Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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埼玉に住んで16年
埼玉に住んでいる方には申し訳ないが、16年間住んでいて、いまだに埼玉になじめない。

それがなぜなのか、自分ではわからなかった。
埼玉で友だちができた。
仕事もいただいている。
しかし、腰が落ち着かない。

かといって、東京かぶれというわけではない。
私は、東京世田谷生まれの目黒育ちだが、場合によっては、母親の生まれ故郷・島根出身だと名乗ることもある。
東京育ちを誇らしげに宣言しているわけではないのだ。

ただ、埼玉になじめないという現実がある。
それが何故だろうかと、ずっと思っていた。

その理由が、昨日なんとなくわかったような気がする。

27歳で結婚するまで、私は中目黒に住んでいた。
しかし、中目黒の家は、今はもうない。
12年前、両親が老齢になって、セキュリティのしっかりしたマンションの方がいいだろうと考え、東横線新丸子駅近くのマンションに移り住んだからだ。
東京から神奈川に移ったわけだが、同じ東横線沿線ということもあって、両親には、ほとんど違和感がなかったようだ。
すぐに地域に溶け込んだ。

お年よりは、たくましい。

中目黒の自宅は取り壊されて、今は壮麗な趣の家が建っている。
その隣に、Kさんという方が住んでいる。
Kさん家のご当主は、私の母の永年の友だちだ。
そのKさんの家に、大晦日の昨日、中学2年の娘と大学1年の息子を連れて行ってきた。

中目黒に根を生やしたのは、私の母の方が早いが、年はKさんの方が10近く上である。
お互い中学の国語教師をしていたという共通項があったせいか、二人はとても仲がよかった。

しかし、そのKさんが、11月初めに亡くなった。
93歳だった。
20年前に癌を患い、3度の手術を受けながら、癌と闘ったすえ、大往生した。
お葬式は、身内だけで済ませたという。

そのKさんの娘婿から、12月半ばに、母親に電話がかかってきたという。
「お預かりした絵をお返しするよう遺言があったので、お返ししたいのですが」
私の母は、自分でそれを取りに行きたかったのだが、少し体調を崩したので、代わりに私が行くことになった。

そのKさんの遺品というのは・・・。
40年以上前、母がKさんとの友情の証に、自分の父親が描いた絵をKさんにさし上げたという。
私の母の父親(つまり私の祖父)は、それなりに名の知れた日本画家だった。
掛け軸だけを専門に描いていたが、ただ一つだけ板に描いたものを残したらしい。

それは、鳥専門の日本画家だった祖父が、唯一残した板書の牡丹の絵だった。

桐の箱に入れられ、肌ざわりの良さそうな和紙に丁寧にくるまれた祖父の作品。

大正時代半ばの作品だから、色がくすんでいる。
赤い牡丹が、こげ茶色にしか見えない。
背景の薄い黄色も少し澱んでいるから、冴えた感じがしない。
わが祖父の作品ではあるが、見ていて感動はない。
私が、鳥の絵を見慣れているせいかもしれない。
祖父の作品イコール鳥の絵という固定観念。

「これをお返ししようと思います」
大学の講師と自己紹介されたが、どう見ても井筒監督にしか見えない娘婿が、厳かに桐の箱を私の前に押し出した。

わかりました。
頂戴いたします。

ついでに、井筒監督は、我が子どもたちに、一足早いお年玉をめぐんでくれた。

ヨッシャアー!
息子の天真爛漫なガッツポーズを見て、井筒監督は、のどの奥が見えるほど口を大きく開けて笑った。

風雅あふれる風呂敷に、霧の箱を包んでいただき、お礼を述べ、K家を辞した。


家を出ると、そこは、中目黒。

記憶が、瞬時によみがえる。

子どものころ、毎日、当たり前のように小走りに通り過ぎた路。
壊れかけの家。
間口の小さなおでん屋。
大人が屯(たむろ)していた立ち飲み酒屋。
信じられないほど大きな敷地の洋館(プールもあった!)。
大きなセントバーナードがいた八百屋。
立派な梵鐘のある寺内へと続く銀杏並木。

路地裏までもが、頭のスクリーンに鮮明に映し出された。
普段は思いだしもしないのに、この地に立った途端、確かな記憶として、それは私の中にワイドスクリーンで蘇った。

ないと思っていた故郷(ふるさと)が、ここにあった。

思い出が居坐る場所。
郷愁が帰る場所。

この感覚が欲しくて、私は現在の生活の場、埼玉を拒絶していたのかもしれない、と思った。

地面から足を伝って、懐かしさが、せり上がってくる。
ゆっくり首を巡らすと、こぼれ出した記憶の断片が、私の身体を包み込むような気がした。

故郷は、中目黒。

大きく息を吐き、空を見上げた。
記憶は、こぼれ出しはしたが、消えてなくなることはない。

今度は息を吸って、こぼれ出した記憶の断片を吸い込んだ。
心が、震えた。

よし! 帰るぞ。


「その前に、腹減った。何か食わせろ」
思い出を断ち切る娘の声。

中目黒駅近くのファストフード店で、遅い昼メシを食った。
フライドポテトを口に運びながら、娘が言う。

「おまえは、いつもいい加減でアホな男だが、さっきは人が変わってたぞ」

私の全身が、郷愁に身を巻き取られていたとき、私は確かに別人だったと思う。
自分でも、違う世界の空気を吸っているような気がしていた。

「なんか、声がかけづらかったな。おまえも人間だったんだな」

そうか、とうとう人間だということがばれてしまったか。
宇宙人のつもりで生きてきたのだが・・・。

「・・・・・・・・・・」
無視された。

気を取り直して。
パパの子どもの頃は、学校は寺子屋と言って、ちょんまげを結った先生が勉強を教えてくれたんだよ。
水道もないから、毎日大きな桶を担いで、5キロ離れた庄屋さんの家の井戸に水を汲みに行ったんだ。
電気もないから、夜は蝋燭の光で勉強してたな。
蝋燭が切れたら、蛍の光の下で本を読んだっけ。

ほた〜るのひ〜か〜りぃ〜

それを聞いて、物事を何でも素直に受けとめる息子は、「スッゲェ!」と感動してくれた。

しかし、娘はそんな兄を呆れ顔で見上げて言う。
「おい! アニキ! こいつの言うことを信じるな。こいつの話には、1パーセントの真実もないんだから」

たしかに。

それでな・・・・・。
パパは一所懸命勉強して、医者になったんだよ。
そして、江戸時代にタイムスリップして、当時の医学では救えない患者を助けようと、大奮闘したんだ。
しかし、タイムパラドックスというのがあってな・・・・・。

娘に、つま先を強く踏まれた。


書き忘れましたが、今年もよい年でありますように。



2010/01/01 AM 08:54:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]



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