Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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コロッケパン、不愉快な思い出
不愉快な言葉を聞いて、不愉快なことを思い出した。

武蔵境イトーヨーカドーのフードコートで、コロッケパンを齧りながらコーヒーを飲んでいたときのことだった。

隣のテーブルに、四人家族がいた。
40歳前後の夫婦と、8歳と12歳くらいの娘。

その娘たちに向かって、父親が、こう言ったのだ。

「いいかい。おまえたちは、絶対に朝鮮人や中国人たちと付き合ってはいけないよ」

それを聞いて、私はコロッケを喉に詰まらせそうになった。

そして、コーヒーを飲むことで、コロッケを、かろうじて正しい食道の位置に流し込もうとしたとき、私の灰色の脳細胞に、ある記憶がよみがえった。



私には、20歳近く年の離れた従兄弟がいる。
彼は、私が小学生の頃、中目黒の我が家から三百メートルほど離れた下宿で暮らしていた。
彼は、世田谷区の中学の教師をしていた。

いつも気難しい顔をしていて、尊大な雰囲気を撒き散らし、私の両親や姉と私に、ときに辛辣な言葉を浴びせかけ、説教までした。
ただ、同居していた私の祖母の前では、彼は借りてきた猫同然だった。

祖母は若い頃、師範学校の教師をしていたからか、従兄弟とは人間としての格の違いが歴然だった。
従兄弟は「マー兄ちゃん」と呼ばれていたが、祖母が「マー兄ちゃん」と呼ぶと、彼の顔つきがいつも変わった。
目に落ち着きがなくなり、言葉の最初がうまく出なくなって、声がかすれた。
要するに、オドオドした。

しかし、祖母がいないときは、いつも口元に皮肉な影を浮かべ、誰に対しても小バカにしたような口調で話した。
学校で生徒に教えるときも、おそらくそうだったに違いない。

マー兄ちゃんは、一度結婚して、近所の下宿を出て行った。
しかし、半年後に、また戻ってきた。
奥さんが家を出て行ったからだ、と母が言っていた。

その後、30過ぎに、また結婚したマー兄ちゃんだったが、そのときは、ひっそりと下宿を出て行き、一年後に、またこっそりと戻ってきた。
戻ってきたことを下宿の大家さんから知らされたが、本人が挨拶に来ないのだから、我が家では、彼のことは放っておこうということになった。

私が数回、道端でマー兄ちゃんを見かけたとき、彼の様相は荒んで、目はさらに険を増していた。
髪の毛も薄くなって、50歳近くに老けて見えた。

マー兄ちゃんは、世田谷の中学から墨田区の中学に移ったらしいが、あの荒んだ姿で教えられる生徒たちは可哀想だな、と子ども心に思った。
ただ、荒んだ狂気を持った教師が、有能な教師という場合もありうるから、こればかりは何とも言えない。

私の祖母が死んだとき、マー兄ちゃんは、三百メートルの近さにいながら、通夜にも葬式にも来なかった。

そのことに関しては、母は今でも怒っていて、13年前に、母たちが中目黒から川崎に引っ越すとき、どこから聞きつけたのか、マー兄ちゃんが挨拶にやってきたことがある。
それは、20年以上音信不通だったくせに、何の前触れもなくやって来るという、いかにもマー兄ちゃんらしい訪問の仕方だった。

そのとき、滅多に怒らない母が、「母の葬儀にも来なかった人間を家に上げるわけにはいかない」と厳として言って、追い返したという。
マー兄ちゃんは、そのとき50半ばだったが、母と変わらない70過ぎの老人に見えた、と母が言っていた。

マー兄ちゃんが二度目の離婚をして、こっそり下宿に帰ってきた頃、今でも忘れることのできない、ある出来事が起きた。
私が中学一年のときのことだった。
私は、友だちと近所の空き地で、野球をしていた。

そこに、ふらりとマー兄ちゃんが、やって来たのである。
背を丸めて、右手には折れた枝を持ち、その枝を振りながら、彼は私たちが野球をしている真ん中に歩いてきて、仁王立ちした。
そして、投手の位置にいた私を睨んだ。

予期せぬ男の侵入に、仲間内で一番血の気の多い男が、「どけよ!」と怒鳴った。
しかし、マー兄ちゃんは、その声に振り返ることなく、背中を丸めた上半身を左右に揺すりながら、「うるせえ!」と吠えた。
ただ、その声は、とても掠れていて、つかれきった老犬の吠え声のようだった。

私が、「この人は、俺の知り合いだから」と言うと、血の気の多い友だちは、給食で彼が嫌いなグリーンピースが出たときのような戸惑った顔になった。
私が、彼に向かって、もう一度うなずくと、彼は苦手なグリーンピースを飲み込むように、苦い顔でうなずいた。

目の前の、髪の薄くなった、初老にしか見えない30過ぎの男は、私の目をまだ睨んでいた。
マー兄ちゃんが、なぜ私を睨むのか、そのときの私にはまったく心当たりがなかった。
近くに住んでいる従兄弟とはいえ、向こうから付き合いを断ち切ったのだから、私たち二人に、接点はないはずだった。

「俺に何か用ですか」と声をかけるのも憚られるほど、マー兄ちゃんの目は、すべてを拒絶していた。
それは、中学教師の目ではなかった。

強いて言えば、それは心に闇を抱えた夢遊病者の目だった。
私を睨んではいたが、彼の目の焦点は私に合っていなかった。
ただ、酔っ払っているようではなかった。
彼は、酒が飲めないはずだった。

マー兄ちゃんは、曖昧でぼやけた視線を私に向けたまま、折れた枝を地面に叩きつけ、掠れた声で叫んだ。

「朝鮮人なんか、嫌いだ! 結婚してやったのに、俺を裏切りやがって!」
「一度目も! 二度目も!」

そして、折れた枝の先を私に向けて、マー兄ちゃんは、こう言ったのだ。
「サトル! おまえは、朝鮮人なんかと結婚するな! あいつらは、恩知らずだ!」


醜悪なもの。


彼が、誰と結婚して、どうなったのか、そのときの私は知らなかったし、今も知らない。

だが、そのとき、私は生まれてはじめて、醜いものを見たような気がした。

私の心の中で、何かが沸き立って、私はマー兄ちゃんに、グローブを投げつけていた。
マー兄ちゃんは、腹の真ん中でそれを受けて、あっけなく後ろに倒れた。

そして、醜い男は、緩慢な動作でからだを起こし、折れた枝を私に向かって投げたあと、背を丸めて空き地を逃れていった。

それを見ていた私の友だちは、腐りかけの駄菓子を食わされたときのような、酸っぱい顔をして、お互いの顔を見合わせていた。

私はと言えば、すぐに冷静になって、まわりの空気が落ち着くまで、ショートを守っていた台湾生まれの大富豪の息子・頼君とキャッチボールを繰り返した。



キレイごとを言うつもりは、私にはない。
私の心にも差別の感情はあるから、それを否定することもしない。

ただ、それは人に強制するものではないし、親が子に伝えたりするものでもない。


だから、私は心の中で悪態をついたのだ。


俺が、楽しくコロッケパンを齧っているときに、親が子に得意気に教えるんじゃないよ!

しかも、俺に、下らないことまで、思い出させやがって!

コロッケの味が、まったくわからなかったじゃないか。

日村の顔をハロウィンのカボチャにしたような顔をしやがって!(バナナマンの日村に似ていたので)


正直言うと、その程度の不愉快さなのだが、私はそれからしばらくの間、機嫌が悪かった。




2010/09/29 AM 06:44:38 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]



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