Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
[TOP] [RSS] [すくすくBLOG]








コロッケパン、不愉快な思い出
不愉快な言葉を聞いて、不愉快なことを思い出した。

武蔵境イトーヨーカドーのフードコートで、コロッケパンを齧りながらコーヒーを飲んでいたときのことだった。

隣のテーブルに、四人家族がいた。
40歳前後の夫婦と、8歳と12歳くらいの娘。

その娘たちに向かって、父親が、こう言ったのだ。

「いいかい。おまえたちは、絶対に朝鮮人や中国人たちと付き合ってはいけないよ」

それを聞いて、私はコロッケを喉に詰まらせそうになった。

そして、コーヒーを飲むことで、コロッケを、かろうじて正しい食道の位置に流し込もうとしたとき、私の灰色の脳細胞に、ある記憶がよみがえった。



私には、20歳近く年の離れた従兄弟がいる。
彼は、私が小学生の頃、中目黒の我が家から三百メートルほど離れた下宿で暮らしていた。
彼は、世田谷区の中学の教師をしていた。

いつも気難しい顔をしていて、尊大な雰囲気を撒き散らし、私の両親や姉と私に、ときに辛辣な言葉を浴びせかけ、説教までした。
ただ、同居していた私の祖母の前では、彼は借りてきた猫同然だった。

祖母は若い頃、師範学校の教師をしていたからか、従兄弟とは人間としての格の違いが歴然だった。
従兄弟は「マー兄ちゃん」と呼ばれていたが、祖母が「マー兄ちゃん」と呼ぶと、彼の顔つきがいつも変わった。
目に落ち着きがなくなり、言葉の最初がうまく出なくなって、声がかすれた。
要するに、オドオドした。

しかし、祖母がいないときは、いつも口元に皮肉な影を浮かべ、誰に対しても小バカにしたような口調で話した。
学校で生徒に教えるときも、おそらくそうだったに違いない。

マー兄ちゃんは、一度結婚して、近所の下宿を出て行った。
しかし、半年後に、また戻ってきた。
奥さんが家を出て行ったからだ、と母が言っていた。

その後、30過ぎに、また結婚したマー兄ちゃんだったが、そのときは、ひっそりと下宿を出て行き、一年後に、またこっそりと戻ってきた。
戻ってきたことを下宿の大家さんから知らされたが、本人が挨拶に来ないのだから、我が家では、彼のことは放っておこうということになった。

私が数回、道端でマー兄ちゃんを見かけたとき、彼の様相は荒んで、目はさらに険を増していた。
髪の毛も薄くなって、50歳近くに老けて見えた。

マー兄ちゃんは、世田谷の中学から墨田区の中学に移ったらしいが、あの荒んだ姿で教えられる生徒たちは可哀想だな、と子ども心に思った。
ただ、荒んだ狂気を持った教師が、有能な教師という場合もありうるから、こればかりは何とも言えない。

私の祖母が死んだとき、マー兄ちゃんは、三百メートルの近さにいながら、通夜にも葬式にも来なかった。

そのことに関しては、母は今でも怒っていて、13年前に、母たちが中目黒から川崎に引っ越すとき、どこから聞きつけたのか、マー兄ちゃんが挨拶にやってきたことがある。
それは、20年以上音信不通だったくせに、何の前触れもなくやって来るという、いかにもマー兄ちゃんらしい訪問の仕方だった。

そのとき、滅多に怒らない母が、「母の葬儀にも来なかった人間を家に上げるわけにはいかない」と厳として言って、追い返したという。
マー兄ちゃんは、そのとき50半ばだったが、母と変わらない70過ぎの老人に見えた、と母が言っていた。

マー兄ちゃんが二度目の離婚をして、こっそり下宿に帰ってきた頃、今でも忘れることのできない、ある出来事が起きた。
私が中学一年のときのことだった。
私は、友だちと近所の空き地で、野球をしていた。

そこに、ふらりとマー兄ちゃんが、やって来たのである。
背を丸めて、右手には折れた枝を持ち、その枝を振りながら、彼は私たちが野球をしている真ん中に歩いてきて、仁王立ちした。
そして、投手の位置にいた私を睨んだ。

予期せぬ男の侵入に、仲間内で一番血の気の多い男が、「どけよ!」と怒鳴った。
しかし、マー兄ちゃんは、その声に振り返ることなく、背中を丸めた上半身を左右に揺すりながら、「うるせえ!」と吠えた。
ただ、その声は、とても掠れていて、つかれきった老犬の吠え声のようだった。

私が、「この人は、俺の知り合いだから」と言うと、血の気の多い友だちは、給食で彼が嫌いなグリーンピースが出たときのような戸惑った顔になった。
私が、彼に向かって、もう一度うなずくと、彼は苦手なグリーンピースを飲み込むように、苦い顔でうなずいた。

目の前の、髪の薄くなった、初老にしか見えない30過ぎの男は、私の目をまだ睨んでいた。
マー兄ちゃんが、なぜ私を睨むのか、そのときの私にはまったく心当たりがなかった。
近くに住んでいる従兄弟とはいえ、向こうから付き合いを断ち切ったのだから、私たち二人に、接点はないはずだった。

「俺に何か用ですか」と声をかけるのも憚られるほど、マー兄ちゃんの目は、すべてを拒絶していた。
それは、中学教師の目ではなかった。

強いて言えば、それは心に闇を抱えた夢遊病者の目だった。
私を睨んではいたが、彼の目の焦点は私に合っていなかった。
ただ、酔っ払っているようではなかった。
彼は、酒が飲めないはずだった。

マー兄ちゃんは、曖昧でぼやけた視線を私に向けたまま、折れた枝を地面に叩きつけ、掠れた声で叫んだ。

「朝鮮人なんか、嫌いだ! 結婚してやったのに、俺を裏切りやがって!」
「一度目も! 二度目も!」

そして、折れた枝の先を私に向けて、マー兄ちゃんは、こう言ったのだ。
「サトル! おまえは、朝鮮人なんかと結婚するな! あいつらは、恩知らずだ!」


醜悪なもの。


彼が、誰と結婚して、どうなったのか、そのときの私は知らなかったし、今も知らない。

だが、そのとき、私は生まれてはじめて、醜いものを見たような気がした。

私の心の中で、何かが沸き立って、私はマー兄ちゃんに、グローブを投げつけていた。
マー兄ちゃんは、腹の真ん中でそれを受けて、あっけなく後ろに倒れた。

そして、醜い男は、緩慢な動作でからだを起こし、折れた枝を私に向かって投げたあと、背を丸めて空き地を逃れていった。

それを見ていた私の友だちは、腐りかけの駄菓子を食わされたときのような、酸っぱい顔をして、お互いの顔を見合わせていた。

私はと言えば、すぐに冷静になって、まわりの空気が落ち着くまで、ショートを守っていた台湾生まれの大富豪の息子・頼君とキャッチボールを繰り返した。



キレイごとを言うつもりは、私にはない。
私の心にも差別の感情はあるから、それを否定することもしない。

ただ、それは人に強制するものではないし、親が子に伝えたりするものでもない。


だから、私は心の中で悪態をついたのだ。


俺が、楽しくコロッケパンを齧っているときに、親が子に得意気に教えるんじゃないよ!

しかも、俺に、下らないことまで、思い出させやがって!

コロッケの味が、まったくわからなかったじゃないか。

日村の顔をハロウィンのカボチャにしたような顔をしやがって!(バナナマンの日村に似ていたので)


正直言うと、その程度の不愉快さなのだが、私はそれからしばらくの間、機嫌が悪かった。




2010/09/29 AM 06:44:38 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]

喧嘩を売る
フリーランスは、気楽か。

前回、営業のあとに、多摩川の河川敷で寝転がってクリアアサヒを飲んだことを書いたら、「いいよねえ、自由業者は気楽で」と、ある方面から、たいへん浅薄なご意見をいただいた(コメント欄にも、同じようなご意見があった)。

心に余裕のあるときは、「そうですよ。気楽ですよ」と受け流すが、心に少しでも鬱屈を溜め込んでいるとき、私はムキになる。

今回の相手には、こういう言い方はしなかったが、以前、私はこう答えたことがあった。


じゃあ、代わってあげましょうか。


私がそう言うと、必ず相手の目が、一瞬泳ぐ。
飼っていたペットに反撃されたような、戸惑った顔になる。


言っておきますが、私はサラリーマンを経験して、フリーランスになりました。
そして、さらに言いますが、私はサラリーマンを失格したから、フリーランスになったわけではありません。
自分の意志で、フリーランスになったのです。

だから、私は今すぐサラリーマンに戻ることが出来ます。
しかし、サラリーマンしか経験したことのない人には、フリーランスという立場は、底の抜けたボートのようなもの。
フリーランスは、確固たる意志と経験で、ボートの底を修復しながら、漕ぐ技術を知っています。
しかし、そうでない人は、すぐに溺れてしまうでしょう。

どうですか、あなた。
今すぐ、底の抜けたボートで、海に出る覚悟はありますか?


こんな失礼なことを言ったことが、いままでに2回あった。
いずれも、得意先の年輩の担当者に対してだ。

それから数回仕事をいただいたが、当然のことだが、いつの間にか、その会社からは仕事が来なくなった。

自業自得。

昼日中から、多摩川の河川敷でクリアアサヒを飲んだ、と書けば、誰もが気楽だと思うだろうが、私はその前に濃厚な三日間を過ごしているのである。
私は、その三日間が、どの程度濃厚で、どれほど頭脳と肉体に負荷がかかったかを書かなかった。
だから、お気楽に見えたのだろう。

いま、私はサラリーマンに戻ってもやっていける自信が、それなりにあるが、サラリーマンが大変だということも、充分理解している。
そして、フリーランスが大変なことは、いま現実問題として、身に染みてわかっている。

私が、多摩川の河川敷で寝転がるのは、営業マンが公園のベンチで、つかの間からだを休めるのと同じことだと思って欲しい。

いま、私のことを「気楽でいいよね」と言ったひと。

同じように、公園で休む営業マンに「あなた、気楽でいいよね」と言ってみてください。

それを、世間では「喧嘩を売る」と言うんです。



同じようなことなのかどうか・・・・・。

私は最近、日本の最高権力者は、移り気なメディアと有権者、識者から、毎回喧嘩を売られているようなもの、と思うことがある。

その結果、一年ごとに「交代させられている」。

首相の揚げ足を取り、その揚げ足取りに加担し、毎回のように「無能だ」コールを繰り返している人たち。

私は、いつも不思議に思っている。


昔は、本当に良かったのか・・・・・と。


いまの日本を嘆くことしか興味がない人たちは、いったい頭の中に、どんな理想の日本を思い描いているのだろうか。

格差のない社会。
失業率の少ない社会。
倒産の少ない社会。
福祉の充実した社会。
官僚が国を私物化しない社会。
そして、底抜けに景気のいい社会。

私もそうあって欲しいが、そのうちの一つ二つでも叶えられる能力を持った政治家が今いるとは、私には思えないのである。

それは、メディアや有権者、識者たちが、短気で移り気だからだ。
短気だから、長いビジョンを持った政治家の可能性を些細なことで摘んでしまって、首相がコロコロ代えられる。

首相が代わるということは、政策に一貫性がないということ。
政策がその都度断ち切られるから、政治家が長いビジョンを持つことを諦めて、官僚に頼ることになる。
それの繰り返しだ。

それで、景気を良くしろ、暮らしを良くしろというのは、虫が良すぎる。

私は常々思っているのだが、人々はもうそろそろ高度成長の幻想から抜け出すときではないだろうか。

かつての高度成長時代。

いまや人口を武器に経済大国にのし上がった中国は、当時、トラック競技で言えば、周回遅れの選手だった。
おそらく、日本より二周程度、遅れていた。

超大国アメリカも、ややペースダウンしているときだった。
ソビエト連邦は、無理を重ねて、息も絶え絶えだった。

そんなときは、たとえ「三角大福」が、醜い権力闘争を繰り返していても、日本はペースを挙げていられた。
極端なことを言えば、経済音痴の指導者でも、日本丸の舵を取ることが出来た。

だが、馬力ある中国が日本に追いついた今、皆がノスタルジーを感じるブルドーザー政治家が、たとえ指導者として甦っても、彼は空論を言うだけで、指導力は発揮できないだろう。

当時とは、世界情勢がまったく違うのである。

それは、最近やたら経済評論家や政治評論家から持ち上げられているオザワ氏でも、同じではないだろうか。

中国経済の脅威と折り合いを付けなければ、日本の景気は良くならない、と私は思っている。
総合的な国のかたちとしては、先進国とは言えない国だが、ブラックマーケットを含めて、中国経済の稼働域は、まだまだ広がる要素を持っている。

その中国や為替相場に対して、有効な政策を打ち出すのは、たった一年では無理だ。

経済評論家は「できる」と言うかもしれないが、経済評論家の予測と預言者の予言は、当たったためしがない。

それは、四年制大学を一年で卒業しろ、と言っているようなものである。
大学に「飛び級」はあるかもしれないが、政治の世界に飛び級はない。
大学は、カリキュラムに沿って単位を取るだけでいいが、政治にカリキュラムはないのである。

私は、いま、どん底生活を送っている自覚があるが、まだ少しの間、どん底生活をしても我慢できる。
現実的な話、仕事が相当減ったから、娘の高校受験、息子の大学の授業料、高齢の母親の入院費などが家計を圧迫している。
どん底だから、ボートの底が抜けたら、一家揃って溺れ死ぬことになる。

そんな悲惨な状態ではあるが、いま少し待つことが出来る。

だから、一年もたたないうちに、「結果を出せ」と詰め寄る気は、私にはない。
いま、政治家に喧嘩を売っているときではないはずである。
相手の胸倉をつかんで脅すより、裁判員裁判の裁判員のように、相手のいうことをよく聞いてから、審判を下す冷静さを持つべきだ。


そして、いざ判決のときが来たら、そのときは、背中の桜吹雪でも、昇り龍でも見せてやりやしょうや。




ところで、中国に限らず、よその国の外交は、喧嘩腰の場合が多い。
(日本が外国に喧嘩を売ったら、世界中から叩かれるが、その逆は容認されるという図式には、もう慣れてしまった)

いつでも戦争の覚悟のある国と、戦争に負けてプラスチックの鎧を着ざるを得ない国とでは、気持ちの上で勝負にならない。
相手は、鉄の鎧兜の他に、人類を確実に破滅に導く最終兵器まで持っているのである。

彼は、最初から、最大限のアドバンテージを持っているのだ。

それに、国民の間に芽生えた民主主義の芽を、その都度、戦車で踏み潰してきた過去を持つ国だ。

オリンピックと万博の時だけ、民主国家になっているが、戦車の主砲は、今も何かあれば国民の方を向いていて・・・・・・・・・。


彼らと対等に戦うには、相撲で言えば「肩すかし」、喧嘩だったら「死んだふり」しかないと私は思っているのだが、そんなことを言ったら、イシハラ都知事大先生は、烈火のごとくお怒りになるでしょうね。

あるいは、昨年のことでしたか、143人の国会議員様を従えて、かの国にご機嫌を伺いに行ったオザワ大先生なら、今回のことは、何とかしてくださったでしょうか。


日本は平和な民主主義国家だから、そうではない国と接するときには、周辺に味方をたくさん作るべきだ。
日本が味方をたくさん作れば、かの国も、いつまでも無法国家ではいられないだろう。

私は、それが外交だと思うのだが・・・・・。





2010/09/27 AM 06:40:32 | Comment(3) | TrackBack(0) | [フリーランスの心得]

ちょっとした現実逃避
三日間ほど、忙しい日々を過ごした。

いまは、二週間に一度だけ、仕事が集中することがある。

忙しかったときのことを言っても意味がないのはわかっているが、3、4年前までは、それなりに毎日忙しかった。
休むのは、稀だった。
それが、いまは二週間に三日程度の忙しさに落ち込んだ。

他にも仕事はあるが、それはささやかなもので、真剣に取り組めば2時間ほどで終わってしまう程度のものである。

我が家には、私が暇な時間を過ごすことに、過剰に反応する人間がいるので、それを避けるために、少ない仕事を分散させて、週5日働くことにしている。
ただ、仕事量自体は、頑張って仕事をすれば週休3日の生活が出来るほどのものだが。

二週間に一度だけでも、集中的に仕事が出来ることは、とてもありがたいことだと思うが、ありがたがるだけでは前に進めないので、週に一度は営業に出ることにしている。


東京が、今年最後の真夏日だった日。
以前から約束していた、稲城市に住む同業者の仕事場を訪ねた。

トレースの仕事があるというので、ヨダレを垂らしながら、行ってきた。
そして、36歳の同業者から、大量のトレースの仕事を貰った。

そのとき、初対面の同業者に「Mさん。ちょっとイメージと違いましたね」と言われた。

どのように違いました?

「もっと浮世離れしていると思いました」

まともな人間に見えたようである。
喜ばしいことだ。


浮世離れしていない男は、帰りに多摩川の河川敷で、憩いのひとときを持った。

バッグには、小さな保冷バッグの中に、さらに保冷剤で巻いたクリアアサヒが2本、総武線の満員電車のように窮屈そうに、身を寄せ合っていた。

そして、どういうわけか、バッグの中には一畳敷きのビニールシートも忍ばせてあった。
それを木陰に敷いて、四隅に適当な大きさの石を置いて固定した。

ネクタイを外し、ワイシャツを脱ぎ、ズボンを脱いだ(変態か?)。
しかし、私は変態ではなく、バッグに短パンとTシャツを入れて持ってきていた。
さらに、ビーチサンダルも持ってきていた。

自分で自分に「営業に行ったんじゃないのかよ」と、突っ込んだ。

だが、突っ込みは、暑い空気の中に、陽炎のように消えていった。

午後2時20分。
着替えて、横になる。
太陽が、元気だ。
まるで、フルマラソンの最後200メートルを全力疾走しているような頑張りである。

今年の夏の太陽は、自己最高記録を更新したに違いない。

からだを起こして、冷えたクリアアサヒを飲む。
そして、1本だけ持ってきた「チーかま」を齧る。
これが、私の昼食だ。

太陽は頑張っているが、木陰に侵入してくる風は、秋の気配を感じさせて、心地よい。
夏草越しに見える多摩川が、強い陽を照り返して、キラキラ光って綺麗だ。
遠くから下手くそなトランペットの音色が聞こえてきたので、一瞬眉をひそめたが、それも自然の中の音だと思えば、許せると思い直した。

自然は、人の心に余裕のすき間を開け、人を優しくする。

暑いからなのか、私の半径百メートル以内には、誰もいない。
犬を散歩させている人もいない。
草木と川の水以外、動いているものが、まったくない。

孤島にいるようなものかもしれない、と思った。

私の心が、どう動いたのか、自分でも判断できないのだが、2本目のクリアアサヒを飲んでいるときに「帰りたくない」と、つぶやいていた。

誰もいない。
何も邪魔するものがない。
誰にも束縛されない、最高の環境。

これこそ、俺が求めていたものなのかもしれない。

しかし、それはよく考えてみれば、たった半径百メートルほどの孤独な空間。

それじゃ、ちっぽけすぎるだろう、と自分を笑ってみる。

だが、居心地はいい。

こんなに居心地のいい空間を手にしたことは、久しくなかった。
開放的な気持ちと現実との距離感が、「帰りたくない」という言葉になったのかもしれない。

クリアアサヒが、心の襞とからだの細胞に染み込んでいく現実離れした時間が、緩やかに流れていった。

緑の芝が、何か異次元の世界へ続く絨毯のように感じられて、思わず裸足で歩いていた。
足の裏に夏の名残りの熱気を感じながら、飽きるまで歩いた。

汗をかいたので、Tシャツを脱いで、ビニールシートまで戻り、持ってきたタオルで汗を拭いた。
その間、5回ほど「帰りたくない」とつぶやいた。

だが、そんな私を現実に引き戻すように、5時を告げるチャイムが鳴った。

チャイムを聞きながら、ビニールシートを畳み、靴やワイシャツをバッグに詰めた。
帰り支度が整って、立ち上がったとき、数人の子どもたちの笑い声が聞こえた。

それを聞いて、確実に異次元から生還した。

自転車で稲城市、調布市、三鷹市を通って、アパートに帰った。


すぐに、晩飯の支度にかかった。

酢豚とあんかけ焼きソバとワンタン・ラー油スープ。

これは、うまかった。


うん。

本当に、現実的に、うまかった。




2010/09/25 AM 09:03:51 | Comment(5) | TrackBack(0) | [日記]

顔面先生
もう一度、娘の授業参観の話を。

休み時間に、私が娘の友だち数人と親しげに話をしていると、父兄や男子生徒たちの視線が、戸惑いを含んで通り過ぎる。

娘の友だちと仲が良いのは、私の感覚としては普通だが、息子が中学のときにも、そういった視線を浴びることがよくあった。

浴びるだけでなく、陰で「子どもに媚びている。迎合している」と言われたこともある。

私としては、自分の子どもの友だちのことをよく知りたいだけなのだが、ひとは「何か」を言いたがる。


大学時代、教育実習で母校の中学に行ったときも、同じように「何か」を言われた。

私が教えたのは、社会科。
教えるのは得意ではないが、それが終わらないと単位が貰えないので、単位のために、先生のふりをした。

二日目には、もう私にニックネームが付いていた。

それは、「顔面先生」。

けっして、顔面が人と比べて大きいから、というわけではない(私は美人の条件といわれる小顔です)。
二日目の体育の授業を担当の教師が所用で休んだため、その授業は自由時間となった。
そこで、からだが空いていた私が、授業を見ることになった。

そのとき、体育の授業がソフトボールだったこともあり、そのままソフトボールの試合をすることになった。
最初は、生徒たちが、打ったり走ったりするのを見ているだけだったが、途中で生徒の一人が「先生も投げてよ」とリクエストしてきた。

私は硬球なら、時速100マイルの剛速球が投げられるが、大きなソフトボールは、苦手だった。
だから、下手から投げた球が、自分の思ったところとは大きく外れて、生徒たちの顔面あたりに球が集中することになった。

投げたのは、ゆるい球だったので、生徒たちは簡単によけることが出来た。
そして、彼らは、それをむしろ楽しんだ。

自分の顔面に向かってくる球を、みな「ワーイ」と言って、よけたのである。

そうして、付けられたあだ名が、「顔面先生」。

休み時間に、廊下を歩いていると、あちこちから「顔面先生」と声をかけられる。

給食の時間に、クラスで生徒たちと給食を食っていると、「顔面先生は、彼女いるの?」とお決まりの質問をされる。

私が、「彼女はいないけど、これはいる」と親指を立てると、クラス全体がドッと受ける。
私にしてみれば、お決まりの儀式のようなものだが、あとで担任に呼ばれ、「人気取りも、ほどほどにしろよ」と、お小言をいただいた。

そして、「Mくんは、教師には向かないね。生徒のご機嫌ばかり窺っているからね。ボールを顔面に投げるのも、あれは、わざとなんだろ。子どもたちの人気者になるのに、一生懸命なんだろ」と言われた。

それを「はい」「おっしゃるとおりです」と聞いていれば、可愛い気もあったのだろうが、生意気な私は反論するのである。


俺は、子どもたちと、ただ触れ合いたいだけなんです。
教師になろうとは思っていませんが、子どもたちと心が繋がれば、俺はそれで満足です。


いまなら、そんな自分を「馬鹿で青臭いやつ」と笑うところだが、その時は、ただ真面目に、そう思っていた。

あとで聞いたところでは、私の教育実習が終わる前に、「顔面先生と記念にソフトボール大会がしたい」と申し出た勇気ある生徒が、数人いたらしい。
もちろん、それは却下されたが、私はそれを聞いて、心を熱くした。

「触れ合った」のではないか、と思った。
それは、錯覚だったかもしれないが、2週間分の結果は残したのではないかと、私は今でも思っている。

第三者から、子どもに媚びていると言われても、人気取りだと思われてもかまわない、と今では開き直ってもいる。


息子が中学の時は、授業参観に行くと、休み時間に廊下を歩いていると、あっちこっちから「マッちゃんのお父さん」と声がかかった。

それが、いまは「マツコのパピー」である。


声がかかっているうちは、子どもたちと触れ合っている、と勝手に思っている。

思うのは、勝手だから・・・・・。




2010/09/23 AM 08:28:29 | Comment(2) | TrackBack(0) | [子育て]

極悪人
黒い髪の毛で授業参観に行くという義務は、何とか果たした。

中学3年の娘に、髪が黒い方が10歳若く見えるとたぶらかされて、禁断の白髪染めを使い、顔が宇宙人・ハトヤマになっていた日。
それを自撮りして、フォトショップで3倍以上醜く修正して、何人かにメールを送った。

すぐに返事が返ってきたのは、天才WEBデザイナー・タカダ君(通称ダルマ)だった。

「師匠、はやく病院に行ってください。あまりにひどくて、トモちゃんには見せられなかったですよ。胎教に悪いんで」
メールを送って、10分もたたないうちの電話だった。

次に反応があったのは、大学時代の友人シバタ(ハゲ)。
出先から、携帯で連絡をしてきた。
「おまえ、またタチの悪いいたずらをしてるだろ? いい歳をして恥ずかしいから、もうやめろ」

日ごろの行いが悪いと、人から信用されないという典型である。

逆に一人、激しく反応したのが、テクニカルイラストの達人・イナバだった。
夕方に、私のアパートにいきなり訪れて、「大丈夫ですかぁ。病院に行きましょう。今すぐ行きましょう」と、額に汗を浮かべて叫んだのだ。

しかし、イナバは、普通に宇宙人・ハトヤマになった私の顔を見て、首をかしげた。

なんか・・・・・送られた写真とは違うような・・・・・。

私は、そんなイナバの両肩を叩いて、穏やかに言った。
戦場カメラマンの渡部陽一氏のような口調で。

今日一日、顔全体、頭全体を冷やしていたら、だいぶ腫れが引いてきたんです。昨日は最悪の顔をしていましたが、今日は少しまともになりました。心配してくれてありがとう。やっぱり、持つべきものは、友ですね。

それを聞いて、イナバは、大きく息を吐いて、糸が切れたような動作で、椅子に腰を下ろした。
その顔は、まるで大切な何かをなくして、それを思い出せないような納得のいかない顔をしていた。

「Mさん。大丈夫? Mさんの大丈夫は、ちっとも大丈夫じゃないからな。医者行くの面倒くさい面倒くさいって言ってると、自分が死んだのも気づかなくなるよ」

ああ、それは、理想的な死に方だな。
ある日突然、何の痛みも感じないまま死ぬっていうのは、誰もが思うことじゃないの?
俺は、そんな風に死にたいな。

それを聞いて、イナバが、突然立ち上がった。
顔が紅潮している。
そして、鼻の穴を一気に膨らませて、吐き出した。

「なに勝手なこと言ってるの! あんた、残された人間のことを考えたことあるのかよ!」

真剣に怒られた。

それは、激情家の教師のような、熱い怒り方だった。

こんな風に人から怒られたことって、久しくなかったな。
俺は、いい友だちを持ったのかもしれない。

しみじみと友情を噛みしめていたら、イナバのナントカいう高級ブランドバッグ(ハンティングワールド?)からiPadらしきものが覗いているのが見えた。

私はiPadには、13パーセントしか興味がないので、見過ごしてもよかったが、イナバが私にかまって欲しくて、わざとiPadをはみ出させていたことも考えられるので、一応iPadに目をとめた。

その私の反応を見て、イナバは、ネコが太ったネズミを見つけたときのように舌なめずりして、少し身を乗り出した。
「この機会を逃してなるものか」
そんな意気込みが全身から立ち上っていた。

「あのね、これは、すごく・・・」

しかし、私は相手の興味を殺ぐのを得意としている男だ。
軟体動物のように、フニャフニャと相手の正のエネルギーをかわす技術は、プロと言っていい。

イナバに、私は言った。

iPadは、確かに優れた端末かもしれないが、アップルでは、これ以上の機能を持った機種を考えているらしいんだよ(ウソ)。
だから、iPadは、それまでの繋ぎらしいね(ウソ)。
アップルも商売がうまいよね。
近々、もっと画期的でデザインもクールなやつが出るって聞いたんだけど、その前に盛大に儲けておこうっていう戦略は、さすがとしか言いようがないね(ウソ)。

そんな私のホラ話を、真面目に受け取るアホのイナバ。

まるで、酸欠状態の鯉のように、口をパクパクと動かすだけ。

目も、高速で瞬きを繰り返している。

しかし、今回のイナバは、立ち直りが早かった。

「いいもん! 新しいのが出たら、また買うもん! そうしたら、このiPad、Mさんにあげるからね」

思い通りの展開。


心配して駆けつけた友をたぶらかす極悪人。

吐き気がするほどの極悪人だ。


そして、その極悪人は、尊大に言うのだ。


まあ、貰ってやらないこともないけどね。


断言するが、こんなやつは、ろくな死に方をしないと思う。




2010/09/21 AM 09:42:11 | Comment(10) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

メジャーでクリーンな3千本
まだ30本以上も打たなければいけないのに、あと200本まで○○本という、せっかちなカウントダウンが一ヶ月前から始まっていた。

カウントダウンは、10からが普通ではないのか。

安っぽくて、どこか憐れなカウントダウン。
イチローは、きっと、そんなものは望んでいないと思うのだが。


メジャーリーグの安打製造機・イチロー。

ヒットにこだわるがゆえに、日米に限らず、野球の盛んな韓国や台湾などでも、イチローへの評価は、賛否両論だと聞く。
下世話な表現では、「突っ込みどころ満載」ということになる。


内野安打が多い、という批判がある。

しかし、一番打者は、まずは出塁することが要求される打順である。
内野安打で出塁して、さらに盗塁をすれば、一番打者としての役割は充分に果たしたことになる。
その後、ホームに帰ってこられるかどうかは、相手投手の出来や、自軍の打者の調子による。

一番打者は、塁に出ればいいのである。
それが、ヒットでも四球でも。

メジャーリーグの最多安打記録を持つピート・ローズは、必要以上にガッツを表面に出すアメリカ人好みの選手だった。
つまり、イチローとは違うタイプの選手といっていい。

しかし、安打製造機という点では、同じであるにもかかわらず、彼はイチローに対して批判的である。
イチローが内野安打の割合が多いことを取り上げて、イチローのことを「世界一幸運なバッターだ」と評している。

足があまり早くなかったピート・ローズ自身は、内野安打が少なかったかもしれないが、ルールで認められている以上、内野安打は間違いなくヒットである。
その総数が少なければ、たまに打つ内野安打は幸運と言っていいが、数を重ねれば、それはある種のテクニックとして、評価できるのではないだろうか。

自己アピールこそが自分を正当化できる唯一のものだというアメリカという「特殊な国」では、ピート・ローズの主張は、そのアピールにより、自分を大きく見せることに成功している。

ただ、この過剰反応は、ピート・ローズが、イチローを怖がっているから、という風に捉えることもできる。
意地の悪い言い方をすると、野球賭博疑惑でメジャーから追放されたローズにとって、最多安打こそが、自己の存在を主張できる唯一のものかもしれないからだ。

しかし、メジャーリーグ・ファンに愛された、ピート・ローズのアピールに対して、同胞人は寛容だから、ローズの言い分が通れば、イチローが積み重ねたメジャーでの記録は、必然的に価値の薄いものになる。

だから、これから先、イチローが何本安打を積み重ねても、内野安打の多いメジャーでの記録は、ピート・ローズの「偉大な記録」を守るために、大きな疑問符をつけて語られる可能性がある。
いや、もう語られている。


他に、イチローがよく突っ込まれるのは、出塁率が、4割を超えた回数が少ないことだ。
近代野球では、出塁率が重視される。

強打者は、肝心な場面で勝負を避けられることが多いから、四球が多い。
四球の数が多いと、打率によって増減はあるが、出塁率が高くなる。
4割を超える出塁率は、強打者・好打者の証明であると評価される。

イチローは、好球必打の打者である。
自分が打てそうな球が来たら、躊躇なく打つ。
それで、ヒットになるときもあるし、凡打のときもある。

並の打者より、ヒットを打つ確率は高いが、その確率は、よくて3割5分。
好球必打の打者に、出塁率4割は厳しいのではないか、というのが私の判断だが、メジャーリーグで似たようなポジションにいるのが、レイズのカール・クロフォード選手。

彼は、盗塁のスペシャリストだが、イチローほど安定してヒットを打っているわけではない。
彼は、毎年いい成績を残しているが、出塁率4割には、ほど遠い選手だ。
ただ、イチローと同じように、玄人受けのするトップアスリートでもある。

私見だが、クロフォードは、出塁率4割を、まわりからそれほど要求されていないと思う。
彼は、普通に打って、走っていれば評価される選手なのだ。

それに対して、似たようなポジションにいながら、イチローはさらに上を求められる。
それは、現実的に言えば、年俸の差、ということなのかもしれない。
プロは、報酬に合ったパフォーマンスを求められる。

イチローは単打ばかりなのに、年俸が高すぎる、という厳しい見方もある。

メジャーリーグでは、たとえ打率が2割6分でも、本塁打30本、打点100の結果を出せば、強打者の評価を得られる。
彼は、打率3割3分、本塁打8本、打点50、盗塁40の一番打者よりも、確実にマスコミ受け・ファン受けがするのである。
たとえば、アルフォンソ・ソリアーノ選手は、本塁打の数が多いということで、イチローより上に評価されて、人気もある。

イチローは、好打者で、さらに俊足、守備も一流だが、シアトルと日本のファン以外には、打率2割6分、本塁打30本、打点100の選手より評価が低い。
イチローに関しては、ヒットを打つのが、他の選手よりうまくてヒットにこだわる選手と捉え、ゲームの流れを変える選手だとは思っていないようだ。

それは、ただ単に本塁打が、新聞の見出しになりやすいからだが、大見出しになってしまえば、たとえセンスがなくて守備が下手なソリアーノのような選手でも、活字が大きければ「スター」になれるというのが、現実なのである。

イチローに関して、「本塁打全盛の時代に、走攻守を含めたマルチな才能で、メジャーに革命を起こした」という好意的な記事もあったが、私には批判的な記事の方が多いように思われる。


プロは、数字がすべてである。
そのことを、イチローほどわかっている選手はいないだろう。
だから、メジャーでヒットを積み重ねることにこだわっている。

メジャーで3000本打てば、おそらく今までの批判は影を潜めて、イチローを「一流」と認めてくれるだろう。
長いメジャーの歴史で、3000本以上のヒットを打った選手は、今現在27人しかいないのである。
その記録は、「一流の冠」を得るに、充分なものだろう。

断言するが、「日米通算」なんて、都合がよすぎる。
たとえば、韓国で1500本の安打を打った選手が、日本に来て500本打ち、日韓通算で2千本安打になった。
だからといって、日本人は、2千本安打の選手として、彼を認めるだろうか。

「それは、ほとんど韓国の記録だから」、と必ず難癖をつけるはずである。

それと同じで、日米通算は、日本でのみ意味を持つ記録だ。
メジャーリーガーであるイチローに、それを押し付けるのは、記録の濫用だ。

イチローは、メジャーで新人王を獲っているのである。
それは、日本の記録がリセットされたということを意味している。
10年前から積み重ねられた安打こそ、イチローにとって、大きな意義を持っている。

いま、3千本安打までは、はるかに先だ。
40歳過ぎまで、今のパフォーマンスを続けなければ、到達できない高い壁である。

ただ、怪我さえなければ、到達できる記録だと思う。
イチロー選手には、ぜひ3千本に到達して、保守的で冷淡なアメリカのメディア、ファンを見返して欲しい。

「あんなに線が細くて、小さくて、メジャーで通用するわけがない」というマイナス評価から始まったイチローのメジャー人生。

連続して年間200本以上の安打を打っても、薬物まみれで積み重ねた本塁打記録の方を大きく評価するという、ステロイド・マニアによるホームラン・シンドロームに犯されたベースボール発祥の地。

そこで、イチローは孤軍奮闘している。


薬物使用を疑われながら、500本以上の本塁打を打った強打者・ゲイリー・シェフィールドは、ヒットにこだわるイチローを揶揄するように「ホームランを狙わないのなら、俺は毎回ヒットを打てるよ」と、豪語した。


そんな逆境の中で、クリーンなイチローが、3千本安打を打ってくれることを、私は切に望みます。




2010/09/19 AM 08:30:18 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

灰色の雲を見上げ「浅ましい」とつぶやく
人間とは、浅ましいものでございます。


ヨメの母親の暮らしぶりは、三鷹に引っ越してきた半年前と比べると、かなり安定してきた。
こちらが何も言わなくても、三食メシを食い、薬を飲み、夜インスリンを打つ。
その結果、空腹時の血糖値は、100前後をキープ。
もはや優等生と言っていい。

それに加えて、突飛な行動や言動も少なくなって、あまり手がかからなくなってきた。
喜ばしいことだ。

しかし、大きな嵐が過ぎ去ったあとで冷静になった私は、余計なことを考えてしまったのである。
埼玉で義母と暮らした16ヶ月間。
呆れるほどの厄災をもたらした地獄の日々。
そして、無用な出費の数々。

その時は、当たり前のように享受していたのだが、私は何で、あんなにも一所懸命に、そして追い立てられるように義母の医療費を払い続けたんだろう?

落ち着いた私の頭に、突如浮かび上がってきたのは、そんな浅ましい疑問だった。

2ヶ月の長期入院が一度、短い入院が三度、そして、毎月一度の診察代と薬代。
浅ましいと思いながらも計算してみたら、28万2千円弱、支払っていた。

これを大きいと取るか、たいしたことないと取るかは、その人の懐事情と心の豊かさによる。

財布が極度に薄く、心が透けるほど貧弱な私は、出窓の外に広がる広く豊かな農地を見ても、それに感動したのは最初の一度だけで、今は「無駄に土地が余ってる?」とつぶやく貧困さだ。

そんな私だから、「28万2千円? 新しいパソコンとプリンタが買えたんじゃないの」と、「思い出し笑い」ならぬ「思い出し後悔」に心を占領されている。

義母が健康な生活を取り戻した。
本来なら、それを喜ぶべきなのに、今になって「くそ! その金があれば」が、頭の中でリフレインしている。

実に、浅ましい。そして、心が醜い。

浅ましい私は、義母の長男・次男に医療費の相談をしたが、長男からは「俺は毎月お袋に小遣いをあげてるよ」と言われ、次男からは「俺は次男だから、まず長男優先がスジだろ」と言われた。

長男から現金書留で送られてきたお小遣いは、義母がその日のうちに9割がた消費してしまう。
「アタシがアタシのお金をどう使おうと勝手!」という義母の力強い「正論」に太刀打ちできる人はいない。
だから、それが医療費に化けることはない。

そんなことは、長男・次男にはお見通しのはずである。
彼らは、そんな私を見て「馬鹿なやつだな」と蔑みながら楽しんでいる(はずだ)。

義母のみならず、彼ら兄弟が、なぜ私を嫌うのか。
短大の心理学科を出た次男の奥さんが、こっそり解説してくれたことがある。

母親に事情があって、彼らは大学進学を諦めた。
その結果、彼らには大学コンプレックスがあるという。
そして、可愛い妹が結婚した男は、不愛想で、彼らを「お兄さん」と言ってたてるような可愛い男ではなかった

さらに悪いことに、長男は再就職の時に2度、私に保証人を頼んできた。
次男は、事業を始めるとき、銀行の保証人を私に頼んだ。
大嫌いな男に保証人を頼まなければいけない、自分の不甲斐なさに腹を立て、その反動で「妹の旦那憎し」の心が、よりいっそう募ったのではないか。

次男の奥さんは、そう言うのである。
どうなんでしょうか・・・・・。
いまさら、どうでもいいような気がするが。

そんなことは、どうでもいいから、医療費を、というのが私の嘘偽りのない心境だ。

友人は、「還付金請求すれば」と言うが、はたして私にその資格はあるのだろうか。
それに、たとえ還付されたとしても、一部しか還ってこないだろう。


アパートの隣の無人野菜販売所で、6本100円で買った不揃いのキュウリを齧りながら、豪雨が去ったあとの空を見上げ、ため息をつく。


灰色の雲が、なぜか、ピカピカのパソコンに見えてきた。


実に・・・・・・・浅ましい。





2010/09/17 AM 07:11:55 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

バカ親の心が震えた日
オザワ氏の「負けの歴史」に、新たな一ページが加わった。

彼はまた、自由党を旗揚げするのかな・・・・・。



ところで・・・・・・・・

悲惨な状態だった頭の痒みが消え、顔の脹れも引いた。

めでたいことなので、4日間我慢していたクリアアサヒを朝から飲んだ。

ひとは、私のことをアル中だと決めつけるが、4日間も我慢できるのだから、私はアル中ではありません。
からだも手も震えなかったし・・・・・。


だが、少しだけ、震えることがあった。

震えたのは、心だったが・・・・・。

中学3年の娘の夏休みの宿題「人権について」の作文をコッソリ読んだからだ。



それは、こんな文だった(本文は文章が繋がっていて読みにくかったので、ここでは改行を増やしてある)。


電車やバスに乗っていると、携帯電話を真剣に操作していたり、インナーフォンをつけて、音楽を楽しんでいる人の姿を見かけます。
その中には、私より年の若い子もいれば、年上の人もいます。
彼らは、自分の好きなことをして、自分の時間を楽しんでいるように見えます。
自分の暮らしを楽しむこと。
それは、誰にも等しく与えられた権利です。
それには、性別も年も関係ないはずです。
そして、国籍も関係ありません。

ただ、人は生まれた場所が違うだけで、まったく違う環境を与えられることも事実です。
それを私たちは選ぶことができません。
当たり前のように高性能のテレビがあり、携帯電話があり、当たり前のようにインターネットを使うことができる私たち。
その便利さを当然のことのように受けとめて、そのことに、ありがたみを感じることもなく、私たちは毎日を暮らしています。

それが、どんなに便利で特別なことなのか、考えもせずに。

たとえば、他の国を見ると、私よりもはるかに若い子どもが、その手に銃を持つことを自分の意志に関わらず選ばされます。
彼らは、自分たちの生きる権利を銃を持つことで主張しているのです。
そうしなければ、生きていけないから。

あるいは、生まれながらにしてHIVなどの病に感染する危険を、高い確率で持っている子どももいます。
本当なら、たくさん飲めるはずのミルクを飲むことができず、弱っていく赤ちゃん。
悪い環境の中で育ったため、後遺症をずっと引きずって、大きくなっても不便な暮らしをしなければいけない人。
先天性の病で苦しみ、その治療法がまだ見つからず不自由な思いをしている人。
高い能力を持ちながら、貧困のため、その能力を生かすことができない人。
本当なら学校に行く年齢なのに、学校に行かず、家族のために都会の片隅で生活の糧を得なければならないストリートチルドレン。
そして、自分たちが歩く道に、地雷が敷き詰められるという危険な環境にいる人たち。
数え上げたら、きりがありません。

このような平等といえない環境の中で、人としての権利を確立するのは、容易ではないでしょう。
では、どうしたらいいかといえば、それを改善するのは、人の権利がある程度確立されている先進国の役目だとわたしは考えています。
豊かな国の資金と知識を、国と国の争いごとに使うのは、それは人間のエゴです。

ここ十数年、地球温暖化が叫ばれています。
しかし、人類のエゴは、環境だけでなく、人として生きる権利も侵害しているように、私には思えます。
先進国の富を、環境に優しいだけでなく、人にやさしく、平等な社会が作れるシステムに注ぎ込んでくれたら、世界中の人にとって、人権の意味と意義が、もっと身近に感じられるのではないでしょうか。

高いところにある水は、必ず低い方へ流れていきます。
そして、いつか、その水は平らになります。
それと同じように、いまバランスが極端に悪い「人権の水位」も、高いところにある水の協力があれば、絶対に平らになると、私は信じています。

私の目の前で、携帯を夢中にいじる若い女の子。
マンガ雑誌を楽しげに読む学生。
お母さんの腕で幸せそうに眠る赤ちゃん。
旅行のパンフレットを熱心に見る若い女の人。
窓の外の景色を目を輝かせて見る子ども。
そして、居眠りをするサラリーマン。

彼らは、日常生活で人権を意識することはないでしょう。
その人権を意識しないということが、私たちにとって、どんなに幸福なことか。
正直なことを言えば、もちろん私も今まで人権をあまり意識したことがありませんでした。

ただ、これからは、少しずつ、本当に少しずつですが、人権を意識して暮らしてみたいと思っています。



親バカを承知で書かせていただく。

私が中学3年の頃は、こんなことを考えたことは、0コンマ1秒もなかった。

それに、「人権の水位」などという言葉は、今だって私の貧弱な脳には、浮かんでこない。

私が書く文章は、ときに感情的で自己正当化が激しいから、こんな冷静な文章を自分の娘が書けるということに、私は打ちのめされたと言っていい。


たいしたもんだ。



親バカ?


はい。
だから、親バカだと言っていますが、それが何か?




2010/09/15 AM 08:31:15 | Comment(3) | TrackBack(0) | [子育て]

虚構のリーダーシップ
頭のかゆみ、顔の脹れが、少し引いてきた。

昨日までは、顔の筋肉が強張って動かしづらかったが、今日は何とか表情を作ることができるようになった。

ただ、まだ宇宙人・ハトヤマが残っているとヨメからは言われているが・・・。


ハトヤマ氏といえば、オザワ氏。

先日、オザワ氏に関して、気になる記事を見つけた。

それは、infoseek楽天の世論調査で、オザワ氏への支持が93%というもの。
YAHOOでは、オザワ氏への支持が59%。
ネットユーザーの間では、報道機関の世論調査とは反対に、オザワ氏がカン氏に圧勝しているようだ。

それに対して、YAHOO JAPANでは、「ネットの投票者は自らIDを登録して、政治コーナーに入り選択する。政治に積極的に関わりたい人たちの声だ」と分析している。


だが、私の分析は、違う。
たとえ、IDを持っていたとしても、ネットの世界ではハンドルネームが主流である。
それは、「半匿名的なもの」だと私は思っている。

ネットの世界でIDを持つのは、ただの入口で、それは住民票に名を連ねるのと同じものだろう。
なぜ、IDを持っているから「積極的」という唐突な結論になるのか、私には理解できない。

変な言い方になるが、彼らは名乗っているが、名乗っていない状態だ。
そこは、マウスを一度クリックしたら、また仮想現実の世界に逃げ込める自己存在証明の曖昧な世界なのである。
その行為は、私には「積極的」には、見えない。


唐突に、話が変わって・・・・・

過去も今も、大声を出した方をメディアは応援する。

悲惨な国際紛争のいくつかは、政治家や軍人が大声で扇動し、それに尻軽なメディアが迎合したことで、起こっている。

オザワ氏は、剛腕。
そして、統率力があり、実行力がある。

メディアによって作られた、そんなイメージにより、オザワ氏の虚像はいま膨れ上がっている。

だが、私はオザワ氏が、強烈なリーダーシップを示したのを、一度も見たことがない。

自民党内の権力争いに敗れ、党を逃れ、新生党を作った。
その後、いくつかの政党が寄り集まり、それが新進党になった。
ごく短い期間、政権を手にしたが、そこでも主流になりきれず、離脱して自由党を結成。
その後、自民党と連立を組んだが、ここでも一年で連立を離脱。
三年間、政界を放浪していたら、上げ潮の民主党に誘われて合流。自由党は、もろくも解党。

この履歴のどこに、強いリーダーシップがあるというのだろう。

私には、「負けの歴史」にしか、思えないのだが。


剛腕、というイメージを作り、メディアは、オザワ氏に恩を売って、何がしたいのか、と思う。

メディアは、臆病である。
強面(こわもて)に、極端に弱い。

鬼の形相で恫喝されたら、簡単に及び腰になる。
うんざりするほど長い間、それを繰り返してきた。

ペンは剣よりも強し、なんてことは、絶対にない。

「剛腕」と表現するだけで、政治家におもねっている、という単純なことにさえ、彼らは気づかないのである。

その結果、わずか3ヶ月前に「カネの問題で」幹事長を辞めた人間が代表選に立候補することに、何の異議も唱えないという究極の喜劇の黒衣(くろご)になる。

一般人の場合は、疑わしきは罰せず。
しかし、政治家は、疑わしきは失脚させる、というのが、モラルの番人としての気概だと私は思っているのだが、彼らは「経済の逼迫した今こそ、オザワ氏のリーダーシップが求められている」などと扇動して恥じることがない。

「負けの歴史」を背負った人が操るリーダーシップで、日本経済をよくするというのは、彼らにとってはお伽話かもしれないが、私には喜劇にしか見えない。

今の時代に、ミニ・田中角栄を待望するのは、幻想だ。
高度成長時代だからこそ、田中角栄は手腕が発揮できた。
中国が、日本のはるか後ろを走っていた時代と、今とでは世界の経済環境がまったく違う。

田中角栄の短気な政策では、今の成熟した日本を導くことはできない。
それは、オザワ氏も同じ。


恫喝とリーダーシップは、違う。
だが、90パーセントの割合で、人は、小さい声の人より、大きな声の人を支持する。
どんなに正しいことを言っても、伏し目がちな人の意見は、睨みをきかせた無法者の大声に掻き消される。
それは、テレビの討論番組を見れば、誰もが思い当たるはず。

確かに、ふところに、チャカやドスを忍ばせた人間は、怖い。
オザワ氏は、そのほかにダイナマイトも忍ばせているから、メディアは自分に火の粉が及ばないようにと、怖がっているのだろう。

保守系にシンパシーを感じている人は、「マスコミは民主党びいき」だという。
それに対して、民主党の支持者は、「マスコミは自民党びいき」だという。
だが、私は、「マスコミはオザワ氏に怯えている」と思っている。あるいは、強面の恫喝に怯えている。



オザワ氏は、ジャイアン。マスコミは、のび太。

では、ドラえもんは、だれだ?



ただ、こんな風に批判しても、もちろん私に定見があるわけではない。


私はただ「仏頂面が生理的に嫌い」なだけなのだ。


毎日のニュースで、オザワソーリの仏頂面だけは見たくない、という・・・・・・。




それにしても、頭が・・・・・まだ、かゆい・・・・・。




2010/09/13 AM 09:15:50 | Comment(2) | TrackBack(0) | [メディア論]

俺は不死身なんかじゃないよ
頭が、熱を持っている。

慎重に白髪染めを使ったのだが、やはり頭皮が脹れた。
顔も歪んだ。膨らんだ。

顔の筋肉が動かしづらいから、無表情。
そして、ギョロ目。
まるで宇宙人・ハトヤマのような顔だ。

保冷剤を巻いたバスタオルで顔全体を冷やしている。

笑える。

髪を黒くするだけで、こんなに苦痛が伴うなんて・・・・・。
しかし、美の追求には、痛みが伴うのは当たり前。
我慢しなければ。

週末は、どこへも出かけないようにしよう。
娘は、修学旅行で関西方面に行ってるから、娘に醜い顔をさらさずに済んだことで、よしとしよう。

とはいっても、そもそも、この白髪染め計画は娘が言いはじめたことだ。
責任者、出て来い!

などとボヤキつつ、保冷剤を巻いたタオルを代えていたとき、電話がかかってきた。

小学校のときの同級生、クサカからである。

クサカとは、中学卒業以来会っていなかったが、昨年小学時代の同級生が死んだので、連絡のつく範囲で、そのことを何人かに報せた。
ただ、連絡がついたのは、目黒に今も住んでいるやつだけだった。
その中にクサカがいたのだ。

クサカは、青森の酪農家に入り婿をしたが、10年足らずで離婚し、13年前に目黒の住宅街でスナックを始めるという、それなりに波乱万丈の人生を過ごしていたようだ。

事前の約束をしないで、ゴールデンウィーク後に店を訪れたら、いきなり「マツだろ!」と抱きつかれた。
そして、「ぜ〜んぜん、おまえ、かわってないな」と少しも嬉しくないことを言われた。

俺ほど、品よく風格を身につけた大人を、俺は他に知らない。
おまえの目は、節穴か。

「ほら、そんなところが全然変わってないって言ってんだよ」


・・・・・・・・・確かに。


そのとき、ワイルドターキーのボトルを、ただでキープしてくれたクサカには、今も感謝している。
友情とは、美しいものである。

で、今日は何のようだ?

「久しぶりに、飲みに来いよ。最近、客足が落ちてきてな。少しでも金を落としてくれるやつを探してるんだ」

悪いな、他をあたってくれ。

「そんなことを言わずに、頼むからさ」

俺は今、病気と闘っているんだ。
そう言って、私は頭がかぶれ、顔が歪み、顔が宇宙人・ハトヤマになった経緯を語った。

すると、クサカは、無神経にも大爆笑しやがったのである。
25秒間の大爆笑。

そして、その後に、クサカがこう言った。

「不死身のマツが、白髪染めに負けるのかよ」

何だ? 不死身のマツって?

「覚えているか」と言って、クサカは、小学4年の時のある出来事を話し出した。

私たちが小学4年の時、クラスでは、切手収集が流行っていた。
クラスの子の10人ほどが、切手を集めることに夢中になっていたのである。

新しい切手が発売されるということを聞くと、皆が切手のシートを買い求めた。
ただ、切手の発売日は、平日の午前9時だったから、小学生の我々は、発売時間に切手を買うことはできなかった。
だから、一時間目と二時間目の間の10分の休み時間に、郵便局まで行って、切手を買うことにしていた。

しかし、小学校から郵便局までは500メートル近く離れていたから、時間的にはギリギリである。
そこで、足の速い私とクサカが代表して、毎回みんなの分を買いに行っていた。

その日も、私とクサカが短い休み時間に、郵便局まで走った。

ただ、遠い出来事なので、鮮明な記憶は、まったくない。
自分が、「血を吐いた」ことだけは何となく覚えていたが・・・・・・・。

今もそうだが、私は自分の体に関しては、かなり鈍感である。
ギリギリまで、自分の体調が悪いことに気づかないことが多い。
それで、ときにまわりに迷惑をかけることがある。

その日、おそらく私は体調が悪かったのだと思う。
切手シートを買って、学校まで走って帰る途中、一度横断歩道で、10円玉くらいの大きさの赤い痰を吐いた。

なんだ、これ? とは思ったが、休み時間中に帰らないといけないという義務感から、ペースを落とさずに走り続けた。
しかし、その後に、今度は血を吐いたのだ。
それも、二回。

けっこう大量の血を吐いたと思う。
一緒に走っていたクサカが、それに気づいて、蒼い顔をして私の顔を見たことは、記憶の中に残っている。

「だ、だ、だ、(大丈夫かよ?)」
狼狽して、私を覗き込むクサカの蒼ざめた顔。

今でもそうだが、相手が心配すると、私はむしろ冷静になる(ひねくれもの)。
だから、ペースを落とさずに、クサカを無視して、私は学校まで全力で走って帰った。

休み時間内に学校に戻ること。
切手シートを汚さないこと。
そして、洋服を血で汚さないことに気を使って、学校まで駆けた。

余裕で間に合い、切手シートも汚さず、洋服も汚れなかった。
ただ、血を拭った左手が赤く染まっていたので、それは、水飲み場で綺麗に洗い流した。

蒼ざめた顔で心配するクサカに、「誰にも言うな」と釘を刺して、私は何ごともなかったように、教室に入り、みんなに切手シートを配った。

授業が終わって、帰り際にクサカが、「医者に行けよ」と耳打ちしたことは、何となく記憶の片隅にある。

だが、私は医者には行かず、その後も普通の生活を続けた(と思う)。


あれ以来、私は血を吐いたことはない。


あれは、何だったのだ? という疑問はあるが、それも昔話である。
深く考えても、意味はない。


そのことを思い出して、クサカが「おまえは、不死身だよな。血を吐いても平気なんだから」と、電話口で言うのだ。
そして、「そんなおまえが、白髪染めに負けるなんて、人間はわからないもんだな」と、つまらない感心の仕方をする。

さらに、「顔を見てみたいから、写メで自撮りして、画像を送ってくれないか」
そんなリクエストもするのである。

自撮り。
メール、送信。

その画像を見て、クサカが深刻な声を作って言った。

「わかった。こいつはひどい。ある意味、血を吐くよりもひどいかもしれない」

「こいつは、悲劇だ」
そうつぶやきながら、クサカは、電話を切った。


ということなので、私はいま顔全体を冷やしているところである。





2010/09/11 AM 07:09:51 | Comment(2) | TrackBack(7) | [日記]

コワイ白髪染め
貯金通帳の残高と、白髪の数は、反比例する。

ピンチになると、一方は減って、一方は増え続ける。


白髪は、遺伝なんだろうか。
私の祖母と母は、30代前半から、かなり白髪が目立つようになったと聞いている。

私の場合、30代前半は、白髪は、ほとんどなかった。
それから少しずつ増えていったが、大きく目立つというほどではなかった。

目立つようになったのは、一昨年、我が家に義母が転がり込んできてからである。
昨年は、このブログでも、私の感情的でみっともない姿を何度も書いてきた。
その結果、私の頭の半分の面積が、白く変色した。

武蔵野に越してきて、義母と別居生活を始めたが、一度白くなったものは元に戻らなかった。

2年ぶり、3年ぶりに会う大学時代の友人は、「おまえ、髪の毛、白くなったな」と、私の頭を見て必ず言う。

その友人たちは、年を経るごとに見事に頭がテカッてきているのだが、気配りにあふれた優しい私は、そのことには絶対に触れない。

髪の毛が薄いのも個性。
白髪だって、個性だ。


私の母の話では、私の祖母が師範学校の教師をしていたときに、学生たちから「白髪のせいで老けて見える」と言われて、ショックを受けたことがあったらしい。

白い髪を手っ取り早く黒くするには、染めるしかない。
しかし、祖母の若い頃は、髪染めは、とても高価なものだった。

そこで、薬草学に詳しい祖母は、自分で薬草を調合して、天然の髪染めを作ったというのである。
すごいことだと思う。

その天然の髪染めは、3ヶ月程度は効果があったらしく、3ヵ月後にまた白髪が目立ってくると、学生たちから「先生、染めましょうよ」と言われて、また染めることを繰り返したという。

東京に出てきてからは、薬草が手に入らなかったので、髪染めを作ることはできなくなったが、パオン・白髪染めという便利なものが発売されたので、祖母も母も、それを愛用していた。

私も白髪染めは、数回使ったことがある。
ただ、私の場合、白髪染めの何かの成分が体に合わないらしく、いつも頭皮が腫れる。
場合によっては、顔が歪んで、人相が変わる。

だから、よほどの覚悟がないと、白髪染めは使えない。
黒髪のために、三日間も痒みと闘い、顔が歪むことを我慢するのは、まるで修行のような憐れさがつきまとう。

世の中には、かぶれない白髪染めがあるそうだが、それはとても高価である。
そんなものに金を使うより、子どもたちに温かいメシを食わせた方がいい。

だから、私の頭は白いままだ。

「白髪には、ゴマがいいらしいぞ。セサミンが毛根に効くらしいんだな」
私の白髪を心配して、テカリ友だちが電話をかけてくる。

ゴマが毛根に効くのなら、君たちの淋しい頭にも、効くんじゃないのか。
まずは、君が試しなさい。

「そうだな。毎日黒ゴマ料理を食ってみるか」

健闘を祈る。


しかし、問題は、中学3年の娘の授業参観。

「その白髪、何とかならんのか。老けて見えるぞい」と、娘。

突然、黒くなるわけがないから、当日は、ターバンを巻いていくか。
「インド人か!」

黒いソフト帽をかぶってムーンウォーク。
「マイケルか!」

この際、全部剃っちまうか。そうすれば、白髪が目立つことは絶対にない。
「坊さんか!」

じゃあ、どうすればいい?

「髪を染めろ」
しかし、かぶれて、頭は痒くなるし、顔は歪むし、あれはつらいぞ。

「可愛い娘のためだ。痒いのは、たった三日だ。我慢しろ」

それしか、ないのか?
授業参観を休むと言う手もあるが・・・・・。

「それは、おまえのポリシーに反するだろう。子どもの学校行事にはすべて参加するというポリシーを、おまえは放棄するのか? あと十日だ。今なら間に合う。すぐに染めろ」

わかった。



しかし、こわいなあ・・・・・。




2010/09/09 AM 06:37:13 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

気温47度湿度22パーセント
もう夏ではないが、気温は高い。

今年の夏は記録的な猛暑だった、と気象庁が発表したようだ。

熱射病、という言葉がいつの間にかメディアから消え、熱中症が主役になったのは、何年前のことだろうか。
熱射病という言葉は、もう復活しないのだろうか。

さて、暑さに弱い人にとっては、思いやりのないことを書きます。


暑い暑い、と言うが、私は暑さが苦にならないので、「今年の夏は異常な暑さだった」という実感がない。


気象庁が集めたデータによれば、それは「記録的」ということになるから、間違いなく暑かったのだとは思う。
データを無視するほど、私は傲慢ではない。

報道によると、「猛暑日」というのが、多かったらしい。
「夏日」「真夏日」と言うと、少し詩的な響きがあるが、「猛暑日」となると、現実的過ぎて夏の季語としては、どうかなと思う。

35度を超えたら、猛暑。

BMI値が25を超えたら「肥満」。

それと同じで、私には、猛暑日は、ただ数値を無理に強調するためだけに作られた基準のように思える。

0.1超えただけで「肥満」という線引きをされた人には、同情したくなる。
34.9度と35度の違いを正確に体感できる人が、世の中に何人いるか、とも思う。

私は、100人中51人の人が暑いと言ったら、「暑い」でいいと思うのだが。


ただ、熱中症で亡くなられた方に対しては、お悼み申し上げます。
自分の体が、暑さでいうことをきかなくなる恐怖と無念さは、我々の想像を絶するものだったと思う。

自分の意思とは関係なく、体を得体の知れない魔物がとり憑くのである。
それまで順調に機能していた体が、正常な機能を奪われて、魔物が四方八方から自由を吸い取っていく。


こんなはずじゃ・・・・・・・・・・。


猛暑、猛暑と騒いでも、それをテレビを含むメディアだけの世界のことだと思っている人は多いのではないだろうか(私だけか?)。

猛暑は、ただ暑さだけが自分に降りかかってくるだけで、ひとは、現実的には、それが自分に悲劇をもたらすことはないと思っているはずだ。

暑さは、我慢できる。
なぜなら、いままで我慢してきたから。
そして、暑さは、いつまでも続くものではないから。

そう。
暑さは、いつまでも続くものではない。
だから、我慢していればいい、と誰もが思ってしまう。

だが、暑さは、「人によっては」我慢してはいけないものだ、というのも事実。

我慢大会に、命をかけることはない。
我慢なんか、しなくてもいいんですよ。
つらかったら、逃げればいいんです(人生と同じです)。



私は、我慢はしない。
むしろ、暑さを楽しんでいる。

私が、今年の夏、はまっていたこと。
それは、仕事が一段落したら、陽光降り注ぐ昼間に、近くの公園のベンチに座って休むこと。

この公園は、夏は午前10時過ぎから午後4時までは、まったく日陰が作られない。
だから、その間は誰も公園に近づかない。
そのことを知ったとき、私は楽園を見つけたと思った。

ここなら、誰にも邪魔されずに、心と体を休められる。

仕事に疲れたとき、ペットボトルのアクエリアスをシャーベット状に凍らせたものを手にして、公園のベンチに座る。
頭には、タオルを巻いている。

今さら、すでに溶けてしまった脳を保護しなくてもいいとは思ったが、タオルを巻くと白髪が隠れるので10歳若返って見えるという中学3年の娘の言葉を信じて、白いタオルを巻いているのだ。
あとは、タンクトップと短パン。

太陽はいい感じで、熱気を噴射している。

からだ中から汗が噴き出てくるが、汗腺から不純なものがすべて流れ出る感じがして、その状態に私はいつも恍惚を感じている。
無料のサウナみたいなものか。

太陽の光が強い。

今年は、太陽が、元気だ。

ときにストレッチや腿上げをしながら、太陽から元気をいただく。

爽快だ。


ただ、まわりから見れば、こんな私は、間違いなく馬鹿に見えるだろう。

「なにも、一番暑い時に、公園のベンチに座らなくてもいいんじゃない?
あのひと、相当な変人だね」

否定するつもりは、ございません。
おっしゃる通りでございます。


8月の終わりに、変人は、しなくてもいいことをしてみた。

家から、デジタル温度計を持ってきたのである。
それで、温度を測ってみた。

ベンチの上に置いたら、徐々に数字が上がっていき、2分後に最高を記録した。

気温47度。
湿度22パーセント。

納得のいく数値だと思った。

47度分の元気を、太陽からもらった気がした。


嘘か本当か知らないが、昼間の甲子園のマウンドでは、気温が50度を超えることもあるらしい。

高校生のアスリートたちは、そんな砂漠のような灼熱の中、球を投げ、バットを振り回しているということになる。

それを聞いて、私は思った。

何もそんなときに、球投げて、球打たなくたって、いいんじゃないですかね。
冷房のきいた部屋で、かき氷でも食っていた方が、健康ですよ。


私の言うことじゃないが・・・・・・。




2010/09/07 AM 06:30:02 | Comment(5) | TrackBack(0) | [日記]

ねだめカンタービレ
国民にとっては悲劇、当事者にとっては喜劇なのだが、本人たちだけ、そうだと気づかない民主党代表選から逃れるために、眠ることにした。


8月後半に、いくつかのことがあった。
そして、私の処理能力を上回る仕事もいただいた。

その結果、睡眠不足になった。
睡眠不足を自慢しても仕方がないので、詳しいことは書かない。

ただ、とにかく眠りが足りていなかった。

昨日、朝4時に起きて、家族のメシを弁当形式で作った。
朝・昼・夜の分である。

そして、冷蔵庫に「これを順番に食べてチョンマゲ」という紙を貼っておいた。


それから、仕事スペースを二つの籐製の衝立で囲って「決して、のぞかないでください by夕鶴」の貼り紙。


これで、心置きなく寝られる。

仕事スペースには布団がないので、フローリングにそのまま寝る。
上掛けは、仮眠用の毛布。
枕は、ジーパンを丸めたものを代用した。

喉が渇いたとき用に、クーラーボックスにアクエリアスのペットボトル1本とクリアアサヒの500缶3本を入れておいた。

食い物は、ない。

睡眠に食い物は邪魔だ。
喉が渇いたときに、ちょっとだけ飲むものがあれば、快適な睡眠には充分だ。

もともと食うことに対してまったく執着がない私は、できることなら、一生メシを食わないで暮らしたいと思っている。

御茶ノ水博士が、メシを食わないでも生きていけるように私のからだを改造してくれたらと、絶えず妄想しているくらい、私はメシを食うのが面倒臭い。

特異体質、というより、ただの変わり者。


エアコンの設定温度を29度にした。

東京電力が推奨する設定温度より、1度高い。
エコである。

寝酒に、まずクリアアサヒを1本。

午前5時41分。

iPhoneの電源を切った。
エコ、なのかな?

iPodにつないだミニスピーカーからは、レッド・ツェッペリンの「Whole Lotta Love」が流れている。
普通は子守唄にはならない歌だが、目をつぶったら、すぐに眠った。

一度、目覚めた時、カーテンの外が明るかった。
時間は、わからない。

この部屋で時間を表すものは、パソコンしかないのだが、パソコンの電源は落としてある。
だから、時間の感覚がない。

眠るために引きこもったのだから、時間はどうでもいい。
そう思って、また眠った。

次に目が覚めたとき、窓の外が暗かった。

iPodからは、Superflyの「ワイルドフラワー」が流れていた。

Superflyを聴きながら、クリアアサヒを飲んだ。

越智志帆の声とクリアアサヒが、からだの隅々にまで染み渡る。

心地よくなって、また眠った。


そして、窓の外の朝日を体に感じて、目が覚めた。
パソコンを付けたら、午前5時11分だった。

ほぼ24時間、眠った。

体調がいいか悪いかは、まだわからない。
三日後くらいに感じるかもしれない。


3本目のクリアアサヒを飲みながら、いまブログを書いている。

民主党が分裂する夢は見なかったが、夢に見なくとも現実の世界で分裂する可能性は、かなりある。


あと一年、寝続けていたら、目覚めたとき、日本はどうなっているだろうか?



カン氏は仏門に入り、オザワ氏は獄門に入り、ハトヤマ氏は冥界の門に入り・・・・・・・。




2010/09/05 AM 08:04:22 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

俺たちタメ
大事な仕事の打ち合わせの後半、からだに不調を感じた。

ああ、こんなときに来るのか、と少々いら立った。

脈が不規則に飛ぶ。

昨日の夜中の一時半。
得意先の病院から依頼されたFLASHアニメの更新を終えて、ブラックニッカをストレートで呷り、寝ようとしたときのことだ。
実の姉から、iPhoneに電話があった。

姉のことは、このブログで何度か書いている(コチラなど)。
私の生涯で、選択することのできない唯一の痛恨事が、実の姉を持ったことである。
彼女の存在は、私の感情を両腕で上から泥の沼に押し込こまれたように、私の動きを封じようとする。

真夜中の一時半に、いきなり言う。
「私は余命一ヶ月なの」

そんなことはない。
私は、医者から毎月彼女の病状を聞いているが、術後は悪くないと聞いている。

そうか、でも、お酒もパチンコもやめたら、もっと長生きができるかな。

「なに寝言いってんのよ!」

切られた。

もう、眠れなかった。



私の場合、不整脈の持病が起きるのは、寝不足とストレス。

昨日の午後2時過ぎ、ドラッグストアの担当者・スズキさんの説明を聞きながら、不規則に打つ脈を、まるで幼なじみに会ったときのような懐かしい感情とともに、からだが浮くような感覚が、私のからだを絡めとっていた。

およそ15分間のスズキさんの説明を聞いていたとき、頭の膜の外側で、オアシスの歌が流れたような気がした。
そして、オアシスの次は、グリーン・デイ
それが突然、ディープ・フォレストに変わった。

まったく、脈絡がない。

要するに、錯乱しているということだ。

だが、それでも、打ち合わせの内容は、はっきり覚えている。
最低限、プロとしての気概は持っていたようだ。


それでも、脈が、飛ぶ。


短い打ち合わせを終えて、挨拶をし、帰ろうとした。

しかし、スズキさんに言われた。
「Mさん、大丈夫ですか。変な汗をかいてませんか?」

そうか。
俺は、汗をかいていたのか。
まったく自覚がないが。

「ちょっと休んでいきませんか。お疲れのようですので」
無理矢理、別室に連れて行かれた。

ドラッグストアの本部のビルの一室には、保健室があったのである。
当たり前と言えば、当たり前か?
ドラッグストアなんだから・・・・・。

適度に硬くて気持ちいいベッドに横たわると、すぐに睡魔が襲ってきた。

眠っているのだが、自分がすごい汗をかいていたのは、自覚できた。
ワイシャツの全面積が、重い水分を吸って、不快指数100パーセントになるほどの汗。
髪の毛も、汗でビショビショだ。

だが、そんな不快感も強烈な睡魔には、適わない。

眠りに眠った、と言ってよかった。

私を呪う悪夢を、汗がすべて流し去ったとき、外はもう暗くなっていた。

目を開けた。

目の前に、ドラッグストアの社長の顔が見えた。

その唇が動くのが見えた。

「Mさん、休もうよ。僕は、Mさんには、元気でいて欲しいな」

そして、言われた。


「僕たち、タメですから」


それを聞いて、一瞬、脈が飛んだが、おそらくそれは不整脈のせいでは、ないはずだ。




2010/09/03 AM 08:01:37 | Comment(2) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

ゲゲゲのともだち
仲間や知り合いを褒めるのは、照れるものである。

ただ、人への感謝が顔に出ない私のような人間は、褒める場所がここしかない。
だから、書いてみようか、と。


京橋のウチダ氏の事務所。

いつもは、二人のことが多いが、今日は友人のミスター極道顔、コピーライター・ススキダがいる。
友人のチャーシューデブ・スガ君から託されたラーメン店開業の細かい打ち合わせをするために集まったのである。

打ち合わせは、私があらかじめワークフローを8枚のレポートにまとめておいたので、20分程度で終わった。

「Mさんは、こんなこと面倒くさがってやらないかと思っていたが、やればできるんだな」という、確実に人を小バカにしたツラで、ススキダが言った。

私は無言でスーパードライを呷った。

ススキダは、持参の綾鷹のペットボトルをちびちびと飲んでいた。
ウチダ氏は、ウーロン茶。100グラム4千円の高級品だ。少々鼻につく。

打ち合わせが終わって、民主党代表選の五流の脚本家でさえ書けない茶番劇の話題が出たところで、ススキダの携帯が鳴った。
着信音は、「おさるのかごや」だ。
極道顔には、いかにもミスマッチの気もするが、奥さんにケツをたたかれて、いつも尻を赤くしているススキダには、お似合いかもしれない。
ただ、ススキダに限らず、妻帯している男は、みんな尻が赤いという説もあるが。

電話は数秒で終わった。
ススキダが言う。
「レイコ(奥さん)からだが、緊急の仕事が入った。これから品川の得意先まで言ってくる。もう話は終わったよな」

話は終わったが、俺はどうなるんだ?
俺は、どうやって帰ればいいんだ?

今日は、ススキダがわざわざ横須賀から武蔵野まで車で迎えに来て、京橋まで連れてきてくれたのである。
帰りも送ってくれることを期待していた私は、すねた。

5秒ほど考えて、ススキダが言う。
「品川まで付いてくるか? 打ち合わせは、そんなに長引かないと思うが」

やだ!

品川での打ち合わせが終わったら、またここに戻って来い。
俺は、その間、ウチダと酒を飲んでいるから。

そうしてくれなきゃ、やだ!

醜く駄々をこねる、中年白髪アル中貧相男。

そんな我が儘な男に向かっても、ススキダは怒らず、苦笑いをするだけだ。
自分より2歳年上の駄々っ子に、諦めたような笑みを作って、「しかたねえか」とつぶやくのである。

ススキダは、顔は怖くて気持ち悪いが、心は広い。
月面のクレーターくらいの広さを持っている男だ。
そして、決して友達をないがしろにはしない。
だから、私は顔が気持ち悪くても、我慢して付き合ってやっている。

「二時間、待てるか?」とススキダが、恐怖の極道顔で微笑んだ。
私は、懸命に吐き気をこらえた。

その恐怖の極道顔に向かって、ウチダ氏が言った。

「いや、俺がMさんを送っていきますから。ススキダさんは、ゆっくり仕事の打ち合わせをしてくださいよ」

どこから見てもイケメン。
そして、まわりに爽やかさをまき散らし、さらに、とてつもなく嫌みなことだが、仕事ができる男。
5歳年下のウチダ氏が微笑むとき、まわりの空気が一変する。
彼の口から出る言の葉は、すべてが真実であるという錯覚に陥るほど、彼の放つ言葉は説得力を持つ。

つまり、彼は言葉の魔法を使う「魔法使い」なのだ。

同じことを私が言っても、誰も納得しないが、ウチダ氏が言うと、真実に聞こえる。
それが、つまり、魔法。

「俺が送っていきますから」
もう一度ウチダ氏が言うと、ススキダは魔法にかかったようなマヌケ顔で頷いた。

ススキダが、退場。

「Mさん、俺、一件だけ仕事を済ませるから、オイルサーディンをつまみにして、ビールを飲んでてよ」

わかった。

ウチダ氏は、3台の携帯電話を駆使して、客と連絡を取り、ときに業者を叱咤激励し、他の業者に腰を低くして進行を指示し、十分ほどワンマンショーを演じていた。
その間も、ウチダ氏は、爽やかなイケメン顔だった。

なんか、すげえな、こいつ!

私は圧倒される思いで、オイルサーディンの缶詰を3缶食い、スーパードライを2本あけた。

これが、一人で仕事をするっていうことなんだな。
こんな風に効率よく仕事を運ばなければ、儲からないってことなんだな。

イケメンは、得だな。

帰りのアウディの車中で、ウチダ氏が言った。
パルマハムのブロックを貰ったんだが、俺は食わないから、Mさんにやるよ。保冷剤で巻いてあるから、それをそのまま持って帰ってよ」

後部座席に、ピンクのショッピングバッグが置いてあった。

いつの間に用意したんだ、ウチダ氏。
まるで、手品みたいじゃないか。

わかった、貰ってやる。

「スーパードライも6つで悪いが、袋に詰めておいた。それも持っていってよ」

確かに、黄色い袋が、ピンクのバッグの横に置いてあった。
それも、いつの間に?

すごいなあ、ウチダ氏。
彼の気配りは、どれだけ底が深くて奥行きがあるんだろう。

雨上がりにできた水溜りほどの深さしかない俺には、想像もつかないな。

感心していたら、着信音が聞こえた。

ゲ・ゲ・ゲゲゲのゲ〜〜。

私は着信メロディを設定していないから、それは当然、ウチダ氏のもの、ということになる。

ウチダ氏がプライベートで使っている携帯電話の着信音が「ゲゲゲの鬼太郎」らしい。

出なくていいのか、と私が言うと、「かあちゃんからのラブコール。半分で切れたときは、緊急の用。フルに流れたときは、今日の夕飯は家族全員が揃っているということだ。だから、一緒に飯を食べようというサインだな」とウチダ氏が、笑いながら言った。

今回は、フルに「ゲゲゲ」が流れたから、夜は一家団欒でメシを食うということか。

そうか、ゲゲゲがサインなのか。
面白いな。

「面白いだろ。そして、留守電に、今日のメニューがふき込まれるんだよ」と言って、路肩に車を停めて、嬉しそうにウチダ氏が携帯を操作した。

そしてイケメン顔を紅潮させて、ウチダ氏が言う。
「今日の晩飯は、俺の好物の黒マグロのしゃぶしゃぶだ。ああ! 早く家に帰りてえ!」

いいなあ、ウチダ氏。

俺は黒マグロのしゃぶしゃぶなんか、食ったことないぞ。
おまえんちは、高級料亭か!

「そうかい? じゃあ、こんどクール宅急便で送るから」

ゲゲゲ!

本当かい?

「俺が、嘘を言ったことがあるか?」

ないよ!

ゲゲゲ!





2010/09/01 AM 06:52:44 | Comment(4) | TrackBack(0) | [Macなできごと]



(C)2004 copyright suk2.tok2.com. All rights reserved.