Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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喧嘩を売る
フリーランスは、気楽か。

前回、営業のあとに、多摩川の河川敷で寝転がってクリアアサヒを飲んだことを書いたら、「いいよねえ、自由業者は気楽で」と、ある方面から、たいへん浅薄なご意見をいただいた(コメント欄にも、同じようなご意見があった)。

心に余裕のあるときは、「そうですよ。気楽ですよ」と受け流すが、心に少しでも鬱屈を溜め込んでいるとき、私はムキになる。

今回の相手には、こういう言い方はしなかったが、以前、私はこう答えたことがあった。


じゃあ、代わってあげましょうか。


私がそう言うと、必ず相手の目が、一瞬泳ぐ。
飼っていたペットに反撃されたような、戸惑った顔になる。


言っておきますが、私はサラリーマンを経験して、フリーランスになりました。
そして、さらに言いますが、私はサラリーマンを失格したから、フリーランスになったわけではありません。
自分の意志で、フリーランスになったのです。

だから、私は今すぐサラリーマンに戻ることが出来ます。
しかし、サラリーマンしか経験したことのない人には、フリーランスという立場は、底の抜けたボートのようなもの。
フリーランスは、確固たる意志と経験で、ボートの底を修復しながら、漕ぐ技術を知っています。
しかし、そうでない人は、すぐに溺れてしまうでしょう。

どうですか、あなた。
今すぐ、底の抜けたボートで、海に出る覚悟はありますか?


こんな失礼なことを言ったことが、いままでに2回あった。
いずれも、得意先の年輩の担当者に対してだ。

それから数回仕事をいただいたが、当然のことだが、いつの間にか、その会社からは仕事が来なくなった。

自業自得。

昼日中から、多摩川の河川敷でクリアアサヒを飲んだ、と書けば、誰もが気楽だと思うだろうが、私はその前に濃厚な三日間を過ごしているのである。
私は、その三日間が、どの程度濃厚で、どれほど頭脳と肉体に負荷がかかったかを書かなかった。
だから、お気楽に見えたのだろう。

いま、私はサラリーマンに戻ってもやっていける自信が、それなりにあるが、サラリーマンが大変だということも、充分理解している。
そして、フリーランスが大変なことは、いま現実問題として、身に染みてわかっている。

私が、多摩川の河川敷で寝転がるのは、営業マンが公園のベンチで、つかの間からだを休めるのと同じことだと思って欲しい。

いま、私のことを「気楽でいいよね」と言ったひと。

同じように、公園で休む営業マンに「あなた、気楽でいいよね」と言ってみてください。

それを、世間では「喧嘩を売る」と言うんです。



同じようなことなのかどうか・・・・・。

私は最近、日本の最高権力者は、移り気なメディアと有権者、識者から、毎回喧嘩を売られているようなもの、と思うことがある。

その結果、一年ごとに「交代させられている」。

首相の揚げ足を取り、その揚げ足取りに加担し、毎回のように「無能だ」コールを繰り返している人たち。

私は、いつも不思議に思っている。


昔は、本当に良かったのか・・・・・と。


いまの日本を嘆くことしか興味がない人たちは、いったい頭の中に、どんな理想の日本を思い描いているのだろうか。

格差のない社会。
失業率の少ない社会。
倒産の少ない社会。
福祉の充実した社会。
官僚が国を私物化しない社会。
そして、底抜けに景気のいい社会。

私もそうあって欲しいが、そのうちの一つ二つでも叶えられる能力を持った政治家が今いるとは、私には思えないのである。

それは、メディアや有権者、識者たちが、短気で移り気だからだ。
短気だから、長いビジョンを持った政治家の可能性を些細なことで摘んでしまって、首相がコロコロ代えられる。

首相が代わるということは、政策に一貫性がないということ。
政策がその都度断ち切られるから、政治家が長いビジョンを持つことを諦めて、官僚に頼ることになる。
それの繰り返しだ。

それで、景気を良くしろ、暮らしを良くしろというのは、虫が良すぎる。

私は常々思っているのだが、人々はもうそろそろ高度成長の幻想から抜け出すときではないだろうか。

かつての高度成長時代。

いまや人口を武器に経済大国にのし上がった中国は、当時、トラック競技で言えば、周回遅れの選手だった。
おそらく、日本より二周程度、遅れていた。

超大国アメリカも、ややペースダウンしているときだった。
ソビエト連邦は、無理を重ねて、息も絶え絶えだった。

そんなときは、たとえ「三角大福」が、醜い権力闘争を繰り返していても、日本はペースを挙げていられた。
極端なことを言えば、経済音痴の指導者でも、日本丸の舵を取ることが出来た。

だが、馬力ある中国が日本に追いついた今、皆がノスタルジーを感じるブルドーザー政治家が、たとえ指導者として甦っても、彼は空論を言うだけで、指導力は発揮できないだろう。

当時とは、世界情勢がまったく違うのである。

それは、最近やたら経済評論家や政治評論家から持ち上げられているオザワ氏でも、同じではないだろうか。

中国経済の脅威と折り合いを付けなければ、日本の景気は良くならない、と私は思っている。
総合的な国のかたちとしては、先進国とは言えない国だが、ブラックマーケットを含めて、中国経済の稼働域は、まだまだ広がる要素を持っている。

その中国や為替相場に対して、有効な政策を打ち出すのは、たった一年では無理だ。

経済評論家は「できる」と言うかもしれないが、経済評論家の予測と預言者の予言は、当たったためしがない。

それは、四年制大学を一年で卒業しろ、と言っているようなものである。
大学に「飛び級」はあるかもしれないが、政治の世界に飛び級はない。
大学は、カリキュラムに沿って単位を取るだけでいいが、政治にカリキュラムはないのである。

私は、いま、どん底生活を送っている自覚があるが、まだ少しの間、どん底生活をしても我慢できる。
現実的な話、仕事が相当減ったから、娘の高校受験、息子の大学の授業料、高齢の母親の入院費などが家計を圧迫している。
どん底だから、ボートの底が抜けたら、一家揃って溺れ死ぬことになる。

そんな悲惨な状態ではあるが、いま少し待つことが出来る。

だから、一年もたたないうちに、「結果を出せ」と詰め寄る気は、私にはない。
いま、政治家に喧嘩を売っているときではないはずである。
相手の胸倉をつかんで脅すより、裁判員裁判の裁判員のように、相手のいうことをよく聞いてから、審判を下す冷静さを持つべきだ。


そして、いざ判決のときが来たら、そのときは、背中の桜吹雪でも、昇り龍でも見せてやりやしょうや。




ところで、中国に限らず、よその国の外交は、喧嘩腰の場合が多い。
(日本が外国に喧嘩を売ったら、世界中から叩かれるが、その逆は容認されるという図式には、もう慣れてしまった)

いつでも戦争の覚悟のある国と、戦争に負けてプラスチックの鎧を着ざるを得ない国とでは、気持ちの上で勝負にならない。
相手は、鉄の鎧兜の他に、人類を確実に破滅に導く最終兵器まで持っているのである。

彼は、最初から、最大限のアドバンテージを持っているのだ。

それに、国民の間に芽生えた民主主義の芽を、その都度、戦車で踏み潰してきた過去を持つ国だ。

オリンピックと万博の時だけ、民主国家になっているが、戦車の主砲は、今も何かあれば国民の方を向いていて・・・・・・・・・。


彼らと対等に戦うには、相撲で言えば「肩すかし」、喧嘩だったら「死んだふり」しかないと私は思っているのだが、そんなことを言ったら、イシハラ都知事大先生は、烈火のごとくお怒りになるでしょうね。

あるいは、昨年のことでしたか、143人の国会議員様を従えて、かの国にご機嫌を伺いに行ったオザワ大先生なら、今回のことは、何とかしてくださったでしょうか。


日本は平和な民主主義国家だから、そうではない国と接するときには、周辺に味方をたくさん作るべきだ。
日本が味方をたくさん作れば、かの国も、いつまでも無法国家ではいられないだろう。

私は、それが外交だと思うのだが・・・・・。





2010/09/27 AM 06:40:32 | Comment(3) | TrackBack(0) | [フリーランスの心得]



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