Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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休養中























































画像が良くないのは、iPhone4で撮ったから。
(デジカメで撮るのが面倒くさかったので)

上の画像は、一応手作り餃子です。
餃子の皮も手作りなので、よく見ると、餃子の大きさがマチマチ。
餃子のアンは、豚ひき肉とキャベツ、ニラ、そして絹ごし豆腐を少々。
餃子の下に敷いてあるのは、もやしのキムチ(韓国唐辛子を使った手作り)。

餃子は、乾燥ニンニク、乾燥タマネギ、島唐辛子を酒と麺ツユ、ごま油で炒めた自家製ラー油に付けて食う。

画像には映っていないが、ニラ玉スープとご飯がつく。

まあまあ、好評。


真ん中は、見えないかもしれないが、カレーです。
業務用スーパーで買ったカレー粉に、ウコンの粉末と摺り下ろしたジャガイモ、人参を入れ、ペースト状にしたトマトを入れて、最後に赤ワインを投入する。
肉は、ベーコンを、これ以上小さく出来ないだろう、というくらいのみじん切りにする。

トッピングは、ゆでたまごとオクラ。
サイドは、トマトのオリーブオイル漬け、春雨ツナサラダ(ドレッシングは、酢ショウユ・ごま油がベース)。

カレーに春雨は合わないだろう、という常識は私には通用しない。
春雨が好きだから、サイドに加えている。

子どもたちは、必ずお代わりするから、好評なのだと思う。


下のは、ちらし寿司or手巻き寿司、サーモンの握り。
人参とレンコン、椎茸を細かく切って、甘く煮込んだものを酢飯に混ぜる(酢飯とマグロの赤身は画像には映っていないが、あと二人分ある)。
あとは、各自お好みで、酢飯に具を散らしてもいいし、海苔で巻いて食ってもいい。

これに、蒲鉾とお麸、三つ葉のお吸い物が付く。

20分もかからずに、キレイになくなるから、気に入っているのだと思う。


こんなメシを食っています。


今日の晩メシは、子どもたちの好きなホットプレートで作るビビンパ。

これは、手間がかからないので、楽だ。



さて、今日は、何をしようかな・・・・・・・。



2011/09/27 AM 06:01:28 | Comment(1) | TrackBack(0) | [料理]

休養宣言
夏にジョギングをしなかったのは、独立して以来初めてのことだ。

7月のはじめに、自転車で転んで全身を強く打ったため、走れる状態ではなかった。
しかし、走りたいという意欲が、体の細胞まで伝わってこなかったということも、理由の一つだ。
(昨年までの私なら、体が痛くても平気な顔をして走っただろう)

それに、なぜかわからないが、最近、体調のいい時と悪い時の差が極端になった。

いいときは、目が覚めてから普段通りに作業ができる。
しかし、悪いときは、辛い。

ただ、辛くても仕事はするから、仕事量やスピードに変わりはない。
だから、まわりは、私の体調が悪いことに気づいていないと思う。


体調が悪いときに、仕事を普段通りこなすには、エネルギーがいる。
普段の2倍、3倍、疲れるような気がする。


しかし、疲れた、と言っても仕事は待ってくれないのだから、それを言うことに意味はない。


疲れると、気力の密度が、薄くなる。

いま、私の気力メーターは、50パーセントを切っているかもしれない。

こんなことは、かつて、なかった。



だから、休もうかと思う。



独立して初めて、10日間の休みを取ることにした。

2年前入院したときにも、こっそり仕事はしていたから、連続して10日間休むのは、今回が初めてのことだ。

大げさな言い方になるかもしれないが、いま休まないと、きっと私は、どこかの歯車が狂う。
それが、どこかはわからないが、間違いなく狂うと思う。


狂う前に、休む。


仕事関係者には、事前に了解を取った。

遅い夏休みですよ、とだけ理由を告げた。


休みの間、何をするかは決めていない。

医者に行かないことだけは、はっきりしている。
旅行に行くつもりもない。

ジョギングもしない。

することと言えば、
おそらく公園でボーッとしたり、酒を浴びるほど飲むくらいだろうか。

あるいは、図書館で、ただ暇を弄ぶだけかもしれない。

デパートの試食品コーナーをハシゴしているかもしれない。
神田の古本屋街をブラブラするかもしれない。

美術館で、一枚の絵を二時間見つめるのもいい。
動物園の猿山で、猿の生態を一日観察するのもいい。

吉祥寺で綺麗な足のおネエチャンを見かけたら、あとをついていくかもしれない(犯罪?)

一人で富士急ハイランドまで行って、「高飛車」に乗るのもいい。

久しぶりに、さいたまの「隠れ家」に行って、惰眠を貪るのもいい。

母校のキャンパスで、大学関係者のような顔をして、ベンチにずっと座って花を見ているかもしれない(不審者)。

各駅を乗り継いで仙台まで行き、駅で立ち食いそばを食ったら、そのまま東京にUターンするかもしれない。




おそらくパソコンは触らないだろう。

だから、ブログもアップしないと思う。


10日後、私に気力が戻るかどうかは、わからない。


ただ、とりあえず、休みます。





休ませてください。





2011/09/21 AM 05:54:23 | Comment(4) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

面白いひと
私が、よく知っている女性の話を。


女子サッカーW杯決勝の日。
パート先から帰ってきた彼女が言った。

「ねえ、日本とジャパンはどっちが勝った?」
(前回のWBCのときも、同じことを言った)

固まる家族たち。
その後、大爆笑。


他に、「だんご虫が、事故を起こしたんだって?」というのもあった。

だんご虫が、事故を起こしても、大したことにはならないであろう。
いったい、何が面白い?

しかし、彼女はなおも話を続ける。
「相手の人、亡くなったらしいわね。お可哀相に」

ああ、だんご虫というのは、「だんご三兄弟」を歌っていた歌手のことだったか。
(しかし、だんご三兄弟が事故を起こすという表現もおかしいのだが)


ご近所の節約家の奥さんを評して。
「あの人、財布の紐が高いわね。感心するわ」

おそらく、「財布の紐が固い」と言いたかったのだと思う。


以前、私が「中野駅で人身事故があって、電車が遅れた」と言ったら、「田舎者が、妊娠した?」と聞き返された。
(ひとつも、合っていない)


ジャスティン・ビーバーって、まだ17歳なのか、と言ったら「焼肉貧乏って誰?」と言われた。
(どういう耳の構造をしているのだろう?)


日本の都の話をしていて、平清盛が京都から福原に遷都をしたと言ったとき、「えっ、セント君て、本当にいたの?!」と言われた。


彼女が、外から帰ってきて、すぐ言った。
「いま電車の中にロスゴリ(ファッション)の人がいたわよ! 3人も」

家族全員、声を合わせて、「ゴスロリ!」。


二人で夜のニュースを見ていたとき、いつも大したコメントをしないコメンテーターが、珍しくいいことを言った。
そこで、私は、このコメントは珍しく的確だったね、と言った。

それに対して、彼女は、「えっ! この人、結核だったの?」と驚いた。

的確と結核を聞き間違えたのだが、普通は話の流れから、ここで結核という言葉が出てくるはずがない、と思うはずである。
しかし、彼女は、一つ一つの言葉を瞬間的に捉えるだけなので、話の全体が、いつも伝わらない。


家族で、バーミャンにメシを食いに行った。
餃子が安くてうまかったので、餃子二人前、追加しようか、と言った。
すると、彼女は「え? この店、SUIKAで注文できるの?」と驚いた。

そこを聞き間違えるか、と思った。
(ちなみに、関東ではSUIKAだが、近畿圏ではICOCA、東海圏ではTOICA)


スポーツに全く興味がない彼女は、たまたま見た世界陸上について、こう語った。
「え! ボルトってカンバックしたの? だって、もう50歳超えてるんじゃない?」
おそらく、カール・ルイスと間違えているのだと思うが、面倒くさいので訂正はしない。

柔道の試合を見て、「柔道は先に倒れたほうが負けよね。何であの人、倒れたのにまだやってるの? 審判はどこ見てるのよ!」と怒る。
ルールを教えても理解できないだろうから(何度も同じことを聞かれそうなので)、「ああ、そうだね、変だね」と答えておいた。


彼女は、食器やコップをよく落とす。
頻繁に割る。

そのとき、「あたし、どうかしちゃったのかな。脳の血管が切れちゃったのかな」と必ず言う。

いえいえ、ただ、洗剤をよく洗い流さずに持つから、滑って落としただけですよ、と私は心の中でつぶやく。

昨日も1枚割った。
「あたし、どうかしちゃったのかな。脳の〜」


たとえば、彼女のパート先の花屋では、タオルをよく使う。
しかし、洗濯しても、黄ばみが取れないらしい。
「どうして、黄ばみが取れないのかしら」

それは、洗濯するとき、漂白剤を使ってないからじゃないかな。

「ああ、そうか。確かに使ってないわね」

普通なら、では、これから漂白剤を使いましょう、で話はお終いである。

しかし、彼女は、また言うのだ。
「なんで、黄ばみが取れないのかなあ」

だから、漂白剤を。

「ああ、そうか、漂白剤ね」

しかし、しばらくするとまた「うちのタオルは綺麗なのに、何で店のは・・・」と言い出すのである。

つまり、私の意見は、まったく耳に入らないらしいのだ。

エンドレスだ。


野菜に含まれたセシウム(放射性物質)は、カリウムを摂ると体内に取り込まれにくくなる、あるいは、新鮮なうちは水で洗い流すのも効果的だ、というのを私は彼女に5回以上言っていた。

しかし、テレビの放射能特集で、専門家が「カリウムの摂取は放射能防止に効果があります。取り立ての野菜については丹念に洗い流せば、それなりに除去できます」というのを聞いて、まるで初めて聞いたかのように「ああ、カリウムがいいんだぁ。知らなかったぁ! 洗い流せばいいのかぁ。知らなかったぁ!」。

要するに、私の言うことは、何一つ聞いていない。


ほんの少し前まで彼女は、織田裕二と水嶋ヒロが画面に出てきたら、キャーキャー言ったものだが、K-POPに興味を持ち始めてからは、まったく見向きもしなくなった。
J-POPも聴かなくなった(たまに聴くと辛口の批評ばかりする)。
その徹底ぶりは、すごいと思う。


彼女と高校一年の娘の会話は98パーセントが、反韓ネット住民が忌み嫌うK-POPか韓流タレントの話だ。
娘が帰ってくると、学校の話は一切聞かずに、K-POPの話を振る。

「SHINeeがね、Superjuniorがね・・・・」

晩メシの時も、寝る前もK-POPの話。
その徹底ぶりもすごいと思う。


我が家のハードディスクレコーダは、K-POPと韓流ドラマに占領されている。
たまに私が観たい映画を録画すると、彼女は「もうディスクの空きが50パーセントを切ったの」と言う。

おそらく、私が録画した映画を消せ、と言いたいようだ(50パーセント残っていれば、余裕だと思うが)。

ハードディスクを追加すればいいと思うよ、いま、USBハードディスクは安くなったからね、と言っても「もったいないから。だって、いらないものを消せばいいんだから」と言って、暗に私の録画したものを消すようにプレッシャーをかける。

面倒くさいので、泣く泣く夏目雅子様と松田優作先生の映画十数点とアニメ映画の「サマーウォーズ」、「時をかける少女」、「カールじいさんの空飛ぶ家」、昨年の宇多田ヒカルさんの横浜アリーナライブ映像などを消した。

私の心は、灰になった。


少し前のことだが、家族でバラエティ番組を見ていたら、「新大久保特集」というのがあった。
彼女は、この半年間で、新大久保の常連になった。
だから、新大久保の風景をかなり熟知している(反韓ネット住民を敵に回したか)。

その番組で自分の入ったことがある店が画面に映ると、「ああ、ここ行ったぁ〜! ここはナニナニが美味しいのよ」と熱く語るのだ。
番組の進行などお構いなしに、自分の感想を力説する。
そして、力説している間に、10分足らずの「新大久保特集」は終わった。

力説のあと、彼女は言う。
「ねえ、新大久保特集って、いつやるの? まだ?」

(いやいや、今みんなで見たじゃないですか。あなたがしゃべっている間に終わってしまいましたよ)

「いつやるのかしら? もう! 焦らさないでほしいわ」


家族全員、呆。



彼女は、自分が財布を落としても笑って済ませるが、家族の誰かが財布を落としたら、怒涛のごとく「どうすんのよ!」と責め立てる。
息子が、それは不公平だ、と抗議すると「人間、そんなもんよ」と開き直る。


彼女はよく、「お金は、大事に使わなくちゃね」と私に向って言う。
それは、正しいご意見である。

しかし、そう言いながらも、彼女は、お気に入りのK-POPアーティストのCDを買い、DVDを買い、グッズその他諸々のものを平気で買い集める。コンサートにも行く。

それに対して、私はお小遣いゼロ円の男。
要するに、お金を大事に使わなければいけないのは私だけで、自分は「お金を大事に使う」対象から、完全に除外しているのである。


夏休み。
家族のみんなが家にいて、自分だけがパートに出かけるとき、「あーあ、私ひとり仕事かぁ」と必ず言う。

私は、一年間ほとんど休みなく働いているのだが、家で作業していることもあって、彼女は、それを仕事だとカウントしてくれないみたいだ。

そして、彼女は、よく娘に「誰のお金で、少女時代のコンサートに行けると思ってるの」と恩着せがましく言うのだが、それは、自信はないのだが、おそらく私のお金だと思う。


彼女は、自分が思っていることを全部言わないと、人を解放してくれない。
私がCSで放映していた東京事変のPVを真剣に見ているときも、お構いなしに、きょうの出来事を話し続けるのだ。
人が何に集中していようが、自分の話をすべて語り終わるまで、他のことは目に入らないらしい。

そして、全て話し終えたあとで、「なに見てたの? あら、もう終わっちゃったの?」と言うのである。
(彼女はよく、世の中のB型はみんなそうよ、と言うが本当でしょうか)


彼女は、自分の話は、とことん語るが、人の話は聞いていない。

先日も、私は、こんなことを言ったのであるが・・・。

昨日、小金井公園に行ったら、サックスを吹いている人がいてね。それが、とても上手だったんだ。楽器ができるってのはいいよね。ギター以外にも何かやってみようかな。

それに対して彼女は「公園でギターを弾くなんて、みっともないマネは、やめてね」。

私の話の中で、彼女は「公園」と「ギター」という言葉しか認識できなかったようである。


たとえば、私がこんなことを言ったとする。

今日は、ドラッグストアのチラシの打ち合わせで浦和に行くよ。まあ、夕方くらいには帰れるかな。

彼女の答えは、「じゃあ、シャンプーを買ってきてくれる?」。

私は、ドラッグストアの本社に打ち合わせに行くのであって、ドラッグストアに行くわけではない。
しかし、彼女の頭には、「ドラッグストア」しか、インプットされないらしいのだ。

だから、最近は間違いがないように明確な発音で「ウ・ラ・ワ・デ・ウ・チ・ア・ワ・セ」とだけ告げるようにしている。

間違えることなどない簡潔な内容だとは思うが、ときに「え? 幸せ?」と聞き返されることがある。


ん? うん、まあ、まあ・・・・・・幸せかな・・・・・・・。




そんな面白い人と、私は暮らしている。



もうすぐ、25年になる。



2011/09/18 AM 06:41:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

クリアアサヒをきらして
イチローの調子が悪いようだ。

イチロー嫌いの人は、喜んでいるようだが、それは人の卑しさがなせるわざだろう。

人の成功を妬む人は、人の停滞を喜ぶ。
人が没落したなら、人に唾さえかける。

人とは、そんなもの、と思っても、やはり虚しく感じる。

おのれを顧みると、自分もそうだから、尚さら虚しく思える。

俺なんか、卑しさが洋服を着ているもんだ、と自虐的になっても、その自虐がまた虚しい。


なんて自虐ブルースに浸るのは、クリアアサヒを切らしたからだ。
昨日の夜、仕事が終わったあとに、500缶を3本も飲んでしまった。

2本で止めておけておけばよかった。

ああ、悔やんでも悔やみきれない。

朝、コンビニまで自転車で走るという手もあるが、コンビニのクリアアサヒは、たいていは定価である。

私には、定価で物を買うという習慣がない。

値引きされたものこそが、正しい価格だ。

定価の5割引というのは、私の心を一番揺さぶる数字だ。

50パーセント・オフ。

何て美しい響き!

クリアアサヒが、50%オフで売られることはありえないが、定価で買うのは嫌だ。

だから、我慢している。
すると、自虐的になる。

ああ! 俺はなんて、卑しい人間なんだ、と後ろ向きになる。


すると、どうでもいいことに、イチャモンを付けたくなる。


野球マスコミの言う、日米通算て何だ、という話。

イチローのヒット。
松井のホームラン。
他に、野茂の通算勝利。

たとえば、去年までイチローはメジャー・リーグで2244本のヒットを打っている。
日本では1278本。

どちらも素晴らしい数字だ。

しかし、それを合算することは、必要なのか。
意味があるのか。

私はイチローは、、メジャーで2千本安打ヒッター。
日本では、1千本安打ヒッターで、いいと思うのだ。


同じように、松井秀喜。
昨年まで、日本で打ったホームランは、332本。
メジャーで161本。

日本で3百本打者。
メジャーで、150本打者。

これも、素晴らしい。

それが、公平な見方というものではないだろうか。


野茂選手の偉大な記録も、そう。

彼の獲得したメジャーでの123勝という記録は、誇りに思っていい数字だ。
それに、メジャーでの1976イニング投げて、1918個の奪三振という数字は、リスペクトに値する数字だ。
日本での1204を足さなくても、その凄さは、十分伝わるはずだ。

彼は、メジャーでは、2回も奪三振王に輝き、2回もノーヒット・ノーランを記録しているのである。

なぜ、日本の記録を合算する必要がある?


たとえば、日本に来た外国の選手が日本で活躍した場合、メジャーでの記録を合算して報道しているだろうか。

カブレラ、ローズ、ラミレスにしても、日本ではプロ野球だけの記録を問われている。
メジャーでの実績は、加味されていないのではないか。

近年では、韓国の選手が、日本のプロ野球に来てプレイしている。
私は、彼らが韓国で積み重ねたヒットやホームランが、日本の成績に加算されて報道されたのを見たことがない。

それなのに、日本の選手は、プロ野球とメジャーの記録が、当然のように合算される。

それは、私には、とても理屈の合わない話に思える。


極端な例だということは、承知で書く。

たとえば、メジャーで10本のヒットを打った外人選手、あるいは韓国選手が、日本で頑張って、1990本のヒットを積み重ねて引退したとする。

メジャーでは、間違いなく彼のことを2千本安打選手とは、認めないだろう。
これは、合理的な解釈だと思う。

韓国は、微妙なところだ。
日本での記録を重んじるか、軽んじるかは、その時々の国民感情で変わるのではないかと思う。

では、日本では、どうだろうか。
おそらく日本プロ野球機構、あるいはその存在意義が全く不明の名球会は、彼を2千本安打選手とは、決して認めないのではないだろうか。

日米通算、日韓通算で2千本に達していたとしても、どちらの組織の代表者も国内の記録だけにこだわるだろう、と私は推測している。


日本の選手だけに都合よく日米通算が適用されるのは、フェアではない。

日本で偉大な記録を残したタフィ・ローズは、メジャーでは13本のホームランを打った打者で、日本では、463本のホームランを打った打者だ、

彼を語るとき、日米通算476本のホームランなど、意味はない。

ローズは、日本で、450本以上のホームラン記録を残したことが、偉大なのだ。

それで、充分だと、私は思う。

だから、イチローがメジャーで積み重ねた2244本。
松井秀喜が積み重ねた161本のホームランを、もっとリスペクトすべきではないか、と私は思うのだ。

イチローが日米通算で3千本のヒットを打ちました。
マツイが、日米通算で500本のホームランを打ちました。

それは、彼らをの実績を、本当は貶めていることにならないだろうか。

メジャーで精一杯おのれのパフォーマンスを高めることに努め、自己の存在をその世界に植え付けようとしている一流のアスリートに、日本の記録を持ち出すのは、むしろ彼らの肩身を狭くするだけではないのか。

彼らは、メジャーリーガーであって、日本プロ野球選手ではない。

メジャーリーガーは、メジャーリーガーとして遇するのが、彼らへの最高の敬意の表し方だと私は思っている。

イチローは、初年度、メジャーで新人王を獲得しているのである。
それは、日本での実績が、まったく意味がないことを示している。

そのことは、とても理にかなった考え方であると、私には思える。



ですから、偉大な日本のメジャーリーガーに、これ以上肩身の狭い思いは、させないで欲しい、と私は思っているのです。






ところで、前回のブログで、他者のことを理解しましょう、という趣旨のことを書いた。

その中で、「ナイフで皮膚を切れば、血が出る」ということを書いた。

そのことに関して、ある方からメールを頂いた。

それは、「ナイフで皮膚を切っても血が出ない人がいる。それは誰もが知っている常識だ。ちゃんと調べてから書きなさいよ」というお叱りのメールだった。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。



いい加減なことを書いて、申し訳ありません。

この場を借りて、「ご忠告ありがとうございます」とお返事させていただきます。




2011/09/14 AM 06:37:44 | Comment(1) | TrackBack(0) | [日記]

見習いたい人たち
よその人から決して共感されないことを書きます。

(居酒屋などで、同業者とこの種の話をすると何人かは真顔で「Mさん、それは俺たち相手に言うのはいいけど、他の人には言わないほうがいいよ。言いがかりとしか理解されないから、変人と思われるよ」とよく言われる。変人、というのは褒め言葉だと思っているので、私は気にしていないが)


マスメディアは、なぜすぐに辞めさせたがるのか、ということを以前主張したことがある。

そして、要職にある方々は、なぜ簡単に辞めたがるのか、ということも書いた。

マスメディアは、人を辞めさせるのが仕事ではないだろう。
責任ある方々は、辞めることが責任を取ることではないはずだ。


言葉というものには文脈があって、ひとつの言葉を捉えただけでは伝わらないものだ。

歌のワンフレーズだけで、その歌がわかった気になるのは、その人の錯覚と思い込みである。
劇や映画のワンシーンだけで、その物語の細かいニュアンスは、絶対にわからない。
小説のたった一行で、物語の全てがわかるわけがない。

同じように、日常会話にも流れがあって、たった一言を取り上げただけでは、会話の情景は正しいものとして伝わらない。
前後の会話と状況があってこそ、会話の本質が見えてくるものだ。

今回、非常識な発言があったというのなら、その「放射能つけるよ」と言われた記者の所属と名前、前後の会話のすべてを公開すべきだ。
そうでなければ、完全な分析は出来ない。

ひとつの言葉だけを取り上げ、片方の素性だけを公に晒し、片方は影に隠れて弾劾するのは、「魔女狩り」と同じだ。
それは、フェアと言えない。


これは、マスメディアの一方的な弾劾裁判だ。

マスメディアは、そんな権限は、持っていない。


自民党政権時代もそうだったが、要職者の失言があったとき、その失言の前後の文脈を公に提示せず、己れの素性を隠して弾劾だけするマスメディアの横暴さが、不安定な政局を作りだしている元凶だった。(それを簡単に信じる有権者も同罪か)

マスメディアは、素性を晒し、情報をすべて開示してから、他者を追及すべきだ。


私は、そう思ってます。




ということとは、若干違う話を。
ただ、よそから共感を受けないという点では、同系列と言っていい話題です。


私には、常々、見習いたいと思っている人が、お三方いる。
彼らは、いつも自分で自分のことを強弁する機会を与えられている幸運な方々だ。
そして、マスメディアによって問答無用に切り捨てられることがないポジションに、絶えず身を置いておられる方々でもある。


ひとりは、東京都の知事を長いこと務めておられるお方だ。

もうご老人と言っていい歳だが、その方は決して丸くなることなく、いつもその場の思いつきの言葉を公の場で投げつける。

「震災は、日本人への天罰だ」

(この話の前後の文脈は、こうなる。
アメリカのアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等。日本はそんなものはない。我欲だよ。物欲、金銭欲。我欲に縛られて政治もポピュリズムでやっている。それを一気に押し流す必要がある。積年たまった日本人の心のあかを。やっぱり天罰だと思う。
そして、最後に、被災者の方々はかわいそうですよ、で話を締める。
いつものことだが、マスメディアのうちの幾つかは、最後の「被災者の方々はかわいそうですよ」という言葉を意図的なのか伝えていない。
この言動の前後の文脈を読むと、震災を天罰と結論づける根拠に乏しいことがわかる。アメリカ、フランスと日本を対比して、日本は物欲、金銭欲、我欲と決めつけているが、それを天罰に結びつける確かな検証はしていない。なぜ、誰でも持っているであろう我欲が、日本にだけ大震災をもたらすことになったのか、確かな理由付けがない。この会見は、天罰が下ったのは我欲が強いからだという、己れを棚に上げた老人の思い込みを言っているに過ぎない。こんな感情論だけの答案では、どんなにいい加減な教授でも、落第点しかくれないだろう)


こんな風に、その言葉が亡くなられた方々を冒涜するということを想像できない人間が、自治体のトップにいるということは、我々にとって、とても幸運なことだ。

なぜなら、我々も都知事様に倣って、好き勝手に他人を冒涜してもいいことになるのだから。

五輪招致や新銀行東京で、どれほどの無駄金を使っても、反省をしない人が上にいるのだから、我々は楽だ。
失敗をしたとしても、反省しなくていい。
迷惑をかけたとしても、開き直ればいい。

運悪く批判をされたら、仏頂面の上から目線で、人の発言を妨げればいい。

上に立つ御方が、具体論や代替論を持っていないのに、他者や他国を批判すると「よくぞ言った」「頼もしい」と言われるのだから、我々も好き勝手なことを言って、他者を無責任に攻撃できる。

それに、福島原発事故で世界中から空気汚染を心配されている国が、五輪に立候補したとしても、いつできるかわからない「復興」よりも、頭に植え付けられた「放射能の恐怖」の方に、五輪選考委の興味がいくことは、わかりきっているだろう。
そんな簡単な理屈が、なぜわからないのだろうか。

ひとりの老人の無分別な「我欲」が、いとも簡単に通る時代に生きている我々。

そんな我々は、幸運な時代に生まれた、と言い切っていいと思う。



お笑い芸人(お笑いは休業中?)でありながら、映画の名監督であられる著名人。

彼も具体論や代替論を持っていないのに、閣僚に対して「防災服を着ている暇があったら、被災地に行けよ」と平気で極論を吐ける人だ。

その発言は、もちろん閣僚の意気込みを語ったものだということは理解できる。
それくらいの意気込みを持って事態に対処せよ、ということだろう。

しかし、そんなことは、誰もが思っていることだと思う。
みんなが思っていることを言っただけで、「よくぞ言った」「頼もしい」と言われる楽なポジションに自分がいることを自覚しているから、彼はそんな短絡的な発言ができる。

楽なポジションに自己を置いて発言する、という図式は、我々ネット住民と似ている。

回線の奥から、好き勝手なことを言って、自分の言動に責任を持たない。
批判されたら、ブログを閉鎖するか、アカウントを削除すれば、何事もなかったように、普通の日常に戻れる。

それは、実はマスメディアを通して著名人たちがしていることを、我々が真似をしているだけなのだ。
一度、公の場から姿を消せば、時間がすべて解決してくれる。

著名人は、子分を引き連れて出版社に殴り込みに行って謹慎したが、少し静かにしていただけで復帰した(一人で殴り込みに行くのではなく、子分を引き連れたというところに、彼の本質が見える)。

名監督であられる著名人は、下々がするブログやツイッターなどはなさっていないだろうが、大御所という地位にいる方々には甘いこの国のマスメディアや国民の体質は、十分理解されているだろう。

だから、言いっ放しの発言でも、温かく受け入れてもらって、不満を溜め込んだ中学二年生のような発言をしても、失笑を買うことはない。
そして、自分が罪を犯したことは忘れ、他人が罪を犯したら「辞めちまえよ」と平気で言える体質も持っている。

見習いたいものだ。



目立った実績もないのに、仏頂面と闇の金で政界を仕切る政治家も見習いたい人だ。

この国が、かつてないほどの大災害に遭ったあと、その政治家は、まったく気配を消して、総理大臣の没落を待つことに専念していた。
(それとは対照的に、官僚たちは偉い。
彼らは復興に力を尽くしながら、堂々と内閣支持率が下がるネガティブ情報をマスメディアにまき散らし、内閣の足を引っ張る作業にも力を入れるという「有能さ」を発揮した。
その露骨な攻撃は、闇の政治家の「気配消し」よりも、遥かに政権にとって与えるダメージが大きかった。
それは、日本の官僚が優秀だということを再認識させられた力業(ちからわざ)だった。
ドジョウさんは、決して官僚さんたちに逆らわないようにしたほうがいい。彼らは、全知全能を持っている「怪物」なのだから)


しかし、被災地の方たちの辛苦を遣り過して、ただひたすら己れの気配を消し、待望論が出る環境を作ることに専念した闇の政治家は、代表選で党員資格がないにもかかわらず、立候補者から崇め奉られ、まるで神のような存在として君臨したが、彼の政治家としての歴史に、また「負け」を増やしただけで終わった。
(私は常々、この政治家のことを「負けっぱなしの政治家」と呼んでいる)

さらに、今回も、何の実績も権限もない人が、一国の指導者を決める選挙で「指導力」を発揮する図式が異常だということを指摘する人が、あまりにも少ないことに、私は驚くのである。

金と恫喝で、たった一人の人間にひれ伏すのは、ヤクザさんの世界だけだと思っていたが、実は、政界こそ、もっとも金と力に弱い特殊な世界だということを証明した出来事だった。

金を一心不乱にかき集め、気に食わない人間には睨みをきかせれば、思い通りになる世界。

これを見習いたいと思うが、一般人には絶対に無理だ。

見習いたいが、見習いたくない。


被災地の人たちを平気で置き去りにできる人を見習ったら、人間では、なくなる気がする。





番外として_______

「ネットに真実を暴き出す力はない」とブログで問題提起した人が、コメント欄で「では、なんで、あなたはそのネットにそんな記事を書いたのだ。矛盾している」と数多くのイチャモンを付けられたという記事があった。

馬鹿じゃないか。と思った。
文章の理解力がないにも程がある。

ネットに真実がないと思ったからこそ、ブログに書いたのではないか。

そうしないと、ネット住民に問題提起ができないだろう。

ほかの媒体に書いたら、ネットに骨の髄まで浸りきった2チャネラー軍団の目に、止まらないではないか。
問題提起をすることが重要なのに、人の目に止まらなかったら、それは、ただの作文で終わってしまう。

こんなこと、少し考えれば分かることなのに、まるで鬼の首を取ったごとく、筋違いの批判をするというのは、最初から人の意見を拒否している証拠だ。

それは、自分にとって、耳に優しい言葉しか受け入れてこず、ただ批判のための批判を繰り返す人の典型的な思考方法と言っていい。

はじめに批判ありきの思考方法は、排他的になり、最後は偏った民族主義、全体主義的思考に陥る(某隣国のように)。



私は、常々思っている。

自分だけが、特別な人間ではない。
日本だけが、特別な国ではない。
他の人だって、特別な人ではない。
他の国も、特別な国ではない。


ナイフで皮膚を切れば、血が出る。

民族を断ち切ろうとしたら、民族は団結する。

こちらが銃を持ったら、相手も銃を持つ。


だから、切らない、断ち切らない、銃を持たない。


それは、簡単なことではないが、他者を理解すれば、必ずできるはずだ。






(真面目なことを書いたので、鳥肌が立っている)



2011/09/12 AM 06:42:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

無敵のボールペン
渋谷、明治通り沿い、宮下公園を望む位置にあるイタリアン・レストラン。

9月6日、午後7時5分前。

一着しかない薄緑色の夏物スーツを着て、レストランのドアを押した。

入ると、店全体が見渡せた。
百席程度の店だろうか。
個室のないレストラン。

受付の女性に名前を言うと、リザーブ席に案内された。

窓際の席に、長谷川と七恵が、すでに来て座っていた。

軽く右手を挙げると、二人とも小さく手を挙げて、七恵だけが立ち上がった。

長身だ。
170センチ以上あるだろう。

長谷川邦子が、171センチ。
おそらく、同じくらいだろう。

フリルの付いた肌色のブラウス。
濃紺のショートジャケット。
そして、同じ色のパンツルック。

肩のシルエットが綺麗なところが、邦子に似ていた。

前回と違うのは、髪を切ったところだ。
襟足が見えるくらいの短い髪。
女優の榮倉奈々に、似ていた。

邦子のショートカットは、見たことがない。
ずっと長いままだった。

邦子が髪を切ったら、こうなるのか、と思った。

それを考えることに、意味があるとは思えないが。


「ワインにするか」と長谷川に聞かれた。

いや、ビールだ。
ビールを浴びるほど飲ませてくれ。

私が、そう言うと、七恵が「いつも浴びるほど飲むんですか」と目を丸くした。

長谷川が言う。
「マツが酔った場面を俺はほとんど見たことがない。一度だけ、ハチ公にまたがって、まわりに水を撒き散らしたことがあったが、酔っていたかは、わからない。どんなときでも、酔いつぶれたやつを介抱するのは、マツの役目だった。ハチ公事件のときも俺は、マツに家まで送ってもらったから、こいつは酔っていなかったかもしれない」

遠い昔の話だ。

「叔父さん、いつも酔っていたんですか。Mさんに、いつも介抱されていたんですか。情けな〜い!」
人を茶化すときの目の使い方が、邦子に似ていた。

この子とキャンパスのベンチに並んで座ったら、俺はきっとタイムスリップした気分になるだろうな、と思った。

ただ、俺だけが老けてしまったのが、残酷な現実ではあるが。


「コース料理を」と長谷川が言ったが、七恵と私が「単品で好きなものを」と主張したので、長谷川は笑ってそれを承諾した。

その店は、有機野菜をメインにしたオーガニック・イタリアンレストランらしい。
普段の私なら、鼻持ちならない、と言っただろうが、七恵を前にすると、毒を吐くことができない。

情けないオヤジに成り下がったものだ。

注文したのは、私。
人が注文に迷う姿を見たくなかったから。
「バーニャカウダ」「白身魚のカルパッチョ」「チーズの盛り合わせ」「茄子のミートグラタン」「渡り蟹のトマトクリーム」「グリーン野菜のペペロンチーニ」。

気取った味だったが、素材のいいところをうまく引き出して、必要以上に濃厚な味にしないところが、よかった。
プロの味を、久しぶりに味わった気がする。

満足気な私の顔を見て、長谷川が「マツは、デザインよりも料理が専門なんだぜ」と七恵に耳打ちした。

それを受けて、七恵が「ああ、器用だというのは、母から聞いたような気が」と目に力を込めた。

本当は、死にたくなるくらい不器用なのだが、ここで否定しても白けるだけなので、軽く頷いておいた。

「茄子のミートグラタン、ヤバい!」と七恵が言うのを聞いて、今どきの子なんだな、と思った。
爪を見ると、マニキュアはしていなかった。

しかし、ペディキュアは、と聞いてみたら、いたずらっぽい目をして、強く頷いた。

ピアスは、と聞いたら、「彼氏がいいって言ったら、するつもりです」と答えた。

その彼氏は、背が高いのかい、と聞いてみた。

すると、「想像の世界では180センチ以上です」と、手を頭の上に翳して、笑った。

ああ、いないのか。

「言い寄ってくる男は、十人以上いますよ」と胸を張った。

デジャブ。
既知感。

過去に戻りそうになる心を、無理やり引き戻して、ビールグラスを呷った。

お代わり!

「4杯目ですよ。ペースが早すぎませんか。あまり食べていないようですけど」

チーズをふた切れ食えば、俺はエネルギー満タンになる。
ペペロンチーノを少し食えば、もう天下無敵だ。
誰も、俺には敵わない。

ハハ、と七恵に笑われた。

「無敵と言えば」と長谷川が、穏やかな顔で言う。

二代目社長。
誰もが彼を「坊っちゃん」と思っている。

確かに、坊っちゃんの部分は持っているが、長谷川はそれ以上に、人に対する気遣いを濃厚なほど持っている男だ。
彼の純粋さ、ひたむきさを、俺はどれほど眩しいと感じたことか。

そして、それを、どれだけ好ましく思ったことか。
彼がいるだけで、俺の大学生活は、意義深いものになったように思えた。

つまり、友だった。

その友が、話を続ける。

長谷川が、道路を隔てて見える宮下公園に顔を向けて、「大学3年の時だったか。夕方、俺とマツと野中が公園を歩いていたら、いかにも不良高校生と言えるような5人グループが歩いてきて、俺たちに因縁をつけたよな」と、遠くを見るような目をして言った。

確かに、そんなことが、あった。
5人のうちの一人は、特に危険な目をしたやつだった。

その危険な目をした男が、お決まりのように肩を揺らして「遊ぶ金がなくてよぉ」と凄んできたのだ。

暴力というものに全く縁のない3人はその凄みある態度と声に、誰もが息を飲んで、固まった。
相手は、明らかに年下であるが、喧嘩の場数という点では、間違いなく我々の経験を上回っていたと思う。
人数も、相手の方が2人多い。

長谷川が、震えているのが、わかった。
そして、野中の息遣いが1メートル離れていた私の鼓膜を震わした。
その音を聞いて、余計怖くなった。

しかし、金を巻き上げられるのは嫌だ。
ボコボコにされるのは、もっと嫌だった。

ただ、私には、なぜか窮地に陥ると冷静になる、という特技が昔からあった。

体が震えそうになるほど怖かったが、頭の芯のところでは冷静だった。
だから、窮地の出口を探すため脳をフル回転させた。

そんなとき、私の目が、危険な目をした男の緑のシャツを捉えた。
それは、胸より少し上の部分に「NAGAOKA」と白抜きでプリントされたTシャツだった。

咄嗟に、私は言っていた。

長岡(新潟県)の出身かい?

危険な目の男が、鋭く私を射抜いたが、その目の奥は、どこか困惑しているように見えた。
(何を言おうとしてるんだ、こいつは)

私は、畳み掛けた。

長岡の柿町(カギマチ)って、知ってるだろうか?

返事はない。
しかし、相手の目の光が、少し和らいだように感じた。

俺の友だちが、そこの出身なんだよ。
俺も、何度か行った。
長岡市営スキー場には、去年の冬行った。
今年は、悠久山で花見をした。
ショウガ味の強い長岡ラーメンは、結構うまいよな。あれは、好きだ。

速射砲のように、言葉を並べ立てた。
最初震えていた声も、話しているうちに、震えなくなった。

そして、「ちぇっ!」という舌打ちが聞こえた。
「俺も柿町の出だ。中学を卒業して、すぐこっちに働きに来た」
危険な目をした男の目が笑っていた。
左手で、頭を掻いていた。

「俺たちみんな、新潟だ。故郷の話をされたら、カツアゲなんてできねえよな。ラーメン、思い出しちまったよ」

そして、「悪かったな」と言って、我々を無罪放免してくれた。


長谷川が七恵の方に顔を移し、胸をなでおろす仕草をして言った。

「あれは、怖かった。ケツのポケットの財布にずっと手をかけて、渡そうか渡すまいか、震えながら考えていたよ。しかし、こいつは、いとも簡単に逆転満塁ホームランを打っちまったんだ」
「そしてな」と話を続けた。

「マツは、奴らの姿が見えなくなってから、長岡のラーメンなんか、食ったことねえよって、言うんだよ。笑えるだろ。こいつは、そんなやつさ。無敵だよ」


七恵が、手で隠すことをせず、口を大きく開けて笑っていた。
八重歯の位置が、邦子と逆だった。

渋谷、明治通り、長谷川、そして七恵の八重歯。
時が、戻ったような気がした


ただ、邦子だけが、いなかった。


心を刺す棘を、ビールで無理やり流し込んだ。

そんな私を柔らかな笑顔で見る七恵。
柔らかな笑顔のまま、バッグから、メープルのボールペンを取り出した。

そして、テーブルに置いた。

「これは、無敵のボールペンです」

無敵のボールペン?

長谷川と私が、同時に言った。

「母が、よく言っていたんですよ。何か困ったことや悩みごとがあると、私はボールペンを握るの。そうしたら、無敵になるんだって」

つまり、これが・・・・・無敵のボールペン。

「ただ、私が見せてって言っても、絶対に見せてくれませんでしたけどね。パワーがなくなるからって言って」

そして、遠い目をして、一度天井を仰いだ。

白い首筋に、見とれた。

目を戻して、七恵がボールペンを手に取った。
「この無敵のボールペン。Mさんにあげます」

いや、しかし、これは大事なものじゃ・・・・・。

「もう一本、ありますから。これは、無敵のひとが持つべきだと思いますよ。私は一本で十分です。だって、二本あったからって、無敵が二倍になるわけではないでしょ」
(しかし、本当に無敵だったら、持つ必要はないだろう。私が無敵じゃないから、くれるということか)

七恵が右腕で力こぶを作る仕草が、何かを思い出させたが、またビールで流し込んだ。


だが、俺は無敵ではない。
無敵とは、一番遠いところにいる人間だ。
貰う資格は、ないと思う。


背筋を伸ばして、身を乗り出す七恵。
ボールペンを握って、私を刺す仕草をした。

また、何かを思い出した。
しかし、突き刺されてもいいと思ったら、痛みが消えた。

七恵の目が、間近に迫ってきたような気がした。

「じゃあ、無敵になってください。
Mさんは、無敵にならないとダメです。
私が、許しません」

長谷川が、ボールペンを持った七恵の手をつかんだ。
「おまえ、そんなこと・・・・・・」

いや、と言って、私は長谷川を制した。

自分でも不思議だったが、頬が、なぜか緩んだ。
顔が笑みを作っていた。
そして、言った。


もらおうか。
無敵になるために。


もらった。

右の手が、私がむかし持っていたボールペンよりも遥かに密度の濃い重さを感じていた。
笑みを作ったまま、言った。


七恵ちゃんも、無敵になってくれ。
それを喜ぶ人が、君には、間違いなくいる。


七恵が、うなずきながら、手を叩いた。

「Mさん、それ、絶対に言うと思った。クサいよぉ〜、思ったとおりだぁ、アハハ・・・」

手を叩きながら、笑っていた。

そして、手を差し出してきた。

握手。

「私は、きっと一生仙台です。仙台は、母の街です。母の街を忘れないでください」

つまり、邦子を忘れるな、ということか。


右手で握手。
左手で、七恵の二の腕を叩いた。

七恵の笑顔。

何かが、同期したような気がした。



俺は、この感触を忘れないだろうな、と思った。




2011/09/08 AM 06:08:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

我が家だけ、私だけの習慣
おそらく、我が家だけかもしれない、テレビを見る時の習慣。


バラエティ番組などを見ていると、「この結末はCMのあと」とか、「続きはCMのあとに」などというテロップが流れたり、MCのアナウンスがあることが多い。

皆様方は、どうなのだろうか。

結末まで、見ますか?


我が家は、見ない。


ヨメはいま、韓流にしか興味がないので、韓流タレントの出ていない日本のバラエティ番組は、横目の端で見るだけだ(ごく狭い一部の方々を敵に回した?)。
だから、結末には興味がない。

私はと言えば、大した結末でもないのに、もったいぶって姑息な手段で結末を引っ張る手法が好きではないので、「CMのあとで」と言われたら、すぐにテレビのスイッチを切る。

「CMのあとで」と言われなくても、気を持たせるタイミングでCMに入ったら、チャンネルを変えるか切る。

映画を観ていて、クライマックスに近い場面でCMを入れられたら、やはりそこでスイッチを切る。

ボクシングの世界タイトルマッチを観ていて、「決戦は、このあとすぐ」と言われて、CM開けに試合が始まらなかったら、やはりスイッチを切る。

たとえば、CMのないNHKは、そんな姑息な手段は取りたくても取れない。
NHKを見る習慣がないので、NHKのバラエティ番組がどんな手法を用いているかは、わからないが、少なくとも勿体ぶって同じ映像を繰り返すことはないだろう(と思う)。
スポーツ中継も、下衆な気の持たせ方はしない(と思う)。

CMをどう使うかは、民放の自由だが、私はその使い方が好きではないので、スイッチを切ることで、抵抗している。


だから、世界陸上を観ていて、「さあ、まもなくボルトが登場」と言われて出なかったら、スイッチを切る。
世界水泳で、「北島康介の登場です!」と言われて出てこなかったら、やはりスイッチを切る。
(その大会で、他に好きなアスリートが出ていたとしても、下衆な手法によって純粋なファン心理を弄ばれた気になるので、見ない。スポーツは、アナウンサーが独りよがりに興奮せず、かつ観る側のナショナリズムを煽らずに、淡々と中継する手法が、私は好きだ)


テレビは、見たくなければ、見なければいい。
選ぶ権利は、視聴者にある。
それが、基本だ。

それ以上のものでも、それ以下のものでもない。


短気、と思われるかもしれないが、実生活の私は「仏のマツ」と呼ばれるほど、穏やかな人間である。
気も長い。

バスや電車が遅れても平気だ。
いくらでも待っていられる。
(私が怒っても、バスや電車が早く来るわけではないのだから。電車が遅れると係員に食ってかかる人がいるが、その人の心境が私には理解できない。怒れば、どうにかなると思っているのだろうか。たとえば、それが来ないことへの八当りだとしたら、なおさら理解できない)

役所や銀行の窓口で待たされるのも平気だ。
遅くなるのは、それなりに何か事情があるのだろうから、イライラしてもしょうがない。

人のつまらない長話も、私は必ず最後まで聞く。
途中で、意見や感想を述べたりして、話の腰を折ることは、決してしない。
話を全部聞かないと、当然のことながら、話が理解できない。
それに、話を終わりまで聞くことによって、その人の人間性がある程度理解できると思っているから、私は、そのチャンスを逃したくないのだ。


ただ、メシを食うときだけは別だ。
行列をしてまで食いたくはない。
他に食うものは、いくらでもあるのだから、私は絶対に行列に並ぶことはしない。
メシを食うために待つ、という心理が私には理解できない。


ようするに、このブログでも何回か書いているが、私は面倒くさいのが嫌いなだけなのである。


特に、面倒くさい駆け引きが、嫌いだ。

だから、仕事の見積もりを出すときも、「もっと下げてよ」と言われないために、最初に最低限の単価を提示する。
それでも「まけろ」と言われたら、交渉決裂だ。
それは傲慢だ、と言われたことがあるが、無駄な時間を使いたくないだけなのである。

たとえば、食事をしたあとの支払いで「ここは私が」「いやいや、私が」という儀式が大嫌いである。
だから、「俺が払う」と言われたら、ごちそうさまです、とあっさり頭を下げる。
相手に「え?」という顔をされることが稀にあるが、もう一度頭を下げて、儀式を終わらせる。

知り合いとメシを食いに行って、「なに食おうかな」「今の旬はなんだ」「ここは何がオススメだ」「おまえ、なに食う?」などと1分以上の議論が続いたら、私は他の席に移って、一人で食うことがある。
昼だったら、面倒くせえ、みんなAランチだ、と言うこともある。
夜、居酒屋で注文に時間を食いそうになったら、誰もが好みそうなものを勝手に注文する。

メシを食うことに悩んで、一体なんの意味があるんだ、と思う。

何を食ったって、うまいと思って食えば、うまいものだ。

時間の無駄だろう、と思う。
(早く注文したほうが、店側の効率もいいはずである)


私の高校一年の娘は、この私の方式に、すぐに慣れた。

ヨメと息子は、なかなか慣れなかったが、ここ2年くらいで、やっと私の方式を受け入れるようになった。


ファミレスに家族でメシを食いに行くと、席に案内されたら、メニューを見ずにすぐ注文をする。
従業員は最初驚くが、それは手間が省けることだろうから、店から感謝状をもらってもいい、と私は勝手に思っている。



先日、中央線に乗っていたとき、新宿からずっと「台風は直撃するのかな」と言っている30歳くらいの男の二人連れがいた。

「直撃したら、やばいよな」
「いや、来ないと思うよ」
「そうか、なんか俺は来そうな気がするんだけどな」
「いや、関西方面に逸れるって、言ってたよ」
「そうか、それならいいんだが」

そして、少しの沈黙の後、「台風、やばいよな、来ないで欲しいな、ホント」。
「来ないって。天気予報を信じようぜ」
「天気予報は当てにならないからな」
「おまえ、その日、何か用があるのか?」
「いや、別にないんだが」

また、少しの沈黙。
そして、「台風かあ、やばいなあ」。
「まあ、来たら、確かに困るけどな」
「ホント、ヤバイよ。ヤバイ、ヤバイ」
「まあ、来ない方が、いいよな」


話がエンドレスになりそうだったので、面倒くさくなった私は、二人に聞こえるように、(ケンドー・コバヤシのような低音で)気を込めた「ひとりごと」を言った。


来るときは来る。
来ないときは、来ない。


中央線が、静かになった。


快適になった。



2011/09/05 AM 06:00:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

ボールペン その後
目の前のテーブルに置かれたボールペン。


長谷川の会社。
東京豊島区の本社・社長室。

私の向かいに長谷川、その隣に、長谷川の妹・邦子の養女の七恵が座っていた。

社長室は広いが、調度品は質素だ。
絵画や社訓の額縁もかかっていない。
長谷川の父・初代社長の写真が、簡単なフォトフレームに入れられて、壁に控えめにかかっているだけだ。

窓が広くとってあって、池袋の街並みが見えるところは、悪くない。
遠くに公園も見える。
コーヒーサーバーから入れてくれたコーヒーが、プラスティックの安いカップに入っているのもいい。

応接セットは、それなりに値の張ったものなのだろうが、殺風景な部屋の中で、特別自己主張しているわけでもない。
私は、心の中で、社長室の装いに及第点をつけた。


「このボールペンだがな」と長谷川が、似合いすぎるほど似合ったダブルのスーツに身を包んで、ボールペンを指さした。
そして、七恵の横顔を見ながら、「この子が、邦子の墓で見つけたんだよ」と言った。

長谷川邦子は、未婚だった。
七恵は、死んだ邦子の養女だ。
6歳のとき、邦子の養女になった。
仙台の大学に通う19歳。

長谷川たちとは遠い親戚にあたるようだが、血の繋がりが薄い割に、若い頃の邦子に、驚くほど全身の面影、表情が似ていた。

長身、童顔、邪気のない笑顔、逸らさない目線。

七恵が、言う。
「母のお墓の前に、陶器が置いてありました。これは、その上に乗っていたんです」

逸らさない目が、私を30年前に呼び戻す。


いつものベンチに座り、大学内のキャンパスの花壇の花をいくつか指さして、花の名を告げる邦子。
そして、私の目を決してそらさずに、「なんで男の人は、花に興味がないのかな」と、首をかしげ、純粋なほど自分の疑問を真っ直ぐに目に込める。

それに対して、私が言う。

興味がないわけじゃないんだ。気づかないだけだよ。
だって、世の中には、もっと素敵な花が、道を歩いているからね。

右の横っ腹に、軽くパンチを食らった。

パンチをもらうために、言った言葉だった。

お決まりの儀式。
それが、楽しかった。


そんな過去の情景。
その情景を引き裂くように、七恵が、私を射抜くのだ。

「これ、Mさんが置いたんですよね」
断定するような、確信をもった言い方だった。

それを否定するのも面白いと思ったが、目の力の強さに負けて、頷いていた。

長谷川が、大きく息を吐くのが、私の視界の端に見えた。

まだ私を射抜いている七恵の目を、私は見返した。

すると、七恵が、急に目から緊張を解いて、笑みを作った。
その変り身の早さは、邦子そのものだった。

私の目の前に、邦子の笑顔があった。

そんな七恵の笑みを見て、邦子は、自分の分身が欲しかったのではないかと思った。
もちろん、それが、私の陳腐な思い込みだということはわかっている。


「うちにも、それと同じボールペンが2本あります。母の遺品を整理していたら、ジュエリーボックスの中で他のアクセサリーと一緒に見つけたんです」

そして、ボールペンを手に取って上にかざし、「でも、これよりもっと綺麗でした。丁寧に和紙に包んでありましたから」と笑った。
八重歯の位置が、邦子と逆だということに気づいた。

七恵が持つ、黒く変色したメープルのボールペン。
俺らしい年の取り方をしていると思ったが、邦子のボールペンは、そうではなかったのか。

「新品同様でした。試してみましたけど、ちゃんと普通に書けます。だから、新しいものだと思っていたのですけど。でも、違うかなとも思ったんです。ボールペンをわざわざ包んで、ジュエリーボックスに入れる意味が、分からなかったですし」

そして、汚れたボールペンをテーブルに置き、バッグから1本のボールペンを出して横に置いた。

2本並んだボールペン。
それは、まったく違うもののように、思えた。
30年前、同じ色をしていたとは思えないくらい、片方は年月の経過を無視していた。

「でも、同じなんですもんね。だって、母のお墓で、これを見たとき、私すぐにわかりましたから」

その話を受け取って、長谷川が、七恵の横顔に目を向けて頷きながら言った。
「そして、俺に電話をしてきたわけだ」

そこで、小さく時が止まった。


その小さな時間は、そのボールペンが経た時間を遡る時間だった。


それは、意味があるとも言えるし、まったく意味がないとも言える時間だった。


そして、小さな時間が経過したあとに、私が綺麗なボールペンを手に取り、七恵が汚れたボールペンを手に取った。

綺麗なボールペンを手にして、私の指先が言いようのない小さな痛みを感じたとき、長谷川が言った。
「俺は、もしこれがマツのものだったら、一緒に邦子の墓に入れようと言ったんだが、七恵が・・・・・・な」

つまり、七恵には、別の考えがある。
だから、私をここに呼んだということだろう。

邦子の顔をした七恵が、言う。
「私が貰いたいんです。
だって、お墓に入れたら、いつか必ず腐ります。でも、私なら、このまま保存できます。
母の思いを保存できるんです。私が持っていれば・・・・・・」

困惑の表情で、私を見る長谷川。

七恵が言うことが、いいか悪いか、私にはわからない。

墓石に置いた時点で、そのボールペンは私のものではないのだから、どちらでもいいように私には思える。
しかし、そんな私の心を感じ取ったのか、七恵が少し身を乗り出して、私を言葉で揺さぶるのだ。


「私が受け継ぐのは、母の残したものすべてです。そんな私が、母の思い出を受け継ぐのは、当然のことだとは思いませんか。
母の墓に手向けられたもの。それは、私が受け継ぐべきものです。
だから、これは母のものであり、私のものです」


また、小さく時が止まった。


長谷川が、動くのを感じた。
自分のデスクの引き出しを開け、「小さなもの」を持ってきて、私のカップに注いだ。

飲んだ。
ウィスキーだった。

そして、自分のカップにもウィスキーを注ぎ、自分のカップを私のカップにあてて、言った。

「七恵は、邦子だ。つまり、七恵が望むことは、邦子が望むことなんだよ」


たかがボールペンなのに、この生真面目さは何だ、と思った。
だが、その生真面目さを、俺は笑うことはできない、とも思った。

目の前に、邦子の顔をした七恵がいるのだ。

ウィスキーを飲み干す前に、頷いた。

七恵の笑顔。

ウィスキーを飲み干した。
同時にウィスキーを飲み干した長谷川と目が合った。

軽く首を振りながら、小さな笑いを作って、長谷川が言った。


「おまえたちは」


しかし、いくら待っても、長谷川の口から、そのあとの言葉がでてこなかった。

その代わりに七恵が、言った。

「9月7日に仙台に帰ります。その前に、一度三人でお食事でも、いかがですか」

ためらいの全くない言い方だった。

長谷川にウィスキーを催促してから、「喜んで」と答えた。

日にちを打ち合わせるために、iPhoneを取り出し、ついでにメガネも出してかけた。
スケジュールアプリを起動しているとき、今まで気がつかなかったものが、視界の端に入ってきた。

顔を、そちらの方に向けた。

長谷川のデスクの後ろの棚の上。
フォトフレーム。

距離が離れていたので、鮮明には見えなかったが、親娘の写真らしかった。

おそらく、邦子と七恵だろう。
二人の笑った写真だった。
それだけは、感じ取れた。

私の視線を感じたのか、二人がフォトフレームの方を向いた。

長谷川と七恵が、同時に大きなため息をついた。
そのため息の大きさに驚いて、二人の顔を交互に見た。

七恵の顔が、ゆがんでいた。
長谷川の両手が膝を掴み、何かを堪えるように、肩にも力がはいっていた。

その姿を見て、私の頭の中で、ひらめくものがあった。
聞いてみた。


あれは、クニちゃんが亡くなる前に、撮ったものだね?


七恵が立ち上がって、長谷川のデスクの後ろまで歩いていき、フォトフレームを手にした。
そして、フォトフレームを手に持って、一度また大きなため息をついた。

ソファに戻った七恵は、フレームを見つめた。
2秒。
その間に、七恵の顔には笑みが戻ったが、両目には、水滴が盛り上がっていた。

「前日の朝、撮ったものでした」と言った途端、七恵の両目から水滴がこぼれ落ちた。

そして、フォトフレームを差し出された。
手に取る。

同じ色のジャージを着た、血の繋がりが薄いのに、よく似た顔の親子。


今日も明日も明後日も、その笑顔が続くことを信じて疑わなかった親子。
未来が突然断ち切られることなど、想像もしなかった親子。
それはまた、お互いの愛は、永遠に続くものだと確信している親子の笑顔でもあった。


そう思ったとき、私の体に、凶暴な何かが入り込んだ気がした。


俺たちは、何に怒ればいいのか、と思った。

この二人の幸せを引き裂いたのは、誰だ。
この二人の未来を奪ったのは、いったい何ものだ。

この二人に罰を与えたのは、どんな顔をした怪物なんだ。


わけが、わからなくなった。


私は、右の拳で、自分の胸を叩いていた。
凶暴なほど、強く。


二回、三回。
まだ完治していない肋骨が、軋んだ。

四回目で、長谷川に手首をつかまれた。


「昔は、どんなときでも、マツが冷静にみんなを止める側だったよな。それを今、俺が止めている」
そして、拳を両方の手で、祈るような仕草で包み込まれた。

「この拳に篭められた思いは、俺がもらう」
そう言ったあとで、長谷川は七恵の方に顔を振って、「この子も、きっともらうだろう」と言った。


うなずいた七恵の泣き笑いの顔が、綺麗だった。

邦子の影が、重なった。





9月6日の夜。
渋谷のイタリアンの店。


いま、私は、その日を心待ちにしている。



2011/09/02 AM 08:10:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]



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