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● オリンピックで自分を再発見 |
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無知なせいか、知らないことが多い。
この間、中国が過去6度もオリンピックをボイコットしていたことを、ニュースで初めて知って驚いた。 6回もボイコットしているのに、IOC(国際オリンピック委員会)はよく中国を開催国に選んだな、というのが正直な感想である。
それは、高度な政治的な判断なのか、それとも世界情勢を深く読んだ上での決定なのか、素人には判断しかねる。 きっと、IOCは、世界各国で色々と騒動が起きることもすべてお見通しで、中国開催を決定したのだろう。
過去6度もボイコットをした中国、モスクワオリンピックをボイコットした米国。 政治とスポーツは別と言いながら、自ら政治に翻弄されることを選び、それらの国に開催権を与えるIOCという組織の存在は、私には理解しがたい。
彼らはただ、人々の愛国心をもてあそんで、金儲けの種をばらまいているだけのような気がする。 そして、オリンピックに理想などない、と言わんばかりの態度で、大国を優遇している。
スポーツが政治の道具にされるなら、世界の紛争は、すべてオリンピックで決着を付ければいいと、今どきの小学生の作文でも書かないようなことを私は考えているが、こんなことを言ったら、IOCに鼻で笑われるだけだろう。
騒ぎは一瞬だけさ、ひとしきり騒いで、オリンピックが始まったら、どうせ誰もが熱狂するに決まっている。 世論とは、そんなもんさ・・・、IOCは、きっと今回もそう思っている。
そう考えると、我が日本国の対応は大人である(もちろん、皮肉)。 目に見える抗議はせず、各国の対応を見るだけで、静観のポーズ。 それは、毎回のことだから、世界も「日本のことは眼中にない」と思っている感がある。 中国側も、「あいつら(日本)には、たくさん貸しがあるから、何も言ってこないだろう」と思っているフシもある。
チベットのことはよくわからない。 擾乱が起きた、という報道と中国側の弁解の声明だけがある。
ただ、チベットを旅行していた日本の観光客が、出国の際に「このことは口外するな。もし口外したら・・」と威されたという報道もある。 これが本当なら、ヤクザ国家と言っていいが、インターネットで流された記事を読んだだけだから、それだけで、チベットの現状を積極的に検証する材料にはならない。
世界の各地で抗議行動をしている人は、きっと正確な情報を知っていて、その情報に基づいて行動しているのだろうから、もっと事実を世界に発信すべきではないだろうか。 いや、あるいは彼らはちゃんと発信しているのに、日本のメディアがそのことに興味を失って、ただ抗議の様子だけを高いニュースバリューとして、報道しているだけなのかもしれない。
抗議行動を報道するのは大事だが、チベットで起きた事実を詳細に伝えてくれないと、抗議行動だけが肥大化して、その結果、抗議だけが正当化されるような気がする。 つまりそれは、いま中国を叩くことは、すべて正当化されるという飛躍に通じる場合もある。
表層的な報道は、大衆を煽動する役割しか果たさない。
先頃、パリで聖火リレーが妨害を受けたことに対する抗議として、中国がフランス製品の不買運動を繰り広げた、という記事を見た。 フランス大手スーパーの店舗に押しかけ、デモ行動を起こしているらしい。
中国当局は、今すべてがオリンピック優先だから、中国民の度の過ぎた愛国行動は、封じ込めているようである。 そのあたり、中国は確実に変化しているようだが、デモ行動自体は、以前の日本に対する感情的な愛国行動が、ただフランスに向けられているだけというような気もする。
オリンピックが終わったら、中国当局は、また知らんぷりを決め込むこともあり得る。
つまり、オリンピックの魔力は、それほど大きいということだろう。 中国はいつだって、自分たちの国で起きた「負の部分」を隠そうとしてきた。 しかし、それは他の国だって、多かれ少なかれ同じである。 ただ、その隠す度合いが、中国の場合、大きすぎることは確かだ。
隠すという行為は、いつでも犯罪的である。 後ろめたいから、隠す。あるいは、事実を歪める。 ひとは、事実を歪めるとき、ほとんどの人が威圧的になる。 だから、中国高官の口から流れる言葉は、その威圧的な物言いの裏を感じ取って、密度が薄い、と私には感じられる(これは、あくまでも私だけの感覚だが)。
密度の薄い言葉は、政治的には有効でも、説得力はない。 彼らは、政治には玄人でも、国際世論に関しては素人ではないかと、私は常々思っている。 まるで交戦国を攻撃するような高圧的な物言いは、自国では通用するだろうが、当事者以外には、舌打ちの対象にしかならない。
しかし、そんな言葉でも、メディアは嬉々として伝えるのである。 ニュースバリューとしてだけ伝えて、その詳しい検証は、なしだ。
報道するとき、「負の部分」をどれだけ正確に伝えることができるか。 メディアの役割として、それが一番重要ではないか、と私は思っている。
聖火リレーが、各国の抗議団体の行動により停滞している。 ニュースで、それは報道される。 しかし、その場面は本質の一面を映しているが、その本質を説明する報道は、驚くほど簡潔である。 ニュース番組としての制約はあるにしても、その報道はただ「たれ流す」の域を出ていない。
ただ、その本質の説明は、新聞には書いてあるのかもしれない。 それは新聞を取っていない私が、知らないだけなのかもしれない。
だから、このあたりで私の思考は、停止してしまうのである。 新聞を読めばいいのだろうが、新聞を公平な媒体だと信じていない私は、新聞から真実を判断する方法を知らない(いや、知ろうとしない)。
結局、真実から逃げて、いつも世界情勢に疎(うと)いままで、騒動の嵐が過ぎ去るのを待つというのが常である。
IOCはなぜ、6回も五輪をボイコットしている中国に、五輪開催国の権利を与えたのかという疑問も、私は、いつの間にか忘れてしまうのだ。
そして、大方の日本人と同じように、もし北島康介がメダルを取ったとしたら、チベット擾乱のことなど頭からキレイに追い出して、「取った! 取った!」と騒ぐかもしれない。 野口みずきがメダルを取っても「取った! 取った!」。 谷亮子が、「ママでも金」だったら、さらに「取った! 取った!」。
そして、俺も弱腰で他人事の日本政府とまったく同じだな、という小さな自己嫌悪に陥るが、節操のない自分には、この政府はお似合いだなという、都合のいい自己弁護で理論武装する。
オリンピックは、そんな自分の情けなさを再発見できるイベントだと、最近私はつくづく感じております。
話は変わりますが、最近疑問に思うことを一つ。 なぜ、コイズミ元総理が決めた「高齢者医療制度」の問題で、フクダ総理の支持率が下がるのでしょうか。 メディアは、制度の経緯をまともに伝えているのだろうか。 他の政党もそのことを冷静に伝えて、なおかつ制度の不備を追及するのなら、それは理に叶っているのだが、その気配はない。
ややこしや〜。
★ややこしい人は、CG「さびしい滑り台」。
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2008/04/24 AM 07:04:42 |
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