Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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中央線で極道男
痛快なできごとを。

秋葉原で仕事用の周辺機器を買った帰り。
秋葉原から山手線で東京駅に行き、始発の中央線に乗った。

3時前の中央線始発は、空いていた。
私が乗った車両には、10人程度しか乗客がいなかった。

余裕を持って、空いている空間に腰を下ろした。

しかし、時間差で私の目の前に座ったのは、友人の極道顔コピーライター・ススキダほどではないが、怖い極道顔の男だった。

推定身長170センチ。
体重は110キロ。

身長は私よりかなり劣るが、体重は、ほぼ倍。

その倍の極道男が、両足をほとんど180度に開脚して、交互に貧乏ゆすりを始めたのである。
その振動が向かいの座席の私にまで伝わってきそうなほど、それは迫力ある貧乏ゆすりだった。

そのままであれば、私になんの害もないわけだから、貧乏ゆすりを許してやってもよかった。

目をつぶれば、その貧乏ゆすりを見なくて済む。
眠ってしまえば、何も気にならない。

だから、目を閉じた。

しかし、突然の歌声。
目を薄っすら開けると、目の前の男が鼻歌を歌っていた。
いや、鼻歌などという曖昧なものではない。
普通に、歌だ。

おそらく演歌?

独特の節回しで歌われる歌。
しかも、意外と上手いし、声もいい。

上機嫌だな。

と・・・・・そこまでは、まだよかった。

極道男は、歌いながら、舌打ちをし始めたのである。
約10秒間隔で。

◎◆%#*▲+★〜(チェッ!
◎◆%#*▲+★〜(チェッ!
◎◆%#*▲+★〜(チェッ!

私の気の遠くなるような長い人生で、歌を歌いながら舌打ちをする人を見たことがない。

酔っ払っているようには見えない。
車内全体に向けてガンを飛ばしてはいるが、それは、彼の顔が怖いからそう見えるだけかもしれない。
それが、彼にとっては普通の顔かもしれないのだ。

ただ、演歌を唸りながら、ガンを飛ばし、舌打ちを繰り返す極道男の存在は、車内の空気を萎縮させるに充分だった。

眠れないし。

神田から乗ってきた乗客、御茶ノ水、四谷から乗ってきた乗客は、彼の姿を見ると、遠くの席に座るか、隣の車両に移動するという賢明の選択をした。

そんな風に車内は、閑散としつつも萎縮していた。

新宿に着くと、その車両の乗客は、私と極道男以外は、みな降りた。
10人程度の人が降りた。
そして、同じくらいの数の乗客が、入ってきた。

しかし、ほとんどの乗客が、極道男の存在を認めて、彼から遠ざかっていった。
ただ、一組だけが、私の横の席に座った。

30歳くらいのお母さんと5歳くらいの坊やである。

電車が走り出しても、極道男は、同じ歌を歌い、舌打ちを繰り返している。

お母さんの方は、耳にインナーフォンをつけて音楽を聴いている。
坊やは、小さいスケッチブックに色鉛筆でアートしている。
描いている対象物は、アンパンマンのようでもあり、デフォルメしたドラえもんのようでもあり、白鵬関のようでもあった。
ようするに、自分の世界に浸っているから、極道男の存在は気にならないらしい。

演歌と舌打ちとアート。


どんな空間だよ!


叫びだしたくなる衝動に駆られた午後3時14分。
中央線は、中野駅に到着した。

お母さんと坊やが、ゆっくりと立ち上がった。
ここで降りるようだ。

電車が止まる前に、二人は出口の方までゆっくりと歩いた。
ドアが開く。

と、そのときである。
坊やが、極道男に向かって何かを投げたのだ。

黒っぽいものだ。
そして、フニャフニャしたもの。

それは、数回転して、極道男の腹の上に当たり、下に落ちずに腹の上で止まった。

親子は、もう電車から降りている。

180度足を開脚した極道男は、子どもが自分に向かって何かを投げたことには、気づいたようだ。
しかし、悠然と構えていた。
たいしたものだと思った。

なかなか肝の据わった男ではないか。
ナントカ組の若頭かもしれない、と思った。
思ったが、そんな人が、電車に乗るわけがないことに気づいた。
そういうお人は、運転手付きのメルセデスで移動するものだろう。

しかし、極道男が悠然と構える様子は、貫禄を感じさせて悪くない。

極道男は、ゆったりとした動作で、自分の腹の上のものを手に取った。

その手に持ったもの。
おぼろげではあるが、私にはそれが何であるか、何となくわかった。

おそらく、トカゲだ。
ゴムでできたオモチャのトカゲ。

それは、冷静に見れば、わかるものだった。

しかし、手に持った人間には、どうだったろうか。
手に持つと、電車の振動で、それが動いているように見えたとしても不思議ではない。

極道顔が強張って、体が硬くなるのがわかった。

もしかしたら、極道男には、手に持ったものが、動いているように感じたのかもしれない。
本物か? と思ったのかもしれない。


グッ、ギャー!!!!!


やや控えめなハイトーンの叫び声だった。

極道男は、手にしたものを放り投げ、立ち上がった。
そして、それを力の限り踏んだ。

ドン! ドン! ドン!

押しつぶした。

極道男は、それを押しつぶしたまま、次の荻窪駅(休日なので高円寺、阿佐ヶ谷駅は飛ばされる)まで仁王立ちのポーズ。
鼻の穴が開いて、その顔は、まるで雷神を思わせた。

そして、電車が駅に着き、ドアが開くと同時に、極道男は、雷神の顔のまま早足で出て行った。
後ろを振り返ることはしない。

きっと彼は、後ろを振り返らない人生を歩んできたに違いない。
(カッコイイゼ!)


あとに残されたのは、ゴムでできたトカゲのオモチャ。

当たり前のことだが、トカゲは潰れることなく、自分がトカゲであることを主張していた。


極道男さんは、トカゲが、お嫌いだったというお話。



2011/04/30 AM 08:38:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

頑張った人には、ご褒美を
「頑張れ」とか「頑張ろう」と言うことには、ためらいがある。

みんな頑張っているのだから、それ以上を求めるのは、気が引ける。

いや、「頑張れ」と「頑張ろう」は違うんだ。
「頑張ろう」は、一緒に頑張ることなんだから、人ごとじゃないんだよ、と言う人がいるが、私は、そういう「言葉の遊び」は好きではない。

「頑張れ」も「頑張ろう」も、受け取る側が、それを押し付けと感じてしまったら、同じことである。

問題なのは、受け取る側の心の動きではないだろうか。

誤解されることを承知で言うが、「頑張る才能を持った人」は、「頑張れ」とか「頑張ろう」などと言わなくても、ベストを尽くせる。
どんな状況でも、歯を食いしばって乗り越える才能がある。
たとえ自分でそう思っていなくても、いざとなれば才能が発揮されることがある。

おそらく、ほとんどの人が、その才能を持っている。

しかし、「頑張る才能のない人」が、稀にいる。

その種の人の中には、集団の中で和を乱し、災難をすべて他人のせいにする人がいる。
申し訳ないが、こういう人は、誰がどんなに「頑張ろう」と言っても、おそらく効き目はない。
聞く耳を持たない。
むしろ余計に反発するか、反社会的な行動に出る場合があるかもしれない。

あるいは、政権から置き去りにされた誰かさんのように「国を壊す行動」に出る。

それは確率としては、ごく稀ではあろうが、その種の人は、いると思う。

だから、不遜な言い方だとは思うが、余計なお世話ではないかと思う。
「頑張れ」と言うことがである。

先日、友人と電話で話をしていて「それは、おまえの勘違いだよ。『頑張ろう』に勇気付けられる人は必ずいる」と言われた。

確かに勘違いかもしれないが、私は「頑張れ」「頑張ろう」は、言う側の人間のための言葉だという考えが捨てきれない。
言われる側の人間の言葉では、ない。
どこか、自己満足の響きがある。

私だけの感性で言わせてもらうと、私は充分に頑張っているので、「頑張ろう」と言われると腹が立つ。

私は思うのだ。


これ以上、どう頑張れっていうんだ。

俺は、頑張っているように見えないのか。

俺は頑張っているから、家族4人を養っていられるのに、おまえは、それを否定するのか。

では、俺は、どこまで頑張れば、おまえに許されるのだ。

おまえは、俺を過労死させる気か。

おまえに、俺の人生にそこまで踏み込む権利はあるのか。



いま頑張っている人は、これ以上頑張らなくてもいい、と私は思う。

あとは、頑張った末の「ご褒美」を誰かが与えるべきだ。


そんな頑張った人たちに「ご褒美」を与えられない国は、おそらく駄目な国だ。

それができない政治家は、駄目な政治家だ。

歴史的な大災害が起きた狭い国で、危急のときに、足の引っ張り合いをするような権力バカは、「頑張る才能のない人間」よりも始末に悪い。

間違いなく「彼は」役立たずで、日本のためにならないと思う。


それは、もちろん、「小沢一郎たち」のことを言っているのだが・・・。


国家存亡の危機のときに、民主党、自民党、公明党、みんなの党が、党としてまったく役に立たないことがわかった。


この人たちは、間違いなく「頑張る才能」さえない、ただの権力亡者だ。

この権力亡者たちは、最初から「カン首相降ろしありき」で、ことを進めているように、私には思える。

「支える」「まとまる」という概念を、おのれの権力に対する欲求が強すぎるために「カン降ろし」の負の概念に転嫁し、正当化している様は、まるで阿修羅のごとしだ。


仮設住宅を建設するのもままならない状況で、権力への我欲だけをあからさまにする、カン首相を含めた亡者たちには、もはや「議席というご褒美」は、与えなくてもいいのではないか、とさえ思う。



おのれの我欲(権力を得ること)を満たすためだけにしか「頑張る能力」を発揮しない人に、「ご褒美」を与えるべきではない。




2011/04/28 AM 06:33:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

ウチダ氏と京橋で
寝不足が続いた仕事のにぎやかさも、やや落ち着いた日、取引先が倒産した。

一年に一回か二回、仕事をいただいていたが、力尽きたようだ。

私に降りかかった今回の災難は、約6万円。

これを大きいと取るか、小さいと取るかは、その人のフトコロ具合と価値観による。
そして、この額は、私にとって、持病の不整脈を悪化させるに充分なものだった。

だから、このことはヨメには内緒にしておこう。
今の私は、ヨメの「どうすんのよ! 攻撃」を跳ね返す気力がない。



小さな欝を抱えながら、京橋のウチダ氏の事務所でクリアアサヒを飲んでいた。
ウチダ氏が、武蔵野まで足を運ぶと言ってくれたのだが、私は京橋が好きなので、こちらから出向いたのだ。

「ススキダさんが、うろたえてたぞ」とウチダ氏。

あいつは、うろたえたって、怖い顔が余計怖くなるだけだ。
堅気の人間を怖がらせて面白がっているだけだろう。

ほっとけ!

そんな私の戯言を聞き流して、イケメンのウチダ氏が、爽やかに笑った。

「Mさん、静かに怒っていますね。そんなMさんのほうが、ススキダさんより、俺は怖い」

いや、怒っちゃいないな。
もう、俺の中では、気持ちはリセットしたから、ただ生理的に眠いだけさ。

「つまり、結論は、もう出ているわけだ」
ウチダ氏が、珍しく私に合わせて、クリアアサヒを飲んでいる。
それも、私よりピッチが早くて、もう2本目である。

スガさんから、お許しは出た。
今の店は、とりあえず、君と店長代理に任せることで決まった。

そして、ススキダは、アドバイザー。
俺は、ただの客だ。

「いいのか、それで? スガさんをサポートしなくて。Mさんが一番、スガさんと近いんじゃないのか?」


スガ君は、俺にとって、ずっと友だちだ。

彼は、俺より13歳年下で、弟みたいなもんだ。
何をやっても、失敗の連続で、結婚すれば失敗する。
子どもが生まれれば、子供に嫌われる。
ラーメン屋を開けば、4年半で店を閉める。
会社勤めしたら、会社に損害を与える。
トラックの運転手になっても、損ばかりしている。

そんなスガ君が、いい人に巡り会って、再婚した。
相手のお父さんも、すごくいい人だった。
義父は亡くなってしまったが、彼が義父の事業を引き継いで、不器用ながらも、懸命に会社の柱を支えようとしている。

いま、スガ君は、彼の人生で初めて輝いているんだ。
その中で、彼の心残りが、心ならずも店を閉めざるをえなかった静岡のラーメン屋だ。

彼にとって、あのラーメン屋は、原点だったんだよ。
行列のできる店ではなかったが、いつも常連客で賑わっていた。
彼の作るラーメンや餃子、チャーハンには、行列のできる店のような「はったり」のきいた味はなかったかもしれないが、常連客は、彼の作るラーメンを愛したし、俺も同じように愛した。

人柄が出る味、ってのが俺にはあると思うんだ。
スガ君が作るものは、スガ君の人柄が出ていたんだな。
だから、常連客の誰もが、彼の作るものを受け入れた。

彼にとって、ラーメンを作るってことは、自分を出すことだったんだ。

しかし、残念ながら、いまスガ君は、義父の事業を切り回すのに精一杯で、自分がオーナーであるラーメン屋まで、気が回らない。
そして、それをサポートすべき俺も、自分の仕事と生活に一杯一杯で、スガ君の夢を実現する余裕がない。

すべては、俺が悪いんだ。

スガ君の夢を一番知っているはずの俺が、何もできなかった。

あの店は、間違いなくスガ君の店なのに、スガ君の店を、俺が作ることができなかった。


つまり、俺が無能だってことだ。


俺が、君たちをリードすることができなかった。
それは、決定的なことだ。

俺は、スガ君の役に立つことができなかった。
その現実は、俺にとって、とても重いことだ。

「逃げ出すのか」と非難されたら、俺は、そうだ、と答える。

役立たずの人間は、ビジネスの現場にいるべきじゃない、というのが俺の結論だ。

その結論を、俺は変える気はない。


2本目のクリアアサヒを飲み干したあとで、ウチダ氏が「かっこつけやがって」と笑った。

「逃げることに、理屈をつけるなよ。言い訳をしないのが、Mさんのいいところだったのにな」
3本目のクリアアサヒのプルトップを開けた。

「ガッカリしたよ」

沈黙の時間は、15分。

一度、電話がかかってきたが、ウチダ氏は、取らなかった。
ただ黙って、3本目のクリアアサヒを口に運んでいた。

私は1本目のクリアアサヒの缶を右手で握ったまま、絶望を含んだ空気を肺に飲み込んで、固い感触の高級なソファに、澱んだ身を沈めていった。

黒い絶望がソファに染み渡って、クリアアサヒを持った右手までもが、ソファに吸い込まれていくような気がした。


絶望が黒いソファに同化しそうになった長い沈黙のあと、何かを吹っ切るような明るい声で、ウチダ氏が言った。

「スガさんと、もう一度、話し合ってみるか。俺は、Mさんのこともスガさんのことも、好きだからな。このままでは・・・・・」
ウチダ氏の目が細められて、眉間にしわが寄った。
そして、吐き出すように言った。

「Mさんだけが、苦しむことになるもんな」
そして、細めた目を見開いて、私を見た。

「お客さんの『ごちそうさま』の聞こえる店っていいよな」
ウチダ氏は、一人うなずきながら「うん、いいな・・・・・・いい」と、私の目を見ずに、天井を見上げながら言った。



希望は・・・・・見えたのか?



2011/04/26 AM 06:29:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

「ごちそうさま」の声が聞きたい
武蔵境駅前のイトーヨーカ堂のフードコートで、しょう油ラーメンを食っている。

目の前にいるのは、極道コピーライターのススキダだ。

ススキダも、ポッポのラーメンを食っている。

美味いか、と聞くと、「コクがないな」と可愛気のないことを言う。

すべてのラーメンに、コクがある必要はない。
小腹がすいたときに、アッサリしたラーメンを腹に入れる。
それで満足する客が多いことも、考えるべきだ。

「つまり、それが理由なのか。おまえがラーメン屋から手を引きたいという」

簡単に言えば、そうなる。
カウンターの向こうで、職人ぶって頭にタオルを巻き、眉間にシワを寄せて「ラーメン道」に酔っているやつの作るラーメンは、たとえ行列ができたとしても、俺は食いたくない。

スガさんが、静岡でやっていたラーメン屋を、おまえは知らないだろう。
4年半で店を閉めたが、固定客は多かったよ。
ラーメン道にこだわる客には、アッサリしすぎて物足りなかったかもしれないが、お客さんは、食べ終わって勘定を支払うとき、皆が「ごちそうさま」と言って、店を出たよ。

お客が、カウンターに出てきたラーメンを黙々と食って席を立つ今の店との明らかな違いは、そこだな。
言っておくが、ビジネス街にあるから比較のしようがない、なんてことは言うなよ。

俺は、何十回も店に足を運んでいるが、お客から「ごちそうさま」の声を聞いたことはないぞ。

スポンサーであるスガさんが、最初にコンセプトとして出したのは、そんな店じゃなかったはずだよな。
今年の1月にオープンするはずが、昨年の11月に早まった。
俺の誕生日に合わせた、とおまえたちは言ったが、ようするに、早くオープンして既成事実を作りたかっただけじゃないのか。

スガさんに、有無を言わせぬ状況を作って押し切りたかったんだろ。

違うか?

「ウチダさんは、上野のつぶれかけたレストランを立て直した実績があるからな。彼の手腕を俺は疑ったことがなかった」

だが、オーナーであるスガさんの意見が通らないというのは、おかしくないか。

彼は、リベンジしたかったんだよ。

彼が静岡のラーメン屋でしてきたことが、間違っていなかったことを、もう一度確認したかったんだ。

俺も、スガさんの手法が間違っているとは思っていない。
彼は、まるで流れ作業のようにラーメンを食って、ただ席を立つお客さんの姿を見たくなかっただけなんだ。

彼が求めていたものは、そんなものじゃないんだ。
ラーメン職人の眉間のシワなんかいらないんだよ。
これみよがしの力の入った湯切りポーズなんかもいらないんだ。

普通に店に入って、普通にラーメン食って、その合い間に、作る側と食う側が、それぞれの形で感謝をし合えれば・・・・・、そんな空間が作れたらいいな・・・・・って、スガさんは、そう思っただけなんだよ。

彼のコンセプトは、それだけなんだ。

「ごちそうさま」の声が聞こえない店は、スガさんにとって、店じゃないんだ。


いいか、ススキダ。
見てみろ。
ラーメンの食器を自分で片付ける小学生の女の子がいるだろ。

10歳くらいの女の子が、トレイに食べ終わったラーメンとチャーハンの器を載せて、食器置き場の棚に向かおうとしている。
その棚の向こう側では、食器洗いをしている女の人の姿が見える。

女の子は、棚に食べ終わった食器を載せたトレイを置いた。
そして、向こう側を少し覗き込むようにして言ったのだ。

「ごちそうさまでした」

今の声が聞こえたか、ススキダ。

洗い場の女の人に向かって、女の子が「ごちそうさま」って言ったんだよ。
それも、自然にな。

スガさんが、聞きたかったのは、あの声なんだ。

おまえ。
お客さんから、あの声を聞いたことがあるか。

あの店で、一度でもあるか。


ススキダが、目を閉じて、下を向いている。


なあ、ススキダ。
スガさんは、あの声を聞きたかっただけなんだよ。



2011/04/24 AM 08:52:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

尾崎とハーパーと
尾崎が、目の前にいる。
カウンターの中だ。

私は、カウンターのこちらでI.W.ハーパーのロックを飲んでいる。
小皿には、カマンベールチーズが、カットされずに丸ごと乗っている。

「カットするか」と尾崎が聞いたが、私が「いい」と言ったのだ。

中野駅から、歩いて10分程度のところにあるレトロな装飾品で飾られたスタンド・バー。
午後2時過ぎ。
酒を飲むには早い時間だが、尾崎が指定したのだから仕方がない。

尾崎とは、一年ぶりくらいか。
電話では、半年ほど前に話した気がする。
埼玉から武蔵野に越してきて、尾崎の住む中野のマンションは近くなったはずなのに、付き合いの密度は、埼玉のころと少しも変わっていない。

お互いを訪問することはないし、電話をかけることもまれだ。
よほど何かが作用しない限り、連絡は取らない。

だから、今回は、何かが作用したということになる。

「知り合いがな」と、尾崎が言う。
「この店の権利を居抜きで買い取って欲しい、と言ってる」

レトロな装飾を施したスタンドバー。
カウンターもカップボードも、大正ロマンを思わせるセピアの風情がある。
冷蔵庫も、もちろん電気なのだろうが、木でできたものだ。
壁にかかった丸い時計も、今にも時が止まりそうな危うさがある。

悪くはないと思った。

尾崎が、カウンターの中にいなければ、だ。

死神のような顔をした尾崎が前に立っていたら、誰も酒を飲む気をなくすだろう。
墓場で酒を飲む趣味のあるやつなら、気に入るかもしれないが。

「買い取るんだろ」と聞いてみた。

尾崎は、両肩を軽く持ち上げてから下げ、私を死神の目で見た。
「おまえが、やめたほうがいいと言うなら、やめるさ」

「しかし、俺が、やめろとは絶対に言わないことは知ってるよな」

「ああ」
口の片方だけを動かして、尾崎が笑った。
そして、「だが、おまえがやめろと言えば、やめる」と、また死神の目で私を見た。

笑うしかない。

「俺のI.W.ハーパーをいつも置いてくれるなら、まあ、許してやってもいい」

「決まりだな」
尾崎がギネスのボトルに、はじめて口をつけた。
そして、ボトルごと呷った。

私は、カマンベールを齧ったあとで、ソニー・ロリンズの「サキソフォン・コロッサス」をリクエストした。
自由自在なソニーのテナーサックスが、起伏に富んだメロディを圧倒的な密度で放出する。
店のスピーカーは、ヤマハの小型のバスレフスピーカーだが、ソニーの音を忠実に拾って、心地よい空間を作っている。

「あとはアンプだな」
私がそう言うと、尾崎は「アンプは変えるつもりだ」と、うなずいた。
言うまでもなかったようだ。

そんな尾崎の顔を見て、こいつはジャズを流す店が欲しかったのだ、と思った。

尾崎は、コスメショップの社長だが、コスメショップでは、ジャズは流せないのだろう。
だから、この話に食いついた。

尾崎は、そういう男である。

「子どもは元気か」と聞いた。
尾崎の娘は、3歳になる。
私が言った名前を、尾崎はそのまま自分の娘につけた。

私にとっても、娘のようなものだ。

「娘は、恵実と京都に行った。恵実の母親が、足を怪我したんでな。様子を見に子連れで行った」

恵実は、尾崎の妻だ。
美人というのではないが、内面から出る豊かさが全身からオーラのように拡散し、菩薩のような慈しみを感じさせる女だった。

恵実のことは、よく知らない。
尾崎の妻であるということと、今年おそらく40歳になるということだけが、私が知っていることだ。

出身が、京都だということは、今はじめて知った。

そんなことを考えていたら、尾崎がどこの生まれだということも、私は知らないことに、今はじめて気づいた。
聞いたことがない。
そして、私の方も、自分がどこの生まれなのかを尾崎に言ったことがないことに、はじめて気づいた。

そう思ったら、自然に笑えた。

尾崎も、同じことを思っていたようだ。
「そうだよ。恵実は京都の生まれなんだよ。俺も4年前に知ったことだ」

尾崎と恵実は8年の同居生活を経て4年前に入籍した。
つまり、入籍するまで、恵実がどこの生まれだったか、尾崎は知らなかったということだ。

そして、尾崎と私は、いまだにお互いの生まれを知らない。
おそらく、これから先も、知るつもりがない。

それでも、私たちは、友なのだ。

新しいI.W.ハーパーを飲む。
尾崎も新しいギネスを開ける。

乾杯はしない。

照れくさいからだ。

尾崎が、下を向く。
そして、向いたまま言う。

「ふたり目ができた」

恵実は、おそらく今年40歳。
尾崎は、私より2歳下の50代前半。

「いいのか、長旅をさせて」
当然の疑問を尾崎にぶつける。

「もう安定期は過ぎたんでな」
尾崎は、相変わらず下を向いていた。

「そうか、5ヶ月を過ぎたか。で・・・・予定日は」
笑いを口に含ませて、私は聞いた。

尾崎は、下を向いたまま、小さく顔を横に振った。
「言われたとは思うんだが、忘れた」
声に笑いがある。

「そうか、忘れたか」

笑った。

尾崎も笑っていた。

のど元を通る、I.W.ハーパーが、うまかった。



2011/04/22 AM 06:40:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

この怒りを誰にぶつけたら
睡眠不足というのは、人をマイナス思考にさせるのか。

売れっ子でもないのに、一日2時間程度の睡眠時間が五日も続くと、些細な出来事でも気持ちに波が立つ。

得意先での打ち合わせの帰り、駅の立ち食いソバ屋で「かき揚げソバ」を頼んだのに、「かき揚げうどん」が出てきたときには、喧嘩を売っているのかと思った(黙って食ったが)。

BOOK OFFの105円の文庫本コーナーで、6冊の文庫本を買おうとしたとき、その中に一冊350円の文庫本が紛れ込んでいたらしい。
レジで店員さんに「875円です」と言われたから、「どうして?」と答えた。
その私の疑問に、何のリアクションも起こさず、私を無表情に見つめていた店員さんの目。
バッグの中に錐があったら、それで突き刺してやろうかと一瞬ではあるが思った(後で、そのときの感情を振り返ってみたら、背筋が寒くなった)。

得意先の桶川のフクシマさんが、電話で「マユユ(誰?)って、本当に可愛い!」と言ったとき、即座に電話を切った。

長く急な坂道を自転車で、立ち漕ぎしないで上っていたとき、中学生の男二人に小さい声で「無理してる」と言われた。
ズボンを脱がしてやろうか、と思った。

洗濯物を取り込んでいたとき、息子のパンツが、風で飛ばされているのに気づいた。
隣の梅園まで飛ばされていたのだ。
しかも、葉桜の枝の上にだ。
私は、その光景をとても美しく感じたのだが、ヨメが「早く取ってきてよ。みっともないから」と怒った。
仕方なく梅園にこっそり忍び込んだら、立派な犬のフンを踏んだ。

いったい、この怒りを誰にぶつけたらいい?


すべては、睡眠不足のせい。


そして、もっと今の私の頭を悩ませていること・・・。

昨年の11月25日に仲間とはじめたラーメン屋さん。
私はいま、手を引いた方がいいかもしれない、と思い始めている。

現実的に開業しているのだから、あまり生々しいことは書けない。
スタッフたちに、迷惑はかけられない。

だから、簡潔に書く(無理?)。

開店する前から、オーナーであるスガさんと私の意見が通りにくくなっている。
私はいいとしても、オーナーの意見が通らないということが、私には我慢できない。

ススキダとウチダ氏と、店長代理。
彼らが考える客層は、店の周りのビジネスマンたちが主体である。
スガさんと私は、ターゲットは、他にも広げるべきだという意見だ。

周りは会社ばかりなのだから、それが必然だ、と彼らは言う。
それに合わせて、メニューの主流は、ラーメン、半ラーメン半チャーハン、ギョウザ定食、チャーシュー定食など。

そのメニューを見て、開店前から「個性がないよな」と私は主張してきた。
オーナーの意見もそうだ。

だが、他の3人は「まずは、儲けだ」という考え方。

では、儲かっているのか。

赤字が出ない程度の儲けが続いている。

「一年様子を見ないとわからない」と極道コピーライターのススキダ。
「いまは我慢のときだ。口コミが広がるまで待て」とイケメンのウチダ氏。
「奇抜なことはしないほうがいいですよ。正攻法で行きましょう」とオムスビ顔の店長代理。

凝ったものではないが、お客さんが自分の意見を述べやすいホームページを私が作った。

しかし、「もしマイナスのことを書かれたらどうする? それは、致命的だ」と3人に言われた。
「ただここに開いてますよ、という簡単な告知だけでいい。無名の店なんだ。いま客に意見を言わせる必要はない」
そうも言われた。

だから、ホームページは、まだアップしていない。

オーナーは、味には満足しているようだ。
ただ、店内の雰囲気には「和めませんね」と言う。

「ラーメン屋で和んでもらう必要はありません。和むラーメン屋に行列ができたためしはありませんから」とハチマキを締めた店長代理。

「でも、俺は和みたいんですよ。そんな店が持ちたかった」とオーナー。

そう。
最初のコンセプトは、そうだったのだ。

アホのテクニカルイラストの達人・イナバに描いてもらったイメージ図は、確実にそれを表現していた。

馬鹿げたキャッチフレーズだと笑う人もいたが、我々は「幸せなラーメン屋さん」を目指したのではなかったのか。

スタッフは、さすがにウチダ氏が教育しただけあって、応対がしっかりしている。
声もよく出ている。
ラーメンが出てくるまで、気持ちのいい時間を味わうことができる。

「しかし、俺には、その後のほうが重要なんですよね。うまく言えませんが」と130キロの巨体を小さな椅子に乗せながら、赤いタオルで顔の汗を拭くチャーシュー・デブ・スガさん。

「大事なのは、食べ終わったあとだと思うんです。食べ終わったあとの『何か』が、口コミで広がっていくと思うんですよね。ここの店。俺には、食べ終わったら、もうおしまい、としか感じないんですけど」
赤いタオルを顔全体に上下させながら、スガさんは言った。

それが、2月はじめの会議でのことだった。
チャーシュー・デブ、いや、オーナーのスガさんが、そのとき、いくつかの要望を紙に書いて提案したが、二ヶ月たったいま何も実現していない

3月11日、店も、大きな揺れに見舞われた(らしい)。
そして、私が開店前から指摘していた、入口横のチケット券売機を設置する壁が脆弱だという危惧が当たって、大きな揺れによって、券売機が壁ごと剥がれ落ち、券売機は壊れ、入口の床も損傷した。

「設置業者が大丈夫って保証してるんだから、安心しろよ」と、私の意見に耳を貸さなかったウチダ氏。

安心した結果、震度5強で剥落。

復旧に丸5日かかった。
当然、その間は休業。

俺、間違ったことは言っていなかったと思うんだが。
私がそう言うと、「大地震まで予測できなかった。しかし、業者を無条件に信じたのは俺のミスだ。だから、このロスは俺がかぶる」とウチダ氏は、潔く言った。

しかし、それ以後も、オーナーのスガさんと私の意見が通らない状態は続いている。

何一つ実行されていない。
説明もない。

それは、ススキダらしくないことだし、ウチダ氏らしくないことだった。


そんなことで、悩んでいる。



そして、これは悩みではないのだが、ドラッグストアで188円で買った「ラ王/背脂濃コク醤油」が、期待したほど美味くなかったことに、私は腹を立てている。

はたして、製品をリニューアルする意味があったのか。



この怒りを誰にぶつけたらいい?



2011/04/20 AM 06:41:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

現実逃避
誤解されると困ることを敢えて書く。

真実だけを書く。

地震は怖い。
誰だって怖い。
「好きだ」と言っている人を見たことがない。

武蔵野のオンボロアパート(オーナーさん、申し訳ありません。しかし、事実です)。

揺れる。

震度5強のときは、「この世の終わりかと思った」とヨメと息子が言った。

娘と私は、市の公会堂で合唱を聴いていたが、小さい揺れのあと、ドッワーンと大きく揺れた。
揺れが長かった。

しかし、同じ地震を経験したとしても、オンボロアパートで経験したヨメと息子の方が、ショックは大きかったようだ。

二人はもともと地震が来ると大騒ぎをするタチであったが、あれ以来、小さな揺れでも「地震だ!」と反応するようになった。

震度3、震度4の揺れが来たら、二人とも顔面蒼白になる。

大きな揺れが来たら、私はまずガスの元栓を締めたあとで、この二人を202号室の洋間に行くように誘導する。
そして、娘と居候さんに、やはり202号に行くように言う。
そして、それぞれクッションなどで頭を保護するように言う。

私は、202号室のドアを少しだけ開けた状態にして、洋間に行く。
息子が、布団をかぶっている。

30から数を数える。90まで数える。

大きな地震が近い震源域で起きた場合、揺れはすぐにやってくる。
最初小さく揺れて徐々に大きくなるときは、震源地が遠いわけだから、それほど大きな被害はない。
90秒たてば大きな地震は来ない、と判断して冷静な対応ができる。

私はヨメと息子をそう説得し、いつも数を数えることによって、落ち着かせているのである。
それに、自分も落ち着くし。

「大きく揺れても平然とメシを食っている」と皆からは非難されるが、私は食いながら数を数えて、様子をうかがっているのだ。

そうしないと、怖いからだ。

私は、ひとに「自分が怖がっている」と思われるのが嫌なのだ。
私は、ひとに弱みを知られたくない、という世界一卑怯な男なのである。


ところで、ここで唐突に、私の実の姉の話に変わる。

姉は、地震が大嫌いな人だ。
子どものころから、大騒ぎをした。
パニックを起こした。

姉は生まれたときから、神経が、たとえば弓の弦(つる)のように、いつもピンと張っている人だった。
おそらく、その弦が緩まったことは、一度もない。

いつも張り詰めているせいなのか、姉は誰の言うことも聞かない。
説得すると逆上する。
優しく諭しても、耳を塞ぐ。

そんなことを繰り返して、50余年がたった。

3月11日の地震のとき、姉が母と住んでいる川崎の新丸子は、震度5弱だった。

さぞかしパニックに陥って大変だったろうと危惧したが、母に聞くと、それほどでもなかったらしい。
自分の部屋にこもって、布団をすぐにかぶったが、泣き出したり、大声を出したりしたことはなかったと言う。

私は、そのことに多少違和感を持ったのだが、「姉も進歩したのかもしれない」と、そのときは深く掘り下げて考えなかった。
その後、姉が溜め込んだ日常品を慈善団体に寄付したときも、姉が一人でそれを成し遂げたのを聞いて、私はそれも「姉の進歩」だと楽観視していた。

だが、姉は、徐々に違う方向に変化していたのだった。

テレビのニュースで、繰り返し流される震災の悲惨で生々しい映像
生まれたときから、ほかの誰よりも現実逃避傾向が強い姉は、それを見て「これは違うんだ」と思ったようだ。

「これは、自分がいま住んでいる世界とは違う世界の出来事なんだ」
そう思うことで、現実の恐怖から逃れようとした。
画面に映っているのは、画面上だけのことで、自分がいる世界のことではない。
現実ではない。

だから、母が「余震よ」と言っても、「全然、揺れてないわよ!」と、姉は、それを認めなかったと言う。

被災地の映像は、現実じゃない。
だから、この揺れも地震じゃない。
そう現実逃避することで、姉はかろうじて精神の均衡を保っていたのである。

その強い現実逃避が、50余年間ピンと張り詰めていた弦を徐々に弛めていった。
そして、その変化にすぐに気づいたのは、もちろん同居の母だった。

母が、姉に強く拒絶されることを承知で、恐る恐る聞いた。

「あなた、お医者さんに診てもらった方がいいんじゃない?」

すると、これまで30年近く、メンタルクリニックに行くことを断固拒否していた姉が、簡単にうなずいたのだった。
それは、拍子抜けするほどの反応だったらしい。

体裁を考えて、新丸子駅から離れたメンタルクリニックで、診てもらった。
姉は、極度の女嫌いだったから、教師や医師や美容師やスーパーのレジが女性の場合、彼女らと関わることをいつも強く拒絶した。
それほど、同性が嫌いだった。
理由は、わからない。

間の悪いことに、今回の担当医師は30半ばの女医だったから、それを聞いたとき、母は絶望的な気分になったという。
また醜い態度で医師を罵倒したら、と思うと身が縮む思いがした。

だが、姉は思いのほか素直に診察を受けたという。

姉のピンと張り詰めた心の弦は、そこまで弛んでいたということだ。
ただ、だからと言って、それは姉が正常になったということではない。

医師の診断は、地震への強い恐怖による不安神経症
そして、かなり強い現実逃避傾向が認められるとのこと。

つまり、今の状態は、強い現実逃避が姉の心を弛緩させているだけだから、むしろ症状としては軽くないのだという。
張り詰めた弦が、いったん弛んだら、それを戻すには相当な時間が必要だということだろう。

幸いにも姉は、女医に反発することなく、女医の言うことを素直に聞き、女医に自分の思いを打ち明け、薬も言われたとおりに飲み、次にクリニックに行くのを心待ちにしているらしい。

医師に診てもらうのを、あれほど嫌がっていた姉を、これほどまでに変化させた今回の地震の影響力は、まったく想像を絶する。


ただ、これで姉が少しでも普通の人に近づくことができたならと、私は・・・・・・・・・。



このようなことを書くと、想像力の優れた方は「では地震が来て、おまえは良かったのか」と、まるで114歳の老検事のような拡大解釈をするかもしれない。



私は、そういうことを言いたいわけではないのだ。

私は、実の姉の話を、好きで公表しているわけではない。

ただ、こういう事実もあるということを言いたかっただけだ。



2011/04/18 AM 08:55:52 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

あの場所
岩手県には、いい思い出しかない。

東北新幹線が開業した年の夏、法律事務所に勤めて2年目だった私は、かなり忙しい日々を過ごしていた。
二ヶ月以上休みがない状態だった。

それを気にしたボスが、太っ腹にも「夏休み10日間あげるよ」と言ってくれたのだ。

そこで私は、開業したばかりの東北新幹線に乗って、盛岡まで行ったのである。
そのときは、まだ始発が大宮だった。

創業明治四十年という「わんこそば屋」さんに入り、そばを70杯食った。
苦しかったが、満足した。

その日、市内のホテルに泊まり、夜ロビーのソファに座って、アホ面をさらしていたとき、「失礼とは思いますが」と恐縮顔の50年輩のオールバックの男性に、ホテルの無料宿泊券をいただいた。

「ボク、このホテルの株主なんです。この券、余っちゃったんですよね」

あげると言うものは貰うのが、私のポリシーである。

だから、次の日も、そのホテルに泊まった。
そのチケットを使って。

前日に私が泊まったシングルルームとは違って、そこは、ツインルームだった。
しかも、相当に広い。

満足した。


福島県には、いい思い出しかない。

就職して4年目くらいだったと思う。

ゴールデンウィーク前に二日間休みが取れたので、会津若松鶴ヶ城に行った。
その年、桜を見ていなかったからだ。

鶴ヶ城の桜は、そのとき満開で、宴会で盛り上がっている箇所が、いくつかあった。
そこを通ると、「お兄さん、ひとりかい?」と聞かれ、4分の1以上余った一升瓶を渡され、お稲荷さん二つを手に持たされ、焼き鳥を1本、口に放り込まれた。

公園の隅っこで、それを飲み食いして、桜を堪能した。

ヨメと裏磐梯に行ったとき、泊まったペンション前の小川の向こう側で、何百匹ものホタルが光を放つ光景を見た。

「なんだ、これは!」と思った。
違う世界に迷い込んだような幻想的な時間を、ヨメとともに過ごした。
ふたりとも、ただ見とれるばかりだった。

6年ほど前の夏休み、家族で猪苗代に行ったとき、息子が熱を出した。
ホテルの女性の係員に「私が面倒を見させていただきますので、どうぞ観光をしてきてください」と言われた。
しかし、そうは言っても、息子を置いて我々だけが楽しく観光なんて、できるわけがない。

だが、係りの女の人が「私たちプロにお任せください。責任をもってご面倒を見させていただきます」と熱意を体全体で表現して言ってくれたので、我々は安心して観光を続けることができた。
次の日の朝には、息子の熱も下がって、パターゴルフができるようになった。
いい思い出が、一つできた。


宮城県には、いい思い出しかない。

新婚旅行が、仙台近郊の秋保温泉だった。

「あ」で始まる場所に行こうと思ったのだ。
別に、青森でも秋田でも熱海でも渥美半島でも、アラスカでもアンドロメダ星雲でも良かったのだが、ふたりで「秋保」と言ったのだ。

秋保温泉を選んで正解だった。
佐勘」という由緒正しい、しかも壮大な旅館に泊まり、贅沢を満喫した。
秋だったので、部屋の窓から見える山々の赤が燃えるように迫ってきて、圧倒された。
いい新婚旅行だと思った。

仙台の七夕祭りには、ヨメと二回行ったことがある。

最初は、人の多さに驚き、楽しむどころではなかったが、二回目は、めかしこんだ街の賑やかさが目に新鮮に飛び込んできて、気持ちが華やいだ。
何度でも来たいと思った。
牛タン、笹かま、美味かった(萩の月は好みではないが)。

仙台には、知り合いがいる。

デザイナーのイトウ君だ。
彼とは、蔵王のスキー場で知り合った。
スキー教室で、運動音痴のヨメと息子を担当したのが、当時インストラクターをしていたイトウ君だった。
(私は娘に個人レッスンをしていた。娘は上達が早かった)

クールなイケメン好きのヨメが、スキー教室が終わった後で、興奮の面持ちで言ったのだ。
「あの子、いい! タイプだわよ!

何となく想像できたが、会ってみると、性格の良さが顔ににじみ出たナイスなイケメンだった。

私の職業がデザイナーだと聞いて、「ああ、ボク興味があるんですよねえ」と憧れのまなざしで私を見た。
それから半年後、イトウ君は、デザイナー事務所に職を見つけ、3年半後に独立して今に至る。

独立してからは、人が変わったように「すいませんねえ」と言いながら、私に急ぎの仕事を押し付け、平然としている。
だから、最近は、彼のことが少しもイケメンに見えない。

大学時代の友人、ヘチマ顔のノナカは、仙台市内で塾を経営している。

そこそこの成功者と言っていいかもしれない。
昨年、胃を3分の2切除する手術を受けたらしいが、生意気なやつなので、同情はしない。
ただ、心配はしている。

今回の地震のときも、心配してやったが、本人は娘さんのいる北海道に奥さんと一緒に旅していたらしい。
まったく、心配させるやつだ。

ノナカは、バカで口が悪くて短足でノロマだが、かけがえのない友だちである。



あの場所には、いい思い出が、たくさんある。




2011/04/16 AM 06:34:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

保安員ひとり
4月11日夕方のことだが、福島を震源にしたマグニチュード7を超える地震が起きた。

東京も、それなりに揺れた。
震度は知らない。

そのとき、私ははじめて行ったクライアントの会社での説明を終え、エレベータの中にいた。
代々木上原にある7階建ての古いビル。

そのエレベータが、地震で止まった。

地震はあったみたいだけど、え? そんなに揺れたっけ?
エレベータが止まるほど?


エレベーターの中にひとり。


緊急のときの呼び出しボタンらしきものがあったので、押したが、しばらく待っても応答せず。
仕方ないので、iPhoneで、ボードに貼ってあった保守会社の電話番号に連絡をした。

保守会社は、4回目のコールで出てくれた。
詳しい状況を言い、「よろしくお願いします」と頭を下げた。

その後も、エレベータにひとり。

エレベータが止まっても、電気は点いているんだ。
自家発電かな。
へぇーーーー。

変なところで感心するオレ。

暗くないから、別に不安ではない。
俺は、閉所恐怖症ではなかったのだな、と新たな発見。

トイレは1時間ほど前に行ったばかりだから、全然平気。
iPhoneの電池容量も8割方残っている。
クライアントと打ち合わせ中に、今では貴重品のミネラルウォーターを飲ませてもらったので、水分も大丈夫。
とりあえず、寒さも感じない。

まあ、腰を下ろして、ノンビリ構えますか。

そう思って腰を下ろしたとき、緊急通話用の電話が鳴った。
受話器を取ると、相手は「お客さん?」と言った。

え? お客さん?

オレ、お客さん?

何のお客さん?

「ああ、お客さん。あと、10分我慢できる? 10分くらいで動かせると思うけど」

ジュップンですか?

「まあ、ジュップン・・・・・・・ンンンン・・・・・くらいかな」

はい、十分(ジュウブン)です。

すげえな、ニッポンの保安員。
エレベータが止まってから、まだ十分もたってませんよ。
働き者だねえ。

緊急の災害のときでも、彼らは、自分の職責を全うしようとしてるんですね。

なんか、目に見えないニッポンの底力を実感しますな。

外国だったら、どうなんだろう?
丸一日、閉じ込められたりすることもあるのかな。

まあ、それは国によって違うから、推測しても意味がないか。

しかし、すぐに連絡をしてくれると、安心はしますね。

こういうときの人間の声って、なんか頼もしい。
そして、落ち着く。

危急のとき、人間は声を掛け合うと、心が落ち着くらしい。
自分が誰で、自分が何をすればいいかを冷静に判断できるようになるという。
ようするに、自分の居場所が、わかるらしいのだ。


ひとりじゃないんだ。


それがわかることによって、自分を取り戻せるというのである。

確かに、俺は、いま人の声を聞いて落ち着いたな。
間違いなく落ち着いた。

そして、安心した。

落ち着いたら、クリアアサヒが飲みたくなった。

あー、早く娑婆に出てえ!

娑婆のお天道様を拝みてえ!(夕方だが)

そんなことを考えていたら、軽い振動がして、ガッターン!

え? 早くないですか?

十分たってないし・・・・・・・。

しかし、エレベータは確実に、下がり始めている。
ゆっくりと・・・・・。

3・2・1

ドアが開いた。

ソロリと足を踏み出してみたら、目の前にいたのは、灰色の制服を着た保安員ひとり
160センチもなさそうな小柄な40〜50歳くらいのスダレ禿げの男性が、頭を下げていた。

「ご迷惑をおかけしました」
ふたり同時に言った。

500ミリリットルのペットボトルを手渡された。

いいんですか? と聞いた。

保安員は、頭を横に強く振って「ご迷惑をおかけして」と繰り返した。

助かりました、と頭を下げて、私はビルを後にした。


家に帰って、今日の出来事を話そうとしたら、みんなが自分が遭遇した地震時の話ばかり。

エレベータに閉じ込められたというのは、相当ドラマチックな話だと思うのだが、私の話に、みんな「へー、ああ、そう」という薄いリアクションしかしてくれない。


君たち! 頑張った保安員さんに申し訳ないと思わないのか!





ついでに、俺のことも・・・・・(心配して)。




2011/04/14 AM 06:44:47 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

上を向いて歩こう
俳優や歌手などがリレー形式で歌っている、サントリーのCMがある。

その中で、榮倉奈々が「見上げてごらん夜の星を」と「上を向いて歩こう」を歌うものがある。
それを録画して、何度も見ている。

ゴメンナサイ、わたし、歌手じゃないんで、歌には自信がないんです。
そんな雰囲気を全身で発散させて、けなげに歌う姿を見て、胸がキュンとなった。

そして、ときに目をウルウルさせながら、何度も何度も見ている。

抱きしめたくなる衝動に駆られる。

ほとんど、変態と言っていい。


歌のチカラ。


むかし、大学の卒業旅行として、ひとりでオーストラリアを旅したことがあった。
10日程度の予定だったが、途中で帰るのが嫌になって、一ヶ月以上ダラダラと滞在日を延ばした(卒業式にも出ずに)。

友人たちは、「捜索願を出そうか」とまで考えたらしい(まったく人騒がせな! どっちが?)

それほど手持ちの金は持っていかなかったが、漁師さんの家に泊めてもらったり、牧場に泊めてもらったり、学生のシェアルームに紛れ込ませてもらったりしたので、野宿は二日で済んだ。

帰りの飛行機のチケット代を除いて、手持ちの金が百ドルを切ったとき、さすがにもう帰らなきゃな、と思った。
あと2週間で、法律事務所の社員としての仕事も始まるし、気持ちを入れ替えなければ、とも思った。

しかし、帰りたくなかった。

10ドル程度の小汚いホテルを選んで、滞在を繰り返した。
メシは、一日フランスパン一本と500ミリリットルのミネラルウォーターだけ。

運がいいと、親切な60年輩のご婦人が「ニッポンジン?」と日本語で声をかけてくれて、日本食レストランでカツ丼らしきものを奢ってくれたこともあった。
そして、「Take work seriously(マジメに働きなさい)」と、私の目を覗き込むようにして、言ってくれた。

Sorry.

しかし、帰りたくない。

ある日の夕方、公園でフランスパンを齧っているとき、男が通りかかって、私に「give you」と言って、シワシワの紙を渡した。
広げると、パブの無料ドリンクチケットだった。
「Scotch one drink Ticket」と書いてあった。

いかがわしい店かもしれない、と怪しんだが、もう3週間近く酒を飲んでいない。
酒が飲みたい。
その欲求に負けて、店の前まで、とりあえず行ってみた。

危ない店は、店構えでわかる(こともある)。

店構えを見て、汚いが悪くはない、と感じた。
だから、入った。

20畳くらいの平屋の酒場。
すべてが木作りで、すべての木が年季が入った汚れ方をしていた。
カウンターも木。
スツールも木。

その汚れたスツールに座って、しわくちゃのチケットを恐る恐る出した。
背の高い貧相なバーテンが、チケットを見て、軽くうなずいた後で、私の顔を見つめた。
歳は、30前くらいか。

一ヶ月以上もいると、青い瞳には慣れた。
薄茶色の瞳にも慣れた。
ときどきオレンジに近い瞳を持った年寄りもいたが、ここは異国なのだと思って、それにも慣れるようにした。

青い瞳の背の高いバーテンは、チケットをベストの胸のポケットに入れると、素早くグラスに氷を入れ、すぐに酒を注ぎ、軽く混ぜて私の前に置いた。

Thank You.

青い目で、「Japanese?」と聞かれた。

年寄りは、なぜか「Japanese?」と聞いてくることが多く、若い人は「Chinese?」と聞いてくることが多かった。
なぜ、そうなるのか疑問に思ったが、相手に確かめたことはない。

だから、若いバーテンが「Japanese?」と言うのを意外な感じで聞いたが、もちろんその理由は確かめなかった。

タダ酒が飲めれば、満足だった。

「ああ、日本人だよ」
日本語で答えた。

一ヶ月以上の豪州旅行の中で、相手によっては、日本語で答えると喜ぶ人もいたからだ。
もちろん、なぜ日本語で答えると喜ぶのか、その理由も聞いたことはない。

たとえ聞いても、細かいニュアンスまでは、私の英語力が追いつかないということもある。
それに、ただ聞くのが面倒くさいということもある。

相手が喜んでくれるなら、いくらでも日本語くらい話してやる。
そう思っていただけだ。

スコッチは、あまり美味くなかった。
後味が悪い。
カビを飲んでいるような気になった。

しかし、ただだから、文句は言えない。
口直しに、ソーセージの盛り合わせとオーストラリア産の瓶ビールを頼んだ。
合わせて、7ドルだった(卒倒しそうになるほどの出費)。

それを頼んだとき、後ろから声をかけられた。
「ビールは、奢らせてくれよ。日本人」(もちろん英語で)

振り向くと、顎ヒゲをはやした50から60半ばくらいの男が、ウィンクをしているのが見えた。
推定175センチ、体重105キロ。
身長は私が勝ったが、体重では完敗だった。

男は、私の隣のカウンター席に座った。

男は、右手に1リットルはあろうかという瓶ビールを持っていて、左手には空のグラスを持っていた。
バーテンが私の前に置いた瓶ビールも、大きかった。

そのでかい瓶ビールを軽く触れ合わせて、乾杯をした。

顎ヒゲの男とどんな会話を交わしたのか、まったく覚えていない。

お互いが、ブロークンな英語だったような気がする。

そして、いつの間にか私の耳には、ピアノの音が流れ込んでいた。
下手くそなピアノだ。
しょっちゅう音を外したり、つっかえるから、大変聞き苦しい。

しかし、誰もそれを気にしていないようだ。
ようするに、誰も彼の演奏を聞いていない。
だから、間違えても、だれも気づかない。
そんな可哀想なピアノマンだった。

弾かれる曲は、映画のテーマが多かったようだ。

第三の男」のテーマ(らしきもの)を弾いたのだが、6回か7回手が止まっていた。
ひどいものである。

そのひどいピアノマンの演奏のとき、リクエストをした人がいる。
私の隣の顎ヒゲ男だ。

「キミガヨォー!」
店が一瞬静まり返ったあとで、なぜか爆笑が店内に満ちた。

爆笑の理由は、わからない。
もちろん、理由を聞く気もない。


「君が代」


弾けねえだろ! と心の中で突っ込んだが、恐ろしく下手なりに、ピアノマンが弾いてくれた。

国歌を冒涜するくらい下手くそだったが、ジーンと胸に響いた。
「君が代」を聞いて、心に響いたのは、初めてだった。

そして、そのあとで、ピアノマンが、誰も頼みもしないのに弾いてくれた曲。

「上を向いて歩こう」だった。

下手くそな「上を向いて歩こう」。
数えはしなかったが、10回くらい、つっかえたような気がする。
大阪人だったら、間違いなく、つっかえるたびに「なんでやねん!」と突っ込んだに違いない。

だが、それを聞いて、私の目からは涙が溢れ出した。
何で、こんな下手くそな「上を向いて歩こう」を聞いて、泣けるんだ、ありえないだろう、とは思うのだが、涙が止まらないのだ。

ビンのビールをラッパ飲みし、鼻をすする。
目を乱暴に拭く。
涙が止まらない。

そんな私を見て、顎ヒゲ男は私の肩を抱き「I know」と言って、何度も大きくうなずいてくれた。

そのとき、私は「日本に帰ろう」と思ったのだ。


日本に帰らなくちゃ。


日本に帰ると忙しい日常が待っていたが、「上を向いて歩こう」を口ずさむと、明るい気持ちでいられた。

俺は、日本人なんだと思った。


そして、日本が好きなんだと思った。


その気持ちは、いまもずっと変わらない。



2011/04/12 AM 06:44:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

天プラを食う白人
なくてもいいな、と思うのはトイレの時間と食事の時間だ。

ただ、私は腸が弱いので、トイレと長くお友だちになることが、よくある。
この時間がもったいないな、とは思うが、どうしようもない。

20年ほど前、腸の検査をしてもらったことがある。
恥ずかしいポーズをとらされたが、腸は正常だと言われた。
過敏性大腸炎の疑いもない、と言われた。

そのとき「おそらく新陳代謝が良すぎるんでしょうよ」と禿げた医者が言った。
そのことばを、私はあまり信じていない。

「アルコールと刺激物は、控えましょう」と言われたからだ。

うるせえよ!(医者みたいなことを言いやがって)


食事の時間を大切にするひとは、多いと思う。
好きなものを食うと幸せだ、という人は多いのではないだろうか。

それは、わかる。

私にも好きな食い物はある。
しかし、それを食ったからといって、私は幸せを感じない。

私は料理が趣味だから、味音痴ではない。
うまいものは、人並み以上にわかる。
そして、うまいものを人に食わせてやろうという思いは、強い。

ただ、自分が食いたいと思わないだけなのだ。

私が幸せを感じるのは、会話だ。

たとえば、朝早く起きて、ヨメの朝メシを作り、息子の朝メシを作り、娘、居候さんの朝メシを作る。
それを彼らが食っているときに、会話をする。

それが楽しい。

晩メシのときの会話も楽しい。
それがあれば、食い物なんかいらないとさえ思える。

そして、ひとにメシを食ってもらい「うまい」と言われる。
それが、嬉しい。

「うまい」の声を聞くと、心が震える。
俺は、そのためだけに生きているんじゃないか、と思うことがある。

娘と居候さんは、この春から同じ高校に通っている。
昼メシは弁当だ。

私が作る。

まだ始まったばかりなので、一回しか作っていない。
おそろいの弁当箱を買って、ふたつ同じものを詰めた。

学校から帰って、娘が「うまかったぞい」と言う。
居候さんが、「おいしかったですぅ!」と言う。

こんな幸せはない。

自分は、朝メシは、昨日の晩の残りの味噌汁だけ。
昼メシは、塩むすび一個だけ。
そして、亀田製菓の柿の種をポリポリ。

とてつもなく貧しい食生活と精神だが、メシを食う時間が惜しいから、まあ、これでいいだろうと私は思っている。
この食生活を変える気はない。


ところで、昨日、仕事の打ち合わせの帰りに、立ち食いソバ屋に寄った。
私は、立ち食いソバ屋が大好きだ。
なんと言っても、頼んだものがすぐ出てくるところがいい。

うまくすると、注文からメシを食い終わって店を出るまで、5分以内で済ますことができる。
これは、最大限時間を有効に使っていると思う。

ただ、立ち食いソバ屋のソバ、うどんは、あまり美味くない。
ソバは、ソバの味がしないし、うどんはコシがない。
麺つゆは、どうしたらこんなにいい加減な味が出せるんだ、と感心したくなるレベルのものである。

私がロジャースで買った格安のソバを使って、自分で作ったソバつゆをかけて食ったほうが、間違いなく10倍は美味いものができる。
その方が安いし。

しかし、ソバと麺つゆを持ち歩くわけにはいかないので、早くて安いということを最大限評価して、立ち食いソバを食っている。

「立ち食いソバ屋の天ぷら、あれは、美味いよね。サクサクだよね」という人がいる。

確かに、麺や麺つゆほどはまずくないが、私は普通のレベルだと思う。

「かき揚げ丼が美味いんだよ」と言った人がいたが、ご飯の上にかき揚げをのせて、まずい麺つゆをかけただけのものを美味いと言う人の舌を私は尊敬する。

安いから私も食うのだが、それは確実に値段に相応しい味しかしない(腹が減っているときは美味く感じるが)。
ただ、公平に判断して「美味い」というレベルのものではない。

改めて言うが、私が立ち食いソバ屋が好きな理由は、早くて安いということに尽きる。

それしかない。

しかし、昨日寄った立ち食いソバ屋で、面白い人を見た。
その人は、明らかに白人だったのだが、天ぷらだけを頼んでいたのだ。

かき揚げとニンジンの天ぷら、サツマイモ、ナス、チクワの天ぷらだったと思う。
それを頼むとき、流暢な日本語で、「塩だけください。あとビールもね」と言ったのだ。

190センチはあろうかという長身を前屈みにして、皿に盛られた天ぷらに軽い手つきで塩をかける姿は、どこか微笑ましいものを感じた。

さらに、箸を器用に操って、かき揚げをキレイに二つに割るのを見ると、思わず拍手をしたくなった。

白人さんは、まずビールをひと口のみ、かき揚げを口に入れた。
噛む。
「いいね!」と言って、大きくうなずく。

それを聞いて、まわりを見渡すと、その場にいたみんなの顔が、ほころんでいくのが見えた。

そして、「ナス、うめえな!」と言いながら、厨房のオバちゃんにウィンクする姿は、みんなの笑いを誘うに充分なものだった。

そうか。
立ち食いソバ屋で、必ずしもソバやうどんを食う必要はないのだな。
天ぷらだけ食ってもいいわけだな。

それも、まずい麺つゆではなく、塩だけで天ぷらを食うという方法は、確実に「アリ」だなと感心した。
(今度真似してみよう)


「チクワ、サイコー!」
「サツマイモ、サイコー!」
「ニンジン、サイコー!」
そして、「ニッポン、サイコー!」
「ガンバレ、ニッポン!」


陽気に立ち食いソバ屋の天ぷらを食って、舌鼓を打つ長身の白人。

あんたも、サイコーだよ。

誰の顔にも、忘れていた何かが蘇ったような笑みが、浮かんでいた。



ところで、投票に行ってきたので、最低限の義務は果たしたと思う。

だから、花見に行ってこようと思う。

私は、無用な自粛はしませんので。




2011/04/10 AM 09:19:25 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

いい話 episode2
昨日の夜は、けた外れの余震があった。

被災地の方々は、いつ平穏な暮らしを取り戻すことができるのか。

大自然が巻き起こす力の前に、人間は無力だが、ひとは支えあうことができる。
ふれあいが、力になることもある。

だから、今回も、少しいい話を。



稲城市の同業者からいただいたトレースの仕事は、一昨日の夜、初稿が終わった。

しかし、そのあとすぐ、桶川のフクシマさんから電話があった。
「Mさん、ヘルプ! 急ぎの仕事です。いま、そちらに向かっていますから、いつものガストで」

夜の9時半過ぎである。

ご苦労さんですな。

10時過ぎに、フクシマさんが、タレ目を疲れさせてやって来た。
目の下にクマができている。

パンダの真似ですか? と私が聞くと「パンパン」と鳴いた。
ハハハ、と笑ってあげた。

仕事は、イベント中止のお知らせのチラシとポスター。
ゴールデンウィークのイベントだから、早めに告知しておかないと、各方面に迷惑がかかる。
だから、大急ぎの仕事である。

ジョッキをグビリと呷りながら、フクシマさんにしては珍しく簡潔な説明を聞いた。
説明は、15分弱で終わった。

目の下のクマが、痛々しい。

ありがたいですねえ、フクシマさん。
いま流行のパンダになって、私を喜ばしてくれたりして・・・・・。

フクシマさんが、力なく「パンパン」とまた鳴いた。

気になったので、お疲れの理由は・・・・・、と聞いてあげた。

すると、タレ目顔を、いきなり近づけて「それがですね、Mすゎん!」と言うではないか。

だから私も、なんですか、フクシマすゎん! と答えた。

「うちの社長をご存知ですか?」

もちろん、ご存知です。
愛犬のマルチーズを異常なほど可愛がる愛すべき人(変人)。
そして、柴咲コウのファンという優れた性格を持つ愛すべき人(超人)。

「社長が、宮城県は松島の出身だということは、ご存知でしたか」

もちろん、ご存知ではありません。

・・・・・・しかし、宮城県ですか。
まさか、ご身内の方が、いらっしゃるとか。

「いや、ご両親はすでに亡くなっておりまして」とフクシマさんが、タレ目顔をキリッとさせて、話し始めた。

社長は宮城県の松島町の出身で、高校まで松島にいて、大学から東京に出てきたらしい。
ご実家は、松島町。
ただ、6年前に父親が亡くなり、2年前に母親が亡くなったあと、実家には誰も住む人がいなくなったという。

社長には、二人の妹がいたが、上の妹は東京に嫁ぎ、下の妹は大分県に嫁いでいた。
だから、身内の方は被害を受けていない。
親戚は、松島近辺に4軒あったが、松島海岸は点在する島々が津波を受け止めたせいで、今回の津波の被害を奇跡的にも免れたらしい。

中学・高校の友人たちも、すべて無事が確認されている。

稀にみる幸運だったと言っていい。

しかし、身内や知り合いがみんな無事だったからといって、単純に喜ぶわけにはいかない。


ふるさとが、壊されたのだ。


地震後も、相変わらず会社でマルチーズと遊んでいた社長だったが、先週の木曜日の朝、突然社員に頭を下げたのだという。

「悪いけど、一週間ほど、俺に休みをくれないか。明日から来週の木曜日まで休ませて欲しい。俺がいなくても物事が進むように昨日のうちに段取りはつけておいたから、仕事には支障が出ないと思う」

それを聞いて、社員12名は「ああ、あれだな」と誰もが思った。

社長が宮城県の出身だということを皆が知っていたのだ。
そして、誰かが「ボランティアですか」と社長に聞いた。

その問いに、社長は即座に「いや、恩返しだ」と答えたという。

恩返し。

その言葉に誰もが、色々な思いを抱いたのかもしれない。
「社内の空気が止まったような気がしました」とフクシマさんは、その場面を表現した。

みんなが、その静けさの中で、何を考えたのか。

それは、社内で一番の古株が言ったことばに、集約されていた。

「じゃあ、俺も恩返しをしようかな」

「いやしかし」と社長が言う。
「君たちは、誰も東北出身じゃないよね」

確かに、みんな東北以外の出身者だった。

「恩返しするのは、俺だけで充分だと思うが」と社長。

「いいえ」と古株が言う。
「俺が恩返しするのは、社長にですよ。それが、間接的に被災地のためになるなら・・・・・俺は、満足です」
他の社員の顔を見ると、みんながうなずいていた。

それを聞いて、社長は、長い時間みんなに頭を下げたあとで、一人ひとりの手を握って、また頭を下げたという。
ことばを出すことができず、ただ、手を握り頭を下げ続けたらしい。


しかし、全員が一斉に一週間の休みを取ってしまったら、会社が成り立たなくなる。
だから、手の空いた人間が順繰りに「社長の恩返し」のお手伝いをするということで、話がまとまった。

社長が自費で揃えた物資を小型のトラックに積み、まずは社長を含めて3人が先発隊になった。

そして、それが2日後に帰ってきたら、別の人たちが物資を積んで、宮城に向かう。
それを繰り返したというのだ。

フクシマさんは、今週の月曜、火曜に宮城に行ってきたらしい。
フクシマさんが行ったところは、テレビで見るような瓦礫の山ではなかったが、目からも鼻からも耳からも、被災地の匂いを感じたという。

「俺、確実に人生観が変わりましたね」

「それに、あんなの恩返しとは言えませんよ。まだまだ足りない。すべてが足りない。足りないものだらけです」

「俺たちは、何も届けてはいませんよ。あんなの何も届けたことにならない。まだまだです」


まだだ・・・・・まだ足りない。

まだまだ、足りない。




それは、魂のつぶやきだった。



2011/04/08 AM 06:46:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

いい話 episode1
陶芸仲間である、おナベのコヤナギさんに、カラオケに誘われた。

私は、歌が天文学的に(?)下手なので、カラオケに誘われても断るようにしている。
あまりしつこく誘う友人の場合、ケツを力の限り蹴飛ばすようにしている。

だから、最近は誘われることが少ない。

ただ、私のその破滅的で凶暴な性質を知らない人は、悪意のない誘いの言葉を私に投げかける。
このコヤナギさんのように。

「Mさん、ちょっとでいいんですよ。別に、Mさんに歌えとは言いませんから。ただ、俺の大事な女の歌を聴いて欲しいんです」

ほー、大事な人?

つまり、以前のブログで書いた、あの「モリタカ似の彼女」のことですか。

それは、ちょっと興味がありますね。

しかも「俺も、ちょっと歌っていいですか。俺、セリーヌ・ディオンの『マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン』が得意なんですよね」というではないか。

コヤナギさんのハスキーな声で歌われる「タイタニックのテーマ」。
それは、ぜひ聴いてみたい。

そこで、コヤナギさんに誘われるままに、カラオケボックスに向かった・・・・・つもりが、カラオケスナックだった。
午後4時前のカラオケスナック。
ネオンはない。

店の中にいたのは、キレイなひと。

ん? モリタカに似ている・・・・・か?
まさか、このひとが?

整った小顔だが、モリタカとは、ちょっと違うような。
華奢な体をした、垢抜けた女性だったが・・・モリタカ? う〜ん、モリタカかぁ・・・?。

歳は、30から35歳くらいか。
25歳に見えなくもないが、その体からにじみ出る落ち着いた挙措は、30歳を過ぎているのでは、と予想した。

そんな風に悩んでいると、キレイな姿勢のまま、頭を下げられた。
「コヤナギがいつもお世話になっています。コヤナギの『妻の』カズエです」

ああ・・・・・、声がモリタカだ、と思った。
口元が、モリタカだ、と思った。

ど、どうも・・・としか返せなかった。


このカラオケスナック。
口元モリタカ似のカズエさんが、手伝っている店だという。

この日は、1ヶ月ぶりの定休日だが、店のママから好きに使っていいというお許しを得たので、私を招待してくれたのだそうだ。


天井を見上げるとミラーボール!

なんか、別世界。

ケツが、浮いた感じだぜ!

そのケツが浮いた感じを堪能しているとき、コヤナギさんが、申し訳なさそうに言った。
「好きに使っていいって言っても、飲んでいいのは、トリスのハイボールとビールだけなんだよね。おつまみは、ポテトチップスだけなんだ。悪いんだけど・・・」

いやいや、それだけあれば充分ですよ。
何の不足もございません。

私がそう言うと、二人は顔を見合わせて、うなずき合った。

そして、カズエさんが「Mさんって、私が思ったとおりの人ですね。なんか、嬉しいです」と言うではないか。
客あしらいのうまそうな営業用の笑顔だったが、悪くはない。

照れますな。

私はビール。
お二人は、ハイボールで乾杯。

そして、早速カラオケ。
カズエさんが、歌いまくる。

ほとんどが、今井美樹さんとMISIAさんの歌だが、これがうまい。
言っちゃ悪いが、モリタカより上手い。

声はよく伸びているし、声の表情がいい。
舌足らずな感じはあるのだが、音程を外さないので、安心して聴けるのだ。

コヤナギさんが得意げに言う。
「こいつ。レコード会社のオーディションに受かって、デビュー寸前まで行ったんですよ。でも、男に興味がないでしょ。だから、自分の中で折り合いがつかなくて、断っちゃったんですよ。歌は、そこらのアイドルより、断然上手いでしょ!」

上手いです!
確かに、上手いです!
感動してます。

そして、その後、コヤナギさんがマイクを取って、「タイタニックのテーマ」を歌った。

ハスキーだが、伸びのある声。
かすれてはいるが、消えることのない高音。

沈みゆくタイタニックが、目の前に見えるような圧倒的な表現力。

ビールを飲むのも忘れ、私は歌に聴き入った。

そして、それが終わると二人でSuperflyの「愛をこめて花束を」を歌った。
お互いの目を見つめ合って歌う二人。

たとえは陳腐かもしれないが、私は、そこにディズニーの世界を見た。
アニメの中の美男と美女が、お互いを尊重し、愛を込めて歌う姿。
それは、煌びやかで、至上の愛を感じさせるものだった。

私の目には、彼らの周りに二人を祝福するように、花が敷きつめられている光景が確かに見えた。

自分が時限の違う世界に迷い込んだような気がした。

そして、夢の世界を彷徨っていた二人が現実に帰ってきたとき、コヤナギさんの手には指輪があり、その指輪をカズエさんの左手の薬指にはめる姿を、私だけがまだ夢の世界にいるような感覚で見ていた。

そして、そのあとで、コヤナギさんが、私の目を射るように見て言ったのだ。

「Mさんが、証人ですから。俺たち、いま結婚しました」


結婚?


ああ・・・・・しかし、コヤナギさんは、本当は・・・・・。

・・・・・なんて思うのは野暮というものか。
愛し合った二人に、そんなことは関係ないのかもしれない。


幸せそうな二人の笑顔。

その笑顔のまま、コヤナギさんが言った。
「こいつがね」
「こいつ」と言われて、頬を赤くするカズエさんの顔は、尊いなにかを宿したものに思えた。

「新婚旅行はフロリダのディズニーランドがいいって言ったから、計画したんですがね・・・・・そんなお金があったら、被災地に寄付しましょうよ、って言うんですよね」

見つめあい、うなずく二人。
「だから、寄付したんですよ。少しでも力になればいいと思ってね。まあ、Mさんにしか、こんなことは言わないんだけど・・・」


いい話じゃないか。


だから、いい話を聞いたお礼に、歌わないと決めていたが、私も歌った。

Bon Jobiの「I’ts my life」だったが・・・・・

はたしてお礼になっていたか。




すっげぇ、ヘタだった。





ところで、今日はこれから、娘の高校の入学式。

居候さんも同じ高校に入学するので、3人で行く。


サクラ咲く中を行ってまいります。



2011/04/07 AM 07:40:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

胸を張って言えること
私が「花見に行く」と言うと、本気で怒る人がいる。

その怒る理由は何?

お偉い誰かさんが、自粛して欲しいといったから?
「こんな時期に非常識な!」という「こんな時期」を拡大解釈しているから?



我が家では、節電に努めております。
もう3週間近く、エアコンのコンセントは抜いたままです。
ホットカーペットは、しまいました。
電気ストーブもしまいました。
石油ストーブやファンヒータを持っていない我が家は、つまりいま暖房ゼロです。
その結果、室内の温度が著しく下がりましたが、その北国を思わせる温度を自慢したいとは思いません。

IHクッキングヒータでしていた料理は、急遽買ったひと口ガスコンロとカセットコンロ(ガスボンベは残りあと1本)でしています。
鍋料理が増えましたね(体が温まるので)。

ただ、自宅で仕事をしている関係上、仕事用の機械の節電は、仕事に応じてしかできません。
これを極端に節電したら、私の仕事は成り立たなくなります。

計画停電という「格差停電」に協力している以上、この仕事上の電力消費にまで文句をつける人がいるとしたら、私は断固戦います

おそらく、「文句を言うなら、じゃあ、おまえが俺の生活を保障してくれよ」とまで言うかもしれません。
私は、家族の生活を守る責任を負っているのですから。


私は、無用な買い物は、しませんでした。
トイレットペーパーは、残り1ロールに減ったときには、さすがに焦りましたが、昨年の7月から我が家に居候している娘のお友だちのご実家が、ワンセット12ロールを分けてくれるというので、お言葉に甘えて頂戴しました。
いまティッシュペーパー、米、パンは普通に売っているので、困りません。

カップラーメンは、我が家ではなくてもいいものなので、いりません(お一人様一個まで? 今さらに何を)。
納豆は、いまだに不足しているようですが、近所に移動販売車が来るので、困っていません。


たとえば、「花見に行くだとぉ!」とお怒りの方は、我が家と同じように節電に努めていますか。
暖房器具、しまいましたか?

まさか、まだどこの店にも置いていないカセット用のガスボンベを、地震直後に大量に買い込んだなんてことはありませんよね。
朝9時ごろ、スーパーの開店前に並んで、開店すると一目散にカゴを手に取り、商品を手当たり次第にカゴに入れたなどということは・・・・・まさか、ありませんよね。

ただ、たとえそれをしたとしても、私は責めませんけどね。

ひとそれぞれ、ご家庭の事情というものがあるでしょうから。
あるいは、性格、性分というものもあるでしょう。

その家では、本当にそれらのものが必要だったのかもしれません。
もしくは、精神安定剤として必要だったのかもしれません。
それを「買いだめ」という負の言葉で、乱暴に表現するほど私は傲慢ではありません。


クリアアサヒを買いに、あるスーパーに行ったときのことです。
(物流が滞っているせいか、棚にビール類も不足していました)
店員さんが「まったく強欲なやつらだよ」と言っているのを耳にしました。
「強欲なやつら」って?
意味不明の言葉です。
いったい、誰に向かって言ったことばだったのでしょう?


ネットの波を泳いでいたら、「孫さんは、なぜ個人的な寄付をしないんですか」というのがありました。
おそらく、それはソフトバンクの孫正義氏のことを指していると思われます。

孫氏が、個人的な寄付をしていないことが、何か不都合なのでしょうか。

しかし、その後、孫氏は明確で男前な答えを出しました。
おそらくは、ごくごく一部の人しかお目にかかったことのないであろう「百億円」という、積み上げたら10メートルにもなる見上げてしまう寄付をボン!

孫氏の稼ぎがいくらすごいと言っても、それほどの額を出す男前振りに、私は素直に頭を下げます。

ただ、寄付はオークションではないのですから、積み上げたもん勝ちではないと思います。
著名人が寄付を公表しないとしても、それを強調するような書き方を、私は好きではありません。

たとえそれが素朴な疑問だったとしても、何かしらの圧力を感じる言葉には、意図的なものを感じます。


寄付は、たとえどんなときでも、その人の意思と事情だけでなされるべきです。

その行動に、感情的な他人の意見は、必要ありません。


被災者を思う心は人それぞれ。
金持ちも貧乏人も、それなりの思いを持っていると思います。

どのような形で行動を起こしたとしても、その善意が人の迷惑にならない限り、それはきっと復興に通じていると私は思います。
(無用に物を買い込んだら、被災地の方の物資が足りなくなるという想像力が働かない人でも、何かしらの善意は胸に秘めていると思います)




私の寄付した義援金ですか?

恥ずかしいですが、あえて公表します。

3万500円です。

私は、それを少ないとは思っていません。

私が恥ずかしいと表現したのは、金額のことではなく、公表する行為を恥ずかしいと思ったからです。

SMAPさんやAKB48さん、イチロー選手、そして孫氏ほどではありませんが、金額に関しては、確実に胸をはれます。



批判するのは、もちろん自由ですが・・・・・・・。




2011/04/05 AM 08:40:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

無駄な電話は、お控えください
忙しいからイライラしているんじゃない。
イライラの原因がわからないから、イライラしているんだ。

急ぎのドラッグストアのチラシの仕事は、1日で片付けて印刷所にデータを送った。
稲城市の同業者からいただいた大量のトレースの仕事も半分以上こなした。
トレースに関しては、あと4日納期まで間がある。

つまり、イライラするほど忙しくはない。

「格差停電」は、4回経験したあと回ってこない。
節電にも慣れた。

それなのに、なぜイライラするのだろう。

走ってみようか。
そうすれば、解消できるかもしれない。

昨日の午後3時過ぎ。
小金井公園までの行き返りを10キロ走った。
1ヶ月ぶりのジョギングだったが、それほどしんどくは感じなかった。

走り終わって、家に帰り、クリアアサヒの500缶を一気に飲み、2本目は、ゆっくりと飲んだ。
しかし、心の中に何か重いものが存在していて、あまり美味く感じなかった。
それは、私としてはかなり珍しいことだった。

2本目を飲み終わると、突然身体がだるくなったので、仕事場のフローリングに横になり、そのまま眠った。
節電の影響で部屋が冷たい。
だから、寒くて30分くらいで目が覚めた。
これも、私としてはかなり珍しいことだった。


イライラした。


そのとき、iPhoneが震えた。

HPの仕事をいただいている建築会社の社長からだった。
私より10歳年下だが、いつもタメぐちで話すひと。

「ホームページの数字(アクセス数)が、上がらないよな」
このように、ほぼ毎日いろいろなことを電話で言ってくる。

今回ホームページを作るに当たって、私はアクセス数を上げる方法に関してはタッチしないということを宣言した。
報酬をいただけば、私にできる最大限のことをするつもりです、と言ったが「そんなことに金は払えない。ホームページだけ作ってくれ」と言われたので、しないことにしたのである。

だから、アクセス数が上がらない、といわれても困る。
最初は確かにゼロに近かったが、今では一日平均40カウントだ。
トータルで1100カウントを超える。
むしろ大健闘と言っていい数字だ。

「でも、俺の知り合いのところは、もう通算で1万5千を超えてるんだよな」

お知り合いはホームページをいつ開設しました?

「5年以上前だったかな・・・いや、10年くらいになるか」

5年以上と2ヶ月弱を比べてもらっても困りますね。
そのお知り合いのHP開設2ヶ月目と比べてみてください。
そうすれば、現実がよくわかります。

(しばらくの沈黙のあとで)「少しヒントを教えてよ」

ヒント?

「いや、だからさ、アップするヒントをさ」

HPを認知させるために、お金をかけることです。

「それって、あんたが儲けたいだけだろ。そうじゃなくて、金をかけずにアップさせる方法ってのもあると思うんだよね。プロなんだから、知ってんだろ」

プロだからこそ、報酬が必要なんです。


切られた。


ここで、私はやっと気づいたのだ。
イライラの原因は、この電話だったことを。

毎日のようにかかってくる電話。

「俺の会社で建てた建物は、今回の地震で全部無事でしたって載せるのは、どうかね?」
「我が社は、全社上げて節電に努めておりますってHPの頭に載せてくれる?」
「うちは花見は自粛しました、なんてことを宣言するのは、どうかね?」
「寄付した義援金の金額をアピールしたら・・・・・ああ、押し付けがましい? そうか、そうだよな」
「『被災地の皆様方へ』って文を書いたんだが、読んでくれる? おかしなところがあったら、直してほしいんだ」
「会社のハッピを作って、それを着て社員が炊き出しをするってのは、いいアイディアだろ?」

それを聞いて、私はいつも思うのだ。
これ・・・本当に、全部真面目に言っているのか。


それが、私には、よくわからないので、いつも曖昧な答えしか返せないのである。


おそらく、それがイライラの原因だ。

つまり、この電話がかかってくる限り、俺のイライラは治らない。

イライラする!



ただ、これだけは間違いなく言える。


その電話、必要ですか?

無駄な電話は、お控えください。
(エーシ〜〜)



2011/04/03 AM 08:58:23 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

自粛の嵐
自粛要請がなくても、私の取引先は、すべて今年の花見は中止にしたそうだ。

ドラッグストア、桶川の広告代理店、静岡の企画会社、新宿の企画編集会社。
「まあ、当然でしょうね」と皆が言う。

ドラッグストアの社長などは、自腹で社員のために積み立てていた社員旅行費用の全額を寄付したのだという。
なかなかできることではない。

「こんな事態なんですから」

そんな空気を察して、イシハラ氏は「自粛せよ」と言ったのか。

しかし、パンダは、公開するという。
公開しないと、年間のレンタル料約8千万がもったいないと思ったのか。

さらには、「パンダくらいは、見せてやろうか。金がかかってるからな」と言ったのかどうか。

花見をして騒ぐのはけしからんが、上野に金を落とすのは大歓迎。
おとなしくパンダ様を見て、パンダせんべいやぬいぐるみを買い、おとなしく家に帰りましょう。
そして、みんなで耐え忍びましょう。

それが自粛というものだ。

都知事様に楯突くわけではないが、と言いながら楯を突く。

我が家では、パンダ様を見に行くことは一生ないだろうが、花見には行く。
もともと我が家は大変地味な一家である。
だから、いつもと同じように地味な花見をしようと思う。

ヨメと息子、娘、娘のお友だちの居候、そして私の5人で小金井公園昭和記念公園に行こうと思う。

我が家は民主的である。
どこかの知事様のように、上から目線で人の意見を抑えつけるようなことはしない。
行く場所は、必ず多数決で決める。

そして、多数決で場所を決めた以上、文句は言わない。

たとえば、民主党の代表選で負けたあと、反乱分子を陰で操りながら、大物ぶった沈黙の中に身を潜ませた男。
自分の選挙区で起こった歴史的な災害にも動こうとせず、たまに口を開けば「原発は発表よりも悪い状態のようだ」などと人々の不安を煽るようなことを他人事のように言う、なぜか実力者と誤解されている男。

あるいは、「4期目は、もういいよ」と言いながら、勝てそうな面子が揃ったら、途端に前言を翻して出馬する男。

私は、もちろんそんな大物ではないので、約束は守るし、多数決にもおとなしく従う。


と、ここまで打ったところで・・・・・、

ピンポーン!

朝8時41分。

こんな時間に誰だ。

「自治会の副会長のオオヤマですが」

ドアを開けた。
65歳、血色よく人当たりのいい笑顔の副会長。

「自治会で義援金を集めておりまして・・・少しご協力願えないかと」

(いきなり朝8時41分に来て、義援金?)
いま持ち合わせがないのですが。
おそらく小銭をかき集めても800円くらいしか。

(少しばかり疑わしげな目を向けて)
「ああ、では、切りのいいところで5百円だけでも」

(赤面しながら)5百円を渡した。
間違いなく貧乏でケチな男だと思われたことだろう。

「ありがとうございます」と副会長は頭を軽く下げ、私の後ろを見やった。

「しかし、これだけ機械がありますと、電気を食うでしょうな」

(少々ムッとして)いや、節電には努めておりますが。

「はあぁ・・・・・・・」(疑わしげな目)

(聞こえるか聞こえないかの小さな声で)仕事まで自粛しろというんですか。俺はあなたみたいに楽隠居の身じゃ・・・・・。

静かにドアを閉めた。




いま心を落ち着かせるために、クリアアサヒを飲んでいるところである。




2011/04/01 AM 09:06:57 | Comment(13) | TrackBack(0) | [日記]



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