Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
[TOP] [RSS] [すくすくBLOG]








憎い文集
ひねくれもの。

自分で自分をそう思うし、他人も、そう思っている私の性格。

その人格が、いつ形成されたのか、最近ある出来事があったのをきっかけに、考えてみた。

昔から、何かあると、私は必ず少数派についた。

小学校高学年の頃、クラスの男の大部分が、ジャイアンツファンだった。
私は、サンフランシスコ・ジャイアンツが好きだった。
日本人初のメジャーリーガー、マッシー・ムラカミがいたから。
クラス内が、ビートルズで盛り上がっていた頃、私はジミ・ヘンドリックスを聴いていた。

中学のクラブ活動で、バレーボールとテニス部が人で溢れかえっていた頃、私は部員7人の陸上部にいた。
大学時代、ピンクレディの歌が街中に充満していたとき、私は耳を塞いで街を通過した。

今も多数派には、入らない。
無理に入らないのではなくて、ただ「流行っているから」「みんながいいって言うから」という理由では、絶対に入らないというだけだが。

だから、自分のことを変わっていると思うが、間違っているとは思わないのである。

ただ、小学6年のある時期までは、それほど頑なに、ひねくれてはいなかったと思う。
素直で可愛い、誰からも好かれるいい子だった(それはそれで気持ち悪いが)。

小学5年、6年時の担任は同じだった。
39歳の男の教師だった。

彼は、熱血で、平気で生徒を叩いた。
要するに、暴力教師だ。
しかし、当時は、そんなことを誰も気にしなかった。

ウスイ先生は、暴力教師ではあったが、悪いことをしたら、男女関係なく平等に叩いた。
彼は差別をしない人で、同僚の教師でさえ、間違ったことをしたら、平気で叩く「平等の教師」だった。

ただ、私だけは、叩かれたことがなかった。
周囲の大人から「手のかからない子だ」と言われていた、可愛気のないガキだった私だけは、ウスイ先生の「鉄拳の味」を知らなかった。

そんな私だったが、ウスイ先生に、一度だけ怒鳴られたことがある。
小学6年の時の運動会の入場時に、校旗を先頭で持って歩く大役をおおせつかった私は、行進前の整列時に、緊張した場の雰囲気を和らげるために、冗談を言った。

しかし、その行為をウスイ先生に、咎められたのだ。
「馬鹿者! 大事なときに、白い歯を見せるんじゃない! 背筋を伸ばせ! ケツの穴に力を入れていろ!」

怒鳴られたが、叩かれはしなかった。
よく見ると、ウスイ先生は、怒鳴りながらも、顔は笑っていたようだ。

あとで、同級生に言われた。
「俺たちだったら、確実に殴られていたよな。なんで、先生はマツだけは、贔屓するんだ」

贔屓されているという意識は、私にはなかったが、とにかく私だけは叩かれなかった。
クラスの子は、女の子も含めて全員叩かれているというのに。

ダウンタウンのハマちゃんが、愛情を込めて仲間の芸人を叩くように、ウスイ先生の手は、溢れるほどの生徒への愛を表現していたのかもしれない。
ということは、ウスイ先生は、私にだけ愛を持っていなかったのか・・・・・・・。

そのウスイ先生は、彼が中学生の時、ヒロシマで被爆した。
そのせいなのか、ウスイ先生は、67歳という若さで亡くなった。

今年が、13回忌になる。

3回忌、7回忌のときは、法要に参列させていただいた。
しかし、今年は、引越しの忙しさを理由に、花と手紙だけで済ますという不義理をした。

申し訳ないことをした、という罪悪感が体中を巣食って、それを思い出すたびに私は鬱々としていた。
そんな私の陰鬱な状況を悟ったのか、先日ウスイ先生の奥さんから、電話をいただいた。

それは、74歳とは思えないほど、張りのある明るい響を持った声で告げられた。
「主人の書斎のダンボールを整理していたら、昔の文集の生原稿が見つかったの! コンドウさんの書いた文があって、M君のことが書いてあったわよ」

コンドウさんに関しては、以前ブログに書いたことがある(コチラ)。

先天性の病で、小学6年の夏前に、短い生涯を閉じた人だ。

その子が書いた文集の原稿が残っていると、ウスイ先生の奥さんが言うのだ。

それを聞いたとき、自分でも思いがけないほどの強烈な感情が、戸惑いとともに、私の足元から髪の毛の先までを高速で駆け抜けた。

文集ですか? あまり、記憶にはないですが・・・。

「この原稿、M君に送ろうと思うんだけど、どうかしら? 私はコンドウさんのことはよく知らないんだけど、M君のことが書いてあるから、これは、あなたが読むべきものよ。あなただけが理解できることが書いてあると思うの」

それを聞いて、私は怖くなった。
逃げ出したくなった。
過去の自分のことが書いてある文集。
それは、暗闇の中でビックリ箱を渡されたのと同じ怖さがある。

覚悟して開けても、結末は目に見えている。

目を閉じて、呼吸を整える。

ビックリ箱を開ける勇気は・・・・・・・。

ない、と言い切ってしまったら、糸が切れる気がした。
過去へと続く、細い糸。
それを断ち切る勇気も、俺にはない。

しかし、ある、と言えるほど、俺の心はタフでもない。

深呼吸を10回。

ちょうどいい頃合いを見計らって、ウスイ先生の奥さんが言った。
「じゃあ、郵便で送るから。コピーしたものを送るから、返さなくてもいいですよ」

二日後に私の手元に届いた文集の原稿。
それはコピーではあるが、そのコピーは、歳月の長さを物語るように、重いシミが歴史を主張していた。

四百字詰めの原稿用紙が2枚。
コンドウさんの字など、覚えているわけがない。
しかし、忘れていた彼女の松葉杖の姿が、その原稿の先に確実に浮かび上がった。

そして、眩しいほどの笑顔も。

読もうか止めようか、数分の逡巡の後、思い浮かんだ彼女の笑顔が、私の脳のスイッチを押した。

読み始めた。

最初は、自分の将来のことを、明るい文体で書き綴っていた。
それは、希望にあふれた「まばゆい夢」を綴った散文詩のようだった。

普通に歩ける子になりたい、と書いてあった。

そして、後半に、私のことが出てくるのだ。
足の速い男の子として。

歩けるようになったら、その子と一緒に走ってみたい。
そして、どんなに遅くてもいいから、その子の背中を見ながら、走ってみたい。
そう書いてあったのである。


俺が、ここにいる。
彼女の夢のパートナーとして・・・・・。


それは、まるで思いがけないテストの結果を知らされた時のように、大きな戸惑いと小さな怒りが交差して、私の心を不安定にした。


その文集を当時、私は読んだはずだが、完全に忘れていた。
思い出したくなかったのかもしれない。

痩せ細った病室の彼女を思い出した。
あんなに痩せてつらそうだったのに、私が見舞いに行くと、いつもの笑顔で話しかけてくれた。

そして、死んだ。

あんなにいい子でも、人は死ぬんだ。
何かが、強い力で、彼女を持っていってしまうんだ。

葬儀に参列している間中、私は「何か」を強烈に呪っていたと思う。

その何かは、とても強くて、俺たちの力では、抵抗することができない。


何だよ! じゃあ、俺たちは一体何に操られているんだよ!


そう思ったら、真っ直ぐに目標に向かうのが、馬鹿馬鹿しくなった。
ようするに、ひねくれた。

そして、怖くなった。

あんなにいい子でも、死ぬんだ。

「生きたい!」と叫び続けても、誰も助けてくれないんだ。

俺の前から消えてしまうんだ。




いま、文集の後半に付いたシミが、俺は、とても憎い。




2010/07/31 AM 08:06:05 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]



(C)2004 copyright suk2.tok2.com. All rights reserved.