Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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喪失感
家族の喪失感は、強いようだ。

ヨメは、義母が死んだ午前6時50分頃、ちょうどパート先の花屋の鍵を開けていたころらしい。
だから、毎日店の鍵を開けるたびに、後悔を覚え、涙が出るという。

息子は、救急車や消防車を見ると、体がすくむという。

娘は、義母と同じ老齢の女性が道を歩いているだけで、目が潤んでくると言っている。

無理のないことだと思う。

ただ、私は薄情なので、喪失感はない。

事務的に、ことを進めた。
警察、消防署、役所。

煤まみれの家具は、中身を出して、業者に下まで下ろしてもらい、市役所のゴミ対策課に委ねた。
半分以上溶けたリサイクル家電は、専門業者に引き取ってもらった(もちろん有料)。

そして、煤まみれの布団、洋服、食器などは、とりあえず一つの部屋にまとめ、食器と洋服は、ダンボールに詰める作業を暇なときを選んで、しているところだ。

床の煤は、業務用掃除機を借りて、早急に処置したいと思う。
そうしないと、煤のにおいがひどくて、隣近所に迷惑をかける。
いや、現実的に、かけている。

まわりの方々は、「大丈夫ですよ」と言ってくれているが、それを真に受けるわけにはいかない。

床だけでも、明日までに、綺麗にしておきたい。

そのほかに、壁。
こちらも上の方は、真っ黒だ。
ただ、これは素人には、手に余る。
しかし、業者に頼むと、お金がかかる。

義母は、火災保険に入っていなかったので、すべてが自腹になる。
なるべく金のかからない方法で煤のにおいをとる手段を、いま模索中である。

義母の生活の場であった6畳の和室は、熱風で、ほとんどのものが変形したり、黒くなったりしたが、不思議と仏壇だけは原形をとどめていた。
この種の現象が好きな人は、偏った意見を言うかもしれないが、私はただの偶然だと思っている。

義母が信心していた宗教のトップが書いた著作が百冊以上あったが、こちらは黒焦げになった。
しかし、同じ棚に並べてあったアルバム2冊は綺麗なままだった。

だから、その中から、一番いい表情をしたものを遺影にした。

7年前に死んだ義父と笑顔で写っている写真があった。

それを見て、目が曇ったが、それは、きっと強烈な煤のせいだろう。


朝起きて、ふと気づくと、義母のための糖尿病食の献立を考えている自分がいる。

だからと言って、喪失感はない。

絶対にない。



2011/01/31 AM 07:32:06 | Comment(1) | TrackBack(0) | [日記]

ゴメンナサイを何度も
義母の葬儀は、無事終わった。

義母の長男、次男が役に立たないので、葬儀の手配は、次男の奥さんが。
そして、消防署、警察、役所との対応、焼けた家具などの処理に関しては、私が担当した。

つまり、血の繋がりのない人間が、すべてを取り仕切ったということだ。

そこまで、実の子どもに嫌われた、義母の晩年って・・・・・。

不憫というと義母に失礼になるが、喩えようのない、やりきれなさを感じた。

さらに、お骨を持っていく持っていかないということで、義母の長男と揉めた。
「俺はイヤだ」と言い出したのだ。

おそらく私の人生で、2番目くらいの激しさで、私はキレた。
まわりが止めなかったら、長男を殴っていたかもしれない。
それくらい、私は激しく怒った。

中学3年の娘にあとで言われた。
「おまえ、すごかったな。からだ中から、炎が湧き上がっていたぞ」

危ないところだった。
燃え尽きるところだった。
こんな下らないことで、私は燃え尽きたくはない。

まだ真っ白な灰になるのは嫌だ。


灰になった義母。
安らかに、というしかない。

これからの供養は、M家が受け持ちますので。

本当に、安らかに。



葬儀の合間に、娘の都立高校の推薦入試があった。
そのほかに、完全に私の記憶から消え去っていた名古屋の印刷ブローカーから、4年ぶりに仕事が舞い込んできた。

そんなこともあって、極端な睡眠不足になった。

一昨日の夜は、チーズフォンデュを食いながら眠ってしまうという軽いコントを演じた。
昨日の夜は、晩メシを作るのが面倒くさかったので、近所のファミリーレストランに行った。
しかし、食べているとき、急に腹具合がおかしくなって、トイレに駆け込んだのだが、用を足している最中に寝てしまい、息子が心配して、ファミレスのトイレのドアを叩く音で目覚めるという、愛すべきコントも演じた。

さて、今日は、どんなコントを演じるのか・・・・・、予測がつかない。




ところで、話変わって・・・・・。

庭に住みついている「生き物らしきもの」。

それが何ものなのか、私は知らない。

喪に服しているときであったが、「それは、賃貸契約違反である。早急に改善されたし」という真面目で親切な忠告をしてくれる方がいたので、私は弁明する。

私は、ただダンボールにビニールシートを貼って、アパートの庭に置いているだけなのである。
私が昼間に覗いても、生き物らしきものはいない。

寒い夜と朝に、中を覗くほど、私は寒さに強くない。
だから、昼間以外のことは、わからない。

生き物らしき鳴き声も聞いたことがない。

私は趣味で、庭にある皿の上に、その日の残りものご飯をのせて、ダンボールのそばに置いておくことがあるが、あくまでもそれは趣味である。
私が趣味でしていることを、人にとやかく言われたくない。

その皿の上に置いた残りものは、キレイになくなってしまうが、それは庭に突風が吹くからである。
自然現象まで私が責任を取る必要はない。
そんなことをしたら、台風も地震も私の責任になってしまう。

繰り返すが、私は、ダンボール箱の中にいる生き物の姿を一度も見たことがないのだ。
見たことがないということは、いないということだ。

多くの人は、オバケや宇宙人の姿を見たことがないはずだ。

ただ、見たことはないが、「観念として」いる、と考える人は多いだろう。
しかし、私は観念としていないものは、いないと思う人間である。

だから、いない。

それがなぜ契約違反になるのか、私には理解できない。

こんなことを書くと、真面目で親切で几帳面な方は、馬鹿にされたと感じるかもしれません。

だから、誤解を与えてゴメンナサイ、と謝ります。

本当に、ゴメンナサイ。
私は、小さな規則違反より、動物愛護の方をとる人間なのです。

などというと、忠告してくれた方は、さらに馬鹿にされたような気になるかもしれない。

だから事実を述べると、私が住んでいるアパートのオーナーは、私のお得意さんでもある。
彼が経営する美容院や理髪店のチラシ等の仕事を数回いただいたことがある。

そして、仕事以外でも、私は、ときどき先方に挨拶に行き、世間話をする。
今年、新年の挨拶に伺ったとき、私はオーナーに庭に置いたダンボールに「生き物らしきもの」が入って、夜を過ごしているらしい、ということを話した。

すると、オーナーは、「ああ、あの辺は猫ちゃんが多いからね」と言って、笑いながら大きくうなずいた。

「生き物」の話は、それだけで終わったが、私はオーナーに「けしからん。即刻退去させよ!」とは言われていない。

もちろん法文の賃貸契約のほうが「暗黙の了解」より優先するのは承知だが、私は、それをオーナーの好意と受け取った。


そうは言っても、それは明確な契約違反だ、罪になる、と言われたら、もう一度謝ります。

ゴメンナサイ。

何度でも謝ります。
ゴメンナサイ。



2011/01/29 AM 08:45:54 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

冥福を祈る
義母が、死んだ。

火災による一酸化炭素中毒。

埼玉で同居していたときは、ある事情により、義母は決してキッチンには近づかなかった。
しかし、自分の家に帰ると、気持ちがリセットされたのか、キッチンを怖がることはなくなった。

医者と消防署員には、あと30分発見が早ければ、と言われた。
いつだって、悪い結果のときは、「こうしておけば」という悔いが残る。

一昨日、息子が私が作った糖尿病食弁当を持って行ったのが、午後5時前。
息子は、弁当を置いてすぐ帰ったが、そのあとで、義母はお湯を沸かそうとしたのだと思う。
それを忘れて、寝入ったのか、あるいは何か違うことに集中していたのか、コンロの火が布巾に移ったのに気づかなかった。

乾燥しきった冬は、火の速度が想像以上に早いようだ。
煙と熱風で、身動きが取れなかったらしい。
どういうわけか、火災報知器も鳴らなかった。

救急車が来たとき、心配停止状態だったが、搬送されてからは、心臓が動き出し、人工呼吸器をつけると血圧が安定した。
つまり、持ち直したのだ。

医者は、五分五分だと言っていたが、我々は、義母の生命力を信じた。
だから、義母の長男、次男はそれぞれ埼玉、栃木に帰り、ヨメは、次の日、普段どおりパートに出た。

しかし、朝6時過ぎに容態が急変し、慌てて駆けつけた私が、最期を看取った。

帰って来い、と手を握り耳元で叫んだが、義母は帰ってこなかった。


不思議な巡り合わせと言っていい。

必ずしも、相性のいい二人ではなかったが、最期を看取るのは、結局私の役目だったということだ。


義母の糖尿病は、かなり改善して、突拍子のない行動や言動は、なくなっていた。
生活も規則正しいものになった。

今年の正月は、はじめて、息子と娘に、お年玉をくれた。
いままで私の子どもたちを呼ぶときは呼び捨てだったが、最近は「ちゃん」をつけるようになった。

私のことも「ムコさん」から「サトルさん」になった。


義母は、確実に変化したのだ。


しかし、死んだ。

無念だったと思う。
死に顔は、穏やかだったが、私は無念だったと思いたい。

79年の生涯は、あまりにも短すぎた、と義母のためにも思いたい。


死んだ、と電話で告げたとき、息子は、取り乱し泣きじゃくった。
普段冷静な娘も、号泣した。
それは、叫び声に近い泣き声だった。

ヨメは、「ありがとう」とだけ言った。


寒い病院の霊安室で、警察が来るまで、1時間半義母と一緒にいた。


もっと寒くてもいい、と思った。


涙が、凍ればいいと思った。




2011/01/27 AM 08:17:59 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

ミニコンポ
きっかけは、左足薬指だった。

その前は、首。

首は、私の場合、持病といってよく、大学を卒業してすぐ、首に違和感を感じて外科に見てもらったら、骨がずれてますと言われた。
週に2度、「牽引」という治療をしてもらったが、3週目に飽きて、行かなくなった。
それ以来、ほったらかしである。

その報いか、ここ4、5年、首の付け根から脳天にかけて、たまに激痛が走る(自業自得)。
そのあまりの痛みに、最初は脳腫瘍かと疑ったが、激痛以外の症状がないので、首のズレからくる痛みが今も続いている、と自己診断した。

良くはならないが、激痛以外、特別悪くもならないので、放っておいている。

しかし、激痛は激痛だ。
かなり、痛い。

そして、次に気づいたのが、昨年の9月のことだったが、左足の薬指の腫れだった。
足が痛いな、と思って、よく観察したら、左足の薬指が脹れていた。
おそらく、どこかにぶつけたか、相撲取りに踏んづけられたものと思われるが、私にはまったくその記憶がない。

押すと痛かったが、歩行やジョギングに問題がなかったので、放っておいた。
そうしたら、徐々に、足の爪が変色してきて、その後、指自体も変色してきた。

一ヶ月以上経つと、爪は紫色になり、次に黒に変化し、ポロッと抜け落ちた。
指自体は熱を持ち、痛みも感じて、ふた回りくらい太くなり、色は黒紫に近くなった。

しかし、やはり歩行とジョギングには、支障がない。
だから、放っておいた。

その薬指が、先々週あたりから、まったく痛みを感じなくなった。
つねってみても、何も感じない。
叩いてみても痛くない。

爪は、剥がれて以来、新しく生えてくる気配がない。


不気味な左足の薬指。


その薬指を、昨日の朝トンカチで軽く叩いてみた。

痛くない。

試しに、他の指を叩いてみたが、これは痛かった。
もう一度、薬指を叩く。

痛くない。

反応しなくなった薬指を見て、はーっ、とため息をついた。

色々、マイナスのことを考え、過去を振り返った。

俺、我慢してきたよな、と思った。
今まで、いろんなことを我慢してきたな、と思った。

高熱出しても、休まずに働いてきたよな。
突発性難聴になったときも、二ヶ月以上我慢して、やっと休みが取れて病院に行ったら「手遅れです」と言われたよな。
右目の視力が極端に衰えたときも、眼科に行かず、一年たって医者に見せたら、呆れられたよな。
私の母とヨメの母親が入院して、入院費がかさみ、同時に取引先が倒産して、預金が限りなくゼロに近づいたときでも、家族にはそれを隠し通して、普通の生活を続けたよな(娘は気づいていたようだが)。
毎日の義母の糖尿病食を作るのも、本当は、投げ出したいほど嫌なくせに、毎日作り続けてきたよな。

オレ、本当に、我慢してきたよな。


黒紫色の薬指を見ていたら、なんか、せつなくなった。

我慢の象徴に見えたからだ。


このせつなさを、どうしようかと思った。

そして、ほとんど考えることなく選んだ行動が、ミニコンポを買うことだった。

大手の家電量販店に行って、パナソニックのSDカードやUSBメモリが使えて、iPodとも連携できるコンポを3万8千円で買ったのである。

いわゆる衝動買いというやつだ。

独立してからお小遣いゼロの男が、なぜ3万8千円の大金を持っていたのか。
それは、このブログで数回書いたことがあるが、私には、緊急の時だけに使おうと思って、10年くらい前から「ゆうちょ」に緊急避難しておいた4万円があったからである。

これは、本当の緊急用の金で、最後の最後までとっておいた金である。
家計が二進も三進もいかなくなったときも、この金だけは、手をつけずに生きてきた。

他にパソコン貯金というのをしていたが、これは文字通りパソコン関係のものを買ったり修理費に使うものとして貯めておいた。
ただ、これはごく稀にだが、生活費に流用することもあった。

しかし、ゆうちょの口座の方は、これを使うときは、M家滅亡寸前の時だけだ。
そこまで、力んでいたのである。

なぜ、4万円かというと、10年くらい前のサラリーマンの一ヶ月のお小遣いが約4万円といわれていたからだ。
それに憧れて、4万円にした。
我ながら、つまらない根拠だと思う。


笑うしかない。


大事にとっておいた4万円だったが、どうでもよくなった。
朝10時前に、私は出かけた。

家電量販店では、店員の言うことなんか聞かなかった。
オーディオ売り場に行って、「これ下さい」。
それだけである。

で・・・そのコンポが、仕事場のMacの横にある。
いまは、朝からMicroSDに保存した東京事変の曲を流しっぱなしにしているところだ(もちろん早朝だから音量は絞ってある)。

黒紫色に変色し、痛みをまったく感じなくなった指を見て、衝動買いしたミニコンポ。


これは、大事にしたいと思う。




2011/01/24 AM 06:33:11 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

商品主義
学校の先生に対して、悪い印象はない。

高校3年のときの担任とは相性が悪かったが、それは例外だ。

小学5、6年のとき担任だった先生とは、卒業後も連絡を取り合い、14年前に亡くなってからは、奥さんといまも連絡を取り合っている。

中学2年のときの担任だった人は、陸上部の顧問をしていたから、密度の濃い触れ合いをした。
卒業しても連絡を取り合い、年賀状と暑中見舞いは、今も欠かさずに送っている。

高校1年のときの美術の先生は、私が2年に上がったとき、美術を選択しなかったことを残念がり、しつこく美術部に誘おうとした。
私が陸上部に入っているということを知りながら、校舎内で顔を合わせるたびに「美術部に来い」と繰り返し言われた。
その先生は、2年前に亡くなったが、それまでやはり年賀状と暑中見舞いのやりとりだけは、欠かさなかった。

その点を考えれば、私はいい教師に巡り合ったといっていいかもしれない。

ただ、私の子どもたちの担任は、息子の場合は微妙といっていいものだった。

息子は独特のリズムを持っていたから、そのリズムを認めない教師は、息子を異端児扱いした。
クラスの仲間からは、「マッちゃん」と言って慕われたが、半分以上の教師が彼の個性を認めなかった。
特に中学3年間は、教師の不理解から、息子は卓球に打ち込むことだけが、中学生活の目標になった。
息子の個性を理解してくれたのは、仲のいい友だちと卓球部の顧問だけという不本意な中学生活を、息子は送った。

私が担任と話し合うと、どの担任も「息子さんは、マイペース過ぎます。クラスの和を乱します」と言うのだった。
我が家に遊びに来る息子の友だちに聞くと、誰しもが「マッちゃんは、みんなに人気があるよ。マッちゃんのことを悪くいうやつは教師だけだよ」とお世辞とも言えない口調で言うのだった。
要するに、生徒の評価と教師の評価が、極端に違うらしいのだ。

友だちから見ると、「マッちゃんは優しくていいやつ。信頼できるやつ」、しかし教師から見ると「和を乱す異端児」となるらしい。
同じ人間なのに、まったく評価が違うのである。
詳しく聞いて見ると、「和を乱す」のではなくて、クラスの何割かが息子のペースにのせられて、行動が緩やかになるらしいのだ。
マニュアル主義の生真面目な教師には、それが我慢できなくて、教室内のペースが乱れたとき、すべてを息子のせいにするという安易な方法を選んだのではないか。

親バカ(バカ親)の目から見ると、そうなる(親バカ承知)。

いま中学3年の娘の場合は、今の担任とは、かなり相性がいいが、あとは可もなく不可もなく、といったところだろうか。
娘は、ほとんどを自分の意志で判断して行動するから、教師にとっては手のかからない子どもだと思う。
あとは、担任と娘との相性の問題である。

娘の自立した行動が「可愛い気がない」と判断する教師も中にはいるらしく、その種の教師には、娘は評判が悪い。
しかし、娘の行動に好意的な教師は、「Kちゃんに任せておけば安心」と言って、何もかも任せてくれる。

要するに、それぞれの教師の資質の問題なのだ。


という長い前フリをした後で、教師が保護者を訴えたという話に繋げたいと思う。

教師が保護者を訴える。
保護者の度重なるプレッシャーにより、ノイローゼになったと訴えたらしいのだ。

詳しい検証は抜きにして、私だけの持論を述べたい。
かなり異質なものなので、私の友人でさえも、認めてくれない持論である。

しかし、考えるのも書くのも自由なのだから、書くことにする(だって書きたいんだもん!)。

私は、働く人は、みな「商品」だと思っている。
プロとしての「商品」。

たとえば、営業マンは、その分野の営業のプロだから、わからないことがあれば、何でも答えてくれる存在だと誰もが思う。
もし、答えがいい加減だったら、彼が売りたいと思う商品は絶対に売れないし、売れたとしても、彼の言ったことと商品の仕様に不備があれば、我々はクレームをつける。

たとえば、家電販売店の店員。
彼は家電のことに詳しいプロだと誰もが思っている。
量販店のハッピを着て、「いらっしゃいませ。何をお探しですか」と言われたら、彼のことを「家電のプロ」だと誰もが思う。
しかし、意に反して、彼が家電のことをあまり知らないと我々はガッカリする。
文句の一つも言ってやろうかと思う。

自分が買った車は、高い金を払ったのだから、完璧なものだと思いたい。
しかし、長いこと乗ってみたら、ところどころ不満がある。
そのユーザーとしての不満は、メーカーにきちんと伝えるべきである。
それはメーカーにとっても、ためになる意見のはずだ。
その蓄積が、より良い車づくりに役立つからだ。

私のような仕事でもそうだ。
得意先は、仕事の仕上がりをシビアに見て、私に意見を言う。
厳しい意見も多い。
しかし、そのたびに凹んでノイローゼになっていたら、私は家族を養っていけない。

「商品」である以上、クレームは仕方ないと、私は割り切ることにしている。
そして、あまりにも非常識なクレームには、相手によって、受け流す、無視する、反撃するという手法をとっている。
それが、私がフリーランスとして生きていく上の知恵だ。


ひるがえって、教師という職業が、特殊なものだということは理解できる。
しかし、私から見ると彼らも「商品」であることに変わりはない。
それならば、生徒や保護者という「ユーザー」に、絶えず批判、監視されるのは当然だと、彼らはなぜ思えないのだろうか。

思うに、教師というのは、不思議な職業である。
教室内で、一人の人間が子どもたちを支配して、その実情が教室外に洩れるのは、子どもたちの口を通してだけという環境。
子どもたちの口を封じてしまえば、彼らは「独裁者」になれる。

狭い世界で王様、あるいは女王でいられるから、彼らは批判されることに慣れていないのではないかと思う。
そして、彼らは教師が特別なものだと思いすぎているのではないかとも思う。
上からものを言うことに慣れすぎて、他人から同等の目線で批判あるいは指摘されたときの対処方法を知らないのではないか。

つまり、外部からのストレスに弱い。

王様たちは、自分の感情をコントロールするのが下手だ。
自分の思い通りにいかないと、途端にアイデンティティが崩壊する。
その不安定な状態が、この上もなく怖くなって、逃げ場を探すのである。

どこかの国の独裁者のように、それは「圧制」という形に変わることもある。
批判する側が怖いから、言論を封じ込めようとする。
封じ込めてしまったら、とりあえずは批判はなかったことになる。

教職者たちは、自分たちの職業が独特だと思うあまり、批判や指摘に弱いシステムを作り上げてしまったのではないだろうか。

プロという名の「職業人」は、批判されたり意見されるのが普通なのに、教職者は「自分たちだけは別」と思いすぎてはいないか。

プロである以上、苦情が来るのは、当たり前。
教師は自分たちの職業を「聖職」と言って特別なもののように言うが、考えようによっては、ほとんどの職業が「聖職」だ。
ヤクザ組織が、他人の上前をはねるシノギ以外は、みな「聖職」と考えていい。


どの仕事も、尊い。
そして、どの職業も、不備・不具合があれば、必ず批判される。
それは、ユーザー目線で見れば、当たり前のことなのだ。


そして、いつもながらのことだが、メディアも頭が悪い。
訴えられた保護者を「モンスター」と表現したら、すべての非は、保護者側にあることになってしまう。
「モンスター」と表現した時点で、安直な善悪の構図が見えている。
それは、教師側が被害者であるという先入観を植えつけるだけだから、公平な報道だとは言えない。

民主主義社会は、誰もが訴える権利を持っている。
それは誰もが自由に持つ権利だが、偏った報道からは、真実は見えてこない。


そして、偏った職業意識を持つ限り、教職者は保護者のクレームに怯え続けるか、肥大した被害者意識をこれから先も捨てることはできないだろう、と私は思う。



まあ、私の「職業人は、みな商品である」という考え方も、相当偏っているとは思うが・・・・・。





2011/01/22 AM 08:21:56 | Comment(1) | TrackBack(0) | [子育て]

秘密が洩れている
話は、やや古くなる。

書くネタがなくなったときは、古い記憶をさかのぼると、いいネタにぶち当たることがある。
今回のは、いいネタとは言えないが、記録しておくのもいいと思って、書いてみた。


自治会というのがある。

どの地域にもあるかは、知らない。
ただ、私の住む武蔵野にはあるようだ。

昨年の暮れ、その自治会の会長を名乗る男の人が、副会長を連れて、我が家のインターフォンを押した。
二人とも65歳くらいで、会長は、どんな不正も見逃しませんよという正義感あふれた顔。
副会長は、世の中のこと、何でも丸く治めましょう、という柔和な顔。

いいコンビだと思った。

その副会長が言う。
「すみませんねえ。年末のお忙しいときにお邪魔して。こちらにだいぶ前に越して来られたのは知っていたんですが、挨拶もいたしませんで」
会長の方は、黙って私の表情を観察する役割に徹しているようだ。
口を引き結んで、私を凝視していた(刑事の尋問みたい。相棒?)。

(すみませんねえ。こちらこそ、ご挨拶に伺いませんで。自治会なんてものが、私の生活に役に立っているとは思っていなかったもので)
心の中で答えたが、相手の訪問の真意が読めないので、私は無言で相手の顔を見返した。

彼らが言うとおり、年末の忙しいときに訪問する意味が、わからなかったからだ。

私が黙っていると、今度は会長が、観察する顔から一転して笑顔になり、「ゴジエイだそうで」と言った。

その「ゴジエイ」が「ご自営」を言っているのだとわかるまで、数秒かかった。

私の頭の回路が繋がって、「ご自営」を理解したとき、会長が「不景気ですから大変でしょうなあ」と言い、それに副会長が人当たりのいい笑顔を見せてうなずく場面に、私は参加させられることになった。

つまり、私は曖昧ながらも同様に笑顔つくり、うなずいたのである。

しかし、いまだに訪問の真意は不明。

武蔵野に引っ越してから8ヶ月。
自治会なるものを意識したことは、蟻のウ○コほどもなかった私は、心の中でまだ身構えていた。

自治会費を払えと言うことだろうか。
しかし、我が家は、自治会には入っていない。
会費を払っていないのだから、自治会員ではないだろう(と思う)。

賃貸契約のとき、「自治会強制加入」とは書かれていなかった記憶がある。

ということは・・・・・、入ってくれというお話か。
つまり、勧誘か。

自治会費って、いくらくらいするもんなんだろうな?
会費は月々支払うのかな。
それとも、年間一括払いかな。

ひと月千円だとしたら、一年で1万2千円か。
高いな。
やだな。

1万2千円あれば、貧しい人が、どれだけ助かるだろうか(貧しい人というのは、私のことだが)。
それだけあれば、その貧しい人に、クリアアサヒを買ってあげることができるのに。
そうすれば、その貧しい人は、涙を流して喜ぶに違いない。

私は、どちらかと言えば、自治会費を払うより「貧しい人にクリアアサヒを買う運動」に参加したい方だ。
だから、自治会には、入りたくない。

というような理屈が、世間様に通用するかどうか。

まして、いかめしい顔をなさった会長様に。

その会長が言う。

「自治会の会報ですが」

カイホウ?

「はい、会報です」と言って出したのが、2009年の会報だった。

ああ、会報ですね?

「そう、会報です」

会報ですか?

「・・・・・・・」

しつこかったようである。

「これまで二十年近く同じ印刷屋さんにお願いしていたんですが、そこが去年倒産してしまいまして・・・」

倒産ですか?

「はい、倒産しました」

倒産なんですね?

「・・・・・・・」

くどかったようである。

「そこでですね」と副会長が、話をひきとって、ことばを繋げた。
「お宅が、その種の仕事をなさっているというのを聞きまして、とりあえず見積もりをいただけないか、とうかがったわけです」

つまり、この方たちは、お客さまだったようだ。

申し訳ありません。
お茶もお出しいたしませんで。

自治会の会報の版下作りは、何度か経験したことがある。
現実的な話をすると、予算があまりないから、ほとんど儲からない仕事だ。
私の知っている印刷屋さんも、儲からないからと言って、断るところもあったと記憶している。

だが、とりあえず話だけは聞いてみた。

まず、データがあるかどうか。
データがなかったら、1からの作業になるから、その分、経費はかかる。

あるいは、その倒産した印刷屋さんが、アナログ形式で会報を作っていたら、私がやる場合、やはり1からの作業になるから、同じように経費がかかる。
データがあれば、今回変更した箇所だけ修正すればいいから、経費は小さい。
後は、印刷代だけで済む。

私は、一応、2種類の見積書を出します、と告げた。

これは年明けに見積書を出したのだが、倒産した印刷屋さんが、アナログ形式で仕事をしていたので、結局アナログ形式を受け継げる他の印刷屋さんに直接出した方がいい、ということになり、仕事の話は消えた。

「申し訳ありません」と会長さん、副会長さんに頭を下げられたが、これはよくあることなので、と私は鷹揚に答えた。


それよりも、私には、ひとつ気になっていることがあった。

なぜ、彼らは私がデザインの仕事をしていると知っていたのか。

私は、看板を出して仕事をしているわけではない。
オンボロアパートに引き篭もって作業をしているから、まわりの住民が私の職業を知ることはできないはずだ。

娘が通う中学の調査書にも、私は「自由業」とだけしか書いていない。
「デザイン」とは言っていないのだ。

いま居候中の中学3年の娘のお友だちに以前、「マツコのパピー、何してるの?」と聞かれたときも、自由業だよ、と答えていた。

「自由業って?」

華麗なるプータローだよ。

「ふ〜〜ん」

我が家に遊びに来る娘の友だちにも、そう答えているから、私の本当の職業は誰も知らないはずである(隠すこともないと思うのだが)。

なぜ、私がこのような仕事をしているとわかったのですか?

会長に、そう聞くと、会長は副会長と顔を見合わせて、「ああ、何ででしょうかねぇ・・・」と、とぼけた。
副会長も、「そうですなあ」と曖昧な顔をして笑った。

そして、曖昧に笑ったまま、二人は帰っていった。


まさか! 私の知らないところで、いつのまにか私の個人情報が漏れている?


もしかしたら、私が去年の12月、お尻の痛みで悶え苦しんでいたこともバレていたりして。
あるいは、去年の暮れに、イトーヨーカ堂のお酒売り場の前で、ワインを2杯も試飲したこともお見通しなのか。

昨日、打ち合わせの帰りに、ブックオフで2時間も「ゴルゴ13」を立ち読みしたことも。
図書館で借りた北方謙三の「楊令伝第8巻」の貸し出し期限が2日過ぎていることも。
iPhoneの待ち受け画面が、カピバラだということも、みんな世間に筒抜けなのか。


これは、怖い。


榮倉奈々のポスターが仕事場の壁に貼られていることもバレてしまったら、俺は・・・・・。


怖い・・・・・・。





2011/01/20 AM 06:38:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

ドタキャンのお返しは枡酒2杯
言いたくはないが、困ったお客様というのはいる。

たとえば、無理難題を吹っ掛ける人。
ゴリ押しとも言う。

「急いでるんだよ。○日までに仕上がらないと、大変なことになるんだ。だから、大急ぎでやってくれよ。長い付き合いなんだから、できるだろ!」

これは、意外と多いパターンだ。
世の中には、自分だけが仕事を出していると思い込んでいる人がいて、だから「俺の仕事を優先」というゴリ押しタイプだ。
ただ、中には、仕事を終えたとき思いがけず、ねぎらいのことばをかけてくれる人もいるので、そのときは嬉しい。

予算がないので、とにかく安くしろ、と言う人もいる。
私は金銭的な駆け引きが嫌いなので、最初から最低限の見積もりを出す(プロとして卑怯と言われることがあるが)。
つまり、最初から譲歩しているのだから、あまり「安く安く」という人は、申し訳ないがお断りすることもある。

「安いのは今回だけで、次回からは普通にお願いしますから」と言ってくる人の仕事は、とりあえずするが、ほとんどの人が、その口約束は覚えていない。
つぎも「まけろ」と言うか、仕事が来ないかのどちらかである。

先日、頭に何のイメージもなく、仕事を出す人がいた。
最終的な納期だけが決まっていて、中身は全てお任せという仕事。

冬物の在庫セールのチラシ他の仕事だったのだが、担当していた人が事故で入院してしまったので、店のオーナー自らが仕事を発注しなければいけないことになった。
それまで全部をその担当者に任せきりだったから、オーナーは副業の「そば打ち」の仕事がメインになり、10年近く本業をおろそかにしていたというのだ。

一週間前、私は過去の資料を目の前の机にドッサリと置かれ、「とにかく、この日までにセールをしたいんだよ」と切羽詰った声で訴えられた。
とは言っても、私も、この分野には疎い。

デザインだけなら請けますが、商品の選択まではできません、と答えた。

それに対して、オーナーは「わかりました。少し考えさせてください」とあっさりと言った。
それ以来、連絡はない。
こちらからする気もない。


そして、昨日のできごと。

これは、私が悪いのか。
それとも相手が悪いのか。


大宮の印刷会社。
この会社の担当者が私に対して冷淡であるというのは、このブログで何度か書いたことがある。

悪口と取られると困るので、詳しくは書かない。
ただ、今回起きたことだけは、事実として書く。
いや、書かせていただきたい(切望)。

やや感情的な文章になりますが・・・・・。

昨日午前10時半、宇都宮線で大宮駅に降り立ったそのとき、iPhoneが震えた。
印刷会社の担当者からだった。

「悪い。大きなトラブルがあってね、今日はダメなんだ」

要するに、ドタキャン。
大きなトラブルが何かはわからないが、大変だろうことは想像がつく。
これは、仕方がない。
違う日にするしかない。
私は納得した。

ただ、私にも都合がある。
翌日は、他の打ち合わせが2件入っているから、大宮まで行く余裕がない。

しかし、相手は言うのだ。
「明日、10時半、いいね?」

いや、私は明日一日都合が悪いです、と言うと、担当者は何と言ったか。


「自分の都合ばっかり言わないでよ。相手の都合も考えるのが、ビジネスってもんじゃないの!」


自分の都合で打ち合わせをドタキャンしたことは、忘れているのか、考えもしないのか。

しかし、明日の仕事の予定は、そちら様より早く決まったことですから、それを優先させるのは当たり前のことだと思いますが。

私のその言い方が、相手の気に触ったようである。
「だからぁ! 自分の都合ばっかり言わないでよ。じゃあ、こっちの都合はどうするの!」

20歳以上年上の人間に向かって、見事なタメぐちである。
この方のご両親、恩師、上司様は、素晴らしい教育をなさったと、私は深く感心した。

ただ、ここで怒ってしまっては、仕事をなくす。
この会社からは、年に5、6回仕事をいただいているのだ。
それがなくなるのは、痛い。

ここは、冷静に、冷静に。

では、そのトラブルが解決するまで、お待ちしましょうか。
私はこのあと、体が空いていますので。
トラブルが解決したら、すぐお伺いいたしますから。

これは、私としては、相当な譲歩である。
これこそ相手の都合に合わせる大人の対応と言っていいと、私は自分を褒めたくなった。

しかし、それは私の思いあがりであると、すぐ悟らされることになる。

私の提案を聞いて、相手の声のボルテージは、さらに上がった。
「そんなふうに待たれたら、落ち着いて仕事できないでしょ! 待っていると思っただけで、集中できないの! 何でそれがわからないかなあ!」
そして、「まったく! 自分のことしか考えていないんだから!」と、憤慨で語尾を震わせたまま、電話を切られた。


激しく怒られた。


これって、俺が悪いってことになっていませんか?

大きなトラブルに直面されているのは、ご同情申し上げますが、もう少し冷静な対応ができないものでしょうか。


叫びだしたい衝動に駆られたが、善良な市民が回りにいるので、私は歯を食いしばってこらえた。

こんなときは、知り合いの顔を見て、触れ合って、心を落ち着けるのが一番いい。
幸い私には、大宮駅から20分ほど離れたところに事務所を構えるオオサワさんという同業者がいた。

この人は、私にメシを奢ることに生きがいを感じている人だ(私だけがそう思っているのかもしれないが)。
この心の大きな人なら、私の心にあいた空洞を埋めてくれるのではないかと私は期待した。

電話をかけた。

オオサワさんは、いた。
「おお! Mさん、久しぶりぃ」から始まって、その後10分ほどオオサワさんの近況報告が速射砲のように続き、「ああ、新年の挨拶をしていなかったね、おめでとう」と照れながら言い、「で、いま、どこ?」で話が終わった。

いま、大宮駅です、と私が言うと、オオサワさんは「じゃあ、時間あれば、お昼奢るけど(待ってました!)。一時間で仕事終わらせるから、11時50分にいつもの定食屋ね。12時になると混むから、先に席をとっておいてね」と慌しく電話を切った。

以前は高級な店で奢ってもらうことが多かったが、景気が悪くなると、定食屋になった。
しかし、私は高級な食材が体に合わない体質なので、これはむしろ喜ばしいことだ。
アジフライと大盛りのキャベツと味噌汁が目の前に並ぶと、食が進むのである。

今日の定食は何かな、そう思っただけで、先ほどの嫌なことの49パーセントは忘れることができた。

駅周辺で時間をつぶし、大宮駅から10分ほど離れた定食屋に11時45分に着いた私は、席を確保して、オオサワさんを待った。
「本日の定食」は、愛しの「カキフライ定食」だった。
心が躍った。

もう先ほどのできごとの85パーセントは忘れかけた。

11時52分に、オオサワさんはやって来た。
70キロの小太りオジさん。
オジさんは席に座るなり、「今日の定食二つ。ごはん大盛りでぇ!」と叫んだ。

その大声に、6割方埋まった席のほとんどの人が、振り向いた。
しかし、オオサワさんは、平然としている。
その大物振りが、好きだ。
嫌みがない。
憧れる。

これで、嫌なことは、99パーセント忘れた。

「ごめんよ、さっきは、俺のことばかり喋って」と言って、頭を軽く下げたオオサワさんは、カキフライがテーブルに並んだだけで感動し、「うまそお!」と、また大きな声を上げた。
その声が気に入ったのか、店のおネエさんが、私たちの皿に「あらあら、カキフライが一個足りなかったみたいね。ゴメンナサイね」と言いながら、カキフライを一つずつサービスしてくれた。

人徳というのは、あるようだ。

ただ声がでかいだけでは鬱陶しく感じるものだが、オオサワさんの声には、人間的な「何か」が人の心のどこかを振動させる威力がある。
場の空気が柔らかくなるのである。

カキフライもうまいし、オオサワさんは聞き上手だし、私は気持ちよくメシを食った。
普段はご飯のお代わりや味噌汁のお代わりはしないのだが、このときは、自然にお代わりを頼んでいた。

しかし、そんな夢のようなときも、一つの電話が、ぶち壊しにする。

iPhoneが、震えたのだ。
ディスプレイを見ると、大宮の印刷会社だった。

出たくはなかったが、オオサワさんが、目で「でれば」と合図したので、仕方なく出た。

すると、担当者の爪でガラスをこするような声が、私の耳奥に、この上ない不快な刺激を与えて侵入してきた。

「トラブル解決したよ! 約束どおり、今から来てよ」

いま食べたカキフライが、消化不良になりそうだ。

そうは言うが、私は約束した覚えはない。
私がトラブルが解決するまで待ちましょうか、と言ったとき、先方は「そうやって待たれるのはヤだ!」と言って、一方的に電話を切ったではないか。

それが、なぜ「約束」ということになるのか?

しかし、せっかく大宮まで来ているのだから、ここで定食を食って帰っただけでは、意味がないことは5歳児でもわかる理屈だ。
だから、私は不機嫌丸出しの声で「2時過ぎに行きます」と答えた(大人げない)。


不審顔のオオサワさんに、今日のできごとを説明すると、オオサワさんは「いるよねえ、そんな勘違いバカ」と言ったあとで、おネエさんに、「枡酒三つ」と指を三本立てた。

なぜ、三つ?

「俺が一杯。Mさんが二杯。向こうに酒の匂いをプンプンさせて行ってごらん。そいつはどんな顔をするかね? バカを相手にするときは、こっちもバカになったほうがいいんだよ。それでフィフティフィフティさ」

オオサワさんが、豪快に笑った。

まるで筋の通らない話ではあるが、相手も筋が通っていないのだから、それでいいのだ。
オオサワさんは、そう言いたいに違いない。


ノンビリ酒を飲んで、2時過ぎに得意先に到着。
自分でも日本酒の匂いを全身から発散していたと思う。

こういう場合、自分より他人の方が敏感だと思うから、まわりはもっと匂いを強く感じるかもしれない。


私が近づくと、はたして、担当者の顔色が変わった。

しかし、私が声に「気」を込めて「何か!?」と言うと、相手はすぐにうつむいた。
気合勝ちだったようだ。


さて、この事件、どちらが非常識でありましょうか。


まあ、年上の私の方が非常識だというのが、世間様の評価だとは思うのだが・・・・・。




一応、反省したフリでもしておきましょうか?





2011/01/18 AM 06:49:33 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

大量に備蓄したもの
あまり書きたくない内容だから、気が重い。
きっとあとで読み返したら、自分でも後悔すると思う。
それに、読むほうもきっと面白くないだろうと思う。

では、書くなよ、と言われそうだが、他につぶやく場所がないので、書くことにする。

申し訳ありませんが、嫌な方は、飛ばしてください。


昨日、新丸子の母から電話があった。

それは、姉の部屋に珍しく鍵がかかっていないので、久しぶりに姉の部屋を掃除しようと入ってみたら、部屋が大変なことになっている、という電話だった。

いつもなら百パーセントに近い確率で部屋のドアには鍵がかかっているのだが、昨日は慌てていたのか、鍵をかけずに出て行ったらしい。
どこに行ったの、と聞くと「渋谷の場外馬券売り場」と母がため息を吐きながら答えた。

勝馬投票券のことが頭の中を占めていて、ドアに鍵を閉め忘れたのだろうと思われる。

母が言う「部屋が大変なこと」とはどういうことか、と聞こうと思ったが、見た方がわかりやすいし、今年はまだ実家に帰っていないので、新年の挨拶を兼ねて行ってみることにした。
申し訳ないが、また友人から、原付バイクを借りた。

その方が楽だからだ(お尻がラク?)。

挨拶もそこそこに、姉の部屋に入る。

母たちが新丸子に越してから11年がたつ。
その間、私は一度だけ姉の部屋に入ったことがあるが、それは7、8年前のことだった。
そのときは、大きな箪笥が二つとテレビしかないスッキリした部屋だった、と記憶している。

しかし、その部屋は、今回すっかり様変わりしていた。

まず、目に飛び込んできたのが、トイレットペーパーの山だった。
薬局などで、12ロールをワンパックにして売られているもの。
それが、ベランダ側の窓を塞ぐようにして、壁のよう積まれていたのである。
それも全て同じメーカーの同じ銘柄のものだった。

正確に数えはしなかったが、百パック近くあると思う。
それは窓を完全に塞いで、天井まで整然と積み重ねられていたから、アイガーの北壁をはじめて見たときのような威圧感があった(見たことはないが)。
これでは、ベランダに出ることはできないし、太陽の光も入ってこないだろう。

他にティッシュペーパーのパックも積み上げられていた。
これは、5個ワンパックで売られているやつだ。
同じメーカー同じ銘柄のものが、やはり数える気にもならないくらい積まれている。
おそらく、薬局の店頭でもこれほど詰まれてはいないだろう。

そのほか、食品用ラップも同じ銘柄のものが、百個近く積まれていた。
姉は料理はしないのに、何でこんなにもあるのだろう?

10キロのお米の袋も8つ壁際に積まれていた。
あきたこまち
この重いものをどうやって持って帰ったのだろう。

お米は、母が生協の宅配を頼んでいて、そのときどきで銘柄は違うが、毎回必ず5キロの無洗米を頼んでいるという。
だから、これは姉が独自に誰かに頼んで宅急便で送ってもらったものだろう。
しかし、ご飯粒を食わない姉が、なぜこんなにも大量に米を買ったのか。
理解に苦しむ。

他には、ゴミ袋がやはり大量に。
箱入りの洗濯洗剤も大量、同じ銘柄のシャンプー、リンス、トイレの消臭剤が10本くらい、インスタントラーメンのパック(5個1組のもの)が20個ほど、カップラーメンも数え切れないほど、同じ種類の加湿器が3つ(中身を開けた形跡がない全くの新品)、「氷結」という缶チューハイのグレープフルーツ味がケースで4箱。

そして、2006年からのカレンダーが50本以上。
カレンダーは、すべてSMAPのものだった。
同じものを10本ずつ購入したようだ。

SMAPといえば、CD。
おそらく200枚以上あるだろう。
同じ内容のものが、キッチリ10枚ある。
要するに、10枚単位で買っていると思われる。

SMAPのDVDも30枚近くあった。
やはり同じ内容のものが数枚あった。
DVDプレーヤーを持っていないのに、である。

故・パク・ヨンハさんのCDも数十枚。
あとは、故・尾崎豊さん、X JAPANの故・hideさん、故・忌野清志郎さんのものが数十枚。
要するに、故人ばかりだ。
それなら、ZARDのものもあってよさそうなものだが、女性が大嫌いな姉は、そのあたりは徹底している。

コレクションの山に占領されて、6畳の和室は、布団一枚がやっと敷けるほどのスペースしかない。

「何だろうね、これ?」と母が聞くが、わかるわけがない。

だが、わからない、と言ってしまったら母が不安になるので、私は努めて明るい口調で言った。

きっと恵まれない人に寄付しようと思って溜めているんだな。あるいは、来たるべき関東大震災のことを考えて、備蓄してるんじゃないかな。ほら、トイレットペーパーもティッシュも米も必要でしょ。

言った私は笑ったが、母は笑わなかった。

同居している母としては、気味が悪くて、笑ってはいられないということなのだろう。

そして、最後に母が見せてくれたのは、ダイニングに置いてある冷蔵庫の中だった。
冷凍室には、冷凍食品がぎっしり詰まっていた。
冷蔵室、野菜室は、7割方「氷結」グレープフルーツ味で埋められていた。

壮観だ。
これだけあれば、しばらく買い物に行かなくても、美味しい冷凍食品生活が送れるだろう。

でもね・・・・・と母が言う。
「あの子、電子レンジが使えないんだよ。私は冷凍食品があまり好きじゃないから、食べないし・・・・・」
そう言って、母が、口ごもった。

しばらく沈黙が続く。

言っていいのかどうか、迷っている顔だ。
口元が、強く引き結ばれている。
言いたくないという意思のほうが強いのかもしれない。

しかし、言わなければ、私を呼んだ意味がない。
そんな心の葛藤が、母の吐く息を荒くしていた。


そのとき、私の頭に閃いたものがあった。

私は言った。
「帳面だね」

それを聞いて、よくわかったね、というように母が私を見上げた。

姉は、自分の備蓄したものをノートに書き記していたのだ。

そして、もし、その備蓄した物の数が減っていたとしたら、姉は・・・・・。


そこまで思い至って、私の心は憂鬱になった。

これは、笑って済ませられることではなかった。

このことを誰かに相談しなければいけない。

しかし、誰に相談したらいいのか。


「好きなようにさせておこうか」
今度は、母が明るく言ったが、私は笑うことができなかった。


母の悩みを少しでも軽くしなければならない。


そうは思っても・・・・・・・。




2011/01/16 AM 09:06:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

ポスターに萌える
それを見たとき、落ち着かない気持ちで、私はソファに腰を下ろした。

友人の京橋のウチダ氏の事務所でのことだ。

壁に貼ってあった「それ」。

友人のスガさん、ウチダ氏、ススキダたちと共同ではじめた飯田橋のラーメン屋。
「そのことで、ちょっと話があるんだが」と言われて、ウチダ氏の事務所に足を運んだ昨日だったが、それを見た途端、私は落ち着かない気持ちを懸命に抑えて、ウチダ氏の差し出すクリアアサヒの500缶を手に取った。

「俺はいつもスーパードライなんだけど、Mさんはクリアアサヒの方がいいんだよな。だから、大量に買って冷蔵庫に入れてあるから、俺のいないときでも遠慮なく飲んでいいよ」

私はウチダ氏の恋人でもないのに、ウチダ氏の事務所の鍵を預かっているのである。
彼がいないとき、数回ソファを貸してもらって、仮眠を取ったことがある。
そのとき、もちろんスーパードライを無断で飲ませていただいたこともある。


恋人ではないけれど・・・・・。


「Mさんは、安上がりだから助かるよ」
そう言いながら爽やかな笑顔を見せるウチダ氏は、イケメンだ(俳優の坂口憲二からワイルドさを取ったといったら、わかりやすいか)。
そして、彼は私より5歳年下である。

このイケメンは、できる男でもある。
ビジネスに厳しいし、彼のそのヒラメキはたいしたものだ、と私は常々感心している。
だから私は、5歳年下にもかかわらず、彼のことを「ウチダ氏」と尊敬の意味を込めて呼んでいるのだ。

そのウチダ氏が、ノートを広げて言う。
「開店して2ヶ月は、想定したとおりの売り上げだな。場所柄から言えば、そんなに爆発的に売り上げは上がらないと思っていたからね」

ウチダ氏が、そう言うのなら、安心していいだろう。
私も店長代理から毎日の売り上げを聞いているから、大体のことは把握している。
だから、現状認識はウチダ氏と同じと言っていい。


しかし、この壁にあるものは・・・・・・・?


カマンベールチーズを冷蔵庫から勝手に出す間も、横目でチラリ。
丸いカマンベールをそのまま丸ごと噛み、クリアアサヒを飲む。

それを見て、ウチダ氏が笑う。
「Mさんには、皿とフォークという概念はないのかね」

皿もフォークも使ったら洗わなければいけない。
水の無駄だし、洗剤を使うなら洗剤の無駄だ。
エコじゃない。

「まあ、理屈は通っているな」と納得顔のウチダ氏。

カマンベールを食い終わったが、何か満たされないものを感じたので、また冷蔵庫を漁る。
ローソンで買ったらしきマカロニサラダがあったので、それをゲット。
ソファに戻る間に、また壁をチラリ。

ウチダ氏に、私のその挙動不審を覚られた。
「Mさん、そのポスター、ずいぶん気になるみたいだな」

ばれてたか。
さすが、ウチダ氏。
おまえの勘は、鋭い。

「いや、それだけ露骨に気にしていたら誰でもわかるさ」

露骨だったか?

「ああ、あまりにもわかりやすくて笑うこともできないくらいだ」

いや、笑ってくれ。
俺は・・・・・好きなんだよ。
気づいたのは最近だが、実は数年前から、オレ、好きだったみたいなんだ。

実際、鈍感だよな。
自分のそんな感情にいまさら気づくなんて。

「・・・・・・・・・・」

笑ってくれよ。
いや、軽蔑してもいい。

「軽蔑はしないさ。俺も好きだからな」

好きなのか?
おまえも?

「ああ、女房には笑われるがな」

そうか・・・同類だったのか。
で・・・・・、それはどこで手にいれたんだ。

日本橋の古いスーパーの再生を頼まれたんだが、そのとき汚い倉庫の片隅に埋もれているのを発見して貰ってきたんだよ。まあ、俺にとってはラッキーだったな。店主は、まったくそれに執着がなかったからな」

そうか。
いい仕事をしたな、おまえ。
そんな羨ましい仕事もしてるんだな。

俺は、そんなおまえに、嫉妬するよ。


「実は、このポスター、もう一枚あるんだが、Mさん、いるかい?」


それを聞いて、私は一瞬呼吸が止まりそうになった。

「ホ、ホ、ホ、ホ・・・!」

「本当だよ」とウチダ氏が、大物の風格を見せて、大きくうなずいた。

私はそのとき、一生ウチダ氏について行こう、と固く誓った。
こいつは、間違いなく信頼できる男だ。


ウチダ氏にいただいたポスター。

それはいま私の仕事場の壁に、ラミネート加工をして貼られている。


サントリーの「ALL-FREE」のポスター。

それは、短髪の榮倉奈々が浴衣を着て、オールフリーを持って微笑んでいるポスターだった。
(三浦友和さんも映っていたのだが、ゴメンナサイ、カットしてしまいました)



2011/01/14 AM 06:54:03 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

日本はあひるの子ではなく
いま沢木耕太郎の「危機の宰相」という本を読んでいる。

これは、「所得倍増」というキャッチコピーで、戦後の日本経済を引っ張った池田勇人とそのブレーンたちの取り組みを書いたルポルタージュである。

その中で、ブレーンの一人、下村治という人が書いた文章が、私の興味を惹き付けた。
それは、日本経済を童話「醜いあひるの子」の話を引用して論じたものだった。


「日本経済について、ありとあらゆる欠点や弱点を並べたて、その国際的な水準の低さや文化的、社会的、経済的なアンバランスをあざわらい、今にも日本経済が破局におちいるかのようにいいつのる人々を見ていると、わたくしはアンデルセンの「醜いあひるの子」という童話を思い出す。
それらの人々は、自分たちをあひるかあひるの子と、思い違いをしているのかもしれない。日本経済は、いかにも白鳥の子らしい特徴を持った発育を示しているのに、あひるの目でそれを見れば異常であり、アンバランスであるかもしれない。
(中略)日本経済の貧しさや後進性が、われわれ自身の宿命的な属性であるかのように、あまりにも諦観されすぎたようである」


当時の世論、特に経済学会やマスメディアは、ペシミズム(悲観主義)一色であり、日本の経済の未来は決して明るくないと、ほぼ全員が暗い展望を持っていた。

それに対して、下村治はオプティミスト(楽観主義者)であり、日本経済は「あひるの子」ではなく「白鳥」足りうると主張していたのだ。

そして、その後の日本経済は、彼が言うように「白鳥らしい特徴を持った発育」を示し、目覚しい経済成長を遂げた。

しかし、GDPの数値が人口大国中国に抜かれたことを受けて、いま世論は50年前と同様、ペシミズム一色である。


楽観論を語るのは、「経済のド素人である」。
まるで楽観論を語ることが悪であるかのような世論が形成されている。
そんな空気が充満している。


外国の経済学者、ジャーナリストたちが、日本経済を評価する論調もそれは変わらない。
「日本経済は長い停滞から没落へ向かう」「日本に期待するものは、もはや何もない」「日本が再生することはない」

日本に対する悲観論が、世界中を覆っている観がある。

しかしそれは、バブル基準で考えた場合の日本の評価だろう、と私は思っている。

バブル真っ只中の中国経済と比較したら、日本経済が「停滞」と見えるのは、当然のことだ。
膨らんだ風船と、しぼんだ風船。
子どもに選ばせたら、間違いなく膨らんだ風船を手に取るだろう。

膨らんだ風船の絵柄は、あひるの子。
しぼんだ方の絵柄は、美しい白鳥。

経済学者やマスメディアは、しぼんだ風船は憐れである、という論調なのだろう。
たとえ、この白鳥柄の風船は、ギリシャのように破れてはいないのだ、と言っても「強がりだ」と言って笑われる可能性もある。
それどころか、「破れていなくても、しぼんでしまった風船は、何の役にも立たないよ」と、もっと強い悲観論を浴びせかけられるかもしれない。

だが、私は、そうかな、と思う。
風船をしぼんだままにするかしないかは、その国の負のエネルギーを、どのように無理なく正のエネルギーに変えるかで決まってくる、と思っている。

正のエネルギーに変えるチャンスは、これから先いくらでもあると思っている私は、世論がなぜいつもそんなにも悲観的で未来を否定的に見るのか理解できないでいる。

日本の失業率は、見せかけだけで、実態はもっと深刻である。
日本の自殺者の数は、先進国で際立っている。
日本の子どもの学力レベルが下がっている。
日本人の幸福度のランクは、先進国の中ではかなり低い。
少子化に歯止めがかかっていない。

もっともな意見だと言えるが、それらは具体的な数値を上げた統計学とはほど遠い「感想の域」を出ないものだ。
それなりにもっともらしい数値を提示したとしても、比較する数値が「意図的な負」が基準だから、多くは公平とはいえないものだ。
つまり、「負」という結論が先にある。

「幸福度」なるものを公平に測る尺度など、本当にあるのか。
風土を無視した「自殺者の数」は、ただ数値を比較しただけでは説得力に欠ける。
乱暴な言い方になるが、切腹や神風特攻隊の負のDNAを持った国と、生に対する宗教的な価値観を持った国を比較しても、私には意味がないように思える。
見せかけの失業率というが、では、他の国の失業率がなぜ「見せかけ」ではないと断言できるのか。その基準は、はたして公平なのか。
その根拠が曖昧だから、私には蚊の羽音ほどのちっぽけな意見にしか聞こえないのである。

ただ、少子化に歯止めがかかっていない、という意見には頷ける。

国のパワーは、人口である、といっても過言ではない。
中国は、共産主義であったがゆえに無駄な統制が邪魔をして、その人口力を経済に活かせないでいたが、民主化以外の統制を緩くしたせいで、人口力が経済とイコールに近くなってきた。

世界2位の人口を持つインドも、人口力を活かしつつある。
5位のブラジルも、同じように少しずつ活かしつつある。
11位のメキシコもしかり。

人口の多寡は、国の基本を左右する。
その人口が増えない現象は、国の根幹を揺るがしているといっても過言ではない。

かつて自民党の国会議員たちは、自分の血縁に家督を譲ることに一所懸命で、人を増やすという生産的な政策を放棄してきた。
その愚かで利己的な行い(政策ではない)が、いま日本を人口の増えない国に貶めている。
そして、自分の職場をとられるという強迫観念から、女性の再雇用の門を蟻の巣穴ほどの小ささに狭めた男性中心雇用社会も、少子化の元凶と言っていい。

子どもを産んだ後も安心して仕事に復帰できる環境があれば、子どもを産み育てる女性を取り巻く環境は大きく変わるだろう。

これは、それほど難しい政策ではない、と私は思っている。
それは男社会が、いままで職を奪われる恐怖心から、積極的に方法論を探そうとしなかっただけだからだ。
女性中心に女性の視点で政策を模索すれば、見栄や嫉妬によって男社会では閉ざされていたものが、一気に実を結ぶ可能性はある。

人口が増えれば、日本は本来の白鳥の姿を取り戻すことは、充分期待できる。
それは、20年後かもしれないし、50年後かもしれない。

かつて経済大国であったイギリスやフランスは、終末兵器を持っているがゆえに、経済が停滞したのちも「ものを言う大国」の座を確立している。
それは、彼らが白人という生まれながらのアドバンテージを持っているから成し得ることでもある。

終末兵器を持たないアジア人に、白人世界が、そのポジションを与えることは許さないだろう。

だとしたら、日本は正当な手段で経済を安定させ、健全な経済を持つ白鳥として、ものを言うしかない。

もうバブル後の経済崩壊を「失われた10年」などと言って、悲観的な評論家を気取るのは、やめにしたらどうだろうか。


長い間、日本は「世界の銀行」の役割を果たしてきた。
米国や欧州が戦争をしたいといえば、その資金を捻出した。
発展途上国が橋を作りたいといえば、その資金を提供した。
国連が金を必要としたら、言われるままに出した。

その誇らしい行為は、たとえ半強制的だったとはいえ、勤勉に外貨を貯蓄した日本しかなしえないことだった。

「わが国は大国である」と、ただ主張するだけの国には、それはできないことだ。
「世界の銀行であった」という矜持を日本人は、忘れるべきではない。

たとえいま日本が世界から「没落の国」と言われても、その価値は色あせることはない。
日本の業績は色あせたと思わせたい意図的な中傷は、新しく大国になった国が、日本と同じように「世界の銀行」になったときに、受け入れればいいことだと私は思っている。

悲観的になることはないのだ。


話は脱線するが、社会主義というのは、私の素人考えでは権力者に都合のいいものになっている。
国が貧しくても、「みんなが我慢しているから」「全員が貧しいんだから」という言い訳が通用するからだ。
国民生産が上向いて貧富の差ができ、一部が金持ちで他は貧しいまま、という構図ができたとしても「貧しい人」を基準に国民に「我慢」を強いることができるのが社会主義。

たとえ、権力者や一握りの人間が富を独占したとしても、「下層階級が基準」になって「そういう社会なんだよ」と強弁することができるのが、社会主義という名の独裁国家であるとも言える。

国民に選挙で選ばれた人たちではないから、人民への感謝がない。
だから「民主化」という概念が希薄だ。
権力者は、簡単に「抑圧」を選ぶことができる。

それが社会主義の現状である。


話もどって、「あなたの体は、長年の不摂生のせいでボロボロです。見込みはありません」と妙に沈んだ口調で言われるより、「治せるところから一つ一つ治していきましょう。一緒に闘いましょう」と明るく言われた方が、人間の自然治癒力はより強く機能するはずだ。


悲観論が社会に充満しているとき、一人でもいいから50年前の下村治のように「日本は白鳥だ」と言い切れる専門家がいてくれたら。


私はいま、それを切に望んでいる。




あひるも可愛い生きものだが、白鳥の美しさは、やはり特別だと思うから。




2011/01/12 AM 07:17:37 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

原付の旅 その2
前回からの続き。

荻窪の友人の家で、仮眠を取らせてもらった。
午後3時前に寝て、起きたのが、4時40分過ぎ。

朝、ネットカフェで3時間以上寝て、午後また1時間半以上寝る。
我ながら、よくここまで寝られるものだと、感心する。

眠れるのは、元気な証拠。
体と精神のバランスが悪いと眠れないか、眠りが浅いのだという。

つまり、俺は、健康だということになる。

ダルマの生まれたばかりの娘の頬にキスをして、5時過ぎに原付を発車させた。
キスをしたとき、ダルマが「キャー!」と奇声を上げたが、無視した。

ダルマの奥さんのトモちゃんには、投げキッスで別れを告げた。
すると、ダルマがまた「キャー!」

うるさいんだよ!
おまえは、乙女か!


次に向かったのは、練馬区の材木屋さんだった。
しかし、材木を買いに行ったわけではない。

ここの資材置き場にキャンピングカーを停めている男に、会いに行ったのである。
その男は、ハヤシさんと言った。

7年前に、私が名古屋に日帰りの出張に行ったとき、屋台のラーメン屋で偶然知り合った人だ。
その当時、ハヤシさんは54歳だった。
彼は、福井県美浜町出身の人で、キャンピングカーで日本一周をしている最中だった。

話をして意気投合した。

「これから、俺、賢島に行くんだよね」
そう言うハヤシさんに、尊敬の眼差しを向けた私は、いいなあ、賢島かあ、と呟いた。

その呟きを聞き逃さなかったハヤシさんは、「じゃあ、付いてくる?」。
名古屋へは日帰りの予定だったが、私はそのままハヤシさんに拉致されて、賢島で54歳のオッサンとともに二日間を過ごした。

3食カップラーメンかパンの耳という貧しい食事だったが、キャンプ生活は楽しかった。
それは、ハヤシさんの生き様が、楽しかったからだと思う。

憧れた。
そして、尊敬した。

それ以来会っていなかったが、メールとハガキのやり取りは、途切れずにしていた。

そのハヤシさんから、久しぶりにキャンピングカーで東京に立ち寄ったという連絡があったのが、昨年の12月末のことだった。
私はすぐにでも会いたかったのだが、ハヤシさんは、「バイトがあるんで、来年にしようよ」と言って、1月7日を指定してきたのである。

お互い抱き合って、喜びを表現した。

今年62歳になるハヤシさんは、もちろん、7年前と比べて、年齢を感じさせる容貌になっていた。

そのハヤシさんに、先に言われた。
「Mくん、老けたね」
激しく、ずっコケた。

笑うと目尻の皺が深くなって、当時はそれを味わい深く感じて憧れたものだったが、その味わいにさらに年輪が増したような気がした。
いい年の取り方をしていると思った。

資材置き場のそばに、夜になると、屋台のラーメン屋が通りかかるという。
「安くてうまいんだよね」と、目尻の皺を深くして笑う61才のオッサン。
そのオッサンと一緒に、400円のしょう油ラーメンを食った。

確かに、うまかった。
シンプルで、直球の味だ。
何の意気込みも感じさせないところがすごい。
ラーメンを食って、久しぶりに感動した。

力まずに、こんなラーメンが作れたら・・・・・本心から、そう思った。

充実したラーメンのあとは、スーパー銭湯。
志村坂上にあるスーパー銭湯に、原付で繰り出した(ハヤシさんも原付を持っていた)。

800円で、10種類以上の湯を満喫した。
男同士、裸の付き合いである。

私の裸を見て、ハヤシさんは「Mくん。脱ぐとすごいんだねえ。痩せてるだけかと思ったら、鋼の肉体だね」と褒めてくれた。

ハヤシさんの肉体は・・・・・、
お腹だけがポッコリ出た「残念な体型」だった。

裸の付き合いのあと、銭湯を出たところで、ハヤシさんが、「これ」と言って、一万円札を私の手に握らせようとした。

ん?

「7年前に、一万円貸してもらったのを、遅くなったけど、いま返すよ。悪かったね」

忘れていた。
たしか・・・そんなこともあったかもしれない。
どういう経緯で貸したのかは、まったく覚えていない。

それをいま返されても、なあ・・・・・。

しかし、受け取らないのも失礼に当たる、か。

じゃあ、こうしましょうか。

私たちは、資材置き場に帰る途中でドン・キホーテ練馬店に立ち寄り、5千円分のカップラーメン、レトルト食品を買いだめした。
それをハヤシさんにプレゼントし、残りの5千円は、私がいただいた。

「悪いね」
ハヤシさんの笑うとできる目尻の皺が、優しい光を放って、私の目に飛び込んできた。

また、いつか、会いましょう。

「はい。いつか・・・・ね」

握手を交わして、私は原付にまたがった。
格好よく、走り出そうとした。

しかし、湯上りの体に、真夜中零時の冷気は、凶器だった。

さっぶ〜〜!

結局、ハヤシさんのキャンピングカーで、武蔵野のアパートまで、送り届けてもらうことになった。

なんか俺、カッコ悪いですよね、と私が言うと、ハヤシさんは、「変にカッコつけるほうがカッコ悪いんだよ」と慰めてくれた。

また、握手をした。

今度の握手は、さっきのより強いものだった。

ハヤシさんが、言った。

「Mくん、頑張りすぎちゃダメだよ」


そう言うハヤシさんの目尻の皺が、カッコ良かった。




2011/01/10 AM 08:54:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

原付の旅 その1
今月の8日初稿予定の2種類の仕事は、6日の朝に終わった。

だから、少しだけ、自由な時間ができた。

そこで、武蔵野に越してきて、はじめてできた友人から、一日だけ原付バイクを借りることにした。

それを有意義に使いたいと思った。

7日朝4時半に起きて、家族の朝メシを作った。
そして、昼メシは4人分の弁当を作って置いておく。
夜メシは、冷凍保存したものが色々あるが、夜はクリームシチューを温めて食え、と冷蔵庫に貼り紙しておいた。

朝6時10分、まだ暗い中を出発。
吉祥寺に到着した。
(本当は、駒沢公園まで行ってジョギングをするつもりで、バッグにはジョギングウェアを入れていたのだが、あまりにも寒いので途中でめげて、行き先を変更したのだ)

吉祥寺は、放置自転車や放置バイクに対する規制が厳しい。
歩道に自転車を置いたりすると、すぐに持っていかれる。
その割りに自転車置き場が少ない。

吉祥寺は、自転車乗り、原付バイク乗りには、冷たい街である。
しかし、私は井の頭公園近くのマンションの駐輪場にスペースがあるのを知っているので、いつもそこに停めさせてもらうようにしている。
厳密に言えば、マンション関係者以外が利用してはいけないのだろうが、特別「使用禁止」とは書いていないので、都合よく拡大解釈をして使わせていただいている。

原付バイクを置き、駅まで歩く。
まだ暗い。人通りもほとんどない。
サンロードという商店街を少し行ってから、左に折れる。
そこに、インターネットカフェがある。

午前6時52分。
フラットなスペースのある個室を借りた。
5時間1100円だった。
ついでに毛布も借りた。

暗くて怪しい空間。
しかし、慣れれば天国である。
私を知っている人が誰もいない状況は、この上なく私を落ち着かせる。

ほぼ2年ぶりのネットカフェ(3回目)。
個室に入った私は、バッグから特大おにぎり(直径10センチくらい。具はエビマヨ。もちろん海苔で巻いてある)を出し、食いついた。
そして、350缶のクリアアサヒ。

いつもなら500缶を飲むところだが、今日は原付だ。
5時間でアルコールを抜くには、500ccは多すぎると判断して、350を選んだ。
私は規律に厳しい男なのだ(では飲むな、という声は聞かないことにする)。
飲み終わり、食い終わって、すぐに眠る体勢に。

目覚めたとき、パソコンの時間を見たら、8時33分だった。
1時間半程度眠ったようだ。
11時52分までが利用可能時間だから、まだ時間はかなりある。

この場合、選択肢は、いくつかある。
マンガを読む。
DVD映画を見る。
インターネットの世界を彷徨う。

しかし、マンガは目が疲れるので、鬱陶しい。
映画を見るには、時間が少々足りない。
インターネットは毎日見ているので、今さらという感じだ。

7日付のブログをアップしたら、また寝るしかないか。
自分の体内時計を信じて、頭のタイマーを1時間30分に設定した。
寝過ごしたら、超過料金を払えばいいだけのことだ。

眠った。

目覚めた。
時計を確認したら、11時41分だった。
私は、素晴らしい体内時計を持っていると、自分を誇らしく思った。

アルコールが体内に残っていないか、確認した。
残っていない自信はあったが、念のため、ブラックコーヒーを一気飲みした。
そして、トイレに。

体が軽い。
その軽さを意識しながら、原付バイクを置いたマンションまで歩いた。
原付クンは、同じ場所に行儀よく待っていてくれた。
いい子だ。

次は、荻窪
昨年12月に待望の赤ちゃんが生まれた友人のWEBデザイナー・タカダ君(通称ダルマ)の家に、新年のご挨拶をするために向かった。

仕事場兼用の3LDKのマンション。
LDKのベビーベッドに、タカダ家の主役の赤ちゃんが眠っていた。
生まれたばかりの頃は、地球外生命体の姿形をしていたが、一ヶ月もたつと地球人の姿に変わっていた。

赤ん坊の、その変身能力に驚く。
ただ、父親であるダルマに面影が似ているのが、気の毒といえば気の毒。
微笑みの天使・トモチャン似だったら、未来は明るかっただろうに・・・。

まあ、しかし、地球人に変身できたのだから、それで取りあえず良しとするか。
あとはダルマさんちの問題だ。

昼メシ時。
事前に電話で連絡したとおり、昼メシは私が作る。

フィットチーネを使った料理。
明太子と生クリーム、にんにくのみじん切り、しょう油、粗挽きコショウ、オリーブオイルでソースを作り、パスタと和える。
それに、きざみ海苔をまぶせば、フィットチーネon明太子クリームの出来上がり。

他に、オニオングラタンスープ。
サラダは、サラダ菜の上に、まぐろを薄く切って散りばめ、カッテージチーズ、ケッパーのピクルス、クルトンを散らす。そして、さらにその上に温泉玉子をのせた贅沢なもの。
ドレッシングは、麺つゆとワインビネガー、塩コショウ、砂糖で作る。
なかなか高級感あふれるドレッシングができたと、痔が爺さん、いや自画自賛。

タカダ君、トモちゃん、できあがり〜!

銀河高原ビールの中ビンを飲みながら、乾杯。
短期間で母親の顔になった、トモちゃんの幸せそうな顔を見ながら食うイタリアンは、最高だ。
横にむさくるしい男がいなければ、高級イタリアンレストランで食事をしていると錯覚したことだろう。

メシを食いながら、今年も、むさくるしい空気を惜しげもなく発散する生き物が言う。
「師匠。銀河高原ビール、持って帰りますかぁ?」

いや、今日は原付の旅なんだ。
余計な荷物は邪魔になるから、俺のアパートに宅急便で送っておいてくれ。

「師匠。原付で来て、ビールはまずいんじゃないですか」

いや、銀河高原ビールは、まずくないぞ。
君という存在の方が、俺にはマズく思えるが・・・・・。

「いや、その不味いではなくて、いけない、という意味なんですが」

だから、酔いを醒ましてから帰ろうと思う。
悪いが、寝る場所を提供してくれ。
廊下でも、脱衣場でも、トイレマットの上でも、キッチンのまな板の上でもいい。
俺は、どこででも寝られるから。

「じゃあ、俺のベッドで」

それは、イヤだ!
気持ちが悪い!

君の仕事場に、ソファがあったと思うが、そこを貸してくれないか。
あと、毛布が一枚余っていたら、貸して欲しい。
できれば、君の匂いが付いていない毛布が望ましい。
トモちゃんの匂い付きなどという、贅沢なことは言わないから。

「いや、新品のが一枚ありますから、それを使ってください。でも、あのソファじゃ、狭くないですか。師匠、背がでかいから窮屈だと思いますよ」

俺の特技を知らないな。
俺は、寝ている時だけ縮むことができるんだよ。
だが、その姿を見たものは、必ず呪い殺されるんだ。
だから、決して覗かないでください。

「はいはい」

ということで、事務所の端のソファで、寝させてもらうことにした。


この話、次回に続きます。



2011/01/09 AM 08:53:07 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

トイレに流す
ピントはずれのことを言っていたら、ごめんなさい。
と、最初に謝っておきます。


4日に、静岡に年始の挨拶に行った帰りの東海道線の車内でのことだった。

沢木耕太郎の「危機の宰相」という文庫本を読んでいたときのことだ。
不運にも、同じ車両に、40過ぎのオッサングループが、同乗していたのである。

それも、酔っ払い。
まわりの迷惑も顧みず、でかい声で話す傍若無人の野郎ども。

話の半分以上が他人の悪口だった。

何様だ、おまえら!

「サワダのクソ! ドイツ帰りだからって、何でもドイツに喩えやがって、ここは日本だぞ! 勘違いすんな!」
「シロタのガキ! 社長の血縁だからって、俺たちにタメ語はおかしいだろ! 俺は10歳以上も年上なんだぜ!」

というような、他愛もないお話を、酒臭い唾が飛びそうな勢いで捲くし立てるのだ。

うるせえ、うるせえ。
読書の時間を邪魔するんじゃねえよ!

しかし、一時間ほど、新年の悪口大会が続いたあとで、声のトーンが突然変わった。

「紅白見たか? 『トイレの神様』聴いたか? あれ聴いて、俺は泣いたよ」
「ああ、俺も泣いた。歌を聴いて泣いたのは、はじめてだ」
「俺も」

「トイレの神様」という歌があるのは、知っていた。
しかし、誰が歌っているかは、知らない。
私は聴いたことがない。

私の勘違いかもしれないが、流行っていたという記憶もない。
ヨメに確かめたら、「そこそこかしら」と言っていた。
二十歳の息子は、「一度だけ聞いたことがある。1パーセントも俺の心に響いてこない。友だちの間で話題になったこともない」と言い切った。
中学3年の娘は、「聴く気がしない。興味がない」。
娘と同じ中学の居候さんは、「ヒットしたかもしれないけど、学校でその曲について言っていたのは、先生だけかな」と言った。

桶川の得意先のフクシマさんは、「ああ、俺は何度も聞きましたよ。大ヒットですよ。あれ」と言うのだが、おバカの殿堂入りをした男の言うことを真に受けるほど、私は馬鹿ではないので、この意見は無視することにする。


それは、つまり、あれか。


数年前、秋ナントカの「千ナントカ」という曲が、紅白で歌われてミリオンヒットを記録したことがあった。
あれは、放送前には、ほとんど知られていない曲だったと記憶している。

さらに、その後、ナントカというオバさん歌手が、「ナントカ」という歌を紅白で歌って、それもヒットしたような記憶がある(ナントカばかりで申し訳ないが、歌手名も曲名もわからないので、検索のしようがないのです)。

要するに、NHKは世論を誘導して、無理矢理ヒット曲を作り出そうとしているのだな。
つまり、それだけ、紅白というコンテンツは、世間に影響力があるとアピールしたいのだな。

私には、これから先の展開が、予測できる。
きっとCDの売り上げは、急上昇し、音楽配信もトップを独走するであろう。
そして、半年以内に、ミリオンヒットを記録するに違いない。

NHKは、してやったり、だろうな。

「Mさん。今年も相変わらず、ひねくれていますね。たかが『トイレの花子さん(?)』ひとつで、そこまで捻じ曲がったことを言える人は、他にいませんよ」

フクシマさんに、年始早々、褒めていただいた。
それは、背中に悪寒が走るほど、嬉しいことばだった。

武蔵境駅から少し離れたサイゼリア
ピザ・マルゲリータと生ジョッキ。

そして、目の前には、新婚の麻生久美子似の事務員がいる。
左手の薬指に光る指輪が、誇らしげだ。
そして、その美しい口元が、キレイに動く。

「私も『トイレの神様』は、聴いたことがないのですけど、歌というのは、いい曲であれば、何かのきっかけでヒットするものだと思います。NHKが世論操作をしても、つまらない歌だったら、絶対にヒットしないと思いますよ。ヒットする要素を思っている曲は、きっかけを呼び寄せるんです。それが、流行というものではないでしょうか」

美人が言うと、説得力がある。

おバカが同じことを言っても、ことばが空気中の塵と同化してしまうから、私の耳まで届くことはない。

勉強になった。


大きく頷いた私は、「ちょっと、トイレに」。

私が席を立とうとしたら、フクシマさんが「花子さんに気をつけて」と、タレ目をさらに下げて、私を見上げ微笑んだ。

悪寒が走った。



神様。

この男を、便器に流してもいいでしょうか?




2011/01/07 AM 08:54:12 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

求人募集の紙
静岡の得意先に、昨日新年のご挨拶に行ってきた。

朝5時に起きて、家族の朝メシを作って、置いておく。
そして、自分の朝メシのお握りとダシ巻き玉子を作り、100円ショップで買った小さな弁当箱に詰める。
昼の弁当は、二段重ねの弁当箱に詰めて持っていく(少し豪華。これは帰りの車内で食う)。

6時20分頃家を出て、武蔵境駅を30分頃に出る中央線に乗り、東京駅へ。
東海道線に乗り換え、熱海乗り換えで静岡に向かう。
電車の中で、朝メシを食う。

明太子おにぎりと肉味噌おにぎり、そして玉子。
飲み物はマグボトルにいれたブラックコーヒー。

4時間の長旅で静岡に到着。
熱海からは、ずっと寝ていたので、体が軽い。

年始のご挨拶。
お年賀は、手ぬぐいというのが一般的だが、ひねくれ者の私は、4年前から使い捨てマスク20個セットというのを持っていく。
手ぬぐいよりも値が張るが、手ぬぐいの中に埋もれたくないという気持ちが強いので、ここはこだわる。

ただ、相手が気に入ってくれているかは、わからない。
「珍しいですね」と言われたこともない。
つまり、自己満足。


得意先での話題は、いきなり箱根駅伝だった。

このブログで何度か書いているが、私は箱根駅伝は見ない。
大新聞社が主催の奇麗ごとのショーは見たくない。
箱根駅伝は、ただの関東のローカルな大会なのだ。

スポーツを必要以上に美化して、頑張りと「涙」で表現する方法は、私にはむしろスポーツを冒涜しているように思える。
同じような理由で、大新聞社主催の高校野球にも全く興味がない。
汗と涙でしか表現できないスポーツジャーナリズムは、貧困の極みだ。

スポーツの本質を表現する方法を最初から放棄している。
だから、あれは報道ではなく、スポーツを愛せない人が作ったフィクションだと私は思っている。

私がそう言うと、得意先の担当者は、「無茶苦茶な理屈だな」とため息を漏らし、「じゃあ、俺も挨拶回りに行くんで」と言って、立ち上がった。

新年早々、ひねくれものの相手は嫌だよ、ということらしい。
それは、わからなくはない。


静岡には、ラーメン屋さんのスポンサーであるスガさんの事務所がある。
ついでに挨拶しようと連絡を取ったら、運悪くスガさんは、入れ違いで東京に向かったということだった。

タイミングが悪い。
そこで、静岡の街を、ブラブラと。

私は、昔から放浪癖のようなものがあって、自分の生活の場ではないところに長くいると、帰りたくなくなる癖がある。

大学時代の冬休み、スキー場のホテルでバイトをしたとき、バイトの契約は1月5日までだったが、オーナーに頼み込んで、1月半ばまで働かせてもらったことがあった。
後期の試験が始まるギリギリまで滞在して、初日の試験日は、バイト先から通ったことがあった。

大学の卒業旅行は、オーストラリアへの一人旅だったが、1週間の予定が、5倍の5週間まで延びた。

帰りたくなかったからだ。

今回も「帰りたくない病」が出た。

ここに住み込んで働くのも、悪くないな。
そんなことを思ってしまうのである。

それは、もちろん現実的なことではない。
こんなちっぽけな人間にも、背負っているものは、それなりにある。
今の生活を捨てることはできないことも、承知している。

私は馬鹿ではあるが、大馬鹿ではない。

だから、わかっているのですよ。


しかし・・・・・・

商店街の店のガラス戸に貼ってあった、求人募集の紙。

「急募!! 経験、年齢不問。
2階の2LDKで住み込み可能な方」


看板を見ると、「作業着、防寒着、軍手販売」と書いてある。
それほど、難しい仕事ではないかもしれない。
しかも、2LDKが提供されるというのだ。

立ち止まって考えた。
5階建てのビルの1階。
ビルの名と会社の名が同じだから、このビルは、自社所有なのだろう。

1階が店舗で、上の階は、賃貸マンション形式と思われる。
駅からそう遠く離れていない。
立地条件は悪くない。


いいな・・・・・いいな。


求人募集の貼り紙の前で、立ち止まるオレ。
目は、紙に釘付けだ。

5分くらい立ち止まっていたかもしれない。

散歩途中の小型犬が、私を電信柱と間違えて、絡み付いてきたのをきっかけに、私は少しだけ正気に戻った。

しかし、気になる。
だから、iPhoneで求人募集の紙をパチリ。

ついでに、「正月は5日から営業します」という貼り紙もパチリ。

その画像を何度も見返して、いま妄想を膨らませているオレだった・・・・・。




2011/01/05 AM 09:21:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

俺は食券を買う
アパートの庭の段ボール箱にいる「生き物らしきもの」は、夜だけそこを利用して、日中は、テリトリーを動き回っているらしい。

朝晩、皿に盛った「エサらしきもの」は、キレイになくなっている。
その「生き物らしきもの」が食うのか、風が飛ばしてしまうかは、見ていないので、私には判断できない。

今朝は、ご飯に餃子の具を混ぜたものを置いておいたのだが、メシ粒ひとつ残っていなかった。
庭にだけ、相当な強風が吹き荒れたものと思われる。

皆さんも、強風には、お気をつけください。


年末に、ラーメン屋のことで、ススキダ、ウチダ氏と揉めた。

昨年の11月25日にオープンしたラーメン屋さん。
それは、スポンサーのスガさん、ススキダ、ウチダ氏、店長代理、そして私が共同で経営する店だ。

大々的に告知していないわりには、お客の入りは、悪くない。
とは言っても、儲かっているわけではない。

シミュレーションした売り上げの範囲内に、かろうじて納まっている程度の売り上げである。

そのラーメン屋の年末年始の営業をどうしようかということで、12月半ばに彼らと揉めた。

私は、正月三が日くらいは休んだ方がいい、と言った。
ビジネス街にあるので、客は、あまり見込めない。
メリットはない、と主張した。

それに対して、ススキダたちは、二日から短縮時間で営業。
三日から、平常通り営業、と言って譲らなかった。

大晦日に関しては、9時で店じまい、と私は主張した。
しかし、ススキダたちは、11時までやる、と主張。

オープンしたばかりなのだから、できるだけ長く店を開けて、印象付けたほうがいい、というのがススキダたちの考え方だ。

繁華街にある店なら、私もその方針に異議はないが、ビジネス街で、それをやる必要があるのか、と私一人抵抗した。

「いいんだよ。商売は休まないことが、大きな戦略になるんだ」とウチダ氏が、言葉に力を込めた。
ススキダと店長代理も、腕組みして頷いていた。

客が来なくても、店を開けるだけでいいのか。

「そうだ。それでいいんだ」

俺には、無駄に思えるがね。

「無駄が、いつか無駄でなくなるんだよ。休む方が、無駄だ」とススキダ。
「本当は、元旦だって、店を開けたいくらいだ」とウチダ氏が、なおも力を入れる。

そうか。
商売ってのは、そんなものなのか。
俺は、商売には向かないようだな。


他に、持ち帰りメニューについても揉めた。

いま店で持ち帰りできるのは、餃子だけ。
しかし、餃子の持ち帰りは、どの店でもやっていることだ。
目新しさがない。

だから、生麺とスープの持ち帰りもできたほうがいいんじゃないか、と私は提案した。

しかし、ウチダ氏が言う。
「保存状態を考慮すると、それは難しい。餃子は箱に詰めるだけでいいが、麺とスープを持ち帰りにすると、コストがかかって、客から見ても、得な感じはしない。カップめんを食べた方がいい、と思われるのがオチだ。無理だな」

持ち帰りでは、そんなに儲からなくてもいいんじゃないか。
店の味を知ってもらうことが第一で、評判になったら、ネット通販でも買えるようにして、儲けはその段階で出せばいいんじゃないか。

その提案に対して、ススキダがバッサリと切る。
「スタッフが足りない。無理だな」

そうですか、無理ですか。


そこで、腹立ち紛れに、私は小さなことを提案した(器の小さい男の本領発揮)。

ラーメンの試食である。
ススキダやウチダ氏、他のスタッフは、「ラーメンの試食」と称して、店のラーメンを金を払わずに食っている。

それは、よくないだろう、と私は言ったのだ。
せめて半分くらいは払えよ、と。

私は、4回、店のラーメンを食ったが、4回とも食券を買って食った。
餃子も当然のことながら、食券を買って食った。

店の奥の3畳ほどの事務所の隅っこで、自前で買ったクリアアサヒを飲みながら、邪魔にならないように食った。
しかし、ススキダたちは、カウンターの端で、お客さんと同列で食っているのである。

その試食は、やめたほうがいい、と年長者である私は、穏やかに提案したのだ。
しかし、「客と同じ目線で食わないと、試食にならないだろ」とウチダ氏が、憤慨する。
「それに、俺はここから一銭も給料をもらっていない。だから、それくらいは許されるはずだ」と極道コピーライターのススキダが、目を剥いてスゴむ。

俺だって、もらってないぜ。
でも、俺はラーメンも餃子もクリアアサヒも、自腹だ。

私がそう言うと、ススキダが「クリアアサヒは、あんたの勝手だ」と言って鼻で笑った。
ウチダ氏と店長代理も「ハハハ」と笑った。

多数決になると、私に分が悪い。

結局、大晦日は、夜11時までの営業。
元日は休業。
二日は、午前11時から7時まで営業。
三日からは、通常営業ということに決まった。

スタッフのラーメンのタダ食いも今まで通り。
持ち帰りは、餃子だけ。

結局、私の提案は、一つも通らなかった。


へこんだ。


しかし、昨日2日の仕事始めの日の客の数が、たった3人。

スタッフが、タダ食いしたラーメンの数が、9食。

ススキダたちには、悪いと思ったが、笑ってしまった。


本当は、笑っている場合じゃないのだろうが・・・・・・・。




2011/01/03 AM 08:40:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

新年だニャー
あけましておめでとうございます。

日本列島を冬の嵐が吹き荒れているようですが、武蔵野は、平穏です。

そこで、平穏な大晦日の話。

アパートのすぐ近くに、公園がある。
幅100メートル奥行き15メートルほどの、そこそこ広い公園だ。
滑り台とブランコ、砂場がある。

そして、木のベンチが四つ。
その右端のベンチに、ノラ猫がやってくる。
2匹だ。

そのノラ猫に、私は勝手に、リョーマとセキトリという名をつけた。
たてがみのようなものがあって、雄々しい感じがするので「リョーマ」。
小太りで、頭の模様がチョンマゲみたいなのが「セキトリ」。

昨日は、セキトリだけがいた。
私がベンチに近づくと、首を5度ほど持ち上げて、「おまえかよ」というような目で私を見上げる。

寒くはないか、と聞いてみる。
猫は、寒いのが苦手なはずだ。
それは、ノラ猫といえども、変わらないだろう。

鼻息を小さく飛ばして、「当たり前だろ」というような顔で、目をつぶるノラ猫・セキトリ。
ふてぶてしい顔に「リョーマはどうした?」と聞いてみたが、セキトリは目を閉じたまま大きく呼吸をして、尻尾だけを振った。

面倒くさいらしい。

10分ほど、セキトリの背中を撫でたあとで、「じゃあ、またな。来年もよろしく」と言って、腰を上げた。
だが、今回は、セキトリの行動が、いつもとは違っていた。
いつもなら、顔を面倒くさそうに一度上げたあとで、すぐに眠りの体制に入るのだが、今回は、ふた呼吸おいて、体を起こしたのである。

そして、私の後を付いて来たのだ。

当たり前のように付いて来るセキトリ。
そして、彼は車道を渡って、アパートの階段まで、私に同伴なさったのである。

戸惑うオレ。

私を見上げるセキトリ。

そして、体に似合わぬ細い声で、ニャー。

どういうことだ。
困ったぞ。
アパートに動物を入れてはいけない。
それは、賃貸契約条項の中に、書いてある。

私は、それを承知で、このアパートに住まわせてもらっているのだ。
規則を破るわけにはいかない。
それは、人間として、恥ずべき行いである。

だから、私は心を引き裂かれる思いで、「セキトリ、またな」と言って、階段を上り始めた。
しかし、その私の背中に向かって、また「ニャー」。

振り返ると、セキトリのつぶらな瞳が私を見上げていた。
すがるような目だった。

その目を見ながら、私は思った。
我が家には、引越しの時に使ったでかいダンボールがある。
あれを組み立てよう。
そして、雨に濡れても大丈夫なように、レジャーシートで、それを包もう。

さらに、15センチ角の切込みを3辺に入れて、「猫らしきもの」が、それを頭で押して、中に自由に入れるようなペットドアを作ろう。
ダンボールの底には、使い古しのバスタオルを敷こう。
そのバスタオルは、敷く前に、セキトリを一度くるんで、匂いを付着させておこう。

それを庭の片隅に置くのだ。

それは、猫の家ではない。
ただ、使い古しのダンボールを庭に置いておくだけだ。

その中に、ノラ猫が住みついたとしても、それは不可抗力である。
何ものかが、住みついてしまったのだ。
私が飼っているわけではない。


庭に置き去りにした、レジャーシートで包んだ段ボール箱。


ノラ猫が、その中に入ってしまったかもしれないが、私は知らない。
その姿を見ていないからだ。

大晦日の夜。
皿に、ホッケのくずし身をのせて、ダンボールのそばに置いた。
それは、餌ではない。
キャットフードを買ってきたわけでは、ないのだ。

私は、ただ置いただけだ。

それは、カラスが食ってしまうかもしれないし、強風が飛ばしてしまうことも有り得る。
たとえ、そうなってしまっても、私にはどうすることもできない。

不可抗力だからだ。

元旦。
朝6時半過ぎ。

澄み渡った空気の彼方に、富士山が見える。
ため息が出るほど、美しい山だ。

皿の上のホッケは、キレイに無くなっていた。
昨日は、この庭にだけ、50メートルの強風が吹き荒れたので、飛ばされてしまったようである。

今度も強風が吹き荒れる予感がした私は、皿にカニかまをほぐしたものと、直径3センチのご飯を二つ置いておいた。

そして、段ボール箱に向かって、囁いた。

鳴き声は、たてるなよ。
静かにしていろよ。

中から、ニャーという声が聞こえたが、それは、私の空耳だったかもしれない。



私の2011年の正月は、そんな風にして、始まった。




2011/01/01 AM 09:17:59 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]



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