Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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ROCK STEADYが鳴っている
携帯電話のない生活から、はや1年半(そのことに関しては、こちらに書きました)。

携帯を持っていたときも、それほど有効活用していなかったから、携帯のない生活には、すぐに慣れた。
仕事に支障をきたすかと危惧した部分もあったが、PCメールと電話で、事前に密に打ち合わせをしておけば、よほどの緊急事態でない限り、対処できた。

自由業なのに、なんで携帯電話を持ってないんだよ! ということを露骨に言う人は、稀にいる。

そういうときは、済みませんねえ、と謝る。
謝る必要はないのだが、一応謝っておく。
舌打ちをされることもあるが、謝っておけば波風は立たない。

ただ、「仕事も出さないのに、ひとの事情にケチをつけるなよ」と、心の中で毒づくことだけは忘れないが。

私以外の家族は、携帯電話を持っている。
ホワイト家族だから、家族間の通話、メールは無料。
ただ、家族間で電話をしているのを見たことがない(無料だからと言って、無闇には使わないようだ)。

時々、娘の携帯電話を借りる。

「使ってもいいけど、絶対にメールの中身を見るんじゃないぞ!」と、冗談交じりに言われる。
見ませんよ。
私は、子どもたちの通知表さえ見たことがない、変なオヤジなんですから。

子どもの通知表は、中身を見ずに、父母の欄にハンコを押して、子どもたちの机の上に置いておく。
「家庭から学校へ」欄には、一行も感想を書いたことがない。
ヨメは、食い入るように見て、私に報告してくれるが、私は、それをほとんど聞いていない。

私は、子どもたちのことは信じているが、学校の評価は全く信じていない、筋金入りのモンスターオヤジなのだ。
学校は、社会の構成上、なくてはならないものだと思っているが、訳のわからない主観的基準で、教師ごときに、子どもの貴重な学校生活を評価して欲しくない、と思っている。

こんな偏屈オヤジだから、自分の娘のメールを盗み見ることなど、考えたこともない。
折角ここまで積み上げてきた信頼の積み木が、崩れるようなことは、絶対にしたくない。
娘もそれがわかっているから、私が彼女の携帯電話を触っても、文句は言わないのである。

しかし、母親と高校3年の兄が触るのはNGだ。
それは、芸能レポーターに、大切な情報を売り渡すようなものだからだ。

しかし、娘の携帯電話を使っていて、一つだけ困ることがある。
それは、待ち受け画面が、Hey! Say! JUMPの山田涼介か、NEWSの山下智久であること。
だから、外で使うときは、隠れるようにして使っている。

先日、立ち食い蕎麦屋で「ワカメ蕎麦」を食っているとき、時間を確認するために、携帯を開いたことがあった。
一瞬の、その油断がいけなかった。
隣でカレーライスを食っていた、芋洗坂係長に似た男に画面を見られてしまったのである。

芋洗坂係長は、カレーライスを食う手を休めて、10秒ほど私を見つめていた。
芋洗坂は、食い入るように、私の手元と私の顔を見つめたあと、勢いよく残りを食らって、出っ張った腹を私のケツにぶち当てて出ていった。

昨日、神田の得意先に行ったとき、打ち合わせの最中に、担当者が突然腹を下して、個室に引きこもった。
こういうときの待ち時間というのは、手持ちぶさたである。
携帯電話を持っていたら、おそらくメールのチェックでもして、時間を潰すのだろう。
だが、持っていない私は、ただボーッとするばかりだった。

事務所をゆっくりと見回し、天井を見上げ、壁を見つめる。
飽きたら、カレンダーを眺め、1から31までの数字を順番に見ていく。
だが、それが終わっても、担当者は引きこもりから帰ってこなかった。
異常に長い引きこもりだ。
もしかして、家に直帰して、本当に引きこもったか?

そんなとき、安室奈美恵の「ROCK STEADY」が流れてきた。
おや? 有線か?
いままで静かだったのに、誰かスイッチを入れたんだな。これは、暇つぶしにはいい音楽を流してくれたな、と思った。

が、曲を聞いているうちに、7人いた他の社員が、ソワソワし始めているのに気づいた。
キョロキョロとまわりを見回している人もいた。
そばに置いた自分の携帯を開いて見ている人もいる。
天井を見上げている人もいた。
事務所内が、落ち着かない雰囲気になってきた。

そんななか、担当者が、引きこもりから戻ってきた。
「あれっ、Mさん、携帯が鳴っていますよ」

えっ、俺の携帯?
そうだった。
娘の携帯を、今日も借りてきていたのだった。
普段、携帯のない生活を送っていると、まさか自分に電話がかかってきたとは思わないものである。
それに、私は右耳が聞こえないので、音源の方向を判断する能力が、人より劣っているせいもある。

「ROCK STEADY」が、着うた。
皆さんには、ご迷惑をおかけしたが、おかげで担当者との共通の話題が見つかった。

「Mさん、安室奈美恵が好きなんですか?」

この日、担当者とは、仕事の話より安室奈美恵の話で盛り上がった。

携帯電話には、そんな効能もあるようだ。



★安室奈美恵が好きな人は、CG「芝生でのんびり」


2008/05/30 AM 06:57:01 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

半人前一人前
「子どもが、できないんですよね」と、新婚10か月のフクシマさんに言われた。

フクシマさんは、桶川にあるイベント会社の社員である。
年は20代後半。
お気楽がスーツを着て歩いているようなタレ目のイケメン(お世辞)である。

そのお気楽男が、ため息をつきながら、「子どもができない」と頭を抱えるのだ。
たった新婚10か月で。

まだ若いんだから、しばらくは二人のラブラブ生活を続ければいいではないか。

「いやあ、俺んちも嫁さんちも、『早く初孫の顔が見たい』って、うるさいんですよ」

そうですか、どちらも初孫なんですか。
しかし、そんなに焦らなくても、できるときは、できますよ。
ただ、ラブラブ過ぎると、できにくいって言われていますけどね、ヘッヘッヘッ・・・。

「Mさん、笑いごとじゃないんですよ! 俺、今回は真面目なんですから!」

確かに、垂れた目が、少しだけ平行に近くなって、笑える顔になっている。
私は、懸命に笑いをこらえた。

じゃあ、そろそろ仕事の話を進めましょうか。
私がそう言うと、フクシマさんは、さらに眉をつり上げて、叫んだ。

「今は、仕事どころじゃありませんよ! 子どもです! ベイビーです! 俺、プレッシャーにものすごく弱いんですから!」

それを聞いて、麻生久美子似の事務員とタマネギ頭の女性事務員が笑っている。
本人は、笑いを取ろうとしていないのに、自然と笑いが取れるフクシマさんは、お笑いの素質があると言っていい。
このままイベント会社に埋もれさせておくのは、もったいない。

そんなことを思っていたら、泣きそうな顔で、「Mさんは、どうだったんですか」と聞かれた。

私の場合、結婚して5年以上、子どもができなかった。
5年もたつと、俺たちには、できないのか・・・、と思った。
ただ、そのことで、深刻に悩みはしなかった。

私の母親は、心の中では、切実に初孫が欲しかったと思うが、それを絶対に口には出さなかった。
我慢の人生を送ってきた彼女は、自分の感情を人にぶつけることをしない人だった。
それは、とても悲しいことだったが、我々は、そんな彼女の態度に救われたものである。

だが、ヨメの両親は、私たちの顔を見るたびに「子どもは?」と聞いてきた。
5人の孫が、すでにいるのに、遠慮なく聞いてきたのである。
まるでそれが、親の務めであるかのように。

そのたびに、我々は、曖昧な笑みを浮かべながら、無言で下を向いたものだった。

できないかもしれない、ということは、いつも考えていた。
しかし、できなくてもいいじゃないか、とも思うようになった。
自分の子どもを育てる、ということに意義を見つけてもいいが、夫婦ふたりで、それなりの人生を形づくることにも、意味はあるのではないかと、二人で話し合った。

自分の人生なんだから、自分でどんな風にもプロデュースすることができる。
「子ども」という登場人物が出てこなくても、ハッピーエンドの物語は書ける。

ヨメと二人でそんなことを何度も話し合って5年、突然子どもができた。

この喜びをどう表現したらいいか。
とにかく、まわりの景色が、唐突に変わったような気がした。
子どもは、いなくてもいい、と覚悟した上でできた子どもだったから、予期せぬプレゼントをもらった気分になった。

子育てには、深く関わった。
育児書を読みあさり、離乳食もヨメと交代で作った。
熱を出したら、会社を休んで、病院にすっ飛んでいった。

おむつを代えた。風呂に入れた。同じ布団で眠った。
海を見せた。山を見せた。物語を読んで聞かせた。プーさんのビデオを飽きるほど一緒に見た。アンパンマン体操も踊った。トミカのミニカーをフルラインナップで揃えた。ミニ四駆に夢中になった。娘には、3歳からパソコンを与え、ペンタブレットでお絵描きをさせた。幼稚園の年中のころから、宇多田ヒカルや安室奈美恵、倖田來未、椎名林檎の歌を聴かせた。志村けんのビデオも見せた。坂田利夫師匠の歩き方をしつこいくらい教えた。

いま思う。
もし結婚してすぐに子どもができていたら、これほど子どもと深く関わっていただろうか、と。

それは、自分でもよくわからない。
そんなことを考えても意味はない、とも思う。

ただ、子どもが出来るタイミングは、その人の人生のリズムに合わせているのではないか、と思うことがある。
私の場合、Macを触り始めたころに、子どもができた。
そして、独立してみようかな、と思った時期に、次の子どもができた。

それは、偶然かもしれないが、偶然ではないかもしれない。
まるで、人生の節目に、マークを付けるように、子どもが産まれた。
(これは、私が勝手にそう思いこみたいだけかもしれないが)

子どもが俺を成長させてくれた、と思うことが多い。
半人前だった俺を、子どもが一人前にしてくれた。
その思いは、ずっと持っている。

ただ、子どもがいなくても、私もいつかは一人前になっていただろう。
子どもが、それを少しだけ早くしてくれた。
そう思うこともできる。

子どもができたことで、私は変わった。
それは、親への感謝の気持ち。そして、子どもへの感謝の気持ち。
子どもを得て、私が一番感じるのは、そのことである。

「そうですかぁ、子どもがMさんを成長させたんですか。そんな話を聞くと、やっぱり俺も早く欲しくなりましたよ」
垂れた目を細めながら、フクシマさんが言う。

それを聞いていた、麻生久美子似とタマネギ頭事務員が、高らかな笑い声を上げながら、こう言った。

「じゃあ、今すぐにでも作らないと。でも、フクシマさんの場合、5人くらい作らないと、一人前にはなれないかもしれませんね」
「いや、十人でも無理かも」


ハハハハハハハハハハハハハハハ。

せっかくのいい話が、最後は、大爆笑で終わってしまった。



★大爆笑したかったら、CG「いかにもCGなダイニングキッチン」



2008/05/28 AM 07:01:38 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]

犬になれ!
以前このブログに書いたが、ゴールデンウィークに得意先の社長の別荘に招待されたので、家族を引き連れて、図々しくも行ってきた。

「ずっと、いてもいいんですよ」と、社長に言われたが、1泊2日で利用させてもらうことにした。

ここで起きたことに関しては、かなりデリケートな部分があるので、書くかどうかためらった。
しかし、書くネタに困ったので、一応、社長とアオイちゃんの許可を得た上で、今回書くことにした。

伊豆高原の別荘。
450坪(!)の敷地に、3LDKの平屋の建物が2棟建っている。
そして、プールも付いている。

私からすれば、これは神をも怖れぬ行為だと思うが、社長は、自分のために別荘を建てたのではなく、社員の福利施設として建てたのだから、動機としては、たいしたものである。

一日目、社長と社長の娘さんと、娘さんのお友だちと、4人でテニスをした。
三人には悪いが、まったく相手にならなかった。

「Mさん、若いですねえ」と社長に言われた。
それは、社長さん。
スポーツに入れ込むエネルギーが違うからですよ。

私の場合、仕事で負けても悔しくないが、スポーツで負けると異常に悔しいのである。夜も眠れぬほどだ(これって、おかしいですか?)。

ただ、普段私のジョギング姿しか知らない家族には、今回の私の姿は、かなり好評だったようだ。
私のヨメは、スポーツに1ミクロンほどの興味もないから、私が「スポーツ万能だよ」と言っても、全く信じる気配がなかった。
それどころか、二人の子どもが運動神経が悪いのを、すべて私のせいにしていたのである。

今回のことで、少しは、考えを改めてくれることを祈る。

中学1年の娘と高校3年の息子は、単純に「スッゲー!」「おまえ、口だけじゃなかったんだな!」と褒めてくれた。
親父の威厳を取り戻した一日だった。

と、自慢話はここまでにして・・・(年をとると自慢話が長くて、申し訳ありません)。

今回、社長の別荘を使用したのは、社長ご夫妻、娘さん、娘さんのお友だち1人、我々家族4人、と社長の会社の従業員が1人の総勢9人だった。

今回の主役は、この従業員のアオイちゃん・16歳である。

アオイちゃんは、穏やかな雰囲気を持った子だ。
おとなしい、というのとは違う。
彼女は、自分独自のリズムを持っていて、そのリズムが他の人より少しだけずれている。
しかし、そのずれは、全く不快ではない。
それが、アオイちゃんを穏やかに見せている。

彼女は、美人ではない。失礼な言い方になるが、可愛い部類にも入らない。
そして、特別、明るいわけでもない。
ただ、社長は、アオイちゃんを一目見て、「従業員として欲しい」と思ったそうである。

この子は、人を幸せにする、天性の何かを持っている。
この生まれ備わった天分を、私の店でお客さんに振りまいて欲しい、と強く思ったという。

実際、アオイちゃんがレジに立って、「いらっしゃいませ」と言うと、お客の顔が途端に和やかなものに変わるらしい。
私はそれを見ていないのだが、社長が言うのだから、それは間違いないことだろう。

笑顔を振りまくわけでもないのに、人を幸せな気分にするのは、もう天分としか言いようがない。
夕食の手伝いをのんびりとしたペースでこなすアオイちゃんを見ていた私の娘が、おもわず「癒されるワァ!」と呟いた。

そう。
みんなが、アオイちゃんの姿に、訳もなく癒されていたのである。

夜も11時を過ぎて、子どもたちは疲れて眠り、他の人も自分の部屋に戻ろうとしたとき、社長から「いいブランデーがあるんですが」と、呼び止められた。
なんとなく、成り行きで、社長の娘さんも交えて飲むことになった。

その時、アオイちゃんの話が出た。

アオイちゃんは、去年、都内の有名私立校に入ったが、3週間で学校に行くのをやめたらしい(相当偏差値が高い高校だったと聞く)。

アオイちゃんは、中学時代からバスケットが得意だったから、高校もバスケ部に入った。
そこで、アオイちゃんは、上級生から突然「犬になれ!」と言われたそうである。
ただ、「犬になれ!」と言われたのは、アオイちゃんだけではない。
1年生全員が、言われた。

これは、そのバスケ部のしきたりで、誰もが経験させられることだったらしい。
だから、みんながチワワになったり、トイプードル、ミニチュアダックスフントになったりした。
しかし、アオイちゃんは、犬になれなかった。
バスケ部に顔を出すたびに、「犬になれ!」と言われたが、なれなかったのだという。

世の中には、「犬になれ!」と言われて、簡単に犬になる人がいるが、犬になれない人もいるのである。
犬になろうがなるまいが、人間の本質には、何の関係もないのだが、アオイちゃんは、それを大きく受けとめてしまったらしい。

みんなが犬になっているのに、私だけ犬になれないのは、おかしいのではないか。
彼女は、そのことで悩んで、悩みをうち明ける人もいない不幸もあって、学校に行くのをやめた。

これを聞いて、「一回くらい、犬になったっていいじゃないか。別にいじめられている訳じゃないんだから」と思う人はいるだろうが、アオイちゃんは、自分の意志で、「犬になりたくなかった」のである。

親は、子どもから理由を聞いて、まるで「怒ることが親の仕事だ」、というように、アオイちゃんを責めた。
そんなとき、たまたまアオイちゃんと同じ高校出身の社長の娘さんが、どこからかその話を聞いて、アオイちゃんを自宅に連れてきたのだという。

社長は、アオイちゃんの醸(かも)し出す空気を全身で感じて、即座に「うちで働かないか」と誘ってみた。
アオイちゃんは、その時、15歳だった。
当然、親の許可がいる。
それに、その時点では、まだ高校に籍を置いていた。

バスケ部をやめれば、犬にならなくても済むじゃないか!
そんなの、バスケ部をやめればいいだけのことでしょ!


彼女の親は、高校に戻ることを命令に近い口調で、説いた。
命令口調はいただけないが、親の気持ちはわかる。
犬になれなかったくらいで、高校生活を棒に振るのは、馬鹿げている、と思うのは、親として当たり前の感情だろう。

だが、親に切々と説かれても、アオイちゃんは、自分の気持ちを親にうまく説明できなかったらしい。

他の人は簡単に犬になれるのに、自分は、なぜなれないのか。
アオイちゃんが一番苦しんだのは、そこだった。
その苦しみは、彼女にしかわからない。

確かに、彼女の将来を考えたら、高校に行った方がいいに決まっている。
だが、アオイちゃんは、悩みをそのままにしておくことができなかった。

悩んだ末に、彼女は、自分で結論を出したのだ。
「ワタシ、働く!」

大検というものがある。
高校を卒業していなくても、大学受験の資格を得ることができる制度である。

社長は、その機会をアオイちゃんに与えることで、両親を説得した。
その説得は、半年かかったが、社長の熱意に負けて、昨年の11月に、アオイちゃんは、社長の経営するドラッグストアで働くことになった。

アオイちゃんの仕事っぷりを見た客から、「あの子、いい感じね」と、客に言われるたびに、社長は嬉しくなるらしい。
俺は、絶対に間違ったことはしていない、と思ったそうである。
社長の娘さんも、時間ができると、店に顔を出して、アオイちゃんの相談相手になっているという。

犬になれ! と言われて、なれなかった16歳の娘。
しかし、彼女は、人を和ませる能力を、確実に持ち合わせていた。

朝食の時間、アオイちゃんと目があった。
アオイちゃんは、笑ったわけでもないのに、幸せな空気を私に運んでくれた。
この朝食った、ベーコンエッグトースト、オニオングラタンスープは、今まで私が食った朝食の中で一番美味く感じたのは、私の錯覚ばかりではないと思う。

犬になれ! と言われて、簡単に犬になれる人間がいる。
しかし、断固として、犬になれない人間もいる。

犬になるのを拒んだアオイちゃんは、今日もきっと、色々な人に幸せを運んでいるに違いない。



★幸せを運ぶ人は、CG「えっ、何を落としたの?」


2008/05/26 AM 07:07:35 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

○○だらけの結婚披露宴
この間の日曜日、130キロの巨漢スガ君の結婚披露宴があった(この経緯に関してはこちらに書きました)。

仲人。

あー、めんどくせえ! とは思ったが、引き受けた以上は、真面目にやらないと、誰からも信用されなくなる。
だから、精一杯やった。

しかし、新郎新婦を歯の浮くようなセリフで褒め上げるというのは、私の趣味ではないので、それだけは勘弁してもらった。
その代わり、彼らの経歴を4コマ漫画風に紹介する冊子を自腹で作った。

すべて手書きで、8頁。
手書きしたものをスキャンして、イラストレータで面付けをし、レーザープリンタでプリントしたものを、近所の印刷会社の機械を借りて断裁し、業務用のホチキスで、45部中綴(なかと)じした。

自分では、かなりいい出来だと思ったが、皆さんのご感想は聞いていない。
仲人をするのに精一杯で、反響をうかがう余裕がなかったのである。

新郎新婦と仲人を除くと、列席者はジャスト40名。
経験の浅い仲人としては、これくらいの人数が丁度いい。
列席者の数があまりに多いと、逆上して自分が何を言うかわからなくなる恐れがある。

だから、40名で良かった。

しかし、この披露宴で、私が異常だと感じたことが一つだけある。
圧迫感がすごいのだ。そして、暑苦しい。
なぜなら、LLサイズ以上の方たちが多すぎるから。

新郎は130キロ。新婦は80キロ。
そして、そのご家族、ご親戚、ご友人のほとんどが、ビッグなのだ。

標準体重前後の人間は、私とヨメ、新婦の父親、そして、新郎新婦のご友人の中に5人程度いただけである。
つまり、44名いるうちの36名が、デブ(差別用語?)。

メタボ率、実に82パーセント。
まるで、相撲部屋並ではないか。

さらに驚くべきことに、新郎のスガ君が、大のラーメン好きということもあって、メイン料理がつけ麺だったのである。
そして、替え玉が用意してあったのだが、その数150玉。

ひとりが3杯以上お代わりすることを想定して用意してあったが、恐るべしデブ軍団(差別用語?)!
これを完食しやがったのである。
テーブルの真ん中には、大皿にチャーシューの大盛りが激しく自己主張していたが、どのテーブルのチャーシュー盛りも、またたくまに消滅した。
ミニ肉まんも置いてあったと思うのだが、それは、記憶に残らないくらい早く、私の視界から消えた。

食べ物を粗末にしてはいけません。
出されたものは、残さず食べましょう。

おそらく、そんな教育を受けて育った方たちなのだろう。
彼らのそんな崇高な信念は、間違いなく脂肪へと形を変えて、彼らを大きくし、さらに、これからも彼らを大きくしていくに違いない。

「Mさん、遠慮しないで食べてくださいよ、おめでたい席なんですから」と、スガ君は言うが、私とヨメは、遠慮せずに、普通に一人前を食ったのである。
これ以上食わせて、我々を君たちの仲間に引き入れるのは、やめてくれ!

シャンパンも注がれるままに、飲んだ。
美味かった。

そして、お決まりの「らいおんハート」も聞いた。
永遠にともに」「TRUE LOVE」「長い間」も聞いた。
ただでさえ食い過ぎて腹が痛いのに、一生聞きたくないと思っていた曲を立て続けに聞かされて、頭が痛くなってきた(寒気も)。

ただ、皆さん、感心するほど歌が上手かったことだけが、救いだった。
堂々としていて、声量があって、さらに声がよく通るから大変聞きやすい。
しかし、それでも、寒気は消えなかったが・・・(『乾杯』がなかっただけでも、ましだと自分を慰めた)。

最後もお決まりだったが、花束贈呈のあと、新郎新婦が、それぞれの両親への感謝のメッセージを読み上げた。
これは、感動的だった。

ただ、すでに泣く準備をしていた人が、花束贈呈前に大声で泣き出すというフライングがあった。
唯一、ここだけが、しらけた場面だった。

その後、少し間をおいて、新婦がメッセージを読み出すと、会場全体が一斉に、涙のハーモニーを奏でた。
普通より体重が大幅に多い方たちは、涙の量も多いようである。
そして、泣き声もでかい。

こういうときは、すすり泣きが普通だと思うが、今回は、天井から泣き声が降り注ぐという感じだった(少しオーバーかな?)。
だから、新郎新婦のメッセージは、私にはよく聞こえなかった。

しかし、聞こえなくても、私には、内容はわかっていた。
なぜなら、そのメッセージは、すべて私が書いたものだったからである。

泣かせようと思って書いたから、それは、まさに思い通りだったが、あの雰囲気の中で、何人が文章を理解して泣いてくれただろうか。

理解していない方に、100円賭けてもいい。

そして、披露宴が終わった後、涙で人相が変わってしまったスガ君と新婦のシマコさんが、大きな体を二つ折りにして、私に頭を下げた。
仲人の礼を言われるのかと思った。
しかし、違った。

「Mさん、オレ、感動しすぎて、5行分、飛ばしてしまいました! 」
「私は、4行」
「申し訳ありません!」


・・・・・・・・・・。

まあ・・・、誰も聞いていなかったから、いいんじゃない?



★聞いてない人は、CG「草むらで隠れんぼ」


2008/05/24 AM 06:50:15 | Comment(5) | TrackBack(0) | [日記]

1時間の禁煙って・・・
煙草は吸わない。

煙草は、小学3年の時と小学6年の時に、好奇心から、友だちと一口だけ吸ったことがある。
つまり、人生で二口しか吸っていない。

中学1年から陸上の短距離をやっていた。
そして、今も体を頻繁に動かしている。
体に悪いことを、わざわざする気にならない。

それに、私の母は、肺結核などの肺疾患に何度も罹っていた人だから、タバコの煙が一番体に悪い。
私の父親は、家でも平気で煙草を吸っていたが、その神経がどうなっているのか、私にはいまだに理解できずにいる。

人の健康に気を配ることができないくらい、煙草が美味しすぎるということなのだろうか?
それとも、ただ無神経なだけか?
だから、私は、自然とタバコの煙を憎むようになった。

ただ、もし煙草を吸ったら、記録が格段に向上するというなら、私も吸っていたかもしれない、と思うこともある。
つまり、ドーピングのようなもの。
だから、私には、アスリートがドーピングという麻薬に頼りたくなる心境が、少しだけわかる。

自分から積極的に手を染めるようなことはしないが、もし目の前に何気なく置いてあったら、もしかしたら、手を伸ばしてしまう可能性は捨てきれない。
アスリートが、少しでも速く、少しでも強く・・・、というそんな気持ちが、私には理解できる。

煙草を吸うと落ち着く、という人は多い。
これは、精神的なドーピングではないのか。

物理的・薬学的なドーピングと精神的なドーピングの違いは、もちろん大きいだろうが、精神的(嗜好的)なドーピングだって、体を壊すことはあり得る。
ニコチン中毒、アルコール中毒、ギャンブル中毒・・・、そして、すべての依存症。

私は、大学時代、必ず競技の2時間前に、牛乳とヤクルトを1対1で割ったスペシャルドリンクを飲んだ。
これを飲むと、なぜか怪我をしなかったからである。

競技の最中は、アドレナリンが出ているから、筋肉に必要以上の負荷がかかる。
高校時代は、ふくらはぎと太腿を傷めることが多かった。
だが、スペシャルドリンクを飲むと、不思議と怪我をしなくなった。

だから、毎回飲む。
大学3年の秋の大会の時、スペシャルドリンクを飲まなかった。
牛乳はあったが、ヤクルトがなかったからだ。

牛乳だけを飲んで競技に臨んだが、走り終わったあと、膝と腰を痛めた。
膝と腰を痛めたのは、その時が初めてだった。

その怪我は、思いのほか長引いた。
その結果、私は競技生活をやめることになった。

あのとき、スペシャルドリンクを飲んでいたら・・・、と今でも思う。
もちろん、それに何の根拠もないことはわかっているのだが、ついそう思いたくなるのである。

それが、精神的なドーピング。

スペシャルドリンクを薬物に置き換えてみたら、と考えると、もし目の前にあったら、手を伸ばすかも・・・、と思ってしまうのだ。

スポーツにはまったく縁のない友人にこの話をすると、彼はこう言う。

「じゃあ、お前は、目の前に他人の置いていった百万円の札束があったとして、誰も見ていなかったら、それを懐に入れるのか? お前の考えていることは、それと同じじゃないのか!?」

そのたとえは、明らかにおかしいと思うのだが、反論しても意味がない。
百万円を猫ババするのは、間違いなく犯罪だ。
ドーピングは、禁止されているものは多いが、犯罪とは言えない。
自己責任の問題である。

だから、彼の問いかけは、確実にピントがずれている。
しかし、こんなことで討論しても仕方がないから、私はいつも黙ることにしている(面倒臭いし)。

ただ、こういうやつに限って、「この間、店で5千札出したら、1万円と勘違いしたらしくて、おつりが多くかえってきたよ。儲かった儲かった!」などと言うのだから、どんな性格をしているのか、と思う。

無神経とジコチューは、同義語である(四流デザイナーのつぶやき)。

昨日、夜の9時頃、団地の通りを歩いていたら、木のベンチに座って淋しく煙草をふかしている男がいた。
この時間に煙草を吸っているのは、ご近所のタムラさんだな、と見当をつけたら、つるの剛士に似たタムラさんが、私に気づいて手を振っていた。

タムラさんは、「俺は禁煙を50回以上した」と威張っている46歳の文筆家である。
最長で4年の禁煙。最短で1時間の禁煙。

1時間? 1時間で禁煙と言えるのか?

「禁煙をすると決意したときが禁煙ですよ。禁煙は、意志の問題です。強い意志を持ったら、それは禁煙なんです」
文筆家らしい(?)都合のいい、ご意見の持ち主である。

「今回の禁煙は、どれくらい続きました?」
「半日かな」
タムラさんは、立て続けに、満足げに煙を吐き出している。

紫煙のドーピング。

このドーピングは、確実に体に害を及ぼすのだが、それは本人もご存知のことだろう。
だから、言っても意味はない。

「今回の、きっかけは何ですか」
半日の禁煙を破るきっかけを聞いてみた。

「腹を下しましてね。ボクは、煙草を吸うと、腹下しが治るんですよ」
「ああ、それはありますね。俺は、腹を下したとき、強いアルコールをがぶ飲みすると、嘘のように治ります」

それを聞いたタムラさんは、大袈裟に首を振って、「Mさん、それはダメですよ。腹を下したときに、アルコールをがぶ飲みするなんて。それは、ダメだ。そんなことしちゃいけませんよ。体を壊します。それは、やめた方がいい」と、眉間に皺を寄せて言うのである。

オイオイ! なんだよ、それ!

それって、おかしくないか!?



★自分勝手な人は、CG「柳の下で休憩」


2008/05/22 AM 07:10:54 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

無表情な人たち
ディスカウントストアのロジャースをよく利用する。

理由は、安いから。
それ以外に、理由はない。

だから、月に何回か、食料品、日用品の類を買いだめする。
昔のロジャースのレジ係は、無愛想だった。
社会主義国の店員たちは、みな無愛想で横柄だと聞くが、ロジャースもそんなイメージがあった。

安さは売るが、愛想は売らないのか、と思っていた。
以前のロジャースには、「安い時給で使われて、かったるくて」という態度の店員が、少なからずいた。
しかし、最近のロジャースの店員は愛想が良くなり、仕事ぶりもテキパキしてきた。

時給が上がったのか、それとも、今にして客商売の本分に目覚めたのかは、定かではない。
いずれにしても、店員の応対が気持ちいいと、支払う側も気持ちがいいものである。

しかし、先日・・・・・。
表情を忘れたレジの店員がいた。

私が、洗濯洗剤とA4サイズの普通紙一梱包をレジの台に置いても、レジのおばちゃんは、「いらっしゃいませ」も言わず、頭も下げなかった。
動作も緩慢で、POSで値段を読みとっても、小さい声で金額を言うだけである。

金額は、表示を見ればわかるから、声は小さくてもいいのだが、その無表情さは、腹立たしい。
こちらが千円札を渡しても、ただ受け取るだけだ。
それは、不機嫌というのとは、少し違う。ただ、とにかく表情がない。

これでは、ロボットの方が、まだましではないか、と思う。
血が通っている人間だと思うから、余計に腹が立つ。

小銭を掴むときも無表情で、目は一点を見つめたままだ。
しかし、おつりを渡すときに、おばちゃんの目に、少しだけ動きがあった。

下から、睨み上げてきたのである。
ギロリッ!

目以外は無表情だから、それは、かなり怖い。
一瞬だが、寒気がした。

おばちゃんは、睨み上げるだけで、彼女の口から「ありがとうございました」の言葉が発せられることはない。
そして、次の客の番になっても、彼女の態度は変わらなかった。

どの客に対しても、おつりを渡すときだけ、睨み上げるのである。
最初は、私の買い物金額が少なかったから、「この貧乏人が!」と蔑んで睨んでいるのかと思ったが、高額の客に対しても、その態度は変わらなかった。
(その態度は、ある意味、アッパレではあるが・・・)

ただ、ほとんどの人が、おつりを渡されたときは、おつりを渡された自分の手しか見ていないから、睨み上げるおばちゃんの目は見ていないようである。
だから、私のように寒気を感じた人は、あまり多くないだろう。

ディスカウントストアには、寒気も売っている、と思えばいいのかもしれない。
寒気は、ただなんだし・・・。

それだけで終われば良かったが、ロジャースで寒気を買ってから数日後、最寄り駅近くの西友でも同じような体験をした。

今度は、若いレジ係の男である。
下ぶくれの顔。
前髪だけが長く、それが右目を隠している。両サイドの髪は、短く刈り上げていた。

その顔に表情がない。
赤ら顔が、不機嫌を強く主張している。
「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」は言うが、声が小さいから、ほとんど聞こえない。

そして、客に絶対に頭を下げない。
「客に頭を下げるのは、オレのプライドが許さない」、と言わんばかりに、終始胸を反らし、無表情だった。

何とも言えない不快感を抱きながら、こちらも無表情になって、西友を後にした。

さらに、4月のことだったが、高校3年の息子の定期を代理で買おうとした。
通学証明書を提示すれば、親父でも買えるから、卓球部の練習試合で忙しい息子に代わって、最寄りの駅で定期を買った。

その駅員が、無表情だった。
最初から最後まで、一言も彼の声を聞くことができなかった。
見事なほど無言で、無表情だった。
機械を操作しているとき、くしゃみをしたのだが、その時も無表情だった(怖)。
自動販売機の方が、まだ可愛気がある、と思った。

さらに・・・、
先週のはじめ、友人に付き合わされて、新宿のゴルフショップ(店名は忘れた。ゴルフには興味がないので)に行った。
友人は、下手くそなくせに、ゴルフが好きだ。

「なんで、オレが一緒に付いていくんだ!?」と聞くと、「だって、お前はスポーツだけが取り得だろ」と言われた。
俺は、そんな風に見られていたのか。
だが、それは、確かに正しい。
いつもは、バカだと思っていた友人だったが、その時は見直した。

しかし、私はゴルフをスポーツとは、認めていない。
あれは、球遊びプラス散歩だ。
ビリヤードがスポーツだと言うなら、ゴルフをスポーツと定義してもいい。
散歩がスポーツだというなら、ゴルフもスポーツと認めてやろう。

まあ、それは、どうでもいいことだ。

そのゴルフショップの男の店員は、私たちが入ってきたときから、店の女店員と笑顔で会話をしていた。
目尻を下げて、ダーツの話題を大声で話していた。

しかし、友人がアイアンを買おうとレジに向かったら、途端に店員の顔から笑顔が消えた。
無表情になったのだ。
その変わり身は、見事なものだった。
零コンマ2秒で、笑顔から無表情に変わったのである。

普通は逆だと思う。
客の姿を見て、笑顔に変わって、客に敬意を表するならわかる。
それが、客の姿を見た途端、無表情になる店員。
何かが、間違っていないか。

やはり、寒気がした。

私は、マクドナルドのマニュアル通りの応対も好きではないのだが、レジで金を払って寒気を買わされるのも、好きではない。

なぜ、こんなにも無表情な店員が増えたのか。
これは、私のまわりだけの出来事なのだろうか。

「あの店員、すごい無表情だったろ」
私が言うと、友人は「えっ! そうかぁ! オレ、店員の顔なんか見てないよ。アイアンを買ったのが嬉しくて、それどころじゃないからさ」と、ノーテンキに語るのである。

そうか、みんなレジの店員の顔なんか見ていないんだな。
見ている私は、相当ヒマな男だということか。

レジ係は、無表情でもいいんだな。

じゃあ、俺も、レジ係をやろうかな・・・。


無表情と言えば、相撲部屋の親方にも無表情の人が多いような気がする。

無表情に竹刀を持ち、「ヤキを入れる」と言う。
間垣親方は、「指導と制裁の境界がわからない」と言うが、「ヤキを入れる」と言った時点で、制裁であり、暴力だ(この件に関しては、謝罪会見を開いたようだが)。

これは極論かもしれないが、たとえ弟子や、その弟子の親が「竹刀でぶって」と言ったとしても、「ヤキを入れた」場合は、暴力だと言える。
アントニオ猪木に頬を張られて喜んでいる人がいるが、あれは一度限りのビンタだ。

しかし、相撲部屋は、毎日親方や兄弟子と顔を会わせるのだから、アントニオ猪木のビンタとは訳が違う。

私は、相撲協会の理事長を筆頭に、大部分の親方の無表情さが、無性に怖ろしい。

たとえば、定食屋でおばちゃんに、「生卵1個サービスだよ」と言われたとき、私なら大喜びするが、彼らはきっと、当たり前のような顔をして、無表情に頷くだけなんだろうな(いや、彼らは、場末の定食屋になんか行かないか)。

高砂親方は、無表情ではなかったが、指導力がないと言われた。
強い横綱を育てたのに、「品格を教えなかった」と、無能の指導者呼ばわりをされた。
それに対して、横綱を育てたことのない無表情な親方たちは、「ヤキを入れる」と称して、指導力を発揮している。

無表情な男たちが牛耳る世界は、無表情な伝統に守られて、無表情に「ごっつぁんです!」を繰り返す。

だから、俺も、無表情に生きてみたい。

無表情に起き、無表情に食べ、無表情に仕事をし、無表情に音楽を聴き、無表情に笑い、無表情にケツを拭く(下品?)。

イカン! なんか、寒気がしてきた・・・。



★無表情な人は、CG「う、産まれる!」


2008/05/20 AM 06:53:47 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]

ワイルドターキーをもう一杯
友人の尾崎が、入院していたらしい。

入院はしていたが、今はもう退院して家にいる。
だから、家に見舞いに行った。

ワイルドターキーのロックを飲んでいるから、体の具合はもういいのだろう。
私もそうだが、尾崎も自分の具合のことは、人に言わない男である。
どこか具合が悪くても、その時は言わない。
治ってから言うときもあるし、言わないときもある。
それは、その時の気分次第だ。

今回、尾崎の妻の恵実(めぐみ)が電話をかけてきた。
それは、友だちだから、とりあえず入院したことだけは伝えておこう、という儀式のようなものだったと思う。

尾崎も恵実も、尾崎のどこが悪くて入院したのか、という詳しいことは教えてくれない。
私の方も聞く気はない。
顔色で判断するだけである。

もともと死神のような顔をしている尾崎だ。
地獄の入り口に足を半分踏み入れていているようなものだ。
いつもと変わらないな・・・そう思って、納得するしかない。

恵実が、赤ん坊を抱いている。
赤ん坊は、寝ている。
赤ん坊を抱いた恵実は、穏やかな湖面を思わせるような、揺るぎない母親の顔をしていた。

尾崎の左手の甲に、大きな絆創膏がしてある。
「久しぶりに、立ち回りか」

私の問いかけに、ワイルドターキーのロックを口に運びながら、尾崎が小さく頷く。
喧嘩の達人、尾崎。

しかし、彼は無闇に喧嘩をするわけではない。
自分の身に降りかかってきて、どうしても避けられないときだけ、尾崎は獣になる。
それ以外の時は、放っておく。

尾崎が、他人の喧嘩に割って入ることはない。
喧嘩は、両方が悪いのだ。
だから、お互いが責任を取るべきだ、というのが尾崎のルールである。

ただ、恵実が言うには、今回の喧嘩は、今までの尾崎のルールと少し違っていたという。

東京中野のブロードウェイを、尾崎と赤ん坊を抱いた恵実が、歩いていた。
彼らの目に、4人の若い男が2人の女に話しかけているのが見えた。
4人の男の中のひとりは、興奮した口調で、ひとりの女に話しかけていた。

6人とも、ヤンキーを卒業したばかりという雰囲気を漂わせていたという。
年は、20歳を少し超えた程度だったらしい。

尾崎たちが若者たちのそばを通りすぎようとしたとき、女が興奮して喋っている男の頬を平手で張った。
「てめぇ!」という男の大きな声が、商店街に反響した。

道行く人の誰もが動作を止めて、若者たちに一斉に目を向けた。
頬を張られた若者が、女に食ってかかる。
男は、女の肩を強く掴んで、今にも殴りかかりそうだった。

そのとき、1歳くらいの赤ん坊を抱えた若い男が走ってきた。
成り行きを見ていると、どうやら男の頬を張った女の旦那らしい。
旦那は、赤ん坊を女に預けると、頬を張られて逆上している男に向き合った。

それと同時に、左右にいた男たちが、旦那を同時に蹴り始めた。
旦那は、体の数カ所を強く蹴られて座り込んだ。
そして、頬を張られた男が、赤ん坊を抱いた女に対して、卑猥な言葉を吐いた。

それを聞いて、旦那は叫びながら立ち上がったが、また男たちに蹴られた。
そのとき、女が抱いていた赤ん坊が、泣き出した。
それにつられて、恵実が抱いた赤ん坊も泣き出した。

尾崎の動きは速かった。
3人の男を蹴り倒すと、女に頬を張られた男の左肘を逆関節で決めると、そのまま路上に押し倒した。
その時に、道路脇に置いてあった自転車のペダルに左手の甲をぶつけて、裂傷を負ったらしい。

蹴り倒された男たちは、起きあがって反撃しようとしたらしいが、凄みのオーラを全身から放つ尾崎を肌で感じて、怖じ気づいて逃げていったという。

「赤ん坊が泣いたから、咄嗟に体が動いたってことか」
私が言うと、尾崎は、首を小さくかしげて、またワイルドターキーのロックを口に運んだ。
照れているのである。

今までの尾崎だったら、放っておくところだが、赤ん坊の泣き声を聞いたら、我慢できなくなったのだろう。
それは、理屈ではない。
尾崎の中の父親が、彼を動かしたのだと思う。

「いい父親になったじゃないか」
私の言葉に、恵実が大きく頷いた。
「本当に、いい父親です」

「M先輩には、まだ敵わないがな」
尾崎は、照れたときや、言いにくいことを言おうとするとき、私を「M先輩」と呼んだ。
私の方が、彼より2歳年上だからだ。
だが、普段は「おまえ」か「M」である。

グラスを揺らして、氷が触れ合う音を聞いているが、口元には照れたときの固い笑みが貼り付いている。
そんな尾崎の姿を恵実が、目を細めて見つめていた。

いい夫婦だ、と思った。
負けたかもしれない、と思った。

「俺は、家族に貧乏暮らしをさせている不甲斐ないオヤジだよ。お前は、もうとっくに俺を超えている」
私がそう言うと、尾崎が今日初めて私の目を見ながら、こう言った。

「稼ぎと幸せは、比例しない」
尾崎が私から目を離して、グラスの氷を見つめた。
そして、氷を見つめながら、ほとんど投げ出すような口調で、言葉を続けた。

「俺が知っている限り、お前は一番のオヤジだ。俺は、お前を目標にしているんだ」

それを聞いた途端、私の下の目蓋から、水滴が溢れ出そうになった。

私は、トイレに駆け込んだ。
尾崎に、そんなことを言われるとは思っても見なかった。
まるで、不意打ちだった。

私は、深呼吸を何度もしたあと、トイレを出て、洗面所で顔を洗った。
そして、何ごともなかったような顔をして、リビングに戻った。

無表情な尾崎の顔。
すべてを包み込むような広がりを感じさせる恵実の目。

すべて見透かされているということはわかったが、私は何もなかったような顔をして、ソファに腰を下ろした。

私のグラスが空だった。
だから、「ワイルドターキーをもう一杯」と言おうとした。
しかし、恵実が無言で私のグラスに、新しいワイルドターキーを注いだ。

今日の私は、負け続けだった。



(友人尾崎に関しては、ブログ1ブログ2ブログ3ブログ4ブログ5ブログ6ブログ7を参照してください)



★負け続けの人は、CG「バイオリンの弓を拾う」


2008/05/18 AM 08:06:17 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

匿名のカラス
カラスに襲われた。

自転車で、普通に道を走っていて、横断歩道を渡りきったところで、「グァア〜」という声が聞こえた。
何だ! と思ったときは、頭部に攻撃を受けていた。

軽く突っつかれただけだが、最初は「何だ! 何が起こった!」と、まったく事態が把握できなかった。
上を見上げて、黒い飛行物体が、電線に留まるのを見て、「ああ、こいつか」と思った。

しかし、なぜ?

なぜ、私がカラスに攻撃されなければならない?
もしかして、彼らのテリトリーを侵した?
しかし、私はただ自転車を走らせていただけである。
しかも、横断歩道だ(横断歩道にカラスのテリトリーがあるとは思えない)。

彼らをご不快にする行為は、何もやっていない。
しかし、攻撃をしてきたからには、私が彼らのルールを踏みにじったのは間違いないだろう。
カラス語が話せれば、理由は簡単にわかったのだろうが、私は不勉強なので、カラス語がしゃべれない。
だから、とりあえず、謝っておいた。

スマン、スマン。

しかし、カラスは電線の上で攻撃態勢を取る。
私は、逃げた。必死に逃げた。
私のその逃げる様が、あまりにも不様に見えたからだろうか。
カラスは、「クァ〜」と鳴いただけで、見逃してくれた。

危機一髪。

カラスは怖い。
相手のルールがわからないから、ただひたすら頭を下げるしかない。
誠意こそが、カラスから身を守る唯一の方法であると言ってもいい。

そして、インターネットも怖い。
ヨウスイが腐る・・・失言を反省して謝っても、謝り方が悪い、としつこく言われるのである。

匿名の方々に・・・。

普通、明らかな犯罪やルール違反を犯したのでない限り、謝れば済む。
たいていは、それで幕引きができるものだが、インターネットの場合、顔の見えない匿名の方々は、「まだまだ」と仰るのである。

たとえ、「まだまだ」と仰る方の数が少なくても、「まだまだ」と仰る方がいる限り、メディアは報道するのだ。
そうすると、その数が少数意見だとしても、それを読んだひとは「ああ、まだまだ、なんだな」と思ってしまうのだ。

その結果、あの問題は決着が付いていないことになる。
皆様の記憶から、そのことが消えるまで、決着が付かないことになるのである。
そして、匿名の方々がこだわる限り、謝罪はいつまでも棚上げされる。

本当に、怖い。

そこで、ダウンタウンの松本人志氏の話になる。

松本氏が、ある方法で自殺をする人たちに対して、ひどいことを言ったとか言わないとか・・・。

それは、ラジオ番組での話だから、「ヨウスイ発言」と同じ媒体だ。
私の文章の読解能力が低いせいだとは思うが、インターネットの記事を見る限り、それが暴言なのかどうか理解できなかった。

「ヨウスイ発言」は、話の前後関係で判断すると、その言葉が際立っていて、フォ−カスを当てやすいが、松本氏の発言は、前後関係がボカされているので、よくわからない。

「まあ、ある意味ね。ちょうどええ時期に、そんなアホが死んだら別に俺はええねんけど」

この部分を読んだだけで、前後関係を推測できるひとは、よほど読解能力に優れたひとだと思う。
私には、ほとんど理解できなかった。

「アホ」という言葉が、強い言葉だから、そこにフォーカスを当てたのだろうが、話の前後関係が見えないから、そこだけを強調して批判するのは、私には乱暴に思える。

報道したり、批判したりするなら、少なくとも、松本氏が言った前後のセンテンスのすべてを拾ってくれないと、話を聞いていない人には「暴言」というメディアの感想だけが、印象づけられることになる。
だから、私には、「誰かが」前述の一行だけをクローズアップして、「暴言」と世論を誘導しようとしているように感じられてしまうのである。

もしフェアな批判をしたいなら、前後関係のはっきりした文章を掲載すべきである。

これでは、松本氏は「何? 何でオレ、怒られなアカンの?」と思うに決まっている。

この程度の突っ込みでは、松本氏は、絶対に謝らないであろう(あくまでも、私が感じる松本氏を想定しての感想ですが)。

全体の話の一点だけを取り上げての非難は、大きく的を外す。
特に、話をトータルで作り上げる、彼のような喋くりのプロに対しては。

だから、某歌手を苛めたときと同じ手法を使っても、松本氏は「なんや、アホクサ!」としか思わないだろう。

それに、ネットユーザーが、匿名の中に埋もれて他人を非難するのはわかるが、プロとして記事を書く人間が匿名では、私には、及び腰にしか見えない。

ネットを飛び交うカラスは、みな真っ黒で同じ顔をしている。
しかし、だからといって、プロのライターも同じカラスでは、松本氏に勝てるわけがない。

こんな記事を読むと、カラスばかりでなく、ネットに鷹や鷲、隼がいたら、インターネットはもっと楽しくなるのに、と無責任なことを思ったりもする。


余談ですが、私は、体を張って笑いを取る人が好きなので、松本氏の作り出す笑いは、苦手です。


さらに、余談。
四川大地震の報道で、「死者○○人」という大見出しを見る機会が多いが、これに違和感を感じるのは私だけだろうか。

死者の数は大事だろうが、その増えていく数をリアルタイムに伝えるだけでなく、地震の悲惨さを伝える他の方法はないものか、といつも思っている。
「死者○○人」という見出しはセンセーショナルで、人目を引くが、それを目にした人は「ああ、死者が増えたな」で、終わってしまわないだろうか。

大見出しで「死者○○人」と出されると、救援はどうなった、物資は足りているか、各国の援助はどうなっている、というのが、伝わりにくい。
テレビのニュースでは、現場の状況が、中継画面を通じて、ある程度推測できる。
映像は、時に嘘をつくが、目に一瞬で飛び込んでくるパワーはすごい。

それに比べると、活字は、リアルタイムの中継画面には敵わない。
しかし、活字だって、他に有効な手段を持っているはずだ。

もうそろそろ、「死者○○人」だけではない報道を考えてもいいのではないか、と言いがかりに近いことを私は考えております。



★違和感を感じたひとは、CG「モデルルームで・・・」


2008/05/16 AM 07:05:25 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]

腹具合が悪いときは・・・
昔から腸が弱い。
母親も弱いから、遺伝だと思っている。

数年前までは、疲れたり寝不足だったりすると、すぐ腹を下した。
ただ、最近は自分の体のメカニズムが、ある程度わかってきたせいか、激しく腹を下すというのは、年に数回に減ってきた。

私の場合、日本茶を2杯以上飲むと、かなりの確率で腹を下す。
他の飲み物では、そんなことはない。
そのことがわかってきたので、日本茶を敬遠することにした。
逆に、腹を下したとき、濃いコーヒーをブラックで2、3杯飲むと、腹痛が治まる。

なぜ、コーヒーを飲むと、腹痛が治まるのか。
最近それを知人の奥さんに聞いてみた。知人の奥さんは薬剤師なのである。

その薬剤師さんが言う。
「それは、根拠がありませんね。むしろ、日本茶を飲むとタンニンの作用で、下痢は治まるはずです。それとは逆に、コーヒーは腸管を刺激するから、かえって下痢を促進すると思います。それは、きっと自己暗示でそう思っているだけですよ。腸の具合が悪くなったら、市販の整腸剤を買って飲んだ方がいいですよ。あるいは、医者に行くか・・・。間違った思い込みは、体調を悪化させますから、やめた方がいいです」

そうですか。
私の方法は、間違っていたのですね。
コーヒーを飲むと腹痛が治まるのは、自己暗示だったのですね。
でも、私の場合、市販の整腸剤を飲んでも効いた試しがないのだが、それも自己暗示なのだろうか。

薬なんか、効くわけがねえよ!
と、いつも思っているのは確かだが・・・。
(だから、だいぶ前から、ほとんど薬を飲まなくなった。金の無駄なので・・・)

薬剤師さんの意見を取り入れて、腹具合が悪くなった時に、市販の整腸剤を飲んでみた。
「効くぞ効くぞ」と暗示をかけてみたが、効かなかった。

日本茶も、「絶対に効く!」と暗示をかけたのだが、腹の具合が余計悪くなった。
なぜだろうか?
長年の(といっても、ここ2、3年だが)思い込みが、体全体を支配していて、自己暗示の呪縛から逃れられないからだろうか。

とはいえ、一度や二度、効果がなかったからと言って、諦めるのは早すぎる。
だから、先月のことだが、10日間、薬剤師さんの言う通り、市販の整腸剤と日本茶療法を試したことがあった。刺激物も出来る限り食わないことにした。

しかし、腹の具合は、以前より確実に悪くなっていった。
発泡酒などのアルコールも腸管を刺激するから控えるように言われていた。
だが、発泡酒を3日間我慢してみたが、改善する気配はない。

こうなると私は、必ず極端な方向に走る傾向にある。
整腸剤を飲むのをやめた。
日本茶も飲まない。

その代わり、発泡酒をがぶ飲みし、もらい物のバーボンを呷った。
そして、濃いコーヒーを立て続けに飲んだ。
やけくそで、超激辛カレーも食った。

この効果は、すぐに表れた。
ゆるかった腹が、嘘のように治ったのである。

それから丸二日経っても、腹具合は安定していた。
我ながら思う。
俺のカラダは、何てひねくれているんだろう!

薬剤師さんのアドバイスとまったく逆のことをして、具合が良くなるのだから、非常識にもほどがある。
ただ、この場合すでに腹の具合が治る途中だったから、何をしても治ったという見方もできる。
10日間、コーヒーを飲まず、アルコールも控えたから、その後の暴飲暴食にも腸が耐えることが出来た、と考えることも出来るのである。

だから、それは次に同じ症状がでてみないと、確実な判断は出来ない。
しかし、私の中では、そのことは、もうどうでもよくなっている。

薬学は、人類が極めた有意義な学問だが、それさえも「自己暗示」であり「思い込み」の要素を含んでいる。

プラシーボ(偽薬)というのがある。
薬の形をしているが、中身は薬ではない。
しかし、これを「大変よく効く薬です」と言って、患者に飲ませると、かなりの効果があるらしい。
つまり、暗示である。
薬に対する知識豊富な医者でさえも、プラシーボを飲ませると、体調が改善されるというレポートもあったと記憶している。

病は気から、と言ってしまうと、いかにも安易だが、それは一つの真理ではある。

薬剤師さんは、薬学を極めた信頼できる人だが、人の体は薬学だけでは計れない奥深いものだ。
自分の体が奥深いとは思っていないが、体調が悪いときは、自分なりの処方箋を持っていてもいいのではないかと思う。

だから、これからは・・・、
腹の具合が悪くなったら、濃いコーヒーを飲む。
発泡酒も飲む。
激辛カレーを食う。

薬剤師さんが、たとえ眉をつり上げて阿修羅のような顔で睨んでも、私はそれを実行していこうと思っている。

(宣言するほどのことではないが・・・)



★腹具合の悪い人は、CG「早く青になれ!」


2008/05/14 AM 07:06:02 | Comment(5) | TrackBack(0) | [日記]

一年間限定の生命
人間は、強い。
人の本当の強さは、自分の「生」を、どのように有効に使うかで、わかるのではないかと、私はいま、つくづく感じている。

今回は、そんなお話をしようと思います。

一昨年の12月。
得意先の病院から、ポスターのデザインとプリントを頼まれた。
その病院からは、年に1〜4回仕事をいただく。

それは毎回、病院内に告知する文面をA2のポスターにする簡単な仕事だった。
文字と簡単なイラストだけの仕事だから、仕事の難易度は、低い。
その仕事は、たいてい一日で終わる。
校了になったら、インクジェットプリンタで2部ずつプリントして納入する。
それでお終いである。

ただ、私はA2サイズをプリントするプリンターを持っていないので、それは外注に回すことになる。
その外注先が、夜逃げをした。

だから、他の外注先を探すことになった。
だが、ありがたいことに、知人の紹介で、新しい外注先が、すぐに見つかった。
それが、一昨年の12月のことだった。

「ものすごく単価が安いから、きっと気に入ると思うよ。でも、そのプリントショップは、モグリなんだ」

モグリでも何でも、私としては、安くて速くて質が良ければいい(まるで吉野家)。

「質は大手のプリントショップと同じだ。使っている機械は同じだからね」

ということで、そのモグリと言われているプリントショップを利用することにした。
モグリなのかどうかは、いまだにわからない。
ただ、単価が破格だというのは、価格表を見たときに、すぐ判断できた。

今まで利用してきたプリントショップのものより、3分の1も(!)安かったからである。

初めてそれを見たとき、「嘘だろ!」と思った。
これでは、絶対儲けは出ないはずだ。
いくら自宅で開業しているから、事務所の維持費がかからないとしても、この安さは常識破りである。

店主に、「何でこんなに安いんですか?」と聞いてみた。
すると、店主のGさんは、「1年間限定だからね」と、少し悪戯っぽい笑みを浮かべながら、答えた。

一年間限定?
つまり、大型のプリンターを一年間限定で借りているということか?
私がそう言うと、「いや、俺が一年限定なんだ」と、Gさんはまた、悪戯っぽく笑った。

俺が一年限定?
何だ、それ!

Gさんの年齢は、50代半ばくらいか。
坊主頭にツバのない帽子を被っていて、眉が薄い。顔が四角くて、エラが張っている。
だから、外見はとても怖そうだが、笑うと顔全体が縮んだような気がして、どこか和ませる笑顔を持った人だ。

「このことは、他の人には言っていないんだけど」と言って、Gさんが話し始めたことは、私には、とても信じがたいことだった。

「オレ、余命一年って言われていてね」

当然、冗談だろうと思った。
それは、初めて会った人間に、うち明けていい話題ではない。

そんな重要なことを笑顔で言えるわけがない。
彼には悪いが、私は鼻で笑った。
「冗談でしょ」とも言いたくないくらい、それは馬鹿げた話だった。

私が信じないのを見て、Gさんは、私を食い入るように見つめたあと、「まあ、一年後にはわかりますけどね」と言って、また悪戯っぽく笑った。

おそらく私は、からかわれたのだろう、とその時は思った。

それから5度、そのプリントショップを利用させてもらった。
昨年の2月、5月、9月、11月、今年の3月の5回。

Gさんは、それほどやつれた様子もなく、いつも丁寧に応対してくれた。
そして、時に悪戯っぽい笑みを浮かべながら・・・。

今年の3月にプリントショップに行ったときも、Gさんはいた。
少し痩せたようだが、表情はいつもと変わらなかった。

その姿を見て、「やはり俺は、からかわれたのだ」と思った。
Gさんに、「余命一年」と言われたときから、すでに1年3か月が過ぎている。
だが、さすがに「まだ生きているじゃないですか」とは、聞けない。
「元気そうですね」と言うのも変である。
だから、その時は、ほとんど話をせずに店を後にした。

それから約1か月後の4月11日に、宇都宮線土呂駅近くのステラタウンの通りで、Gさんが歩いている姿を遠目に見かけた。
Gさんは、普通の人の半分程度の速度で歩いていた。

よく見ると、膝が上がっていない。
両足を引きずるような歩き方だが、Gさんは、背筋を伸ばして前を見て、何かに立ち向かうような姿で歩いていた。

それは、鬼気迫る、というような歩き方だった。
前しか見ていない。そして、それは、まるで「歩くことは、俺の生命そのものだ」というような意志に満ちた歩き方だった。

そんな姿を見て、声をかけることなど、できるだろうか。
私は、立ち尽くして、遠くから彼の歩く姿を呆然と見送ることしか、できなかった。

あれほど、人が歩くことにこだわった姿を、私は今まで一度も見たことがない。

気高い、という言葉も安っぽく聞こえるほど、その姿は私に何かを訴えかけていた。
全身に、鳥肌が立った。

Gさんの歩く姿は、今でも私の網膜に強烈に焼き付いている。

一昨日、またA2のプリントを頼もうと、Gさんの家に電話をした。

「Gは、死んだんですよ」

何となく予感はしていたが、電話に出た人(たぶん奥さん)の声を聞いたとき、私の全身にまた鳥肌が立った。

いつですか、と聞いてみた。

「4月12日です」と言われた。

私がステラタウンで見かけた次の日に、Gさんは、亡くなったらしい。

こんなときは、電話に出た相手にお悔やみを言わなければならない。
しかし、私には、その言葉が出なかった。
体の真ん中に、何かが居座って言葉が上まであがってこない状態だった。

私は、ほとんど喘ぐように力を振り絞って「4月11日に、ステラタウンで見かけました」と言った。

「あの人は、最後まで歩こうとしていたんです」と言われた。

「死んだ12日も、朝から歩いていたんですよ」

脳腫瘍。
それが、どんなにつらい病気なのか、私には想像することができない。
しかし、あれほど鬼気迫る姿で前を向いて歩いていた人が、次の日に死ぬなんて誰が想像できるだろうか。

ただ言えることは、Gさんは、生きたかったのだろう、ということだ。
その意志が、あの歩き方になって出た。

すごい、と思った。

いま、変な自殺の仕方が流行っているらしい。
自殺した人に、鞭打つような言い方は不謹慎とは思うが、あのGさんの歩いている姿を知る私は、どうしても自殺する人間に「大バカ野郎!」と言ってやりたくなる。

あれほど、生きたがって、前を向いて懸命に歩いていた人でさえも、次の日にあっけなく死ぬのだ。

なんで、自分で寿命を縮めるようなことをするのか、と思う。

全うした生こそが、美しい。

私は、Gさんの歩く姿を見て、それを教えられたような気がする。



★前を見て歩く人は、CG「朝の校舎」


2008/05/12 AM 06:59:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

麦とろ定食事件
前回予告したが、得意先の麻生久美子似の事務員が語った「麦とろ定食事件」。
これを書こうと思う。

麻生久美子似の事務員に関しては、こちらのブログにも書いたことがある。
彼女は、どこか儚(はかな)げな感じのする、ラーメン好きの美女だ。
いちおう、Bさんとしておく。

Bさんは、今年のゴールデンウィークに、彼女の姉が住んでいる東京調布市に遊びに行った。
彼女の姉は結婚したばかりだったが、旦那が会社の仕事の関係でドイツに出張しているので、ひとりでは淋しいということもあって、両親も引き連れて、姉の新居に泊まりに行ったのである。

姉の旦那は、毎週日曜日に、近所の蕎麦屋で「天ぷら蕎麦定食」を食べるのを楽しみにしていた。
姉も、「天ぷらが絶品なのよ!」と興奮した口調で言う。

そこで、泊まった翌日の昼に、家族揃って、その蕎麦屋に行ってみたのである。

蕎麦屋は、店内はそれほど広くはないが、小綺麗で、店員の応対も元気が良く気持ちがいいものだった。
4人は、天ぷら蕎麦定食を頼もうとした。

しかし、そのとき、彼女の父親が、二つ折りのメニューの一番最後に「麦とろ定食」という文字を見つけた。
父親は、麦とろご飯が大好きだった。

それが、「麦とろ定食事件」の始まりだった。

麦とろ定食 一千百円

これが、高いのか安いのかは、わからない。
私なら、一千百円の定食は絶対に食わないから、私の感覚では、とてつもなく高価に感じるが、他の人にとっては、手頃なのかもしれない。

父親が、「俺は麦とろにするよ」と言った。
すると、母親が「私も」と言った。
Bさんが、「あたしも」と言うと、姉も「じゃあ、食べてみようかしら」ということになって、4人全員が、麦とろ定食を注文することになった。

店員を呼んで、「麦とろ定食を4つ」注文した。
店員は、躊躇なく「はい」と答えた。

時刻は、1時過ぎだったから、普段の日曜日だったら混んでいる時間帯だったが、連休ということもあってか、彼らの他には、ひと組しか客はいなかった。

店内には、クラシックが、静かに流れていた。
蕎麦屋でクラシックは、ミスマッチだろうと私は思うのだが、Bさんは、「これが、意外と合うんですよ」と力説した。

まあ、それは、どうでもいいことだ。

クラシックを聴きながら待っていると、店主らしき人が挨拶に来て、「メニューをちょっと見せてください」と言って、その場で立ったまま、メニューを食い入るように見ていたという。
店主らしき人は、メニューを数十秒見つめたあとで、愛想笑いをして頭を下げ、厨房の方に消えた。

10分待った。

天ぷら蕎麦定食は、いつも10分くらいで、出来上がるらしい。
しかし、麦とろ定食は、まだ運ばれてこない。

天ぷらの方が、時間がかかりそうだが、作り方によって、それは違うはずだ。
付け合わせの種類によって、手間のかかり方が違うのかもしれない。
だから、麦とろの方が遅くなることはあり得る。
父親が、穏やかな顔をして待っていたので、みんなも穏やかに待った。

その間に、店員が他のテーブルのメニューを調べ始めた。
テーブル席は9席あって、当たり前のことだが、同じ二つ折りのメニューが置いてあった。
それを、一つひとつ、店員が見て回っていた。

おかしなことをするな、とBさんは思ったが、時間によってメニューが変わることもあるので、彼女がおかしいと思ったのは、一瞬だった。

20分くらい待って、麦とろ定食4つが運ばれてきた。
麦とろご飯の他に、筍と絹さやの煮物、山菜がたっぷり入った味噌汁、香の物が付いた、豪華な定食だった。

どれも美味しくて、みなが「おいしい」と言いながら、口に運んだ。
それを見ていた、もうひと組の家族が、「わー、私も頼めば良かった」と言う声が、Bさんの耳に聞こえてきた。
その声を聞きながら、味噌汁の椀を持ち上げたとき、店員の顔が何気なく目に入った。

店員の眉間に、皺が寄っている。
なんで? と思った。
さっきまで、あんなに穏やかな顔をしていたのに、なぜ突然険しい顔になったのか。

そんな疑問を抱えながらも、Bさんは、定食を完食した。
普段は、食の細い母親も八割方食べていたから、よほど美味しかったのだろう、と思った。
父も満足顔をしていた。そして、姉も。

しかし、そんなとき、こんな声が聞こえたのである。

「あれっ、メニューに『麦とろ』なんてないよ!」

Bさん一家は、それを聞いて、同時に顔を見合わせた。
メニューにない!
しかし、メニューの最後に「麦とろ定食 一千百円」というのがあったのは、間違いない。

嘘だろ!

父親が、メニューを取った。
皆で、それを覗き込む。
メニューの最後に、間違いなく「麦とろ定食 一千百円」とある。

だが、Bさんは、少し違和感を覚えた。
「麦とろ定食 一千百円」だけ、白い紙にプリントしたものが貼ってあったのである。
書体も違う。文字の大きさも違う。

まさか! と思って、店員の方を反射的に見たら、店員がバツの悪そうな顔をしていた。
Bさんは、瞬時で事態を覚った。

イタズラ!?

しかし、これ以上ないくらい美味しい麦とろ定食が、目の前に運ばれてきたではないか。
これは、いったいどういうことなのか!

すると、店員が種明かしをするように、こう言ったのである。

誰かのイタズラだということは、すぐにわかった。
しかし、注文を受けた以上、それを断るのは、プロとして恥ずかしいことである。
食材を切らしました、と言うのもプロとして恥ずかしい。
それに、メニューに載っているものを注文されて、それを「イタズラです」とは言えない。
事前にメニューを確かめなかった自分たちが悪いのだ。


だから、店主は、慌てて山芋を買いに走り、スーパーで麦ご飯を買い求めたのだという。
山芋と麦ご飯があれば、あとは自家製の蕎麦ダレに工夫をして、添えるだけである。
味噌汁と煮物、香の物は、自前のものがある。

買い物に行く手間と山芋を擂る手間だけが、少し余分にかかった。それが、出来上がるまでに20分を要した理由である。

それを聞いて、4人とも、感心して言葉が出なかった。
そんな間に合わせとは思えないくらい、その「麦とろ定食」が、美味しかったからだ。
父親は、思わず拍手をし、店主と握手をした。

本当のプロの接客を見た思いがする、とBさんは、興奮さめやらぬ調子で語っていた。
近頃の「船場吉兆の料理使い回し報道」と対比すると、どちらが料理人として上等か、考えなくても答えは出る。

感動した父親が、「どうです、この機会に『麦とろ定食』をメニューに加えたら」と言うと、店主は、両手を差し出しながら、こう言うのである。

「私は、山芋アレルギーなんですよ。ほら、見てください! 真っ赤でしょ。これでは、麦とろ定食は出せませんね」

店主とBさんの父親の大笑いで、この「麦とろ定食事件」は、一件落着となった。

しかし、これは、いかにも程度の低いイタズラである。
まともな人間のすることじゃない。

これは、まるで私がやりそうなイタズラではないか。
そう思った。

・・・・・・・。

いや・・・、だからといって、私はやっていませんよ、本当に・・・・・。

いや、本当ですって!



★イタズラ好きな人は、CG「母親はなぜ逃げる?」


2008/05/10 AM 06:42:16 | Comment(7) | TrackBack(0) | [日記]

つまらないインド旅行記
ゴールデンウィークに、仕事が来なかった。
これは、独立して初めてのことだ。

いつもは、1〜3本、仕事が回ってきていた。
一瞬、愕然としたが、ゴールデンウィーク前に、数少ないレギュラーの仕事を大急ぎで2本こなした。
そして、神田の広告代理店の2回目の仕事も、駆け込みでケリをつけた。

トータルで見れば、4月は、昨年より請求書の額は増えている。
だから、「まあ、いいか」と思った。
そう思わないと、フリーランスの仕事など、やっていられない。

自由業は、もともと浮き草稼業なのだ。
プカプカプカと浮いて、頭の上に流れてきたエサに食らいつくことを繰り返す仕事だ。
悲観的になっても、しょうがない。

連休明け。
ヒマだったので、桶川の得意先に遊びに行った(変人フクシマさんに関してはコチラ)。

思った通り、担当のフクシマさんは、ヒマそうな顔をしていた。
フクシマさんは営業なのに、私が訪ねると、いつも必ず事務所にいる。
彼は、いつ営業に回っているのか? この会社は、本当に大丈夫なのか?

今日は、マルチーズを溺愛する社長の姿は見えない。
麻生久美子に似た、怖ろしく手首の細い事務員もいない。
要するに、フクシマさんは電話番を任されたということか。

ヒマを持てあましていたフクシマさんは、私の姿を認めると、「インドに行って来ましたァ!」と、いきなり叫んだ。

なにぃ!
ゴールデンウィークにインドに行くなど、正気の沙汰とは思えない。
どれだけ金がかかると思っているんだ!
非常識だ!
貧乏人に対する嫌味だ! マッタク!

私の顔が不機嫌になったのが、わかったのだろう。
フクシマさんは、笑顔を消して、立ち尽くした。

彼にしてみれば、インドの土産話をたっぷりしようと思っていたのに、私が険しい顔をしたので、機先を制された格好になったようだ。
もちろん、私は本気で機嫌が悪くなったわけではない。
演技をしただけだ。
私の迫真の(?)演技に、フクシマさんが騙されただけのことである。

事務所の応接セットに座ったあとも「インドォ!」と私が大きな声を出すものだから、フクシマさんは、だた慌てるばかりだった。
彼は、私の顔を窺い見ながら、事務所の冷蔵庫から一番搾りの500缶を出してきて、私の前に置いた。

そして、もみ手をしながら、こう言った。

「M先生、『爆笑レッドカーペット』はご覧になりましたでしょうか。M先生の嫌いな、人の悪口もなく、観客をいじらない笑いは、なかなかのものだと思いますが、いかがでしょうか」

爆笑レッドカーペットは、2回見た。
私の中学1年の娘も1回目を見て、それなりに笑っていたが、2回目になると、「何か、周りが無理矢理笑ってねえか!」と言って、途中で席を立ってしまった。

私も同感である。
司会者が番組を盛り上げるのは、それが彼らの役割だから、それはわかる。
司会者が、強引に「面白い」と、強調し過ぎる傾向にも、目をつぶってもいい。
だが、お笑いを評価する役割のゲストのお祭り騒ぎは、私には鬱陶しく感じられる。

そもそも、お笑いに点数は、いらない。
面白いか、面白くないか、でいいではないか、と思う。
他の番組と同じようなゲストを並べて、お祭り騒ぎをされたら、誰が主役なのだ、と思ってしまう。
あれでは、お笑い芸人が主役には見えない。

そんな番組を見ると、テレビ局の人間が、お笑い芸人をなめきっていて、「どうせこいつら、つまらないんだから、俺たちが盛り上げてやらないと、誰も笑わないよ」と思っているように、私には、感じてしまうのだ(ひねくれてますか?)。
ライブ感を盛り上げるには、観客は必要だが、芸人が主人公なら、採点者はいらないのではないだろうか。

ただ、芸人たちが、他人の悪口で笑いを取らないのは、かなり評価できる。

「そうですね、ごもっともです。それと、M先生。先日、先生が天才監督と認める北野武が、聖火リレーに関して、欽ちゃんを罵倒しておりましたが、あれはどうお考えになります?」

北野武監督は、かつて監督として天才だった。
独特の感性と映像美を持った、唯一無二の監督だったと思う。

ただ、私の感覚では、「だった」なのである。
「あの夏、いちばん静かな海。」「ソナチネ」「キッズ・リターン」「HANA-BI」は、どの部分を取ってみても、映像に「粒子の細かい美」が漂っていた。
壮絶な美しさ、というようなものが、画面のすみずみにまで溢れていた。

しかし、それ以降は、無惨である。
周りの評価は高いかもしれないが、私には、今の北野監督は、過去の遺産で食いつないでいるようにしか思えない。
映像はあるが、「美」はない。

そして、北野氏は、お笑いとしても過去の人である。
かぶり物をして、プロデューサー芸で、お茶を濁しているだけだ。
現役ではない。

萩本氏も、そうだ。
お笑いとしては、はるかに過去の人である。
だから、お笑いを忘れた過去の人が、愛と涙を売り物にしても、私は別に問題はないと思う。

北野氏は、何をいきり立っているのか、と思う。
それに、北野氏は、「東京スポーツ」という、自分の媒体を持っていて、好き勝手に発言できるが、萩本氏は、そんな媒体を持っていないのである。

それは、フェアではない。
北野氏は、自分のフィールドである「東京スポーツ」ではなく、他の媒体で萩本氏に苦言を呈するべきだったと思う。

それに、「北野氏はなぜ、萩本氏が愛と涙を売り物にするのを許さないのか」という、単純な疑問も感じた。
芸人の世界では、笑いを売り物にする人もいれば、涙を売り物にする人もいる。
テレビ番組で、文化人モドキを集めて、北野氏が自分も文化人の側に立って世相を斬るのを売り物にするのと、愛と涙を売り物にする萩本氏との間に、どんな違いがあるのか、私にはよくわからない。

要は、信念の問題である。
チベット問題よりも、彼が人間関係のしがらみを選んだのなら、もし間違っていたとしても、それは明確な信念である。
北野氏が、その信念まで許すことができないというなら、本人に直接言えばいい。
聖火リレーに抗議したいのなら、「お笑い芸人として」萩本氏を押しのけて、場を壊せばいい。
他人の信念を批判するなら、喧嘩はタイマンでなければならない(まるで、ヤンクミ)。

某都知事のように、相手に反論の場を与えない、問答無用の臆病な喧嘩の売り方は、卑怯だ。

自分にとって都合のいい媒体を使っただけの一方通行の批判は、アンフェアとしか、私には思えない。

「ああ、そうですよねえ。アンフェアです、ホントに。ええとォ・・・・・」

・・・・・・・・・・・(長い沈黙)。

一番搾りを私が飲み干したのを察すると、すぐにまた新しい缶が、私の前に置かれた。
(キミは、ホストか!)

プルトップを開けて、ゴクゴクと飲む。

これでは、どちらが依頼人かわからない。

だから、「この辺で、もういいだろう」と思った。

そこで、笑いながら「インドは・・・・・」と私が言い出すと、フクシマさんは、喜色を露わにして、小さく何度も頷きながら、インド旅行のことを話し始めた。
よほど、話したかったのだろう。
まるで、せき止められた水が、出口を得て激流になったように、言葉が次から次へと溢れ出てくる。

しかし、その話は、残念ながら、そんなに面白くなかった。
バ〜ン、とか、ヒィヒィとか、わけのわからない表現が散りばめられているから、内容に深みがない。
言葉が、宙をさまよって、そのまま床に落ちるような感じで、耳に残らないのである。

だから、フクシマさんのインド旅行記のことは、今もほとんど記憶にない。

そのあと帰ってきた、麻生久美子似の事務員の「麦とろ定食事件」の方が、ずっと面白かった。

これは、大変面白かったので、近々話を整理して書こうと思います。

フクシマさん。
一流の営業になるためには、もう少し話芸を磨かないと。

フクシマさんのレッドカーペットは、スベリっぱなしでしたよ。



★スベリっぱなしの人は、CG「あじさい少女」


2008/05/08 AM 07:03:07 | Comment(3) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

少林少女見たい
少林少女のポスター。

WEBデザイナー・タカダ君の仕事場近くの喫茶店。
最近、タカダ(通称ダルマ)は、私を事務所に入れてくれない。
昨年の秋頃までは入れてくれたが、それ以降は、この喫茶店か大戸屋で話を済ませようとする。

それは、ダルマに彼女ができたことと関係があるのか?

彼女いない歴10年の時代は、彼の事務所には、上戸彩のポスターとカレンダーが、うるさいくらいに貼ってあった。
控えめに倉木麻衣のものも貼ってあった。

しかし、彼女が浜崎あゆみのファンだということを知ってから、彼の仕事部屋は、あゆだらけになった。
もしかしたら、それが、もっとすごいことになっているので、私を仕事部屋に呼びたくないのか。

もっと、すごいこと・・・・・。

まさか、浜崎あゆみの等身大のフィギュアが置いてあるなんてことは・・・。
あるいは、あゆのステージ衣装をどこからか盗んできて、飾ってあるなんてことはないだろうな。

右側の壁に、少林少女のポスター。
目の前にダルマ。

1年ちょっと前は、90キロ以上あった体が、いまでは61キロ。
恋の力は、怖ろしいものである。
こんなに見事にダイエットが成功するとは、思っても見なかった。

肉に埋もれていた目が、今では、くっきりと見えて、ダルマはもうダルマではない。
俳優の瑛太を寝不足にしたようなイケメンになっている。

「1月は、鶴岡八幡宮。2月は、伊豆半島にドライブと山梨ワイナリにドライブ。3月は隅田川で夜桜見物、そして、江ノ島水族館。さあ、4月は、どこに行ったんだ! 白状しろ!」

私は、喫茶店のテーブルを、ドン! と叩いた。

「みなとみらいをドライブして、元町も行きました」
あっさりと答えるダルマ。

昔のオドオドした雰囲気がまったくない。
だから、つまらない。
からみづらい。

ダルマも、もう34歳。
落ち着いていて、不思議はないのだが、今までの彼とあまりにも違ってしまったので、私は、ただ戸惑うばかりである。

少林少女のポスター。

「連休は、どこかに行ったのか?」
馬鹿馬鹿しいと思いつつ、一応聞いてみた。

「トモちゃんの実家に挨拶に行ってきました」

トモちゃん? 実家!

もうそこまで発展していたのか! 聞いてないぞ!

「だって、初めて言うんですから」
ダルマは、どこまでも冷静である。
つまらない。

しかし、彼女のご実家に挨拶に行くまで話が進んでいるとは・・・。

「で、向こうの返事はどうだった?」

ダルマは、大きく息を吸って、小さく微笑んだ。
昔は、その微笑みは気持ち悪かったが、今は、悪くない。

「とりあえず、交際させていただいてます、というご挨拶ですから、まあ・・・、感触は、良かったですかね」
ダルマも成長したものである。

ここは、喫茶店だったが、一番搾りは置いてあるので、一番搾りを注文して乾杯した。
もちろん、ダルマの奢りで。

「師匠、アラサーって言葉知っていますか」
ダルマに、怖ろしく真面目な顔で言われたので、「アラ、エッサッサー」とは、言えなくなった。

「知ってるよ。アラウンド・サーティのことだろ。30歳前後の女性のことだ。最近では、アラフォー(アラウンド・フォーティ)という言葉もある」
「そうなんですよ。俺は男だから、この概念には当てはまらないかもしれないけど、アラサーのうちに結婚したいなって思っているんですよ」

ダルマも34歳。まだ四捨五入したら30だが、もうすぐ35歳。四捨五入したら40になる。
アラサーから、アラフォーへ。
だから、あせっているのか。

しかし、こんなときでも、何か言わなければ気が済まないのが、醜いオヤジの習性である。

「アララライ・オーって、知ってるか」
「いえ、知りません」
「嬉しいことがあると、ラララライ体操をし始めるオッサンのことだ」

「・・・・・・・(軽蔑のまなざし)」

喫茶店の空気が、完全に冷えた。

少林少女のポスター。

「彼女は、君のことを何て呼んでいるんだい?」
「ダルちゃん」

ダルちゃん?
ダルマのダルちゃんか?
まるで、ダルビッシュ有みたいだな。

「そうでしょ、俺、その呼び方、気に入ってるんですよ。格好良くないですか?」

トモちゃんとダルちゃん。

とんでもなく、かっこよくありません。

「師匠、その日本語の使い方、変ですよ」

いいえ、とんでもなく、変ではありません。

少林少女のポスター。

少林少女が見たい、と突然思った。

私の視線に気付いたのだろう。
ダルマが、含み笑いをしながら、こう言った。
「トモちゃんは、柴咲コウも好きなんですよ。だから、今度『少林少女』一緒に見に行こうと思っているんです」

そうか、そうか! トモちゃんは、柴咲コウも好きなのか。
いい子だなあ。
ぜひ、一緒に見に行きたいものだ。

「師匠! 師匠がトモちゃんっていうのは、おかしいでしょう(怒)。それに、一緒になんか、絶対に行きませんよ!」

タカダ君。
キミ、成長しすぎだよ・・・(哀)。



★成長した人は、CG「雷に打たれる校舎」


2008/05/06 AM 07:42:47 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

500円が550円に
ガソリンの価格がまた上がった。
あるいは、元に戻った?

我が家は、車がないので影響はないが、目に見えないところで、ダメージは受けている。
物資の運送費・燃料費の高騰は、あらゆる業界に、小さな爆弾を落としているようである。

パソコンで家計簿をつけていると、商品の価格の流れがよくわかる。

昨年の今ごろの家計簿を見てみると、今年の物価が想像以上に高騰しているのがよくわかる。
それも、数パーセントの高騰ではない。
少なくとも、私が購入した日用品、食料品は10パーセント以上値が上がっている。

特に食料品が、顕著だ。
ただ、生鮮食品は稀に下がったものもある。
生産地からの運送費は上がっていても、それらは流通の程度により値が上下するから、下がることもあるのだろう。

だが、他のものは、軒並み上がっている。

たとえば、近所の大手ドラッグストアでの価格を比べてみると、こんな感じになる。
どちらも、バーゲン品の価格を比較したものである。

昨年の4月。
カップラーメン4つ購入 4個で276円。
卵を1パック購入 100円
パルメザンチーズ1個を購入 288円
エクストラバージンオリーブオイルを1本購入 498円
プレーンヨーグルトを1個購入 128円
合計で、1290円

これが、今年は、こうなっている。
カップラーメン4つ 452円
卵1パック 184円
パルメザンチーズ1個 362円
エクストラバージンオリーブオイル1本 599円
プレーンヨーグルト 168円
合計で、1765円

昨年と今年、まったく同じものを比較して、475円も違うのである。40パーセント近い値上がりだ。
馬鹿馬鹿しいから、今年は買わずに、価格を調べるだけにした。
バーゲンセールとは言っているが、昨年までの常識では、これはバーゲンとは言わない。

これは便乗値上げではないのか? と勘ぐりたくもなる。

いつも1本98円で買っていた歯ブラシも128円に値が上がっていた。
数パーセントの値上がりなら我慢できるが、30パーセント近く上がっては、買おうという気にならない。
歯ブラシと歯磨きは、100円ショップで買った方が、得なようだ。

つい最近まで、値上げと言えば、数パーセント単位で、「企業努力をしましたが、もう限界です。お怒りは覚悟の上で、値上げさせていただきます」という低姿勢で、値上げしたものである。
しかし、今は、数十パーセント単位で、「原油価格が高いんだから、文句言うなよ」という感じで、高圧的に値上げしている気がする。

軽々しくは言えないが、よく暴動が起きないものだ、と思う。

大国ニッポン。金持ちになったもんだ(あるいは、忍耐強く飼い慣らされた?)。

そんなことを思いながら、一昨日、久しぶりに行きつけの定食屋に入った。
「行きつけ」と威張ってはいるが、行くのはせいぜい年に2、3回。
大宮の得意先に呼ばれたときに、たまに利用する程度である。

しかし、私にとっては、これでも行きつけなのである。
私の場合、数回足を運べば、そこはすべて「行きつけの店」になる。

その定食屋は、外見も内装もかなり年季が入っていた。
間口が狭く、奥行きが広い。
入り口の側にカウンター席があり、奥にテーブル席が2つある、小さな定食屋だった。

私がこの定食屋を気に入っている理由は、ただ一つ。
日替わり定食が500円、というところだ。
ライスお代わり自由で、味噌汁もお代わり自由。おかずは必ず2品以上付く。これで、500円なのである。

味は、特別美味いというわけではないが、全体が薄味なので、それは私好みだと言える。

得意先からの帰りに店に入って、日替わり定食を注文しようとして、私は固まった。

550円と書いてあるではないか!

ここにも、値上げの波が押し寄せてきたのか。
私が、この店を利用し始めて6年。
その間、日替わり定食は、ずっと500円のままだった。

なんか、少し、裏切られたような気が・・・。

ここだけは、値上げはないと思っていたのに・・・。

大きく落胆した。
心が寒くなってきた。
たった50円かもしれないが、500円と550円では、気分が違う。

私は、憂鬱だった。
そして、憂鬱なまま、何気なく店内を見回した。
すると、変色の激しい壁に、真新しい紙が貼ってあるのを見つけたのである。
文字を読んでみると、「マイ箸持ち込みの方は、50円お引きいたします」と書いてあった。

オー! 今話題のマイ箸!
環境に配慮したマイ箸
地球を守るマイ箸

そうか、この店は、ただ値上げを客に押し付けるだけでなく、時代を読んで、環境のことを考えているのだな。
やむを得ない値上げではあるが、その値上げは、社会のためになる値上げでなくてはならない。
だから、マイ箸持参の人を優遇することにしたのだろう。

つまり、マイ箸を持ってくれば、日替わり定食は、今まで通り500円で食えると言うことだ。
それなら、納得できる。

大きく頷きながら、私は、心苦しい想いを抱きながら「割り箸で」日替わり定食を食った。
そして、食っている最中に、もう一つ新しい貼り紙が、目の前の壁に貼ってあるのを見つけた。

そこには、小さな字で「ライスのお代わりは、一杯だけ」と書いてあった。

う〜〜〜〜〜ん?



★マイ箸愛好家の方は、CG「天国への階段」


2008/05/04 AM 07:58:46 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

まさか親父狩り?
あれは、俗に言う「親父狩り」だったのか。

4月29日のことだった。
友人のスガ君の結婚披露宴の打ち合わせをしたあと、車で送ってもらった。
スガ君は、団地まで送ってくれると言ったが、帰りが大変だろうと思って、16号バイパスのすかーらーくの前で降ろしてもらった。

それが、間違いのもとだった。

時刻は、午後9時を過ぎていた。
すかいらーく前の信号を渡って、団地方面に歩き始めた。
人通りはない。たまに、車が通る程度である。

特別暗い道ではない。
のんびりと、武蔵野銀行前の道を歩いていた。
すると、銀行の駐車場の方から、突然3人の男が現れたのである。

看板の灯りがあるから、ある程度、相手の表情は読みとることが出来る。
3人とも10代後半だ。
真ん中と左の男が、ニヤニヤ笑っている。
右の男は、やや後ろに下がっていて、顔は無表情だ。

私は、その右の男の顔を見て、ゾクッとした。
感情がない。
だが、顔に隠しようのない酷薄さがある。

たまにテレビニュースで放映される、中東のテロリストのような雰囲気で、ひとを傷つけることを平然とやってのけるタイプに見えた。
冷血動物、という言葉も浮かんだ。

心臓が、早鐘のように打つ。

相手は、何も言ってこない。
左と真ん中は、相変わらずニヤニヤしている。
ただ、救いは、3人とも体格は良くないというところか。
170センチそこそこで、胸板も厚くない。

1対1なら、負けることはないかもしれない。
しかし、誰かひとりでも、刃物を持っていたら、どうしようもない。

こんなときには、逃げるに限る。
足には、自信がある。
ただ、3人の間をすり抜けることが出来るかどうかが問題だ。

連繋を取られたら、3対1では、逃げ場はない。
鞄を持っているので、走るときに、これが邪魔になるかもしれない。
だが、鞄を武器に使うという手もある。

ドキドキドキドキ・・・・・。

左と真ん中の男と私の間の距離は、1メートルもない。
二人同時にかかってこられたら、どうしよう。
脇の下から、冷たい汗が、大量に流れ出てきた。

20代後半にボクシングジムに通っていたから、ある程度の立ち回りを演じることは出来る(と思う)。
しかし、本気で殴り合ったことは、一度もない。
そして、自分の感情が切れたら、どうなるかわからない、という自分に対する恐怖心もある。

手加減せずに相手を殴って、取り返しのつかないことになったらどうしよう、ということも考えた。
そんなことを一瞬のうちに考えられるのだから、冷静であるとも言えたが、心臓は相変わらず早鐘のように打っている。

歩道の幅は3メートルくらいか。
3人が横並びなので、隙がないように見える。
間をすり抜けるのは、今の段階では難しい。

相手が動いてくれたら、多少隙ができるかもしれない。
しかし、待つのも怖いものだ。
本当の喧嘩になれていないから、相手がどう出てくるか、まったく予測がつかない。
これは、本当に怖い。

ニヤニヤ笑いの男二人と、無表情な爬虫類男ひとり。
最悪の事態である。
舌打ちをしようと思ったが、唇が渇いて、舌打ちも出来ない。
情けない話である。

絶体絶命。

そんなとき、真ん中の男の右腕が伸びてきた。
私は咄嗟に、その男に体当たりを食らわせた。
これは、考えた上ではない。
まったく反射的だった。

真ん中の男にぶつかったあと、右側の爬虫類男の肩にバッグを振り下げた。
うまい具合に当たって、華奢な爬虫類男は、簡単によろけた。
1メートル以上の隙間が空いたので、私は全速で逃げた。

真っ直ぐな道なら、いかにも運動不足そうなガキには負けない。
100メートルくらい走って振り向くと、相手は追って来ていたが、20メートル近い差ができていた。
さらに200メートル走った。

振り向くと、相手はもう追う気をなくしたようで、立ち止まってこちらを見ていた。
それでも私はスピードをそれほど落とさずに、我が家とは反対の団地の棟の方に直角にカーブして逃げた。

団地の外側を大きく迂回して、遊歩道まで走った。
そして、街灯の下の地面に、しゃがみ込んだ。

ドキドキドキドキ・・・・・。

吐き気がするほど、心臓の鼓動が早い。
情けないと思う。
しかし、これが現実である。

闘えば、格好良かったかもしれないが、そんな勇気はなかった。
ぶつかって、逃げるのが精一杯だった。

本当に吐き気がする。
膝を抱えて蹲(うずくま)り、吐き気に耐えた。

あいつら、いつもこの時間にこんなことをしているのか?
疲れたオヤジを狙って、悪さをしているのだろうか。

少し吐き気が収まると、腹が立ってきた。
そして、少し冷静になると、愕然とした思いに襲われた。

左側の男。
もしかしたら、高校3年の息子の小・中学校時代の同級生だったかもしれない。
亀田興毅のような髪型をしていたが、全体の雰囲気は、私の知っている息子の友だちの面影を残していたような気がする。

毎日のように、ゲームをしに我が家に来ていた。
かん高い声で「マッちゃんのお父さん」と声をかけてくれたのを思い出す。
あれが、亀田頭になった? まさか!

ただ、薄暗がりだったので、断定はできない。
中学時代は小太りだったが、亀田頭は、太ってはいなかった。
私の思い過ごしかもしれない。

心の中に、腹立たしさは、依然としてある。
地面に座り、膝を抱えながらも、ガキ相手に「逃げた」という現実が、私の心と体を震わせている。

言いようのない怒りが、足下から湧き上がってくる。
それは、ほとんど情けない自分に対する怒りだった。
逃げた、という現実が、歯噛みするほど私のプライドをズタズタにしたのだ。

なんで、逃げたんだ!
叫びだしたいくらい、自分が腹立たしかった。

ただ少し冷静になってみると、あれは本当に親父狩りだったのか、という疑問も浮かんできた。
彼ら3人が私に何をしようとしたのかは、本人たちに聞いてみないとわからないが、臆病な中年男が、3人の若者の姿を見て、ただ怯えただけではないか、という気もしてきたのである。

私の住む団地で、親父狩りにあったという話は、今まで一度も聞いたことがない。
あれは、息子の友だちだった亀田頭が、私を見て懐かしくなって私に声をかけようとしただけかもしれない。

それを、怖い怖いと恐怖心にとらわれた中年男が、勘違いしただけかもしれないのだ。

吐き気は去った。
呼吸も元に戻った。
情けない自分に対する怒りはあるが、それは、徐々に消えていくだろう(悲しいことだが)。

立ち上がって、シャドーボクシングをしてみた。
ストレートが、真っ直ぐ空気を切り裂く。ジャブとフックのコンビネーションもいい。
しかし、すぐにやめた。
今さら、ここでシャドーボクシングをして何になるというのだ。

また、ボクシングジムに通おうかな。

臆病オヤジは、いま、そんなバカなことを考えております。



★怖がりな人は、CG「ドアを通れば」


2008/05/02 AM 06:58:10 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]



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