Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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変人のワールドカップ
得意先に行く途中、自民党の候補者が遊説をしていた。

そして、そのまわりで数人の関係者がビラ配りをしていた。
私がその横を通ったときは、そのビラ配りの人に、痩せた50年輩の男の人が鋭い口調で話しかけているところだった。

「自民党も甘いよな。鳩山をあのまま首相にしておけば、参院選は楽だったのに。下手に追い込むから辞めちまっただろ。だいたい、あんたのところの党首は・・・・・・・」

ビラ配りの人は、それに対して、腰をかがめ神妙な顔をして、相槌を打っていた。
その光景を後にして、私は得意先への道を急いだ。

そして、打ち合わせを終えた35分後、同じところを通ったら、同じ男が同じビラ配りに、まだ抗議をしていた。
すごい粘着質な男だな。

会話を聞いてみると、
「こんな暑い日にビラを配ったって、誰も受け取りゃしないよ。日陰で配れよ。体使うだけじゃなくて、頭使え。そんな無駄ばっかりやってるから、民主党に負けちゃうんだよ・・・・・・」

候補者がすぐ傍にいるのだから、文句があるなら、本人に言った方が早いだろう。
暑い中、30分以上延々とビラ配りの人に抗議することこそ、無駄だと私は思うのだが。

変人なのか・・・な。

しかし、変人といえば、私と同類ではないか。
なんか、親近感が・・・・・。

ということで、変人のワールドカップ雑感を少しだけ、ご披露しようかと(こじつけ)。

1998年のワールドカップの代表選考で、オカダ監督は、カズを切った。
日本サッカー界の宝、日本サッカーの最大の功労者であるカズを切るのは、大英断と言っていいものだった。

私はカズのファンではないが、私が監督だったら、カズは切れない。
カズあっての、日本代表だと思うからだ。
しかし、オカダ監督は、純粋に戦力にならないと見て、カズを切った。

ただ、その時点でのオカダ監督は、選手のメンタリティ(根性論ではない)を知らなかったと、私は思っている。
特に、カズの。

私の勝手な思い込みではあるが、カズはたとえ直前でどんなに不調であっても、大舞台では活躍できる何かを「もっている」選手だと思う。
それは、今回ホンダ選手が「もっている」ものと、同種のものであろう。
あるいは、たとえ、試合に出ていなくても、彼が放つ「何ものか」は、他の選手に大きな影響を及ぼしたであろうと、今でも私は思っているのだ。

それが、一流選手が持つメンタリティだと思う。

しかし、オカダ監督は、そのメンタリティを理解しなかった。
あるいは、カズの存在が大きすぎて、彼には使い切れなかった。
だから、無惨にも負けた。

だが、今回、オカダ監督は、足の怪我で出場の叶わないカワグチ選手を代表に選んだ。

勝つため、というのなら、カズのときと同じように、カワグチ選手は、いらなかったはずだ。
申し訳ない言い方になるが、彼が使いものにならないことは、わかりきっているからだ。

そのカワグチ選手を選んだことで、私はオカダ監督が、目に見えないスポーツ・メンタリティを、今回は受け入れたのではないかと思った。

選手は、監督の言動以外にも、その行動に敏感に反応する。
カワグチ選手を代表に選んだことで、「今回の監督は違う」と、彼らは認識したのではないか。

もちろん、戦略面でいえば、ホンダ選手のワントップというのが、大きな賭けになって、初戦に勝利したのが、今回の躍進の原因だろう。

純粋に考えれば、絶対そうなる。

だが、ピッチにいないカワグチ選手の存在、彼を選んだ監督のメンタリティへの理解のようなものが、選手のメンタル面に多少の影響を及ぼしたのではないかと、私は勝手に錯覚しているのである。

多少の影響とはいうが、たった1ミリほどの影響でも、20人集まれば、20ミリになる。
その20ミリが、毎回ボールを前に押し出せば、ゴールは近くなるはずだ。

あの奇跡のフリーキックも、その20ミリが後押しをしたといったら、こじつけが過ぎる、と怒られるだろうか。

まあ、変人、そして素人のサッカー観ですから、そこは、大目に見ていただきたいと思います。




ところで、毎回思うのだが、スポーツ実況の、あの白痴的な騒々しさは、どうにかならないだろうか。

何人かのアナウンサー、解説者は、ただの応援団で、サッカー理論を披露することをまったく忘れていた。
あるいは、彼らは、もともとそんなものは持ち合わせていないのかもしれない。
名まえだけで、解説のお仕事をいただいた人たち、とか。

状況を客観的に解説できる人が、あまりにも少ないというのは、日本のスポーツジャーナリズムの悲劇である。
サッカー、ボクシング、バレーボール、野球などなど。フィギュアスケートは、一人を除けば、ましな方である。

もう20年以上見ていないのだが、かつてのプロ野球中継もそうだった。
カネダという大投手だった人が解説をしていて、巨人の投手がピンチになると「頑張れ〜」と居酒屋のオッサンのようなことを毎回叫んでいた。
ハリモトというヒットの職人の解説も、「ここは頑張らないとダメですよ」と、まるで選手のオヤジのような力の入れ方で、毎回「喝」を入れていた。

ここのブログで何回か書いているが、プロのアスリートは、一般人よりも「頑張る才能」があるから、プロになったのである。
それは、プロとしての大前提だと私は思っている。

その「頑張る才能」を持ったプロに、まるで素人の言いがかりのように「頑張れ」と連呼するのは、プロの解説者として、あまりにも怠慢ではないかと私は思うのだ。
あるいは、アスリートに失礼ではないか、と。

それもあって、私はプロ野球中継をまったく見なくなった。バレーボールも、ボクシング中継も見ない。

そして、サッカー中継もあまり見ない。
ただ、サッカー解説者は、少なくともプロ野球解説者よりは頭がいいだろう、と私は好意的に見ていた。

しかし、今回の中継を見て、サッカージャーナリズムの貧困さに、私は気づくことになった。

「〜してもらいたいですね」「〜するしかないですよ」「惜しかった」「ここは、頑張りどころでしょう」「あと一歩足りませんでした」

サッカー理論は、どこいった?

つぶやくなら、ツィッターで充分だろう。

テレビの前の人と同じ目線、同じ言葉で騒ぐのが、自分の仕事だと、彼らは勘違いしているのか。
あるいは、勘違いではなく、それこそが自分の仕事であると確信しているのか。

死力を尽くした日本代表の闘いさえ、色あせる空虚な言葉の氾濫。

サッカージャーナリズムの行く末は暗い。
私には、サッカージャーナリズムの未来が、テレビ中継が激減し、あぶれた解説者が漂流しだしたプロ野球と同じ末路を辿るように見える。

見える、見える、見え〜〜る。


整いました!

「サッカー解説」とかけまして

「古文の授業」と解きます。

そのこころは、

どちらも、「けり(蹴り、〜けり)」にうるさいです。

ミラ・ジョヴォヴィッチです。


やっぱり、変人?





2010/07/05 AM 06:50:57 | Comment(3) | TrackBack(0) | [メディア論]



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