Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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何度でも
最近、一番びっくりしたこと。

テレビを見ていたら、佐藤かよというタレント(モデル?)さんが出ていて、よか女ばい、と思った。

可愛いじゃん、と言ったら、息子に「それ、男だよ」と言われた。


ウ、ウッソー!


「ホント。有名な話だよ」と今度は、娘が言う。

これが、男?
しかし、表情も声も、女そのものではないか。
いくらなんでも、クォリティが高すぎるだろう。

だ、だって、スタイルは完璧だし、し、仕草も女の子らしいし、ふ、太ももなんか・・・ヨ、ヨダレが・・・(取り乱している)。

(゜レ゜) 本当なのか?

「ほんとう!」


でも、この子なら、男でも構わないかも・・・。

なんか・・・・・・・禁断の世界に入り込みそうな予感が・・・。

島田紳助氏の芸能界引退ニュースより、驚きました。



佐藤かよさんが男だったという驚きには、インパクト面でかなわないが、驚いたことが、昨日あった。
いや、驚いた、というより、感動したと表現した方がいいかもしれない。

昨日の昼、午前中に急ぎの仕事を終えたあと、家族の昼メシを弁当形式にしてテーブルに置き、イトーヨーカ堂で買った日本製の自転車にまたがり、井の頭公園に向かった。

夏休み最後の日曜日だったので、公園内は、家族連れ、カップルで溢れていた(多少話を盛ったかも。溢れてはいなかったと思う)。

陽があたっているために、みんなから敬遠されていた寂しい木のベンチに座り、普通の2.67倍はあるオニギリをバッグから取り出して、かぶりついた。
具は、明太マヨネーズだ。

そして、オニギリにかぶりつきつつ、バッグからクリアアサヒを出して、豪快に喉に流し込んだ。

でかい爆弾オニギリ。
クリアアサヒ。
強い日差し。

ワイルドな夏だぜ。

吉祥寺ナデシコの太ももが、まぶしいぜ(変態)。


そんな風に幸せをかみしめながら、オニギリを食い終わり、クリアアサヒを飲み終わった。

満足、満足。


満足感に体中の細胞が歓喜の歌声を上げていたとき、どこからか歌声が聴こえた。


女の人の声だ。
ギターの伴奏も聞こえる。
そのギターの音は、しっかりとしたリズムを刻んでいたから、私の体の細胞に、心地よく侵入してきた。

そして、歌声も。

音のする方に顔を動かしてみたが、歌っている人の姿は、視界に入ってこなかった。

とても気になったので、立ち上がって、音に釣られるような形で、音のする方向に歩み出した。

50メートルも行かないうちに、音源を見つけた。

20歳前後の女の人が、3人。
ひとりは、胡座をかいてギターを弾いていた。

彼女たちの歌を聴いているのは、私を含めて8人。
ほとんどがカップルだった。

知らない歌が多いが、たまに知っている歌も歌った。
スピッツの「ロビンソン」、ゆずの「栄光の架橋」。

どの歌も、音程が確かで、声もキレイに伸びていた。
そして、心地いいくらいのハーモニー。

アマチュアだとは思うが、たいした力量だと思った。

どんな歌を弾いても歌っても、音がほとんど破綻しない。
アルペジオも見事なものだ。
(どこかの大学の軽音部の人たちだろう、と見当をつけた。文化祭の練習だろうか)


密度の濃い曲を7曲聴いたあとで、「これが最後の歌です」と唐突に言われた。


そして、歌いだした。

ドリカムの「何度でも」だった。

ギターはシンプルに、リズムだけを刻んでいた。

そこに、今までどちらかというと調和を主体にしていた二人の歌唱が、少し荒々しいものに切り替わり、ギターのリズムに乗っかった。

そして、サビの部分になると、二人は右手の人差し指を天に力強く突き出し、心の底から搾り出すようなシャウトまでしたのだ。

周りの空気が、一変したような気がした。

気がついたら、彼女たちの前には、50人近い聴衆がいて、誰もが指を突き上げて、一緒に歌っていたのである。

突き上げていないのは、私だけだった。

その歌声に圧倒されて、棒立ちをしていた私は、遅ればせながらその宴に参加した。


3人の歌い手と、50人の聴衆と、遅れをとった中年のオヤジが「何度でも」を叫ぶ。


一万回ダメで 望みなくなっても
一万一回目は 来る

明日が その一万一回目かもしれない


指を突き上げているとき、「希望」が脳細胞に入り込んでくるのを感じた。




宴が終わって人々が散ったとき、誰の顔にも「一万一回目は、必ず来る」と、その顔に書いてあった。



2011/08/29 AM 08:34:42 | Comment(1) | TrackBack(0) | [日記]

壊れかけのC‐3PO
同業者や友人から、ホームページが全然更新されていない。
ブログのデザインに工夫がない。
なぜ、ツィッターをやらない、と文句を言われる。


その理由を説明しよう。

それは、忙しいからだ。


ホームページがチャチなのは、自分でもわかっている。
だから、絶えずリニューアルしたいと思っているのだが、その時に内容も一新したいと思っているから、更新をしないでいる。

気持ちの上では、リニューアルしたくてしかたがない。
そして、ついでにいま使っているサーバ会社を代えて、ブログも洒落たデザインのものにしたい。

そうしたら、ツィッターもしてみたい。
人様から袋叩きにあうような内容をつぶやくかもしれないが、その場合は、すぐ謝る。徹底的に謝る。
(無駄なエネルギーは使いたくないので)


そんな風に、ずっと思っている。

ただ、思ってはいるのだが、その時間が、とにかくない。

単価の安い仕事、三食のメシ作り、洗濯、食材の買出し、たまに通う陶芸教室、ジョギング、アパートの庭のダンボールに住み着いた「セキトリ」という名の猫と戯れる時間。


忙しすぎる(?)


少しばかり空いた自由な時間は、小金井公園や武蔵野公園、野川公園、井の頭公園まで自転車で行き、ジョギングをしたあと、全身の筋肉と脳細胞を弛緩させて、クリアアサヒを飲むことに専念したい。

緩みきったアホ面を世間様に晒すことに専念したい。

だから、暇がない。


さらに・・・・・・

公園で完全にアホになりきっているときに、突然、杉並の建築会社から「ホームページのことだけどよ」と悪夢に近い電話が掛かってくることがある。
そんなときは、iPone4の電源を切っておかなかったことを悔やんで死にたくなる(最近、機種変してiPone4になったのでございます。ニヤニヤ)。

そして、稲城市の同業者から「Mさん、トレースの仕事、溜まってるので、回します」という電話もかかってくる。


さらに・・・・・・

WEBデザイナーのタカダ君(通称ダルマ)から、「師匠! 助けて、お願い! ヘルプ! プリーズです!」という、調和のとれた日本語の電話がかかって来ることがある。

タカダ君。
君の日本語は、たいへんベリーなくらい正しすぎて、残虐で殺人者的なテロリストになる誘惑に駆られるほど完璧でパーフェクトなジャパニーズだ。

このダルマの「ヘルプ! プリーズ!」の頻度が、最近とみに多くなって、私の仕事を中断する。

何で、こんなにヘルプが頻繁に押し寄せるのか。

それは、「子どもの世話が大変で、なんかタイヘン!」というダルマの家庭内事情があるらしい。

家庭優先は悪いことではない。
その種のことに理解ある大人である私は、その仕事を引き請けて、頭にハチマキを占め、毎回緊急のダルマ仕事をこなしているのである。


ゆっくりと休むゆとりの時間の暇がない(日本語オカシイ?)。


そんなこともあって、ダルマのせいで、ホームページをリニューアルすることができない。
ブログのデザインが、ダサいままだ。
ツィッターも、できない。


すべて、アイツが悪いのだ。

しかし、アイツは、私の大好物の銀河高原ビールを定期的に送ってくれる「いいやつ」でもある。
それに、アイツの奥さんは、笑顔満点の「素敵女子」だ。
そして、ダルマは、私の可愛い(?)弟子でもある。

なので、大抵はダルマからの仕事を請けることにしている。
銀河高原ビールと微笑みの天使のために。
(銀河高原ビールとクリアアサヒを割って飲むと私好みの味になる。ただ、人には決して薦めない。純粋なビールと第3のビールを何故混ぜる、と非難した人がいたので)



先月、私が首から下が不自由だったとき、ダルマの世話になった。
そのことだけは、触れておきたいと思う。
そうしないと、悪口だけになってしまうので。


7月10日過ぎ。

「師匠! ヘルプのお願いです!」という恒例の電話がかかってきたが、ダルマの仕事場兼自宅まで行く元気が、そのときの私にはなかった。

タカダ君、俺は今、顔は完璧なイケメンだが、体が壊れかけのロボットなのだよ。
例えるなら、顔が三浦春馬で、体はスクラップ寸前のC‐3PO(シースリーピーオー)と言ったらいいだろうか。

悪いが、超・超・超急ぎの仕事は、気軽に請けられないんだ。
その仕事、他の人に頼むことはできないだろうか。

滅多に仕事を断らない私がそう言うと、「師匠! まさか、お体がぁ!」と言ったあとで、唐突に電話が切れた。

なんか、消化不良の電話だったな。
まあ、ダルマらしくて、いいか。

そのあと、壊れかけのC‐3POは、手持ちの仕事を脂汗を流しながら、完了させた。

そして、体の痛みをごまかすために、鎮痛剤をクリアアサヒで流し込もうか、眉間にしわを寄せて考えていたときのことだ。
チャイムの音が聞こえた。

相手を確かめるのが面倒くさいので、椅子に座ったまま、押し売り以外は入ることを許す、と叫んだ。

入ってきたのは、押し売りが似合いそうな顔をしたダルマとダルマの奥さん、微笑みの天使・トモちゃんだった(赤ん坊はどうした?)。

私の顔を見て、最初に口を開いたのは、トモちゃんだった。
「マツ師匠! どうしたんですか。顔に血の気がまったくないじゃないですか!」


そ、そうですか。
きっと新しいおシロイを試したせいで、顔が白くなったんでしょう。
やっぱり、ワタクシ、資生堂以外は、お肌に合わないみたい。
安い化粧品は、やっぱ駄目ですわ。


そんな洗練された私のジョークは見事に無視され、ダルマが「師匠! 医者には行ったんですか!」と、押し売り顔で迫ってきた。

いや、おシロイが合わなかっただけで医者に行くほど、俺は暇じゃない。

ダルマとトモちゃんが、顔を見合わせた。

(この馬鹿には、まともなことを言っても無駄だ。実力行使しかない)

目と目を見交わし、うなずき合う二人。

「師匠! 医者に行きましょう。かかりつけの医者は、どこですか。車でお連れしますから」

かかりつけの動物病院はあるが、私の鋭い推察によれば、おそらくそこは、人間は見てくれないであろう。
(2ヶ月ほど前、公園の隅に倒れていた瀕死の猫を近所の動物病院に連れていったことがある。そのときの先生はたいへんいい人で・・・・話が長くなるので以下割愛)

だから、行っても無駄だ。


ダルマの顔が、赤くなった。
本当のダルマだ。

すごい。
生で本当のダルマが見られるなんて。
私は、反射的に両手を合わせて、そのお姿を拝んでいた。

しかし、生ダルマを拝んでも、なんのご利益もなかった。

今度はトモちゃんが、いつもの優しいほほ笑みを封印して、「マツ師匠! すみません。無理やり運び出しますよ」と私の両肩をつかんだのである。

それは、たいした力ではなかったが、上半身に激痛が走った。
歯を食いしばったが、激痛をこらえることができず、情けなくも歯の間から声が漏れてしまった。

私のその情けない反応に、「ご、ごめんなさい」と、口を両手で押さえ、後ずさりするトモちゃん。


いや、今のは演技。
うまかったでしょ。
オレ、役者でしょ。


そんな私の強がりを置き去りにして、今度は二人で、ひそひそ話をはじめた。

まさか、晩メシは何にする? なんて喋っているのではあるまいな。

「俺は、カレーがいいな」「昨日もカレーだったでしょ。今日は和風にしましょうよ」「そうだね。じゃあ、鯖の味噌煮と筍の梅和え、南瓜のキンピラ、浅利の味噌汁なんかはどうだい?」「いいわね。では、こんな馬鹿、ほっといて、すぐに帰りましょ」


置き去りにされかかった馬鹿は、そんな軽い妄想にふけりながら、まだ激痛と戦っていた。
この痛みを紛らわすには、鎮痛剤をクリアアサヒで・・・・・。

壊れかけのC‐3POは、油が切れたような動きで立ち上がり、仕事部屋の隅に置いたミニ冷蔵庫まで二足歩行をして、クリアアサヒを手にした。

しかし、クリアアサヒを持った手をトモちゃんにつかまれ、体を後ろからダルマに羽交い締めにされた。

また、激痛。

失神寸前のC‐3POは、抵抗する気力もなかったのだが、「医者はヤダもん!」とだけは主張した。

心優しき微笑みの天使は、白衣の天使のような安らかなる微笑みを壊れかけのC‐3POに向けた。
そして、言った。
「では、こうしませんか?」

こうした。


トモちゃんの友人の旦那が、中野区で鍼灸医院を開業している。
その人に往診してもらったらどうか、と言うのである。


そのお言葉に甘えることにした。
あまり頑なに断るのは、相手の厚意に対して礼を失するということもあるし、正直、体がつらくて仕方なかったので、「お願い申す」と頭を下げた。

我が人生初の鍼治療は、おそらく効いたのだと思う。
即効性は感じなかったが、体の芯まで重く染み渡ったダメージが、段階的に少しずつ緩和されていくのが、日毎に感じ取れた。

おそらくその鍼治療がなければ、私はまだ壊れかけのC‐3POのままだったろう。


だから、ダルマ、トモちゃん、ありがとう。
ダルマの荻窪の仕事場から、武蔵野のオンボロ・アパートまで、たった26分26秒で駆けつけた君たちの誠意には、素直に頭が下がる。

俺は、いい友だちを持ったと思う。

そのことを誇りに思う。


だから、銀河高原ビールをまた送ってください。

もう在庫が1本しかありません。




私の仕事場のミニ冷蔵庫が、誇りを取り戻したがっています。
私の可愛い冷蔵庫のためにも、ぜひ誇りある銀河高原ビールを。



よろしくお願いします。





____夏の終わり、武蔵野のオンボロアパートにて




2011/08/25 AM 07:27:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

スプーン一杯ほどの
世界親バカ選手権、エントリーナンバー1番。


今年、高校に入学した娘は、高校生活を始めるにあたって、いくつか目標を定めたという。

第一に、語学(ハングル、英語)を極めること。

これは、本当に真剣に取り組んでいて、ハングルを選べるのは2学年からだが、もうすでに一年以上前から、ハングルを勉強していることもあって、その上達速度は、かなり早い。
本格的に高校で習い始めるより前に、ハングルを会得してしまうのではないかというほどの勢いだ。

英語は、もともと私の影響を強く受けているためか(プチ自慢)、中学1年のときから成績は良かった。
ただ、私の中学・高校時代ほどではないが。

ここで、確実に世界を敵に回すかもしれないことを自慢してみる。

私は、中学3年間と高校2年の2学期の期末まで、英語は、すべて百点だった。


ん・・・・・・・・・・て、敵に回したか?


ま、まさか、ロケット・ランチャーを用意している奴がいるなんて!

シェ、シェルターに逃げなければ。


シェルターから、話を続ける。

娘は、クラスで成績トップになること、という目標も掲げ、1学期で、その目標は早々と達成された。

チョ、チョット・・・・・娘に、ロケット・ランチャーは向けないで欲しい。
お願いですから!


一生付き合える友だちを作る、という目標もあった。

まだ4ヶ月足らずであるが、とりあえず親友と呼べる子は出来たらしい。
男の子も含めて、たこ焼きパーティをしたり、映画やカラオケに行ったり、ショッピングに行く高校の友だちは6人。
「自称人見知り」にしては、上出来だと思う。


身近な目標としていた学校定例の「合唱祭」で優勝すること、というのは叶わなかったが、娘は確実にクラス委員として、クラスをまとめ上げたようだ。
合唱祭の後、各クラスで「打ち上げ」を行なったらしいのだが、他のクラスは、5〜10人単位で打ち上げをしたが、娘のクラスは、クラス40人のうち38人が出席して、「もんじゃ焼きパーティ」をしたというのだ。

出席率、驚異の95%!
(出席しなかった二人は、全体主義(全員一緒)は嫌だ、と言って拒否したが、娘に「悪いね」とは、言ってくれたようだ。全体主義は嫌だ、という考え方は、娘も私も理解できる。二人とも少数派が好きなので)


その数日後、娘の発案で、教育実習生の最終日に、クラス全員の寄せ書きと実習生の似顔絵、花束を渡すというサプライズは、教育実習生だけではなく「やられた〜」と言って、担任の先生も泣かすという、密度の濃いサプライズになった。


6月末のクラスの懇談会で、担任に言われた。
「教師になって20年。今年ほど楽なクラスはありません。Kさんが、クラス全体をまとめてくれて、私は何もすることがありません。こんなに、まとまりのいいクラスは、初めてです」

もちろん、お世辞であるにしても、親としては嬉しい言葉である。

「自称人見知り」が、ここまでリーダーシップを発揮するとは、嬉しい誤算だ。

時に、私のように「面倒くさい」と思うこともあったようだが、「俺は、クラス委員。自分から立候補してなったんだから、最後まで投げたらアカン」と思って、自分を鼓舞しているようだ。


すごい進歩だ、と思う。

おまえは、もう親を超えている。


いま娘は、9月の文化祭の準備のため、毎日学校に行っている。

最初は、イケメンを女装させた「美女コンテスト」をする予定だったが、その企画は学校側からNGを出された。
そこで、演劇部の同級生と案を練り、「鏡の国のアリス」や「となりのトトロ」「パイレーツ・オブ・カリビアン」「白雪姫」を取り入れた「パロディ劇」を演出することになった。

台本を書き、キャストを決め、出演者が着る衣装のデザインや縫製まで、演劇部の友人とふたりでするという、かなりのハード・ワークだが、「楽しいぜよ!」と毎日言いながら、私の作る弁当をスクールバッグに詰めて、毎朝7時20分に家を出て、夜6時40分前後に家に帰るという日々を繰り返している。


親である俺は、何もしていないのに、娘は思いがけないスピードで成長している。

それは、とても嬉しいことだが、バカ親としては戸惑いも感じる。

完全に、置いていかれている。

その思いが強い。
そして、俺、何もしてないのに、なんで、こんなに真っ当な青春を娘は生きてるんだ、と眩しくも思う。


贅沢な暮らしも、満足な環境も与えたことがないのに、子どもは、親なんて関係なしに伸びていくのだと、このところの私は、驚愕の毎日である。

ここまで来ると、親なんて、いらないんじゃないかとさえ思う。

親は柱の影から、右目だけ出して、小さい声で「ワッショイ」と言っているだけでいいのかもしれない。


今まで、スプーン一杯ほどの愛情を子どもたちに注いできた。
それは、ちっぽけなものだが、毎日欠かさず注いできた。

俺には、それしかできない。

情けない親だという思いは、絶えず心の真ん中に持っている。

だから、せめてスプーン一杯ほどの愛情だけは、これからも枯らさないで持ち続けたいと思う。





(は?・・・・・後ろから、不穏な気配が)

た、確かに、クサイことを言いましたが、またロケット・ランチャーを向けるのは、やめていただきたい。




2011/08/22 AM 08:14:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | [子育て]

メープルのボールペン
7月末、大学時代の友人、長谷川から「邦子の49日に来てくれないか」と誘われた。

だが、断った。

家族、縁者、知人たちに追悼されるのは、死んだ人間に相応しいセレモニーだが、その場にいることが相応しくない人間が追悼しても儀式の格が下がるだけだ。

悪いな、長谷川。
俺は、俺らしい追悼の仕方をするよ。



俺らしい追悼の仕方。

長谷川邦子の眠る墓は、多磨霊園にあるという。

そこは、私が住む武蔵野から、自転車なら20分程度で行ける距離にある。

昨日の朝、家族の朝メシと娘の弁当を作ったあとで、家を出た。

6時50分。
東八道路まで行き、府中への道を下った。

着いたのは、7時12分。
物足りないほど、近い距離だった。

こんなにも近くに邦子が眠っている。
30年間、遠く離れていたのに。

何かを探すように、空を見上げた。
もちろん、そこには雲以外何もなかったが。


こんな朝早い時間だ。
開門は朝6時半だが、広大な霊園内を歩いても、数人のグループとすれ違っただけだった。

花は持っていない。

ただ、手向けると言っていいのか、日本酒の一升瓶は持ってきた。
邦子が生前好きだと言っていたという「澤乃泉」だ。

これは、非常識なことかもしれないが、墓石にかけるつもりで持ってきた。

大学時代、キャンパスの外で会話をしたことがない私たちは、一緒に酒を飲んだことがなかった。
当時の私には、邦子を酒に誘いたい、という気持ちがほとんどなかった。

いや、あったかもしれないが、強い力で抑えつけていた、と言ったほうがいいか。
それに、陸上部の練習が忙しかったという言い訳もある。

だから、今回はじめて一緒に酒を飲もうと思ったのだ。


長谷川が書いてくれた地図を頼りに、長谷川家の墓を探し当てた。
背は高くないが、幅広の墓石が、「長谷川」の文字を大きく主張していた。

墓石の横に、新しく「邦子」の文字が刻まれているのを見たとき、軽いめまいを感じた。

目を瞑って、足元からこみ上がってくる何かを堪えた。


違うことを思い浮かべてみた。

学校の外で邦子に会ったことがないと思っていたが、何度か会っていた。
ガロの解散コンサートと陸上の大会でだった。

トラックに私が一歩足を踏み入れると、「マツーッ!」と大きな声で叫ぶ女の声が聞こえた。

観客席を見上げると、邦子が手を振っているのが見えた。
たいていは、一人だ。

そして、いつも叫んだ。
「マツーッ! 飛ぶように走れぇ!」

言われたとおり、飛ぶように走った。

3位のときもあったが、7位のときもあった。

しかし、邦子は、どんな成績でも観客席から「見てたよぉ!」と言うだけだった。
だから、どんな順位でも、私は走り終わったあと、いつも爽快感を感じた。


そんなことを思いながら、陶芸教室で作った楕円形の平椀を墓石前の台に置き、酒をなみなみと注いだ。
残った酒は、すべて墓石にかけた。

一瞬で、墓石の上から下に「澤乃泉」が流れ落ちていった。

それは、邦子の死のように、呆気ないものだった。

椀を両手で持って、墓石と乾杯をした。

曇は多かったが、空とも乾杯をした。

見ているかもしれないからだ。


おそらく、もう二度と飲むことはない「澤乃泉」。


一口飲んだあとで、なあ、邦子、と話しかけた。

学校外で会わなかった俺たちは、夏休みの2ヶ月間は、連絡を取り合うこともしなかったな。
邦子の家の電話番号は、もちろん知っていたが、私は陸上部の夏の合宿や練習があったので、かける暇がなかった。
本当は、かけようと思えばかけられたのだが、かけなかった。
かける勇気がなかった。

一度、長谷川から、合宿先に電話がかかってきて、長谷川の悩みを聞かされたことがあった。
一時間近く、自分の悩みごとを一方的に語ったバツの悪さからか、長谷川が突然「妹と代わろうか」と言ったのだ。

それを聞いて、自分の心臓の鼓動を意識した。
うろたえた。
反射的に、いや、いい、と答えていた。

長谷川の電話が終わったあとも、私は心臓の鼓動を意識していた。


夏休み明けの日。
1時限が終わったあとの30分の休み時間。

邦子と私が座って話すキャンパスのベンチは、ほぼ決まっていた。
キャンパスの中央、円形の花壇を囲むベンチの一番大きな木が後ろにある木陰のベンチが、私たちのベンチだった。
そこで話すことを、私たちは、「ベンチ・トーク」と呼んでいた。

邦子がそこにいるという確信はなかったが、そこにいて欲しいという願いは、叶えられるだろうという予感はあった。

講義が終わってすぐ、早足で円形の花壇に向かった。
いつものベンチ。
邦子は、もう座っていて、私を認めると左手を小さく振った。

その邦子に向かって、いつもの儀式をする。


姫。ご無礼は承知ながら、お隣の席に座っても、よろしゅうござるか


それに対して、邦子は、顎を軽く引いて、気取った声で「苦しゅうない」と応えるのだ。
そして、言ったあとで、脚をバタバタさせて、笑うのである。

顔も手足も、薄い褐色に日焼けしていた邦子は、そのあと、カナダのホームスティ中にあった出来事を途切れなく語るのだ。
30分では語りきれないので、昼休み、学食で、その続きを聞くことになる。


「カナダにいる間に、14人の男が、言い寄ってきたかな」と、指折り数えて、「エヘン」と胸をそらす邦子。

それを聞いて、昼メシのスパゲティが喉に詰まった振りをする私。
喉を押さえ、えずく演技をすると、背中をグーで思い切り叩かれた。
一旦喉を通ったスパゲティが逆流して口元まで出かかったので、両手で口を押さえ、無理やりまた飲み込んだら、涙目になった。

「大丈夫?」と10センチの距離まで顔を近づけて、私の顔を覗き込む邦子。

通りかかった同級生たちから、口笛を吹かれた。

そのあとで、邦子が言った。
「口説かれたけどね、いつも同じ言葉で断ったんだ」

何て?

「Have someone in mind」

また、自分の心臓の鼓動を意識したが、サムワンって俺のことだよな、と冗談に紛らわしたら、「しょってるぞ、おまえ」と、手のひらで軽く頬を張られた。


食事が終わって、3時限目の授業に行く前に、「ああ、そういえば」と邦子が、まるで完全に忘れていたような口調で言った。
「カナダのお土産があるんだけど、欲しい?」


欲しくないけど、欲しい。


邦子が、「おまえ! 刺すぞ」と、顔全体を笑みで満たし、手にもったお土産で、私の腹を刺す仕草をした。

ボールペンだった。

メープルの木で作られたボールペンらしい。


姫。ありがたき幸せ。家宝にいたします。

「苦しゅうない」



そのボールペンは、今まで捨てずに、ずっと持っていた。



墓石の前の石台に、私が作った陶器の平椀を置き、その中にメープルのボールペンを置いた。



急に鳴き出した蝉の声につられて、空を見上げた。


空が、笑ったような気がした。







さよなら


これが  最後のデートだよ   クニコ





2011/08/18 AM 08:21:26 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

納涼大会で「なんじゃこりゃぁ〜」
夏の納涼ビール大会。

とは言っても、ビアガーデンではなく、普通の居酒屋ですが。


吉祥寺の居酒屋に集まったのは、大宮のカマタさん、オオサワさん、浦和のニシダくん、鴻巣のスドウくん。
みんな土着の埼玉人なのに、わざわざ吉祥寺までやって来てくれたのである。

年末恒例の忘年会は、私が諸般の事情があって参加できなかった。
その結果、昨年の忘年会は、中止になった。

そこで、何としても納涼大会は開きたい、という幹事のカマタさんの強い要望もあって、6月から各自のスケジュールを調整し、8月14日開催に意見がまとまったのである。

私以外は埼玉県人なのだから、大宮でもいい、と私は言ったのだが、「いや、遠いから億劫になってドタキャンされる可能性がある」と鋭いことを言うカマタさんの発案で、場所は吉祥寺ということに決まった。

私としては、もちろんその方が楽だ。
異論はない。


5時から始まった納涼大会。
ビールしか飲んではいかん、という変なルール。
まあ、好きだから、いいのだが。


ただ、途中から、私がみんなに挑戦的な言動を吐くという、大人げない展開になって、みんなに迷惑をかけてしまった。


いい大人が、ネット住民の意見に同調して、韓流はけしからん、菅は無能だ、上野樹里の演技が下手だ、などとネット同様の中身のない話で盛り上がり出したからだ。

せっかく久しぶりに会ったのだから、もっと有意義な話題は、いくらでもあったろうに。

たとえば、円高に対する為替介入の効果とか、どこのメーカーの洗濯洗剤が汚れ落ちがいいかとか、綾瀬はるかの肌はなぜキレイなのかとか、iPS細胞作製技術は、いまどの程度まで進んでいるのか、とか。

他にも、いくらでもあるだろう。

たとえば、川越シェフの本職は、タレントなのか料理人なのかとか。
あるいは、なぜ、マクドナルドのフライドポテトは、しょっぱいときとしょっぱくないときがあるのか、とか?


だから、暴論を吐いた。

菅総理が辞める決断をした、などと書いてあったが、俺は、菅総理が実績を上げてないとも無能だとも思っていない。
辞める必要があるとも思っていない。

議員は、誰もが自分が主流派でいたいという願望がある。

彼らは、大臣のポストが欲しいから、菅氏に居座ってもらっては、特に自・公の議員は、大臣の座を得ることができない(さらに自民には原発を推進した党という消し去りたい過去があるから目先をそらすのに必死だ)。
菅氏が辞めて、大連立ができれば、自・公や民主内でいま非主流派の議員にも大臣ポストの目が出てくる。
つまり、彼らは私利私欲で動いているだけだ。

そうでなければ、壊滅的な被害を受けた被災地を置き去りにして「辞めろヒステリー」をまき散らすなんて、恥知らずなことはできない。

自民党政権時代にも言ったことがあるが、わずか一年総理大臣をやっただけで、実績など作れる訳がない。
なぜ、みんな辞めさせたがる?
そして、なぜ辞めたがる?

暴言や言い間違いで揚げ足を取るなど、小学校低学年のクラスみたいじゃないか。
なぜ、職務を全うする、全うさせるという責任ある大人の態度が、とれないのか。

ヒステリーと欲ボケばかりでは、被災地はいつまでたっても復興できない。

保守議員とヒステリー集団は、ただ市民運動上がりのサヨク政治家を政権の座から追い落としたいだけではないのか。
同じことをガチガチの保守政治家が言ったら、受け止めてもらえるが、サヨク政治家が言ったら、保守層と保守マスメディアから、すべて悪意を持って受け取られてしまうのである。

これは、ほとんどの国で共通する現象だ。


歴史上例を見ない災難が人類に降りかかったとき、時の政権担当者は、必ず批判される。

地震、メルトダウン、津波、大型ハリケーン。
必ず、対応の悪さ、遅さを非難される。
しかし、世界では、「辞めろ」という声が高まったとしても辞める政治家は、ほとんどいない(多くが大統領制ということもあるが)。

自然災害の場合は、為政者たちが能力の限りを尽くし、お互いの足りない部分を補いながら、事態の収集を図るというのが、国民に選出された議員が当面果たすべき義務であると思う。

それを、政権トップの足を引っ張り、集団ヒステリーをマスメディアとともに煽動し、復興を遅らせるなどというのは、被災地の人たちに対する裏切り行為だ。

大事なのは、大臣の椅子ではなく、日頃の鬱憤をヒステリーに転嫁することでもない。
被災地の方々の平穏な生活だ。

まわりがみな右を向いているからといって、あるいは一部の浅薄なネット住民に同調して、他人の意見をまるで自分の意見のようにして、右を向く必要はない。

こういうときは、一度冷静に、まっすぐの方向を向いてみないか。
今だからこそ、そんなことも必要だと俺は思うのだが。



それに・・・・・・・・お台場バッシング。

あれは、中国、韓国の思考方法と同じで、ただ何か叩くもの、あるいは、スケープゴートが欲しかっただけなのではないだろうか。
中韓は、日本を悪者にしておけば、国民の不満をそちらに向けて、不満のガス抜きをすることができる。

お台場騒動もそれに似ている。
韓国嫌いのガスをどこに放出すればいいかと思っていた時に、おあつらえ向きに俳優が、お台場たたきを始めた。
それに、ただ乗っかっただけじゃないだろうか。
(叩くのなら、真正面から韓国を直接叩くのが、スジだと思うのだが)

韓国のコンテンツを商売にしているのは、お台場だけではない。
レコード会社、出版社、飲食業界、ファッション業界。
それに、多かれ少なかれ、どこの局も「商売として」韓流を扱っている。
たとえ、お台場が突出していたとしても(色々ネットを調べてみたが極端に突出しているようには思えなかった)、企業が儲けの出る商売をどう選ぶかは自由だ。

私は産経新聞社・フジテレビというのが、体質的に嫌いなのだが、その商売を否定しようとは思わない。
彼らが信念を持ってやっている仕事が、無駄だとも思っていない。

自由主義社会は、国民の権利を極端に制限する言動や行動、誹謗中傷以外は、自由だ。

だから我々は、海外のブランドに囲まれ、多くの「メイド・イン・チャイナ」「タイワン」「タイランド」に囲まれても、息苦しさを感じないで暮らせる。
アメリカからやってきた音楽をお経のようなラップに変換しても、それほど耳障りに感じないし、そのことで「魂を売った」と憤慨する人は、おそらくいない。
BSやCS放送では、韓流やアメリカドラマが連日花盛りだが、その状態が当たり前だから、違和感を感じない。

テレビの基本は、嫌ならば見なければいい。
音楽は、嫌ならば、聴かなければいい。
それに尽きる。

「テレビは終わった」というのなら、見なければいいし、出演しなければいい。

むかし懐かしのバラエティ番組、ドラマを収録したものがDVDになっているから、それだけを見て「昔はよかったな」と、ひとり頷いていればいい。

そんなことで、人様を巻き込むことはない。
「終わったテレビ」を盾に取って、人様に迷惑をかけるのは、理屈に合わない。



上野樹里さんが出ているNHK大河ドラマは、BSの再放送で一度だけ見たことがある。

「まるで、『のだめ』だよな。全然ダメだ。物語が軽く見える」という鴻巣のスドウくん。
その意見に、真っ向から反論しよう。

俺には、そうは見えなかった。
俺には、上野樹里さんがそれなりの主人公像を作っていると思ったよ。
上手いと思った。

ただ、話自体が面白くなかったので、それ一回しか見ていないが。

当たり役、はまり役のある俳優さんは可哀想だ。
見る側が、その残像を消し去る能力のない人だったら、一生「同じだ」と批判される。

だが、その脳内の残像を一度リセットして見れば、その俳優さんが、普通に役に入り込んでいるのがわかる。

ようするに、「のだめと同じじゃん」という君の脳には、大河ドラマを見るとき、ずっと「のだめ」が貼り付いているのだ。
それは、もしかしたら、君の脳の老化かもしれない。
君の脳が老化して、残像を消すことができなかったのだ。

つまり、それは君が悪いだけなのに、自分の脳の老化現象を俳優のせいにしているのだ。

俺は、徳永英明氏の歌は、みな同じに聴こえる。
「壊れかけのRadio」は、フルコーラス聴いたことがある。
いい歌だと思う。

しかし、それ以外の歌は、カバー曲も含めて、俺には徳永英明氏の歌は、みな同じ調子に聴こえるから、ワンコーラス聴いたことがない。

それは、俺の脳が退化して、徳永英明氏の歌を聴くとき「壊れかけのRadio」をリセットできないからだ。

それは徳永氏のせいではない。

俺のせいだ。
俺の脳のせいだ。


違う話になるかもしれないが、だいぶ以前になくなった松田優作氏は、どれを演じても俺には「松田優作」にしか見えなかった。

俺は、松田優作氏が好きだから、松田優作氏は、それでいいと思う。
彼は、銀幕に出てきた時から「松田優作」で、死ぬまで「松田優作」だった。

だから、上野樹里さんが、何をしても「上野樹里」にしか見えなくても(『のだめ』に見えるということではない)、俺は、文句は言わない。

わかったか、スドウ。


そんな風にワンマンショーを繰り広げながら、フライドポテトについていたケチャップを両手にこすりつけて、「なんじゃこりゃぁ〜!」と叫んだら、近くを通りかかった店員に「ど、どうかしましたか」と聞かれた。


カマタさん、オオサワさん、ニシダくん、スドウくん。

他人の振りは、やめてください。






納涼大会から帰ってすぐ、稲城市の同業者からいただいた地図・11点をトレースした。
終わったのが、午前4時10分。

中途半端な時間に寝ると、家族の朝メシ作りに支障をきたすので、ずっと起きていた。

そして、朝メシ、洗濯が終わったので、これから寝ることにします。



おやすみなさい。




2011/08/15 AM 09:57:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

ソバと寿司って
インターネットを閲覧していたら、中国人が書いたブログに行き当った。

その中のある部分の表現が、日ごろから持っていた私の中国人観と似ていたので、中国人の方でも私と同じ考えを持っている人がいるのか、と少し嬉しくなった。


「中国人はもともと強者に蹂躙(じゅうりん)されることを好み、反骨心が非常に少ない。それゆえにひとたび強者の前に立つと、おとなしく負けを認めるだけで頭を上げることもできない。もしも誰かが強者に挑もうものなら、周りはすべて鼻であしらうのだ。日本女子サッカーが世界一になることで、中国女子はまるで勝てる見込みがすっかりなくなってしまったかのようであり、戦わずして負けたかのようなものだ」


かつての阿片戦争、アロー戦争で、英国帝国主義に敗れたあと、中国政府は自力で立ち上がるのが億劫になったかのように、列強から押し付けられた不平等条約に無抵抗に判を押す国家になった。

その結果、優秀な国民を持ちながら、政府が列強に縛りをかけられたせいで、近代化が遅れた。

近代化の遅れた中国は、日清戦争で日本にも敗れた。
ロシア・フランス・ドイツの三国干渉がなかったら、中国は、どこまでも日本帝国主義に蹂躙され続けただろう。

日清戦争の敗北が尾を引いて、後の日中戦争まで、中国は、帝国主義のうねりの中で、日本、欧米列強の高波に翻弄され続けた。
あれほどの広い国土、人口を有しながら、時代錯誤の中華思想と強者への諦念が近代化を遅らせた結果、わずか一世紀足らずのうちに、指導者や国民の「反骨精神」が驚くほど希薄になっていった。

中国共産党の台頭は、人民をある程度まとめたが、それは強制的に統制された「まとまり」に過ぎなかった。

反骨精神は、やはり希薄なままだったと思う。

そして、外敵や権力に対する反骨精神が希薄だったがゆえに、国外に出た中国人は、歪んだ犯罪組織をあちこちに作り上げた。
表の世界で反抗できないから、その力を「闇の世界」に使い始めたのだと、私は勝手に判断している。

正面からぶつかって勝てる見込みがないから、闇で戦う(裏の世界で罪を重ねる)。

政治の分野では、自分から積極的に問題提議はしないが、他国からの問題提議には、反発するか無視することを繰り返した。
つまり、正面から論争しようとはしない。

技術の分野では、新たな創造を嫌い、近道をしてモノを作り、世界のマーケットを混乱に陥れた。
これは、彼らのモラルが低いというより、「真正面から戦うことを知らない国民性」からくるものだと、私は思っている。

すべての分野で、世界のブランドに立ち向かえないから、つまり、最初から負けを認めているから、彼らは創造することを諦めているように思える。


高速鉄道も、「中国独自の技術」と言うが、車両は他国から供与されたものばかり。
肝心要(かんじんかなめ)の運行システムは自国製だ、と正面から挑んでみたつもりが、中途半端な模倣で終わったために、綻びが目立つ結果になった。

中国メディアは、今回の高速鉄道事故に関して、当局の指示に従わずに連日批判を繰り返しているが、よく見てみると、それは鉄道省に対する批判がほとんどで、共産党や政権に対する批判は及び腰である。

つまり、メディアも真正面から攻めることを怖がっている。


ただ、例外的にオリンピックの分野では、中国は国威発揚をスローガンに、果敢に攻めている。
伝統的に欧米が強い陸上や競泳は、ハードルで劉翔、競泳で荘泳、劉子歌という素晴らしい選手の台頭があっただけで、メダルの数は頭打ちだ。
しかし、欧米の得意でない種目では、積極的に金を狙いにいっている。

今後、中国が経済力にものを言わせ、五輪を正面からではなく、裏から操れるようになったら、(中国が不得意な)陸上や競泳の種目は最低限に削って、得意の飛び込みや体操、卓球(あるいは国際的に知られていない競技だが、中国が得意な種目)などの細かい種目を増やして、金メダルの上乗せをする可能性がないとは言えない(つまり、いま白人社会がやっているように)。


真正面から攻めないで、裏から攻める。


そんな国が、もし世界で一番の金持ち国家になったら、現代の「焚書坑儒」が、実行されないとも限らない。

近代から現代の科学などの輝かしい業績と歴史が、闇の世界だけのものになってしまうかもしれない。


私の希望として、真正面から攻めてこない国が天下を取るのは、チョット勘弁。




韓について。

法律事務所に勤めていたころ親しくなった友人は、大学を出てすぐ結婚する、というせっかちな男だった。

相手は、韓国人女性だった。

しかし、十年足らずで離婚。
すぐ日本人と再婚するのだが、今度は、2年少しで離婚。

女性を見る目がないというより、彼は結婚に向かないタイプの男だ。
彼は、女性に対して自己主張できない男だから、いつも受け身なのである。
その受け身すぎる人生が、彼に短絡的な結婚をさせているのかもしれない(Mくん、申し訳ない)。

そんな友人の現在のガールフレンドが、また在日韓国人である(15歳の年の差がある)。

一緒に暮らしているわけではなく、晩メシをときどき作りに来てくれる仲らしい。

一週間前に、友人に「美味い韓国の手料理が食いたいと思いませんか」と誘われた。

食いたくない、と言ったら、「いや、お願いします! 食べてください」と急に低姿勢になったので、昨夜、新百合ヶ丘のマンションまで足を運んだ。

背の低い、ポッチャリ体型の女性が、紫色のエプロンをつけて出迎えてくれた。
女優の江角マキコさんを上から潰して丸くしたような顔をしていた(想像しにくい?)。

そして、食卓に並べられた韓国料理。

ん?
韓国料理?

食卓の上に並べられたのは、ざるソバと寿司。

韓国料理?

なんか、嫌な予感がした。

まさか、韓国起源説?

嫌な予感は、簡単に的中した(ネットの世界では見かけたことがあるが、シャレだと思っていた)。

「彼女が・・・ね。俺の大好きなソバも寿司も韓国が発祥の地だって言うんだよ。だから、これは、韓国料理って主張するわけさ。うどんやしゃぶしゃぶも、食卓に出すとき、これは韓国料理だからって言って出すんだよ。Mさん、物知りだから(照れるゥ)、そのへんのこと、知ってるんじゃないかと思ってさ」

要するに、彼女の主張に辟易して、私に助けを求めたということか。


しかし、私は、いつも言っているように、人並み外れて、面倒くさがりやである。

こういうことが、すべて面倒くさい、と思うタチだ。

だから、言った。


どこが起源でも、いいんじゃなかろうか。
すべて韓国が起源だとしても、韓国の寿司と日本の寿司は違うだろう。
ソバやうどんにしても、別物だと思う。

カレーはインドが起源らしいが、日本人は「日本人のカレー」を生み出した。
ラーメンは中国が起源かもしれないが、今のラーメン文化は、確実に日本が作り出したものだ。
餃子が、日本人の食生活に根付いたのも、日本人が味を工夫して努力したからだ。

寿司が、日本の代表的な料理となり、世界で愛されているのは、紛れもない事実だ。
その寿司の起源が、どこだって、いいではないか。

すべての起源が韓国でも、けっこう。

結果的に美味しければ、それでいい。

たとえば、人類の起源は、アフリカだというのが定説になっている。
それから、モンゴロイドやコーカサイドなどが派生的に生み出された。
だが、起源とされるアフリカ人と、欧米人、アジア人は、いま確実に違う人種になっている。

たとえ、起源が同じだとしても、進化の過程で、その様相は確実に変化するのだ。
起源は重要かもしれないが、誰も自分の起源がアフリカ人だとは、思っていないのではないだろうか。
誰もが、今の姿が、本当の姿だと思っているはずである。

アフリカの方たちが、声高に「先に人間になったのは、俺たちの方だ」などと主張したのを聞いたことがない。

彼らは、奥ゆかしい民族なのだ。
だから、白人社会から、様々な理由をでっち上げられて、虐げられ・・・・・・・・・。


私の話が、お気に召さなかったのか、友人の彼女は話の途中で姿を消し、メシの間、別の部屋にこもって、出てこなかった。


友だちとふたり、苦笑いしながら、月桂冠(日本酒も韓国が起源か?)を飲み、ざるソバをすすり、寿司をつまんだ。


気まずい雰囲気ではあったが、「韓国料理」は、とても美味しかった。




2011/08/12 AM 08:06:17 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

W杯優勝と千原ジュニアさん
徹夜明けなので、気分はハイである。

寝不足の状態でクリアアサヒを飲んでいるから、さらにハイになって、自分の心が制御できなくなっている。

だから、支離滅裂の駄文ということを承知で・・・。



日本女子サッカーW杯優勝の余熱も冷めてきたので、ひと言いいかな、と。

私は、スポーツは全般的に好きだが、野球とサッカーには、あまり興味がない。
もう少し具体的な表現をすると、自分でするのは好きだが、試合を観る気にならない、と言った方が正確かもしれない。

特に野球は、全体の動きがダラダラと散漫で、一回の表裏を見ただけで飽きる。

サッカーは野球より動きがあるので飽きることはないが、素人の私にはゲーム全体の流れが読みにくいので、面白さが今ひとつわからない。

ただ、昨年の男子サッカーW杯は、戦前の日本代表への評価が極端にネガティブだったので、応援に力が入った。
多くの人が、日本は予選リーグ一勝もできないだろうと予測していた。

だから、応援した。
もし、評価がネガティブなものでなかったら、私はあまり興味をもたなかったと思う(究極のひねくれもの)。


今回の女子サッカーW杯。
おそらく、ほとんどの人が開催前には、興味を持っていなかったと思われる。

開催前のマスメディアの扱いも、冷淡だったと思う。

正直言うと、私はW杯が開催されることさえ知らなかった。

私の友人のサッカー大好き人間は、開催されることは知っていたが、「まさか予選リーグを突破するとは」と思っていたようだ。

どうでしょうか、皆さん。
開催されること、ホントに知ってました?
なでしこさんたちが、決勝トーナメントに進むと本気で思ってました?

思っていたら、大したものだと思います。
それは、確実に胸を張れます。


ここからは、私の全く独りよがりの感想。

私が、女子W杯の存在を知ったのは、日本が決勝トーナメントに進出した、というのをネットの見出しで見てからだった。

しかし、それまでの私は、日本代表に興味がなかった。
日本代表を応援してこなかった。

面倒くさい性格の私は、そのことに引け目を感じてしまったのだ。

だから、日本が勝ったからといって、大騒ぎをするのは止めようと思った。
まるで、最初から応援していたかのように騒ぎ、当たり前のように「なでしこ!」を連呼することも止めようと思った。

それでは、勝ったから応援しているようなものではないか。
それは、「勝った日本代表」を応援しているのであって、純粋に「日本代表」を応援していることにはならない。

最初、申し訳なくも無関心で冷淡だったのだから、私は最後まで冷淡なままでいようと思ったのである。


俺は、「勝ったから」応援するってのは、嫌だ。


私はスポーツが好きだが、観るための自分なりのルールを持っている。

それは、スポーツは、純粋にスポーツとして楽しむこと(国籍を超えて)。

「勝ったから」楽しむというのは、私のルールに反する。

かつて北京五輪で、同じような快挙を成し遂げた日本女子ソフトボールは、マスメディアが勝手に「感動の押し売り」を消費しただけで、いまその存在を完全に忘れ去られている。
もう、そういうのはやめてもらいたい、と思う。

だから、我ながら本当に面倒くさい性格だとは思うが、今回は、なでしこさんたちの偉業を遠い目で見て、心の中で祝福するだけにした。

「勝った! 勝った! 日本バンザイ!」と叫ぶのを遠慮することにした。
優勝したあとのテレビのお祭り騒ぎ(おそらく)も、まったく観なかった。
(ホントに面倒くせえヤツ)


もちろん、馬鹿なヤツだという自覚は、充分持っておりますので、ハイ。





そして、もう一つ、面倒くさい話を。

だいぶ前のことだが、ネットで千原ジュニアさんが、足の指を骨折したというのを読んだ。

女性にハイヒールで踏まれて小指を骨折したという話だった。

しかし、その話を読んで、私は違和感を持ったのである。

千原ジュニアさんは、お笑い芸人さんだ。
お笑い芸人さんが、自分の遭遇した悲劇を、そのまま語る。

「ハイヒールで踏まれて、骨折しました」

申し訳ないが、少しも面白くない。

私は、恥ずかしながら7月のはじめに、自分の不注意で体を強く打つという喜劇を演じた。
それを私は、何度か違う角度からブログに書いてきた。
(ほとんど自虐的であったが)

まったくつまらない文章であったとは思うが、ど素人なりに、その都度切り口を変えて、ブログで報告した。
飽きないように、表現に気を配ったつもりである。


それに対して、千原ジュニアさんは、一流の芸人さんだ。

その芸人さんが、普通に悲劇を語るのは、いかがなものかと思ったのだ。


もし明石家さんまさんなら、「いやあ、白鵬関に踏まれてしもうて」とか言ったかもしれない。
出川哲朗師匠なら、「リアルに、ライオン(もしくはワニ)に噛まれちゃって」と言っただろう。
ダチョウ倶楽部師匠の場合は、「熱湯が足にかかって」、山崎邦生さんなら、「浜田さんが、本気でボーリングの球を落とすんですわ」、江頭2:50師匠だったら、「小指だけじゃなくて、どうせなら、全部踏めよ。中途半端なんだよ!」と怒っただろう。

私は、そういうお笑い芸人さんが、好きだ。
尊敬する。


私は、お笑い芸人さんは、自分の不幸を面白おかしく表現する人種だと思っていたから、千原ジュニアさんの言動に、ガッカリしてしまったのだ。



(「美味いもん食べ過ぎて、アゴが中国高速鉄道に乗って、足に落ちてきてしもうて」とか、言えなかったのだろうか)





最後に、もう一度、女子サッカーW杯に関しての話題を。

日本のスポーツジャーナリズムの「感動の消費」「お涙頂戴」的な切り口と、アメリカのジャーナリズムの切り口の違いに関してだ。


決勝直後に、ワシントン・ポスト紙(権力に媚びない硬派の新聞)が、こう書いていた(訳は、加藤祐子さんの『ニュースな英語』を参照しました)。

「震災の前まで日本は、なにより、その尊厳と優れた業績で名を馳せた国だった。日本の電車はどこよりも正確で速く、食事はおいしく、アスリートたちはどこよりも懸命にトレーニングしていた。それに加えて日本は、女子の競技人口が極めて少ないのに、世界有数の優れたサッカーチームを作り上げていたのである」

「大興奮の試合をした両チームとも尊敬に値する。はっきりさせておこう。ワールドカップには、津波や原発メルトダウンをなかったことにできる魔法の力はない。しかし慰め、励ますことはできるし、果敢な挑戦を通して本国へメッセージを伝えることもできる。日本のこの勝利にケチをつけるようなら、それこそあなたは醜いアメリカ人だ」

「多くの日本人は数日前まで女子サッカーW杯のことをよく知らず、自分たちの女子サッカーチームがいかに優れているか、よく知らなかった」

「戦い終わって泥にまみれ、足を引きずり、疲れ切って息を切らせていた日本もアメリカも、汚れにまみれたそのユニフォームの下には、もっと違うものを身に付けていた。たとえばそれは、栄誉と呼ぶべきもの」

「驚くべきことに、日本人の誇りは、大災害の悲しみの中でも決して色褪せることがなかった。だから、アメリカに対するPK戦での勝利は、日本人の誇りを再燃させたというより、そもそもなぜ自分たちは国を誇りに思うのかを、復興しつつある国や国民に思い出させるものだった」


他に、米スポーツ専門局「ESPN」のこんな記事。

「前半が終わった時点で、どちらが『運命のチーム』なのかは明らかだった。それはアメリカではなかった」

「今大会は本当に私たちが勝つものと確信していました。ずっとそう思っていました。だけど同時に、何かもっと大きいものが日本を応援していたと思います。この大会を代表するチームは日本でした。どうせ負けるなら、日本相手に負けを認める方がい。なぜなら、彼女たちは、実に優れた、風格のあるチームで、ものすごい情熱でプレーしていましたから。日本選手は皆、どこまでも戦って戦い続けていました」というアメリカのGKホープ・ソロ選手のコメントの後に、記者が言う。
「たとえどんなに熱狂的なアメリカ・ファンだったとしても、3月の悲惨な地震と津波を経験した日本が勝ったことに、少しでも満足感を覚えない人がいるだろうか?」


さらに、シカゴ・トリビューン紙。

「決勝戦を決めたPK戦で、日本の熊谷紗希が最後のペナルティーキックに備える間、傷ついた国は息を止めていた。日本にとって、これはサッカーの試合にとどまらない。多くの犠牲をもたらした地震と津波、原発の大災害で4カ月前に大打撃を受けた国が、激しい競争者としての心と魂を今でも持ち続けているのだと、世界に示す最高のチャンスだったのだ。日本のこの勝利は、自分たちはもう被害者のままではいないと、打ちひしがれていた国が、世界に向けてそう宣言したメッセージだった」



日本のスポーツジャーナリズムも、感情だけが先走らずに、冷静な表現で、これくらいの記事が書けるようになったら、日本のアスリートは、きっと自分の競技にもっと「誇り」を持てるようになる、と私は思っているのだが。

(ネットの情報だけで見ると、マスメディアは、お決まりのように、さんざん持ち上げてきた、なでしこさんたちを落とすゲスな作業に没頭し始めたようだ。持ち上げて儲けて、落として儲ける。その卑しさに反吐が出る)






眠くなってきた。



おやすみなさい。




2011/08/09 AM 07:51:59 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

隣家とその隣りの家
政府とマスメディアは、バブル崩壊以後、赤点ばかりだったが、国民は優等生だった。
東日本大震災後も優等生だった。

そう思っていた。
今も、そう思っているのだが。



隣りに気になる家庭がある。

そこは、こちらよりも家は小さいし、収入も半分以下である。
隣家は、こちらをいつも敵視している。
こちらの過去の悪行が隣りの一家全体を憎悪で被って、間にある小さな庭石をめぐって、絶えず領地問題を引き起こしていたからだ。

その庭石は、とても高価で重要なものだから、あるとないとでは家の価値に大きな差が出るので、双方必死である。
領地問題にこだわる家のジイちゃんは、声高に隣りの家を批判する。
そして、家の歴史を詳しく教えてもらえなかった孫は、訳がわからないながらも、隣りが高圧的に出るので、単純に反発していた。

その庭石に、隣の家の落書きがあったのを見つけたジイちゃんは、息子を焚きつけて隣家に抗議に行かせたが、門前払いを食らったようだ。

両家の間は、かなり険悪な様相を呈してきた。


それより前のことだが、隣家から音楽がよく流れてくるようになった。
どこかで聴いたことのあるような歌だが、こちらでよく聞くぽっぷすとは少し違うし、白い顔や黒い顔をした、川向こうの人たちが作る音楽とも、それは違った。

ジイちゃんは、えんかしか聴かないから、それを聴いて、うるさいな、と怒った。
息子と孫は、そのことに最初は無関心だった。
しかし、孫娘が、その歌に興味を持った。

「今まで聴いてきたぽっぷすとは、すこし違うなあ」
孫娘は、家同士の不仲には無関心だったから、隣家の娘と仲が良かった。

「ねえ、それ、何て音楽?」
「けーぽっぷ、だよ」
「へえ、けーぽっぷ? いいね、しーでー借りてもいい?」
「いいよぉ!」

すぐに孫娘は、けーぽっぷの虜になった。
その影響を受けて、息子の嫁も、けーぽっぷに関心を持った。
さらに、息子の嫁は、隣家の奥さんに辛い白菜の漬物を分けてもらう仲だったから、隣家で頻繁に見るというドラマが気になって、でーぶいでーを借りた。

たいした内容のドラマではなかったが、自分が知らない俳優ばかりが出ていたせいか、息子の嫁には、その全てが新鮮に感じ、ドラマの虜になった。

気がついたら、家では、けーぽっぷの歌が流れる頻度が高くなり、液晶テレビには、隣家から借りたドラマが映る回数が増えた。

その現象に気づいたジイちゃんは、怒った。
俺が苦労して築き上げた家に、隣家の風習が土足で入ってくるなんて、許せない。

しーでーを叩き割れ! でーぶいでーを叩き壊せ!

他人の意見に左右されやすい息子は、ジイちゃんに同調し、家の歴史、隣家の歴史に無知な孫は、やはり訳もわからず同調して憤慨した。

ジイちゃん、怒る。
息子、孫、怒る。

それに対して、孫娘は「なに、怒ってるの? 嫌なら、聴かなきゃいいでしょ。強制しているわけじゃないんだから」。
息子の嫁は「みっともない真似は、やめましょう。嫌なら、見なけりゃいいじゃない。自由なんだから」。

このように、家の中では、かなりの温度差があったが、こういうとき、ものを言うのは、声の大きさである。
ジイちゃんの大声に反応したのは、叔父や甥っ子たちだった。
彼らも同調して、「隣家の音楽やドラマは、けしからん」と叫び出した。

怒りの熱が冷めれば、隣家の音楽やドラマは、「ただのはやり」だということがわかるのだろうが、家を愛する心、家族を愛する自分の心を勘違いすると、錯覚のスパイラルから抜け出せなくなる。



隣家のさらに隣りに、広大な敷地を持つ家があった。
そこは、大家族だから家も大きい。
ただ、収入は家全体で換算すると、こちらの家と同等だが、個人の収入は、それほど多くなかった。
しかし、暮らし向きは、最近かなり上向いてきたようだ。

ここの家長は、絶対君主で、家族をあらゆる方法で縛り付け、感情もコントロールしていた。
隣家もそうだが、その隣りの家も、家を愛する心が強くて、「家が優先」の考え方が強い。

逆に、他の家に対しては、あまり関心を抱かず、他の家の人に対しては批判的であることが多い。

上から押し付けられた家を思う心は、自分中心の思考が多くを占めるから、他人に対して排他的になる場合が多い。
そして、その排他的な思考は、さらに歪んで、実は「自分が家を愛するのは、家を愛する自分のことが好きなだけなんだ」という利己的な真理に気づかなくなるという「愛情の盲目化」を生む。

家を愛する自分のことが好きなひとは、よその家とよその家族が嫌いだ。
自分だけを愛していればいいから、よそを認める心の余裕がない。
そして、厳格な家長も、そんな家族の方が制御しやすいから、そのことに関しては、むしろ積極的に褒めてきた。

隣家とその隣りの家は、その点で似ているかもしれない。


ジイちゃん。
実はあなたも、自分の家を愛する自分のことが好きなだけなんだと思う。
大声で、「家を守ろう」と言ってはいても、その大声を出す自分が好きなだけではないだろうか。

それは、突き詰めると、あなたが嫌いな隣家とその隣りの家と同じことをしている、と言えるかもしれない。

家を愛する心を歪めて、お互いが、それを正当化したら、取り返しのつかないことが起きる。


川向こうの家のやることを真似して、他の家を暴力で蹂躙してきた過去を持つ家。

そんな歴史を無闇に繰り返さないひとが、真の意味で、家を愛する人だ。



川向こうの家に押し付けられたとはいえ、他の家の手本になる家訓を持っている家が、「まるで子どものように感情だけをぶつけ合う喧嘩をしてはいけない」と、この文の主であるmatsuは思っているのである。







ところで、matsuの言いがかり。


公共の電波を使って、夏の長い間、国営放送局が「コウコウヤキュウ」というものを放映し続け、電波を占領するのは、いかがなものか。


公共の電波を無駄に使うことが嫌いな「自分大好きジイちゃん」が、それに寛容なのは、なにゆえ?





そして・・・・・、

松田直樹選手のご冥福をお祈りいたします。


ただ、彼の死に対して「関係ない」とか「ワロタ」とかいうネット住民がいることに、言葉にしがたいほどのやるせなさを覚える。

どう受け止めるかは自由だが、精一杯生き急いで死んだ人を冒涜することだけは、やめて欲しい。





2011/08/07 AM 08:24:34 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

もう一度、あしたのジョーを
読書は、好きな方だ。

ミステリーから歴史小説、ルポルタージュ、エッセイ、妖怪小説まで幅広く読む。

たいていは、BOOK OFFで中古本を買う。
あるいは、図書館で借りる。

BOOK OFFで買った本は、読んだあとで、希望があれば友人に上げる。
あるいは、無理やり押し付ける。

だから、本棚は、いつもスカスカである。


昨日の昼間、大学時代の友人とメシを食った(奢ってもらった)。

彼は、私に毎回のように本を貸してくれるのだが、彼の読む本と私の好きな本の趣味が、余りにもかけ離れているので、彼の貸してくれる本を私は最後まで読んだことがない。

内田康夫先生と、海堂尊先生、有栖川有栖先生の本が多い。

どちらも最高で、百ページくらいまでしか読んだことがない。
場合によっては、5ページで本を閉じる。

心に、ざわめくものが感じられないからだ。

だから、悪いな、俺には難しすぎるよ、と言って返す。
毎回のことだから、難しすぎる、とでも言わないと、友人に申し訳ないと思うからだ。

そんな私に、昨日友人が言った。

「じゃあ、どんな本が読みたいんだ。おまえの読みたい本を俺が買うから、言ってくれ」

いや、そこまでしなくても。
それは、なんか違うと思うのだが。

しかし、友人は必死な形相で、言うのだ。

「だって、俺たち。大学時代、陸上部で一緒だったっていうだけで、他に共通点は何もないだろ!
俺は、演歌が好きだが、おまえは嫌いだ。俺が好きなカラオケに、いくら誘っても、お前はこない。
俺の趣味の釣りだって、おまえは興味がない。
俺は、中華料理が大好きだが、おまえは、食わないって言う。
まったく接点がないじゃないか!
だから、お前が読書ずきなのは知ってるから、俺はそれに合わせようとしてるんだよ。
でも、おまえは、昔から好きだって言っていた村上春樹だって、今は読まないじゃないか!」

本当に、必死だな。


しかし、大学時代、陸上部で一緒だっただけで、十分だと俺は思うんだが。
それは、立派に友だち関係を続ける理由になるんじゃないか。

しかし、「いや、共通の趣味は必要だよ。俺は、そう思うぞ!」と、さらに力をいれる友。
「だって、共通の話題がないのは、寂しいだろ。俺たちは、これからお互い寂しく歳をとっていくんだからさ」


俺には、おまえの頭の方が寂しんだが・・・・・。
言おうとしたが、確実に凹むだろうから、言わないでおいた。


そして、友が思い出したように言った。
「映画は、どうだよ! 嫌いじゃないだろ?」

いや・・・・・同じ時間、同じ空間で、みんなが同じ方向をむいて、同じ映像を見るというのは、気持ち悪いものだとは思わないか。
それは、ファシズムに繋がる(冗談ですので)。

だから、映画は好きだが、俺は、映画館には行かない。


落胆する友。

うなだれた頭頂が、透けて見えた。

その姿を見て、寂しさが心を満たしたので、私は言った。


あしたのジョー。


「え? あしたの・・・?」

だから、あしたのジョー、だよ。

むかし単行本を全巻揃えていたことがあったが、結婚するときに、近所のガキにあげてしまったんだ。
あれは、今でも惜しいと思っているよ。

だから、あしたのジョーを全巻読みたい。

「本当か!? 冗談じゃないよな」
嬉しそうな友の顔。

そして、友は突然立ち上がったのだ。

「よし! 今から買いに行こう! き、紀伊国屋にいくか、それとも三省堂か? ゆ、有隣堂? どっちだ」


いや、BOOK OFFだ。

「な、なんで、ブックオフだぁ!」

それは、安いからさ。
それ以外に理由がない。

俺には、新品の本を買うという習慣がない。
手が切れるような新品の本は、俺にとっては凶器だ。

だから、BOOK OFFがいい。


釈然としない顔をしていた友だったが、「まあ、いいだろう。買おうじゃないか。2セット買おう! ブックオフはどこだ?」と言って、両手を握り締めた。

本当に、必死だな。


ということで、吉祥寺のBOOK OFFで、あしたのジョーを2セット買った(買ってもらった)。


いま、それを少しずつ読んでいるところだ。

クリアアサヒを飲みながら、ゆっくりと読んでいる。

友は、すでに全部読んでしまったらしい。

そして、「どうだった? 俺は感動したが、おまえは、どうだった?」と、昨日買ったばかりなのに、昨日の夜遅く電話で感想を聞かれた。

まだ、2巻の途中までしか読んでいない。


だから、せかすんじゃないジョー、と言ったら、「遅すぎるジョー」と言われた。



明らかなバカ同士。

きっと死ぬまで、友だちでいられることだろう。






ところで、前回も少し書いたのだが、突然のお台場バッシング。

昔、日本のテレビはアメリカドラマに占領され、文化も侵食された。
しかし、その後、日本は独自の文化を作り上げた。

昔は、公共の電波を使って、各局が一つのプロ野球チームの贔屓報道をしていた。
それは、確実に偏向報道だったが、問題にはならなかった。

商売なんだから、売れているものを選ぶのは、企業の自由だ。
企業モラルに抵触しなければ、それは許されると思う。

(感情論を突き詰めていくと、歪んだ愛国心しか生まれない。韓国と中国の反日教育がそうだ。
日本の誇るべきところは、外国に対して露骨な反国家教育をしないところだ。たとえ自国の歴史を少し歪めたとしても、他国をあからさまに排斥したりはしない。
日本は自国を棚に上げることはしない国家だ。むしろ自虐的だとさえ言える。
韓国人や中国人は、異論ありと言うかもしれないが、日本人は反省する国民である。国家が反省しているかどうかは微妙なところだが、国民は常に反省している。それは美徳であると思う)


韓流は、一過性の流行であろうし、見たくないなら見なければいい。

本人が、バッシングを発信するのならいいが、私は便乗したバッシングは見苦しいと思う。
便乗は、他人の言葉で意見を語るものだ。
それは、現実の意味では、意見とは言わない。

それは、柱の影から言う「陰口」だ。


その意味で、発信した男優は勇気があると思うから、尊敬する。


彼の主張は、文章表現としては稚拙だが、おそらく自分の感情を偽りなく表現したという点では「真っ当な意見」だと言える。
(たとえ、それが誰かに唆された発言だとしても、発信したのは俳優の名前からである。これほどの反響があるとは推測できなかっただろうが、彼はとりあえず、自分の言動に対する責任を全うしようとしている)


自由社会は、誰が何を言っても許されるから、自由社会である(誹謗中傷は除く)。

だから、私は、彼の発言は、善悪を抜きにして、認める。

ほとんど納得できない馬鹿げた主張だが、それでも認める。


ただ、人の発言に便乗して騒ぐだけの「にぎやかし住民」は認めない。


便乗する人間は、自己を安全な位置に置いて騒いでいるだけだからだ。


脱原発を宣言したら、集団ヒステリー。
特定のテレビ局を非難したら、集団ヒステリー。

二人の俳優の職を奪ったとして、一体この国の何が変わると思っているのか。



次は誰の職を奪おうとするのだろうか、この集団ヒステリーは。




2011/08/04 AM 08:01:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

思うツボ
AKB48のことは、ほとんど知らない。
おそらく、これからも知ることはない。

去年まで、オオシマユウコとマエダアツコを入れ違えて覚えていたくらいだから、ほとんど無知と言っていい。

ただ気になっている女の子は、恥ずかしながら、一人だけいる。
この子の名前だけは、去年すぐに覚えた。

高橋みなみ。

取り立てて、可愛いとは思えないメンバーの中で、ルックス的に、さらにイマイチな子(失礼)。

しかし、何となく存在感のある気の強そうな表情が、気に入っていた。
気に入り度、15パーセントくらいだろうか。

そんな私の気持ちは、AKBのプロデューサーさんにとっては、「思うツボ」だろう。
AKB48が、本当に48人いるかは知らないが、プロデューサーさんにとっては、そのメンバーの中で一人でも好きになってくれたら、それで成功なのだ。

百パーセントでなくてもいい、少しでもお気に入りの子がいれば、「興味をもった」ということになる。
憎らしい戦略だ。



例えば、韓流がずっと流行っている。

これは、おそらく韓国政府の自国文化拡販政策に乗せられた現象だと思うが、韓国政府としては、TVドラマ、映画、K-POPのどれに興味を持ってもらってもいいのである。

ひとつでも、多少なりとも「はまる」ものがあれば、それも「興味をもった」ということになり、その現象が派生的に広がっていく。

つまり、それは韓国政府の「思うツボ」ということになる。

ビッベンとトゥエニィワンの好きな私は、まさしく韓国政府の「思うツボ」と言っていい。

(ところで、突然のお台場バッシング。公共の電波を使って、韓国のコンテンツをプッシュするのは、けしからんということだと思うが、昔のテレビはアメリカドラマで溢れていた。もっとアメリカ文化に侵食されていた。だから、私は一過性の流行だと思っている。その流行に便乗してテレビ局が金儲けをした。その程度のことだ。お台場をボイコットするなら、韓流のCDを出して儲けている会社も同じようにボイコット、バッシングしましょう。そうでないと、主張に一貫性を欠く)



友人の72歳になる母親は、オペラが大好きで、年に数回オペラを鑑賞しに行っている。
2万円から7万円くらいのチケット代を惜しみもなく使って、オペラを堪能している。

彼女は、たいへん品のいい外見を持ち、言葉づかいは、いつも優雅である。

その友人の母親が、SMAPの中居さんを、とても気に入っているのである。
「あの子は、リーダーシップがあって、いい子だわ」と、かなり熱を上げているらしい。

申し訳ないが、友人や私から見ると、中居さんは、歌も演技も司会も平均点以下にしか思えない。
何を根拠に「リーダーシップがある」と断言できるのか意味不明なのだが、友人の母親は、中居さんが、とにかくお気に入りなのだ。

「あの子は、素晴らしいわよ!」

しかし、彼女は、ジャニーズの他のメンバーに関しては、何ひとつ知らないのである。

SMAPの音楽も、ほとんど聞かない。
中居さんが出ている番組で、友人の母親が見るのは「金スマ」という番組だけだ。

その番組を見て、彼女は「中居さんはリーダーシップがある」と言い切る。

「金スマ」を見ていない私は、このことに関して、何も言えない。

ああ、そうですか、と思うしかない。

しかし、ジャニーズという会社にとっては、それでいいのだろうと思う。
数多くいるジャニーズのタレントさんの中で、72歳のオペラ好きの女性に「中居さんはリーダーシップがとてもあるわ」と言ってもらえるだけで、その戦略は成功したと言えるのだから。

毎週欠かさず一つの番組を観てくれるファンは、貴重である。

「思うツボ」と言っていい。



吉本興業に関してもそうだ。

たくさんの芸人さんを抱えたうちの一人でも気に入ってもらえればいい。
それで、商売が成り立つ。

私が尊敬するお笑い芸人さんは、志村けん師匠、高田純次師匠、出川哲朗師匠、坂田利夫師匠、ダチョウ倶楽部師匠、江頭2:50師匠だ(どなたも、共通項として、体を張った下品さを持っている)。

この中に、吉本の芸人さんの坂田利夫師匠が、入っている。

吉本興業の「思うツボ」ではないか。



そして、松竹芸能では「よゐこ」のことを昔から気に入っている。
最近では、コントをする場面を見たことがないが、あのシュールなコントは絶品だと思っている。

松竹芸能の「思うツボ」だ。



そして、クリアアサヒ。

数ある「第3のビール」の中で、私はクリアアサヒを愛している。

この一年間で、おそらく浮気をしたことは、一度もない(はずだ?)。

アサヒビールの「思うツボ」だ。



昨日二つの仕事が校了になり、今日は、急ぎの仕事がない。

傷めた肋骨の具合もだいぶ良くなったので、朝5時半から、(9月の文化祭の打ち合わせのために毎日学校に行っている)娘の弁当を作りながら、クリアアサヒを飲んでいる。


幸せの「思うツボ」。






なにか・・・・・変?




2011/08/01 AM 06:26:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]



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