Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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私のまわりの似ている人たち
仕事用のメール不調。
だから、ヤフーメールを活用している(ヤホーさんに感謝)。

そのヤホーメールに、昨日一通のメールが届いた。
思いがけずも、松雪泰子似の美女からだった。

今月急ぎの仕事を請け、それがクライアントに好評だったらしく、そのお礼と年末の挨拶も兼ねて送ってくださったようだ。
嬉しいことだ。
気持ちが湧き立った。

そのメールの中に、こんなことが書いてあった。
「Mさんが、私のことを松雪泰子さんに似ていると言ってくださるので、最近松雪泰子さんのことが気になって、そしてフアンになりました」
文末には、「松雪泰子さんになりたい女より」とあった。

松雪泰子似の美女。
いつもそう書いているが、彼女が松雪泰子にそっくりだと言うわけではない。
私の中のイメージとして、松雪泰子に一番近いという意味で、そう表現しているのだ。

ただ、美女であることは、疑いがない。

私が直に遭遇した美女。

青山のパスタ屋さんで見かけた夏目雅子さん。
渋谷NHKの廊下で見かけた二十歳前後のときの中山美穂さん。
渋谷公園通りで見かけたアイドル絶頂時代の桜田淳子さん。
10年ほど前、東海道新幹線車内で見かけたスッピンの飯島直子さん。

絶世の美女・夏目雅子さんは別格としても、松雪泰子似は、他の方々と肩を並べるのではないかと、私は思っている。
だから、美女。
松雪泰子さんを感じさせる美女、ということだ。

友人にも、知名人に雰囲気の似た人間はいる。

WEBデザイナーのダルマは、漫才コンビ・の太った方に似ている。
京橋のウチダ氏は、俳優の坂口憲二からワイルドさを取った感じだ。
桶川の得意先には、女優の麻生久美子に似た人がいる。
同じく桶川の得意先のフクシマさんは、漫才コンビ・チュートリアルの福田に似ている(笑える)。

そして、極道顔のコピーライター・ススキダ。
彼女の奥さんは、小泉今日子に似た愛らしい人だ。
しかし、あの極道男は、今は亡き横山やすしをさらに悪人顔にしたようなツラをしている。

ただ、本人は厚かましくも「おれって、(俳優の)寺島進に似てるだろ」と言うのである。
どの角度から見ても、似ていない。

お前んちの鏡は、魔法の鏡か!

年末の挨拶に行ってやったススキダの事務所で、ススキダ夫人手作りのオードブルをご馳走になりながら、ブラックニッカをストレートで飲んでいた。

「寺島進は、お前より、まだ可愛げがあるだろう」という私の反論を余裕の微笑で受け流して、ススキダが言う。

「オレさあ、ずっと思っていたんだけど、言ってもいいかな?」

なんだよ、もったいぶるんじゃねえよ! 超極道・横山やすしが!

「お前ってさぁ・・・・・」
さらに、もったいぶる横山やすし。
組んだ足をブラブラさせながら、午後の紅茶の入ったグラス(ススキダは、酒が飲めない)を右手で器用に回している。

そして、どこか人を見下したような目を私に向けて、こう言うのだ。
「おまえって、なんかさ・・・・・・、ときどき高田純次に似ているよな・・・」

それを聞いて、私の脳内を電流が駆け巡った。

おお! 私が尊敬する高田純次師匠!

本当に、本当かよ!

俺が、高田純次大先生に似ているって?

それは、私にとって、今年一番嬉しかった出来事かもしれない。



2009/12/30 AM 08:00:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

読書感想文
移動距離の長い得意先がある。
たとえば、静岡、宇都宮、横浜。

車内では、たいていは寝ているが、寝ていないときは、本をよく読む。
文庫本限定だ。
そして、ブックオフで買った105円限定でもある。
だから、旬のベストセラーは、読もうと思っても読めない。

自分のことを、「105円読書家」と呼んでいる。

その105円読書家が、この2ヶ月間に読んだ本の感想文を載せようと思う。

横山秀夫の「クライマーズハイ」。
横山秀夫の著書では、「半落ち」が有名である。何かの賞を取ったと記憶している。映画化もされた。
これは、私も読んだ(105円)。見事な構成で、一気に結末まで読ませるが、私としては、最後がきれいごとで終わった印象が強くて、最後だけ力が抜けた。

「クライマーズハイ」も、映画化されたらしい。しかし、私は「半落ち」も「クライマーズハイ」も見ていない。

物語の主軸は、日航ジャンボ機墜落事故。主人公は、地方新聞社のベテラン記者・悠木。
そして、そこに、「山登り」が絡む。
事故報道の全権デスクを任命された悠木の自己の生い立ちへの負い目。報道への迷い。家族、とりわけ長男と接することへの戸惑い。
そして、植物状態でベッドに臥す友人との約束。
熟練の「山屋」である友人は、なぜ山に登ったのか。

下りるために登るんさあ。

悠木は、その言葉を不可解に感じながらも、その言葉によって彼が伝えようとした真意をいつも諮りながら、嵐のような報道現場に身を置き、時に彼は立ち止まる。
悠木は、骨太でアクティブな男だが、弱さも兼ね備え持っていた。

迷いが支配して、特ダネを逃すこともある。
この墜落事故のときも、結局は、迷いから特ダネを逃した。

孤独。

そして、山登り。谷川岳の「衝立岩」。
幾人もの登山家の命を奪った、垂直な壁。
山に惹き込まれた登山家が感じる極限状態の「クライマーズハイ」。

日航機報道では、迷いに迷った悠木だったが、事故から17年を経て、衝立岩に挑みかかった時には、「クライマーズハイ」を確実に感じていた。
この衝立岩に挑んだ時の、悠木と彼の長男とのエピソードがいい。

悠木と彼の長男は、気持ちがすれ違っていて、お互いの感情をぶつけることができないまま、長男は大人になり、悠木は年を重ねた。
しかし、自分のことを嫌っているとずっと思い込んでいた彼の長男が、悠木のために残した衝立岩垂壁の1本のハーケンが、萎えた悠木の気力を奮い立たせる。
そして、植物状態のまま逝った友人の息子の助けを借りて、最後は衝立岩を征服する。

横山秀夫の筆力は、細部まで力に溢れ、その人物描写、情景描写には圧倒される。
文章を書くことを職業にする人の凄みが、全編に漲って、読後感は、かなり重い。
しかし、どこか爽やかでもある。
そして、これは、その爽やかさが気持ちのいい作品である。

佐々木譲の「笑う警官」。
これも、最近映画化された。見ていない。

この分野は、最近では、「警察小説」と分類されるらしい。
横山秀夫の「半落ち」も、「警察小説」だという。
味気ないジャンルわけ、と感じるのは、私だけか。
警察小説ではなく、「佐々木譲の作品」という表現で十分だと思うのだが。

構成力のない作家なら、上下巻分けた冗長な長編になるところだが、佐々木譲は、それを極限まで贅肉を削ぎ落として仕上げることに成功した。
その精緻な文章力は、驚嘆に値する。
警察社会に身を置いたことがないので、それがリアリティのあるものかは、判断のしようがない。
ただ、こんな世界があっても、絶対に不思議ではない、と思わせる信憑性は、行間のすべてで感じられた。
それが、作家の力量というものだ。

佐々木譲の力量が、すべての面でうかがえる作品。
ただ、私は「笑う警官」というタイトルに、どこか違和感を感じる。
物語では、警官が「うたう(警察の内部情報を暴露する)」ことが、キーワードになっている。
「笑う警官」では、確実に主題から逸れる。
新刊で出たときの「うたう警官」で十分だと思うのだが、これは角川のあざといセンスがそうさせたものだと諦めるしかないようだ。

京極夏彦の「嗤う伊右衛門」。
これも映画化されたらしいが、やはり私は見ていない。

有名な「四谷怪談」を主題にしたこの小説は、怖さよりも、儚さが目立って、そして美しい。
この物語は、幾人かの登場人物の視点で、章ごとに進行していく。
語り部としての京極夏彦の紡ぐ話は、登場人物の心象風景を古典的な表現で描写しながら、静かに深い感慨を我々の心に貼り付けていく。

悪人がいる。
しかし、その悪人にも、悪人たるべく理由がある。
悪人は、その存在は悪だが、悪になった理由には、わずかながら納得するものがある。
それは、人間の中に必ず存在する「悪の部分」に、私が共感したからかもしれない。

しかし、悪は死ぬ。
だが、ここでは「善」も死ぬのだ。

その結末が、哀しくて美しい。
これは、「四谷怪談」だが、私たちが知っている「四谷怪談」とは、違うものだ。
京極夏彦の、「新たな物語」だと言っていいだろう。

伊右衛門が、その生を終えて嗤う。
その嗤いが、どこかもの哀しくて澄んでいる。
そこが、いい。

いま、読んでいるのが、東野圭吾の「さまよう刃」。
これも、映画化されたらしい。
誰が監督で、誰が主演かは、知らない。

長い小説だ。
まだ、70ページくらいしか読んでいない。

今まで読んだところでは、型にはまった導入部という印象が強い。
このあと、物語がどう複雑に織り込まれていくのか。
いまや随一と言っていいストーリーテラー・東野圭吾は、どんな「引き出し」を開けて、我々を驚かせてくれるのか。

それを楽しみにしながら、電車に揺られて、読み進んでいる。



2009/12/28 AM 06:45:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | [こんな本読みました]

笑い声に凍りつく
年末は、忙しい。
というような、当たり前の表現は、嫌いだ。

忙しいが、忙しくない。
忙しいわけ、ないじゃありませんか!

年末の忙しい中(?)横浜の病院に、昨年盲腸ガンの手術をした姉を連れて行った。
一日に10回以上我がiPhoneに電話をかけてこられて、私は軽度のノイローゼ状態になっていた。
あるいは、「鬱」といってもよかったかもしれない。
有り得ないほどの不整脈の発作にも襲われたし・・・。

姉の手術をしていただいたのは川崎の病院だが、「PET検査を受けたい」というご要望は、その病院では果たすことはできない。
「オレは鬱、オレは鬱」とつぶやきながら、横浜の病院を探し出し、昨日姉をそこに連れて行った。

はっきり言わせてもらうが、他人のことを思いやる気持ちが1ナノ(10億分の1)もない姉の面倒を見るのは、私にとって苦痛以外の何ものでもない。

一年ぶりに顔をあわせても、「ああ」としかお互い言わない。

その他は無言。

担当医に、「よろしくお願いします」と言って、姉を任せたら、心が軽くなって、ペットボトルのミネラルウォーターを一気に飲み干した。
窓の外に目をやると、裸の木々が寒そうに冬を主張していたが、私は開放感を感じていたので、そのときは、むしろ美しく詩的な光景に見えた。

友人のテクニカルイラストの達人・イナバのご好意で、今回の検査を受けさせてもらうことになった(そのことに関しては、コチラに書いた)。

有り難くも、ひとさまの有り余る好意を受けて実現したこの検査であるが、姉はそのことを感謝さえしないのだ。

「私は癌なんだから、検査を受ける権利があるの」
「何で私だけ、こんなつらい目に遭わなければいけないの」
「あんたはいいわよねえ、家族がいて、支えてくれる人がいて」
「私には、誰も支えてくれるひとなんかいないの」

この検査を受けるために、どれほどの人が、姉のために力を尽くしたか。
そして、この検査費用がいくらかかるのか、姉は想像すらできない人・・・。

腹が減ったので、病院内の食堂で、かけうどんを食った。
うどんにコシがあって、出汁は薄口だが、出汁がうどんのコシに絡み合って、絶品と言えるほど美味かった(安かったし)。

腹は一杯になった。
しかし、気分は脱力していた。

「私が死んだって、あんたに財産なんか残せないからね。お気の毒さま」
「抗がん剤、本当に効いてるのかしら。あの女医ったら、違う薬を出して、私を殺そうとしているのかもしれないわ」
「お酒は飲むなって言うけど、自分は絶対に飲んでいるわよ。昼間から酒臭いことがあるもの。あんな女、信用できないわよ」

姉の放つ言葉は、現実を無視しているから、心にまったく響いてこない。
姉にとっては、自分だけが別の世界で生きていて、他人は実体のない、空気さえもない世界に生きているような、軽い存在でしかない。

「私は、親にだって感謝したことなんか、ないんだから」

姉が、一度だけ、そんなことを言ったことがあるのを思い出した。
感情が激したときだったが、言葉は、表現のしようがないほど冷えていた。

誰もいない病院の食堂。

酒が飲みたいと思った。
しかし、もちろん酒は、ない。

柱時計が、チッチッチッ。
手足が、冷える。
暖房は、十分なほど食堂内を暖めていたが、私の脳の奥は、哀しいほど冷え切っていた。

酒が飲みたい、とまた思った。
バーボンなら、さらにいい。

酒に飢えて飢えて、飢えきっていた頃、親切にも院内アナウンスで、検査の終了が告げられた。

検査機器室の扉の前まで行くと、姉が不貞腐れた顔で立っていた。
「検査結果は、今わからないんだって。
来年になるのよ、信じられる!」

それは、そうだろう。
大事な検査だ。
簡単に解析して、結論付けられるものではない。
人の命を測るのだ。
時間がかかるのは、当たり前のことだ。

それが、常識ではないのか。

しかし、姉は、その程度のことでも不貞腐れるのだ。
その態度は、見るに耐えない。

だから、私は怒った。

「先生方に、お礼は言ったか!」

姉に対しては、強い言葉は禁物である。
子どもの頃から、親も親戚も近所の人も、教師たちも、姉に対して刺激的な叱責はしないように気を配ってきた。
叱るという短絡的な行為は、姉の心を貝よりも固く閉じさせる効果しか持っていない。

それは、長い経験で、私も痛いほどわかっていたつもりである。
しかし、言わなければいけないときもある。

短絡的で、愚かなことだとは思いつつも、叱責しなければ、伝わらないこともあるはずだ。
普通の人間ならば・・・・・。

しかし・・・・・、

「キャハハハハハハハハハ・・・」

姉が、狂ったように笑う。
涙を浮かべて・・・。

「キャハハハハハハハハハ・・・」

病院の廊下が、凍りつく。

「キャハハハハハハハハハ・・・」

そのとき私は、自分が大きな失敗をしたことを悟った。

先生方も、何が起こったのか、理解できないように、立ち尽くしていた。

40分後、姉は、鎮静剤を打たれて、診察室脇のベッドで寝かされていた。

「私は、専門外でよくわからないのですが、お姉さんは、どこか・・・・・」
30代の担当医が、言いにくそうに、顔を曇らせて私を見た。

癌を患ったことが、ショックなんですよ、きっと・・・・・。

私は、きれいごとの言葉で、姉を擁護した。

「ああ・・・・・、それは、わかります」
どこか釈然としない思いを顔に張り付けながら、担当医が曖昧に相槌を打った。

しかし、お互い目を見交わしたそのとき、私は確信した。
おそらく担当医の耳にも、姉の笑い声がこだましていたに違いない。

キャハハハハハハハハハ・・・・・・




2009/12/26 AM 07:47:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

バンビちゃん
5日ほど前のことだが、知り合いから、一日だけ犬を預かってほしいと言われた。

もちろん拒む理由はない。
団地では、ペットを飼ってはいけないことになっているが、一日二日くらいは許されるだろう。

犬は好きだ。
猫も好きだ。
動物全般が好きだ。
シロクマだって、ライオンだって、シロナガスクジラ、アフリカゾウだって、機会があれば飼ってみたいと思っている。

今回預かったのは、ダックスフント
名前は「バーバラ」。
女の子だ。

大学一年の息子と中学二年の娘は、ハムスターやウサギは飼った経験があるが、犬ははじめて。
最初は、腰が引けていたが、潤んだ可愛い目で見つめられて身体をすり寄せられたら、二人ともイチコロだった。
二人して競うように、「バーバラ」「バーバラ」と、犬の関心を惹こうと、名前を呼びまくっていた。

我が家の78歳のご老人は、猫派だとはいうが、実際になつかれると可愛くて仕方がないらしい。
「バンビちゃん」と言いながら、身体を撫で回していた。
ご老人は、何度教えても、「バーバラ」が、「バンビちゃん」になってしまうのである。

「バンビちゃん」は、ご老人に全身を撫で回されて、嬉しそうに尻尾を振っている。
性格のいい犬だったようだ。

これなら、一週間でも二週間でも預かりたいものだ。
全員が、そう思っていた。
しかし、飼い主は約束どおり、翌日の夕方にバーバラを迎えに来た。

バイバイ、バーバラ(バンビちゃん)。

たった一日でも、犬がいたという現実は、重いものだ。
確実に、我々の心の中に、バーバラは大きなものを残していった。
犬がいない、という現実は、すぐに埋められるものではなかった。

みんな無口になった。
おそらく、誰もが沈黙の中で、バーバラの仕草の一つひとつを思い出していたに違いない。

息子は、涙目で、自分の部屋にこもった。
娘は、携帯カメラでバーバラを撮った画像を繰り返し表示させて、鼻をすすっていた。

そして、ご老人は、「バンビちゃん、お散歩かねえ」と、あたりを見回した。
ご老人は、次の日も、「バンビちゃん、まだ帰らないねえ。長いお散歩だねえ」と何度もつぶやいていた。

「バンビちゃん」がいないことは、ご老人にもわかっているはずだが、現実を受け入れたくないのだろう。
テレビに犬が出るたびに、その犬種が違っても、ご老人は「バンビちゃんだ」と、指をさすことを繰り返した。

ヨメが、そんなご老人のために、ダックスフントのぬいぐるみを買ってきた。
ヨメがそれをご老人に手渡すと、ご老人は、愛しむように慈しむように、ぬいぐるみを抱きしめた。
「バンビちゃん」。

それから、ご老人は、「バンビちゃん」を抱きしめながら、日常を過ごした。
一日おきの散歩のときも「バンビちゃん」を抱きかかえていく。
リビングにいる時はもちろん、トイレに行くときも、風呂にはいるときも、食事中も。

そんなとき、ご老人の次男からヨメの携帯に電話があった。
何でこんな時に、電話をして来るんだよ!
タイミングの悪いやつだな。

心の中で、悪態をついた。

次兄が、ヨメに言ったという。
「正月あけの一週間、お袋を預かるよ」

ヨメが次兄の電話を通訳して、私に告げた。

何を今さら。
今までほったらかしにして、何を言い出すんだ、彼は・・・。

バーバラがいないという現実が、我々の心に、言いようのない空虚なものを植えつけていた。
だから、ヨメも、その苛立ちをぶつける相手を探していた時だった、と言える。

「なに、それ!? 何か魂胆があるの!」
ヨメにしては、珍しく険のある言い方だった。

次兄は、「いや、お前たちも大変だなあ、と思って」などと、うろたえながら答えたという。

現実問題として、正直なところ、一週間でも預かっていただけたら、私の心も身体も、かなり楽になることは間違いがない。

しかし、どこか胡散臭い。

ヨメも、電話で応対をしながら、眉間に皺を寄せて、胡散臭い思いを表現していた。

「一週間預かって、それでどうしようと言うのよ! 犬猫じゃないのよ!」
ほとんど、怒鳴りつけるような言い方だった。

心の中に、やましい思いを持っている男は、敏腕刑事の追及に、簡単に「落ちた」。

「お袋に施設の体験をしてもらおうと思ってさ」

つまり、ご老人を一週間施設に体験入所させて、様子を見ようということだったらしい。

それを聞いて、私はヨメの手から携帯電話をもぎ取って、次兄につっかかった。

あんたのところの自慢の5LDKの豪邸に、あんたの母親の居場所はないのか?
どうして、すぐに施設にって話になる!

「いや・・・・・、俺は・・・・・、オフクロのことを思って・・・」

消え入りそうな声で言い訳を探す、ご老人の実の息子。

彼の心情は、少しは理解できる。

しかし、バーバラ・・・・・・・・。

あんたのお袋は、犬じゃない!

電話を切った私の目の前に、「バンビちゃん」を抱きしめるご老人の姿が・・・。



2009/12/24 AM 08:13:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

シロウトさん
2ヶ月ぶりに、病院に検査に行った。

今年の四月に、体調を崩して、19日間入院した。
それ以来、1ヶ月に一回検査に来るようにと言われていた。
医者嫌いの私にしては珍しく、毎月検査に通っていた。

しかし、先月は、サボった。
経済的な事情というやつだ。

先月11月9日。
我が家のご老人が、散歩の途中で、自分の家がわからなくなった。

そのとき、ご老人は、パニックになった。
そして、ご老人はパニックになる前に、手に持ったバッグもなくしていた。
そのバッグには、私が作った顔写真入りの身元証明書が入っていた。

それがあれば、誰にでも身元はわかったはずだが、ないので警察のお世話になった。
警察は扱いに困って、広報車で団地一帯に迷い人のお知らせを流した。
あまりにもご老人の帰りが遅いのを気遣った大学一年の息子が、団地を探し回っている最中にそれを聞いて、「あれって、ばあちゃんのこと?」と叫んだ。

ご老人は、無事に帰ってきたが、パニックは収まらなかった。
「道が・・・・・、違うんだよね。お日様も明るかったのが、すぐに暗くなって、アタシの邪魔をするんだ。道に誰もいないんだよ。怖かったよ」
唇を震わしながら、頭を抱えるご老人。

精神が不安定だったので、病院に3日間、入院してもらうことにした。

ご老人とはいえ、入院費は、それなりに高いですぞ。
ご老人お気に入りの紛失したバッグは、結局、中に入った現金ごとなくなったままで、新しいバッグを買うことになった。
その出費も、貧乏家庭には、それなりに響いた。

ということで、私の検査は、先送りになった。

医者に、嫌味を言われた。
「まあ、数値を見ると普通ですがね。ただ、先月の数値がわからないので、厳密な判断は、できません」

おまえもプロだったら、最低限の情報で判断しろよ。
俺は別に検査になんか、来たくねえんだよ。
おまえの顔を立てて、来てやってるんだぜ。

心の中で、毒づく。

「ジョギングをしてるんですか? いけませんねえ。それも、ハーフマラソンと同じ距離を走った? う〜ん・・・」
太宰治似の主治医は、小さく首を振りながら、横を向いて、嫌みたらしくため息をついた。

俺は、とりあえず生きてますから。
なにも、そんなに深刻にならなくても・・・。

「まあ、数値は普通ですがね。油断してはいけませんよ。過労がどんなに危険なものか。素人さんには、わからないんですよ」
太宰治の額に、苦悩が浮かぶ。

すみませんねえ、素人さんで。
素人さんは、自分の本能でしか生きられないんですよ。
医者さんの言うことを真に受けていたら、寝たきりになってしまいますから。
それに、過労と言うほど、俺は働いていませんので。

どうせ、ヒマな貧乏デザイナーですから・・・・。

「不整脈は、時に重大な疾患を呼び起こすことがあります。それは、素人さんでは判断できないでしょう」

また、「素人さんかよ」。
おまえは、どんだけ自分が特別な存在だと強調したいんだ。

ハーフマラソンと同じ距離をジョギングしたあと、発泡酒を2本飲みました。
午前3時まで働くことは、日常茶飯事。
働いたあとで、ウィスキーのストレートを飲み、朝は、寝不足のまま、ぬるめのシャワーを浴びます。
不整脈で、脈は乱れっぱなしになりますが、駅の階段を2段飛ばしで駆け上がりますよ。
途中で意識が飛びそうになるときもありますが、そんなことは構いません。
駆け上がったあと、息が切れることもありません。鍛えてますから。


医者は、そんな私の言い分を、耳を塞ぎたくなるような表情で、そして、幾分蔑んだ表情で聞き、ため息をついた。
それから、言う。

「あなたが今まで生きてこられたのは、きっと運がよかったからですね。しかし、その運のよさは、いつまでも続かないと思ってください」
断定する口調。

医者が睨んでいる。
医者を敵に回してしまったようだ。

でも、数値はいいんですよね。

「数値は、数値!」
眉間に皺が寄っている。
そして、私の目を見据えて言うのだ。

「数値は、当てにならないときもあります!」

おいおい。
医者が、そんなことを言っていいのかよ!



2009/12/22 AM 06:59:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

コフレドールで失笑
年収が去年の7割に減ってしまいました、とダルマが言う。

馬力抜群の天才WEBデザイナー・タカダくん(通称ダルマ)。
彼に関しては、このブログで何度か書いたことがある(例えば、コチラコチラ)。

この6年間、一人で250以上のホームページを手がけた彼の実績は、賞讃されてもいい。
そして、親孝行の彼は、3年前に実家を2世帯住宅に改築するという偉業を成し遂げてもいた。

つまり、かなり儲けていた。

ご両親は、今ご壮健なので、その広い家に両親だけで住んでいるが、いずれご両親が老いたとき、ダルマ夫婦が同居をするつもりでいると言う。
ということは、ダルマは、長男だったのか。

ダルマと私との関係は、8年前に私がダルマにWEBデザインを教えて以来の付き合いになる。
しかし、彼の生い立ちは、一度も聞いたことがない(聞いたとしても、忘れている場合もあるが)。

彼が、この地球上のどこで細胞分裂を繰り返したかも聞いたことがない。

ブサイク男の生い立ちなど、聞いても酒の肴にはならない。
酒が、不味くなるだけだ。
だから、プライベートは聞きたくない。

「師匠! いいタイミングでしたね。師匠お気に入りの銀河高原ビールが冷蔵庫でギンギンに冷えて、師匠のお出でをお待ちしておりました!」

律儀なダルマが、荻窪の自宅兼事務所のリビングで、ブサイク顔を笑顔で埋め尽くしている。
そこへ、新妻の「微笑みの天使」トモちゃんがやって来て、ギンギンに冷えた銀河高原ビールとスモークサーモンのカルパッチョをテーブルに置いた。

スモークサーモンをつまむ。
ああ、いいオリーブオイルを使っているなあ。

「わかりましたか。駅前の西友で、一番高いオリーブオイルを買ったんですよ」
微笑みの天使の癒し度100パーセントの微笑み。
「西友」というところが、肩肘張っていなくて、いいね。

いい奥さんだよねえ、タカダ君。
「グフォフォッフォッフォ!」
笑み崩れたダルマの顔は、ただひと言「キモイ!」

しかし、去年より3割減ったとは言っても、それでもオレの年収よりはるかに、はるかに、はるかにいいわけだからね。
そんな私の燃えるような嫉妬を余裕で受け流して、ダルマが言う。
「師匠のところは、どうなんですか?」

オレは、昔から低空飛行、墜落寸前だから、下がりようがない。ハハハハハ・・・・・。

「ハハハハハ・・・・・」

・・・・・・・・・・。

他人に笑われると、何か腹が立つ。
ムカツク!

部屋の空気が、冬山の天気のように突然変わったのを覚ったトモちゃんが、「ああ、カマンベールチーズ」と言って、キッチンに走った。
「これも、西友で買ってきたんですけど、お口に合うかどうか・・・」

いやいや、西友で十分ですよ。
どうせオレは、バーゲン男ですから(スネる)。

ダルマとトモちゃんが、顔を見合わせて、困り顔。
まばたきの回数が、見事にシンクロしていた。

いい夫婦だねえ、おふたりさん。

困ったときは、柴咲コウ

トモちゃんが、「あの柴咲コウさんのコフレドールのCM、いいですねえ!」と、キラキラ輝く目で私を見つめた。
そして、「最初見たとき、目が釘付けになりましたよ、ワタシ!」
ウットリした表情だ。

その目もと、宝石級〜、そのくちびる、宝石級〜。

だよね! だよねえ〜。

それだけで機嫌がよくなる、アホバカ中年男。

実はあそこだけ、何度もコピーを重ねて、ムービーにして、パソコンが立ち上がるたびに再生するようにしてあるんだよね。

「わあ、すごい!」
トモちゃんは、感動してくれたが、ダルマは、その横で明らかに苦笑していた、いや、失笑?
実に、感じが悪い。

今日は、年末年始に旅行をするダルマご夫妻に代わって、年明け納期のホームページを「ぜひ師匠に!」というご依頼で、来たくもないのに、遠路はるばる訪問したのである。

それなのに、その苦笑・失笑は、なに?

師匠をシッショウ!
ダルマはチクショウ!
あいつの奥さんキ・ン・ショウ!
そしてオレは、いつでもクロウショウ! YO!


オレはいいが、柴咲コウを馬鹿にすることは、許さん!

「いや、柴咲コウは、キレイですけどぉ・・・」

ほぉー、そうですか、タカダくん。
結婚してから、ずいぶん強気になりましたねぇ。
いろいろとバクロしましょうか、君のこと。

「師匠・・・・・、いったい何を?」

独身時代、いい年をして、ひとりで上戸彩のライブを最前列で見たこととか・・・。
伊豆への一人旅で、ペンションに泊まったとき、ペンションのアルバイトの女の子に話しかけてストーカー呼ばわりされたこととか・・・。
新品のローバーミニを買った帰りに、運転している最中に突然腹を下して、我慢できずに車内でしてしまったこと・・・。
カラオケボックスで一人カラオケをしたあと、パンツ一丁で寝入ってしまい、店員に警察に通報されたことなど・・・。

そんな悲惨な話をダルマの隣で聞いていたトモちゃんだが、彼女は笑顔を崩さずに、いともアッサリと言ったのだった。
「ああ、それ全部、ダルちゃんから聞いてます」

あらーーーーー。

いい夫婦だ!
この分なら、ダルマの年収が半分以下になっても、ダルマが禿げても、10日間風呂に入らなくても、200キロに太っても、ダルマに若い愛人ができても、永遠に仲のいい夫婦でいられるだろう。

私がそう言うと、トモちゃんはすかさず、
「いいえ! 若い愛人だけは許しません!」

微笑みの天使が、仮面を脱いだ瞬間だった。


2009/12/20 AM 07:54:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

逃げていった仕事
大きな仕事が逃げていったようだ。
ただ、それほど悔しさはない。

友人を介して、仕事の話があったのは、今年の8月終わりのことだった。

来年6月末にオープン予定のスポーツジム。
目の前に座るクライアントは、40代半ばの筋肉質体系の男性。
今年限定の流行語で言えば、肉食系?
濃いサングラスを一度も外さずに、仕事の説明をした。

胡散臭い思いは、彼の仕草の端々に感じた。
こもったような低音の喋り方。
決して自分の目を他人に見せない、構えたような態度。
そして、打ち合わせの間、彼は一度も笑わなかった。

彼の放つ声には、言霊(ことだま)が宿っていなかった。
そのときは、そう感じた。

仕事内容は、先ずは、ロゴ。
オープン告知用のポスターと告知用のホームページ。
そして、カタログ、チラシ、会員規約、告知用のハガキ。
最後に正規のホームページ。
他にもジム内に貼るポスターを2点。

見積もりをその場で出して欲しいと言われた。
それは、思いがけないほどの大きな仕事だったが、私の心は浮かなかった。
どこか、絵空事のように感じながら、金額を提示した。

その金額を見て、相手は、当たり前のような口調で「2割引いてくれたら」と言った。
サングラスの奥の目が見えない。
だから、現実感がない。

最寄り駅、総武線浅草橋
古い建物がいくつか見られる中の、同じように古いビルの3階。
殺風景だ。

オープン準備のためだけに使用される事務所だとしても、机2つと椅子2つ。キャビネットが1つ。
ノートパソコン1台と、何故か30インチ級の液晶テレビ。コピー機。
事務員は、いない。
そして、意味不明であるが、部屋の隅に、2体のリアルな作りの女のマネキンが置いてあった。
マネキンはカツラもなく、裸だった。

どこか、薄ら寒い光景だ(夏だったが)。

私は、フリーランスとしては、最低の男である。
金額で駆け引きをするのが、嫌いだ。
だから、いつも最低限の金額を提示する。
それで納得しない場合は、「交渉決裂」ということがよくある。

「2割引いてよ」と言われた時点で、この仕事に対しての興味が少し薄れた。
それに、目の前に座った男が醸し出す、澱(よど)んだ空気にも耐えがたい。

心が・・・・・、離れた。

気まずい沈黙のあと、サングラスが、ポツリと言った。
「まあ、よしとしますか・・・」

私の見積り額に、納得したということか。
ただ、それ以上の意思表示はない。

そのあと、またポツリとサングラスが言葉をこぼす。
「スポンサーが、うるさいんです」
眼鏡の奥の目は、何を見ているのか。

私が部屋に入って45分後。
出前のコーヒーが届いた。

丸坊主の店員が、無表情に、テーブルの上にコーヒーカップを二つ置いていった。
丸坊主の仕草のなかに、隠し切れない下卑たものを感じた。

筋者(スジもん)のにおい。

サングラスも無表情だった。

コーヒーは美味かったが、尻が落ち着かない。
何でだろうか。
この空間すべてが、空虚で欺瞞に満ちているような気がしてならない。
そのときは、そう思った。

サングラスに、「頼みましたよ」と言われときも、現実感がまったくなかった。

ビルを出てすぐ、この仕事を紹介してくれた友人に電話をした。
「あいつは、俺の従兄弟なんだが、ずっと台湾で音信不通だったんだよ。
ところが、今年の正月に突然連絡をよこして、日本で商売がしたいって言い出したんだ。
スポンサーに確かめると、しっかりした会社だったんで、お前に回したんだが、悪かったか?」

悪くはないが、胡散臭い。
私は、正直にそう告げた。

友人は、「そうか。俺には素直ないいやつに見えるんだけどな」と言い、付け加えるように「お前が嫌なら、断ってくれ」と快活に笑った。

それから2度、サングラスから私のiPhoneに電話があった。
その都度、「スポンサーが、いろいろと言ってきまして」と、沈んだ声で進捗状況を告げられた。

電話をかけてくるだけ、まだましか、と10パーセント程度の薄い希望を心の片隅にぶら下げながら、3ヶ月以上の時を過ごした。

そして、昨日、サングラスからiPhoneに電話があった。
「スポンサーと喧嘩をしてしまいまして」

スポーツジムの話は、白紙になったという。

「すべては、私の至らなさからきたことでして」
くぐもった声で、釈明をしたあと、沈黙。

だが、その沈黙の間に、私は、なぜか確信をしたのだ。
サングラスは、受話器の向こう側で、頭を下げているに違いない。
それは、気配として、確実に私に伝わってきた。

無表情に頭を下げ続けるサングラスの姿。
私には、それが目の前に見えた。
誠意が、伝わった。

でも、あなたの仕事が終わったわけじゃない。
私がそう言うと、サングラスは、少しばかり血の通った声で、言葉を返した。

「はい、ありがとうございます」

また、縁があったら。

「はい、ありがとうございます」

今度は、本当に血の通った声だった。
サングラスが頭を下げている姿が、また私の目に浮かんできた。

仕事は逃げたが、この結末は、それほど、悪くない。



2009/12/19 AM 08:00:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

サトウのごはんを求めて
先々週の土曜の夜、天ぷらを揚げた。

糖尿病を患う我が家のご老人が、どうしても食べたいと言うからだ。

コレステロールゼロのオイルを使って、天ぷらを揚げた。
老人の好きなレンコン、かぼちゃ、ナス、チクワをメインにした。
ご老人用の天ぷらは、かなり柔らかく揚げてある。

私は、椎茸が好きなので、椎茸を7つ揚げた。
タマネギとニンジン、桜えびのかき揚げも揚げた。
そのほかに、ブロッコリー、ミョウガ。

大学1年の息子は、豚しゃぶ肉をオオバで巻いたものが好きだ。
中学2年の娘は、レンコンを厚めに切って、穴の中に明太子を詰めたものが、大好物。

ヨメは、何でも食う。

直径40センチの大皿に、天ぷらがてんこ盛り。
具がナメコとネギ、お麩、ワカメの味噌汁も作った。

付け合せに、自家製のシジミの佃煮。
それをご飯にのせて食うもよし、丼ご飯に天ぷらをのせて、熱々の自家製かつお昆布ダシ(かなりの減塩、糖分低減)をぶっかけて食うもよし。

それぞれ、好きな方法で食い始めた。

ご老人は、総入れ歯。
だから、ご飯は、ご老人のものだけ、別に土鍋で柔らかめに炊く。

天ぷらに、柔らかいご飯は合わないだろう、と普通は思う。
しかし、普通の硬さのご飯だと、「硬くてマズイ」と、ご老人は食事を拒否するのだ。

大好きなかぼちゃの天ぷらを食い、飯を口に運んだあと、私が恐れていたことを、ご老人が言いだした。
「このご飯、柔らかくて、天ぷらに合わないねぇ」

すぐに、普通のご飯に変えた。

しかし、ひと口食べて、ご老人が言う。
「硬くてマズイ」

それなら、天ぷらと味噌汁だけを召し上がったら?

「ご飯がないと、食べた気がしないんだよね。もっと美味しいご飯は作れなかったのかい?」

絶望的な状況だ。

我ながら、高級料理店並に上手に揚げあがった天ぷらだと思ったが、工夫して炊いたご飯がマズイと言われると、心が萎える。

昆布と酒で、品よく味をつけた特製の柔らかいご飯。
いつもなら、満足げに食うのだが。

かき揚げは、絶品なのに。
自家製のシジミの佃煮も、深い味わいを出していると思う。

発泡酒が、不味く感じてきた。
往復4時間の距離の得意先に行って、仕事の打ち合わせをし、夕飯に間に合うように、慌てて帰って休憩なしで一所懸命作ったんだよ、オレ・・・・・。

天ぷらを食う箸が、止まる。

我ながら、みっともないと思うのだが、激しく落ち込んで、箸を放り投げた。

やってらんねえよ!

夕食の空気が、少し険悪になった。
澱んだ空気。

しかし、ご老人は、「硬いしマズイ」と、ひとり言をブツブツ。

頭の中の何かが切れて、「面倒くせえ!」と席を立とうとした時、娘が冷静に言った。
サトウのごはんが、あったよな」

ああ、そう言えば、新潟産のコシヒカリを使った「サトウのごはん」3パックを、ロジャースの安売りで買ってきたような気がする。

「あれって、うちのご飯より、柔らかいんじゃないか」

食ったことはないが、確かに娘の言う通りかもしれない。
ああいったパック食品は、万人向けに作られているものだ。
ご老人のお口にも合うかもしれない。

早速、電子レンジで、2分間チン。

それを器に移し変えて、ご老人の前に置いた。
かなり熱々のご飯だが、ご老人は、熱さに対しては文句を言わない。

「冷めた食べ物なんて、犬猫が食うものだよ。人間様が食べるものは、熱くなくちゃあね。あたしゃ、江戸っ子なんだ!」

ひと口食べて、「うまい!」と、ご老人がうなずく。
そして、言う。

「アタシのご飯は、これからは、これにしておくれ」

いや、しかし、ご老人。
毎回こんな贅沢なご飯を出していたら、我が家は破産しますが。

「ゼイタク? ハサン?」

はい。3パック、298円ですので。
毎食これを食べたら、一ヶ月で、約9千円になります。

「その程度の金額で、ハサンするのかい」

はい。我が家の食費は、月2万円を超えないようにしております。
そのうちの9千円を「サトウのごはん」に費やされたら、おかずは、かなり貧弱になります。

それを聞いて、ご老人の顔が、突然無表情になった。
目がどんよりと曇った。

そして、泣き出した。
「サトウのごはん、おいしいねえ、おいしいねえ・・・・・」
泣きながら、ご飯だけを食うご老人。

ご老人のために揚げた天ぷらは、手付かずである。

むなしさだけが、心の中に広がる。

いまの私の日常は、暇さえあれば、サトウのごはんを破格の値段で売っている店を訪ね歩く日々・・・・・。




2009/12/18 AM 08:05:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | [料理]

カニのあとはロースカツ
友人のチャーシュー・デブ・スガ君の「幸せなラーメン屋さん」。

テクニカルイラストの達人・イナバが描いてくれたイメージ図2枚を、スポンサーであるスガ君の義父に見せた。

そこに足を踏み入れた瞬間、和める空間。
明るすぎず暗すぎず。
自分のいる場所を実感できる憩いの場所。
木の器、木のレンゲ、木のコップが、忘れていた何かを思い起こさせる店。
そして、「あれ? この味、どこかで食べたことがあるな」という懐かしさを感じさせるラーメン。

プレゼンテーションは苦手な私だが、これをしないと話が先に進まない。
時折深呼吸をしつつ、3枚の資料を見せながら、スガ君の義父に説明をした。
スガ君は、いつものように、私の横で、特大の赤いタオルを、汗だくの顔の上下に動かしていただけだった。

つたない私のプレゼンを聞いたあとで、スガ君の義父が言う。
「まあ、百点とは言わないが、85点は、やってもいいかな」

つまり?

「細かい修正は、あとで指示するが、この方向で進めてくださいよ」

ゴーサインが出た。

「少し遅いが、お昼を食べようかね。いいだろ?」
午後2時前だった。

スガ君の義父の会社は、静岡にある。
そのビルの隣が、カニ料理の専門店だった。

今日は、スガ君が運転する車の中で、自家製の高菜チャーハンおにぎりを一つ食っただけである。
だから、腹が減っている。
それに対して、スガ君は、「朝ご飯は、女房が作った大盛りのチャーシュー丼を食べました!」。

チャーシュー・デブ(130キロ)。

ズワイガニの刺身やら、焼いたカニやら、カニ味噌、カニサラダ、カニのほぐし身が大量に入ったグラタン、カニ雑炊やら。

いや、私がそれを全部食ったわけではありません。
私が食ったのは、刺身と焼いたカニだけだ。
あとは、スガ君と彼の義父が、無言で食いまくったのだ。

さらに、彼らは、ご飯を2杯おかわりした。
カニの甲羅入り味噌汁も頼んでいた。

カニ雑炊を食ったあとに、「鍋も美味いんだよ、どうかね?」という信じられないことを言う、スガ君の義父。
スガ君は頷いていたが、私はゲップをして、満足感を表現した。
それで、鍋を食うことは、何とか回避できた。

テーブルの上に乗ったカニの残骸。
係の女の人が言う。
「12人前、召し上がりましたね。ありがとうございます」

私は、一人前しか、召し上がっておりませんが(ビールは3人前召し上がりましたがね)。

請求額を盗み見ると「2万3千円弱」。
昼メシの値段では、ありませんな。

ご馳走になって、こんなことを言ってはいけないのだろうが、お二人に比べれば、私が食った量など、ささやかなものだ。
だから、ありがたみが、ちっとも感じられない。

2年ぶりのカニだったのに・・・・・。

帰り際、私が極度の小食だと勘違いしたスガ君の義父は、お土産に、馴染みのとんかつ屋さんに、特大のロースカツの詰め合わせを頼んだ。
でっかいロースカツが10枚。使い捨ての弁当容器に収められていた。
それを私に手渡しながら、スガ君の義父が言う。
「Mさんは、もっと食べた方がいいですよ」

それを見ただけで、食欲をなくす、草食系小食男。
帰りの車の中。
重いし、チョット臭うし。

それを見て、車を運転しながら、スガ君が言う。
「羨ましいですよ、Mさん。オレ、その臭いだけで、よだれが出ます。最高のお土産じゃないですか」

そうかい? じゃあ、君にあげる。

「えーーーーーー!」

ハンドルから手を離して喜ぶ、チャーシュー・デブ。
危ねえよ。

「Mさん、人間がでっかいですねえ!」

そうですか。
嫌みにしか、聞こえませんが。



2009/12/16 AM 07:01:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

地域密着型のスポーツ
西洋かぶれというわけでは、ありません。

ただ、西洋のプロスポーツチームの名称は、理に適っているな、と思っているだけなのです。

例えば、日本のプロ野球。
日本ハム、楽天、阪神、中日、ソフトバンク、ロッテ、西武、ヤクルト、讀賣などなど。
みんな企業の名前が付いている。

つまり、それらは、企業の宣伝媒体として存在している。
韓国、台湾などでも、日本と同じ形式を取っているようだ。

これらの国では、スポーツは、企業のものだという確固たる現実がある。
つまり、スポーツチームを応援することが、企業を応援することにも繋がっている。

それって嫌だな、と私は思ってしまうのだ。

西洋では、スポーツチームには、都市の名前が付いていて、その存在理由が、はっきりとしている。
自分の住む都市チームを支えてやろう、という純粋な応援意識。
企業名は、チーム名の裏に、ひっそりと存在している(自己主張をしていない)。
それは、とても品のある企業ポリシーだと私は思っているのである。

私は、アンチジャイアンツであるが、アンチタイガース、アンチドラゴンズでもある。
だって俺は、阪神電鉄を応援しているわけではないし、中日新聞を応援しているわけでもないのだ。
楽天や日本ハムも、どうでもいい。

金本や鉄平、稲葉は好きだが、それはプロアスリートとしての彼らを、私は好きなだけなのだ。
私は、「阪神電鉄の」金本を応援しているわけではない。

大阪タイガース、では何故いけないのか。
仙台ゴールデンイーグルス、札幌ファイターズだったら、もっと良かったのに。

サッカーのJリーグは、地域密着型の運営をしているようだ。
それは、西洋のプロリーグの戦略的ノウハウを踏襲しているからだろう。

ファンは、スポンサーを応援するのではなくて、地域の「おらがチーム」を応援する。
それによって、チームに対する愛着が生まれる。
それは、スポーツを純粋なものとして受け止めているように、私には思われる。

子どもの頃、私のまわりは「讀賣巨人軍」のファンだらけだった。
テレビでは、ジャイアンツの試合しか放映していなかったから、素直な子どもたちは、みな「讀賣巨人軍」の情報しか与えられなかった。
だから、洗脳されるように、ジャイアンツファンになるしか選択肢がなかった。

「讀賣?」「軍?」
新聞社の名前。
軍隊を連想させる集団。

なんじゃ、そりゃ!

その中で、ひねくれた子どもだった私は、「なんだよ、ジャイアンツだらけかよ!」と、拒否反応を示した。
そして、その結果「変わりもの」のレッテルを貼られた。

Jリーグの最初の頃は、讀賣系列の報道では、無理矢理「讀賣ヴェルディ」「三菱レッドダイヤモンズ」「ASフリューゲルス」などの企業名で、チームを表現していた。
他の媒体は、企業名を出さず、その地方の名称で表現していたのだが・・・。
讀賣は、どんなときでも、「販促(販売促進)」にこだわる企業のようだ。

ヤンキースタジアムでも、数年前から、日本語の「讀賣新聞」の文字が、外野フェンスの一角で、その存在を大きく主張していた。
そのあまりにも醜悪な文字を見て、私はメジャーリーグの中継を見る気が失せた。

外国の競技場で、意味不明の漢字?
ヤンキースファンは、寛大ですな。

今年、新装されたヤンキースタジアムでも、あの醜悪な文字は存在しているのだろうか。
まあ、どうでもいいことだが。
どうせ、見ないし・・・・・。

Jリーグは、理想を求めているが、女子サッカーになると、「日テレ・ベレーザ」というのが、存在するらしい。
讀賣グループは、スポーツチームを、いったいどこまで「販促」に使うんだよ、という気持ちが強い。

スポーツがただ単に宣伝に使われる状況は、私にとって、居心地のいいものではない。
応援する気持ちが、なくなる。

西武ライオンズも、「所沢ライオンズ」だったら、応援しようという気になる。

日本の場合、企業の論理が、強すぎませんかね。
不況になったら、当たり前のように、チームを解散させる。
「販促のチーム」ですからね。ファンの意見を聞こうとしない。
ファンの存在さえ、理解しようとしない。
つまり、企業側に、スポーツに対する愛情がない。

わが国では、昔から、高校もスポーツで名前を売ろうとしている風潮がある。
大学も、しかり。

経営ということを考えたら、仕方のない部分もあるが、その姿勢に、品性は感じられない。
教育機関が、品性を失くしたら、あんたたちは、子どもたちに「上っ面の奇麗ごと」しか教えていなかったことになる。
私学教育の本質は、金儲けだけなのか。

地域密着型の高校野球は、「おらが故郷」の高校を応援する醍醐味があるようだ。
しかし、それも、私には、突き詰めて言えば高校の宣伝で終わっているような気がしてならない。

例えば、PL学園は、「富田林リバティーズ」という名前ではいけないのか。
高知商業は、「高知コミュニケーションズ」ではいけないのか。
智辯学園は、「奈良せんとクンズ」だったりして。

大学野球は・・・・・。
立教大学は、「池袋サンシャインズ」。
駒澤大学は、「駒沢公園ブッダズ」。
青山学院大学は、「渋谷チャペルズ」。
慶応大学は、「田町ボーイズ」。

駅伝では・・・・・。
早稲田大学は、「所沢臙脂カラーズ」。
亜細亜大学は、「武蔵野中央ラインズ」。
山梨学院大学は、「甲府インターナショナルズ」。
明治大学は、「御茶ノ水ハカセズ」。

これって、ふざけてますか?

無理がありますか?

まあ、名前をいじっただけで、それがどうした、といわれたらおしまいだが。

ただ、スポーツが、企業論理で宣伝だけに利用されるのは、我慢ならないという私の気持ちだけは、理解してください。



2009/12/14 AM 07:03:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

かあちゃん
友人の葬儀に行ってきた。

小学校6年の3学期。
東京目黒から三重県津市に引っ越したエダカズオは、高校を出て、名古屋のプラスチック成型会社に就職した。
そして、律儀なほど真面目に仕事に励んだエダは、36歳の時、福井出身の同僚と結婚をした。

すでに30台初めに一戸建てを手にしていたエダは、幸せな暮らしを名古屋ではじめた。
子どもは、二人。
二人とも女の子だ。

14歳と13歳。
小柄だったエダに似て、二人とも平均より背は低いように思われた。

エダが6年前に交通事故にあったとき、名古屋まで見舞いに行った。
そのとき、小学生だった二人に、一度だけ会ったことがある。
話をしてみて、屈託のない、いい表情をしているなと思った。

幸せなんだろう、と思った。

奥さんはエダの母親と一緒に、名古屋市内で日本茶の店を出していた。
商店街では、まったく目立たない小さな規模の店だというが、もう8年続いていて、固定客もかなりいるという。

エダは、6年前の交通事故以来、体調がすぐれなかったようだ。
しかし、会社は辞めず、ほとんど皆勤に近いかたちで、勤めてきた。

女手一つでエダを育てた母親は、76歳。
私の顔を見て、「ああ、Mくんね。変わってないわね」と、私の両肩をつかんだ。
細く小さな指が、肩に食い込んだ。

それだけで、悲しみが伝わってくる。

精一杯こらえる、その顔に、「なぜ」とは聞けない。

エダの奥さん。
唇を噛み締めて、私を見上げていた。
目の縁が赤い。
どれほどの涙を流したのか。
それを思うと、頭の中が空白になった。

「エダは、親友でした」
それしか言えなかった。

すべてが歪んだ視界の中に、二人の娘がいた。
紺の中学の制服を着て、寄り添って、支えあっていた。

こんな時、どんな声をかければ・・・・・。


エダが、棺の中で寝ていた。

寝ていた、としかいいようのない、穏やかな顔だった。
「おまえ・・・・・」

エダの寝顔を見ていたとき、目の奥から頭のまわりに、重い痛みが走った。
目が開けていられないほどの痛みだ。
両手のこぶしを握る。

両方のこめかみを、強くこぶしで押した。
痛い。
この痛みは、頭の痛みなのか、こめかみの痛みなのか、それともこぶしの痛みなのか。
あるいは、他の・・・・・。

「泣いてあげてください」
背中から、女の人の声が聞こえた。

振り返ると、エダの奥さんだった。
憔悴は伺えたが、何かを悟りきったような目で、私を見上げていた。
片隅の席には、制服の娘たち。
赤く腫らした目で、やはり私を見上げていた。

泣けば、この痛みは消えるのか・・・・・。

エダの母親の姿を探した。

参列者と話をしていた。
背筋が伸びて、その姿は、凛としていた。
ただ、その全身からは、かげろうのように、悲しみが立ちのぼっているように見えた。

「かあちゃんは、強いよ。70過ぎて、ますます強くなったよ。あれは、百まで生きそうだな」
エダが、そんなことを言っていたのを思い出す。

お前は、そんなかあちゃんを置いていったのか。
それでよかったのか、おまえ。

奥さんと娘二人を置き去りにして、おまえは、それでよかったのか。

泣いてやらないぞ、俺は。

頭が痛い。
目も、まだ痛い。

泣けば、この痛みは・・・・・。

エダの遺影を持った娘たち。
沈んではいるが、毅然とした顔のエダの奥さん。
そして、凛としたエダのかあちゃん。

エダの残したものを、痛む目に焼き付けながら、私はこめかみを押さえ続けた。

エダを乗せた黒い車が、去っていった。

帰りの新幹線。
発車と同時に、涙が出てきた。
声を押し殺して泣いた。

下を向いて、両手で膝頭をつかんでいたとき、突然、エダのかあちゃんの顔が浮かんだ。

凛とした、かあちゃんの姿。
あの人は、どれほどの涙を流したのだろうか。
流して流して流しきって、何かを諦めて、背筋を伸ばしているのか。

俺に泣く資格はあるのか。

帰りに手渡された日本酒の小瓶。
それを呷った。
一気に飲み干した。

のどが熱くなる。
頭痛が、止まった。

それは、俺にとって、いいことなのか。



2009/12/12 AM 08:50:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

黒くて深い闇
ほぼ徹夜に近い労働を二日続きで、こなした。

信じられないくらいの重たいデータで作られた外車部品のカタログ32ページ。
なぜ前任者は、こんな作り方をしたのか。

この中の数ページは、開くだけで10分以上の時間がかかった。
画像が、たくさん張り付いている部分は、特にデータが重たい。
画像が、部分的にイラストレータのドキュメントに埋め込まれているものも多数あった。

私だったら、こんな作業のしづらい作り方はしない。
これも、作り手の個性なのか。
あるいは、スパコン並みの高速マシンで、処理しているとか。

まず、32ページ分の画像を作業しやすいファイルに変換した。
それが終わってから、修正原稿に指定された部分を修正する。
修正は、画像を変換し、リサイズする作業に比べたら、たいしたことはない。
ただ、二日間ほぼ徹夜。

それで仕事が終わったわけではないが、第2稿が届くまでの三日間は、忙しい思いをせずにいられる。
仕事は、年賀状のデザインが1件あるが、それほど複雑なものではないので、納期ぎりぎりまで手をつけずにいても、問題はない。

家族に朝メシも食わせたし、洗濯もした。
あとは、不足した睡眠をとるだけ。

自分の朝メシは、睡眠をとってからでいいだろう。
睡眠が一番大事だ。
だから、仕事場の床で寝ようと思った。

ただ・・・・・・・。

眠れるだろうか。
頭の隅にある重たいもの。
それが、果たして私を眠らせてくれるのか。

フローリングだから、冬は冷たい。
そして、硬い。
寝るには適していない環境だが、普段の私なら、毛布一枚にくるまれば、すぐに寝られる。

だが、今日は・・・・・。

目をつぶったら、闇に吸い込まれるように眠りに落ちた。

わんこソバを百杯以上食っている夢を見た。
夢の中だから、いくらでも食える。
まったく、腹が膨れない。
そして、それが夢だということを、自覚している。

うまいなあ、わんこソバは。
いくらでも食えるぞ。
だって、これは、夢なんだから。

そして、突然場面が変わる。

学校の教室。
かなり古い造りだ。
縁のささくれた机。
くたびれた黒板。
「青空」と書かれた半紙が、壁に何十枚も飾られている。

生徒は、いない。
木の椅子に座ってみようとした。
小さい。
小学校の椅子って、こんなにも小さかったっけ?

腰をかけたら、まるで砂で作った机のように、抵抗なく崩れた。
スローモーションで、体が落ちていく。
もちろん、夢だから、痛くはない。
腰の落ちる感覚だけが、夢の中で曖昧に広がっていく。
木の床に大の字になる。

夢なんだな、これも。

頭めがけて、野球の軟式ボールが、落ちてくる。
普通だったら、目をつぶるところだが、夢だからつぶらない。
両手で受ける。

場面が変わって校庭。
小学校の校庭って、こんなに小さかったのか。
いや、俺が大きくなったということか。

ボールを思い切り投げる。
それが、キャッチャーミットに吸い込まれる。
キャッチャー?

誰だ、キャッチャーって。
小学校の時は、コデラだったな。
じゃあ、あいつは、コデラか。

しかし、大きいな。
まあ、俺が大きくなったんだから、コデラが大きくなるのは、当たり前か。

「おい、コデラ」と呼んでみようと思ったが、声が出ない。
コデラの顔も、靄がかかったように、霞んではっきりしない。
両手を口の前に持ってきて、またコデラの名を呼ぼうとしたが、コデラは、もう消えていた。

軟式のボールもない。

校庭が、暗い。
闇だ。
黒い空が落ちてくる。
得体の知れない、黒い闇だ。

それが、私を押し包もうとする。
息が苦しい。

思わず叫んでいた。
「エダぁ〜!」

エダカズオ。
小学校のとき、一番親しかった友だちの名だ。

空き地に穴を掘って、秘密基地を作ったことがある。
同じ種類の自転車を2台繋ぎ、間に大きな簀の子を固定して、「俺たちの自動車だ」と言って、喜んだ小学5年生。
方向転換が大変だった。おまわりさんにも怒られた。

突然「飛行機を見に行こうぜ」と言って、目黒から大田区の羽田空港まで歩いていった小学5年生。
帰り道は、足が痛くなって、引きずりながら歩いたが、二人とも弱音は吐かなかった。

夏休みの夜、近所の墓地で、「今日はここに1時間いようぜ」と言って、墓地に座り込んだ小学5年生。
ふたりして、怖くて目を強くつぶっていたっけ。

母子家庭に育ったエダカズオは、小学6年の3学期に、家庭の事情で、祖父の住む三重県津市に引っ越していった。
私が大事にしていたグローブと軟式ボールを、エダカズオに渡した時、エダは私に抱きついて、泣きじゃくった。
私も、水分が体中から消えてなくなるほどに、泣いた。

抱き合った時の感触は、今も手に鮮明に残っている。

空が落ちてくる。
闇だ。
黒い闇だ。

昨日の朝、エダカズオが死んだという電報をもらった。

全身が震えた。
そして、足元が地の底に落ちるような感覚で、電話をかけた。

エダは、自ら死を選んだという。

あした、葬式に・・・・・・。

闇が、深い。
胸が、苦しい。
脳が、破裂しそうだ。

これも、夢だったらいいのに。



2009/12/10 AM 07:59:09 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

わたしの惑星そして美女
横浜元町の得意先の仕事が、最終段階に入った。

急ぎの仕事ということで、松雪泰子似の担当者が、打ち合わせのために我が家近くのガストに来ること3回。
そのたびに、ランチとビールを奢っていただいている。

その行為を、甘えている、と受け取る人がいる。

メールを2通いただいた。
2日続きのメール。
アドレスが違うので、別の方からのメールだとは思うが、内容は、ほぼ同じ。

「仕事を出す人にビールを奢らせるのは、明らかに間違っている。
あなたは、自分の立場をわかっていない。
言いたくはないが、あなたのお姉さんのことでも、他人に甘えすぎている。それは、自立した人間のすることではない。
あなたは、もっと自覚を持つべきだ」

私は、言い訳はしない。
人の持つ価値観は、人の数ほど存在する。
そして、それぞれの価値観をお互い尊重するところから、人間関係は生まれる。

私は、自分の人間関係の中だけで存在する価値観を信じて、日々を生きている。
それが間違っていると認めたら、私の暮らしは成り立たなくなる。

明らかな間違いなら、私は直すように努力をするが、そうでなければ、私は自分が生きやすい方法を選びたい。
人から見て、その生き方が間違っていたとしても、それは別の次元で説明がつく。

このように・・・・・

人それぞれが住む世界は、惑星のようなものだ。
空気が違う。
景色が違う。
そして、極端なことを言えば、生存する生命体が違う。

宇宙は、一つのまとまりであり、そこに法則は存在するが、惑星にも独自の法則がある。
惑星のルールは、その星の生命体が決めればいい。
私は、そう思っている。

屁理屈か。

松雪泰子似が、その美しい口を緩めながら、「9割がた、目途がつきましたね」と、肩を撫で下ろすように言った。
ランチタイムだったので、松雪泰子似は、ランチを食べていた。
私も同じものを食った。

美女と同じものを食う幸せ。それは、極上の喜び。
何を食っても、美味い。
そして、ジョッキも美味い。

ただ、原稿の修正の数が少なくなると、仕事が終わりに近づいてきたという実感がある。
それは、淋しい実感だ。

2週間で少しはお近づきになれたか、というC級な下心はないが、美女が当然のように目の前にいるという日々が消え去ってしまうのは、惜しい。

ランチを食い終わり、もう一度、修正箇所をノートパソコンで確認する。
画面を見ながら、松雪泰子似が、小さくうなずく。
「あとは、文章が多すぎるところをどうするかですね。これ以上カットすると、説明不足になる可能性がありますし」

今日の松雪泰子似は、食事の時以外は、眼鏡をかけていた。
普段は、コンタクトなのだろう。

めがね。

少し、萌え〜(変態?)

気を取り直して。

文字の部分は、スクロールで処理するようにしましょう。
ページを変えるより、その方が使いやすいでしょうから。

「ああ、いいですね。今、できますか?」
できます。

私がノートパソコンで作業している間、私の指使いを凝視する松雪泰子似。
眼鏡の奥の目が・・・・・。

何か、萌え〜(ますます変態?)

作業終了。

松雪泰子似が、動作を確認した後、メガネ顔でニコリ。
そして、毅然として言う。
「これでクライアントに、了承してもらいます」

肩の力が抜ける。
そして、安堵のため息。

脱力感に浸っていた時に、松雪泰子似が、眼鏡ニコリ顔で言う。
「Mさん、ジョッキを、どうですか、もう一杯」

拒む理由は、ございません。

今日のガストには、同じ団地の知り合いもいないようだし、心おきなく美女とビールを堪能できる。

新しいジョッキ。
眼鏡の美女。
至福の時間。

ゴクゴクゴク・・・・・・・。

松雪泰子似の美しい口が動く。
「Mさん。眼鏡のこと、ブログに書くつもりでしょ」
まるで友だちに語るような、親密さのこもった言い方だった。

赤面。心拍数上昇。

はい、書いてしまいました。



2009/12/08 AM 06:55:40 | Comment(2) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

気合で酔わない
酔っ払ったことが、ほとんどない。

いや、2度だけある。
いずれも、大学時代のことだ。

一度は、渋谷ハチ公の背に乗って、雄叫びを上げつづけた(らしい)。
そして、警官に注意された(らしい)。

二度目は、代々木公園の木に登って、アベックに水をまいた(らしい)。
その後、原宿に住む友だちの家に担ぎ込まれたのだが、その途中で野良猫を拾った(らしい)。
そして、その野良猫と一晩を共にした(らしい)。
幼少の頃から、野良猫を拾う癖があったので、酔っ払ってつい、その癖が出たものと思われる。

どちらも、私には自覚がない不確かな情報である。
まったく記憶にございません。

この2回の醜態を反省しているわけではないのだが、それ以来、酔うことがなくなった。

だからと言って、酒が強いわけでもないようだ。
気を抜くと、350缶の発泡酒を飲んだだけで、宙に浮いたような気分になる。

仕事が一段落したとき。
年に一度もないのだが、気がゆるんだとき、たとえば屋台のおでん屋さんで、大根とがんもどきを食いながら、一本のビールを飲んだとする。
それだけで、視界が回り、少し呂律が回らなくなる。

ただ、そんなときでも、気合を入れると、10分くらいで、元に戻ってしまう。

つまり、気合で酔わないようにしているだけだから、基本的には、酒に弱いのではないかと思っている。

回数は少なくなったが、今でも大学時代の友人たちと、飲み会をする。
みんな、酔っ払うのが上手い連中だ。
すぐに赤くなり、陽気になる。
そして、大声で話し出す。

私は、そんな中で、一人だけでも冷静な人間がいた方がいいだろう、と思う面倒くさい人間である。
全員が正体を失くすほど酔っ払ってしまったら、その場の収集がつかなくなる。

一人くらい、その場をコントロールできる人間がいた方がいいんじゃないか。
余計なことかもしれないが、私は、自分をそんなポジションに置いておきたいのだ。

だから、いつも酒の席では、気合を入れている。

それで、酔うことができない。

「マツは、化け物だな。酒飲んでも、全然変わらないもんな。強えぇよ! 信じられねえよ!」
「可愛くないんだよ! こいつは、いつも本心を見せないんだ」
「他人行儀なやつだよな。酒の席で、あんまり冷静だと、しらけるぜ」

そう言いながらも、彼らの顔は笑っている。
はっきりした根拠はないが、彼らはこう思っているのではないか。

「何かあったら、マツが何とかしてくれる」。

愚痴を言いながら騒ぎ、カラオケで怒鳴り、意味不明の単語を叫ぶ男たち。
愛すべき男たちだ。

酒を飲みながら、彼らの素の姿を見て、私は充足感に浸る。
気がついたら、一人でニッカのボトル1本を開けていたときもある。
それでも私は酔わないが、心は確実に弾んでいる。

昨晩は、忘年会を兼ねた飲み会をした。
私を含めて5人。

酔っ払うやつは、最初の一杯で簡単に酔っ払う。
そいつのニックネームは、「出っ歯」。
隣に座った、ニックネーム「カツラ」の頭を、すぐにいじって、小さなバトルを繰り広げた。

50過ぎの男が、カツラをめぐって、じゃれあっている光景は、無邪気としか言いようがない。
そのじゃれあいの中に、この5年間で40キロ太った「メタボ」が割って入り、出っ歯の口に焼き鳥を放り込む。

今度は、私の隣に座った、30代初めで老眼になった「老眼鏡」が、焼き鳥に大量の唐辛子をまぶし、メタボの口に押し込む。
メタボが、それを飲み込みながら、素晴らしいリアクション芸を披露する。

そんな光景を見るのが、私は好きだ。

酔っ払っていなくても、それは確実に幸せな時間を私に与えてくれる。

別れの時、みんなが私の肩を叩いて、口々に言う。
「ご苦労! 今日も気持ちよく酔わせてもらった!」
「また、頼む」

その言葉は、酒で酔うこと以上に、私に大きな満足感を与えてくれる。



2009/12/06 AM 07:55:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

イナバからの電話
「なんだよ」と、突然言われた。

我がiPhoneに、友人のテクニカルイラストの達人・イナバから電話がかかってきた。

「なんで、遠慮するんだよ! 俺は、Mさんのこと、友だちだと思ってるんだぜ」

そう言われただけで、涙腺がゆるんだ。
イナバに対して、私は負い目を持っている。
そのことに関しては、こちらのブログに書いた。

私の実の姉の、ガン治療の費用をイナバに用立ててもらっているのだが、すべてに対して独自の世界を形づくる姉は、「新しい検査が受けたい」と、自己主張をし続ける。

それに対して、器の小さい私は、持病の不整脈に悩まされながら、頭を抱え、心臓を押さえつつ、薄い毎日を生きている。

そんなときに、イナバから電話がかかってきたのだ。

おまえは、確かに友だちだ。
でもな、友だちだからこそ、甘えちゃいけないこともある。
俺は、おまえに甘えすぎている。
それは、事実だ。

私がそう言うと、イナバは、怒鳴りつけるような大声で、受話器の中で吠えた。

「馬鹿じゃないの!
そんなの甘えとは言わないんだよ! 遠慮だろ! 遠慮!
あんた、俺たちの気持ちを無視すんのかよ!」

俺たち?
つまり、イナバの奥さんも、私のことを案じているというのか。

俺は、そんなに価値のある人間なのか。
友だちと、彼の奥さんに気を遣ってもらうほどの価値ある男だと・・・・・。

そもそもこれは、私の姉の我が儘じゃないか。
そんな下らない我が儘に付き合うなよ。

「下らなくないよ!」と、イナバが吠える。

「生きたいって思う、あんたの姉さんの気持ちを、あんた、きちんと受け止めたことがあるのかよ!」

ヤバイぞ、この雰囲気。
イナバの言葉は、確実に人間の真理を突いている。

何が何でも生きたい、という人間の欲望。

俺は、姉に対して冷淡すぎて、その強い欲望を見逃していたのではないか。

━━姉は、生きたいのか。
身を掻きむしるほど、生きたいと・・・。
だから、意を決して、冷淡な弟に電話をしてきたというのか。
その覚悟を、私は無視しようとしていた・・・と。

いいのか。
俺は、友だちに、また頼ってもいいのか。

涙。

視界が、にじむ・・・・・・・歪む。

冷淡な弟に代わって、友が、姉の心情を理解してくれている。

それに甘えるべきなのか。
いいのか、そんなことで。
そうしたら、俺は、もっと駄目になるんじゃないのか。

しかし、友が言う。
「いいか、死は、終わりなんだよ! あんたに、お姉さんの終わりを決める権利はないんだ。わかるかよ! 本当にわかっているのかよ!」

わかってはいるが、それは心の奥底に隠しこんでいた感情だった。

死は、終わりなんだな。
あらためて、思った。

すれ違いばかりだった姉と弟だが、本当に姉が死んでもいいのか?

死は、誰でも怖いものだ。
誰にでも・・・。

お願いしてもいいのか。
本当に・・・。

「だから、遠慮しないでくれって・・・」

声も出ず・・・。
ゆがむ視界。

iPhoneに向かって、ただ頭を下げるだけ。


2009/12/04 AM 08:14:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

闇商人と闇将軍
献金疑惑やら申告漏れ。

世論が求める指導力に関しては、測る尺度がない。
指導力があったとされるライオンさんも、彼の場当たり的な政策で、結果的に自民党を壊滅状態にした。
その結果、ありがたくも政権は移行したのであるが・・・。

ただ、少なくとも、ハトヤマ氏には、報道された疑惑だけで、ご退陣される理由がある、と私は思うのです。
来年度予算を計上するまで待つ、というのが賢明な選択かもしれないが、説明できない疑惑が多すぎる行政の長は、著しく信頼に欠ける、というのが私の偏見。

疑惑を持たれたら、説明するのが、公人としての最低限の役目だろう。
それが、たとえ言いがかりだとしても、行政のトップに立つ人は、無実を立証する義務がある。

立証を先延ばしにするのが、政治的な高等戦術だという理屈は、政治屋の理屈であって、庶民の理屈とはかけ離れている。

金に汚い人間は、政治も汚い。
少なくとも、私はそう思ってしまうのですよ。

総理大臣夫人が、どんなパフォーマンスをしようが、説明できない汚い金に囲まれた人は、生き方さえも汚れている、という偏見を私は持っている。

自民党を表舞台から押しやった民主党は歓迎するが、闇商人と同列の総理大臣は、私には胡散臭く感じる。

そして、いつも不機嫌で膨張した顔の「闇将軍」も、私には胡散臭い。
権力を手にした人は、その溢れ出る喜びを隠すために、必ず仏頂面になる。
決して、ひと前で明石家さんまのような引き笑いはしない。

国務大臣、大会社の社長、オーナー、スポーツチームの監督などなど・・・・・。
実に、わかりやすい人たちだ。

胡散臭い闇商人と闇将軍がタッグを組む政権は、おどろおどろしくて、ニュース画面が、「妖怪の巣窟」に見える。
誰か、ゲゲゲの鬼太郎になるやつは、いないのか。

金儲けは、男の甲斐性。
女遊びも男の甲斐性。

それは、男社会の理屈に絡み取られた日本社会特有の現象。
ギリギリの悪は、許され、愛されるのが、日本社会の伝統と言っていい。

ただ、世界中のどこの国でも、弱いものは、いつも置き去りにされるのが常である。
そして、路地裏にまで、モラルハザードが起きて、善良過ぎる人は路地裏の隅に追いやられる。
日本だけが特別ではない、というのも理解している。

だが、政権交代の意味を考えた時、少なくとも「希望」は、国民に与えられるべきである。
貧困率15パーセント強の先進国。
はたして、そこに希望はあるのか。

説明できない献金という名の「あぶく銭」を平気で懐に入れる行政の長に、「庶民の希望」が理解できるのか。
権力を傲慢な顔で貯蓄し続ける闇将軍に、「庶民の希望」は、心の片隅にでも存在するのか。

偏見ですべてを判断すると・・・。

闇商人、闇将軍の顔には、こう書いてあるように私には思える。
「オレは、生まれつきの金持ちだから、金銭感覚がわからないんだよね」
「怖い顔をして怒鳴りつければ、人間は誰でもついて来るんだよ。恐怖政治が、一番楽なんだ」

金で、懐をパンパンにする闇のひと。
力で、すべての人の首根っこを押さえつける、もうひとりの闇のひと。

自民党は没落したが、自民党的政治は、自民党出身の政治家によって、いまも確実に生きている。
おどろおどろしい闇政治。
そして、きっと大衆も、それを受け入れている。

政権交代してほぼ3ヶ月。
自民党が、自民党的民主党に変わっただけで、権力構造はまったく変わっていない。
日本国民が、無意識のうちに、「汚い政治家」を求めているからかもしれない。

金と力は、庶民のあこがれ。

それを溢れるほどに手にした「お二人」は、もはや「敵なし」の感がある。

ハトヤマ氏は、「金がご本尊」の宗教家。
オザワ氏は、「力がご本尊」の宗教家。

今の民主党は、ピラミッドの頂点だけが、どこか神がかって見えるのは、私だけなのかな・・・。

闇商人、闇将軍という「神様」は、自分から消えることは、きっとないだろう。

となると、政権交代っていったい何だったんだ?



2009/12/02 AM 06:56:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]



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