Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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懐かしくない埼玉
埼玉に住む人には申し訳ないが、東京武蔵野に越してきて、3ヵ月半。
埼玉を懐かしいと思ったことが、ほとんどない。

先日、久しぶりに東大宮駅に降り立ったとき、私は愕然とした。
16年近く住み、慣れ親しんだ町だと思っていたのに、私の心に懐かしい感情が湧いてこなかったからだ。

16年近く住んだ場所に、愛着も懐かしい感情も湧いてこないというのは、どういうことだろう。
子どもたちは、ここで成長し、思い出は、いくらでもあるはずなのに。

また、私の仕事に関しても数多くのものを、ここでいただき、私たちは生活の糧の半分以上を、この埼玉から得たはずである。
感謝、というと奇麗ごとになるが、埼玉は、私にとって、特別の場所であっていいはずだ。

東大宮駅から、得意先の中古OA販売会社まで約5キロ。
住んでいたときは、いつも自転車で訪問したものだが、もう自転車はここにはないので、歩いていった。

自転車で何回も通った道ではあるが、その景色が私の内の何かを揺さぶることは、まったくなかった。
ただの道。遠い道のり。

首を傾げたくなるほど、人ごとのような景色が、ただ前後左右を通り過ぎていく。

中古OA販売会社に着いた。
カバのような愛敬のある社長の顔を見て、はじめて懐かしいと思った。
たった3か月ぶりではあったが、社長の立ち姿に、郷愁のようなものを感じた。

場所には感じないで、人に対しては懐かしさを感じる、というのは、どういうことか。
仕事がらみだから、か。

考えてみたら、16年弱、それなりに忙しく働いてきた。
埼玉で仕事で関わった人は、やはりそれなりに、多い。

それに比べて、プライベートで関わった人は、少ない。
すべてが、子どもがらみ、仕事がらみだった。

子育てには、深く関わった。
学校行事には、すべて参加し、子どもの友だちとも仲良くなった。

あるいは、幼稚園、小学校、中学校の校舎を見たら、懐かしく感じるかもしれない。
それは、間違いなく私の人生に密着していたから。

埼玉で暮らした16年弱。
結局、私がここで残した軌跡は、仕事と子育てだけだった。
地域、ではなかった。

仕事のことなら、いくらでも思い出すことができた。
子育てのことも、同じ。

だが、他に、私がこの地に残したものは、何もない。
だから、懐かしくないのだ。

私が育った中目黒は、今でも郷愁の中にある。
その地に降り立てば、足の底が、音速で過去の記憶を呼び覚ましてくれる。
それは、体全体が震えるほどだ。
自分史の密度が瞬時に膨れ上がり、私の脳を満たす。

そこに、生活があったからだ。

新婚当初住んでいた、横浜日吉についても、それは当てはまる。
ゆるい坂道を登っただけで、記憶の中の自分が、うるさいほど郷愁の断片を刺激する。

だが、埼玉には、仕事と子育てだけがあって、私の脳に埋め込むべき「暮らし」が、なかった。

要するに、子どもを育て、食っていくことで精一杯だった。

それは、不幸なことだったろう、と私は思う。

しかし、それ以外、選ぶことができなかったことも、事実だ。

今回訪問した中古OA販売会社の社長が言ってくれた言葉が、私を救う。

「Mさんは、家族を大事に思う気持ちを誰よりも強く持っている。言葉に出さなくても、Mさんの背に、家族の存在をいつも感じるんだ。俺は、それだけでMさんを尊敬するよ。それだけで、Mさんを信頼できるんだ」

ありがたい言葉だ。

私のしてきたことが間違いでなかったということを、社長は認めてくれた。

自分では、まったく認めていないのだが、他人が認めてくれた。

そのことが、とても嬉しい。



いつか埼玉に郷愁を感じる日が来るのか、あるいは来ないのか。

ジョギング後に、道端の無人野菜販売所で買った、3個百円のトマトを齧りながら、私は武蔵野の空を見上げ、そして地面を踏みしめた。



美味いが、ところどころ青い部分のある不恰好なトマト。

それは、まるで、今の俺を見ているようだった。




2010/07/29 AM 07:32:22 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]



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