Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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親の顔を・・・
年輩の方の中には、困った人がいる。

先週の土曜日、三鷹の図書館に本を返しに行ったときのことだ。
武蔵野市に引っ越してきて、図書館をよく利用するようになった。
家から半径5キロ以内に武蔵野市、三鷹市、小金井市の図書館が8つもあるのだ。

埼玉では、二つだけだった。
だから、何となく嬉しくなって、図書館カードを三枚つくり、頻繁に利用している。
デザイン関係の本が充実しているので、さらに嬉しい。

土曜日、遅ればせながら借りた東野圭吾の「流星の絆」やFLASHのアクションスクリプト集など数点を返しにいこうと、図書館への道を歩いていたときのことだ。

目の前には、通りを埋める、人の波。
40代から70代の男女の群れ。
ほとんどの人がリュックを背負い、手に紙切れを持ち、時速3キロ程度のスピードで、マイペースで歩いていた。

ウォーキングの催しでも、あったのかもしれない。
皆が同じ方向に、同じ空気を発散させて、ノンビリと歩いていた。

それは、とても健康的で、のどかな光景・・・・・・・とは言えないものだった。

狭い歩道を、三人、四人が一列横隊になって歩いている団体がいて、他の人の歩行の妨げになっているケースが、稀にあった。
向かいから、ベビーカーを押したお母さんが来ても、四人のうちの一人がよけるだけだから、ベビーカーは窮屈な状態で通るしかない。
ベビーカーに限らず、向かいから来る人たちは、よけてくれない集団の時は、ほとんどが窮屈な空間を、申し訳なさそうに通っていた。

ひとり、ふたりで歩いている人のところだけ、広い空間ができるので、そこだけは人の流れがいい。
あるいは、なぜか警察署の前だけは、みな早足で通り過ぎていく。

普段は声高に常識を振りかざす大人たちが、集団になると、我がもの顔で通りを占領する。
集団の魔力は、怖い。

そんなことを思っていたら、向こうからシルバーカーを押した70代の女性が、弱い足取りで歩いてくるのが見えた。

我がもの顔集団は、どうするだろう。
さすがに、相手はご老人だ。
誰かが声をかけて、道を大きく開け、ご老人を通すのが、常識ある大人の態度だろうと、私は思った。

しかし、道は大きく開かなかった。
一人あるいは二人分、空いた空間に、まるで飲み込まれるようにして、ご老人はシルバーカーを押すしかなかった。

ご老人にとっては、行けども行けども、人の波。
途中で長く途切れることはあるが、横に広がった我がもの顔集団の列は、かなり先まで続いていた。

ただ、私も、我がもの顔集団と同じ人種だった。

道をあけてください。

そう言う勇気が、なかった。
押し寄せる威圧感に、シルバーカーを押すご老人の姿を見ても、なすすべもなく何もできない無力感。
言い訳になるが、私も集団心理に、完全に飲み込まれていた一人だった。

人の波に紛れながら、図書館にたどり着いた。
だが、突然聞こえてきた、場違いな声。
決して大きな声ではなかったが、静かな図書館では、それさえも響く。

「トイレを借りたいんだけど」

ウォーキング途中の人が、帽子を取り頭を下げる常識的な態度で、他の人の応対に忙しい職員に近づいていくのが見えた。
そして、また言う。
「トイレをね、借りたいんだけど」

見ると、壁には、トイレの場所を示す紙が貼ってあった。
職員に聞かなくとも、その場所はわかったと思うが。

「図書館では、私語は慎んで、あるいは、低い声で」
普通の状態なら、彼らは、他人にそう言って嗜める立場だと思うのだが、ウォーキングで、アドレナリンが出ているからだろうか、まわりが見えなくなっているのかもしれない。

その後も、「トイレは?」「トイレに寄っていこうかね」の声が、数回聞こえた。
そして、「うちのほうの図書館の方がキレイだな」「暑いね。冷房効いてないね。ケチだね」などという会話も聞こえてくる。

図書館での私語は、できるだけ、やめましょう。

帰りは、往きほどではないが、我がもの顔集団が、まだ楽しげにウォーキングを満喫していた。
それぞれの集団は、かなり前後の間隔が空いていたにもかかわらず、なぜか一列横隊は、変わらなかった。
ウォーキングは、一列横隊が、原則なのだろうか。

彼らを避けるため横道を通って、家路に向かう途中、商店街があった。
その商店街で、大きなゴミ袋を持ってゴミを拾っている家族がいた。

今日は、クリーン・デイか? とあたりを見回したが、いるのはその一家族だけ。
30代のご夫婦と、5歳くらいの男の子と10歳くらいの女の子。
4人が、笑顔を浮かべながら、ゴミを拾っていた。

「これもゴミだよね」と言いながら、父親に焼き鳥の串を高々と上げて聞く、笑顔の男の子。
缶を拾い上げる笑顔の女の子。

家族で率先して、いつも商店街のゴミ拾いをしているのだろうか。
いかにも楽しそうだ。

我がもの顔集団を見たあとだから、なおさらその姿が、輝いて見えた。

「楽しそうだね」と私が話しかけると、「うん」と笑顔で返す男の子。
それを見た母親が帽子を取って、私に頭を下げてくれた。

それを見て思った。

ウォーキングに夢中の40代から70代の男女たち。

あなたたちの親の顔が見てみたい。
そして、子どもの顔も見てみたい。

いったい、どんな教育を・・・・・・・。

一瞬、そうは思ったが、そんなことを言える立場ではなかったことに気づいた。

俺も、我がもの顔集団に、飲み込まれた一人だったのだ。

それに、私は最近思うのだ。
親は、子どもにとって、ただ「いるだけでいい存在」なのではないか、と。

私の子どもたちは、こんなひどい親でも、私よりはるかに「できのいい人間」に育っている。

笑顔でゴミを拾う子どもたちと同じように、私の子どもたちも、自分のするべきことがわかっているように思える。

だから、私の子どもたちの「親の顔」は、見ないでいただきたい。




2010/06/07 AM 07:08:08 | Comment(4) | TrackBack(0) | [子育て]



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