Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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都立高校受験事情
中学3年の娘が、来年高校を受験する。

息子の高校受験のときは、戸惑った。
埼玉県では、子どもの受験に、わざわざ親が出て行って「私は教育熱心です」というアピールをしなければいけなかったからだ(私立高校の場合)。
私は、何度も息子を行かせたい高校に足を運んで、入学相談をした。

入学するのは子どもなのだから、親は後ろに隠れていればいい。
親は、入学金と授業料を払うだけでいい、と思っていた私は、その習慣に最後まで馴染めなかった。

では、東京の私立高校はどうなのだろうか。
ネットで調べてみようとしたら、「無駄なことをするな」と娘に言われた。

今のところ、私立高校を受けるつもりはないらしい(公立は授業料がタダというありがたい制度を、親孝行の娘はたいへん喜んでいる)。

7月末に行われた三者面談では、希望の都立高校は、推薦でも一般入試でも入れるだろう、というお墨付きをいただいた。
しかし、担任は「合格の確率は高いですが、油断はしないように。これは、あくまでも今の時点での話ですから」と釘を刺すことも忘れなかった。

油断しないで、今の状態を維持、できれば夏休み中に苦手科目を克服、と担任は言った。
それを受けて、ヨメは「夏休みは弱点克服!」と力んだ。
社会科を苦手としている娘に、社会科を他の科目と同レベルまで引き上げるよう厳命したのである。

では、私は、と言えば・・・・・・、

まあ・・・・・、テキトーに、としか言わない。

自分が、親から「勉強しろ」と言われたことがなかったからだ。
自分が言われていないものを、子どもに言うことはできない。

私の祖母も母親も教育者だった。
教えることを職業にしていた。

しかし、彼女たちは、自分の孫、息子には何も教えなかった。
ただ、祖母からは、一度だけ、小学校入学前に言われたことがある。

「おまえは、頭が悪いんだから、先生の言うことをよく聞くんだよ。そうすれば、わかるようになるから」

私は、それを実践した。
教師の言うことを、「ゼッタイに逃すまい」と聞いて、頭の悪さをカバーした。

それに対して、母親は、私に何も言わなかった。
そのことで、私はむかし、母親に尋ねたことがある。
なぜ、「勉強しろと言わなかったのか」と。

「だって、あなたは人から命令されるの嫌いでしょ」

当たり前のことだが、彼女は、私の性格をよく知る人だった。



高校受験は人生の岐路である。
これからの進路の大部分が、それで決まってしまうかもしれない。
だから、テキトーでは済まされない。

そんな考え方のひとは多い。
それに対して、ひとの人生、どんなときでも修正はきく、を座右の銘にしている私は、それは力の入れどころが違うのではないか、という違和感を持っている。

あるいは、ここで精一杯頑張って、自分の限界と可能性を知っておいたほうがいい、と言う人もいる。
だが、若い人は、可能性にあふれているものだ。
その可能性を受験の合否だけで判断して、無理に現時点で自分の限界を知ることはないのではないかと、私は思うのである。

よく言われるが、受験は、頭の良し悪しではなく、テクニックだ。
高い点数を取るためのテクニック。

塾などでは、それを上手に教える。
熱血先生が、自分をまるで漫画の主人公に擬したように、頭に鉢巻を締め「学力アップ」を叫ぶ。
では、そのテクニックを得たとして、それが人生に役立つかと言えば、それには疑問符がつく。

教育界、という狭い世界で生きてきた人間がつくる問題を上手に解いたからといって、ひとは人生を生きるテクニックを得るわけではない。
せいぜい、受験というゲームの中で、高得点を取るテクニックが身につくだけだ。

それは、ゲームで「経験値が上がる」のと同程度のことでしかない、と私は思っている。

超一流高校に入れば、明るい未来が待っている。

それは、本当かもしれないし、幻想の場合もある。
超一流高校に入った人が、東大に入れる確率は高くなるとしても、それは東大に入りたい人の入口でしかない。

人が持つ、可能性への道の一部分でしかない。

幻想を死ぬまで持ち続けたい人は、受験を頑張ればいい。
しかし、幻想の意味を他に求め、幻想で凝り固まった人から「人生の負け犬」と蔑まれても平気な人は、自分が頑張れる場所を自分で見つけるべきだ。

ただ、こんなことを私が言うと、ヨメなどは「最初から、そんな逃げ道を用意していたら、意欲がなくなるわよ。それこそ可能性の芽を摘むようなものだわ」と怒る。

いや、逃げ道は必要だろう、と私は思う。
人の行く道は、その生を終わるときは、一本に見えるかもしれないが、数多くの節目があって、彼らはそれを「自分で選んだ」のだ。

その選ぶテクニックこそ、人には重要で、それは受験で身につくものではない。
「逃げ道」だと思った道が、実は、正解だったということもある。

彼らが、いくつかに分岐した道を、節目節目で、どのように選ぶか。

それが一番重要なことだと私は思っているが、受験は、それを教えてくれない。

たとえば、極端な話だが、これからの人生で決して使うことのない漢文の優劣で、彼らは「人の優劣」を決められることもある。

「レ点」ひとつ見逃しただけで、分かれる人の道。

「だから、それこそが不注意!」
「受験で不注意を犯せば、不注意を繰り返す人間になるんですよ!」

教育界や受験産業に身を置く人は、それがメシの種だから、それを強調するだろうが、私は受験の不注意は、ただの受験の不注意に過ぎないと思っている。

結果論が支配する世界では、「逃げ道」は邪道の謗(そし)りを受けるだろう。
最初から逃げ道を用意していたから、受験戦争に負けたんだ・・・・・と。

だが、ある人種にとっては、受験さえも「逃げ道」である。
受験でしか自己を表現できない人もいる。

要するに、どちらにしても「逃げ道」なのだ。

それは、自分でも乱暴な意見だと思う。

ただ、それでも、逃げ道は、あってもいいのではないか、と私は思うのだ。
逃げ道を、「正」にするか「負」にするか、それを選ぶテクニックこそ、人は身につけるべきだ。

それは、ある人は、受験で身につけられるかもしれないが、ある人は別の方法で身につけることができるものだ。
つまり、受験は、「ごく一部の方法」でしかない。

それが、私の「逃げ道理論」だ(支離滅裂)。


社会科の苦手な娘に、私は言う。

社会科は、できたほうがいいよなぁ〜。
だから、とりあえず、苦手だという意識をなくすだけでも、いいかもなぁ〜。
ただ、君の場合、社会科の平均点は立派に超えてるんだから、俺は別に、いいとおもうんだけどなぁ〜。

4年ぶりにアイスバーを食ったから、腹が痛いなぁ〜(どうでもいい?)




先日、はじめてのクライアントと打ち合わせをするために、大井町まで行ったのだが、駅を下りてから迷ってしまい、約束の時間に5分遅刻をしてしまった。

そのことを子どもたちに言うと、「方向音痴! アホ! バカ!」と罵られた。


それにたいして私は、

ああ! バカだもん!! 偏差値72のバカだもん!


このバカオヤジ、ムカツク!


よけい、ブーイングを浴びた(この話も、どうでもいい?)。




2010/08/10 AM 07:45:02 | Comment(3) | TrackBack(0) | [子育て]



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