Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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泣ける歌
泣ける歌は何か、という話になった。

ここ2年ほどで、芋洗坂係長に激似してきた大学時代の友人、カネコからの電話だ。

唐突な電話だったので、少し不機嫌な私は、俺に「泣ける歌」なんぞない、と答えた。

それに対してカネコは、「いや、俺にはたくさんあるぞ」と鼻息荒く自分のエピソードを語りながら、その歌が、どれほど「泣ける歌」なのかを力説した。

しかし、私は他人のエピソードには興味がないので、受話器を右に移して、窓の外の11月の澄んだ青空を見つめることに専念した。

私は、突発性難聴の影響により右耳が聞こえないので、受話器を右に移せば、雑音が聞こえなくなる。
これは、この場合、とても都合がいいことだった。


この青空に繋がった、どこかの国では、少年兵が銃を持って、何の疑問も持たずに大人に教え込まれた敵を撃つことに集中しているかもしれない。
いつになったら、子どもたちは、無邪気な心を取り戻すことができるのだろう。
(何の話?)


重い溜め息を吐いたあとで、受話器を左に持ち替えた。
「おい! おい! 聞いてるか」という声が聞こえた。

もちろん、聞いていない。

「ったく!」という不適格な日本語が聞こえた。

ンだよ! という不適格な日本語で返した。

「だからぁ、シバタの快気祝いに、三人でカラオケに行こうという話だよ」

喉頭ガンから生還した、カラオケ命のシバタ(通称ハゲ)のために、カネコが一席設けようということらしいのだ。

ハゲの手術が成功したのは、実に喜ばしいことだ。
術後も順調だという。

ハゲの奥さんのシバタリエ(あの有名人ではない)さんから、電話で2度報告があって「Mさんのおかげですよ」と言われたのだが、私は何の役にもたっていないので「いやいや、すべて奥さんのおハゲでしょう」と答えた。

キャハハハ、と豪快な笑いを返されたので、その明るい笑い声を聞いて、ハゲが本当に生還したことを実感した。

嬉しかった。



俺は、カラオケが嫌いだ。
だから、仲良く二人で行ってこい。

「いや、お前も行かなきゃ、意味がないだろう」

俺に意味を期待するな。
俺は、自分でも、生きている意味がわからないんだ。

「ハァー、だから、おまえと話をするのは嫌なんだ。どこまでが本気で、どこまでが冗談かわからないんだから」

簡単なことだ。
本気以外は、すべてが冗談だ。

「お願いだから、話をちゃんと聞いてくれよぉ!」
カネコの言葉に、泣きが入った。

大人を泣かせる趣味はないので、少しだけ真面目な話をした。

カラオケは、喉に良くないのではないか。
喉に負担がかかることは避けたほうがいいと、ハゲの主治医が言っていたぞ。

「本当か? おまえ、シバタの主治医を知っているのか?」

知っている。
おそらく、20代半ばから60代後半の男か女だ。
そして、白衣を着ていることが多い。
聴診器を首から下げているかもしれない。
あるいは、聴診器は胸ポケットか・・・・・。

カネコの鼻が鳴った。
カネコが怒り出す前の癖だ。

「おまえ!」と言ったので、また受話器を右に移した。
雑音が消えた。
実に、便利だ。

窓の外の青空を見上げた。
あの空が続く先には、アンジェリーナ・ジョリーが、必ずいるはずだ。
そう思うと、空がとてもセクシーに思えてきた。

受話器を右耳に当てたまま、空ってセクシーだよな、と言った。
もちろん、返事は聞こえない。
カネコは、確実に怒っているだろうが、聞こえないのだから、ちっとも怖くない。

しかし、このままでは一向に話が進まない(すべて私が悪い)ので、受話器を右耳に当てたまま、私は一方的に提案した。

まあ、カラオケに行ってやってもいいが、俺は歌わないぞ。それに、お前たちの歌を聞くのも嫌だから、俺はiPodで音楽を聞いたままでいるが、それでもいいか。

そう言ったあとで、受話器を左手に持ち替えた。

しばらくの沈黙の後で、「本気か?」という怒りを抑えたカネコの声が聞こえた。

冗談だと思うか?

短い沈黙の間、カネコの吐く鼻息が、受話器を通して私の鼓膜を震わした。
怒って電話を切るかと思ったが、「まあ・・・」と掠れた声を発して、カネコが諦めたような力ない声で、日にちと時間を告げた。

わかった、と答えた。


半年ぶりに会うカネコは、芋洗坂係長そのものだった。
そして、4ヶ月ぶりに会うハゲは、思いのほか血色のいい顔をしていた。

私の顔を食い入るように見たハゲに「おまえの方が病人みたいな顔をしているな」と褒められた。

そうなんだよ。
動悸、息切れ、めまい、立ちくらみ、顔面崩壊、一生金欠。
立っているのも、やっとなんだ。

カラオケルームのソファに崩れ落ちるように座って、いかにも病人らしく空咳をしたが、誰も相手にしてくれなかった。
当たり前か。

カラオケが始まると、私は自前のヘッドフォンをiPhoneに繋げて、お気に入りの曲を聴くことに専念した。

芋洗坂とハゲが、「本気かよ」という目で私を見たが、私に常識を求めるのは、大きな間違いである。
だから、非難の視線を無視した。

カラオケの音に負けないように、大音量で音楽を聴いた。
そのとき、私は大きな発見をしたのである。

それは、画期的な発見だった。

Queenの「The Show must go on」を聴いていた時のことだ。
聴こえるはずのない右耳に、音が聴こえたのである。

なぜ、と思った。
まさか、聴力が戻ったのか、と希望を持った。

しかし、Destiny’s Childの「Nasty girl」では、聴こえなくなった。
Superflyの「マニフェスト」でも、聴こえない。

だが、King Crimsonの「Epitaph」では、また聴こえたのである。

これは、どういうことだろう。
灰色の脳細胞をフルに使って考えた。

そして、1分42秒後に結論が出た。

それは、こういうことではないだろうか。

むかし、右耳が聴こえていた頃に聴いていた曲は、脳が右耳で聴いた音楽を覚えているので、今も右耳が聴こえる気がするのではないか。
つまり、錯覚。

しかし、右耳が聴こえなくなってから聴いた音楽は、右耳の音を知らないから、聴こえないのだ。
つまり、脳が右の音を想像することができない。

その推測は、おそらく間違っていないと思う。

人間の脳って、面白い。

実に面白い。

などということを考えていたら、ハゲが泣きながら歌っている姿を発見した。
この間抜けな姿は、あまり発見したくなかった。

だから、目をつぶって音楽に没頭したが、数分後目を開けるとまたハゲが泣きながら歌う姿が見えた。
また目をつぶった。

数分後、目を開けると、まだ泣いていやがる。

蹴飛ばしてやろうかと思ったが、病み上がりの男を蹴るのは非常識ではないか、と思い直した。
私は常識人なのである(?)。


私が歌を歌わず、ヘッドフォンとお友だちになっているのが気に食わなかったカネコが、白けた顔で「飲みに行こうか」と言った。

しかし、酒は喉に負担がかかる、とハゲの主治医が言っていたぞ(カネコに睨まれた)。

私がそう言うと、ハゲが「俺は酒はやめたんだ。だから、ウーロン茶で付き合うよ」と涙で腫れた目で笑みを作りながら、言った。

一応、確認してみた。

誰の奢りだ?

カネコが、無情にも言った。
「俺とおまえの割り勘だ」

断ろうと思ったが、カネコに右肘をガッチリと抱え込まれたので、逃げることができなかった。
100キロ対55キロでは、勝負にならない。


居酒屋・見聞録で、ジョッキとウーロン茶で乾杯。

「いまごろ、ウーロン茶の美味さがわかるなんて、面白いよな」
ハゲが、30年以上の付き合いで初めて見せる最高の笑顔で、ウーロン茶を一気に飲み干した。

その笑顔に、命の煌めきを見た気がした。

その姿を見て、鼻の奥が痛くなった。
刺身にワサビを大量に付けて食うことで、かろうじて誤魔化した。


鼻の痛みを堪えながら、ハゲに聞いた。

ところで、さっきは何を歌って泣いていたんだ?
気持ち悪かったぞ。

「サザンの『希望の轍』だよ。
おまえが、入院前に桑田の曲をCDに焼いて持ってきてくれただろ。
手術前も手術後も、あれを聴くと勇気が湧くんだ。
あれは俺に希望を与えてくれた曲だ。
そして、今の俺の『泣き歌』でもある。
泣いちまうんだよ。どうしようもなく、泣けちまうんだ」




しまったぁ・・・・・・・聴いておけば、よかった。




2011/11/28 AM 06:41:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

我ながら小っちぇー
先週の土曜日、雨の日だった。
誰も歩いていない歩道を、カッパを着込んで自転車を走らせていた。

相当強い雨だ。
寒くて、早く家に帰りたいと思った。
だから、それなりにスピードを出した。

しかし、車道側から私の背に向かって、大音量の声を浴びせかける人がいた。

「おーい! 歩道を走るのは、違反だぞぉ!」
(まさか、おまわりさん?)

振り返ると、70歳くらいの小柄の老人が私を指さして、もう一度「違反!」と大声で叫ぶ姿が見えた。

だが、そのご老人の右手には、傘が。

確か・・・・・傘をさして、自転車で車道を走るのも、違反ではなかっただろうか。
危険では、ありませんか?

あのぉ、傘は、いいんでしょうか。

「そんなこと、知らん!」

ものすごい形相で、睨まれた。

だから、カッパを着た私は、歩道から車道に移って、車の水しぶきを浴びながら、車道の端を走ることになった。

後ろから、満足気な、ご老人の声が聞こえた。
「それでいいんだよ、それで」

(しかし、ご老人、傘をさすのは・・・・・)



古い話になるが、北朝鮮とのサッカーW杯予選。

サッカー大好きの一流デザイナー・ニシダ君に、吉祥寺で昼メシを奢ってもらった。

その席で、ニシダ君が「センセイ! 非常識だと思いませんか!?」と憤った。
北朝鮮で行われた試合での北朝鮮のサポーターのマナーに関してである。

私は、その試合を見ていなかったので、確かなことは知らないが、ニシダ君によると、君が代のとき、ブーイングがひどくて君が代が聞き取れなかったらしい。

確かに、それが本当なら、非常識だ。

しかし、と私は言った。
アウェイの場合は、どこの国でも、そんなものではないのだろうか。

それに対して、ニシダ君は、カツ丼を食う手を休め、顔を朱に染めながら「いや、あれほどヒドいのは、ボクの記憶にありませんよ。あれは特別です!」と声のトーンを高くした。

そうですか。
まあ、見ていないので、何とも言えないのだが・・・・・。

ただねえ、スポーツの種類は違うけど、バレーボールのW杯だって、日本以外は、いつもみんなアウェイだよ。
もう10年以上見ていないけど、毎度のように猛烈な「ニッポン、チャチャチャ」を背に受けて戦う外国の選手は、完全アウェイと言っていいんじゃないだろうか。

勝っても負けても「ニッポン、チャチャチャ」。
サッカーの極端なアウェイ状況と、あれは全く同じと言っていいんじゃなかろうか。

それに対して、ニシダ君は、さらに強く反論する。
「違いますよぉ! 日本人は相手国の国歌は、静かに聞きます。そこが、全然違います! 絶対に違います!」

まあ、そこまで強く言われたら、あえて私は反論しませんが・・・・・。

反論すると、あなたは韓国人ですか、在日ですか、反日ですか、という言われなき誤解を与えるのが目に見えている。

だから、私は、貝になった。
大好物のカキフライ定食が、ちっとも美味く感じられなかった。

(ちなみに、私は曽祖父曾祖母、祖父祖母、父母、すべてが日本人です。それ以前に関しては、私は系譜というものに興味がないので、知りません。言わなくてもいいことだと思ったが、ちっちぇーヤツなので)



と書きながらも、韓国の話題にこだわる偏屈な私。

先ごろ、ネットでチャイナタウンがない国は、先進国では韓国とロシアだけだ、という記事を読んだ。
遠まわしに韓国とロシアが、外人に対して排他的だということを示すために、そう書いたようだ。

しかし、そんな些細なことで、外国の本質が理解できると思っていない偏屈な私は、なんでチャイナタウンの有無が基準になるのだろう、という感想しか浮かばなかった。

チャイナタウンがないからといって、いったい何?
チャイナタウンは、なければいけないものなのか?
国にとって、それは必須条件か?

ないことで本当に外国人に対して、排他的であると言えるのか。
米国にはチャイナタウンがあるが、米国は人道主義の国と言いながら、歴然とした差別の国ではないか。

むしろ、差別があるから、そして排他的であるからこそ、中国人を一ヶ所に集めて管理しているとは、言えまいか。

他の国も多かれ少なかれ、よその国家に対して排他的な部分は、持っていると思う。

そんな小さな理由付けで、国家と国民性を論じるのは愚の骨頂。

私の大学時代、大学のキャンパスには、たくさんの外人留学生がいた。
米、露、中、仏、加、印、韓、鮮など。

クラスは違ったが、韓の学生と何度か話をしたことがある。
彼が、中の学生と話をしない理由も聞かされた。
しかし、その理由はここでは、書かない。

確かに、韓の学生は、卒業するまで中の学生と交流を持たなかったが、私は、それをもって、韓が中を受け入れないとは、思っていない。
たった一つのサンプルを取り上げて、一つの結論に導くような乱暴な考え方は、私が好むところではない。

チャイナタウンの有無だけで、私は、一方的な解釈はしたくない。



チャイナタウンつながり。

格差社会デモのニュースのとき、テレビにアメリカのチャイナタウンの映像が映っていた。
その映像を一緒に見ていた、我がヨメが言った。

「日本にもチャイナタウンが、あればいいのに」

ヨメと私は、横浜中華街、神戸南京町、長崎新地中華街に、かつて何度か足を運んだことがある
横浜中華街には、数え切れないほど訪れた記憶がある。

中華街とチャイナタウンは、基本的に同じなんだけど・・・・・。。

「違うわ! 中華街は、中華街でしょ。チャイナタウンじゃないじゃない!」

このご意見に対して、私は何と答えれば、いいのでしょうか。
(私の経験上、どう答えても理解されない気がする。他の人が説明すれば、理解するとは思うが)



以前にも書いたことがあるが、ヨメと高校一年の娘の会話は、98パーセントがK-POPの話題である。
たとえば、日曜日の朝、娘が9時15分に起きてきたとする。

「おはよう」と声をかけるのが、普通であろう。
それが、正しい家族の会話だと思う。

しかし、ヨメは、寝すぎてほとんど脳が機能していない娘に向かって、いきなり「SHINEEの名古屋での単コン、YouTubeにアップされてたわよ。カッコいいんだから! おテム、サイコー!」と興奮の言葉を投げかけるのである。

最初、娘は無反応だったが、次の「Superjuniorがね・・・・」というヨメの言葉に反応して、「ああ、それ知ってる。韓国のお友だちに聞いたよ」と言葉を合わせるのである。

そこからは、朝食の話題は、すべてがK-POPという怒涛の時間。

お手製焼きオニギリに、鳥そぼろあんかけをかけた、私が作る朝食の旨さには一言も触れることなく、ヨメは娘相手に熱弁をふるう。
丼が空になるまでの15分22秒ほどの時間、すべてがK-POPアーティストの話だ。

平日、娘が学校から帰ってくる。

ヨメは、「おかえり」も言わず、「ソシ(ソニョシデ・少女時代)がね・・・」と語りだす。

娘が、「お腹が痛いからトイレに」と言ってトイレに駆け込んでも、トイレの外からK-POPの話題を語りかける。
インターネットで仕入れたK-POPニュースを全て語り終えないと、ヨメは満足しないのである。

そして、トイレから出てきた娘に、興奮の面持ちで言うのだ。
「ねえ、今度はいつ行こうか。新大久保に!」

ヨメは、韓流好きの聖地、新大久保の常連である。
小さな路地にある店まで熟知している。

娘が新大久保に足を運ぶのは、二ヶ月に1度程度だが、ヨメは週に1度は行っているようだ。

「もう、自分ちの庭みたいなもんよ」
得意げである。

さらに話はエスカレートして、「新大久保もいいけど、韓国も行ってみたいわね。今度、二人で行きましょ。明洞(ミョンドン)を歩きましょ」と声のトーンを高めるのだ。

どうやら息子と私のことは、眼中にないらしい。
二人だけで行くのが、規定の事実になっているらしい。
焼肉好きの息子に、本場韓国の焼肉を食わせてやろうという気は、一ミリもないらしい。


そのお金を稼いでいるのは、いったい・・・・・・。



週に4日、午前中だけ花屋でパートをしているヨメが、11月23日の朝、子供たちに向かって言った。

「今日は、勤労感謝の日。働いているお母さんに、感謝して!」


え? オレは・・・・・?





(我ながら、ちっちぇー!)




2011/11/25 AM 05:46:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

下馬にて
気がついたら、10月、11月は、一回も休んでいなかった。

だから、20日はオフにした。


以前からお呼びを受けていたのだが、何となく足が遠のいて、行くのを躊躇っていた世田谷の伯母のところへ行ってきた。

私の父親は、四人兄弟の四男。
世田谷の伯母は、次男である伯父の奥さんだ。

もちろん、私と血の繋がりはない。

伯父は、すでに26年前に亡くなっていた。
伯父、叔母には、子どもが3人いるが、いずれも女。
だからというわけでもないだろうが、伯父伯母は、男である甥っ子の私を可愛がってくれた。

「サトルちゃんは、お父さんに、似てないよね」と二人には、よく言われた。
「あんたのお父さんは、気難しい偏屈だからね」とも言われた。

父は、あまり親戚筋の評判が良くない男だったらしい。

父は、私が高校三年あたりまで、ほとんど家に帰ってこない人だったので、父の本質を私はよく知らない。
気難しいと言われても、「そうなのかな」としか、思わない。

薄情な子どもである。

父の兄たちは、それぞれ成功した人だった。
全員が九州大分県生まれ。

長男は、東京でデザイナーとして成功し、千葉県船橋市に大きな家を建てた。
三男は、雑誌社の編集長として敏腕を奮い、新宿神楽坂に家を建てた。

四男である私の父は、兄たちに負けまいとして、地方の新聞社に勤めながら、彼らとは違う道、小説家を目指した。
小説を書くたびに新人賞に応募したが、最終選考まで残るも、賞を手にすることはできなかった。

そして、成功した兄たちを追いかけるように東京に出てきて、食うためにゴーストライターになり、最後は大企業に職を見つけた。
大企業に席を置きながら、小説家になる夢を諦めきれず、勉強と称して中央区京橋や港区新橋にアパートを借りて、小説家的な生き方だけを真似して、飲み屋の常連になった。

だから、私たちの住む中目黒の家には滅多に帰ってこなかったし、稼ぎの一部さえも家に入れることはしなかった。

「あなたの父さんに常識を期待するのは、無理だね」
伯父叔母は、いつも溜め息混じりに父のことを、そう評した。

その破天荒な父の分を穴埋めするように、伯父叔母は、私のことを可愛がってくれた。
私には姉がいるが、彼女に関しては「父親そっくりだねぇ」と、いつも冷めた口調で言うだけで、決して伯父伯母の家に請じ入れることはなかった。

M家の次男である伯父は、貸本屋専門の漫画を書いていた人で、百冊近い著作のある売れっ子だった。
小学生向けの「小学一年」「小学二年」などの月刊誌にも連載で漫画を書いていた。

収入は良かったらしく、世田谷区下馬に二百坪の土地を買い、そこに豪邸を建てた。
40年くらい前のことだった。

その家に今、伯母は、自分の次女夫婦と共に暮らしている。

伯父は60歳前に亡くなり、長男も三男も50代で亡くなっていた。
四男である私の父だけが、長生きをした。



伯母が住む世田谷区下馬の豪邸に、2年ぶりにお邪魔をした。
建物自体は古くなっていたが、それでも周りの家並みに比べると、その豪壮さは、群を抜いていた。
平屋建て、5LDKプラス離れのついた家だ。

2年前は、80歳の伯母の誕生日に花束を持ってお祝いに行った。
それ以来の訪問である。

車椅子の伯母。
糖尿病が悪化して、右足に血行障害を起こし、歩くのが不自由になったのが、3年前のことだった。

頭はしっかりしているが、体力はかなり落ちたと、伯母の娘である同居の次女が頻繁に電話で教えてくれた。
「サトルちゃんに会いたい、っていうのが、最近のお母さんの口癖なのよ」
懇願混じりの次女の声が耳に残った。

この二年間で、十回近く、次女から同じ内容の電話を受けていた。

行かなければ、という義務感のようなものは絶えずあったのだが、行く気持ちが湧いてこなかった。

「(大分県)日田小町」と呼ばれたという、美貌の伯母の老いていく姿を見るのが、辛かったのかもしれない。

若い頃の伯母は、それほど美しい人だった。

それなりに年を重ねてからも、いい年の取り方をしていると思った。
彼女を見た誰もが、品のあるご老人だと思うだろう。
私も、そう思っている。

しかし、だからこそ、その老いが哀しく映るのである。

残酷にさえ、思える。

美しく残酷に老いた伯母を見たくない。

だから、遠ざかっていた。


2年ぶりに会う伯母は、やはり車椅子だった。
表情も声の張りも、2年前と変わっていなかった。

私が手渡した白い薔薇と白い菊のブーケを手に持って、「サトルちゃん、疲れた顔してるわね」と言ったときの包み込むような笑顔も変わらなかった。

「よかったね、お母さん。サトルちゃんが来てくれて」
若い頃の伯母によく似た顔の次女(かつてミス東京の最終選考まで残った)が、同じような笑顔を作って、伯母の顔をのぞき込んだ。

伯母の目から、涙が流れ出した。

そうなるのではないか、という予感はあった。
泣かれたら困るな、と思っていた。
そのことも、私が下馬から足が遠のいた理由の一つだ。

26年前、脳溢血で突然、伯父が死んだとき、伯母が目に涙を溜めて私を見上げ「サトルちゃん、こんなことってある? 残酷すぎるわよ」と言いながら、私の胸で泣き崩れたことを思い出した。

ワイシャツが伯母の涙で熱く濡れた。

熱かった故に、伯母の哀しみが、皮膚を通して強烈に伝わってきた。

痛い哀しみ。

その感触は、今も胸に残っている。

伯父の死に顔を見たとき、「お前の親父は、どうしようもないやつだ。でも、勘弁してやってくれよ。そんなやつでも、あいつは俺の弟なんだ。その分、俺が代わりになるから」と言ってくれた伯父の言葉を思い出した。


だから、伯父は私の父であり、伯母は私の母だった。


伯母を俺が守らなければ、と、そのとき思った。

しかし、あれから26年経って、私は、伯母を守ったとは言えない自分のことを恥じていた。
そればかりか、体を悪くした伯母から遠ざかっていた。

最低の男だ、という引け目が、絶えず私の中にある。


次女が、軽い抗議を含ませて、笑いながら言う。
「お母さんは、何かあると『サトルちゃんが、いてくれたらねえ』って必ず言うのよ。娘が3人もいるのにねえ」

そして、「不思議なんだけど」と言葉を続ける。
「私の旦那も一応男なんだけど、旦那は頼りにしないのよね。血が繋がっていないという意味では、うちの旦那もサトルちゃんも同じなのにね。変だわよね」

確かに変だ、と私も思う。

なぜ私を頼りにするのか。
伯母にとって、私はどんな立ち位置にいるのか。

わからない。
昔も今も、それは全くわからない。
理解不能だ。


昼メシをご馳走になった。

今ではまったく料理をしない伯母だが、私のために、朝早くから次女に支えられながら、昼飯の支度をしてくれたらしい。

メニューは、牡蠣のグラタンとポテトサラダ。
私の大好物だ。

ひと口、ふた口、食べてみた。

美味い。
懐かしい味。

そして、食べてみて、初めて気づいたことがある。

これは、「俺のつくる味」だということを。

家族を養うために、フルタイムで働いていた私の母は、料理を作る暇がなかった。
だから、私は「おふくろの味」を知らないで育った。

しかし、ここに間違いなく「おふくろの味」があった。

そうなのだ。

伯母が私のために作ってくれる料理こそ、「おふくろの味」だったのだ。

私の舌は、その慣れ親しんだ味を知らず知らずのうちに覚え込んで、私は身についたその味を、自分の料理として家族に与えていたのである。


目の前のグラタンが、私に教えてくれたこと。

それは、まぎれもなく、伯母の「愛」だった。

これこそが、私の料理の原点だと思った。


帰り際、伯母が「子どもたちに」と言って、お小遣いを渡してくれた。

以前なら、躊躇いがちに受け取ったものだが、今回は素直に受け取ることができた。

伯母が、喜びを顔全体に表して、頷いた。



夜、伯母から電話があった。

「ごめんなさいね。たいしたお持て成しもできなくて」
心底から恐縮したような声で、伯母が言った。


いや・・・・・・十分すぎるほどだったよ・・・・・・・・満足だったよ・・・・・おふくろさん。


「え? えっ・・・・・・おふく・・・・・・」

泣かれては困ると思ったので、電話を切った。




今日の晩メシは、最高のおふくろの味・ビーフストロガノフを家族のために作ろうと思う。


おふくろさんのようには、うまく作れないかもしれないが。




2011/11/21 AM 06:16:23 | Comment(1) | TrackBack(0) | [日記]

ちょっとした腹立ち
11月15、16日と殺人的な二日間のスケジュールを過ごした。

二日間で、2度気絶しそうになった。


仕事は、浦和のドラッグストアのチラシ。
WEBデザイナーのタカダ君(通称ダルマ)からのホームページの丸投げ。
そして、横浜元町の松雪泰子似の美女からのFLASHの依頼。

この松雪泰子似の美女からの依頼は、今年3度目である。
詳しいことを書きたいのだが、以前載せた私のブログを読んで「美女美女と書かれると・・・」という柔らかなクレームを頂いたため、書きたくても書けない。
残念なことである。

この仕事の中で、ダルマの仕事が一番しんどかった。

依頼のとき、ダルマが言った言葉。。
「いやぁ、師匠なら二日で、やっつけますよね! 何ってったって、師匠なんですから」

おだてに乗った私が馬鹿だった。
激しく後悔を悔やんだ。

しかし、何とか、二日間で仕上げることができた(楽しい眠りの時間を犠牲にした)。

高校一年の娘に、言われた。
「おまえ、目の下に、熊を飼っているのか?」

イエス、マイ・テディ・ベア。


そんなふうに目の下にクマを飼っていた17日、同じ日に、三台の自転車がパンクした。

吉祥寺で、息子の自転車。
武蔵境駅前のイトーヨーカ堂の駐輪場で、娘の自転車。
ヨーカ堂で買い物をした帰りに、自転車を動かそうとしたら、パンクしていたというのである。
誰かの悪戯か、と思ったが、不確かなことで誰かに冤罪を着せるのは愚かだと思い、娘は「ケッ!」と言いながら、パンクした自転車を我がオンボロアパートまで引きずって帰ってきたという。

最後は、私の自転車。
近所の道路を走っていたら、何か違和感を感じた。
違和感を感じたあとは、自転車の前輪から変な金属音が聞こえた。

オンボロアパートに帰って、前輪を確かめたら、画鋲が4個、突き刺さっていた。
画鋲を抜いたら、プシュー・・・・・パンクでした。

いたずら・・・・・・・か?(しかし、道路に画鋲をばらまくかね?)

3台とも、百円ショップで買ったパンク修理キットを使って、私が修理した。
修理時間、1時間13分。

修理している間に、一度気絶しそうになった。

無駄な時間を取らせやがって。

しかし、一日に3台の自転車がパンクする確率って、とてもレアな気がする。
レアなことは嫌いじゃないので、まあ、いいか、と自分を納得させた。


14日の夜。
請求書を出すのを忘れたことに気づき、二百メートル先の近所のポストまで走った。

ポストからの帰り、突然大雨が降ってきた。
ヤバイと思いながら、脚のギアをトップに上げた。

そのとき、私の胸に飛び込んできたもの。
柔らかくて、大きい何か。
思わず飛びこんで来たものを掴んだ。

嫌な感触。
手を街灯にかざしてみたら、でっかいカエルだった。

ギャー!

大雨の最中に、でっかいカエルが胸めがけて飛び込んでくる確率は何パーセントだろう?
きっと相当レアであるに、違いない。

レアなことは嫌いじゃないので、まあ、いいか、と自分を納得させた。

しかし、掴んだ右手を嗅ぐと、臭かった。



先日、ネットの世界をさまよっていたら、違和感のある記事を見つけた。

朝のテレビ番組の司会をしていた男性が、白血病で休業を余儀なくされたらしい。
私は、その番組を見たことがないし、その男性のことも知らなかった。

白血病というのは、決して楽観できる病ではない。

お気の毒、という言葉さえ、気軽にかけられる病でもない。
とにかく治癒されることを祈ります、と言うしかない。

あとは、医療関係者のご尽力とご本人の生命力が、最善の方向に向かうことを祈るしかない。

それが、普通の人の反応だと思っていた。

しかし、ネットで、信じられないことに、白血病の生存確率を挙げて、彼の病気に関して否定的なことを書いた記事に出くわしたのである。

それを読んで、この記事を書いた人に、人の感情を慮る能力はないのか、と思った。
懸命に病と戦っている人をメシの種にして、非情な確率を提示する神経は、とても血の通った人間のものとは思えなかった。

普通なら、祈る。
そして、病気に関してのポジティブな情報を提示して、希望を与えるだろう。

決して本人がネガティブになるような情報を提示することはしない。
ご本人や家族に、冷静に病状を伝えることができるのは、医療関係者だけだ。

マスメディアに、そんな権利はない。

報道の自由に、そんな自由は含まれていない、と私は憤った。

それは、報道ではなく、残酷で陰湿な虐めだ。

言葉の暴力だ。

この文の主は、真っ当な報道人としての資格も資質もない、人間としての心をなくした冷血動物でしかない、と思った。

呆れた。



プロ野球には興味がないが、楽天の田中投手の沢村賞受賞には、拍手を送ります(ただ沢村賞がどれほど権威ある賞なのか、私は知らない)。

素晴らしい、という言葉が陳腐に思えるほど、(記録を見る限り)田中投手の今シーズンの記録は、輝かしいものだった。


文句のつけようがない。


と思っていたが、文句をつけた人がいたのだった。

ほかならぬ沢村賞の選考委員の方々だ。

品格が、どうのこうの、と仰ったらしい。

田中投手のマウンド上の雄叫びとか、ガッツポーズが気に食わない、以後注意せよ、と言ったらしい。

これは、本当かどうかは知らないが、以前、メジャー・リーグでは、ホームランを打った打者がガッツポーズをするのは、相手の投手を侮辱するものだという記事を見た記憶がある。
もしガッツポーズをしたなら、次の打席で彼は、対戦チームの投手に報復の死の球を投げられるというのである。

しかし、喜びを表現して、何が悪いのだろう。

プロに限らず、個人競技でない限り、スポーツは生身の人間と人間のぶつかり合いである。
そのぶつかり合いを制した勝者が、喜びを表してなぜ悪い?

サッカーでゴールを決めた選手が、喜びを爆発させてグラウンドを走り回るのは容認されているのに、野球選手が喜びを表すのが、そんなに罪なのか?

野球って、そんなに品格のあるスポーツでしたっけ。

一対一の勝負。
その勝者は、賞賛の拍手を受ける権利がある。

そして、同時に彼は勝つことによって、昂った感情を表現する権利も得られるのである。

それを邪魔する権利は、誰にもない、と私は思っている。



東京ジャイアンツ(意地でも親会社の新聞社の名前は記さない)がなければ、私は絶対にプロ野球に興味をもっただろう、というお話。

プロ野球を私物化する、大新聞社、大テレビ局が所有する奢り高ぶった唯我独尊の集合体。

そこの会長様の個性に関しては、色々とネット媒体に書かれているので、改めて記さない。
(その中の多くは、ネット特有の妄想記事の場合があるので)

ここでは、個人的な嫌悪の感情だけで、書く。

この発言は、ネットに載ったものだから、信憑性はないかもしれないが、あえて書かせていただく(嘘だったら、ゴメンナサイ、と謝る)。

「オレは総理大臣を誰にするかの方が大事なんだ。野球のことなどどうでもいい」という、新聞社の大会長様の発言に関してだ。

大新聞社の政治部出身の人だから、政治に口を出し、フィクサー気取りになるのは、それは彼の持って生まれた性格だから仕方ないのだろうと思う。

ただ、政治部出身だからといって、彼が政治の玄人というわけではない。
国民から選ばれたわけでもない一介の人間が、一国の政治の舵を取ろうとする思い上がりが、私は鼻持ちならないだけである。

そして、野球のことなどどうでもいいと言いながら、球団の会長職に就き、絶えず球団の人事や戦略に口を挟むという矛盾に、私は嫌悪感を抱いている。

さらに、そんな己れの発言を矛盾と感じない脳が退化した男が、プロ野球に影響力を持っているという現実を見ているから、私は昔も今も未来も、プロ野球に何の希望も関心も持てないのである。


彼を一言で言い表すなら夜郎自大(自分の力量をわきまえず尊大に振る舞うこと)。


先ごろ、彼が私物化する球団の内紛劇がネットを賑わしていたが、それに関して私は、大事な日本シリーズ前に空気の読めないことをするなよ、という感想しか持たなかった(御家騒動の内容には、関心がない)。


まったく自分勝手な組織だと思う。

この時期の主役は、リーグ制覇を果たした中日とソフトバンクであるのは明白だろう。

本当にプロ野球を愛している人なら、球界の一番大事な時期に、幼稚な喧嘩はしないものだ。

あまりに幼稚すぎる野球の未来を感じないドタバタ劇に、私は、ただただ呆れかえっている。


日本シリーズを戦っている選手たちに、失礼だ。





ところで、何度か、K-POPや韓流に関しての話題を、このブログに載せたことがある。

それに関して、過去6通のメールをいただいた。

「あなたは、韓国人ですか、在日ですか(中には、チョンですか、シナ人ですか、という下品極まりない問いかけをする輩もいた)」

私のブログを読んだなら、それは簡単に理解できるはずだが、その余りに幼稚な問いかけには、無視を貫くことにする。




(視野の狭い、日本語の読解力のない人が多過ぎる)



2011/11/18 AM 05:34:34 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

フェチそして嫌いなこと
変態、と言われてもいい。


私の友人の間では、私は「太ももフェチ」の男として、認識されている。

WEBデザイナーのタカダくん(通称ダルマ)から電話が、かかってくることがある。
「師匠、ベッキーが今、テレビで太ももを出しています!」

早速、テレビをつける。
そして、ヨダレを垂らす。

テクニカルイラストの達人・アホのイナバからの電話。
「Mさん、TBSで、佐藤かよの太ももを発見。至急見ることをお薦めします」

ヨダレを垂らす。

さらに、喉頭がんから復活した友人のハゲは、信じられないかもしれないが、香里奈の太ももが写った全身のシーンだけを編集したDVDを送ってきてくれたのである(全編25分の力作だ)。

ヨダレが、出っぱなしになった。

私は、いい友だちを持ったと思う。


そして、これは、なかなか理解されないことなのだが、私は「おでこフェチ」でもある。

女性の無防備に全開になったおでこに、心を奪われるのだ。

自分でも、その理由がわからない。

だから、他人に説明のしようがない。

もし目の前に、おでこ全開の女性がいたら、その顔の造作は無視して、そのおでこに全神経を集中させて、私は食い入るように見つめてしまうのである。
我を忘れるときがある。

ただ、いわゆる熟女のおでこには、全く興味がない。
若い人、限定だ。

若い人の無防備なおでこが、いい。

産毛のきれいな人のおでこだったら、丸一日見ていて飽きない自信がある。

ようするに、変態といっていい。


イヤリングも好きだ。

ピアスではなく、イアリング。

大きめのイヤリングが、耳の下で揺れている様子も、飽きずに見ていられる。

なぜ、そうなるのか、もちろん自分でもわからない。

心理学者の先生に、教えてもらいたいものだ。

ただ一言「あんたが、変態だからですよ」と言われるかもしれないが、私はそれでも満足だ。



そのように、見事に変態の私だが、これだけは断固拒絶する、というものがある。

女性が、自分のことを名前で呼ぶ場合だ。

たとえば、「ハナコはね・・・、サクラはね・・・、サザエはね・・・、ワカメはね・・・フネはね・・・」という言い方である。

それを聞くと、思わず両手の指に力が入って、絞め殺したい衝動にかられる。

おまえの名前なんか、何度も聞きたくないよ。
なぜ、私とかアタシとか、ウチとか、ワラワとか言えないのだろう。

俺は、あんたの名前なんかには、興味がないんだ。
なんだ、その妙に押し付けがましい自己主張は!


耳を塞ぎたくなる。


心にビッグウェーブが立って、口から罵倒の波飛沫が出そうになる。

それくらい、その呼び方が、嫌いである。
(実は、そのことに関しては、既に自己分析を完了している。私の実の姉が、子どもの頃から自分のことを名前で呼んでいて、50代後半の今も、自分のことを名前で呼んでいるのである。そのことが、私の精神形成に多大な影を落としているようだ)



昨日、最近なぜか昔放映した「流星の絆」というドラマがまた見たくなって、ツタヤに立ち寄った。

「流星の絆」のDVDは、すぐに見つかったのだが、そのとき、私の耳のすぐそばで、悪魔の呪文がとり憑いたのである。


「カツミはね・・・・・、深キョンが好きなんだよ」


カツミ・・・・・・・?

女とも男とも判断できる名前だが、声は、明らかに男。

私が、背筋に大きな鳥肌を立てながら、高速で右横を向くと、20歳代と思われる男が、隣りの彼女に「ねえ、深キョンて、可愛いよね。カツミは好きだな」と言っている場面を捉えたのである。


カツミだとぉ!


両手の指に、力が入るオレ。

絞め殺したい。

しかし、その殺気をまったく感じない男は、彼女に向かって、こう言ったのだ。
「メグたんってさあ、どこか深キョンに似ているよね。なんか、お人形さんみたいなところが、カツミの好みだな、ホントだよ」

彼女が、深キョンに似ていようが似ていまいが、どうでもいい。

私は、体の奥底から湧き上がってくる、どす黒い殺意を抑えることに懸命になるあまり、呼吸が荒くなっていた。

両手の指が痛い。

それほど、私の指には、力が入っていたようだ。

力が入る余り、「流星の絆」のDVDを落としてしまったのだ。

その音に驚いて、私の方を見るふたり。
しかし、私は、彼らの顔を見てしまったら、余計殺意が増幅されると思った。
だから、落としたDVDケースを拾うことで、その殺意を抑えようとした。

だが、あまりにも指に力が入っていたものだから、何度もケースを取り損なった。

何度もチャレンジしたが、そのたびにケースを拾い損ねる男。
その姿は、明らかに二人の目には、変質者に映ったようだ。

二人は、逃げるように、その場を去っていった。

焦るオレ。

しかし、焦れば焦るほど、ケースを掴む動作は、怪しくなる。
掴めない、拾えない。

その結果、そのケースを置き去りにして、私はツタヤを去ったのである。

もはや、「流星の絆」を見たいという欲望は、完全に消え去っていた。



それくらい、私は「カツミはね・・・」が、嫌いである。



2011/11/15 AM 05:34:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

人間失格
「家政婦のミタ」というテレビドラマが人気のようだ。

私と高校一年の娘も見ている。

面白いと思う。

ただ、私の友人の間では、否定的な意見が多い。

「そんなの見てる暇なんかねえよ」
「設定に無理がある。話が極端すぎて、リアリティがない」
「松嶋菜々子のあんな演技は見たくなかった」
そんなご意見である。

承知しました。


私は、達人技を見せる家政婦のミタさんも面白いと思うが、阿須田家の当主である父親の性格が興味深くて、そこに感情移入して見ている。

阿須田家の父親は、妻がいて四人の子供がいるのに、社内のOLと不倫をし、妻に別れ話を持ち出したという自分勝手な男だ。
そして、それを聞いた妻はショックで自殺したのだが、そのことを子どもたちには隠して、不倫相手に執着し続けるという情けない男でもある。

さらに、彼は幼い娘に「私はパパが好き、パパは私のこと好き?」と問いかけられて、「わからないんだ」と答えてしまう、呆れるほど正直で父性の欠落した男なのだ。


ダメダメ男、ダメダメ夫、ダメダメ父。


そのダメダメぶりに、私は共感しているのである。

だからといって、私は、自分のことを父性のない男だとは思っていない。
むしろ濃厚に有りすぎる男だと、勝手に思っている。

だから、ドラマの中の阿須田家の父親とは、明らかに違う。

しかし、父親として、夫として自信が持てないというところでは、同じではないかと自分でも呆れるほど感情移入しているのだ。


ヨメと結婚したとき、俺が彼女の夫でいいのか、と思った。
そして、今も思い続けている。

長男が生まれたとき、世界観が変わるほどの喜びを感じたが、同時に、俺が父親でいいのかと自分に問いかけた。
長女が生まれたときも、身が震えるほどの喜びを感じたが、俺に父親の資格があるのかという恐れのようなものが胸を満たして、それはいまだに消えることがない。


つまり、夫であること、父親であることに、今も自信がないのである。


夫であることを確認したいために、歪んだ方法であるが、ヨメの負担を軽くするために、料理を作っている。
掃除以外の家事全般を引き受けている。

父親であることを確認するために、子どもたちの学校行事にすべて参加し、子どもたちの友だちとも仲良くなり、子どもたちの心をわかろうとしている。
そして、子どもたちの毎日の弁当も作っている。

仕事が忙しいときは、家事全般、学校行事が多少の負担にはなるが、それをしなかったら「俺の存在価値がなくなる」という強迫観念が絶えずあるから、手を抜くことはしない。

私の中で、自分の優先順位は、いつも最後である。

たとえば、料理を作るとき、家族には美味いものを食わしてやりたいと思うが、自分は塩むすび一個でも満足だ。
洋服を買うときも私は必ず辞退する。
外食は、ビールさえあればいい。

他人が見ると、卑屈になっている、と思われるかもしれないが、そのように思われても痛さを感じない。


もしヨメや子どもたちが、いなかったと想像してみる。

私は、働いていたとしても、今ほど懸命には働かなかっただろう。
最低限の生活だけが、出来ればいいと思っただろう。

料理なんて、しなかったと思う。
掃除も洗濯も、風呂に入ることも面倒くさがったと思う。

ゴミの山の中で、パソコンだけと向き合い、友人とも接触しようと思わなかったに違いない。
万年床、一年間同じジャージの毎日で、世間に悪臭を振りまいていたかもしれない。

それは、想像ではなく、絶対に、そうなっていたと断言できる。


もともと人間失格の男なのである。

ヨメと子どもたちが、かろうじて、いま俺を人間に留めてくれている。

つまり「家政婦のミタ」の父親と同等か、それ以下の人間だ。

家族がいるから、俺はまだ普通でいられる。
人間失格の自分が、何とか人間世界で暮らしていける。


いつも、そんなふうに思っている。


最近、娘がこう言った。
「冬休みに郵便局で仕分けのアルバイトをするからな。それを貯めて、俺の携帯代は、自分で払うから心配すんな」

最近、息子は私の負担を軽くするために、皿洗いや風呂掃除などを率先して、してくれるようになった。
部屋やトイレの掃除もしてくれる。
洗濯物も畳んでくれる。

ヨメは、花屋のパートを一時間延ばしたようだ。


みんなが、私に気を遣ってくれている。


それは、とても嬉しいことだが、私という人間は、甘やかされると確実にモチベーションが下がる変態体質を持っているのである。

あるいは、私は己れの根本を人間失格だと規定しないと、自分を楽な方に置くダメ人間だと言ってもいい。


だから、そんな風に気を遣われると、自分の立ち位置を取られたような気になる。
居心地が、悪くなる。
素直に喜べない。


そんな風に厄介なオレ。

きっと私は死ぬまで、この厄介な性格を持ち続けて、「駄目夫駄目父厄介居士」などという戒名を頂いて、永眠するのではないだろうか。



それは、とても俺らしい生き様、死に様だと思うのですが、いかがでしょうか・・・。



2011/11/11 AM 05:28:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

ストレス障害
桶川の得意先から、電話がかかってきた。

いつもなら、おバカのフクシマさんがしてくるのだが、この時は麻生久美子似の事務員からだった。
日にちと時間を打ち合わせたあとに、麻生久美子似が少し沈んだ声で、「フクシマさんも連れていきます」と言った。

その声を聞いて、胃の筋肉が狭まったようになった。
内臓の血流が悪くなった気がした。

何か重いものを引きずるような感覚に捕われながら、日曜日の昨日、打ち合わせ先のガストまで行ってきた。

窓際の席に麻生久美子似、隣りに青白い顔をしたフクシマさんがいた。
その青白い色は、この3ヶ月間、ずっとフクシマさんの顔に張り付いたままだった。

震災による軽いストレス障害。

フクシマさんが被災したわけではないが、宮城県出身の社長に付き合う形で、時間ができるとボランティア活動に精を出していたフクシマさんの心は、なかなか復興しない被災地の現実を見て、徐々にネジが緩んでしまったらしい。

震災以降、フクシマさんとは、仕事の打ち合わせで5回顔を合わせたが、回を重ねるごとに、フクシマさんの口からは、言葉の数が減っていった。

今までは、二人で馬鹿げた会話を交わしてから、仕事の話に移ったものだが、ここ3回のフクシマさんは、私の程度の低い軽口に反応することを完全に拒否して、いつも無表情な顔を作っていた。

そして、首をひねりながら、言葉を小さな声で吐き出すのである。
「俺・・・なんか・・・・・何と言ったら・・・・・いいか」

その後の言葉は、いくら待っても、フクシマさんの口からは出てこなかった。

フクシマさんは、表面上はおバカだが、内面は真面目で責任感の強い男である。

彼の心が受け止めた悲惨な光景を、私は見ることも推測することもできないが、彼が受け止めたものの大きさは、想像することができる。

彼の真面目な心が受け止めたもの。
それは、フクシマさんが、人間として、見逃してはいけないものだったのだと思う。

それを見てみぬふりをするのなら、俺は生きている意味がない、とまで思ったのかもしれない。
しかし、ひとりの人間にできることは限られている。

見てみぬふりはできない。
何かをやらなければいけない。
しかし、俺にいったい何ができる?

現実問題として、俺が何かをやっても、少しも良くなっていないではないか。

いま俺は、役に立っているのか。
俺は、意味のないことをしているのではないか。


俺は、無力だ。



麻生久美子似の事務員が言う。
「今日は、仕事の話をしにきたのではありません。仕事もありますが、それは二の次です。Mさんのご意見を伺いに来ました」

麻生久美子似の事務員の顔も、少し青ざめていた。

ビールを頼める雰囲気ではなかったが、麻生久美子似が、勝手に私の分を頼んでしまった。
ビールとピザ。
それが、打ち合わせの際の習慣である。

麻生久美子似は、その習慣を崩したくなかったのだろう。

つまり、あまり深刻になりたくないということだろうか。

その心配りが、逆に今回の話の内容の深刻さを、私の頭に植えつけた。


つまり、おそらく・・・・・・・。


ストレス障害。
それが容易に治るものでないことは、知識の浅い私にも想像がつく。

二人目の子どもが生まれて、私生活も充実しているとき。
そして、社長の信頼も厚く、仕事の面白さの真っただ中にいるとき。

だが、他に自分がすべきことを見つけてしまったフクシマさん。

それゆえに、自分の無力さを重く受け止めてしまったフクシマさん。


休もうよ。


誰もが、その言葉をかけることを躊躇しているのだったら、私が、それを言おう。

被災地の再生は必要だが、フクシマさんの再生も必要だ。


力のない目で、テーブルを見つめ、窓の外を見つめるフクシマさん。

その横でミルクティーを飲んでいる麻生久美子似が、私を見つめる。

その目が何を意味しているかは知らないが、私はスイッチを押されたと判断した。

だから、フクシマさんに、言った。
あくまでも軽い口調で、深刻になりすぎないように。



俺は、フクシマさんを尊敬するよ。
これからもずっと、俺はフクシマさんを尊敬する。

そして、フクシマさんは、俺の友だちだ。
ずっと友だちだ。

友だちには、疲れたら休んで欲しいと俺は思う。


だから、しばらく・・・・・・・ね・・・。




フクシマさんの肩が震えるのと、嗚咽がほぼ同時だった。

麻生久美子似も、下を向いて肩を小さく震わせていた。


泣くまいと思いながらビールを飲んだ。

ピザが、いつもより塩辛いような気がした。


私は、ピザを食いながら、「休めよ」と心の中で、念じ続けた。


友のために・・・・・。



2011/11/07 AM 05:43:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

年を感じて
気がつくとシャドーボクシングをしていることが、よくある。

得意先での打ち合わせを終えたあとのエレベータの中で、していることがある。
駅のホームで、突然することもある。
ジョギング中も気がついたら、していたりする。

朝起きがけに、することもある。
料理を作っている最中も、たまにする。
湯船に浸かっていて、パンチを出すこともある。

大抵は、左ジャブ二発に、右ストレートか、右フックの連打だ。

それに気づいたとき、まわりを見渡して、「やっちまったぁ」と思う。
他人が見たら、確実にドン引きするだろう、と赤面する。

しかし、これは私の癖なのだ。
つまり、やめられない。

この癖がついたのは、小学3年頃だったと思う。
当時、目黒駅の近くにボクシングジムがあった。
そこを通ると、いつも立ち止まって練習風景を見るのが癖になった。

ほかの用事で駅まで行ったのに、その用事を忘れて没頭してしまったこともある。
2時間近く立って見ていたこともある。

練習生たちの均整のとれた筋肉質の体と機敏な動きに我を忘れて食い入るように見た。
とにかく胸がときめいた。

なぜ、こんな風にボクシングに魅せられたのだろう。


我が家では、テレビのボクシング中継を見る習慣はなかった。
知り合いにボクサーもいなかった。
「あしたのジョー」は、まだ始まっていなかった(連載が始まったのは、小学5年のときだ)。

影響を受ける環境は、何もなかったと言っていい。
ただ、それ以来、数箇所のボクシングジムを回って練習を見るのが癖になった。

そんな変な少年時代を過ごした。


今まで人を殴ったことは数回しかない。
初めて殴ったのは、大学1年のときだ。

陸上部の夏の合宿で、同じ宿舎で合宿をしていた他校の男が二人、厨房にいた60歳過ぎの男性をからかっていたのを見た。
その人は、聾唖者らしかった。
二人が自分の両耳を塞いで、その人に向かって、侮蔑の言葉を吐いたのだ。

それを見て、腹が立った。
普通に注意しただけだったが、相手の一人が突然殴りかかってきたのだ。
それをよけて、咄嗟に左フックを放った。

顔は危険だと思ったので、ボディを打った。
うずくまる男。
もう一人も飛びかかってきたが、足を払って、転がした。

驚くほど、相手の動きがよく見えていた。
殴り合いの喧嘩なんかしたことがなかったのに、冷静に相手を見ることができた。

体が勝手にボクシングの動きをしていた。
小学校時代に、呆れるほどボクシングの練習を見ていて、それが脳の片隅に残っていたのかもしれない。
中学、高校時代は、陸上競技漬けの毎日だったから、ジムの練習を見ることはなかった。
しかし、ボクシングの動きは、確実に脳にインプットされていたようだ。

それからは、暇ができると、大学のボクシング部の練習を見るようになった。

小学時代は意識しなかったが、見ていると体が勝手に小刻みに動いている自分に気づいた。
練習生の動きに、脳と体が反応し、自分が打たれている、と感じ取って、パンチをよけたりパンチを打ったりしていたのである。

つまり、練習生を頭の中で仮想敵にして、闘っている気になっていたようだ。

私が人を殴るのは、相手が先に攻撃してきた時だけだ。
それをよける形でパンチを出す。
顔は殴らないが、ボディや肩、腕などにパンチを当てる。

このブログで何度か書いたことがあるが、私は、相手が私に危害を加えようとしたり、攻撃的になったときに、恐怖心は感じるが頭の芯の部分では何故か冷静になることが多かった。

それは、私が、相手の動きを知らず知らずのうちに読み込もうとしているからかもしれない。
それは、頭と体が、相手の動きに対して、すぐに反応できるように身構えている状態と言いかえてもいい。


昨日、久しぶりに家族で外食をした。
吉祥寺でラーメンを食ったあと、街を歩いた。
祝日だったせいか、通りは人が溢れるほどだった。

吉祥寺中道通りを歩いていたとき、角から走り出してきた男がいた。
私の目が、その男の姿を捉えたとき、男はまるで追いかけられているかのように、後ろに気を取られながら走ってくるところだった。
かなりのスピードだった。

このままでいったら、その男が、私たち家族にぶち当たるのが確実な状況だった。
相手には、私たち家族の存在は見えていないように思えた。
声を出したとしても、男が咄嗟に止まることはできないだろう。

それくらい男は、私たちの身近に迫っていたのである。
だから、私は左肩に力をいれ足を踏ん張り、男の突進に備えることにした。
そうしないと、家族の誰かか他の通行人に当たるような気がしたからだ(私の家族は、男の突進に気づいていなかった)。

走ってくる男の存在を認めて、そう判断するまで、せいぜい一秒といったところだ。
それが、今でも最善の判断だったと私は思っている。

突進してくる男。
それを受け止める私。

身構えていたので、私は倒れなかった。
しかし、男が倒れた。

何だよ! という展開になった。

相手は、まさか自分が人にぶち当たって倒れることになると想定していなかったようだ。
眉を寄せ、目を釣り上げて立ち上がり、安っぽいドラマのチンピラのように、私にいきなり殴りかかってきたのである。

頭の中で絶えず体が反応することをシミュレーションしてきた私は、彼の動きを見切っていた。

まるで、スローモーションのように男の動きを読むことができた。
だから、よけた。


よけた・・・・・・つもりだった。


しかし、男のパンチが、よけたつもりの私の右耳に当たったのである。

痛ってぇ!

頭に来た。

相手が次のパンチを打ってきたので、私は体を男の方に寄せて、頭突きを返した。

クリーンヒット。

相手の頭より、私の頭の方が硬かったようである。
カウンターになったようだ。
(ボクシングに頭突きはない。バッティングは反則である)

男が目をパチパチさせている間に、ほとんど状況を理解していない家族と一緒に、逃げた。

私以外は運動神経に「?」が付く家族であったが、懸命に逃げた。


駆ける駈ける。


吉祥寺西公園まで駈けて、息も荒い娘に強く詰問された。

「何でぶつかった! 何で頭突きをした! 何で逃げた?」


え? 俺、ぶつかった? 頭突き? WHY? 逃げた? ご冗談を!

娘に思い切りケツを蹴られた。


しかしなあ・・・・・よけたつもりだったんだけどなぁ。

耳が痛えなぁ。
まだジンジンするなぁ。



年をとったなぁ・・・・・・・。


2011/11/04 AM 05:28:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]



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