Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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北乃きい似のOLに恋心?
公園で、弁当を食った。
ニヤニヤと気味悪い笑顔を浮かべて。

フヘヘヘヘヘヘ・・・・(我ながら、キモい)。

自分で作った弁当ではない。
得意先の若い女の子から、「これ余分に買ったんで、もしよろしかったら」と渡されたものだ。

「もしよかったら」ではなく「よろしかったら」である。
この言葉の違いは、小さいようで大きい。
それは、篠原ともえ篠原涼子の違いくらいに大きい(?)。

コンビニで買った弁当なのだろう。
カロリー表示や成分表示がしてあるラップに包まれた弁当だった。

おかずは、ハンバーグ、ヒジキと豆のサラダ、ミニオムレツ、ベーコンとブロッコリーの炒め物だった。
どれもが平均点以上の味で、大変満足した。
そして、こみ上げてくる喜び(フヘヘヘヘヘ)。

しかし、と思うのである。
なんで、この弁当、俺にくれたんだ?

一度しか話をしたことがないのに・・・。しかも、ほんの数秒。

得意先は、ワンフロアに40人くらいの社員がいて、規則的に並べられたデスクが整然と並んでいて、落ち着いた雰囲気のする会社だった。
その会社の中でも、私が行くエリアは限られており、窓際の手前の部署だけだ。

そこに、女子事務員はいない。
20〜30代の礼儀正しい男性社員が7人いる部署が、私が足を運ぶエリアである。
礼儀正しい男たちの姿は好感が持てるが、ビジュアル的には、まったく華がない部署だ。

いつも通りに、ティッシュに入れる広告のデザインを請け負って、15分ほどで会社を出ようとしたときに、弁当を差し出されたのだ。
私の眼から放出される「何かくれ光線」に関しては、このブログで何度か書いたことがある(たとえば、こちらこちら)。

「またかよ!」と思った。
昼メシ時だから、「弁当が食いたい光線」が出ていたのか。
「まあ、くれるものは、もらいますがね」と思いながら、頭を下げつつ弁当を受け取った。
正直言うと、心臓の鼓動が少し早くなった(自然に顔がニヤけていたかも)。

真正面に立つ女子事務員の顔。
若手女優の北乃きいに似ていた。
今年の5月に、初めてこの会社を訪問したとき、受付に最初に立ったのが彼女だった(その会社には受付嬢はおらず、その時点で手の空いている女子事務員が受付をするシステムになっていた)。

北乃きい?

特別、弾けていたり美人というわけではないが、健康的な若さを全身で発散させている女の子。
昔、クラスにひとり必ずこういうタイプの女の子って、いませんでした?

まぶしいなあ、と横目で見つつ、部署に案内してもらったことを思い出す。
あれ以来、この会社に来るたびに、北乃きいの姿を探す「哀愁の中年男」。

訪問したのは、5回。
事務所に入ってすぐ、高速で眼球を動かし、彼女の姿をサーチする。
受付に違う女性が出てくると、高速エレベーターで60階から地下2階まで降りたような気分になる。
そして、最初の訪問以来、高速エレベーターで急降下することを繰り返しております。

ガッカリですよ!

まさか、それを気付かれていたのか?

彼女は、会社の受付から左奥に位置する部署にいた。
私が仕事をいただく部署とは、背中合わせになっていて、しかも衝立で仕切られているから、彼女の姿を拝めるのは、受付に立ったときだけである。
だが、もし受付が彼女以外だったら、接点は全くないのだ。

それなのに、バレた?

一瞬ではあっても、ストーカー的な粘りつく視線を感じたのだろうか。
(キモいぞ、このオヤジ)
だから、「ちょっと、からかってやろうか」的な悪意を込めて、弁当をくれたのか。

それにしては、笑顔が自然だった。
いや、しかし、今どきの子は、こんな笑顔を作るのは簡単だろう。
でも、なんで弁当なんだ?
なんで弁当を余分に買う?
2つ食べようと思ったのか? ギャル曽根を目指しているのか?

ああ、考えるの、面倒くせえ!

弁当がうまかったから、いいか。
若い子から弁当をもらうということは、普通の日常生活でないことだ(しかも、お気に入りの女の子)。
だから、それを楽しめばいい。
単純に、喜べばいい(フヘヘヘヘヘ)。

しかし、次にこの会社に行ったとき、俺はどんな顔をすればいいんだろう?

一応、礼は言うつもりだが、時が経ってしまったら、彼女の方が忘れてしまう可能性はある。
「え? なんのこと?」という反応を返されたら、哀愁の中年男としては、とても淋しくて哀しい。
しかし、だからといって、何も言わないのは「礼儀知らずのオッサン」に思われる怖れもあるから、それも嫌だ。
自然に感謝の意を表す方法はないものか。

これが、実に難しい・・・・・。

中年男の悩みは、尽きない。



●悩む人は、「ファミレスを上から」。



友人の父親から、自費出版の相談を受けました。

盆栽が趣味の友人の父親は、手がけた盆栽が相当数あると言います。
そして、その一つひとつに関して、毎回注釈を残しているので、それをまとめて一冊の本にしたいとの希望です。

500部印刷するのを前提として、常識的な見積もりを出したときの相手の反応。
「ああ、こんなに安いの! いいの? 本当にこんな金額で本ができるの? 何かの間違いじゃないの? 大丈夫?」

そして、こんなことも言います。
「大手の出版社に相談した方がよかったかな。こんなに安いなんて、思っても見なかったよ。悪いけど、もう少しまともなところに聞いてみるよ」

すみませんねえ、まともじゃなくて・・・・・。


2008/10/31 AM 07:31:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

いびつな姉と弟
珍しく、真面目な話を。

私には、3歳上の姉がいる。
この姉に関しては、何度かこのブログに、生々しいことを書いてきた(ブログなど)。
これを書いたとき、知り合いから、そこまで書かなくてもいいだろう、という批判を受けた。

自分の子が引きこもりだ、という人からは、かなり長文のメールをいただき、ご批判を受けた。
「あなたには、お姉さんの苦しみがわかっていない」というのが、共通したご意見だった。

確かに、私には姉の苦しみがわかっていないと思う。
開き直るような書き方しかできないが、私は性格の冷たい弟なのである。
さらに開き直るが、冷たい弟は、冷たい文章しか書けないのです。

以下、冷たい弟が書く、姉の話。

姉が、病気になった。
盲腸癌という珍しい癌だ。

もともと便秘がちだった姉は、腸が痛いのを便秘だと勘違いしていた。
だから、下剤や鎮痛剤を飲んで、一週間くらい痛みを我慢していたらしい。
自分が病気になることを人一倍怖がっていた姉だから、それが病気だとは認めたくなかったのだろう。
しかし、あまりの苦しさに我慢できなくなって、自分で救急車を呼んだ。

いくら冷たい弟とはいえ、身内が入院したのを聞いて、放っておく訳にはいかない。

医者から詳しい病状の説明を受けた。
そして、どうしようかと考えた。
母親は、病名を隠して手術を受けさせた方がいい、という意見だった。
それに対して、担当医は、「告知した方が」と言った。

考えた。

姉は、勘がいい。
すべてのことに関して、勘だけは研ぎ澄まされている。
そんな姉が、自分の病状に気づいていないわけがない。
そして、姉が自分が癌だと思いこんでしまったら、彼女の思いこみを覆すことは、どんな名医でも不可能だ。
誰も彼女を説得することはできない。

真実を言うことが、唯一の説得方法ではないのか。
私は、そう考えた。

「でも、取り乱したら」と、母親が怯える。
姉の取り乱し方は、いつも常軌を逸している。誰が説得しても、彼女の乱れた心を抑えることはできない。
我々は、彼女が疲れるまで、3時間でも4時間でも待たなければならない。
その間に、キャビネットを壊されても、ビデオデッキを壊されても、シチューの中身をまわりにぶちまけられても、近所からギャラリー(野次馬)が大勢出動しても、我慢しなければならないのである。

母は、それを畏れているのだ。
病院関係者に、迷惑をかけるのではないか。病院を追い出されるのではないか。

怯える母。

しかし、「どうせ私は癌だ」という思いこみが覆せない以上、私たちが語れるのは、真実しかない。
たとえ一時期、修羅場になったとしても、誤魔化すよりはいいだろう。

種々の検査で疲れ切った姉に、冷たい弟は、「できるだけ早く手術した方がいい」と告げた。
そして、「腸を切るんだ」と言った。

「やっぱり、癌だった?」

久しぶりの会話が、癌宣告だなんて。

いくらでも、俺を呪ってくれ。

「治るかな?」
いつ姉と目を合わせたのか思い出せないほど久しぶりに、私の目をまっすぐに見て、姉が聞く。
「治るよ。この世に治らない病気なんてないんだ」

密かに余命を宣告されていたが、誰の身の上にだって、奇跡は起きる。
姉に起きないという道理はない。

私の嘘など、先刻お見通しの姉は、「じゃあ、手術受ける」と笑った。
姉の笑顔を見るのは、何年ぶりだろう。
そんなにも、いびつだった姉と弟。
後悔は、いつだって遙か遅れてやってくる。

手術は、成功した。
癌細胞は、リンパに転移していなかったという。
しかし、1週間ほど経過を見て、抗ガン剤の治療を始めると聞かされた。

手術から5日おいて見舞いに行くと、姉は表情を無くした青白い顔で天井を見つめていた。
「食事に、ほとんど手を付けない」と、母から聞かされた。
看護師からは、まったく意志の疎通が図れない、と控えめに抗議された。
コミュニケーションが取れないから、何が良くて、どこが不調なのかもわからない、と言われた。

無表情に、天井を見つめる姉。
絶望をしている顔ではないが、それは、世の中の何をも受け入れることのない姉のいつもの顔だった。

こんな時、誰がどんな言葉をかけても、彼女が受け入れることはない。
体調がいいか悪いか、ということも自分の心の奥底に封印して、彼女は自分以外のものを呪うだけだ。
呪うことだけが、彼女の生きるエネルギーなのだから、冷たい弟は、その呪いを取り除くことはしない。

呪っている間は、生きるエネルギーを持ち続けているのだから、その呪いは大きいほどいい。
だから、私は姉にこう言った。
「お医者さんや看護師さんが困るくらい、暴れてやったらどうかな。病気なんて、吹っ飛んじゃうかもよ」

姉は、そんな私の言葉に、そのときは反応しなかったが、私が帰ってから、医師や看護師を頻繁に呼んで、不満を訴えるようになったという。
病院関係者には申し訳ないが、姉の生きるエネルギーを高めるために、しばしの間、犠牲になっていただくしかない。

それからしばらくして、抗ガン剤の治療が始まった。
それが効くかどうかは、今のところわからない。
数ヶ月経ってみないとわからないらしい。

ただ、ここに、大きな現実問題が存在する。
抗ガン剤治療には、多大な治療費がかかるということだ。
経済状態が平均レベル以下の我が家では、この治療費負担は、大きい。

ただでさえ、高校3年の息子の大学入学金が、大きな負担になっているのだ。

しかし、いくら冷たい弟とはいえ、ひとりの人間の寿命を勝手に縮めるわけにはいかない。
小さいとは言え、希望の光があるのなら、その光を掴む努力は、しなければならない。
とは言っても、現実問題として、金がない。

幾晩も、持病の不整脈に悩まされながら、のたうち回るようにして考えた。
そして、恥を忍んで、友人のテクニカルイラストの達人・イナバに借金を申し込んだ。
イナバの奥さんは、今年突然セレブの仲間入りをした(それに関しては、こちら)。

私は、これ以上小さくできないほど、体を縮こませて事情を述べた。
そして、ただひたすら懇願する夫の友だちに向かって、イナバの奥さんは「わかりました」と笑顔で即答を返した。

それを聞いて、体が震えた。
みっともないとは思ったが、涙が止まらなくなった。

帰りの電車の中でも、震えが収まらなかった。

「おれは・・・みっともないなあ・・・」

こんなときでも、人を頼ることしかできない俺。

「おれは・・・、駄目だなあ・・・」

最寄り駅に電車が着いても、わたしは、顔を上げることができなかった。



●駄目な人は、「お引っ越し前に」。



容疑者Xの献身」は、まだ観ていません。

観たいとは思っていますが、諸事情があって、時間がとれません。
そこで、友人の映画マニアに聞いてみました。

映画マニア・スドウは、「俺は、とっくに観たよ」と言います。
彼は、劇場で観た映画の本数が、通算で1万本を超えたと豪語する映画オタクです。DVDを含めると「俺は、1万2千本以上の映画を見た」と威張っています。

その彼が、「容疑者Xの献身」を評して、「日本映画の悪いところが一杯詰まった映画だな」と偉そうに、ほざきます。

それを聞いて、私はこう言います。
「おまえは本当の意味での映画好きではないな。本当の映画好きは、まだその作品を見ていない人間に、そんなことは言わないものだよ。映画が本当に好きなら、人に先入観を植え付けるような言い方はしない」

それに対してのスドウの言い分。
「俺も、他のやつだったら言わないが、おまえはただ柴咲コウが出ているから観たいだけなんだろ? 映画の出来なんか関係ないはずだ。そんなやつに、先入観もクソもない!」

・・・・・ごもっともです。


2008/10/29 AM 07:02:08 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]

消えた天使の微笑み
以前、このブログに書きましたが、友人のWEBデザイナー・タカダ君(通称ダルマ)の結婚披露宴が、25日に行われました。

また、仲人かよ。

こんな貧相な仲人でいいのか?
俺は、君たちのことを、歯の浮くようなセリフで褒めたりしないぞ。
酒を飲んでいるだけだぞ。

威厳はないぞ!
君たちの親戚からクレームが来ても、俺は責任を持たないぞ!

「はい、それで、いいですから」と言われたので、本当に酒ばかり飲んでいる仲人を演じた。

プロデュースした人の段取りが良かったので、レストランを借り切って行われた結婚式および披露宴は順調に進み、感動的に終わった。
感動的な場面がいくつかあったが、このブログに「感動名場面集」は似合わないので、それは割愛させていただく。

披露宴が終わって、涙でゴリラ顔になったダルマ。その横に、摩周湖のように澄んだ涙で頬を濡らす「笑顔の天使」トモちゃん。
私は、ダルマの顔を見ないように、まるで体の真ん中に氷を突き刺したような冷ややかな顔で、彼と握手を交わした。
見ると、笑ってしまうからだ(しかも大爆笑)。

だが、ダルマは「師匠オ〜〜〜! ありがとうございました〜〜!」と、獣のような泣き声で私の右手を両手で掴み、ゴリラ並の握力で絞り上げるのだ。

痛ぇよ!

その光景を見て、「ダルちゃん、Mさんが、痛がってるでしょ」と優しく諭すトモちゃんの天使の微笑み。
神はなぜ、こんなにも不釣り合いな生物同士を結びつけたのでしょうか?(きっかけを作ったのは私だが)
はたして人類に未来は、あるのだろうか?

その答えは、誰も知らない・・・・・。

さて、ゴリラ顔のダルマから、「師匠、2次会やりますよー!」と言われた。

聞いてません。

「言いましたよ。3回も打ち合わせしたじゃないですか。聞いてなかったんですかぁー」
はい、聞いてませんでした。2次会は、若い人だけで行くものです。勝手に行ってください。

「何言ってるんですか? 師匠は、十分若いじゃないですか。実年齢はともかく」
殴るぞ!

「2次会は、このレストランで、そのまま行います。1時間もかからずに模様替えしてくれるんですよ」と、天使のトモちゃん。

見回すと、明るい吹き抜け。
ゆるい螺旋の階段を上ると、上にも客席がある。
そこには、即席のカウンターバーが置いてあって、1階の準備が出来るまで、時間をつぶせるらしい。
着替えたい人は、ドレスルームも用意されているので、順番に着替えることができるシステムになっていた。

たいしたもんだ。
専門のイベント会社に頼むと、そんなこともしてくれるのか。
至れり尽くせりじゃないか。

「そんなことより、師匠。本当に何も聞いてなかったんですね。3回も打ち合わせしたのに・・・」
はい! 何も、聞いてませんでした(キッパリ!)。申し訳ありませんでした!

はなし変わって、タカダ君。君、妹さんが二人いたんだねえ。しかも、二人ともとっくに嫁に行っていて、さらに信じられないことに、君に似ずにとても美人だ。君はいったい何をどう間違えて生まれてきたんだ?

沈黙・・・・・・・・・・(空気が重い)。

これは、披露宴が終わってすぐに持ち出す話題ではなかったようだ。深く反省。

俺やっぱり、2次会は遠慮するよ(気まずいので)。

「Mさん、Mさんのために、I.W.ハーパー、ジャックダニエル、ワイルドターキーをご用意したんですよ。それに1階はクラブ形式になりますから、Mさんの嫌いなカラオケはありませんよ」と、天使のトモちゃん。

ほーっ! バーボンウィスキーが3種類。それは、かなり魅力的なラインナップだな。
しかし、2次会は面倒くせえな。
ひとつ相談なんだけど、2次会出たことにして、そのバーボンくれない?

「駄目です!」

トモちゃんから、天使の微笑みが消えた。



●微笑みの消えた人は、「壁はどこへ行った?」。



披露宴が終わって1時間もせずに、同じ場所で始まった2次会。

新郎新婦がいた場所には、DJブースが作られ、カウンターが所々に置かれ、照明も落とされて、雰囲気はクラブそのもの。

DJは、ダルマの大学時代の友人の弟。
全体の進行をしたのは、ダルマが独立する前まで勤めていた会社の同僚。
料理は、レストランのシェフが作ったが、スイーツはトモちゃんの短大時代の友だちの旦那がパティシエをしているので、その人がボランティアで作ってくれたと言います。

披露宴のプロデュースも、ダルマの得意先が、ボランティアでしてくれました。
レストランは、その人の叔父さんが経営しているものなので、格安で請け負ってくれたとのこと。

そして、ご祝儀も結婚祝いも引き出物もなし。
出席者は、受付で参加料を払うだけです。
ハネムーンもないと言うから、見事なほど金のかかっていない結婚披露宴と言えますね。

そうなんですよ。
幸せは、金じゃないよね、タカダ君、トモちゃん。

まあ、でも、金も大事ですが・・・・・(切実)。


2008/10/27 AM 07:05:18 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

存在感のない俺
体調が、万全とは言えない。

何となく体がだるい。
目覚めも良くない。
目が覚めたとき、スッキリした感じが全くしないのだ。

夜1時過ぎに寝て、6時前に起きた。
なぜ、そんなに早く起きるのか。
中学1年の娘が、吹奏楽部に入っている。
その朝練が、7時に始まるからだ。

ぎりぎりまで寝ていればいいじゃないか、と私が言うと、「朝ご飯食べてから、少しまったりした時間が欲しいんだよ。起きてすぐ学校に行くなんて、そんな人生は嫌だ」と、娘が言うのだ。
だから、6時前に起きて、娘の朝メシを作る。
その後は、息子の弁当と息子の朝メシ、花屋のパートに行くヨメの朝メシと続く。

家族が出かけていくと、私のメシの番だが、面倒くさいので食わないことが多い。
朝からラーメンやキムチチャーハンを食うときもあるが、それは心技体が充実したときだ。
残念ながら、最近は充実したときが少ないので、たいていは食わない。

だるい。

体がだるいまま、食器を洗い、洗濯をし、風呂を洗った。
私の場合、炊事・洗濯はするが、掃除はしない。
それは、ヨメの役目である。
掃除まで取ってしまったら、ヨメのすることがなくなる。

ヨメは、午前中だけ花屋で働き、帰ったらベランダ一杯に充満した花に水をやる。
そして、空いた時間は、近所の奥様方とティータイム。
掃除くらい残しておかないと、主婦の肩書きが、霞んで見えなくなる。

洗濯物を干し終わったのが、午前8時50分。
天気が悪いので、セラミックヒーターと扇風機で一気に乾かすことにした。
洗濯物の下にセラミックヒーター。そして、手前と向こう側に1台ずつ扇風機を置いて「強風」にする。

そうすると、ディープ・フォレストのアルバムを1枚聴いている間に、乾いてしまうのである。
この方式だと、部屋干し特有の嫌な臭いもしないのだ(俺って、本当にデザイナー?)。

だるい。

私の場合、だるいときは、ジョギングをする。
だるいときは、体を休める人が多いようだが、私の経験上、積極的休養の方が疲労感が早く抜ける。
微熱の時でも、走ればダルさはぬけるが、これは人にはお勧めしない。
私のように野蛮な体を持った人間にだけ、この方法は有効だ。
デリケートな方は、散歩くらいが丁度いいのではないでしょうか。

走るときは、距離は決めない。
1キロから25キロまでを、自分の体と相談して走る。
1キロ走れば、自分の体調は判断できる。

1キロ走って、「今日は無理だ」と思ったら、すぐにやめる。
ジョギングは、「根性」で走るものではない。体を整えるために走るものである。
ジョギングをして、体を壊してしまう人がいるようだが、その人は勘違いをしている。

毎朝必ず10キロを走るハヤシ。
先日、「マラソン大会で、かかとを傷めて階段が上れねえんだよ。車の運転もできないよ〜〜」と泣いていたが、おまえはアホだ!
自分の体調もわからないやつが、ベンツになんか、乗るんじゃねえ! リヤカーにでも乗ってろ!

いかん、いかん! 嫉妬に狂って、余計なことを書いてしまった。
ハヤシのために、5行も費やすのは、モッタイナイ!

雨が降っている。
しかし、走ろう、と決めたときに、少々の雨は関係ない。
濡れたっていいじゃないか。変人に見られるのは、もう慣れている!

今回のジョギングは、体調が悪いわりには快調なペースで走れた。
この調子なら、15キロは走れるかも、と思って走っていた。

しかし、ジョギングコースの途中。すかいらーく前の交差点に到達しようとしたとき、いきなり滝のような雨が降り出してきた。
目の前の景色が霞んで、3メートル先も見えない豪雨だった。

そこで私は、すかいらーくの約80センチはあろうかという植え込みを華麗にジャンプして、すかいらーくに避難した。
しかし、ジョギングウェアで、ファミレスに入るのは、粋ではない(しかも、びしょ濡れだし)。

ファミレスには、それなりの格好をしていくのが、マナーというものだ。
だから私は、入ってすぐにトイレに駆け込み、タオルで全身を拭ったあと、小型のウエストポーチに折り畳んで入れた極薄のウィンドブレーカーの上下を出した。
そして、濃い臙脂(えんじ)色のウィンドブレーカーを33秒で着込んで、トイレを出た。

ウェイトレスが聞く。
「何名様でしょうか?」
見りゃわかるだろ、と思うのだが、人差し指を1本立てて応える。

「お煙草は?」と聞くので、「すいません」と答えた。
「すいません」と答えたとき、つい頭を下げていた。まるで謝っているみたいじゃないか、と思った。
笑える。

禁煙席の一番端に案内された。
なかなか居心地のいいスペースである。
はじっこだから、朝から生ビールを飲んでも非難の目で見られることはないだろう。

「生ビールと枝豆」(居酒屋か)。

飲んで食べて、しかも程良い暖かさ。
そうです。ご想像通り、眠ってしまったんですね。
だって、体がダルかったんだもん!(子どもか)

一度、まわりがザワつくので、半分覚醒した。しかし、目は閉じていた。
「ああ、ランチタイムなんだな。でも、眠いな〜、すみっこだから、邪魔にならないよな。2人席だから、そんなに場所をとっているわけでもないし・・・・・」

眠った。

次に半分覚醒したときは、子どもの笑い声が、脳の入り口部分に侵入したときだった。
「5歳くらいかな。子どもが2人とお母さんが2人かな。ハロウィンの話をしてるよ。そうか、もうすぐハロウィンなのか〜、でも、俺には関係ないな」

また、眠った。

自分の「ブビッ」という豚いびきが聞こえて、目が覚めた。

そして、おそろしい光景を見た。その光景を見て、2秒で脳が完全に目覚めた。

窓の外が・・・・・、薄暗いのだ。

もしかして、やっちまった?

体が、急速に冷えていく。心が、後悔のビッグウェーブで溺れそうになる。

心が、寒い。そして、痛い。

そうか〜、やっちまったか〜・・・・・・・・・。

恐る恐る壁時計を見上げてみた。
5時7分。

私の計算が間違っていなければ、私はすかいらーく様の隅っこで、5時間以上眠っていたことになる。
すかいらーく様。
よくぞ、この罰当たりを追い出さなかったものです。
その広いお心は、すでに神の領域に達しておられます。

私は、素早く立ち上がると、レジまで歩いていき、家に電話をかけた。
「今日の夕飯は、すかいらーくにしようぜ。早くおいでよ!」

家族4人で、楽しいひとときを過ごした。
たいへん、おいしかった!

家に帰って、娘にだけ、今日のできごとを打ち明けた。
それを聞いて、娘は「苦笑」「冷笑」「嘲笑」を顔全体に浮かべて、こう言った。

「おまえが、存在感なかったからだな。普通の人だったら、存在感あるから、絶対に追い出されていただろうよ。良かったな、存在感なくて!」

そうか! そう言うことだったのか。



●存在感のない人は、「ログハウスの夜」。



アソウ総理が、夜の会合を「高級ホテルのバー」を使っていることで、番記者たちと一悶着あったようです。

しかし、一国の総理が、夜どこで何を食おうが、どうでもいいことでしょう。
総理は国のために仕事をすればいいのだから、僅かなプライベートタイムに、どこで息抜きをしても構わないのではないでしょうか。

むしろ、まわりは総理に仕事をさせやすいような環境を作るべきです。
日本の総理大臣が、毎晩7時になったら、まっすぐ家に帰って家族で食卓を囲むなどというのは、あまりにも非現実的です。

いくら質問することがないといっても、番記者はもう少し常識的な質問をすべきでしょう。
世界規模で株式が恐慌をきたしそうなときに、小学生レベルの質問は、記者の危機感覚を疑います。
それは、この国で一番ぼけているのは政治家ではなく、記者たちではないかと思わせるほど愚かな質問でした。


2008/10/25 AM 07:54:45 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]

なぜ娘の携帯をのぞきたがる?
娘の携帯電話が目の前にあったとする。
娘は学校に行っているから、いない。

さあ、あなたなら、その携帯電話をどうする?

私なら、絶対に手に取らないし、中身を覗くことはしない。
しかし、ヨメは、ためらいもなく覗くのだ。

「それは、やめた方がいいよ」と私が言うと、親は子どもの交友関係を知っておく義務がある、とヨメは見事に開き直る。

中学1年の娘は、無頓着である。
日常的に、携帯電話を人の目に付くところに置いて平気な性格だ。
勉強机の上はもちろん、リビングのテーブルの上やカーペットの上、下駄箱の上、トイレ、洗面所。
まったく無防備である。
まるで、見てくださいと言わんばかりだ。

私など、娘のこの無防備さを見ると、秘密はないと考えてしまうのだが、ヨメは眼光鋭い検事のように、「いやいや、それでも、怪しい」と、細かくメールまでチェックするのだ。
誰から来て、誰に返信したかをチェックし、内容をチェックする。

見ながら私に、「あら、来週タケちゃんと買い物に行く約束してるわよ」などと話しかけるが、それ以後のヨメの言葉を私は聞いていない(共犯者になるのが嫌だから)。
脳内の会話のスイッチをオフにして、違うことに意識を集中する。

これは、私の特技である。
オフにしたら、完全に会話が遮断される。
言葉が侵入してこないから、都合の悪いことは、まったく聞こえない。

常識外のクレームを付けてくるクライアントの話も、この方式で遮断する。
そうすれば、無駄にストレスがたまることもない。
これは、簡単な訓練でできますので、皆さんもお試しください。

話を元に戻して・・・、

ヨメの素晴らしい理屈を披露しよう。

人間、必ず何かしら秘密を持っている。
そして、隠すから、秘密というのだ。
うちの子は、携帯電話を隠していない。
だから、これは秘密ではない。
秘密ではないのだから、覗いてもいいはずだ。

どうです! この堂々たる開き直り。

この考えには、当然保護されるべき娘のプライバシーが、抜け落ちているのだが、ヨメはその事に気付いていない。
また、親が料金を払っているとはいえ、現に所有しているのは娘である。娘の所有権を侵害していることにも気付いていない。
あるいは、気付いていながら、無視しているのか?
その可能性の方が、高いかもしれない。

子どもを信じてあげようよ。

「え? 取り返しのつかないことになったら、どうするの! 親は子どものすべてを知っていなければいけないの! それが、親の責任ってものよ!」

じゃあ、逆に考えてみたらどうかな? 自分の携帯を子どもに全部覗かれたら、どんな感じがする?
「私の携帯は、パスワードでロックしてあるから、大丈夫」

いや、俺は、そういうことを言っているのではないんだけど・・・。

それなら、娘が、携帯をロックしたら、どうする?
「そんなことはさせません! ゼッタイに!」

話が、完全に空回り。

そして、カシャカシャと右手の指を動かしながら、ヨメが言う。
「スケジュールを見たら、マキちゃんのピアノの発表会、来週なのね。お花を用意しなきゃね。みんなにも教えてあげようっと。みんな気にしていたから」

そう言った後で、勝ち誇ったように、「ね? 携帯をチェックしなければ、マキちゃんの発表会、知らんぷりするところだったじゃない。そんなことになったら、大変よ。あー、大変!」と言うのである。

母親の理屈は、無敵だ(恐怖)。



●無敵な人は、「体育館裏の月」。



大阪府のハシモト知事と朝日新聞の確執。

詳しいことはまったくわかりませんので、テキトーな感想を一つ述べさせていただきます。

新聞は、批判をするのも仕事のうち。
公権力を持った人は、批判されるのも仕事のうち。

だから、お互い妥協しなくてもいいと思います。
「品位のある」論争なら、どうぞ、とことんおやりください。

しかし、品のない「子どもの喧嘩」は、勘弁してください。
時間の無駄です。


2008/10/23 AM 06:52:40 | Comment(2) | TrackBack(0) | [子育て]

痛いラーメンを試食する
まず、1本目のビールが目の前に置かれた。

開店前のラーメン屋に入るのは、初めての経験だ。
濃厚なスープの臭いがこもる店内に、私と店主の二人きり。
カウンターだけのラーメン屋。数えたら、椅子が12個あった。
そして、なぜか壁には、世界地図が貼ってあった。

ラーメン屋に、世界地図って・・・・・?

店主は、30歳前後の「つぶやきシロー」に雰囲気の似た人だった。
店主の名は、ハザマさん。
そのハザマさんが、「餃子を食べてくれませんか」と言う。
もちろん、異論はない。

餃子が焼けるいい匂いをかぎながら、まず匂いをおかずにビールを飲む。
瓶のスーパードライを飲むのは、久しぶりだ。
普段飲んでいる発泡酒と比べて、どこが美味い、とは言えないが、ただとにかく美味い。
喉が満足する味だと言える。

「おまちどうさま」と言って出されたのは、見た目は普通の餃子だが、中身が大幅に違っていた。
「具が何かわかります?」

白菜とニラはわかる。そして、プリプリした食感は海老だろう、ということもわかった。
しかし、もう一点が・・・。

2つ3つと食べてみて、柔らかい具材だということはわかったが、私の記憶にある餃子の具とシンクロするものはない。
もどかしい。
ビールを飲み干した。

注文もしないのに、2本目のスーパードライがカウンターに置かれた。
コップも新しいものが出された。
手酌で飲む。
2本目も美味い。

しかし、この餃子の4番目の具材は、いったい何なんだろう。
それ自体に、個性はない。食感も弱い。口の中ですぐに溶けて、海老のプリプリ感に負けてしまう味。
ただ、舌の上で溶ける感じは、上品でまろやかだ。
それは、白菜のジューシーさと合っていて、パリパリの皮とも、うまい具合に調和している。

う〜〜ん、わからない。
これは、降参だな。

「なんだろう? 上品な餃子ですね」と言っている僅かな瞬間に、突然思い浮かんだ感触があった。

ああ、これって、湯葉

「正解!」

だから、味も舌触りも上品だったのか。

「どう? これ、試作品なんだけど、店に出しても大丈夫かな?」と聞かれた。
それに対して、「私は、好きですよ」とだけ答えた。
他人の好みは、わからない。
そこまで、責任を持てない。ただ、私だったら、また注文したくなる味だということだけは付け加えた。

「ああ、注文したくなる味ね。それだけ聞けば十分ですよ」と言って、ハザマさんは、縁のまわりに油が付いてギトギトになったコップを新しいものと交換してくれた。
こうすれば、混じり気のない新鮮なビールを飲むことができる。
嬉しい気配りだ。プロの気配りである。

「もう一つ、試作品があるんだけど、食べてくれるかな。ラーメンなんだけど」
このラーメン屋は、豚骨が基本だ。
とんこつラーメンは大好きだから頷いた。

待っている間に2本目のビールを飲み干したら、3本目がすぐに出てきた。
午前10時過ぎ。
朝から、こんなに飲んでしまって、俺は今日仕事ができるのか、と思った。
というより、人間として、この生活は果たして許されるのか。
自問自答しながらも、3本目を手酌で飲んだ。

やはり、美味い。

そんなとき、自動ドアが開いて、男が入ってきた。
デブだ。
そして、そのデブが、両手を膝に置いて、深々と頭を下げた。

「Mさん、お久しぶりです。俺たちの結婚式以来ですね。ご無沙汰して、すみません」
チャーシューデブのスガ君だった(こちらを参照)。

今日は、彼と会う約束をしていたのである。
彼との待ち合わせ場所は、いつもラーメン屋。
ラーメン大好き人間、体のほとんどがラーメンで出来ているスガ君が、「ちょっと、知り合いの相談にのってやって欲しいんですが」と指定したのが、開店前のこのラーメン屋だった。

自分でもラーメン屋を経営していたことがあるスガ君は、ラーメン屋の知り合いが多い。
彼の知り合いの店は、流行っているものもあるが、まったく流行っていない店もある。
今回待ち合わせ場所にした店は、流行っていないというわけではないが、仲間うちでは「当たり前すぎる店」と言われているらしい。

「当たり前すぎる店」のどこが悪い、と私は思うのだが、ハザマさんは、それを聞いて発奮したのだという。
「じゃあ、当たり前じゃないものを出してやろうじゃないか!」

それが、冒頭の「湯葉餃子」だったようだ。
そして、ラーメンも当たり前でないものを模索中らしい。
それを我々に試食させて、反応を見ようというのだろう。

出てきたラーメンは、とんこつの匂いがした(そのほかにも嫌な予感が・・・)。
ラーメン丼の中で、大きめのチャーシューが5枚、存在を主張していた。
そのチャーシューのすぐ下にあるもの。
また、湯葉?

「ああ、湯葉の上にチャーシューを乗っけたんですね」と、スガ君。
そう言いながら、もうすでにチャーシューと格闘している。
あっという間に5枚を食い、その下の麺を食い始めた。
湯葉の下に隠れたラーメンのスープの色が赤い。

「それ、韓国製唐辛子を使った特製のラー油なんですよ」と、ハザマさんが言う。
一気に食いまくるスガ君。
麺を瞬く間に制覇した。
だが、残りのスープを一気に飲もうとしたスガ君に異変が起きた。

「グァライ!(辛い)」「イダイ!(痛い)」「アッヂィ!(熱い)」
顔から大量の汗が噴き出したチャーシューデブ。

その姿を見て、私は食べるのをためらったが、厚かましくもビールを3本ご馳走になって、「食えません」とは言えない。
私は、お坊ちゃま政治家ではないから、責任ある仕事を途中で投げ出すようなことはしない。

最後まで、自分の職務を全うしよう。
流れ出る汗を大きな赤いタオルで拭っているスガ君を横目に見ながら、ゆっくりとチャーシューを食った。
湯葉も食った。
そして、赤いスープに隠れた麺を食い始めた。

二口食って、辛さが全身を駆けめぐる。
舌が痛くなる。口の中が麻痺する。汗が、こめかみから首筋にしたたり落ち、額の上から出た汗が、目に入る。口にも汗が入る。

しかし、なんとか全身で唐辛子を感じながらも、完食した。

全身汗まみれ。そして、全身が痛い。
全身で痛みを感じながらも、私は、これだけは切実に断言できる。

これ、味なんか、わかんねえ!

「ああ、やっぱりねえ。でも、『痛いラーメン』って名前で店に出したら、どうですかねえ。評判にならないですかねえ」
真面目な顔で言うハザマさん。

それを聞いて、私はスガ君と二人、汗まみれの顔を大きく横に振った。

汗が、飛び散った。



●飛び散った人は、「明るいリビング」。



仕事を頼みたいという電話があったので、時間を決め、相手の会社名と住所、電話番号を聞いて行ってみたところ、そんな会社は存在しませんでした。

番号非通知の怪しい電話は取らないと決めていたのに、つい取ってしまった結果がこうです。
会社名「城南マネジメント」。
もっともらしい名前で、住所が浦和駅のそば。
信じた私が、バカでした。

世の中、暇なやつがいるもんです。
フリーランスをオモチャにして、何が面白いのでしょうか。

まったく理解不能です。


2008/10/21 AM 07:09:23 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

おもろいテレビ
「最近は、テレビを見ないんだよ、つまらないから」という意見をネットや友だち、得意先の人から聞かされる。

面白くないの? ああ、そう? ホントに?

私は、テレビに免疫がない人間だ。
だから、昔と比べて今のテレビが「つまらない」かどうか、わからない。

私は、子供が生まれるまで、ほとんどテレビを真剣に見たことがなかった。
だからと言って、決して「テレビなんて馬鹿馬鹿しい」と思っていたわけではない。
テレビを見ることが、習慣にならなかっただけである。

子どもの頃の環境は、重要だ。
我が家は、父親が滅多に家に帰ってこなかった。
母親は真っ当な会社に勤めていて、それなりの地位にいたから、帰宅時間が午後9時以降というのが当たり前だった。
そして、姉は、引きこもり。私との会話は全くない。

一人でテレビを見ても、全然面白くない。
だから、絵を描いたり、ギターを弾いたり、音楽を聴いたりして、私は一人の時間を過ごしていた。
テレビは、母親が最新式のものを買ってくれたが、それはかえって虚しいだけである。むしろ、余計に見たくなくなる。

テレビを見るという選択肢は、私の生活にはなかった。

ただ、ドリフターズのコントとバカ殿だけは見た。
低俗だと言われても、私は体を張ったお笑いが好きなのだ。

このこだわりは、中学1年の娘に、いま受け継がれている。
娘は、バカ殿が大好きだ。
普通の子がアンパンマンに興味を持っていても、彼女はバカ殿を選んだ。
私がビデオで何度も見るものだから、完全に脳細胞に刷り込まれてしまったようである。

彼女は裏番組に、どんなに見たいものがあっても、バカ殿だけは絶対に逃さず見ることが習慣になっていた。

私と娘は、志村けん(師匠)、高田純次(師匠)、出川哲朗(師匠)、坂田利夫(師匠)の名を呼ぶときは、必ず「師匠」を付けた。
ダチョウ倶楽部は「先生」だ(肥後先生、上島先生、寺門先生)。

親が子に与える影響は、これほどに強い。
笑いの趣味や音楽の趣味も、怖いほどよく似る。
しかし、逆の場合もある。

つまり、親が子どもの影響を受けることもあるのだ。
私の場合、テレビと無縁の生活をしていたのは、娘が「トリック」に興味を持つまでだった。

娘が小学2年生のある日、私はレンタルの「トリック-劇場版-」のビデオを一人で観ていた。
すると、娘が興味を持って、寄ってきたのである。
「え? なにこれ? 映画? テレビ?」と聞くので「映画だよ」と答えた。

それから、娘は、「わー、これ、面白い!」と気に入って、食い入るように観た。
小学2年で、トリックの面白さがわかる?
「う〜〜ん、こいつ、ただ者ではないな」とバカ親父は、感心した。

それが、娘のドラマ好きの始まりだった。
それからは、仲間由紀恵の出ているドラマのDVDを買い集め、何度も繰り返し見て、「美人だわ〜〜」と、うっとりすることになる。

そして、他の人が出ているドラマも見るようになり、私をまきこむようになった。
「一緒に、見ようぜ!」
私の仕事が忙しいときは、ビデオに撮って、後で一緒に見る。

お笑いも一緒に見ることが多い。
「お笑いは体張らなきゃダメだよ。●●みたいに、悪口言って口先だけで笑いをとるやつは、笑いの品格がない!」などと、偉そうなことを言ったりする。

歌番組も見る。
そして、ニュースも見る。

これらすべてが、私にとって新鮮なのだ。

だから、「最近のテレビは、面白くないよねえ」という意見が、私には理解できない。
みんなは、テレビにいったい何を求めているのだろうか。

ドキュメンタリーやルポなどを好んで見る人は、それ以外のものを「馬鹿馬鹿しい」「嘘ばっかり」と言って、眉を寄せる(軽蔑する)。
しかし、私の感覚では、カメラを通したものすべてが、「虚構の世界」である。
映像に撮って編集した時点で、それは、ひとの「作為」が入った作品だ。
ドキュメンタリーと言えども、「現実を忠実になぞったふり」をしているだけだ。
それは、ノンフィクションの味付けをした「フィクション」に過ぎない。

私には、それらは、ドラマやバラエティと同列のエンターテインメントとしか思えない。
そして、テレビで流されるものすべてが、エンターテインメントだと思えば、あとは好みの問題である。
つまり、比較の問題だ。

(テレビより)ゲームの方が面白い。インターネットの方が面白い。アニメ(漫画)の方が面白い。ミステリーの方が面白い。合コンの方が面白い。

そして、テレビが、これらよりも面白くなければならない理由はない、と私は思っている。
昔は、娯楽の種類が、あまり多くなかった。
だから、テレビが面白く感じられた。

それに比べて、今では数え切れない種類の娯楽がある。それは、テレビ以上に趣向を凝らしたものが多い。
そんな沢山の娯楽に、なぜテレビが勝たなくてはいけないのか。

今のままで、十分ではないか、と思う。

電源ボタンを押したら、時の政府に気を遣いながら、NHKのアナウンサーや論説委員が、「我が国は〜」と言う。
唯我独尊の新聞社の社主が、特定の政党を応援する。
革新を気取ったテレビ局が、中国に気を遣った報道をする。

そして、どこの局も同じような顔が出てきて、彼らが毎回同じことを言うたびに、観客席から大げさな笑いや拍手が聞こえる。

こんな「非日常的な日常」にドップリと浸かれるのは、テレビだけではないだろうか。

テレビは、それでいいんじゃないですか?

だから・・・・・・・・・・、
私は、テレビは、面白いと思いますよ。



●面白い人は、「空と海の見える部屋」。



前回のブログに書いたモニターが、あっけなく、ご臨終。

30分待っても、起動しなくなりました。
他のMacやウィンドウズに繋げても、起きてくれません。

たった8年の寿命でした。
モニターの予備がなかったので、「さあ、困ったぞ」と思っていたとき、中古PC販売会社の社長からお呼びが。

「社内LANが、機能してないんだよね」というので見てみると、ハブに繋げたLANコードの一部が焼けたようになって、むき出しになっていました。
そこで、コードを変えたら、すぐに復活。

「いやあ、助かったよ」という感謝の目を向けられたので、「我が家のモニターが死んだので、しばしの間、モニターを借していただくというのは・・・」とお願いしたら、「ああ、いいよ」と即答してくれました。

19インチの液晶モニターを無期限で借りて、メインのMacに繋ぎ、古い液晶をサブに繋いで、ただいま作業をしております。
いい発色で映っています。

モニターが壊れて良かったかな、と勝手なことを思っている私は、罰当たりでしょうか。


2008/10/19 AM 08:13:54 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

喧嘩売ってるのかな?
モニターの調子が悪い。
ことの発端は、定期点検だ。

電気工事会社が4年に1回、定期点検に来るのだが、そのときに「ちょっとブレーカーを落としますよ」と言われたのである。

普通、「落としますよ」と言ったら、こちらの準備が終わるまで待つのが常識だろう。
だから私は、ブレーカーが落ちてもいいように、すべてのパソコンの電源を切ろうとした。
しかし、「落としますよ」と言って、5秒後にブレーカーを落とされてしまったのある。

何をそんなに急ぐ?

幸い、すべてのデータを保存してあったので、データ自体に影響はなかった。
しかし、工事会社の人が帰ったあと、サブで使っているG3のモニターの起動が、明らかに遅くなった。
システムは、とっくに起動しているのに、モニター様は重役出勤で5分後くらいにつくようになったのである。

さらに、それから徐々に起動が遅くなり、有能な秘書も驚くほどの重役出勤。
10分後くらいに、「あ〜、昨日の接待はかったるかったな〜」という感じで、出勤なさるのだ。
サブだから、緊急性は要しないが、毎日のように時間差出勤をされると、心穏やかではない。

10分は長い。
メインのMacで作業をしながら待っていると、「プォン!」という音と共にモニター様が、出勤をなさる。
そのあまりの優雅さに、木刀で殴ってやろうかと思うのだが、「短気はいかん。政権を途中で放り投げてはいかん!」と、懸命に自分を抑える。

これくらいの忍耐強さが二世議員、三世議員たちにあれば、自民党は国民の痛みをわかっただろうに、と小さな舌打ちと共に呟く。

このサブのG3では、iTunesで音楽を流しっぱなしにしている。
そして、プリントサーバの役割もしている。
240GBのハードディスクを積んでいるので、ネットワークでデータを格納し、取り出しながら仕事をするという用途にも使っている。

また、Firefoxというブラウザを入れて、作成したホームページの動作を確認するという作業にも使っている。
時代遅れの化石に近いMacだが、現役として使ってやっているのだ。

それなのに、重役出勤?
それは、Macのせいではなく、モニターのせいなのだが、ちょっとMacも憎いような気が・・・。

このMacを買ったのが2000年2月。
そして、モニターは、2000年11月。
もう8年、と思うかもしれないが、私の場合は「まだ8年」である。

8年しか働いていないのに、偉そうに休みを要求するんじゃねえ!
俺は、年中無休だ!

俺は、仕事だけをしているんじゃない。
家族の三食のメシも作り、息子の弁当も作り、風呂洗いだってしてるんだぞ。
子どもの制服のブレザーのボタンが取れそうになったら、不器用だけど、ボタン付けだってしてるんだ。

そ、それなのに・・・・・、

おまえら、何が不満なんだ!
たっぷり電気を食わしてやっているのに、なぜ真面目に働こうとしない!?

え?
その電気を途中で切られたから、わけがわからなくなった?

つまり、電気工事会社のオヤジが悪いってことか?
じゃあ、文句を言わなきゃいけないな。

文句を言った。

しかし、電気工事会社は、「ブレーカーが落ちただけでモニターの調子がおかしくなるなんて、あり得ません」と居直るのだ。
そればかりか、「普通、8年使ったらモニターは寿命ですよ」と言いやがるのだ。

なんだ、この野郎!
出るとこ、出ようじゃねえか!

私は、売られた喧嘩は買う主義である。

ん? ・・・・どっちが、喧嘩を売ったんだっけ?



★喧嘩を買った人は、CG「不自然な離れ」



昨日、朝一番で、かかってきた電話。

「うまれたよ」
何が?
「子どもだよ」
犬か? 猫か? ナマケモノか?
「人間だよ」
どの人間だ?
「俺んちだ」

?????

こいつには、子どもが二人います。
大学一年と高校二年の娘です。
結婚したという話は、聞いていません。

まさか、未婚の母?
「違うだろ! 俺と嫁さんとの間にうまれたんだ!」

こいつは、48才。奥さんは42才。

えーーーーーーーーーーーーーー!

男か? 女か?
「嬉しいことに、男だ」

17年ぶりの出産。
さぞ奥さんは、大変なことだったでしょう。

しかし、なんというか・・・・・、びっくりしたぁ!


2008/10/17 AM 07:10:48 | Comment(2) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

極道とわがままの「にらめっこ」
健康カプセルのチラシの仕事を2回請け負った。
そのことに関しては、コチラコチラに書いた。

2回目のチラシの時、うら面を体験談で埋めようと思った。
自分で体験してもいいのだが、文章を書くのが面倒くさい(苦手だ)。
それに、健康カプセルというのが、何か嘘臭い。だから、嘘臭いススキダに体験談を頼んだのである。

健康カプセルの店に、ススキダを連れて行ったときのオーナーの反応が面白かった。
どこから見ても極道そのものの男が、目の前にいるのだ。
普通の人は、真面目な暮らしをしていたら、その種の人種に出くわすことはほとんどない。
だから、免疫ができていない。

免疫がない人間がススキダを見たら、まず絶対に怯える。
しかし、その後は、その人の性格によって、色々な反応を示す。
怯えっぱなしの人。目をそらす人。虚勢を張って肩を怒らせる人。「すみません」と言って、逃げ出す人(私は、これだった)。

健康カプセルのオーナーも最初は怯えた表情をした。
しかし彼は、そんな自分の態度が悔しかったのか、すぐに立ち直って、胸を反らすようにして、ススキダを睨みつけた。

ススキダは普通の顔でオーナーを見ているだけなのだが、相手には眼(ガン)を飛ばしていると見えるらしく、オーナーはずっと同じ姿勢でススキダを睨んでいた。
その光景が面白かったので、私はずっと、黙って見ていた。

立ったまま貧乏揺すりを始めるオーナー。
無言でオーナーを見下ろすススキダ。

まわりの空気が固まっている。

徐々にオーナーの貧乏揺すりが、激しくなる。
ススキダは、彫像のように動かない。

どちらが先に口を開くだろうか、と考えた。
オーナーに勝ち目はないだろう、と私は見た。
ススキダは、私ほどではないが、いつまでも黙っていられる男だ。
私とススキダは、沈黙が苦にならない人間なのである。

以前、ススキダと横須賀から幕張まで車で移動したことがあった。
そのときは、最初だけ会話をした。

「サザンでいいだろ?」
「ハマショーだ」
「サザンだ!」
「ゼッタイ! ハマショーだ!」

ジャンケン、ポン!

チェッ!(ススキダは、必ず最初にパーを出すわかりやすい男だった)

3時間以上のドライブの間、二人とも無言だった。

私たちは、筋金入りの「サイレントマン(?)」なのである。

勝負は、2分ほどでついた。

「睨むの、やめてくれる?」
オーナーが、震える声で、泣きを入れた。

それでも無言のススキダ。
彼は無言でゆっくりと店内を見回し、オーナーから離れて、カプセルの方に興味を示した。
オーナーがこっそり息を吐くのが見えた。肩が大きく上下している。

そして、それを誤魔化すように、大声で酸素カプセルの説明をし始めた。
人間は、しゃべっていると、落ち着いてくるようである。
猫背気味だったオーナーの背が、また段々と反ってきた。

「わかるだろ? 体験してみたら、もっとわかるよ。画期的なんだ! こんなに効果抜群のマシンは、今までなかったんだぜ!」
「有名なアスリートも使っていて、効果は実証済みだ。うちにもお相撲さんが、たまに利用しに来るんだよ。これ、宣伝に使えるよな。すごいだろ!」
「こんなすごいものが、流行らないわけがないんだ。流行らなかったら、それは宣伝の仕方が悪いってことさ。あんたの文章にすべてかかってるんだからな」

それに対して、ススキダは、こう言い返す。
「マシンが良くたって、店の立地が悪いですよ。全然目立たない。看板も幟(のぼり)も道路から見えないでしょ」
「相撲取りなんて、ただのデブじゃないですか? 健康器具の宣伝になんか使えません。まったく逆効果」
「文章だけで客が来るなら、社長は何をするんでしょうかね」

オーナーは、ススキダの問いを無視して、ステレオのスイッチを入れた。

前回訪問したときも思ったのだが、大きくクローズアップされる問題点が、ひとつ。
それは、店内に流れるBGMが、矢沢永吉オンリーなこと。

健康カプセルと永ちゃん。
それが合っているか、合っていないかは、「好みの問題」とだけ記しておきましょう。

ススキダの極道顔が、さらにシャープになる。
私は、あえてその理由を述べないことにする(熱狂的な永ちゃんファンを敵に回したくないので)。

ススキダが、シャープな顔のまま、健康カプセルを体験した。
30分体験して、ススキダは血色のいい顔で生還した。

「いいですよ。大変気持ちよかった。体が、奥の方から生き返る感じですね。入る前は軽い頭痛があったんだが、いまは完全に消えている。想像以上に効いてますね、これは」

そんなススキダの感想を聞いて、オーナーは喜ぶかと思ったが、「当たり前だろ!」と、大きな声で怒鳴るのだ。

「だから俺は言ってるんだよ! これは効くんだ! みんなそれがわからねえ! こんなにすごいマシンはないんだ! 当たり前のことを言われても、おれは全然嬉しくないね!」
胸を反らし、我々を睨みつけるオーナー。
我々を睨みつけても意味はないのだが、彼は、そうせずにはいられなかったのだろう。

思っていたほど伸びない客足。冷ややかな反応。
「こんなはずじゃなかった」という思いは、相当強いはずだ。
必要以上に力んだその姿は、孤高の戦士を思い起こさせる。

しかし、ススキダもプロである。
彼の意見には、容赦がない。

「とにかく立地条件が悪すぎる」
「『憩いのスペース』というキャッチコピーも、ありきたりでつまらない」
「いろいろ効能が書いてあるが、どれも説得力がない」
「人に手っ取り早く認知させたいのなら、ケチケチしないで、一定期間無料券を配るとか、10分間だけの体験サービスをするとか、思い切ったことをしなければ駄目だ。認知させることが先決だ」
「それに、音楽が偏っていて、居心地が悪い。環境音楽を流せとは言わないが、もう少し落ち着いたものを流したらどうか」

しかし、オーナーは、それに対してことごとく反論するのだ。
「無料券なんか配ったって、その場限りだよ。だいいち無料券なんて、有難味がない」
「10分間体験したって、このマシンの良さがわかるわけがない」
「俺はとにかく、人にのんびりする空間を提供したいだけなんだ。だから、他の同種類の店よりも格安で提供している。俺は利用者のことを第一に考えているんだよ」
「音楽は、絶対に譲れねえ! 俺にとって、永ちゃんは神だ!」

頑固なお方である。
相変わらず、人の言うことを全く聞かない。

それに対して、ススキダは意外にも小さな声で、こんなことを言うのだ。
「まあ、そういう考え方、俺は嫌いじゃないけどね」

ということで、ススキダは、半ば呆れ、半ば感心しながら、文章を書くことを請け負ってくれた。
超特急で書いてくれたので、連休前の折り込みに何とか間に合わせることができた。

その反響は、まだわからない。

ただ、出来上がった印刷物を見たときにオーナーが、何も言わずに握手を求めてきたときは、嬉しかった(少し寒気がしたが)。
気に入って貰えたようである。

夜、ススキダに電話でそのことを話した。

「俺さあ、あれから癖になっちゃってよぉ。健康カプセルの店を近くで探して、レイコ(ススキダの奥さん)と一緒に、一日おきに行ってるんだよ。レイコなんか、5才くらい若返ったぜ。俺? 俺は10才若返ったかな。お肌、ツルッツルッだぜ! クソも毎日出るし(下品!)」

電話を切った。

嘘かマコトか、皆さんも機会がありましたら、ぜひお試しください。

私は、嫌ですけどね(だって、音楽が・・・)。



★ツルッツルッの人は、CG「長い廊下」



団地の公園で、小猫にカニかまを上げていたら、「何をしてるんですか」と70年輩の男の人に、強い口調で言われました。

「エサをあげてます」と言ったら、草むらに立てかけられた看板を指さして、「あれが見えないのか!」と言われました。

その看板には、「犬、猫を捨てた人は罰金です」と書かれていました。
私は猫を捨てたわけではありません。エサをあげていたのです。

だから私はもう一度、「エサをあげてます」と答えました。
すると男は、「違反なんだよ!」と肩を怒らせます。

「違反ですか?」
「違反だ!」

面倒くさくなったので、小猫を抱きかかえて、公園真向かいのアパートの駐輪場まで行って、そこでエサをあげました。
その姿を見て男は、「あんたなあ!」と言い出しましたが、おりよく通りかかった女子中学生4人組に「わー、可愛い!」と寄ってこられたので、男の罵声から逃げることができました。

カニかまを小猫に上げる中学生4人と中年男1人。
それは、我ながら微笑ましい光景だと思いますが、私は何かいけないことをしたのでしょうか。

ずっと、男が、向かいの公園から睨んでいました。


2008/10/15 AM 07:24:36 | Comment(3) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

携帯電話は持ってません!
前回、体調を崩した、と書いたら、思いがけずメールやコメントを多くいただきました。
ありがたいことです。
おかげさまで、体調は元に戻りました。

15キロ走ったあとに、久米仙をストレートで一気飲みしてはいけませんよね。
反省しております。

さて、話変わって・・・、
携帯電話を持たなくなって、ほぼ2年。
その経緯に関しては、こちらに書いた(こちらも参照)。

携帯電話は、いまの時代欠かせないアイテムである。
小さなコミュニケーションツールとして、これほど便利なものはない。
そして、日に日に進歩している。

こんな便利なものを使わないのは損だ。
ましてフリーランスは、いつ仕事の電話がかかってくるかもしれない職業だ。
携帯電話がないと、仕事を逃す確率が高くなるのではないか。

みんなそう言う。
そして、私も最初の1ヶ月はそう思っていた。
だが、携帯電話は、なければないで何とかなるものだということが、すぐにわかった。

私が暇なフリーランスだということもあるが、緊急の仕事や苦情の電話が、ほとんどないのだ。
家に帰ってから、留守電を確認してからアクションを起こしても、遅すぎることはない。
中には、「今ごろ遅いんだよ!」と嫌みを言う人がいるが、詳しく話を聞いてみると、それほど緊急性がないことがほとんどだった。

ただ、「大変だ!」「困った!」という現状を誰かに早く伝えて、自分の気持ちが楽になりたいだけなのである。
つまり、電話をかけることによって、心の保証を得たいだけなのだ。

先々週、初めて行った企画会社で、「携帯持っていないんですよ」と若い女性担当者に言ったら、「ああ、それわかります。私も、大学時代まで持っていなかったんですよ。今は会社から無理矢理持たされてますけど、本当は持ちたくないんです」と賛同してくれた。

たいていは、「はあー!?(コイツ、アホか)」という目で見られるので、この反応は新鮮だった。
そして、彼女は、こうも言うのだ。
「私の生活の中で一番必要がないのは、携帯電話。次が、銀行ですね」

なぜ、銀行?

「給料が振り込みなのは仕方ないとして、私は引き落としって嫌なんですよ。いつの間にか、口座からお金が消えていくわけですよね。それって、危険だと思いませんか? 皆さん、電気会社やガス会社、銀行をそんなに信じちゃっていいんでしょうか。相手が間違えるって思ったことないのかしら。私は、公共料金は、全部自分で支払いに行きます。その方が、自分が電気やガスを使っている実感が間違いなく持てます。銀行の引き落としでは、そんな実感持てませんからね。勝手に消えていくだけですから。それに、わたし銀行信じてないし・・・」

ほーーーー。
なかなかユニークで、筋の通ったご意見ではないか。
私が感心していると、「私って変でしょ?」と言うのだ。
ただ、「変でしょ」と言いながらも、自分ではあまり変だと思ってない意志の強さが、勝ち気な目に現れていた。

まあ、少数意見だという意味では、変かもしれないけど、その考え方は説得力がありますよ。

私がそう言うと、「Mさんも、少数意見で苦労しているんでしょうね」と、同情されてしまった。
そして、「私は、Mさんが携帯電話を持たない主義を応援しますから」と真顔で言われた。

私の場合、「主義」というほど、筋金入りではない。
成り行きで、こうなっただけである。
ただ、成り行きだったとしても、2年も続ければ、これは意外と立派なのではないかと、自分で自分を見直している。

しかし、公衆電話が町中から一気に減ったのには、困った。
電車が事故で遅れるなどというときに、得意先に遅れることを伝えるため、ホームで公衆電話を探しても、全てのホームに公衆電話があるというわけではない。

私が利用するホームから、はるか離れた番線の一番隅に公衆電話があった場合は、そこに行くまでが大変である。
公衆電話に行列が出来ていることはないので待つことはないが、そのときだけ10円玉を切らしていた場合は、さらに悲劇である。

いまどき、売店でテレフォンカードは、売っていない。
結局、10円玉をお釣りで貰えるように、欲しくもないものを買うしかないから、この余計な出費が腹立つのだ。

しかも、昨日なんて、電話をしたあと気が抜けてしまって、目の前に来た電車に反射的に乗ってしまったし。
空いているぞ、眠れるぞ、と嬉々として座ったら、目が覚めてみると、行き先とは全く反対側の大井町駅だった。

・・・・・・・呆然。

いや、だからといって、これを携帯電話を持っていないせいにするというのは・・・ちょっと・・・ねえ・・・?。



★持っていない人は、CG「中庭に何が?」



先日、こんにゃくゼリーを食べて窒息した幼児がいたことが話題になっていました。

ネットの記事やコメントを読んでいると、餅と絡めている意見がかなり多く見受けられました。
「餅を喉に詰まらせて亡くなる人は、ゼリーの比ではない。ゼリーを規制するのなら、餅だって」という論調です。

これは、正しい意見ではありますが、この意見の欠陥は、亡くなった人の数を単純に比較するという「論点のずれ」があるところです。

私は、餅は餅で、この問題点を解決しなければいけないと思いますし、ゼリーはゼリーで解決すべき問題だと思っています。

そもそも、食品の性質が違うのです。
亡くなった人の数を比較したら、ゼリー擁護論に傾いてしまいます。

人が亡くなった、という事実。
これが、一番重要なのです。
食品会社は、 どんなときも消費者に安全な食べ物を提供する義務があります。
それは、亡くなった人数には関係ありません。

餅は餅で、独自に問題を吟味すべきです。
そして、ゼリーも独自に問題点を解決すべきです。

まして、ゼリーを与えた親や、その関係者を責める論調は、問題外です。
それは、まるで安っぽい裁判ドラマの冷徹な検事のようです。

人の命が失われた事実は、比較論から外れたところで検証されるべきだと私は思います。


2008/10/13 AM 07:53:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

孤独な俺
前回の無理がたたったのか、点滴を受けるはめになってしまった。
結局、次の日、一日何もできなかった。
ヒジキとジャガイモを具にしたコロッケが無性に食いたかったので、それだけは夕飯に作ったが、あとは死んだも同然だった。

だからというわけではないだろうが、孤独だ。
誰とも意見が合わない。

俺って、本当に変人なのか、と自己嫌悪。

話の発端は、中学1年の娘が行く中学で、持久走が始まったこと。
そして、高校3年の息子の行く高校で、9キロ走があって、これを完走しないと、どんなに他の種目の成績が良くても体育の単位が貰えないということを聞いたこと。

そこで、私は先週末、友人との飲み会の席で、「馬鹿げてるんだよ」と言ったのである。
私も含めて、4人全員が大学時代、陸上部にいた。
私以外は、全員が長距離の選手だ。

通りすがり、私が中学の体育の授業で、校庭を走っている子どもたちを見ていたら、教師二人(一人は女性)が、「何やってんだよ、おまえ! もっとスピード出せよ! 歩いたら、居残りで5キロ走らせるぞ!」とか「止まったら、髪の毛むしるぞ!」「女に負けて恥ずかしくねえのか! 今度から、○○子ちゃんて呼ぼうか! ○○子ちゃ〜〜ん!」、そして「なに、チンタラ走ってるんだよ!」などと叫んでいたのを聞いたのだ。

教師は、生徒をそんな表現で励ましていたのかもしれないが、私は彼らの叫ぶ声を聞いて「それは違うだろう」と思ったのである。

持久走というのは、自分のペースで走るものだ。
人から手を抜いていると思われるくらい、力を抜いて走るのが丁度いい(そうしないと、有酸素運動は、乳酸がたまりやすいんですよ)。

私は、このブログで何度か、みんなで同じ距離を走る馬鹿馬鹿しさを述べたことがある(たとえば、コチラ)。

人間の体は、長距離向きと短距離向きに分かれている。
長距離は苦手だが、短距離は得意だという人がいる。そして、その逆の人もいる。もちろん、両方苦手という人もいる。
これは、一度800メートルを走らせてみたら、簡単に判断できる。
走る能力は、筋肉の比率による生まれつきのものなのだ(もちろん、ある程度、練習で筋肉の比率を変えることは可能だが)。

私は今回も酒の席で、違う能力の人間が同じ距離のレースをして、人より遅かったら罵声を受けるという「平等」に名を借りた「理不尽な一律性」は何とかならないか、と主張したのである。

しかし、陸上部のOBたちは、「いいんじゃないの」と言うのだ(スポーツに全く興味を示さない私のヨメも『いいんじゃないの』と仰有っている)。

「親が普段きついことを言ってもいうことを聞かないんだから、学校でくらい、ガツン! と言ってもらいたいよな」
「ゲームし過ぎて、体がなまってるんだから、体育でビシッと鍛えてもらいたいもんだよ」
「それに、いちいち生徒の能力に合わせた授業なんか出来ないよ。学校の先生も忙しいんだからさ」
「持久走は、根性がつくと思うよ。あきらめない心が作られるなら、いいんじゃないの」

それに対して、私はひとり抵抗するのだ。

持久走で根性がつくというのは幻想だ。体力も付かない。持久走が終わってしまえば、元通りだよ。
人はみんな違う個性と能力を持っている。そして、得意な種目と不得意な種目がある。不得意だからといって逃げてはいけないが、不得意な子は不得意の範囲でやらせればいい。
5キロ走れる子は5キロ走ればいいし、1キロしか走れない子は、1キロでいいのだ。
みんなが「平等に」走る必要はない。
ただ管理がしやすいからといって、一律に同じことをさせるのは教育の怠慢だ。
他の子が5キロ走っているからといって、5キロ走れない子が頑張っていないというわけではない。
そんな評価、馬鹿馬鹿しくないか。1キロ走って、4キロ歩いたっていいじゃないか。
「チンタラ走った」かどうかは、教師の印象だろう。本人は真剣かもしれない。

「おまえなあ、青臭いこと言うなよ。同じことをさせた方が評価がしやすいし、公平な評価が下せる。人の評価ってのは、同じことをさせないと出来ないものなんだよ」
「教育は、人を教えることも大事だが、人を評価することも大事なんだ。同じことをさせて適正を見る。教師の仕事は、子どもを評価しないと終わらないんだよ。評価しないと無能だと言われるんだ」
「たかが持久走だろ。体育なんて沢山ある科目の中の一つだし、持久走はその中の種目の一つだ。それは、生徒にとって、方程式を学ぶのと同じ程度のものでしかない。体育の授業で教師に罵られても、体操着を脱いだらもう忘れているさ」

いや、俺が言いたいのは、そう言うことじゃないんだよ。
教育が評価を伴うのは仕方がないとしても、不得意なものを基準に評価を与えるなってことなんだ。
誰にでも不得意なものはある。
しかし、不得意なものを評価の基準にしたら、それはマイナスからの評価にしかならない。

1キロしか走れなかった人間が、練習の成果で2キロ走れるようになった。でも、他の子は5キロ走れるんだ。
彼が「今までの倍」走れるようになったとしても、5キロに対しての2キロだから、評価が低いままなんだ。
俺は、その評価の仕方が、気に食わないんだよ。
たとえば、2次方程式が出来なかった子が、出来るようになった。その子は、数学では点数が貰えるが、持久走で2倍の距離を走れるようになっても、点数は貰えないんだ。そこが、違うんじゃないかって、俺は言ってるんだよ。

それに、技術論のない感情的な汚い「罵声」も気に食わない。

ハハハ、と呆れられた。
そして、話を強引に打ち切られた。

「まあ、おまえは大学時代、後輩たちの能力を細かく分析して、褒めまくって力を引き出したけど、今時そんなの流行らないよ。叱った方が、手っ取り早く言うことを聞かせることができる。人間は、そんなもんだ。叱れば動くんだ」

・・・・・・・・・・・・・・。

孤独だ。俺は、孤独だ!

誰も俺と意見が合うやつがいない!

やけ酒だ! 「久米仙」を一気飲み。キムチを一気食い。
口が臭い。頭が痛い。そして、娘に「臭え! あっち行け」と怒られた。

体調を崩した。

くそっ!
俺は、孤独だ。



★孤独な人は、CG「ここが隠れ家?」



最近の明るいニュースは、やはり日本人の化学者・科学者がノーベル賞を取ったことでしょうか。

この方たちの頭脳構造は、きっと宇宙的な広がりを持っているのでしょう。
猫の額よりも狭い面積しかない私の脳味噌では、彼らの偉業を理解することができません。

だから、「素晴らしい! ブラボー!」と言ってはみたものの、すべてがチンプンカンプン。

いったい、どこがすごいんだろう?

・・・・・・・・・・思考停止。

ただ、いつも不思議に思うのは、最近の受賞日本人の多くが東大以外をテリトリーにしていること。

日本における最高にして最優秀の学府は、独創的な発想が苦手なんでしょうか。
あるいは、地道な研究が嫌いとか。

それとも、世間が、「東大」というだけで崇め奉る風潮がいけないのでしょうか。
それだけで、一つの大仕事を成し遂げたような錯覚に陥っているとか・・・。

え? そうですよ。もちろん、ひがんで言ってますよ、オレ。


2008/10/11 AM 08:13:05 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]

人と出会ってなんぼの商売
フリーランスは、人と会わなければ仕事が回ってこない。
こんな当たり前のことを実感した一日。

一日で、急ぎの仕事を3件こなした。

一つは、ホームページ。
これは、4ヶ月前に頼まれたもので、最初の1ヶ月は、「あそこを直せ、ここを直せ」と頻繁に言ってきたが、その後は3ヶ月近く音信不通だった。
そこで、「依頼を受けて3ヶ月以上たつので、請求書を送りたいのですが」と電話をしたら、またいきなり火が付いたように修正が立て続けに入り、ページも4ページ増えたのである。
10月8日までにサーバにアップしたいという気の変わりように驚きながら、何とか終えたのが午前3時過ぎ。

疲れますよ(いろいろな面で)。

そして、次が健康食品のパッケージのデザイン。
これは、サンプルがあるので、比較的楽に出来た。
これが、約1時間半。
時刻は、午前4時45分。

仕事は、あと一つあるのだが、高校3年の息子の弁当を作らないといけないので、しばし中断。
豚肩ロースを味噌カツ風にしたものと餃子の具をピーマンに詰めてオーブンで焼いたもの、そしてポテトサラダとブロッコリーのあんかけがおかずである。
あとは、梅、ツナマヨ、肉味噌を具にした特大おにぎりが3つ。
これだけ食っても、3時頃腹が減るというのだから、おそろしい食欲である。

そのあと家族の朝メシを作って、6時過ぎに仕事場の椅子に座ったまま仮眠。
「おい、学校行って来るぞ」と中学1年の娘に椅子を蹴飛ばされて起床。
1時間しか寝ていない。
中途半端な睡眠は、かえって体がだるくなる。

私の顔を見て「ひでえ顔だな」と呆れる娘を見送って、また仕事にかかる。

次の仕事は、以前ブログに書いたこともある健康カプセルのチラシである。
前回作ったチラシは、クライアントが持ってきたデザインを全くいじらずに印刷した。
それは、クライアントには申し訳ないが、とても悪趣味なチラシだった。

ただ、クライアントがこちらの説得に全く聞く耳を持たなかったとはいえ、根気負けして、そのまま作ってしまったのは、プロとして恥ずかしい仕事だと言える。
だから、結果がとても気になっていた。

「ぜ〜〜んぜん、反響なし! やっぱ、駄目だな! 完敗だよ、完敗! あんたにまかせた!」
ということで、今回は私の方法で全てやらせてもらえることになった。
部数も5千部から2万部に増えた。

おもて面はイメージ主体で健康をアピールし、うら面はありきたりだが、体験談を載せることにした。
これは、友人のコピーライター・ススキダに無理を言って体験してもらい、文章を書いてもらうことにした。
このときの極道顔ススキダと酸素カプセル店のわがままオーナーとのバトルは、大変面白いものだったので、これはブログネタに困ったときに書こうと思う。

この初稿が仕上がったのが、午後1時前。
本当なら寝たいところだが、今日は3時にWEBデザイナーのタカダ君(通称ダルマ)と会う約束をしている。
ダルマとトモちゃんの間近に迫った結婚披露宴の最終打ち合わせをするためである。

レストランを借り切って行う結婚披露宴。
ダルマの得意先のイベント会社が、ボランティアでプロデュースしてくれる披露宴は今月25日に行われる。

今まで、ダルマとは、2度打ち合わせをした。

2度も打ち合わせをすれば十分だろう、仲人とは言っても、俺は座っているだけだからな。もう打ち合わせることなんかないよ。

しかし、ダルマが、ぜひイベント会社の担当者に会って欲しいと懇願するので、ダルマの顔を立てて会うことにしたのである。
イベント会社は、原宿にある。

電車が混んでいて全く眠れなかったぞ! 今日の睡眠時間は1時間。だから、俺は機嫌が・・・・・・。

ダルマに嫌みを言おうとしたが、横にいるトモちゃんの爽やかな笑顔を見ていたら癒されたので、肘打ちだけで済ますことにした。
肘打ちが見事にダルマの脇腹に決まった。

初めて会うイベント会社の担当者は、髭が濃かった。笑うと目が「まりもっこり」になった。
和んだ。

和んでしまったのが、いけなかったのかもしれない。
打ち合わせの最中に、強烈な眠気が襲ってきた。
どんなに頑張っても目蓋が下がってくる。脳内は半分以上、機能が停止している状態だ。

すると・・・・、
「師匠! 師匠! 起きてますか、聞いてますか?」

ハイッ! 聞いてまっしぇ〜〜〜〜ん。

その言い方が、トモちゃんの笑いのツボに入ったようだ。
トモちゃんは、6分20秒ほど、痙攣したような笑いが止まらなかった。

完全に機能停止した私を見て、「徹夜ですか」と、イベント会社の担当者が聞いてきた。
はい(1時間寝ましたが)。
「申し訳ありません。ご無理を言って、来ていただいて」
いやいや。別に無理では(ホントは、嫌々来たんですよ)。

打ち合わせは、1時間弱で終わった。
最後に、担当者が気を利かせて、「濃い珈琲を飲んだらどうですか」と、いかにもまったりした色の珈琲を私にだけ出してくれた。

担当者は珈琲を置くと、5メートルほど離れた自分のデスクに座って、書き物を始めた。
気を遣って、席を外してくれたようである。
お言葉に甘えて、おそろしく濃くて苦い珈琲を飲んでいると、ダルマが「これを」と言って、封筒を私の方に押し出した。

はん?

「今回、招待状とかカードとか、リーフレットを作っていただいたお礼です」

はん?(怒)

「俺たちが最後に皆さんに挨拶するときの文章もアドバイスしていただきましたし」

はん?(怒怒怒怒怒)

俺がそんなことで、金を取る人間に見えるか、てめえ!(品の悪い言葉) 友だちを何だと思ってるんだ! 東京湾に沈めてやろうか!(ヤクザか) 榛名山に埋蔵金と一緒に埋めてやろうか!(意味がわからん) 仲人やんねえぞ! クソやろう!(あまりにも下品)

寝不足なので、怒鳴ったら、軽くめまいがした。

ダルマが固まっている横で、トモちゃんが封筒を零コンマ3秒でバッグにしまい、素早く立ち上がって深く頭を下げた。
ダルマは、蒼白なダルマになって、目だけが素早い瞬きを繰り返していた。

「ダルちゃん、立ちなさい!」とトモちゃんに叱責されて、我に返ったダルマはバネ仕掛けのように立ち上がり、トモちゃんと二人で頭を下げた。

その光景を見ていたイベント会社の担当者が、「Mさん、ぜひMさんにやって欲しい仕事があるんですが」と言うではないか。

なぜ?

「いやあ、ただ何となく出したくなったんですよ、Mさんに仕事を」

はあ?

「なんとなくですねえ、やっぱり」

フリーランスは、やはり人と出会ってなんぼの商売である。



★なんぼの人は、CG「ルーフバルコニーで」



寝不足はつらいものです。

前述した結婚披露宴の打ち合わせを終えた後、新宿駅で急に気分が悪くなりました。
ベンチを探して腰掛けようかと思いましたが、ベンチはどれもふさがっています。

ベンチを探して歩き回っているうちに、よけい気分が悪くなり、ほとんど夢遊病者のように歩いていました。

都会は、無関心な人が多いと言いますが、それはどうでしょうか。
私の具合の悪い姿を見て、声をかけてきた人が3人いました。

「顔、真っ青ですよ」「病気ですか」「どこか具合悪いんですか」

10代後半から20代前半の男女です。

「駅員さん、呼びましょうか」とも言ってくれました。
「新聞紙持ってるから、それを敷いて、腰掛けたらどう? ちょっとお尻が冷たいけど、立ってるよりはいいよ」
そう言ってくれた人もいます。

3人目の人は、未開封のミネラルウォーターのペットボトルをくれました。

この水が、思いのほか効いて、気分が良くなってきたのです。
そして、あたたかい言葉の数々も、おそらく・・・。

人間は、やはり人と出会ってなんぼの生き物ですね。


2008/10/07 AM 07:09:29 | Comment(4) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

宇都宮線でもらいもの
同業者が宇都宮に引っ越したので、様子を見に行くことにした。

最寄り駅から宇都宮駅までは、各駅停車で1時間10分かかる。
ちょっとした小旅行だ。

午前11時過ぎの下りは空いていたので、4人がけのボックスに一人で座った。
座ってすぐ、発泡酒を一気飲み(アル中か?)。
そして、目をつぶった。

終点まで行くので、乗り過ごす心配は全くない。
1時間10分の睡眠は、何よりのご馳走だ。
だから、寝る気満々で目をつぶった。

いつもの私は、5秒以内で必ず眠る。
しかし、その4秒目に、膝を叩かれてしまったのである。
「兄さん、兄さん」

目を薄く開けると、歯の出具合がやたら目立つ50才くらいのおばさんが、私をのぞき込んでいた。
ほぼ金色に近い髪をアップにして、頭の上で丸くまとめている。
これで眼鏡のフレームが赤だったら漫画だな、と思ったが、眼鏡は普通のメタルだった。

おばさんは、もう一度「兄さん」と言った後で、弁当を私の前に差し出した。
「大宮弁当」という紙でくるまれた駅弁。

大宮弁当?
初めて聞いた。
なんだ? このビミョーなネーミングセンス。
そのままやん!(なぜか関西弁)

大宮弁当、という響きを聞くと、まったく美味しそうに感じないのは何故だろう。
何も無理矢理ご当地弁当を作らなくてもいいんじゃないか。
何を考えているんだ、まったく!

そんな疑問が、私の顔に出ていたのだろう。
「え? 何? この弁当、変かい? けっこう高かったんだよ。でも、間違えて一つ余分に買っちゃったんだよ。だから、兄さんにあげようと思って。もしよかったら、どう?」

今日もまた、私の眼からは強烈な「何かくれ光線」が出ていたようである。
もちろん、くれるというものは、ありがたくいただく。

それでも一応、「いいんですか?」と聞いてみる。
「いいよ、いいよ」
盛大に出た歯を隠すこともせずに、おばさんが笑顔で頷いた。
歯茎がピンク色をしているところを見ると、歯肉炎にはかかっていないようだ。
うらやましい。

両手で押し抱くようにして受け取った。
「ありがとうございます。助かりました」

おばさんは、大きく頷くと、満足そうな顔で自分の席に帰っていった。
見ると、他に同年輩の女の人が4人と男の人が1人いた。
つまり、総勢6人。

しかし、そんなに大勢というわけでもないのに、何で弁当の数を間違えたのだろう。
一桁の数を間違えるほど、ボケていたのか。
それとも、本当は7人来る予定で7つ買ったものの、一人がドタキャンをしたので余ってしまったのか。
あるいは、大宮弁当というベタなネーミングに嫌気がさして、買ってはみたものの食べる気がなくなってしまったからか。

まあ、どちらでもいい。
とにかく、ありがたい。
これで、昼メシの心配がなくなった。
安心して、終点まで夢の世界に浸ることが出来る。

目をつぶった。

するとまた、「兄さん、兄さん」。
今度は、3秒目だった。
薄目を開けると、歯の出たおばさんがまた覗いていた。

「悪かったね。弁当だけもらっても困るよね。飲み物がないとね。お茶も余ってるから、もらってくれる?」
もちろん、もらいます。
ペットボトルの「伊右衛門」をもらった。

窓の外を景色が流れていく。
旅情を誘う、というほどの景色ではないが、車窓を眺めていると、気分がリラックスしていくのがわかる。
脳にアルファ波が浸透していくのが、間違いなく感じられる時を過ごしていた。

目をつぶった。

まさか、もうくれるものはないだろう、と物欲しげに薄目を開けて待っていたら、今度は「兄さん」も言わずに、「チーたら」をくれた。
ドライマンゴーもくれた。
そして、イカの薫製もくれた(けっこう臭い)。
さすがに、もう終わりだろうと思ったら、ワンカップの酒までくれた。

この6人、一体どんな集団なんだ!

結局、宇都宮駅に着くまで、まったく眠れなかった。

私は、自分の目が放つ「何かくれ光線」が、少しばかり鬱陶しくなった。



★鬱陶しい人は、CG「殺風景なキッチン」



韓国で、ネットの中傷が原因で有名女優が自殺したという記事を見ました。

本当かどうかわかりませんが、記事によると、韓国のネットでの誹謗中傷・ゴシップの捏造・他人への攻撃は、日常茶飯事で行われているそうです。
それが、ただ単に「ストレス解消」で行われているというから、もし本当なら、異常としか思えません。

ネットの意見は、極論と極論がせめぎ合って、中立論が埋没する傾向にあります。
言論の自由は、万人に等しい権利ですが、匿名による根も葉もない誹謗中傷まで保護するのは、「ネット自体の自殺」に繋がる危険性があります。

「ストレス解消」という歪んだ動機だけで、ネット社会を壊す行為は、テロに等しいのではないかと、私は思っています。


2008/10/05 AM 07:57:28 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

尻ポケットにあった500円玉
得意先の帰りに、大宮公園のベンチで休んでいた。
約1週間ぶりの晴れ間が覗く空を見上げ、得意先でもらった甘すぎるペットボトルのミルクコーヒーを我慢して飲みながら、溜め息を付いていた。

別に、人生を悲観して、溜め息を付いていたわけではない。
「こんなときは、ビールが飲みたいよな。なんで甘いミルクコーヒーを飲まなきゃいけないんだ」という溜め息である。

季節は、秋。
思いのほか涼しい風が体を包み込んでいるときに、冷たいミルクコーヒー。
どうせ冷たいのなら、ビールの方がいいだろう。

まったく・・・・・、ハァー・・・。

チェッ!

舌打ちとため息。
何かを蹴飛ばしたい気分である。
しかし、蹴飛ばすものは何もない。

鳩が近くに寄ってきたが、鳩は平和のシンボルである。蹴飛ばしてはいけない。
カラスが木の上で「クァー!」と鳴いている。
しかし、カラスを蹴飛ばしたら、報復が怖い。
彼らは、賢い。
か弱い私など、ボコボコにされてしまうだろう。
だから、それは、できない。

イライラ感が、募る。
私が座ったベンチから100メートルほど先に売店がある。
生ビールを売っているらしいが、500円という非常識な値段だ。

それは、喧嘩を売っているとしか思えない金額だ。
私の手にバズーカ砲があったら、その店は、確実にターゲットになっていただろう、などと思いながら、甘いミルクコーヒーをまた飲んだ。

小説でも読めば、「ビールが飲みたい病」は消えるかもしれないと思って、バッグから文庫本を取り出した。
いま読んでいるのは、東山彰良の「逃亡作法」である。
軽快でスピード感のある文体は、小気味いい躍動感があって、いい意味でコミック的な読みやすさを感じさせる。

これを若い映像作家が映像にしたら、疾走感のあるアクション映画が出来るのではないか、と前半を読んでいて思った。

と、そんなことを考えていたら、突然右の尻ポケットに違和感を感じた。
木のベンチで同じ姿勢をとるとつらいので、位置を変えたときだった。
右の尻に固いものが当たる。

普通の人は、尻に肉が付いているから感触が鈍いかもしれないが、尻に肉の少ない私は敏感なのである。
「これは、500円玉だな」

衣替えで、久しぶりにはいたズボンの尻ポケットに、500円玉が入ったままだったのだろう。
絶対に間違いがない。
確信を持ってポケットに手を入れたら、想像通り500円玉が1個入っていた。

これで、生ビールが飲めるか?
いや、わざわざ500円も払って、高いビールを飲む必要はない。
500円は、もっと有効に使うべきだろう。

大宮氷川参道を少し行けば、コンビニがある。
そこで500缶の発泡酒を買い、おにぎり2個を買えば、豪華な昼メシになる。
「それでいいじゃないか」と意を決して、立ち上がった。

秋風に吹かれて、オンボロ自転車で氷川参道を抜けようとした。
そのとき、参道と平行に走っている道路脇に屋台があるのが見えた。
車の後部を販売スペースにしたやつである。
車の横に、「本格インドカレーを500円で」という看板が掛かっている。

500円。
これは、何かの縁ではないだろうか。
思いかけず500円玉を手にしたとき、500円の屋台を見かけるというのは、神のお導きとしか思えない(?)。

私は、オンボロ自転車を道路脇に寄せて、屋台の後部を覗いてみた。
いい香りがする。
芳醇なスパイスが鼻孔をくすぐる。大きく息を吸うと、目の前にインドの風景が広がる(インドには行ったことがないが)。

私は、反射的にメニューの2番目にあった「野菜カレー」を頼んでいた。
「辛さは?」と聞かれたので、これも反射的に「辛いやつ」と答えた。
しかし、これが失敗だった。

出されたものは、普通の野菜カレーだったが、三口目で悶絶した。
息は出来るが、言葉が出ないのだ。
アッチィ! という言葉を言いたいのだが、口から喉まで強烈な痛みが押し寄せてきて、口が開いたままになる。
犬のように舌を出して呼吸を繰り返し、冷たい空気を喉に送り込んでも、辛さを実感するだけである。
何の役にも立たない。

三口しか食っていないのに、この理不尽な辛さは何なんだ!

「完食出来るだろうか。完食出来なければ、500円が無駄になる」

500円のために、私は痛い辛さをこらえ、残りのカレーを一気食いした。

汗・・・・・大汗。

強烈な汗が、頭のてっぺんから膝あたりまで流れていくのがわかる。
頭が痛い。喉が痛い。唇が痛い。なぜか目も痛い。
もしこっそり私の体をサーモグラフィで覗いている人がいたら、全身が唐辛子のように赤くなった私の姿を見て、「唐辛子マンだ!」と叫んだことだろう。

店主に水をもらって、立て続けに飲んでも、むしろ痛さが強調されるだけである。
「痛い! 辛い! こんな時、どうすればいいですか」と店主に聞いてみた。

「ご飯だけを食べると、辛さが和らぎますよ。あとは、ヨーグルトドリンクですかね」

じゃあ、それをください。

「合わせて500円いただきます」

結局、500円、余分に使っちまった!



★余分に使った人は、CG「山小屋でジャンプ」



個室ビデオ店というのがあるのを知りませんでした。

ネットカフェと同じような使われ方をしているようですね。
それは、時代が生んだ商売。
法律は、最悪の事態を想定して作成されるべきものですが、誰もその想像力が働かなかった。
それは、行政の怠慢ということ。

今回の事件に関して、「格差社会の象徴のような事件だ」と言っている識者がいました。
しかし、どんな時代にも、離婚し、職を追われ、惨めな生活を送っている人は必ずいます。

彼の身勝手さと格差社会の因果関係がどう繋がるのか、その識者は示そうとしません。
「格差社会が」という曖昧な検証よりも、「どんな場所でも我々の安全は確保されるべきだ」という視点で事態を検証しなければ、同じ事件はまた起こるでしょう。

亡くなった人を犬死にさせてはならない。


2008/10/03 AM 07:12:19 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

強烈な「何かくれ光線」
朝8時半、出がけに団地の上の階のFさんに呼び止められた。
「Mさん、栗がたくさんあるんだけど、いらない?」

これから出かけるときに、そんなことを言われても・・・・・。

はい、いただきます!

大粒の栗を3キロ近くいただいた。
それを玄関に置いて、今度こそ出かけようと、下に降りていった。

「Mさん、ちょうど良かった。田舎からイチジクをたくさん送ってきたんですよ。Mさん、イチジク食べないかなあ」
中目黒に住んでいた子どもの頃、庭にイチジクの木があったから、実がなると真っ先に食っていた。
だから、イチジクは好物です。

「じゃあ、上げるよ。ちょっと待っててね」
定年を過ぎて、のんびり余生のサガさんは、小走りに家に戻っていった。
そして、いかにも重い感じの紙袋を抱えて戻ってきた。

紙袋を覗くと、イチジクが10個くらい入っていた。
「これで、タルトケーキを作ったら、子どもたちは喜ぶだろうな」と思いながら礼を言い、重い袋を抱えて一端家に帰った。そして、それを玄関に置いて、もう一度階段を下りた。

自転車にまたがり、近所の印刷会社へ。
美容院の感謝月間を告知したハガキのプリントを頼むためだ。
真夜中に機械を借りて自分でプリントしてもいいのだが、たまには仕事を頼まないと社長がすねるので、ささやかな仕事ではあるが出したのである。

それを喜んでくれたのか、社長が、「弟から米沢牛をもらったけど、俺コレステロール高いからさ。最近、魚オンリーなんだよね。Mさん、1キロ上げようか」と言うではないか。

米沢牛を1キロ!

私は、失神する振りをして、テーブルに倒れ込んだ。
この社長は、こういう大袈裟な反応が好物なので、思いっきり大袈裟にやった。

すると、社長は私の反応に満足して、「グハッハッハッ!」とのけぞって笑ったあとで、冷凍庫から茶色いラップに包まれた「米沢牛様」を出して、無造作にロジャースのレジ袋に入れた。
ロジャースのレジ袋では、「米沢牛様」が怒るかもしれないと思ったが、我が家までしばらくの辛抱である。

袋を渡すとき、社長は「Mさん、これ食べて太るんだよ。男は、もう少し貫禄がないとね」と、私の腹を叩いた。

「うわ! 固い! 何! 何か付けてるの?」

社長、世間では、これを腹筋と言うんですよ。

フッキ〜〜ン?

醜く出っぱった自分の腹をさする社長を残して、私は自転車をすっ飛ばして、我が家に帰り、「米沢牛様」を5等分にしてラップで包み、冷凍庫に格納した。
この「米沢牛様」の8割以上は、我が高校3年の息子の胃袋に入ることでしょう。

この「米沢牛様」のお姿を見たときの、息子の「米沢牛・歓喜の舞い」が、皆様にお見せできないのが残念です。

その後、もう一度自転車にまたがり、今度は駅まで行き、電車で浦和に行った。
そして、新規開拓した企画会社を初訪問。

メールのやりとりを6回して、「どんな仕事でも」と食らいついて、担当者とやっと会う段取りができたのが、前日のことである。
この機会を逃してなるものか、と早速今日押し掛けたのだ。

担当者は、若い女性だった。20歳代前半を思わせるピチピチの肌をしていた。
だて眼鏡らしきものをかけ、上着はグリーンのジャージだった(赤だったら、ヤンクミか)。

てきぱきと仕事の説明をする姿は、好感が持てる。
表情も生き生きしていた。
若いって、いいな、と思わせる雰囲気を全身で発散していた。

その女性担当者が、仕事の打ち合わせが終わった後で、少しハニカミながら、「これ、もらってくれませんか」と言うのだ。
差し出された右手を見ると、くまのプーさんがいた。

ん? 何で、くまのプーさん?

「これ、USBメモリなんです。私USBメモリをコレクションしているんですが、これ、先週得意先のパーティで配られたんです。でも、実は私、これ持っているんですよ。私は、同じものを2つ持たない主義なんです。だから、誰かもらってくれないかなあって思って」

でも、それをなぜ初対面の私に?

私がそう聞くと、女性担当者は、長い黒髪を触りながら、こう言うのである。
「初めて会ったのに、こんな失礼なことを言って申し訳ないんですが、ものを上げたくなる人っているんですよね。何かを上げても、この人なら気持ちよく受け取ってくれる。その逆に、この人には、絶対に上げたくないというひともいます。Mさんは、気持ちよく受け取ってくれそうな気がしたんです」
そしてさらに小さな声で、「うちの会社の男たちは、ゼッタイ上げたくないって人ばかりですから」と、顔を寄せて来るではないか。

なんか、ドキッとした!

「何かものを上げたくなる人」
今日、たくさんの頂き物をしたことを思い返すと、私は確実にその人種のようだ。それは、間違いない。

何故だろう?

貧乏くさいから。
いつも、物欲しそうだから。
眼から「何かくれ光線」が出てるから。

きっと、私の眼からは、強烈な「何かくれ光線」が出ているんでしょうね。
だとすれば、これを何か商売に使えないだろうか。

「何かくれ光線」に磨きをかけ、それを絶えずサーチライトのように照らして、人様から施しを受けて、楽な人生を送る。
私はいま、そんな貧しいことを考えております。



★物欲しそうな人は、CG「広い空間に」



威勢のいい排他的なことを言うと、「よく言った!」と賛同する人が、意外と多くいます。

インターネットが普及した結果、匿名で言いたいことが言えるようになりました。
匿名の人の中には、排他的な意見を手ぐすね引いて待っている人がいますから、議論が盛り上がります。
しかし、未だに大多数の人は、ほとんど「物言わぬ人」です。
だから、排他的な極論を声高に言うと、それが正論であるかのように浸透していく怖さがあります。

先日辞任したナカヤマ氏は、「威勢がいい」「排他的」「声高」の3点セットを見事に備えていました。
それらの言葉は、物言わぬ人の上を素通りして、匿名で威勢のいいことを言う人たちが受け止めます。そして、まともな議論にならないまま極論だけが、一人歩きする。

「確信犯」ではない、まともな大人が言った意見であれば、それは有意義ですが、今回の場合、問題を提起する場所とタイミングが間違ってますから、私には「危うさ」だけが肥大しているように思われます。

議論をしたいなら、正当な場所と時機をわきまえるのが、「大人」だと私は思っているのですが。


2008/10/01 AM 07:03:13 | Comment(2) | TrackBack(0) | [Macなできごと]



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