Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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憎い文集
ひねくれもの。

自分で自分をそう思うし、他人も、そう思っている私の性格。

その人格が、いつ形成されたのか、最近ある出来事があったのをきっかけに、考えてみた。

昔から、何かあると、私は必ず少数派についた。

小学校高学年の頃、クラスの男の大部分が、ジャイアンツファンだった。
私は、サンフランシスコ・ジャイアンツが好きだった。
日本人初のメジャーリーガー、マッシー・ムラカミがいたから。
クラス内が、ビートルズで盛り上がっていた頃、私はジミ・ヘンドリックスを聴いていた。

中学のクラブ活動で、バレーボールとテニス部が人で溢れかえっていた頃、私は部員7人の陸上部にいた。
大学時代、ピンクレディの歌が街中に充満していたとき、私は耳を塞いで街を通過した。

今も多数派には、入らない。
無理に入らないのではなくて、ただ「流行っているから」「みんながいいって言うから」という理由では、絶対に入らないというだけだが。

だから、自分のことを変わっていると思うが、間違っているとは思わないのである。

ただ、小学6年のある時期までは、それほど頑なに、ひねくれてはいなかったと思う。
素直で可愛い、誰からも好かれるいい子だった(それはそれで気持ち悪いが)。

小学5年、6年時の担任は同じだった。
39歳の男の教師だった。

彼は、熱血で、平気で生徒を叩いた。
要するに、暴力教師だ。
しかし、当時は、そんなことを誰も気にしなかった。

ウスイ先生は、暴力教師ではあったが、悪いことをしたら、男女関係なく平等に叩いた。
彼は差別をしない人で、同僚の教師でさえ、間違ったことをしたら、平気で叩く「平等の教師」だった。

ただ、私だけは、叩かれたことがなかった。
周囲の大人から「手のかからない子だ」と言われていた、可愛気のないガキだった私だけは、ウスイ先生の「鉄拳の味」を知らなかった。

そんな私だったが、ウスイ先生に、一度だけ怒鳴られたことがある。
小学6年の時の運動会の入場時に、校旗を先頭で持って歩く大役をおおせつかった私は、行進前の整列時に、緊張した場の雰囲気を和らげるために、冗談を言った。

しかし、その行為をウスイ先生に、咎められたのだ。
「馬鹿者! 大事なときに、白い歯を見せるんじゃない! 背筋を伸ばせ! ケツの穴に力を入れていろ!」

怒鳴られたが、叩かれはしなかった。
よく見ると、ウスイ先生は、怒鳴りながらも、顔は笑っていたようだ。

あとで、同級生に言われた。
「俺たちだったら、確実に殴られていたよな。なんで、先生はマツだけは、贔屓するんだ」

贔屓されているという意識は、私にはなかったが、とにかく私だけは叩かれなかった。
クラスの子は、女の子も含めて全員叩かれているというのに。

ダウンタウンのハマちゃんが、愛情を込めて仲間の芸人を叩くように、ウスイ先生の手は、溢れるほどの生徒への愛を表現していたのかもしれない。
ということは、ウスイ先生は、私にだけ愛を持っていなかったのか・・・・・・・。

そのウスイ先生は、彼が中学生の時、ヒロシマで被爆した。
そのせいなのか、ウスイ先生は、67歳という若さで亡くなった。

今年が、13回忌になる。

3回忌、7回忌のときは、法要に参列させていただいた。
しかし、今年は、引越しの忙しさを理由に、花と手紙だけで済ますという不義理をした。

申し訳ないことをした、という罪悪感が体中を巣食って、それを思い出すたびに私は鬱々としていた。
そんな私の陰鬱な状況を悟ったのか、先日ウスイ先生の奥さんから、電話をいただいた。

それは、74歳とは思えないほど、張りのある明るい響を持った声で告げられた。
「主人の書斎のダンボールを整理していたら、昔の文集の生原稿が見つかったの! コンドウさんの書いた文があって、M君のことが書いてあったわよ」

コンドウさんに関しては、以前ブログに書いたことがある(コチラ)。

先天性の病で、小学6年の夏前に、短い生涯を閉じた人だ。

その子が書いた文集の原稿が残っていると、ウスイ先生の奥さんが言うのだ。

それを聞いたとき、自分でも思いがけないほどの強烈な感情が、戸惑いとともに、私の足元から髪の毛の先までを高速で駆け抜けた。

文集ですか? あまり、記憶にはないですが・・・。

「この原稿、M君に送ろうと思うんだけど、どうかしら? 私はコンドウさんのことはよく知らないんだけど、M君のことが書いてあるから、これは、あなたが読むべきものよ。あなただけが理解できることが書いてあると思うの」

それを聞いて、私は怖くなった。
逃げ出したくなった。
過去の自分のことが書いてある文集。
それは、暗闇の中でビックリ箱を渡されたのと同じ怖さがある。

覚悟して開けても、結末は目に見えている。

目を閉じて、呼吸を整える。

ビックリ箱を開ける勇気は・・・・・・・。

ない、と言い切ってしまったら、糸が切れる気がした。
過去へと続く、細い糸。
それを断ち切る勇気も、俺にはない。

しかし、ある、と言えるほど、俺の心はタフでもない。

深呼吸を10回。

ちょうどいい頃合いを見計らって、ウスイ先生の奥さんが言った。
「じゃあ、郵便で送るから。コピーしたものを送るから、返さなくてもいいですよ」

二日後に私の手元に届いた文集の原稿。
それはコピーではあるが、そのコピーは、歳月の長さを物語るように、重いシミが歴史を主張していた。

四百字詰めの原稿用紙が2枚。
コンドウさんの字など、覚えているわけがない。
しかし、忘れていた彼女の松葉杖の姿が、その原稿の先に確実に浮かび上がった。

そして、眩しいほどの笑顔も。

読もうか止めようか、数分の逡巡の後、思い浮かんだ彼女の笑顔が、私の脳のスイッチを押した。

読み始めた。

最初は、自分の将来のことを、明るい文体で書き綴っていた。
それは、希望にあふれた「まばゆい夢」を綴った散文詩のようだった。

普通に歩ける子になりたい、と書いてあった。

そして、後半に、私のことが出てくるのだ。
足の速い男の子として。

歩けるようになったら、その子と一緒に走ってみたい。
そして、どんなに遅くてもいいから、その子の背中を見ながら、走ってみたい。
そう書いてあったのである。


俺が、ここにいる。
彼女の夢のパートナーとして・・・・・。


それは、まるで思いがけないテストの結果を知らされた時のように、大きな戸惑いと小さな怒りが交差して、私の心を不安定にした。


その文集を当時、私は読んだはずだが、完全に忘れていた。
思い出したくなかったのかもしれない。

痩せ細った病室の彼女を思い出した。
あんなに痩せてつらそうだったのに、私が見舞いに行くと、いつもの笑顔で話しかけてくれた。

そして、死んだ。

あんなにいい子でも、人は死ぬんだ。
何かが、強い力で、彼女を持っていってしまうんだ。

葬儀に参列している間中、私は「何か」を強烈に呪っていたと思う。

その何かは、とても強くて、俺たちの力では、抵抗することができない。


何だよ! じゃあ、俺たちは一体何に操られているんだよ!


そう思ったら、真っ直ぐに目標に向かうのが、馬鹿馬鹿しくなった。
ようするに、ひねくれた。

そして、怖くなった。

あんなにいい子でも、死ぬんだ。

「生きたい!」と叫び続けても、誰も助けてくれないんだ。

俺の前から消えてしまうんだ。




いま、文集の後半に付いたシミが、俺は、とても憎い。




2010/07/31 AM 08:06:05 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]

懐かしくない埼玉
埼玉に住む人には申し訳ないが、東京武蔵野に越してきて、3ヵ月半。
埼玉を懐かしいと思ったことが、ほとんどない。

先日、久しぶりに東大宮駅に降り立ったとき、私は愕然とした。
16年近く住み、慣れ親しんだ町だと思っていたのに、私の心に懐かしい感情が湧いてこなかったからだ。

16年近く住んだ場所に、愛着も懐かしい感情も湧いてこないというのは、どういうことだろう。
子どもたちは、ここで成長し、思い出は、いくらでもあるはずなのに。

また、私の仕事に関しても数多くのものを、ここでいただき、私たちは生活の糧の半分以上を、この埼玉から得たはずである。
感謝、というと奇麗ごとになるが、埼玉は、私にとって、特別の場所であっていいはずだ。

東大宮駅から、得意先の中古OA販売会社まで約5キロ。
住んでいたときは、いつも自転車で訪問したものだが、もう自転車はここにはないので、歩いていった。

自転車で何回も通った道ではあるが、その景色が私の内の何かを揺さぶることは、まったくなかった。
ただの道。遠い道のり。

首を傾げたくなるほど、人ごとのような景色が、ただ前後左右を通り過ぎていく。

中古OA販売会社に着いた。
カバのような愛敬のある社長の顔を見て、はじめて懐かしいと思った。
たった3か月ぶりではあったが、社長の立ち姿に、郷愁のようなものを感じた。

場所には感じないで、人に対しては懐かしさを感じる、というのは、どういうことか。
仕事がらみだから、か。

考えてみたら、16年弱、それなりに忙しく働いてきた。
埼玉で仕事で関わった人は、やはりそれなりに、多い。

それに比べて、プライベートで関わった人は、少ない。
すべてが、子どもがらみ、仕事がらみだった。

子育てには、深く関わった。
学校行事には、すべて参加し、子どもの友だちとも仲良くなった。

あるいは、幼稚園、小学校、中学校の校舎を見たら、懐かしく感じるかもしれない。
それは、間違いなく私の人生に密着していたから。

埼玉で暮らした16年弱。
結局、私がここで残した軌跡は、仕事と子育てだけだった。
地域、ではなかった。

仕事のことなら、いくらでも思い出すことができた。
子育てのことも、同じ。

だが、他に、私がこの地に残したものは、何もない。
だから、懐かしくないのだ。

私が育った中目黒は、今でも郷愁の中にある。
その地に降り立てば、足の底が、音速で過去の記憶を呼び覚ましてくれる。
それは、体全体が震えるほどだ。
自分史の密度が瞬時に膨れ上がり、私の脳を満たす。

そこに、生活があったからだ。

新婚当初住んでいた、横浜日吉についても、それは当てはまる。
ゆるい坂道を登っただけで、記憶の中の自分が、うるさいほど郷愁の断片を刺激する。

だが、埼玉には、仕事と子育てだけがあって、私の脳に埋め込むべき「暮らし」が、なかった。

要するに、子どもを育て、食っていくことで精一杯だった。

それは、不幸なことだったろう、と私は思う。

しかし、それ以外、選ぶことができなかったことも、事実だ。

今回訪問した中古OA販売会社の社長が言ってくれた言葉が、私を救う。

「Mさんは、家族を大事に思う気持ちを誰よりも強く持っている。言葉に出さなくても、Mさんの背に、家族の存在をいつも感じるんだ。俺は、それだけでMさんを尊敬するよ。それだけで、Mさんを信頼できるんだ」

ありがたい言葉だ。

私のしてきたことが間違いでなかったということを、社長は認めてくれた。

自分では、まったく認めていないのだが、他人が認めてくれた。

そのことが、とても嬉しい。



いつか埼玉に郷愁を感じる日が来るのか、あるいは来ないのか。

ジョギング後に、道端の無人野菜販売所で買った、3個百円のトマトを齧りながら、私は武蔵野の空を見上げ、そして地面を踏みしめた。



美味いが、ところどころ青い部分のある不恰好なトマト。

それは、まるで、今の俺を見ているようだった。




2010/07/29 AM 07:32:22 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

カツラとトラウマ
私には、三つのアレルギーがある。。

ひとつは、某大新聞社が所有するプロ野球チーム。
次に、50年以上、官僚と馴れ合いを演じ、銀行を優遇し、官僚と銀行と政権与党だけが得をする仕組みを作った政党。
最後に、演歌である。

同業者たちに、カラオケに誘われることが、よくある。
だが、たいていは、断る。

私は、自分がオジさんであるにもかかわらず、オジさんたちが、フォーク、懐かしのポップス、演歌をウットリと歌う姿を見ると、鳥肌が立つ体質をしている。
私は、「昔はよかった」という、過去礼賛の脳内麻薬を持っていないのである。
この体質だけは、治しようがない。

特に演歌を歌われると、胃が急に重くなって、吐き気を催すことが度々ある。
あるいは、全身が痒くなる。
これは、誇張ではなく、本当に、そういう症状が出るのである。

歌が、下手でも上手でも、その症状が出るから、演歌そのものが、私の体の中を通っていかないのだと思う。
アレルギー体質の人が、花粉が駄目、ネコが駄目、そば粉が駄目というのと同じだ。

要するに、特異体質なのだ。

そう思っていた。

しかし、私は昨日、得意先からの帰り、武蔵境イトーヨーカ堂のトイレで、過去の記憶を甦らせることになった。

それは、特異な出来事だった。
私が、トイレに入ると、男の人が髪の毛を剥(む)いていたのだ(カツラをセットし直していた)。
髪の毛を剥いた頭は、88パーセントが綺麗に地肌をさらしていて、とても生々しかった。

その光景は、デジャヴかと思った。
過去に、同じような光景を確かに見たような気がしたのだ。
そして、用を足しているときに、ある出来事を鮮明に思い出した。

忌まわしい過去を。

小学校2年のときのことだった。
近所にボーリング場があり、そこで、毎週テレビの公開放送をしていたのである。

その番組には、プロボーラーの対戦の合間に、当時流行っていた歌手の歌を聴かせるコーナーがあった。
ミーハーな友だちに誘われて、私は毎週その公開放送を見に行っていた。

どんな歌手が出ていたかは、まったく覚えていない。
だから、そのことを、完全に私は忘れていた。
しかし、今回突然、ある光景が私の頭に、雨上がりの晴れ間に地面から湧き上がる蒸気のように、浮かび上がってきたのである。

その日のゲストは、演歌歌手だった。
当時の私は、音楽には疎かったので、どんな歌を聴いても、「ああ、うまいな」としか感じなかった。
演歌も、変なうたい方だとは思ったが、不快には感じなかったと思う。

しかし、その後、私の体質を劇的に変える出来事が起きた。

私と友だちは、いつも公開放送が終わった後も、ボーリング場に残って、人のゲームを見ることにしていた。
ボーリングは一度もしたことがなかったが、「あのフォームでは駄目だ」「玉が軽すぎるから、力が伝わらない」などと、小学2年とは思えない偉そうな批評をして、時間をつぶしていた。

ただ、私はその日、少し体調を崩していた。
ボーリング場に来る前に、近所の家から貰ったトウモロコシを祖母に茹でてもらい、3本をまとめ食いしていたのである。
食い終わった時点では、満足感でいっぱいだったが、公開放送を見ているうちに、胃に何ともいえない不快感を感じ、収録が終わった後も、その違和感を引きずっていた。

そして、徐々に我慢の限界が、胃の上のあたりに押し寄せてきた。
ピンが倒れる音が、聴覚から脳を刺激し、それが徐々に全身に回っていったのだろう。
私は、不快感を抑えきれずに、トイレに走った。

しかし、それは、従業員用のトイレだった。
慌てていたので、一番近いトイレに駆け込んだのだ。

そして、トイレのドアを開けた途端に、私の目に入ってきた光景。

それは、先ほどの演歌歌手が、頭の毛を剥いているところだった。
本来なら、楽屋というものがあるのだろうが、そのボーリング場には、なかったのかもしれない。
だから、演歌歌手は、そこでカツラをセットし直していたのだろう。

カツラが、それなりに市民権を得た今なら、それは違和感なく受け入れられる光景だった。
しかし、当時は、特に8歳の子どもにとっては、その生々しさは、到底受け入れられるものではなかった。

普通は、剥けない髪の毛を、剥いている人が、目の前にいる。
安っぽい蛍光灯のせいで、頭皮が赤くテカっている光景は、子どもにとっては、ゾンビを見たようなものだ。

私は、その光景を見て、その場に、トウモロコシの残骸を口から噴射してしまったのである。
ジェット噴射といっていい、強烈な嘔吐。
それは、突然で、抑えようがなかった。

そんな私に対して、演歌歌手は、容赦ない罵声を浴びせかけた。

「このガキ! 汚ねえなあ! 何してくれるんだよ!」
ツルリと剥けた頭のまま、演歌歌手は怒鳴った。

そして、私は、演歌歌手に、頭を叩かれた。
その叩き方には、まったく遠慮というものが、なかった。

だから、私は泣いた。

泣くとまた、トウモロコシを噴射した。

今度は、頬っぺたを張られた。

また、泣いた。

泣くとまた、頭を叩かれた。

私の体のことを1ミリも心配せずに、ただ暴力を振るう演歌歌手。

何発叩かれたか、思い出せないほど、私は演歌歌手に叩かれた。
ひどい大人がいるものである。

それが、演歌を嫌いになった理由。



昔を思い出したら、全身が痒くなってきたような・・・・・。




2010/07/27 AM 07:14:18 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]

愛人エリカそしてアンジェリーナ
13億対1億3千万。

中国と日本の人口比。

今年、GDPの数値で中国が日本を抜いて世界第2位になると言われている。

それは、人口比と民族のヴァイタリティを考えたら、当然のことのように思える。

世界の5人に1人が、中華系なのである。
小学校なら、1クラスに6人の中国人がいる計算になる。

それに対して、日本は、50人に1人。
2クラスに1人程度だ。

中国人とインド人、ロシア人、アメリカ人が連携したら、この4カ国だけで、過半数が取れる。
天下を取れる。
つまり、人の数、イコール、パワーである。

それを考えると、世界で10位の人口を持つとはいえ、国土が狭く、なおかつバブル後の「暗黒の10年」のトンネルで、もがき続けた日本が今まで経済で第2位の座を維持していたのが、奇跡に思える。

数字のマジックで好景気と言われた時もあったが、それは大企業に限られた現象だった。
国内産業の礎である中小企業は、金融政策から、置いてきぼりだった。

銀行と大企業と政権与党(自民党)の政治家、天下り官僚だけが富を溜め込む、いびつなシステムの中で、むしろこの国は健闘してきたと言ってもいいのではないだろうか。

我慢強い、雑草のような国民のおかげで。

しかし、日本の先行きは暗い、と悲観論者たちは声高に言う。

「国の借金は、天文学的で、国家は破産寸前」と何年も前から、評論家やエコノミストが警鐘を鳴らしている。

だが、エコノミストと預言者の言葉は、中ったためしがない。
だから、日本が破産することは、ありえない。
それは、自信を持って言える。

エコノミストよりも、歌舞伎町路地裏の街角占い師のほうが、まだ信頼できる。

ただ、人口が減ったら、日本の将来は、決して明るいとは言えなくなる。
私が危惧するのは、そこである。

ここからは、歌舞伎町路地裏の街角占い師よりも、はるかに格が落ちる私の予言。


一昨日、テクニカルイラストの達人・アホのイナバが、吉祥寺までやってきて、「Mさん、ぜひ奢らせてください」と土下座するので、私は扇子で顔を扇ぎながら「苦しゅうない」と答えた。

「暑いときは、キムチ・チゲだろう」と私が言うと、イナバは尊敬の眼差しで私を見て、大きく首を横に振った。
しかし、「キムチ・チゲを食わさなかったら呪い殺す」と私が言ったら、喜んで同意した。

吉祥寺駅から徒歩10分の韓国料理店で、キムチ・チゲ、キムチの盛り合わせをイナバに無理矢理食わせながら、私はビールを飲んだ。

イナバには、マリモッコリを薦めた。

「Mさん。マリモッコリではなく、マッコリです」(似たようなもんだ)

この半年で4キロ太ったイナバは、額に汗を浮かべて、チゲと格闘していた。

そんなイナバに向かって、私は「子どもを作れ」と言った。

「何ですか? いきなり」
額と鼻の頭に浮かべた汗を飛び散らせながら、イナバが険しい目を私に向けた。

「俺の嫁さん、今年39歳ですよ。もう無理です」

そうは言うが、中学2年と小学4年の親であるイナバに、もう一人子どもができたら、少子化に歯止めがかかる。

だから、ぜひ作ってくれ、と頼んだ。
奥さんが無理なら、愛人のエリカに産ませるという手もあるだろう。

「愛人のエリカって、誰ですか?」

あるいは、恋人のハルさん、ナツさん、アキさん、フユさんでもいいのだが。

「いませんよ! そんな恋人も」

いいかい、イナバくん。
これからの日本に一番必要なのは、子どもです。

子どもは、時が流れて大人になり、働く。
働いたら、税金を払う。社会の役に立つ。
子どもは、国にとって宝なのだ。

かつて自民党の老人政治家たちは、自分の子どもや孫に自分の仕事を継がせることだけにエネルギーを注いだ。
しかし、自分の子ども以外を大事にする政策には、興味を持たなかった。

子どもを生んだ母親が、子育てが一段落して社会に復帰しようにも、「仕事を取られる」という強迫観念に凝り固まった男たちの高い壁に阻まれて、「母親であること」を余儀なくされた。

子どもを生み育てる意義が薄れたために、少子化が進んだ。

安心して仕事に復帰できる環境を母親に与えていたら、日本の少子化には、間違いなく歯止めがかかっただろう。
人口が減ったら、その村は廃墟になる。
当たり前の理屈が、自分の子どもにしか興味のない老人政治家には、わからなかった。

だから、人口が、頭打ちになった。
だから、税収が減っていく。

頭の悪いエコノミストに、「破産だ」と煽られる。
そして、思考回路が停止する。
頭の悪い政治家は、守りに入って、自分の血筋だけを尊重する。

増やせよ、子ども。
増やせよ、人口。

国内で働く外国人を増やして、税収を確保するという手もある。
しかし、愛国心に凝り固まった頑迷な人間には、それは受け入れられないだろう。

だったら、日本人を増やしましょう。

簡単な理屈だ。

イナバ君。
君は、金持ちだ。
金持ちが、愛人にたくさん子どもを生ませて、日本の未来を作り上げれば、君は英雄になる。

ぜひ、愛人のエリカに、子どもを!
恋人のハル、ナツ、アキ、フユにも子どもを!

(イナバが小声で)「だから、愛人も恋人も、いねえって!」

そして、逆襲された。

「Mさんこそ、愛人のアンジェリーナに子どもを」




アンジェリーナは、ノラ猫だし・・・・・・・・。




2010/07/25 AM 07:30:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | [子育て]

暑いお友だち
暑い夏の、乗り切り方。

暑い夏が、好きだ。
汗をダラダラとかいて、痛いほどの直射日光を浴びると、生きていることを実感する。

だから、テレビのニュースで世間の人たちが「暑い、暑い」と騒いでいるのを見ると、「夏は暑いのが当たり前」と斜に構えてしまうのである。

「今年は、世界的に異常な猛暑」と、気象予報士の方々が言っていたが、数年前も同じことを言っていたような気がする。

3年前は、日本国内でも、40度を超えた日が頻繁にあった。
岐阜県の多治見市は、それで有名になった記憶がある。

異常気象は、すべて地球温暖化のせいにすると人は安心するのか。
なんでも環境のせいにして、話を収めようとするのは、私は危険だと思うのだが、素直な人は、同じ考えの人がいると心が落ち着くのかもしれない。

しかし、かなりの少数意見だと思うが、私は「地球温暖化はない派」である。
自然の猛威による災害が増えたと言うが、それは昔と比べて人口が増えたからである。

人が溢れ、かつて木と山しかなかったところに、人が移り住んできた。
木を伐り、山を削り、生活空間を作り出した。
昔だったら、そこには人がいないのだから、台風や洪水が来ても、人的被害はなかった。

しかし、今は人間が自然を切り崩して、自分の陣地にしてしまったから、同じような場所で同じような洪水が起きたら、人的被害が大きい。
つまり、「いなかったとき」と「作ってしまったあと」の時代には、時差があるから、それを比較しても意味がないのだ。

同じように自然が猛威を振るったとしても、人がいれば、災害が起きる。
いなければ、災害はない。
それは、地球温暖化とは、まったく関係ないことだ、と私は思っている。

人口増加の問題なのだ。
あるいは、都市設計の不備によるものだ。

昨今言われる、都市のヒートアイランド現象も、私は疑っている。
都市の平均気温は、少しずつ上昇しているかもしれないが、それを地球温暖化に結びつけるには、無理がある。
それは、地球規模の現象ではないからだ。

地球の平均気温が上がっているから、地球温暖化が進む。
CO2の排出量が増えたから、オゾン層が破壊された。
それは、はたして成熟した議論なのか。
50年後に、簡単に覆され、後の科学者から嘲笑される議論だったら、環境サミットは、ピエロの集まりになる。

誰もが同じ方向を向いて、すべての事象を温暖化のせいにしたら、得をする人間が出てくるはずである。

「温暖化商法」

ずる賢い人の思う壺・・・・・と言ったら、ひねくれすぎか。

ただ、断言できるが、経済評論家と預言者の言うことは、中ったためしがない。
そして、科学者も同じ。

彼らの言うことを真に受けるより、暑さを真正面から受けとめて、自分なりの夏を過ごした方がいい。

もちろん、そんなことは、私が提案しなくても、賢い人は、やっていると思うのだが・・・・・。


ここから先は、決して真似をしてはいけない、私の夏の過ごし方を。

暑い夏は、汗をかく。
だから、いい汗をかく努力をする。
実に単純である。

私の場合、夏の初めに、全身から汗を噴出させる過激な運動をして、体を素早く夏モードにして、暑さに慣れておくことにしている。
若い頃は、30メートルダッシュ、10メートルダッシュを繰り返して体を追い込んだが、年を取ってそんなことをしたら、自殺行為と言われる。
だから、今は、2時間程度ジョギングをして、たまにダッシュをするというメニューで、体を追い込んでいる。

夏の初めの晴れた日の朝。
夕方は、アスファルトに熱がこもっているから、湿度が高くなる。
朝は、アスファルトの熱気が抑え目だし、湿度も多少低いので、走りやすい。だから、朝に走る。

1キロ6分程度のスピードで、約2時間、20キロほどを走る。
途中の公園や図書館で水分補給をするが、水だけでは流れ出た塩分をカバーできないので、親指大ほどの容器に塩を入れて、それを適度に舐める。

走る。汗をかく。水を飲む。塩を舐める。少し休む。走る。汗をかく。

長年同じことをしていると、汗が出きった瞬間を体が思い出すのだ。

暑さに慣れた――――――その感覚が、脳内のどこかのボタンを押して、体が夏モードになる。

そうなれば、もう暑い夏は、お友だちだ。

ホット・サマー・イズ・マイ・フレンド(何のこっちゃ)。

今年も、6月の終わりに走った。
アパートから小金井公園まで走り、小金井公園を3周した。

ただ、汗は全身の汗腺から絶え間なく流れ出てはいるが、まだ汗をかいているだけ、という状態だった。
時々30メートルダッシュをして、肉体に負荷をかけた。
しかし、まだ、脳内のボタンにスイッチは入らない。

武蔵野で迎える初めての夏だから、感覚が甦らないのか。
公園からアパートまでを1キロ5分にペースを上げて追い込んでみようか。
そう思って、ギアを入れ替えようとしたとき、元気のいい掛け声が後ろから聞こえてきた。

掛け声のリズムからすると、どこかの大学の陸上部が、団体で練習していると推測した。
体の芯に響き渡る、元気のいい掛け声を聞いて、私の背筋が伸びた。

よし! ギアチェンジ! と足を踏み込んだら、6人の集団が、綺麗なフォームで、あっという間に私の横を駆け抜けていった。
まるで風が通り過ぎたような感じだ。

抜かれるのは、気持ちのいいものではない。
私は、負けず嫌いなのだ。
だから、6人についていこうとした。

300メートルまでは、何とかついていけた。
しかし、そこまでだった。

膝が上がらない。息が苦しい。汗が目に入って痛い。散歩の犬が道を塞ぐ。太陽が眩しい。年には勝てない。

要するに、疲れた。

結局、ギアを上げるどころか、1キロ7分までペースを落とさないと、家まで辿り着くことができないという惨めな状況になった。

アパート近くの公園の木陰に、転がり込むようにして辿り着き、草むらの中に隠しておいた袋を取り出した。
カチンカチンに冷やした保冷剤で巻くようにして冷やしておいた、クリアアサヒの500缶。

手に、冷え切った缶の心地よい冷たさが伝わり、肺に溜めこんだ息を大きく吐き出した。
そして、プルトップを思い切り引き上げ、喉に、軽い刺激を持った液体を徐々に流し込んでいった。

全身の毛穴から、また汗が流れ出してきた。
洪水のような汗だ。

クリアアサヒを飲み干す。

また汗が流れた。

そのときだ。
私の脳のボタンを、クリアアサヒが押した。

出きった、と思った。

これで、今年の夏が、どんなに暑くなっても、私は怖くはない。

暑さには、絶対に負けない。

負けるもんか。


しかし、賢いお方は、絶対に真似をしないでください。
これは、特殊な方法ですから。

ダメですよ、本当に。



真似る人なんか、いないか・・・・・・・・・・・・。




2010/07/23 AM 07:28:46 | Comment(5) | TrackBack(0) | [日記]

イエスかノーか
先の参院選で、民主党に投票した人のうちで、子ども手当てに否定的な人が66%いる、というネットの報道を見て驚いた。

3人に2人が、反対。

財源が、ばらまき政策が、と報道するから、貰う側も及び腰になって否定的になっているのか、と思った。
しかし、記事には、具体的な根拠は何も述べられていない。

66%の人が、何を根拠にして子ども手当てに否定的なのか、まったく報じていないのである。
これを責任ある記事といっていいのか。

説明なしに、66%という答えだけを取り出して、何が報道か。
66%の数字を根拠にして、「子ども手当てノー」を強調したいだけなのか。


ワールドカップもそうだったが、メディアの報道は、ゼロか百である。

開催前に戦犯扱いだったカントクが、勝てば即「英雄」になる。

率先して「やめろコール」をしたメディアは、率先して「名カントクコール」で、過去の罵倒を覆い隠す。

ゼロか百。

アンケートの質問も、ゼロか百。

メディアは、いつもセンセーショナルな結果を誘導する質問だけを用意する。

たとえば、ワールドカップ後も、オカダ監督に代表監督を勤めてもらいたいですか、という質問があったとする。
「諾」か「否」か、二つしか選択肢はない。

サッカーに詳しい人は、オカダ監督の戦略面や用兵を考慮し、熟考の末、新しい監督に代表を託したいと思うかもしれない。
つまり、答えは、「否」。

サッカーにあまり詳しくない人は、今回のワールドカップの大々的な報道を見て、オカダ監督こそ最高の監督であると思うだろう。
つまり、答えは、「諾」。

我々が色々なことを判断するとき、このように、その人の興味の度合い、経験によって、同じ「否」「諾」でも、意味合いが違ってくる。

ゼロか百か。
選んでしまえば、それは結果的にゼロか百になるが、考える過程に、人はもっと色々なことを考慮し、条件付けをする。


結婚してください。

「はい」「いいえ」。

答えは、二つに一つだが、結論に至るまでに、相手の収入や親、性格、相性など、数え切れないほどの項目を、頭の中のチェック表に思い浮かべ、自分にとって最適な答えを選ぼうとするのが普通である。


結論は、ゼロか百でも、悩んだ工程は、そうではない。
極端な言い方になるが、99%に近いゼロもあるのだ。
やむを得ず、1%を選んで、結果、百の結論を得ることもある。


質問する側は、特にメディアは、自分にとって都合のいい結論を、アンケートで導き出そうとする。
要するに、見出しになりやすい結果を導くように、細かい条件付けなしで「はい」「いいえ」を聞く。

もしくは、こんな聞き方をする。
「子ども手当ては、バラまき政策という批判がありますが、あなたはどう思いますか。子ども手当ては、必要ですか、必要ないですか」

質問の前提に、批判を書いてしまったら、それは、公平な質問とは言えない。

ようするに、恣意的である。
彼らにとって、思い通りの結果が出たら、紙面の目立つところで、太い見出しを躍らせ、誘導の材料にする。
思い通りの結果が出なかったら、目立たないところで、ベタ記事扱いだ。
あるいは、アンケート結果自体が、ボツになる。


同業者との新年会で、子ども手当ての話題が出た。
参加した4人全員が、規定の子どもがいるから、全員が子ども手当てを得る資格があった。

将来は、どうなるかわからない。「バラまき」という批判もある。財源もはっきりしない。
しかし、とりあえず「子ども手当て」の支給が決定した。
「子ども手当て」、どう思う?

質問の前段に、私が否定を強調したからか、「無責任なバラまき政策だよ。必要ないね」という声が、3人。

「俺は、助かるよ」と言ったのは、私ひとりだった。

「まったく、無責任に何でもバラまきゃいいってもんじゃないだろ。これ以上、借金を増やすなよ!」

正論が、飛び交っていた。

ただ、そのうちのひとりは、後で私に耳打ちをし、もうひとりは、電話でこう言った。
「さっきは、ああ言ったけど、『子ども手当て』は助かるよ。俺の奥さんも、表向きは『バラまき反対』って言ってるけど、支給されたらどう使おうかって、悩んでるよ」

私も助かる。
貧乏人は、見栄を張っているヒマがない。

財源は、「誰か」が考えればいい。
私は、税金を納め、真面目に選挙権を行使すれば、それで国民の義務は果たした、と思っている。
私にできることは、それしかないのだから。

だから、義務の結果として、いただけるものは、喜んでいただく。
格好をつけている余裕が、私には、ない。


ただ、引越しの混乱で(行政のミスで)、2か月分いただけるはずの手当てを1か月分しか、いただいていない。

それは、「いいこと」か「悪いこと」か、と聞かれたら、もちろん百%「悪いこと」だ。

だから、行政の事務能力に対しては、「ノー」だ。
(結局、これが言いたかっただけ)




2010/07/21 AM 07:24:36 | Comment(5) | TrackBack(0) | [メディア論]

お鮨屋ミステリー
私には、不思議に思っていることが、ひとつある。

お鮨。

回って出てくる寿司ではなく、カウンターあるいはテーブル席で注文する鮨屋のことである。

私の人生で、鮨屋に入った回数は、数えるほどだ。
そのうちの4回をミズシマ氏の奢りで入った(ミズシマ氏に関してはコチラ)。

ミズシマ氏とはじめて入ったのが、東銀座にある、格式高い門構えの鮨屋だった。
もう20年以上前のことになる。

小柄で貧弱な体系ではあるが、高級なスーツに身を包んだミズシマ氏は、見方によっては金持ちに見えるだろう。
たとえ、金持ちに見えなかったとしても、ミズシマ氏が話すことを聞いたら、「ああ、この人、金持ってるんだな」と誰もが思う。

「この間、はじめてアフリカに旅したんですよ。一ヶ月間、アフリカを堪能しましたね。野生動物の美しさは、想像を絶していました。それに比べて、人間なんて美しくないですね」
「突然、本場のチーズ・フォンデュが食べたくなったんで、スイスに行ってきました。やっぱり、本場のは美味いですよ」

そんなことを、カウンター席に座って、大きな声で言うのである。
大きな声は、ミズシマ氏の地声なので、私は慣れたのだが、人によっては、神経を逆なでされた気になるかもしれない。

ミズシマ氏は、小食。
だから、多くの量の鮨を食べるわけではないが、そのときは、高いネタの鮨を12〜3貫ほど食べたような気がする。

私は、鮨は嫌いではないが、「鮨を奢られる」というシチュエーションが、あまり好きではないので、納豆巻きやカッパ巻きなどの安い巻物類を中心に10個ほど食った記憶がある。
そして、ビールが3本。

会計。
なんと、3万8千円を要求されたのである。

私が食ったのは安いものばかり。
高く見積もっても、2千円くらいだろう。

ミズシマ氏は、確かに高いものを食った。
だが、それがたとえ1貫2千円という法外な値段だったとしても、2万6千円。
ビールが3本で、1500円。

どんなに高くても、3万円だろう、と私は思った。
それでも、3万円は、私にとって、ボッタクリ以外の何ものでもないが。

それ以上の、3万8千円。

その金額が、私の心に、棘のように引っかかっていた。

本当かどうか知らないが、鮨屋は、相手を見て金額を決めるということを聞いたことがある(特にカウンター席の場合)。
鮨屋は、ミズシマ氏の話す「金持ちの道楽話」を聞いて、彼が上客だと判断したのではないだろうか。

こいつなら、金がとれる、と。

私は、奢られる立場の人間として、自分が食ったものは、必ず把握するようにしている。
相手から好意を受けるのだから、「食った結果」は、こちらの責任になる。
だから、覚えているし、奢る側の出費に関しても、それなりに把握しているのである。

それが、奢ってもらう人間の礼儀だと思っているからだ。

奢られた側から見て、この場合の3万8千円は、法外である。
鮨屋は、正規の金額ではなく、相手を見て請求額を決めているのではないか。

そのとき、私の頭に、鮨屋に対するそんな拭いがたい疑念が宿った。

ただ、一つだけの経験では、説得力がない。

私は、後日、さらに、それを裏付けるもう一つの経験をした。

母が、検査入院をした4年前。
退院の日、母が、迎えにいった私に、「ちょうどお昼どきだから、お寿司でも食べていこうか」と言った。
そして、「私が、払うからね」とも言った。

断るのは申し訳ないので、清瀬駅近くの鮨屋に入った。
小ぎれいな店内だ。
ランチが、「チラシ寿司1350円」とあった。
まわりを見渡してみたら、客筋の良さそうなサラリーマン風の人が、数人いた。

「チラシを食べきる自信がない」と母が言うので、カウンターで適当なものを頼むことにした。
私は、ビール。

母は、小食だ。
まして、退院したばかりだ。
ヒラメが好きなので、ヒラメだけを3貫食べた。
お吸い物も頼んだ。
私は、イカとサラダ巻き、納豆巻き、全部で6個。

食べ終わって、即座に金額を計算した。
メニューに金額が書いていなかったので、推測だ。
ヒラメが、300円×3、お吸い物、200円で、1100円。
私が食ったのは、平均して150円と計算。900円。
そして、ビール1本が500円。

合計、2500円か。
高めに見積もっても、3千円はいかないのではないか。
だが、それさえも、母にとっては負担だと思う。

祈るような気持ちで、「おいくらですか?」と聞いた(「おあいそ」なんて恥ずかしくて言えない)。

すると、店員が「1300円」と、白い歯を見せて言った。
予想よりも、はるかに低い額だった。
思わず「二人分ですか?」と聞いてしまった。
信じられないことだが、二人分だったようだ。

一人分のランチの金額よりも、安い。
ビールの金額を引いたら、二人分で800円ということになる。

そのとき私は考えた。
母は、155センチ、35キロ。病気のせいもあるが、極端な痩せ型。
そして私は、180センチ、56キロ。病気でもないのに、かなり貧弱な方だ。
それに母はともかく、私の顔は、誰が見ても直視できない貧乏顔だ。

鮨屋は、その外見を見て、私たち親子からお金を取るのは、不憫だと思ったのではないだろうか。

姿かたちで、金額を決められたのではないか、と。

そして、昨日。
大学時代の陸上部の友人・デッパから電話がかかってきた。

世の中は不況だが、デッパの会社は好調だったせいか、ボーナスの額が2割以上アップしたという。
そこで、会社の帰りに、同僚3人と勢いで鮨屋に寄ったというのだ。

そのとき、請求されたのが、3人で4万2千円だったという。
「俺たち、そんなに食ってねえんだけどな。一人せいぜい5千円くらいだよ」とデッパが、電話口でボヤく。

おまえたち、カウンターで食ったのか。

「ああ」

まさか、鮨屋で、今日はボーナスが出た、金額がアップした、なんて自慢げに話したんじゃ?

「言った。何度も言った。嬉しかったからな」


やっぱりな。


しかし、金持ちは、金を使う義務がある。

だから、私は、デッパには同情しない。




2010/07/19 AM 07:11:20 | Comment(5) | TrackBack(0) | [日記]

まさかの展開
それは、衝撃的な出来事だった。

たとえば、彼女がいたとする。
その彼女は、とても可愛い。
街を一緒に歩いていると、ほとんどの男が振り返るほどだ。いや、女でさえも、振り返る。

笑顔のまぶしい女の子。
気配りも自然にでき、性格もよくて、誰からも愛される性格。

そんな子と食事に行き、映画を観、コンサートで盛り上がり、クリスマス・イヴを一緒に過ごした。

そして、最後は、彼女の実家に挨拶に伺うというのが、正しい交際の工程だろう。

ドキドキしながら、彼女の実家の門をくぐり、居間に通される。
欧州の上流階級を思わせるような調度品が、品よく置かれた居間だ。

彼女の両親に、はじめて会うのだ。
ドキドキが止まらない。

そのとき、彼女が言う。
「うちのお父さん、ちょっと変なの」

ん? 何が変?
どういうことだろう?

そのとき、声とともに、彼女の父親が、居間に入ってきた。
「お待たせして、悪かったね」

居間に入ってきた彼女の父親は、言葉を話す「白い犬」だった。

それぐらい、衝撃的な話だ。


先週の日曜日、4時過ぎ頃、三鷹駅前図書館で調べものをした帰りに、三鷹芸術文化センターの前を自転車で通った。
何かの催し物が終わったところらしく、年輩の方たちが、ホールからちょうど出てくるところだった。

人の波に揉まれると厄介なので、私は歩道から車道へとハンドルを切ろうとした。
そのとき、私の視界に入ってきたのが、見覚えのある女性の姿だった。

私が、埼玉にいたとき、パソコンを教えていた69歳のキシさんだ。

まさか、こんなところにキシさんが? と思ったが、キシさんは、演劇鑑賞、音楽鑑賞、落語鑑賞が好きな活動的な人である。
自分の好きな演者の催し物があったら、一人でも観に行く、と確か言っていた。

だから、ここにいても、おかしくはない。
おそらく、お気に入りの誰かの演目が芸術文化センターで催されたのだろう。

キシさんとは、今年1月以来の再会になる。

東京武蔵野に引っ越す前に、一度ご挨拶に伺おうとしたが、春休みだったので、お孫さんがキシさんの家に泊まりに来ているところだった。
「孫の世話が忙しくて」と言われたので、結局、引越しの挨拶は電話とメールで済ますという不義理をしてしまった。

ここは、挨拶をする、いいチャンスである。

私は、自転車を歩道の隅に停めて、人波をかき分け、キシさんに近づいた。
そして、声をかけた。

だが、私の声に反応して、キシさんは私を見たはずだが、そのまま歩調を変えることなく歩き去ろうとした。

私は、その態度に困惑したが、もう一度「キシさん、Mです」と声をかけた。

しかし、キシさんは、同じ歩調で人波の中を歩いていく。

どういうことだろう?
挨拶を電話とメールで済ますという不義理を働いたせいだろうか。
そんなことで怒る人ではないとは思うが、しかし怒っても不思議ではない。

私は不安になって、もう一度「キシさん」と、呼んだ。
これが最後というつもりで、大きな声を張り上げたから、まわりの人が驚いて一斉に私を見た。

キシさんも、私を見た。
そして、近づいてきて言った。
「あのぉ、私はキシではありません。ヨネヤマというものです。ただ、キシという人を私は知っています。それは、私の双子の姉ですが、もしかしたら、姉のお知り合いですか?」

双子? キシさんが、双子だった?
そんな話は、一度も聞いていない。

失礼だとは思ったが、目の前の女性の顔と体、声、洋服のセンスを測ってみた。
それは、どう考えても、キシさん、そのものだった。

しかし、双子は、似ているのが当たり前。
妹、と言われたら、不思議なことに、私の目には、彼女が疑いもなくキシさんの妹さんに見えてきた。

そこで私は、頭を下げ「申し訳ありません。あまりにも似ていたので、つい声をかけてしまいました。失礼しました」と言って、体を翻した。

知り合いの双子の妹に、こんなところで遭遇するなんて、世の中は何て狭いんだろう。
しかも、マナカナよりもソックリじゃないか。
人間の遺伝子の神秘は、計りしれないな。

今回は、勉強になった。

そのとき・・・・・・・・・、

人類の神秘に感動しかけた、そんな私の背中に向かって、笑いを含んだ声が、不思議な柔らかい圧力をもって押し寄せてきた。

「センセイ、嘘ですよ。センセイも、人がいいんだから。こんなに簡単に騙されるなんて。ホント、イチコロですね」

振り返ると、キシさんが、Vサインをして、悪戯が成功した児童のように、微笑んでいるところだった。


ビックリした!




2010/07/17 AM 06:51:56 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]

断片化したひと
一週間前の夜、断片化の解消をしていた。

有名なディスクツールで、ハードディスクの健康診断。
しかし、最適化したら、一部分のデータが消える現象が起きた。

一番新しく作った2つのフォルダが、綺麗に消えていたのだ。
重要なデータだ。
そこには、桶川の得意先の最新データとドラッグストアのチラシの最新データが、入っていた。

だが、私は、その程度のことでは慌てない。

ハードディスクLANに、メインマシンのデータとまったく同じデータを、バックアップしているからだ。
新しいデータを保存するたびに、バックアップソフトを使って、データをコピーしておく。
だから、たとえメインで不具合があっても、もう一つのデータは確実に生きているから、何の問題もない。

これを、危機管理という(偉そうに)。

そもそも、ディスクツールを使って、断片化を解消しようというのは、危険を伴う行為である。
できれば、それは止めるべきだというのは、自分でもわかっている。
しかし、マシンの体感速度が遅くなると、ついやってしまう。
まあ、麻薬のようなものか。

断片化、で思い出したことがある。

独立当初は、仕事がなくて、食っていくのが大変だった。
得意先が3つしかなかったので、大きな仕事が入ったときは食えたが、小さな仕事のときは、食えなかった。
だから、ある印刷会社で、日給月給(純然たる日給月給制ではなく、単純に日給×労働日数)で働かせてもらうことにした。

自分の仕事と印刷会社の仕事が重なったら、睡眠時間がゼロになることが頻繁にあったが、天井のある家と温かい食い物を家族に食わせるためだったら、いくらでも我慢できた。

その会社には、私と歳の近いセンムという役職の男がいた。
彼は、社長の息子である。
社長は、ほとんど会社に顔を出さなかったから、そのセンムが、会社の実権を握っていたと言っていい。

だが、実権を握った人間が有能だったなら、会社の未来は明るいのだが、経営ダメ、営業ダメ、統率能力ダメでは、未来はダメダメになってしまう。

パソコンを買って、ソフトを買って、それで満足。
私が、「ソフトのバージョンアップをしたいのですが」とお伺いを立てると、「何? バージョンアップって」と、くすんだガラス玉のような目で、私を見る。

私が懸命に説明しても、顔についたガラス玉は、まったく何を映すでもなく、自分だけの世界に引きこもって、ひとの言葉をただ滑り落とすだけ。

会社のスキャナを指さして、「このフラットベッドスキャナは使えません」と言ったら、「フランスベッド?」と聞かれた。
冗談で言っているのではないのだ。
「ダイナフォントの書体が欲しい」と言ったら、「ダイアナ本? どうしてですか?」と言われた。
もちろん、冗談で言っているわけではない。

つまり、説明しても、それを消化する能力がない。

自分が使っているものと会社のソフトのバージョンが違っていたら、作業がしづらいので、結局自費で会社のソフトをバージョンアップした。

その会社では、組版要員は私だけだったので、納期が詰まると夜の11時くらいまで作業をした。
センムは、毎日、6時前後に帰る。
だが、気まぐれに、9時ごろ会社に戻ってきて、ソファに座って少年ジャンプなどの漫画本を読み始める。
独身なので、家に帰ってもメシを食ったらやることがないということもあるだろうが、「あいつ、サボってないだろうな」という監視の目を向けるためでもあったろう。

私は、正社員ではないので、会社の規則には縛られない、という約束を面接のときにさせてもらっていた。
だから、センムが来たときは、冷蔵庫で冷やしておいた500缶のビールを取り出し、仕事の手を休めて、ゆっくりと飲むことにしていた。
相手が漫画なら、俺はビール、という法則である。

センムは、いつも30分程度で帰る。
仕事が詰まっているときの30分のロスは大きいのだが、監視されている状態で仕事をしたくないので、意地でも休んだ。

センムは、めったに、私の仕事には口をはさまなかった。
それは、ただ単に、私の仕事を理解できなかっただけなのだが、ある日、仕事の手を休めて、Mac2台の断片化の解消をしているとき、一度だけ、固い顔で注意をしてきたことがある。

「まだ休み時間じゃ、ありませんよ。仕事をしてください」

それに対して、私は、これは機械のメンテナンスをしているんです。
印刷の機械もメンテナンスをするでしょう。
それと同じです、と答えた。

しかし、センムは理解できなかったようである。
彼は、機械のメンテナンスは、機械の中をあけて分解してするものだと思っていたようである。

「機械は、動いているじゃないですか」

動かして、メンテナンスしているんですよ。
断片化の解消です。フラグメンテーションをコンパクションする、ともいいます。

「ダンペンカの会長?」
固まった顔のまま、センムは、何ごとかをつぶやきながら、私の視界から消えた。

しかし、数分後に戻ってきて、こう言うのである。
「いま、パソコンに詳しい友だちに、電話で聞いてみたけど、『ダンペンカの会長』なんて、知らないといってますよ。『フラなんとかのコンパクト』も、知らないといっています」

センムは、なかなか優秀なお友だちをお持ちのようだ。

そこで、私は、紙に「断片化の解消、フラグメンテーションをコンパクションする」と書いて、センムに渡した。
センムは、それをひったくるようにして取ると、自分のデスクに戻って、また電話をかけ始めた。

そして、また、やって来た。

「そんなの知らないといってますよ。嘘は、やめてください」
唇が震えていた。

私は、センムのデスクまで行って、机の上に立てかけたパソコン辞典を手に取り、「断片化」の説明箇所を示した。
まったく使った形跡のないパソコン辞典は、手が切れそうなほど、危険な手触りをしていた。

それを読んだセンムは、無表情のまま、「ああ、これ? これのことですか? もちろん、知ってましたよ」と言った。

ご存知でしたか。では、作業を続けていいですね。

センムは、眉間に皺を寄せて、重々しくうなずいた。

そんな忘れかけていた思い出が、昨日、久しぶりに行った東大宮駅でよみがえった。
中古PC販売会社のメンテナンスをするために、駅に降り立ったのであるが、いつもなら自転車で会社に向かうところを5キロの道のりを歩いていくことにした(もう東大宮には、私の自転車はないから)。
東武線の岩槻駅からだと2キロくらいだから、そちらの方が近いのだが、電車代をケチったのだ。

東大宮駅から、500メートルほど行くと、運動場のある公園を通る。
その角を曲がったときのことだ。
いかにも、「うらぶれた」雰囲気の初老の男が、両手に紙袋を持って歩いているのが、私の目に入ってきた。

紙はボサボサで、頭皮がかなり透けて見える。
着ているものは、こざっぱりとしていたが、両肩のあたりがだらしなく弛んでいて、あまり清潔感はなかった。
目も焦点が合っていなくて、人生に疲れた老人、という感じに見えた。

すれ違う寸前。

男の唇が震えているのが見えた。
そのとき、センムが唯一感情を表すときに見せるのが、唇の震えだったことを、私は思い出した。

まさか、このひとが、センム?

一瞬だったので、判断はできない。
しかし、ガラス玉のような目と震える唇は、私の記憶にあるセンムのものだった。

会社が倒産したことは、かなり前に耳にした。

ただ、忙しい日常を過ごしている私には、申し訳ないが、それは過去の出来事に過ぎなかった。

初老のような佇まいのうらぶれた男。

もし、彼が本当に私が知っているセンムだったとしたら、彼の人生は「断片化」したことになるのか。

断片化を解消できないまま、初老の外見をまとって、これからの人生を生きていくのか。

その後ろ姿を見て、私は思った。

俺の人生も、断片化していないか?

していない、と言い切れる自信が、私にはない。



いや、確実に、断片化している。




2010/07/15 AM 06:57:25 | Comment(3) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

可愛い嘘
有権者は、短気である。

たった10ヶ月で結果を求めたがる。

今回は、昨年、左に大きく触れた針が、右に少し戻っただけ。
その原動力が、選挙民の不満を磁石のように引きつけた、未知数の政党「みんなの党」だった。

お手並み拝見、「みんなの党」。


それとは関係なく、唐突に負けず嫌いの人の話。

私が、イラストレータ8で作業しているというと、同業者が、「俺は5.5だよ」という。
つまり、古いバージョンを使っているとアピールしているのだ(古いものを使っているほうが、偉いと思っているのか)。

私が、フォトショップ7を使っているというと、「俺は5だよ」。

フラッシュ5を使っている、というと、「俺は4だな」。

でも、4は、アクション・スクリプトが弱いでしょ。

「・・・・・・・・・・・(目が泳いでいる)」
そして、大きな声で、「俺、アクション・ストリップは使わないから」。

負けず嫌い、というより、可愛い嘘。


他に、同業者でカマタさんというのがいる。

彼は、私の顔を見るたびに、「Mさん、いま何キロ?」と聞く。
私の体があまりにも貧弱なのを見かねて、心配のまなざしを向けてくるのである。

56キロ、と答えると、両手を広げて首を横に何度も振る。
そして、言うのだ。
「死んじゃうよ」と。

そのあとも、毎回お決まりのセリフが、カマタさんの口から出る。
「カツ丼おごろうか」「うな重にしようか」「評判の焼き肉屋があるんだけど」「超コッテリした豚骨ラーメンなんか、どう?」
カマタさんは、いい人なのだ。

ありがとうございます。
でも、どれも私の食欲をそそらないものばかりで。

「じゃあ、何がいいの?」

枝豆と生ビール!

「だめだ、こりゃ!」

という会話が毎回続いていた。
しかし、武蔵野に越してからは、カマタさんとは縁遠くなった。
40キロの距離が、二人の仲を引き裂いたのである。

そのカマタさんが、「立川市の印刷会社に用があるから、ついでに」といって、武蔵境駅まで来てくれた。
午後1時ジャスト。
駅のロータリーでトヨタ・カリブから降り立ったカマタさんは、お決まりの「Mさん、いま何キロ?」を挨拶代わりに、私の肩を叩いた。

私が、56.5キロ、というと、大げさに手を広げ、「死んじゃうよぉ」と首を大きく横に振る。
カマタさんは、私より20センチ背が低いが、体重は20キロ以上多い。
彼は、「成人病のデパート」と、自分のことを呼んでいる。

「武蔵境は、何がおいしいの?」と聞かれたので、「枝豆と生ビール」と答えたら、手を叩いて喜んでくれた。

私は、あそこにしよう、ここにしようというのが面倒くさいタチなので、即座に「餃子の王将」に、カマタさんを連れて行った。
「とりあえず、餃子にしようか」と言われたので、「俺は、とりあえずビールで」と答えたら、また手を叩いて喜んでくれた。

最初にロータリーでカマタさんを見たときに思ったのだが、カマタさんの外見が目に見えて変わっていた。
以前のカマタさんは、夏は、シワシワの麻のジャケットとズボン、ワイシャツは、いつもストライプの長袖だった。
しかし、この日は、半そでの白いポロシャツと薄いブルーのスラックスだ。
清潔感のある服装と言っていい。

そして、何よりも変わっていたのが、欠けていた前歯3本が真っ白な差し歯になっていたことだ。
さらに、白い面積の多かった髪の毛が、黒く塗られている。
そして、ヘビースモーカーだった人が、煙草を吸わなくなった。

どうした? カマタさん。

彼女ができましたか? と聞いてみた。

すると、カマタさんは、こちらが驚くほどの慌てようで、「ワチャワチャワチャァ〜」と騒いだ。
店内の84パーセントの人が、こちらを見るほどの奇声だ。

カマタさんは、バツイチ。
他の同業者には隠していたが、「内緒だよ」と言って、私だけに告白してくれたことがある。

25歳で結婚し、3年後離婚したという。
原因は、カマタさんの一方的な暴言だった(暴力はなかったと強調していた)。

百万円以上かけたオーディオコンポで、クラッシックを聴くことを至上の喜びとしていたカマタさんは、夜、奥さんが台所で料理をする時にたてる音に、毎回キレていたという。
「うるさいよ! 大事なところが聴こえないだろ!」と言い、音楽を聴いているときは、料理を中断させるのだが、そのくせ後になってから「何だよ! まだ、料理できていないのかよ!」と理不尽な怒り方をした。

子どもが生まれてからも、赤ん坊が泣くと、音楽が聴こえないといって、毎日のようにキレた。

「3年間もよく我慢してくれたと思いますよ。俺だったら、一週間で相手を刺してますよ」と、カマタさんは、今では反省している。

それ以来、カマタさんは、独身を貫き通している。
街を歩く女の子に点数をつけるのを趣味にしているカマタさんではあるが、「俺なんかのところに来る嫁さんなんかいないよ」と、いつも諦めモードだった。

しかし、今日の外見のサッパリ感は、怪しすぎるほどに怪しい。
44歳で、また青春がよみがえったか?

いますよね? 彼女、と、もう一度念を押した。

「ウヒャヒャヒャヒャ」と、餃子を頬張りながら、顔を赤くするバツイチ男。
そして、「彼女なんていませんから」と、右手を大げさに左右に振るが、その顔がさらに赤くなる。

しかし、私は気づいたのである。
左手の薬指に、指輪の跡があることに。
それは、まるで、さっきまで指輪をしていたような、生々しい跡だった。

いるんでしょ、奥さん?
と、今度は質問を変えてみた。

私がカマタさんの指を見つめながら言うと、カマタさんは、鼻の穴を大きく広げ、首を大きく横に振った。
そして、「か、缶コーヒーのリングをはめてみたんだよ。あれ、きつくてねえ。跡が残って取れないんだ」と、また赤い顔。

プルリングは、そのぶっとい指には、入らないと思いますが。

「いや、俺の指は伸縮自在なんで」と言いながら自分の指をつまんで、伸び縮みさせている。

カマタさん、そんなに、必死にならなくても・・・・・。
認めれば、済むことなのに。

しかし、その後のカマタさんの反応に、私はビックリした。
顔が赤くなった後で、青くなり、急に体が震えだしたのである。

天津飯をレンゲですくったまま、蒼ざめるカマタさん。

「死んじゃうよぉ!」
今度は、店内の89パーセントの人が、険しい顔で、こちらを振り向いた。

嘘は、自分を追い込んで、体に悪影響を及ぼす。
だから、私は、パニック状態のカマタさんの目を見つめて、冷静に「み・と・め・な・さ・い」と、諭した。

カマタさんは、水を一気に飲み干して、「はい」と小さく何度もうなずいた。

それによって、カマタさんの震えは収まった。


嘘は、いけない。

嘘は、人間の体を壊す。

それが、たとえ「可愛い嘘」だったとしても。





だが、政治家は、「可愛い嘘」は、つけない。

なぜなら、彼らには、嘘が日常化していて、どれが「可愛い嘘」なのか、自分でもわからないから。



2010/07/13 AM 06:46:35 | Comment(4) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

風鈴殺人事件
スーパーに行く途中に、軒下に風鈴を下げている家がある。

最近見かけなくなった風鈴。
その家は、3種類の風鈴が下げてあって、それぞれが、涼やかな音を、いつも奏でていた。
昔はよかった、という話は好きではないが、風鈴が世の家の軒先から消えて、私は少し淋しい思いをしていた。
だから、ひそかに、私はその家の前を通るのを楽しみにしていた。

だが、昨日の昼、自転車で家の前を通ったとき、風鈴家の門の前で、小さな諍いの声を聞いた。。
風鈴の音が聞きたい欲望と野次馬根性で、自転車のスピードを落として、私は家に近づいた。
近づいてみると、それは諍いというほどではなく、控えめな抗議の声だった。

70代の男性と40代の女性が、30歳前後の風鈴家の女性に、低姿勢でお願いをしているところだった。
「風鈴の音が気になって、気分が落ち着かないって、おじいちゃんが言うの。ごめんなさいね」
その横で、赤ら顔の小柄なご老人が、「こんなこと、言いたくないんだけどねえ」と、両手を擦り合わせていた。

それに対して、安室奈美恵からオーラを取ったような美形の風鈴家の女性が、両手を頬に当てながら頭を下げ、「ごめんなさい。気がつかなくて」と、二人の顔を交互に見て、また大きく頭を下げた。

「いやいや、神経質だと思われるかもしれませんが、私はあれだけは、駄目でして」と、ご老人がさらに忙しなく両手を擦り合わせながら言った。

残念ながら、その後の会話はわからない。
自転車を停めて、彼らの会話を聞いたりしたら、確実に不審者に思われる。
だから、自然なスピードで、私は遠ざるしか方法がなかった。

買い物を終えた帰りに、風鈴家の前を通ったら、軒先から風鈴が消えていたから、おそらく、話は円満に収束したのだろう。

修羅場に、ならなくてよかった。
「風鈴殺人事件」に、ならなくてよかった。

ほっとした。



これからは、私の妄想。
不謹慎ではあるが、私の中に、一つの殺人事件がある。

主人公は、ルポルタージュを書くことを職業にしている、フリーライター。
歳は、30代半ば。独身。そして、彼は、日本で、いや世界で一番殺人事件に遭遇する確率の高い、ギネス級の探偵だった。
そして、彼には警察機構の上層部に兄がいて、都合のいいことに、行く先々で刑事でもないのに、警察に捜査の協力を頼まれたりするのだ。
彼は、都合のいい偶然に何回か遭遇し、都合よく美女と出会い、都合よく事件の核心を握る事象に突き当たり、都合のいい推理で犯罪者を作り上げる有能な探偵だった。

今回の舞台は、東京郊外の閑静な住宅地。
殺されたのは、風鈴の音が風情を誘う和風建築の家に住む、元教師・稲森いずみだった。
死因は、毒殺。

証拠が少ないため、迷宮入りの噂が立ち始めたとき、ある女が探偵の前に現れた。
蒼井優である。
蒼井優は、稲森いずみの、かつての教え子だった。
恩人である稲森先生の事件が迷宮入りすることを理不尽に感じ、都合よく名探偵を紹介されたのだった。

探偵は、最初は及び腰であったが、蒼井優の熱意に負けて、事件に首を突っ込むことになった。
まず探偵は、隣の家の老人・橋爪功が有名な考古学者であることを知る。
そして、警察官僚の兄の権威を都合よく使って、考古学者に、昔の浮気相手との間に子どもがいることを突き止めた。

それが、都合よく隣に住む、稲森いずみだったのだ。
しかし、彼女が自分の子どもであることは、事情があって、橋爪功は知らなかった。

ただ、実に都合のいいことであるが、橋爪功の長男の嫁である、同居の高島礼子は、そのことをなぜか知っていたのだ。
橋爪功は、溢れるほどの財産を持っている。
だが、子どもが一人増えたら、遺産の遺留分は確実に減る、と高島礼子は考えたのだろう。

そこで、高島礼子が稲森いずみを殺害したのではないかと、探偵は推理した。
しかし、どうやって、殺すことができたのか。
悩んだ探偵は、近所から、橋爪家と稲森家が、風鈴の音のことで揉めていたという話を聞く。

そんなとき、高島礼子が、都合のいい過去であるが、サーカス団にいたことを聞きつけた。
サーカス団にいたのなら、高い塀を乗り越えることなど、雑作のないことだ。
そして、高島礼子の夫が、都合よく毒物を入手しやすい総合病院の医師であることから、高島礼子が犯人であると、探偵は推理した。

つまり、高島礼子が、稲森いずみがいないときに、塀を乗り越えて侵入し、軒下の風鈴の一つを入れ替えたのではないか。
そして、その入れ替えた風鈴に、毒を塗っておいた。
その後、高島礼子は舅をうまく利用し、「風鈴の音がうるさい」と二人でクレームをつけて、稲森いずみが風鈴に触れる状況を作った。

しかも、都合のいいことに、稲森いずみには、指を舐めるという癖まであった。
それをなぜか、都合のいいことに、隣人の高島礼子が知っていたのである。
毒のついた風鈴を触った稲森いずみが、都合よくそのあと指を舐めたことにより、稲森いずみは、あっけなく死んだ。

殺害後、高島礼子が、深夜また塀を乗り越え、毒のついた風鈴と付いていない風鈴を入れ替えることで、捜査の目をくらまし、事件は迷宮入り寸前までいった。

しかし、名探偵は、都合のいいことに、高島礼子が風鈴を買った店を探し出し、証拠を突きつけて、高島礼子を追いつめたのである。

高島礼子は、あっさりと罪を認め、何の活躍もしなかった警察に手錠をかけられて、連行されていく。

最後に、高島礼子は、探偵に向かって、涙ながらに言うのだ。
「私は、ただ幸せな家庭を築きたかっただけなの!」

そんな鮮やかな推理を見せた探偵に、蒼井優は、熱い眼差しをそそぐ。
しかし、探偵は、そんな視線には気づかず、最後にもったいをつけるように、こう言った。

「今回は、悲惨な事件でした。こんな事件は、二度と起こしてはいけない」

去っていく探偵の背中を見つめる蒼井優の目からは、熱い涙が幾筋もこぼれ落ちていた。

そして、探偵は、それからも行く先々で悲惨な殺人事件に出くわし、都合よく犯罪者を作り上げるのだった。


悲惨なる「風鈴殺人事件」。




なお、私は、この妄想小説の著作権を放棄します。
誰かが、これを基にして、素晴らしい小説を書いたとしても、私は文句は言いません。

それが、たとえ江戸川乱歩賞を取ったとしても。





馬鹿。




2010/07/11 AM 08:19:25 | Comment(2) | TrackBack(0) | [怖い話]

ふくよかハーフ予報士の予言
突然の雨。

梅雨の季節には、よくあることだ。
自転車で外出するときは、いつもボロに近いビニール傘を自転車の脇に刺すことにしている。

そのビニール傘は、ところどころに穴が空いているから、長い時間さしていると、豪雨のときは役に立たない。
しかし、急の雨には、短い距離であれば、とりあえず使える。

OKストアで、四日分の食材を買い込んだ日の夕方、店を出たら、外は雨が降っていた。
それなりにまとまった雨だ。

傘がなければ、相当濡れるだろうということは、幼い子どもでもわかる。
しかし、傘は持っている。
だから、傘をさして帰ろうと駐輪場に行こうとした。

そのとき、店の出口から駐輪場に向かう半分くらいのところで「自転車?」と聞かれた。
声のした方を向くと、30代のラテン系のハーフと思われる女の人が、険しい顔をして、私を見ていた。

険しい顔、とは言ったが、彫りの深い濃い顔立ちだったので、そう見えただけかもしれない。
南米のどこかの国と日本とのハーフ。
美人と言っていい。
首から上を見ただけなら。

しかし、下に目を移すと、テレビで見かける森公美子さんの体型だった。
つまり、驚異的にふくよかなボディをしていた。

圧倒された。

彫りが深く濃い顔に、驚愕のボディ。
ふくよかハーフは、こちらが思わず、「ごめんなさい」と謝ってしまいそうな迫力を、その全身から発散させていた。

「自転車?」と、もう一度聞かれた。

はい。

「傘、さすの?」

はい。濡れますので。

当たり前の答えを返したのだが、ふくよかハーフは、目に力を込めて、私を睨んだのだ。

「傘さして自転車乗るのは、ドウコウホウイハン」

ドウコウホウイハン?

ラテン系の顔から出た言葉は、私の耳には、一瞬ラテン語のように聞こえた。
しかし、7秒考えて、それが「道路交通法違反」であることが、理解できた。

「知ってますか? 傘さして自転車に乗ると罰金なんですよ」

ああ・・・・・・・、いちおう、知っていますが。

「みんな守らないですよね。日本人は、規律正しい国民なのに、あれだけは守りませんね」

申し訳ありません。
日本人を代表して、お詫び申し上げます。

頭を深く下げたところで、「家、近くですか? 近くなら、家まで送りますよ」と、とても魅惑的な微笑で言われた。

冗談ですよね、見ず知らずの人間に、そんなことを言うなんて・・・。

ナンパ? それとも、拉致して、焼いて食おうとでもいうのだろうか?
そのふくよかなボディは、焼いて食った男のエキスが蓄積されたものなのだろうか?
私は、恐怖に足元を震わせた。

あ、あ、あの・・・、遠いんで、ご遠慮いたします。
お気遣い、ありがとうございます。

「あ、そうですか。でも、この雨は10分以内に止むから、店の中で待っていれば、大丈夫ですよ」

そこまで断定できるとは、もしかして、気象予報士か?
テレビ画面いっぱいに映るふくよかなボディ。
その迫力ある姿で説得力ある予報をしたら、石原良純など、きっと霞んでしまうに違いない。

それは、見てみたい気がする。

そんな妄想をしていたら、「じゃあ、気をつけて」と手を振って、バイバイされてしまった。

迫力ある後姿を見送りながら、私は考えた。
ふくよかハーフ予報士の言葉を信じて、このまま店内にとどまるべきか。
あるいは、道路交通法違反を犯して、雨の中を突っ切るべきか。

頭髪が白くなるまで悩んだが、結局、違反を犯すことにした。
私は、申し訳ござらぬ、と念仏を唱えながら、駐輪場まで走っていった。
しかし、荷物をカゴに入れて、自転車の脇を見てみると、そこにあるべきはずの傘が、消えていた。

盗まれた。

突然の雨に困った人が、私に断りもなく、傘を持ち去ったようだ。

馬鹿だなあ。
あんなボロボロで穴だらけの傘をさしても、濡れるだけだろうに。
それに、道路交通法違反のほかに、窃盗という罪まで背負うなんて。

盗んだ人に同情しながら、私はまた店内に戻った。
店の入口には、200円で傘が売られている。
多くの人がそれを買っていたが、私は買わなかった。

道路交通法違反を犯したくなかったからだ(今さら?)

私は、傘をあきらめて、店内の野菜を鑑賞する作業に没頭することにした。
チンゲン菜の瑞々しさ。ミズナの謙虚さ。トウモロコシの愛らしい粒立ち。パプリカの健康的な輝き。
そんな風に野菜の美に酔いしれていたとき、「雨、やんだらしいよ」という店員の話し声が聞こえた。

え? 本当に?

ふくよかハーフ予報士の予報が、当ったではないか。

よかった、よかった。
傘を買わないでよかった。
違反を犯さないでよかった。

でも、今度雨が降ったら、私はきっと・・・・・・・。





2010/07/09 AM 06:45:42 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]

ブログが伝えること
ブログを綴りはじめてから、友だちが増えた。

私は、偏屈で感情を表に出さないタチだから、人からは「何を考えているかわからないやつ」と思われることが多かった。

だから、友だちの数が少ない。
友だちになったとしても、「こいつ心を開いてないな」と思われるのか、自然消滅することがよくあった。

その中で、高校、大学の陸上部時代の友人が、いまでも一番密度の濃い付き合いをしているのだが、そんな彼らとも、会わないときは5年以上会わないことが、人によってはあった。

また、「マツは冗談しか言わないから、どこまでが本当かわからないんだよな」と言われることが度々あった。

場を和ますための軽い会話が、私の意図とは別に、私を意味不明の人間に仕立て上げてしまったようだ。

何を考えているか、わからないやつ。
だから、ちょっと距離を置こう。

おそらく、そんな感覚をみな持っていたのではないかと思う。

それが、ブログを書きはじめて1年もたつと、私の周りの空気が徐々にではあるが変わってきた。

私の日常や性格をブログであからさまに綴ると、私のわからなかった部分や誤解していた部分が、少しずつ理解されるようになってきたのである。

わけのわからないやつ、が昇格して、変なやつだが、悪いやつじゃない、という評価を得るようになった。

そのようにして、幾人かの友人が戻ってきた。
そして、同業者も、「俺のこと、書きましたね」と言いながらも、書かれることを嫌がっていないという、いい状況になってきた。

たまに辛辣で批判的なことを書くが、それほど大きな火事にならないのは、私の文章作法が、彼らに浸透してきたからだと、私は思っている。

それは、小説的な作法で、ブログを書くこと。

最初のうちは、そんな意識は、まったくなかったのだが、あるとき、大学時代の友人・ノナカに言われたのだ。

「おまえのって、ブログというより小説っぽいな」

そして、彼はこうも言うのだ。

「ああいう書き方をされたら、心に軽く突き刺さる言葉でも、何となく受け入れてしまうんだよ。あれは、ずるいが、うまい手法だ」

それは、まったく私の意図したところではなかったが、読み手がそう感じてくれるのなら、その手法は続けるべきではないかと、私は最大のヒントをヘチマ顔のノナカから得た。

そうして今もノナカの一言をヒントに、私はブログを綴り続けている。

そのノナカは、仙台で塾を経営している。
そこそこの成功者と言っていい男だ。

しかし、4ヶ月ほど前、8ヶ月ぶりに会った私に向かって、居酒屋の片隅で彼は唐突に、こう言ったのだ。

「人間は、いなければいけないのか?」

何が、言いたい?

「いま言ったとおりのことだよ。俺は、いなければいけないのか?」

8ヶ月前よりも幾分痩せてはいたが、目に力はあったし、声の響きにも芯が通っていた。
負を背負っているようには見えない、自然体のノナカが、そこにはいた。

おまえがいないと、俺は友だちが一人減る、と私は答えた。

「そうか、おまえは困るわけだな」と、ノナカが口元に笑いを溜めて言った。

ああ、困る。

ノナカが、嬉しそうにうなずいた。

大宮駅前で別れ、電車に乗っていたとき、今日のノナカが酒を飲まなかったことに、私は気づいた。

珍しいこともあるものだ、とは思ったが、すぐにそのことは忘れた。
引越し費用のことが、私の頭の中を占めていたからだ。

あれから4ヶ月。
あのとき、ノナカが、私に何を言いたかったのか。
それが、昨日わかった。

ノナカからの電話。
「胃が半分なくなっちまった。5キロ体重が減った。今のところリンパに転移していないから、経過は順調だ。メシも量は減ったが、美味しく食える。おまえ、俺は、いたほうがいい人間だって、言ってくれたよな。それを今、もう一度言ってくれ」

若干かすれてはいたが、力強い生きたノナカの声だった。

ああ、おまえは、いたほうがいい。おまえがいないと、俺は友だちが一人減る。ただでさえ少ないのに、これ以上、減ってほしくない。

「わかった。見舞いには来るな。5キロ戻したら、また会いに行く」
ノナカが、私の返事も聞かずに、電話を切った。



このブログを読んで、どんな感想をノナカは言うだろう。

いなくていい人間なんていない、なんて書いたら、陳腐な言い草だと皮肉っぽく笑うだろうか・・・。




2010/07/07 AM 06:44:23 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]

変人のワールドカップ
得意先に行く途中、自民党の候補者が遊説をしていた。

そして、そのまわりで数人の関係者がビラ配りをしていた。
私がその横を通ったときは、そのビラ配りの人に、痩せた50年輩の男の人が鋭い口調で話しかけているところだった。

「自民党も甘いよな。鳩山をあのまま首相にしておけば、参院選は楽だったのに。下手に追い込むから辞めちまっただろ。だいたい、あんたのところの党首は・・・・・・・」

ビラ配りの人は、それに対して、腰をかがめ神妙な顔をして、相槌を打っていた。
その光景を後にして、私は得意先への道を急いだ。

そして、打ち合わせを終えた35分後、同じところを通ったら、同じ男が同じビラ配りに、まだ抗議をしていた。
すごい粘着質な男だな。

会話を聞いてみると、
「こんな暑い日にビラを配ったって、誰も受け取りゃしないよ。日陰で配れよ。体使うだけじゃなくて、頭使え。そんな無駄ばっかりやってるから、民主党に負けちゃうんだよ・・・・・・」

候補者がすぐ傍にいるのだから、文句があるなら、本人に言った方が早いだろう。
暑い中、30分以上延々とビラ配りの人に抗議することこそ、無駄だと私は思うのだが。

変人なのか・・・な。

しかし、変人といえば、私と同類ではないか。
なんか、親近感が・・・・・。

ということで、変人のワールドカップ雑感を少しだけ、ご披露しようかと(こじつけ)。

1998年のワールドカップの代表選考で、オカダ監督は、カズを切った。
日本サッカー界の宝、日本サッカーの最大の功労者であるカズを切るのは、大英断と言っていいものだった。

私はカズのファンではないが、私が監督だったら、カズは切れない。
カズあっての、日本代表だと思うからだ。
しかし、オカダ監督は、純粋に戦力にならないと見て、カズを切った。

ただ、その時点でのオカダ監督は、選手のメンタリティ(根性論ではない)を知らなかったと、私は思っている。
特に、カズの。

私の勝手な思い込みではあるが、カズはたとえ直前でどんなに不調であっても、大舞台では活躍できる何かを「もっている」選手だと思う。
それは、今回ホンダ選手が「もっている」ものと、同種のものであろう。
あるいは、たとえ、試合に出ていなくても、彼が放つ「何ものか」は、他の選手に大きな影響を及ぼしたであろうと、今でも私は思っているのだ。

それが、一流選手が持つメンタリティだと思う。

しかし、オカダ監督は、そのメンタリティを理解しなかった。
あるいは、カズの存在が大きすぎて、彼には使い切れなかった。
だから、無惨にも負けた。

だが、今回、オカダ監督は、足の怪我で出場の叶わないカワグチ選手を代表に選んだ。

勝つため、というのなら、カズのときと同じように、カワグチ選手は、いらなかったはずだ。
申し訳ない言い方になるが、彼が使いものにならないことは、わかりきっているからだ。

そのカワグチ選手を選んだことで、私はオカダ監督が、目に見えないスポーツ・メンタリティを、今回は受け入れたのではないかと思った。

選手は、監督の言動以外にも、その行動に敏感に反応する。
カワグチ選手を代表に選んだことで、「今回の監督は違う」と、彼らは認識したのではないか。

もちろん、戦略面でいえば、ホンダ選手のワントップというのが、大きな賭けになって、初戦に勝利したのが、今回の躍進の原因だろう。

純粋に考えれば、絶対そうなる。

だが、ピッチにいないカワグチ選手の存在、彼を選んだ監督のメンタリティへの理解のようなものが、選手のメンタル面に多少の影響を及ぼしたのではないかと、私は勝手に錯覚しているのである。

多少の影響とはいうが、たった1ミリほどの影響でも、20人集まれば、20ミリになる。
その20ミリが、毎回ボールを前に押し出せば、ゴールは近くなるはずだ。

あの奇跡のフリーキックも、その20ミリが後押しをしたといったら、こじつけが過ぎる、と怒られるだろうか。

まあ、変人、そして素人のサッカー観ですから、そこは、大目に見ていただきたいと思います。




ところで、毎回思うのだが、スポーツ実況の、あの白痴的な騒々しさは、どうにかならないだろうか。

何人かのアナウンサー、解説者は、ただの応援団で、サッカー理論を披露することをまったく忘れていた。
あるいは、彼らは、もともとそんなものは持ち合わせていないのかもしれない。
名まえだけで、解説のお仕事をいただいた人たち、とか。

状況を客観的に解説できる人が、あまりにも少ないというのは、日本のスポーツジャーナリズムの悲劇である。
サッカー、ボクシング、バレーボール、野球などなど。フィギュアスケートは、一人を除けば、ましな方である。

もう20年以上見ていないのだが、かつてのプロ野球中継もそうだった。
カネダという大投手だった人が解説をしていて、巨人の投手がピンチになると「頑張れ〜」と居酒屋のオッサンのようなことを毎回叫んでいた。
ハリモトというヒットの職人の解説も、「ここは頑張らないとダメですよ」と、まるで選手のオヤジのような力の入れ方で、毎回「喝」を入れていた。

ここのブログで何回か書いているが、プロのアスリートは、一般人よりも「頑張る才能」があるから、プロになったのである。
それは、プロとしての大前提だと私は思っている。

その「頑張る才能」を持ったプロに、まるで素人の言いがかりのように「頑張れ」と連呼するのは、プロの解説者として、あまりにも怠慢ではないかと私は思うのだ。
あるいは、アスリートに失礼ではないか、と。

それもあって、私はプロ野球中継をまったく見なくなった。バレーボールも、ボクシング中継も見ない。

そして、サッカー中継もあまり見ない。
ただ、サッカー解説者は、少なくともプロ野球解説者よりは頭がいいだろう、と私は好意的に見ていた。

しかし、今回の中継を見て、サッカージャーナリズムの貧困さに、私は気づくことになった。

「〜してもらいたいですね」「〜するしかないですよ」「惜しかった」「ここは、頑張りどころでしょう」「あと一歩足りませんでした」

サッカー理論は、どこいった?

つぶやくなら、ツィッターで充分だろう。

テレビの前の人と同じ目線、同じ言葉で騒ぐのが、自分の仕事だと、彼らは勘違いしているのか。
あるいは、勘違いではなく、それこそが自分の仕事であると確信しているのか。

死力を尽くした日本代表の闘いさえ、色あせる空虚な言葉の氾濫。

サッカージャーナリズムの行く末は暗い。
私には、サッカージャーナリズムの未来が、テレビ中継が激減し、あぶれた解説者が漂流しだしたプロ野球と同じ末路を辿るように見える。

見える、見える、見え〜〜る。


整いました!

「サッカー解説」とかけまして

「古文の授業」と解きます。

そのこころは、

どちらも、「けり(蹴り、〜けり)」にうるさいです。

ミラ・ジョヴォヴィッチです。


やっぱり、変人?





2010/07/05 AM 06:50:57 | Comment(3) | TrackBack(0) | [メディア論]

捨て台詞のフクシマ
いま桶川の得意先からいただいた自費出版の仕事をしている最中だ。

260頁ほどの本だが、それほど難しいものではない。
もうすでに3回している仕事だったから、以前と同じフォーマットにそって文章を流し込み、章ごとに体裁を整え、指定された箇所に写真や資料を貼り付けるだけだから、作業としては楽と言っていい。

ただ、今回は、文字打ちも全部自分でしたので、その分仕事に関わった時間は長い。
いい外注先が見つからなかったので、自分で打つことにしたのだ。

文字打ちは得意ではないが、遅い方ではなく、不正確でもない。
神経を使うだけだ。

今日の午前中には、初稿の体裁が整う。
初稿は、7月5日の午前中だから、余裕を持って内稿をすることができる。

そんなことを思っていた昨日の夜、桶川のフクシマさんから電話がかかってきた。

催促の電話か。
まだ、丸二日以上あるぞ。
せっかく気持ちよく仕事をしているのに、やる気を削ぐようなことはするなよ、と心の中で悪態をついた。

しかし、受話器から聞こえてきたのは、空気よりも軽い笑いを含んだ声だった。

「Mさん、お歳暮、何がいいですか?」

お歳暮? お歳暮は、年末。いまは、お中元の季節ですが。

「ああ、でも、基本は同じでしょ」

そうでしょうか・・・・・・・。
しかし、お中元は、お世話になった側がお世話になった人に贈るものだから、発注者が請け負い業者に贈る必要はないと思いますが。

「だから、俺、Mさんにお世話になっていますから」

さあ・・・・・、俺はフクシマさんのオムツを代えたわけでもないし、ミルクをあげたわけでもなく、離乳食を作ったわけでもないですからね。
お世話はしていないと思いますよ。

ただ、抱き上げて頬ずりして、ほっぺにチュウをしたことはありますけどね。

「・・・・・・・・・・・」

どうかしましたか? フクシマさん。

「Mさん、大丈夫ですか?」

いや、たいへん大丈夫じゃありません。

はぁー、と大きく息を吐いたあとで、フクシマさんが言った。
「俺、Mさんのこと、一部分は尊敬しているんですけど。なんか、心配だなあ。最近、どんどん社会からずれていっているような気がするんですけど・・・・・」

それは、私も大いに感じています。
なかなか、鋭いところを突きますねえ、フクシマさん。

「今ごろわかったんですか。俺は、鋭い男なんですよ。先日も・・・・・」

(話を遮って)鋭いと言えば、この間、公園の木のベンチに座ったら、それが半分風化しているような傷んだベンチだったんで、左の手のひらに鋭い棘が刺さってしまったんですよ。
化膿してはいけないと思って、無理やり歯で棘を抜いたあとで、公園の水飲み場の水で傷口を洗ったんです。
自転車に乗っている時も、ズキズキ痛みましてね。家に帰って、娘に棘が刺さって、大変だったよって報告したんです。
しかし、いざ娘に傷を見せようとしたら、どこに棘が刺さったのか忘れてしまいましてね。
どこだどこだどこだ、って二人で懸命に探したのに、見つからないんですよ。
逆の手を出していたんですね。
ハハハハハ、二人とも大笑いですよ。

「・・・・・・・・・・・」(小さなため息が聞こえた)

まあ、そういうことですので、ご心配なさらずに。
では、失礼します。

電話を切った。

それで、話が終わったと安心していたら、またフクシマさんから電話がかかってきた。

催促の電話か。
まだ、丸二日以上あるぞ。
せっかく気持ちよく仕事をしているのに、やる気を削ぐようなことはするなよ、と心の中で悪態をついた。

はい、なんでしょう!

「いや、一方的に電話を切られたものですから」
下手に出た声の響きだ。
なんか、魂胆があるのか。

お中元を寄こせ、とでも言うのだろうか。

「あのぉ、お中元は、一番搾りの詰め合わせでよろしいでしょうか?」

お中元は、お世話になった側がお世話になった人に贈るものだから、発注者が請け負い業者に贈る必要はないと思いますが。

「俺、Mさんにお世話になっていますから。会社から送るのではなく、個人として贈らせていただこうかと」

いや、だから・・・・・・・、
俺はフクシマさんのオムツを代えたわけでもないし、ミルクをあげたわけでもなく、離乳食を作ったわけでもないですからね。
お世話はしていないと思いますよ。

ただ、抱き上げて頬ずりして、ほっぺにチュウをしたことはありますけどね。

もしかしたら、唇にチュウをしたこともあるかもしれないな。

ウッ! き・も・ち・わ・る・い!

「・・・・・・・・・・・・・・・」(大きく息を吸う音が聞こえた)。

「意地でも、一番搾り、贈ってやる!」

なぜだかわからないが、フクシマさんが、捨て台詞を残して電話を切った。




一番搾り、待ってます。




2010/07/03 AM 07:41:15 | Comment(2) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

体内時計
日本代表の夢が消え、浦和の得意先からいただいた急ぎの仕事を終えた日。

iTunesからは、マイケル・ジャクソンの「Black or white」が流れていた。

梅雨独特のどんよりした空と、湿った空気。
今にも密度の濃い水の塊が落ちてきそうな空模様。
まとわりついてくる重い水分を体で意識しながら、友人から貰ったジョギングシューズを履いた。
午後1時過ぎ。

シェリル・クロウの「All I Wanna Do」を一曲挟んで、またMJの「Black or white」が流れた。
iTunesも、マイケルに敬意を表しているのか。
しかし、言葉にできない違和感が胸にせり上がってくる。

それは、消したはずの焚き火の中で、小さく燻る火種のように、得体の知れないものを私の体のどこかに、埋め込んだかのようだった。

神がかった声のMJに別れを告げて、私はジョギングに出かけた。

私は、汗をかくのが遅い体質らしく、外気温30度の中で2キロ程度走っても、汗はかかない。
2キロを過ぎたあたりから、やっとジワジワと汗が出てくる。
もう少ししたら、汗が噴き出してきて、夏を感じられることだろう。
そう思って、いつもと同じピッチ、同じストライドで、両足を動かした。

ゆっくりしたペースで3キロ走ると、小金井公園に着く。
広い公園だ。

陳腐な喩えだが、東京ドーム何個分だろう。
だが、東京ドーム何個分と言っても、私の貧弱な脳では、その広さを判断することができない。
みんな東京ドーム何個分と言われて、本当に広さが理解できるのだろうか。
そうだとしたら、尊敬する。

小金井公園の歩道は広い。
犬を散歩させている人が圧倒的に多いが、幅が広いので、それほど神経を使わずに彼らの間をすり抜けることができる。
公園を一周したら何キロになるのか、私は知らない。
私は勝手に5キロ弱と設定して、走っている。

そして、いつものラップより早いか遅いかで、自分の体調を判断している。
蒸し暑い時期のジョギングでは、タイムは落ちる。
昨年の四月に体調を崩して入院する前の5キロのタイムは、夏は軽く流して、26分弱だった。
退院後は、28〜30分。
体力は、かなり落ちた。

今日走ってみた感覚では、あまり追い込んだという感じがしないので、5キロは28分を切るくらいか。
息は上がっていないし、追い込んだときによく感じる膝の痛みもない。
それほど、負荷のかかる走りはしなかったと自分では思っていた。

しかし、時計の表示を見て驚いた。
23分を切っていたのだ。

何かの間違いかと思った。
体感速度と5分も違うなんて、ありえない。
嘘だろ、と思いながら、ストレッチングをした。

そんなとき、「理想的な走りですね」と声をかけられた。
声のほうを向くと、50歳前後の夫婦らしき二人が、私を見ていた。

三人同時に会釈をした。

そして、男の方が白い健康そうな歯を覗かせて、高い声で言った。
「走り方が綺麗なんで、ついていこうと思ったんですが、暑くて途中でバテて諦めました。長くやっておられるんですか?」

まあ、長いといえば、長いですかね。

二人の目は、好意が宿ったものだったが、そこから発する光が健康的すぎて、私には居心地が悪かった。
俺、褒められるのに慣れていないんだよな。
こういう状況は、苦手だな・・・・・。

そんな私のためらいを無視するかのように、女のほうが、やはり甲高い声で言った。
「走っているとき、あまり足音が聞こえないんですね。私なんか、いつもバタバタ音をたてて走っていますから。だから、本当に着地しているのかと思って、ずっと足元を見ていました。なんで、足音をたてないで走れるんですか」

さあ・・・・・、何ででしょうね。意識したことないですね。

「こんなに蒸し暑いのに、それほど汗もかいていないようだし」

そうですね・・・・・、わからないですね。

答えながら、段々と俯いていく私は、はたから見ると変人だろうな。
今日は、なぜか人の言葉が鬱陶しく感じられる。
流れる汗を冷たく感じた。

居心地が悪くなったので、「もう一周行ってきます」と頭を下げ、ストレッチをやめて走り出した。

無礼なやつ、と思われたかもしれないが、心のリズムが崩れたときは、人が煩わしくなる。

まったく、いつまでも、ガキっぽいやつだな・・・、と思いながら公園をまた一周した。

タイムを予測してみた。
今回は、25分30秒くらいか。

しかし、時計は、22分11秒。

体内時計が狂っているのかもしれない。

家に帰って、シャワーを浴びたあとで、4日後初稿の郷土史の本のレイアウトに手をつけた。
集中して仕事をした。
7割がた進行したので、今日はこれくらいにしておこうと、夕飯の準備をし始めた。
しかし、包丁を手に持って、ナスを切ろうとしていたとき、中学3年の娘に言われた。

「おい! まだ、5時になってないぞ。支度には、早いんじゃないか」

え? 6時過ぎじゃないのか?

「5・じ・ま・え!」

今日の私の体内時計は、狂いっぱなしのようだ。

しかし、そんな私のつぶやきに対して、娘は、右手の人差し指を私に向け、円を描くようにして、

「いや、おまえが狂っているのは体内時計だけじゃない。すべてだ!」と断言した。

すべてが狂っている。
その娘の言葉に、大きくうなずきながら、私は麻婆茄子を作り始めた。

ひき肉を炒め・・・・・、ひき肉を炒め・・・・・?

えーと、次は、どうするんだったっけ?




実は、ボケていただけだったりして・・・。




2010/07/01 AM 06:22:04 | Comment(5) | TrackBack(0) | [日記]



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