Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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汚いオッサン、綺麗なオッサン
得意先との打ち合わせを終え、帰りにリアルイラストの達人・イナバと近所のすかいらーくで会った。

イナバは先に来ていて、私の姿を見るなり、「Mさん、そのスタイルは、おかしいでしょ」と言った。
半袖の白いワイシャツに薄茶のネクタイ、薄い草色のスラックス。革靴は、黒。
右肩に、スラックスと同じ色のデイパック(UNIQLOです)を掛けていた。

これのどこが変?

「デイパックは合わないなあ。普通は、ビジネスバッグでしょ。なんかヲタクさんみたいだ」

今日は、デジカメを2台持ってきているんだよ。デジカメが入るバッグは、これしかなかったんだ。

「でも、やっぱり、おかしいな。それに、Mさん、ワイシャツがしわくちゃじゃないの。それじゃあ、まわりの人の注目を浴びたと思うよ」

私は半袖のワイシャツを2枚しか持っていない。
一つのワイシャツの脇の部分が綻んでいたので、必然的に私が着るべきワイシャツは1枚しかないことになる。
それを着ただけだ。
皺が寄っていたとしても、Tシャツで行くよりは、ましだろう。
それに、俺には、それほど皺が寄っているようには見えないぞ。

「それは、自分が気づかないだけでしょ。第三者が見れば、かなりのものだ。恥ずかしくないの?」

全然。

「それに、その無精髭。それでクライアントに会ったの? 印象悪くなるよ」

今日は、出かける寸前まで仕事をしていて、髭を剃る時間がなかった。
二日間髭を剃っていないが、私はそれほど髭が濃い方ではない。だから、そんなに目立たないと思うのだが。

「目立つ目立たないというのではなく、いかにも無精髭に見える顔でお客の前に出るというのは、失礼じゃないかな」

つまり、変なバッグを提げ、皺の寄ったワイシャツを着て、無精髭をはやしたまま得意先に行った俺は、かなり変な男だと?

「変、というより、マナーとしてどうか、と」

イナバの奢りで、生ビールを飲み、窓の外を行き交う車を見ながら、考えてみた。

カメラバッグのつもりで、デイパックを肩に掛けて行った。
他にワイシャツがなかったから、皺の寄ったワイシャツを着ざるを得なかった。
髭を剃る時間がなかったから、少々髭を伸ばしたまま出かけた。

デイパックはともかく、事前にワイシャツを確認して、アイロンを掛けておくべきだったかもしれない。あるいは、ほころびを直した方がよかったか。
髭も、前日に剃っておくべきだったかもしれない。

普通の人間なら、きっとそうしただろう。
それがマナーである、と言われたら、返す言葉がない。

しかし、私はイナバにこう言うのである。

いいじゃないか。地球上にいる60億人の中の、たったひとりに過ぎない俺を見ているやつなんかいないよ。たとえ見ていたとしても、皺の寄ったワイシャツがファッションだと思えば、何の問題もない。髭だって、ファッションだと思えば、イケてるんじゃないか。

「まったく、大人気ないオッサンだなあ。そんな屁理屈ばかり言って。俺たちは、一種の客商売なんだから、相手からいい印象を持たれないと、仕事なくすよ。同じオッサンでも、汚いオッサンと綺麗なオッサンだったら、誰だって綺麗なオッサンを選ぶよ!」

その言葉は、汚いオッサンの胸に、鋭く突き刺さった。
確かに、イナバの言うことは正しいかもしれない。
印象は大事だ(『印象派題字だ』、と変換されたので、笑えた)。

ひとは、直感で相手を探ろうとする。
その場合、綺麗か汚いかという美感は、価値判断の大きな基準になる。
そして、ひとは、相手の一番わかりやすいところで評価を下すことが多い。

汚いオッサン。綺麗なオッサン。
2つ並べたら、私も綺麗な方を間違いなく選ぶだろう。

フリーランスならなおさら、綺麗なオッサンにならなくてはいけないのかもしれない。
考えてみると、友人の京橋のウチダ氏は、確実に綺麗なオッサンである。
一流デザイナーのニシダ君も、小綺麗なオッサンだ。
WEBデザイナーのタカダは、無駄だといつも思っているが、ブランド品で武装している。
コピーライターのススキダは、顔は極道顔だが、着ているものは高級品に見える。
目の前のイナバは、アホ面だが、汚くはない。

そして、彼らはみな儲かっている。
つまり、フリーランスの場合、小綺麗なルックス、イコール豊富な仕事量、という図式になると言っていい。

今まで、「俺は、人の視線がまったく気にならない欠陥人間だ」と開き直っていたのだが、フリーランスを貫くなら、そんなことを言ってはいけないのかもしれない。

「綺麗なオッサンに、なってみるか」
呟いてみた。

私は、外に向けていた視線を店内に戻した。
目の前でイナバが、鼻毛を抜きながらコーヒーを飲んでいた(何と器用な!)。
見事なほどのアホ面である。

これは・・・・・、汚くないのか?



★綺麗になりたい人は、CG「家具だらけのリビング」


2008/06/29 AM 08:14:41 | Comment(2) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

ぼやくな! 鬱陶しい!
今年の4月に、得意先が1社倒産した。
いつもだったら、請負代金を踏み倒されるところだったが、今回は3か月前に回収していたので、危うく難を逃れた。

その会社は、結婚式や葬儀のプロデュース、小規模から中規模のパーティのプロデュース、その他イベント・プロデュース、CMの制作や、ガーデニングのプロデュースなどを手がけている会社だった。
5年のお付き合いがあったが、その間に担当者が頻繁に入れ替わった。

社員の出入りが、非常に激しい会社だった。
最後まで変わらなかったのは、社長の他に企画部長くらいのものだ。
企画部長は、楽しい人で、私と歳が近いこともあって、二人で暢気な会話を交わしていたものである(そのことに関しては、こちらに書きました)。

雰囲気の明るい会社だったが、倒産するときは、あっけないものだ。
最後に仕事をしたのが、去年の12月。
その時の担当者が、ヤスさんだった。歳は、37歳。

そのヤスさんと、大宮そごう前の歩道橋で出くわした。
「どうも、どうも」の挨拶の後、「お茶でもどうですか」と言われた。

得意先からの帰りだから、用は済んでいた。
だから、時間はある。
しかし、私は、あまり気乗りがしなかった。

ヤスさんは、典型的な「ボヤキの人」だったからだ。
仕事上での付き合いは、2度だけ。
しかし、その2回の付き合いで、私は盛大なボヤキの嵐に巻き込まれた。

事務員が入れてきたお茶が熱すぎるとぼやき、自分が使っているボールペンの字がかすれるとぼやき、応接室のテーブルがガタガタすると言ってボヤき、掛け時計が1分進んでいると言ってボヤき、口内炎の治りが遅いと言ってボヤき、自分の髭が濃いから1日に2回以上髭を剃っているとぼやき、最近合コンに誘われなくなった、とぼやくのである。

自分が体験するものすべてに対してぼやいているから、聞いている方は、うんざりする。
また、ぼやきを聞かされるのか、と思うと、首を縦に振る気にはならない。
私がためらっていると、「まあ、俺もそれほど暇じゃないんで、15分くらいにしましょうか」と勝手に時間まで決められてしまった。

10才以上も年下のやつに主導権を握られるのは情けないので、「そこの喫茶店で」という言葉を無視して、マクドナルドに入っていった。
喫茶店なんかに入ったら、15分で済むはずがないと思ったのだ(財布に314円しかなかったのも大きな理由だが)。
それに、マクドナルドなら、彼にとっては居心地が悪いだろうから、長居はしないと思った。

案の定、席に座るなり、「Mさん、よく100円のコーヒーなんて飲めますねえ。マックのコーヒーなんて、不味いものの代名詞じゃないですか」と、ぼやき始めた。
ヤスさんは、ウーロン茶を飲んでいる。
そして、ウーロン茶を飲みながら、ボヤき節が始まる。

倒産した会社の悪口、上司への批判、数社受けた会社の面接官への不満、新たに入った会社への不満。
そして、マクドナルドの空間の狭さをぼやきながら、飲んでいるウーロン茶が薄いとぼやく。
「なんだよ、床が汚いなあ。まともに掃除してるのかなあ。客商売失格だな」と、ぼやく。
「ここ、禁煙席なのに、たばこ臭いのは、何でだ?」とも、ぼやいた(全然たばこ臭くなんかなかったんですがね)。

まるで、ボヤキの王様・東北楽天の野村監督を見ているようである。
ノムラ氏も、おそらく若いころから、ぼやいていたのでしょうね。

俺以外の選手は、みんな役立たずだ。
俺だったら、ああするよ、こうするよ。
ブツブツブツブツ・・・・・・・・・。

「長嶋、王がヒマワリなら、俺は月見草だ」
そう言っている時点で、私は彼を受け入れられなくなった。
彼は、ここ数十年、私の中では、「上司にしたくない有名人ナンバーワン」である。

「長嶋、王がヒマワリなら、俺はそれを照らす太陽だ!」と言ってくれたら、ノムラ氏のことを好きになったかもしれない。
粘着質のアスリートは、私の好みではない。

どんな状況でも、「ボヤキは心の内に」が、私の基本だ。

「俺だけがわかっていればいいんだよ」と言わんばかりの傲慢に見える禅問答のような呟きは、自己愛が肥大しているとしか思えない。
偉そうに言わせてもらうが、「ボヤキを戦術や戦略の道具にするのは、フェアではない」と私は思っている(番記者がおだてるのも悪いのかもしれない)。

今日のイチャモン(ノムラファンの方には、最初に謝っておきます。ゴメン)。
東北楽天の初代監督は田尾安志監督だった。
監督経験のない彼を起用して、東北楽天は、ダントツの最下位。田尾監督は辞任した(させられた?)。

そして、2年目。
監督経験豊富で名監督の誉れ高いノムラ氏を監督に裾えたが、結果は最下位(ダントツの最下位ではなかったが)。

つまり、名監督のノムラ氏は、新人監督の田尾氏とまったく同じ結果しか残せなかったのである。
でも、今はそこそこの位置にいるじゃないか、というのは結果論である。
田尾氏だって、あのまま続けていたら、上位に食い込んでいたかもしれない。

重要なのは、まったく同じ条件で監督を引き受けながら、1年目の結果がほぼ同じだったということだ。
かたや監督1年生。かたや世間が持ち上げる名監督。
しかし、結果は、同じく最下位。

負けると、「選手が野球を知らない」とぼやく。
まるで評論家のような物言いで、本人に直接言えばいいようなことを、番記者の前で言う。
選手が野球を知らないのなら、教えればいい。
教えているのに選手が動かないというのなら、動けるようになるまで教えればいい(コーチが無能なら、彼がコーチを教育すればいい)。

それは、人に言うことではない。
名監督なら、監督対選手の中で処理すべき問題だ(あるいは、監督対コーチ、コーチ対選手)。
その態度から察すると、彼は実際の試合の戦略を考えるより、メディアに向けての戦略を考えることを重要視しているように思える。

俺は悪くない。
オレは普通にやっているのに、選手がやってくれない。

ボヤキで自分のイメージを作り上げる巧妙さは、さすがにID監督と言われるだけのことはある。
ID監督、名監督というイメージが出来上がっているから、最下位になっても文句を言われない(阪神の監督をしていたときには、3年連続の最下位だったのに、いまだに「名監督」と言われている不思議)。
他の監督だったら、間違いなく「監督失格」の烙印を押されているだろう。
こうしてみると、ボヤキというのは、自分の評価を上げる上で、かなり効果的な方法だということがわかる。

そのボヤキを有り難がって記事にする、プロもどきの記者がいる。
そうすると、ただぼやいているだけの言葉も、記事になると、それが戦略になる。
素晴らしい策士である。
その策士ぶりだけは、見事と言うしかない。

しかし、目の前のボヤキおじさんは、どうなんですかね。
絶えず俯いてぼやく姿には、戦略が感じられませんね。

「エアコンの効きが悪いな」
ヤスさんが、またぼやく。
トレイを見て「紙ナプキンが1枚しかない。ケチだな」と、ぼやく(何枚ありゃ、いいんだ!)。

そして、まわりを見回しながら、「若いやつが多くて、居心地が悪いな。Mさん、よく平気でいられますね。こんな奴らと一緒にコーヒーを飲んでいて」と、ぼやかれた。

それに対して、私はこう答える。
「コーヒー一杯が100円。こんなに素晴らしい空間を俺は他に知らない。俺にとって、これは、最高の空間だ」

チェッ!

舌打ちをされてしまった。

「出ましょうか」

ああ、出ていけ! 出ていけ!
俺は、まだこの最高の空間に浸っていたい。

さっさと出ていけ!(もちろん、心の中で言っただけ)

ヤスさんは、ひとりで出ていった。
しかし、ウーロン茶のコップをテーブルに残したままだった。

言いたくはないが、てめえの始末もできねえヤツに、ぼやく資格なんかねえぞ!
(こういうやつに限って、他人が同じようなことをしたら、眉を吊り上げて怒るんですよね)

まったく、どんな性格をしているんだか。
ブツブツブツブツ・・・・・・・・・・。

いかん、いかん! オレ、もしかして、ぼやいてる?



★ボヤきまくる人は、CG「郊外の一軒家」


2008/06/27 AM 06:56:53 | Comment(2) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

1万8千円の効果は絶大
6月24日は、娘の13回目の誕生日。

誕生日には、プレゼント。
だが、娘は「今年は、プレゼント、いらないからな」と言う。

なぜ?
「色々と金使ったからな」
しばしの間、考えてみた。
そうか、吹奏楽部の楽器などを買うのに、7万円以上かかったことを言っているのか。

それで、気を遣っているのだな。
娘は、最近我が家の経済状況をかなり心配している。
高校3年の息子が、大学受験を控えているから金がかかると思っているらしく、「しばらくお小遣いはいらないからな。友だちとカラオケに行くときだけ、くれればいいから」などと、かなり遠慮したものの言い方をするようになった。

娘は、小学3年までは、誕生日前になると、「ニンテンドーDSが欲しい」「電子ピアノ買ってくれ」「もっと大きなペンタブレットが欲しい」と、遠慮なく希望を言っていたが、4年生あたりから、「洋服だけでいい」と言いだした。

我が家が、貧乏だということを、痛いくらいに認識し始めたようだ。
今年の春、小学校の卒業記念に、ディズニーランドに連れて行ったとき、「1万円お小遣い上げるから、自由に使っていいぞ」と渡しても、結局リトルマーメードのボールペンとファイルを買っただけで、残りは「返すよ」と言って、お釣りを返そうとしたのである。

「一度上げたものは、君のものだから」とこちらが言うと、「じゃあ、郵貯に入れといてくれ」と面白みのないことを言うのだ。
楽器を買うときも、「あの時の残りを使っていいからな」と、痛々しいくらい気を遣ってくる。

中学1年の娘に、ここまで気を遣わせるバカ親父は、おそらく世の中に5人しかいない(他の4人のことは知らない)。
早く、ど貧乏から脱しなくては。

しかし、「プレゼント、いらない」と娘から言われたとしても、親父としては「はいはい」と簡単に頷くわけにはいかない。
それでは、あまりにも情けなさ過ぎる。

そこで、娘が気を遣わない方法で、誕生日プレゼントを買う方法はないかと考えてみた。
現金か? と思った。
現金を見せれば、多少は安心するのではないか。

君のプレゼントを買うために、これだけのお金を用意したのだよ、ということを不自然でない状態で見せてやれば、心が動くのではないかと思ったのだ。

しかし、現実問題として、私は金を持っていない。
このブログでも何度か書いたが、独立してから、私は小遣いをもらったことがない。
小遣いゼロの男である。

SUIKAには、いつもお金がチャージしてあるので、電車での移動には困らないから、普段は別に不自由はしていない。
JRの構内なら、SUIKAで立ち食いそばも食えるので、ほとんど食事にも困らない。
だから、現金を必要とすることがあまりない。小遣いゼロでも困らないのである。

しかし、娘の誕生日プレゼントを買うのに、「お小遣いゼロの男」と威張ってみても、虚しいだけだ。
ヨメに頼んでも、「本人がいらないといってるんだから、今年はいいわよ」とドライなことを言って、出す気配はまったくない。

どうするか、と考えた。
しかし、私は幸運な男である。
先日、ブログに書いたが、工務店の社長にいただいた図書カードが手付かずで残っていた。
総額、2万円ポッキリ。

これを売ろう。

ちまたには、金券ショップなるものがある。
私も、たまに利用する。
サンシャイン水族館の入場券が、3分の1の値段で売られている場合がある。
昭和記念公園のレインボープールのチケットが、半額以下で売られていることがある。
ファミレスの割引き券が、格安で売られている時もある。
どれも、利用したことがある。大変得をした気分になった。

券を購入したことはある。しかし、売ったことはない。
果たして、図書カードは買ってくれるのだろうか、とネットで調べてみると、買ってくれるようである。

売りにいった。

2万円の図書カードが、1万8千400円で売れた。
現金だよ! 現金!
思わず、匂いを嗅いでみた。いい匂いがした。

そのいい匂いを娘にも嗅がせた。
「1万8千円だよ。ほらほら、これが君が大好きな匂いだよ」

頭を一発殴られたが、1万8千円の威力は大きかった。
「服買いに行こうぜ! 原宿に!」
目がキラキラと輝いていた(やっぱり、我慢していたんじゃないか)。

ということで、先週の土曜日、家族で原宿に行って来た。
最初から最後までハイになった娘は、店を渡り歩き、これがいいあれがいい、いや、こっちかそっちか、と迷いながら、3枚のTシャツと2本のパンツとサンダル1足を買った。
全部で、1万1千430円なり。

歩き疲れ、代々木公園のベンチに座って、スポーツドリンクを飲む貧乏家族。
娘だけが、元気いっぱいだ。
その元気な娘が、「パピー」と私を呼ぶ。

こう呼ぶときは、良からぬことを考えていることが多い。
全身の筋肉が硬直し、脳細胞に緊張が走った。

「あのさあ、まだ少しお金残っているだろ。そこで、お願いなんだけどさ。アタシが去年観に行った『Hey! Say! JUMP デビュー&ファーストコンサート いきなり! in 東京ドーム 』がDVDになっているわけさ。確か4千円くらいだったけど、買ってもいいかな」
「いいとも〜!(古い?)」

まあ、誕生日だからいいか。
でも、ケーキ買おうと思ったんだけどな。

「ケーキなんか、いらん! いらん! あんなもん喜ぶのは、ガキだけだ」
そうですか。13歳におなりになったのだから、ガキではありませんものね。

HMVで目指すDVDを見つけ、両手でガッツポーズ。
買った後は、その場で4回ジャンプ(Hey! Say! JUMPだから?)。

そして、そのあと、人混みの中で、あらたまった顔をして「今日は、ありがとうございました」と、頭を深く下げる13歳の娘。

これだから、父親はやめられない(涙目)。



★やめられない人は、CG「いかにもCGな室内」


2008/06/25 AM 06:57:51 | Comment(68) | TrackBack(0) | [子育て]

9対1の割合で
ひとの味覚というのは、かなり違うものであるらしい。

私が、今の団地に引っ越してきたとき、以前から団地に住んでいた人たちに、必ず薦められた店がある。

「あの店のうどんは美味い」「天ぷらも最高だ」「寿司もうまいんだよね」「カツ丼もうまかったな」「ラーメンもいけるね」

要するに、何でもありの飲食店だ。
看板を見ると、いちおうKという屋号の上に、そば屋と書いてあるから、もともとは、そば屋だったのだろう。
そのうちに、ご要望のあるものを増やしていった結果、ファミレスみたいに豊富なメニューを揃えるに至ったようである。

そんなに言うなら食ってみようかと思って、ヨメと当時4歳の息子と3人で入った。
注文したのは、鍋焼きうどん。
しかし、ここで私たちは、大きく期待を裏切られることになる。

運ばれてきた鍋焼きうどんは、どこが不味い、と上げればきりがないくらい不味かったからだ。
しょう油に、ただ砂糖を加えただけとしか思えない、味に深みも何もない、つゆ。
うどんはコシがない。
車エビは、ガムを噛んでいるような中途半端な固さだ。
シメジが、パサパサである。

我慢できたのは、ネギとカマボコだけだった。
4歳の息子は、満足げに食っていたが、我々は半分以上を残した。

これが、評判の店?
屋号は同じだが、もしかして場所を間違えたか、と思った。
しかし、あとでご近所の人に確かめたら、場所は合っていたようである。

美味しかったでしょ、あの店?
安くて美味しいのよね。


今でも、はっきり値段を覚えている。
千円だった。
安くねえよ!
俺だったら、250円の原価で、はるかに美味いものが作れるぞ!

しかし、私たち夫婦は、物事を好意的に解釈する人種だった。

この店は、鍋焼きうどんは、あまり得意じゃないんだな。
きっと、御飯物は美味いんじゃないか。
みんなが褒めているんだから、鍋焼きうどん以外のものは絶対に美味いんだよ。

そこで、数週間後に、もう一度入ってみた。
ヨメと息子は、ちらし寿司。私は、天ぷら丼を頼んだ。

結論を先に言うと、どちらも不味かった。
シャリが酢飯でないのが、まずNGだ。そして、ありえないことだが、寿司ネタが部分的に乾燥していた。
私は、乾燥した卵焼きを初めて見た(使い回し?)。
全体が、普段料理を作り慣れないお父さんが、「少し手順を間違えました」という味だった。

天丼の場合、ご飯の上に乗った天ぷらは、まったくサクサクしていなかった。ジメッとしていた。
歯の悪い人向きに作られた病人食、という湿り具合である。
タレも甘すぎて、ご飯に浸透したときの味が、砂糖しょう油ご飯に近かった。

これが、評判の店?

しかし、誰に聞いても、9対1の割合で、「あの店の○○は美味いね」と言うのだ。
美味くはない、と言う人も、もう少し値段が安ければ許せる、と言う人が多かった。

高い安いの問題ではなく、「根本的に究極的に不味い!」と叫ぶのは、我が家と他の数家族だけだった。

そんな状態が、13年間続いていた。
その店は、今も繁盛しているようだ。

しかし、最近小さな異変が起きた。
ご近所に、店舗プランナーが引っ越してきたのである。

彼は、東京でマーケティングと店舗プランナーの会社を経営していた。
彼の仕事のキャリアの中に、飲食店も含まれていた。
店の立地や、内装デザイン、店のコンセプトなどの他に、メニューなども彼が提案するというから、それは、味にこだわりがなければ務まらない仕事だと言える。

団地のフリーマーケット。
缶ビールを飲みながら、近所のご主人2人と談話していたとき、その店舗プランナーのMさんが、我々の話に入ってきた。

その時、美味い店の話題が出た。
色々な店の名が出たが、Mさんが突然こう言ったとき、私以外の2人が固まった。

「Kって店が評判だって言うんで、この間行ったんですが、あれはひどいですね。久しぶりですよ、あんな不味いもの食べたのは。僕は半分も食べられなかったです。途中で、気持ち悪くなりました。あれが、評判の店だなんて、冗談としか思えまえせんよ。僕はもしかして、からかわれたのかと思いました」

キッパリ言うMさんの姿に、後光が差しているように見えた。

店舗プランナーの肩書きは、影響大である。

数日後、近所のご主人が、こう言うのだ。
「お客さまが来たんで、Kでカツ丼とうな重を頼んだんですよ。まあ、俺は不味いのはわかっていましたけど、長い付き合いだし、今さら他に頼むところはないし・・・。でも、お客さまは、喜んでくれましたね。俺は、タレが甘すぎるって言ったんだけど、それが好評だったみたいですよ。結構みんな、味オンチですよね」

いま、9対1の割合がどうなっているか、本気でリサーチしたくなった。



★味オンチの人は、CG「環境に優しい家」


2008/06/23 AM 06:47:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

サザンが5才以上も年上
昨日は、久しぶりに酒をたくさん飲んだ。

やけ酒、というわけではない。
久しぶりに「隠れ家」に行って、ひとりの時間をのんびり過ごそうと思ったら、隠れ家(倉庫)の持ち主がやって来て、「飲もうよ」と言ったのだ。

私が、隠れ家に「いいちこ」を隠し持っていることを知っていたのか、いいちこの一升瓶を抱えてやって来たのである。
つまみは、乾き物10袋。

中古OA販売会社のS社長。
おそらく歳は、50代半ば。
髪の毛すだれ状態。

この会社とは、それほど深い付き合いはしていない。
以前、会社のLANを組む仕事をしただけだ。
そして、今は会社所有の倉庫の一角を貸してもらう変わりに、無料で会社のPCのメンテナンスをしている。

中古OA販売会社と言っても、営業の人は、機械を直せない。
機械の修理は、すべて委託である。
だから、自分の会社のPCの調子が悪くなっても、誰ひとり直す人がいない。
私の無料で直します、という申し出は、S社長にとって、おそらく渡りに船だったに違いない。

金曜日、午後2時過ぎ、倉庫の隅の衝立に仕切られた事務所のソファに座って、いいちこのロックを飲みながら、宇多田ヒカルの「Prisoner of love」を聴いていた。
倉庫の天井に向かって拡散していく宇多田ヒカルの歌声は、広がりがあって、まるでホールにいるみたいだった。

宇多田ヒカルの声は、良質の楽器だ。
声だけで、私の心の中の何かを揺り動かす。そして、穏やかにもさせるという、相反する2つのことを、いとも簡単にやってのける。
このうたはアカペラではないが、まるでアカペラを聴くように、声だけが、脳の奥深くに侵入してくる。

リラックスしていた。

しかし、突然ガタッとドアの開く音が聞こえた。
ん? 今日は、会社で使う予定はないんじゃなかったっけ?
倉庫を使わせてもらうときは、あらかじめ、社員か社長に電話をして、予定を聞いてから使うようにしている。

今日は、事務の女性が出て、「使イマセンヨ〜」(フィリピン人です)と言ってくれたから、安心して気持ちをオフにしていたのである。
それなのに、なぜドアが開く?

一瞬、倉庫荒らしかと思った。
事務所の隅の段ボールに、金属バットが入っている。
これは、草野球のチームに入っている、団地の近所のYさんが腰痛が悪化して、「もう現役を引退するから、Mさんにあげるよ」と言うので、もらってやったものである。
ストレス解消に、時々、倉庫の中で素振りをしたりするには丁度いいので、持ってきたのだ。

それを掴もうと立ち上がった。
その時、「Mさん、いるよね? お酒の匂いがしますよ〜」という声が聞こえた。
S社長だ。
声優の滝口順平が風邪をひいたような声だから、間違えるわけがない。
力が抜けて、またソファに腰を下ろした。

そして、一升瓶とつまみを抱えたS社長が入ってきた。
それからが、酒盛りである。
愚痴をたっぷり聞かされた。

売り上げが激減したので、2年前まで11人いた営業を3人に減らしたという。
私は、ほとんど会社の方に行ったことがないので、そんな窮状になっているとは、知らなかった。
PCの調子が悪いと電話がかかってきても、ほとんどが電話だけの指示で直ることが多いので、ここ1年以上行っていなかった。

え? じゃあ、この倉庫ももしかして、手放すとか?

「この倉庫は、弟が経営している会社のものだから、俺もただ同然で借りてるんだよ」と聞いて、ひと安心。
ただ、それからの話は、かなり暗いものになった。

普段の社長は、豪放磊落。何ごとも笑い飛ばすイメージを持っていたが、この日の社長は、普段見せたことのない生気のない顔をしていた。
それは、酒を何杯飲んでも変わらなかった。

「ちょうど今年が創立10周年なんだけど、もうやめ時かな、なんて考えてるんですよ」
ハァーッと、重い息を吐く。
自分では感じないが、酒を飲んでいるときに人が吐く息は、かなり臭く感じる。
重いため息が混じっているから、余計そう感じるのかもしれない。

それから2時間、延々と愚痴を聞かされた。
仕事のこと、社員のこと、家族のこと、政治のこと、金融機関のこと。
すべてが、本音の嘆き節だから、聞く方も正直疲れる。
酒が、まったく美味く感じられない。

一升瓶は、まだ3分の1くらい残っている。
これを飲み終わるまでは、腰を上げないつもりだろうか。

S社長は50代半ばに見えるが、酒に負けない気概は持っているようだ。
顔が赤くなって、目も座ってきたが、呂律が回らないということはない。
愚痴のオンパレードではあるが、理屈は通っている。
これは、最後まで付き合うしかないか、と思っていた。

そんな時、S社長が、トイレに立った。
私は、反射的に一升瓶を掴んで、「マイいいちこ」の紙パックに、残りの酒を移した。
トイレから帰ってきて、S社長が気づくかどうかは賭けだが、とにかくこの酒を早く空けるのが一番だと思って、賭けに出た。

一升瓶の残りは、約4センチ。
ロックで2杯ずつ飲めば、無くなる量である。
S社長が帰ってきたので、空になった社長のグラスに酒を注いだ。

「ああ、もうこんなに飲んでしまいましたね」
わざとらしい私の言葉に、社長は、力なく頷いて、ロックを呷った。
もう言うことがなくなったのか、S社長は、おとなしくグラスを口に運んで、ため息だけをついていた。

いま気づいたのだが、以前会ったときの社長は、もっと恰幅が良かったような気がする。
すだれ状態の髪の毛も、以前はもっと太かった。
肌の艶も、もっとよかった。
目にも力があった。

会社が、かなり厳しい状況なのだろう。
以前は、明るい場所が似合う人というイメージがあったが、今は暗い倉庫にいても、あまり違和感がない。

CDラジカセから流れていた音楽は、サザンオールスターズの「希望の轍」。
S社長が、物憂げな顔を上げて、こう言った。
「ああ、サザンだね。彼らは、俺より5才以上も若いのに、頑張ってるんだなあ。活動休止とか報道があったけど、現役であることは間違いないよねえ。俺より年上の人が、あんなにも頑張っているのに、俺も頑張らなくっちゃなぁ〜」

サザンが、5歳以上も上?
ということは、S社長は、46、7歳ということ?

何だよ、俺より若いのかよ!
ビックリしたぁ!



★意外と若い人は、CG「鏡を見るオッサン」


2008/06/21 AM 06:59:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

七本が死んだ
右足の5本の指の爪が、全部死んだ。

五つとも、見事に黒く変色している。
こんなことは、初めてだ。
痛くはない。ただ、見た目が哀れなだけだ。

そして、ジョギングシューズも哀れである。
特に右足のつま先側が、気がついたら穴が開いていて、靴下の先が見える状態になっていた。

久しぶりに走った20キロ。
途中で足に違和感を感じたが、かまわず走った。
走り終わって、セブンイレブンで発泡酒の500缶を買い、公園で飲もうとしたとき、靴の異変に気づいた。

左足もだいぶダメージを受けていたが、右足がひどい。
足を軽く振ると、靴の前側がパクパクとして、まるでマンガのようだ。
笑える。

そして、次の日から足の爪が変色し始めて、4日目には、完全に死んだ。
左足も、中指と小指の爪が、死んでいる。
合計7本。

これは、けっこうグロテスクだ。
足の指の7本が黒いというのは、ペディキュアを塗っていない限り、あり得ないことだ。
しかし、そもそも、黒いペディキュアってあるのか?
あるとしたら、私の指は、以外とオシャレということになるが。

「普通、6年間も同じ靴は、履かないわよ」とヨメは言う。
そうだろうか。
今の世の中、エコが流行っている。
6年間、同じ靴を履いてジョギングをするというのは、世界環境協会から表彰されるほど、エコな行為ではないだろうか(世界環境協会があったとしての話だが)。

私の場合、月に平均約110キロ走っているから、一年では、1320キロになる。
6年トータルなら、7920キロだ!
この靴には、それだけの歴史がある。
それは、誇ってもいい歴史だ。

ボロボロになるまで走りきった自分を褒めたいと思う(有森裕子か?)。

今週の日曜日、友人のハゲの家に呼ばれたので、行ってきた。
ハゲの家に関しては、このブログに書いた。
ハゲと息子との断絶模様を書いたのだが、息子が大学に入ったことによって、断絶は見事に解消したようだ。

めでたし、めでたし、ということで、招待された。
オール電化のハゲの家。
前回は、ハゲの奥さんのシバタリエさんはいなかったが、今回はいた。

今回はいたにもかかわらず、昼メシは、私が作ることになった。
何故だ?
それは、ハゲの家のキッチンが、あまりにも設備が充実していて、私が我慢できなくなったからである。

IHクッキングヒータを使って、チキンカレーを作った。
ヤングコーンとベビーリーフ、モッツァレラチーズの上にヨーグルトベースのドレッシングをのせたサラダを添えた。
酒は、ハゲが奮発して、ジャックダニエルを買ってきた。

チキンカレーに、ジャックダニエルの食前酒は合わないだろう、と食通なら言うだろうが、私たちは食通ではないので、喜んで飲んだ。
シバタリエさんも飲んでいる。
ハゲの息子はペリエだ。

チキンカレーは10人前作ったが、4人でキレイに平らげた。
食後に、話の流れで「俺、昨日、忙しくて風呂入ってないんだよね」と私が言うと、ハゲとシバタリエさんが、「じゃあ、うちのお風呂に入ったらどうですか」とハモった。

友人に対しては、遠慮をしないというのが私の主義だから、利用させてもらうことにした。
裸になって、風呂のドアを開けて、驚いた。
なんだ、この無駄な広さは!

風呂は、ひとりで入れる空間があればいいだろう。
広すぎて、落ち着かねえな、この風呂は! チェッ!
その結果、烏の行水。

「おい、いくら何でも、短かすぎるだろう! 風呂はゆっくり入ってリラックスする場所だぞ!」と、ハゲに言われた。
それに対して、私はひとこと。
「広すぎる」

その言葉を聞いて、息子がクスッと笑った。
そして、私の両足の指の異変に気づいて、「ペディキュア?」と指差した。

ハゲとシバタリエさんも、私の足を見た。
「いや、ペディキュアなら、全部の指に塗るはずだわ。これは、もしかして?」
シバタリエさんの顔が、おぞましいものを見るようなものになった。

「死んでる?」とハゲが呟く。
「死んでる!」と、さらに息子。
シバタリエさんは、怖いものから逃れるように、目を逸らした。

「可哀想に・・・」
ハゲが呟きながら、私のグラスにジャックダニエルを注いだ。
「なんて、可哀想な」
そんなシバタリエさんと息子の視線にさらされながら、私はジャックダニエルのロックを飲み干した。

少しも、美味くなかった。



★ペディキュアをしていないのに、爪が黒い人は、CG「フライングベッド」


2008/06/19 AM 07:14:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

何でも自分でできる人間
先日のブログで、私が子どもたちの通知表を見ないと書いたら、子どもを持つ友人たちから「嘘だろ!」のブーイングを浴びた。

子どものことが気になるなら、通知表は絶対に見るべきだ。
あれは、子どもを評価するものであるが、学校から親に向けたメッセージでもあるから、親としてそれを無視してはいけない。


それは、もっともらしい意見だが、残念ながら、評価する人間の能力を想定していない。
私は、子どもの能力を引き出せる人間が、教育者だと思っている。
そして、その能力を活かせる人だけが、教育者になる資格があると思っている。

しかし、現実の教師は、学級経営を優先して、まるで流れ作業で単元をこなしているに過ぎない。
集団を意識させる教育は大事だが、個人はもっと優先されるべきである。
残念ながら、生徒や学生の個性が、教師によって引き立てられるのは、よほどの幸運がない限り、あり得ないのが現状だ。

そこで私は、教師は生徒個人を見ていない、マニュアルに沿った評価など教育に値しない、という結論(あるいは偏見)に至った結果、通知表を信じなくなったのである。
だから、信じるに足らない学校からの「お知らせ」は、見ないことにしたのだ。

この私の偏屈な性格の起源は、自分の子ども時代に遡る。

私自身、通知表をもらっても、親に見せたことがなかった。
自分でも、中身を真剣に見たことがない。
特別、教師に反発を感じていたわけではないが、みんなが真剣に評価を気にする姿を見て、「そんなに気にすることか?」と思っていたのである。

これ(通知表)って、ただ担任だけの評価だろ? たったひとりの評価じゃないか?

もちろん、基準があるのは知っていたが、その基準も教師の好悪で評価は変わる、と感じていた。
子ども心に、私はそこが気にくわなかったのである(ただ、まわりからは何故か、マツって先生に贔屓されてねえか、と言われていたが)。

通知表をもらうと、家に持って帰り、自分で保護者の欄にハンコを押して、机の引き出しに仕舞っておく。
祖母や親は、それを無理に見せろとは言わない。

変な家庭だったが、それは、私の家庭環境が影響しているのかもしれなかった。
祖母は、若いころ師範学校の教師をしていた。
母も、10年近く国語の教師をしていた。
父は、ほとんど家に帰らない人だった。
姉は、自分にしか興味のない人だった。

これらすべての要素が、グルグルと混ざり合って、変な家庭環境ができたのだと思う。
高校受験の時も大学受験の時も、自分で願書を買ってきて、「試験受けるから」と告げ、母から受験料をもらって、試験を受けた。
「どこ受けるの?」とも「受かる自信は?」などとも、聞かれたことはなかった。

試験に受かったら、「受かったから」と言って、入学金を同じように母からもらって、自分で支払いに行った。

おそらく母は、荒海を漂う小舟のように不安定な姉の感情に心を捕われて、私に向き合う余裕がなかったのだと思う。
あるいは、私を信じてくれていたのか。

私が中学3年の時に死んだ祖母は、「お前は、何でも自分でできる人間になりなさい」と、いつも私に言っていた。
それは、将来きっと、母親が姉に翻弄され続け、私をかまう余裕がないことを見越していたからだろう。

だから、いつも私の頭の中には、その言葉が居座り続けていた。
残念ながら、私はまだ「自分で何でもできる人間」になっていないが、教育というのは、これが基本ではないかと思っている。

(できうる限り)何ごとも、自分で。

自分で判断し、自分で行動する。
人間を評価するポイントは、こんな単純なことでいいと思う。

学校にとって都合のいい人間に高評価を与える今のシステムは、教育の本質から確実にずれている、と私は思う。
頭のいい子、教師の目に適った子が、いい生徒(学生)。

それは教師目線、学校目線であって、子ども目線ではない。
子ども目線、生徒目線、学生目線で評価を与えてくれたら、私は、学校教育を見直すだろう。

「おまえ、いつも真面目に掃除をしてくれてるなあ!」
「元気な挨拶だなあ! こっちも元気が出るよ」
「体育祭の時、お前が一番声が良く出ていたよ」
「君はえらいね。誰にでも同じ接し方をするんだね」
「君のサポートが、一番のポイントだったね」
「お前が、ムードメーカーになってくれて、助かったよ」
(金八先生?)

テストの点数だけで人を評価することは、素人の私でもできる。
1学期ごとの機械的な評価に意味があるとは、私には思えないのだ。
教育者は、違う視点で人を評価すべきだ。

だから、私は、子どもたちの通知表を見ないのですよ、ノナカくん。
君は、塾を経営しているけど、塾は勉強のテクニックだけを教えればいいから、その分、楽だよね。
成績だけがすべての塾の世界では、本当の教育はわからないだろう。
だから、俺のことには、口を出さないで欲しいね。

それに対して、ノナカは勝ち誇ったように、こう言うのだ。
「いや、わかるよ。お前が、親からも見放された、可哀想な子どもだったってことは、痛いほどわかる。ホント、可哀想に・・・・・」

・・・・・・・・・・・ほっとけ。


★可哀想な人は、CG「どこに向かって跳ぶ?」



2008/06/17 AM 06:59:03 | Comment(2) | TrackBack(0) | [子育て]

エサをばらまかれた男
「ちょっと、来てくれないかな〜」という、少し遠慮がちの電話をもらった。
工務店の社長からだった。

今年の4月末に、その会社のチラシを作った。
その会社からは、時々仕事をいただく。
1年に4回くらいの時もあるが、2年近く音沙汰がないときもある。

もしかして、他に頼んだのか、と思ったりもするが、「いやいや、他に頼むなんて不人情なことは、俺はしないよ」と社長は、胸を張る。
だから、その言葉を信じることにしている。

また、新しい仕事を頼むよ、ということだろうか。
しかし、その場合は必ず「仕事があるんだけど〜」と、間延びした声で言うはずである。
まあ、どちらにしても、行ってみればわかる、と思いながら行ってみた。

すると、突然、封筒を渡された。
は?
四角くて固いものが入っている気がする。

指先で確かめてみたが、サイズが名刺くらいだから、お札ではなさそうである(ガッカリ?)。
そんな私の反応を確かめながら、牛乳瓶の底のように度の強い眼鏡をかけた社長が「図書カード」とポツリと言ったあとで「あげる」。

ああ、図書カード。
それは、嬉しい。
今年に入ってから、本を買っていない。
仕事関係で欲しいものがあったから、これがあると大変助かる。
家に帰って中身を確認してみたら、2万円分の図書カードが入っていた(千円分20枚!)。
どうりで、固いわけだ。

しかし、なぜ、図書カードをくれたのか。
そんな私の疑問が、顔に出たのだろう。
社長は、嬉しそうに「この間の物件、完売したんだよ。だから、お礼にね」と言った。

4月末にチラシを打った2種類の分譲住宅5区画が、完売したのだと言う。
それは、珍しい。
いつもだったら、確実に売れ残っていた。そして、売れ残ったものをまた3か月後くらいにチラシで告知するというパターンだった。

4月末に作ったチラシは、B4の2色で、10万部刷って、折り込みチラシに入れた。
普段だったら、10万部折り込んでも、反響は、多くて20件程度だという。
それが、今回は展示物件に足を運んだ人が、100人を超えたらしい。

景気が悪いのに、何ででしょうか?
「それは、Mさんが作ってくれたチラシが良かったからですよ。最初にチラシのイメージを見たときに、なんか光って見えたんだよね。もしかして、これは売れるかもしれないって、俺は思ったね」

そうですか。
このチラシはいつもパターンが決まっていて、違うのは、住宅画像と値段、間取り図、物件へのアクセス図くらいのものです。
全体のイメージは、まったくのワンパターンですよ。
光ってましたかね。

「光ってたよ。その証拠に、売れたじゃないの。初めての完売ですよ。それが、証拠だ」

何となく釈然としないが、まあ、喜んでくれたから、いいか。
図書券をもらったのだから、私は、いい仕事をしたということだろう。
納得して、帰ろうとした。

すると、いきなり社長が、「Mさん、儲かってないでしょ」と鋭いことを言うのである。
しかし、突然そんなことを言われて、「はい!」と返すのも、変だと思って、私は答えをためらった。

そこで、社長は、さらにこう続ける。
「この間、同業者と話をしたときに、たまたまチラシのコストの話が出たんだけど、Mさんの請求額を聞いたら、向こうはビックリしてたよ。これは、儲けを無視してるって言ってた。俺は、これが当たり前と思っていたけど、すごく安かったんだね。今まで、悪いことをしたね」

同情されてしまった。

私の場合、当然印刷は、外注になる。
印刷は、近所の印刷会社に頼んで、普通より15%値引いた金額で、してもらっている。
折り込みも、やはり外注で、これは常識的な額だ。

商売の常識として、これに多少の金額を上乗せして請求するのが普通だろうが、私はほとんど上乗せしない。
上乗せするのは、印刷会社から折り込み屋さんへ宅急便で送る料金を、発泡酒6本分くらい多めに請求するくらいである(何と、みみっちい!)。

自分が汗水流さないことで対価を得るのは、なんかなあ、と思っているから、そういうことになる。
だから、基本的にデザイン料だけが儲けになるのだが、このデザイン料が、また安い。

社長は、そのことに驚いているのだ。
「Mさんは、商売には、向かない人だねえ」

ごもっともです。
それは、自分が一番よくわかっている。

「俺、いつもギリギリまで急かして、Mさんに迷惑かけてるから、罪滅ぼしに同業者紹介するよ。そこは、うちよりもでかい会社だから、高く請求しても文句は言わないよ」

おお! 何という都合のいい展開!
夢じゃないだろうな。
まあ、別に夢でもいいんだが・・・。

「その代わりといっちゃ何だけど、将棋に付き合ってくれる? 最近、誰も相手してくれないんだよ。頼むよ、ね?」

色々とエサをばらまいてくれましたが、結局、将棋の相手を捜していただけなんですね、社長さん?



★エサをばらまかれた人は、CG「森に家具を並べてみれば・・・」


2008/06/15 AM 08:17:48 | Comment(4) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

アフガンのヨダレ
水曜日、久しぶりに静岡の得意先に呼ばれた。
ただ、得意先といっても、年に1回仕事をくれる程度のものだ(それだけでもありがたいが)。

11時の打ち合わせに間に合うように、家族の朝メシと息子の弁当を作っておいて、7時過ぎに家を出た。
自分の弁当も作っておく。
得意先の近くに、大きな公園があるので、いつも打ち合わせを終えたあとで、自家製弁当を食うことにしているのだ(発泡酒も保冷袋に入れてある)。

早朝の宇都宮線は、思いのほかサラリーマンの姿が多く見られた。
サラリーマンの皆様、おつとめ、ご苦労様です。

宇都宮線で上野まで行き、山手線で東京駅へ。
東京駅からは、東海道線。まず熱海まで行く。そして、熱海で乗り換えて、静岡まで。
静岡まで、3時間半近い長旅である。
もちろん、新幹線を使えば、この半分の時間で行けるのだが、私は各駅停車が好きなので、長い旅を選んだ(本当は他に理由があるのだが、それは言えません)。

熱海での電車待ちは、ほぼ30分。
その時、娘から借りた携帯電話が鳴った。
ROCK STEADY

嫌な予感がした。
そして、概して、嫌な予感は当たることが多い。
ディスプレイを覗くと、静岡の得意先からだ。

「すみません。Mさん、今どこですか?」
「熱海です」
「アチャー!」

アチャー! のあと、なかなか次の言葉が出てこなかった。
待合室の時計を見ると、9時35分。
先方も、珍しく早く出社してきているようだ。
感心感心、と思っていると、「申し訳ありません、Mさん。今日の打ち合わせ、延期してください。朝会社に来たら、データが全部とんでしまって、大変なことになってるんで!」と、早口で言われた。

ホーッ! データがとんだ?
それでは、仕方がない。
今回の交通費は、実費を払ってくれるというので、「お大事に」と言って、電話を切った(新幹線料金を請求してやる)。

さあ、ヒマになったぞ。
どうしてくれよう。
せっかく弁当を作ってきたのだから、このまま帰っても、つまらない。
とりあえず、東京行きの東海道線に乗って、暇つぶしの方法を考えることにした。

上りの電車は混んでいたが、座れた。
そして、「次は横浜」のアナウンスを聞いて、横浜で降りた。
その後、思うところあって、京浜東北線に乗り、桜木町で降りた。

目の前に、みなとみらいの人工的な風景がパノラマのように見える。
ランドマークタワーを左に見ながら、ゆっくりと歩いていった。
曇っていて、少々蒸し暑いが、景色がいいし、適度な風もあるので、不快ではない。

20分ほど歩いて、横浜赤レンガ倉庫に隣接した広場に着いた。
赤レンガ倉庫に行ったのは、芝生があることを思い出したからである。
木陰もあった記憶がある。

芝生で寝る。

そのためだけに、ここに来た。
平日の午前中のせいか、ほとんど人の姿は見えない。
芝生のスペースは、私の独占状態だ。
横になって、目をつぶった。

私の特技は、目をつぶると、すぐに寝られることだ。
寝ようと思ったときは、5秒で眠れる。
寝たいと思わなくても、10秒で眠れる。
これは、特異体質かもしれない。

鞄を枕に、芝生に横になって、眠った。
熟睡しているとき、顔を濡れ雑巾で撫で回される感じがした。
しかも、何か臭い。
まるで、発酵した沼地の近くの発酵ガスのニオイだ。

臭い!

思わず目を開けた。
すると目の前に、大きな犬がいた。
アフガンハウンドだ。

犬が、私の顔を舐めていたのだ。
そして、目を覚ました今も、舐めている。
何で?

目の前で見るアフガンハウンドは、かなりでかい。
アフガンハウンドに舐められているというより、まるで襲われていると言った方がいいような状況だ。

身体を起こして、「おい! 待て! 待て!」と鼻を掴んだ。
アフガンは、おとなしくなった。
「お前、なにもんだ! ご主人様は、どこだ!」
アフガンは、キョトンとした顔をしたあと、また私に覆い被さって、顔を舐め始めた。

待てっ! 待てっ!
なに考えてるんだ、おまえ!
人の大事な休息を邪魔しやがって!
責任者呼んでこい!

キョトン。
キョトンとしたときの顔が、マヌケで可愛い。

しかし、また舐めてくる。

待てっ! 待てっ!
おまえ、名前は何て言う?(犬が答えるわけはないか)

キョトン。

また、舐めようとする。
待てっ!
どんな事情かは知らないが、俺はお前とは、縁もゆかりもない人間だぞ!
そんな人間を舐めるんじゃない!

どれくらい眠ったかわからないが、おそらく昼は過ぎているのだろう。赤レンガ倉庫のまわりには、確実に人の数が増えていた。
アフガンと遊んでいる私を、冷たい目で見る家族。
あるいは、わざと目を合わせないように、避けていく人々。

自分でも怪しいとは思うが、アフガンに好かれてしまったのだから、どうしようもない。
腹が減ってきたので、開き直って、弁当を取りだしてみた。

食い物を見たときのアフガンのヨダレ。
これは、すさまじいものだった。
動物の条件反射のすごさを目の当たりにした思いがする。

卵焼き、ツナの唐揚げ、ハムカツ、レンコンのきんぴら、ニンジンとブロッコリー、ベーコンのソテー、そして、おにぎり3種類。
このうち、ツナの唐揚げとハムカツ、ニンジンのソテーは、アフガンが食いやがった(しかも、要した時間、9秒72。世界タイ記録!)。

責任者、出てこいや〜!
と思ったら、「アンジ〜」と呼ぶ声が、遠くから聞こえた。
アフガンは、一目散に、その声の方へ走っていった。

ちょっと待て! 食い逃げかよ! 舐め逃げかよ!
唖然、呆然とするしかない。

発泡酒を右手に持ち、向かい側の山下公園を望みながら、私は、一人つぶやいた。

俺はいったい、何をしているんだろう?



★犬に好かれたら、CG「にらみ合い」


2008/06/13 AM 06:57:11 | Comment(4) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

上から目線だって
あんたのブログは、上から目線で書いている、と2人のかたからメールをいただいた。

思いもよらぬことである。
先月の中旬に、約2週間の間隔を置いて届いた2つのメール。
そのメールを読んで、自分の最近1か月のブログを読み返してみた。

これが、上から目線?
そんな風に言われても、私は、ただ戸惑うばかりである。

これは、自己確認と日々の感想を述べているものだ。
自分がどんなことを感じているのかを、普通に表現しているだけだから、それを「上から目線」と捉えられたら、私としては、「はい?」と答えるしかない。

2件のメールは、私のブログのどこが「上から目線」なのか、具体的なことは指摘していない。
しかし、読んだ方がそう言うのなら、そうなのかもしれないとは思う。
その方たちは、トータルの感想として、「こいつ、上から目線だな」と感じたのだろう。

自分では「上から」表現している自覚は、まったくない。
ただ、自分のブログを読み返してみて、未熟だな、舌足らずだな、とは思った。
書いているときは、これが自分の今の考えだから、正直なことを書いているとは思うが、冷静に読み返すと、時に舌打ちをしたくなるほど幼稚に感じるものが多い。

それに、私の性格として、深刻な話を深刻に書くことができない。
どこかで、茶化したり、オチを付けたくなる。
それは、私の幼稚さから来ているものだが、幼稚な表現で、真面目な話を茶化している様子が、もしかしたら、真面目なひとに、「上から目線」と感じさせるのかもしれない。

しかし、この幼稚さ、未熟さも、素の自分であると思えば、自分の中では許せるのである。
自分に甘い、とお叱りを受けるかもしれないが、未熟な人間がいきなり成熟することはない。
特に、私のように、ある程度年を食った人間は、なおさらだ。

だから、この幼稚さ、未熟さが、許せないと言う人がいたら、ただ「ごめんなさい」と謝るしかないのである。
この文章を読んで、「上から目線」と感じるなら、それは、私の文体が、ひとに成熟した大人を感じさせないせいだろう。

2件、同じようなメールが送られてきたということは、その何倍、何十倍も同じことを感じている人がいるということだと思っていい。
そのことは、常に心に留めておかなければならない。

だが、私は大変不器用なので、いま自分の文体を少しでも変えたら、おそらく文章が書けなくなると思う。
少しずつ、少しずつ、自分の中の意識を変えていくうちに、成熟した文章を書けるようになることが、理想である。

この考え方を「開き直り」と取られたら、またしても「ごめんなさい」と謝るしかないが、私にとって成熟した文体を身につける、その道のりは、はるかに遠い。

このブログを書き始めたとき、私の心の中には、不特定多数の人たちへの気配りというのは、正直まったくなかった。
読んでくれる人がいる、ということを想定して、書き始めたものではなかったからである。

みんなも書いているから、一応俺も書いてみるかという、軽い動機。
そして、もうひとりの自分に問いかける、というかたちで始めたブログ。
いまも、その意識は、ほとんど変わっていない。

これは、人間としての未熟さを、さらけ出したブログ。
それ以外に、表現のしようがない。

ただ、だからといって、私は、「嫌いなら読まなければいいだろ」と、横柄なことを言うつもりはない。
嫌いな人にも、読んでいただきたい。
そして、読み続けていただいて、私が稀にいい文章を書いたら、「ああ、こいつも少しは大人になったな」と褒めてもらいたいと思う。

そんな、勝手なことを思っている。


昨日の夜、コピーライターのススキダから、電話があった。
ススキダ組の組長・ススキダに関しては、何度もこのブログに登場している(たとえば、コチラコチラ)。

「忙しくなったんで、横浜に事務所を探してるんだが、おまえ知らないか?」

ススキダは、本職はコピーライターだが、他にも色々なことをしている。
そして、儲かっているようだ(ススキダ組は、確実に縄張りを拡大している)。

ススキダは、極道顔なのに、素敵な奥さんを持っている幸せ者だ。
彼は、横須賀の自宅を事務所にしているが、東京、横浜の仕事が増えたので、横須賀では動きにくくなってきたらしい。
そこで、横浜に中継基地としての事務所を探しているのだという。

しかし、私は、不動産屋ではないので、事務所のことなどわからない。

私が黙っていると、ススキダは、こう言うのである。

「ああ、悪い悪い。貧乏人のお前に、そんなことを聞いてもわからなかったな。聞く相手を間違えたな」

そう言いながら、「ウォーホッホッ!」と、気持ち悪い笑い方をしたあと、一方的に電話を切ったのだ。

わかりますね、皆さん。

これを「上から目線」と言うのです。



★上から目線の人は、CG「壁を登る人」


秋葉原で、痛ましい惨事。
もはや日本に、安全な場所などない、と思わせる事件だった。

日曜日。誰もが自分の日常の時間を過ごしていたときに、非日常の狂気が、何の前触れもなく襲いかかるのだ。
あまりにも非日常すぎて、今でも信じられないほどだ。

そんな痛ましい事件でも、人は軽々しく噂する。
昨日の京浜東北線の車内。
腰パンの高校生3人が、言葉を放り投げるように、こう言った。

「俺だったら、簡単に逃げてるけどな」
「いや、俺だったら、蹴飛ばして気絶させてるよ」
「気合いだよ! 気合い! 気合いでねじ伏せてるよ」

苦笑するしかない。

相手は、「凶器」の他に「狂気」を手にしているのだ。
古い話だが、鍛え抜かれた肉体を持った力道山でさえ、素手では、「凶器」と「狂気」には、勝てなかった。
「凶器」と「狂気」を手にした、非日常の襲撃者に対抗することなど、我々にできるわけがない。

しかし、こんな凄惨な事件を伝えるときも、「オタクの聖地・秋葉原で・・・」という軽々しい見出しを付けるメディアの感性は、どうしたらいいものか。
それに、「犯人の心の闇」などの常套句で、この犯罪を類型化するのは、事件の特殊性を埋没させるだけではないでしょうかね(まさかこれも、上から目線?)。


2008/06/11 AM 07:03:03 | Comment(6) | TrackBack(0) | [日記]

肉肉教は太り続ける
「Mさん、太らないですねえ」と、人からよく言われる。

それを聞くたびに、「何で太らなきゃいけないんだ」と思う。
痩せてちゃ、いけないのか?

太らないですねえ、と私に言う人は、百パーセント太っている。
つまり、私を彼らの仲間に入れたいということか。
同じように、メタボリックマンになりましょうよ、と誘っているのか?

「肉肉教」の人たちの肉に対する信仰は、非常に厚い。
肉を食えば満足。肉を食えば元気になる。肉こそがすべて。

先々月、友人とテニスをしたあとにバーベキューをしたのだが、彼らは久しぶりにテニスをしたから、少し何かをするたびに、「アイテテイテテ」と痛みをアピールしていた。
しかし、盛大に痛みをアピールしながらも、彼らは「肉肉教」を信仰しているから、一心不乱に肉を食いまくるのである。

私が焼き野菜と焼きソバばかり食っていると、「マツ、何で肉食わないんだよ。だから、太れないんだよ」と、ご親切にも忠告してくれる。
私は、決して肉が嫌いではないが、「肉肉教」の信者ではない。
激しいスポーツをしたあとは、適度な水分と消化のいい食べ物を摂取するのが、肉体の回復には一番いい。

だが、こんなことを言っても、「肉肉教」の信者は、受け入れる気はないのである。
とにかく、肉、肉、肉・・・。
肉を食えば、疲れは取れる、と思いこんでいる。

激しいスポーツをしたあとで、私がなぜ平然としていられるのか。
彼らは、私が今もトレーニングを積んでいるからだ、と単純に考えている。

確かに、それもあるだろうが、私自身は、その理由は食い物にある、と思っている。

私の高校3年の息子は、1年以上前、71キロあった。
身長177センチだから、その体重は、多すぎるというわけではない。
適正体重の範囲だと思う。

ただ、彼は1年前「疲れた疲れた」を連発していた。
卓球部の練習は、時に午後7時過ぎまで続いて、その間の休みも10分程度だという。

素人の指導者が教える部活は、悲惨だ。
素人指導者は、練習時間の長さしか、「やる気」を判断する方法を知らない。
技術向上は練習時間にイコールすると、単純に思っている。
彼らは、休憩の効能を知らない。

それは、無駄に肉を食い続ければ元気になると思っている「肉肉教」の信者の発想と似ている。

そして、彼らは無駄の繰り返しは疲れる、という発想には決して至ることがない。
だから、高校野球の選手は、あんなに練習しているのに、肩が弱く、足が遅いのだ。
ランニングをしても、走りにメリハリがなく、ただ走るだけだから、体が活性化していない。
無駄に長い反復練習ばかりして、肝心なところを鍛えていない。

息子は、高校に上がり立てのころは、172センチで58キロだった。
彼は、部活で疲れたとき、肉を食うと元気になると思いこんだ。
それは逆効果だよ、と言っても、肉を食うと元気になるという根強い信仰があるから、肉中心の食生活を望んだ。

言葉で言っても、わからないことは多い。
だから、私はとりあえず、彼の望むままに肉を中心にした食事を与えた。
彼の好きな豚肉、牛肉が中心だ。

その結果、彼は高校2年の初め頃には、13キロも体重が増えていた。
そして、「疲れた疲れた」を連発した。

我が家では、食事は私が作る。
私が太らない理由は、自分で食事をコントロールしているからだ。
私の体が疲れにくいのも、間違いなくそれが一番大きな理由だと思う。

1年前、息子の疲れやすい体を治すためのプロジェクトを開始した。
私と同じ食事をすれば、確実に体は改善される。
しかし、肉が異常に好きな彼が、私と同じ食事を我慢できるわけがない。

だから、肉は毎日出した。
そして、野菜もそれ以上に食わせた。
ただ、生野菜ではなく、いつも必ず火を通した。

サラダは、絶対に食わせなかった。少々の生野菜を食っても、体にたいして効果はない。あれは、気休めだと私は思っている。
体に効果的な量の野菜を摂るとしたら、おそらく洗面ボール一杯以上の量を食わなくてはならないだろう。
どんなに野菜が好きな人でも、毎日そんな量は食えない。
だから、野菜は必ず火を通した。そうすればカサが減る。

肉と緑黄色野菜と魚、そのバランスをノンオイルを基準に調理した。
油を使うときは、最低限の量で、ごま油かオリーブオイルを使った(油は純度の高いものを選んだ)。
嘘臭い「健康油」は使わなかった(健康油も、摂り過ぎれば同じことなので)。

料理の質は変わったが、量は以前のままだ。
だから、満腹感は、以前と変わらない。
しかし、1年で9キロ痩せた。
177センチ、62キロ。

おそらく本人は、ダイエットしたという意識は、全くないはずだ。
いつも満腹するほど食っているのに、体重が減って、しかも同じ量の練習をしているのに、疲れない。

「何で?」と言われた。
肉と野菜のバランスを逆にしたからだよ、と答えた。

ハンバーグには、必ずおからとみじん切りのタマネギ、ニンジンを混ぜて、肉の量を減らした。
肉料理は、野菜がたくさん摂れるポトフボルシチ、シチュー、ラタトゥーユなどの煮込み料理を中心の組み立てにした。
カレーは、一日前から、ニンジン、ジャガイモ、タマネギ、トマト、セロリ、カボチャ、ナスを煮込んだ。
くたくたに煮込んだ野菜は、いい味を出しているから、これを作ると家族全員が、必ずおかわりをした。
だから、いつも最低10人前のカレーを作る(20人前を作って残りを冷凍することもある)。

5種類以上の野菜を周りに散りばめた、煮込みハンバーグなども、家族に好評だった。
メンチカツも、タマネギの量を増やし、おからを入れることによってひき肉の量を減らしたが、かえって普通のメンチカツより美味いと言われた。
高野豆腐をミキサーで細かくして、「ひき肉だよ」と誤魔化してメンチカツにすることもあるが、皆がひき肉だと思って食っている。

そんなことの繰り返しで、結局今までと同じ生活をしながら、9キロの減量に成功。
同じ卓球部の他の部員は、練習終了と同時に疲れて座りこむが、息子だけが元気だという。

肉は、人間の体にとって、必要な栄養素材である。
しかし、それを信仰しすぎるのは、良くない。
だが、肉肉教の信者に、言葉でそれを言っても効き目はない。

息子のように、体験するしかないのである。
だが、こんなことを言っても、たいていの人は聞く耳を持たない。

どんなことを言っても、「肉を食うと元気になる」という信念を変えない人が多い。

この4年間で20キロ太ったNアートのフジイくん。
昨日、久しぶりに会って、ビックリした。
坂口憲二に似たかつてのイケメンが、今は三重アゴのデブになっている。ウエストは93センチ。
無惨だ。

フジイくん。
一昨日の夜、焼肉弁当の大盛りを食いながら「疲れた疲れた」を連発していたね。

キミもとうとう肉肉教の信者になったんだね・・・(可哀想に)。



★肉を愛する人は、CG「待って〜!」


2008/06/09 AM 07:02:22 | Comment(3) | TrackBack(0) | [料理]

おとなしいね、力を感じないね
Mさんのデザインは、おとなしいね、と言われたことがある。

最初は、7年くらいの付き合いのあったハウスメーカー。
この会社は、昨年の10月に倒産した。

ラフデザインを提示するたびに、「おとなしいね」「力を感じないね」と言われた。
だが、一つ言わせてもらえば、何のコンセプトも指示されない中で、ラフデザインを仕上げるのだから、最初は手探りである。
最低限、何を売りにするかだけでも言っていただければ、それをチラシの中心に据えることができる。

しかし、それがないのだから、力のないデザインになるのは仕方がない。
その会社は、私のラフデザインをもとにして、次のチラシの方向性を考えるのだが、これでは話が逆である。
普通は、チラシの方向性を考えてから、ラフデザインを作る。

なぜなら、私は、家づくりに関しては、素人だからである。
素人が考えたものから、販売の方向性を探られても困る。
7年の経験で、多少は住宅業界に対する知識の蓄積があったとしても、それは知識だけだ。

実践に役立つものではない。
だから、たいていの場合、最初のラフデザインは、「おとなしく」「力がない」ものになる。
そして、その第1回目のラフデザインは、百パーセントボツになる。
さらに、コンセプトがコロコロ変わるから、4〜5回、ラフデザインを出すなどということもあった。

無駄なことをしているとは思うが、この最初のラフデザインがないと、話が先に進まないから、これは一種の儀式のようなものだった。
そして、その方式が変わったのが、昨年の春頃だった。

ラフデザインの前に、コンセプトを提示してもらえるようになった。
これで、デザインが、やりやすくなった。
しかし、その半年後に、ハウスメーカーは倒産した。

倒産したハウスメーカーには悪いが、最初から最後まで、「おとなしいね」「力を感じないね」と言われ続けていたから、今は、そのストレスから逃れられて、少しホッとしている(請負代金を踏み倒されたのは腹が立つが)。

もう一つ、同じようなことを言われたのが、ペットショップのチラシだった。
この経緯に関しては、こちらに書いた。

ペットショップのチラシは、たいていの場合、動物の愛らしさを強調したものが多い。
だから、コンセプトがわかりやすい。
「こんなペットが飼ってみたい」というような、夢のあるチラシを作ったが、毎回「インパクトがない」と文句を言われた。

ただ、文句は言われたが、仕事がボツになることはなかった。
このペットショップとは、4年近く仕事をしていなかったが、先週、知り合いから「つぶれたらしい」という話を聞いた。

私が、「おとなしくて」「インパクトのない」チラシを作った会社が、消えていく。
私は、もしかして、疫病神だったか・・・。


昨年秋から、3か月おきくらいに、チラシの仕事をいただいている、パチンコ&スロットの会社がある。
これは、最初からパターンが決まっているので、やりやすい仕事だ。
提供されたイラストや画像を目立つように配置し、文字は飾り文字。
全体が、一遍に目に飛び込んでくるデザインは、いつも共通だから、慣れてしまえば仕事は速い。

この会社の社長からは、「あんたの作るものは、力を感じるねえ」と、毎回言われている。
言っては悪いが、パチンコ&スロットのチラシは、どこも似たようなものである。
いい意味(?)のワンパターン。

私の場合は、色づかいと書体を変えて、他との区別を図っている(マンネリにもならないように気をつける)。
しかし、自分では特別力強いとは思っていない。

だが、それでも、褒めてもらうと嬉しいものだ。
そして、話はこう続く。

「それに、あんたの仕事は、早くて気持ちがいいねえ」

いやあ、ヒマなだけですよ。

「謙遜するところが、憎いね!」

いやいや・・・・・。

こんな無駄話も、仕事が順調にいっているうちはいい。
しかし、もし社長に「力が感じられないね」と言われるようになったら・・・・・、これは、要注意だ。

私は、彼の会社にとって、疫病神になるかもしれない。

力を感じさせるデザイン。

そのことを忘れないように、私の仕事部屋の壁には、書道6段の友人に書いてもらった「力」という書が、掛かっている。

ただ、この書を見た誰もが、「ああ、『刀』ね」と言うのが、少し気に掛かりますが・・・・・。



★力のある人は、CG「落ちてくる?」


2008/06/07 AM 08:08:17 | Comment(13) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

裏切らないひと
それは、見返りを期待して、したことではなかった。

ヨメは、仏様が、ちゃんと見てくださったのよ、と言う。

しかし、罰当たりの無神論者は、「まさかね」と笑うだけだ。
3月に、このブログで「人生の逆転満塁ホームラン」をかっ飛ばした男のことを書いた。

そのTさんから、ゴールデンウィークあけに、嬉しいことを言われた。
「焼肉店の店長になったんで、今度オープンする焼肉店のメニューや開店告知のチラシ、割引券、ポイントカードなどの仕事を頼みたいのですが」
そして、そればかりではなく、彼の姉の所有する焼肉店のメニューのリニューアルやホームページのリニューアル、会社概要、ポスターなども頼むかもしれない、とも言ってくれたのである。

ただ、それは姉を説得しなければいけないので、もう少し時間が掛かりますが、という話だった。

Tさんとは、約7年の付き合い。
彼は、10年くらい前は、実業家として成功した男だったが、私と出会ったころは、急降下の人生を歩いていた時期だった。

彼から仕事を請け負っても、いつも支払いが遅れた。
すみません、2か月後には必ず払いますから。
ダメでした。もう2か月待ってください。
本当にご免なさい、あと1か月。

結局、支払いを1年半待たされたこともあった。
その間も、彼から仕事は出るから、彼には、常時20万円前後の貸しがあった状態だった。

しかし、そんな状態でも、彼はいつも誠意を持って謝ってくれた。
必ずこちらの目を見て、誠心誠意、頭を下げるのだ。

この男は、絶対に俺を裏切らないだろう。
私は、そう思っていた。
長く人生を生きていると、裏切られることもたびたびある。
だから、裏切りそうなタイプは、ある程度、判別がつく。

Tさんは、絶対に裏切らない。
これは、私の確信だった(そう思いこみたかっただけかもしれないが)。

だが、現実的な話、Tさんに貸しっぱなしの請負代金が、現金として手元にあれば、どんなに楽だったか、と思うことは再三あった。

しかし、「オラオラ! 支払えよ!」ということが言えない私は、我慢するしかなかった。
Tさんを信じていたのは事実だが、私の性格上の問題で、Tさんの誠意を信じざるをえないということもあった。

だから、決してTさんのために、請負代金の支払いを待ったというわけではないのである。
そんなきれいごとではなく、ただ請求できなかったから、と言った方が正しい。

そのTさんが、ゴールデンウィークあけに、たまっていた請負代金を支払ってくれた。
これは、嬉しかった。助かった。
信じて良かったと思った。

そして、昨日。
「姉もよろしく、と言ってました」という電話が、Tさんからかかってきた。

TさんとTさんのお姉さんの会社から、まとまった仕事をいただいたのである。
私は、それを聞いて涙が出そうになった。

今年は、高校3年の息子が、大学受験を控えている。
正直なところ、入学金をどうしようかと思っていた。

教育ローンを組めばいいじゃないか、と友人はアドバイスしてくれるが、私は金融機関のご都合主義が気にくわないから、絶対に借りたくないと思っていた。
しかし、仕事が少なくなったから、まとまった収入は見込めない。

私は、頭を抱えていたのである。

そんなとき、Tさんが、大量の仕事を与えてくれるというのだ。
その仕事は、昨年の私の請負代金の半分近い額になる。

これで、入学金の目途がつく。

本当に、私は泣きそうである。

繰り返すが、私は決してTさんのためを思って、請負代金を我慢したわけではない。
あくまでも、自分の事情で我慢した。
だから、今回の幸運は、はたしてヨメが言うように、○様のせいなのかどうかは、わからない。

しかし、我慢していれば、いいこともある。
我慢が、無駄にならないこともある。

羞恥心にまみれた人生を歩んでいても、時には、いいこともある。

泣きそうである。



★泣きそうな人は、CG「走る人たち」


2008/06/05 AM 07:00:21 | Comment(4) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

週刊誌は、醜悪だ!
図書館で、調べものをしていた。

クリーニング店からチラシの仕事をいただいたので、クリーニング業界のことを調べていたのである。
クリーニング店から仕事をいただくのは、2回目である。
だいぶ前のことだから、過去のデータを見ても、あまりイメージが湧かない。
だから、新しい情報を得ようと、調べてみたのである。

しかし、クリーニング業界に関しての資料は、あまりない。
あったとしても、歴史的なものが多くて、広告に役立つものは見あたらなかった。

その中で、広告に関する本の中にクリーニング店のチラシのサンプルがあったので、それを眺めていた。
そのとき、隣の席にいた人が読んでいた週刊誌が目に入った。
(表紙が見えなかったので、どこの週刊誌かは、わからない)

「切り刻まれて、トイレに流された23歳の肉体」
その見出しの横に、女性の白黒の顔写真が大きく載っていた。

なんと、醜悪な!

この見出しを考えた記者は、いったい何ものか、と思った。
人間をここまで貶(おとし)めて、いったい何が面白いのか、と。

被害者をここまで貶める週刊誌という媒体は、こんな醜悪な表現をして、人々に何を訴えたいのだろうか。
当たり前のことだが、被害者には、親がいる。
親がいなくても、血縁の人がいるだろう。友だちもいるだろう。

その人たちが、この記事を見て、どう思うかを想像できないほど、週刊誌の記者というのは、心の波立つ部分を麻痺させてしまっているのだろうか。
あるいは、自分がとてつもなく「お偉い人」だと勘違いして、正義のためには、被害者さえもペンで切り刻むことが許されるとでも、思っているのか。

いつも思うことだが、メディアは、裁判官ではない。
たとえ、言葉で人を裁くことが許されたとしても、人間の尊厳だけは侵すべきではない。
それだけは、誰も裁けない。
まして、被害者は、裁く対象でさえない。

被害者は、悼(いた)むべきものである。
理不尽にも、突然の死を与えられた人間の尊厳こそ、人は守るべきであり、それは決して侵してはならないものだ。

犯人に命を蹂躙(じゅうりん)されただけでなく、メディアからも尊厳を蹂躙される被害者。

記者が、犯罪を憎むあまりに、この方法しか考えつかなかったとしても、そんな低い能力しか持たない人間は、記事を書くべきではない、と私は思う。

私は、見出しと顔写真しか見ていないが、それだけで判断できる。
これは、絶対に載せてはいけない記事だ。
たとえ記事の中で、犯罪者を憎む文面が綴られていたとしても、この見出しの醜悪さは、消せるものではない。

メディアが扱う犯罪報道は、もういい加減、物言わぬ被害者を冒涜することを、やめにしたらどうか。

突然の死を与えられた被害者を鞭打たなくとも、報道のプロフェッショナルなら、犯罪の悲惨さを表現することはできるだろう。

それとも、彼らの思うプロ意識とは、被害者加害者を引っくるめて、すべて叩くことだと思っているのか。
つまり、「目立てば勝ち」だと・・・。目立つことが、正義だ、と。

ここ数年、週刊誌の販売部数が、軒並み減っているらしい。
それは、読者が、こんな底の浅いプロの仕事に飽き飽きして、週刊誌という媒体に、胡散臭さを感じているからではないのか。

底が浅いと言えば、先頃の四川省大地震における自衛隊機派遣に関しても、情報の抽出の仕方が中途半端に感じた。

派遣報道後に、中国のネットで、自衛隊機派遣に対する拒否反応などがあった。
その報道は正しいのだろうが、私は、ニュースを伝える側としては、現象面だけを伝えるだけでいいものなのか、といつも思ってしまうのだ。

毎度同じ顔ぶれの、中国関係の専門家やアナリストたちは、表層的な情報は伝えるが、正確な情報を把握していないように思われる。
緊急物資を送るというのは、極めて単純な行為なのに、中国政府と国民の思惑が読めないから、「拒否反応」という感情論だけを浮き上がらせようとしているように、私には思える。

送りたいと思っているものを、なぜ送れないのか、という「当たり前の説明」が欠けているような気がする。
もちろん、当事者間で色々な調整が必要なのはわかる。
中国国民の反発、日中政府の読みの浅さ、そして、災害緊急時の対応に慣れていない中国政府の危機感の無さ、など色々理由はあるだろう。
マクドナルドでポテトを頼むように、簡単にいかないことはわかる。

しかし、それにしても、伝聞が多すぎて、彼らが内容を吟味しているとは、私には到底思えないのである。

素人の単純な疑問。
救援物資を送るのは、自衛隊機でなくてもいいのに、なぜわざわざ「自衛隊機」ということになったのか。
緊急の時には、自衛隊機しか使えないという、取り決めがあるのか。
民間機は、緊急の時には、まったく役に立たないのか。

このあたりのことを、最初の報道の段階で、的確に伝えていたメディアがあっただろうか。
もしあったら、もちろん、「ごめんなさい」と謝ります(いつもながらの弱気)。

今回の件に関しては、いつものように、日中政府や日中メディアは、最終的には誰かを悪者にして、話の幕引きを図りそうだ。
あるいは、最終的に救援物資の量を減らされて、話がしぼんでいくのか。
そして、毎度のことだが、うやむやのうちに、線香花火のように報道の火もパッと消えてしまうのか。

だが、今回の場合、大事なのは、被災者であり、必要な緊急物資である。
国や国民のメンツは、置き去りにしてもいいのではないか。
歴史問題など諸々のことも置き去りにして、とりあえず復興。

そして、被災者が人間らしい暮らしができるように監視する。

メディアの役割は、それしかない、と私は思っております。



★週刊誌を胡散臭く思う人は、CG「山小屋で・・・」


2008/06/03 AM 06:58:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | [メディア論]

娘のお気に入りの彼氏をビデオに撮ったバカ親父
中学1年の娘の運動会があった。

「いいか、キッチリ、ビデオ撮っとくんだぞ! 失敗は許さないからな!」
「はい」

撮るのは、娘の姿ではない。
娘がお気に入りの男の子をストーカーのように、追っかけて撮るのである。

「かっこいいんだよね! 背が高くて、運動神経はいいし、頭もいい。でも、性格だけが悪いんだ」
目をハートマークにして、娘が声を高くして訴える。
娘は、興奮すると、声が1オクターブ上がるのである。

性格が悪い、というのは、娘の照れ隠しだろう。
人間、完璧な人間はいない。
どこか悪いところがあった方が、人間らしくていい(?)。

「えー! Mさん、娘さんの彼氏をビデオで撮るなんて、それって、おかしくないですか? 普通、男親は、そこは嫌がるとこですよ」
同業者に、そんなことを言われた。

そうなのか?
男親は、嫌がるのか?
なんで?

娘が気に入っている子を、男親が気に入っちゃいけないのか?
親が、娘の喜ぶことをするのは、当たり前のことではないか?
それに、今はまだ彼氏ではないぞ。

「でも、俺だったら、嫌だなあ。『コノヤロー!』って、思いますよ、普通」

ああ、そうか。
でも、オレは普通じゃないから。

ということで、朝の9時から、娘のお気に入りのS君を撮るために、校庭を動き回った。

Sくんは、確かに整った顔立ちをしていた。
表情に、どこか不貞不貞しさがあるが、精悍さもある。
そして、ひとつ感心させられたことがあった。
他の子は、たまに下を向くが、彼はほとんど下を向かず、いつも前を見つめているのだ。

目が一点を見つめていて、表情に迷いがない。
たいしたものだと思った。

これが、中学1年生?
俺が中学1年の時は、もっと落ち着きがなかったぞ。

ビデオの液晶モニターを見ながら、私は、ひとり感心していた。

「Mさん、そこは5組ですよ。娘さんは、1組じゃなかったですか?」
娘の同級生の母親に言われて、「ヘヘヘヘ」と笑って誤魔化す、バカ親父。

ストーカー親父は、800メートルリレーに出場したSくんを懸命に撮った。
モニター画面で見るS君は、いい走りをしていた。
他の子は、速く走ろうと足を懸命に動かして、もがいているという感じだが、Sくんは、上半身を使って走っていたのである。

私が大学時代、「速く走りたかったら、上半身で走れ」と、陸上部員に言ったら、みんな首をかしげていた。
鼻で笑うやつもいた。

今では、上半身が大事だというのが、だいぶ浸透してきたが、昔も今も、多くの人はまだ、下半身だけでいいと思っている。
「走るのは足なんだから、大事なのは足だよ」と、それを単純に信じている。

ビデオモニターの中のS君は、おそらく意識しないで上半身を使っているのだろう。
つまり、それは、天性のもの。

S君の5組は、ブッチギリの1位だった。
なぜか、嬉しくなるバカ親父。

そのあと、団体競技やクラス対抗の全員リレーも、娘そっちのけで撮った。
運動会で、娘をビデオに撮らなかったのは、初めてのことだ。

全員リレーが終わると、最後の部活対抗リレーまで、S君の出番はない。
だから、その時だけ、娘の姿を追って、ビデオに撮ったのだが、娘に「お前、何している! アタシはいいから、あっちをマジメに撮ることだけを考えろ!」と、邪険に追い払われた。

親父は、つらいよ。

部活対抗リレーまで、つかの間の休息。
学校の校舎側の斜面に、芝生が植えられている。
そこに腰掛け、VOLVICを飲みながら、校庭全体を見回していた。

私の前に、砂場がある。
その前を背筋を伸ばして、ゆっくりと横切ろうとする男の子が視界に入った。

おお、S君ではないか。
シャッターチャンス!
と思って、ビデオを構えようとしたら、S君と目があった。

そして、なんと! S君は、私に向かって、会釈をしてくれたではないか。
え? 彼は、性格が悪いんじゃなかったっけ?

心の中で、「アラララララ」と、唱える。
こいつ、もしかして、いいやつなのか?

S君は、私を4秒ほど見たあと、歩いていこうとした。
私は、咄嗟に「うまい具合に上半身使ってるね。あの走りはいいよ」と声をかけた。
S君の足が、止まった。

S君の目は、「なんだ、このオッサン、変なこと言いやがって」という目ではない。
勝ち気そうな目だが、何が何でも、大人を拒否しようという目ではなかった。

その目を見つめながら、「最後の30メートル」と、私は言った。
S君が2歩、私に近づいてきた。
瞬きをしない目が、真っ直ぐ私を見ている。
濃い眉と目のバランスがいい。

さすがに、我が娘。
いいところに目を付けていると思った。
性格がいいか悪いかはわからないが、その目を見て、S君は、確かな自分を持っているようだ、と私は思った。

「今の走りのまま、最後の30メートルを、もっと両腕を意識して走ってみたらどうかな?」
私がそう言うと、またS君は、私を見つめた。

アスリートの目。
彼は、中学1年で、立派なアスリートの目をしていた。
そして、「はい」と言うと、また会釈して、ゆっくりと砂場を横切っていった。

なんだ、素直ないいやつじゃないか。
なんか、好きになってしまいそうな・・・(変?)。

部活対抗リレー。
サッカー部の一番走者として走ったS君は、ブッチギリで最終コーナーを回ろうとした。
そして、最後の30メートル。
今まで以上に、両腕を力強く振って走るS君をビデオのモニターで見たとき、「なんだよ、こいつ!」と思った。

性格、悪くないじゃん!
メッチャ、素直やん(なぜか関西弁)!

その日の夜。
撮ったビデオを娘と一緒に見ながら、「S君って、いいね!」と言いながら、娘と盛り上がるバカ親父。

こんな私は、変でしょうか?



★変なオヤジは、CG「4人のモデル」


2008/06/01 AM 07:52:41 | Comment(3) | TrackBack(0) | [子育て]



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