Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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今さらながら國母選手の腰パン
冬季オリンピックは、高橋大輔選手が銅メダルを取ったので、盛り上がっているようだ。
男子スピードスケートも、メダルを取ったらしい。

めでたいことです。

日本選手が活躍すれば、世の中は明るくなる。
希望が見えてくる。
それが、つかの間の希望だとしても、ないよりはいい。

ただ、どうでもいい報道もあった。
國母選手に関してのことだ。

賛否両論。
報道を見る限り、否のほうが多そうだが、メディアの報道は偏っているので、それを鵜呑みにはできない。

メディアの手法は、朝青龍のときもそうだったが、だいたい同じ手順を踏んでいる。

まず過剰報道・過熱報道がある。
そして、同じ意見を網羅して情報操作をする。
さらに、なぜか政治家や文化人が口をはさんで、自分の存在をアピールする。

最後に、「一人の悪人」が仕立てられる。

横綱の品格ってなんだ?
私は相撲にはまったく興味がないので、これはピント外れの疑問かもしれないが、「横綱の品格」など考えたこともない。

もし、強くて黙々と土俵に上がる人が品格を備えているというのが「横綱の品格」の定義なら、それはプロのアスリートとして、どうかなと思う。
様式美だけを備え、ただ強いだけのアスリートには、私は魅力を感じない。
いや、お相撲さんは、神技の中の人だからアスリートではないという見方なのか。

しかし、神技の中の存在なら、横綱になる前に、その定義を彼の頭脳に叩き込むべきだったと思う。
相撲興行が商売でなく純粋な神技だというなら、「神技」として相応しい人を横綱に選ぶべきだろう。
選んだあとで、「相応しくない」というのは、あと出しジャンケンみたいで、フェアではない。

相撲が「神技」ではなく、純粋なる興行、プロとしての競技なら、強くて人気のある人を横綱にすべきだ。

では、相撲は、神技なのか、商売なのか、どっちなのか?
相撲協会の考えていることは、どっちつかずで、私には理解不能だ。
ただかたくなに権威に胡坐をかいて、既得権を主張している官僚組織と同列にしか見えない。

だが、私は朝青龍の肩を持つつもりはありません。
暴行は犯罪です。
もし彼が本当に暴行を働いたのなら、犯罪者は、潔く罪に服すべきだと思っています。


ところで國母選手。

服装の乱れ、というが、その定義も難しい。
それは、ひとそれぞれの感覚だから、要するに「好き嫌い」ということである。

だからこそ、賛否両論があるのだろう。

私は実は、その國母選手の乱れた服装を見ていない。
だから、どれほど「乱れていたか」を知らない。

腰パンという報道があったが、それは、彼が今まで蓄積した実績を覆すほど「乱れた」ものだったのか。
日本代表として相応しくないほど、その腰パン姿は、万人に不快感を与えたのか。

見ていないから、そのあたりが、理解できないのですよ。

だから、観点を変えた疑問を提示したい。

「服装が乱れている」
「日本代表として、その姿は相応しくない」

そう初めに言い出したのは、いったい誰なのか?

高速道路の渋滞にも、必ず起点がある。
起点があってはじめて渋滞が始まる。

今回の國母報道の起点は何だ?

皆が一斉に、同じ時間軸で彼の「服装が乱れている」「日本代表として、その姿は相応しくない」と言い出したのか。

私には、そんな非現実的なことは想像できない。
誰かが、情報操作をしているのではないか。
そう思ってしまったのである。

新聞、週刊誌、テレビ、インターネット。
どの媒体を使っても、メディアの番人なら、そんな情報操作は難しくないと思える。

集中的な過熱報道で、ある人を非難する。
メディアが好んで取り上げる、同じ方向を向いた扇情的で意図的な同一意見。
そして、それに対して、反論するひと。

それで、メディアは「ニュースを作る」ことができる。
しばらくは、話題に困らない。

誰かがメダルを取ったら、今度は当たり前のように話題はそちらに移って、「服装の乱れ」は、ニュースバリューではなくなる。

そして、國母報道の起点は、見事に忘れ去られる。
そんなことの繰り返し。

たとえば、一選手の服装が乱れているのと同じように「政治・検察」も乱れている。
ただ、もちろんそれを、今回の國母報道と同列に論調することはできない。

ただ、「政治・検察の乱れ」の方が、明らかに国にとって大事だということは、誰にでもわかると思うのだが、メディアだけは腰が定まらず、毎度浮き草のような報道しかしない。

彼らは、検察から洩れた情報をそのまま流し、政治家の言葉を「ぶれている」のひと言だけで片付ける。
そこには、彼らだけに課された「検証」という、最も高度でプロとして必然的にしなければならない作業が抜け落ちている。

つまり、今回の報道で、メディアこそ乱れている、と思ったのは私だけだろうか。


ところで、トヨタのこと。

ブレーキは安全性能の基本である。
だから、それをないがしろにしたことは、弁解の余地がない。
いくら叩かれても、仕方がないと思う。

米国のトヨタ叩きは、過激すぎる気もするが、もし今度、米国の車やシャトル、飛行機に欠陥が判明したら、その時は、徹底的に叩けばいい。

ただ、米国の企業は、私のイメージでは「安全神話」がないように思える。
安全は、ユーザー各自の責任。我が会社にも国にも責任はない。
そんな開き直りが、米国の傲慢さからは垣間見える。

他人には厳しく、自分には極端に甘い。

そんな国家相手に戦う日本の企業は、大変ですね。

トヨタさん。
米国のタフな「交渉人」を雇ったらどうでしょうかね。

そうすれば、米国対米国の争いになる。
この構図なら、米国の傲慢さが浮き上がってくると、私は思うんですが。

どうですかね。
ハリウッド映画のようには、いきませんか。


ところで、タイガー・ウッズは、なぜ謝らなければいけなかったんだろう?

アメリカのメディアは、相当彼を叩いていたようだが、彼の行いがそんなに非人道的だとは、私には思えないのだが。

彼が、黒人の大金持ちだということに対して、何か意図的なものが働いているのだろうか。

白人社会は、他人には厳しく、自分には極端に甘い。

大きな声で言い訳をし、自分に非があっても、大声で相手を攻撃したほうが勝つ社会は、私には歪んだ幼稚な世界に見えるのだが、そう思うのは私だけだろうか。


意味のない話をしてしまいました。
このことは、お忘れください。



2010/02/21 AM 08:25:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | [メディア論]



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