Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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アドバイスください
前回、体調があまりよくないと書いた。
それは、年を省みず三日間徹夜をしたせいもあるが、我が家を覆う「重い空気」のせいでもある。

自分の体調が悪いだけなら、多少は笑い飛ばせるが、家族がからんでくると・・・・。

重い話。
もし、重い話が嫌いな方は、ここでサヨウナラ・・・・・。


ヨメが、泣いていた。

ご老人と喧嘩をしたらしい。
ご老人とヨメが言い争うのは毎度のことだが、ヨメが泣くのは初めてだ。

理由を聞いてみた。

発端は、ヨメの恩師が亡くなったことだ。
ヨメの恩師が亡くなったのは、先月の30日。
私も、その恩師には、四、五回お会いしたことがあるので、その訃報に触れたときは心が痛んだ。

恩師は、ヨメが小学校低学年の時の担任の女教師だった。

ヨメは、小学校に上がる前に、言葉を失っていた時期があった。
脳に障害があったわけではないので、失語症とは違うようだが、彼女は外でも家庭でも声を出せない状態になった。

そのことは、付き合いはじめてすぐに、ヨメから聞かされた。
(今では、うるさいくらいにしゃべりまくるヨメに、そんな過去があったとは信じがたいことだが)

幼稚園で、男の子に苛められたことが原因だ、とヨメは言っていた。

ただ、ヨメの母親であるご老人は、そのことを信じなかったらしい。
「苛められただけで、言葉が出なくなる? 仮病に決まってるわ」
そう言って毎日、無理矢理ヨメに言葉を発するように強要したという。

人間の脳と感情は、デリケートにできている。
まして、6歳の子どもだ。
強制しても、いい結果は生まれないだろう。
その結果、ヨメは余計に言葉を出す能力を、脳の奥深くに隠しこんでしまったらしい。

ヨメの父親が心配して、何人かの医者に見せたところ、医者の言うことは、ほぼ同じだったという。
「脳に障害がないので、原因を取り除けば、言語は徐々に回復すると思います」

そう言われて、ヨメの父親は、気長に待つことにした。
だが、目の前に、小学校入学という現実が迫っていた。

言葉が出ない娘が、普通に小学校に通えるものだろうか。
ヨメの父親は、今度は役所に相談に行った。
だが、役所は物事を表層的にしか判断できない。

「話せないなら、特殊学級(今は複式学級)に行ってもらいます」
それを聞いたご老人は、「みっともない。世間体が悪い」と言って、ヨメが小学校に行くのを拒んだ。

しかし、義務教育だ。
行かないわけにはいかないだろう。
そこで、教育委員会の人がヨメの家に来て、面接をした。

ヨメは、字は書けたし、数も数えられた。
簡単な文も、問題なく書くことができた。
そのとき、知能は普通以上だと判断されたようである。

「言葉は出なくても、普通学級で問題ないでしょう」
教育委員会の担当者が、ヨメの父親にそう告げたので、父親は安堵した。
「これで、娘を普通に小学校に通わせてやれる」

だが、ご老人だけが、そのことに強硬に反対した。
「話もできない子が、学校に行くのは無理だ。言葉が出るようになるまで、私は絶対に娘を学校に行かせない」

それも一つの親の心情であると言える。
子どもは残酷だから、自分たちとは違う人間を排除するであろうことは、想像できた。
「娘をそんな環境に置きたくない」
それは、ある意味、母親として、当たり前の感情だったかもしれない。

だから、そのことで、ご老人を責めることはできない。

ただ、教育は、等しく子どもに受けさせるべきだというのも真理である。
それは、親の義務であり、社会の義務でもある。
3月末。入学式近くになると、ヨメの小学校の担任が連日のようにヨメの家にやってきて、両親を説得した。

「おたくの娘さんは、ただ声が出ないだけで、他に変わったところはありません。
私が責任を持って受け持ちますので、私にお子さんを預けていただけませんか。
ここで逃げていたら、娘さんはこれから先、背負わなくてもいいものを背負うことになります。
どうか、私にまかせてください」

その熱意に負けて、ヨメの父親は「お願いします」と頭を下げた。

しかし、ご老人は―――――
だめ! いま喋れないものが、そう簡単に喋れるようになるわけがないでしょ。母親の私にできなかったことが、あなたにできるわけがない。だから、娘は家に置きます」と言い張った。

それを聞いていたヨメは、泣きながら「わたしはがっこうにいきたい」と紙に書いて、女教師に示したという。

ヨメは、普通どおり小学校に入学した。

そして、ヨメは、女教師の熱意に応えるように、小学校に上がってから、2ヶ月足らずで言葉を取り戻した。
それは、恩師のおかげである。
だから、ヨメが今日あるのは、恩師のおかげだと、彼女は、それ以来感謝の心を持ち続けている。

1月31日日曜日。
その恩師が亡くなったと聞いて、ヨメは通夜に参列する支度をしていた。

だが、そのとき、ご老人が言わなくてもいいことを言ったのだ。

「アタシは、あんたが喋れない時、無理にでも学校に行かせようとしたんだよね。
それを教師が止めたんだ。あなたの娘さんは普通じゃないんだから、特殊学級に行けって、強く言われたよ。
でもアタシは、そんな教師に頭を下げて、下げて、何度も頭を下げて〜〜。しゃべれないあんたを育てるのに、アタシがどれだけ苦労したことか・・・・・」

子どもに対して、言ってはいけない言葉がいくつかあると思う。
「何でそんな簡単なことができないの! Aさんは、できたのに!」
「お前を育てるために、俺がどれだけ苦労したことか!」など。
その感情論は、人間としてフェアではない。

それを聞いて、ヨメが怒ったのは、無理もないことだと思う。
まして、この場合は、まったく事実と異なるのだから。

「先生との思い出が汚されたような気がして・・・・・」
ヨメが泣く。

あれ以来10日間。
ヨメは、ご老人のそばに、近づこうともしない。

そんな娘を見て、ご老人がつぶやく。
「パート先で、嫌なことでもあったのかねえ。働くところなんかいくらでもあるんだから、辞めちまえばいいのに」

親子なのに、背筋が寒くなるほど、そこには薄く細い糸しか見えない。
その糸は、切れかかってはいても繋がっていて、かろうじて「絆」の形を成しているが、今にも切れそうな危険性をはらんでいる。

一度ご老人に、ヨメが怒っている理由を説明したが「私は、そんなこと言ってない!」と、無表情に怒ったので、説得はあきらめた。

細く危うい糸。
私は結局、その糸の危うい様を、触ることもできず、ただ見ているだけだ。

この二人の関係を、いったい、どうやって修復したらいいのか。

同じような経験のある方。
アドバイスをいただけたら・・・・・。



2010/02/09 AM 07:07:50 | Comment(12) | TrackBack(0) | [日記]



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