Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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冥福を祈る
義母が、死んだ。

火災による一酸化炭素中毒。

埼玉で同居していたときは、ある事情により、義母は決してキッチンには近づかなかった。
しかし、自分の家に帰ると、気持ちがリセットされたのか、キッチンを怖がることはなくなった。

医者と消防署員には、あと30分発見が早ければ、と言われた。
いつだって、悪い結果のときは、「こうしておけば」という悔いが残る。

一昨日、息子が私が作った糖尿病食弁当を持って行ったのが、午後5時前。
息子は、弁当を置いてすぐ帰ったが、そのあとで、義母はお湯を沸かそうとしたのだと思う。
それを忘れて、寝入ったのか、あるいは何か違うことに集中していたのか、コンロの火が布巾に移ったのに気づかなかった。

乾燥しきった冬は、火の速度が想像以上に早いようだ。
煙と熱風で、身動きが取れなかったらしい。
どういうわけか、火災報知器も鳴らなかった。

救急車が来たとき、心配停止状態だったが、搬送されてからは、心臓が動き出し、人工呼吸器をつけると血圧が安定した。
つまり、持ち直したのだ。

医者は、五分五分だと言っていたが、我々は、義母の生命力を信じた。
だから、義母の長男、次男はそれぞれ埼玉、栃木に帰り、ヨメは、次の日、普段どおりパートに出た。

しかし、朝6時過ぎに容態が急変し、慌てて駆けつけた私が、最期を看取った。

帰って来い、と手を握り耳元で叫んだが、義母は帰ってこなかった。


不思議な巡り合わせと言っていい。

必ずしも、相性のいい二人ではなかったが、最期を看取るのは、結局私の役目だったということだ。


義母の糖尿病は、かなり改善して、突拍子のない行動や言動は、なくなっていた。
生活も規則正しいものになった。

今年の正月は、はじめて、息子と娘に、お年玉をくれた。
いままで私の子どもたちを呼ぶときは呼び捨てだったが、最近は「ちゃん」をつけるようになった。

私のことも「ムコさん」から「サトルさん」になった。


義母は、確実に変化したのだ。


しかし、死んだ。

無念だったと思う。
死に顔は、穏やかだったが、私は無念だったと思いたい。

79年の生涯は、あまりにも短すぎた、と義母のためにも思いたい。


死んだ、と電話で告げたとき、息子は、取り乱し泣きじゃくった。
普段冷静な娘も、号泣した。
それは、叫び声に近い泣き声だった。

ヨメは、「ありがとう」とだけ言った。


寒い病院の霊安室で、警察が来るまで、1時間半義母と一緒にいた。


もっと寒くてもいい、と思った。


涙が、凍ればいいと思った。




2011/01/27 AM 08:17:59 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]



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