは、いつの日やら。

しかし、10割理解してしまったら、イナバがイナバではなくなる気もするし・・・。



そんな愛すべきアホ、イナバのお話でした。



2012/02/03 AM 05:36:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | [子育て]



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