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● 顔面先生 |
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もう一度、娘の授業参観の話を。
休み時間に、私が娘の友だち数人と親しげに話をしていると、父兄や男子生徒たちの視線が、戸惑いを含んで通り過ぎる。
娘の友だちと仲が良いのは、私の感覚としては普通だが、息子が中学のときにも、そういった視線を浴びることがよくあった。
浴びるだけでなく、陰で「子どもに媚びている。迎合している」と言われたこともある。
私としては、自分の子どもの友だちのことをよく知りたいだけなのだが、ひとは「何か」を言いたがる。
大学時代、教育実習で母校の中学に行ったときも、同じように「何か」を言われた。
私が教えたのは、社会科。 教えるのは得意ではないが、それが終わらないと単位が貰えないので、単位のために、先生のふりをした。
二日目には、もう私にニックネームが付いていた。
それは、「顔面先生」。
けっして、顔面が人と比べて大きいから、というわけではない(私は美人の条件といわれる小顔です)。 二日目の体育の授業を担当の教師が所用で休んだため、その授業は自由時間となった。 そこで、からだが空いていた私が、授業を見ることになった。
そのとき、体育の授業がソフトボールだったこともあり、そのままソフトボールの試合をすることになった。 最初は、生徒たちが、打ったり走ったりするのを見ているだけだったが、途中で生徒の一人が「先生も投げてよ」とリクエストしてきた。
私は硬球なら、時速100マイルの剛速球が投げられるが、大きなソフトボールは、苦手だった。 だから、下手から投げた球が、自分の思ったところとは大きく外れて、生徒たちの顔面あたりに球が集中することになった。
投げたのは、ゆるい球だったので、生徒たちは簡単によけることが出来た。 そして、彼らは、それをむしろ楽しんだ。
自分の顔面に向かってくる球を、みな「ワーイ」と言って、よけたのである。
そうして、付けられたあだ名が、「顔面先生」。
休み時間に、廊下を歩いていると、あちこちから「顔面先生」と声をかけられる。
給食の時間に、クラスで生徒たちと給食を食っていると、「顔面先生は、彼女いるの?」とお決まりの質問をされる。
私が、「彼女はいないけど、これはいる」と親指を立てると、クラス全体がドッと受ける。 私にしてみれば、お決まりの儀式のようなものだが、あとで担任に呼ばれ、「人気取りも、ほどほどにしろよ」と、お小言をいただいた。
そして、「Mくんは、教師には向かないね。生徒のご機嫌ばかり窺っているからね。ボールを顔面に投げるのも、あれは、わざとなんだろ。子どもたちの人気者になるのに、一生懸命なんだろ」と言われた。
それを「はい」「おっしゃるとおりです」と聞いていれば、可愛い気もあったのだろうが、生意気な私は反論するのである。
俺は、子どもたちと、ただ触れ合いたいだけなんです。 教師になろうとは思っていませんが、子どもたちと心が繋がれば、俺はそれで満足です。
いまなら、そんな自分を「馬鹿で青臭いやつ」と笑うところだが、その時は、ただ真面目に、そう思っていた。
あとで聞いたところでは、私の教育実習が終わる前に、「顔面先生と記念にソフトボール大会がしたい」と申し出た勇気ある生徒が、数人いたらしい。 もちろん、それは却下されたが、私はそれを聞いて、心を熱くした。
「触れ合った」のではないか、と思った。 それは、錯覚だったかもしれないが、2週間分の結果は残したのではないかと、私は今でも思っている。
第三者から、子どもに媚びていると言われても、人気取りだと思われてもかまわない、と今では開き直ってもいる。
息子が中学の時は、授業参観に行くと、休み時間に廊下を歩いていると、あっちこっちから「マッちゃんのお父さん」と声がかかった。
それが、いまは「マツコのパピー」である。
声がかかっているうちは、子どもたちと触れ合っている、と勝手に思っている。
思うのは、勝手だから・・・・・。
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2010/09/23 AM 08:28:29 |
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