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● 親の顔を・・・ |
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年輩の方の中には、困った人がいる。
先週の土曜日、三鷹の図書館に本を返しに行ったときのことだ。 武蔵野市に引っ越してきて、図書館をよく利用するようになった。 家から半径5キロ以内に武蔵野市、三鷹市、小金井市の図書館が8つもあるのだ。
埼玉では、二つだけだった。 だから、何となく嬉しくなって、図書館カードを三枚つくり、頻繁に利用している。 デザイン関係の本が充実しているので、さらに嬉しい。
土曜日、遅ればせながら借りた東野圭吾の「流星の絆」やFLASHのアクションスクリプト集など数点を返しにいこうと、図書館への道を歩いていたときのことだ。
目の前には、通りを埋める、人の波。 40代から70代の男女の群れ。 ほとんどの人がリュックを背負い、手に紙切れを持ち、時速3キロ程度のスピードで、マイペースで歩いていた。
ウォーキングの催しでも、あったのかもしれない。 皆が同じ方向に、同じ空気を発散させて、ノンビリと歩いていた。
それは、とても健康的で、のどかな光景・・・・・・・とは言えないものだった。
狭い歩道を、三人、四人が一列横隊になって歩いている団体がいて、他の人の歩行の妨げになっているケースが、稀にあった。 向かいから、ベビーカーを押したお母さんが来ても、四人のうちの一人がよけるだけだから、ベビーカーは窮屈な状態で通るしかない。 ベビーカーに限らず、向かいから来る人たちは、よけてくれない集団の時は、ほとんどが窮屈な空間を、申し訳なさそうに通っていた。
ひとり、ふたりで歩いている人のところだけ、広い空間ができるので、そこだけは人の流れがいい。 あるいは、なぜか警察署の前だけは、みな早足で通り過ぎていく。
普段は声高に常識を振りかざす大人たちが、集団になると、我がもの顔で通りを占領する。 集団の魔力は、怖い。
そんなことを思っていたら、向こうからシルバーカーを押した70代の女性が、弱い足取りで歩いてくるのが見えた。
我がもの顔集団は、どうするだろう。 さすがに、相手はご老人だ。 誰かが声をかけて、道を大きく開け、ご老人を通すのが、常識ある大人の態度だろうと、私は思った。
しかし、道は大きく開かなかった。 一人あるいは二人分、空いた空間に、まるで飲み込まれるようにして、ご老人はシルバーカーを押すしかなかった。
ご老人にとっては、行けども行けども、人の波。 途中で長く途切れることはあるが、横に広がった我がもの顔集団の列は、かなり先まで続いていた。
ただ、私も、我がもの顔集団と同じ人種だった。
道をあけてください。
そう言う勇気が、なかった。 押し寄せる威圧感に、シルバーカーを押すご老人の姿を見ても、なすすべもなく何もできない無力感。 言い訳になるが、私も集団心理に、完全に飲み込まれていた一人だった。
人の波に紛れながら、図書館にたどり着いた。 だが、突然聞こえてきた、場違いな声。 決して大きな声ではなかったが、静かな図書館では、それさえも響く。
「トイレを借りたいんだけど」
ウォーキング途中の人が、帽子を取り頭を下げる常識的な態度で、他の人の応対に忙しい職員に近づいていくのが見えた。 そして、また言う。 「トイレをね、借りたいんだけど」
見ると、壁には、トイレの場所を示す紙が貼ってあった。 職員に聞かなくとも、その場所はわかったと思うが。
「図書館では、私語は慎んで、あるいは、低い声で」 普通の状態なら、彼らは、他人にそう言って嗜める立場だと思うのだが、ウォーキングで、アドレナリンが出ているからだろうか、まわりが見えなくなっているのかもしれない。
その後も、「トイレは?」「トイレに寄っていこうかね」の声が、数回聞こえた。 そして、「うちのほうの図書館の方がキレイだな」「暑いね。冷房効いてないね。ケチだね」などという会話も聞こえてくる。
図書館での私語は、できるだけ、やめましょう。
帰りは、往きほどではないが、我がもの顔集団が、まだ楽しげにウォーキングを満喫していた。 それぞれの集団は、かなり前後の間隔が空いていたにもかかわらず、なぜか一列横隊は、変わらなかった。 ウォーキングは、一列横隊が、原則なのだろうか。
彼らを避けるため横道を通って、家路に向かう途中、商店街があった。 その商店街で、大きなゴミ袋を持ってゴミを拾っている家族がいた。
今日は、クリーン・デイか? とあたりを見回したが、いるのはその一家族だけ。 30代のご夫婦と、5歳くらいの男の子と10歳くらいの女の子。 4人が、笑顔を浮かべながら、ゴミを拾っていた。
「これもゴミだよね」と言いながら、父親に焼き鳥の串を高々と上げて聞く、笑顔の男の子。 缶を拾い上げる笑顔の女の子。
家族で率先して、いつも商店街のゴミ拾いをしているのだろうか。 いかにも楽しそうだ。
我がもの顔集団を見たあとだから、なおさらその姿が、輝いて見えた。
「楽しそうだね」と私が話しかけると、「うん」と笑顔で返す男の子。 それを見た母親が帽子を取って、私に頭を下げてくれた。
それを見て思った。
ウォーキングに夢中の40代から70代の男女たち。
あなたたちの親の顔が見てみたい。 そして、子どもの顔も見てみたい。
いったい、どんな教育を・・・・・・・。
一瞬、そうは思ったが、そんなことを言える立場ではなかったことに気づいた。
俺も、我がもの顔集団に、飲み込まれた一人だったのだ。
それに、私は最近思うのだ。 親は、子どもにとって、ただ「いるだけでいい存在」なのではないか、と。
私の子どもたちは、こんなひどい親でも、私よりはるかに「できのいい人間」に育っている。
笑顔でゴミを拾う子どもたちと同じように、私の子どもたちも、自分のするべきことがわかっているように思える。
だから、私の子どもたちの「親の顔」は、見ないでいただきたい。
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2010/06/07 AM 07:08:08 |
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