Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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千回目の反抗期
「(前略)お別れの会を開催いたします。
この会の開催につき 故人のために泣かないことをルールとして提案いたします。
(後略)
ぜひ ご参加ください。
発起人 野中 博貴」

余りにもくだらない葉書だったので、無視した。


無視していたら、野中から電話がかかってきた。

「葉書、見たか。そこで、お前に頼みたいことがあるんだが」

押しつけがましい言い方。
だから、葉書は見ていない、と答えた。

「嘘だろ」

もちろん、嘘だが、俺の気持ちとしては、見ていないということだ。

それにな・・・・・俺は、仕事が忙しいんだ。
俺は、働きマンなんだ。


「おまえ・・・・・・」
小さな沈黙。

「長谷川が言っていたが、別れるとき、おまえの後ろ姿が、まるで樹海にでも足を向けそうな雰囲気があったと」

つまり、方向音痴の俺は、樹海に行ったほうがよかった、と。

「ひねくれるなよ、マツ。とにかく、みんながおまえに会いたがっている。来てくれよ」


俺は、会いたくない。
いま俺が会いたいやつなど、一人もいない。


「泣き顔を人に見られるのが嫌なのか」


いや、むしろ見せてやりたいくらいだ。
おまえは、俺から泣くチャンスを奪うのか。
悲しみを隠して故人を語りましょう、なんてのは、偽善者のやるお祭りだ。

だから、俺は行きたくない。
行かない。


こんな言い分が大人に通用するわけもなく、「何回目の反抗期だ!」と怒られた。

999回目だ。
惜しかったよ、あと一回で、記念すべき千回だったのに。
それを見せられなくて、残念だ。

「その千回目は『お別れの会』まで、とっておいたらどうだ。それなら、皆に見せられる」

千一回目になるかもしれん。

「それまで、反抗期は我慢するんだ。そして、ルールに反抗して泣け。
それが、おまえに一番ふさわしい『お別れ』だ。
記念すべき千回目の反抗期の証人に、俺たちがなってやる。
だから、来い。来てくれ」

野中の迫力に負けた。



わかった。



「そこで頼みがある。
邦子の遺影を二つ飾りたい。
20歳の頃の写真と先月撮った写真だ。
そこから邦子だけを切り抜いて欲しい。
変な修正は加えないでくれ。ありのままの邦子の顔を飾りたい。
プリントも頼む。大きさは、A3だ
できるよな」

できない、と言ったら。

「いま千回目の反抗をしてどうする。意味がないだろ」

そう言われたら、やるしかない。

つぶやいた。
それは、残酷な仕事だな。

「遺影の中でしか、微笑むことができない人がいる。
その人のために、今おまえができることは、それしかないだろ。
お前はもう、泣く権利を得てしまったんだからな」



電話を切った。



その残酷な仕事は、まだメールボックスの中にある。


これは、千回目の反抗期になるのだろうか。



2011/06/29 AM 09:54:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

四つ葉のクローバー
密葬。

家族でも親類でもない私が参列していいものかと、躊躇した。

特別、親しかったわけではない。
ただ、大学時代の数年、キャンパス内で親しくさせてもらっただけの友だった。

大学を卒業してからは、一度も会ったことがない。
もちろん、言葉を交わしたこともない。

ふとしたことで、その存在を思い出すことはあったが、それは絵画に嵌め込まれた「思い出の景色」のようなもので、時とともに残酷に色褪せていく宿命を持ったものだった。



「邦子が、死んだ」


大学時代の同級生、長谷川から電話がかかってきたとき、私は、アパートの庭のダンボールに住みついた猫に、餌をあげているところだった。

小太りで、頭のてっぺんの模様がチョンマゲのような形をしたコミカルな野良猫(セキトリと名付けた)。
野良猫は、皿に盛った餌を食べ始めようとしたが、私の体から何か異様なものが発散されているのを感じたのか、怯えたような顔をして、餌を食べるのをやめ、ダンボールに引き返した。

嘘だろ、と唸った。

地面が揺れたような気がした。

「俺も、嘘であって欲しいと思っている。夢だったら、いいとも思っている。だが、嘘でも夢でもないんだよ、マツ。邦子が、昨日(15日)死んだのは、本当なんだ。現実なんだ」
長谷川の声には、抑揚がなかった。
それは、きっと悲しみが深すぎて、悲しみが溢れ出すのを制御しないと、おそらく自分を見失ってしまうからだ。

唐突すぎないか、と言った。

体が、足元から震えてくるのがわかった。
声も震えていた。

「そうだ。あまりにも唐突すぎて、誰もが立ち止まってしまっているんだ」

長谷川の一歳年下の妹、長谷川邦子は、商社の社長である長谷川を助けて、この15年間、副社長という形で、仙台支店で陣頭指揮をとっていた。

長谷川の会社は妹でもっている、と皆から言われ、長谷川本人も、それが当たり前だと思っていたのか、「実質的には、妹が社長だな」といつも嬉しそうに笑っていた。


東日本大震災。


長谷川の会社の仙台支店は、この震災でほとんど被害を受けなかったという。
しかし、被害がなかったといっても、仕事には何らかの支障はあったはずだ。
取引先、提携先が被災したら、少なからず仕事に影響を受けるのは避けられなかったに違いない。

「俺も邦子をサポートするために、暇があれば仙台に足を運んだが」
長谷川が、言葉に詰まった。

何か湿ったものを飲み込んだような、重い沈黙が来た。

そして、重い沈黙の後、長谷川が「密葬をする。来てくれ。邦子の養女を紹介させてくれ」と言った。

俺なんかが、と躊躇ったら、もっと強く激しい声で「来るんだ」と言われた。

わかった、と言うしかなかった。


密葬の日。
世田谷の斎場に行った私は、様子を見ながら一番最後に中に入り、最低限のお悔やみと挨拶を済ますと、とりあえず、すぐ外に出た。

そんな私を長谷川はすぐに追いかけてきて、「邦子の顔を見てくれないのか」と私の腕を取った。
「それじゃ、別れにならないだろうが」と、泣き腫らした目で私を見上げ、もう一度、私の腕を強く引いた。

どうして、俺が。
そう言ったら、長谷川が「邦子が望んでいるかもしれないからだ」と、私の体を乱暴に揺すった。


邦子の顔は、大学時代の邦子が、そのまま普通に歳をとったという自然な歳月を感じさせるものだった。

ただ、この顔が動いて、その目が私を見ることは、もう二度とない。
30年近くたった今、私が見ることができたのは、目を固く閉じた異界の邦子の顔だった。


残酷な再会だ。


40人ほどの密葬。
私の知っている顔は、長谷川だけだった。

悲しみを共有できるのも長谷川だけだった。
長谷川、と邦子の顔に目を固定したまま、私は言った。

苦しんだのか。

「心臓の発作だったらしい。一瞬だけ苦しんだかもしれないが、長い苦しみではなかったせいか、顔は穏やかだろ」

確かに、穏やかな顔をしていた。
そして、若い。

仙台に住む大学時代の友人・野中が、「邦子は大学時代と変わってないよ。俺たちのアイドルだった時のまま歳をとった感じだな。羨ましい歳の取り方をしている」と心底、感心したように言っていたのを思い出した。


心臓発作。
つまりは、過労ってことか。

「俺の責任だ」
長谷川が、天を仰いだ。

「負担は、俺が全部かぶるべきだったのに」
長谷川の昔からの癖。
思い悩んだとき、右手の甲を噛んで、食いちぎるような仕草。

長谷川の右手の甲には、いくつもの赤いあとが付いていた。
そして、一番新しいあとから、血が滲み出ていた。

その姿を見て、長谷川、と私は言った。

お前は、倒れるな。
絶対に倒れるな。
休みたかったら、休め。

お前の妹が、いま望んでいるのは、それだけだ、と俺は思う。

妹の分まで、なんて思うな。
弔い合戦は、人に任せておけ。

お前が倒れたら、妹が泣く。

たった一人の、妹が、泣く。

そして、俺も・・・と言おうとしたが、それ以上、声が出なかった。


もう一度、邦子の顔を見た。

キャンパスのベンチに並んで腰掛け、ジャニス・イアンのアルバム「愛の余韻」で盛り上がったことを思い出した。

「『ラブ・イズ・ブラインド』を単純に『愛は盲目』って訳すのは、芸がないわよね」と邦子が言った。

じゃあ、何て訳すべきだと思う?

「『愛は信仰』かな。『盲目』よりも主体的な感じがしない?」

まあ、そうとも言えない気もするが。

邦子の笑顔。


ここにいるのが、つらくなった。
花に埋もれた邦子の顔を、これ以上見ていたくない。

帰りたい。


後ろに、2歩。
これで、もう邦子の顔は、見えない。


十分に、お別れはした。

帰ろう。

また一歩下がった。



邦子が骨になる間、長谷川と私は、斎場の庭で立ったまま話をした。

そのとき、長谷川が「お前に紹介したい子がいる」と空を見上げた目を私に向けた。
少しだけ、長谷川の顔が、ほころんだような気がした。

会場に入った時から、私の視界の片隅に無理なく入り込んできた娘。

「邦子の養女だ。血のつながりはほとんどない。まあ遠い親戚だから、あると言えばあるんだが」

顔も雰囲気も、邦子の大学時代に似ていた。
背の高さも。
(邦子は、170センチ以上の長身だった)

今年、仙台の大学に上がったばかりだというから、18か19か。

今は沈んでいるが、笑ったら邦子に似ているのかもしれない。


邦子は独身だったが、12年前、6歳の七恵(ななえ)を養女に貰ったという。

つまり、結婚する気も子どもを産む気もなかったということか。

要するに「仕事が恋人」だった、とか。
ただ、そんな言い方を邦子が喜ぶかどうかは、今となってはわからないが。


私が悔やみの言葉を述べると、七恵は「本日は、ありがとうございます」と大人びた口調で言った。
そのとき、邦子の匂いがした。
それは、もちろん錯覚に違いないだろうが、私には「思い出」という名の邦子の香りに思えた。

七恵の肩に手を置いて「邦子の養女のまま、俺が後見人になる」と長谷川が言った。

しかし、七恵は、そんなことには興味がないような顔で、「ガロの人ですね」と、私の目をまっすぐに見て言った。


ガロのひと?


何だろう、と思った。
画廊のひと、のことか。
しかし、私は当たり前のことだが、画廊になど勤めたことはない。

私の聞き間違いか。

目を宙に泳がせていると、長谷川が私の腕を軽く叩きながら言った。
「思い出さないか、マツ。ガロ、神田共立講堂、解散コンサート、四葉のクローバー」

埋もれていた記憶。
ほとんど思い出すことのなかった出来事。

しかし、瞬時によみがえった。

長谷川と邦子そして私の3人で、ガロというグループの解散コンサートに行ったことがあった。
誰がそれを提案したのか、まったく思い出せないが、確かに三人で行った。

大学2年の春だったかもしれない。
ということは、邦子が1年のときか。

コンサートに行ったことは思い出したが、どんな内容だったかまでは、思い出せなかった。
ただ、コンサートのあと、三人で神保町をぶらついたことは、思い出した。

「6、7人しか入れないような小さなカレー屋で、カレーを食った」と長谷川が言った。
そんなこともあったかもしれない。
ただ、鮮明に思い出せる記憶ではない。

まるで濃霧に包まれたような霞んだ情景。
思い出せないことが、もどかしいが、30年以上前の出来事だった。
思い出せないとしても、不思議ではない。

「マツなら、俺は許せたよ」と長谷川が、唐突に言う。

何がだ。

「妹がつきあう相手として・・・だ」
青白い顔で、長谷川が小さく笑った。

冗談だろ。
まるで、お手軽な恋愛ドラマじゃないか。

「まあ、いまさら、の話さ。邦子への供養だと思ってくれ」と、また長谷川が笑った。


そうだよ、長谷川。
それは、いまさらの話だ。
こんな場所で言うことじゃない。

そして、心の中で言った。

聞きたくもない。



「四葉のクローバー、という歌、覚えていますか」と、今度は七恵。

七恵の目を見た。
その目に、大学のキャンパスが映っていたような気がした。

四葉のクローバー。
それは、憶えている。

ガロの歌だ。

細かい歌詞は忘れたが、乙女的な風景を歌ったものだったような記憶がある。

キャンパスで、私が下手くそなギターを弾き、長谷川と邦子が、ハモった。

七恵は、そのことを言っているのだろう。
七恵が、それを知っているということは、おそらく長谷川か邦子のどちらかが、その話を七恵にしたからだ。

「母に、何度か聞きました」と七恵が言った。
七恵の目が、かすかに笑っていた。
口元も、かすかに笑っていた。


ああ、邦子がいる、と思った。


はじめて、涙が出た。

しゃがみこみそうになったが、かろうじて堪えた。

きっと、空から見てる。


長谷川の目と、七恵の目を交互に見た。
二人の目に、同じように光るものを見て、俺は、と言ったが、あとの言葉が続かなかった。


俺は、あの時、何を言おうとしたのだろう。



俺は・・・・・・・・。





2011/06/23 AM 10:22:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

桑田佳祐のように
シバタリエさんから電話があった。

と言っても、あの有名なタレントさんではない。
私の大学時代の友人、ハゲの奥さんからだ。

そこそこ立派な会社に勤めていたハゲは、会社の早期退職者システムを利用してリタイアし、行政書士事務所を開業するために、昨年暮れから、行政書士事務所に見習いとして入り、実務をいま学んでいた。

給料はタダでいいと言って行政書士事務所の所長に頼み込んだが、「タダというわけにはまいらぬ」と言われ、「じゃあ、月に5万円で」と提案し、了承されたという。

早期退職者には、退職後1年間、事務手続き上は在籍扱いで、退職時の7割の給料が支払われるらしいから、生活に困ることはないという。
もちろん、退職金も割増で貰っている。

いいご身分である。


電話で、奥さんのリエさんが言う。
「主人が、鬱病っぽいのですが」

ハゲが、鬱病?

今さら、髪の毛が抜けて鬱病ですか?

「いえ、髪の毛は、とっくに諦めておりますので」
アッサリ言われた。

リエさんの話によると、以前は会社のことなど、よく話してくれたのだが、最近は何か物思いに耽る時間が長く、何を聞いても上の空のようだという。

仕事の帰りに簡単な買い物を頼んでも、忘れることが多く、今まで財布を落としたことなどなかったのに、この2ヶ月間で2回も落としたという。

会社を辞めたことが原因とか?

「いえ」とリエさんが、断言した。
「辞めたあとは、体力づくりで毎日ジム通いをしていました。家族旅行もたて続けに2回行って、とても楽しそうでした。『俺は開放された。俺の人生はこれからだ!』って喜んでいたんですよ」

しかし、その喜びの反動で、気分がマイナスの方に振れた可能性はある。

「それは・・・・あるかもしれませんが」


シバタリエさんが心配しているので、ハゲに電話をかけてみたが・・・・・・・出んわ!

3回目の電話で、やっと出たわ


行政書士事務所の実務にハゲんでいるか?

「・・・・・(無反応)」

会社を辞めて、ハゲしく環境が変化したから、大変だったろう?

「・・・・・(無反応)」

疲れたときは、肉よりも、すぐエネルギーに変わる炭水化物を摂取したほうがよい。スハゲッティなどを食うといいぞ。

「・・・・・(小さなため息はあったが、ほぼ無反応)」


確かに、沈んでいる気配はある。
ハゲが、これほどハゲしく無反応だったことは、私の記憶では一度もない。

どう対応すれば、いいのだろうか。
どうハゲましたら、いいのだろうか。

ボブ・ジェームスの「はげ山の一夜」(ムソログスキー作曲)でも聴いてアイディアを練りたいところだが、残念ながらレコード盤しか持っていない。
私はレコードプレーヤーを持っていないので、今あの名曲を聴くことができない。

ハゲしく落ち込む俺・・・・・・・。

そんな風に落ち込んでいたら、ハゲがしゃべった。

「俺、あのなあ・・・・・・・・・・(長い間)・・・・・喉頭がんだって言われてるんだ」

喉頭がん。
あまりにも意外な言葉だったので、頭がハゲしく混乱した。

何も言葉が、出てこなかった。

頭の中が真っ白になる、というのは本当のことだ。
私の頭は、髪の毛の白が中身にまで浸透したように、白一色になった。

空白の頭。

しかし、ハゲが、淡々とした口調で言う。
「喉に違和感を感じたのは、今年の大地震前後だったな。声が出づらくなったんだ。最初は風邪かなと思ったが、症状が長引いたんで4月の終わりに病院に行った。そしたら、喉頭がん初期だって言われた。ショックだった。しかし、ひとつの病院の判断だけでは信用できないんで、セカンドオピニオンってやつか、他の病院にも診てもらったんだ」

大きく息を吸う音が聞こえた。
「そこでも、同じことを言われたよ。そして、手術は、それほど難しいことじゃないとも言われた」

ため息。

ハゲのため息と、私のため息だ。

しかし、誰にも相談せず、奥さんにも話せず、この日まで来たということか。
当たり前のことを聞くが、怖いのか。

沈黙。

こんなとき、友にかけるべき言葉なんて、あるのだろうか。
何を言っても、彼の心の中をかき回すだけではないだろうか。

そうだ。
同じ大学の友人のヘチマ(ノナカ)のことを言ってみようか。
彼は、昨年、胃を3分の2切除する手術を受けたのだ。
しかし、ヘチマは今、昔と同じように、元気に仕事をしている。
彼のことを伝えてみたら・・・・・・。

なあ、ハゲ。
ノナカのことなんだが・・・・・。

しかし、その言葉を打ち消すように、ハゲが力のこもった声で言った。

「踏ん切りがついた! お前の声を聞いて、俺は踏ん切りがついたぞ。また、こんなふうに、お前に『ハゲ』って言ってもらいたいもんな。手術をしなけりゃ、それは無理だ。だから、俺は、明日病院に行く」

いや、その前に、ハゲ・・・・・。

「わかってる。家族には、これから言う。そして、支えてもらうよ。家族のサポートがなければ、俺は絶対に駄目だ。きっと心が折れる。やけになるかもしれん。だが、家族がいれば、俺は耐えられる。絶対に、耐えてみせる」


ああ、そして、早くカムバックしてこい。
桑田佳祐のように。

「そうだな、桑田佳祐のように!



夜8時過ぎ、シバタリエさんから、また電話がかかってきた。

「ありがとうございます」と言われた。
涙声で言われた。

サポートをお願いします、と言おうとしたが、iPhoneを握りしめることしかできなかった。

「お大事に」さえも言えなかった。


噛み締めた唇が痛かった。

血の味がした。






2011/06/15 AM 05:58:11 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

先人の教えは正しい
禍福はあざなえる縄の如し

この諺は、試験に出ることもあるので、受験生諸君は、必ず勉強しておいてください。



武蔵野に越してきて、はじめてのお得意さんが、小平の病院だった。

それは、表紙のフラッシュの部分だけを作る仕事だった。

他の部分は、それなりにご立派なデザイン会社に頼んだらしく、毎月の管理にかかる維持費が高いようで、半年前に「更新だけ、やってくんない?」と打診されたことがある。

「やってくんない?」と言われたら、「はい、喜んで!」と答えるのが、商売人というものである。
そのとき、すぐに見積もりを出したら「え? そんなに安いの?」と、何か胡散臭いものを見るような目で見られた。

安かろう、悪かろう。
世間の良識のある大人は、みんな、そう考える。

私は、ハッタリが不得意なので、自分の実力に見合った額を提示するのだが、要するにそれは、実力が三流以下であると自己申告しているようなものだ。

それはわかっているのだが、「まあ、俺はこんなもの」と思って、開き直っている。

見積もりを出してから半年間、病院からは、何の音沙汰もなかった。
一度こちらから電話をしたが、そのとき担当者は「ああ、あの件ねえ〜、まあ・・・・・ちょっと、待ってくれますか・・・ねぇぇぇぇぇ・・・」と語尾をあいまいに引きづりながら、心のこもっていない声で答えた。

この対応で、脈があると思うほど、私は楽観的な人生を生きてはいない。

だから、それは、もうソユーズと一緒に、宇宙空間に噴射された「見果てぬ夢」だと思っていた。


しかし、先週の土曜日の朝、突然担当者から電話がかかってきたのだ。

「ごぶさたしています」

それに対して、ごぶさたデシュ、と答えた私は、いったい何もの?
あまりにも意外だったので、舌がもつれてしまったのだ。

それは、私のメンタルの弱さが、如実に現れた対応だったと思う。

そして、イチュモお世話になっていまシュ、と来たら、もうギャグとしか言いようがない。

こんなときに、軽く突っ込んでくれたら、噛んだ甲斐があるというものだが、相手は完全スルー。

「ホームページの更新の件、憶えてますでしょうか。そのことで、少しご相談が」

ここで、ごショウだんでシュか? と言えたら、私は相当な大物なのだろうが、アリほどの器のでかさしかない小物に、そんなことは言えない。

はい、憶えておりますが、ご相談とは、何でしょうか。

「デザイン会社との契約が切れましたので、これからの更新はスカイデザインさんにお願いしようかと思うのですが」
NHKのアナウンサーのように、澱みない口調で言われた。

そして、さらに念を押すように強い口調で畳み掛けられた。
「本当に、見積もり通りの金額でよろしいんですね?」

実は、見積り額は忘れてしまったのだが、仕事がくればいい。
だから、もちろんです、と答えた。

「詳しいお話をしたいのですが、こちらにいつ来ていただけますか?」と言われたので、食いつくように「明日です」と言った。

時間の打ち合わせをして、電話を切った。

よし! 仕事ゲット!!
床を踏み鳴らして、ガッツポーズ。


嬉嬉嬉嬉嬉嬉嬉嬉嬉嬉嬉嬉嬉嬉嬉嬉・・・・。


よろこびを噛みしめていたとき、iPhoneが震えた。

杉並の建設会社の社長からだった。

いきなり「ホームページって、必要か?」

8か月前に、この建設会社からホームページを依頼されて作ったのだが、アクセス総数が、まだ3000しかないと、文句を垂れ始めたのだ。
知り合いのホームページは、アクセス数が2万を超えている。
完全に負けている、との言いがかりである。

アクセス数を上げるについて、最初の契約で、私は全くタッチしないという約束をした。
「そんなことに金は払えねえよ」と言われたからだ。
だから「そんなこと」を少しもしないで、8ヶ月でアクセスが、3000もいけば、上等だと言った。

すると、お決まりのように「だからよお、俺の知り合いのところは、2万を軽く超えてるんだって!」と駄々をこねられた。

そのお知り合いが、ホームページを開設したのは確か5年か10年前でしたよね。

わずか8ヶ月と5年か10年では、全く違う。
しかし、このペースなら、この社長の会社の初年度のアクセス総数は、5千を超えるかもしれない。
そうすれば、5年たったら、単純計算で2万5千ということになる。

お知り合いのHPより、超えることになりませんか。

それに対して、「なんだよエイチピーって、わかるように説明しろよ」と怒られた。

ごく簡単に説明した(説明するまでもないのだが)。

しかし、社長は私の説明を遮るように、声を張り上げたのだ。
「それによお、5年経ったら、相手のホームページもアクセスは増えてんだろ! それじゃ、超えたことにならねえだろうが!」


まさか・・・・・・・・・・・・本気で、言ってんのか。


じつは、このやり取り(アクセス数が上がらない)は、4回目なのである。

過去3回、似たようなやり取りがあった。

そのたびに、私は同じ時期に開設された建築関係の会社のHPを例にとって、説明している。
その会社もトップページに、アクセス数を表示しているのだが、その会社のアクセス数は、まだ1200を超えた程度である。

だから、社長のところは、そこよりも2.5倍以上多いんですよ、と説得するのだが、「よそはよそ、うちはうちだよ!」と言い張る。

よそはよそなら、社長もお知り合いの、年月の経ったHPを引き合いに出すのは辞めてくれませんか。
私が、そう言うと「ほら、そう言って、すぐ誤魔化すだろ! 俺、そういうの嫌いなんだよね」と、まるで●才の男児のような言いがかりをつける。

そこで、毎回のように私は、ああ、来客です。失礼します、という嘘を言って、電話を切るのだ。


いいことの裏には、悪いことがある。


先人の教えは、いつだって正しいことを、この電話のたびに、私は思い知らされるのである。




2011/06/13 AM 06:10:53 | Comment(3) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

倫理の崩壊とフランス人
駐輪禁止とフランス人のことを書こうと思う。


昨日、得意先から振り込まれた請負代金を引き出そうと、武蔵境駅前の東京三菱UFJ銀行に行ったときのことだ。

正午前だったが、五十日ということもあって、混んでいた。
銀行前のスペースは、駐輪禁止となっている。
しかし、だからといって、銀行に他に駐輪場は存在しない。

では、どこに停めればいいのか。
隣接するイトーヨーカ堂の駐輪場を利用すればいいのだろうが、駐輪できたとしても、200メートル以上を歩いて戻ってこなくてはいけない。
その煩わしさを嫌ってか、駐輪禁止の銀行の前は、いつも自転車でいっぱいである。

そこで、私は、近くのコンビニの前に自転車を置くことにした。
ここも混雑していたが、かろうじて一台を入れるスペースがあったのだ。
まわりの自転車とバランスをとりながら、邪魔にならないように停めた。

いつも気を使って、他の人の自転車が、すぐ取り出せるように停める。
それが、常識だと思っている。

しかし、お金を引き出して、数分後に戻ってきたら、私の自転車の前後に(左右ではなく)、他の自転車が停められていて、私の自転車を完璧に塞いでいるではないか。

普通、こんな停め方するか?

これでは、私の左右の自転車も出すことができないではないか。
要するに、自分の自転車だけが停められれば、いいということか。
他の人の自転車が身動きできなくなっても、別に構わない・・・と。

あるいは、最初から他の人のことを考えるつもりは更々ない。
もしくは、考える能力がない。

いったい、どんなやつが停めたんだろう?
観察するつもりで、少し離れたところから見ていたが、4分20秒経っても帰ってこないので、面倒くさいので、待つのを諦めた。

そして、その待っている4分20秒の間にも、コンビニの前に、何人かの人が無秩序に自転車を停める場面を目撃した。
10代の若い子から60代に見えるオバちゃんまで、年齢層は、幅広い。


倫理の崩壊。


吉祥寺三鷹、武蔵境は、自転車の駐輪に関しては、かなり規制が厳しい。
緑色の制服らしきものを着た係官が、絶えず目を光らせていて、慇懃な態度で注意してくるのである。
ときに、赤い紙をハンドルに括りつけられて、反省を促される。
あるいは、いきなり自転車が拉致される。

だが、そこまで徹底して、自転車を排除しておきながら、公共の駐輪場の数が少ない。
あったとしても、「満車」であることが多い。

銀行や本屋、レンタルビデオ屋の前でさえ、駐輪禁止なのだから「自転車には乗るな」と言わんばかりの行政の態度だ。

確かに、自転車のマナー違反は多いかもしれない。


視覚障害者誘導ブロックの上に平気で自転車を停めている人がいる(目の見えない人がいることなど、想像もつかないのか)。

狭い歩道を、もの凄い勢いで自転車を走らせている人もいる(当たり前のことだが、歩道は歩行者のためのものだ)。

狭い道を、3台の自転車が、ゆっくり横一列になって走っている光景もたまに目にする(後ろから来る人のことは考えないのか?)。

店の出入口に、何の躊躇もなく、自転車を停めている人もいる(完全な営業妨害)。


こんな例を見ると、行政側が、強硬手段に出る気持ちもわからないではない。

しかし、駐輪をすべて悪だと考えて、自転車をすべてシャットアウトするなら、やはり同等の受け皿は用意すべきだろう。
わずかな駐輪場を用意して、「はい、俺たちの義務は果たした。今度は目を光らせて監視を強化しよう」というのでは、それは本当の行政サービスとは言えない。

ただ厄介払いが、したいだけではないか。


そんなことを考えながら、後ろを塞ぐ自転車を移動させようと、自転車を持ち上げたとき、「ああ、それ私のですゥ!」という甘い声が聞こえた。

声から年齢を判断すると、18歳から21.3歳くらいか。
身長は、160センチ前後、体重は、47.5キロくらい。
髪はショートで茶色。
きっとミニスカートかショートパンツを履いているに違いない。

そんなことを零コンマ4秒で考えた。

期待。

振り向いた。

すると、パツキン、いや金髪の完璧な外人。
私のプロファイリングでは、おそらくドイツ人の血が混じったフランス人。

そのフランス人(断定)が言った。
「ごめんなさい、お腹が痛くなって、我慢できなかったのォ! だから、変なところに停めてしまいましたァ!」

流暢な日本語である。変なイントネーションもない。

三鷹市大沢にある国際基督教大学に通う学生だと見た(断定)。

そして、気品あるビューティ・フェイス。
身長は私と同じくらいだから、おそらく180センチくらいだと思われる。

そして、妄想通りにショートパンツからニョキッと出た長い脚。

オー! ラ・フォア・デ・フィーユ(少女時代?)


長い脚に釘付けになりながら「あ・・・・・ああ、大変でしたね。だ、大丈夫・・・・・でしたか?」

ニッコリ微笑まれた。

そして、パツキン・フランス人(断定)は、颯爽と自転車にまたがり、長い脚を窮屈そうに動かして、風のように去っていったのだった。



お嬢さん。

いくら日本が平和な国だといっても、自転車に鍵くらいはかけましょうよ。




2011/06/11 AM 08:43:39 | Comment(1) | TrackBack(0) | [日記]

根なし草のマラソンランナー
「根なし草なんだよ」と言われた。


昨日、埼玉時代にお世話になった同業者のカマタさんが、「なんか奢るよ」と言って、吉祥寺まで来てくれた。

カマタさんは、私にメシを奢ることに生きがいを感じておられる「変わった人」なのだ。

何か、こちらにご用でも? と聞いてみたが、「メシを一緒に食うのが、ご用だね」と言われた。
奢られる側が言うのは、とても申し訳ないことだとは思うが、本当に「変わっている」と思う。

私の記憶に間違いがなければ、埼玉県大宮近辺で47回は、奢っていただいたと思う。
東大宮でも奢ってもらったことがある。
新宿でも奢ってもらったことがある。

武蔵野に越してきてからは、一度武蔵境でおごってもらい、吉祥寺でも奢ってもらった。

10年以上の付き合いで、お互いが仕事を出し合ったのは、2回程度だから、仕事上の接点は、ほとんどないと言っていい。
要するに、私とカマタさんの歴史は、奢られっぱなし(もちろん私の方が)の歴史である。


午後1時半。
吉祥寺駅すぐそばの回転寿司屋さんに入った。

マグロの赤身を食いながら、いきなりカマタさんに「埼玉に戻る気はないの?」と聞かれた。

ないんですよねえ。

「でも、そもそも奥さんのお母さんの調子が悪いから、面倒を見るために移ったわけだよね。お母さんが亡くなったんだから、もう義務は果たしたんじゃないの。埼玉にもお得意さんは、まだいるんだよね。東京からじゃ不便じゃないかい?」

お得意さんは確かにいますが、請け負い額で線を引いて、半分以上付き合いをお断りしちゃったので、今はそんなに多くないんですよ。

「でも、仕事以外の付き合いとかもあるでしょ。去年の恒例の忘年会は、Mさんが来ないって言うから、中止になっちゃったしね。遠いから億劫だってのは、わかるつもりだけど、今までの付き合いも大事にしたほうが、いいんじゃないかな」

耳の痛いことを言われた。

それを言うために、カマタさんは、わざわざ足を運んでくれたのか。

確かに付き合いは大事だ。
埼玉時代の同業者を避けているつもりはない。
これからも付き合っていきたいと思っている。

ただ、埼玉に住んでいたときには強く感じたことがなかったが、東京に越してきて「ああ、俺は埼玉で無理をしていたんだな」と今にして思う。

埼玉で暮らしながら、埼玉で仕事をしながら、いつも「よそ者」という思いが、心のどこかに存在していた。

どこか馴染めないでいた。
(勝手な言い分だと、自分でも思うが)

15年間、大きな団地で暮らしたが、現実感と生活感があまりなかった。

知り合いは、それなりにいたし、有り難いことに仕事が途絶えることもなかった。
得意先が、たくさん倒産したが、それは、そういう時代なのだから、特別不幸、不運という受け止め方はしなかった。

ずっと貧乏だったが、こんな俺でも、家族を普通に養っていけるんだ、という自信のようなものはついた。
俺に、自分の子どもを大学にまでやる甲斐性はあるのか、といつも心のどこかで怯えるような意識を常に持っていたが、何とか果たせた。

最低の男だと、自分を評価していたが、「低」に格上げしてもいいか、とも思った。

埼玉に嫌な思い出があるわけではない。
間違いなく、私と私の家族の生活を支えてくれた場所である。

それは、感謝すべきだろう。

だが、埼玉が少しも懐かしく感じられない、という意識は拭いようがない。

今では、全くとは言わないが、あまり埼玉の生活を思い出すことはない。
仕事で埼玉に行くときも、ただ仕事先に行く、という感覚しかない。
思い出が呼び起こされることは、まったくないと言っていい。

子どもたちは、ほとんどの時間を埼玉で過ごしたから、今でもよく友だちに会いに団地まで足を運んでいる(バスと電車を乗り継いで、2時間近くかかるのに)。
私にも埼玉にお得意先はあるし、同業者の友だちも、それなりにいる。

しかし、私の場合は、なぜか足が遠のくのだ。


なんででしょうね?


わかるはずもないことを、カマタさんに聞いてみた。

「それはね。Mさんには、通過点だったからだよ。きっと立ち止まる場所では、なかったからだな。
マラソンで言えば、15キロから折り返し地点に行って25キロあたりまでが、埼玉での生活。
Mさんは、25キロを過ぎたあたりで、違う景色を選んだんだ。埼玉は、通過しただけなんじゃないかな。
だから、懐かしく感じないんだよ。
Mさんは、言ってみれば、根なし草のマラソンランナーみたいなもんだね。
通り過ぎる景色は、Mさんにとって、ただ通り過ぎるだけのものなんだろうね」

そういった後で、カマタさんは、持っていたジョッキを無理に私のジョッキに当て、残りを飲み干した。
そして、どこか沈んだ面持ちで、私を見た。

「まあ、俺たちは通り過ぎる景色でもいいんだけどさぁ、通り過ぎる景色にも顔や名前があるってことを、たまには思い出してほしいね」

カマタさんの顔は、笑っているようでもあったが、何かを堪えているようにも見えた。


通過点、根なし草のマラソンランナー、通り過ぎる景色・・・・・。


それは、違いますよ、カマタさん。

そう言おうと思ったが、言えない自分がいることに気づいて、うつむいた。





2011/06/09 AM 07:04:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

愛情と下ネタ
前々回、大宮の印刷会社から唐突に電話がかかってきて、私が撃退したことを書いた(フリーランスの鉄則を破る)。

今回は、その後日談である。


その印刷会社の社員は、私に対して冷淡だが、その社長は、とても好意的であるということは、だいぶ前に書いたことがある(コチラ)。

社長の心の中に溜まったストレスを吐き出す相手に、私が選ばれて、年に1度か2度、社長室に呼ばれて、オタールのロックをいただきながら、社員の悪口を一方的に聞かされるのである。

今までに、6、7回そういうことがあった。

その社長が、私が東京武蔵野に引っ越したことを、社員から知らされていなかった。
だから、先日、ダメ社員経由で私に仕事の依頼があったのだが、私は担当者の対応に腹を立て、「小僧」と言って、断ったのだ。

私が武蔵野に引っ越したことを初めて知らされた社長は、社員を怒鳴ったという。

「何で、そんな大事なことを俺に知らせないんだ! おまえ、俺に恨みでもあるのか!」

かなりの剣幕で、社員は叱責されたらしい。

そこで、昨日、わざわざ社長直々に、その叱責された社員を運転手として、クラウン・マジェスタでオンボロ・アパートまで足を運ぶという、思いがけない展開になったのである。

社長が、ジョニーウォーカーのブルーラベルを手土産に、オンボロ仕事場で、頭を下げる。

社長が、頭を下げる筋合いのものではないと思うのだが。
こちらが一方的にお付き合いをお断りしたのだから、どちらが悪いという問題ではない。

ビジネスとして捉えたら、私の方にメリットがないから仕事をしない、というだけの話である。

むしろ、小僧! と言って怒鳴った私の方が、どちらかと言えば、非があるとも考えられるし・・・。


「聞くところによると、Mさんに対して、いつも大変失礼な態度をとったということを聞きまして」
社長が、また頭を下げる。

おや、小僧は、私に対して冷淡な態度をとっていたという自覚はあったのだな。
つまり、わざとシカトしていたのか。
それは、ビックリだ。

本当に、無視されているとは、知らなかった。
まるで、いじめじゃないか。

オレ、人生で初めて、いじめられた?

そう思ったら、腹が立ってきた。
(人間の器が小さいもんで)

「本当に申し訳ないです。うちの会社は、小さな村みたいなもんで、社員同士の結束は非常に固いんですが、えてして他所の方を排除する傾向にあるんですな。お恥ずかしい話なんですが、社員の仲がいいのは悪いことではないので、私の方もあまり真剣に注意をしないで来ました。しかし、Mさんを大変怒らせてしまったということを聞き、とにかく謝ろうと思いまして・・・」

またまた頭を下げられた。

社員も不貞腐れながらも、頭を下げている。
その不貞腐れ様を見て、どこかの国の電力会社のお偉いさんみたいな気がした。

「Mさんが、私に一言も言わなかったので、長いお付き合いになりますが、まったく気が付きませんでした。まったくもって申し訳ありません」

またまたまた頭を下げられた。

そう言われても、オタクの社員が、私にとっても冷たい仕打ちをするんです、なんて、社長に言える訳がない。


だから、お付き合いをやめさせていただいたのだ。


「Mさん、本当に勝手を言って申し訳ないんですが、今回の急ぎの仕事は、社内で何とかしましたが、次に仕事が来た場合は、なんとかお願いできないでしょうか。会社まで来てくださいとは言いません。こいつに仕事を届けさせますので、是非お願いします」

またまたまたまた頭を下げられた。
「こいつ」も頭を下げている。
やはり、不貞腐れ気味ではあったが。


こういう展開に飽きてきた私は、「わかりました」と答えて、二人に早くお帰り願うことを、頭を下げることで暗に示唆した。

しかし、当然かもしれないが、その私の意思は相手に伝わらず、社長は、またまたまたまたまた頭を下げることで、感謝の意を表明した。

「はい、わかりましたから」の「から」にアクセントを置いて、話を終わらせることを強調したつもりだったが、社長は「君は、車で待っていなさい」と社員に命令し、持参のバッグからカティサークのミニボトルを取り出した。

そして、「少しだけ、話を聞いてくれませんか」。

つまり、社長にとって、私は仕事を出す相手というのではなく、愚痴を聞いてくれる相手として貴重な存在である、という認識らしい。


小さな脱力感。


そんな私の心の揺れなど、まったく意に介さずに、社長が話の火蓋を切る。
グラスを出すのが面倒なので、最初に持て成しとして出したコーヒーカップを軽く洗って、お互いそこにウィスキーを注ぎ、乾杯をした。

「子どもが、私とはまったく口をきかないんだよね。もう2年近くになるかなあ」

社長にはお子さんが3人いて、上の二人はもう独立しているという。
口をきいてくれないというのは、一番下の中学3年の娘らしい。

「一時期、母親とも口をきかない時期があったんだけど、今は仲良く話をしています。しかし、俺とは全然口をきいてくれないし、目も合わせようとしない。どうしてなんだろうね。上の子ふたりも、中学、高校のときは、そうだった。なんでなんだろう?」


それは、社長。
キーワードは、おそらく愛情と下ネタです。


はあ? と言ったあとで、何かが破裂するような、もしかしたら舌打ちのような音が社長の口から漏れた。
からかっている、と取られたかもしれない。

からかっているつもりはないのだが、そう思われても不思議ではない。


首をかしげた社長の顔には、どこか怒りのようなものが伺えたが、無視して話を続けた。

誰のおかげで、とか、お前のために、とか、そんな一方的な感情は、愛情ではないですよ。
勝手に産んで、勝手に育てている親が、そんなこと言っても、子どもには通じない。
勝手にやっていることなんだから、親が子どもに金を使うのは当たり前。
何かをするのも、当たり前。

社長。
何か娘さんに、恩着せがましいこと、言った覚えはありませんか?


社長の顔には、「ある」と書いてあった。


お子さんの、お友だち、知ってますか?

「知らない」と書いてあった。

私は、子どもたちのお友だちとは、必ず親しくなるようにしています。
子供の友だちは、私の友だち同然だからです。

我々親子は対等なのだから、友だち関係といってもいいと思います。
その友だちである我が子の友だちと仲良くなるのは、とても自然なことだと思いませんか。

それが余りにも進化しすぎて、今では、娘のお友だちを家に住まわせて、ひとつ屋根の下で暮らすというところまで行ってしまいましたが。

その関係が異常だと仰られる方もいますが、価値観の相違で喧嘩するつもりは、私には、ありませんので。


下ネタ、ですか?

娘や居候さんと吉祥寺をブラブラすることがありますが、街を歩く若い女性の太ももを見て、3人で「ワオ! 眩しいぜ! 百点!」と興奮したり、ペットショップで可愛いティーカッププードルを見て、「おい! Tカップって、どんだけ大きいんだよ。150センチか!」などと騒いだりすることが、よくあります。
また、イトーヨーカ堂の青果コーナーで、バナナが陳列されているのを見て、「わ! でかい! 立派!」と、控えめに、はしゃぐこともあります。

社長は、そんなことを娘さんに言ったことがありますか?


社長は、馬鹿にされたと思ったのか、無言で首を振り、私に軽く頭を下げ、諦めたような顔で立ち上がって、オンボロ事務所を出て行った。



さて、この会社から、はたして仕事が来ることがあるでしょうか。


私は、来ない方に、3千点、かけます。




2011/06/07 AM 06:16:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

すがすがしい朝
少しだけ悲しい「笑い話」を。

書くほどの内容ではない、というお叱りを受けそうだが、ブログとはそういうものなので・・・と言い訳をしつつ。


私の実の姉に関して、以前こんなことを書いた。

大地震後から、姉からの連絡はなかった。
もともと私の方から連絡することはないから、姉から連絡がなければ、我々に永遠に接点はない。

私としては、その方が都合がいい。

しかし、たちくらみ、めまいが治ったその日(5月31日)の午後9時過ぎ、姉からiPhoneに留守電が吹き込まれていた。

ホラー小説の結末を読むように背筋に寒いものを感じながら、再生ボタンを押した。

「アッタシはさあ! あんたも、あんたの嫁も、あんたの子どもも大っ嫌いなんだからさあ!」

実に、簡潔で心温まる内容であった。


姉は、大地震後、あれほど嫌っていた精神科に喜んで通うようになり、あれほど嫌っていた頭のいい女医さんに、心のうちを聞いてもらうことが生きがいになっていると、母からの電話で聞かされていた。

以前だったら、かかりつけの内科から薬をもらうと、そのときの激情にまかせて、10錠、15錠を口の中に放り込み、救急車のお世話になることを趣味としていた姉だったが、今は女医の言いつけを完璧に守って「正しい薬の飲み方」を憶えたと、母が嬉しそうに言っていた。


少しは、まともになったと思ったのに・・・・・。


その日の午後10時前に、まったく同じ内容の留守電があり、12時前にも同じ内容、翌日午前1時半ごろにも同じ留守電。
そして、午前4時過ぎに同じく「大っ嫌いなんだから〜」の留守電。

5回とも、全く同じ内容の電話。


それを聞いて私は、決心したのだ。

姉の携帯電話と新丸子の固定電話の番号をナンバーブロック(着信拒否)しようと。

それまでも、もっとひどい罵声を姉から浴びせかけられたことがあったし、信じられない仕打ちを受けたこともあった。
そのときは、我慢できたのに、なぜ今回だけは我慢ができなかったのか。

その理由は、自分にもわからない。

ただ、とにかく・・・・「もうウンザリだ」と思ってしまったのである。
(せっかく、たちくらみ、めまいが治まったばかりだというのに・・・)

母との連絡は、今までどおり、母の携帯にかければいいのだから、姉と音信不通になっても、何の問題もない。
もっと早くそうしていればよかった、と今にして思う。


さらに、これには、ひとつの笑い話が、おまけとして付く。

姉が、「弟と連絡が取れない」と言って、警察に捜索願いを出しに行ったというのだ。

日々お忙しくお働きの警察官の皆々様。
私事で、貴重なお時間を割いてしまったこと、お詫び申し上げます。

その捜索願いが受理されたかどうかは、知らない。
母も知らないそうだ。


しかし、すがすがしい。

姉との連絡が絶えることが、こんなにもすがすがしいものだったなんて。


高校一年の娘に「おまえ、スッキリした顔してるな。なんか、スゲエ気持ち悪いな」と褒めてもらった。

第2子の誕生祝を渡したとき、桶川のフクシマさんにも「Mさん、なんか・・・悪い憑き物が落ちたような、普通の人間に戻ったような、いい顔してますよ」と最大限に褒めていただいた。


いま、爽やかな寝覚めのいい朝が、続いている。



2011/06/05 AM 08:21:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

フリーランスの鉄則を破る
思いがけない会社から、電話があった。

大宮の印刷会社だ。

この会社に関しては、何度か書いたことがある。
私に対して、とても冷淡な態度を取る会社である。

顧客の選り好みをしてはいけないのが、フリーランスの鉄則であるが、余りにも冷たい態度を取られると、気分が落ち込む。

会社に「お世話になります」と入っていっても、誰も振り向かない。
担当者でさえ、「はい、これ。急ぎだからね」とだけ言って、仕事を渡すだけ。
「よろしく」さえも言わない。

事務所の隅っこのMacで作業をしている間、仕事とはまったく関係ない話題が、騒々しいほど私の頭の上を通過する。
まるで、私の存在など、最初からないと思われているような扱いだ。

昨夜のドラマの話を、そんなに一所懸命に、午前10時15分頃する必要があるのか。
「あの展開には、無理があるよね」
「絶対、外国ドラマの真似だわ。不自然だもの」


そんなに無理があって不自然なら、見なければいいだろうに。
なにも仕事中に、そんなに盛り上がる必要はないだろうに。


作業が終わって、作業伝票にサインをもらうときも、「ご苦労さん」の一言もなく、担当者は、ただ無言で判を押すだけ。
そして、こちらがヤケクソになって「ありがとうございました!」と叫んでも、みな無反応。

こんな会社を好きになれるほど、私は器がでかくない。

武蔵野に引っ越すにあたって、過去2年間、5万円以下の仕事しか出していただけなかった会社は、やむなくお付き合いをお断りにすることにした。
ある程度の基準を作らないと、時間を消耗するだけだと思ったからだ。

この大宮の印刷会社からは、平均すると年15万円ほどの仕事を出していただいていたが、大宮までの交通費や仕事に対する充実感などを考慮して、お付き合いをやめさせていただくことにした。

ゴミクズのようなフリーランスにも、「気持ちのいい仕事」を選ぶ権利はあると思ったのだ。


申し訳ありませんが、東京の武蔵野に引っ越しますので、もうこちらへは伺うことができません。
貴社の仕事をすることが、難しくなりました。
勝手を申しまして恐縮ですが、ご理解下さい。


そのとき、担当者は私の顔を見ることなく、そっぽを向いて、頷いた。
ボールペンの底で、頭をかきながら。


あれから、一年と三ヶ月が経過している。

それなのに、「急ぎの仕事があるんだよね。頼むよ」。
私より20歳以上年下なのに、タメぐちで話す髭男爵のひぐちくんに似た男。

はい? と聞いたら、「はい、って何?」と怒られた。

「俺は、仕事を出す側。はい? はないだろうよ」

このあたりのやり取りは、すべて一言一句正確に記しております。

「急ぎの仕事が、あんの! やってくれるでしょ! シカトしないでよ!」

そんな一方的な言い方をされたら、心の狭い男は、簡単にキレる。

だから、小僧! と言った。
(大宮の印刷会社の仕事がなくても、生活できることがわかったので、強気に出てみた)

小僧! お前、去年俺が言ったことを覚えているか。
引っ越すから、貴社の仕事はできない、と言ったよな。
お前も頷いていただろうが!

忘れたか! 小僧!

「こ、小僧って・・・」

礼儀を知らないガキは、俺にとって、小僧だ!
文句があるなら、こっちに来い!

いつでも、喧嘩なら買ってやる。

年上に仕事を頼みたいなら、お前がこっちに来い。
急ぎの仕事だろうが何だろうが、頭を下げるなら、やってやる!

来いよ!
待ってるからな!


たいへん大人気ない対応だった、と今にして思う。

だが、言い訳はしない。

しかし、謝りもしない。


言いたいことは、ただひとつ。


フリーランスをなめんなよ! ケッ!





(フリーランスの鉄則を破ってしまった私・・・・・だが、反省はしない。絶対に、しませんとも)


2011/06/03 AM 06:08:19 | Comment(3) | TrackBack(0) | [フリーランスの心得]

疲労が疲れた
単純な話だった。

要するに、寝不足だった。

この3週間、たちくらみ、めまいに悩まされていた。
朝起きて、娘たちの弁当や朝メシを作っているとき、2、3回、目の前が真っ暗になることがあった。
包丁などを持っているときは、危険が危ない。

包丁を落としそうになったり、指を切りそうになったことが度々あった。

夜、風呂に入っていて、浴槽から上がろうと、立ち上がったとき、天と地が逆さまになるようなめまいを感じることがあった。
気を失いそうになったことが、数回あった。
不安が安心できない。

自転車に乗っているときは、重いめまいはない。
前後左右に集中して気を配っているからかもしれない。

だから、自転車から降りると、普段より疲れが激しい。
疲労が疲れる。

そんな状態だった私の顔色だが、私は数年に一度しか鏡を見ないので、自分の顔がどれほど不細工にできているか、私は知らない。

私の顔を見て、高校一年の娘が言った。
「顔の色の顔色が悪いな」

ヨメも言う。
「死んだ死人みたいな顔色の顔よ」

(どんな家族だよ!)

居候さんもつられて言う。
「休みの休息をとったほうがいいですよ」
(この子もアホ色に汚れ染まって汚染されたか)


そして、皆が、同時に言った。

「今日一日、睡眠を眠ったら!」


ありがたいお言葉である。

大っぴらに眠れるなんて。

しかし、私は家族に休んでいるところを見られるのが嫌という変態体質なので、仕事部屋にワンタッチ・テントを張って、そこに布団を敷いて寝ることにした。

全員の朝メシは作った。
息子と娘、居候さんの昼の弁当も作った。
ヨメは、昼メシは、冷凍庫のものを適当に食うであろう。

晩メシを作り始める午後5時半に目覚ましをセットして、家族を送り出した午前7時半にテントに潜った。

10時間、一度も起きなかった。
時間差で、1分おきに鳴らしたタイマーの2回目で起きた。

体を起こしてみると、毎朝感じていた違和感がなくなっていた。
テントの中で、勢いよく立ち上がってみた。

たちくらみは、ない。
めまいも感じない。

ゴールデンウィーク明けから感じていた体の不調は、結局睡眠不足という簡単な理由だったのか。


確かに、睡眠不足ではあった。
それは、感じていた。

しかし、根本的に鈍感な私は、体の異変を過小評価するのが常であった。

動けるうちは、大丈夫だ。

多少具合が悪くても、動けるということは、働けるということだ。
それは、おそらく多くのサラリーマンの方々も一緒だと思う。

誰もが、日々溜め込んだ疲れを誤魔化しながら、働いていると思う。

「疲れ」くらいで仕事を休むなんて、自分が許せない。
そう思っている人は、多いと思う。

「甘ったれるな!」と言われることに、屈辱を感じる人は多いと思う。

あそこが痛い、ここがつらい、と言ったって、この仕事ができるのは、俺しかいない。

それは、見当違いのヒロイズムだということは承知していたとしても、「これは俺の仕事だ」という意識が、つらい体を支えてくれるのである。


慢性的な寝不足。

私の場合は、右目の視力が極端に弱い。
そして、右耳が聞こえないということで、疲れたときは普通の倍ほどの神経を使うから、その神経的な疲れが、立ちくらみ、めまいを引き起こすのだと思う。


疲れたときは、休むこと。
そして、寝ること。


結局、それに尽きるのだが、私はきっとまた同じことをしてしまうだろう。


だが、「疲労が疲れた」と言っているうちは、まだ大丈夫だと思うので、疲労が疲れたら、また仕事部屋にテントを張って、休もうかなと思っている。



つまり、私は、進歩のない男なのだ(開き直り)。




2011/06/01 AM 06:04:14 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]



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