Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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なれない
以前にも書いたことがあるが、実の姉から毎晩「死んでもいいですか」と電話がかかってくる。

それが、もう三ヶ月近く続いている。
三ヶ月も続けば、その状態に慣れるかな、と思ったが、残念ながら慣れないようだ。

そこで、慣れない、という「こじつけ話」を。


陶芸を始めたことを以前書いた(コチラ)。

淋しい老後を過ごさないために、趣味として始めたのである。
しかし、ここで私は、自分の不器用さを改めて思い知らされることになる。

まともな作品ができない。

まわりのセレブ(?)の奥様方は、それなりに「作品」と言われるようなものを作っているが、私は三ヶ月経っても、「幼児の悪戯」のようなものしかできないのである。

私が陶芸教室で唯一親しくなったコヤナギさんが、私の手元を見て言う。
「左手が安定していないから、形が決まらないんですよ」

すみません。不器用なもので。

「いや、Mさんは、不器用と言うより、心のどこかで、『面倒くさい』と思う心があって、それが手の動作に表れるんですよ。つまり、真剣ではないということ」

ドキッ!

面倒くさい、と思う心。
確かに、少しあったかもしれない。

さらに、冗談交じりの口調で、コヤナギさんが言う。
「もしかしたら、パソコンをチャチャッと打って、自分は手を汚さないで陶器ができたら楽だな、なんて思っているんじゃないですか」

・・・・・・・・思ってた。
轆轤をコンピュータ制御して、ロボットに陶器を作らせたら、どんなに楽だろうか、と。

しかし、コヤナギさんに、鋭い鉈で断ち切るように言われた。
「でも、そんなの陶芸とは言いませんから!」

そうですよね。
それを陶芸と言ったら、陶芸を仕事にしている方に怒られますよね。
陶芸を趣味にしている方にも、怒られますよね。

私たちは、魂を込めて、少しでもいいものを、と思って作っているんだ。
馬鹿にするな!

申し訳ありません。
不器用さが招いた、自分勝手な妄想でございます。

平にお許しを。

面倒くさがらずに、とにかく慣れることに専念しよう。
それ以外に、私が上達する方法は、おそらく、ないだろうから。

ただいま、心を入れかえ、週に一度、奮闘中でございます。


ほかにも、いまハングル語を、独学中。

しかし、ハングルの記号のような文字の羅列に、最初はまったく慣れなかった。
勉強中に、それがとても合理的な配列だということがわかっては来たが、それでも、心のどこかで拒絶するものがあった。

何故かというと・・・・・。

最近、K−POPアーティストに、全身どっぷりと浸かった娘は、先週の土曜日も新宿ロフトに、大國男児(テグンナマ)という若手ボーカル・グループの、ライブ兼ハグ会に、お友だちと行ってきた。

今回は、お友だちの数が増えた。
今までは、居候中の中学3年の友だちと、22歳と23歳の女性だったが、それに和歌山の28歳の女性、48歳の看護師が、娘の追っかけお友だちリストに追加された。

にぎやかなことである。

さらに、今回のイベントで、娘をさらに有頂天にさせることがあった。
毎週、テレビ局の収録を見に行っている娘は、毎回のように煌びやかなデザインを施したメッセージボードを持って、スタジオに向けてそれを振るものだから、メンバーに顔を憶えられてしまったようなのだ。

ライブでは、最前列の娘を指さして「missing you」と歌われ、ハグされたときは、「ああ、イチュモ(いつも)、来てくれて、ドモアリガトウ」と、片言で言われた娘は、舞い上ってしまって「オレ、将来ゼッタイに韓国人と結婚する」と、心に誓ってしまったのである。

好き、というパワーほど、人間を前向きにするものはない。

今年の春から、ハングル語を勉強し始めた娘は、いま、そこそこ読み書きができるようになった。
会話は、まだ初歩的なレベルだが、今回のことで、さらにターボ加速して、ハングルに入れ込むに違いない。

しかし・・・・・、キミ、高校受験は、どうすんの?

「都立高校の推薦は、9割以上の確率で、取ったも同然。それは、おまえも知ってるだろう」

まあ・・・・・・・、そうなんだけど。

「それにな・・・・・、韓国人は、親を、ものすご〜く大事にするんだぞ。日本人の男は、嫁さんの父親なんか、鬱陶しく思うだけで、相手になんかしてくれんよ。大事にされたいだろ? 一応は、おまえも、親なんだから」

いちおう、親ですけど。

「よし、決まった!」

という風に、決まってしまったので、私も今ハングル語を勉強しているところである。

ハングル語を話せなければ、娘の旦那とコミュニケーションが取れない。
コミュニケーションが取れなければ、大事にしてもらえない。

だから、ハングル語、頑張る。

天才、といわれた私をナメンナヨ!

日本国民を敵に回す覚悟で言うが、私は中学3年間、英語の成績がすべて百点だった。
大学で選んだ第2外国語のフランス語も、2年間AAだった。
語学の天才なのだよ、私は。

という風に、ハングル語など簡単だよ、あっという間に覚えてやるよ、と娘の前で大見得を切っては見たが、語学を司る脳細胞が死滅寸前のアル中親父には、ハードルが少々高かった。
ナマケモノの散歩程度の速度で、目に見えぬ進歩を遂げているが、それを果たして進歩といっていいものかどうか。

しかし、そんな私に、娘は容赦がない。


「明日までに、ハングル語で、自己紹介文を書け! それができなかったら、ココイチ(CoCo壱番屋)の10辛カレーを食わせる!」


こいつ、親に似ず、意外とスパルタだ。






チョヌン サトル イムニダ・・・・・。




2010/11/29 AM 06:44:44 | Comment(1) | TrackBack(0) | [日記]

こだわりとお尻ペンペン
カレーライスを食うとき、福神漬けが必要な人とラッキョウが必要な人がいる。
人によっては、紅ショウガがなけりゃね、という人もいる。
「俺は、必ずソースかけちゃうよ」という人もいるようだ。

「そこは、こだわるよ」と力説する。

しょう油ラーメンは、コショウ。
味噌ラーメンは、唐辛子。
蕎麦は薬味にネギがないと駄目、ソーメンはおろし生姜か大葉だよね、と決めつける人もいる。

目玉焼きは?
「ソースでしょ」
「いや、しょう油」
「俺は、塩コショウ」

では、コロッケは?
「ソースに決まってるよ」
そして、ここでも「しょう油だろ」という人がいる。


それが、俺のこだわりだからさ。


カレーライスや蕎麦、ラーメンに味をつけたがるのは、同じ味だと飽きてしまうからだろう。
あるいは、ただ、何となく習慣でそうしてる人も多いと思われる。

みんながしているから、自分もそうする、という迎合型も。
確率としては、それが一番多いかもしれない。

私はと言えば・・・・・、
何もかけない。

カレーライスは、そのままの味で、食いきる。
ラーメンも蕎麦も、そう。
目玉焼きに、ソースをかけたり、しょう油をかける意味がわからないし、コロッケにソースは必要なのか、と思う。
ほとんど食う機会はないが、寿司も、私は、しょう油をつけずに食う。

なぜなら、料理人は、自分が調理したそのままの味で、自分の作品を味わって欲しいと思っているはずだと、私が思っているからだ。

味をつけて食うというのは、その料理人の作品を穢すことにならないか、とも思うのである。
ただ、カレーショップにいけば、当たり前のように福神漬けが置いてあり、ラーメン屋には、コショウや唐辛子、にんにくが置いてある。
(それは、ソースをかけても、しょう油、塩をかけても、俺の作品は美味いんだよ、という自信の表れととることもできるが)

だがしかし・・・・・、と私は思う。
私の子どものころ、遊び疲れて小腹が空いたとき、商店街の肉屋のコロッケを一個買って、空腹をしのいだ。
そのとき、私たちは決して、コロッケにソースをかけなかった。
そのまま、ハフハフ言いながら、熱いコロッケを「うんめえ!」と言って、頬張ったはずである。

そのままでも、コロッケは、充分に美味しかったではないか。

たとえば、カレーには、色々なスパイスが入っている。
ときに、料理人が30種類以上のスパイスを調合して、深い味わいを出したカレーもある。

私は、その味を堪能するだけで充分だから、福神漬けはいらない。
しょう油ラーメンに、コショウをかけたら、しょう油コショウラーメンではないか。
それを容認するラーメン屋店主の心の広さに、私は驚嘆する。

私だったら、「俺は、しょう油ラーメンを作ったのだ。しょう油コショウラーメンを作ったつもりはない」と、怒るところだ。

蕎麦は、蕎麦と汁の味がするだけでいい。
それだけで、立派なコラボだ。
第三者が強引に入ってくる必要はない。

それが、私のこだわりといえば、こだわりか。


以下の話は、その話に繋がるようで、繋がらないお話。
こだわり、という点だけが共通のキーワードだ。

最近、懇意にしていただいている稲城市の同業者(名前は出すなと言われている)から、「Mさん、お願い!」と電話がかかってきた。

「俺、今週、独立して初めてのハードスケジュールなんで、どうしても、打ち合わせに行けない会社があるんです」

そして、「俺のパートナーという触れ込みで、俺の代わりに打ち合わせに行ってくれませんか?」と言われた。

パートナーじゃなくても、部下でも下僕でも、俺は構わないよ、と私が言うと、「では、僕(しもべ)にしましょうか」と笑われた。


ということで、即席の名刺を作って、同業者の取引先の建設会社に、昨日行ってきた。
(名刺には同業者の事務所の名の下に、肩書きなしで私の名を乗せたが、裏に英文で『Satoru Shimobe(しもべ)』と打った。そのシャレを相手が気づいてくれたかは、わからない。・・・・・気づくわけはないか)

社員20人の小規模な建設会社。
建設の方は儲かっていないが、不動産と管理部門は、「そこそこだな」と、初対面の社長に言われた。

見た目は、建設会社の社長には見えない。
平安時代のお公家さんのような風貌だ。

しかし、口を開くと、いかにも中小企業のオーナーという傲慢な口調だから、見た目とのギャップが大きく感じられる。

「俺、45歳。あんたの方が年上だと思うけど、あんたは客じゃないから、敬語は使わないよ。悪いけどな」

まあ、私は、しもべだから別にいいんですけどね。

打ち合わせは、40分程度で終わった。
しかし、独特の性格を持つ中小企業のオーナーの話は、ここからが長い。
それは、私も覚悟していた。

中小企業の親父は、自慢話と貧乏話が大好物だ。

創業当時の話から自慢話が始まる。
さらに最近の政局までを独特の理論で、演説する。
それも、2時間近い時間をかけて。

その思考方法は、絶えず「オレ」が前面に出ていて、客観性の入り込む余地がない。
お公家さんは、偉いですからね。

その中で、私の心に波風を立てた社長のお言葉。

社長は、大学を出て、不動産会社に就職し、働きながら宅建の資格を取った。
バブル全盛時代だった。

しかし、すぐにバブルは弾け、営業がどんなに力を尽くしても、会社の業績はしぼみ続け、会社にしがみつくことに意味を見出すことができなくなった社長は、独立を考え、すぐに実行した。

格好いいですな。

一級建築士の奥さんと二人で創めた会社は、5、6年の下積み期間を経て、少しずつ大きくなった。
社員の数も、少しずつ増えていった。

そして、「10年前に、中途採用だったが、国立大学出の事務を雇ったんだよ」と社長が、片眉を吊り上げて言う。
「でもな、その国立大学出の若造は、入った途端、俺に偉そうに説教をかましやがるから、現場に飛ばしてやったんだ。すると、そいつは、1ヶ月で辞めちまったんだな」

公家顔を紅潮させ、私を得意気に見た社長は、自分を納得させるように、何度もうなずいていた。

「それ以来、俺の会社は、中卒と高卒しか、採らねえんだよ。建築士の資格は、俺の女房が持ってるから、他には必要ないしな。それに、大卒は、偉そうだろ? 余計な色がついてるからさ、扱いにくくてな」と得意気である。
そして、「本当は、全部中卒にしたいくらいだよ。あいつらには、色がついていないからな。俺が好きなように、色をつけられるだろ。俺は、俺の言うことを聞かない人間は、要らないんだよ」と、社長は、私の反応を確かめるように、私を睨みつけて言った(いま風に言うとドヤ顔?)。

その睨み顔には、意味があるのか?
おまえも、俺の言うことを聞かないと、容赦しないぞ、という意味か。
この人は、そうやって、はったりをかましながら、不況の荒波を乗り越えてきたのだろうと思うと、一つの歴史を見た思いもする。

社長は喋り疲れた(2時間の独演会)のか、ソファに身を深く沈めて、天井を仰ぎ見た。
そして、上を向いたまま、息を小さく吐き、薄ら笑いを浮かべた。

その後、沈黙。
その沈黙は、おそらく2分程度続いたと思うが、私の感覚では、もっと長く感じられた。

私にとっては、気詰まりな時間だった。

この話は、いつ終わるんだ、と私は、心の中で、呪いの言葉を吐き続けていた。

長い沈黙のあと、社長が、ソファから身を乗り出して、「俺はさあ」と言って、私をもう一度、睨んだ。

そして、くどいほどの念押し。

「俺は、俺の言うことを聞かないやつは、要らないんだよ。そんなやつは、俺にとって、何の価値もないやつだ」
そう言ったあとで、私の目を覗き込むようにして、さらに社長が言葉を繋げる。

「まあ・・・・・、それが、俺のこだわりかな」
私を覗き込んだ目が、人を試すような意地の悪い光を放っていた。

なんか、挑戦的だな・・・・・・。
(こだわるのは、自由だが)


これが、自分の仕事だったら、私はケツをまくって、お尻ペンペンをしただろうが、残念ながら、これは私の仕事ではない。

だから、にこやかに、「そうですよね。おっしゃるとおりです」と言葉を返した。


私も随分と、大人になったものだ。




2010/11/27 AM 06:41:46 | Comment(9) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

憧れのカキ様
牡蠣が大好物。
食うことに関して、ほとんど執着のない私ではあるが、間違いなく、数ある食材の中で、私が一番好きな食い物が牡蠣である。

ただし、年に一度、食うか食わないか、だが。

ヨメは、20年近く前、友だちと加熱用の牡蠣を生で食って当たり、悲惨な目に遭った。
それ以来、ヨメは、牡蠣を食うと熱が出る体質になった。
だから、私は普段は、ヨメに気を使って、牡蠣を買わないようにしていた。

カキフライ、食いてえなあ。
牡蠣鍋も食いてえ。
牡蠣グラタンだって、うまいし。

と考えることはあっても、それはすべて妄想の世界だけに、とどめておいた。
ヨメは牡蠣が好きなのに、体質的に、食うことができない。
そのヨメの前で牡蠣を食うことは、拷問に匹敵する行為、あるいは嫌がらせではないか、と私は思ってしまうのである。

だから、食卓には出さない。

ただ、先日のことだが、ヨメの知り合いから牡蠣をおすそ分けしていただいた幸運もあり、若干の遠慮を感じつつも、心浮き上がる思いで、パスタを作った。
バター醤油と塩コショウ、にんにくだけの味付けの「牡蠣とシメジのパスタ」。

このパスタは、間違いなく美味いはずだ、と私は確信した。
牡蠣のエキスをバター醤油が引き立てて、その旨みが口いっぱいに広がることを想像し、私は作りながら、大量のヨダレを口内に流していた。

早く、食いてえ!

しかし、世の中には、間の悪いことが、いくつもある。

いま我が家に居候中の中学3年の娘の友だちが、牡蠣が大好物であったというのは、私にとって、最大の誤算だった。

「ああー! 牡蠣ィ! 私、大好きなんですよォ!」

そして、私の娘も牡蠣が好きだったことを私は、忘れていた。
娘は、嗜好が、私と似ていたのだった。

ああ・・・・・、そう?
牡蠣が好きなんだ。
ああ、それは、良かった・・・・・・・・。


沢山あるから、食べてね。


その結果、牡蠣はすべて、娘の友だちと娘の胃袋に入ることになり、結局、私が食ったのは、「シメジのパスタ」ということになった。


ああ、美味かった・・・・・。


そんなことがあると、余計に牡蠣が食いたくなるというのは、人間にとって、生理学的にも必然性のある欲求だと思う。

オレ、牡蠣が、食いたいッス!
無性に、いま食いたいッス!

牡蠣は、私にとっては高価な食材だが、巷には、それなりにあふれているようだ。
「特売」というシールを貼られて、リーズナブルな値段で売られていることもある。

少し頑張れば、買えるとは、思う。

だが、ヨメの前で、食卓に出すのは、気が引ける。
それに、だからと言って、外食でカキフライ定食を食うなどということは、私はしたくない。
ヨメに隠れて食っている感がして、美味さを堪能できないと思うからだ。

面倒くせえな、俺の性格!

じゃあ、どうしたらいいんだ! オレ?

マウスまでもが、牡蠣に見えてきた重症の私。

しかし、そんなとき、救世主が現れた。

一流デザイナーのニシダ君から電話があったのだ。

「先生、お得意さんと新宿で仕事の打ち合わせがあったんですが、予定より早く終わったので、吉祥寺でお昼を一緒に食べませんか」

まさか、ニシダ君の奢りで?

「はい、奢りです」

ほ、ホントに、お、奢りで?

「奢らせていただきます」

キャ、キャキが食えるぅ!

奢りということであれば、ヨメに対して、後ろめたさを感じることはない。
私が要求したのではない。
相手が、勝手に牡蠣を私に食わせたのだ。

そのシチュエーションを構築すれば、私は大手を振って、牡蠣を食うことができるではないか!

何のやましさを感じることもなく、私は、大好物を食することができる。

ヨダレが・・・・・・。

吉祥寺で、救世主・ニシダ君と運命の出会いをし、「牡蠣」の文字を求めて、街をうろついた。
お洒落な若者の街に、「牡蠣」の名を見つけるのは、160キロの球を打つくらい難しいことだったが、私は、とうとう韓国料理の店の前で、運命の出会いをした。

「冬限定ランチ、牡蠣スンドゥブ」

ついに、出会った。

牡蠣に、出会ったぁ〜。

私はニシダ君の袖を強く引いて、「ここ! ここがいい!」と、おねだりをした。

「ああ、僕もスンドゥブ、好きですよ。体が温まりますからね」

カウンター席だけの韓国料理の店。
みんなが、スンドゥブを食っている。

寒い季節は、スンドゥブですよ。
体が、それを求めるんです。

ああ! 早く食いてえ!

はやる気持ちを隠すことなく、私は店員に、「牡蠣スンドゥブ、二つ!」と、誇らしげに注文した。

しかし・・・・・・・・・、

「すみません、お客さん。ランチは2時までなんですよ」

あん?

いま、何時でしょう・・・・・・・か?

「2時4分ですが・・・・・」
たった、4分過ぎただけではないですか。
お願いです。
時計を4分、巻き戻してください。

しかし、店員は、無情にも「それは、できません」と言う。


(君は、客商売の何たるかをご存じないようですね。
もし、君がここで、私の願いを聞いて、牡蠣スンドゥブを出してくれたら、私はこの店を世界中に「素晴らしい店」と紹介するでしょう。
たった4分を大目に見ただけで、君の店は、明日から、行列ができる店になるんですよ。
そのチャンスを、逃すんですか?)

もちろん、そんなこと、言えるわけがない。


じゃあ、ランチでなくてもいい。
「普通の」牡蠣スンドゥブでもいい。
少々、高くてもいい。
どうせ、奢りなんだから。

しかし、そんな浅ましい人間に対して返ってきた答えは、非情なものだった。

「すみません。牡蠣はランチだけなんです」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


嫌がらせ・・・・・か?
それとも、運命のいたずらか?


いったい、私は、いつになったら、牡蠣が食えるのだろうか。




2010/11/25 AM 06:30:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

たかり体質
私のことを「たかり体質」だと言う方々がいる。

それは、当たっている。

昨日、天才WEBデザイナーのタカダ君(通称ダルマ)から電話がかかってきた。

「師匠、もうすぐ出産予定日なんです! オレ、仕事が手につきません! トモちゃんのそばにずっといたいんで、代わりに俺の仕事、やってくれませんか」

ダルマは、7年前、私がMac出張講習で教えた生徒である。
ほとんどパソコンに触ったことがなかったダルマは、誕生日に両親にプレゼントされたMac/iBookを部屋のインテリアだけにしておくのはもったいないと思って、私に講習を依頼してきた。

最初は、当たり前のことだが、ド素人丸出しで、キータッチなど、生まれたての赤ん坊同然だった。
物覚えは良かったが、要領が悪く、応用が利かなかったから、これはものにならない、と私は判断した。

だが、一つだけでも、強い興味を持つと、人間は、飛躍的に伸びるものだ。

普通、Mac出張講習は、1日か2日で終わることが多いが、ダルマの場合、週に2日の講習を2ヶ月間続け、その中で特にホームページ作成にダルマが興味を示したので、私は重点的にその部分を教えた。

もともと眠っていた素養が目を覚ましたのか、2ヵ月後には、ダルマは独創的なダミーのホームページを作るに至り、私は彼の能力の高さに舌を巻いた。

そして、わずか一年半後にダルマは独立してホームページ専門のデザイナーになった。
いままで手がけたホームページは300件近くになる。

彼は、天才なのである。
ただ、この天才は機械音痴だが。

この35歳の天才は、人のいいやつで、雛が最初に見たものを親と認識するように、私のことを大事にし、それ以来「師匠」と言って立ててくれている。
いまは、圧倒的に、彼の方が儲かっているし、デザインセンスも上ではあるが。

彼が奥さんのトモちゃんと結婚するきっかけを作ったのが、私だということも、彼にとって「恩義」の一つに勘定して、私を特別な人間と看做しているのかもしれない。
仲人だし。

そのダルマの愛妻・トモちゃんが妊娠して、まもなく出産という、ダルマにとって夢のような機会が訪れようとしている。

仕事どころではない、というのは、2人の子どもの父親である私には、痛いほど理解できる。

私は、自分の子どもの出産に2度立会い、友だちから「気持ち悪い!」のブーイングを四方八方から浴びせかけられた男である。
ダルマが、仕事が手につかなくなる気持ちは、おそらく全世界65億人の人類の中で、一番よく知っているといっても過言ではない。

だから、私は言った。

わかった。
俺は何をすればいいんだ。

ダルマは、酸欠の豚のような勢いで、荒い息を受話器に吹きかけて、言った。
「まずはホームページが一つ。半分近く進んでいるんですが、後をお任せします。師匠のセンスでまとめてください」
「あと、お得意様のホームページの更新が5つ。ほとんどが、午前中に、毎日更新です」
「あと、JavaScriptがうまく動かないというクレームが来たので、それを動くように工夫してください」
「それと、毎日のサーバ管理を任されている会社が二つ」
「ぜ〜んぶ、お願いします!」

けっこう、ハードなお仕事だ。

いつも通り、ダルマのサーバから、データをダウンロードして、とりあえずHPの更新を、指示通りにしてみた。

一つ更新したあとで、ダルマから電話がかかってきた。
「師匠、その調子です。任せましたから」

調子に乗って、問題のJavaScriptの部分をエディタで開き、文字の抜け、あるいは余計な文字が挿入されていないか、文字サイズを大きくして、調べてみた。

5分で、見つけた。

「”」が重複している箇所が、2箇所もあった。

みーっけ、と言って、修正しサーバにアップしたら、正常に動いた。
それをダルマに報告したら「アチャチャチャチャ〜!」と言われた。

初歩の初歩だよ、タカダ君、と偉そうに師匠風を吹かせた。

「でも、師匠。そこ、相手が勝手にいじったんで、俺のせいじゃないですから」
子どもじみた言い訳をしやがって。

夕方、ダルマが作った新規のHPの前半を確認していたとき、FLASHで作られた箇所を見つけた。
それも、FLASH MXで作られている。
私は、ほとんど化石になりそうなFLASH 5で、いつも作業している。

だから、もしそれを修正するということになったら、お手上げではないか。

そこでまた、ダルマに電話をした。

俺は、FLASH 5だ。
MXは、持ってないぞ。
まずいだろ、これ!

すると、ダルマが、「じゃあ、俺のMacBookを使ってください。MXが入っていますから、今回の作業は、それでしてみてくれませんか」と言ってくれた。

しかし、ここからが、たかり体質の真骨頂発揮。

その場合、何かあるたびに、MacBookを借りなきゃいけないだろ。
面倒くさくないか?
それよりも、FLASH MXを買って、俺のパソコンにインストールした方が、手間がかからないだろ。
タカダ君が買ってくれたら、能率よく仕事をこなすことができるんだけどねぇ・・・・・。

どうかな?

そんな私の浅ましい誘導に、ダルマは、ほとんど躊躇することなく、明るい声でこう言った。

「師匠、わかりました! いまから買ってきて、師匠の家にお届けします。だから、仕事、任せましたから!」


フフフフフ、思い通り・・・・・だな。



このたかり体質だけは、どうしようもない。



2010/11/23 AM 08:29:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

友だちは鏡
ひとは、おのれの内面でものを見る。

さいたま市の団地に住んでいたとき、義母が突然転がり込んできて、小さな団地世界に、私の良からぬ噂をまき散らした。

いわく、婿さんはプー太郎で、一日パソコンで遊んでいる。
怠け者で、何の役にも立たない男だ。

義母の心の内面のフィルターを通すと、私はそんな人間に見えたのだろう。

ひとは、おのれの経験を通した内面でものを見る。
冷静で客観的な見方をしたとしても、必ず一度は自分の内面のフィルターを通して、ものを見る。

義母が冷静だったかどうかはわからないが、義母の目から見た私は、上記のような情けない男だったのだろう。
そのフィルターは、私から見れば、相当歪んだものだったが、義母にとっては、それが当たり前だったのだ。

いまなら、それがわかる。

私も、自分の内面のフィルターを通してしか、物事が見えないという点では、同じだからだ。

そして、仕事ができる人間でも、そんな落し穴に陥ることが、間違いなくある。


大学時代の友人、オオクボは、コンサルタント会社を経営していた。
年商1億のコンサルタント会社だ。

社員は4人だが、その中に、片腕と思っていた男がいて、オオクボは彼を信頼していた。
しかし、その片腕が、突然辞めたいと言い出し、オオクボは慌てた。

そのことに関しては、コチラのブログに書いたことがある 。

オオクボが、社長の目線からではなく、友だちとして接した誠意を感じ取って、片腕は会社を辞めることなく、それまで以上にオオクボの仕事を熱心にサポートすることになった。

しかし、今回、意見が対立した、と言って、オオクボからSOSの電話がかかってきた。

新宿のホテルのバー。
ジーパンではまずいだろうと思って、ジャケットを着て行ったが、ジーパンをはいた白人が数人いて、脱力した。

I・W・ハーパーのストレートを頼んだ。
オオクボは、クアーズライトだ。

「老けたな」とオオクボが言うので、それは、お互い様だろう、と答えたら、オオクボがムキになって、「いや、俺は若々しいって、部下から言われてるぞ」、と力説した。

どうでもいい。

片腕兼友だちと対立した理由を聞いた。

オオクボがコンサルタント会社を立ち上げたときからの得意先が、事業を拡大したいと言って、相談に来た。
オオクボにとって、特別な会社だ。

世は、不景気風が吹き荒れているが、その会社は、3つのレストランと2つの自然食品の店を展開して、大きく崩れることなく荒波をうまくコントロールしていた。

企業形態としては、健全だと言っていい。

この健全な状態は、しばらく維持すべきであって、いまは冒険をすべきときではない、というのがオオクボの考え方である。
しかし、片腕は、攻めるべきだ、と言う。

クライアントが、事業を拡大したいと言っている。
その意気込みは、優先的に尊重すべきもので、会社が健全な状態のいま、その発想は無謀とは言えない、攻めて損はない、と片腕は主張しているのである。

しかし、とオオクボは思う。

6年前にオオクボが、コンサルティングを引き受けたとき、その会社の業績は、いまの半分程度だった。
それをクライアントと一緒に、まるで自分が成長するような実感を持ちながら、特別なものとして、オオクボはその会社とともに生きてきた。

だから、無謀だと言うのだ。
親が、子どもの船出を危ぶむような気持ちで、そう思っている。

だが、と私が言う。
その会社が業績を拡大することに、どれほどのリスクがあるんだ?

「リスクは少ない。ただ、時期がまだ早い」
オオクボが、首を軽く横に振った。
長いもみあげの半分近くが、白髪である。
半年前より、確実にそれは増えていた。

苦悩のない人間などいない。

オオクボの抱える苦悩は、ある程度はわかる。
大事なものが壊れていく様子を見たくない気持ちもわかる。

しかし、私は言うのである。

おまえは、自分の内面からしか、物事を見ていない、と。

おまえが見ているのは、過去といまの会社の業態だけだ。
未来を見ていない。

未来を見て、会社を導くのが、おまえの仕事なんじゃないのか。

オオクボが眉間の皺を深くして、私を見た。
そして、言う。
「攻めるべきときと、待つとき、それを見極めるのが俺の仕事だ。俺は待つことを選んだ。それは、長年の俺の経験から導き出した答えだ。冒険をして当たれば、格好がいいが、コンサルタントは、格好をつける必要がないんだ。結果がすべてだ」

そうか、おまえには、結果がすべて見えているのか。
そんな能力があったら、楽だな。

だが、俺は、結果の見えない未来の方が多いと思っている。
おまえは、過去と現在だけの、おまえの内面を見て、未来を予測した気になっているが、では、客観的に見て、「いまの業績」は、どうなんだ?

「一昨年は、前年度比9パーセントアップ。昨年は前年度比14パーセントアップ。今年のアップ率も10パーセントを超えるかもしれない」
オオクボが、澱みなく答える。

そのアップ率は、大きいとはいえないが、現在の経済状況を考えると、健闘しているといっていい数字だ。
現状維持ではない。
業績は、それなりに上っているのである。

負債の額も多くないと言う。
つまりは、優良会社だ。
素人の私は、冒険の余地はある、と考える。

しかし、オオクボは頑なに「俺は、もうしばらくこの健全な状態を続けたいんだよ」とクアーズライトを飲み干して、言う。

では聞くが、もしその会社が、おまえの馴染みの会社ではなく、新規の会社だったら、どうする?
しばらく待て、と言うのか。
コンサルティングの腕をふるうことなく、ただ待って、冒険はやめろ、とアドバイスするのか。

業績のそこそこいい会社が、大きなステップを踏み出そうとしているとき、おまえは、目の前のビジネスチャンスをみすみす逃そうとするのか。
それは、コンサルタントを職業とする人間にとって、本意なのか。

もう一度言った。

おまえは、自分の内面だけとしか、向き合っていないんじゃないか。

偉そうなことを言ったが、私だって、おのれの内面しか見ていない。
他人のことだから、勝手なことが言える。

そんなことは、オオクボだって、百も承知のはず。

「要するに、俺とおまえの内面は、スカスカなんだよな。スカスカだから、人に頼るしかない」
2杯目のクアーズライトと3杯目のI・W・ハーパーで乾杯しながら、オオクボが、自嘲の笑みを浮かべる。

「なあ、友だちってのは、鏡だよな。おまえを見ていると、俺がよくわかる。結局は、人間ってのは、自分に見合った友だちしかできないんだ」

俺が、友だちで不満なのか。

「不満と言えば、不満だ。スカスカの友だちだからな」
やはり、自嘲気味の笑い。

「だが、自分がよく見えるから、役には立つ」

役に立ったのか。

「ああ、哀しいほど・・・・・役に立った」


いったい、どう役に立ったのだろうか?

聞くのが面倒くさいので、私はただ笑って、I・W・ハーパーのお代わりを頼んだ。




2010/11/21 AM 08:15:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

魔がさしたんです
恥ずかしくて内緒にしていた話。

昨年の今ごろのことだった。
池袋の自称イベント会社から電話がかかってきた。
その会社が入っているビルには、昔お得意さんが入っていたので、そのイベント会社の名は知っていた。

だから、電話がかかってきたとき、あー、あの会社ね、と半分信用した気になった。

それが、いけなかった。
先入観は、ときに邪魔になる。
判断を狂わせる。


私の大学時代の友人・カツラは、5、6年前、出張で博多に行ったとき、ホテルのバーで、モデル体型のエキゾチックな美人と知り合いになった。
そして、話してみると、美女は話題が豊富で、頭の回転も早く、どんなことでも表情豊かに話したから、カツラと女は意気投合した。

下心があったというわけではないが、何となく別れ難くなって、店を変え、酒を飲んだ。
女は、話の引き出しが多くて、どんな分野の話題も面白おかしく表現した。
楽しい時間を過ごした二人は、「もう一軒」という気になった。

カツラと美女が次に入った店は、屋台を模した店で、繁盛していたという。
午前1時ごろだったが、先客が数人いた。
そして、その中の先客の一人が、美女のことを知っていて、声をかけてきたのである。

「シンイチくん、今日も綺麗だね」

カツラは酔っていたが、その言葉は聞き逃さなかった。

シンイチくん?

それは、男の名前ではないか。

「シンイチくん、間違ってまた男のトイレに入っちゃダメだよ」

つまり、美女はニューハーフだったのである。

カツラは、良からぬことを考えていたわけではない、と言い訳をしたが、それを聞いて、酔いがいっぺんに醒めたという。

だから、見かけにだまされるな。
先入観は怖いのだ(少し意味が違うかな?)。


私も先入観を持っていた。
昔から、その会社の存在を知っていた。
さらに、会社は、池袋の少し洒落たビルの中にあった。
おそらく、悪い会社ではないのではないか、と私の緩みきった脳がそう判断した。

「16ページのお取り寄せカタログを作りたいのですが」
電話をかけてきた担当者は、低音のおっとりした口調で、話しかけてきた。
その話し方も、信頼感があるように聞こえた。

私の方に、仕事が切実に欲しい事情があったから、「信頼できる」、そう思い込もうとしたのかもしれない。

昨年の10月、息子の後期の授業料を支払い、義母の入院費を払ったあと、我が家は金欠病に陥った。
赤裸々に言わせていただくと、昨年3月、団地のボヤ騒ぎで、ウィークリーマンション暮らしを余儀なくされたとき、6人の知人から金を借りて、急場をしのいだことがある。
4人には返済したが、昨年の10月時点で、あとの2人への返済が遅れていた。

それが、私を焦らせたと言っていい。

池袋の会社に行くと、社長自ら出てきて、仕事の説明をしてくれた。
社員たちのデスクを8つのパーテーションで区切って、社長は、フロアの衝立で仕切られたコーナーに、大きなデスクと応接セットを置いて、仕事をしていた。

40代前半。
薄いサングラスの中の目は、柔和で落ち着きを感じさせた。
仕事の説明も無駄がなく、能率よく仕事をする人のように思えた。

その場で見積もりを出したが、お決まりのように「もう少し下げて」と言われた。
私は、面倒くさい駆け引きが嫌いなので、ほとんどの場合、最低限の単価で見積もりを出す。
それが受け入れられないなら、その仕事は無かったものと割り切るようにしていた。

繰り返すが、そのときの私は、切実に仕事を求めていた。
だから、その場で印刷屋さんに電話をかけ、外注費をを1割下げてもらうよう交渉し、さらに自分の儲けが少しでも出るようにいくつかの工程を簡素化したあとで、2割引いた値段を相手に提示した。

そして、初めてのお付き合いなので、一部を前金でいただきたいとお願いした。
それに対して、社長は、笑顔でうなずき、翌日に前金の10万円を振り込んでくれた。

この社長は、信頼できる。
私は、そう思った。
目が眩んだ状態だったと言っていい。

1ヶ月近くかけて仕事を終え、納品した。

社長は、「無事終えて、ほっとしました」と言って、喜んでくれた。

11月末の約束の支払日。
請負代金が、振り込まれていなかった。
電話をすると、社長は、明るい声で、「ああ、Mさん。年賀状のデザインと印刷はお願いできますか」と言った。

まずは、支払いが先なので、それは振込みを確認してからですね、と私が言うと、「前金でお支払いしますから」と言われた。
しかし、そんなことより、カタログの支払いの方が先なのだから、それを支払ってください、とお願いした。

社長は、何も言わず電話を切った。

話が違う。

私は、少々腹を立てつつ、会社まで出向いた。
午後2時過ぎだったが、会社のドアには鍵がかかっていて、押しても引いても動かなかった。
試しに携帯で電話をかけてみたが、誰も出なかった。

平日の午後2時過ぎに、イベント会社が休みを取る?
こんなことがあるのか、と思った。
社長は、さっきは電話に出たではないか。
それなのに、いま、なぜいない?

それからは、何度かけても相手は電話に出ず、私は外注費の印刷製本代36万円を工面するのに、人相が変わるほど苦労し、激しい下痢に襲われながら、何とか荒波を乗り越えることに成功した。

信用してたのになあ・・・・・・・・。

疑う要素は、何もなかったのになあ・・・・・・・。

その後、池袋に用事があったとき、ビルに足を運んだが、「テナント募集」の張り紙を見た私は、無言でドアに右フックをお見舞いした。

おのれの馬鹿さ加減を呪い、目に見えぬ相手の顎に、右フックをお見舞いするシミュレーションを繰り返し、一年近くが経った。


ある日、インターネットを見るともなく見ていた。
Googleの検索で、その会社の名前をなぜ検索したのか、自分でもはっきりした理由は説明できない。
しかし、どういうわけか、検索していたのだ。

すると、同じような名前の会社のホームページにヒットしたのである。
そこもイベント会社を自称していた。
それは、詳しく見てみると、「株式会社」の部分だけはなくなっていたが、同じ会社名だった。

代表者の欄を見ると、姓は同じで、しかし女の名前だった。

ギルティ!

確信を持ち、怒りを胸に秘めて、ホームページに記載された番号に電話をかけた。
すぐに男が電話に出た。

受話器を取ったその男の声は、35万円を踏み倒した社長の声に間違いがなかった。

私は、その声に向かって、「Mですが、お忘れですか」と聞いた。

相手は、「M・・・・・」と言ったあとで、沈黙した。
それは、長い沈黙だったが、私は声を発することなく、待った。

沈黙が続いた。
私が言葉をかけたら、相手の逃げ場を作るような気がしたので、私は息の音だけをiPhoneに流すことにした。

長い沈黙のあとで、「M・・・・・さん?」という空気中に消える細い煙のような心細い声で、相手がつぶやいた。

私はもう一度、「M・・・・・ですが」と言った。

しかし、切られた。

二回目からは、素早く着信拒否をされたらしく、繋がることはなかった。

無駄な労力だとは思ったが、相手はホームページ上に、住所も電話番号も記しているので、私は私ができる唯一の対抗手段に出ることにした。
少額訴訟」である。


ああ、面倒くせえなあ・・・・・。
金が返ってくる確実な見込みもないのに、意地で訴訟をするなんて。

面倒くさッ!

自己嫌悪の日々である。


自分の読みの甘さが招いた今回の馬鹿げた事件。

フリーランスの同業者の方々。

こんなバカな私をお笑いください。

自分でも笑えるくらい無様で、頭の悪い事件でございます。

皆様は、こんな事件に巻き込まれることのない優秀な頭脳をお持ちの方々だと思います。

しかし、世の中には、「魔が差す」ということもございます。


どうか、お気をつけください。





2010/11/19 AM 06:33:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

居心地がいい
ヨメのいいところは、私の健康に関して、無関心なところだ。

昨年の4月、私が19日間入院したときも、ヨメは無関心でいてくれた。
私が、どんなときも「具合が悪い」と言わない人間だから、ヨメもその状態に慣れて、私の体を心配する無駄を長年の経験で感じ取っていたからだろう。

それは、私にとって、たいへん居心地のいい環境だ。
私は、「大丈夫?」「具合悪そうだよ」「休んだ方がいいよ」などと優しく言われると、自殺をしたくなるほど自分が嫌になる体質だから、何も聞かれないという状況は、大歓迎である。

たとえば、私が今日明日に死ぬ、ということがわかっていたら、猫がひっそりと身を隠して死に場所を見つけるように、私も人の目から逃れ、死に場所を探すことに、最後の精力を振り絞るだろう。

たとえば、富士山の樹海に辿り着き、樹海の奥に身を横たえて死を待つ、ということをするだろうと、私は確信している。

ヨメとの付き合いは、29年。
結婚して、25年(銀婚式?)。
おそらく、私のことを私以上に知っているのが、ヨメだろうと私は思っている。

どうせ体の状態を尋ねても、素直に答えることはないから、放っておこう。
時間の無駄だ。
ヨメは、そう思っているに違いない。

そう、確かに無駄である。
意味のないことは、やらないほうがいい。

そう割り切ってくれる、我がヨメを、私は誇りに思う。

だから、それなりに居心地がいい。


だが・・・・・、である。

「頑張って」という言葉を頻繁に投げかけられると、私は途端に居心地が悪くなり、不機嫌になる。

頑張って?

俺、マックス頑張ってますけど、これ以上、どう頑張ればいいの?

まだ、頑張ってないっていうこと?
頑張っているようには、見えないということ?

「頑張って」
そう言われるたびに、私の心に、怒りのビッグ・ウェーブが盛り上がる。

そうか、俺は、まだまだ認められていないのだな。
俺は、信頼されていないのだな。
そう思ってしまうのである。

大学時代、陸上部に所属していた私は、大会の決勝に何度か残ったことがある。

ある大会で、走る前に気持ちを集中させていた私のところに、後輩がやってきて「先輩、頑張ってください」と言った。
もちろん、彼に悪気はなかったろう。
誰もがかける激励の言葉だ。

しかし、私は、後輩を睨んでこう言ったのだ。

俺は、すべてを犠牲にして頑張ったから、今ここにいるんだよ。
その俺に、これ以上、どう頑張れっていうんだ!
バカか! おまえ!

理不尽としか、言いようのない怒り方である。
言った相手が、可哀相だ。

しかし、うなだれた後輩に、私はなおも、追い討ちをかけるのである。

いいか! こういうときは、いい記録を期待しています、とか、ベストタイムを出してくださいって言うんだ。
わかったか! ボケッ!


こんな歪んだ性格に、何故なったのか。
それは、申し訳ないが、私の祖母と母に影響を受けたから、としか言いようがない。

母たちが、私に、勉強しなさい、成績を上げなさい、頑張りなさいと言ったことは、一度もなかった。
それは、放任主義というのではなく、私の本質をよく知った上で、母たちが最善の方法を取ったからだと思う。

二人とも、教育者だったから、私の本質を見抜くのは、簡単だったろう。

ただ、自分自身を都合よく分析すると、それとは少し違う結論になる。
私の父は、放蕩者で、大きな会社に籍を置いていたが、自分の稼ぎを家に一銭も入れずに、新橋などにアパートを借りて、毎晩飲み歩くことを繰り返した人だった。

そして、3つ年上の姉は、極めて特殊な性格をした人だった。
我が家は、母がフルタイムで働き、祖母が家のことをしたが、二人は、絶えず姉の行動に神経を使い、疲れきっていた。
だから、いい子ぶった言い方をすると、私が母たちに迷惑をかけるわけにはいかない、と私は勝手に判断し、自分を抑えて思春期を生きた。

そのため、私は、母たちに迷惑をかけない生き方を身につけるしかなかった。
私は、親に、あれが欲しい、何が欲しい、ということを要求しない可愛い気のない人間に育った。
嫌らしいほど、自分を正当化した言い方だが、それは少しは当たっていると思う。


中学3年の4月。
第二金曜日だった。
祖母が、いつものように、家族の晩ご飯を作ってくれた。
おかずは、鯵の南蛮漬けだった。

祖母は、晩ご飯を作った後で、「ちょっと、横にならしてもらうね」と言って、布団に入った。

そして、そのまま、79年の生涯を終えた。

祖母は、苦しいとか、痛いとか、つらいとか一度も言ったことがない人だった。

祖母は、我々に何も訴えることなく、文字通り眠るように、静かに逝った。


中学3年の2月。
高校の入学試験に受かった私は、母に「高校に受かったんだけど、明後日までに入学金を払わないといけないんだ」と告げた。

母に相談することなく、私は自分で受験料を払い、私立大学の付属高校の試験を受け、そして受かった。
受験料程度は、自分で支払えたが、私立高校の入学金となると、自分では支払えない額だ。
払えれば格好よかったが、私は、そんなに格好よくなかった。

人生で初めて、親におねだりをした。

母は、そのときは何も言わず、翌日、「おめでとう」とだけ言って、私に入学金の入った封筒を手渡してくれた。
そのときの母の笑顔は、今でも覚えている。

今朝、6時前、母から電話がかかってきた。
朝早く花屋のパートに出るヨメの朝メシを作っていたときのことだ。

ずいぶん早い時間の電話だな、と思った。
最近の母は、少し認知症気味で、調子が悪いときは、過去と現在が頭の中で喧嘩して、過去が勝ったときは、理屈に合わないことを言うことがあった。
ただ、8割以上は、まだ正常な部分が残っていて、私に電話をかけてくるときは、正常なときだった。

だから、電話に出た。

母が、しっかりした声で言う。
「高校の入学金は、いつまでに用意すればよかったっけ?」

私の娘が中学3年だから、私は、母が、そのことを心配して言ってくれたのだと思った。
それは、こちらで用意するから、心配しなくていいよ、と私は言おうとした。

だが、母が、すぐに言葉を繋げた。
「明後日までだったかね? いくら用意すればいいか、忘れちゃって」

母は、私の高校の入学金のことを心配して言っていたのだ。

それを聞いて、心が震えた。
私は、その震えを抑えられないまま、それはもう支払ったから、心配しないで、と言い、震える手で電話を切った。

浴室に駆け込み、私はシャワーを浴びた。
体の震えが止まらなかった。
涙も止まらなかった。

私は、涙が止まるまで、シャワーを浴び続けた。


浴室を出たとき、パートに出かけようとする、ヨメと目が合った。

赤く充血した私の目を見つめたヨメは、表情を変えず、「サツマイモの煮付け、美味しかった。じゃあ、行ってきます」と普通に言って、ドアを開けた。



居心地が、よかった。



2010/11/17 AM 08:27:15 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

百パーセント妄想ばなし
アパートの仕事部屋から、空が見える。

隣が果樹園になっているから、2階からの見晴らしは、かなりいい。

小学生が画用紙に、当たり前のように描く青い空。
それが、晴れた日には、出窓の向こうに広がる。

綺麗だ、とは思う。

この青い空は、壮麗な富士山にも繋がっていて、現実に白い雪の帽子をかぶった富士山が、遠くに見える。
贅沢なことに、朝の富士山と、夕焼けの富士山が、リアルタイムで見えるのである。

青い空の向こうの富士山。
気高い富士山の姿を見ると、私の中の日本人のDNAが、血の成分を伝って、毎回心のどこかを揺さぶる。
きっと、それは「誇り」と言っていいものかもしれない。


青臭い話。
そして百パーセントの妄想ばなし。

だが、この空は、地球のほかの場所にも確実に繋がっていて、その下では、少年兵が銃を持ち、その銃口を誰かに向けている。
あるいは、同じ祖先を持つ国の兵士が、ためらうことなく自国人を殺戮しているかもしれない。

この日本から地面は繋がっていないが、空は間違いなく繋がっている。
同じ地球だから。

それを思うと、ただ空の青さに見とれるという行為が、何がしかの罪悪感を伴ってくる。

青い空の下の日本は、長い間、平和だった。

それは、アメリカの失敗の歴史に負うところが大きい。
第二次世界大戦後、共産主義と軍国主義に怯えて、日本の軍事力を無力化したため、アジアにおける米国の負担が重くなった。

アメリカは、大戦後、共産主義に過剰反応した結果、朝鮮戦争、ベトナム戦争などの内戦に振り回され、無駄な金を消費し、無駄な血を流した。
その後は湾岸戦争、イラク戦争など、ただ国が疲弊するだけの闘いに自ら首を突っ込み、大国の面目だけを保とうとした。
アメリカの失敗は、絶対的な戦力を持つアメリカでさえ、世界を統御できない現実を各国に知らしめ、世界各地に紛争地域の分散を招いた。

アメリカを筆頭とする大国の面子を保つ闘いのおかげで、日本は国際社会から「手を汚さない」「血を流さない」と言いがかりをつけられながらも、一定の経済の安定を図ることができた。
戦地に兵を送ることこそが正義、などという19世紀の価値観を持つ核保有国とは対照的に、日本は、近代的な価値を持つ「ドル」で戦争に参加した。

その結果、日本は、歴史に類を見ないほどの長い平和を手にいれた。

いま、その青い空の下で、日本は、21世紀の大国、中国と領土問題で揺れ、突然流出した「衝突映像」にメディアは、連日大騒ぎを繰り返している。

これは、「日本が悪い」「中国が悪い」という図式で判断するには、複雑すぎる問題である。
その中には、「1たす1は2」という覆すことのできない数式と違って、野蛮な力を伴う外交という「怪奇なもの」が介入するから、結局は「国力」がものを言う「強者の論理」がある。

理屈や法律ではない。
それは、いま現在の国の勢いでありイメージだ。

国際社会も、一般人の論争と同じで、肩を怒らせて、より大きな声を出した方が、表面上は勝ちを得る割合が高い。
あとは、お友だちの数がものを言う。

最後は、日本と中国、どちらがお友だちが多いかで、国際社会での勝敗が決まる。

だから、乱暴な言い方だとは思うが、「衝突映像」など、些細なことなのだ。

その映像が真実だとしても、「勝ち」が決まってしまったら、それはあくまでも「参考記録」でしかない。
ただ、幸いなことに、まだ勝ち負けは決まっていない。
冷静に、日中両政府の「政治的応酬」を見守りたいと、私は思っている。

そして、私が冷静に思うに、中国という国は、第二次世界大戦を経て、「強国の幻影」を追い求め、ついに大国になった国だと認識している。
たとえば、大戦のはるか前、中国が弱国だったとき、アヘン戦争で英国に国を引っ掻き回されても、英国に謝罪を要求したという話を、私は聞いたことがない。
それは、中国がメンタル面でも「弱国」だったからだと思う。
弱国は、強国に謝罪を要求することはしないものだ。

しかし、「強国の幻影」から「大国」に変化したいま、中国は日本に、どんなときも謝罪を要求し続ける国家に変貌した。
第二次大戦と、アメリカの失敗の歴史が、中国をメンタル面でも「強国」に変えたのである。

それに対して、日本は第二次世界大戦の「敗者」をずっと引きずっていて、外交の場面で、「勝利国」に対して、いつも負い目を感じて接しているように思える。
経済戦争では、一時期立派な「勝者」になりえたのに、日本は、そのときもどこか卑屈だった。

そして、いまも日本という国は、「敗者」が、前提にある。

ボクシングで言えば、相手は6オンスの重さの、素手同然のグローブで殴っているのに、日本は12オンスのアマチュア用のグローブで殴っているようなものだ。
それなのに、日本はヘッドギアを自ら無防備にも外し、相手は強固なヘッドギアを装着している状態だ。

この状態では、勝つことが、大いなる奇跡と言っていい。

だから、そんな強国の論理を嵩にきた中国に対して、ネット世界で「衝突映像」を垂れ流し、日本国内で大騒ぎをしても、それが「正義の論理」として相手に突き刺さることはない、と私の妄想的頭は、悲観的なのである。

メディアは、いまや遅すぎて外交カードにもなりそうもない「衝突映像」の流出者にスポットライトを当てているが、彼を主役にしているうちに、したたかな政治家たちは、私たちの目に見えないところで、あっけなく幕を引く可能性もある。

「愛国者を逮捕するのか」と某都知事は息巻いていたが、それは確実にピントはずれのご意見だ。

映像が流出したこと、それを流出させた人は、純粋に法的な手順を踏んで議論されるべきで、「愛国心」とは別ものである。
こういう考え方は好まないが、極論として、では、愛国心があれば法を遵守しなくてもいいのか、という言い掛かりを投げかけたくなる。


今回のことは、そういうことではないのだ。


これから、さらに複雑化するであろう「アメリカとは異質の超大国とのお付き合いの仕方」を学ぶいい機会だと、私は思っているのである。

アメリカは、世界の保安官になろうとしてなれなかった国だ。
いびつな正義を持っている国と言ってもいい。
それに対して、中国は、国際社会のルールを自分に都合の良いように解釈する「封建時代の殿様」然とした国だ。
理屈を超えた正義を持っている国だと言えるだろう。

つまり、時代が遡っている。

封建時代の殿様は、諸藩の実情には、疎い。
それを一から知るには、まだまだ時間がかかる。

大戦を経て数十年、にわかに超大国になった中国という殿様は、大きな国の人心をまとめるためには、現実的な武器と思想的な武器が必要になる。

現実的な武器は、核兵器を含む戦力。
思想的な武器は、理屈を超えた強弁。

それは、自国内に向けて、「強い殿様」をアピールしないと、政権が保てないという単純過ぎるほどの政治的手法。
中国の指導者の目は、自国内にしか向いていない。
13億の人心を束ねるためには、強気の政策しか彼らには選択肢がないからだ。

弱気になったら、「維新」が襲ってくる。

つまり、異質な超大国は、維新前夜の幻影に怯えている国とも言えるかもしれない。

日本にとっては、不幸なことだが、これから何回も超大国の隣人と、同じようなことが起きるだろう。

私は、勝ち負けに関係なく、今回のことは「経験値を積む」だけでいいと思っている。
たとえ負けたとしても、「維新前夜の国」には、これから何が起こるか予測がつかないからだ。

「民主化」という大外刈りで、超大国が尻餅をつくことも有り得るのだから、そのあたりを冷静に見極めて外交カードを切ることが重要だ,
と私は思っている。



いつか相手が勝手に、こけてくれるかもしれないから・・・・・(他力本願)。




妄想、妄想。




2010/11/15 AM 06:31:22 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]

役立たず
稲城市の同業者の事務所に行った帰りのことだった。

広い歩道を常識的なスピードで、自転車を漕いでいた。
道を歩く人は、私の前後百メートルには誰もいない。
風もなく、絵に描いたような小春日和。
気持ちのいい午後だった。

道の前後左右には、充分に気を配ったつもりである。
だが、私の五感が、左の横道から予期せぬスピードで、私に迫って来る自転車の風を感じた。
咄嗟にブレーキをかけたが、信じられないことに、自転車は、完全に私の方を目指すように、突進してきた。

もし避けたいのなら、相手はハンドルを左に切ってブレーキをかけるべきだが、彼は右にハンドルを切り、ブレーキもかけず私めがけて向かってきたのだ。
当然のことながら、衝突。
私の自転車の前輪の横に、相手の自転車がぶつかった。

相手はスピードを出していたが、私が、うまい具合に自転車を操って衝撃を吸収したせいか、私も相手も倒れなかった。
それは、幸運と言えた。

おそらく、追突の原因は、お互いの不注意。
私の心の中では、横から突っ込んできやがって、という憤りがあったが、私は大人なので、大きく息を吸い、お怪我はありませんか、と相手に聞いた。

しかし、相手から帰ってきたのは、意味不明の言葉だった。

「ここは、車掌がいねえんだよ」

不審な思いで、相手の顔を見ると、70歳過ぎの赤ら顔のおじいさんだった。
その顔の赤さと焦点の合わない目は、酔っ払いと断定してもいいと思われた。

私は、何と答えていいかわからず、頭の中が真空になったように、ただ右足を踏ん張った状態のまま、自転車にまたがっていた。

おじいさんは、そんな私を放置して、「ここは、車掌がいねえんだよ」と、もう一度唾を吐くような口調で言ってから、頭をクラクラと動かしながら、元の道を戻っていった。

頭が真空のまま、おじいさんの後ろ姿が小さくなるのを見ていた。

私の思考回路が正常に戻るまで、2分以上かかった。

そして、思考回路が正常に戻るとともに、脱力感が襲ってきた。
私は、自転車をおりて、近くのマンションのフラワーボックスのところまで、自転車を運んだ。
そこで、被害状況を確認した。

詳しく点検してみたが、スポークが1本歪んでいたのと車輪カバーが少し凹んでいただけで、車輪全体には歪みがなく、走行に問題はなさそうだった。

私は、脱力したまま、フラワーボックスの角に腰を下ろした。


何も、やる気が起きない。
面倒くさい。
家まで、あと6キロ以上あったが、帰る気力が湧いてこなかった。


まるで、パンパンだった風船が、急にしぼんだような感じだ。
私は完全に、いつもの「面倒くさい病」に囚われていた。

私は、「無」を意識しながら、マンションの目の前にトラックが2台停めてあったのを、スクリーンに映し出された映像のような感覚で見ていた。
全国的に有名な引越し会社の大きなトラックだ。

従業員たちが、きびきびと無駄のない動きで、荷物をトラックに運び込んでいるのが、別世界の出来事のように目に入り込んでくる。
当たり前のことだが、若い人が多い。
体格がずば抜けていい人はいないが、みなバランスの取れた体型をしていた。

プロ意識が強いのかもしれない。

それを見ていて、唐突に、昨日の同業者のカマタさんとの電話での会話を思い出した。
同業者の一人が、仕事が少なくなったので、配送のアルバイトを始めたという話である。

その人タナカさんは、同業者の忘年会や新年会では、酔っ払うと決まって、誰かにプロレスの技をかける癖があった。
私は、絶えず「俺に技をかけたら殺すオーラ」を発していたから、私だけは被害に合わなかったが、誰もがタナカさんを疎ましく思っていて、最近では「タナカさんが来るなら、俺は出ないよ」という人が増えていた。

体育会系体質の乱暴で力自慢、そしてガサツな男。
タナカさんは、ひとに嫌われる要素を惜しげもなく、まき散らしている人だった。

「30代後半で、力が有り余っているから、荷物の配送なんて、お似合いだよね」
カマタさんが、笑いを含んだ声で言った。

そのカマタさんの言葉の中に、どことなくタナカさんへの侮蔑と、配送に対する偏見があることを感じ取って、私は反発した。

配送なんて、と言うが、今の世界で配送ほど大事なものはない。
少なくとも先進国の屋台骨は、配送が支えているといっても過言ではない。
どんなにインターネットが発達して、ネットで大きなお金が動いたとしても、それを動かすのは配送である。

配送が止まってしまったら、国は正常に機能しなくなる。
電気や水道、ガスなどのライフラインと同じか、それ以上に国民の機能的なものを支えるのが配送だ。

ネットをどれほど崇め奉って、情報革命だと持ち上げたとしても、ネットが運ぶのは情報だけで、荷物は運んでくれないのである。

だから、配送は、重要ですよ。
タナカさんは、いい仕事をしてますよ、ゼッタイに。

私が、そう力説したら、カマタさんは、しらけたらしく「じゃあ、また」と言って、会話を遮るように電話を切った。
「ひねくれもののマツが、バカ言ってんじゃねえよ」という感じか。

目の前で働く引越し業者たちは、まるで熟練の舞台俳優の如く流れるような動作で、仕事をこなしていた。

それを見ていて思った。

俺は、脱力している場合じゃないな。
面倒くさがっている場合じゃないな。

そう思って、脱力の世界から、懸命に這い上がろうとしたとき、引越し業者の一人と目が合った。

私がまだ完全に正常な世界に復帰する前のことだ。

瀕死の白鳥を心配するような目で、彼は「大丈夫ですか」と、私に遠慮がちに声をかけてくれた。
エラの張った顔が意志の強さを表していたが、眉毛は綺麗に八の字になっていて、人に安心感を与える顔が、私を心配そうに覗き込んでいた。


ああ・・・・・、だいじょう・・・ぶ・・・です・・・。


「30分以上、そこにボーゼンと座っていますよね。ホント、大丈夫ですか」
眼の奥に、喩えようのない「安らぎ」が見える。

大丈夫ですよ。
勢いよく立ち上がったが、なぜか、よろけるオレ。

それを見て、手を差しのべてくれた、優しき引越し業者。
そして、「ちょっと待っててください」と言って、トラックの運転席まで駆けていき、戻って来た彼の右手には「オロナミンC]があった。

「これ、けっこう効きますよ」
笑顔で、目の前に差し出された。

私は、それを立ち上がって受け取った。
そして、頭を下げた。

仕事の邪魔をして、申し訳ありません。
ありがたく、頂戴します。
ありがとうございます。

そう言って、逃げるように自転車を走らせたオレは、この世界で何の役にも立っていないことを、強く実感したのだった。




2010/11/13 AM 06:26:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

オジさんのありふれた休日
少し前のことだが、知らない間に、ブログが何件か削除された。

私は過激なことは書いていないつもりだが・・・。

たとえば、政治家は無能で、役人は泥棒で、メディアは白痴集団で、実は私は「ともだち」だったなどとは、一度も書いたことがない。

これは検閲ですか・・・・・・・怖い。



という話とは関係がないが、急ぎの仕事がないので、昨日はオフ。

とは言っても、起きるのは、いつもと同じ5時40分。
朝早く花屋のパートに行くヨメに朝メシを作り、子どもたちの朝メシを作るためには、その時間に起きないと間に合わないからだ。

家族を送り出すのが、7時40分。
その合間に、洗濯をする俺は、主婦か?
いや、主夫か?

家族が一人増えたので、洗濯の量も増えた。
そして、これから寒くなると、洗濯物の乾きが遅いので、どれだけ効率よく日に当てるかが重要課題となる。

そこで、我が家では、庭を精一杯有効活用することにした。
古いアパートではあるが、とりあえず、そこそこ広い庭がある。
そこに、大きい物干し台を2基取り付けて、洗濯物を干したり、布団を干したりしている。

洗濯物を干すのは、ハンガーとピンチハンガー。
寒い季節に、洗濯物を効率よく乾かすコツは、洗濯物同士の間隔をあけて、風通しをよくすること。
冬の晴れた日は、午前8時半から午後3時までが、勝負である。
この時間帯に、水蒸気を蒸発させないと、洗濯物が生乾きになって、衣類などの傷みも早い。

だから、とにかく通気。

曇った日や雨の日は、風呂場に太いつっかえ棒を渡してあるので、そこに洗濯物を順番に干す。
そして、扇風機を「強」にして、とにかく水蒸気を飛ばす。
それで飛ばせないときは、首振りハロゲンヒータを持ち込んで、風呂場を熱帯化させる。
これで、何とか乾くものである。

今年の7月から同居中の娘の中学校のお友だちの下着なども洗う。
年頃の女の子だから、他人が洗うのを嫌う場合もあると思い、最初気を使って、別々に洗おうか、と聞いたが、「別にかまいませんよ」とあっけらかんと言われた。
着替えなども、平気で人前でするので、純情なオジさんは、目のやり場に困りますよ。

かなりオープンな娘だが、最初の頃、同じ皿に盛った食い物を食べるということに関しては、抵抗があったようだ。
別の皿に盛らなければ、決して手を付けようとはしなかった。
ポテトチップなどを食べるときも、自分のだけは、皿に移して食べる潔癖さだった。

しかし、長いこと野蛮人たちと暮らしていると、潔癖な自分が馬鹿馬鹿しくなるのか、今では平気で大皿の料理を遠慮なく取り、豪快に食うようになった。

家族が5人。
そして、アパートから1.5キロ離れた三鷹に住む義母を合わせると、6人。
この分の食料の買出しに、洗濯物を干したら出かける。
(普段は、この時間帯は、お仕事)

武蔵野市三鷹市小金井市の安いスーパーを回って、とにかく安いものを調達する。
6人分の一週間分の食材は、かなりの量になる。
それを前カゴと、無駄にでかい後ろカゴにくくりつけて、買い物終了。

スーパーをハシゴするので、買い物だけで、2時間半かかる。
昨日かかった食費は、7千7百9十1円。
14円分をうまく調整すれば、「7777」になったのに(フィーバー?)。

家に帰ったのは、12時40分。
帰ってやっと、朝昼兼用のメシを食う。
おでんの残りですが(大根とチクワ)。
(仕事が押しているときは、メシも食わず、ただただ労働)

食い終わったら、洗濯物の乾き具合を確かめ、太陽の位置を確認して、洗濯物の並びを変える。

次にするのが、義母の「糖尿病食」を作ること。
毎日、夜の分と次の日の朝の分を弁当形式で作っている(昼はヘルパーさんが作る)。
これは、夕方に手の空いた人間が、自転車で届ける。

最近の義母は優秀で、血糖値は安定しているし、一番ひどいときは12あったHbA1c値も、今は7前後まで下がった。
奇行がかなり減り、話すことも常識的になってきた。

すべてが、私の作る糖尿病食のおかげではないにせよ、1割ぐらいは、私も貢献しているのだと思うと、少し嬉しいし、やりがいがある。
糖尿病食は、メニューによって違うが、作るのにかかる時間は15分から30分くらいか。
昨日は、あらかじめ作って冷凍しておいたものを使ったから15分ほどで終わった。
(俺は、総菜屋ができるかもしれない)

その後、晩メシの下準備。
昨日は、ラザニア、牡蠣とシメジのスパゲティ(ヨメは牡蠣がダメなので、ヨメだけイカとタコ)、ジャガイモのスープだ。
ミートソースとホワイトソースをあらかじめ作っておいて、冷ます。
ジャガイモはフードプロセッサにかけたあと、電子レンジで30秒ほど水分を飛ばし、冷ます。

午後2時過ぎ、ヨメがパートから帰ってきたので、ミニ天丼を作って食わせる。
私は、チーかまを齧りながら、クリアアサヒを飲む(仕事のあるときは、もちろん仕事をする)。

娘に影響されて、すっかりK−POPファンになったヨメの話に付き合いながら、洗濯物を乾いたものから取り込んでいく。
そのあと、ホットケーキミックスを使って、子どもたちのおやつのクッキーを作る。
こねて丸めてチョコチップを乗せ、オーブンで焼くだけだから簡単だ。

午後4時過ぎ、娘二人が、学校から帰ってきた。
クッキーを食わせて、今日学校であった出来事などを聞くが、「クラスの子が、K−POPアーティストに見えてきたぁ」というから、相当重症だ。

午後5時前、息子が帰ってきたので、クッキーを食わせる。
そして、ヨメに糖尿病食を義母の所に持っていってもらった。

風呂洗いのあと、晩メシを作り始める。
下準備がしてあるので、作るのは簡単だ。
ラザニアをオーブントースターで焼いている間に、パスタを茹で、ジャガイモスープを温め、味付けをする。

その間に、子どもたちが順番に風呂に入る。
7時30分過ぎ、晩メシ。
娘のお友だちだけ、ラザニアは大盛りだったが、見事な食いっぷりで、ジャガイモスープをお代わりをした。
息子も負けじと、スパゲティとスープをお代わり。
相撲取りが、二人いるようなものだ。

晩メシのあと、娘たちは、受験勉強。
調子のいい時は、午前2時ごろまでお勉強している。
パパの中学時代は、学校の授業を聞いているだけで理解できたから、受験勉強なんかしなかったよ、と言ったら「いますぐ死ね! 灰になれ! 真っ白になれ!」と罵られた。

午後9時半、一段落(いつもは、ここから本格的な仕事に入る)。
風呂に入ったあと、撮りだめしておいたドラマを、クリアアサヒを飲みながらヨメと観る。
JIN−仁ー」の第3話だ(今さら?)。

4話を観終わったところで、ヨメはおネムになってお布団に。
私は、貰い物のワイルドターキーをストレートで飲みながら第5話を観終ったあとで、就寝。
午前0時15分だった(いつもより1時間早い)。


仕事が、たくさん舞い込んでくる夢を見た(何とメルヘンチックな夢!)。



オヤジのありふれた「怒涛の休日」でした。






削除されませんように・・・・・。




2010/11/11 AM 06:50:47 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

どっちが男前?
稲城市の同業者から、「Mさん、安すぎますよ」という抗議の電話が来た。

先月末にやった回路図の請求書をメールで送った1時間後のことだった。

「こういう手間のかかる仕事は、それなりの報酬を貰わないと、請け負う側の立場がどんどん悪くなります。最後は、ただ働き同然になりますよ。Mさんは、いつもこんな安い単価で請け負ってるんですか」
怒られた。

先々月にやった不動産の間取りのトレースも安かったと思うが、そのときは、クレームが来なかった。
あれは適正価格という判断なのか。
業種によって、単価が違う。
当たり前と言えば、当たり前か。

今回の回路図は81点。
そのうちの23点が、かなり複雑なものだった。
他は、それほどでもない。

だから、簡単なものに関しては、単価を安くした。
複雑なものは、それなりに値を上げて請求したつもりである。

だが、それでも安いと言う。

「Mさんは、簡単って言いますがね。回路図は決して簡単ではありませんよ。不動産の間取りなどは、実物と多少違っても、イメージの範囲内なら許されますけど、回路図は、正確でなければ意味がないんです。少なくとも俺は、かなり神経を使ってトレースしました。Mさんは、違うんですか?」

私も同じだ。
神経をかなり使って、トレースした。
それは、間違いがない。

「それなら、貰うべきものは堂々と貰いましょうよ。それが、フリーランスの心意気じゃないんですか」

フリーランスの心意気。
同業者の声が、耳に心地よく響いた。

男前だな、こいつ。

じゃあ、50パーセント単価を上げますが、いいですか。

50パーセントは法外だ、と拒否されるかと思ったが、同業者は「妥当なところですね」とアッサリ受け入れた。

男前だな、こいつ。

そして、同業者が、快活に言う。
「これでまた、Mさんに仕事が出しやすくなりましたよ」

これを男前と言わずして、何と言う。


それとは対照的な男の話。

3年前に一度だけ仕事を出してくれた、ウカジという印刷ブローカー。

そのウカジから、昨日電話があった。
ウカジというのは、珍しい苗字なので、かろうじて覚えていた。

顔も、かろうじて覚えていた。
体も顔も丸く太っていて、細い目が丸い顔にめり込んだような、表情の読めない印象の50男だった。

それは、知り合いの印刷屋の紹介だったから、仕事を請けたが、そうでなければ絶対に請けない種類の仕事だった。
ラブホテルの会員券やポイントカード、割引券、部屋に置く注意書きなどを冊子にしたもの、など。

もちろん、ラブホテルが悪いと言っているわけではない。
産業として立派に成り立っているものにケチを付けるつもりはない。

ただ、ウカジの仕事の出し方が、気に食わなかったのだ。
「こんな下らない仕事、したくなかったんだよ。でも、義理のあるスジからの頼みだから、仕方なくやるんだよ」
「世の中、平和だよな。このホテルのオーナー、こんなのをいくつも持ってて、外車を何台も乗り回してるんだぜ。あぶく銭で、のうのうと暮らしやがって」
「仕事の打ち合わせで、ホテルの事務所に入るたびに吐き気がするよ。事務所までキンキラキンでさ」
「そのくせ、業者への金払いはよくないって評判でな。ビクビクもので、仕事貰ったんだよ」
「もし、支払いが遅れたら、勘弁してくれよな。俺が悪いんじゃないんだから」

会うたびに陰気な言葉をまき散らして、打ち合わせ時間の半分以上が、ウカジの愚痴だった。
何度、出っ張った腹にパンチをお見舞いしてやろうと思ったことか。

だが、金払いが悪いとは言いながらも、その仕事は、期限通りに請け負い金額を支払ってくれたので、私は大きく安堵したのを覚えている。

そのとき、おそらく私がウカジのことを嫌っているというのを、彼も感じとったのだろう。
それ以来、彼が私に仕事を出すことはなかったし、知り合いの印刷会社で顔を合わせても、お互い軽く会釈するだけで終わっていた。

そのデータは、私の脳の、一番奥の決して開かれることのない闇の引き出しに格納されて、すでにシュレッダーで粉砕されかかっていた。


そのウカジが、「引っ越したんだって」と電話をかけてきた。
ウカジは、私のiPhoneの番号は知らないはずだが、おそらく親切な印刷会社の社長さんが、教えてしまったのだろう。

親切は、ときに迷惑を連れてくる。

「まさか、挨拶もなしに引っ越すとはね。お得意さんに、それはないんじゃないの」

お得意さんという意味を、広義に解釈すれば、ウカジはお得意様だったと言えた。
だから、私は、すみません、急なことだったので、と謝った。

「まあ、いいさ」とウカジ。
そして、ぬめりとした声で、語りかける。

「景気が悪くてね。全然仕事がないんだよね。だから、以前仕事を出した時の恩を返してもらおうと思うんだけどさあ。仕事が欲しいんだ。回してくれるだろ?」

言っている意味がわからないが。

「恩」とは言っても、仕事を出す側請ける側は、フィフティフィフティのはずだ。
仕事を貰い、それを条件どおりに仕上げれば、請け負った側の責任は果たせる。
あとは、依頼人が、請負人に報酬を支払えば、その仕事は完結したことになる。

私の方が頼み込んで貰った仕事ではないのだから、そこに「恩」は、存在しないのではないか。
五分と五分の仕事をして、なぜ一方的に、私の側に相手への「恩」が生じるのだ。
それは、言いがかりではないのか。

だから私は、言いがかりだよね、と答えた。
私より一つ年下なのだから、タメ口でいいと判断したのだ。

すると、押しかぶせるような粘り気のある声で、ウカジが「仕事を出す側だけが、恩を売るんだよ」と言うではないか。

上等だな、この野郎、と頭に血が上りかけたが、「仏のマツさん」は、ここで思いとどまった。


わかった。
仕事を差し上げよう。
大宮にSという設備会社がある。
そこに行って、仕事をいただいてきてもらいたい。
ただ、仕事をいただけるか、いただけないかは、あなたの腕次第だ。
あなたの営業の腕が悪ければ、仕事はいただけないが、腕がよければ、仕事がいただける。
どうだ。
この仕事、やる気があるか!?


「馬鹿にしてんのか!」
ウカジの怒鳴り声とともに、電話が切れた。

いまかかってきたウカジの携帯の電話番号は、即座にナンバーブロックに登録した。
これで、永遠にウカジの声を聞くことはないだろう。


さあ、これは、男前と言えるのかどうか?




2010/11/09 AM 06:31:41 | Comment(2) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

教育者の目とウコンの力
11月3日、ガストで、若夫婦にご馳走になった。

主題を話し終わって、私がジョッキを呷っているとき、ショウコの旦那・マサが「先輩、それはマズくないですか」と、端正な顔をややしかめて言った。

マサとショウコは、私の大学の後輩。
ショウコは、私の友人の娘だが、私のことを「サトルさん」と呼び、マサは「先輩」と呼ぶ。

「先輩、心配じゃないんですか」と、もう一度マサ。

私の中学3年の娘が、K−POPグループの追っかけをしている、という話をしたときのマサの反応である。

娘がお気に入りの大國男児(テグンナマ)という韓国のヴォーカル・グループが出る番組の公開生放送が、毎週月曜日テレビ東京系のBS放送で撮られている。
娘は、我が家に居候している中学校のお友だちと、毎週その収録を見に行っているのだ。

収録時間は、午後6時から7時50分。
その後、娘は晩メシをお友だちと食って(たいていはマクドナルド)、収録時の出来事を語りながら盛り上がるから、ときに帰りが10時前後になることがある。

それを聞いたマサが、眉根を寄せて、「娘さん、中学3年ですよね」と言うのである。

マサは、八王子で中学校の教師をしている。
英語を教えていて、3年生のクラスを受け持ってもいる。
だから、彼が教育者の目で、子どものことを見てしまうのは、当たり前のことと言える。

それは、高校受験が控えているのに・・・という極めて常識的な反応でもある。

さらに、一緒に観覧し、そのあとメシを食う娘のお友だちは、中学校のお友だちだけではなく、二十歳過ぎの「おとな」もいるのである。
追っかけの現場で知り合った22歳と23歳のテグンナマ・ファンだ。
もちろん、二人とも女性。

そのうち、23歳のひとはOLで、仕事が終わると、すぐに神谷町に駆けつけて、「入り待ち」というのをする。
「入り待ち」とは、お目当ての歌手などが、放送局に入るのを待つことを言う。

22歳のひとは、自称「キャバ嬢」。
テグンナマのためなら、東京に限らず、大阪、そして韓国までも追っかけるコアなファンである。
英語が堪能で、ハングルも、ある程度理解ができるから、勉強家なのだろう。

彼女は、関西出身らしく、歯切れのいい関西弁を話す、好き嫌いのはっきりした「アネゴ肌」のひとらしい。
見た目は、地味な装いで、23歳のOLの方が、むしろ華やかに着飾っているという。

しかし、マサは、それを聞いて「キャバ嬢ですか?」と困惑を隠さない。

教育者の目で見ると、「キャバ嬢」というのは、否定的な職業なのかもしれない。

中学3年の娘が、キャバ嬢と仲良くしている?
それは、教育上よろしくない、と考えるのは、当たり前といえば当たり前か。

しかし、娘がいままで以上に、勉強にも熱を入れているから、決してマイナスにはなっていないと、私は判断している。

だが、目の前の教育者は、それでも不安そうな目で私を見るのである。
それは、教育者としては当たり前の目線だろうと思う。

子どもにとって、いい環境を作るのが親の役目。
その役目を私が放棄している、と取られても、それは仕方ないことだ。
その目線は、非常識な私にも、理解できる。

教育者に、「親失格」の烙印を押されたら、その正論に対して、私は反論することができない。
私は、子育てに、傲慢なほどの自信を持っているわけではないのだから。

だが、へこみかかる、そんな私を救ってくれたのが、ショウコだった。

「サトルさんはね」と、ショウコが言う。
「すべてのことを面倒くさがるひとだけど、子育てだけは面倒くさがらないの。私もこの人に色々なことを教わってきたから、よくわかるけど、何があっても、私を信じてくれるの。パパよりも、私のことを信じてくれた人なの」
そして、私の目を真正面から見て、さらに言葉を続けた。

「サトルさんは、子育てだけは、真面目に取り組む人なの。だから、私もKちゃんを信じる」

マサが、ショウコの顔に目を止め、次に私の顔に目を移し、大きくため息をついた。
そして、外人のように両肩を少し持ち上げる仕草をして、口元をほころばせた。

「そうですよね。目の前にショウコという証人がいるんだから、僕はそれを信じるべきですよね。出すぎたことをいいました。すみません」

マサは、気持ちのいい男である。
真っ直ぐで、そして、素直だ。

しかし、私に向かって頭を下げた後で、そのマサが、余計なことを言った。

「先輩、お酒を飲んで自転車に乗るのは、違反ですよ。アルコールを抜いてから、帰らないと」
そう言ったあとで、マサは、何かを思い出したかのように、両手を打ち、素早く腰を上げた。

?????

一人で勝手にガストを出て行ったマサの姿に、呆気にとられるショウコと子ども、そして私。

なんだい、あいつは、どこ行ったんだい?
「さあ、どこかしら」
お子様用の椅子に座って、足をバタバタさせる子ども(パパ、どこいくの〜?)。

数分後戻ってきたマサの手には、レジ袋がぶら下がっていて、「先輩、これ、飲んでください」と、袋を私の目の前に差し出した。
中を開けると、「ウコンの力」が10本入っていた。

首をかしげながら、マサの目を見ると、もう一度「先輩、とにかく飲んで」と、また言われた。

事態を悟ったショウコも、「サトルさん、飲んで」。
ショウコに教え込まれた子どもも、「(のん)で〜、(のん)で〜」と、手足をバタバタ。

仕方なく飲んだ。
不味くはなかったが、せっかくのビールの味が、打ち消されたので、結局、私は家に帰ってから、クリアアサヒの500缶を2本飲むことになった。


ウコンの力は、あと5本残っている。

それを飲みたびに、マサの生真面目な顔を思い出す。

そして、いつも苦い後味が残る。



2010/11/07 AM 08:31:34 | Comment(2) | TrackBack(0) | [子育て]

刹那の偶然とサーじぃじ
鼻の先を赤いものが、掠めて落ちた。

二歩進んで振り返ると、熟した柿がつぶれていた。
上を見上げると、柿の木があって、地上から3メートルのところに、数十個の柿がなっていた。

歩くのがあと0コンマ6秒早かったら、その柿は、私の頭に落下していたに違いない。

柿を頭に食らって死ぬことはないだろうが、かなり痛いであろうことは、想像がつく。

間一髪の出来事。

ひとは、そんな偶然を積み重ねて、人生を生きている。


友人のカネコが、むかし奥さんと出会ったのも、そんな刹那の偶然からだった。

17年前、得意先の社長の父親が死んで、会社から葬儀に参列することを命令されたカネコは、新潟県の村上市に出向いた。
葬儀は、駅から離れたお寺で催されたので、駅に着いたカネコは、駅前からタクシーに乗ることにした。

駅前に止まっていたタクシーは一台。
気の重い役目を仰せつかったカネコは、久しぶりに着た黒の礼服が、さらに気持ちを重くさせて、憂鬱な気分でタクシーのシートに座った。

葬儀が行われる寺の名まえを運転手に物憂げに告げ、タクシーが発車しようとするそのとき、バックミラーに、走ってくる女の姿が映った。
喪服の女だった。

カネコが、運転手に「待ってください」と言った。
なぜそう言ったのか、いまも説明がつかないらしい。

喪服の女が、走ってくる。
それが、自分に何の関係があるのかといえば、何の関係もない。
知らない女なのだから。

しかし、自分が着ている礼服と女の喪服とが、脳の中でシンクロして、何かが作用したのだろう、ということは後付けで解釈できた。

駅前に止まっているタクシーは一台だけ。
喪服の女は、おそらく自分と同じ場所に行くのだろう。
同じ場所なら、同乗したほうが、能率がいい。
次に、いつタクシーが来るか、わからないからだ。

そんな風に、後でそう思ったとしても、それは間違いなく無意識に出た言葉だった。

カネコが、タクシーを待たせなければ、女は、いつ次のタクシーに乗れたか、わからない。
それは、数分かもしれないし、数十分かもしれない。
ひと淋しいタクシー乗り場で待つことの虚しさは、人それぞれだろうが、それが好きな人はおそらくいない。

とはいっても、そんなことも、後付けの理由だ。

ただ、運命的だったとは、言える。

わずか数秒の運命。

走ってきた女に聞いて見ると、想像通り、カネコと同じ寺に行くという。
「もしよければ、ご一緒に」

気味が悪いと言って、拒まれることもあるだろうが、女は拒まなかった。
軽く頭を下げ「助かりました。ありがとうございます」と答えた。

それが、二人の出会いだった。
刹那の偶然だ。

それから一年近い付き合いを経て、カネコと女は、結婚した。
女には、6歳の娘がいた。

それが、ショウコだった。


11月3日・祝日午後、荻窪の得意先に、自転車で行ってきた。
そして、その帰り道。
いつもなら井の頭自然文化園の前を通って、アパートに帰るのだが、その日は、遠回りにはなるが、サンロードという賑やかな商店街を通って、成蹊大学の脇を通って帰ることにした。

それは、私にとって、初めてのルートだった。

その道を選んだことに、理由はない。

ただ、なんとなく、としか言いようがない。

商店街に溢れる人の間をぬって、自転車を走らせていたとき、10メートル先の3つのものが、私の目に浮き上がって入ってきた。

それが、ショウコだということは、すぐにわかった。
そして、ショウコの左手に子ども、さらに、その子どもと繋がって、旦那のマサ。

ショウコも自転車に乗っているのが、私だとすぐにわかったようだ。
右手を垂直に上げて、「おお、サトルさん!」と、よく通る声で言った。

八王子に住むショウコが、吉祥寺の商店街のはずれで、旦那と子どもをつれて歩いている。
そして、私は得意先からの帰り道。
いつもと違う道を通った私が、彼らと出会う。

まったくの偶然。

偶然は、予期しないから面白い。

一年数ヶ月ぶりに会うショウコ。
そのショウコが、さらに予想外のことを言う。

「夏休みに水木しげるロードに行って来たの。そのとき買った、『こなきじじい』のストラップ、サトルさんにあげようと思って、バッグの中にいつも入れておいたんだ。きっとこんな風に会えると思っていたから」
そう言ったあとで、右手を差し出して「あげる」。

小さな紙袋を手渡された。

袋を開けると、確かに、こなきじじいがいた。

「サトルさんへのプレゼントって言ったら、これしか思い浮かばなくてね。サトルさんは、目玉オヤジほど包容力はないし、鼠おとこほど哀愁はないし、一反もめんのような愛敬もないしね。こなきじじいが妥当なところかなって」
となりで、マサが細かくうなずいていた。

私も、つられてうなずいた。

ヨドバシカメラの隣のガストで、お茶にした。

ショウコは娘に、私のことを「サトルさん、こなきじじい」と何度も教え込ませたから、1歳半の娘は、私のことを「サーじぃじ」として認識することになった。


「サーじぃじ」


意外と気に入っていたりして・・・・・・・。




2010/11/05 AM 06:34:05 | Comment(5) | TrackBack(0) | [日記]



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