Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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電車で見かけた有名人?
震災の影響で、レギュラーのドラッグストアのチラシが2回飛ばされた。

しかし、昨日仕事が入ってきた。
稲城市の同業者からも夜、大量のトレースの仕事をいただいた。

3、4日ヒマな状態が続いたが、途端に忙しくなった。

昨日、浦和のドラッグストア本部で打ち合わせをした帰り、中央線に乗っていたときのことだ。
背の高い黒髪の女性が、窓際に立っていた。

髪は、それほど長くない。
肩より5センチほど下まで伸びているだけだ。
ただ、その黒髪が、表現しようがないほど美しかった。

まるで、違う生き物が棲みついているように、髪だけが何かを主張していた。
陽の光に反射して、艶やかに潤いを持って光る髪は、まるで異性体を感じさせた。
その異性体の少し向こう側に、形のいい鼻が見える。
高くはないが、綺麗なスロープを描いた鼻の稜線は、充分鑑賞に堪えうるものだった。

背も高い。
170センチはないかもしれないが、長身と言っていい背丈だ。
年齢は、わかりづらいが、25歳を超えてはいないと思う。

黒くて綺麗な髪。
長身、そして整った横顔。

・・・・・・どこかで見たことがあるような。

女優さん?
あるいは、タレントさん? モデルさん?

この全身から立ち上ってくるオーラは、ただものではない。

では、誰だろう?

テレビ画面で、つい最近見たような気もする。

しかし、思い出せない。

このオーラ・・・・・・・・・。


そう言えば、なぜか私はたくさんの芸能人の方を見かけている。

最初に見た芸能人は、歌手(今は女優さん)のいしだあゆみさんだった。
小学校の3年生頃、家の近くのボーリング場で、毎週テレビの収録をしていて、毎回一人必ず歌手が出た。
そこで歌っていたのが、いしださんだ。
歌がうまいかどうかは、当時の私はわからなかったが、華やかさを全身から発散したキレイな人だと思った。

次が、小学校6年のときに、渋谷の東急プラザで見た浅丘ルリ子さん。
細くてキレイな人だった。
あとで、書店でサイン会を開催していたということを人に聞いた。
当時すでに大女優だったにもかかわらず、お付きの人がいなかった。
一人で大きめの化粧バッグのようなものを持って、館内を歩いている姿を見かけた。
20メートル先からでも、まばゆいオーラを感じる人だった。

この世の人とは思えない美しさの夏目雅子さんも見たことがある。
青山のパスタ屋さんの行列に、普通に並んでいた。
その輝きは、違う惑星から来た人かと思った。

青島幸男氏には、東京駅で酔っ払いのサラリーマンに絡まれているところを助けていただいた。
「俺が、アオシマだぁ! の青島だ。もし何か言いたいことがあったら、俺の事務所に来い!」と酔っ払いに啖呵を切っていた。
カッコよかった。
一本強い芯の通っている人だと思った。

河合奈保子さんとは、話をしたことがある。
目黒のスタジオの前をうろちょろしている彼女を見て「何してるの?」と話しかけたら、「マネージャーさんを待ってるんです」と答えてくれた。
屈託のない笑顔が可愛かった。

独立前に、間接的に孫請けのような形で、テレビ局の仕事を請けたことがある。
テレビ東京が多かった。
NHK、テレビ朝日もたまにあった。

テレビ東京で岡村隆史氏を見かけた。
いつもスタジオの隅の折りたたみ椅子に座って、無言で床を見ていた。

ルー大柴氏は、ギョロッとした目でまわりを睨むだけで、人と会話を交わすことはなかったと記憶している。
RIKAKOさんは、私をスタッフと間違えたらしく、明るい声で「おはようございます」と言ってくれた。

テレビ朝日の歌番組の収録前に、スタジオの隅で酒井法子さんを見かけた。
「違う! 違う!」とマネージャーに怒鳴っていた。

渋谷のNHK放送センターの駐車場で中山美穂さんを見たことがある。
やはり、違う惑星から舞い降りたようなオーラを感じた。

NHKの廊下では、鶴田真由さんとすれ違った。
小柄だが、毅然とした歩き方に圧倒され、思わず頭を下げてしまった。

テレビ東京の廊下のソファに、胸の大きい女性が座っていて、飲み物を一人で飲んでいた。
あまりにも胸が大きかったので、胸しか見ていなかった。
失礼ながら、立ち止まって、5秒ほど食い入るように見つめてしまった。
あとでスタッフの方に聞くと「かとうれいこだよ」と教えてくれた。
その後、バラエティ番組に出演するかとうれいこさんを見て、「ああ、この人か」と、やっと顔を確認した。

中目黒に住んでいたころは、近所に有名人がたくさん住んでいた、という噂を聞いた。
樹木希林さん、歌舞伎俳優の片岡孝夫氏、歌手の尾崎亜美さんなど。
しかし、私は一度も見たことがない。

ただ、中目黒に住んでいたわけではないと思うが、高橋英樹ご夫妻を中目黒5丁目付近で見かけたことがある。
隙のない立ち姿で腰を低くして、道行く人に頭を下げていた姿が、印象的だった。
いい人なんだ、と思った。

最近では、お台場で滝川クリステルさんを見た。
この人も異星人かと思うほど、計り知れないオーラを発していた。

みな、それなりにオーラを持った人たちだった。




さて、黒髪長身で際立つオーラを放つ、この女性。
はたして、誰だったのだろうか?

いまだに思い出せない。
テレビを見ている暇がないので、チェックすることも出来ない。


ああ! はがゆい!!!!!





2011/03/30 AM 08:52:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

お笑いの地位向上を
尊敬する江頭2:50師匠が、一人お忍びで、福島県いわき市の被災地に物資を届けに行ったらしい。
なかなかできることではない。

尊敬はしていないが、芸人の田村淳氏も仲間と一緒に物資を集め、オフの日に茨城県の被災地まで届けに行ったという。
これも、できることではない。

戦場カメラマンの渡部陽一氏も21日に、壊滅的な被害を受けた陸前高田市に入って取材をしたという。
これに対して、浅薄で短絡的なメディアが「戦場カメラマンなのに行動が遅い」などと言いがかりをつけているが、「修羅場のプロ」の判断を素人がとやかく言うものではない。
彼のタレント化に力を貸していたマスコミが、都合のいいときだけ戦場カメラマンを要求するのは、勝手過ぎる。
マスコミ以外の人が揶揄するのは、もともと責任自体がないのだから構わないが、さんざん彼を利用してきたマスコミが、それを言うべきではない。

いつもながらのことだが、メディアは遠くの火事を見て、声だけ大きくして騒いでいるだけのような気がする。


そして、唐突だが、ビートたけし氏。

彼も、遠くの火事を見て、ただ騒ぐ人になってしまったのか、と落胆した。

彼が「震災地での窃盗犯は撃ち殺していい。政治家は防災服を着ているなら、現地に行け」とテレビと言ったというのだ。
私は、その映像を見ていないので、本当かどうかは知らない。

もし、本当なら、どうしてしまったのか、と思う。

その発言は、まるで過激な中学生じゃないか。
しかも、遠くの火事を見て、騒いでいるだけの。

天才・ビートたけし氏が、現場に行く必要はないと思うが、何かを伝える側にいる以上、感情論はやめて欲しい。

日本では、たとえ騒擾事件があったとしても、よほど人の身に危険が及ばない限り、警官は発砲はしない。
今回の彼の意図は、日本人のモラルの低下に対して警鐘を鳴らしたかったのだろうが、感情的過ぎて、他人事の意見としか私には思えなかった。

防災服云々に関しては、どうでもいいことだ。
それに、閣僚が大挙して現地に行ったら現場が混乱するだけだろう。
そうなったら、また批判される。
閣僚の心構えを言いたかったのだとしても、極論過ぎて現実感がない。

戦後最大の危機的状況に、そんなつまらないことで突っ込んで、何が言いたかったのかと思う。
揚げ足取りになるが、ビシッとスーツを着ていたら、今度は緊迫感がない、と言いがかりをつけるに決まっているではないか。

ほかの日には、ビートたけし氏は、お笑い芸人たちが「自分たちには笑いを届けることしかできない」というコメントに対して意見していた(本当にお笑い芸人たちは、そんなことを言っていた?)。

ビートたけし氏の意見は、「笑いを届けるより、今は現実的に生活ができること。お笑いは、それからだ」というような主旨だったと思う(ネットで見た限りだが)。

それは、一つの考え方だが、やはりその意見は、私には遠い目線のご意見に思える。

まさしく、生活できること、それが第一に来ることは間違いない。

しかし、歌手の場合、歌で励ますことができる(場合がある)。
スポーツ選手の場合、プロの技で励ますことができる(場合がある)。

それに対して、世の中の風潮として、こんなときに、笑いを取ることは不謹慎である(と受け取られることが多い)。

世の中の人が、そう思うのは、ある程度わかる(本当はわからないのだが、とりあえずわかるとしておく)。

しかし、お笑いにどっぷりとつかってきたビートたけし氏が、「お笑いはあとだよ」と言うのには、私は違和感を感じる。
ビートたけし氏は、お笑いの常識を覆そうとした人ではなかったのか。
私は、遠くからの目ではなく近くの目で、ビートたけし氏には「笑いは、人を勇気づけるんだよ」と言って欲しかったのだ。

彼は、お笑いびとではなく、過激な言動で、自分の意見を持たない人たちを煽るだけの、ただの文化人になってしまったのか、とさらに落胆した。

ビートたけし氏は、今回の震災に心を痛め、所ジョージ氏と相談して1千万円を寄付することを決めたという。

それは、すごいことだと思う。

江頭2:50師匠や田村淳氏、渡部陽一氏も偉いが、ビートたけし氏も偉い。

ただ、ひとつ言わせてもらうなら、「寄付したんだぜ」と、もっと大きな声で言って欲しいと思う。
もっと大きくアピールして欲しいと思う。

たとえば、メジャーリーグのイチロー選手が一億円を寄付した。
これは、イチローという名前があるからこそ、人々は勇気づけられる。

同じくダルビッシュ選手が5千万円を寄付した。
やはり、ダルビッシュだからこそ、勇気づけられる。

宇多田ヒカル、ペ・ヨンジュン、浜崎あゆみ、AKB48、松井秀喜など、彼らの名前が先に付くから、その寄付は意味を持って輝くのだ、と私は思っている。

遠くから過激な中学生のようなことを言って、一部の人間を喜ばせるより、「1千万円、寄付したよ」とビートたけし氏が言ってくれるだけで、その寄付は重みを持つ。


彼は、それほどの人なのだ。


それは、遠くから火事を見て言っているのとは違って、現実の「彼の行動」だと思うから。

ビートたけし氏には、世の中の不満分子に対して、勢いだけの言葉で遠くからアジテートするのはやめて、もっと近い目線で事象を切り取って欲しい。




できるなら、私が大好きな北野武監督の名作「あの夏、いちばん静かな海」を作ったころの彼に戻って欲しい。





2011/03/28 AM 09:27:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

壮絶なストーリー
柴咲コウ主演の「わが家の歴史」の再放送をニヤケ顔で見ていたとき、「俺を忘れないでくれ」という怪しい電話があった。

前々回のブログで、今回の大震災で、被災地にいる友人4人の無事を確認した、ということを書いた。

それに対して、「千葉県の銚子も揺れたぞ」と抗議したのが、電話の主イケダだった。

で、今回の震度は?
「震度5弱か強だったと思う」
ライフラインは?
「正常だ」

被害は?
「家の駐車場の屋根が半分崩れた。近所の電線が一本切れた」
家族は?
「無事だ」

計画停電は?
「ない」

大変だったな。
しかし、俺のところは格差停電が4回あった。
仕事に大変差支えがあった。

しかも、アパートの庭の段ボール箱に住みついた「生き物らしきもの」が、地震直後から9日間行方不明だった。
とても、心配した。
しかし、一昨昨日(さきおととい)の朝には帰って来た。
10日ぶりに見た「生き物らしきもの」の姿は、私の目を潤ませた。

どこで揺れる日々を過ごしたのか聞きたかったが、私は人間の言葉しか話せないので、それを断念した。
その陰には、壮絶なストーリーがあったに違いないが、私には知ることができない。
それが、大変残念だ。

「・・・・・・・・・・」

馬鹿な話をしているとは思うが、これには、わけがあるのだ。

イケダは、まさしく「壮絶なストーリー」を持った男であり、それを自慢したがる男でもあったから、こちらが相手を煙に巻くことを言わないと、ほうっておくと自慢話が延々と続いてしまうからである。

イケダは、私より一歳年下。
大学3年の春休み、銀座のレストランの厨房でアルバイトをしていたときに、彼と知り合った。

自称・一橋大学
本当に一橋大学かどうかは、知らない。

彼は、23歳になると、なぜか歌手としてレコードデビューを果たす。
インディーズはなく、メジャーのレコード会社からだ。

当時、国立大学出の歌手は、珍しい時代だった。
私がプロデューサーなら、絶対に「一橋大学卒」をアピールする。
しかし、彼はそれをしなかった。
だから、本当に一橋大学を出ているのか、と私は今でも疑っている。

イケダは、4枚シングル版を出して、歌手をやめた。
売れなかったからだ。
私は、毎回発売するたびに、イケダからレコードをもらったが、一度も彼の歌を聴いたことがない。
おそらく一生聴くことはない。
ただ、捨てることもしないだろう。

イケダの壮絶なストーリーは、1964年に起きた新潟地震から始まる。
当時、新潟に住んでいた彼の家族は、家の全壊という悲劇に見舞われた。
小学校低学年だった彼は、突然押しつぶされた我が家を呆然と見るしかなかったという。

幸い家族は全員無事だった。
しかし、住むところをなくしたイケダ家は、親戚の住む千葉県銚子市に移り住むことになる。
その後、今に至るまで、イケダ家は銚子を住処として、イケダは「壮絶なストーリー」を紡ぐことになる。

イケダは、新婚旅行で行った秋田県の男鹿半島で、日本海中部地震に遭遇した。

その数年後、初めて行ったグアムへの海外旅行の帰りに、乱気流に巻き込まれ、機内で震える字で遺書を書いたこともあった。

阪神淡路大震災のときは、出張で大阪にいた。

そのすぐあとの「地下鉄サリン事件」で、茅場町のホテルに泊まっていたイケダは、朝早く地下鉄日比谷線に乗り、恵比寿駅で乗り換え五反田でセミナーを受けた。
霞ヶ関あたりで、サリンガスが撒かれたとき、彼は恵比寿駅の手前にいたという。
つまり、10分ホテルを出るのが遅かったら、イケダは間違いなく事件に遭遇していたということだ。

そして、もう一つの壮絶な事実。
出会ったとき、身長160センチで体重41キロだった彼の奥さんは、10年後60キロになり、いま90キロ近い巨体をイケダにさらしているという。
170センチ55キロのイケダは、その巨体によるストレスのせいか、自分の「壮絶なストーリー」を人に自慢することしか、いま楽しみがない。

「地震で、駐車場の屋根が壊れ・・・・・」

(イケダに最後まで言わせる前に)今日は、庭の生き物に、何を食わせてやろうかな。
あいつ、意外にもトーストが好きなんだよね。
しかも、バターたっぷりの。
猫(らしき生き物)がトーストを食うなんて、想像できるかい?

モダンだね。
今日は、フレンチトーストでも食わせてみようかな。

じゃあ、エサの支度があるし、「わが家の歴史」も見なきゃいけないんで、また今度!

電話を切った。




イケダ君。
今回は、壮絶なことにならなくて、幸いでした。


ぜひ、長生きしてください。




2011/03/26 AM 09:25:18 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

できるときにできる場所で
仕事も一段落ついた真夜中、クリアアサヒを飲みながらネットを見ていたら、一つのブログに行き当たった。

プロ野球の開幕に関する内容のものだった。
最近、少しだけ騒がしい話題だ。

その人は、早期開幕支持派で、少しくらい待っても事態は好転しないだろうから、早めに開幕した方がいい、という意見である。
延期したら、経済が停滞して、プロ野球側は損害を受ける。
やるなら、セ・リーグ側の提示するスケジュールでやるべきである。

そして、選手会やパ・リーグ側に立って、セを非難する行為は「魔女狩り」のようなもので、感情論であると論じている。
あるいは、彼らはジャイアンツのオーナーが言い捨てた「暴言」に反発しているだけで、それも感情論だと言っている。
開幕強行の意見は、経営者などに多い意見である、とも述べている。


しかし、と思う。

・・・・・・・・・思いながら、眠ってしまったので、いま続きを書いている。


プロ野球にまったく興味のない私が、感情論で語るなら、それさえも感情論であると思える。

ようするに、その理論は、私にはプロ野球好きが公平さを装いながら「プロ野球開幕ありき」を前提に語っているとしか思えなかったからである。


少し話それて、タキハナ(?)とかいうジャイアンツのオーナーの発言は、あれは病気だと私は思っている。
讀賣新聞の某会長や、「天罰発言」の某都知事のような自己顕示欲の強いご老人は、「新聞の見出しになりたい」病なのだ。
彼らは、本能的に、絶えずそれを望んでいるから、何かあるとすぐ本性が出てしまう。

あれは、病なのだから、まともに取り合わないほうがいいと思う。
病気のご老人が、また何か言っているな、と思うだけでいい。
だから、あの発言を抜きに話を進めたい。

たとえば、戦後3ヶ月してプロ野球の東西対抗戦が開催された、とか、世界同時多発テロのとき、ヤンキースは4日後に試合をした、などという人がいるが、これは比較にならないものを比較しているから、まったく説得力がない。

日本史上でも最大クラスの津波で、いくつかの街が壊滅状態になってから、まだひと月もたっていないのである。
しかも、原発事故という惨事もある。
電力事情が悪いということがある。

プロ野球側が最大限節電の努力をしたとしても、電気が足りなくて困る人が、間違いなく出てくるだろう。

生活の平穏とプロ野球の開幕。

これも、厳密に言えば比べることができない種類のものだ。
上のブロガーさんたちのように、プロ野球が好きで好きでたまらない人がいる。
「プロ野球があれば、自分は勇気付けられる。明日への活力が生まれる」
そう思っているプロ野球ファンは多いだろう。

しかし、「まずは、自分の家の灯りだろう」という人もいる。
「プロ野球よりも俺はバラエティ番組だな」という人がいる。
そして、「何よりも電車がダイヤ通り動いて欲しいな」という人もいるだろう。

そこで、私は思うのだ。

この「灯り」「バラエティ番組」「ダイヤ通りの鉄道」と、娯楽である「プロ野球」に優先順位をつけて、「プロ野球」が一位になると主張する人は、自分の感情に違和感を感じないのだろうか、と。

プロ野球好きを公言するのは、いい。
声高に、どのチームどの選手を応援するのもかまわない。

しかし、それは庶民生活より、優先されていい事項なのか。


私は、プロ野球を中止してください、とは言わない。

ただ、「できるときに、できる場所でやる」という発想のほうが、プロ野球球団にもプロ野球選手にも、いいと思っているだけだ。
逆風の中、無理に嫌われることをする必要はない。

すべての日程をこなさなくてもいい。
セとパの交流戦もなくていい。
セとパの試合数が、大幅に違っていてもいいと思う。

これほどの大災害だったのだ。
誰もが何かを諦めて、何かを我慢している。

プロ野球も、我慢する姿勢が欲しい。

売り上げが落ち、経営が成り立たなくなる球団が出てくるかもしれない。
おそらくご親切なジャイアンツの老人オーナーは、そのことを心配しているのだろう。
経営者とは、そういうものだと思う。

ただ、そうは思っても、それがプロ野球の優先順位が上位であるべきだ、という理由にはならない。

それは、球団それぞれの経営努力の問題である。
経営努力は、どの会社も同じ。
プロ野球だけの専売特許ではない。


一番いいのは、企業側が、プロ野球を普通どおり開催したときの経済収支と、試合を間引きして開催したときの収支を、試合数ごとに明確に提示すること。
そして、極めて算出しにくいとは思うが、それをプロ野球を興行したことにより、消費者側が受けた損害を計算し、照らし合わせることだ。

ただ、そのとき「プロ野球に勇気を与えられた」という感情的な部分は、完全に排除して欲しい。
純粋に、損益が目に見える形で提示して欲しいと思う。


これは、プロ野球に興味がない男が、言いがかりとして提示した案である。

しかし、これも厳密に言えば、比べることがおかしい損益の対象だと言っていい。

つまり、無理難題だ。



だから、野球をやるのはかまわないが「できるときに、できる場所で」。



これが、私の「感情論的結論」です。





2011/03/24 AM 11:03:34 | Comment(6) | TrackBack(0) | [日記]

無事を確認
今回の震災で、被災地に住んでいる友だちは4人。

そのすべての無事が確認された。

しかし、彼らが口をそろえて言うのは「自分だけが助かったとしても、素直に喜べない」ということだった。

知り合いの中に、行方不明者がいる。
それを考えただけで、心の奥から不安と悲しみがこみ上げてくるという。

かける言葉が見つからない。


知人の中で、真っ先に連絡を寄こしてきたのが、大学時代の友人、ヘチマ顔のノナカだった。
ノナカは、仙台市内で塾を経営しているが、当日は長女が住んでいる北海道に夫婦ともども旅行していたので難を逃れた。
彼の次女もアメリカの大学に留学していることもあって、家族4人すべて無事だった。

塾のスタッフとは、一週間近く連絡が取れなかったらしいが、先週の木曜日にメールが来て、塾の被害は大きいものではなく、スタッフも全員無事だということを聞いて、胸をなでおろしたという。

すぐにでも帰りたいが、ライフラインが戻るまで、長女の家に滞在したほうがいいと判断して、しばらく札幌に留まると言っていた。
昨年、胃を3分の2切除する手術を受けたこともあって、奥さんが彼の身にストレスがかかるのを恐れ、必死で帰るのを止めている状態のようだ。
それは、賢明な判断だと思われる。

次に連絡が取れたのは、岩手県久慈市に住む、大学の陸上部時代の後輩である。
彼は4年前までは東京に住んでいたが、一人っ子である奥さんの実家をサポートするために、夫婦で久慈市に移り住んでいた。
彼らが住んでいたのは久慈市の西側だったため、大きな被害は受けなかったと、被災から二日目にメールで教えてくれた。

メールを読んで、安堵した。

次は、仙台市に住むデザイナーのイトウ君。
メールを何回も送ったが、返事が来なかった。
地震当日は、こちらの電話も使えない状態だったので、電話での安否確認は不能。

焦った。

イトウ君が、いつも利用する仙台市の印刷屋さんにもメールを送ったが、返事が戻ってこなかった。
足元から湧き上がってくる不安に胸が押しつぶされそうになったとき、私が送ったグーグルのGメールではなく、ヤフーメールでメールが来た。

それは、とても短い文章だった。
「倒れたのは仕事場のカップボードだけ。パソコンと周辺機器は無事、家族も無事」

それだけで、充分だった。


そして、もう一人は・・・・・。

大学のときの同級生ハセガワの妹。

ハセガワは、大学を卒業してすぐ、親が一代で築き上げた商社に入り、40半ば過ぎに社長になった。
そして、一歳年下の妹のクニコも同じ会社に入り、後に副社長になり、仙台支社で陣頭指揮をとることになった。

ハセガワの妹については、過去にブログに書いたことがある(コチラ。ただし、サーバ会社の無対応により、リンクがすぐに切れる場合があります)。

無事だろうか。

気にはなるが、今さら私がそれを気にしてもいいのか、と思った。
関係ないのではないか。

しかし、友だちの妹だ。
心配してもいいじゃないか。

だが・・・・・。

丸二日間、同じ思考が堂々巡りをした。

結局でた結論は、友だちの安否を確認することに、関係ないも何もない。
それは、友だちとして自然な感情だ、ということで自分を納得させた。

ためらいを無理矢理こころの奥に押し込み、震災から三日後、ハセガワに電話で確認すると、「妹は無事だよ」と簡単に言われた。
そして、ハセガワは「心配なら、直接電話しなよ。妹の携帯の番号、教えるから」と、忙(せわ)しげに番号を告げた。

ああ・・・・・そうか。

ほとんど無意識のうちに、携帯の番号を紙に書き、知らない間に電話を切られていた。

あれから八日たつが、一日に数度、番号を書いた紙を見るだけで、電話はしていない。

おそらく・・・・・・・これから先も、することはないだろう。
(ただ、その番号を書いた紙をゴミ箱に捨てる勇気は、私にはない)



ところで、前々回のブログに書いたが、姉が貯め込んだティッシュやトイレットペーパーなどは、震災とは違う方面の慈善団体に、姉自身が寄付をした(震災向けの窓口では、ティッシュなどは受け付けてなかったので)。

しかし、気がついたら、我が家のトイレットペーパーが7ロールに減っていた。
ティッシュペーパーも2箱に減っていた。

そこで、私は思ったのだ。

寄付する前に、我が家の分を確保しておけばよかった、と。



まったく、人間が、ちっちぇー! ですか?




2011/03/22 AM 09:38:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

目の下のクマ
無計画停電は、私を眠らせてくれない。

昨日は、無計画停電はなかったので、仕事がはかどった。
しかし、これから先は、どうなるかわからない。

不安だ。
仕事を進行させることはもちろんだが、休めるときに、休んでおきたい。

だから、WEBデザイナーのタカダ君(通称ダルマ)と一流デザイナーのニシダ君に頭を下げた。

知人から紹介してもらった建築会社のHPの仕事は校了になったが、一週間もたたないうちに「悪いな。地震で考え方が変わったから半分とっかえてくれない?」という命令があった。
それも「急ぎでな」

少しだけ睡眠不足が解消されたあとの、この仕打ち。
いやがらせ・・・・・・・では、ないと思うが。

そのあとダルマから電話があった。
「師匠! 蕁麻疹が痒いです! 花粉症もつらいです! 揺れが怖いです! だから、HPの更新を2件大至急でお願いします!」

しかし、君は退院したんじゃなかったっけ?
治ったから、退院したんだろ?

「治りました! でも痒いです! 助けてください! わけがわかりません! 助けてください!

・・・・・・・・・・これで、35歳。
親の顔が見・・・・・・・ダルマの結婚式で見た気がする。
コメントは差し控えたい。

そのあと、ニシダ君から電話。
「センセイ! 先月やっていただいたフリーペーパーの仕事。また急ぎでお願いします。待ったなしです!

確かに、先月やった。
急ぎだった。

しかし、そんな急ぎの仕事を立て続けに請けたら、俺は間違いなく機能停止になる。

だが、二人とも私がMacを教えたことがきっかけでプロになった可愛い弟子たちである。
私が、手取り足取り、カルタ取り、しりとり、あげ足取りして教えた子たちだ。
その頼みを断ることは、私にはできない。

そこで、私は言ったのだ。

君たちの政治力で、一日、いや半日でもいい。納期を延ばしてもらえないだろうか。
私は受話器を持ったまま土下座をして(嘘だが)、誠心誠意お願いをした。

そのあまりにも美しい私の土下座が電話回線に乗り移ったのか、二人は「わかりました」と言ってくれた。
「一日延ばすように頼んでみます」と言ってくれたのだ。

よかった。
これで少なくとも半日の休みが取れる。
心と体を休めることができる。

クリアアサヒを少しだけ堪能することができる。


こんな非常事態のときだが、不謹慎にも、そんなささやかな妄想に浸っていたとき、iPhoneが震えた。
桶川のフクシマさんだ。


何かぁ!!!!!!!!!


「し、仕事なんですが・・・・・、それも、い・そ・ぎ・の

I’m very buzy!!!!!!

「お忙しいのは承知ですが、アリマさん(麻生久美子似の事務員)の『新しいご主人』からいただいた仕事でして」

あのぉ・・・フクシマさん。
アリマさんには、『古いご主人』もいらっしゃるんですか。

「いや、何を言ってるんですか。アリマさんは、初婚ですよ。失礼じゃないですか!」

睡眠不足で、俺の頭が機能していないのか?
日本語が通じないようだぞ。

「とにかく、アリマさんの『新しいご主人』からの仕事ですから、Mさんにやっていただくのがいいのではないかと」

で・・・・・アリマさんの『古いご主人』はどこに?

「Mさん! 俺、怒りますよ! それは、アリマさんに対する侮辱だぁ!」

なぜか、フクシマさんは、怒ったようである。


ということで、私の半日の休暇は、なしということになった。



私の憔悴した顔を見て、中学校課程を3月18日にめでたく卒業した娘が言った(私が卒業式を見て泣いたかって? もちろん、泣いたさ!)。

「おい! お前のその目の下のクマ、パンダのマネか?」

娘のソフィスティケイテッドされたジョークにも、笑えない俺だった。





2011/03/20 AM 08:51:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

どんなに遠くてもたどり着いてみせる
◆讀賣グループを束ねるご老人が、相変わらず元気らしい。

テレビや新聞を見ていないネットだけの情報なので、詳しくはわからない。
だから、この件に関しては、何も言えない。

それに付随したことだが、プロ野球の開幕で、セ・リーグとパ・リーグの開幕日時が大幅にずれるらしい。
セは、3月25日開幕を決めたという。

野球で被災地の方を励まそう、という考え方は、わからなくはない。
私には、野球で励まされるという発想がないから、そのすべてが理解できるわけではないが、そういう人がいても不思議でないとは思う。

ただ、電力不足ということがある。
プロ野球を一試合興行したときに、どれほどの電力がかかるものだろうか。
もし多大な電力がかかるとしたら、私は賛成できない。

その電力を他にまわして欲しいと思う。

プロ野球は公共に認知されたスポーツであるとは思うが、多大な電力消費と国民の我慢を比べたら、目に見えない「励まし」よりも私は、実際の電気の供給をとる。

プロ野球が開催されたとしても、計画停電で、その試合をテレビで見ることができなかったら、何の意味もない。
中継を見られなかったら、「励まし」にはならない。



◆我が家も計画停電を経験した。
二日続きで、電気が止まった。
最初は、2時間。昨日は、約3時間。

覚悟していたことなので、不便はそれほど感じなかった。
趣味でランプを集めていたので、夜の停電でも、風情ある灯りを演出することができた。
これは、家族に好評だった(地震以前は『なに! このランプ! 意味ないでしょ!』と言われたものだが)。

ただ、我が家は、ガスは風呂しか使わない「半オール電化」だったので、調理のために「ひと口ガスコンロ」を買った。
その出費だけが、予定外だった。



◆東京電力に文句を言っても仕方がないとは思うが、停電を経験した側から言わせてもらうと、今回のことは、はじめに「計画停電ありき」だったのでないかと私は疑っている。

「節電」を強く呼びかけることなく、いきなり「計画停電」。
利用者が拒めない状況を否応なしに作って、力技で電気を停める。
まさしく「有無を言わせぬ」状態で、東京電力側が、電気を人質に取った観がある。

なぜ「節電」では、いけかったのか。
東京電力側は、ユーザーを信用していなかったのか?



◆さきおととい、納豆を求めながら彷徨っている合間に、災害義援金を振り込んだ。

私にできることは、それしかないのだから。



◆私は、基本的にテレビを見ない人種に属している。

今回の地震報道も、初日の3時間程度しか見ていなかった。
そして、CMが再開されたらしい、ということを聞いて、また少しだけ見た。

しかし、画面ではいまだに悲惨な状況を映す場面が何度も繰り返されている。
海外のメディアからは、今回の日本の報道は冷静に事実を伝えていると評価されているようだ。
確かに、悲惨な状況を冷静に伝える報道は、外国向けの報道としては正しいと思う。

いわゆるCNN的な手法で今回の災害を報道する立場なら、日本の報道は非の打ちどころのないものだと考えていい。

だが、私は「死者・行方不明者○○人」というテロップの下に、悲惨な状況を流し続ける画面のなかに、「明日への希望」を見つけることができなかった。

悲惨な状況はわかった。
では、我々は次に何をすればいい?

義援金は払い込んだ。
救援物資も用意した。
しかし、ガソリンがないから運べない。

「ガソリンが不足している」という報道を普通にしたあとで、答えを得られないまま、ニュース画面が福島原発の惨状に切り替わる。
「ガソリンが不足している」という報道が寸断されて、画面が切り替わってしまったら、我々は途方にくれるしかない。

この報道に、希望はあるのか?

世界の各方面から支援の輪が広がっている。
それは、希望を感じさせるものだ。
しかし、それを励みにするためには、それが被災地に届けられなければ駄目だ。

「町がなくなってしまいました」という報道は、もういい。

各方面から集められた「希望」を、どうすればより早く被災地に届けることができるか。

私は、そんな報道を望んでいる。



◆ところで、心苦しくも、こんなときに、つまらない私事を書く無礼をお許しいただきたい。


私には、3歳年上の姉がいる。

そのことは、何度かこのブログで書いてきた。
だいぶ前のことだが、姉が自分の部屋に大量のトイレットペーパーなどを溜め込んでいるということを書いた。

(それは、こちらのブログですが、ここのサーバのリンクはすぐに切れるので、正確にリンクされないことがあります。リンクが切れた場合は、当方ではどうすることもできません。申し訳ありませんが)

姉の部屋に大量に蓄えられた、トイレットペーパー、ティッシュペーパー、米、インスタントラーメン、カップラーメン。
これらは、まさしく、いま不足している物資であることに気づいた私は、40年ぶりに姉を説得する決意を固めた。
それは、被災地に役立つものだから。
被災地では、個人の物資提供は認めていないようだが、企画団体を通せば、それは有意義な物資になる。

幼いころから、親の言うことも、他人の言うことも、教師のいうことにも耳を貸さず、誰の説得も受け入れてこなかった姉。
当然私も説得することを諦め、会話さえも放棄するという、情けない年月をただただ重ねてきた。

重く閉ざされた扉。
それを今回の非常時に、こじ開ける決心をしたのだが、実際に行動を起こすまでに、半日以上の時を要した。

iPhoneを何度も持つが、指先が震えて、実家の番号をうまく押せないのだ。

「無理だよ」「俺には絶対説得できない。俺は無力だ」「無理だ。やめようか」

心の中で、何度も逡巡し、そのたびに指先が震えて、決意を揺るがした。



気持ちが萎え、後ろ向きになったときに、私が必ず口ずさむ歌。


そして夜が明けたらまた生きていくために
生活(くらし)を背負って歩き出す
疲れたからだ 次第に何も
聞こえなくなる 感じなくなる だけど

どんなに遠くてもたどり着いてみせる
石のような孤独を道連れに
空とこの道 出会う場所へ
     (浜田省吾 「家路」より)


心で歌いながら、勇気を振り絞って、ボタンを押した。

母が最初に出たが、事情を簡単に説明し、姉に代わってもらった。

感情が伝わらない平坦な声。
すべてを拒絶し、最後の言葉がいつも空気にフェイドアウトするように消え、意思を感じない声。

説明している間、私はずっと無力感に襲われていたが、そんなときも心の中で「家路」の「どんなに遠くてもたどり着いてみせる」がリフレインしていた。

姉と2分以上会話するのは、40年ぶりくらいだな、と思いながら、時計を見ると、電話をかけてから、10分以上たっているのに気づいた。

姉は、そろそろ怒り出すか、泣き出すに違いない。
そう思ったとき、脳のバックグラウンドで流れる「どんなに遠くてもたどり着いてみせる」を聞きながら、唐突にあるフレーズが思い浮かんだ。

姉が必ず言う言葉。
「うるさいわね」「バカじゃないの」「ほっといてよ」「私は世界で一番可哀想な女なんだから」

その中の一つのフレーズを投げかけて、姉の心を揺さぶってみた。
だが、そのことはM家の恥を含んでいるので、ここでは詳しく書かない。

数分後、「いいわよ。どうすればいいの?」という姉の声を受話器を通して聞いたとき、全身の力が抜けて、座り込んだ。

・・・・・・・やってくれる?

「・・・・・・・・・・・」

返事はなかったが、それはいつものことなので、気が変わらないことを祈りつつ、私は手順をゆっくり説明した。

これは、私が手続きをしても意味がないものだ。
姉が自分でやらなければ、達成感を味わうことはできないだろう。

だから、すべて姉一人でやらせることにした。
あとで母にも、手を貸さないで欲しい、とお願いした。

説明に30分を要した。
姉とこんなに長く会話したのは、初めてのことだ。
おそらく40分以上、我々は会話したと思う。
それは、一生分の会話時間を軽く超えていたかも知れない。

歪んだ関係の姉と弟なのだ、とあらためて思った。


そして、真夜中、午前1時ちょうど。
iPhoneに、留守電が吹きこまれていた。


「やってあげたわよ」


はじめて聞く姉の得意気な声。


その留守電を何度も繰り返し聞いて、私は「ありがとう」とつぶやいた。




2011/03/18 AM 06:46:15 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]

私のまわりの地震情報
それは、誇りに思っていいことかもしれない。

避難生活に耐える被災者たちの秩序正しさのことだ。

この人たちは、なぜこんなにも秩序を崩さずに、現実を受け止めることができるのか。
なぜ静かに、自然が人を翻弄する悲劇を受け止めることができるのか。

彼らが胸に秘める矜持は、感情として顕わにならないだけに、より気高いものに感じられる。

通信、電気、水、交通機関が寸断される中、食糧不足と恐怖を絶えず抱えたまま、パニックを起こさずに耐え続ける精神力には、驚嘆するばかりだ。
頭が下がる。
海外では災害時必ず起こる略奪も、今のところ報告されていないようだ。

すごい人たちだと思う。


昨日から震災報道の合間にCMが流れていると聞き、久しぶりにテレビをつけてみた。

内容自体は、それほど震災直後と変わっていなかった。
そして、震災直後の被災者のインタビューでも感じたのだが、彼らは自分に降りかかった悲劇を静かに悲しんでいるように思えた。

欧米のように誰かを英雄に祀り上げることもなく、自然にできた集団が、無意識のうちに「個」と「個」を保護し、悲劇を共有しあっていた。

私が見ていた画面では、助け出された人が「申し訳ありません」と言っていた。
おそらく、救出されて、そんなことを言う人種は、日本人だけだろう。


ただ、地震直後から顕著に見られた、首都圏のスーパーなどにおける「買い占め」の行動原理は、「個」だけが意識されていて、そのギャップにも驚かされる。

スーパーで、秩序を守って行列をし、カップ麺やレトルト食品、米、缶詰、乾電池、トイレットペーパーなどを買いだめする人たち。
そこにあるのは、強い危機意識というものだろうが、平然と行動を起こしている分、気味が悪い。
喚くことなく、怒ることなく、静かにショッピングカートに商品を山積みしていく姿を見て、私は「千と千尋の神隠し」の「顔ナシ」を思い浮かべてしまった。

我が家は納豆家族なので、昨日(15日)納豆を求めて、武蔵野、三鷹、小金井の7つのスーパーを回ったが、計画停電と商品が底をついたこともあって、昼間ではあったが、3つのスーパーが店を閉めていた。


しばらく納豆は、我慢するしかない。

そう諦めかけたとき、移動販売の車を見つけた。
軽のワゴンの横に「(自家製)練り物・豆腐・納豆」と書いてあるではないか。

そうそう都合よく納豆があるわけない、と思いながらも、恐る恐る聞いてみた。

納豆は、ありませんよね?

すると、60過ぎくらいの五分刈り白髪頭のおじさんが、「あるよ! でも、先に言っとくけど、うちのはスーパーあたりのやつよりちょっと高いよ」と胸を張った。

(怯えつつ)おいくら?

「1パック210円」

それは確かに相当に高いが、現物を見せてもらったら、思いのほかでかいパックだった。
では、5パック、ください。

「悪いな。一人2パックまでって、決めてるんだよ」と睨まれた。
さらに、白髪の大将は「うちの納豆は、早いうちに食ってもらいたいからね。買い置きは、ダメだ」と、毅然として言った。

江戸っ子だね、大将!

「山梨県は甲府の生まれだ!」

・・・・・・・・・・・・・・。

気を取り直して、いつも何時ごろ我が家の近くを通るかを聞いたあと、押し頂くように、でかい納豆パックを2つ買った。

今日の夜は、この納豆を使って、納豆丼を作ろうと思う。
これは、料理というほどのものではない。

丼メシに、各自好きなものをトッピングして、かっ食らうだけのものだ。
トッピングするのは、納豆のほかに、半熟玉子、鶏肉のそぼろ、大根おろし、山芋の擂りおろし、高菜、刻みネギなど。
おかずは、アサリと豆腐のチゲだ。
あとは、大量の貝割れ大根にカツオ節を大量に乗せ、しょう油をぶっ掛けたもの。

計画停電を考慮しつつ、夕飯の支度をすることにしよう。


計画停電は、東京電力にとっても初めてのことなので、怒っても仕方がない。
(ただ、計画停電ではなく無計画停電だろ、という小さなツッコミだけは入れておきたいと思う。電気が当たり前のようにあると思っていたのは、我々ではなく、東京電力側だったというのが今回よくわかった)

東京電力の会社上層部の判断力と広報の説明力の低さには、呆れかえるが、我慢強く民度の高い日本人なら、この程度の難局は平然とやり過ごすだろう。


今回つくづく思ったのだが、日本という国は、国民の民度の高さに、救われていると思う。


だから、どこかの偉いお方がおっしゃった「津波をうまく利用して、我欲をやっぱり一回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」という人間度の低い発言には、触れないことにする(そのご意見は、さすがに撤回したようだが)。



2011/03/16 AM 06:51:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

前兆と予知そして過剰な情報
計画停電という前代未聞の措置の前にブログをアップ。


そう言えばあのとき、というような後出しジャンケンのような言い方は、好きではない。

しかし、そんな主義を軽くまげて、私が体験した、こじつけに近い小さな出来事を書こうと思う。

中学3年の娘と、娘のメル友の合唱コンクールを見に行ったときのことだ。
お昼休みに私たち二人は、ホールの外のラーメン屋で昼メシを食った。

食い終わってホールに帰る途中、大きな猫が慌てたように横断歩道を走りすぎていく光景を見た。
「はえー!」
二人で、その姿を見て笑った。

そして、ホールの階段を上ろうとしたとき、上からやはり猫が2匹、かなりの速さで駆け下りてきた。
ホールで猫を飼っているのか? まさかね・・・。
そのときも、二人で笑った。

そのすぐあと、笑う我々の後ろを低空飛行で、何かが飛んでいく気配を感じて振り返ると、カラスが5、6羽、向かい風に逆らうように猛スピードで飛行し、そのあと急上昇して我々の視界から消えた。

「なんか、あいつら慌ててたな・・・」
そうだね。

大きな地震が起きたのは、その約1時間半後のことだった。

もちろん、因果関係は何一つない(はずだ)。

ただ、そういうことがあった、というだけの話。


地震の日、娘と二人、家に帰りついたとき、ヨメがテレビの特報番組を見ていた。
フジテレビだった。
ヘルメットをかぶった安藤優子さんが、画面に映っていた。

相変わらず、歯切れのいい話し方で、番組を仕切っていた。
その姿には、安心感があった。

しかし、それ以来、私は地震特報番組をあまり見ていない。

急いで、こなさなければいけない仕事を、3件抱えていたということもある。
そのほかに、テレビによる情報の洪水に、私自身が馴染めないということもある。

同じような映像を何度も流し、同じような識者・学者・専門家を並べて、見る側を情報漬けにする。
その相変わらずの手法に、私は疲れてしまっていたのだ。

そんなことより、私はこれから復興にかかる費用を、概算でもいいから知りたい。
地震大国日本の現状を遥か前から知りながら、地震に強い都市計画をしてこなかった本当のわけを知りたい。

役人と政治家は「地震は自然現象だから、しかたがない」と最初から諦めていたのか。
僅かな地震予知の予算を組むことだけで、お茶を濁し続けてきた怠慢さの理由を、私は知りたい。

ただ、いくら無知な私でも、今回の地震が、為政者や学者の想像を絶するものだったということは、理解できる。
千年に一度と言われる巨大地震を想定するのは不可能と言うのも、わかる。

だが、それでも被害を少しでも軽減するのが、専門家の役目であることには変わりない、と言ったら、彼らに厳しすぎるだろうか。


私がいま望むのは、何十年かかってもいいから、計画的で建設的な耐震国を作る方向性を、誰かに示してもらうことだ。

最初は、荒唐無稽の案でもいい。
SFもどきの案でもいい。
それらを集約して、「偉い先生方」と「民間の頭のいい人たち」が、それを目に見えるものにしていただけたら、私はとても安心する。

そんな私の言いがかりのような願望を放送してくれたテレビ局は、今回ありましたか?
(テレビを見ていないので、私には判断できないのです)


仕事中は、FM放送を聞いている。
FMは、地震情報もあり、音楽も入るから、情報の洪水がない。
たまに、AM放送も聞くが、「おい! その原稿は飛ばして、こっちだ!」などという、慌てたディレクターの生の声が聞けるときもあって、臨場感があり、つい耳を傾けてしまう。

ヨメは、インターネット。
息子は、携帯電話。
娘は、インターネットと携帯電話で、それぞれ情報収集をしている。

さすがに、こんなとき、CS放送のK-POP番組を見たいとは思わないようだ。

そして、ヨメ以外の意見は共通している。

まるで、死者と行方不明者の数を競うようなテレビの報道は、過剰すぎて見ていられない、というものだ。

常識人のヨメだけが、「こんなときは、死者の数が一番大事。被災された方たちは、ご身内の安否が一番大事な関心ごとなんだから」という意見だ。

その意見に、反論の余地はない。
反論などしたら、ばちが当たる。


だから、亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、一人でも多く生還されることを願っています。




ところで、おとといインターネットで、アメリカの科学者が「今回の地震の影響で、地球の自転が僅かに早くなった」と報告した、という記事を見た。

そのあまりに冷静な科学者的言動に、ひねくれものの私は「冷静すぎる」と、奥歯を軽く噛みしめたのだった。

少なくとも今の私に、そんな情報は、いらない。



私は、ニュージーランド地震で行方不明になった方たちの「その後の情報」も知りたい。
新潟中越、長野北部の被災状況も知りたい。



仙台在住のデザイナーのイトウ君は、ご家族ともに元気だった。


よかった(泣いちまった)。




2011/03/14 AM 06:07:24 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

3月11日の地震
昨日は、娘のメル友が合唱コンクールに出るというので、二人で見に行った。

そのとき、小さく揺れ始めた。
そして、徐々に大きくなり、天井から大きな埃が落ちてきた。

しばらくしてから、生徒や父兄たちの悲鳴。
館内放送で、慌てず、その場所に留まるように指示され、出口に近い人から、ホールに隣接する中庭に避難した。

避難するときは、みんな落ち着いていたと思う。
しばらく、その場所で待機。

父兄の誰もが携帯電話を手にしていたが、繋がらなかったようだ。
私も繋がらなかった。

そして、先生らしき人から、宮城沖が震源で、東京は震度5強ということを知らされた。
小さな、どよめきが起きた。

先生から、生徒は父兄と一緒に帰るように言われ、私は娘と娘のメル友を連れて、歩いて帰った。
途中で、大きな余震があったが、大通り沿いのラーメン屋の従業員が通りに出てきて、中学生たちに「気をつけて帰れよ」と声をかけていたのが、嬉しかった。

メル友を送り届け、築25年のボロアパートに帰った。
ヨメと息子は、この日は家にいて、家の中で恐怖の体験をした。

ただ、被害はほとんどなかった。
風呂場の窓際に置いたシャンプーなどが、落下していただけだった。

娘は帰るとすぐ、携帯とパソコンを使って、メールの確認。
岩手のメル友は無事。
日光のメル友も無事。
水戸のメル友も無事だったようだ。

「ああ、よかったぁ」
「でも、埼玉時代の友だちにもメールしなくちゃ」
慌しく、携帯とパソコンを動かすこと一時間。
「韓国の友だちから、『大丈夫?』って心配してくれたメールが来たよ。うれしいね。ああ〜、でも、怖かったぁ!」

そして、息子はずっと、布団をかぶってうずくまっていたらしい。
ヨメは、地震の間中、冷蔵庫が大きく揺れていたのを、ずっと押さえていたという。

昨晩、私は、ちょうど仕事が立て込んでいたので、徹夜だった。
夜中に何度か揺れた。

娘は、夜中の2時過ぎまで、私の仕事部屋にいたが、その後寝た。
そして、10時過ぎの今も寝ている。
息子は、「怖くて全然寝ていない」と言いながら、朝飯にビビンパを要求した。
大盛りのビビンパを完食した。
ヨメは、7時20分ごろ、パートに出かけていった。

テレビは見ていない。
ただ、ラジオをつけっぱなしにしていたので、災害状況は、よくわかった。



今回、不幸にも亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

そして、災害に遭われた多くの方たちのご不安とご不便が、早く取り除かれることを願って止みません。




最後に、仙台在住のデザイナーのイトウ君。
心配です。
連絡をください。

本当に、心配です。




2011/03/12 AM 10:08:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

大量の打ちまちがい
すぐ辞める。
すぐ辞めさせる。
すぐ辞めたがる。

乱暴な言い方だが、日本国籍を持たない人から年間5万円献金を受けただけで、何の大騒ぎ? という話だ。

野党が怒るのは国会運営上の戦略として理解できるが、本当に、その程度のことで、みなさん憤っていたのか。
世の中の人は、そんなに真面目な人ばかりなのか。

真面目すぎてメディアの言うことは正義だと、義務的に鵜呑みにしているとか・・・。

ニュースのインタビューで、「5万円の違反をしているんだから、陰でもっと違反してますよ」というのがあった。
その生真面目な言い分には、頭が下がる。
不正は許さない、という毅然とした態度は、まるで法の番人のごとし、だ。


唐突な話だが、私は民主党の支持者ではない。
あるいは、ネットの世界に凄まじいほどの「アンチの暴風」を吹き荒らす民主党嫌いでもない。
そして、他の党の支持者でもない。

人格破壊寸前のひねくれもの。
腰の定まらない無党派である。

ただ、無党派ではあるが、風は読まない。
メディアの作り話を素直に聞く度量もない。

自分の性格を冷静に評するなら、骨の髄まで卑怯で臆病な「ひねくれもの」。
それに尽きる。

たとえば、実績を上げていないのに、人気取りだけに労力を注いだコイズミ元首相が、私は大嫌いだった。
功績といえば、拉致被害者を数人引き上げたことだけで、経済的には格差社会を作って「失われた10年」を「失われた20年」にした。

たとえば、メディアは何の実績もないのに、ある人物を「剛腕」と言っておだて、闇の実力者にした。

たとえば、メディアは、アソウ前総理の言い間違い、読み間違いをあげつらって、支持率を大きく落とし退陣に追い込むお先棒を担いだ。


聞くところによると、歴代のアメリカ大統領は、原稿の言い間違い、読み間違い、読み落としを頻繁にしたという。
しかし、メディアは、そんなときも「からかう」だけで、大統領の息の根を止めるようなことはしなかったらしい。
つまり、言い間違いと政権担当能力は関係ないという「大人の対応」をしたのだ。

ひるがえって、日本のメディアは、日本語の言い間違いだけで大騒ぎをした。
政権担当能力と日本語能力は、イコールだというスタンスだった。

アソウ氏は、外務大臣時代、仕事をした人だったと私は思っている。
各国に「物申せる」人だったと、私は記憶している。
彼は、コイズミ氏よりできる人だったと思う。
ただ、彼にはマスコミをコントロールする能力だけがなかった。

そして、総理大臣になると、政権担当能力以外のことで「言葉の闇討ち」にあって、仕事をさせてもらえなかった。

一国の責任者の言葉の言い間違いなど、酒の席での話題にするだけで充分だろう。
だから、私も、そんな彼の言い間違いをからかった。
しかし、その「愛敬ある言い間違い」を、私はむしろ楽しんでもいた。

一国の責任者が、重要な政策や外交場面で言い間違いをしたら取り返しがつかないが、そうでなければ、普通は「愛敬」として受け止める。
その程度で、政権に致命傷を負わせることはない。

相手が総理大臣であろうが、知人であろうが、偉い大学教授であろうが、宇宙人であろうが、私だったら「ハハハ、間違えてやんの!」で済ます。

そこまで、生真面目になることはなかろう。

そんな生真面目さに、意味があるのか。


今回のマエハラ氏の場合は、言い間違いではない。
政治資金規正法違反である。

だから、弁解の余地がない。

そして、献金のことを「知らなかった」という政治家特有の小賢しいセリフに、私は反吐が出そうになった。
そんな言い訳が通用すると思った典型的な政治家的体質に、虫唾が走った。

ただ、マエハラ氏もアソウ氏と同じように、諸外国に「物申せる」政治家だと私は思っている。
無理を貫き通す中国・ロシア・北朝鮮に「物申せる」政治家は、それほど数多くはいない。
彼は、そのうちの一人だ。

たとえ、政治資金規正法で罰を受けたとしても、辞めさせることはない、と私は思う。

政治家の個々の資質を見抜いて、「辞めさせない」というキャンペーンも必要ではないか、とさえ私は思うのである。
ひと仕事させて、本当に彼が不必要だということがわかったら、選挙で落とせばいい。
それが、民主主義の根本的なルールだ。


メディアは、闇の権力者を作る手助けをするだけでなく、本物の政治家を育てることを考えたほうがいい。



近本的に木真面目ではない渡しは、そんなことを孝えたのであゐ。
(討ち間違いが大漁にありましたこと、お詫び申し上げ鱒。すべては催眠不足のせいで茣蓙います)




2011/03/10 AM 06:43:42 | Comment(3) | TrackBack(0) | [メディア論]

マラソンランナーの嘘
寝不足、花粉症、不整脈・・・・・。

昨晩は11時過ぎに寝て、今朝5時半前に起きた。

まだ寝不足解消とはいかないが、少し頭はスッキリした。

ただ、寝不足になると必ず出る持病の不整脈は、これから先しばらくは私の心臓の鼓動を弄ぶだろう。
軽くジョギングでもすれば、不整脈が一発で治る可能性もあるが、今日はまだ仕事の残りがあるので、時間が取れそうにない。

走れない・・・・・。


ジョギングで思い出したのだが、冬になるとマラソンのテレビ中継が増える。
毎週どこかの局で、マラソンか駅伝中継をやっている気がする。

私は、日本人はバレーボールとマラソンを異様に好む人種だと思っているのだが、どうだろうか?

バレーボールはともかく、マラソン中継って面白いですか?

私は、2時間以上も人が走っている姿を見るのは、苦痛だ。

景色はそれなりに変わるが、走っている人は同じだ。
代わりばえのしない画面をずっと見ていると、10分で飽きる。

その時間が「もったいない」と思う。

「マラソンや駅伝には、ドラマがあるんだよ」と言う人がいるが、他のスポーツにだってドラマはある。
ドラマは、マラソンや駅伝限定のものではない。

マラソンや駅伝にドラマがあったとしても、私にはむしろ退屈なドラマにしか見えない。


むかし瀬古利彦という日本長距離史上に名を残すランナーがいた。
彼は記録よりも勝負にこだわる選手だった。
とてつもなく強いランナーだったが、勝ちパターンはいつも決まっていた。

有力な選手をマークして、彼らの後ろにピタッとつけ、最後の2百メートルで風のように追い抜き、ゴールのテープを切るのだ。
懐かしの宋兄弟やタンザニアのイカンガー選手は、その戦略にいつも敗れた。

瀬古選手は、私とほぼ同年代。
彼は長距離界の大スター。
カリスマ・マラソンランナー。
それに対して、私は、ショボい短距離ランナー。

その反発もあったのかもしれない。
そのワンパタンのレース手法に怒り「なんだよ! セコ過ぎるぞ、瀬古!」と言って、いつも罵っていた(寒)。

瀬古選手がレースに出ても、どうせ、またあのパターンで勝つんだろ、つまらん! と言ってマラソン中継は見なかった。
あとで新聞で結果だけを見て、彼がいつもと同じレース運びで勝つと、また「セコい!」と怒るのである。

そして、あんな工夫のないワンパターンは、ドラマじゃない! と惨めな八つ当たりを繰り返した。


勝負事は、勝てばいいというわけではない。
特にプロであれば、なおさらだ。

瀬古選手は、厳密なプロではなかったが、私は実業団の選手は、その練習環境や収入形態から、限りなくプロに近い存在だと思って見ている。

プロが、勝負にこだわるのは当たり前。
あとは、勝ち方だろう。

私が東京ジャイアンツを毛嫌いするのは、親会社の贔屓だけで存在する球団だということもあったが、9連覇を成し遂げたときの戦いっぷりが嫌だったからである。
「王と長島」という絶対的な能力を持つタレントを有して、長い年月王座に君臨していたにもかかわらず、機動力がどうの、とほざいていた言い草が気に食わなかったのだ。

王と長島の活躍があったから他の弱小球団を捻じ伏せることができた、と当時の指導者が言ったなら、私は東京ジャイアンツを認めたかもしれない。

王と長島がいる時点で、東京ジャイアンツは、相当なアドバンテージを持った球団だったのだ。
勝つことが6割近く確実な集団。
「6割」という勝率は、優勝を確実に意識できる数字だ。

そのアドバンテージは、相当大きいのに「機動力が」と小賢しく言う姿が、私は気に食わなかったのだ。

「俺は横綱だよ。だって、俺たちには王と長島がいるんだから」と言ってくれたら、私はプロとしての東京ジャイアンツを認めただろう。

勝者には、傲慢さが許される。
勝って兜の緒を締める必要などない。

もちろん、王と長島がいただけでは勝つことはできない、というのはわかっている。
プロスポーツは、そんなに単純なものではない。
一人や二人の優秀なタレントがいたからと言って、必ず勝てるとは限らない。
それも、わかっている。

ただ、プロである以上「俺たちは最強だよ!」という言葉を要求してもいいと思う。

「王がいたんだぜ」「長島もいたんだ」
「おまえらには、いないだろうが!」
「ざまあみろ!」

そんな言葉を聞きたかったのだが、指導者は「機動力が」とか「チームのバランスが」と言ったのだ。

彼らは、奇麗ごとで、9連覇をまとめようとした。
そんな後付けの奇麗ごとは、プロにはいらない。

潤沢な資金を使って有力選手を根こそぎあさりまくる金満集団。
そんな傲慢な球団経営をしていながら、口では傲慢さを隠し続ける小賢しさを持つ経営者。

だから、私は東京ジャイアンツが、今でも嫌いだ。


同じように、瀬古選手にも「俺と彼らの実力は段違いだったよね」と言って欲しかったのだ。

毎回つまらない勝ち方をした、せめてもの罪滅ぼしとして、彼には傲慢なマラソン・ランナーでいて欲しかった。

しかし、彼は傲慢なコメントを残さなかった。

彼は「好感の持てるマラソン・ランナー」を演じ続けた。



という理屈で、私は、マラソン中継が嫌いだ。



彼らは、嘘をつくから・・・・・・・。





2011/03/08 AM 06:55:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

あいつが舞い戻ってきた
一度解消された睡眠不足だったが、また舞い戻ってきた。

天才WEBデザイナーのタカダ君(通称ダルマ)が全身蕁麻疹の入院から復帰したが、「師匠! まだ、つらいです!」と泣くので、HPの更新を続けて4件引き受けた。

他に、武蔵野に越してきて始めてできた友人から紹介された建築会社のホームページの仕事が、クライアントの気まぐれから10日以上早まることになった。

そして、2008年にデビューした花粉症
今年は、4回目だ。
大学だったら、最終学年。
卒業してもいい年である。

ただ、私の場合、花粉症になっても、9日から13日間で、花粉症の症状がピタリと治まるから、これが本当に花粉症なのかはわからない。
マスクも眼鏡もせず、花粉に体をさらし続けているうちに、短期間で症状が消えてしまうのだ。

専門家は「あんた、そりゃ花粉症じゃぁ、ありゃしませんぜ」と言うかもしれないが、症状はどこから見ても花粉症。

目が痛い。涙が出る。朝起きたときは、目ヤニで両目がくっついているから、両手でこじ開けないと目が開かない。
鼻水ダラダラ。連続して出るクシャミ。
のども痛くなる。
ときに、体が熱っぽくなる。

ただ、人様が言うように、集中力がなくなるということは、ほとんどない。

鼻水やクシャミごときで集中力をなくしていたら、ひとりで仕事はこなせない。

ヨメからは「私は、あなたと付き合い始めた年に花粉症になった」と毎年恨み節を聞かされてきた。
そして、「つらい、大変だ。この苦しみは、花粉症の人でなきゃわからない!」などと言って、花粉症の季節、泣き言を言いまくられてきた。

ダルマや桶川のフクシマさんも「つらい! 我慢できない!」と、毎年の風物詩のごとく、おのれの悲劇をアピールする。

しかし、花粉症らしき症状をついに経験した私から言わせると、不遜な言い方だと自覚しつつ「え? この程度で大騒ぎ?」というのが、正直なところ。

申し訳ありません。
もっと、すごいと思っていました。


昨日の夕方、35時間寝ていない睡眠不足と花粉症の状態で、建築会社にHPの完成の了解を取るために行ってきた。

3回目の訪問だ。
最初は、私に対して敬意を表してくれた社長も、3回目には、とても打ち解けて、まるで部下に対する命令口調。
私より4歳年下だが、彼にとって年は関係ないようだ。
中小企業のオヤジの本性が、全開になった。

持参したノートPCを開いて、全部のページを見ていただいた。
しかし、「なんだぁ、これ! 余計なことはしなくっていいっての!」と怒られた。

今までの業績(家の建築写真)をランダムに表示するようにしたページを見てもらったときのことである。
「こんなのはいらないの! 俺が使いたいのは、最初の一戸だけ! それが、自信作なんだから、あとは見えるか見えないかくらいの小ささでいいんだよ! こんなにご親切に、ご丁寧に見せてやることないんだよ! 客に何か言われたら、困るだろ!
強い口調で言われた。

そうですか。
余計なことでしたか。
申し訳ありません。

その場で直して、約2時間で校了となった。

怒られたので、眠気は感じなかったが、疲れは感じた。
早く帰って寝たい。

寝不足で、水を吸った砂袋のように重くなった体を持ち上げようとしたとき、社長が「こないだ、ひと仕事終えて、眠らないでバイクを走らせたんだよ」と話しはじめた。

意識が混濁するなか、持ち上げかけた腰を下ろして、社長の話を聞いた。

クライアントは、神様ですから。
寝不足よりも、クライアントのご機嫌が優先するのは、フリーランスの常識だ。

社長様は、仕事が終わって、寝ないまま友人が経営する南紀・白浜の宿まで、バイクを走らせたのだと言う。

「俺、250ccから750ccまでのバイクを4台持ってるんだよね」
「そんときは、お気に入りの400ccで行ったわけさ」

白浜までバイクで飛ばし、知り合いの宿の温泉に真夜中に浸かり、朝は釣り船を雇って釣り三昧。
イシダイを狙ったんだけどよぉ!」

釣りにまったく興味がない私は、「ははー」としか言いようがない。

「まあ、最後には釣ったんだけど、満足はいかないわな・・・」

どう満足がいかなかったのかは、意味不明。

寝不足のため、意識朦朧。
指の先が異様に冷たい。
むしろ、指先が痛い気がする。

鼻がムズムズするという花粉症特有の症状も、襲ってきたし・・・・・。
なんか、ダルいし・・・・・。

眠いぞ! 限りなく、眠いぞ!

だが「釣りのあと、まさしくとんぼ返りでさあ・・・」という社長の有り難いお話が続く。

結局、26時間寝ないで、バイクを走らせて家に帰ったという自慢話が延々と続いた。

しかし、私は、不遜ながらも、思ってしまったのだ。

はん? 26時間? ハハハ・・・・・たったの?


俺は、35時間、寝てないんですけど・・・・・・・・。


まあ、睡眠不足を自慢するのも、大人気ないですが・・・・・・・。



人間が、ちっちぇー・・・・・ですか?





2011/03/06 AM 09:05:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

恒例の苦手鍋
昨日は、雛祭り。

昨年の7月から我が家に居候をしている中学3年の娘のお友だちが、3月1日、都立高校の一般入試に合格した。
これで、晴れて4月から娘と同じ高校に通える。

めでたい!

ということで、雛祭りと娘たちの合格祝いを兼ねた晩メシを作ることにした。
スーパーの陳列などでは、雛祭りと言えば「チラシ寿司」という風潮がある。

しかし、我が家では雛祭りと言えば、伝統の「苦手鍋」。


ん? 苦手鍋? なんじゃ、そりゃ?


これは、おそらく世界中で「Mサンち」しかやっていない風習だろう。
だから、自慢できる。

出汁は、日高昆布と鰹節、煮干で作る。
1リットル分の出汁を作ったら、カセットコンロの上に、直径40センチの土鍋を乗せ、出汁を入れる。
そして、日本酒を300cc投入。
沸騰させる。

火を止めて少し冷ましたあとで、水を500cc追加。
火をつけて、短冊切りにした大根、人参を入れる。
他に椎茸、豆腐、白菜の硬い部分を入れて煮る。
10分程度煮込んだら、白菜の葉の部分を入れる。

次に、各自の嫌いな食材を入れていく。
だから、苦手鍋。

たとえば、息子は春菊が嫌いだから、春菊を入れる。
娘は、エノキ。
娘のお友だちは、マグロが嫌いだから、マグロを入れる。
ヨメは、里芋。
私は、コンニャク。

その後、中力粉で作った、手打ちの太っといウドンを投入。
最後に、濃口の醤油とみりん、おろし生姜、ニンニクのみじん切りで作ったタレを回しかけ、10分ほど煮込む。

あとは、安い豚のしゃぶしゃぶ肉5人前を皆で、シャブシャブする。

そして、締めは苦手の食い物を克服するという儀式。

ただ、苦手なものを食うだけでは、楽しみがない。

苦手を楽しく克服するために、ご褒美を用意するのである。

封筒が5つ。
表には数字が1から5まで書いてある。

中の4つには、千円札が1枚ずつ入っている。
残りの一つの封筒には、千円札6枚が入っている。

つまり、5人のうちの一人だけが「6千円長者」になれるのだ。

苦手を早く克服した順番に、数字の書かれた封筒をランダムに引いていく。
ただ、どの封筒に6千円が入っているかは、わからない。
千円札1枚の封筒にもダミーの紙が入っているから、手触りで判断できないようになっているのだ。

今回、真っ先に苦手を克服したのは、コンニャクを食うと失神する特技を持つ私だった。
のどに詰まりそうになって、失神しそうになった。
その次が息子。そして、ヨメ、娘、居候の順番。

居候は涙目になって、マグロを長い間、頬っぺたに含ませていたため、頬がハムスター状態になっていた。
20分近く、ハムスターだった。

皆が食い終わって、一斉に封筒を開ける。

6千円を手にするのは、誰か!?

・・・・・・・今回は、ヨメだった。

勝者は、ヨメ。

ヨメが、ガハハハハ、と笑った。
6枚の千円札を手にしたヨメは、誇らしげだ。


しかし、この「苦手鍋」は、ここで終わるわけではない。

勝者が勝ち誇った顔で立ち上がり、敗者に千円札を一枚ずつ分け与えるのである。
そのとき、勝者は、相手を呼び捨てにしながら、日ごろ言えないことを言う権利がある。

たとえば今回、勝者であるヨメは、私に向かってこう言った。

「サトルよ。もっと自分の体を労われ。休むことも仕事だと考えよ。この、愚か者が!」

ははー!(ひれ伏して、千円札をいただく)

勝者は、他の者にも有り難いお言葉を投げ与え、神のような慈悲を持って、千円札を分け与えた。

その結果、誰もが等しく2千円のご褒美を得て、みなの晴れやかな笑顔が座に満ちたところで、この「苦手鍋」の幕は閉じる。

めでたし、めでたし!

何と心温まる儀式であろうか。


だが、そんなめでたい空気が座に溢れていたとき、この儀式に始めて参加した居候が、娘に向かって言った。

「なあ、おまえんちって、毎年こんなことやってるのか! 誰だよ、こんなバカなこと考えたの」


その言葉を受けて、瞬速で、ヨメ、息子、娘の視線が、私に集中した。


・・・・・・・・・・(冷たい視線)。


やはり、俺は、バカ・・・・・(泣)。




2011/03/04 AM 06:48:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | [料理]

色気のない女たち
寝不足は、解消されていない。

武蔵野に越してきて、はじめてできた友人から紹介されて、いただいた仕事。

それは、建築会社のホームページだった。

だが、建築会社は、私にとって鬼門である。
いままで9社付き合いのあった中で、8社が倒産している。

つまり、縁が薄い。
あるいは、私が疫病神になっている可能性もある。

はたして、この10社目は、どんな運命が・・・・・・。

というような不吉なことを考えるのは良くないので、とりあえずクリアアサヒでも、と思ったが、思っただけで終わった。
あまりにも寝不足で、体がアルコールを要求しないのである。

つまり、俺はアル中ではないということだ。
安心した。

昨日は、実の姉が、三日続きで問題を起こした。
事態収拾にかかった時間は2時間ほどだが、それは間違いなく私にとって無駄な時間である。

この事態を詳しく書くと、親切な方から「お姉さまも苦しんでいるんです」というメールをいただく。
だが、いただいたからと言って、そこに具体的な方策が書いているわけではない。

詳しく書いても具体策を講じてくれないなら、書かない。

その無駄に使った2時間でも眠れたら、私は美味しくクリアアサヒをいただけたろう。
アサヒビールの諸関係者には、申し訳ない、というしかない。

私は、クリアな心で、クリアアサヒを飲みたいのだ。
その日が、いつか来ることを願ってやまない。

今回、人が極端な寝不足に陥ると、血液が体の隅々にまでいき渡らなくなる、というのがわかった。
体の先端まで血液が回らず、手足が痺れているような感覚になるのである。

それは、ある意味では、酔った状態と似ていた。
だから、体がアルコールを欲しないのか?

しかし、そんなことを考えることに意味はないので、仕事に取りかかった。
だが、WEBデザイナーのタカダ君(通称ダルマ)からの電話が、私の仕事のリズムを狂わす。

「師匠! 全身が痒いです! 痒くて死にそうです!」(死ねば)

ダルマは、体の痛みに極端に弱い体質をしている。
だから、痒みにも弱いようだ。

しかし、痒い、痒い、うるさい!

だから、「そんなにつらいなら、入院しろ!」と私は怒鳴った。

そうしたら、本当に入院したそうだ。

ダルマの奥さん・微笑の天使トモちゃんから「主人は、全身蕁麻疹で入院しました」という電話が入った。

ご愁傷様です。

しかし、こんな事態になると、ダルマから急ぎの仕事を頼まれるかもしれない。
そうすると、本当のご愁傷様は、俺のほうかもしれない、と思った。

いやいや、不吉なことは考えない方がいい。

ダルマ。
痒くて死んだ人は、(多分)いない。
だから、頑張れ!

睡眠不足で意識が薄らぐ中、晩メシの支度を終えたころ、陶芸仲間のコヤナギさんから電話があった。
おナベのコヤナギさんだ。

そのしゃがれた声を聞くと、なんか落ち着く。

「Mさん。思いがけず自信作ができたんだけど、見てくれないかな。これは、俺にとって最高の作品だと思いますよ。お忙しいところ悪いんだけど、Mさんに真っ先に見せたかったんだ。いいかな?」

拒む理由はなかった。

武蔵境駅から数百メートル離れたガストで、会う約束をした。

コヤナギさんが作った掌に乗るほどの器は、素人の私が見ても、圧倒されるような気品にあふれたものだった。
緑色を基調に、滝が流れるように白い色が下向きに落ちている模様。
それは、素手で触るのが憚れるような気高い「脆さと刹那」を感じさせるものだった。

感動したと言っていい。

コヤナギさんの力量は、計り知れない。
個展を開いたらどうですか、と私が言うと「なに言っているんですか、まだまだ入口にも入っていませんよ」と笑い飛ばされた。

そのあと、突然だったが、柴咲コウの話になった。
この脈絡のなさは何だと思いながら、私もファンなので、盛り上がった。
コヤナギさんは、むかしから柴咲コウのファンだったらしいのだ。

そして、菅野美穂いいよね、榮倉奈々いいよね、ということになり、「あれ、俺たち趣味一緒だね」とさらに盛り上がった。

その後、「でもね」とコヤナギさんが言った。
「俺、中学の頃からダイスキなアイドルがいるんですよね」

ああ、すみません。
俺、アイドルは苦手です。

「ああ、そうですか。でも、知ってるよね。モリタカ(森高千里)」

ああ、それくらいは知ってる。
足のキレイな歌手だった。

「俺、あの人が今でも最高の俺のアイドルなんですよ!」

コヤナギさんの目がキラキラ輝いている。
「I Love You光線」が、伝わってくる。

そ、そうですか・・・・・。
(あまりの光線の強さに、少し気持ちが引き気味に)

そして、コヤナギさんが放つ言葉に圧倒される私。
コヤナギさんは、携帯電話を取り出して、待ち受け画面を私に見せてくれた。

「これ! 俺がいま暮らしている女、モリタカ似なんですよ。一目ぼれってのかな。何度もアタックして、やっとね。やっと手にいれた宝物です。これだけは失いたくない!

ああ、確かに、似ているような・・・・・。
しかし、とてつもなく生々しい話になってきましたなぁ。
どんなリアクションを取ったらいいのか・・・・・どうしましょう?

しかし、そんな私の戸惑いを知ってか知らずか、コヤナギさんは、さらに身を乗り出して言うのだ。
「ねえ、Mさん。シバサキ、カンノ、エイクラとかモリタカとか、俺たちの好みの女の共通点ってわかります?」

わかりません!

コヤナギさんが、即座に言う。
「色気ですよ。この女たち、全然色気がないでしょ。俺、どうやら色気のない女が好きらしいんですよ。Mさんも、そうじゃありませんか」

ああ・・・・・・・そうなんだろうか?

色気ない・・・・かな(考えたこともなかった)。
そうかな・・・・・?

う〜〜ん、・・・・・・そうかぁ?



眠気が、いっぺんに醒めてしまった。




2011/03/02 AM 08:01:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]



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