Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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負けた負けた
自分の子どもに負けるのは、悔しいことか、嬉しいことか。

以前のブログで、我が家に同居するご老人が、団地内で居場所がなくなって、鬱になっているということを書いた。
その後の話の展開で、ご老人が一昨年の11月まで住んでいた三鷹の近くに我々が移り住んだらどうか、という思いがけない宿題を子どもたちに提出された。

実際、それは、私にとって思いがけない展開だった。

いくら私がフリーランスだからといって、すべての行動が自由になるわけではない。
得意先の半数以上はまだ埼玉にあるから、三鷹に引っ越したら得意先に行くだけでも、私にとっては負担が大きい(交通費も余計にかかる)。

そういったことを含めて、私が一番納得がいかないのが、ご老人はたとえヨメの母親だとしても、私にとっては他人だということだ。

そして、言いたくはないが、私の子どもたちにとっても、彼女は、それほど大事な存在だとは思えない。

比較論を展開するために、あえて書かせていただく。
私の母親は、85歳を過ぎて、衰えを隠せない年齢になった。
しかし、人様にも自分の子どもにも迷惑をかけずに、日々を暮らしている。

80歳を過ぎて、3度の大きな手術を受け入れたとき、彼女は術後、早く治す決意の基に鎮痛剤を拒否して、ベッドの中で苦痛を享受した。
しかし、そんなときでも私の母は、孫たちが見舞いに行くと、孫たちの体の心配をし、枕元に忍ばせた財布から5千円札を抜き取って、微笑みながら孫に小遣いを与えるのである。

相当痛いはずなのに。

中学の国語教師だった母は、昔から人前で決して泣き言を言わない人だった。
それは、彼女の母親が、そうだったからだ。
私の祖母も、泣き言を言わず痛みを訴えず、突然消えるように79歳の生を終えた。

泣き言を言ってくれれば・・・、あそこが痛い、ここが具合が悪いといってくれたなら・・・、祖母はもっと長生きできたはずなのに。

私もそれを受けついで、人に泣き言を言わないようにしている(つもりだ)。

私が痛い、苦しいというのは、その現象が終わったときの事後報告だ。
それも、冗談交じりに言う。
苦しさの真っ只中では、絶対に言わない。
それは、「苦しい」と決して言わなかった祖母と母の顔が、そのたびに思い浮かぶからだ。

ただ、私の母は、苦しい時も苦しさが去ったあとも、それを言わなかった。
何ごともなかったような顔で、日々を生きている。

だから、晩年になって色々な病気にかかり、入院や手術を繰り返すようになった。
極限まで我慢せずに「痛い、苦しい」と言ってくれたら、もっと早く病気を見つけられたはずなのに・・・・・。

それに対して、我が家に同居するご老人は、自分のことにしか興味がないように思える。
自分が一瞬だけでも楽しくなれば、それでいいように思える。
そして、そのためには平気で嘘をつくし、人の感情を踏みにじっても平気に思える。

私の子どもたちは、ご老人にとって、当然「孫」になるわけだが、ご老人は、おそらく孫に対して無関心だ。

ひと月に一回、彼女の長男から現金書留でお小遣いを送ってくるが、彼女はそれを手にすると、いそいそと外出の準備をし、タクシーで買い物に出かける。
そして、決して使うことのない洋服やバッグ、電化製品、脂っこい食い物を両手に抱えて凱旋し、満足げに笑みを漏らす(しかし、何を買ったかは、すぐに忘れる)。

我が家に来て15ヶ月。
ご老人は、同居する孫に小遣いを与えたことはない(これは、期待する私の方が、おかしいのかもしれないが)。

私の母は、乏しい年金の中から、毎月孫たちに5千円ずつお小遣いを振り込んでくれる(こんなことを比較してしまう私は、非常識なんだろうか)。


昨日の夜、私は子どもたちの前で、こんなことを言った。

「ばあちゃんは、自分のことしか考えてないんだよな」

それに対して、大学一年の息子が、意外なことを言う。

「ばあちゃんだって、苦しいんだよ。苦しんでいると思うよ」

そして、中学二年の娘も、それに同調する。
「そうだよ、苦しいはずだよ」

それを聞いたとき、高速で、私の目から涙が溢れ出た。

子どもたちにとって、ご老人との同居生活は、決して報われるものではなかったはずだ。
いつもストレスと不自由を感じていたと思う。

だから、ご老人が孫たちに与えたものは、ゼロに等しい。
子どもたちが得るものは、精神的なものを含めて、何もない。
私はそう思っていた。

だが、子どもたちは、そんな中でも、ご老人の苦しさを理解していたようなのだ。

私にとっては、自分の経済的な負担、時間的な負担が、すべてだった。
だから、ご老人を受け入れられずにいた。

「この負担さえなければ・・・・・・・・・」
いつも、その思いに囚われていた。

しかし、子どもたちは、ご老人の立場で、その苦しさを理解しようとしていたのである。

私の子どもたちは、私が何も教えなくても、それが理解できた。


それにひきかえ、この俺は・・・・・。


そう思ったが、こんな子どもを持った自分を誇りに思う気持ちも、強い。

泣き乱れた私の顔を見て、娘が言う。
「おまえ、最近、異常に涙もろくなったぞ。汚いぞ。ああ、汚い! 汚いオヤジは、見るに耐えん!」

そんな娘の声を聞きながら、汚い親父は、さらに涙をこぼした。



2010/03/01 AM 07:12:40 | Comment(3) | TrackBack(0) | [子育て]



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